夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「12月15日という日」

2024年12月15日 08時20分52秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2023年】ツイッターつぶやき
東京は、夕方まで寒い風が吹いていましたが、さっき、ベランダに出たら生暖かい西風が吹いていました。ベランダに出た瞬間弱い暖房の風のようでした。部屋の中の方が寒い。
週間予報では明日は22度ぐらいまで気温が上がるそうでしたが、予報が外れて19度だそうです。
11月の気候でしょうか。
しかし月曜日からは最低気温が1度から3度らしい。。。。。
体がおかしくなりますなぁ。
でも、暖かい日が1日でもあると嬉しいものです。
来週は夏至冬至です。。。。

≪過去の記事≫

【2003年】
昼食は、久しぶりに喫茶店のナポリタンを食べました。
ケチャップ味でピーマンの苦味が利き、あの赤い皮のハムが。。。。
たまに食べるとおいしいです。

(記事の一部を削除させていただきました)

【2004年】
寒いのでモツ鍋にしました。
肉団子・モツ・キャベツ・薬味として生姜とニラのシンプルなものです。相変わらずキャベツは高めです。
あと、アジのソース焼き。
アジの切り身を小麦粉をつけて焼き、ウスターソースと砂糖スープの素そして水少々のタレを絡めます。このアジのソース焼きは、僕にとってはおふくろの味。子供の頃よく食べました。とは言え昔は生のアジは高かったので味の干物でした。しょっぱかったです。。。
アジを焼いてウスターソースとは合わないようですがこれがまた美味いです。

【2005年】
外食
時々行く中華やさんによったら貸切の宴会中。。。
忘年会シーズンですなぁ。。。
仕方ないからラーメン屋さんでビールを飲んで帰って来ました。
東京も冬は星がきれいです。火星が黄色くピカピカ光っていました。三星もきれいでした。
「百鬼園日記」も半分ほど読みました。
海軍師範学校の講師をやり、内職にドイツ語本の翻訳をやり、祖母や母、三人の子を育て、祖母は生きるか死ぬかの病気をし、子供達は替わりばんこに風邪を引く。大正の世は今と違って気楽に祖母を入院させるような時代ではなく、医者も往診。看護婦まで自宅に呼び看護をさせるそんな時代。百閒は借金をする。この辺の事情は随筆にも見られます。長男の小学校入学を控え動き回る。友人の相談にも乗る。
30歳そこそこの百閒は四苦八苦。
妻は50銭の金もないという。学校に行く電車賃すらない。百閒は金策に行く。借金の利子は雪だるまのよう。
百閒は四苦八苦。。。
しかし百閒は気楽そう(ほんとは首も廻らないほどに悩むが)。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
朝のうちは寒かったですが日中は風もなく暖かでした。
冬は日が短く太陽も低いですが、ベランダの屋根があると太陽が低いぶん日差しがその屋根に邪魔をされずに部屋の中まで差し込み暖かいです。縁側でもあれば日向ぼっこでもしたいです。
昨日、珈琲ショップに行ったら、向かいの席に70を過ぎたおじいちゃんとおばあちゃんが座っていました。はじめはご夫妻かなと思っていたのですが、もれ聞こえる話はどうもご夫婦ではなさそうでした。<リンク>
なんだか若いカップルのようにしっかりと目を合わせながら楽しくお話しをしていました。お二人とも素敵な笑顔でした。そのおじいちゃんがまたハンサムでして。。。。若い頃はもてただろうなぁと。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
街を歩いていたらいきなり一人の人間らしきものが近寄ってきて「お前は!」と大きな声で指さしたかと思ったらすぐに「バカだ!」といって去っていった。去り行く後姿をみていたら今度は他のオヤジやらおばさんやらに同じ言葉を繰り返していた。そしたら後ろからやはり人間らしきものが「そうだ!言論の自由だ!!表現の自由だ!」と叫んでいた。
あるオヤジが僕のところにきて
「言論の自由や表現の自由はいらないですなぁ」といった。
僕は
「いや、まぁ。。。。。その・・・・・」
と言葉を濁しながら
「いらないというのはあのような言葉ばを人に投げつける言論の自由や表現の自由といったものは必要ないということでしょうか」
「まぁ、そういうことですが、あれを自由だと言うことは自由を汚して自由自体を規制されたり自己規制を強いられるでしょう」
「なるほど。。。。。」
おばちゃんがやってきて言った
「そうなのよ!こうして自由とは何かを話しすることが今の言論の自由に大切なのよ」
「自由だといって人のことを非難しているだけでは自身の自由が本物かどうかが見えなくなりますなぁ」
「そうだ!言論の自由だ!!」オヤジやおばちゃんは叫んだ。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
今、公務員の給与や様々な待遇について恵まれているとか国の借金を見たときに賃下げすべきとかいろいろ言われています。民間給与に比べてこれだけ高いとか言われて賃下げをすべきとも。しかしバブル時期のような民間の給与が高くなった時に公務員は人事院勧告では賃上げ率を下げられひどい場合にはその勧告すら守られなかった時期もあったと記憶しています。公務員の声は「民間並みの賃上げ」でした。この時に民間の労働者が「公務員給与をあげろ!」と積極的に言った人はそうは多くない。
もちろん当時から国の予算(財源)や借金あるいは三公社五現業の「親方日の丸」が問題視されていましたが、公務員の給与が高すぎて国の財源が狂ったというわけではなくて、国鉄ひとつとっても整備新幹線があった。
今は民間給与が減ってきて逆に相対的に公務員の給与が高くなっている現象が出ている。もちろんこれは民間級の平均値なわけでして、「公務員並み」やそれ以上受け取っているサラリーマンはいるわけです。
このような民間と公務員との比較はいつも出てくるものです。特に今のような時代は公務員に目が行く。公務員の賃金を下げるといって自分の給与が上がるものではないのに。そして消費税率などの増税幅が小さくなるわけでもないのに。結局は足の引っ張り合いなのです。この足の引っ張り合い自体がマイナス思考という泥沼を作ってしまう。公務員も民間もそろってこれからも賃下げや労働条件の悪化もされていくわけで、マイナス思考はこれを促進する作用しか持たないのです。
バブルの頃、公務員は「民間並みの給与を」とは言いましたが民間の給与を下げるとは言わなかった。民間は春闘をはじめとして70年代後半に大幅賃上げをした。公務員もある程度民間準拠として賃上げがあった。80年代初頭でも賃上げ率は減ったものの賃上げはあった。このようなプラス思考に写らないと労働者は民間も公務員も疲弊をするばかりです。同時の我慢のマイナス思考ではないプラス思考が国内の経済も好転させるでしょう。税収も増えるでしょう。
企業は競争の中で自分の会社だけ個の賃上げはできない。ならばこの競争を廃する国家による制度が必要になる。それが5%程度の労働力を買ったとき(賃金)にも消費税を企業は支払い、一部は労働者の益税にして消費を促し、一部を国家財政として社会保障などに回すべきなのです。

【2012年】ツイッターつぶやき
「2010年5月に第1子を出産したとされる女性の54.1%が、出産前後に仕事を辞めたことが13日、厚生労働省の「21世紀出生児縦断調査結果」で分かった。このうちフルタイム勤務だった人の35.3%が「仕事を続けたかったが、育児との両立が難しい」を理由に挙げた。また、10.5%で「解雇、退職勧奨」が行われていた。」
財政や待機児童問題、保育所の不足や料金など、子育ての支援は言われるが、子育てと仕事の両立が難しいのは政府による制度的なものだけではかたずかないことがこの記事でわかります。「10.5%で「解雇、退職勧奨」が行われていた。」というところはまさに企業責任が問われるところです。
男女共同参画社会に関する世論調査結果では「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」という考え方について、賛成は51.6%、反対は45.1%だった。」
このような意識も子育てと仕事が両立しないという事から。

【2013年】ツイッターつぶやき
何回かブログで日本は自粛・萎縮する社会になるのではないかと書きましたが、国家が主導する国が統制経済でも国家独占資本主義に成れの果てでもそれが過度に作用をすると国民の自主性が減少して自由な発想や行動も減少していくでしょう。この政治的作用による萎縮は経済にもまた逆作用をして経済の萎縮がさらに進む。
自由主義国家といわれるのも理想的な自由と民主主義のある国家体制ではないことは明らかですが、常に理念としてはこの自由や民主主義が根底にあって萎縮する社会を修正していくものである。司会政治的統制が進むとこの自由と民主主義の理念が崩れて修正作用が利かなくなります。今の日本が自由主義の理念を忘れて一時的な統制の利益を求めるのか、そのことで国際競争に勝とうとするのか、あるいは自由主義的な理念を保ちながら世界の発展に寄与するのか。その姿勢によっては日本は大きく世界の中での位置づけも変わってくるでしょう。何よりも経済の安定と発展に影響を及ぼすでしょう。
萎縮する社会は国をも萎縮させる。もちろん反比例をして観念論がはやり軍事は強力となる。

【2014年】ツイッターつぶやき
自民党が今回の総選挙で勝ったのかといえば、マスコミの予想の300議席以上には届かったし議席は減らしている。
むしろ自民党離れは進みつつあるのかもしれない。しかし野党に有力な党はなく民主党も保守二大政党制に固執する中で存在感を伸ばせなかった。
自民党の議席数は自民党しか期待を持つ政党がなかったという事でしょう。もちろん期待はこの間の2年間で崩れているはずだがやはりほかに期待感を持てる政党がなかったという事が大きい。
しかしこの期待感とは何か?
アベノミクスの修正あるいは平和や外交の問題などでの修正を求められているのではないか?自民党に変わってほしいという期待。
自民党自体も10%への消費増税の先延ばしを決めているわけで、自ら修正を余儀なくされているという事である。
同時に自民党がそうは議席数を減らさず与党としては三分の二を越えたが、株価を見るとどうだろうか?272円下落をしている。アベノミクスに失望しはじめt外国投資家。。。
このような中で安倍総理はこれまでの経済政策を変更はしない。
安倍政権は予算編成加速、歳出絞り込みが財政再建の試金石。。。歳出削減はどこから?一方における法人減税とNISAの減税枠拡大。国民生活から見たアベノミクスの本質が見えてくるでしょう。
この中に二回目の国民の期待はどう失望に変わっていくか。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
こちらのブログを読んでの感想です。
「通貨とは、その国の経済力や労働力や信用の元に通用するものであり、経済が拡大すれば通貨も増刷しなければデフレになってしまう。コメが10俵生産していた田畑で、生産性が向上して100俵取れるようになった場合、通貨も10倍発行しないとデフレになってしまう。
逆に、大不作で100俵取れてた田畑から10俵しかコメが取れなかった場合は、コメが高騰して10倍に値上がりしてしまう。そのような時は国は通貨を回収してバランスを取らなければならない。バブルの発生も日本経済が停滞しているにもかかわらず金をばらまけば、株や土地などが値上がりしてしまって資産インフレになってしまった。」
(上記ブログより引用)
この引用させていただいた部分は経済学では重要な部分で、その考え方次第では経済を停滞させる元となります。その意味で引用させていただき僕の考え方を書かせていただきます。
まずデフレとは何か、インフレとは何かを見ると、デフレとは物価が下がることで、インフレとは物価が騰がることですが、この物価が低い・高いというのは何を基準にしているのでしょうか?
「コメが10俵生産していた田畑で、生産性が向上して100俵取れるようになった場合、通貨も10倍発行しないとデフレになってしまう。」
コメの生産の生産性が上がればコメの値段は下がります。これは生産性の向上により同じ労働力量で10倍のコメが生産されるのですから米1票当たりの価値は下がります。これは経済法則です。その時にコメの値段を維持するために通貨を10倍発行したらどうなるでしょうか?
価値の低下をきたしたコメがその価値の10倍の値段で売られるわけですから、それは10倍のインフレを作り出してしまうでしょう。「通貨も10倍発行しないとデフレになってしまう」という言葉を訊けばデフレはダメだという短絡的な考え方を受け入れてしまいますが、しかし現実はコメの値段が10倍も高騰するインフレをきたすのだという事を忘れてしまうのです。
コメの実際の価値とインフレによる10倍の貨幣量【価格】の差額はコメの生産者の懐に入ってしまい、逆に最終消費者は10倍の貨幣を払ってそのコメの生産者の懐を潤すことになる。インフレとともにその矛盾は貨幣の滞留あるいは回転を鈍くさせてしまう。それは「金余り」という現象を起こすでしょう。という事は、10倍の貨幣を発行することによりその貨幣量に等しい金余りが生じてしまうことになる。
同時に最終消費者は貨幣の不足が生じるでしょう。
以上の経済矛盾が顕在化することがデフレです。
最終消費者は10倍ものコメの量を同じ価格で消費することは懐の貨幣量からして困難になります。すると、米の消費を維持できないのですから、コメは過剰傾向を示して価格は下がっていくでしょう。最終消費者の懐にある貨幣量で消費できる量は元の10俵になっていくでしょう。これが「大不作で100俵取れてた田畑から10俵しかコメが取れなかった場合」に等しい状態を作り出します。価格は下がり続けてこの価格の下落がデフレというものにつながるでしょう。
コメの価格はその価値に等しくなっていくでしょう。しかし、その時先の生産性の向上により米の価値は10分の1に下がっているわけですから、10俵売ってもコメの生産者に入る貨幣量は10分の1になる。不況が本格化する。
コメの生産者の競争があり続けるから。弱い生産者は脱落していく。
勿論価格の下げが続けば消費も戻るから不況には陥らないという面もあります。コメの例ではわかりにくいですからある商品を生産する産業としてみたらどうでしょうか?
不況に陥れば倒産をする企業が出たり、生き残った企業でも人員削減や賃下げが起きるでしょう。すると最終消費者の懐の貨幣量の総額は減るわけですから、消費が戻ることを困難にします。
コメでいえば田んぼ、企業でいえば生産設備の過剰という資本の過剰が生じる。生産者や企業がため込んだ貨幣資本も過剰になる。
ここでも「金余り」が生じるのです。
「コメが10俵生産していた田畑で、生産性が向上して100俵取れるようになった場合、通貨も10倍発行しないとデフレになってしまう。
逆に、大不作で100俵取れてた田畑から10俵しかコメが取れなかった場合」

どちらにしても「金余り」が生じるのです。
この金余りはもちろん貨幣量による。いくら貨幣量を増加させても経済は好転せずに、貨幣は吹き溜まってしまう。
そこで大切なのは貨幣の量的変化ではなくて質的変化です。それは貨幣の回転を速めるという事です。
今の日本のように貨幣が株式や企業の内部留保に吹き溜まっている状況が量的緩和の副作用です。この金余りを作り出すのではなくて、勤労国民などに貨幣が循環する社会システムが必要なのです。その中で生産と消費のバランスが均衡化してそれは貨幣の回転を速めるでしょう。
GDPも貨幣量だけではなくて貨幣の回転がそれを高めるでしょう。

gooお題「年賀状手書き派?パソコン派?」
表の宛名は手書きで、裏はパソコンで印刷。
パソコンで印刷しますが、一言手書きで書き加えるスペースをつくっておいてそこに手書きで一言。
パソコン以前はワープロもありましたが、どうもあのギザギザ文字が嫌で「プリントごっこ」を使っていました。正月のイラストはイラスト帳から切り取りはって、「賀正」や「あけましておめでとうございます」はやはりイラスト帳から。そしてやはり手書きで一言欠けるスペースを残しておきました。
プリントごっこ・・・・・
楽しかったですね。
昔のガリ版のような紙にイラストや文字を乗せて、プリントごっこの機械にフラッシュをねじ込みバチン通すとぴかっと光って原稿の出来上がり。
その原稿にインクが混ざらないようにスポンジを細く張る。そのスポンジで囲われたところに好きなインクを流していく。
あとはその原稿の下に年賀状を入れてグイッ押して印刷。力加減が難しかった。。。。
案外版画に似た風合いがありました。
ここ10年は年賀状にも関心が薄れて送っていただいた方にはお返事を出すだけになりました。1年ごとにいただく枚数は減るのは必然。。。。
子供たちに来る年賀状は楽しみです。結婚の知らせや出産や・・・・文章も若い方のはつらつさがあります。昔を思い出しますなぁ。。。。。
でも、子供も最近ではメールやらラインやらで、見せてもらえない(笑)
枚数が減って、最近は切っても当たらなくなりました。
こちらにプリントごっこの詳しいサイトがありました。

【2018年】ツイッターつぶやき
政府日銀は物価を上げようとしている。物価が上がることは経済が好転した証だから。しかし逆立ちをして物価が上がれば経済が好転すると勘違いをしている。
アベノミクスと日銀緩和の結果は、企業や富裕層へカネが吹きたまり、株価のバブルである。
物価を上げることを人為的に行えるのだろう?原油高になれば物価は上がるから原油安を先進国は警戒する。輸入に頼る日本までが円安誘導による原油高を期待する。
こんな経済学はないはずでしょう。
ITが言われて事務やサービス業も含めて人員削減を行おうとしている。企業は常により低コストで大量生産を目指す。資本主義初期から機械化を進めてそのためのエネルギーを開発してきた。より少ない労働力でより多くの商品を生産することは生産性向上という競争として行われてきた。この競争がまた新たなより優れた機械や生産工程を作ってきた。
しかしこの生産性の向上は、生産した商品がすべて売れていればよいが、過剰生産傾向を生むことになる。
この時企業は値下げをして過剰気味の商品を売りさばこうとするでしょう。しかし企業は値下げをしても利益を上げる。商品は生産性の向上によりその商品価値を減らしているわけですから商品の価格は勝ちに近づくだけでしょう。しかし企業は利潤率を低下させていく。生産性の悪い競争企業は倒産するか廃業(資本の移動)をする。その企業の労働者は失業するでしょう。生き残った企業の労働者も人員減が行われるでしょう。
日本全体の産業でこのような状態となれば物価が下がり続ける不況となるでしょう。失業者の増加や低賃金化はさらにこのデフレ不況を進めるでしょう。
今の日本は完全雇用だといわれていますが、それは労働力の減少によるものであり、低賃金化は進み更により低賃金の外国人労働者を入れる。景気が良くなったから企業の設備投資も伸びて労働力不足が生じているわけではない。
今も日本はデフレ不況にあるのではないかと思います。
その中で企業と政府はIT革命として労働力を減らす生産性の向上を行おうとしている。
すると商品やサービスは価値低下を起こしてより価格を低下させていくでしょう。はじめのうちはIT化をいち早く行った企業の利益(特別剰余価値)は大きくなりますが、IT化それが広く行われるようになると全体的な値下げ競争となるでしょう。日本はデフレ不況の中にあるのですから。
労働力不足中でも失業は増大して低賃金化が進むでしょう。
しかし以上の状態は強欲的な資本主義がこのまま続くことによります。
生産性の向上として機械化、IT化により商品やサービスの価格が下がることというはより多くの商品やサービスを国民は受け取ることができる条件となります。そして生産性の向上が失業者や長時間労働者を作り出すのではなくて労働者の労働時間短縮の条件ともなるのです。
これは政治によってどちらを選ぶのかができるものです。生産性の向上が労働者を苦しめるように放置するのか、労働者の豊かさや労働時間の短縮を作り出すのか。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
もう、何年ぐらい前でしょう。カーナビが出はじめたのは。
地図に弱い僕はすぐに興味を持ち始めたのですが、そのころのカーナビはいつの間にか海や田んぼの中を走りだしたり急カーブが続く道路ではとんでもない山の中を走っていました。
だんだんカーナビもどうにか使い物になってきたようなので買いましたが、今のように車の距離計に連動しなくてタイヤの4分の1ほどを磁化をして車内のセンサーで感知して距離を測っていました。やはり時々とんでもないところを走って気になって仕方なかったです。時にはカーナビを見つめてしまい危ないかなと思ったりもしました。
そして今は自動運転がはじまりました。
ネットで自動運転の動画などを見たりしますが、上記した初期のカーナビのような現状ではないかと思います。
自動運転も高速道路での追い越しができるようになったといいます。
しかしガラガラの高速道路で前に低速で走る車がいるようなまれに見る好条件で自動運転車が追い抜きをする。どう見ても自動運転を必要とする状態ではないですね。ウインカーを出して追い抜けばいいだけで、そんなに危険を伴うわけでもないし、神経を使うような運転操作ではない。高い金を出して自動運転も必要ないでしょう。しかも一般道をいつもは走っているのですから。
カーナビも物珍しさでもありましたが、自動運転も物珍しさからのものでしかないのかもしれません。自動運転で空いた高速道路で遊ぶのも面白いかもしれませんが。必要かといえばそうでもない。まだ初期のカーナビのほうが使う価値はあったのかも。
しかし自動運転技術そのものが無駄だということではありません。
カーナビと同じように将来はスマホをしながら、寝ながら目的地に行けるようになるでしょう。そしてその発展のためにも現在の技術の活用が必要でしょう。
ある意味、まだやっと実際の道路で実験ができるようになった段階でしょうね。その実験を車のユーザーが行うわけです。そこにはユーザーに大きなリスクが伴いますね。
法的にも自己が起きれば、メーカーの責任ではなくて運転者の責任です。事故が起きて「となるはずではないか!」といってもいろいろな条件が満たなければメーカーの責任は問えない。ですから道交法も変わらないでしょう。
追い越しをするにも車のメッセージを読んで許可するボタンを押して。。。。。。
リスクが大きいです。それよりウインカーを出して自分で車線変更したほうが良い。
自動運転の技術の一つに事故防止の役目があります。
今は自動運転車よりも人の間違いや錯覚などでの事故の防止ができる車を作る段階ではないでしょうか?
自動運転もドライバーが寝ていないかスマホをしていないかを感知するようですが、追い越しをさせるよりもこの技術を普及させることのほうが先でしょう。
また、発展途上の自動運転車が多く走り出すと思わぬ渋滞などが起きることがあるでしょう。もちろん自動運転車と人間ドライバーとの事故も増えるでしょう。人間ドライバー側が悪いとされますね。きっと。
ハード面の発展と同時にソフト面で考えられる困難の研究や防止技術も大切になってくるでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
昨日の続きのようなものです。以下、ツイッターから。。。
年末年始は仕事を休む人が多いですから、東京の空も毎年きれいになります。そして通勤電車もガラガラですね。
これは人の移動や密を避ける効果があります。その時にGo Toトラベルを中止することも効果があるでしょう。
それは感染拡大防止になります。
しかし・・・・
Go Toトラベルを中止してもそれを利用しなければ自由に旅行等ができます。不要不急の外出の自粛要請は出ていませんから。
すると、Go Toトラベル中止でどのくらいの効果があるかわかりません。
今後Go Toトラベルのキャンセルがどのくらい出て人の移動が減るかを見ないといけない。
しかし・・・・
ある程度経済的余裕のある人は旅行に出かける。余裕のない人はキャンセルして出かけられない。
これは経済格差による人の移動の「分散」でしかない。
たばこ増税による禁煙と同じで、経済的に余裕のない人は不本意ながら禁煙で、余裕のある人は気にもしないで喫煙できると。
そこで・・・・・
年末年始に旅行に出かけることを規制して感染拡大を防止するにして、所得格差によって出かける人出かけられない人に分散する理不尽さと、Go To中止の効果が薄まることが起きることに間違いはないでしょう。
また・・・・・
旅行に出かけられないにしても、Go Toイートやイベントは中止ではない?のですから、例えば東京やその周辺の高級ホテルなどに人が移動することがまた考えられる。
この連続ツイートの親記事にある「君子豹変 小人革面」
菅総理は「君子豹変」したか、「小人革面」でしかないのかを考えると、菅総理は本気で国民全体の事を考えて突然急変したという君子豹変ではなく、支持率もあるでしょうし専門家や医師会の要請もあり、表面だけ(上っ面だけ)変えただけでしょう
1月11日以降2週間までが勝負の週となるでしょう。
企業が長い連休となり、国民がGo Toキャンペーン全体を自ら自粛するようであれば感染拡大はある程度抑えられるでしょう。
一方、GO Toトラベルが抜け穴ばかりならば感染は高い水準で維持されるでしょう。
どちらにしても・・・・
どちらにしても、今の様に感染が拡大してしまってからの中止はあまりにも遅かったのです。感染拡大防止の面でも、経済のさらなる混乱からしても。。。。
そして何よりも年末年始にかけては重症者や死亡者が増加し続ける危険性と医療崩壊の危惧が残ります。

【2021年】ツイッターつぶやき
大雪本格的な寒さに。
冬らしくなりました。
昨日の朝は雨が一時霙になりました。
熊も穴にこもる季節。
僕は炬燵にこもって昼寝。

【2022年】ツイッターつぶやき
岸田内閣は防衛費倍増を言い1兆円の増税を言い出した。
法人税と煙草税などの増税を言っていたが、どうも法人税の増税は財界の反発もあり無理なようです。残るは取りやすいタバコ税ですが、法人増税分をどこから取るか。やはり取りやすいところから取るでしょう。自動車税の増税という一部報道もありますが、酒税など国民生活に関連するところから取るでしょうね。それが「国民の責任」という言葉に出ています。
しかしこの1兆円の増税だけではなく、3兆円の財源が問題でしょう。
これについては具体的な報道がありませんが、これまでの自民党政治を見れば企業にばらまく税を少なくするということはしないで社会保障など国民生活に依依拠するところが削られるでしょう。すでに復興財源を回すようです。
このように増税も税の使い道としての財源も国民生活に影響すると思われますが、社会的福祉の後退として現れるでしょう。
しかし以上の増税や財源の問題以上に危ないのが平和そのものです。
これまで敵基地の攻撃能力を持つことが進められましたが、今後はトマホークの配備など専守防衛から逸脱した武器を持つようになり、そのためにも防衛費の倍増が必要とされます。
憲法はおろか、どうにか合憲と解釈改憲を行った中身の専守防衛も捨てようとしています。
アメリカの軍事態勢の一部として日本はいざとなればアメリカ防衛のために戦争を行わざるを得ないようになっています。安保条約は軍事同盟になりましたから。
保守派は日本を守ることが最大の福祉だといった論理を持っていますが、そこには必ず軍事力でという枕詞が付きます。そうではなく平和こそが災害の福祉なんです。平和を維持していく政治が求められていますが、岸田内閣はこれを露骨に崩していきます。
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「12月14日という日」

2024年12月14日 07時59分14秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
東京の夜空ですから明るい星しかはっきり見えませんが、見つけやすい三ツ星が見えました。周辺には明るい星が囲んでいます。赤く輝く星はペテルギウスでしょうか。大きなオリオン座。。。。。。
そういえば、今夜は満月でしょうか。
来週は冬至ですなぁ♪
苦手な11月も過ぎて12月に入るとあっという間に過ぎていきます。
冬至にカボチャを食べて柚子に入り、すぐにケーキを食べてお正月。。。。。

≪過去の記事≫

【2003年】
早朝の商店街を歩いていたら、ガスか水道か?道路を掘って工事をしていました。もうアスファルトを固めているときでしたから、たぶん徹夜の工事だったと思います。
たしかに商店街ですから昼間の工事では商売に影響をしますからね。でも、商店街とはいえ、そこには住んでいる人もいますしマンションもあります。
たぶんこれらの人は寝られない一夜だったのでは?
買い物の便もよく、駅に近い商店街にあるマンション、あこがれますがこういう騒音を考えると悪い面がありますね。
普段でも商店街やスーパーのごみ処理は早いですからね。。。。
今の我が家のようにへんぴな場所のほうがいいのかもしれません・・・と自己満足

【2004年】
12月も中旬。。。。
なんか車を運転していても周りの車の運転があわただしいというのかどこか急いでいるような気がします。師走とはよく言ったものです。
交通事故には気をつけよう。。。。
今朝は寒かったです。冬眠したくななる。もうすぐ冬至。この日記も冬になります。

【2005年】
今夜は満月?ほとんどまん丸な月が昇っています。スポーツジムの帰り、庭から顔を出した犬が月に向って遠吠えをしていました。
ワァウォ~~ン♪
犬の遠吠えは感傷的になります。
今夜は妻が外泊。。。なんでも会社のお世話になった先輩が退職をするというので、その先輩と1泊で温泉に浸かるようです。うらやましい。。。。
そういえば僕ものんびりと子供から離れて温泉というのもなかったなぁ。。。。
今度一人で出かけてみようかなぁ。。。。
この前に書いた津田清楓の「漱石と十弟子」をぺらっと開いて読んだら、どうも百閒の名前がない(とは言っても清楓と百閒の仲は書いてあるんだけど)。扉の十弟子を画いた挿絵をまじまじ見たら、百閒を含めて11人いる。どうも百閒はちゃっかりと十弟子の仲間入りをしているようである。
百閒は、漱石晩年の弟子だから十弟子にはないはずだが、なぜ描かれているのだろう?
もう20年以上も昔に読んだ本だから忘れているのだろうが、この辺もなぜ描かれているのかを読み返したい。
今、キャベツロールを煮込んでいます。

【2006年】
仕事が遅くなり外食でした。
いつものラーメン屋さん。
野菜炒めの野菜が少し生め。。。
帰り、そうは寒くなかったですが、嫌な雨でした。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
5%の法人税減税が決まったようです。
なぜ今、法人税減税なのか?表向きは減税により設備投資を増やし雇用を確保するといった論理のようですが。。。。また以前から日本の法人税は諸外国に比べて高く、企業が海外に出て行き外国の企業が日本に入ってこないとも言われていました。
日本企業が生産拠点を海外に持っていくというのは税制の問題ではないということは安い労働力を求めてであり市場を確保することにあったことは明白です。また減税により設備投資を増やしそれが雇用増に結びつくような現状でしょうか?わずかに冬のボーナスはアップしたとは言いますが個人消費の落ち込みはなお冷えているのが現状で、その中において国内消費関連の企業が設備投資を詩雇用を増やすでしょうか?多少の雇用増はあったとしても依然として不安定雇用の増加でしかないでしょう。また輸出関連企業はなおも海外生産に軸足を移していくのではないでしょうか。
その中での法人税減税分の資金はどこに流れるのか?
アメリカ国内の景気回復は輸出関連企業の最も必要とするものですし、中国をはじめとした発展途上国への投資はなおも必要とされ、最近では中国に替わる投資先を模索しているのではないでしょうか。このように見ると法人税減税による資金流れがどうなるか。。。。。。
同時に行われるとされる子供手当て増は、国内消費を多少増加をさせるかもしれませんが、その恩恵は一部の過程家庭に限られ、一方には増税があります。この増税は自民党時代と異なり高所得層の負担を増やす中に行われることは一定の評価はありますが、高齢化社会といわれている中での相続税アップも?あるようですし、成人扶養(無職の成人)に対する控除もなくなる?ようです。
このように子供手当ての財源は具体的な増税が提起されているわけですが、法人税減税の財源はほとんど決まっていないようです。法人税減税は先行して行われる中であとでどの部分で増税がされるのか。。。。。
今の政府の議論はわからないものばかりです。

【2011年】ツイッターつぶやき
厚労省は年金支給年齢の引き上げに伴い2013年から65歳までの再雇用を企業に義務付けることを固めた。有期雇用については契約満了の決めない無期雇用にする中で「雇止め」のない雇用形態となると。
再雇用の対象を限定できる規定を撤廃するというのは一定の評価ができるだろう。
しかし再雇用というのは労働側が受け入れることができる者だろうか?あくまでも労働側は「定年延長」でなければならない。定年延長なら賃下げにはならないことがあり得るが、再雇用制度では現在の状況を見れば賃下げは避けられないだろう。
問題点としては60歳以降も同じ仕事を続けるのに年齢的な限界があるということである。たとえば肉体労働であったりトラックの運転などの交通機関であったり様々な労働分野においては65歳まで働くことの負担が大きいだろう。もちろん頭脳労働者でも労働時間の負担も同じであるが。
また60歳以降も同じ仕事を続けるとなるとその分若い方や失業中の方などの就職の枠が狭められるだろう。
年金支給開始年齢の引き上げは、年金制度の危機の中に言われている。しかし同時に今後労働人口が減り労働力不足が懸念される。そこで企業は安い労働力を必要とする。それが再雇用制度により安い賃金で同じ仕事をやらせることができるものが企業にとっては必要にしているのではないか。労働力不足は労働力市場の中で売り手市場になり賃上げの力が働く。もちろん失業者数は一定程度置かなければ労働力市場は売り手市場になる。失業率は現在のままに労働力不足を起こさない方策が企業の論理だろう。
再雇用制度に企業は反対のような口ぶりだが、本音は定年延長では困るということではないか。定年延長を回避して再雇用制度に。これが国と財界の落としどころではないか。

【2012年】ツイッターつぶやき
ぽつぽつと立っている人がいるのんびりした電車に乗り込んだ
吊革につかまってのんびりと外を眺める
次はターミナル駅なので席が空くかと期待する。。。。
すると僕の前に座っているおばちゃんがそわそわし始めて
そして立ち上がった
(うわっ、空いた。。。。。)
電車はターミナル駅に到着
するとそのおばちゃんがまた座ってしまった。。。。。。
(フェイントかよ。。。。)
その時ハッと思い出した、そのおばちゃんのこと
以前、僕が席が空いたので座ろうとしたらいきなりその席にかばんを置いて
一瞬ひるんで座り損ねたところに座っておばちゃんだ
そしてある時は僕のはす向かいの席が空いた時
僕の右隣に座っていたおばちゃんがその席に走っていった
すると座ろうとしていた若い男が座り損ねたのだ
なぜ座っているのに空いた席に走っていったか。。。。。
そう、あのおばちゃんなのだ
この日もそのおばちゃんは僕にフェイントをかけてからしばらく
挙動不審な目つきで車内を見渡していた。。。

統制経済といえば戦時での統制経済を思い浮かべますが、今は戦時経済ではないのですからこの「統制経済」というのは当てはまらないかもしれません。しかし国家が前面に出て経済の流れを変えていくという意味では党生殖を色濃く出しているでしょう。もちろんこれは先進国の経済の混乱から同日本が生き延びるのかという面で経済界全体が国家の全面的な協力とその力を必要とし始めたということでもあるでしょう。
異次元の量的緩和やそこと結びついたアベノミクス。そしてそれは成長路線として更なる賃下げや労働の不安定化そして労働条件にも影響を及ぼしてこの労働の規制緩和は国家的な経済への介入を引き起こします。これはある意味統制経済のような面を出していると見えます。もちろんそこにはこの計の統制とともに上部構造の統制にもつながります。もちろんこの動きは行き詰まった資本主義の流れの中に大なり小なり先進国の中で強まる傾向のものでしょう。
統制的に見える経済は、実は国家独占資本主義ともいえます。福祉国家は行き詰まったとか経済の成長の鈍化の中で社会保障は削られて低賃金化や不安定効用の増大も含めてすべての富は企業活動に動員をされる。その中心となるのが国家なわけです。この国家独占資本主義が露骨に表れたのが安倍内閣でしょう。
しかし国家独占資本主義と統制経済は違うわけです。民主主義や自由という理念を政治的にも経済的にも持ち続けるのが国家独占資本主義です。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
こちらにADーAS分析の二つのモデルが書かれている。
ケインズモデルと新古典派モデルである。
難しくてよくわかりませんが、需要と供給そして物価の関係でしょう。アベノミクスは物価を上げることによるデフレからの脱却を目指しているわけですが、政策的に物価を吊り上げることの不自然さと、その物価も貨幣価値の低下からのものですからなおさら不自然さを持つ。
貨幣価値の低下による物価が騰がれば国民所得は高くなるのでしょうか?物価を政策的にあげれば総需要線はシフトするのでしょうか?
そもそも簡単に総需要曲線がシフトすればという何げない言葉がそうも簡単に起こせるのでしょうか?
総需要ですからその需要の中身は問われないのですが、その需要のためには貨幣がどこに集まるかの違いからの分析がないのでは?
今の景気判断では企業の利益と株価に貨幣量が増えて国民生活には貨幣量が不足していますが、この中で全体の貨幣量が増えることによる総需要が言われてしまうわけです。
しかしここに大きな落とし穴があるのではないでしょうか?
生産される商品は直接大衆消費財として消費をされるものもありますが、企業の設備投資のように企業間取引によっての商品もあります。この設備投資に必要な他の企業が生産した商品は、その使用において設備投資をした企業が生産する商品に価値移転がされていきます。この価値移転先は最終的には大衆消費財とならなければならない。
ですから総需要の重点は大衆消費財の需要とならなけれなならないし、そのためには貨幣量が一般国民に移動しなければならない。これはケインズも新古典派もその経済学において自然に行われるとして超楽天的なのかもしれないが、資本主義の矛盾はこれが自然に行えないという事を示している。
ですからケインズも新古典派もその経済政策がうまくいかないのです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから転載
">「ゴキブリ入りの料理」などネット中傷で辞職勧告の石川・加賀市議が続投表明 - 産経ニュース。。。どうにかしがみついて次の選挙でミソギとでもと思っているのか?市議だと無投票もあるかもしれないが・・・・
国政を見ても選挙で勝てば禊はしたと。。。。。これが当たり前のことになっていますからね。政治家を狂わせています。この中で口先政治も行われていて十分な説明と言っているうちに議会が終わればミソギになってしまう。おかしな世の中はおかしな政治を産む。
国民の中でも年寄り相手の詐欺が多くなり、企業はコンプライアンスを無視したブラック化。政治もブラック化をしていき、官僚や国家機関も忖度。一方ではその日の生活に四苦八苦しながら労働をする国民。国民の一部と政財官の癒着がその四苦八苦している国民に寄生する社会。
人の幸せはカネだけではない。しかしカネも必要なのは確かです。そのカネに視点を向ければ、労働で得た1万円も犯罪やブラック化した手法で得た1万円も買い物に行けば同じ1万円ですからねぇ・・・・そして国民に寄生して得た1万円も。
社会のパイはしぼむばかりです。そのしぼむパイの分け前を以前と同じ大きさに維持しようとすれば人の分け前を搾取や収奪や犯罪によって手に入れねばならないと考える人が多くなるでしょう。もちろん人より頑張って大きなパイを得る人が多数ですが、頑張っても取り分は少なくなる。ブラック化した社会は
1%の人々にあるいは巨大企業に社会の富が集中するという事は、社会のブラック化の現れです。巨大ピラミッドや古墳が作られる一方で国民は働けど貧しくなっていくという奴隷制社会が現在の方において正当化される。その方は1%の人々あるいは巨大企業の太鼓持ちである政治家が作る。
どう見てもおかしいことが正当化される社会がブラック社会です。ブラック社会にふさわしい人材が必要とされる。一番先のツイートの市議もこの流れの中に生きているのでしょう。市議だから詰め腹を切らされるだけ。

