【2024年】ツイッターつぶやき
高齢化と少子化ですから人口減は加速度的に進みますね。
同時に人為的な人口減が起きる。
高齢化と人口減の中で過疎化も速度的に進む。このままだと村などが消滅するようです。
人口減が進めばスーパーなどもなくなっていく。すると若い人も住めなくなり、このことからも加速度的に過疎化を進める。
大都市も少子化の中で小学校が削減され子供の姿が見えなくなる。
すでに商店街は消滅をし、商店街を駆逐したスーパーも消滅する。地下に低いところに大型スーパーができてそこでしか靴や洋服も買えなくなる。
山の中や里に熊や猿や鹿が支配するようになっていくのでしょうね。自然も回復していく。
≪過去の記事≫
【2004年】
イラクに主権が委譲された。
喜ばしいことである。しかしアメリカ主導の中では難しいものがあるのではないか。テロは後を絶たない。
主権を取り戻した(形式的に)イラク政府は、アメリカが残した負の遺産を引き継ぐ。現在の報道を見る限り、アメリカの戦争の正当性は猫の目のようにひるがえり、その正当性は薄れている。その薄れた正当性によって奪われた命や治安。テロの激化。あまりにも大きな負担がイラク政府には残った。
もう、個人や少数グループあるいは一定の勢力のあるテロ組織だけが悪で、国家による戦争は英雄的で正義の味方だという戦争の正当性の構図はなくさなければならない。チャップリンが生きていたら、またアメリカから追われるか逃げ出すだろう。
日本は多国籍軍に残るという。しかしその前に今回のイラクでの自衛隊活動にどのくらいの金を使い、イラク国民に(対米関係ではなく)どのくらいの援助ができたかを国民に知らせ、多国籍軍に参加するにあたっての予算面を含めた人道支援の見通しを示すべきだろう。
アルカイダーなど、早いテロの収束による平和的な(内戦にならないような)結束がイラク国民にはまず求められる。そこに国民生活の安定を求めないと。。。。
【2005年】
昨夜の大粒の雨は夕立かと思ったけど、梅雨前線による雨だったようです。今朝もまで降っていました。
今日はよく働きました。
すべてのエアコンを掃除してトイレの掃除も。。。。
天気がよければ布団も干したかったのですが。。。。
さっき、鍋を焦がしてしまいました。
せっかくかっぱ橋で買った鍋なのに。。。。
かっぱ橋とは言っても、もちろん有名な上高地の河童橋ではありません。東京の問屋街のかっぱ橋です。駅で言えば、JRや都営地下鉄の浅草橋だったかな?
プロ使用の鍋や様々な道具を売っています。少し高いかなと思うのですが、そこはプロ使用!長持ちします。近くの鬼子母神(「フウテンの寅さん」は言う「恐れ入谷の鬼子母神」です(笑))のお祭りもあり、道具市もあり、屋台がたくさん出ておもしろいところですよ。
もし東京にお越しのときは立ち寄って道具を物色するのも楽しいと思います。
東京は大空襲でほとんど焼けたところが多くありますが、それでも昔懐かしいところも残っています。
ううう。。。。ん
「東京散歩」というページもいいかなぁ。。。今の若い人達が集まるようなところは苦手だけど・・・ハハハ
【2006年】
またまた朝顔のこと。。。。
朝顔の蔦は一日でどのくらい伸びるのだろうか?
朝、水をやりながら蔦の先っぽを見るともう少しで蔦を這わせる紐に巻きつきそうだと思っていたのですが、夕方には、天晴れ、紐に巻きついていました。
おおよそ見た感じでは5センチは伸びていた。
すごいですなぁ。。。
羽衣ジャスミンの茎も支えの棒に絡まってきて、ミニバラは、ちゃんと新芽を出して花をつけようとし、名前のわからないランは枯れたと思っていたのに新芽がすごい勢いで出てきた。
この生命力。。。。。
韓国の拉致被害者のお母さんが息子さんに会えましたね。
これからどうなるのかはわからないけど、国家としての拉致問題は国家間のこれからの話し合いとなると思いますが、一つの家族の「これから」を見たときには、どのような形にしろ、あのお母さんがまた頻繁に息子さん家族に会えることを平行してやっていかないとならないのではと思います。これもまた韓国国家と北朝鮮国家の責任でしょう。これからもまた新たな真相が出てくるかもしれませんが、今現在としては、親子なら、お年寄りを大切にする同じ民族として、年老いたお母さんのことをまず考えるべきでしょう。
【2007年】
ファミレスで昼食。。。。
トイレに行こうとしてトイレの前に来たら。。。。。
ちょうど同時に若いお母さんとお子さんも来た。お母さんがトイレに入る間、お子さんが外で待っているといったら、お母さんがチラッと僕を見て「こんなところにいたら変なおじさんに連れて行かれるよ」と。。。。うううう
ムカッ!!
そんなに怪しいおじさんに見えたかな?(笑)
まぁ、今の社会は人を見たら泥棒と思えどころか人を見たら変体と思え、人を見たら人殺しと思え、人を見たら詐欺師と思えが納得できる世の中ですからなぁ。。。
「職場はなぜ壊れるのか」 荒井 千暁 著
副題は「産業医から見た人間関係の病理」となっています。
僕の産業医へのイメージでは、産業医とはもちろん医者の立場で企業から金をもらっているわけですが、どうも企業サイドの視点で従業員の心身を診ているものと思っていました。この僕の産業医への見方というものは一面としては正しいとは思っているのですが、そのような産業医が、今の社会でその立場から従業員を守らざるを得なくなっているものに興味を持ちました。
そしてそれは、競争社会における成果主義的な賃金体系や労働環境を問題とせざるを得なく、このままでは従業員自身が壊れていき、それはまた企業自体の末端職場が壊れていくことにつながるという視点からの警鐘でしょう。
そして産業医という立場にもかかわらず、今の成果主義という当たり前になっているシステムにも立ち入って検証せざるを得ないことを訴えていると思います。
「現代の労働社会で起きている過労問題や心の病の問題で倒れる労働者の像は、ややもすると日常生活の支障が出るほど心に深いキズを負ってしまいかねない」
同時に
「成果主義がうまく稼動しないという計画倒れ、それによるコストパフォーマンスの悪さや終わりのない士気低下がモラルダウンを生み、悪環境から抜け出せないでいる。」
(以上「まえがき」より引用)
昔から「怪我と弁当は自分持ち」といわれてきましたが、働いている中での従業員の病気や怪我は、労働基準監督署に報告せざるを得ないもの意外は「お前が悪い」というような個人の責任になりやすいですし、ましてや精神的疾病の場合やそこからの自殺などは、なおさら個人の責任となりやすいものだったと思います。
最近では、長時間労働や時間外労働による自殺などが増えており、それは労働災害認定裁判の増加にもなってきています。すでにバブル時期から「過労死」というものが問題にもなり、それは「日本人は死ぬまで働くのか?!」という先進国からの目も「KAROUSHI」としてそのままに日本語が通用したと聞いています。その中で、労働災害として認定された場合は、企業イメージが大きくダウンしますし、企業もメンタルヘルスといった精神疾患に敏感となってきています。その中で、この著書のように、産業医も問題にせざるを得ないところまで矛盾が大きくなってきているのでしょう。また、このような精神疾患からの自殺というような新聞記事にならないまでも、今の状態が企業の生産性を落とすことにつながるならそれも企業にとっても深刻な問題となってきますし、この方が企業にダメージとなるでしょう。このような今の現状を基にしてこの著書の重みがあるのかもしれません。
