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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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乃木静子夫人銅像、再び

2017-07-22 02:25:40 | 乃木静子像

6月30日のツイートにあるように、乃木静子夫人奉賛会のページを目にした事から、
翌7月1日には早速父とともに、昨年11月27日に再建立された銅像を観に行きました。

  初めて行ったのは9年前、

2008年11月15日の『維新のふるさと鹿児島ウォーク in 2008(2)』で、新しい像の建立前でした。

 



写真を撮ったのに、あれこれと忙しく今になってしまいましたが、
折角なので記録として纏めてアップしておきます。

        ☆☆☆

2017年7月1日土曜日、お昼を少し回った頃、
松方橋を背に甲突川左岸を武之橋方面(上流方向)へ歩いて行くと、ピンクの幟が並んでいました。


左手の公園へ目をやると、見えてくるのは最初にたてられた時の台座と大きな石碑、





そしてその更に奥、緑色の、擣衣(うちぎぬ)というのでしょうか和装の女性像が鎮座されています。


この方こそ乃木大将夫人、静子様です。



公園の中を観てみると、児童用遊具の向こうにちょうど路面電車(市電)が
その存在を響き渡らせるかのような音とともに武之橋を渡って行くのが見えます。
広告電車なども多数ある中、この時は昔ながらの緑色にオレンジ色の車体でした♪まさに鹿児島市らしい景色です!

公園には午後の憩いの場として鉄棒にぶら下がったり、子供たちを遊ばせたりとそれぞれに楽しむ方達の姿も。
そして、猫も2匹ほどいて、お近づきになりたかったのですが、
野良なのか飼い猫なのか、すでに猫たちと戯れている方がおられたので遠慮しました。写真も撮れずにちょっと残念。。

※小さい画像はクリックすると拡大表示されます♪
   

案内板にもある通り、静子は安政6(1859)年11月27日、薩摩藩士・湯地定之の四女(第七子)としてこの地に生まれます。
幼名・お七(お志知)。                 ※新しい銅像台座の碑文によると「薩摩藩医」とあります
同じく案内板の年表を見ると明治4(1871)年には一家で東京へ移住します。鹿児島での生活は12年ほどという事になりますね。

そして明治11(1878)年9月3日、静子は数えで20歳の時に乃木希典(まれすけ)と結婚。
(その後については是非、案内板と年表をご覧ください)






新しい銅像の台座には、詳しい説明とともに、銅像建立実行委員会顧問:原口泉先生のお名前も。



☆7月に入り日差しも強くなりつつあるものの、気分も新たに、お天気も最高な中で歴史探訪が出来たのでとても満足して帰路についたのですが、
車を走らせて間もなく、今回の探訪の切っ掛けとなった肝心の「船魂神社」を確認するのをすっかり忘れている事に気づき、
次回こそは神社参拝を!と心に誓う親子なのでした。


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