【2018年】ツイッターつぶやき
あおり運転事故の判決が出ました。
求刑は確か23年でしたが、判決では18年となりました。
この判決の量刑が少ないと見るか多いと見るかは人によって違うと思います。
また、時速ゼロ㌔の危険運転が法的にはさばけなくあおり運転との因果関係において判決が出ました。
今後法の整備も進むのかと思いますが、どうなるんでしょうか?
求刑通りの判決が出ませんでしたが、この判断はどこにあったのでしょうか?
判決の18年については上記したような中身で触れられていますが、18年になった理由がよくわかりません。
裁判官は被告の反省については酌量の余地はないとしますが。。。。。
裁判員の一人は、
「刑の重さは被告や被害者側の人生を決めてしまうことでもあり、難しい判断でした。正直、今でも気持ちの整理がついていません」 NHK
と、語っているようですが、今回の判決のむずかしさがあったのでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
ベランダに出てしばらく北寄りの東の夜空を眺めていました。
ずっと見ていると錯覚なのか?ほんの一瞬光が流れたような?
今夜はふたご座流星群が良く見えるそうです。
残念ながら夜空は満月が過ぎたばかりで明るすぎるそうです。特に東京の夜空は明るいですからなぁ。。。。。
それでも一つぐらいは見ることができるかもとベランダで粘りました。
それにしても冬の夜空を眺めるって寒いですなぁ。。。。
それでも寒さを忘れるほどきれいです。
昨夜、NHKで長野県の基礎木曽あたりの展望台の紹介をやっていました。
天の川がきれいに見えて恐ろしくなるような数の星が見えるそうです。
もしかしたら、天気にもよるでしょうが多くの天文ファンが訪れているかな。
また11時ごろ寝る前に少し眺めてみようと思います。
その前にゆっくり風呂に入って温まってこよ・・・・・

【2020年】ツイッターつぶやき
君子豹変 小人革面
君子は豹変するが、小人は面(顔)を革(あら)たむ
君子は間違いに気づいたらすぐに改めるが、小人はわけがわからないから、人に言われて上っ面だけを改める。
すぐに元に戻ります。
菅総理が全国一律12月28日から1月11日までGo Toを中止するとしました。
これは良いのですが、どう見ても菅総理は君子ではない。
対応があまりにも遅く、しかも2週間先の28日からです。なぜ二週間先延ばしをするのかは別としても中止をこれまでかたくなに拒んできて世論や専門家そして野党や自民党の一部からも批判される中でやっと中止を行いました。ですから君子豹変とはとても言えません。やはり小人革面ですね。
でも総理大臣ですから何も考えずにいるわけではないでしょう。なぜ二週間も先の中止なのか?
今年は休みの分散や長期化が予想されていますから、26,7(土日)に出かけてしまえばいいでしょう。そして12日に帰ってくればいい。
いろいろと抜け道を考えているでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
最近はコロナの影響もありますが、以前から公園に人がいなくなりました。
昔は少し広い公園ですと子供たちが野球やサッカーをして遊んでいました。
そのころお年寄りのゲートボールも流行りゲートボールでお年寄りが集まっていました。するとお年寄りとサッカーなどをやる子供たちが一緒になるのでお年寄りが「危ないでしょ!」と子供たちを怒っていたりしていました。
そのためかどうかわかりませんがしばらくしたら公園内での球技が禁止になりお年寄りのゲートボールだけに。
しかしゲートボールも球技ですい広い場所を使うので中に他の人が入れない。するとゲートボールもいつしか禁止になったのかお年寄りの姿が見えなくなりました。もちろん子供たちの球技も禁止ですから子供の姿も消えました。
僕のような喫煙者はほとんど人のいなくなった公園のベンチでのんびりツ煙草を吸っていたのですが、近年の嫌煙運動のために公園内が禁煙になりました。
多くの公園では危険だから(事故もありましたから)いろいろな遊具もなくなりました。
だれもいなくなった公園。。。。。
とはいえ桜の季節ぐらいは少し人が集まりますが。
なぜ公園に誰もいなくなってしまったのか。。。。。
公園は不特定多数の人がそれぞれに楽しむために集まってくる場所です。
子供たちの野球やサッカーが危ないからと苦情が多くなれば禁止になり、ゲートボールも球技で広い場所を使うという苦情があれば禁止になる。遊具で怪我をする子が出れば苦情で遊具がなくなる。そして喫煙も苦情が出れば禁止になる。
不特定多数の人がそれぞれに楽しむ場であるにもかかわらず。その不特定多数の人が互いに苦情を出し合ってなんでも禁止になるという愚。。。。。。
その苦情というのは市民同士での話し合いではなくて直接区役所に苦情が行くのでしょうか。禁止を守られないと通報される。
苦情を言っていた人も公園は面白くない場所になるのです。
人が集まらない公園という場所は子供たちにとって危険な場所になる。
喫煙者でもタバコを吸っていれば大人が子供たちを守ることができますがこれも一緒に禁止になるのですからねぇ。。。。
苦情魔通報者の強くなる社会はまともな社会にはなりません。
これは正当化されれば監視社会にもつながります。昔のような互いに監視し合う社会に。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
双子座流星群
風呂上がりに南の空を見上げていました。
あはは・・・・・寒い。

【2023年】ツイッターつぶやき
知人が庭にたくさんの柚子が生ったので送ってくれました。
小さい柚子ですが、昨夜は皮を擦って柚子豆腐を作りました。
たくさんあるので柚子ジャムにしてみました。マーマレードにしようか悩んだのですが、小さい柚子でめんどくさいのでミキサーで細かくしてジャムにしました。
う・・・・ん、少し渋みが強かったかな。。。。。
ヨーグルトに入れて食べたいと思います。
残りは皮を千切りにして冷凍します。
実はジュースにしたり凍らせておいて風呂にでも入れようと思います。
コメント
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「12月13日という日」

2024年12月13日 08時00分13秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
さむいですなぁ。。。。。。
今年の秋は異常なほど暑さも感じる秋でした。このまま弾頭かなと思ったり、自然は帳尻合わせをしますから寒波がやってくるかなと思ったりしていました。
日本海側から東北北海道は雪が多そうですね。
室温もぐんぐん下がり、この前は20度ほどありましたが今夜は13度。
長袖の下着を出しました。
東京はずっと晴れていましたが、今日は曇り空。最高気温も9度。
急に外に出たらクシャミが止まらなかった。

≪過去の記事≫

【2003年】
早朝駅前をとぼとぼ歩いていたら、女のコ3人組にいきなり「お兄さん!!」と。何だろと思って振り返ったら酔っ払い。「どこか飲むところ知らない?」と。朝の6時前。。。。。アホか!!
20歳そこそこだと思うのですが・・・・まぁ、これも青春かな!?

【2004年】
暖かかった。。。めまぐるしく気温が変わります。
内田百閒の「私の漱石と龍之介」を読み終わったが、明治・大正の作家達のおおらかさを感じる。百閒はユーモラスだが、その裏に苦悩がある。悲しみがある。だからこそ楽天的になれる。
今の世も苦悩が多いが楽天的になれればと思う。
昨夜NHKの新撰組を観たが、近藤勇など最後の武士らしい武士という男の名誉のようなものを感じたが、結局は時代は武士の世界から金を持つ商人の世になる。武士は商人から金を借りざるを得ないほどその役割は終わっていた。しかし明治の代も矛盾があった。そして大正のデモクラシー、昭和の不幸な戦争。そして戦後から平成へ。その時代時代には多くの問題点を抱えながらも長い目で見れば社会は発展してきた。結局は一般大衆が時代を決めるのである。この点でも楽天的にならないとと思う。

「私の「漱石」と「龍之介」」  内田 百閒  著
漱石の鼻毛が付着した原稿用紙は写真で見た覚えがある。この原稿用紙の持ち主が内田百閒だったとは。。。。
漱石はひとつの作品を書き上げる間に5,6寸の高さにもなる書き直し原稿を出したようですが、しかし同じ高さの札束を原稿料としてもらっていたそうです。その書き直した原稿を内田百閒はもらったそうで、その中に鼻毛の付いた原稿もあったようです。
内田百閒の漱石の思い出は、こんなユーモラスなものがあり楽しく読めました。
百閒は金に困って漱石の保養する温泉にまで行く。漱石は多額の金を妻から受け取れという。そのうえ一泊宿に泊めてもらい、温泉にまで浸かり、「ビールを飲んでもいいですか」と(笑)
いつ漱石先生の雷が落ちるかびくびくしている弟子たちですし、漱石は時々たしかに雷を落としたようです。しかし弟子たちへの思いやりもあり、書簡集を読むと百閒が金に困っているためか本の校正をやらせています。
漱石の弟子たちは、漱石の思い出を書いていますが、大阪朝日新聞に文芸欄を作り、若い作家に発表の場を与えたりし、岩波書店の初代岩波茂男が本の普及のために今で言えば文庫本を出す計画をするのですが、漱石はすぐに坊ちゃんだったかを発売させます。
日本画家の津田清楓が「漱石と十弟子」(芸艸堂・昭和53年版)という本に漱石山房木曜会の様子を書いていますが、挿絵も含めてのんびりした様子を書いていますが、百閒もこんなのんびりとした木曜会の空気を吸っていました。こんな木曜会の空気を吸いながらも漱石の作品に影響されたものと思います。「吾輩は猫である」は小説ですが随筆といっても良い作品です。漱石は「夢十夜」「文鳥」そして生い立ちを書いた「ガラス戸の中」などの随筆を書いていますが、この随筆に影響されたのではないかと思います。
胃を壊しながら悩んだ漱石、悩んだこそ弟子には厳しいながらもおおらかな漱石。そんなおおらかな漱石になつくようにやはりおおらかな百閒。この思い出を筆力のある随筆として百閒は綴っています。
芥川龍之介と百閒は、漱石山房晩期の弟子ですが、その意味においてもその交友は深かったようです。百閒は龍之介が自殺する2日前に会っています。麻薬でろれつの廻らない龍之介。百閒は龍之介の苦悩を知っていたのでしょう。しかし百閒は次ぎなように書きます。
龍之介の死んだ夏は猛暑であった。龍之介はこんな猛暑で癇癪を起こして死んだのだろうと。ここには龍之介の苦しみを知っているからこそユーモラスにその死を書けたのでしょう。
楽しい百閒の随筆。。。。龍之介の苦悩を知っていてユーモラスなものがあるように、自身の苦悩があるからこそ楽しい随筆をも書けたのでしょう。
おもしろさの裏に悲しみが満ち溢れている。これが百閒の魅力かもしれない。
<追記>2005年12月12日
上の文章に
「日本画家の津田清楓が「漱石と十弟子」(芸艸堂・昭和53年版)という本に漱石山房木曜会の様子を書いていますが、挿絵も含めてのんびりした様子を書いていますが、百閒もこんなのんびりとした木曜会の空気を吸っていました。こんな木曜会の空気を吸いながらも漱石の作品に影響されたものと思います。」
と、書きましたが、このときは百閒のもう一つの雅号「百鬼園」というものを知らなかったので、挿絵に「内田」あるいは「百閒」という人物がなく、ここには百閒は描かれていないと思ったのですが、今、川上さんの「東京日記」関連で百閒を思い出し、もう一度「漱石と十弟子」を開いたら、いましたいました。。。百鬼園先生がちんまりと右すみに若き頃の丸い顔をしていました。
また読み直してみようと思います。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
冬のボーナスの額が過去最高らしい。
でも、こういうものは会社が支払った総額でも見なくてはいけないものだと思う。たしかに正社員の支給額が伸びたことはいいが、その他アルバイト名でとの格差も生じるわけである。だから、このボーナスが過去最高という言葉に景気の良さを一概には見ることができない。
ここ何回か書いている税制の問題や、残業代の不払いや正社員可の遅れなど、この間行われてきた「リストラ景気回復」は継続をしているのである。個人消費の低迷はという問題は、表面化してきている。
中国は、内需拡大の方向に進むらしいが。。。
そこに日本の企業が入り込む。。。でも日本人は。。。ううう

【2007年】
「宙に浮いた年金記録」。。。
4割が特定困難。
公約違反じゃないとは言うが、受け止めたとっては国民は公約。
勝手に公約と受け止めた国民が悪いという論理かな?
昔不動産広告の笑い話に、「歩いて十分」とあるのに契約してみたら相当歩かされた。文句を言ったら「歩いて”じゅうぶん”と読むのだ」と。。。。なんかこういうものに似ている。
今の世の中、法に触れないぎりぎりのところで国民をだまそうというものが当たり前になっているのかな?
そういえば大阪知事選に出馬する弁護士が、6日前は5000%出馬はありえないとしながらも今になって出馬を決めた事への報道があるが、その弁護士の説明は、法律用語ばかりの弁明で何がなにやらちんぷんかんぷんだった。たぶん府民をだましたのではないという事か?
埋蔵金などという景気の良い話も出ているが、国民の金である事に変わりがない。埋蔵金などという言葉をあてる事自体が馬鹿にしている。どのように使ってきたのか、、、、これからどのように使うのか。
清水寺の管長が今年の漢字を書きあげた。「偽」
偽りでしか今の世の中動かないという事は、国自体が崩壊過程にあることに他ならない。もちろんその根底には経済があり、持つ者と持たざる者の格差がどうしようもない矛盾になってきている。
民主主義ってなんだろ?
ここのところ、なんだか知らないけどフケがたくさんでるなぁと思っていたのですが、原因がわかりました。シャンプーとボディーシャンプーを間違って使っていたからかもしれません。昨夜はちゃんとシャンプーで洗ったらフケがなくなりました。よかったぁ。。。。変な病気じゃなくて。髪の毛が抜け始めたらどうしようと本気で心配してしまいました。それにしてもシャンプーってやはりすごいものですね。思い出しました。昔、石鹸シャンプーというのを使った事がありましたがそのときもフケが出やすくてやめました。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
男同士というのはめったにないが偶然に女性と視線が合ってしまうことが時々ある。
うつむいて駅のコンコースを歩いていてふと視線を上げたときや電車の座席に座り本や吊広告から視線をはずしたときなど。
大体は一瞬視線が合ってもすぐに互いに視線をはずすんのですし、僕はこう言うのに弱いからたいがい僕が視線をはずします。電車の座席に座っている見知らぬ人々はそれぞれの世界にいるわけですが、この視線が合うというのはその世界が偶然にぶつかるようなものです。目というのは心の一部のようなものですかし、目はものを言うということもありますから。
一瞬の心のふれあいでしょうか。。。。。
今日は向かいに座りコッペパンをかじる若い女性と視線が合ってしまった。
女性は少し目を見開いた視線。コッペパンをくわえたままに。。。。オヤジである僕はその目を見る。なんだか不思議な世界と世界のぶつかりです。
女性は視線をはずさない。僕もなんだか知らないが今日は視線をはずさない。
女性がコッペパンをかじり終わると同時に互いの視線は離れた。

【2011年】ツイッターつぶやき
      拝啓 川上弘美様
日記を拝読させていただきました。
お知り合いの女性のしぐさを妄想してドキッととしました。
知的な女性は素敵ですね。電車の中ではメガネ美人にドキッとしております。
今では町の本屋さんに行くとコミック本のコーナーが広いスペースを占めています。僕の年齢ではコミックと言えば「アハハハ・・・・」と笑って読むようなイメージがあるのですが、今では恋の物語もコミックになっているようで下手な活字本よりも若い方の心をとらえており、だんだんとこのコミック世代がある程度の年齢になっていく。
だから優雅にコミックのページをめくるのも自然かなと思います。
そういえば、少年マガジンやサンデー、りぼんなどというあの電話帳のように厚い「漫画」を電車で読んでいる人が少なくなったような。。。。?
漫画ではなくてコミックあるいはアニメという言葉の中にステータスも感じるのでしょうか。
女性が「部長 島耕作」を読む。。。やはりサラリーなん生活を想い読むのか、それとも仕事ができる素敵な男性に夢見るのでしょうか。
島耕作に惚れる女が登場しますが、その女性も素敵です。しかし僕としては島耕作や底に出てくる女性に読む女性の何らかの感情移入を見たらやはり一瞬「うん?」とオロオロしてしまうかもしれません。その知人女性は「いい女」では?
          敬具

「海とか?」という答えに「?」をつける声も妄想してドキッとします。やはりその女性も「いい女」でしょうか?
化けたのち、疾走。。。。あははは。
以前、化粧の話もありましたが僕としては「いい女」ではなくて素肌に近い薄化粧が。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
維新の会の石原代表は、「経済を立て直すため、国全体で1500兆円に上るとされる個人の金融資産を有効に活用すべき」とうったえたそうです。
国の借金が1000兆円になろうとしているが、個人の金融資産は1500兆円もあるのだからこれを活用しろという事でしょう。
この論理はどうなんでしょうか?
ダブついた資金が多くあることは間違いないのですが、この個人の金融資産の多くはすでに国債購入として使われたり企業に貸し出されたり個人が家を買う時などのローンとして貸し出されているわけですからこれはダブついた金ではない。
個人の金融資産は銀行の預金等に預け入れられますが、この多くが国債の購入に回されています。国の借金は国債などの発行によるものですが、それを銀行が引き受けます。しかしその銀行の金は貯金という個人金融資産なわけです。
個人金融資産である貯金→その資金で銀行が国債を引き受ける→国にお金が入りますがもちろんそれは借金
このような構図です。
仮に貯金のうち600兆円が国債購入に使われているならすでにその額の金は国債に活用されているわけです。ですから個人金融資産はこれを差し引けば900兆円ほどになり、個人も債務があるわけですからそれを500兆円とすれば、実質400兆円ほどしかし「活用」できないわけです。この額も貯金ですからいつ降ろして使う金かもわからない金です。
もちろん国は10年とかで国債を償還をするわけですが、例えば1%の利率で銀行に償還する。しかしゼロ金利時代ですから貯金への利息は100万円の預け入れで100円玉2個ほどでしょう。国の借金の利子は銀行の利益に消えてしまいます。
ここでおかしな現象が明らかになります。
600兆円ほどの個人金融資産は国債を支えているわけですが、この国の利子はほとんど個人金融資産の持ち主には回ってこない。しかしこの国の借金を返すのは個人金融資産の持ち主である国民です。
国に金を貸しているのにその国の借金を返すのは貸している本人。。。頭がおかしくなります。
このような状況でもあるにかかわらず、またしても追い打ちをかけるように個人金融資産の活用を言うなんで相当ひどい発言ではないでしょうか?
ではこの個人金融資産を活用しろとは何か?
そこで思い出す画の合同前の維新の会代表橋下市長の資産は使い切ってもらうことといった言葉です。(正確な言葉化も含めて記憶違いなら訂正します)金融資産の活用とは金融資産を庶民は使えという事ではないでしょうか?
今年金額の引き下げも言われ、生活保護費も問題化されていますし、社会保障の切り下げが進むのではないかと思います。そして公助から自助・共助へというのが流れです。その中で公助を減らして児・共助へという事は個人金融資産を使い切れという事でもあるのではないでしょうか?
これは中間層の老後や必要とする社会保障の貧困化ですし、それ以上に低所得王あるいは年金でも厚生年金や共済年金部分がない基礎年金部分でしか老後を支えなければならない方たちのさらなる貧困化です。その上自民党は2%程度のインフレを起こすといい、消費増税が決まっています。こう見ると個人金融資産を食いつぶすしかない(もともと食いつぶすしかないのですがその食いつぶす速度が加速されます)状態が作られ、まさに富裕層に都合の良い個人金融資産の活用となるでしょう。
もともと年金や社会保障に頼らない富裕層はこの個人金融資産の活用は生きるという意味においては関係のないものでしょう。株や金融商品に使えばいいわけです。
このような個人金融資産の活用などというよりも上に見たような「国に金を貸しているのにその国の借金を返すのは貸している本人」というような頭のおかしくなるような仕組みを改善すべきでしょう。国債をめぐる銀行などの仕組みも解決しないといけない。
このような個人金融資産の活用はあってはならないことです。そこで財政再建や社会保障のためにはどこにメスを入れるのか?
上に書いた銀行のぼろもうけの金はどこに消えているのか、企業の利益はどこに消えているのか、それと関連して最近は貿易も赤字になりましたが以前の黒字部分はどこに消えているのかを見なくてはいけないと思います。国の金融資産はすごい額だそうです。その金がどこから出ているかはよくわかりませんが、やはり銀行や企業の利益と無関係なところにあるとは思えないです。
国の金融資産を中心に企業利益にメスを入れるというのが解決策でしょう。
ここには絶対流用してはならない年金積立金などのような国民から預かっているような金もあるでしょうが、「使えない金」もあるでしょう。たとえばアメリカ国債とか。しかしこの「使えない金」も含めて国の財政を考えるべきです。

【2013年】ツイッターつぶやき
今国会は秘密保護法に集中したものとなっていましたが、国民生活の直結した法案もたくさん出されていました。それをまとめたのが今朝の朝日新聞朝刊ではないでしょうか。
「企業を後押しする財源を確保しようとした結果、個人に『負担増』がしわ寄せされた。」 (同朝刊1面より引用)
これが税制対抗の流れであり、アベノミクスが掲げる第三の矢としての成長戦略でしょう。
今後どのような経済政策が行われるのか。中身についてはよく読ませていただきます。
この企業救済と国民生活の低下についてそしてそこからどのような経済矛盾を生むかはこのブログでも書いてきましたが、ではなぜこのような経済矛盾を生み国民生活を犠牲にしてまで企業を救済せざるを得ないのかが問題でしょう。それは秘密保護法に見られる国民統治の問題としても政治矛盾を生み出します。
そしてこのような国民生活の低下と民主主義を低下させてまで得られるものは何なのでしょうか?
経済面を見てもこの間のアベノミクスと日銀による量的緩和が経済を好転させるものであったかを見れば、国家財政の赤字・貿易収支赤字化・経常収支の赤字化という三つ子の赤字を生み出してもいます。何よりも国民生活の低下や労働の不安定化はデフレからの脱却を押さえつけています。これは政府も認めて賃上げの必要性を言います。しかし賃下げ傾向がどのくらい改善されたかといえば不測は否めないでしょう。
この矛盾をさらに進めようとするのが今後の成長戦略でしょう。
経済矛盾と政治矛盾は深くかかわっています。経済矛盾が上部構造である政治矛盾を生み出します。これが相乗的に悪化をする動きが見えてきたのではないでしょうか。
これが自由主義の保守戦略なのでしょうか?何も日本だけではありませんが、先進国が同じような矛盾に陥れば一時的な自由主義経済は停滞をするでしょう。資本主義の最高段階としての社会民主主義の台頭は不可避です。

【2014年】ツイッターつぶやき
物価が騰がることが好況で、物価が下がることが不況だろうか?
「給与上がるも価格も上がり、実質賃金16か月マイナス続く | 経済指標・統計 - エコノミックニュース 」
原油価格が下がっている。このような外因の経済に及ぼす影響も大きい。同時に消費増税による価格転嫁も大きいでしょう。しかし根底に流れる物価高の要因は日本が輸入大国でもあるわけですから円安が大きいという事でしょう。
物価が騰がっても労働者の実質賃金が下がれば消費不況の原因となる。この実質賃金の低下は賃下げである。円高のころにも労働者の賃金は下がり続けた。どうにか物価安の中での賃下げですから実質賃金はある程度維持されたでしょう。
このように問題なのは円高のころも円安の今も労働者の賃金が下がり続けているという事である。
ここで明らかなのはこの労働者の賃金が過去も現在も下がり続けていることが日本が不況から抜け出せない原因ではないかという事である。
ですから物価高になっても好況にならず、物価が下がっても好況にならない。失われた10年とか、20年とか、30年に向かうとか、結局は不況が続いているのです。
ですから物価がどうのという問題ではなくて不況そのものを改善しなければならないという事である。しかしこの不況を克服するという点で、繰り返しになるがそれは物価を上げることではない。
安倍政権は名目賃金を上げようとしている。しかし物価などが上がれば実質賃金は下がる。この現象は明らかに企業利益の確保であり、それがアベノミクスの姿ではないか?
アベノミクスに対する経済政策は、今の経済矛盾から銘名目賃金はある程度上げることは許容されているわけですから物価を下げるアベノミクスに対する政策となる。このことにより名目賃金も上がり添えが実質賃金の上昇に結び付けられるでしょう。
物価を下げるには政府・日銀の円安誘導を止めることである。
労働力人口が減っている中で、その労働力の需給関係からそうは失業は増やせないでしょう。あとは不安定雇用の増加によるろう度形態の変化による賃下げを止めるだけである。同時にそれは不安定雇用者の大幅な賃上げでなければならない。円高はある程度小零細企業にも有利でしょう。社会保障費の削減は止めるべきです。
この中で貨幣の回転は早まるでしょう。
企業利益は確かに一時的に減少するかもしれないし、それは株安につながらでしょう。しかし資金が株【金融】に流れることを変えるだけなのです。だぶついた資金は貨幣の回転の中で生かされるでしょう。
結局はアベノミクスの流れを変更せざるを得ないのです。それが消費増税の2年延期という現象にもすでに現れているという事です。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
スパムのハッシュドポテト
じゃがいもは皮をむいてレンジでチン。
玉ねぎのみじん切りをバターで痛めて塩コショウ。
スバムは5ミリ角ぐらいに切っておきます。
じゃがいもをつぶしてその中に痛めた玉ねぎとスパムを入れてよく混ぜます。
あとは小麦粉をつけて強火でカリッと焼くだけです。
食べる時の味付けは、クレージーソルト、ケチャップ、ソースの3種類で食べました。
案外クレージーソルトがあっさりしてうまかったです。

【2017年】ツイッターつぶやき
以下、柳美里さんの「雨と夢のあとに」の感想の一部です。
この四十九日間は、現実の中で過ごした二人の時間と永遠の別れである死との中間に位置する時間である。この四十九日という時間を雨と朝晴はどのような思いでどのように過ごしたか。そして永遠の別れをどのように受け止めたらよいのか、その孤独を描く。
雨は、少しづつ朝晴の死を気づいていくが、雨も朝晴もそのことには触れずに49日を過ごす。雨にとっては、このような姿になった朝晴でもいいから永遠にそばにいてほしいと思っただろう。しかしいつか訪れる孤独を予感する。
愛する者の死をどのように受け止めればよいのか、いや、受け止めようのない死からの孤独と悲しみをどのように受け止めればよいのか。そのむごい思いを小学6年生の少女が味あうのである。
四十九日過ぎまでの幸せと悲しみと孤独。。。。

gooお題「あなたの今年の漢字は?」
僕個人にとっての漢字1字ではありませんが、僕個人の1字である色も社会の中で包まれてしまう。
今年の1字は「のり弁」と言われたものに象徴される『黒』ですね。。。。。
でも黒のもっと深いものは「闇」ですね。
ですから今年の漢字1字は『闇』。
国会の運営も黒く塗られてのり弁状態でした。そののり弁の黒は深く広く広がりを持ってきてそれは闇となりました。
報道の自由度が70何位に落ちたともいわれ、知る権利も狭められているのかもしれません。
それは闇です。
ぼうっとしている間にいつ戦争に巻き込まれるかわからなくなった日本。
すでに核兵器廃絶にも力を持てなくなりました。

【2018年】ツイッターつぶやき
毎年恒例の「今年の漢字」が発表されました。災難の「災(さい)」「災(わざわい)」だそうです。
安倍総理も今年の漢字を発表しましたが「転」だそうです。
安倍総理は「期待」によって選挙に勝ってきましたが、政治面だけを見れば
期待「転」じて災いとなる。。。。。
この6年間そして今後は勤労国民にとってはますます「痛み」のある改革(転)が進められるでしょう。
去年僕が選んだ漢字は「闇」でした。
やはり今年も引き続き闇の世界が広がりました。
しかし闇というのは光の世界を遮って生まれるものです。
闇の外側には光があります。
今年は安倍内閣のほころびが目立ちました。ある意味期待だけではない現実が国民に見えてきたということだと思います。それは闇のほころびから光が見えていたということです。もちろんこの闇のほころびをふさぎながら改憲まで突っ走るのでしょうが、その改憲のやり方はやはり数の力によるものでしょう。数の力の国会運営はどうだったでしょう?これもほころびが見えたということではないでしょうか。
水が漏れだした穴の開いたバケツではないですが、穴の開いた闇からは光が差し込みます。
その光をしっかりと見つめる必要がありますね。
ということで、僕の今年の漢字は「光」です。
本格的な冬になり東京は日差しがほとんどありません。東北や北海道は大雪だそうですね。
光る日差しの暖かさを。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
保育園で18名の保母さんや栄養士さんがパワハラなどに耐えきれなくなってみんなでやめてしまったらしい。この保育園にお子さんを預けている親の方もいろいろと感じていたようですね。
パワハラなどを保育園側は認めるようでもあいまいにしています。
18名同時にやめるというのは保育行政上良くないでしょう。もちろん保母さんたちに責任があるわけではなくて、パワハラなどずっと続けてきた保育園側に落ち度があるのかもしれません。こうやって18名の保母さんたちが辞めざるを得ないようなことを防ぐには、労働組合が必要でしょう。
労働組合があればストライキぐらいですむかもしれませんし、労使交渉で改善の道があるでしょう。保母さんたちも労働環境を変えるには労使交渉しか良い道はありません。
しかし今の日本社会は労働組合に対する意識性が低くなっていたり、企業側の労働組合への敵対心はひどい場合があります。また、労働者という立場から離れた市民として労働組合のストライキへの理解は低く昔からストライキ迷惑論がはびこっていました。もちろん政治も先日亡くなった中曽根さんが総理大臣のころ、国労をはじめとした三公社五現業の組合つぶしがありました。これを支援したのもマスコミであり「市民」でした。
日本は労働組合の必要性も捨ててしまいました。
しかし、今労働人口の減少から従業員を集めることの困難さが広がっています。しかし企業は労働組合がないですからやりたい放題で労働力を粗末にする。
こういう中で今回の18人の保母さんたちが一斉にやめzるを得ないということが起きてしまいます。
コンビニでも過酷な条件に対して不平不満が広がり、24時間営業も元旦営業も難しくなっていく。
労働力を粗末にすれば社会全体が疲弊していくことは明らかで、社会の混乱が進むでしょう。
日本は労働者の権利や労働組合について考えを改めるべきです。外国のストライキにニュースを見てしかめっ面したりしているのは日本ぐらいでしょう。あるいは外国のストライキをその国の矛盾としてみてその国を批判しますが、日本は批判すべきものがないのですか?ストライキもできない日本でどうするんでしょ。

【2020年】ツイッターつぶやき
中國新聞によると、広島県の新規感染者が二日続けて100人を超え、広島市が78人だったそうです。やはり県別にみても人が集中するところでは新規感染者数が急増しているようです。それも広島県の新規感染者数は東京に比べればだいぶ少ないように見えます。
しかし広島市の78人をとってみると、人口10万人当たりの新規感染者は東京の1.5倍にあたるそうです。
もちろんクラスタにより一時的に感染者が爆発することもありますので、このまま東京よりも深刻になるかどうかはわかりませんが、しかしクラスターが発生する過程で市中感染が広まっていたとも考えられます。
この10万人当たりの新規感染者数は都道府県別にまとめて公表されていませんが、この間の地方での新規感染者数の伸びを見るとかなり深刻になっているところがあるのかもしれません。
新穀というのは感染者数の増加はもちろんですが、医療崩壊も心配されます。病院数(病床数)はある程度人口に比例するでしょう。
Go Toは人の移動を促す効果があります。県を越えた移動の促進を国が言うわけですから県内や周辺県の人も大都市に集まります。観光客も観光地だけではなく大都市に集まります。
そうみると地方での感染拡大はGo toの影響も考えられます。
感染が収まるまで中止すべきです。経済もわかりますが、国がGo Toを中止しなくても人の移動は制限されていくでしょう。ですから国は思い切って中止すべきなんです。

【2021年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
先日このブログにも書いたようにバンクシーって誰?展を見に行きましたが、久しぶりに電車を乗り継いで出かけましたが帰ってきてぐったりとしてしまいました。
「田舎のネズミと町のネズミ」。。。。たしかに・・・・・
コロナ禍のせいではありませんが、どこかへ友人とという気力がなくなりました。のんびり一人か家族のでライブならいいけど。
「カラスたちは、ル音のまじった、甘えた声で鳴きかわしている。」
烏たちは甘いような鳴き声でねぐらに帰る。川上さんは「お酒など」という予定どおりに酒を飲みに。
でもよく考えればお酒などという予定も仕事の打合せ。

【2022年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記 フェースブックでつながる。が更新されました。
マッチョになれるワクチンも、コロナのワクチンも三カ月もすれば効果はなくなる。
川上さんもコロナ感染されていましたが、少し寒くなっても冷やし中華とスイカを元気に食べているようで一安心です。
僕も、もう真冬のような寒さの中、しろくまアイスをやめられずに炬燵の中で食べています。
コロナもまた復活してきていますから気をつけねばなりませんなぁ。。。。。
のびきった麵で作っておいしいのは昭和のナポリタンと伊勢うどんぐらいでしょう。。。。。。
のびていないパスタで作る焦がしケチャップナポリタンを教えてあげたい(笑)
こうして川上さんの東京日記をネットで読ませていただき思ったことをネットにあげられる。
同制度梅につながりではないが、ナポリタンでもつながれる。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
日銀が1月にはマイナス金利から抜け出すと?
理由が人手不足で賃金が上がるだろうということらしい。
賃金が上がれば経済も好循環に。
金利が上昇するのはインフレのような経済の好転が必要ですが、人手不足で賃金が上がるからというのはお先真っ暗です。賃金総額に変化はないかむしろ減少するかもしれない。
コメント
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「12月12日という日」

2024年12月12日 07時51分43秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
無とか無限を考えるときが遠くなる。
哲学や数学はこれを証明しようとする。
数学的には、無限にも大きさの違いがあるそうです。
整数は、1,2,3,4,5・・・・・・・・と、無限に大きい数字に向かう。
偶数だけを考えると、2,4,6,8,・・・と、無限に大きい整数に向かう。
√2のような無理数も無限に大きい数字に向かう。πもそうですがそれ自体が無限に広がる。
整数と偶数が無限に広がる中で偶数は整数の半分の広がりですからその無限には大きさが違うのでしょうか?
どちらかというと、無限の大きさというよりも、無限の中の密度の違いではないか?
無限には終わりはないが、はじめはあるのかもしれない。
車と車が衝突する。その過程では、あと10メートル、5めとる、1m……・1センチ、1ミリ・・・・・と、無限に小さな数字となるから車は衝突しないはずです。しかし現実には車は衝突する。小さな数字への無限は存在しないなら、無に等しいところから無限は広がる。とはいえ、無に近づくということは無限に小さな数字というものがある。無になるには小さくなっていく数次の密度が高くなっていくということなのかも。
無も無限もどこかで質的な大きな変化がないとだめなのでしょう。量的変化は質的変化に。。。。
頭がおかしくなります。
しかし、未来の人たちは、この無や無限を科学的に理解をして無限世界を自由に飛び回るのでしょう。