本書ではさまざまな事例を紹介しながら今何が起きているのかを見ています。そしてそれは、人間関係にも支障を起こし、心には深いキズを刻んでいくことがかかれます。個人の労働者は心を病み、企業職場はぎすぎすしていく。これは成果主義という一見合理的に見えるシステムの中にその矛盾が出ているのでしょうが、もっと視野を広くしてみるならば、競争社会という市場に何でも任せればよいといったような新自由主義は、社会自体をも蝕む。
最近の新聞記事を読み思う。
「昔読んだ本の記憶に、19世紀のイギリスにおいて低賃金層の労働者は、安いパンしか食えないのだがそのパンには小麦粉に石灰だったか?を混ぜてあったそうである。
ニュースを見ていたら、中国からの輸入ピーマンに、基準値の3倍の農薬が残っていたという。急激な発展をする時期には、こういう食品も出回るのかもしれない。産業革命のイギリスや、今の中国も人事ではなくて、日本も経済の発展時期にはいろいろな食品添加物が問題になった。経済発展期特有というだけではないのであり、やはり今日のニュースでは、牛肉ではない牛肉コロッケの映像が出ていた。
経済の発展時期はより多くの儲けを独り占めしようと競争をし、経済が低迷したときは、儲けを取られまいと小さくなる一方のパイを取り合う。資本主義というのは貪欲である。
今話題のグッドウィルという派遣企業が、労働者の給与から不透明な天引きをしていたという。派遣制度自体というものに矛盾が出ている今に、違法性の高い天引き、天引きといえば聞こえはいいが、早い話が「ピンはね」である。資本主義は貪欲である。
この貪欲性が競争といわれる。競争といえば聞こえはいいが、早い話が一般庶民をどこまでだましどこまで生活を低下させることができるかどうかなのである。
これが資本主義の社会的システムの根本にあるものである。
もちろん、資本主義にも社会民主主義とか国民生活を重視する考え方もあり、昔の日本にもあった「福祉社会」という形にもあった。しかし、これは、新自由主義という野放しな資本主義を認めると、必然的に弱くなるものである。日本だけではないが、先進国の勤労国民の生活を低下させることでしか成り立たない今の資本主義ならば、ひとつのシステム上の破綻が自然に出てくるのではないかな?国民のためとか消費者のためとか、働く人のためとか言うものはコストを上げるからだめとなる。
この中で、競争が激化すればするほどそれは社会の発展につながらなくなり、資本主義の社会システム自体が自壊していくということ。この自壊自体はもちろん勤労国民をさらに貧困化させ、戦争で血を流さること。
今、夕方のニュースで、今朝のJRの停電事故についてやっていた。
運転手さんの責任らしい。でも、図解で出ていたが、あのような状態で電車を止めろといっても運転手さんは難しいだろうなぁ。。。(笑)システムの自壊過程で、「お前が悪い!」という弱いものいじめが増えてくるだろう。」 (日記より)
こんなことが1日の間に新聞やテレビから見えてくる。年金問題をはじめとした国家システムのずさんさもあり、毎日、毎日庶民をないがしろにした社会が見えてくる。というよりも社会システムの崩壊過程だろう。人はシステムを作る。しかしいつの間にかその人が作ったシステムが人を支配していく。一度出来上がるとそれを修正させる力は膨大なものとなる。なぜなら誤ったシステムでも甘い汁を吸える人間は居り、その人間が政治的にも経済的にも大きな力を持つことができるからである。これは、企業の一職場においても同じであり、本書で問題点としてあげられる矛盾もまた一度出来上がってしまうと修正はたいへんなのである。
だれでもが戦争はよくないと個人的には言うが、しかし集団真理となると戦争が肯定されていくのと同じように間違ったシステムだとはわかっていてもその流れには個人はある意味無力であり、その悪いシステムはそのままに流れていく。それが組織というものである。
負のスパイラルは続く。
「戦争をしなければ平和の意味はわからず、離縁や死別をしなければ家庭の暖かさがわからないように、倒れてみなければ健康のありがたみがわからない。(中略)残念だが、それは事実かもしれない。」(まえがきより引用)
しかし著者は、その解決策とは書かないが「予防」はできる可能性はあるという。ここからが本書の主題だろう。
しかし、同時にそれは成果主義の労働環境からもたらされる労働者の健康への影響は扱うが、成果主義そのものに対しての代替案を出す立場にはないという限界性を見る。
では産業医の立場として何が言えるのか?
できることは、精神疾患に対して病名をつけること。そしてその精神疾患が就労上に起因があるのかを見ること。そしてその上に立って成果主義の職場を少しでも「改善」すること。最後にここをしっかりやらないと企業そのものが危うくなるという視点で経営方針の改善を提言する。こういったことが結論ではないか?
この限界性は今の社会の法的なものを含めて仕方のないものであり、その限界性の中において労働者を擁護するというこの視点を見ることができる。
病名がはっきりし、それが就労に伴うものと産業医が提言できれば治療にも生かされるだろう。
このような先生が増えていってくれれば将来は明るいと思う。
しかし、このような先生と労働者との連携、特に労働組合があるならそことの連携がどうしても必要になってくるものである。
たしかに労働環境を作っているのは企業であることはたしかだが、それが劣悪なものであり労働者の健康に害を及ぼすのなら、労働組合の企業への介入はその責務である。
今もなお企業はリストラ景気対策の延長線上にある。利益を増やすにはコストを下げなければならない。そのコストは労働者の賃金にある。ここの労働者の賃金格差がどうであるかは関係はなく、総額が問題である。ほんんんお少数の労働者の高賃金を与えて夢を持たせるが、その他は低賃金のままにしたり、アルバイトや派遣というさらに低賃金者を置き賃金総額においては切り下げていくというのが企業である。それを成果主義という。自由な働き方とか、自立した働き方とか言うが、結局は労働時間を長くする仕組みであることに変わりはない。このような方策は、過去のいつの時代にも賃金制度として存在し、労働者間の競争をあおってきた。そこに歯止めをかけてきて一定の成果を守ってきたのは労働組合とその支持関係にある政党だった。今はそれがなくなった分、労働環境の劣悪さは増す一方なのであり、産業医ですら、その環境を指摘せざるを得ないようになってきたということだろう。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
三十年が近くなってきたね
君との生活の流れる川が
気付いたら君は支流に流れていた
君にしたらそこが本流かい?
僕はのんきだから流れに浮かんでいた
こんな形で海まで一緒に流れきれなかったね
もう二度と君の流れは戻ってこない
僕はやっとわかったんだ
今なら僕は一人で流れていける
僕なら大丈夫だよ
僕も君のように生きていればよかったのに
のほほんと毎日を退屈に流れに乗って
これからもこれでいいんだ
孤独もまた楽しいかもしれない
だって今までも孤独だったから
あんがい楽しくやっていたんだよ
だから僕なら大丈夫だから
君が望んでいる僕でいてあげる
君が教えてくれたことを今なら知ることができるから
心の川は流れる
三十年の流れの川上は見ないでおくよ
どうせ幻のように霞んでいるだろうから
【2011年】ツイッターつぶやき
昨日、スーパーに行って豚肉を買おうとしたら表示には「国産」とあるだけでどこの肉かわからなかった。以前は鹿児島とか書いてあるパッケージに入っていたけど。でも外国産は「外国産」ではなくて産地の国名をきちんと書いていた。
少し前に産地偽装だとか騒がれていたが、今は産地を隠すようになったのか?これも国に言わせれば「風評被害の改善」かもしれないが、消費者にとっては産地が知りたいわけです。ある意味産地偽装の一種ではないかな?
学校給食に東北産の食材を使うなどとツイッターなどにみることができるが、放射能というものは一度出てしまったら拡散をしないようにするのが必要なのに。
ツイッターで、この産地を知ることができる「製造所固有記号」というものを教えていただきました。どの商品にも表示義務があるのかはわかりませんが生産地を知るには良いものと思います。
こちらのサイトを携帯から検索をして入れておけば買い物の時に役立つかも?(一応情報程度ということで・僕もよくわからないので)
【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2013年】ツイッターつぶやき
日銀は国債を買い取り資金をばらまいているが、その資金は株や金融商品などの投資に流れたり一部不動産への投資にも流れている。利益は輸出産業や投資家に。一方こういった「景気の回復の兆し」の中でも給与は上がらず国民生活の改善にはつながっていない。それどころか日銀は政府へ財政の健全化を要求している。財政の健全化がなければ国債の信用も落ちますし国債金利も上がる。それは日銀の損失として現れるでしょう。ですから財政の健全化は待ったなしという事になる。しかし法人税は減税傾向にありますし、アベノミクスでの利益は財政の健全化にもつながらないという事です。では財政の健全化を行うには誰の負担が強まるか?当然消費増税も待ったなしになる。
すでに復興特別性として賞与を見ても所得税(サラリーマンは源泉徴収)は2%強上がると言われます。企業は一時利益からの賃上げは、賃上げという形ではなくて賞与で出すといったものがありましたが、上にも書いたように2%強は増税で持って行かれる。
このように国民の第一の苦は増税地獄と言えるでしょう。
昨日発表された消費者物価指数がマイナスから脱出して脱デフレへの良い兆しだとも言われていますが、どうにか円安での輸入原材料の値上がりを価格に反映させ以内でいたところも限界にあるという。すでに電力料金は上がっていますし、パンやハンバーガーの値上がりもと言われており今後生活必需品や食品の値上がりが予想できるでしょう。
国民の第二の苦は円安誘導による悪性の物価上昇地獄と言えるでしょう。
そして今後はさらに正社員の減少が進むようです。正社員と同じ条件だが解雇はしやすいという限定正社員が言われている。雇用の流動化が必要と言われていますが、労働力の移動が必要となるのは新たな産業の発達など経済が動いていると気です。今は逆立ちをして労働力の移動が新たな産業を生むと言われます。景気が落ち込んだ時の労働力の流動化の必要性とは解雇をしやすくするため以上のものではないでしょう。上にも書きましたがこの新たな限定正社員もプラスしたこれまでの派遣社員の状態から更なる賃金の低下を招くでしょう。低賃金層の増加や差別化は正社員の賃金上げにも桎梏となり賃下げ傾向すら生まれるかもしれません。
国民の第三の苦は雇用の不安定化の増大と賃下げ傾向地獄と言えるでしょう。
アベノミクスの三つの矢と言われていますが、それは働く国民にとっては三つの苦の増大でしかないでしょう。
このような国民の三つの苦は、年金制度や保険制度を維持することを妨げますし、年金をはじめとした福祉や社会保障全般の切り下げとなる要因となります。
そして経済自体をますます縮小化していくことでしょう。
国民生活の切り下げは必ず経済活動・企業活動そして株や金融市場に大きな矛盾を投げかけるでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
ツイッターから
昔読んだ田中光彦著「原発はなぜ危険かーー元設計者の証言ーー」(岩波新書1990年発行)を朝からぺらぺらと読んでました。原発の危険性は装置そのものと同時に「安全だ」という神話の中身の危険性でもある。再稼働もこういった安全神話の中で行われる
「批判精神が機能しない日本の専門家集団」という言葉(117頁)に日本の安全神話の危険性が象徴されているのではないでしょうか。特に今の時代はこの「批判精神」が抑圧され自粛されている。原発の再稼働問題だけではない基本的な日本の欠陥でしょう。
国民自身が「安全だ」という強い言葉に安心をし、強いリーダーシップ(政権)にゆだねて安心する。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!と、国民の批判精神も希薄になる。そこにマスコミの批判精神も低下する。
批判精神は国を愛さないことではない。
批判精神は、時には国を愛するが故に強くなるのである。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!という批判精神を抑えるような言動こそに実は国を愛することから離れた国家主義が生まれる。
「批判精神が機能しない日本」。。。
宣戦布告をしない戦争が今の時代です。それは「正義の戦争」「テロとの戦い」という言葉で言い表さられ、宣戦布告をしていない中でアメリカの論理や安倍政権の「積極的平和主義」という言葉に表現されます。
ですから国民も戦争をしているという意識が薄れて正義という言葉だけに酔いしれる。。。。怖いですね。
禁煙の勧めとはいえ、タバコは一つの嗜好品としての文化の歴史があります。その歴史文化の表現を辞めさせるというのはダメです。
以上三つの事柄についてのツイートですが、「批判精神が機能しない日本」という面で共通性があると思うのです。
「国民自身が「安全だ」という強い言葉に安心をし、強いリーダーシップ(政権)にゆだねて安心する。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!と、国民の批判精神も希薄になる。そこにマスコミの批判精神も低下する。」「国民も戦争をしているという意識が薄れて正義という言葉だけに酔いしれる」そしてタバコの害を言うのはいいですが、日本の嗜好品である煙草の文化そのもの博物館を閉鎖せよという主張が堂々と言われる社会。タバコについてはテレビや映画を中心に喫煙シーンがあるかないが問題視されますが、一つの人間の営みとして存在してきた文化を消し去るということの論理面での怖さを感じます。もちろんこの、「批判精神が機能しない日本」は、「批判精神が機能しない日本の専門家集団」の専門家集団の劣化に国民意識も変化させられることでもあります。
その専門家集団は、原発で言えば制作企業や電力会社ということにもなりますし、政治はもちろん政治家や官僚でしょう。禁煙で言えば医者や研究者で、経済学で言えばエコノミスト。。。そしてマスコミ。この専門家集団が批判精神をなくして国民の生活や意識から乖離していくだけではなくてごまかしや抑圧的になっていくことに劣化を生じます。そしてさまざまな面でそれは社会に反映するわけですから社会全体が矛盾が矛盾を作りその矛盾は拡大していき原発事故の安全・安心神話が崩れるように社会が崩れていく。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
以下、ツイッターからの転載です。
社会の中で労働により作り出した「果実」がどのように分配されるかが大切で、果実が富裕層や大企業などに吹き溜まるならば、その果実は腐っていくでしょう。結果、社会が作り出した果実は減少しているに等しくなる。
しかし、果実自体がほとんど多くなっていないない中で、果実が多くなったという人がいる一方で果実は少なくなったという人もいる。多くの一般国民が果実は少なくなったとすると、これが格差の拡大となる。格差の拡大は社会を疲弊させるでしょう。貨幣の回転は鈍くなりさらにお札の印刷
世界的に通貨安競争は否定をされはじめて一つの経済理論の転換の時期に入っている。金融政策だけでは経済の好循環は生まれないことも明らかになっている。同時に格差の拡大(金の吹き溜まりと貨幣の回転の鈍化)につながる新自由主義も否定をされはじめている。
しかしこの経済理論や新自由主義的政治の転換期において、グローバル化自体を否定する超保守主的な保護主義(経済だけではなくてナショナリズム)が台頭をしてきている。同時にまだその芽は小さいがアメリカの大統領選におけるサンダース旋風に代表される社会民主主義も現れ始めている
国民意識は一つの時代の終焉から混沌を極め自身の貧困化を経済や政治の改革での論理的な討議から離れて他国との闘争においてのナショナリズムや感情的な観念論に支配をされやすくなり、それがポピュリズムに利用される。マスコミはどうだろうか?知識人や有識者はどうだろうか?
今の一つの政治の流れは現在を否定するがその先は全くの暗闇となる。この暗闇にまた国民やマスコミなども道を見失い、強い言葉や「景気のいい話」に飛びつく。その場の「期待」により将来を観念的に想像をする。道を失うとなんでもありの社会となる。人の理性や哲学否定という劣化が。
これらが相乗的に悪い方向へと進んでいく。
【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターからです。
旧民主党政権時、ねじれ国会だのと決められない政治がやり玉に挙がった。実はこの時から政治の倫理や民主主義というものが瓦解していったのです。選挙は数の力を得るためのものになってマニフェストが消え去った。政治家ではなくても票になる人であればいい、あるいはポピュリズム。
二大政党という政治の中での政治家はもちろん、マスコミも多くの国民も「決められる政治」=「数の力」という常識を作り出して流されていった。選挙の結果という数の力も民主主義だとされたが、結果は数の力があれば何でも有りの政治が生まれて、社会全体もあらゆる種類の「力」があれば何でも有りに。