≪過去の記事≫

【2003年】
どうも車の調子が悪い。
時々エンジンが停止してしまいます。どこが悪いのか?まったく機械オンチの僕はわかりません。以前も同じ症状が出たのでメーカーの工場に持っていったのですが、メーカーに持っていくと、車は澄ました顔で?いつもと同じように調子よくエンジンを回している(笑)
今日も早めに帰ってメーカーに持って行こうと独り言を言ったら、買い物後には調子がよかったです。。。。ううう
ガッハッハッハ。。。。

【2004年】
寒い一日でした。久しぶりに妻と二人でお茶。何ヶ月ぶりだろ?
先日登呂遺跡見学に行ってきました。ずっと昔の記憶なのですが遺跡が発見されたときは大ニュースでした。今でも登呂遺跡といえば誰でもが知っていることでしょう。
公園のように整備され弥生時代の建物が復元されていました。隅のほうには博物館があり、これを楽しみにしていました。しかし、たしかに子供たちにとってはある程度の学習資料となるのですが、発掘されたものの展示もほとんどなく、なんとなく寂しい思いでした。
登呂遺跡!!=豊富な発掘品の展示
これが僕の想像だったのに。。。。
そういえばドライブに行ったときはよくその地方の博物館に行きますが、期待を裏切られるほうが多いです。建物自体はものすごく豪華なのに中身は寂しい。。。。
たぶん数億円の金を使って作ったのでしょうが、中に入るとどんよりしてしまいます。
もちろん素晴らしいところもありましたが。

【2005年】
「東京日記 卵一個ぶんのお祝い。」
            平凡社
            川上 弘美  著
「『東京日記』という題は、(中略)敬愛する内田百閒の同題の作品にも。とはいえ、百閒先生と並んでしまってはおこがましい気がして、表紙には『東京日記』という字は、小さく印刷しました。」
                      (「あとがき」より)
川上さんを通じて百閒を知ってからは、どうも川上さんの作品を読み終わると、百閒の作品を読みたくなる。逆に百閒を読んでからは川上さんの作品を読みたくなる。
というわけで、ちょっと寄り道をした後に百閒の「百鬼園日記」を読みはじめた。百閒の「東京日記」は持っていなかったので、同じ日記を読みはじめた。(百閒の「東京日記」は、さっそく岩波文庫で取り寄せることにした)
百閒といえば、漱石の弟子だが、今、津田清楓の「漱石と十弟子」という本を開いたら扉の挿絵に百閒がちんまりと右隅に鎮座している。挿絵の横には一人ひとりの名前が書いてあるが、そこには「百閒」ではなく「百鬼園(ひゃくきえん=ひゃっけん)」とあった。どうも百閒=百鬼園とは知らなかったので、漱石山房の人々の中での百閒を読み返したくなった。
百件は、漱石の「夢十夜」に影響されているようで、不思議な心の世界を書いている。そして川上さんも初期の作品においては心の世界という不思議さを書いている。また、百閒には、暗い世界の中にもユーモアを感じるが、これは「贋作吾輩は猫である」にも出ているのか?この人間の中にある思わず笑ってしまうような皮肉のあるユーモアは、川上さんの中にもあると思う。
その意味では日記は世の中の身の回りに起きる事々を書いているわけで、日常に何を見ているのかがわかるものである。その中に不思議さを見たりユーモアを見たりすることは、その作品にも表れるだろう。川上さんの「卵一個ぶんのお祝い。」はその点でも楽しく読める作品である。
百閒の「百鬼園日記」のはじめは、電車(今の都電)に乗ったら、向かいの席に貧相なばあ様が眼帯をして座っており、次の駅に着いたら、やはり同じように貧相なばあ様がやはり眼帯をして向かいの席に前の婆様と並んで座る。あまりな偶然に百閒は笑いたくなるのだがそれをこらえる。読んでいてこっちもニタニタしてしまうような風景である。偶然にも川上さんの日記も百閒が乗った飯田橋を通る都電と同じ界隈を走るたぶん中央線から総武線に乗り入れる黄色い電車の中だろうと思われる電車の中の風景である。「『大福おじさん』を見た。」ではじまる。
姿勢良く立ち大福を6個食い十六茶を飲み干したら次の駅で降りていったというのである。これもまた読んでいるこっちもニタニタしてしまうような風景である。
百閒が30歳を迎えようとした大正6年という時代も、川上さんが見た平成の世も、人の棲息する世界にはそうは違いがないのである。漱石は「人は喜劇を演じる」という。この言葉には重みがあるが、あくせくとした中に人は様々な喜劇を演じ、この2人の日記に現れるようなニタニタしてしまうような風景をも演じるのである。
2人の共通項に俳句というものもあるが、その俳諧趣味というのか、日常に起こるちょっとした風景に動かされる自分の心をさらっと書き表す楽しさを読むことができるだろう。
この日記の題名である「卵一個ぶんのお祝い」とは、引越し先のアパート(仕事場)が決まったので、納豆に卵を一つ落として食ったというだけのことである。
ここに俳諧趣味を見ないだろうか?
川上さんは、やはり「あとがき」の中で次のように書いている。
「以前『椰子・椰子』という、嘘日記の本をだしたことがありました。本書は、本当日記です。少なくとも、五分の四くらいは、ほんとうです。普通に生活していても、けっこう妙なことがおこるものだなあと、読み返しながら、なつかしく思いだしております。」
たしかに五分の一ぐらいは、「椰子・椰子」の不思議な世界がある。
五分の四は、日常の生活の中にあったほんとの話を書き連ねるが、この五分の一は、そこに心の動きを新たに書き表すためのものだろうと思う。
この川上さんの心の動きは、「妙なこと」への微笑であったり、いらいらであったり寂しさだったりほんの少しの幸せだったりする。読み終わるといつの間にか後方へ流れ去っていく今という時間の中にある物事がよくよく見れば妙なものだと思えてくる。ようは、日常の中に現れる自分自身の心の動きが大切なのである。
百閒の「百鬼園日記」もこの点では優れている。
優れた日記というのは、作家の書く日記というのは、日常のほんとの出来事が四分で、そこにそのほんとうのことに一分の魂を吹き込めるかにあるのだろう。それは解説を書くことではない。長く書けばよいというものでもない。一分の嘘を書くことに難しさがあるのである。
俳句の作り方に、嘘は許されるかというものを読んだことがある。これは、江國香織さんがインタビューのときに「小説に書かれていることはほんとの体験ですか?」というようなことを聞かれ、そんなことを聞くような記者はバカみたいだと一笑している。銀色夏生さんの日記「つれづれノート」を「嘘を書いている」といった夫に対しての夏生さんの態度。川上さんも同じようなことを書いていたと記憶しているが、公開されている日記は、その作家にとってはひとつの作品である。作品であるならば一分の嘘日記という心の動きを表現されていなくてはならない。だからこそ読者の心に結びつくのだろう。

あまり日差しが良くなかったのですが一応布団を干しました。
5時少し前、西の空の夕焼けがきれいでした。
また痛ましい事件があった。
塾の講師が小学生の女の子を殺したという。この講師にはいろいろと問題があったと報道されているが、どうも幼児性のあるキレルのが早やいような人だったらしい。ご両親は残念でしょう。
しかし、今の世の中少子化で塾も子供を集めるのに大変らしい。この中で、もし塾が子供をお客さんとしてちやほやしているならこれも問題である。以前ファーストフード店で、二十歳前後の女性が小学生の子供に「いらっしゃいませ!ご注文はお決まりですか」と敬語を使っていが、こういうやり方が塾にももしあるとすれば、塾の講師のストレスはそうとうなもんだろう。
子供は大切にしなければならないというのは真理だが、小学生からして将来は立派な悪になるだろうという子供がうろうろしている。悪といっても犯罪予備軍というだけではなくて大人の弱みに付け入るような悪でもある。影でいじめをしている良い子とか。
こう書くと、すぐに勘違いをして愛の鉄拳は必要とか、変な精神論を説くことがありえるが、そうではなくて、金中心のあまりにもひどい世の中になって大人が子供に対して自身をもてなくなっていることが問題である。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(3)では、労働の生産性は同じ労働力量に対してより多くの商品を生産し時には過剰生産というものも生み出し、もしくは労働の生産性が高まる中でその商品量を同じにしたとするならばそこに必要な労働力量は過剰になり時には失業を生み出すと書きました。
もちろん市場における好景気時はその商品の消費量は個人消費という形でより多く消費をされ同時に設備投資という中での消費も盛んになります。しかしこの好景気にも個人消費には限度があり、設備投資をされた不変資本は最終的には大衆消費財として個人消費のための商品に価値移転されるわけですからこの設備投資という消費も限界になる。やはりこの帰結の中に過剰生産と失業はすでに内包しているわけです。
常に過剰生産傾向と失業傾向は生産性の向上の中において必然性を含んでいます。
このように一つの矛盾を引き起こす生産性の向上がなぜ急速にすすむのでしょうか?
よく言われるのは生産性の向上はあたらいい商品をよりやすく生産をして国民生活を豊かにすることが目的であり、だからこそ人々は生産性の向上に取り組んでいくのだと。しかしこれは動機と結果が逆転した結果論にほかなりません。労働自体は生活を豊かにすることは間違いはないので、人々が労働することからこそ国民は豊かになるわけです。ここでは新しい機能性に優れた商品を生み出すといったようなことは、何も生産性の向上に関係なく生まれていきます。ただ安い商品を作り出すことが動機なわけです。これが動機ですから安い商品を市場に流通させることが生産性向上の原動力なわけです。目的なわけです。この目的と結果は一致するとは限りません。国民生活を豊かにするというものは直接の目的ではないからある場合にはこれが結果として出てくることは限らないのです。ここに過剰生産と失業という結果が同時に出てくるし、労働の生産性の向上が一つの矛盾として現れます。
生産性の向上というその動機と目的は商品価値を下げるということです。そしてそれは競争に支配されいます。この競争はより多くの利潤獲得と生き残りの競争です。これが生産性を急速に推し進める原動力です。
より多くの利潤の獲得といった場合、市場の中で見えやすいという点では、ある商品の中である企業が作る商品の性能や機能性そしてデザインなどといったもので売り上げに変化がおきます。しかしこれらの付加価値はその商品の使用価値の高まりによるもので価値自体が高くなったわけではない。同じ労働力を消費した商品は使用価値を高めることはあっても価値は高めない。今年爆発的な売り上げをした自動車は、他の企業が同じものを売り出すと価格が下がった。価格が下がったというのは、価値が下がったというのではなくて使用価値が特別なものであったがそれが特別なものでなくなったからの価格下落で、その自動車の価格が価値に近づいたということです。自動車産業全体の同じグレードの車はその価値によって価格が決まるというのが基本で、長い市場の流れの中に価値は基本的なものであることは経験としても見ることができるでしょう。
商品はどのぐらいの労働力量を消費したかでその価値は決まる。そして労働力を消費している過程である労働が商品という形を形成したり他にはない上のような付加価値もつける中に使用価値を形付けるという労働価値説から商品をよりやすく生産をし、利潤を高めるという中の競走を見なくてはいけない。

一昨日の「自然水中(2)」では賃金高や雇用者数との関係から利潤率への影響が語られているといった中身について書きましたが、利潤率は労働力を買う場合にもその価値によって買うわけですから他の原材料を買うのと同じで利潤を得るには価値通りの値段で買ってそれを消費して商品をつくる中で得られるものです。今は労働力も買いたたかれて安く雇用売ることが企業の利益だといった謝ったものがはびこるようになってしまいました。しかし利潤率の一定化と商品価値(市場での価格)は下がるのが法則だといった視点で考えるべきかと思います。
以下、以前書いたものの再録ですが、長いのであくまでも自分自身のおさらいとしてこちらに乗せます。(まとまらずにわかりにくいです。自分でイライラする(笑))

「労働の生産性の向上は商品の価格を下げる。社会的合理性は賃金を下げる。
これはデフレと勘違いをされますが、社会的な経済政策の変更によっては社会の発展となるわけです。
そこにはもう少しなぜ商品価格は下がる傾向になるのか、賃金はなぜ下がる傾向になるのかを見なくてはならない。 」
と書きました。
ある商品を生産するには生産手段と労働力が結びつかねばなりません。企業は生産手段と労働力を買うわけですが、それは生産手段を買うための不変資本と労働力を買うための可変資本を投資します。ここでは生産手段も労働力もその価値どうりに支払われます。
労働の生産性が高まるというのは、より少ない労働力でより多くの商品を生産することにあります。そのために機械化は進み生産システムは合理化されます。例えば、ある企業が今までは1000人の労働力を使って年間10万個の商品を作っていたとします。この中で生産性が高まり、極端な数字ですが、年間20万個の商品を生産できるようになったとします。すると可変し本領資本量は変化しませんが不変資本は新たな工場や機械を導入したり原材料も2倍になるわけですから可変資本に対して不変資本は大きくなります。または市場を見て20万個の商品は過剰という見通しを立て今までのように10万個の商品を生産するとなると必要な労働力は500人と半減をします。
ここで何がおきるかといえばこのような労働の生産性の向上は不変資本に対する可変資本量の変化として現れます。この変化は生産のための不変資本と可変資本の有機的組成を変化させます。
この企業は市場に倍の20万個の商品を出すか、同じ10万個の商品を出して500人首を切るかを選択するわけです。
このような中で何がおきるかといえば、上の企業と同じ商品を生産する産業があるわけですが、その産業全体で同じことが行われるわけですから、市場にはあふれるような商品が投げ出されるか、その産業内においての労働力の削減が行われるわけです。商品の過剰生産か失業が不可避的になります。そしてこの生産性の向上は、国内、現在では全世界において行われ、資本主義生産は過剰生産と失業という矛盾を引き起こさざるを得ません。
次はこの矛盾を引き起こす原動力となるものが何かをみなければなりません。
労働の生産性は同じ労働力量に対してより多くの商品を生産し時には過剰生産というものも生み出し、もしくは労働の生産性が高まる中でその商品量を同じにしたとするならばそこに必要な労働力量は過剰になり時には失業を生み出すと書きました。
もちろん市場における好景気時はその商品の消費量は個人消費という形でより多く消費をされ同時に設備投資という中での消費も盛んになります。しかしこの好景気にも個人消費には限度があり、設備投資をされた不変資本は最終的には大衆消費財として個人消費のための商品に価値移転されるわけですからこの設備投資という消費も限界になる。やはりこの帰結の中に過剰生産と失業はすでに内包しているわけです。
常に過剰生産傾向と失業傾向は生産性の向上の中において必然性を含んでいます。
このように一つの矛盾を引き起こす生産性の向上がなぜ急速にすすむのでしょうか?
よく言われるのは生産性の向上はあたらいい商品をよりやすく生産をして国民生活を豊かにすることが目的であり、だからこそ人々は生産性の向上に取り組んでいくのだと。しかしこれは動機と結果が逆転した結果論にほかなりません。労働自体は生活を豊かにすることは間違いはないので、人々が労働することからこそ国民は豊かになるわけです。ここでは新しい機能性に優れた商品を生み出すといったようなことは、何も生産性の向上に関係なく生まれていきます。ただ安い商品を作り出すことが動機なわけです。これが動機ですから安い商品を市場に流通させることが生産性向上の原動力なわけです。目的なわけです。この目的と結果は一致するとは限りません。国民生活を豊かにするというものは直接の目的ではないからある場合にはこれが結果として出てくることは限らないのです。ここに過剰生産と失業という結果が同時に出てくるし、労働の生産性の向上が一つの矛盾として現れます。
生産性の向上というその動機と目的は商品価値を下げるということです。そしてそれは競争に支配されいます。この競争はより多くの利潤獲得と生き残りの競争です。これが生産性を急速に推し進める原動力です。
より多くの利潤の獲得といった場合、市場の中で見えやすいという点では、ある商品の中である企業が作る商品の性能や機能性そしてデザインなどといったもので売り上げに変化がおきます。しかしこれらの付加価値はその商品の使用価値の高まりによるもので価値自体が高くなったわけではない。同じ労働力を消費した商品は使用価値を高めることはあっても価値は高めない。今年爆発的な売り上げをした自動車は、他の企業が同じものを売り出すと価格が下がった。価格が下がったというのは、価値が下がったというのではなくて使用価値が特別なものであったがそれが特別なものでなくなったからの価格下落で、その自動車の価格が価値に近づいたということです。自動車産業全体の同じグレードの車はその価値によって価格が決まるというのが基本で、長い市場の流れの中に価値は基本的なものであることは経験としても見ることができるでしょう。
商品はどのぐらいの労働力量を消費したかでその価値は決まる。そして労働力を消費している過程である労働が商品という形を形成したり他にはない上のような付加価値もつける中に使用価値を形付けるという労働価値説から商品をよりやすく生産をし、利潤を高めるという中の競走を見なくてはいけない。

ある商品をつくる産業内にABCという3社があったとする。この3社は生産性の違いがある。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
少し極端な数字ですがその生産性の違いをわかりやすくしておきます。
上の生産性は労働力を「100人あたり」としての比率であり、3社にはとうぜん生産規模は異なります。また、商品のデザインなどという使用価値はここでは考えずにその商品の価値はどのくらいの労働力を必要としたかの労働価値説としてその生産性を考えます。そしてその労働力は価値どおりに買われ賃金として支払われ3社共に同じ額とします。
この3社で生産された商品が市場に出ます。
一つひとつの商品の価値は市場価格として現れます。当然にA社の商品は市場において高くなり、C社の商品は安くなります。B社の商品が平均的な価格となります。各社の生産規模の違いなどもあり市場の中での商品量の中で市場価格がB社が生産した商品の価格に一致したと過程をします。それを仮に10万個の商品の価格を100億円とします。
するとどういうことがおきるかといえば、100人あたりの労働力としては、A社は同じ労働力を使ったにもかかわらず5万個の商品50億円の売り上げしかありません。それに比べてC社は15万個150億円の売り上げが出るわけです。同じ労働力量を使ってもその売り上げに大きな差が出ます。平均的なB社は10万個の商品で100億円の売り上げがありますが、この平均的なB社を基準に見ると、A社は生産性が極端に低く、C社はそうとう高い生産性となります。
各社の商品の価値は市場の中で平均的な価値に落ち着きそのある商品の価値を決定する。するとA社の利潤は低く、C社の利潤は高くなり、B社が平均的となります。しかしここで注意をしなくてはいけないのは、生産性が低いとはいえA社はけっして「赤字」ではない。ただ会社としての利潤が低いだけであり、労働者には何の責任もないし賃下げ理由にはならないことは後の議論には必要となります。
同じ労働力を消費しながらも市場においての利潤が異なる。一つひとつの商品価値は、C社は低いにもかかわらず平均的なB社と市場では同じ価格として売れる。この平均的な価値と本来の価値との差額を特別な剰余価値としてC社は手に入れるわけです。
この中においてA社はもちろんB社もC社と同じ生産性に高めようとします。C社は今以上に生産性を高めようとします。利潤追求のために。。。。
これが資本主義的競争なわけであり、商品をより安く大量に生産していくという原動力なわけです。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
というひとつの産業内のこの3社を別の角度から見ることにする。
A社は、不変資本(設備や原材料など)と可変資本(労働力を買うための賃金)に投資をして生産を行うわけですが、100人あたりという労働力が5万個という商品量に価値移転させる不変資本量は少ない。一方C社は同じ100人あたりの労働力が15万個の商品を生産するために不変資本量は多くなる。すると100人あたりの労働力への賃金である可変資本量は同じでも不変資本量は大きな違いを見せる。同じ可変資本量に対して不変資本量が大きくなる割合として資本の有機的な組成が高くなるわけですが、これは企業活動から見ると一つの生産拡大となります。
また、C社は圧倒的にその商品価値を安く生産できるわけですから(5)で診たように平均的な市場での価値(価格)で商品を売らなくても値下げをして市場での独占化を行うことができます。独占化はより多く生産された商品を売りさばくことにも有効なわけですから、商品を値引きしたとしてもそれは利潤の拡大となります。この独占化傾向は、C社がもう一つ同じような工場をつくる動機ともなります。ここに生産拡大というものが強くなります。
(5)でも書いたようにAB両社もこれに追いつけ追い越せと生産性を上げながら生産拡大を行います。
商品がより多く生産される拡大再生産されるというものは資本主義経済法則の一つの現れです。
ちなみにこの生産拡大によるより多く市場に出された商品価値(価格)はどうなるかというと、100人あたりの生産性の拡大の中では、その生産拡大は不変資本量の増加という形で現れることを上に書きましたし、C社がもう一つ工場を作り新たな100人という労働力を増やしたとしても100人あたりというものには変わりはなく資本の有機的な組成は変化しません。労働の過程の中により多くの不変資本が新たな商品に価値移転(機械の減価償却や原材料の消費など)されるわけですが、この不変資本は価値移転されるだけであり新たな価値を生み出すものではありません。新たな価値を生み出すのは、不変資本を商品という形に価値移転させる過程においての労働力量にほかなりません。ですから商品の価値は、不変資本量がどのくらい価値移転されたかというものにプラスされて労働過程でどのくらいの労働力量が消費されたかにあり、新たな価値創造として残るのは労働力の消費という形での価値の増加という商品価値となります。
C社が以前はB社と同じ生産性にあり、生産性の工場により現在の生産性に高まったと過程をしてみると、以前は100人の労働力量で10万個の商品を生産していたのですが、今は15万個になった。しかし商品に新たな価値としてプラスされたのは同じ100人の労働力なわけですから、以前の10万個の商品価値と現在の15万個の商品価値は同じとなります。これを一つあたりの商品価値としてみると、一つあたりの商品価値は以前より価値を減らしたということになり、市場における商品価値はsがっていく傾向を示します。価値どおりに売られれば商品は相当安くなります。
この商品の価値の低下による低価格化葉もまた資本主義的生産の法則性となります。これで資本主義の市場においての商品の低価格化と商品量の爆発的な生産拡大が資本主義的経済法則の必然であり法則性だということがいえると思います。
ではこの資本主義的生産がどのような帰結をもたらすのかということになります。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
(6)でも触れましたが、この労働の生産性の違いから生じる商品の市場価格がその価値からはなれて平均の価格形成としての特別な剰余価値を与える中での各社の利潤率はC社が一番高くA社が一番低くなる事を見ました。そしてここに資本主義的競争の原動力がある事を見ました。
この中でA社はもちろんB者もその生産性を向上させようとします。そしてC社と並ぶ生産性を得たと仮定します(C社の生産性は現在のある限界内にあり停滞するとします)。するとこのある商品を生産する産業内には平均な利潤が確定します。各社はそれぞれ100人当たり15万個の商品を生産することができるのですから、この産業をX産業とすれば
X産業は100人あたりの生産性は45万個
となります。
仮に10年前のX産業の生産性は低くてA社並みだったとすれば、X産業はこの10年で同じ労働力量(100人あたり)での商品の生産数が15万個から45万個の増加したこととなります。10年前と現在でも不変資本量と可変し本領の投資される資本は同じとすれば、それを分母として商品の総(100人あたりの労働力に対してですが)売上を分子にした場合、ある利潤率が決まります(追記:分子分母反対だったかな?)。しかしこの生産性の違いにより何が異なるかといえば、生産された商品量にあります。ある一定の利潤を得るには、10年前は15万個生産をしていたが今では45万個を生産している。そうすると商品1個あたりを見るとその価格は3分の1になります。X産業では同じ利潤を得るのにより多くの商品を市場に出さねばならなくなったということです。
同時に特別な剰余価値を得られなくなっているわけですから市場価格は価値に一致してきます。
資本主義生産とその資本主義的競争がもたらす一つの帰結は、市場における商品量の増加と一つあたりの商品の価格は価値に一致をして低下するということです。
これは資本主義生産の無政府性として現れざるを得ません。
X産業では、より多くの利潤を求めようとすれば工場の新設や市場の独占化のために各社の潰しあいに頼らざるを得なくなります。これがまた資本主義競争として行われるようになります。そしてまたこの工場の新設の競争がさらに市場に送る商品量の増加とも結びつくことが起こります。しかしここでは先にも書いたように特別な剰余価値を得られなくなっていますから、企業の利潤率は上がりません。生産性の向上のない中に工場の新設だけでは利潤額は上がるが利潤率は高まらない。ここに企業あるいはX産業そのものにまず停滞感が現れます。
一方商品量は市場の中により多く出されるわけですしその商品量は無政府性の中にあり一度過剰感が出てくると各社の中では値下げ競争もはじまります。値下げといっても赤字になるわけではないが、利潤低下であると同時に剰余価値率の低下として現れ始めて企業の停滞感はさらに深まります。
その産業では株価が下落をして資金が他の産業に流れていくでしょう。今資本をより吸収する産業の育成とか言われていますが、それはこのことからはじまる一つの帰結菜わけです。
しかし以上のような現象が他の産業にも波及をしていくならば、一つの社会そのものが不況という形をとり始めます。

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
拝啓 川上弘美様
東京日記を拝読いたしました。
「洗練された外国的行為」のご様子頼もしく思いました。
僕は外国といったところは新婚旅行のハワイ一度しかありません。
あのチップというものはプレッシャーになるものですね。
ガイドブックを見て相場はいくらかと勉強していったのですが、
やはりその相場を計算すると端数が出る。
その端数まで枕の下に置けばいいのかと置いてしまいました。
日本円で言えば1円玉まで置くようなものですなぁ。。。。。
あのストレスは一生忘れないことでしょう。。。。。
あれ以来外国は恐ろしくなっていかないことにしました。
「洗練された外国的行為」に尊敬をいたします。
そしてその「洗練された外国的行為」の最後は。。。。
あれを置いてくればいいのですね。。。。。
            敬具

しばらくこちらを書けないでいました。
変なオヤジからのお手紙風はご迷惑かと思ったりもしましたが、そこは開き直ってまた書かせていただきます。

【2013年】ツイッターつぶやき
秘密保護法の強行可決に特徴的に見られる政府と国民意識の乖離は、政府と国民の断絶にまで進む危険性がある。
「ねじれの解消=数の力」という保守二大政党制の矛盾が今の与党に色濃く出ている。政治哲学の欠如である。
秘密保護法でも今後国民の理解を得ていくとし、経済面でのアベノミクスも賃上げや雇用の改善をすると期待を持たせるだけである。しかし一連の石破発言や国会内討論を見ても秘密保護法の拡大解釈がどこまでもできてしまうという器具を国民に与えているし、アベノミクスも一部輸出企業(大企業)のボーナスの増加はあるものの賃下げはとまらずに不安定雇用の増大に向かっている。そして税制や予算面での国民生活の低下を引き起こしている。
すべて今の政府が行っている政策は、数の力による国民統制に向かっている。国は国民の声を聞く耳を持たず、国民は政府と討論ができない国家は、まさに政府と国民の断絶である。
この断絶の中に国と国民を結びつける接着剤として出てきたのが「国を愛する」ことという第一次安倍内閣の二番煎じである。そこには「政府は国民を愛する」ことという意識はない。国民は自由や民主主義の低下そして日常の生活低下の中にも「国を愛せよ」とするだけである。まさに国民生活の安定や自由や平等という民主主義を発展させる中で国民は国を愛するということとは逆立ちをした論理である。
この逆立ちは経済理論にもあり、経済の建て直しは今までの低賃金化や雇用の不安定性の中での企業利益の拡大という経済政策の誤りを捨てることにあるのだが、国民生活の低下に加えて円安誘導による物価高をデフレの解消とする。
逆立ちをした論理が数の力として行われ続ければ社会もまた逆立ちをした社会となり経済法則は国が定めるものという統制経済と向かうでしょう。
それは自由主義・資本主義の経済からの離反でしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
窮乏化というのは単なる貧困化を言うばかりではなくて、資本主義の生産様式の発展の中で労働者の状態が悪化していくことです。単なる貧困化といった場合は、たとえば資本主義が発展していく中で科学技術の発展から国民生活は昔の国民よりも豊かになっていますから、この意味では単なる貧困化はない。窮乏化は窮乏化作用であり、その時代時代において国民生活を低下させようとする作用が働くという事です。
昨日次のように書きました。

資本主義の発展は、それは経済発展でもあるが、生産性の向上と科学技術の発展との螺旋的発展である。この間このブログでも繰り返し書いてきたがこの生産性の向上と科学技術の発達は互いに作用しながら商品価値を下げていくというところにその特徴がある。価格ではなくて価値を低下するという事である。商品価値の低下はその商品をより多くの国民に配分する条件である。それは国民生活を豊かにするだろう。
しかしこの生産性の向上はもう一つの作用がある。労働力の節約である。労働力の節約があるからこそ商品価値は下がるのであるから。この労働力の節約はこれかで失業者を作り出すものであった。しかし本来は労働力の節約は労働時間の短縮としてあらわさねばならなかったのである。労働時間の短縮は国民生活を豊かにするだろう。
そして貨幣量の問題がある。成長には貨幣量の増大だけが必要だろうか?それは間違いで、貨幣量の増大を必要とする前に癌時点の貨幣量をどう回転速度を速めるかを考えねばならないのである。国民・企業・国家へと貨幣がどう早く循環をするかである。血液のようなものである臓器に血液が不足していても輸血をして増やせばいいというものではなく、増やしてもその臓器に血液がなぜ回らないかを解決しなければ何の解決にもならない。血液量は足りているのだからどう循環を速めてその臓器に回すかなのである。血液量が国民生活という臓器に足りなければそこに血液を回すことが必要である。一定の必要な貨幣量は国民生活を豊かにするだろう。同時に循環を速めれば血液量は少なくて済むだろう。
賃金は労働力の再生産費=生活費である。
諸商品の価値が低下するならば生活費は少なくて済む。そこでそうは大きな賃上げをせずに済むようになるだろう。
国家に金が回りその金が所得の再配分としての社会保障に廻れば国民はそうは貯金をせずに済む。
医療費や教育等などに国の金が回れば国民の生活費はさらに減るだろう。

資本主義の発展は本来国民生活を豊かにする作用を内包しているのですが、しかし資本主義はその内包する法則を無視をして利潤追求に走る。
物価の下落はデフレ不況を招き、社会には失業者や不安定雇用者が増えそれをもとに労働者の賃金が下落をしていく。
このような現実の資本主義経済が国民に与える現象すべてが窮乏化作用といわれる。
今の日本で起きている様々な国民生活の低下という矛盾を言い表すといってよいでしょう。
なぜ単なる窮乏化という言葉ではなくて窮乏化作用という言葉なのか?
窮乏化については上気しましたが、常にその窮乏化は国民生活に襲い掛かるといった意味で窮乏化作用なのですが、しかし国民も窮乏化を受け入れるだけではないでしょう。日本でも55年体制というものがありましたが、急病化に対する国民側からの改良の要求が起こります。この改良によって窮乏化は一定食い止められますし緩和をします。ですから窮乏化は絶対的ではないのです。改良によって豊かさにかえることができます。しかしもう55年体制の復活だけを言うのではなくて、資本主義の最高段階としての社会民主主義を作らねばならないでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
軽減税率では自民公明間で食品のどこまでを当てはめるかでもめていた。しかしここにきて自民党が公明党案を上回る案を出してきて合意をしたという。
そこで問題として取り上げられたのが軽減税率実施に伴うその財源である。
なぜこのような財源が問題となるのか?
財源とは国家予算を上回って生じた税の必要性が出た場合に問題となるべきものでしょう。しかし軽減税率は、簡単に見れば、2%の増税を1%にしましょうというものでしかないのです。それでも増税で1%は税収は増えるのです。その1%多くなった税収を社会保障に使えばいいのです。
増税が半分になったから社会保障の削減は詭弁でしょう。
消費増税は社会保障に使うことが原則です。国民は増税分が前年度の実績にプラスされると思っていたのですが、そうではなくて社会保障費は消費増税で賄うということなのです。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
海は荒れ
空は黒い雲が渦を巻く
大きな白波が
打ち寄せる大岩に
老人が二人座っていた
一人は目を落とし
一人は見上げている
次の大きな波で消えていった

【2018年】ツイッターつぶやき
熊蟄穴(くまあなにこもる)
12月12日は七十二候では「熊蟄穴(くまあなにこもる)」に当たるそうです。
先週は暑いくらいの気候でしたが、今週になりだいぶ寒くなりました。
朝、ごみを出しに行ったら息が少し白くなっていました。
今年は暖冬かなと思いましたが、もしかして厳冬かな?
熊も穴にこもって冬眠だそうですが、毎年冬になると僕も冬眠をしたくなります。
家事もやらねばならないことはありますので少しは動きますし、買い物ぐらいも行かなければならない。暇な時間になると炬燵に潜り込んでいます。昼飯後はこたつで冬眠、いや昼寝。
気持ちいいですなぁ。。。。。。
寒いのは仕方ないのですが、晴れ間がないというのは嫌ですね。あと日が短いと伊野はいうのはすごく気がめいります。
冬至まであと10日。
日が長くなるという気持ちだけで楽になります。
あとはクリスマスで、紅白観て正月ですからなぁ。

【2019年】ツイッターつぶやき
今夜は満月です。
十五夜の月とかその季節ごとの満月はありますが、12月の満月が好きです。
冬がはじまり寒い中で昼の長さが短くなっていくしょつ初冬は苦手ですが、冬至も近づくころの月は早くから登り始めて登り始める月は大きい。
毎年月が見えるとしばらく寒さを忘れて眺めてしまいます。
だいぶ高く登ると冬の星座も見えてさらに美しい。

露出が悪いけど金冠の月。。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
僕がPCR検査を受けに行ったと仮定する。
検査結果は陰性で一安心。しかし一歩外に出た瞬間電車の中や飲食店で感染するかもしれない。
すると陰性だといわれても現実は感染していつ陽性になるかわからないので先の検査は何だったのかとなる。
こうなるとPCR検査なんて無意味だと感じてしまうかもしれません。
でも、ここにはなぜ検査を受けるのか?が抜けています。
風邪ひいたかな?でもコロナも心配。うわっ、陽性。
このどこに検査不用の理屈があるんでしょ?
無症状者も同じですが、検査を受けて陰性なら他の人にうつすことはまずない。検査多くやればやるほど感染拡大防止になりますね。
一人の人単位で考えると変な論理になります。数万数十万単位の人の集団で見れば、多くの検査により多くの陽性者を隔離して多くの陰性者は社会活動する。すると一人単位の人も次の瞬間感染する可能性が減ります。この繰り返しが検査の有効性です。
検査で陰性になっても次の瞬間感染する可能性があるとして検査不用を言うなら社会全体で陽性者が増えていく可能性が増加するだけです。すると次の瞬間感染する可能性自体も増加していくだけ。検査不用という人もその感染確率が増加する。

【2021年】ツイッターつぶやき
アメリカのインフレが加速しそうだそうです。
アメリカの中央銀行が引き締めに走ればドル高円安が進みます。為替も115円に?
居間今でも円安のために輸入品の値上げが激しいですが、さらに円安が進めばあらゆる商品製造に影響が出て値上げにならざるを得ないという。
インフレというのは労働者の賃金も上がり消費も過熱するから需要増のためにインフレになるのですが、アメリカもこのような経済の過熱によるインフレが起きているのでしょうか?
物価が上がれば消費が減少するでしょう。今現在でも個人消費は減少傾向にあるのですから一気に景気は冷え込みます。金融資本主義は株価や企業の利益のためにあり国民生活から乖離した経済対策でした。その経済が冷え込む。冷たいバブルの崩壊です。

【2022年】ツイッターつぶやき
中国はこれまで数人の感染者が出ただけで都市を封鎖するほどの強い感染拡大防止策を取ってきたが、若い人たちを中心に社会的規制を緩める訴えが出たり、西側諸国からも中国の経済への不信が出され中国政府も社会的規制を緩めた。
しかしこのため感染拡大傾向が現れ検査を希望する人々が病院に列をなしているらしい。
このまま感染拡大が広がれば企業活動も止まるのではといわれている。
現地日本企業が中国の社会規制が強すぎるとしていたが、結局は感染が拡大すれば企業活動も止まる。

【2023年】ツイッターつぶやき
今年の漢字は「税」だそうですね。
悪性の物価高の中で消費税により税収は増えているそうです。
子育て支援で5万円程度の減税をし、無税世帯にはそれに見合うバラマキをするそうですが、一方では防衛費増による増税が待っています。
岸田さんの今年の漢字は「克」だそうです。
来年も賃上げをして以下の経済状態を克服するからだそうです。
去年もある程度の賃上げがありましたが、消費税で多くの納税をさせられましたし、社会保障費負担も。
賃上げがあっても国に吸い取られます。収奪は拡大する。
来年も賃上げをと言いますが、防衛費増による増税が待っているでしょうし、たばこ増税もあります。
また賃上げ分は国に吸い取られるでしょう。今年の漢字を「克」として来年のことを語れば鬼が笑う。国民は苦笑いしかない。
コメント
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「12月11日という日」

2024年12月11日 07時57分53秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
魚も肉も値上げで大変です。
飼料の値上がりなどにより国産肉はもちろんですが、輸入肉も円安のためにそうは安いというわけでもない。
たまにはステーキも食いたいと思うのですが、スーパーで売っているお手頃の牛肉は、そのお手頃の値段が値上がりしていますし、固い肉しか買えません。
スーパーに行ったらマトン肉が置いてありました。たぶんニュージーランド産かと思いますが、牛肉よりもだいぶ安いので買ってきました。
ちょうどステーキにするのにちょうどよい大きさで案外分厚い肉でした。
仲が少しピンク色ぐらいに焼きましたが、牛肉に比べると柔らかいし、独特な匂いもなく柔らかくておいしかったです。マトンはヘルシーだとも言われていますからしばらくはマトン肉を食うようになるかも

≪過去の記事≫

【2003年】
ううう。。。寒い
冷たい雨です。
買い物に行こうとしたら傘が1本もない・・・ううう。。。。
スーパーで傘を買おうと思い売り場に行ったら、ビニール傘ではない傘が1本400円!!
これは安いと思い4本買ってきました。
そういえば、だいぶ前ですが、やはりビニールの傘ではない傘が1本500円でしたので買ったら、大雨の日、どうも傘を持つ手がぬれると思ったら、なんと傘の先のほうから雨漏りがしていて柄を伝ってポトリポトリと。今度の傘は大丈夫かな?
それにしても懐も寒い。。。ハハハ

【2004年】
この前新聞を読んだら、主な国々で行われた学力テストのようなもので日本はだいぶランクを下げたらしい。今日の新聞では、公立学校の先生方の中に精神疾患が増えて病気休職をしている先生が3000人以上もいるという。その他わいせつ行為や体罰なども増えているらしい。これらも精神疾患だろう。
これらを見て注意をしなければならないことは、今の子供たちや先生方の質が昔に比べて落ちているわけではないということは見なければならないだろう。
また、公立学校の矛盾が出ているわけだけど、その中で私立の学校が注目をなおさら集め、公立学校無用論などが出ることが怖い。
子供の数が減って公立学校にも先生方の中にも競争が相当入っている。人口の多い都市でも統廃合が多くなる。そこには都道府県などの財政難が絡んでくるだろう。
ゆとり教育などと表面上はゆとりを持ったようでも、中身は先に書いたような面での競争が激しくなっているのではないか。競争も発展的競争ならば一時的にはよい面も現れるが、生き残り競争というつぶし合では弊害ばかりが残るだろう。なんとなく企業間競争の原理が公立学校にも適用されているのではないかな?
だいぶ牡蠣が出回りはじめました。牡蠣フライにしようと思います。また鱈もおいしくなってきており、白子も出ていましたのでこちらは天麩羅にでもしようかと思います。さっと上げたての白子の天麩羅をおわんに入れてだし汁をかけます。

【2005年】
サッカー中継を見ていたら、国立競技場に小雪が舞っていました。うちの方も降ったのかな?寒い一日でした。
内田百閒の「百鬼園日記帳」を読んでいる。
子供の頃の思い出など、随筆に書かれている不思議な霧の中を漂うような世界もある。電車の中でも読んでいたのだが、その世界に入り込んで集中をしていた。ふとそろそろ降りる駅かと目を上げた。
そうしたら向かいの座席に布袋様かと思うような男が座っていた。顔は真ん丸くて腹もだいぶ出ているのではないか。特に目を引くのが耳たぶだが、それは見事な福耳だった。
しかし。。。
右に目を移したらこういっては失礼だが貧相な男が座っていた。耳たぶというものがまったくないやせた男だった。
頭の中は百閒の世界のままにこんな2人の男が目の前に現れたのであわててしまった。
福の神と貧乏神が隣り合うようにして人間の姿をして僕の目の前に現れたのかと思った。
年末に複雑な思いで電車を降りた。

【2006年】
今夜も鍋の話。。。。
寒くなりはじめた頃、秋田料理を出す料理屋さんでしょっつる鍋を食べた。
普通の鍋と違うところは、ハタハタという魚がそのまま丸ごと入っていること。そしてスープに独特な風味がある。ハタハタは、東京のスーパーでも時々見ることができるので、我が家でも出来ないものかと調べてみた。でも、この独特な風味のあるスープは、しょっつるという独特な醤油のようなものを使うらしい。ハタハタに塩を入れて発酵させたようなものらしい。このしょっつるは東京では見たことがないので、無理なようである。
でも、よくよく調べてみたらありました。。。しょっつる鍋セット(トップページの「トピックス」をクリックしてください)
そう、ハタハタも雄雌があり、雌の卵の入ったハタハタは絶品です。
しょっつるは鍋のほかにもいろいろと使えそうなので買いたいです。
そういえば、魚を入れて発酵させた醤油のようなものに、タイのナンプラーがありますね。こういう調味料は世界中に多いのだろうか?興味が出ました。またゆっくりと調べてみよう。。。
自動車関連税の一般財源化が言われているけど、一般財源化をして庶民生活の向上に直結したものとして使われればいいが、2日や6日の日記に書いたように、世の中は国民生活を圧迫しての企業重視の税制になるかもしれない中で、この一般財源化もどのようにそう金を使われるか分かったものではない。また、仮に福祉関係のようなものに使われたとしても、その福祉財源が不足したら自動車県令税を上げようという単純な発想にもつながりかねない。高速道路などの整備もどうなるんだろ?
一見良いものと思われるものに落とし穴はつきものである。タバコ税の値上げなんかは悲惨である。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
僕はただ 君より遠くを見ていただけなんだ

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
10月17日は「貧困撲滅のための国際デー」だったそうです。
『今年の「貧困撲滅のための国際デー」は、世界人権宣言採択60周年を記念し、「貧困の中で暮らす人々の人権と尊厳」をテーマに掲げています。宣言は「すべての人は、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利を有する」としているからです。』(国際連合)
「すべての人は、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利を有する」これをどのようにとらえればいいのでしょうか?よく日本人はアフリカで餓死している子供たちがいるのに日本は幸せだといった考え方をします。たしかに日本は先進国で貧困があるとはいえその貧困には違いがあるでしょう。しかし貧困というものをこうした視点からだけ見てもよいのでしょうか?
貧困には絶対的貧困と相対的貧困というべきものがあると思います。
絶対的貧困とは餓死などのようなその生命維持にも及ぶ貧困ともいうべきものです。これに対して相対的貧困はその国のGDPの中においての格差からくる貧困です。その国にはある程度の生活の基盤があるにもかかわらず政策の中での格差の拡大において十分な生活を行えない状態です。ですから「自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する」ことができない状態とはそれぞれの国においての格差からくる貧困としても当てはまるものでしょう。
世界の中の絶対的貧困を撲滅することと同時にそれぞれの国においての格差から生まれる総体的な貧困をも撲滅しなければなりません。
先進国では何かしらの形で賃金を受け取ってそれで生計を立てている人そしてその家族が圧倒的に多いと思いますが、その賃金が「自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する」に足るものか、あるいは憲法で保障されている健康で文化的な最低限の生活が保障されている水準かを見る必要があります。
しかし、この最低限の生活以上を国民に保障するのもまた国の責任でしょう。そこに「自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する」生活の中身があるわけです。
ですから国際連合の世界人権宣言は、ある意味格差の是正を言っていることにもなります。その国で生活していくうえで国民すべてがどのくらいの生活を維持できるか、ここから貧困問題も考えて行かねばならないでしょう。
貧困化の増大や国のための国民生活の犠牲を呼びかける政策は明確に否定されなければなりません。
この貧困化の増大や国民生活の犠牲そして切り下げは、経済矛盾として結局は日本の将来を不安なものにしていきます。その一つが少子化問題となっています。今日のテレビ番組にありましたが、フランスでは企業の支出(企業の社会的責任)により、イギリスでは貧困撲滅運動により出生率が上がったそうです。国なり企業がその努力をしないで自己背金的なもので片付ければ日本の出生率は上がらないでしょう。考え方を変えれば先進国の貧困化の問題なわけです。それは金だけではなくて子育てに関係する様々な制度からも。
日本は子育て支援としてその財源を消費増税に求めます。これでは何の改善にもつながらないでしょう。消費増税自体が生活を切り詰めさせる作用があるのですから。大衆課税強化による共助は、貧乏人は貧乏人同士で助け合え、少なくとも中間層も我慢して助けろというもので、広い観点からの国家財政や税収の改善を行わないで公助部分の拡大をしない。
ましてや二大政党はあるいは自己責任論の新自由主義の政党は企業の社会的責任を問うことはしない。
企業が一番少子化問題に困っているわけです。次の世代の労働力を確保できないし、労働力市場原理からして労働力不足は賃上げに結び付くと。そうならば少子化問題にも企業の社会的な責任としての分担が必要でしょう。企業の中でも子育て支援を独自に行っているところもあります。こうしたものを広げる必要があるでしょう。何も子育て支援だけではなくて、貧困化問題もデフレの進化を考えればそこに企業の社会的責任を考慮する時期になっているでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
人参キュウリをなるべく細く千切りにしておきます。
そこにブロッコリースプライトとしらす干しを入れて軽くかき混ぜます。
お蔵オクラをさっと塩湯塩茹でして冷ましてなるべく薄く輪切りにします。
これを先の野菜に入れて、ごま油と塩昆布を入れて和えます。
できあがり。。。。。

何でまた記事を書いている間にログオフになってるの。。。。。ログオンをしたらまた書いたものが消えてしまった。僕の書いたもの。。。。どこに消えたの?

【2014年】ツイッターつぶやき
鳥もも肉は皮を取って薄くそぎ切りにします。
ボールに鶏肉を入れてサケ酒・塩・コショウとで下味をつけて片栗粉でまぶしておきます。
レタスは大きく手でちぎります。
土鍋に水を入れて沸騰したら鳥もも肉を広げながら入れます。
再度沸騰したらレタスを入れて湯に浸しすぐに火を止めて余熱で煮ます。レタスのしゃきしゃき感が残っている間にポン酢と七味唐辛子でいただきます。
肉が柔らかでレタスがしゃきっとして食が進みます。

豊かな国民生活には経済成長が必要か?
経済成長が国民生活を豊かにいしてるか?
そもそも先進国において急速な経済成長が可能か。。。。。?
先進国においての経済成長とは何か?
豊かな国民生活とは何か?
経済においての成長戦略といえば今の日本においてはアベノミクスです。
またアメリカの成長戦略も同じ路線でしょう。
しかしその成長戦略は成功しているといえるか?
企業利益と投資家の利益は拡大をするが国民生活は、格差の拡大と相対的貧困の拡大である。日本もアメリカも経済は立ち直っているとされるが格差の拡大とそこからの相対的貧困の拡大はその成功しているとされる系座の足を引っ張っている。
経済の成長には国民の生活の低下が条件となっている。
ここから導かれる答えは、経済成長は国民生活を豊かにしない。そしてそれは国民生活の豊かさには経済成長はいらないという事となる。
しかし問題はそうは簡単ではない。
国民生活の豊かさのために経済成長が必要でないのかとなると疑問が出るだろう。その疑問に対する矛盾はどこにあるのかといえば、仮に経済成長が必要としても、そのための成長戦略に誤りがあると考えられるのである。今アベノミクスへの懐疑が広がりつつある。それこそアベノミクスの成長戦略が誤っているのではないかという懐疑である。
国民生活を豊かにする経済成長に対する誤った成長戦略が行われるなれてもその恩恵は国民生活に範囲されないという結果となるのである。
要するに国民生活の豊かさに経済成長は必要であるが、その戦略に誤りがあってはならないし、そのような誤りがあるならば経済も成長はしないという事である。
国民の生活の豊かさのためには正しい成長戦略が必要であるという事である。
この成長戦略がどのようなものであるかは、国民の豊かさとは何かを見つけねばならないし、そこに向けた経済政策がまさに成長戦略となるだろう。
資本主義の発展は、それは経済発展でもあるが、生産性の向上と科学技術の発展との螺旋的発展である。この間このブログでも繰り返し書いてきたがこの生産性の向上と科学技術の発達は互いに作用しながら商品価値を下げていくというところにその特徴がある。価格ではなくて価値を低下するという事である。商品価値の低下はその商品をより多くの国民に配分する条件である。それは国民生活を豊かにするだろう。
しかしこの生産性の向上はもう一つの作用がある。労働力の節約である。労働力の節約があるからこそ商品価値は下がるのであるから。この労働力の節約はこれかで失業者を作り出すものであった。しかし本来は労働力の節約は労働時間の短縮としてあらわさねばならなかったのである。労働時間の短縮は国民生活を豊かにするだろう。
そして貨幣量の問題がある。成長には貨幣量の増大だけが必要だろうか?それは間違いで、貨幣量の増大を必要とする前に癌時点の貨幣量をどう回転速度を速めるかを考えねばならないのである。国民・企業・国家へと貨幣がどう早く循環をするかである。血液のようなものである臓器に血液が不足していても輸血をして増やせばいいというものではなく、増やしてもその臓器に血液がなぜ回らないかを解決しなければ何の解決にもならない。血液量は足りているのだからどう循環を速めてその臓器に回すかなのである。血液量が国民生活という臓器に足りなければそこに血液を回すことが必要である。一定の必要な貨幣量は国民生活を豊かにするだろう。同時に循環を速めれば血液量は少なくて済むだろう。
賃金は労働力の再生産費=生活費である。
諸商品の価値が低下するならば生活費は少なくて済む。そこでそうは大きな賃上げをせずに済むようになるだろう。
国家に金が回りその金が所得の再配分としての社会保障に廻れば国民はそうは貯金をせずに済む。
医療費や教育等などに国の金が回れば国民の生活費はさらに減るだろう。
こういった社会を作り上げるための経済学こそが国民生活を豊かにする成長戦略となるだろう。しかしこの場合の成長戦略は今の常識をすっかり変えねば見えてこないだろう。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
命の尊さ
それは。。。
悲しくせつないもの
倫理観「だけ」からでは考えられない
倫理観「だけ」ならそれは
人ごとという偽善かもしれない
だって命は人の意識にかかわりなく
自然が与えてくれたものだから
倫理観は人の意識です
自然は摂理。。。。。
あえて言うなら。。。。
自分の命のはかなさ
自分の命の尊さ
自分の命を悲しみの中のせつなさに見よう

川上弘美さんの「東京日記 復活。」が更新されました。
命の復活を僕は信じないけど、六道輪廻を時々考える。命の連鎖はあると。。。。
命そのものの連鎖が途切れても、心に残す人がいればそこには残るね。命が。
僕もそうは長い命ではないと思受け思うけど、その時間だけ僕の心に残るんだね。
復活。。。。
そういえば、路地を入ったところに「○○青果店」という看板がある。
しかしその看板の下はファーストフード店になっている。
その前を通るたびに不思議に思っていたのだが、もしかしたらあの生きのいいお姉ちゃんが復活を祈っているのではないか。。。。。
復活してもらいたい。
そしたら、僕も朝、ミソギをして出かけよう(笑)

【2018年】ツイッターつぶやき
買い物に行って今日は何にしようかと思っていたら、急に大根とニンジンのナマスが食いたくなった。この前サバの水煮缶と玉ねぎのサラダを作った時の残りの柚子もあるし作ることにしました。3時ごろに作って一夜漬けです。
味見をしたら酢の酸味と柚子の風味がきいていておいしかったです。
なんだか今日はすっぱいものを食いたくなる体調のようです。
さっき、先日箱買いをしたミカンの中におまけとして入っていた黄色くなったカボスが残っていたので、絞ってはちみつを入れて熱いお湯を注いでホットジュースにしました。
体が温まりますね。。。。。
ブランデーかウィスキーでも入れるとさらに体が温まると思います。白ワインを温めて割ってもおいしいかも。
しかし、なんでこうもすっぱいものを欲しがるのでしょ?
妊娠しているわけでもないし。。。。。
体の体調が欲しがっているんですよね。。。。。きっと。
柚子はまだ残っているのでまた柚子風呂にします。
東京も寒くなりました。今朝は3度でした。
3日ほど腰痛気味でしたが、カボスや酢を多く食べたら気持ち腰が楽になりました。
酢は体を柔らかくすると聞いたことがありますが、腰痛も腰の筋肉が硬くなっているのでしょうから良いのかもしれません。
それとも柚子湯にゆっくり浸かったことがよかったのか?
まぁ、どちらにしても柑橘類や酢は冬にも食べるべきなのかも?
(ブログ記事の「コメント」の横にペンの絵が出ますが、どのような機能があるのか?わからないので自分のブログに利用してみました。さてどんなことになるんだろ?「コメント」との違いは?どなたかの記事のペンのマークで記事を書くと僕のブログに感想を書いたようになるのかな?)

以下、ツイッターからです。
「バカをバカと言って何が悪い」というのはもちろん正義でもなんでもないですし、ただの感情でしかありません。同時にそれは自分の相手をバカ呼ばわりすることでの醜い優越感であったり、時には挑発なのです。この言動を繰り返していても普通の人は陰で笑っているのですが、時には逆ギレに合うでしょう
「バカをバカと言って何が悪い」という考え方からの言動と逆ギレは、逆ギレした方が暴力にでも出れば法的には逆ギレをした方が悪いとなりますが、実はどっちもどっちなんです。言葉の暴力と拳の暴力の違いだけです。ちょっとした相手の不注意などにも逆ギレをするのがバカ、アホ、ボケなんです。
実はこの「バカをバカと言って何が悪い」という思考回路が社会の中で危険なのです。バカ、アホ、ボケからシネまで言葉の暴力を抑えることは難しくて、それが子供の自殺にもなりかねない。大人社会でも同じ。今はSNS時代ですからね。言葉の拡散だけではなくてカメラを向けることも暴力となります。
マスコミも同じで、いい年をした犯罪者の親のところまで押しかけて老人にカメラを向ける。どこか正義あるいは社会を見ている報道に見えるが実は暴力になっていることもある。親の顔を見たい・・・・というのは昔からですが。この点でもSNSも小さなマスコミになっている。
「バカをバカと言って何が悪い」という思考回路は問題にならずに、犯罪につながった逆ギレというものだけが問題になりそれで済まされる社会。
政治や経済でも「自己責任」等などという言葉の暴力はあるでしょう。
社会的な格差を広げておいて弱い部分(政治的にも経済的にも)に自己責任を言うわけですから酷な言葉です。国だけではなくて言葉の暴力にもなります。昨日のテレビを観ていたら、燃料税でもめているフランスを取り上げていた。貧困で「パンを食えないならお菓子を食べればいい」という頓珍漢な王族貴族
たしかマリーアントワネットだったか。。。。。
「自己責任」も同じ類でしょう。
こういった頓珍漢な政治経済の社会では、社会の片隅に「バカをバカと言って何が悪い」というキレた思考回路も出てきます。そしてやはり社会の方海で逆ギレも多くなる。

【2019年】ツイッターつぶやき
今夜はキムチ鍋にしました。
白菜や小松菜そしてマイタケなどの野菜そしてやはりキムチ鍋には豚肉ですなぁ。あとちくわとか牡蠣を入れました。もちろんキムチ。
炬燵でキムチ鍋。。。。。
最高です。
残ったスープにもち麦たっぷりのご飯を入れて、その上にトマトのスライスともとろけるチーズをのせてリゾット風に。リゾットというとおしゃれすぎますからおじやですなぁ。
夜になって気温が上がってきました。昨日は室温13度でしたが今日は16度です。炬燵で鍋を食ったので湿度計が「HI」になってます。風呂上りは少し暑いぐらい。

【2020年】ツイッターつぶやき


好きなネメシアが出ていたので買ってきました。
黄色と薄紫に小さな花がたくさん房になっています。
その色合いからでしょうか、「チョコレートバナナ」と名付けられています。
数年前も赤と赤紫の2色のネメシアネシアを育てたことがあります。
ネメシアは宿根の多年草と一年草があります。
今日買って来たのは一年そうです。数年前のネメシアネシアは宿根で3年ほど咲きました。

         
     ≪花言葉:包容力、正直、過去の思い出≫

【2021年】ツイッターつぶやき
コロナでの需要減少もあり生乳がまりこのままだと5000トンを廃棄するかもしれないそうです。
たしかに何年前だったかバターの不足が言われていたような記憶がありますが、これは国内の酪農家の減少の影響だったのか、TPPにも関係したのかよくわかりませんが、日本の酪農の真の現状はどうなんでしょうか。
また、2011年の原発事故の影響は消費の減少として残っていないのでしょうか?
僕はここ数年バターはニュージーランドのものを使っています。マーガリンの脂の危険性も言われていますし日本のバターの品質はどうなんでしょうか?
輸入で言えば乳製品の原料である脱脂粉乳などは輸入が多いと聞いたことがありますが、TPPがらみで日本は価格面からも輸入に頼らざるを得ない現状はないのでしょうか。
日本の牛乳は生乳としてそのまま飲料とすることが多いのかもしれません。
生産量が多いのでしたら様々な乳製品の原料生産も考えないといけないのかもしれません。一時中国が日本の粉ミルクを買い付けていましたが、中国への輸出はどうなんでしょ?しかし政治的対立がありますからね。

【2022年】ツイッターつぶやき
NHKの「鎌倉殿と13人」も承久の乱に。
平家と源氏が軍事力を持ち平家が政治を動かす。しかし平家も貴族化していく。そこで源氏が平家を滅ぼし鎌倉幕府が誕生する。源氏は貴族化しないで武家国家を目指す。実朝は貴族化しそうでしたがこれは排除される。
鎌倉幕府の力が大きくなるに従い天皇をはじめ貴族階級とぶつかる。
経済的には天皇がすべての土地を持つ経済から地方の開墾の自主性を認めた中で荘園制の経済が生まれる。
この荘園制の中にある貴族の力を削ぐように鎌倉幕府の地頭制度が。
この貴族階級と武士階級の階級闘争の頂点が承久の乱。天皇家や貴族の力が弱くなり、各国は武士の支配へ。承久の乱は革命だったのでしょう。
しかし鎌倉殿と13人の義時はこの革命に躊躇する。前進させたのは尼将軍と泰時。
とはいえ義時は天皇家に対する謀反人となることは避けられない。義時は謀反を理由に大勢の実力者を殺してきた。すると義時自身が謀反者となれば。。。。。
最後は主人公らしい死に方をするでしょうね。死亡原因はいろいろあるようですが、自害が一番かっこうがいい。
でもそれで鎌倉を守れる。同時に天皇家も生き残れる。
武力による社会の支配が武家の社会ではない。武力はいつの世にもあったのですから。武家社会にも経済の発展があり文化を育てた。その中に貨幣経済や承認の力が蓄えられる。武家と商人の階級闘争が高まる。堺の商人はすごい自治力と経済力を持ったそうですね。この階級闘争の頂点が明治維新に。

【2023年】ツイッターつぶやき
今年の冬も暖かい冬とはいえ、昼間と夜の気温差は大きいです。
これから1月2月になると寝床の寒さがきついです。
テレビで、この寝床の寒さを防ぐには、羽毛布団の下に毛布を掛けるのではなく、羽毛布団の上に毛布を掛けたほうがいいと。これは去年僕も考えてやってみたのですが、毛布のふんわりというものがなくなり布団カバーのひんやりとしたものがどうもダメでした。今年は布団カバーもふんわりしたものにしましたので大丈夫かな。。。。。
今夜試したいと思います。
それにしても、一度布団が温まると布団の中は30度ぐらいになるんですね。
そういえば、夜中に布団をはいでいるときがある。
寝床の寒さも寝てしまえばいいだけ。寝つきはいいです。
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「12月10日という日」

2024年12月10日 08時07分17秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
アメリカの倒産件数がこの1年で30%ほど増加しているようです。
日本でも倒産件数が増加をしています。日本では廃業も多いと聞いていますからこの廃業件数も増加しているでしょう。
アメリカは激しいインフレとなっていましたが、経済の過熱からではなく、生産を抑える中での値上げによるインフレだったのでしょう。日本もアベノミクスで経済の過熱があったように見せかけましたが、株価と輸出企業の利益だけでした。
企業間でも競争がはじまりますからインフレの中にデフレ圧力が働く。
企業の富はどんどん集中するなら倒産も多くなるでしょう。
経済はしぼんでいくのか。。。。。

≪過去の記事≫

【2003年】
昨日、友人と話しをしていたら、その友人の子の友達が交通事故で死んだそうです。
人の死は誰であっても悲しいですが、特に子供の突然の死は悲しいですね。学校の同じクラスの子のお母さんたちはすごき騒ぎだったそうです。
うちの子の友達も死んでしまったという経験がありますが、お子さん自体もかわいそうなのはもちろんですが、残された親御さんもかわいそうでなりませんでした。

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
なんだか一日中ファンヒーターのお詫びコマーシャルが流れていた。
ゴールデンタイムにも流すほどだからそうとう切羽詰った問題なのかもしれない。
年の瀬にいろいろあるもんだ。
それでもスーパーに買い物に行けば「ジングルベル♪」が流れている。
夕暮れ間近に重いレジ袋を下げとぼとぼ歩いていたら、空には白い月が出ていた。

【2006年】
なんだか、下痢と吐き気あり。
こういう風邪の噂を聞いているが、風邪かな?この前の風邪の後遺症がよくなってきたと思っていたのに。。。ううう
朝から何度もトイレに駆け込んでます。。。
今、テレビで下関のアンコウ鍋をやっている。
でも、アンコウ鍋といえば茨城県から福島県の「ドブ汁」!!
土鍋に生のアンコウの肝としょっぱい味噌を入れてカラ炒りをしてスープは一切入れないで野菜から出る水分だけの鍋です。去年、初めて食べたのですが濃厚な出汁が出てうまかったです。いよいよアンコウの季節!アン肝とドブ汁。。。食べたいです。

【2007年】
ちょっと用事があり中目黒へ。
久しぶりに行ったのですが、駅前は再開発中。
いまや代官山から中目黒地域は芸能人の溜まり場でもあるそうで若い人たちにもにんきなようです。
東京も年々人が集まる地域が移動しています。
東京にも地域格差があります。テレビで映るような東京は東京の極一部。オリンピックを東京でというのはいいですが、オリンピックのための街づくりや街の繁栄はまた偏っていくでしょう。歩道もない細い道に電信柱が乱立し、車椅子の方やお年寄り・子供も安心して歩けない道が東京にはたくさんあります。銀座や大手町の華やかさに電信柱がない。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(以下ツイッターより再録)
日本の現状とかを批判的に書くと「暗い」とか「社会のせいにしている」とか見られますが、発展的であればそれは楽天的な明るさになり「今」を楽しく過ごせることに通じます。逆に明るさとは何かを問いたい。利己的幸福そうではなくみんなで一歩進もうよという中には社会(世間)の批判の目も必要では?
批判することと「今」に埋没して愚痴をこぼすこととは違う。また、批判のための批判とは偽りの批判である。すぐにはよくならない社会ですが、常に批判的な視点であるいは常に疑問を持つ中にしか発展はない。そうしないとまだ地球の周りに天が回転していると信じることになる。
社会の発展は人の発展でもある。そのどちらが先かではなくて「今」という瞬間における相互作用である。その相互作用がどのようなものであるかはその時々によって決まるが、中心にあるものを見つめて批判、疑問を持つ人間が相互作用において自由でありえる。この自由が精神的であってもいつか形にする。
自由でありたいなら今の常識という仕組みから心を開放しなければならない。開放されると「今」の矛盾が見える。その中に批判や疑問を純化させよう。自由は何でもありではない。ある制約の中における未来を化学的に見つめる心であり行動である。それには謙虚さや忍耐が必要である。自由であるために!!
自由であるために!!これから朝食のあとかたずけをします。。。。ううう

2011年ツイッターつぶやき
今日は皆既月食。
東京は晴れています。東の空に満月が昇ってきました。
まぶしいぐらい明るい月です。でも、これからだんだんと付は赤くなってくるそうで皆既月食が始まるようです。
土曜の夜。。。。明日は休み、という方も多いかと思いますから眺める方もたくさんいらっしゃると思います。日食は劇的な変化(夜のように暗くなる)があり感動的でしょうが、静かな月食もまた落ち着いたものがあり素敵かもしれません。
風邪をひかないように厚着をして眺めましょう。。。。わくわく

【2012年】ツイッターつぶやき
昨日の朝日新聞朝刊1面3面に「公約を問う デフレ・日銀」という記事があった。
上記記事(リンク)に、自民党の安倍総裁に言葉がある。
「デフレや円高で、いくつの工場が閉鎖しどれだけたくさんの人が職を失ったか」
デフレによる景気の悪化により内需関連の企業は苦しくなっているでしょう。どのくらいの企業が倒産しているのでしょうか?しかし政策的に保護される巨大企業は輸出関連企業ですが、内需関連企業はどこまで政策的に重要視されているのでしょうか?
デフレによる企業倒産もある中にデフレ脱却の必要性はある意味必要だが、その前にデフレになりそれが深化していった原因はなんだったのだろうか?ここを見ないでデフレ脱却はありえないだろう。ここを見ないでデフレの脱却を言うのが金融政策によるインフレ誘導である。この考え方についてはリンク上のページに各政党の考え方が出ている。
「値段を下げれば会社の売り上げは減り、従業員の給料は下げられ、雇用も削られる。消費はさらに縮こまり、また値下げに追い込まれて――。物価が下がり続ける「デフレ」の悪循環にはまった経済の怖さだ。」
まさにここにデフレの原因があり、バブル崩壊後の派遣の拡大などによる正社員の減少や低賃金化や失業などの政策の無策による付けが市場原理で商品の値下げ競争が始まり、上記のような悪循環が出ているわけで、ここがデフレの原因と見れば政策インフレがデフレを克服するというのは間違いだろう。いくらインフレに持って行ってもその金が一般庶民の懐には入らずに企業に集まるならそれはさらにデフレを悪化する要因となるばかりだろう。
デフレ傾向によるさらなる低賃金化や失業の増大は一般庶民を苦しめ、インフレはさらに苦しさを増大させ、止めとどめが消費増税である。

【2013年】ツイッターつぶやき
貿易収支が大幅な赤字になったと報道されていたが、10月の貿易収支の赤字は過去最高となり、それに関連した経常収支(モノ・サービス・投資など)も赤字に転落したという。
原因についてはほとんどすべてのマスコミが火力発電の燃料の増加によるものとしているが、それは表面上に見えるものであり円安という影響も大きいでしょう。
円安により輸出産業での黒字が輸入に依存する産業の赤字に追いつかない状態。
安倍政権はアベノミクスによる経済への効果を強調しているが、実体はアベノミクスと量的緩和による経済の停滞を引き起こしているのではないか。
一方企業の海外での利益を含めた所得収支は黒字になっている。
以前、日本はテレビの輸入国となったと報道されていたが、国内を見ればほとんどの世帯が日本企業製のテレビを見ている。日本企業が海外に進出してそこでテレビなどを生産すれば輸入となるでしょう。こういった現象が多くの商品にもあるのではないか。
貿易収支と財政赤字という双子の赤字化。そして「財政赤字と家計部門赤字が経常収支赤字を引き起こしている」経常赤字も含めた三つ子の赤字化というアメリカの二の舞状態に近づいているのではないか。
異次元とも言われる量的緩和においても双子の赤字あるいは三つ子の赤字となりつつある日本があるのだろうか。それを防ぐためにアベノミクスの成長戦略の具体化があるのでしょうが、消費増税からの矛盾に対しては日銀の緩和政策頼みで、成長戦略の中身は企業救済のための公共事業と労働の規制緩和(不安定雇用の増大と低賃金化)などであり、そして国民生活の切り下げに頼る。
失われた20年もこの賃金切り下げと不安定雇用での国民生活の低下によって乗り切ろうとした矛盾の現れだったはずなのにさらに同じ過ちを拡大しようとしている。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
人々の思いで満ち溢れてまん丸となったとき
月は池に落ちる
真ん丸くなった人々の思いを
池に浮かばせる
そしてまた月は夜空を渡ってゆく
肉体から離れて
一つの思いとなったとき
池に浮かぶ幾千万の月の上を
幾百万の思いの中へ帰ってゆく
喜びのさなかに、安らぎの中へ
そして一夜のうちに消えるのである

【2018年】ツイッターつぶやき
先日スーパーに買い物に行ったら、ばあ様が混雑して店内の棚と棚の間の通路の真ん中にカートを置いてのんびりと何かを探していた。すると、若い男が来て「カート、どかせよ!」と強い調子で言った。
まぁ、ばあ様も気を使わないのも悪いが、だからといって強い語調で「どかせよ」もないでしょう。「すみません、通ります」「あ、ごめんなさい」で済むはずのものがいやな空気となる。
まぁ、これは「バカをバカと言って何が悪い」というものではないが、相手のちょっとした気遣いのなさにキレて強い語調になるという意味では同じようなものです。
ミスをした店員に土下座して謝れというものもあるでしょうが、ちょっとしたミスでもむっとすることもあるでしょうが、キレて土下座しろはないでしょう。
「バカをバカと言って何が悪い」というものが正しいとなればこの社会いつも怒鳴りあいになってしまいますね。喧嘩や事件にも発展するかもしれない。この場合、ちょっとしたことでキレて「バカ」と言えば言われたほうも逆ギレすることもあるでしょう。
この両ギレは普通の人はしないで特定の人たちですが、この特定の人たちが普通の人を脅かすわけです。
ヘイトスピーチでも言論の自由だという人もいましたが、これは言論に値しないから禁止されていきます。まぁ、バカ、アホ、ボケは禁止にはならないでしょうが、「バカをバカと言って何が悪い」もこういう言葉も言論ではないし、社会的に不都合さがある言葉でしょう。

料理といえるものではありませんが、昨夜は豚の角煮を作りましたが残りの汁があったので大根とこんにゃくを煮てみました。
圧力鍋で5,6分煮るだけで出来上がり。
圧力鍋で大根を煮ると味もよくしみこみますね。ゆで卵を後から入れましたがこれは明日の朝に食べます。
そういえば、残りの汁を一晩おいておいたら豚のラードが大量に固まって浮かんでいました。焼き肉などで脂身の多いところを食うとこれだけのラードを食ってしまうのかとぞっとしました。

【2019年】ツイッターつぶやき
安倍総理が任期中の改憲に意欲を示している。
もちろん改憲は悪ではありませんが、しかし今の安倍政権において改憲を進めるべきでしょうか?
去年からの公文書・統計の改ざんからはじまり今も桜を見る会についても出席者名簿をシュレッダーにかけておいて、野党が必要だとしてもバックアップまで急いで消去した。
今日のニュースでは、桜を見る会に反社会的な方が出席したことについて、反社の定義ははっきりしていないと閣議決定をしてしまった。企業と反社との癒着を断ち切る方向に向かっている中で政府が反社に対してあいまいになっています。
また、先の二人の大臣の辞任もそうですが、桜を見る会についての疑惑もその説明責任は果たしていません。野党が会期延長を求めても拒否をしながら憲法調査会は継続して野党に参加を呼び掛ける。
もう政治はめちゃくちゃになっています。
自民党の解釈改憲の歴史を見ても、憲法は時の政権で解釈が進み自衛隊の存在もそのひとつ。改憲で戦争をしやすくなれば、専守防衛の自衛隊どころか戦争そのものの危機が日本に訪れる。政治も何でもありの内閣ですからその危険性はさらに高まる。これを信頼できない資料や肝心な資料を隠されて行けばまっとうな改憲議論などできないでしょう。
ですから少なくとも安倍政権では改憲の議論は進めてはいけないと思います。

【2020年】ツイッターつぶやき
あと三週間と言っても、政府のコロナ対策の「勝負の三週間」じゃなくてお正月まで。。。。。
今年はコロナでなおさらあわただしく生活してきましたのでなおさら短く感じる1年でした。あと三週間もあっという間に来てしまいますね。ぼうっとしてもいられなくなりました。
知人から手作りの伊達巻の作り方を訊かれました。はんぺんを使ったインスタントの伊達巻ですが、その簡単さがいいということでした。
コロナ対策を考えると人ゴミの中には行きたくないのですが、お節料理が無いというのも淋しいし、かといって買ったものだけでも味気ない。毎年8品作っていますが、案外簡単なものが多いので今年も頑張れるかな。。。。買い出しの工夫をしたいです。
スーパーに行ったら、いつもはたくさんの漬物などを置いている棚や練り物の棚の三分の一は正月用品になっていました。日常の生活に使うものまでこれから値段が上がっていくでしょう。。。。
これから高齢者には厳しくなっていく社会になります。
それは年金生活という質素な生活に襲い掛かってくるものです。後期高齢者の窓口自己負担が2022年頃には2割負担(年収200万円以上)が決まりそうです。
そういえば、GO Toで旅行費用などが値下がりするので、物価に連動しますから年金額が下がるそうです。コロナで家の中に引っ込んでいろとGo Toも利用できない高齢者へしわ寄せです。。。。。笑ってしまうような社会になっていきます。