今の自民党が言う官僚主導から政治主導は、政治家が政策の理論などにおいて官僚に負けない資質を得ることではなくて、政治家の数の力を背景とした「力」によって捻じ曲げられるようになっている。企業は労働者よりも圧倒的に力がある。企業論理もまた「力」によってブラック化した。
街頭宣伝やネットを見てもヘイトが力を得た。この力が差別であろうとこれも言論だと主張されはじめた。「バカ、死ね」「いやだったら日本から出ていけ」「反日国民」などという高圧的な言葉が力を得た。この力は一般国民だけではなくて政治家の意識や知識人にまで陰で時には表で広がりを見せた。
言論や批判など、社会的な何かしらの「力」によって圧力を受けるようになり、マスコミの自粛までもが広がった。一見平等な報道がされなくてはならないという中での自粛のようであるが、力を持つ者の主張はやはり強くてそれが平等性から見た意見の力となり、これが社会的多数意見とみなされる。
国民は自分の意見を語ることは昔から自粛されていた。政治はもちろんひどい場合には真面目な話も「マジメぇ~」などと揶揄され楽しい話をしなくちゃ!と。テレビの政治番組でも最後はお茶螺家や例えば男女平等も男と女の闘いなどにごまかされてきた。
社会性や対人関係においてはテレビで見た意見を言っていれば無難であり、それである程度政治にも関心があるよといえる。
やはり国民全体が「数の力」=「民主主義」が常識化してしまっているのです。間違ったことを言うとたたかれる。。。。ほんとはその自分の意見が間違っているかいないかはわからないのに。。。。言論や批判は委縮をしてくる。これは何も一般国民だけではなくて「電波止める」といわれたマスコミも同じ。
民主主義や自由を抜きにして決められる政治を何も考えずに受け入れた国民の末路です。でも、今、これに気付き始めた人が多くなっているのではないでしょうか?決められる政治の力を持つ政党が劣化をして政治倫理が働かなくなっているのですから。でも保守(与党)の中からこれからも疑問が出るでしょう
民主主義や自由を余計なものと考える数の力は、腐敗して政治経済の劣化を必ずもたらします。力による政治ですから力のある者が得をする政治となります。小さくなるパイの分け前は力の持つものが多くを分捕る社会になります。これが社会を疲弊させていきます。最後は精神論的な戦争です。。。。。。
選挙は数の力の維持にある。これが「政治屋」の根底にある。だから選挙はうまいです。くっついたかと思うと離れたり、離れたと見せかけて選挙後はくっついたり。。。
改憲までこれが激化すするでしょう。
【2018年】ツイッターつぶやき
現実世界から降り注ぐ粒子
心が焼きついてしまうようだね
だからその瞬間の喜怒哀楽がある
でも、その粒子をフィルターに通してみよう
心が焼きつかないように
現実に対して感情的にならないために
そうしたら喜怒哀楽は
詩にもなるでしょう
悲しみの中に美しさも見えるかもしれない
怒りの中にも許しを見つけるかもしれない
楽に溺れない自分への諌めを持つかも
時には喜びを悲しみにしてしまうかもしれないけど。。。
そうすれば現実と思っていたものが
まったく違ったものだったことに気づくかも
そしたらその冷静な心で
喜怒哀楽をもう一度持とう
人をそして人の世を見よう
素直に感情という色眼鏡をつけないで
それがほんとの自分にとっての現実
(旧ホームページより)
人は喜劇を演じる
多くの人が喜劇を演じるようになり
政治家や知識人なども喜劇を演じるようなり
国民はわけもわからぬままにその喜劇を観る
しかし喜劇を観ているにもかかわらず
悲しい涙があふれてくるね
その悲しい涙が本物だよ
実はその喜劇は悲劇なんだ
笑ってみていてはいけないよ
変な笑顔だよ
(ツイッターより追記)
変な笑顔だよ
その笑顔は
人は素敵な笑顔をしているつもりでも
嘘やごまかしそして人を嘲ったり
その笑顔は変だよ
笑顔には心がそのまま出るよね
真面目な顔もそう
目が泳いでおるよ
真面目なのに変な笑顔が出てる
言葉や文章もそうだね
それも顔なんだよ
不特定多数の中で
利害関係のない中で
笑顔が
(ツイッターより追記)
【2019年】ツイッターつぶやき
今年4月に書いた「頑張っても報われない社会が待っている」の関連です。
高齢化社会が社会問題のように取り扱われていますが、若いうちに戦争で苦労した世代そして戦後生まれの団塊の世代などの世代は、日本の復興、高度経済発展そしてバブルにまで経済を支えてきた。頑張れば報われるといわれていた社会の中で、確かに頑張れば自分の家を持てて老後の生活の展望も持てた。しかしこれは社会自体が自然にそのような安定した生活が出来上がったわけではなくて、55年体制の中で政治と労働運動そしてそこに結びついた市民運動の「抵抗勢力」があって初めて作り上げてきた。この意味において将来の展望を持つことができた。
しかし今の社会は頑張った人が報われる社会なのかといえば、高齢化社会の中で高齢者は切り捨てられている。高度成長とバブルにも向かった社会を支えた高齢者が報われない社会になっている。
100年は大丈夫とうそをつかれて年金は、積み立てた年金積立金は自分たちのために使われずに運用という名のもとにギャンブルに近い株につぎ込まれている。
さらに若い人たちは、ばかげた人生100年時代というまやかしの中、年金支給年齢の引き上げにより生涯働かき続けねば生きていけない社会に。年金だけでは2000万円足りないとされたが、この2000万円は70歳前後まで働き、わずかな老後資金を食いつぶさねばならない。今後終身雇用はなくなり、民間では退職金も怪しくなる。退職金を食いつぶすこともままならないようになるでしょう。
一方では労働環境は悪化するばかりで、半強制的に頑張って働くことになるでしょう。
しかし頑張っても老後を見ても報われない社会が待っている。
社会の流れを左に戻さねばなりません。
【2020年】ツイッターつぶやき
(1)新規陽性者数
51.9 人 <20人/日 50人/日
(2)新規陽性者数における接触歴等不明率
51 % <50% 50%
(3)週単位の陽性者増加比
1.64 <1 2
(4)重症患者数
12 人 【参考】100床(レベル1)
(5)入院患者数
272 人 【参考】1,000床(レベル1)
(6)PCR検査の陽性率
3.2 % ―
(7)受診相談窓口における相談件数
911 件 ―
*<u>以上東京都のホームページ「モニタリング指標」より
このモニタリング指標を見ると、すでに東京都は再度休業要請レベルとなってきた。
国も東京都も経済優先で、国は専門家会議すら廃止する方向です。東京都は現在新しい指標を作るために専門家の意見を聞いているらしいです。その中で指標自体を改変するという議論がはじまっているようでそれを明日発表される可能性が強くなっています。すると上記したモニタリング指標も今夜で見納めかもしれませんし、再度休業要請やレインボーブリッジを赤に染めるのもチャラになるでしょう。
国の緊急事態宣言や東京都の東京アラートとは何だったのでしょ?
感染拡大を止められない状態で経済優先ならば、なにも緊急事態宣言や東京アラートで休業して廃業した商店などやそのために2万人以上と言われている失業者や新規採用のストップなどの国民の犠牲も必要なかったのです。
国や都も陽性という緩やかな宣言だから感染が再度広がったとして、国は憲法改正の必要性なども出し始めている。感染拡大が広がることによりこの国や都の姿勢が国民に浸透するようになる危険性があります。東京都の新たな指標がどのようなものになるかわかりませんが、政治の失敗を国民の行動にすり替えていく方向となるでしょう。実際すでに国民の自営の問題として自己責任を課しています。
政治面での政策的な議論もできないような状態になっています。コロナに対する政策の議論もすでに潰されていると見たほうがいいと思います。それは専門家委員会の一方的な廃止や都のモニタリング指標の改変という力の政治に現れている。
そろそろ政治に目を向けなければいけませんね。これが今の政治を変えます。というよりもこれしか残されていないです。
【2021年】ツイッターつぶやき
5月末ぐらいだったか、花屋でイソトマという花を買ってきてプランタに植えたのですが、どうも葉っぱに刺激性の毒があり学校で小学生がその刺激でどうにかなったらしいというニュースが出ていた。
まぁ、気を付けたほうがいいぐらいの毒性なのでしょうが急に嫌気がさしていた。
暑くなったら花があまり咲かなくなり株だけが大きくなり始めた。
なんだかかわいそうなんですが今日抜いてしまいました。
ビニール袋をかぶせて抜きました。
花も気を付けて買ってこないとだめですなぁ。
結局は花にもかわいそうなことをしてしまう。
反省・・・・・
【2022年】ツイッターつぶやき
東京の新規感染者数が3803人となりました。先週よりも1400人ほど増えています。
このブログでも時々東京の新規感染者数は下げ止まりではと書いてきました。減少しつつも減少のスピードが遅く感染者数自体が多い状態での下げ止まりです。そしてあっという間に増加傾向を示して来週までの数字によっては再拡大とみることとなるでしょう。
陽性率が高くなっており、14%を超えています。今日あたりは15%になっているかもしれません。
この中でコロナ感染拡大防止策が緩くなっています。
熱中症予防にマスクを外すべきという意見が多くなりマスクを外す機会が多くなっています。
子供たちが体育で熱中症になればマスクをしていたからだといわれます。しかしこの異常な暑さの中ではマスクを外していても運動をさせること自体が間違いなのです。戸外で働く人はマスクをなるべく外す工夫は必要ですが、労働条件も考えねばならないでしょう。
経済優先になっているのですが、これで感染拡大になればどうなるのか?