【2021年】ツイッターつぶやき
コロナ禍がはじまってからだいたい3日分ぐらいの買い物をスーパーで買っている。
ずぼらですから3日間計画的に何をつくろうかなど決めないでいろいろな食材を買いますが、メニューがワンパターンになります。
そこで冬になると助かるのが鍋ですなぁ。。。。。
何をつくろうか?メニューが決まらないと鍋にでもするかとなります。
ということで今夜はおでんでした。
鰹の出汁の素と昆布の出汁です。
関東でもおでんは薄味で、塩とみりんと色がつくぐらいの醤油。
体も温まり美味しかったです。

【2022年】ツイッターつぶやき
昨日は防衛費増の1兆円分は法人増税にすると言っていましたが、今夜の改憲会見では国民負担としました。
一晩寝ると発言がころころ変わっていくのは総理就任時から続いていましたが、頭の中は大丈夫なのでしょうか。整理がついていないし、昨日増税に対しては自民党内からも反発が出たことに寄るのかも入れません。それにしても総理大臣の資質にかかわります。
増税が目的ではないとも言っていますが、当たり前でしょう。どこの政治家が増税だけを目的にするか。
どうも。やはりおかしくなっています。

【2023年】ツイッターつぶやき
キックバック?
自民党安倍派幹部がパーティーを開いた「収益」からキックバックとして1000万円以上の金を受け取り政治資金として処理をしなかったニュースが広がっています。政治資金ではなく自分の懐に入れたということでしょう。
安倍総理時代から阿部派幹部は肩で風を切る勢いでいましたからね。何でもあり政治にどっぷりつかってしまっているのでしょう。
今も最大派閥ですから。。。。。
岸田総理を動かせる力がありますからなぁ。
人間力を持つと懐が大きくなる。金で。。。。。
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「12月 9日という日」

2024年12月09日 08時15分27秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
今朝、起きたら口の中がカラカラになっていました。
少しはなず真理があったので口で息をしていたからかな。
風呂あがり、肌が渇いてきたら、脛が猛烈に痒くなった。
喫煙場所でタバコを吸っていたら唇があれて少しだけ痛かった。
。。。。。。
東京も寒くなりましたが、毎日良い天気でひなたにいると暖かです。
そういえばだいぶ雨が降っていない。
異常乾燥注意報は出ていないけど、相当空気が乾燥していると思う。

≪過去の記事≫

【2003年】
夏生さんの「あの空は夏の中」をまとめています。
素敵な詩集です。
そういえば夏生さんの詩集は、「バイバイまたね」(平成13年)が最後で出ていません。自選集は別にして。
夏生さんも40歳代に入りましたし、20歳代や30歳代のような詩は書けなくなっているのでしょう。「バイバイまたね」という作品名が気になります。
2回の離婚、子育てもお子さんたちが成長してきたし、夏生さんの人生も転機をむかえていると思います。これは当然精神面への影響も出てくると思います。また詩を書くときがあるとすれば、今までと違った詩が生まれると思います。今はいろいろ模索中だと思います。
僕は夏生さんの変化を見守ります。
その変化は「つれづれノート」にも少し出てきていると思います。

【2004年】
夕食のときに少し酒を飲んだら食後にコタツの中で寝てしまいました。そう、ついにコタツを出してしまいました。寒くなりました。
なるべく我慢できなくなるまでコタツを出さないようにと思っていたのですがだめですなぁ。。。。足元が寂しくなってしまいます。
そのかわり我が家は他の暖房機はあまり使いません。早朝ぐらいです。頭寒足熱。。。これが一番だというし。

【2005年】
6日の日記を読み返したのですが、だいぶ誤字がありました。
打ち消し線で書き直したのですが、入力ミスの誤字だけではなくてそのほかにも多いのかな。。。
掲示板の書き込みに阪神淡路の震災から10年目ということを読ませていただきましたが、そんな年に震度5強あるいは5弱でも倒壊する恐れがあるマンションがニュースになっています。「阪神淡路の大震災の教訓を活かし。。。」というようなものを聞きますし、防災の日には訓練もされています。なんだかなぁ。。。このちぐはぐな世の中。
スポーツジム4日目。
だいぶ慣れてきました。心配した筋肉痛もなく体は軽く感じます。

【2006年】
無精ひげ、ざらざら。。。。
仕事の休みに無精ひげ。。。。
江國さんだったか、仕事の休みに髭を剃らずに2日ほどした伸び具合がいいというようなことを書いているが、僕の場合はそんな素敵な男のひげではなくて、そのままの単なるむさくるしい無精ひげである。
でも、男にとって無精ひげを生やすことができる時間というのは開放感がある。連休ともなると、鏡を見てわれながらむさくるしいと思うほど伸びてしまう。こうしてパソコンの前に座って次の文章が出てこないときに、無意識にひげに手が伸びる。ざらざら・・・・「うん。。。。」と、次の文章が出てくると嬉しくなる。これも開放感。
ジンクスというものがあるが、僕の場合は、旅行中ひげを剃らないと天気がいいということ。まぁ、自分の気の持ちようのジンクスぐらいのもので、天気が良くなるという自然現象にひげは関係ないのであるが。でも、旅行中、朝の良い天気の空を見上げてひげに手がいく・・・ざらざら。。。。。これも開放感である。
人から見ると嫌な感じに見えるかな?でも、そんなことは気にもならない。人の見る目より自分の開放感。それでも、時々人からの対応に邪険さが見える。まぁ、それも気にもならない。家族も慣れたもので、無精ひげを生やして電車で出かけても何も言わない。て、言うのか諦めているのかもしれないけど。。。。。
僕のひげは濃くなくて、鼻の下や顎に生えるぐらい。頬にはほとんど生えない。だから、無精ひげを伸ばすと、頬辺りにぴょんぴょんと数本のひげが飛びだす。これがまた無精ひげらしくなる。一度、連休も終わりという日にこの頬のぴょんぴょんひげをそれ、顎のひげも剃って鏡を見た。ひげの似合わない男が。。。ハハハ
無精ひげが僕にはよさそうである。

【2007年】
最近左足の足首が痛い。捻挫をした覚えはないのだが。。。そういえば去年のこの時期も違和感があった。
心当たりといえば、一昨年だったか左足首をひどく捻挫した事があったぐらいです。古傷が痛むというやつかな?なんとなく足首が冷えるような感じもあります。寒さを感じる頃に痛みが出るのかもしれません。
サポーターでも買ってきて付けてみようかと思います。
最近、時々朝はご飯が食べたくなります。それもこぶの漬物に納豆と海苔とか簡単なおかずで。パンだと昼前に腹が減って仕方がないのですが、やはりご飯は腹持ちがいいですね。でも、今まで朝にご飯を食いたいというのはほとんどなかったのですが、最近急にというのがよくわからない。心当たりといえば、吉野家の朝定食かな?時々食べたくなって夜のですが、その「朝めし」のうまさが今出てきているのか。。。。
特別朝の味噌汁を作らなくても、インスタントで十分だし。今のインスタント味噌汁は生味噌を使っていて案外うまいんですよね。少し高めのものだけど。買い置きしておくと昼飯時にも使えるし重宝しています。
今夜は外食でした。
いつもの中華料理屋さんへ。個々の酢豚は初めてでしたが、肉が大きくてボリュームがありました。揚げたての香ばしさもありうまかった。。。。
寒いので熱燗の紹興酒。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
先日書いた(2)の最後に
「労働の生産性の向上は商品の価格を下げる。社会的合理性は賃金を下げる。
これはデフレと勘違いをされますが、社会的な経済政策の変更によっては社会の発展となるわけです。
そこにはもう少しなぜ商品価格は下がる傾向になるのか、賃金はなぜ下がる傾向になるのかを見なくてはならない。 」
と書きました。
ある商品を生産するには生産手段と労働力が結びつかねばなりません。企業は生産手段と労働力を買うわけですが、それは生産手段を買うための不変資本と労働力を買うための可変資本を投資します。ここでは生産手段も労働力もその価値どうりに支払われます。
労働の生産性が高まるというのは、より少ない労働力でより多くの商品を生産することにあります。そのために機械化は進み生産システムは合理化されます。例えば、ある企業が今までは1000人の労働力を使って年間10万個の商品を作っていたとします。この中で生産性が高まり、極端な数字ですが、年間20万個の商品を生産できるようになったとします。すると可変し本領資本量は変化しませんが不変資本は新たな工場や機械を導入したり原材料も2倍になるわけですから可変資本に対して不変資本は大きくなります。または市場を見て20万個の商品は過剰という見通しを立て今までのように10万個の商品を生産するとなると必要な労働力は500人と半減をします。
ここで何がおきるかといえばこのような労働の生産性の向上は不変資本に対する可変資本量の変化として現れます。この変化は生産のための不変資本と可変資本の有機的組成を変化させます。
この企業は市場に倍の20万個の商品を出すか、同じ10万個の商品を出して500人首を切るかを選択するわけです。
このような中で何がおきるかといえば、上の企業と同じ商品を生産する産業があるわけですが、その産業全体で同じことが行われるわけですから、市場にはあふれるような商品が投げ出されるか、その産業内においての労働力の削減が行われるわけです。商品の過剰生産か失業が不可避的になります。そしてこの生産性の向上は、国内、現在では全世界において行われ、資本主義生産は過剰生産と失業という矛盾を引き起こさざるを得ません。
次はこの矛盾を引き起こす原動力となるものが何かをみなければなりません。

【2011年】ツイッターつぶやき
朝日新聞に「相対的貧困率」という言葉があった。
「世帯所得を基に、国民一人ひとりの可処分所得を算出し、それを順番に並べて、真ん中の人の所得の半分(07年調査では114万円)に満たない人の割合をいう。09年の日本全体の貧困率は16%。経済協力開発機構(OECD)も同様の指標を使っている」(上記ホームページより引用)
世帯所得を基にとあるから、上記ホームページに取り上げる独身女性の総体的貧困率に占めるものが大きくなるということでしょう。
07年度が15%ほどだと思うのですが、09年度には16%に上がっている。算出額は07年度で114万円。09年度はいくらになるのか?
この相対的貧困率というものを見たとき、この相対的に対する絶対的貧困率がある。よくテレビなどで途上国などの貧困の状態が取り上げられるが、その時に多くの日本人はその映像を見ながらまだ自分の方が豊かで幸せだと思うでしょう。いろいろな数値的な絶対的貧困の定義があると思うのですが、日本人が途上国と比べて感じる者もまた絶対的貧困という側面でしょう。この絶対的貧困の側面から見ると日本人は貧困ではないあるいは貧困は少ないといった意識を持つと思います。
これに対して日本人自らが相対的貧困を見つめるならその中に貧困層を見ることができると思います。なんだか貧困層などというと失礼な感じを与えてしまいますが、一つの所得の低さの意味での貧困という言葉ということではないかと思います。
可処分所得が114万円、月にすれば10万円弱です。相対的貧困はこれ以下の人たちということで、勤労世帯としては相当低い値かと思います。
この数値として出た額は、同じ15%の総体的貧困率であっても年度の世って違ってくるでしょうし、ましてや国際比較となるとその国々の税制や物価そして社会保障の在り方(金で受け取るものでない部分)で貧困の度合いが違ってくるでしょう。やはり15%という割合の数値がどのように変化したかで貧困度を測れるということではないかと思います。そこに具体的な額を加味してその額でどのくらいの生活を送れるかを見て初めて貧困の実態と合わせた貧困度が出るのではないかと思います。それはある意味格差の実態を表しているのではないかと思います。
この114万円の数値を2倍した228万円というものが真ん中の人の可処分所得でありますから、この額からも格差の度合いを見ることができるのではないでしょうか。この額の推移の中で減っていればまたそれも貧困の度合いを表します。あくまでも世帯所得ですから世帯によっては同じ228万円でも生活は異なってくるわけですが。この具体的な額の数字がまたある意味絶対的貧困度を表すのかもしれない。
貧困の定義や現し方そして格差の度合いを現すことも難しいということでしょうが相対的貧困度は一つの目安にはなるのではないかと思います。

【2012年】ツイッターつぶやき
「大きな政府」か「小さな政府」か。。。。。
国家予算などを使って社会保障(福祉)を重視した社会をつくるか、国家の役割よりも個人の責任において市場原理に任せる社会か。
先のアメリカ大統領選もここが争点になりましたし、日本の政治も明確にはなっていませんがここに争点が出ていると思います。そしてアメリカも日本もこの争点から議会の「ねじれ」が生じて「決められない政治」として現れている。ただし日本の場合はこの政策の争点よりも国会内のスキャンダルなども含めて二大政党制のどちらが政権をとるかといった「政局国会」にその対立点がぼかされ、マスコミや国民も踊らされています。その中で解散前は三党合意という形でに「決める政治」が強調されて実質二大政党制の意義や存在感が消失しました。
もう一度この「大きな政府か小さな政府か」という争点を明確にして今の政治を見なくてはいけないのではないでしょうか。
大きな政府による社会保障の充実は、格差社会や貧困化により必要になっています。その一方では国家財政の破たんが心配されてそうは社会保障には税を使えないといった矛盾が言われます。
小さな政府による自立した自己責任は、市場原理への対応として必要になっていますが、しかしこの市場原理は企業の倒産や国民生活に失業や格差そして貧困化をもたらし、結局はこの救済に国家財政を使わざるを得なくなります。
このように大きな政府か小さな政府化には多くの矛盾を抱える対立となります。しかしこの矛盾は共通項のない矛盾でしょうか?
たとえば小さな政府という論理には、国民生活を支える社会保障は否定をして個人の責任や自助や貧困層のあるいは中間層の支出増による共助が言われるわけですが、一方では公共事業の拡大などを通して国家の税を使うといったこれも大きな政府を要求したり、国家の考え方を国民主権から強力な国家を求めるという改憲などの大きな政府を言うわけです。
大きな政府の論理にも社会保障の充実を言うが、結局は国民の自助や共助そして大衆課税(消費増税)の拡大を言い、本来の公助の拡大から逸脱をしていきます。
まとめるとこうなります。
今現在の大きな政府も小さな政府も国民生活の犠牲や貧困化、国民主権や権利の縮小を行いながら市場原理の中の競争を強調し、企業や富裕層の利益拡大に向かうという事です。
この大きな政府か小さな政府かという矛盾を解決するには中間的なものは存在しない。弁証的に大きな政府や小さな政府の利点は受け継ぎながらもその発展としての新たな社会・経済システムをつくるしかないわけです。それは所得の再配分を基本にした企業や富裕層の社会的責任を強化し、国民主権の中からの民主的な議論の基に社会を作り直すことです。それの一つの考え方が資本主義・自由主義の最高段階としての社会民主主義でしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
産業競争力強化法が今国会で成立したようですが、今後はこの中身を具体化させていくでしょう。柱は「過少投資」「過剰規制」「過当競争」の是正にあるようです。
過少投資の是正ではすでに量的緩和により株式や金融市場に金が流れていますし、年金積立金も国際からある程度リスクの大きい投資に使われていきそうです。NISAも来年から始まり講座が増えています。
過剰規制の是正は労働の規制緩和が中心となるでしょうが、すでにホワイトカラーエグゼンプションが検討されています。
過当競争の是正は今のデフレからの脱却に見る物価の高騰にも関連した産業内の再編であるようです。
早い話が株・金融バブルと労働の規制緩和の促進による低賃金・長時間労働そして不安定雇用の促進、物価の高騰に産業競争力強化法はあるといえるでしょう。
これに対して国民生活には、消費増税と社会保障の切り下げなどが待ち受けています。
成長戦略の中身がここに明らかになりつつあるのではないでしょうか?

【2014年】ツイッターつぶやき
まずはツイートから。。。。
「吉野家が牛丼並盛を380円に値上げ、米産牛肉の価格高騰などで | 国内 | 総選挙特集 | Reuters 」 …吉野家もかぁ。。。。
今年3月は。。。。 「牛丼3社は4月以降価格にバラつき、並盛りは270―300円」
消費増税による値上げで270-300円という値段。そして急激な円安により吉野家で380円。物価上昇は消費増税が悪かったからというだけではなくて、やはり政策的円安(政策インフレ)によるものでしょう。

消費増税8%により値上げされて仮に牛丼が280円になり、その後急激な円安によって380円となるなら100円の値上げです。35%の値上げです。
この牛丼の値上げの実態と消費者物価指数に現れる数字とはだいぶその数字は乖離しています。
日銀は物価を上げようとして2%目標で動いていますが、まだその達成には至らず逆に目標達成が危うくなっている状態でしょう。その中で更なる量的緩和を行って物価を上げようとしている。この中でさらに牛丼はいくらになっていくのでしょうか?
牛丼を食うにも100円(35%)も値上げされる。しかし日銀は2%達成はできない。
こういった日用品や食品の値上げは日常耳にします。
消費者物価は生鮮食料品を含めずに計算されて生活実感から乖離する。
この中で生鮮食料品には軽減税率を導入といわれているが、消費増税の影響も物価上昇には大きかったのですが、増税後も値上げが多くされるのは円安によるものです。どう見ても軽減税率を入れるといったものでは追い付かないでしょう。軽減税率ももちろん検討されるべきですが、このまま円安が進むことを止めなくてはいけないし、むしろ円高傾向に持っていくべきでしょう。何も円高傾向といっても政策的円安を辞めれば円高になるという事です。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
悲しい悲しい行列が轍を歩きました
道はゆるい坂になり
小高い丘を登ります
丘の上には小屋がありました
しばらくすると白い一筋の煙が立ち昇ります
私は祈りました
煙は雲にとどいたのです
私はいつもより素敵な笑顔で見送りました
私は野の仏

【2018年】ツイッターつぶやき
今年はビオラを植えましたが、1株ダメになってしまいました。
なんでだろ?
しかたないので花屋さんに買いに行きました。
紫に黄色がかったしろ、紫に黄色を植えてあるので薄い赤紫に白を買いました。
植えてみたらほかのビオラよりも花の大きさが違う。ちょうどパンジーよりは小さくてビオラよりもだいぶ大きい花です。
パンジーでもなくビオラでもなく。。。。。。
この中間の花の大きさを「すみれ」と呼ぶ人もいるそうですが、スミレは原種ですもんね?
弱い風が吹くと薄い花びらが揺れてチョウチョのようできれいです。
そういえば、サントリーのビオラは花数が多いですね。株はまだ小さいのですが、たくさんの花をつけています。春が待ち遠しい。。。。
今年の夏はサントリーのフェアリー スターという極小ニチニチソウを植えたのですがやはり花数が多かったです。
花の品種改良もすごいですね。毎年のように新種ができるような。

最近サバの水煮缶がテレビでも取り上げられていますね。スーパーに行っても味噌にはあるが水には見当たりませんでした。でも、ここにきてスーパーでもよく見るようになってきました。やはり注目されれば品数も増えるのでしょうね。
というわけで今日買い物に行って買ってきました。しかしどうやって食おうか?子供の時はただ醤油をかけて食っていましたが。
血液サラサラ効果ですから、玉ねぎに合うかなと思い玉ねぎと鯖缶でサラダにしました。
玉ねぎのスライスをしばらく水にさらしておき、水気を切ったらボールに入れてサバをばらして入れる。ハーブの入った塩(クレージーソルトのようなもの)と柚子のしぼり汁を入れて和えれば出来上がりです。
ハーブや柚子の風味でサバのにおいが消えました。柚子の酸味もアクセントとしていいかも。
つまみにして日本酒をグビット・・・・・
残りのゆずの皮を風呂に入れました。
これから柚子湯です。。。。むふふふ・・・・
東京も寒くなりました。

【2019年】ツイッターつぶやき
駐留米軍の費用を日本は「思いやり予算」と名付けて多額の費用を負担している。
日本が思いやり予算だといっていますが、アメリカは現在の4倍8600億円を要求するという。アメリカに思いやり予算だからという意識があるなら、思いやりを4倍も要求はしないでしょう。
アメリカからの武器の輸入は今年に入っても飛躍的に伸びた。
日本はアメリカとの二国間貿易の交渉を有利にといっていますが、輸出関税が減少したとしてもそれ以上の要求をのまなくてはならないのが現状です。
輸出が有利になれば輸出企業の利益は伸びます。しかしそのために国民の税金で思いやり予算や武器を購入しなければならない。
企業優先の図式がここにも見えますね。

【2020年】ツイッターつぶやき
政府が「勝負の三週間」と勇ましく語ってから2週間が過ぎたそうです。
政府がGO Toを推奨した11月の3連休明けから三週間です。
人の移動を抑えなくてはいけないというのは一致した感染拡大防止の意見となっていますが、この最中政府はGo Toを6月まで延長すると発表をしました。そして一時停止もしない。
Go Toというのは国民が利用して人の移動を作るか自粛するかという目に見える形として現れますが、同時に精神面では自粛の必要性の意識が弱まる作用を与えます。
この状態が年末年始まで続くことになるでしょう。仮にピークアウトしてもまたすぐに年末年始がやってくるわけですから極端に新規感染者数は減少しないでしょう。東京を見ると第二の波の後新規感染者数は減少しましたが下げ止まりが発生をして感染者が高い状態が維持されてしまいました。今回もピークアウトしたとしても高い数値で下げ止まりが続き年末年始に突入でしょう。
これは医療崩壊の危機からだ出できるようなものではありません。

【2021年】ツイッターつぶやき
1990年初頭のバブル崩壊から30年。
失われた10年といわれ、その後経済は回復せずに失われた20年に。そして減座も経済の好転Hなく失われた30年に。もうここまでくると日本は経済の低迷期になっているということではなくて日本そのものの後退が明らかになったということでしょう。韓国や台湾などにも追い越される経済実態。
この失われた30年の労働者に及ぼされる実態の一つが雇用情勢と低賃金である。
「50代年間賃金288.4万円 10人に4人が非正規労働」
そしてひきこもりの人々。。。。。。
バブル崩壊から日本はデフレとなったと言われるが、諸外国が経済の立て直しをする中でなぜ日本だけがデフレ経済のままになっているのか?デフレ経済に転換したから低賃金化が進み不安定雇用が増加したように見えますが、実は逆で低賃金と不安定雇用が増加したことが日本経済をデフレの泥沼に落としたのでしょう。日本の政治と経済政策は低賃金と不安定雇用を経済をV字回復させるための生産性の向上を間違った解釈をしてしまいました。低賃金と不安定雇用がデフレを産んでしまったのです。ですから失われた10年にとどまることができずに30年が過ぎてしまった。気が付けば日本自体が地盤沈下をしてしまい国家の衰退にもつながりはじめた。低賃金と不安定雇用を経済をV字回復させるための生産性の向上を間違った解釈を企業が持てばそこに胡坐をかいてしまい本来の生産性向上を見失うことから競争力も失った。アベノミクスという毒団子を食ってしまった。たしかに腹は膨らむが体は病んでしまった。
ここから日本の誇りを取り戻すことが必要だが、しかいその方法は国家主義的な観念論的な精神論的な改憲に向かおうとしている。

【2022年】ツイッターつぶやき
岸田総理の「新しい資本主義」の中身が見えはじめていましたが、ここにきて防衛費をGDP2%4兆円に増やすと。
この4兆円の財源は、3兆円は採否を削る所を削り1兆円は法人増税などの増税で行うと。
この間の自民党政治を見れば3兆円の財源を増やすために社会保障費などを削るでしょう。1兆円を法人税でといっても純粋な法人税像ではなく、例えばタバコ税や酒税も考えられるでしょう。
防衛費の増加といってもそれはアメリカからの武器の購入と研究開発費に向けられる。
武器というのは最大の公共事業ですが、国民の生活をよくするものではない。国民の安全を守るといっても、アメリカの戦略に組み込ま依れるという戦争に巻き込まれる危険性が大きい。

【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカの利下げ進んでいるようですが、そのためドル安になっているそうです。
しかしこのドル安の中で、わずかな円高になっていますが、そうは大きな円高になっていません。
アメリカ以外の通貨に対する円はどうなんでしょ。
通過は為替の影響が大きいのですが、経済が基本のはずです。
経済が拡大すれば円を買う動きが出ますからね。
コメント
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「12月 8日という日」

2024年12月08日 08時11分28秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
政府はガソリン価格に対しての補助金を段階的になくす方針で動いている。
年明け1月には、全国平均で185円だそうです。灯油なども上がるでしょうね。
これは、補助金がなくなると同時に値上げ分も含めてらしいですが経済力が弱くなった国の通貨安の矛盾もあります。
しかし、ガソリン価格という中身は、半分は税金ですからね。そしてその税金を含めて価格とされて消費税が上乗せされる二重課税です。野党はガソリン税を下げる提案をしていますが政府は耳を貸しません。
ガソリン税減税をやりたくないことから、政府は補助金でごまかそうとしてきたのでしょう。
攻めてガソリンや灯油は消費税率ゼロにすべきですね。

≪過去の記事≫

【2003年】
PCに座り、後ろには熱帯魚の水槽があります。
いつもお魚さんがポチャンと跳ねる音が聞こえるのですが、この前は、そのポチャンの後の≪ドテッ≫っとという音が?
なんだろと思い振り返ったら熱帯魚が1匹飛び跳ねた瞬間外に飛び出してフローリングの上に寝ていました(笑)
もうぐったりとしていたので、もうだめかと思いましたが水槽に戻したら元気よく泳ぎ始めました。よかった、よかった。。。。ハハハ
サバの味噌煮を作りました・・・・我ながら、甘さといい味噌の加減といい、よくできました。

【2004年】
電車に乗ったら自宅から携帯に電話。携帯のマナーが問題化されているので出ないで保留にしました。関東の鉄道では、体の不自由な方やお年寄りの優先席は電源を切り、その他の席ではマナーモードです。たしかに心臓のペースメーカーをつけている方にとっては電磁波は怖いでしょう。また、車内ででかい声でしゃべっているのも周りとしては迷惑ですね。
飲食店でも携帯禁止というところもあります。
便利なものがたくさんできていますが、その弊害もあるということでしょう。
昨夜から寝床で漱石の「夢十夜」を少しづつ読みはじめました。
短編ですからすぐ読み終わると思いますが、一夜に一話づつぐらいのんびりと読みたいと思います。
本は、30年も昔に買った全集です。ずっと記憶の中では角川から出たものと思い込んでいたのですが、昨夜出版社を見たら集英社でした。表紙はきれいな布張りでだいぶ分厚い本です。定価は2000円から2500円ぐらい。30年前の2000円といったらだいぶ高い本です。
この全集は文学全集で漱石の作品だけを集めたものです。
そのすぐ後岩波より全集が出ました。こちらは作品はもちろん書簡や日記に至るまですべてが網羅されています。こちらも布張りの高い本でした。僕の宝です。
どちらの全集にも巻毎に解説がありますが、この解説だけで1冊の本ぐらいになります。昨夜は「夢十夜」の解説もぺらっと読みましたが、今興味のある百閒の「冥途」との関連も書かれてあり興味深いです。
漱石だけではないですが、好きになった作家は全集を買うのが一番だと思います。もちろん今も活躍している作家には全集はありませんが、少なくともすべての作品をそろえることをお薦めします。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
自由と民主主義をもうやめる
                                 幻冬舎新書
                  佐伯 啓思 著
本書にも書かれていたと思うのですが、左翼・右翼とはイギリスの?議会において左側に陣取ったのが左翼で、右側に陣取ったのが右翼といったらしい。これは議会制民主主義の中においてのある意味、日本的な表現をすれば保守と革新という対立の構図においての呼び名からくるものである。
日本においても戦後の55年体制といわれる合同自民党と左右社会党が合流した合同社会党戸という構図ができ、それが国会内において左翼・右翼的な議会制民主主義の中に対立したと思う。もちろんそこに共産党があり、後に中道路線とも言うべきか?民社党と公明党が生まれる。これらの政党がほぼ自民党対社会党プラス中道、そしてそこから離れた党として共産党という形において対立の構図はあった。この勢力内においての議会制民主主義の中においてすべての日本社会は作られていった。
もちろんその政党と支持協力関係を持つ市民団体などや政治的中立というのか悪い言葉で言えば「無関心層」といわれる人々がいた。この市民運動も含めた日本の社会の動きは形成された。だから左翼・右翼という議会制民主主義においての対立は、もっと穏やかな「社会的左派」と「社会的右派」というような形で形成されていたと思う。
もちろん自民党は資本主義、社会党・共産党は社会主義という政治的理念(党でいえば綱領)においての思想的対立があり、議会制民主主義を通じてのさまざまな社会の進路や改良の基本的な論理ともなっていた。
こう見ると、左翼とは何か?が見えないだろうか?
それは、本書が冒頭に書いているような全共闘運動や特にその運動の終末としての連合赤軍事件に見るべきではないといえるのではないか?もちろん全共闘運動は社会に大きな影響を及ぼした社会現象の一つでした。そう、あくまでも日本の歴史の中では「社会現象」であって、議会制民主主義の中においての日本の進路を決める政治的な運動には結びつかなかったということではないでしょうか?
ですから日本においての左翼・右翼というのは、必ず議会制民主主義の中においての動きから来る具体的な政策にあるのであり、それは日本語としては、「保守対革新」と呼ばれたと思います。
注目すべきは議会制民主主義にあります。
革新側からすれば、自民党圧倒的多数の中で数の論理だ、議会制民主主義の形骸化だとかいう批判がありましたし、社会主義理論からしての批判もありました。自民党は議会制民主主義を表に出してその政策を追行しました。そして世論・市民運動・マスコミの力もあり、自民党の政策は一部修正されたりしながら日本型の福祉社会あるいは平和国家といったものが発展されました。それはすべて議会制民主主義という中で行われたものであり、この議会制民主主義の中ですべては決定をされることが日本が世界の中において経済的な力だけではない民主国家という位置づけで先進国入りができたのではないでしょうか?もちろんすべて完璧だというのではありませんが、一つの大切な条件がこの議会制民主主義にあるのです。
古代のローマにも議会があったようですが、それは議会といってもローマ市民の民主主義で、一方には奴隷制度があった。それに対して資本主義においての議会はすべての人々が自由・平等に発言でき政治に参加できる民主主義となった。封建社会を否定をしてこの自由と民主主義の中に理念を持つというものが資本主義なのであり、それは人間のこれまでの歴史においての到達点であるということである。もちろん哲学的な自由や民主主義は、資本主義的な生産物を大量に生産されていく中に現実の社会現象・人の動きと哲学は硬く結びついたものである。ですから、資本主義としての先進国は、この自由と民主主義は硬く結び付けられたものなのです。
ところが資本主義の矛盾は、今もあるように格差の社会の歴史です。
政治的自由と民主主義は保障されますが金に支配される世の中になった。その経済的な意味においての財を持つか持たないかに自由と民主主義は左右される。財を何の制限も無く持つ自由や政治的なほうに基づく民主主義、これが保守的なものでしょう。それに対して財を持たない者の生活や健康を守る立場に立つのが革新ということになります。今も、恐慌一歩手前といわれる時代において企業優先化国民生活優先化という議論が繰り返されています。保守対革新だけではなく、「社会的右派」か「社会的左派」かが問われ、同じ保守の中にも新自由主義を唱える政策が長い年月続いたり、今これが否定をされようともされています。
ですから、先進的な資本主義国においては、この資本主義の矛盾から来るものをどうにか自由と民主主義の理念が目に見える形となった議会制民主主義を通じて改善・改革するものが絶対的条件なのです。
上にも書きましたが、現在の自由と民主主義における議会制民主主義は、人類の今現在の理念的現実的な政治の形の到達点なのです。この到達点から逆行するものの動きは、独裁的な政治やテロなどへの批判として現れるわけで、理念的にそしてそれが経済の動きとして自由と民主主義から離れたという場合には孤立せざるを得ません。これは、自由や民主主義を守るという保守的なものであると同時に、今現在の到達点から先に進まなければならないという革新的な動きなのです。今は、石油エネルギーの枯渇が言われ、人口問題と絡められた、または発展途上国の発展からのエネルギーの消費と温暖化現象が危惧されています。まだ多くの問題点がありますが、これはもう1国の問題ではないという国と国の強調が言われています。資本主義は競争をしながらも協調せざるを得ないという時代に突入しました。それは国内の経済格差の問題や世界の貧困としても先進資本主義国の共通な問題となり、有り余る資本から来るバブル現象の結果としての恐慌が課題となっている。
こういう現実的なものを見るならば、自由と民主主義の世界的な議会制民主主義としての国連を先頭に書く世界機構の結びつきが民主的に行われるかどうかにかかっているわけで、今現在の自由と民主主義の到達点の次に一歩がどこにあるかが問われているということです。その意味においてこれまでのアメリカ的な自由と民主主義に疑念が生じているわけです。新自由主義が否定され始め、経済的軍事的なアメリカの自由と民主主義の拡大解釈を否定されながら次の新たな本質的な自由と民主主義が問われるわけです。
しかし、アメリカへの批判はすべてを否定するものではありません。現在のように経済的軍事的行動に誤りがあったということを表明をして議会が動くというところにアメリカの議会制民主主義に自由と民主主義は生きているわけです。ですからアメリカは、議会制民主主義国なのであり、自由と民主主義に国民は誇りを持つのでしょう。
資本主義の枠内でこれまでの過ちを認め次の一歩を模索する中に社会の安定を求めるのが本来の資本主義内の保守でしょう。それに批判と修正を加えていくのが革新(左翼)でしょうし、資本主義が資本主義としての性格を失っていく過程に自由と民主主義に次の一歩を見るでしょう。競走と強調。。。。。。議会制民主主義を通しながら。

人と人とが触れ合うなら
争いも起こる
しかしその中に互いを
思いやることもおきる
人間動物は肉体的には
そうは強い動物ではない
しかし生き残った
互いに助け合うという
人間動物の群のルールで
無意識の中に自由と民主主義を
意識に浮かばない中に
しかし社会が複雑になり
人が物を作り出し発達したとき
互いに助け合うことから離れ
そのものの奪い合いとなる
しかし社会は現実には
互いに助け合うこと無しには成立しない
互いに奪い合う
互いに助け合う
この二面性の中に
自由と民主主義は
意識されるものとなり
それは言葉となり
哲学となっていく
そしてそれは意識された行動となる
その歴史が今の到達点である
自由と民主主は
完全なる行動とはなっていない
だからといってこれを捨てることのおろかさ
自由や民主主義を
人から奪う自由と民主主義的偽装は
常に存在する
そういう自由は必ず破綻をする
進歩的というのは
これまでの歴史を顧みて
それを土台として積み上げるもの
それが空想的な
自由や民主主義を
形として築く過程である
到達点ははるかかなた
しかし自由と民主主義はある
自由と民主主義という概念が
人から消え去るときは
完全なる自由と民主主義に近いものを
作り上げたときである
そのときは意識されるべきものから
自由や民主主義も開放される

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
今日から夏生さんの

「その瞳の奥にある自由」を読み始めます

最近読書ペースが遅くなっている

もう少しペースをあげねば。。。。。

僕の読書時間は通勤の電車の中だけ

30分ほどの時間にぐっと集中します

家ではゆっくり読めないし。。。。。。

読みたい本がどんどん積まれていく

まぁ、これが今の読書時間ですから

しかたないかぁ。。。。。

本を読んでいると、

2ページほどで何かを考え込んでしまいます

うん、この考え込むというのが

読書では大切なことです

その意味ではこのペースもいいのかな

今日サマーボーンレコーズから

「夏生」レコードです

「ハイネ」がでます

予約してこよう。。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
だいぶ前だが、今算盤の見直しが出ているらしい。そろばんの玉を動かしていけば自動的に答えが出るというものは算盤も計算機の一つだが、同じ計算機である電卓とはまるで違うもののように思われる。指でそろばんの玉を動かすことと指で数字を押すこととは違うのでしょう。算盤は繰り返し行うことで暗算力が付きますが電卓は暗算の力をつけないのではないでしょうか?算盤の暗算力が筆算にも役立ってきます。
この算盤と電卓の違いを想う時、今学校で普及されようとしている電子教材はどうなのでしょうか?
電子教材というのは楽しみながら学習できる面があり使い方によっては学力の向上にもつながる面があると思います。また教室での学習効率(先生から見た)も上がると思います。しかし子供たちは何かを失うような気がするのです。特に幼稚園や小学校あるいは中学校までの子供たちにとっては。
算盤と電卓の違いとしての手を動かして記憶したりすることが少なくなるのではないでしょうか?
僕も漢字の書き取りが苦手なのであまり大きなことは言えませんが、日本語は漢字文化で英語圏などのようにアルファベットの組み合わせで単語を書けるわけではない。アルファベットの組み合わせなら電子教材で打ち込んでも言葉は覚えられるという面はあると思うのですが、漢字となるとやはり難しいのではないでしょうか。日本語が平仮名やカタカナあるいはローマ字になればよいとは思うのですがそうはならないでしょう。ワープロを見ても外国ならタイプライターの延長線のものですが、日本は仮名やローマ字で入力をしてから返還させなければならない。この繰り返しを行っても漢字の読みはある程度訓練されるが書くとなるとそうはいかない。
手書きのディスプレイなどを使って漢字練習も考えられますが、やはり手書きとは少し違ったものがあるような気がします。
将来、また手書きによる教育の良さが見直されるのではないでしょうか?漢字の書き取りや筆算を何度も繰り返すようなあるいは面白い教材を何度も繰り返して書き写すようなそんな、皆で音読をするような昔の寺小屋方式がどこかに残らないとだめなような気がします。
電子教材の良いところは、パソコンでのインターネットのように百科事典にもなるしきれいな写真や動画を見ながら学習できることかと思います。その中で調べる楽しさや文章だけでは理解できにくいものが理解可能になると思います。このような良い面を伸ばさないと。。。ただし教科書そのものが電子版になっては大変です。落書きができなくなるでしょう。。。。あハハハ。手垢だ付いたり汚くなったり、線をひいたりその感覚が大切なわけでして、これは本というものと一緒で電子版では味わえない何かを持っているのです。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
安倍総理は秘密保護法が成立した後に「嵐が去った」とその心境らしきものを吐露したらしい。
しかしこの秘密保護法は国外も含めその法案の中身の欠陥を指摘され、法案を審議する国会にすら国民の納得を得ていない。朝日新聞世論調査によれば、国会の論議が十分なされたかという問いに76%が十分ではないと答えている。
安倍政権においてはこの秘密保護法だけではなくて国民生活の悪化につながる政策がまさに矢継ぎ早に進められている。社会保障や経済においての国民不在と労働の軽視が続く。
今の安倍政権には「ねじれの解消=数の力」という政治哲学の欠陥がありそこからのオゴリが出ている。
安倍政権への「期待」は薄れてきているでしょう。
この期待への失望感がある中で、「嵐が過ぎ去った」という安倍総理の言葉は国民の心に何をもたらすでしょうか?
憤りはもちろんため息をつきながらの失望感そしてこれらがひどくなれば軽蔑感へもつながりかねないでしょう。
もう一度思い起こしてほしいです。政権を取り戻した自民党は国民から維持を受けたわけではないといったような安倍総理ご自身の言葉を。
今後消費増税が実施されますし悪性の通貨安からの物価高が起こるでしょう。経済も株・金融バブルと国民生活の低下からのデフレ圧力が同時に起こるスタグフレーション的な経済矛盾に陥るでしょう。
社会は自粛と萎縮社会となる。
この日本には自己満足的な「日本はすばらしい」といったものが出てきますが、それがどこまで国民生活の実態からの心を支えられるでしょうか?

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ブレーカがいきなり落ちた。
いつものように電気は使っていたのに。。。。
おかしいなぁ?と思いながらブレーカを元に戻したら
また子のブレーカが一つ落ちた。
風呂に入ったらシャワーから水しか出ない。
給湯スイッチを入れ忘れていたのかな?
妻に聞いたら入ってるよと。。。。。
水ばかりがしばらくで続けた。
誰のいたずらかな♪

【2018年】ツイッターつぶやき
ブックマークにも入れてあるのですが、久しぶりに銀色さんのホームページをのぞきました。
早速つりわベビーにごあいさつ。
そのあと、ハローの丘のページに行って僕が植えた花を確認🎵
そしてモノローグの中の詩に癒されて。。。。。救われます。なぜか心がさみしいときにふと読みに行くことがあります。
そしてホットニュースをのぞいたら・・・・・
「銀色夏生 穴ぐらラジオ」というものが紹介されていました。
ユーチューブで銀色さんのお声が聴けます。
「つれづれノート」も生活の一場面を描いていますが、穴ぐらはまた違った生活の一場面をお話しているのかもしれません。つれづれノートは少なくとも半年1年前の銀色さんですが、穴ぐらは今の銀色さん。
お庭の動画などもありました。素敵なハーブの庭が出来上がるでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
ロイターに自覚症状なき経済衰退の兆しという記事があった。
経済の数値が弱い実態の中で株価は上がっていく。株価が上がれば政府は経済の好調を言う。この大本営発表で世間は景気が良いと浮かれる。日本はすごいとなる。
しかし実は誰も経済の好転など実感をしていない。
でも政府が経済の好転を言うのだから、今経済が傾き始めているなどとは言えない。これはなにも一般の国民だけではなくて知識人もマスコミも同じでしょう。
自覚症状のない経済の衰退は、無知からくる来るものではないはずで、経済の現実を語ることが憚ることになっているということでしょう。
実はこういう状態が一番怖いのではないかと思います。
みんなが経済の好転を言っている中で、違うだろとは言えない雰囲気が社会全体の中に存在をしてしまう。これは日常的にも言いたいことを言えないような社会になっているということと同じです。
昔「おしん」という朝ドラをやっていた。戦争がはじまる中でおしんは戦争を批判するが、周りの人間が戦争を賛美していく中でおしんも流されざるを得なくなっていく。いま日本の国民も同じ状態になりつつあるのかもしれません。
貿易立国日本も今では貿易赤字国になりつつある。下手をすればドル高円安のスパイラルにもなる。消費増税と消費の落ち込みそしてさらなる低賃金課はGDPを落ち込ませるでしょう。さらにそのために設備投資の減少という生産力の減少となる。
企業は手厚い政府の保護を受け、労働組合の弱体化の中で賃金も労働条件も引き下げられる。企業はその利益をこのような労働者の犠牲によって補える。すると株価もある程度維持されるでしょう。しかしこれは虚構の経済の好転ですね。虚構もまた自覚を消し去ってしまう。

【2020年】ツイッターつぶやき
大阪や旭川では看護師の数が足りなくなり自衛隊の派遣を要請するようです。
コロナの重症者が増加をしている中で政府は点数による入院の選別をはじめようとしていますが、それでも看護師の不足が生じる勢いです。大阪には他の都道府県からの応援が行われるそうです。
しかしなんで日本の様に重症者数が諸外国に比べて少ないノン看護師の不足が生じているん尾でしょうか?
そもそもコロナ感染拡大以前から日本の看護師の数は少なかったようです。
100床あたり何人の看護師がいるか。。。。。
イギリス200人
アメリカ141人
イタリア136人
ドイツ  75人
日本   38人
   (こちらを参照しました
また、昼間に比べて夜間はさらに人が減るようです。
このような状態ですから空きのベッドがあっても入院を受け入れられない状態が徐々に全国的に広がりつつあります。
以前から医師や看護師の激務はニュースにもなっていましたが、その上コロナですから現在はどのような働き方になっているのでしょうか。
今更看護師が少ない現状を言っても仕方ないのかもしれませんが、これまでの日本の医療制度の貧弱さを強く感じます。
看護師不足が全国に広がっていけば自衛隊の派遣も限度が来るでしょう。
仮に今ピークアウトしても重症者数が多くなっているのですから今後も死亡者数も多くなる懸念があります。

【2021年】ツイッターつぶやき
昼飯は冷凍うどんを買ってきて春菊のかき揚げを揚げて食べました。
寒くなりやっと春菊もたくさんスーパーに並ぶようになりましたね。
春菊のかき揚げは好物で冬にはよく揚げます。
そういえば、先日ツイッターで春菊天についてのサイトがありました。
春菊天は主に関東の大衆的な蕎麦屋さんにあるというのです。
たしかに都内でもドライブに出かけた時も蕎麦屋さんで天せいろを頼んでもあ春菊のかき揚げは出てこないですね。立蕎麦屋さんには必ずあります。春菊のかき揚げ。。。。。こんなおいしいものがなぜ天せいろには乗っていないのでしょ?
春菊のかき揚げは関東の濃くて黒い汁でないとうまくない。この黒くて濃い汁がしみ込んでまだかりっとしたかき揚げはうまいです。
天せいろというとどこか高級感があってたまには食べてみようかと奮発をして頼みます。こうした高級感のある天せいろですから安価な春菊は使わないのでしょうか?
そもそも天せいろにはかき揚げが乗っていませんね。
春菊に限らずかき揚げ自体が好きなのですが、天せいろにいろいろな小さめのかき揚げを乗せたものを作ってもらいたい。

【2022年】ツイッターつぶやき
       
昨日の夕方、テレビでまだ紅葉を見られる場所をやっていて、東京から近い千葉県松戸市の本土寺をやっていました。他にもいろいろな場所が紹介されていたのですが、お寺の風景が好きな僕としては行ってみようかと思いました。



山門をくぐると本堂や五重塔が見えます。
お参りをして順路に沿ってお庭へ。庭というよりも故大海丘のような地形を生かしたようなところでした。
梅雨の時期は紫陽花もきれいだそうです。
参道にはお年寄りが数人で営業する茶店風のお店が。

【2023年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
今年の夏は暑かったですなぁ。。。。
真夏日更新の新記録。
さすがに隅っこをはいずるゴキブリもティッシュで捕まえられるほどに。
川上さんもだいぶ弱っていると。。。。
しかし群馬県の句会に出たり渓谷鉄道に乗ったり、うまいものを食ったり。
どうも、猛暑の中、川上さんの方がゴキブリに勝っている。。。。。
コメント
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「12月 7日という日」

2024年12月07日 07時56分47秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
栃木県のほうに紅葉を見に行ってきました。もちろん高い山はもう冬ですから低い山です。
少し時期を逃してしまったようで、散紅葉寸前でした。花もそうですが、事前の美しさを見ごろというのは難しいですね。
デジカメを持っていくのをわすれたぁ。。。。ガッカリ。
手打ちそばのうまそうな店に入りました。
そばは、一人前づつたのむのではなくて、そば粉「何合」で頼むんです。
≪5合打ち≫をたのんだらちょうど3人前ぐらいでした。
おいしかったです。
そばは大きなザルに乗せられて出てくるのですが、食べ終わったら、そのザルは持ち帰ってねぇ。。。と?
そう、食べた記念にザルがもらえるのです。そんなに高くはなかったのに。。。。なんか得した気分です。

この数年、もみじを見に太平山へ行っています。
もう少し足を伸ばせが日光方面へも行けるのですが、渋滞のいろは坂を思うと手ごろな太平山にしてしまいます。
たいした紅葉ではないし低い山ですが、関東平野の北にあり、山も大平さんが最後ですから遠くには新宿や池袋の超高層ビルまでも見えるほどながめのいいところです。
さて紅葉は。。。。
この2,3年紅葉には早すぎたので、今年は少し時期を遅らせていきましたが、なんと、今度は遅すぎました。もう散紅葉で木々煮のもみじの葉も茶色になっていました。
花もそうですが、自然の美しさを見るには時期が難しいですね。
大平さんの頂上には太平山神社があり、境内には20羽近くの鶏がいます。境内に鶏・・・のどかです。
しかしこの鶏にはそれなりの理由があるそうです。
昔、病気だったか?天災だったか?それを食い止めたいという願いで近隣の人たちが鶏を奉納したそうで、その名残だそうです。茶店にはこの関係で厚焼き玉子や焼き鳥が名物となっています。奉納された鶏、でも焼き鳥にされては・・・・ハハハ
手打ち蕎麦屋さんなど数件の茶店がありました。
その手打ちそばを食べたのですが、「何人前」で注文するのではなく、「そば粉何合」で注文をします。5合で3人前ぐらいでした。そして食べ終わると、そばを乗せたざるを持ち帰ってくださいと。。。。大き目の5合そばを乗せたざるをもらってきました。そばもおいしかったですよ。もちろん名物厚焼き玉子も食べました。
楽しい一日でした。
残念ながらデジカメを持っていくのを忘れたので写真はありません・・・とほほ

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
スポーツジム3日目。
一汗かいて着替えをしようと思ったらシャワー室に体重計があった。
「うん?」体重が1キロ増えている。
ジムに行きだしてから酒はうまいしご飯もうまい。なんか便通もいいし(ごめんなさい)絶好調です。
しかし。。。酒のうまさや食欲増進のためにジムに通いはじめたのではないはず・・・・
ハハハ。。。
まぁ、健康になっている証拠です。
家に帰ったら、寒いにもかかわらずハムスターのスズが回し車に乗ってダイエット中。おおっ!同志!!
しかし。。。僕がスポーツジムでウォーキングマシンに乗って歩いているのもスズの回し車と同じ?・・・・ハハハ
スズと一緒に頑張る思いで通いたいです。
(せっかく行きはじめたのだからしばらくは通い続けます。週3回の汗、気持ちがいいです!!せっかくだからスポーツジム通い帖ページでもつくろうかな?)
マフラーを出しました。
公園の木々もだいぶ裸になってきました。
公園の清掃をする人が掃き集めますがその頭に枯葉がふっていました。それでも秋の名残を探してはこの日記帳が冬至を迎えて冬バージョンになるまでは秋君と大切にお付き合いしたいと思います。

【2006年】
「今夜はアンチョビトマトソーススパゲッティー。。。。」と、心の中でうきうきと唱えながら買い物をして帰りました。アンチョビは大好物です!!
さっそく今夜は「アンチョビトマトソーススパゲッティーにガーリックライス添え。。。」とうきうきしながら作り始めました。
ニンニクをいためてアンチョビを入れて、ウインナーをいためてキノコをいためて。。。
ううう。。。。アンチョビと思って買ってきたのは鰯の水煮・・・・
アンチョビと同じ缶に入っているんですよねぇ。。。。でも、アンチョビより缶が大きいかぁ。。。。缶を開けてアンチョビを取り出してきざもうかなと思ったときに変だと気がつきました。
がっかりです。。。。
「アンチョビトマトソーススパゲッティーには赤ワインだよね♪」と思いながらワインまで買ってきたのに。。。。
今夜の夕食は、みょう~なものなりそう。。。。
妻には「鰯は体にいいから・・・・」と、ごまかそう。
それにしてもがっかりです。。。。ううう

【2007年】
晴れ続きなのはいいのですが空気が乾燥してきました。
乾燥肌で悩む季節。
足の脛あたりがすごく痒くなり、爪でごしごし掻くと粉がふくように白くなる季節。高齢化するってみずみずしさがなくなっていくことを実感します。
昨夜おいしい日本酒を飲みました。
無濾過原酒。。。
濁り酒のように白い酒ではありませんが、絞ったままの原酒という事かな?濾過していないせいかアルコール分が他の日本酒より5%ほど高いです。新潟の酒。どういえば、以前もこのお福酒造というところの酒を飲んだかな?また買ってこよう。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
米韓による軍事合同演習と日米による軍事合同演習が行われている。これは日米韓の同盟軍事演習である。
目的は日本は特定の国を想定した訓練ではないとは言うが北朝鮮への牽制である。
ニュースをみていると北朝鮮も日米韓同盟軍も互いの挑発を非難し、互いにその挑発に対して冷静に対処しているという。しかし同時に互いに軍事的な威力を見せ付ける。
これは危険な状態ですね。何かのきっかけで戦争となります。喧嘩もそうですが一度始まっちゃうとどちらもが自分を正当化して戦争の場合は正義の戦争と双方が主張をしていく。また危険性は、北朝鮮と韓国の二国間ならまだそうは広がりはありませんが、子供の喧嘩に親が出るようなアメリカの「無関心ではいられない」というのが入ってくると中途の二の舞になりかねない。それ以上にアメリカが国益を言うようになったらもっと危ない。日本の立場は日米軍事同盟ないですが、韓国の国民感情からすれば同じ民族である南北朝鮮半島と日本の関係となってくる。
アメリカの軍事展開は、対北朝鮮がその表向きの主張ですが、それは対中国であり対ロシアであり、中国やロシアの艦隊を太平洋に出さないというのが主な目的であり牽制でしょう。そのための北朝鮮問題なわけでは?また、経済的政治的に混迷をしているときには昔はカタフィー大佐の頭をひっぱた気に中東に行ったわけですが、今は味が経済的にも政治的にも台頭してきているわけですから、アメリカの存在感を示さねばならないわけで、それは対アセアンなわけでしょう?それに日本は乗っているわけです。韓国は先ほども書いたように同一民族であることは基本にあるし、日本とはまた違うものがある。
中国が議長国として6カ国会議の再開を提唱していますが、中国としても難しいでしょうが開催されねばならない。ロシアはヨーロッパとの関係改善をしているという。それは今までの政治的懸案の解決による安定化でしょう。その上にアジアや極東がある。
きな臭いものが中東からアジアへ。。。。?

【2011年】ツイッターつぶやき
馬籠宿と妻籠宿に行ってきました。
18年ほど前、当時小学生だった息子と二人旅をした懐かしい場所です。妻籠宿から馬籠宿まで馬籠峠を越えて約10キロぐらい中仙道を歩きました。山道や里の道をゆっくりと歩いた夏の旅行。。。。
今回は寒いですし歩く気力もないので車で走りました。
妻籠宿も馬籠宿も平日ですからひっそりとして落ち着いた雰囲気を味わえました。妻籠宿の島崎藤村が生まれ育った本陣や斜向かいにある藤村の初恋の相手が嫁いでしまったという脇本陣を見学。囲炉裏の火。。。。いいですなぁ。冬の寒さに囲炉裏の火はどこか懐かしさを感じる。
そんな妻籠宿でおいしいもの二つを見つけました。
一つは、湯川酒造の銘酒『木曽路』の生原酒です。どぶろくのような濁り酒です。今どこの酒蔵でも新酒が出ていますが、この生原酒も新酒です。生の原酒だからでしょうか、ふたを開けようとするとまるでシャンパンのように炭酸のようなものが抜けます。酒は酒樽の中でフツフツと発酵をしますが、その生のままを瓶詰にしますから発行したガスでしょうか?新酒が出る今ならではの酒かと思います。濁り酒は何度か飲みましたがはじめて飲むおいしさでした。この酒は上の湯川酒造のホームページには載っていないようです。
もう一つは、澤田屋の銘菓「栗きんとん」です。栗の香りや風味が生きた小さな和菓子です。お抹茶の席でのお菓子としていただいたら最高化と思います。

【2012年】ツイッターつぶやき
僕がデパートに行って買い物をするときに、これしかお金がないからまけてくれといったら変に思われるでしょう。しかし企業が労働者に賃金を支払う時はこの「負けてくれ」が堂々と成立をしてしまいます。昔「支払い能力論」というものもあり、企業はその賃金の支払いに自分の懐の都合で支払うことを正当化していた時があります。しかし現実的には本当に金がないわけではなくて労働者に支払う金はないというだけです。
人の労働力もある意味の商品となり、昔から労働者は体が資本だと労働力を売って体を動かす労働に励んできたわけです。
労働力が一つの商品ならば支払い能力論で負けてくれはおかしなものです。
しかし労働者は弱い立場にありますからだいたいは企業の言い値で売るしかない。それでも昔は春闘があって少しでも正当な値段で労働力を売ろうと努力してある程度の成果をつくってきましたが。現在ではこの企業の言い値がだんだんとさらに下がってきています。
このようなことが続くとどうなるでしょうか?
労働者は賃金を得るしか生活ができないわけですからその賃金部分で生活をしなければならない。そうすると自分たち労働者がそれぞれの分業において生産した商品を買う能力が落ちてきます。労働者は自分たちで生産した物を自分が消費をする。しかしその消費が低賃金化で落ちてきます。この面でも商品は過剰気味になるでしょう。売れなければ商品の値段は下がり、企業はその支払い能力からさらに賃金を下げる。するとまた商品は過剰気味になり値段は下がる。デフレの原因はここにもあるわけです。
もちろんこの中で労働者の働く能力である労働力は質が落ちてきます。
根本は労働力という商品の再生産に必要な賃金が買いたたかれているという事が矛盾なわけです。
労働力の再生産費としての賃金を見るとき、先にも書いた用の労働者が自ら生産をして自ら消費をしていくというサイクルにおいては、労働者の生活パターンに合致した賃金高が必要となるという事です。独身者よりも年配者で家庭を持ち育ち盛りの子供に食わせて教育をさせていくとではやはり同じ賃金ではその生活は成り立ちませんし、独身者と同じにするならその消費は限られたものとなるでしょう。その分商品は売れなくなる。独身者も年配になっていけば若いころと同じ賃金ではやっていけなくなるでしょう。この年齢や家族構成による賃金高は単純な同一労働同一賃金では解決できませんし、能力給一本という制度でも解決できません。
一定の年功序列的な賃金体系を維持しなければなりません。
昔ならだいたいが年齢を重ねれば(勤続していれば)どうに節約をしたり妻のパートでうさぎ小屋程度でも家を買い子供を大学にもという将来展望がありました。これがある程度の自己責任を行える条件でした。しかし今はこのような自己責任を終える条件が崩されたわけです。
年配者の賃金が同一労働や能力給で下がったとしても若い人の賃金は上がらないでしょう。
もう少し賃金とは何かを考える時代になってきているのではないかと思います。
世代間格差、官民格差などと問題視をされていますが、この時にあいつらの賃金は「高すぎる」から賃下げしろというようなことが言われますが、これは今の若い人の賃金をさらに引き下げる条件にもなりますし、将来年配となった時の生活条件も奪われるという事です。
世代間格差も年配者が賃金をもらいすぎだから若い自分の賃金が低くなると考えるのではなくて、実は年配者もその家族構成などでの必要な生活費に苦しんでいるのであり、全体的に平均して低賃金すぎると見た方が良いのです。ですから総体的な底上げが必要なのです。
ここでは男女間や派遣と正社員などという賃金差別には触れませんでしたが、今やこの差別もひどいものになってきました。ここも合わせて考えて行くべきでしょう

【2013年】ツイッターつぶやき
秘密保護法が可決されてしまいました。
しかしこの法案可決は今の自民・公明与党の政策のひとつでしかありません。
もちろん非常に重要な国民生活に悪影響を及ぼす法案ですから憂慮せざるを得ません。
しかし今の自民・公明与党が向かう政策はこのような平和と民主主義の後退とともに多岐にわたって国民生活に影響をするものばかりです。
原発ゼロはなし崩し的に保護にされて再稼動と原発依存がまた復活をしそうです。
TPPは守るとしたものが危うくなっています。
生活保護をはじめとした社会保障は低下をしていきます。
経済成長のための賃上げと雇用の先行きは見えませんし、かえって労働の規制緩和は労働条件などにも影響を及ぼすでしょう。
教育はどうか、、、、、

【2014年】ツイッターつぶやき
以下、ツイッターからの転載です。
マスコミの公平性が言われている中、今の選挙戦での各党の主張は党の大きさ(議席数)で争点を報道することもできなくなるでしょう。その意味で今朝の朝日新聞1面は面白いと思う。首相は賃金が2%上昇したと強調、共産とは実質賃金16か月連続低下と。
求人倍率では、首相は22年ぶりの高水準、民主党は前政権(民主党政権)時からその道筋はできていたと。こういった主張の違いを明らかにすることが公平性となるでしょう。ですから一方的に首相(政府)の主張を流すだけの報道は不公平となる。
また、これまでの二大政党の主張や注目(話題性)をされる政党の主張ばかりではなくその他の小政党の主張も公平に取り上げることが求められるでしょう。
自民党(安倍ない買う安倍内閣)は、争点をアベノミクスへの評価としていますが、他党からはもっと広いたとえば集団的自衛権や秘密保護法そしてその延長線上にある改憲を含めて争点化しようとしている。そうするとこのアベノミクス以外も公平性をもって取り上げられなければならない。
そもそもアベノミクスは自民党の戦略の「戦後レジームからの脱却」の一つの現れですから、選挙の争点はこの戦後レジームからの脱却全体となり、改憲はどうするかという自民党の公約ははっきりと報道されるべきで自民党もこたえなければならない。
もちろんだからと言って経済政策をなしに今の社会は語られないのですからアベノミクスの評価は最重要の争点ですが。
マスコミの平等性は政府批判を取り上げてはいけないということではない。政府の発表することをそのまま報道することでもない。むしろ平等性を確保するには批判の目を研ぎ澄まさねばならないだろう。政府発表をそのまま伝えることが不平等となる場合があるだろう。
昔「争点隠し」といった言葉が大きく取り上げられた。この「争点隠し」を言葉が悪いならば争点を政府の発言内容だけに絞ること、これをマスコミは行ってはならないという事である。仮に、それを行うならばそれが不平等性を招く。結局は国民の声【これっまでの世論調査も含め】の大切さ

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】>ツイッターつぶやき
インコが死んでしまいました・・・・・

頑張ったね・・・・・
お父さんもお母さんもどうしようもなかったんだ。
ごめんね。
12月 7日という日は時がとまったように感じる。
またこのページを開くことがあると思うけど、12月 7日はこの記事で終わることにするね。
たまにはご飯でも食べにおいで・・・・・12月 7日に。

【2018年】ツイッターつぶやき
去年の今日、インコちゃんが冷たくなっていました。
3日ほど前から写真の前にえさや水そして花を飾りました。
去年の6日夜、僕のところに飛んできて手の上でじっとしていました。雛の時にやはりずっと僕の手の上で気持ちよさそうにぐっすると寝ていたことを思いまだしました。
寝る時間になって籠の中に入れたのですが、いやだといっているように感じました。
今思えばずっと手の上で抱っこしてあげればと後悔します。
夢の中で会いに来てくれて僕は抱っこしてあげました。
その抱っこした感触まで感じました。
抱っこしてあげていたら。。。。。
この思いが強くなります。
もうだいぶ昔に実家でもインコを飼っていて死んだとき、お袋が親が死んだ時より悲しいといっていましたが、その気持ちがわかります。
朝起きて水を取り替えてあげて、花の水も入れ替えました。
花は水仙とナデシコを切っていけてあげたのですが、その水仙の黄色がインコちゃんの色そのまま。。。。。
こうしてブログで書いていないと、ずっと抱っこしてあげていればという後悔で胸がいっぱいになってしまいます。
さて、掃除でもしようか思ったのですが、インコちゃんは僕が掃除機を回すと決まって大きな声で怒っていました。笑いながら「大丈夫だよ」といって掃除機を回したっけ。。。。
こんなこともつい思い出してしまいます。
つらいですなぁ。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
下着やらセーターを買いたくて某洋服店に行った。
買い物を済ませてレジに言ったら、なんだか依然と雰囲気が違う。
たくさんの店員さんが並んでいたレジカウンターの代わりに、銀行のATMを小さくしたような機会が立ちその横には多くな箱がおいてある。
どうもその箱の中に買った物を入れてくれというようなので入れたら、寸時に買った商品名とその値段そして合計額が表示された。あとは現金かカードかを選択して支払えばレジは終わり。
これまでにスーパーのセルフレジをやったことがありますが、こちらはバーコードの読み取り機で自分でピッ!とやり金を支払うだけでしたが、今は箱に放り込むだけ。
そういえばJRではスイカをいちいち出さなくても改札口を通っただけで読み取るような実験をしているようです。洋服屋さんもスーパーもここまで来ないとだめですね。
それにしても、すごいですなぁ。。。。セルフレジ。
日本は今頃キャッシュレスだセルフだと始めていますが遅れているんでしょうね。
そういえば、カウンターに並んでいた若い人たちはどこへ行ってしまったんでしょ。
相当な人減らしができそうですなぁ。
それだけ雇用は減るはずですね。
昔万引きの被害での収入減と、人を雇うことでの収入減を天秤にかけ、例えば1か月10万円の被害があったとしても、万引きを防ぐ人件費が15万円なら万引きさせておいたほうが得だといったようなものを読んだことがあります。セルフレジも何らかの万引き被害はあるのかもしれませんが、あれだけ人を減らされれば利益は拡大する?
すごい世の中になっていきますね。
上記したJRの例のようにカバンの中に万引きした商品を入れておいても、出口を出るときに自動的にキャッシュレスでレジが済まされるようにならないとだめかもしれませんね。
まぁ、庶民生活の中ではこのようなことがどんどん進むのでしょうが、企業や金持ちの脱税などや政治家の贈収賄やカネの流れをピッ!とできるようなものは作らないでしょうなぁ(笑)

【2020年】ツイッターつぶやき
洋服や食料品の買い物ついでに公園まで足を延ばしました。
日差しが出て風もなく暖かでした。
公園内を少し歩くとジャンパーを脱ぎたくなるほど。。。。。
公園の中に大きなボス猫が。。。。。

≪おいしそうに何を食べているんでしょ・・・・ボス猫の顔、少し怖いですね≫

【2021年】ツイッターつぶやき
スーパーに買い物に行きました。
12月ですなぁ。。。。。
入口にクリスマスツリーが立っていました。
ふと子供の頃のクリスマスが近づく風景を思い出しました。
駅まで子供の足で20分ほどかかりましたが駅前通りには商店街がありいろいろな店が並んでいた。電柱のうえに付けられたスピーカーからクリスマスソングが流れていた。
あっちこっちの店には「年末大売り出し」と書かれた赤い派手な紙が張り付けてあった。
店のおやじやおばちゃんの声も明るく大きかった。子供の僕においしいよとか笑顔で声をかけてくる。お袋が僕の手を引っ張って行こうとすると親父が「また、帰りに寄りなよ」と声をかけてくる。
駅前にそれほど大きくはないスーパーが一軒あった。
いろいろなクリスマスの飾り付けがされてやはりクリスマスソングが大きな音で流れていた。
でもスーパーがあったとしてもまだ商店街には活気があり、スーパーと商店街は共存していた。
靴屋でズック靴を買ってもらいお袋がもらった福引券を大切に財布の中に入れる。夕飯の買い物を少ししながら帰りはじめるとケーキ屋さんがあった。
店先にはバタークリームが乗ったケーキが並び、あの長靴が並んでいる。
銀色に輝き赤いリボンが点いたきれいな長靴。
小さいものから特大のものまで並んでいる。
お袋が「今年は少し大きいのを買おうか」と。
長靴の中にはいろいろな駄菓子のようなお菓子が詰まっている。どんなお菓子が入っているのか楽しみに持ち帰る嬉しさ。。。。。
やはりクリスマスも商店街がないと楽しくないですね。

【2022年】ツイッターつぶやき
ドライブや旅行が好きで時々車で地方の方へ行きます。
気付くのは、時々カーナビには載っていない道路やトンネルそして高速道路ができています。新しいトンネルに入るとすれ違う車もほとんどなくトンネル内は独り占め。
東京でも都市計画に沿って地価の高いところに新しい道路ができたり広げられたりしています。
こうした新たに作り上げるインフラができる一方で日本全国には補修もできない橋やトンネルが相当数あるようです。NHKによれば、補修が必要な箇所や必要でも5年以上補修を行っていない橋やトンネルが数多くあるようです。
ドライブや旅行で通る橋やトンネルは安全なものとして利用していますが案外危険な箇所を通行していたのかもしれません。僕の様に遊びでたまたま通行する人間はまだいいのでしょう。そこには生活をしている人たちが毎日利用している。
国や県はまだ金があるので良いのですが、市区町村の道路となると財政的に補修はできない状態です。1億や2億の予算しかない町が10数億の金を出せないと。一つの端を直すにもこれだけの費用がかかるわけですからたくさんの端を有する町や村は大変です。
新しい道路やトンネルや橋。。。。。
これも必要なものなのでしょうが、しかしそれを作ることにより生活に必要な橋やトンネルの安全が脅かされたり取り壊されたり。ここのアンバランスが良くないですね。大規模の道路牽制通夜トンネル、橋を作るのは大手の建設会社でしょう。そこに税金を流しているだけかもしれません。
鉄道から車社会に。しかしそのクルマ社会を支える道路が老朽化している。地方の年は人口は減っていますが更に過疎化は進み人口が減っていくでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
大河ドラマ「どうする家康」もあと2回?で終わりですね。
余り視聴率がよくないようですが、僕は楽しく観ています。
信長、秀吉と同じように天下人となる家康の苦悩。
自分が死んだ後に「家」はどうなるか。
できることはやっておく。それが豊臣をつぶすこと。
批判は大きいが「家」のことを考えればやらざるを得ない。
しかしこれで封建制社会が完成するわけで、歴史は一歩前進しました。
戦国時代の歴史的条件で戦争が繰り返しますが、どうにか戦争のない社会が出来上がった。
しかし封建制度は一つの歴史的限界があるわけで、今の世に生きる人から見ればひどい社会です。そのひどい社会を維持するのが封建性です。
明治維新で資本主義となりましたが、封建制度よりも良いかもしれませんがひどさも目に見えている。
次の社会を作る人が出てくるでしょう。
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「12月 6日という日」

2024年12月06日 07時51分36秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
韓国の尹大統領がいきなり戒厳令を出し軍が国会内に侵入した。
戒厳令の目的は主だった政治家を引っ張るためとも奥さんの不正隠しだとも。
大統領からすれば、先の総選挙が不正であるということらしい。
韓国というと、昔からクーデターが起きたり大統領をやめれば訴追されるとかまともな選挙による政治がほとんどなく最近になり民主的になってきた。
大統領の弾劾訴追が国会で決議される見通しみたいですが、韓国の政治はまた乱れるでしょうね。
戒厳令がよいわけないですが、大統領が訴追されるという民主主義の形は韓国にはあるのでしょうし、国民の政治意識は高いと思われる。何をしようと自民党が政権を維持し続けられる日本の民主主義も形骸化している。

≪過去の記事≫

【2003年】
江國さんの「ホリー・ガーデン」を読み始めました。
動き、香などを通してその雰囲気を伝えるところなどは、読んでいてドキッとします。さすが・・・という感じです。
まだはじめのほうだけしか読んでいないのですが、この後の展開が楽しみです。
夜はしゃぶしゃぶにしました。
コタツの上でガスコンロを使い、しゃぶしゃぶと。温まりました。
安い肉ですがおいしかったです。

溺レる文春文庫川上 弘美  著川上さんの作品ははじめて読みました。
ものすごくアクの強い作品です。そのほかの作品も同じなのでしょうか?
「溺レる」他、7つの短編からなっています。
どの短編も、愛欲、飲食、排泄と、人間の欲望がむき出しとなった作品です。もうひとつの主題、「死」もある意味では人間の欲望となりますが、作品中にも死がひとつの欲望として表れているのではないかと思います。
すべての短編に共通するのは、ある過去を背負った男が過去を捨て、捨てるというよりもその現実から逃げています。そしてその男にはっきりとした愛情がないままについてくる女です。二人は現実というものから逃げているわけですから、社会の中で孤立をしている。なんとなく寄り添うものは二人というお互いどうしである。
この狭い中に二人は「生きている」。食べるために働くという最低限の現実とのかかわりのほかには、自分たちが生きている証はその動物的な欲望だけである。短編ごとにいろいろな性が描かれている。よく食べてよく飲む。排泄・嘔吐などという恥ずかしさは、お互いの関係の中で当たり前のようになり、動物的な獰猛さも描かれる。これがまた愛欲に結び付けられる。
このような動物的な「生きている」状態の中に、ただひとつの人間的なものを持つ。それは、自らの命を自ら絶つという人間的なものだけである。
動物のように、本能的な欲望だけに生きている中にそれは人間としての死と同じ状態を見る。生きていても死んでも二人にとっては同じである。読む者も生と死の境界を感じなくなる。
「百年」という短編の書き出しは、「死んでからもうずいぶんになる」と書かれ、「無明」には、「トウタさんと連れ添ってからじき五百年にもなろう」とある。
「百年」は、心中をした女だけが死に、相手の男は生き残って平凡な生活を送り、女は意識だけがこの世に残って男の一生を見送るというものである。その二人の過去は、やはり動物的な本能だけの二人であった。女にとっては生きているのも死んで見届けているのも同じである。「無明」は、情欲の果てに永遠ともいえる命を持つことになった二人である。やはり生きているのか死んでいるのか、「百年」の女のように意識だけがこの世にさまよっているのか、本当に生があるのか判然としない。その意味で生きているのも死んでいるのも同じである。
このような生、動物的な本能は生の根本である。同時に「人間性という皮」をかぶってこそ人間の生である。このへんを強く感じました。
この「人間性の皮」については、トップページの「ちんまりと」に書いておきました。よろしければこちらも読んでみて下さい。

【2004年】
昨日より気温が一気に10度も下がってしまいました。
寒さがきつく感じました。
ある方から内田百閒の小説「冥途」を教えていただきました。この作品は夢を扱ったものだということです。百閒は漱石の弟子ですが、漱石の「夢十夜」も夢を扱ったものですので、「夢十夜」を再読しながら「冥途」を読んで見たいと思います。また、百閒を高く評価している川上弘美さんにも夢ではないのかという「椰子椰子」があります。これも再読しながら3つの作品を比較したいと思います。