放置されたままでのコロナとの付き合いとなる可能性が大きいですね。高齢者にはワクチンを接種して。。。。。
新たな株の毒性がどうなのかはわかりませんが、オミクロンにしても一定の死亡者や重症者が出ました。
死者や重症者そして後遺症はそのままに経済優先と向かうのでしょう。
また国民生活は悲劇の繰り返しです。
【2023年】ツイッターつぶやき
夜になり風もなくなり窓を開けていても室温が30度。
昼間エアコンの内部クリーニングと試運転をしておいてよかったです。
遠雷。
少しは風邪が出るかと思いましたが、逆に無風ですからなぁ。。。。。
今夜はエアコンを入れて寝ます。
熱中症は気温だけではなく湿度も関係するようですね。
時々救急車の音がします。
ネットニュースでは、消防署も来て児童を集めて熱中症訓練をした所があったようですが、訓練中にほんとに熱中症になった子が出たらしい。
高齢化と少子化ですから人口減は加速度的に進みますね。
同時に人為的な人口減が起きる。
高齢化と人口減の中で過疎化も速度的に進む。このままだと村などが消滅するようです。
人口減が進めばスーパーなどもなくなっていく。すると若い人も住めなくなり、このことからも加速度的に過疎化を進める。
大都市も少子化の中で小学校が削減され子供の姿が見えなくなる。
すでに商店街は消滅をし、商店街を駆逐したスーパーも消滅する。地下に低いところに大型スーパーができてそこでしか靴や洋服も買えなくなる。
山の中や里に熊や猿や鹿が支配するようになっていくのでしょうね。自然も回復していく。
≪過去の記事≫
【2004年】
イラクに主権が委譲された。
喜ばしいことである。しかしアメリカ主導の中では難しいものがあるのではないか。テロは後を絶たない。
主権を取り戻した(形式的に)イラク政府は、アメリカが残した負の遺産を引き継ぐ。現在の報道を見る限り、アメリカの戦争の正当性は猫の目のようにひるがえり、その正当性は薄れている。その薄れた正当性によって奪われた命や治安。テロの激化。あまりにも大きな負担がイラク政府には残った。
もう、個人や少数グループあるいは一定の勢力のあるテロ組織だけが悪で、国家による戦争は英雄的で正義の味方だという戦争の正当性の構図はなくさなければならない。チャップリンが生きていたら、またアメリカから追われるか逃げ出すだろう。
日本は多国籍軍に残るという。しかしその前に今回のイラクでの自衛隊活動にどのくらいの金を使い、イラク国民に(対米関係ではなく)どのくらいの援助ができたかを国民に知らせ、多国籍軍に参加するにあたっての予算面を含めた人道支援の見通しを示すべきだろう。
アルカイダーなど、早いテロの収束による平和的な(内戦にならないような)結束がイラク国民にはまず求められる。そこに国民生活の安定を求めないと。。。。
【2005年】
昨夜の大粒の雨は夕立かと思ったけど、梅雨前線による雨だったようです。今朝もまで降っていました。
今日はよく働きました。
すべてのエアコンを掃除してトイレの掃除も。。。。
天気がよければ布団も干したかったのですが。。。。
さっき、鍋を焦がしてしまいました。
せっかくかっぱ橋で買った鍋なのに。。。。
かっぱ橋とは言っても、もちろん有名な上高地の河童橋ではありません。東京の問屋街のかっぱ橋です。駅で言えば、JRや都営地下鉄の浅草橋だったかな?
プロ使用の鍋や様々な道具を売っています。少し高いかなと思うのですが、そこはプロ使用!長持ちします。近くの鬼子母神(「フウテンの寅さん」は言う「恐れ入谷の鬼子母神」です(笑))のお祭りもあり、道具市もあり、屋台がたくさん出ておもしろいところですよ。
もし東京にお越しのときは立ち寄って道具を物色するのも楽しいと思います。
東京は大空襲でほとんど焼けたところが多くありますが、それでも昔懐かしいところも残っています。
ううう。。。。ん
「東京散歩」というページもいいかなぁ。。。今の若い人達が集まるようなところは苦手だけど・・・ハハハ
【2006年】
またまた朝顔のこと。。。。
朝顔の蔦は一日でどのくらい伸びるのだろうか?
朝、水をやりながら蔦の先っぽを見るともう少しで蔦を這わせる紐に巻きつきそうだと思っていたのですが、夕方には、天晴れ、紐に巻きついていました。
おおよそ見た感じでは5センチは伸びていた。
すごいですなぁ。。。
羽衣ジャスミンの茎も支えの棒に絡まってきて、ミニバラは、ちゃんと新芽を出して花をつけようとし、名前のわからないランは枯れたと思っていたのに新芽がすごい勢いで出てきた。
この生命力。。。。。
韓国の拉致被害者のお母さんが息子さんに会えましたね。
これからどうなるのかはわからないけど、国家としての拉致問題は国家間のこれからの話し合いとなると思いますが、一つの家族の「これから」を見たときには、どのような形にしろ、あのお母さんがまた頻繁に息子さん家族に会えることを平行してやっていかないとならないのではと思います。これもまた韓国国家と北朝鮮国家の責任でしょう。これからもまた新たな真相が出てくるかもしれませんが、今現在としては、親子なら、お年寄りを大切にする同じ民族として、年老いたお母さんのことをまず考えるべきでしょう。
【2007年】
ファミレスで昼食。。。。
トイレに行こうとしてトイレの前に来たら。。。。。
ちょうど同時に若いお母さんとお子さんも来た。お母さんがトイレに入る間、お子さんが外で待っているといったら、お母さんがチラッと僕を見て「こんなところにいたら変なおじさんに連れて行かれるよ」と。。。。うううう
ムカッ!!
そんなに怪しいおじさんに見えたかな?(笑)
まぁ、今の社会は人を見たら泥棒と思えどころか人を見たら変体と思え、人を見たら人殺しと思え、人を見たら詐欺師と思えが納得できる世の中ですからなぁ。。。
「職場はなぜ壊れるのか」 荒井 千暁 著
副題は「産業医から見た人間関係の病理」となっています。
僕の産業医へのイメージでは、産業医とはもちろん医者の立場で企業から金をもらっているわけですが、どうも企業サイドの視点で従業員の心身を診ているものと思っていました。この僕の産業医への見方というものは一面としては正しいとは思っているのですが、そのような産業医が、今の社会でその立場から従業員を守らざるを得なくなっているものに興味を持ちました。
そしてそれは、競争社会における成果主義的な賃金体系や労働環境を問題とせざるを得なく、このままでは従業員自身が壊れていき、それはまた企業自体の末端職場が壊れていくことにつながるという視点からの警鐘でしょう。
そして産業医という立場にもかかわらず、今の成果主義という当たり前になっているシステムにも立ち入って検証せざるを得ないことを訴えていると思います。
「現代の労働社会で起きている過労問題や心の病の問題で倒れる労働者の像は、ややもすると日常生活の支障が出るほど心に深いキズを負ってしまいかねない」
同時に
「成果主義がうまく稼動しないという計画倒れ、それによるコストパフォーマンスの悪さや終わりのない士気低下がモラルダウンを生み、悪環境から抜け出せないでいる。」
(以上「まえがき」より引用)
昔から「怪我と弁当は自分持ち」といわれてきましたが、働いている中での従業員の病気や怪我は、労働基準監督署に報告せざるを得ないもの意外は「お前が悪い」というような個人の責任になりやすいですし、ましてや精神的疾病の場合やそこからの自殺などは、なおさら個人の責任となりやすいものだったと思います。
最近では、長時間労働や時間外労働による自殺などが増えており、それは労働災害認定裁判の増加にもなってきています。すでにバブル時期から「過労死」というものが問題にもなり、それは「日本人は死ぬまで働くのか?!」という先進国からの目も「KAROUSHI」としてそのままに日本語が通用したと聞いています。その中で、労働災害として認定された場合は、企業イメージが大きくダウンしますし、企業もメンタルヘルスといった精神疾患に敏感となってきています。その中で、この著書のように、産業医も問題にせざるを得ないところまで矛盾が大きくなってきているのでしょう。また、このような精神疾患からの自殺というような新聞記事にならないまでも、今の状態が企業の生産性を落とすことにつながるならそれも企業にとっても深刻な問題となってきますし、この方が企業にダメージとなるでしょう。このような今の現状を基にしてこの著書の重みがあるのかもしれません。