【2005年】
数日前の天気予報では、東京は晴れのはずだったのになぁ。。。
晴れるどころか午後は小雪になるかもしれないという。こう初雪が早いと低気圧のタイミングによってはホワイトクリスマスも迎えられるかな?東京ではめったに見られない風景です。
2人の少女の拉致殺人事件が起き、まだ事件か事故かはわからないようだけど今度は男の子が行方不明になっている。
なくなった亡くなった二人の女の子のご冥福をお祈りしたいですし、ご家族の悲しみをおさっしします。
僕の世代だと、昔「よしのぶちゃん事件」というのがあり、子供の誘拐殺人事件としてその衝撃を今も記憶している。謎なぜこの事件を何十年後の今も記憶しているかというと、その頃はいろいろな犯罪は合ったあったにしても地方の方へ行くと夜も鍵などかけた子とことがないというぐらいに犯罪にあう危険性が少なかったし、東京でも少しぐらいの買い物なら鍵も必要なかった時代だったから、子供が犠牲になったという社会不安が相当に大きかったという子とことだと思う。
しかし、今は子供達が何人も殺されたり犯罪に巻き込まれている。それも昔は誘拐拉致といっても金目当てであったものが、今はわけもわからない理由で殺されている。一つひとつの事件はもちろん衝撃的なのだが、こう頻繁に事件があると、僕たち世代が「よしのぶちゃん事件」を長く記憶にとどめるというような一つの事件を記憶にとどめるというものはなくなり、すぐに次の事件といったぐあいで事件の風化も早まらざるを得ないだろう。それがまた怖いところである。
対策としては、地域の連帯や大人が子供を見守るというようなことが言われているが、通学が遠距離だったり寂しい場所を通るような地方においては国の予算としてのスクールバスの導入が急務だと思う。しかしこれだけ人がごちゃごちゃいる東京でも、公園で子供が遊ぶことすら怖い世の中になってしまった。。。
なんとなく子供達を守ることが無理な社会になってしまったようである。
こんな社会の中で、後追いの対策ばかりを考えていてもいたちごっこなのかもしれない。
弱いものが犠牲になるという点では、お年寄り相手の詐欺や引ったくりなどの犯罪も増えているし、成人だ男だといっても隙を見せたらすぐに付け込まれるような油断もすきもない社会になっているのだと思う。建築知識などわからない人々は信じてマンションを買うしかないが、どこでどうなったのか知らないが欠陥マンションを買わされ正月も行き場を失うこともありそうである。
国の政策や政治と犯罪を一緒にするつもりはないが、様々な社会の中で起きている矛盾を根本的な社会のあり方として考え直す時期に来ているのではないか?この社会のあり方は密接に政治と結びついている。
競争至上主義、民間の競争原理の導入も、正常に働いているときはそれなりの成果は出るはずだと思うが、今のようにパイが小さくしぼんでいくようなときには、下手をすれば何でもありという社会的風潮のなかで、小さくなっていくパイの分捕りあいになってしまう危険性があり、それが様々な形に結びついて様々な矛盾として表れるのではないか?
犯罪は個人の責任である。しかしそればかりをいっていては解決のつかないのが発展した社会である。皮肉な逆説である。
少子化が社会問題になっている。これを個人の問題としていたがどうしようもなくなってきて「子育て支援」という社会的な解決を考えはじめている。このようないろいろな社会的な矛盾を同じように社会的なものとして考えようとする社会的な風潮が必要ではないか?少子化がなぜ社会問題としてとらえざるを得ないかと言えば、会社にたとえれば昨年と同じ生産量を維持できないという単純再生産が不可能とおなったことと同じなのであり、社会全体として単純再生産ができないほどになってしまったに等しいからだと思う。
今は勝ち組は豊かさを保てる。
しかし、19世紀のヨーロッパでは、一般庶民はそうとうひどい生活状態のおかれそれが当たり前のようになっていた。一方では裕福層は贅沢な暮らしがあった。しかしいったんコレラが流行りだすと、裕福層の人々も死ぬ。そこで始めて一般庶民の不衛生な生活が見直されようとした。子供も働かせるのではなくて学校に行かせようとした。勝ち組もその豊かさを保とうとするなら、いつか一般庶民の生活全体を底上げしなければならないときがくるものである。
今はじみちに働くという誇りのもてない社会になっている。地道のに働こうとしても仕事がなかったり、仕事にありつけても若年離職率が多いという。働くという子とことが軽視されている。だからネットの株式取引や年末ジャンボ宝くじに夢を託す。
働いている人とお客という本来は平等関係の人間が対座した場合、そこにお金というものが介在したとき、今の社会では働いている人が「ご無理ごもっとも」と頭を下げるのである。なんかこれは逆立ちをしてる。ほんとは働いている人が感謝されなければならないはずなのに。社会全体としての意識として、「勤労感謝」は死語である。
地道に働く場所がない、地道に働いているだけではウダツがあがらないという状態と、金が万能で、その金を得るためには何でもありで、ばれなければいいとなってしまったりしていけば、もう経済はぼろぼろで、人の心はすさんでいくしかないと思う。
若い人達がまともに就職できないのは、写お快適社会的には労働力の貯水池のようなもので、この貯水池を必要にしている人もいるわけだが、貯水池の水も10年以上そのままにしていれば腐ってしまうのである。何も若い人をどうしようもない腐っているというのではない。でも、精神的におかしくなる人も出てくるということである。
人の心がすさび、未来に希望が持てず、親のすねをかじってしか生活できない。一方社会の中には浮かれる人たちを宣伝され、遊ぶ子とことだけの情報は蔓延している。こういうんでは、犯罪をお書いた犯した人を非難しつつも非難していればいいというのでは片付かないだろう。

【2006年】
12月2日に引用した新聞の記事。。。
「5000億円規模の企業減税が想定されている。その財源は、07年からの所得税の定率減税の全廃(約1.2兆円の増税)で賄われることになる。」
これは、税制というクッションを使ったサラリーマンの賃下げですよね?
「『法人実効税率の10%程度の引き下げ』をすれば、4兆円規模の減税になる。その財源を他の税源で賄うとすると、消費税(現行5%)なら2%幅の引き上げが必要になる。」
これは、税制というクッションを使った物価値上(政策インフレ)げですよね?
なんだか腑に落ちないままにもやもやしていたものが整理つきました。
国が介入する賃下げと価格上昇。。。
ううう。。。。
そういえば、この前注文した携帯とパソコンをつなぐUSBケーブルですが、入荷したら電話がくることになっていたけど電話がないのでこちらから電話をして確かめたら、入荷しているとのこと。。。さっそく買ってきました。ところが家に帰ってしばらくしたら、、、電話があり「ご注文のケーブルが入りましたのでお越しください」
ううう。。。。
22日は冬至。。。。
最近、もう4時半というと真っ暗になってきた。「つるべ落とし」秋に言う日暮れの早いことらしいが、僕の日記はまだ秋で、つるべ落としも佳境に入ってきました。冬至まではもう少し。。。。

【2007年】
今日も風もなく気持ちのよい一日でした。
ミニバラがきれいに2輪咲いています。金のなる木の花のツボミも出てきました。
ミニバラって今頃咲くんでしたっけ?金のなる木の花も?
近くの木蓮もツボミが膨らんでいるようでした。
なんだか狂い咲きになっているのかもしれません。花が咲いてしまったら怖いものがある。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
          道の駅 天城越え

昨日は伊豆方面にドライブに行ってきました。
いつものようにおにぎりをつくり早朝に出かけました。首都高速もすいていて順調に東名に!と思ったら分岐と出口を間違えてしまい(笑)いったん一般道へ。出たのが霞ヶ関。。。。。めったに都心などは走ったことがないので車線やらにまごまごしながら走りました。そのうえどこも警備の警察官が、、、、なおさら緊張をします。
どうにか東名に乗りなおしてサービスエリアに入り、暖かな朝日の差し込む車内でおにぎりを。生のタラコと紫蘇昆布でした。
横浜を過ぎたあたりから前方に雪をかぶった富士山がそびえ立ちます。空は青空空気も澄んでいてその姿に見とれてしまいます。でも、そこは安全運転。。。。。
小田原厚木道路の区間別料金にどんよりしながら東伊豆の海辺を走りました。初島が見え海は穏やかに朝日に光っていました。
さて、道の駅”天城越え”ですが、いくつかの日本風の建物が立ち並びその中には物産売り場やお土産売り場、こじんまりとした売店などがありました。
おばちゃん?だったかな。。。。手作りのお強のようなものも売っていたようですが、昼飯も食ったあとなので食べませんでしたが心残りです。。。。
天城といえば「伊豆の踊り子」と「あまぎー~~ご~えぇ~♪」。そしてワサビ!
山葵漬けやらワサビを使ったものがたくさんありましたが、ワサビソフトクリームを食べてみました。ワサビソフトクリームは夏の旅行で安曇野のものでどんよりしていたのですが、日差しが射し暖かな中、そして昼飯のあとでさっぱりとしたものを食いたくなり買ってみました。
うん!これぞワサビソフトクリームでした。
口に入れると甘い普通のソフトクリームなのですが、口の中で溶けてくるとワサビの香や風味が広がってきます。飲み込むと喉越しにワサビの辛さが!
お勧めです。道の駅だけではなくてもワサビソフトクリームはありました。どこで食べても同じなのかな?道の駅では、向かって左のほう売店で買いましたが。。。。。
山葵漬けやワサビの入ったお菓子などそして地元の味噌なども買いたかったのですが帰り道の牧場で買い物をしようと思い財布の紐を締めました。
ABCで評価をすると。。。。。Bかな。
牧場では地ビールとおいしい牛乳とモッテェレラチーズを購入。。。。
帰りは小田原厚木道路そして東名が横浜あたりまで渋滞。通過に70分とか。。。。
カーナビは厚木ジャンクション前で一般道へ出ろと。。。。。。カーナビを信じるべきか?(笑)
カーナビを信じて一般道へ出ました。有料道路の横を通りますが、やはり一般道を走ると有料道路の車をどんどん追い抜きました・・・・ムフフフフ
行きも帰りも一般道へ降りた・・・・・結局一般道も渋滞でして、横浜まで1時間ほどかかりました。どっちがよかったのか。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
「上り道と下り道は一つの同じものである」(ヘラクレイトス)・・・・熊野純彦著「西洋哲学史」P26より。
一つの坂道を見るとき、自分がいる位置によって同じ坂が上り坂にもなるし下り坂にもなる。坂道はそのままに存在をしているだけである。
坂道それ自体に上りと下りがこの相反するものが宿っている。上りと下りの特性が宿っているからこそ道は坂道となる。

【2012年】ツイッターつぶやき
電車に乗り席が空いたので座った
座るときにちょっと気になる物が足元にあり困ったと思った
隣の若い女性がきれいな真っ白な紙袋を足の横の床に置いていたのだ
高級ブランドの横文字が書いてあった
女性は目をつぶっているし、座らない理由もないし困ってしまった
気が弱いのである。。。汚しては申し訳ない
注意して足を広げないように座る
高級ブランドの紙袋が気になる
電車がブレーキをかけるたびに僕の足に倒れてくるのである
気が弱いのである。。。足で押し戻すことができない
落ち着かないままに数駅乗ったが女性は目を開けない
気が弱いのである。。。。。次は降りなければならない
降りる駅に近づくと案の定高級ブランドの紙袋が
僕の足に寄りかかってきた
女性は目をつぶっているし、降りない理由はもちろん何もない
高級ブランドの白いきれいな紙袋に付き合う時間もない
気が弱いのである。。。そうっと足を上げて立たせようとしながらドアに向かう
その時ばたっと音がして高級ブランドの白くてきれいな紙袋が倒れた
高級ブランドの紙袋が倒れてハッとして女性が目を開いた
そして立ち上がった僕をキッとにらんだ
気が弱いのである。。。つい「どうも。。。。」と謝ってしまった
女性はフンと顔を横に向けた
気が弱いのである。。。。

国民生活は自助と言葉は適切ではありませんが「貧乏人は貧乏人同士で助け合え」というような共助で。国は軍事費と企業防衛そして富裕層の富の保護。これを自由主義などというのならこれでは国家は滅びます。
どうもこれまでの新自由主義は、自由主義とは言え歯止めのきかない自由主義で、ある意味19世紀などの古典的な自由主義に戻すものではないかと思わざるを得ない。日本もまたこの傾向が進みつつあり下手をすれば自由主義も否定するようなものを感じます。
植民地主義の戦争が終結をして日本には世界の中で特殊化した平和憲法ができてそれを日本は守ってきた。しかし特殊なとはいえ、平和主義は国家の憲法とはならないまでも世界中の国民の願いであり、平和憲法はその象徴・理念として見ることができる。平和主義・戦争に反対することが国民の声を反映して常に世界中の戦争やテロに対して批判を浴びせている。これは自由主義そのものの発展である。
また国民生活は、産業の発達の中で暮らしを豊かにし、そこに矛盾をはらみながらもある程度その矛盾を解決する方向に向かっている。もちろん世界の貧困化は解決されないが、自由主義の発展が解決をしていくでしょう。福祉社会や社会保障制度の充実も進みこれらもまた自由主義の発展である。
もちろんこのような自由主義の発展も冷戦下での社会主義に対抗する社会制度ではあったが、しかし自由主義自体の内部においてもこの発展がなければ社会システムや経済も発展しないという内部からの要求としての発展だった。
しかし新自由主義というが実際は新しくもない回顧的な体質の自由主義が台頭をして、自国民の生活を維持できないほど矛盾を深めその犠牲のもとでしか自由主義を維持でき奈ほどに矛盾を拡大してしまった。
やはり、自助と「貧乏人は貧乏人同士で助け合え」というような共助が強調された社会なのである。
自助も貧困化で成り立たず、共助も上に書いた状態とそして中間層の減少傾向。公助は企業論理優先で国家財政は破たんをしていく。
自由主義の発展は昨日も書いたが、この共助の仕組みを変えていくこと、つまり「貧乏人は貧乏人同士で助け合え」というようなそして中間層の負担増という形での現在の共助の仕組みを変えていくことしかない。ここに自由主義の発展を見てこの発展を阻害するものを否定しなければならないでしょう。
今や自由主義の発展をどう守るかという時代になっている。

【2013年】ツイッターつぶやき
秘密保護法が強行採決をされようとしています。
非常に残念な国会です。
法案の中身がどうのということと同時に、法案自体が不備で修正案すら審議されない。もう、めちゃくちゃですね。数の力による国会軽視。法案を通すこと以前に今の国会がどうなのかを見つめてもらいたいです。ねじれの解消とはこのようなものだったのでしょうか?
与党である、法案に賛成である、修正案に賛成であるといったことの前に国会議員として国会を守ること(議会制民主主義)が責任でしょう。ねじれの解消=議会制民主主義軽視ではないはずです。
議長責任は重いですね。
このような国会の状態ですから、秘密保護法に限らず国民生活の悪化につながるものが今後どっと出てくることでしょう。
先日もこのブログに書きましたが、これからの日本社会は自粛と萎縮のなかに国民生活はおかれていきます。
秘密保護法案というのはこのような作用や意識を国民に植え付けるでしょう。
自粛と萎縮の中に国民は置かれてその上に立って日本は民主的な自由社会だとされていくでしょう。
その中で何が大切なのか?
それは生活実態の議論なのです。秘密だなんのといわれてもこの国民生活の実態は隠せません。国民一人ひとりが感じるものなのですから。国民生活の悪化は経済全体に新たな矛盾を引き起こすでしょう。それがまた国民生活に作用をしていきます。家計ばかりではなくてブラック企業という言葉が広まりましたが、働かされ方なども含めて生活の実態です。
先の民主党政権の発足はまさにこの国民生活の実態からの政権交代でした。
一人ひとりが今の生活や格差なども含めてこれでよいのかという議論が大きくなることは法則的でしたからその法則性による政権交代だったわけです。秘密保護法などは大変重要な問題でした。しかしそれは具体的な生活実態に表れてきます。それを見逃さないことが大切なのです。
官民格差だ、世代間格差だ、男女格差などと、確かに格差は拡大しているのですがそれを国民間のいがみ合いにしていても仕方ないのです。根本は1%と99%の格差にあるのです。国の政策に問題があるわけです。国民は意識的に団結をしなければなりませんね。同解決をするのか、民主の失敗にも学びながら(民主党自体も)次の政権を見なければなりません。
生活実態の議論から切実な要求も生まれるでしょう。その要求を共有化しましょう。
それにはさまざまな階層の方の協力が必要です。極端に言えば今回の秘密保護法案に反対した方々やグループはこの国民生活の実態にも目を向けるべきなのです。そうしないと民主的な日本は取り戻せないでしょう。
政治は経済問題なのです。

【2014年】ツイッターつぶやき
今日のツイートのまとめです。
「上り道と下り道は一つの同じものである」(ヘラクレイトス)・・・・熊野純彦著「西洋哲学史」P26より。
一つの坂道を見るとき、自分がいる位置によって同じ坂が上り坂にもなるし下り坂にもなる。坂道はそのままに存在をしているだけである。
今、僕たちは坂道の途中に立って「これは、上り坂なのか、下り坂なのか」と途方にくれながら眺めている。政治家や専門家はそれぞれでしょう。しかし僕たちは自分の生活を見つめて自分がどちらに向かっているかを見ないとね。
経済全般を判断するには公平性が必要で、公平性がなければ判断をお山る誤るでしょう。経済が悪くなっているとばかり言うことは批判されますが、かといって経済は順調に成長しているというのもまた批判の対象になる。ここで政府も国民の声を公平に聞くべきなのです。この公平さがなければ!
株で大儲けをしている国民が増えて高級品の消費が増えているから経済は順調!!と同時に、貯金なしの家庭が増えたり年収200万以下の世帯が増えたり。。。。ここを見て政府は貧困が拡大して個人消費は懸念される!!と叫ばなければ公平とは言えない。
公平さを叫ぶ政府が不公平ではどうしようもないのですが、この公平さの基本となる軸はどこになるのでしょうか?どこに視点を持てば今、登り坂にいるのか下り坂にいるのかを判断できるのか?
余談になりますが、せっかくの選挙真っ最中ですから、党首討論で公約や国民に期待を持たせるばかりに議論ではなくて、それぞれの党が「自己批判」を出し合ってみればいいのではないでしょうか?むしろ国民はその自己批判の中身で党への信頼を深めて投票に向かうのではないでしょうか?
さて、今の日本は下り坂にあるのか上り坂にあるのかの判断となる軸はなんでしょうか?それは国家の役割から導かれます。この国家の役割が何かでその政党の存在価値感が見えます。
自民党や公明党の国家感、もう一つの大きな保守政党である民主党の国家感、中間的な位置にある小政党の国家感、そこから少し距離を置く社民党や共産党の国家感。そこから経済政策の違いも現れるでしょう。この経済政策は広くアベノミクスへの評価になる。
でも、国家感の違いはあっても答えは国民生活の向上や安定に落ち着きますね。まさにこの国民生活の向上や安定化こそが判断の軸となるという事です。この軸に各党の国家感がどう結びつくかどうかですね。
僕たち国民からすれば、「国民生活の向上や安定化」の流れの中で、どういう位置にいるかを知ることができる。期待は排除して今現在です。株などで大儲けをした人や貧困化した人もいる。そのどちらが多いかですね。そして中間層がいる。今の自分を振り返ってみるしかないのでしょう。
先日も『民意と政治のねじれ』という事を書きましたが、国会内の決められない国会といったねじれは国会の民主主義強化でどうにかなります。しかし問題は、「国民生活の向上や安定化」という政治が最も重きを置かねばならないところでの民意と政治のねじれを解消しなければならない。
民意はいろいろな世論調査の結果でも出ていますが、これと政治の政策が一致をしなければいけないという事で、それに間違いがあったのなら修正をしていくという事がねじれの解消です。
ここからも国民は今、上り坂にいるのか下り坂にいるのかを判断できる。日本は一つしかない。その一つの坂を判断するしかない。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
今夜も「北の大豆豆乳」にお世話になりちょっと茶わん蒸し風にならないかと思い茶わん蒸し風豆腐にしました。
鶏肉、しめじ、エノキダケ、シイタケを白出汁とみりんで下味として火を通して冷たくなるまでよく覚ましておきます。
ボールに卵1個を入れてよく溶いてそこに投入豆乳を入れてさらによく混ぜます(なるべく泡を立てないように)。具材を似た煮たスープも少し。そして豆乳についている「にがり」を入れて右に10回左に10回(豆乳ボトルのにがりの入れ方参照)かき回します。
これを耐熱の器【今夜は4個に分けました】にれます。
あとは良く冷ました具材とかまぼこの薄切り、銀杏(缶詰かパック詰めのもの)を入れてラップをしてチンするだけです。
卵2個入れてもよかったかな。。。。
美味しかったです。

【2017年】ツイッターつぶやき
サイクリングに出かけていくつかの峠を越えて山里に入った。
すると向こうからにこにこした60代半ばの身なりが良い爺さんが来て
「もう少し先は坂道だよ♪」
と教えてくれた。
少し疲れ気味でしたが、水筒の残り少ない水を飲みほして下り坂という期待を持ちながら走り出した。
しばらく行くと坂道があった。。。。。。
しかしそれはきつい上り坂だった。
たしかにあの爺さんは「坂道」と言ったので怒るわけにはいかないが、その語り口と笑顔からして下り坂という「期待」は僕に持たせただろう。。。。。
その時、ふと僕はこの5年間の政治に対する「期待」を思い出した。
多くの国民は期待をもってきつい上り坂をあえぎながら登る。
「上り道と下り道は一つの同じものである」(ヘラクレイトス)
上り坂を進むものと下り坂を進むものとがすれ違う。

気分転換にテンプレートを変えてみたのですが、テンプレートのジャンルが「キッズ」。
でも見やすいと思うのでこれにしてみました。

【2018年】ツイッターつぶやき
このブログで数回、アベノミクスは低所得層から富裕層への富の配分を行ったと書いてきました。それは様々なニュースによっても格差の拡大が言われていました。
それでは富裕層はどのくらいの富(資産)を持っていて何世帯分の富を支配しているか?
2017年4月の記事ですがアベノミクスは超富裕層だけの資産倍増計画だったという記事があります。
富裕層40人で2643万世帯(全世帯の52.5%)の資産と同じだそうです。
この超富裕層が資産を倍増させた時期がアベノミクスと重なる。
超富裕層が所得を倍増した半面アベノミクスは資産ゼロ世帯を466万世帯増やしたといわれています。
やはり1%と99%の格差社会は事実といえるでしょう。
この実態を作り上げた政府はこの上一般家庭も含めた低所得者に対は増加をしていきます。そして消費増税や社会保障の削減を突き付けています。一般家庭の所得に占める税金や社会保険料は増加をしていきます。同じ低賃金でもさらに長時間働かないとその賃金も得られなくなるでしょう。アベノミクスでの円安誘導は食糧やエネルギー価格を押し上げてエンゲル係数も上がっています。
こうこれでは、経済の好転はあるわけないでしょう。うわべの経済の好転は富裕層の所得を増加したという実績だけですね。

何月ごろだったか、電子レンジが壊れてしまい新しいものを買いました。
電子レンジも回答したり温めたりするぐらいでこれといって料理などは作ったことがありませんでした。ですので電子レンジの表には小さい字でいろいろなメニューがたくさん書いてありますが、読んだこともあまりなかったです。
今日は冷凍しておいた残り物の「紙カツ」(紙のように薄いとんかつ)を食べてしまおうと解凍してオリーブオイルで焼こうと思ったら、妻が油物は嫌だと。。。。。
その時、確か、電子レンジはスチームオーブンやノンフライメニューがあったよなと思いだしました。
ノンフライメニューで焼いてみたのですが。。。。。。。
うまくない。。。。。
やはり油の風味というのはとんかつなどの揚げ物には欠かせない者なんですね。
一口食って懐かしい味だと気づいた。なんだっけとしばらく考えていたら思い出しました。
駄菓子屋さんで売っているソースカツのあの味でした。
うん、たぶん、妻が強引に作るといわない限り二度とノンフライ昨日は使わないと思う。
まぁ、健康を考えれば我慢も必要かもしれませんが。。。。。
スチームオーブンではブリの塩焼きをやってみましたが。。。。。。こちらはまぁまぁの味でした。まぁまぁというのは安いブリでしたから油が全然なかったことからも来るものです。
高いブリを塩焼ではなくててりやきならうまいかもしれない。
そういえば、昨夜は普通のオーブン機能でスペアリブを作ったのですが、これは肉も柔らかくなり美味しかったです。

【2019年】ツイッターつぶやき
昨日の「池に浮かぶ月」の記事でも触れた東名のあおり運転から車を追い越し車線で止めてしまい、後続のトラックが追突した事件の二審判決が出た。
結果は地裁に差し戻しという異例の判決だったようです。
差し戻しの理由は、あまりにも被告側が不利なままでの審議をされたということかと思う。また、あおり運転自体に罪状がないので危険運転致死傷罪を適用したことになってしまった。市民感情もある裁判委員制度も何かしらの影響があったのではないかと思う。
例えばの話ですが、僕が信号待ちで停止していたら後ろの車が僕の車にぶつかった。僕は当然降りて後ろの車に抗議するでしょう。そして追突してきた車が逃げようとしたので静止した。しかしその時信号が青になって車が事故現場を避けて走り去っていく。しかしその時気が付かなかったトラックが衝突してしまった。
さて僕は危険運転致死傷罪で20年以上の刑を受けなければならないのか?
こんなバカげたことはないでしょう。
東名の事故は、たしかに後ろの被害者の車がぶつかったわけではないが、「邪魔だ、ボケ」といった言葉の暴力がある。それで走り去っていったので血が頭に登って追いかけて停止させてしまった。ということでしょう。
日本人は言葉の暴力には無神経なところがあって、実際子供たちなども含めてこの言葉の暴力で自殺もおきている。
こういうことを考えると二審が差し戻したということは評価できるのかもしれない。

【2020年】ツイッターつぶやき
オリンピックを前にして法律も変わり、今年もまたたばこ増税があった。
喫煙率は下がり続ける。
でも、この喫煙率の低下は自主的な禁煙ではないでしょう。
たばこ増税は低所得層から強制的にタバコを取り上げた。
煙草の健康への「害」は、受動喫煙として進められてきた。
分煙がはじまり喫煙者も協力をしてそれに従った。煙草の「害」といわれるものはこの分煙により大きく改善された。しかしそこに出てきたのは「害はゼロではないだろう」という論理です。
しかしこの社会にリスクがゼロのものってあるのでしょうか?
分煙でリスクがゼロではないといわれても、その害がどのくらいのものかはしめされない。
禁煙ファシズムが言われて久しいがその牙はさらに露骨になっていくでしょう。めちゃくちゃな論理で。。。。
もちろんポイ捨てなどマナーなどの問題はあることは承知をしていますが、このマナー違反も行き過ぎた禁煙運動からも生まれています。

【2021年】ツイッターつぶやき
昔経済力のある国がエビの消費を高めるということが言われた時代があったことを記憶しているが。。。。。
日本もエビどころかあらゆる食料を経済発展の中で手にいれた。
食料自給率が下がっていっても食料に不自由をしない経済力。買い入れも競争でしょうが経済力と共に円も強くなればその競争には勝てる。
しかしいつの間にかこの砂上の楼閣も傾きはじめた。
今や中国がその経済力において日本を抜きアメリカをも抜こうとしている。
中国14億人のためにその経済力は動き始めているようです。
円安誘導が裏目にもなりそしてその円安を活かして経済のV字回復を行うこともできない日本は食料品を確保することは難しくなる。
スーパーで牛肉を飼おうとしたらオーストラリアの肉もアメリカの肉も高くなっています。
豚肉や鶏肉も同じようになるそうです。

【2022年】ツイッターつぶやき
珈琲豆が最高値の時に比べて4割も急落しているようです。
これまで経済のニュースではインフレと物価が上がり続けるニュースがほとんどでしたが、ここにきて、まぁ、たがが珈琲豆ですが急落した。たかがコーヒー豆とはいえこの物価の下落はあらゆる商品に及ぶ可能性があります。
インフレで商品価格が上昇すれば賃上げも追いつかずに消費は落ちていくでしょう。
しかしこれはアメリカやヨーロッパの話で、円安そして賃上げもない日本ではどうか。
日本は賃上げどころか10月の去年同月比で実質賃金は2.6%マイナスになっています。
円安でさらに実質賃金が下がり続ける日本では、仮に国際的に珈琲豆が急落しても国民にとってはコーヒー豆は高いものとなります。
賃上げもない中で実質賃金が下落するというのは、社会保障費負担や増税にその理由の一つがあるでしょう。税金は社会保障に薄くなっていますからさらに実質賃金の目減りは大きくなります。
防衛費は5年で43兆円になります。
この中で更に増税や社会保障の切り下げが起きてくるでしょう。
珈琲豆の消費減少だけではなく食費そのものの減少という絶対的貧困が進みます。
不況の中の物価高は進む中で。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
プーチンさんがサウジアラビアとアラブ首長国連邦を訪問する。
いずれも国際裁判所に加盟していないので訪問できるようです。
ロシアも豊富なエネルギーを持つが、そのロシアが産油国を訪問する。エネルギー問題での連携もあるでしょうが、BRICSへの加盟準備もあるでしょう。
習さんも訪問していましたし、BRICSの対アメリカ政策が進むでしょう。ドルが中心となっている世界からドル以外の通貨の力。インフレで価値低下しているはずのドルをその価値どおりにに戻すこと。これは日本の国益にもなるでしょう。
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「12月 5日という日」

2024年12月05日 11時43分54秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
江國さんの「ホリー・ガーデン」を読み始めました。
動き、香などを通してその雰囲気を伝えるところなどは、読んでいてドキッとします。さすが・・・という感じです。
まだはじめのほうだけしか読んでいないのですが、この後の展開が楽しみです。
夜はしゃぶしゃぶにしました。
コタツの上でガスコンロを使い、しゃぶしゃぶと。温まりました。
安い肉ですがおいしかったです。

【2004年】
このところ乾燥続きで昨日からの雨はよいお湿りかなと思っていたら、とんでもない。。。。
早朝は横殴りの雨でした。
熱帯低気圧の通過だったと思うのですが、生ぬるい風が吹き荒れました。気温も24度とか。
木々に残っていた枯葉もすべて飛び散りました。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
「東京日記2 ほかに踊りを知らない。」
             平凡社
             川上 弘美  著
都市出版社「東京人」2004年5月号から2007年4月号までに連載された作品です。
「ついこの前『東京日記 卵一個ぶんのお祝い。』が出たばかりと思っておりましたら、すぐに三年がたって、この二冊めを上梓することとなりました。」
                         (「あとがき」より引用)
「東京日記 卵一個ぶんのお祝い。」は、やはり平凡社から出版されましたが、その「あとがき」には、
「『東京日記』という題は、(中略)敬愛する内田百閒の同題の作品にも。とはいえ、百閒先生と並んでしまってはおこがましい気がして、表紙には『東京日記』という字は、小さく印刷しました。」
とあります。
内田百閒の「東京日記」は、かなり不思議な世界がありますが、川上さんの「東京日記」もどこか不思議な世界があり、でもそれは日常の中にある不思議さでありクスクス笑ってしまうようなものも多くあります。
この日常の中の不思議な事については前作の「東京日記」では、
「以前『椰子・椰子』という、嘘日記の本をだしたことがありました。本書は、本当日記です。少なくとも、五分の四くらいは、ほんとうです。普通に生活していても、けっこう妙なことがおこるものだなあと、読み返しながら、なつかしく思いだしております。」
百閒の「東京日記」ほどの不思議さではない日常の「妙なこと」という不思議さです。ですから実際に起きた日常での出来事という点ではほんとの話で、本にして出版する点での配慮や作品として仕上げる上での「嘘」が五分の一という事だと思います。
今回の作品も、やはり五分の四はほんとで。。。。と、あとがきに書いていらっしゃいます。
春。。。竹の子が食べたいと思う川上さん。すると一箱の竹の子が届く。茹でておいしくいただいていると他の方からまた竹の子が一箱届く。また茹でる。するとまた他の方から竹の子。竹の子を茹で続ける川上さん(笑)
こんな妙なこと、そして竹の子をどんよりしながら茹で続ける川上さんの姿を想像してクスクス笑ってしまいます。このようなお話しが集められている作品です。
先の「東京日記」に比べると、文章がさらに短くなりなんとなく俳句趣味がより進んだように感じます。俳句の中には趣のある滑稽が有りますが、まるでその俳句をを読むような感じで読める作品だと思います。
俳文というものがありますが、ある説によれば俳句をする方の文章一般をいうらしいのですが、俳句趣味の文章という意味で捉える事ができるのなら、まさに両「東京日記」は俳文と呼んで差支えがないのかと思います。そしてその俳文の中でも滑稽さを出した俳文。
作品中に「シュール。」という文章がありますが、俳文の中の俳句趣味の滑稽というのは、シュールなおもしろさといってもよいのかもしれません。その時は真面目なのですが、後で思い起こせばなんだか自分を自分で笑ってしまうという事もありますし、人の行動の中にはなんだかわけのわからない面白さ(笑い)があるものです。川上さんもクスクス笑いながらお書きになったのではないかな。
本の題名のネタバレになりますが、川上さんは、誰もいない部屋の中で「一人東京音頭」を踊ります(笑)
それは「一人東京音頭」を踊るという誰も見ていない中の川上さんの面白さでもあり、その面白さは川上さんご自身でしか、川上さんご自身の心の中でしかクスクス笑えないものです。それを読者が読むという中の面白さ。自分を自分で笑ってしまうおもしろさ。なんとなく自分を遠くから眺めているような風景。そこにこの作品のおもしろさがあるのではないでしょうか。
人は生きていれば大きな出来事があり、その中に心が大きく揺れる喜怒哀楽があります。しかし、このような大きな喜怒哀楽というものはそうは毎日起きないものです。かと言って毎日がまったくの平凡かと言えばそうでもなく、心が小さく揺れる小さな喜怒哀楽があるわけです。それが「東京日記」で書かれているおもしろさだと思います。
あとがきは、
「どのひとのうえにも、ひとしく幸いが訪れますように。
そして、もしまんいちなにがしかの不運をこうむったひとにも、近く幸いが訪れますように。」
と、結んでいます。
「妙なこと」の中にはおもしろい事もあれば不幸な事もあります。その「妙なこと」にも大きさがあります。それを自分を遠くから眺めるように、これもすべて「妙なこと」のあった一日として眺められれば心も休まるかもしれません。また、平凡さの中にある小さな喜怒哀楽を引き起こす「妙なこと」これを滑稽な笑いにできれば幸いかと思います。

気温は低かったですが、風もなく気持ちよく晴れた一日でした。
いつも寝坊して布団を干すタイミングを逸している息子の布団も干しました。
こうして寒くともからっと布団を干せるのも雪にないところの幸せかもしれません。
ホームページのトップページはもうすぐアクセス数40000となります。またホームページに付けている掲示板「銀色夏生ページ掲示板」もあと1000ほどで80000アクセスとなります。アクセス数の半分(あるいは四分の一)の20000は自分だとしてもたくさんの方がいらしていただきうれしく思います。「夕螺の掲示板」もやっと30000を越えました。4年と半年。。。。
ブログは1年半で40000を越えましたが、今はやはりブログの影響力が強いですね。ホームページはアクセス数からだけを見れば歩みののろい亀のようですが、まぁ、ゆっくりとやっていきたいと思います。
いつもいらしてくださる方をはじめ、そのほかの方にもお礼を申し上げます。
今夜は、ブロッコリーとベーコン炒めとサバの味噌煮。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
暖かな日差しの中、土産品を売る売店が並んでいた。
ある土産物店に高く和菓子の箱が積まれていた。少し聞いたことのある和菓子なのでみていたら試食をくれたので食ってみたらうまい。
買おうかなと思ったら、店の人が「日持ちしますよ」と。
たしかに土産物は日持ちがしたほうが良い場合があるが、
「車の中に入れておいても大丈夫」
「〇日ぐらいは大丈夫」
「日持ちしますよ~・・・・・」
と、何度も繰り返す。
和菓子ですからねぇ。。。。
そう何回も日持ちがするからといわれると、かえって大丈夫かなと思ってしまう。添加物たっぷりとか。まぁ、今は包装の技術がすすんでいるから昔のようにたくさんの防腐剤が入っているというわけはないと思うがやはり何度も「日持ちします」といわれると。。。。
和菓子でもほんとの土産物!といったものはそんなもんかと買いますが、しっとりとした和菓子ですからなぁ。。。。
たぶん、あの「日持ちしますよ」は逆効果だと思った。

気温は低かったですが、風もなく気持ちよく晴れた一日でした。
いつも寝坊して布団を干すタイミングを逸している息子の布団も干しました。
こうして寒くともからっと布団を干せるのも雪にないところの幸せかもしれません。
ホームページのトップページはもうすぐアクセス数40000となります。またホームページに付けている掲示板「銀色夏生ページ掲示板」もあと1000ほどで80000アクセスとなります。アクセス数の半分(あるいは四分の一)の20000は自分だとしてもたくさんの方がいらしていただきうれしく思います。「夕螺の掲示板」もやっと30000を越えました。4年と半年。。。。
ブログは1年半で40000を越えましたが、今はやはりブログの影響力が強いですね。ホームページはアクセス数からだけを見れば歩みののろい亀のようですが、まぁ、ゆっくりとやっていきたいと思います。
いつもいらしてくださる方をはじめ、そのほかの方にもお礼を申し上げます。
今夜は、ブロッコリーとベーコン炒めとサバの味噌煮。