本書ではさまざまな事例を紹介しながら今何が起きているのかを見ています。そしてそれは、人間関係にも支障を起こし、心には深いキズを刻んでいくことがかかれます。個人の労働者は心を病み、企業職場はぎすぎすしていく。これは成果主義という一見合理的に見えるシステムの中にその矛盾が出ているのでしょうが、もっと視野を広くしてみるならば、競争社会という市場に何でも任せればよいといったような新自由主義は、社会自体をも蝕む。
最近の新聞記事を読み思う。
「昔読んだ本の記憶に、19世紀のイギリスにおいて低賃金層の労働者は、安いパンしか食えないのだがそのパンには小麦粉に石灰だったか?を混ぜてあったそうである。
ニュースを見ていたら、中国からの輸入ピーマンに、基準値の3倍の農薬が残っていたという。急激な発展をする時期には、こういう食品も出回るのかもしれない。産業革命のイギリスや、今の中国も人事ではなくて、日本も経済の発展時期にはいろいろな食品添加物が問題になった。経済発展期特有というだけではないのであり、やはり今日のニュースでは、牛肉ではない牛肉コロッケの映像が出ていた。
経済の発展時期はより多くの儲けを独り占めしようと競争をし、経済が低迷したときは、儲けを取られまいと小さくなる一方のパイを取り合う。資本主義というのは貪欲である。
今話題のグッドウィルという派遣企業が、労働者の給与から不透明な天引きをしていたという。派遣制度自体というものに矛盾が出ている今に、違法性の高い天引き、天引きといえば聞こえはいいが、早い話が「ピンはね」である。資本主義は貪欲である。
この貪欲性が競争といわれる。競争といえば聞こえはいいが、早い話が一般庶民をどこまでだましどこまで生活を低下させることができるかどうかなのである。
これが資本主義の社会的システムの根本にあるものである。
もちろん、資本主義にも社会民主主義とか国民生活を重視する考え方もあり、昔の日本にもあった「福祉社会」という形にもあった。しかし、これは、新自由主義という野放しな資本主義を認めると、必然的に弱くなるものである。日本だけではないが、先進国の勤労国民の生活を低下させることでしか成り立たない今の資本主義ならば、ひとつのシステム上の破綻が自然に出てくるのではないかな?国民のためとか消費者のためとか、働く人のためとか言うものはコストを上げるからだめとなる。
この中で、競争が激化すればするほどそれは社会の発展につながらなくなり、資本主義の社会システム自体が自壊していくということ。この自壊自体はもちろん勤労国民をさらに貧困化させ、戦争で血を流さること。
今、夕方のニュースで、今朝のJRの停電事故についてやっていた。
運転手さんの責任らしい。でも、図解で出ていたが、あのような状態で電車を止めろといっても運転手さんは難しいだろうなぁ。。。(笑)システムの自壊過程で、「お前が悪い!」という弱いものいじめが増えてくるだろう。」 (日記より)
こんなことが1日の間に新聞やテレビから見えてくる。年金問題をはじめとした国家システムのずさんさもあり、毎日、毎日庶民をないがしろにした社会が見えてくる。というよりも社会システムの崩壊過程だろう。人はシステムを作る。しかしいつの間にかその人が作ったシステムが人を支配していく。一度出来上がるとそれを修正させる力は膨大なものとなる。なぜなら誤ったシステムでも甘い汁を吸える人間は居り、その人間が政治的にも経済的にも大きな力を持つことができるからである。これは、企業の一職場においても同じであり、本書で問題点としてあげられる矛盾もまた一度出来上がってしまうと修正はたいへんなのである。
だれでもが戦争はよくないと個人的には言うが、しかし集団真理となると戦争が肯定されていくのと同じように間違ったシステムだとはわかっていてもその流れには個人はある意味無力であり、その悪いシステムはそのままに流れていく。それが組織というものである。
負のスパイラルは続く。
「戦争をしなければ平和の意味はわからず、離縁や死別をしなければ家庭の暖かさがわからないように、倒れてみなければ健康のありがたみがわからない。(中略)残念だが、それは事実かもしれない。」(まえがきより引用)
しかし著者は、その解決策とは書かないが「予防」はできる可能性はあるという。ここからが本書の主題だろう。
しかし、同時にそれは成果主義の労働環境からもたらされる労働者の健康への影響は扱うが、成果主義そのものに対しての代替案を出す立場にはないという限界性を見る。
では産業医の立場として何が言えるのか?
できることは、精神疾患に対して病名をつけること。そしてその精神疾患が就労上に起因があるのかを見ること。そしてその上に立って成果主義の職場を少しでも「改善」すること。最後にここをしっかりやらないと企業そのものが危うくなるという視点で経営方針の改善を提言する。こういったことが結論ではないか?
この限界性は今の社会の法的なものを含めて仕方のないものであり、その限界性の中において労働者を擁護するというこの視点を見ることができる。
病名がはっきりし、それが就労に伴うものと産業医が提言できれば治療にも生かされるだろう。
このような先生が増えていってくれれば将来は明るいと思う。
しかし、このような先生と労働者との連携、特に労働組合があるならそことの連携がどうしても必要になってくるものである。
たしかに労働環境を作っているのは企業であることはたしかだが、それが劣悪なものであり労働者の健康に害を及ぼすのなら、労働組合の企業への介入はその責務である。
今もなお企業はリストラ景気対策の延長線上にある。利益を増やすにはコストを下げなければならない。そのコストは労働者の賃金にある。ここの労働者の賃金格差がどうであるかは関係はなく、総額が問題である。ほんんんお少数の労働者の高賃金を与えて夢を持たせるが、その他は低賃金のままにしたり、アルバイトや派遣というさらに低賃金者を置き賃金総額においては切り下げていくというのが企業である。それを成果主義という。自由な働き方とか、自立した働き方とか言うが、結局は労働時間を長くする仕組みであることに変わりはない。このような方策は、過去のいつの時代にも賃金制度として存在し、労働者間の競争をあおってきた。そこに歯止めをかけてきて一定の成果を守ってきたのは労働組合とその支持関係にある政党だった。今はそれがなくなった分、労働環境の劣悪さは増す一方なのであり、産業医ですら、その環境を指摘せざるを得ないようになってきたということだろう。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
三十年が近くなってきたね
君との生活の流れる川が
気付いたら君は支流に流れていた
君にしたらそこが本流かい?
僕はのんきだから流れに浮かんでいた
こんな形で海まで一緒に流れきれなかったね
もう二度と君の流れは戻ってこない
僕はやっとわかったんだ
今なら僕は一人で流れていける
僕なら大丈夫だよ
僕も君のように生きていればよかったのに
のほほんと毎日を退屈に流れに乗って
これからもこれでいいんだ
孤独もまた楽しいかもしれない
だって今までも孤独だったから
あんがい楽しくやっていたんだよ
だから僕なら大丈夫だから
君が望んでいる僕でいてあげる
君が教えてくれたことを今なら知ることができるから
心の川は流れる
三十年の流れの川上は見ないでおくよ
どうせ幻のように霞んでいるだろうから
【2011年】ツイッターつぶやき
昨日、スーパーに行って豚肉を買おうとしたら表示には「国産」とあるだけでどこの肉かわからなかった。以前は鹿児島とか書いてあるパッケージに入っていたけど。でも外国産は「外国産」ではなくて産地の国名をきちんと書いていた。
少し前に産地偽装だとか騒がれていたが、今は産地を隠すようになったのか?これも国に言わせれば「風評被害の改善」かもしれないが、消費者にとっては産地が知りたいわけです。ある意味産地偽装の一種ではないかな?
学校給食に東北産の食材を使うなどとツイッターなどにみることができるが、放射能というものは一度出てしまったら拡散をしないようにするのが必要なのに。
ツイッターで、この産地を知ることができる「製造所固有記号」というものを教えていただきました。どの商品にも表示義務があるのかはわかりませんが生産地を知るには良いものと思います。
こちらのサイトを携帯から検索をして入れておけば買い物の時に役立つかも?(一応情報程度ということで・僕もよくわからないので)
【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2013年】ツイッターつぶやき
日銀は国債を買い取り資金をばらまいているが、その資金は株や金融商品などの投資に流れたり一部不動産への投資にも流れている。利益は輸出産業や投資家に。一方こういった「景気の回復の兆し」の中でも給与は上がらず国民生活の改善にはつながっていない。それどころか日銀は政府へ財政の健全化を要求している。財政の健全化がなければ国債の信用も落ちますし国債金利も上がる。それは日銀の損失として現れるでしょう。ですから財政の健全化は待ったなしという事になる。しかし法人税は減税傾向にありますし、アベノミクスでの利益は財政の健全化にもつながらないという事です。では財政の健全化を行うには誰の負担が強まるか?当然消費増税も待ったなしになる。
すでに復興特別性として賞与を見ても所得税(サラリーマンは源泉徴収)は2%強上がると言われます。企業は一時利益からの賃上げは、賃上げという形ではなくて賞与で出すといったものがありましたが、上にも書いたように2%強は増税で持って行かれる。
このように国民の第一の苦は増税地獄と言えるでしょう。
昨日発表された消費者物価指数がマイナスから脱出して脱デフレへの良い兆しだとも言われていますが、どうにか円安での輸入原材料の値上がりを価格に反映させ以内でいたところも限界にあるという。すでに電力料金は上がっていますし、パンやハンバーガーの値上がりもと言われており今後生活必需品や食品の値上がりが予想できるでしょう。
国民の第二の苦は円安誘導による悪性の物価上昇地獄と言えるでしょう。
そして今後はさらに正社員の減少が進むようです。正社員と同じ条件だが解雇はしやすいという限定正社員が言われている。雇用の流動化が必要と言われていますが、労働力の移動が必要となるのは新たな産業の発達など経済が動いていると気です。今は逆立ちをして労働力の移動が新たな産業を生むと言われます。景気が落ち込んだ時の労働力の流動化の必要性とは解雇をしやすくするため以上のものではないでしょう。上にも書きましたがこの新たな限定正社員もプラスしたこれまでの派遣社員の状態から更なる賃金の低下を招くでしょう。低賃金層の増加や差別化は正社員の賃金上げにも桎梏となり賃下げ傾向すら生まれるかもしれません。
国民の第三の苦は雇用の不安定化の増大と賃下げ傾向地獄と言えるでしょう。
アベノミクスの三つの矢と言われていますが、それは働く国民にとっては三つの苦の増大でしかないでしょう。
このような国民の三つの苦は、年金制度や保険制度を維持することを妨げますし、年金をはじめとした福祉や社会保障全般の切り下げとなる要因となります。
そして経済自体をますます縮小化していくことでしょう。
国民生活の切り下げは必ず経済活動・企業活動そして株や金融市場に大きな矛盾を投げかけるでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
ツイッターから
昔読んだ田中光彦著「原発はなぜ危険かーー元設計者の証言ーー」(岩波新書1990年発行)を朝からぺらぺらと読んでました。原発の危険性は装置そのものと同時に「安全だ」という神話の中身の危険性でもある。再稼働もこういった安全神話の中で行われる
「批判精神が機能しない日本の専門家集団」という言葉(117頁)に日本の安全神話の危険性が象徴されているのではないでしょうか。特に今の時代はこの「批判精神」が抑圧され自粛されている。原発の再稼働問題だけではない基本的な日本の欠陥でしょう。
国民自身が「安全だ」という強い言葉に安心をし、強いリーダーシップ(政権)にゆだねて安心する。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!と、国民の批判精神も希薄になる。そこにマスコミの批判精神も低下する。
批判精神は国を愛さないことではない。
批判精神は、時には国を愛するが故に強くなるのである。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!という批判精神を抑えるような言動こそに実は国を愛することから離れた国家主義が生まれる。
「批判精神が機能しない日本」。。。
宣戦布告をしない戦争が今の時代です。それは「正義の戦争」「テロとの戦い」という言葉で言い表さられ、宣戦布告をしていない中でアメリカの論理や安倍政権の「積極的平和主義」という言葉に表現されます。
ですから国民も戦争をしているという意識が薄れて正義という言葉だけに酔いしれる。。。。怖いですね。
禁煙の勧めとはいえ、タバコは一つの嗜好品としての文化の歴史があります。その歴史文化の表現を辞めさせるというのはダメです。
以上三つの事柄についてのツイートですが、「批判精神が機能しない日本」という面で共通性があると思うのです。
「国民自身が「安全だ」という強い言葉に安心をし、強いリーダーシップ(政権)にゆだねて安心する。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!と、国民の批判精神も希薄になる。そこにマスコミの批判精神も低下する。」「国民も戦争をしているという意識が薄れて正義という言葉だけに酔いしれる」そしてタバコの害を言うのはいいですが、日本の嗜好品である煙草の文化そのもの博物館を閉鎖せよという主張が堂々と言われる社会。タバコについてはテレビや映画を中心に喫煙シーンがあるかないが問題視されますが、一つの人間の営みとして存在してきた文化を消し去るということの論理面での怖さを感じます。もちろんこの、「批判精神が機能しない日本」は、「批判精神が機能しない日本の専門家集団」の専門家集団の劣化に国民意識も変化させられることでもあります。
その専門家集団は、原発で言えば制作企業や電力会社ということにもなりますし、政治はもちろん政治家や官僚でしょう。禁煙で言えば医者や研究者で、経済学で言えばエコノミスト。。。そしてマスコミ。この専門家集団が批判精神をなくして国民の生活や意識から乖離していくだけではなくてごまかしや抑圧的になっていくことに劣化を生じます。そしてさまざまな面でそれは社会に反映するわけですから社会全体が矛盾が矛盾を作りその矛盾は拡大していき原発事故の安全・安心神話が崩れるように社会が崩れていく。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
以下、ツイッターからの転載です。
社会の中で労働により作り出した「果実」がどのように分配されるかが大切で、果実が富裕層や大企業などに吹き溜まるならば、その果実は腐っていくでしょう。結果、社会が作り出した果実は減少しているに等しくなる。
しかし、果実自体がほとんど多くなっていないない中で、果実が多くなったという人がいる一方で果実は少なくなったという人もいる。多くの一般国民が果実は少なくなったとすると、これが格差の拡大となる。格差の拡大は社会を疲弊させるでしょう。貨幣の回転は鈍くなりさらにお札の印刷
世界的に通貨安競争は否定をされはじめて一つの経済理論の転換の時期に入っている。金融政策だけでは経済の好循環は生まれないことも明らかになっている。同時に格差の拡大(金の吹き溜まりと貨幣の回転の鈍化)につながる新自由主義も否定をされはじめている。
しかしこの経済理論や新自由主義的政治の転換期において、グローバル化自体を否定する超保守主的な保護主義(経済だけではなくてナショナリズム)が台頭をしてきている。同時にまだその芽は小さいがアメリカの大統領選におけるサンダース旋風に代表される社会民主主義も現れ始めている
国民意識は一つの時代の終焉から混沌を極め自身の貧困化を経済や政治の改革での論理的な討議から離れて他国との闘争においてのナショナリズムや感情的な観念論に支配をされやすくなり、それがポピュリズムに利用される。マスコミはどうだろうか?知識人や有識者はどうだろうか?
今の一つの政治の流れは現在を否定するがその先は全くの暗闇となる。この暗闇にまた国民やマスコミなども道を見失い、強い言葉や「景気のいい話」に飛びつく。その場の「期待」により将来を観念的に想像をする。道を失うとなんでもありの社会となる。人の理性や哲学否定という劣化が。
これらが相乗的に悪い方向へと進んでいく。
【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターからです。
旧民主党政権時、ねじれ国会だのと決められない政治がやり玉に挙がった。実はこの時から政治の倫理や民主主義というものが瓦解していったのです。選挙は数の力を得るためのものになってマニフェストが消え去った。政治家ではなくても票になる人であればいい、あるいはポピュリズム。
二大政党という政治の中での政治家はもちろん、マスコミも多くの国民も「決められる政治」=「数の力」という常識を作り出して流されていった。選挙の結果という数の力も民主主義だとされたが、結果は数の力があれば何でも有りの政治が生まれて、社会全体もあらゆる種類の「力」があれば何でも有りに。
今の自民党が言う官僚主導から政治主導は、政治家が政策の理論などにおいて官僚に負けない資質を得ることではなくて、政治家の数の力を背景とした「力」によって捻じ曲げられるようになっている。企業は労働者よりも圧倒的に力がある。企業論理もまた「力」によってブラック化した。
街頭宣伝やネットを見てもヘイトが力を得た。この力が差別であろうとこれも言論だと主張されはじめた。「バカ、死ね」「いやだったら日本から出ていけ」「反日国民」などという高圧的な言葉が力を得た。この力は一般国民だけではなくて政治家の意識や知識人にまで陰で時には表で広がりを見せた。
言論や批判など、社会的な何かしらの「力」によって圧力を受けるようになり、マスコミの自粛までもが広がった。一見平等な報道がされなくてはならないという中での自粛のようであるが、力を持つ者の主張はやはり強くてそれが平等性から見た意見の力となり、これが社会的多数意見とみなされる。
国民は自分の意見を語ることは昔から自粛されていた。政治はもちろんひどい場合には真面目な話も「マジメぇ~」などと揶揄され楽しい話をしなくちゃ!と。テレビの政治番組でも最後はお茶螺家や例えば男女平等も男と女の闘いなどにごまかされてきた。
社会性や対人関係においてはテレビで見た意見を言っていれば無難であり、それである程度政治にも関心があるよといえる。
やはり国民全体が「数の力」=「民主主義」が常識化してしまっているのです。間違ったことを言うとたたかれる。。。。ほんとはその自分の意見が間違っているかいないかはわからないのに。。。。言論や批判は委縮をしてくる。これは何も一般国民だけではなくて「電波止める」といわれたマスコミも同じ。
民主主義や自由を抜きにして決められる政治を何も考えずに受け入れた国民の末路です。でも、今、これに気付き始めた人が多くなっているのではないでしょうか?決められる政治の力を持つ政党が劣化をして政治倫理が働かなくなっているのですから。でも保守(与党)の中からこれからも疑問が出るでしょう
民主主義や自由を余計なものと考える数の力は、腐敗して政治経済の劣化を必ずもたらします。力による政治ですから力のある者が得をする政治となります。小さくなるパイの分け前は力の持つものが多くを分捕る社会になります。これが社会を疲弊させていきます。最後は精神論的な戦争です。。。。。。
選挙は数の力の維持にある。これが「政治屋」の根底にある。だから選挙はうまいです。くっついたかと思うと離れたり、離れたと見せかけて選挙後はくっついたり。。。
改憲までこれが激化すするでしょう。
【2018年】ツイッターつぶやき
現実世界から降り注ぐ粒子
心が焼きついてしまうようだね
だからその瞬間の喜怒哀楽がある
でも、その粒子をフィルターに通してみよう
心が焼きつかないように
現実に対して感情的にならないために
そうしたら喜怒哀楽は
詩にもなるでしょう
悲しみの中に美しさも見えるかもしれない
怒りの中にも許しを見つけるかもしれない
楽に溺れない自分への諌めを持つかも
時には喜びを悲しみにしてしまうかもしれないけど。。。
そうすれば現実と思っていたものが
まったく違ったものだったことに気づくかも
そしたらその冷静な心で
喜怒哀楽をもう一度持とう
人をそして人の世を見よう
素直に感情という色眼鏡をつけないで
それがほんとの自分にとっての現実
(旧ホームページより)
人は喜劇を演じる
多くの人が喜劇を演じるようになり
政治家や知識人なども喜劇を演じるようなり
国民はわけもわからぬままにその喜劇を観る
しかし喜劇を観ているにもかかわらず
悲しい涙があふれてくるね
その悲しい涙が本物だよ
実はその喜劇は悲劇なんだ
笑ってみていてはいけないよ
変な笑顔だよ
(ツイッターより追記)
変な笑顔だよ
その笑顔は
人は素敵な笑顔をしているつもりでも
嘘やごまかしそして人を嘲ったり
その笑顔は変だよ
笑顔には心がそのまま出るよね
真面目な顔もそう
目が泳いでおるよ
真面目なのに変な笑顔が出てる
言葉や文章もそうだね
それも顔なんだよ
不特定多数の中で
利害関係のない中で
笑顔が
(ツイッターより追記)
【2019年】ツイッターつぶやき
今年4月に書いた「頑張っても報われない社会が待っている」の関連です。
高齢化社会が社会問題のように取り扱われていますが、若いうちに戦争で苦労した世代そして戦後生まれの団塊の世代などの世代は、日本の復興、高度経済発展そしてバブルにまで経済を支えてきた。頑張れば報われるといわれていた社会の中で、確かに頑張れば自分の家を持てて老後の生活の展望も持てた。しかしこれは社会自体が自然にそのような安定した生活が出来上がったわけではなくて、55年体制の中で政治と労働運動そしてそこに結びついた市民運動の「抵抗勢力」があって初めて作り上げてきた。この意味において将来の展望を持つことができた。
しかし今の社会は頑張った人が報われる社会なのかといえば、高齢化社会の中で高齢者は切り捨てられている。高度成長とバブルにも向かった社会を支えた高齢者が報われない社会になっている。
100年は大丈夫とうそをつかれて年金は、積み立てた年金積立金は自分たちのために使われずに運用という名のもとにギャンブルに近い株につぎ込まれている。
さらに若い人たちは、ばかげた人生100年時代というまやかしの中、年金支給年齢の引き上げにより生涯働かき続けねば生きていけない社会に。年金だけでは2000万円足りないとされたが、この2000万円は70歳前後まで働き、わずかな老後資金を食いつぶさねばならない。今後終身雇用はなくなり、民間では退職金も怪しくなる。退職金を食いつぶすこともままならないようになるでしょう。
一方では労働環境は悪化するばかりで、半強制的に頑張って働くことになるでしょう。
しかし頑張っても老後を見ても報われない社会が待っている。
社会の流れを左に戻さねばなりません。
【2020年】ツイッターつぶやき
(1)新規陽性者数
51.9 人 <20人/日 50人/日
(2)新規陽性者数における接触歴等不明率
51 % <50% 50%
(3)週単位の陽性者増加比
1.64 <1 2
(4)重症患者数
12 人 【参考】100床(レベル1)
(5)入院患者数
272 人 【参考】1,000床(レベル1)
(6)PCR検査の陽性率
3.2 % ―
(7)受診相談窓口における相談件数
911 件 ―
*<u>以上東京都のホームページ「モニタリング指標」より
このモニタリング指標を見ると、すでに東京都は再度休業要請レベルとなってきた。
国も東京都も経済優先で、国は専門家会議すら廃止する方向です。東京都は現在新しい指標を作るために専門家の意見を聞いているらしいです。その中で指標自体を改変するという議論がはじまっているようでそれを明日発表される可能性が強くなっています。すると上記したモニタリング指標も今夜で見納めかもしれませんし、再度休業要請やレインボーブリッジを赤に染めるのもチャラになるでしょう。
国の緊急事態宣言や東京都の東京アラートとは何だったのでしょ?
感染拡大を止められない状態で経済優先ならば、なにも緊急事態宣言や東京アラートで休業して廃業した商店などやそのために2万人以上と言われている失業者や新規採用のストップなどの国民の犠牲も必要なかったのです。
国や都も陽性という緩やかな宣言だから感染が再度広がったとして、国は憲法改正の必要性なども出し始めている。感染拡大が広がることによりこの国や都の姿勢が国民に浸透するようになる危険性があります。東京都の新たな指標がどのようなものになるかわかりませんが、政治の失敗を国民の行動にすり替えていく方向となるでしょう。実際すでに国民の自営の問題として自己責任を課しています。
政治面での政策的な議論もできないような状態になっています。コロナに対する政策の議論もすでに潰されていると見たほうがいいと思います。それは専門家委員会の一方的な廃止や都のモニタリング指標の改変という力の政治に現れている。
そろそろ政治に目を向けなければいけませんね。これが今の政治を変えます。というよりもこれしか残されていないです。
【2021年】ツイッターつぶやき
5月末ぐらいだったか、花屋でイソトマという花を買ってきてプランタに植えたのですが、どうも葉っぱに刺激性の毒があり学校で小学生がその刺激でどうにかなったらしいというニュースが出ていた。
まぁ、気を付けたほうがいいぐらいの毒性なのでしょうが急に嫌気がさしていた。
暑くなったら花があまり咲かなくなり株だけが大きくなり始めた。
なんだかかわいそうなんですが今日抜いてしまいました。
ビニール袋をかぶせて抜きました。
花も気を付けて買ってこないとだめですなぁ。
結局は花にもかわいそうなことをしてしまう。
反省・・・・・
【2022年】ツイッターつぶやき
東京の新規感染者数が3803人となりました。先週よりも1400人ほど増えています。
このブログでも時々東京の新規感染者数は下げ止まりではと書いてきました。減少しつつも減少のスピードが遅く感染者数自体が多い状態での下げ止まりです。そしてあっという間に増加傾向を示して来週までの数字によっては再拡大とみることとなるでしょう。
陽性率が高くなっており、14%を超えています。今日あたりは15%になっているかもしれません。
この中でコロナ感染拡大防止策が緩くなっています。
熱中症予防にマスクを外すべきという意見が多くなりマスクを外す機会が多くなっています。
子供たちが体育で熱中症になればマスクをしていたからだといわれます。しかしこの異常な暑さの中ではマスクを外していても運動をさせること自体が間違いなのです。戸外で働く人はマスクをなるべく外す工夫は必要ですが、労働条件も考えねばならないでしょう。
経済優先になっているのですが、これで感染拡大になればどうなるのか?
放置されたままでのコロナとの付き合いとなる可能性が大きいですね。高齢者にはワクチンを接種して。。。。。
新たな株の毒性がどうなのかはわかりませんが、オミクロンにしても一定の死亡者や重症者が出ました。
死者や重症者そして後遺症はそのままに経済優先と向かうのでしょう。
また国民生活は悲劇の繰り返しです。
【2023年】ツイッターつぶやき
夜になり風もなくなり窓を開けていても室温が30度。
昼間エアコンの内部クリーニングと試運転をしておいてよかったです。
遠雷。
少しは風
今夜はエアコンを入れて寝ます。
熱中症は気温だけではなく湿度も関係するようですね。
時々救急車の音がします。
ネットニュースでは、消防署も来て児童を集めて熱中症訓練をした所があったようですが、訓練中にほんとに熱中症になった子が出たらしい。
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