【2011年】ツイッターつぶやき
野田総理がILOアジア太平洋地域会議に出席をして演説をしたようだ。
演説の中身の一つとして「世界の中間層の危機」を取り上げて貧富の二極化を是正すると。
日本ではすでに中流意識は薄れている。中流というのは相対的なものだから常にその社会には社会の中流がいるわけだが、全体的に賃金は下落をして雇用も失業率は増えて不安定雇用が多くなるなどこれまでの自民党政権から政策的に行われてきた。年金をはじめとした社会保障の切り下げも行われ、この切り下げの中に言われた100年は大丈夫な年金改革は破たんをした。この全体的な生活の低下や不安定さの増大が中流という意識を消し去ったのである。
このような状態の中で野田総理は中流層を厚くする政策を強調するわけだが、どうもそのために何をするかとなると具体的なものはほとんどない。それどころか消費税の増税を積極的に行うという。中流意識を吹き飛ばしてしまった現在の生活の実態にその生活を苦しくするために油を火にそそぐようなことを行おうとしている。
様々な中間層を厚くする政策も財源が必要なわけでその財源を消費増税として行うということになるのだが、これでは国民の生活の豊かさは出てこないでしょう。庶民の生活向上を庶民からの増税ででは。。。。
賃上げはもちろん、派遣法の改正もままならず、失業はほとんど改善されず、政策仕分けでは社会保障の切り下げの提案、抜本的な改善がない上に競争というグローバル社会には手を付けない中に行おうとするわけだから改善される具体的なものはないわけです。
朝日新聞の今日の社説では「社会保障と税の改革 消費増税は避けられない」とあった。
ここにも何かしら具体的な政策提案があるのだろうか?野田総理と同じことを言っているだけである。

【2012年】ツイッターつぶやき
社会を支えていくものに「三助」の考え方がある。自助・共助・公助という三つの社会における国民の最低限の生活を保障するという事や富の再配分そして自治体や企業を健全化するなどを目指したシステムである。
自助は、個人が社会のために労働をしてその中で個人の生活を維持していくという事でしょう。今でいえば自己責任とか自立した国民という意味にもなると思います。
共助は、互いに助け合っていくという事でしょう。今でいうと年金問題が大きくなっていますがその中で若い人がリタイヤした御高齢者を年金などで支えるといったようなものでしょう。
公助は、国家がその行政の役割として地方自治体なども通じて国民生活の安定化を図ることにより助け合うという事でしょう。
今回の総選挙の争点もこの「三助」考え方にあると思います。
一つは自己責任や自立した国民を強調する新自由主義的な「自助」を前面に出した政策です。
たとえばリタイヤしたお年寄りを個々の家庭において支えるといったようなものであると同時に、この各家庭の収入もまた個人の努力で得ることを言う。しかし、日本のバブル崩壊時やアメリカのリーマンショック時に典型的に表れたように企業というものは利益を上げている間は自助ですがいったん破滅しそうになれば手厚く保護されるといったように企業には自助の責任はありません。助とは国民一人ひとりに対するものと見た方がいいでしょう。
二つ目は年金制度や健康保険制度のような国民から徴収をされた資金+国の税金を活用した福祉国家あるいは社会民主主義的な政策である「公助」を前面に出した政策です。ここには富の再配分としての税の使い方も含まれるわけで、様々な社会保障が行われます。各家庭においては自助とともにリタイヤしたお年寄りは年金で自立した生活をおくります。問題は高齢化社会や国の借金問題が対置されます。
こう見ると自助を言う政策は、企業や富裕層に有利なわけで、格差社会といわれている現在においてはこの自助社会は破たんをするでしょう。一方では公助社会は国の借金を膨らませると言われる。
こう見たときに矛盾が出るわけですが、その解決をどこに見つければいいのでしょうか?
それは「共助」の中身の問題となります。早い話が富の再配分のやり方です。
現在の共助の中身は先にも書いたように、年金で言えば若い人(現役世代)が年金受給者を支えるというような一般国民同士がそのぎりぎりの生活をしている中に自助を求めています。ここに社会の富を多く得る企業や富裕層の役割が出てきません。厚生年金掛け金は個人と企業の折半し+公的資金ですが、こういったものが広がりを持たなければ本来の共助とはならないでしょう。消費増税にしても大衆課税という性質からある意味一般国民の共助的な中身です。しかしここには富裕層の所得税や法人税の減税が続いてきましたしそこの改善は見られない。
今後の日本を支えるのはこの共助部分の改革により公助を広げることでしょう。
自助だけを強調するならさらなる貧困化は避けられませんし、それはデフレもさらにひどくするでしょう。その中で国や企業も衰退していきます。

【2013年】ツイッターつぶやき
秘密保護法案が強行可決(一部国会審議のない修正による4党の可決か?)されようとしていますが、日本社会は自粛と萎縮の社会にますますのめりこんでいくでしょう。
自粛は小泉政権内で広がりましたしそれ以前の昭和天皇崩御でも顕著でした。自粛は広く社会に広がりそれが経済にも影響を及ぼし、特に勤労国民は国や企業のためには我慢といった意識や諦めが蔓延しました。それが失われた10年ないし20年です。そしていまさらに安倍政権の中で加速をして失われた30年に向かいつつあります。今回は自粛だけではなくて国民の萎縮を呼び込むことになります。
勤労国民の自粛や萎縮は一時的にはカンフル剤として作用しますから国や企業にとっては都合のよいものです。しかしそれは長期的な社会の低迷をもたらします。
なぜ日本では起業が行いにくいか。。。。これも含めて勤労国民はその自主性による自由な発想が鈍くなり、勤労国民一人ひとりに夢や自由がなくなればそれは社会の停滞を引き起こします。国や企業の言うことを聞くだけの一面では都合のよい国民がそこに現れますが、打ちひしがれた国民に活力は失われます。
財界も今のままでよいと思っているのでしょうか?特に内需関連や中小企業のかたがたは?
勤労国民が自粛・萎縮すれば企業活動も鈍るということです。日銀や政府の経済政策が異次元といわれるほどに行われてもその恩恵は少ない。経済工は株・金融そして一部輸出企業にしか広がらない。来年4月には消費増税ですぐに10%にもなる。賃上げを検討しているのは一部の10%にも満たない企業でしかない。社会は萎縮していくのです。
安倍政権はこの経済政策を抜きにしたかのように秘密保護法案に集中している。
経済と政策は自粛・萎縮の中に停滞をしていく。
裏を返せば、自民党政権が復活をして今後も政権を維持するには自粛・萎縮した社会という統治しかなくなっているということです。
自由と民主主義の党。。。自民党は、保守勢力の一部の力により変質してしまう。もちろん自民党がこれまで自由と民主主義の党だったかといえばそうではなかったのですが、55年体制も含めて国会そのものは重要視して修正も議論されて政権は維持をした。この自民党は保守としてはまじめな面もあったのです。しかし今はどうでしょうか?議会制民主主義すら危うい状況を作り出している。
保守層の建て直しも含めて左派と中間層による自由と民主主義平和の理念を再度構築しなければならないでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
1ドル120円に行くか?と見ていたらいきなり121円に。これが瞬間風速化122円に向かうものか?
円安が早すぎるという声が多いがこの速すぎるが加速度を増している傾向にあることは間違いないでしょう。
株価が騰がって喜んでいる方々がたくさんいて、121円に!と週明けを楽しみにしているのでしょう。。。。
しかし急激な円安が懸念されはじめてそれが加速度をもつようになっているなら、もう水ぶくれの株価に喜んではいられないでしょう。その株高で景気がよくなったとまだ喜ぶべきなのでしょうか?
円安→物価上昇→貯蓄の目減り。。。もちろん財布の中身は軽くなる。
円安が急速に進みどこまで下がるか不安になれば円を売ってドルなどに替える。すると円安はさらに進む。物価はさらに騰がる。結局円安は円の信用がなくなるという事。
これは経済の根幹にかかわるものでしょう。
今は政治家も選挙で忙しいのですが、やはりこんな時期に選挙などやっている場合ではなかったのです。
「円安、異例のハイペース…食品系で値上げ相次ぐ 読売新聞」
「2倍の速度で進む円安、前回円高時に比べ関連倒産件数は3倍超 | Reuters 」
円安は経済の足かせとなりつつあります。
円安が経済の足かせとなるにもかかわらず円安が株価を吊り上げ続けるというのは株価バブルです。
日銀はまだ追加緩和を捨てていないし、物価上昇目的に突き進む。経済が成長していない中で純粋な経済成長からの物価上昇を思い描いているのですから。しかしバブルの様相を示した場合は出口(引き締め)しかなくなるでしょう。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
日本社会総体で見ると日本は閉塞した社会になっており、この中で閉塞感が広がっているのではないか。
一時テレビ番組でも「日本、すごい」といった番組がたくさんありましたし、北朝鮮や中国時には韓国を批判することによりやはり日本はすごいなどの優越感を持ったり、時にはそれがヘイトにもなった。
しかし現実を見れば日本の閉塞感の裏返しのように見えてくる。
政治は選挙公約などどこ吹く風と国民生活の不安定化を加速させるような政策が矢継ぎ早に出され、改憲という形での自由や民主主義の制約にも閉塞感が出ている。上位下達的な、国家が国民の上に立つ逆立ちが大きく感じられてくる。
自民党から民主党そしてまた自民党への政権交代が行われたが、その中で決められない政治が社会の閉塞感のように報道されたが、一強政治がなおさらこの閉塞感を深めているというのは一つの皮肉です。
日銀の黒田総裁が、現在の日銀批判に対して答えているが、結局は経済の好転がない中でその過熱による2%インフレが達成されないことに日銀緩和失敗の答えは集約されているのであり、様々な答えは大丈夫だという言葉による期待そのものです。
企業の不祥事は音からあとから発覚をして、時間外労働の実態や過労死問題により大企業と言えどもブラック化している。そしてその企業というのが政治献金。
この閉塞感を打ち破ろうとする新党結成は、言葉だけは勇ましいが結局は希望の党のように自民党の補完勢力ではという疑心暗鬼が強まって国民の信頼が得られなかった。
閉塞感が深まると言葉による国民統制が進むがこれは悲劇です。
閉塞感はデフレマインドを作り出しますし、国民の疲弊は犯罪(いじめもそうでしょう)の増加を引き起こす。犯罪までも行かないまでも国民同士の中に互いの対立という構図を作り出している。トランプさんが国民の融和を言っていましたが、この失敗と同じことが日本でも起きている。「和」や「絆」などなどという言葉はたくさん出るが社会全体としてみれば分断されている。国民が国など力による統制によって和や絆をというものは失敗をする。
それでも国民は頑張っている。
ここの国民はこの社会の片隅において地道に労働をして家族を守り融和を求めている。
この国民をまた日本人の優れたところだと日本はすごい敵な権力者が出る。
このほころびは拡大していくでしょう。それが経済危機としてあらわれるでしょう。これまでの日本社会が築いた貯金を失いながら。

【2018年】ツイッターつぶやき
東名高速でのあおり運転の裁判が始まった。
弁護側から被告に対してパーキングエリアで邪魔だボケといわれたときどう思ったかという質問に「カチンときた」と答えている。
邪魔だボケという言葉でなくても感情むき出しのクラクションとかもあります。
ここに今の社会の人と人との関係が現れていますね。
たしかに相手側に落ち度があるにしても、その相手の人格を傷つけるような言葉や行動に正当性はない。店の店員にミスがあったので土下座まで要求するようなこともあります。
こういった言動が正当化される時代なのでしょうか?正当化されないまでも相手が逆切れしたらどうするんでしょ?逆切れを「あおっている」ようなものです。
もちろんこの事件で被告を弁護するつもりはありませんが、逆切れをあおるような言動にも問題があるということです。
逆に運転していると後ろに目が付いていないドライバーがいますね。
低速でずっと高速道路の追い越し車線を走っていたり、上り坂で上り坂車線があるのにその車線の移らない低速の車。左車線あるいは上り坂車線からみんな追い抜いていく。
こういったものも「邪魔だボケ」の挑発の言動にも結び付く。
まぁ、どっちにしてもこういったトラブルは「後ろに目が付いていない人の言動」が引き押しかねないものなのでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
はとバスの運転手さんがインフルエンザの高熱のために意識がなくなり事故を起こし衝突されたタクシーの運転手さんが死亡した。
常務乗務前に会社も気が付かず、運転手さんも自己申告しなかったという。
結局は運転手の責任でこの事故は片づけられるでしょう。
しかし一つの疑問がある。
なぜ運転手は自己申告しなかったのでしょ?
体もきつい中無理に仕事をしなくてもよかったでしょうし、したくもなかったでしょう。
運転手さんは体の異常があるようなときはもちろん日常的に休暇などを採れていたのでしょうか?急に体に異常が出たときに変わりに運転をしてくれる乗務員はいたのでしょうか?いたとしても帰りにくい実態はなかったでしょうか?
こういったことから会社も自己申告で大丈夫ということにしてしまう。
働き方改革と言いますが、まだ無理な働き方をせざるを得ない実態があるのではないでしょうか。
ここを改善しなければ同様な事故が今後も起きるでしょう。
普通のサラリーマンも同じです。

【2020年】ツイッターつぶやき
Go Toトラベルを利用した人がのべ5600万人(泊)だそうで、関連でコロナに感染した人は240人程度だといわれています。5600万人も出かけているのに240人程度ならGo Toは感染拡大とはつながらないだろうと思ってしまいまうね。
でも、5600万人というのは1人の人が何拍もしたりしている延べ人数ですから実際は多くて2000万人ぐらいでしょうか?240人に対しての分母がだいぶ少なくなるのは確かでしょう。すると感染率は高まります。
もちろんこれでも240人という数字は少なく感じますね。
でも、この240人という感染者が特定された条件というのはどのようなものかというと政府の発表では人数の数字だけです。例えばクラスターのようなものがあって後追いして判明したとか限定された条件での数字ではないかと思いますがどうでしょう?地方の人が東京や大阪などの大都市圏に来て繁華街で飲み歩いていたとか。そういうところで感染が判明されれば確かな数字となりますが。
しかしGO Toでの感染はむしろ大都市圏の人が地方に出かけた場合の方が心配されます。
この場合、地方の方が大都市圏の方から感染したとなると特定ができるでしょうか?友達が東京からGo Toで来て飲み会をやったとかであれば特定はできますが、旅行客となれば特定するのは難しいでしょう。
でも大都市圏の人が感染させてしまったという特定はできませんが、全国の感染者の増加とGo Toの前倒しの実施とリンクするのは確かでしょう。この辺は現在の感染拡大で政府もGo Toを一時停止するようになっていますし、東京や大阪からの他県への移動を自粛するよう要請していますので、人の移動による感染拡大自体は否定をしていません。そのうえで個々人に感染拡大防止策を自己責任で行いGo To自体を全国的には継続をし、継続どころか来年半ば(下手をすればオリンピック終了まで)延長しようとしているだけです。
Go Toの影響はかなりあると見たほうがよいでしょう。
これからクリスマスや年末年始ですからね。GO Toの利用やGO Toを利用しなければ大都市圏にも人が押し寄せることもあり得ます。ただ10時以降は飲めなくなるかもしれないというだけで。
第三の波はピークアウトかもしれないという分析もありますが、それが正しいとしてもGo Toとそれに関連したゆるみから再度感染拡大や新規感染者が下がりきれない状態が出るでしょう。
今後死亡者数も増加をしていきます。それを尻目にGo toの経済政策(大企業救済)が続きます。

【2021年】ツイッターつぶやき
オミクロン株の感染がWHOが発表してからわずかな期間の間に南アフリカから世界12ヵ国で市中感染がはじまるようになった。日本では入国者の2名でまだ市中感染は発表されていない。
そのような中で群馬県の会社で42名のクラスターが発生した。もちろんまだ今回のクラスターがオミクロン株かどうかは今後の検査を待つことになるでしょう。しかしオミクロン株かどうかがわからないにしろクラスターも市中感染の結果ですから国内においても市中感染からの感染拡大が心配されます。
もちろんクラスターはごく狭い範囲内での結果ですからこれ以上の感染の広がりがなければおさまるでしょう。しかしその感染者には家族がいる方もいるでしょうし、社会的活動もしているわけですから濃厚接触者の検査結果次第ですね。
もう一つ心配なのが、ワクチンを接種した人が29人と多いことです。
全国的な感染拡大があり得ることを考えればワクチン効果にあまり期待は持てないでしょうし、ワクチンパスポートやワクチン証明の信頼度は下がります。ワクチンを接種したかどうかでの差別化はできないでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
冷たい雨が降っています。
ベランダに出ると息が白い。
昼間も気温は上がらずに10度以下だったようです。
明日の朝は4度だとか。。。。。
もう少し気温が下がったら霙になるかな。
昨日、炬燵を買ったのですが、ものすごくシンプル。
今まで使っていたものは電気の紐の近くにコントローラーが付いていて炬燵の音頭を細かく設定できたのですが、今度の炬燵は昔ながらのものと同じように炬燵中に温度設定のくるくる回るスイッチが付いている。
まぁ、安かったのでいいですが、炬燵自体もあまりつくらなくなったようで有名家電メーカ製はない。
そのうちに炬燵文化もなくなるかも。
去年、お客が来て炬燵を見たら「炬燵だぁ・・・・♪」と喜んでいました。
うん、炬燵文化は守らねばならない。蜜柑を置いて食いながらテレビを見たりごろっと昼寝をしたり。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
東京都の立川、国分寺を中心に水道水の勇気有機フッ素化合物の値が高くなっていましたが、WHOが発がん性が「ある」としました。発生源はわからないようですので、対策がわからないのでしょう。
水道水が地下水なのでしょうか?
立川には米軍基地がありますが、関係があるかどうかははっきりしません。
政府は血液検査を強化するとしていますが、、、、
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「12月 4日という日」

2024年12月05日 07時50分55秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき

上野国立美術館で埴輪展が開かれています。
*写真は写してもよいとのことでした。


老人でしょうか


古墳時代の船も大きかったのですね。
朝鮮半島からの渡来人の船でしょうか。


古墳の埋葬品鉄剣の展示もありました。


古墳時代から大和すわりというものがあったのですね。
王様に跪いているのかな。そういえば、魏志倭人伝には、部下は王様に跪いて「アイ」と答えるとありますね。

≪過去の記事≫

【2003年】
夜、忘年会です。。。。
布団を干しています。日向にいると少し暑いくらいです。
今夜は、ぬくぬくの布団!!
酔い覚めをして風邪をひかないよう行ってきます。

【2004年】
娘と水族館へ行ってきました。
お土産やさんで、ネックレスと指輪とハンカチで3000円。。。。。トホホ
スーパーでゆでうどんを買おうとして原材料欄を見たら、うどん粉と塩の他にさまざまな添加物。何だか食う気がしなくて戻しました。ウドンすらまともなものが食えない。。。。
讃岐ウドンとありましたが、本物の讃岐ウドンを打っている人がかわいそうです。
たしかに昔の人は質素な食生活だったでしょうが本物を食っていた。今は本物を食うことが一番の贅沢。食の豊かさってなんだろ?
日本殺すにゃ刃物は要らぬ。食う物の経済制裁すりゃぁいい。。。。
だいぶ前に輸入食料がなくなったらスーパーの棚はこうなりますという報道番組を見たことがあるが悲惨です。。。。。
工業製品の生産と輸出の犠牲に今の食料の貧困を生んでしまった。。。。

【2005年】
スポーツジム2日目。
ウォーキングマシンで汗を流した後にスタジオ(エアロビなどをする鏡がたくさんある部屋)に入りました。ストレッチのようなものですがそのインストラクターがとある女優さんにそっくり!!初めてなので要領を得なかったのですが、その女優さん似のインストラクターが「夕螺さん。。。。ここを伸ばすようにするんですよぉ。。。♪」と、わき腹を優しくなでる。。。デレェ~ッ。。。ハハハ
ストレッチと入れ替えにエアロビがあったのですが、そのインストラクターもボイッシュで美人でしたぁ。デレッ~
エアロビもやっちゃおうかと思ったのですが、体力が続かない。今度にしましす。
ウォーキングマシンをしながら横を見れば、どこかの若奥様風の美人が。。。
なんか何しに行っているのかぁ?(笑)
気合を入れなくてはなりません。でもなァ。。。筋トレルームにはマッチョがたくさん。あまりこっちには入りたくないというのが本音です。
内田先生の「先生はえらい」を読み終わりそうです。
養老先生のベストセラー本「バカの壁」もそうですが、こういう「素人とにもわかりやすい本」というのは要注意というのが僕のこの手の本の読み方です。どことなく「うん、うん」と納得してしまうのですが、「でもなぁ。。。?」と感じるところもあります。
まぁ、内田先生の本には「誤読する自由」というページもあることだし、様々な本は誤読を恐れずに読むべきなのでしょう。。。。
今にも雪になるのかという小雨が降ってます。
冬は苦手です。
寒くなってくると温かいお茶がおいしくなりますが、「ぶらり旅」にも書いた笠間の急須が役立っています。急須専門の陶芸家が作った急須なのですが、形といい注ぎ具合といい、「なるほどぉ。。。」と、妻も納得しながらお茶を飲んでます。
今夜は、ピーマン味噌炒めや胡瓜のニンニク和えを作っています。
なんか、酒の肴ばかりみたいですが、スポーツジムに行くと酒がうまくて。。。おかずも酒の肴風?(笑)

【2006年】
布団を干したのですが、午後から陽が隠れて布団が冷たくなってしまいました。それでも午前中の強い陽射しでしまった布団もホカホカです。
今夜はお好み焼き。。。。
具はタコと豚肉の2種類。どちらにも干しエビを入れました。
豚肉のほうには好みで明太子を入れてみようと思います。東京には昔から「もんじゃ焼き」というのがあるのですが、ほとんど水のような薄い衣で焼きます。味付けは何が入っているんだろ?たぶんウスターソースだと思うのですが、独特なお好み焼きモドキです。。。。このもんじゃ焼きに餅と明太子を入れるとすごくおいしいのです。本場月島で食べたときはお替わりをしてしまいました。お好み焼きですから餅というわけにはいかないので明太子だけにしておきます。
もんじゃ焼きのタレは売っているのだろうか?一度家でやってみたいのですが。。。。
もんじゃ焼きは、まずキャベツやメインの具を鉄板に乗せ、ドーナツ状にします。そこに水のようなタレを流し込む。ドーナツ状のものが川で言えば土手のようになり、タレが流れません。焼けてきたところで具とスープを混ぜ合わせます。このとろみ感がなんともいえない。具に火が通ってきたところで、お好み焼きをひっくり返す道具のスプーンぐらいの大きさのものですくって食べます。焦げてきたところがまたこうばしくてうまいです。ツウとなると、このスープが鉄板の上で薄い煎餅状になったものを好みます。
もんじゃ焼きは、関西のお好み焼きの流れを汲みながら東京で独特な形になったのだと思うのですが?

【2007年】
昼間は暖かく感じましたが、夜になり冷え込んできました。
ニュースを見ていたのですが、インフルエンザが流行り始めたようです。
今から流行るようではこれから冬本番に入り怖いです。インフルエンザのワクチン注射は大人になってからは受けた事がないのですが、「型」の当たり外れもあるし、ウイルスも進化しているようですしどうなのかなと思います。これから高齢になるとインフルエンザも危ないのですが、予防接種の怖さも感じるし。。。。
スーパーに買い物に行ってきました。<リンク>
スーパーというところはある意味女性の世界。。。ううう
なんて書くと女性に怒られますが、人の本音が出るところでもあります。
時々列に並びながら人様のカゴの中身を見るともなく見てしまいますが、個性というのか・・・・その方の生活が見えるような気にもなります。
人生が見えますなぁ。。。。
今夜は、豚肉の紫蘇の葉巻とほうれん草の胡麻和え、鮭の西京漬け。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
拝啓 銀色夏生様

「メッセージ」を拝読させていただきました。
すっかり落ち葉の季節になりました
赤やオレンジ、黄色いきれいな葉も
落ち葉となって茶色くなってしまいます
鮮やかな色は命の色ですね

      敬具

強い風もやみました
落ち葉が公園に降り積もっています。落ち葉は風に誘われて片隅に寄り添うように集まりました。手を入れたら温かいでしょうね。

中国が金融の引き締めに移行しそうです。
中国では消費者物価指数が上昇をし、不動産はバブル化しているようです。
この中でインフレは加速しそうな勢いでありそのための金融の引き締めでしょうか。現在の成長を安定的なものにするための「安定成長」を目指すものでしょうが経済成長とインフレの矛盾をどう解決するか、日本やアメリカの二の舞をするのか中国独自の経済政策を行うのか。
中国のバブル化の一つの要因としては、中国が自らが金融危機後に行った50兆円の景気対策にもありますが、現在アメリカが行っている40兆円の景気対策や金融緩和といった資金が中国にも入ってくることによるそうです。それはヨーロッパや日本の金融緩和、日本のゼロ金利や日銀が直接市場へ資金を流すという流れにもあるのでしょうか。
先進国では日本のデフレを筆頭にデフレ傾向が強まる一方その先進国の資金は中国に集まる。先進国の景気対策や金融緩和の資金は「だぶついた資金」として中国に流れる。これを見るとデフレというのは市場に金が足りないからではなくてむしろ金がだぶついているということになる。資金を国内では消費しきれないということ、これはその資金を生かす国内的な経済の疲弊ということになります。経済成長は低く、下手をすればマイナス成長となる現状のなかで、資金はあふれるが生かすだけの国内消費は先細りをしている。それはさらに内需関連の企業を駆逐していく。
経済対策や金融緩和というものがすすめばすすむほどデフレ傾向は強まる。金づまり。。。。資金のだぶつき。資金の海外流出と金が集まる国においてのバブル崩壊。。。。。
このような企業生き残り競争と株価金融に頼る経済政策はすでに崩壊をしているわけで、この経済政策の発想の転換が迫られているわけです。
中国の50兆円とかアメリカの40兆円とか、日本も同じですが気の遠くなるような金がだぶついてきている。一方では、日本を見ても4000億円ほどの子供手当ての財源をどうすると議論されるちぐはぐさ。この矛盾をどうすれば解決できるかがデフレ傾向の解決にもなるのではないでしょうか。
デフレは商品価格を下げ賃金を下げていく。国内消費は停滞をし投資先は狭まる。そこに巨額の政府資金が流れる。国家は赤字を増大させていく。だぶついた資金はバブルと消える。誰が見てもこれは矛盾として見えるだろうが、この毒饅頭を食わざるを得ない飢えた経済システムになっているわけです。
社会資本の整備という言葉がありますが、この社会資本の整備は「ハコモノ」などという無駄なものをつくることではなくて、国民生活の安全や安定につながるものの整備なはずで、同時にそれは福祉といった観念から離れた経済政策から見ないとだめなはずです。国家財政というものは「所得の再配分」として使われなくてはならない。しかしそればバラマキであってはならず、教育や医療、交通などという国民生活になくてはならないもの(それは国家としてもなくてはならないものですが)を整備すると同時に無料化を通して国民負担を減らし最低限の生活は保障されるといったものにならなくてはいけません。これにより労働者の負担が軽減されるわけですから賃上げというものの必要性が薄くなります。例を揚げれば労働者が病気になったり死亡した場合家族のためにという保険がありますが、国家がこれを保障すれば高い保険料という支出がなくなりそれだけ賃上げは必要でなくなります。
労働の生産性の向上は商品の価格を下げる。社会的合理性は賃金を下げる。
これはデフレと勘違いをされますが、社会的な経済政策の変更によっては社会の発展となるわけです。
そこにはもう少しなぜ商品価格は下がる傾向になるのか、賃金はなぜ下がる傾向になるのかを見なくてはならない。

【2011年】ツイッターつぶやき
拝啓 銀色夏生様
モノローグ『僕が守る』を拝読いたしました。

また落ち葉の季節になりました
去年と同じように落ち葉は風に吹かれ
去年と同じように落ち葉は雨に濡れていました
僕も落ち葉のように風に吹かれ
雨にも濡れながら毎日を過ごしています
忙しい合間に心は空を見ます
落ち葉たちもその空を見上げていることでしょう
冷たい風に吹かれて去っていく雲
その風は僕の心の中にも吹きました
風が運んできたのは素敵な言葉の雲
この同じ時の中に空を見上げ
心の中から沸き立つ雲のような言葉
それは流れてきて僕の心にすっと入ってくる
僕ははっとしたり微笑んだりして
ありがとうと見上げる空にささやくんだ
そう、僕は守られているのかもしれない
風に吹かれて枯葉は公園の隅に
静かに吹きだまりとなって重なっている
池の底に沈んだ枯葉のような僕の心
それを揺らす水の流れのような言葉
僕ははっとして微笑むんだ
心が動くこと動かしてくれること
風が運ぶ言葉たち
水底に広がる水の流れ

僕はここにいるんだ
       敬具

モノクローグも言葉たちは風に乗って人々の心の中に入っています。
風に乗って運ばれてくる雲をたくさんの方が見上げているでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
総選挙も公示日となりました。
第一党の民主党でしたがどうなるのでしょうか。
民主党はだいぶ苦戦となるでしょうが、ただ単に民主党批判であってもならない選挙ではないかと思います。やはり二大政党制の形は残るかもしれませんし、選挙後のどのような連立となるかが問われるでしょう。この中に国民生活をはじめとしたこれからの日本の進む方向性が決まるでしょう。
単純にこれまでの二大政党制の中での民主中心の連立、自民中心の連立ではかたずけられない構図が生まれています。野田政権の「決める政治」の流れは三党合意を基にすすめられましたし、二大政党制の役割を自ら終焉に向かわせるような流れが残り、選挙後も三党政治を行っていくのかという構図も国民に突き付けられています。この中で第三極の役割や左派の役割も問われるようになってきました。
三党政治に向かうなら民主自民への支持もまた違ってくるでしょう。ここも総選挙の争点であり第三極や左派の役割も争点となるでしょう。
選挙では激しくぶつかるが、その後は三党体制(もちろん選挙結果では崩壊もあり、枠組みの政党も変わり連立政権ともなりますが)の維持ではある意味国民への裏切りではないかと思います。このへんをはっきりと民主・自民は語るべきでしょう。
今朝の朝日新聞では、選挙後の連立についての民主・自民・維新の考えが紹介されていました。民主党の主流派は三党体制を視野とありましたが、民主党内もこの主流派とは別に安倍政権となった場合の連携批判も出ているようですし、今後民主党がどのような動きになるのかは流動的といってもよいのかもしれません。
一方、憲法問題では、自民・維新は改憲を叫び、民主は「憲法を活かす」といっているようです。この憲法を活かすという中身がかつての社民党党首の土井さんと同じニュアンスなのか、解釈改憲的なものかはわかりませんが、自民・維新とは違うものがあるとみてよいのではないかと思います。もちろん憲法だけが政策の違いと見ることは誤りで、広く国民生活に根差したところでの政策の違いを見なくてはいけないでしょう。民主がこの国民生活の方向性を三党体制で決めるのか、他の第三極や左派を交えて決めるのかがやはり争点でしょうし、方向性を出すことが対自民・維新との争点となるでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
来年4月実施される3%の消費増税に触れ、安倍総理は「景気が下振れしデフレ脱却が難しくなる場合、「日銀が正しい判断をすると確信している」と明言、追加緩和の可能性に期待を表明した」(ロイターより引用)
これに対して日銀は一定の理解を示しているようですが、そうは簡単に追加の量的緩和はできないようです。
「消費税率の引き上げによる経済の落ち込みを警戒する声もあるが、増税による実体経済への影響が想定内に収まると見通せる限りは「それに対してpreemptive(予防的)に追加的な政策を発動する必要性は乏しい」との認識を示した。」(ロイターより引用)
まさに政府は消費増税による景気の落ち込みはしないという立場から法案を通したわけですから日銀はその見通しに沿い日銀自体もその景気判断にある。同時に日銀は今後量的緩和を行っても今までのような効果はないとしている。そもそも安倍総理が今になって景気が下振れしデフレ脱却が難しくなる場合「日銀が正しい判断をすると確信している」と発言すること事態がおかしいわけです。
消費増税という政府の政策一つ見ても、政府の景気回復が日銀の量的緩和に頼っており、それは政府の責任である賃上げなどによる根本的なところの景気対策が遅れあるいは後退するという自ら招いた景気の下振れの要因をも日銀の量的緩和に頼る姿勢が見えます。
これに対して日銀がどこまで応えることができるか?
「現在の大規模な国債買い入れについても「これ以上、買えるかどうかギリギリの判断をして買い入れ額を決めた」」(同記事より引用)という現状にもある。
政府が国民生活を切り下げることをアベノミクスとしているわけですからいくら日銀でもその尻拭いは続けられないでしょう。財界からの要望もあるでしょうが、「金融機関が既に巨額の超過準備を保有するなか、先行きのマネタリーベース積み上げには相応の不確実性がある」(同引用)状態。企業の国内での設備投資の現状やそこからの銀行の貸し出しがどうなっているのか?
アメリカの中央銀行が一時出口論を言いましたが、日銀もいつか出口論を持たねばならなくなるでしょう。
物価上昇は円安による悪性の物価上昇として現れているわけですから、2%のインフレ目標(今は物価目標)はそこそこに数字の上では現れるでしょうから日銀の責任はそこまでです。物価上昇はあるものの景気の下振れとデフレ圧力は消えない状態となるでしょう。それは政府の政策の失敗なわけです。
秘密保護法案が通れば国民の気持ちの上での自粛と萎縮が現れます。それは経済にも現れるでしょう。生活の不安定性から生存の不安定さに悪化する社会です。国民の無言の行動は経済に現れてくる。

【2014年】ツイッターつぶやき
男の料理というほどではないのですが。
昼飯にしようかと思ったらご飯はたくさんあるがおかずがない。。。。
そこでおにぎりにしようと思いネギ味噌を作りました。
器に味噌・砂糖・おかか・刻みねぎそして味醂を入れてよく練ります。
それをアルミ箔の上に薄く延ばしてグリルで香ばしくなるまで焼きます。
出来上がりです。
熱いご飯に乗せるとおいしいと思います。

今日のツイートのまとめです。
自民党と民主党政権時に衆参のねじれが生じて「決められない政治」が問題視された。このねじれからの決められない政治は自民・民主という保守二大政党制の中で生じたものだが、保守として本来はそうは違わない政策の中でのねじれであったり決められない政治だった。
もちろん政権交代での民主党の政策は「国民生活が第一」というマニフェストにあったし、年金問題をはじめ自民党政治の矛盾をどう解決するかといったいわば自民党政治の尻ぬぐいをはじめようとした政権であった。その意味では当初は単なる保守二大政党ではなくて社会民主主義的政策。
しかし民主党の脱官僚や無駄を省く財政支出の見直しは失敗をして反小沢問題から消費増税が提起されはじめる。もちろんそこには大震災や原発事故というものも加わる中での財政の考え方の変化もあっただろうが消費増税は政策として進む。そして野田政権となり民主党の自民党化が進む。
このような保守二大政党が政策的(国民生活から見て)にはそうは変わらないなかに、ねじれや決められない政治が生じたのはなぜか?
そこにはまず『政権交代』というものが期待として現れていたという事だろう。この政権交代というものは、昔から「万年野党」という社会党批判もあったし、政権を担える「責任野党」そして政権を目指した連立が現れた。その延長線に民主党への政権交代の波が押し寄せたものと思われる。
この中で起きた政策的な変更は、財界・自民党と社会党・総評という55年体制を崩壊させて政策の違いの明確さが失われた。その政策の明確さという壁がなくなる中で「責任野党」「連立」は保守二大政党に向かう。
政策の違いの壁がなくなったところでの『政権交代』は何を意味するか?その政権交代の行われ方がどのようになっていくか?それはスキャンダル国会であったりどちらがより国民に対して実際の政策ではなくて「期待」を持たせるかといったものであり、そして保守二大政党しかない選択肢。
自民党がダメなら民主党そしてまた民主党がダメだから自民党へといった動きである。ここにはやはり政策よりも狭い二大政党制の保守の政策の選択肢として現れる。ここでは失望と期待という悲しい選択肢の中で国民は判断せざるを得ない。
保守対革新という政治対立は国民意識からなくなり、どちらの保守に期待して期待をしたがそうは期待に応えられなくてさらにひどくなったという失望。そしてまた毛筆つもう一つの大きな政党に期待をする。。。。。ここに国民の主体性の道は閉ざされるのではないか?
この期待と失望そして失望と期待といった狭い選択肢の保守二大政党制は、55年体制のような政策のぶつかりからの「政策のねじれ」ではなくなり、保守二大政党制の「数の力」のねじれと同時に失望に現れるような国民生活の低下傾向での国民意識と政治のねじれが生じてしまう。
国民生活の低下傾向での国民意識と政治のねじれは経済問題だけではなくて国民の心にも大きなねじれを生じるだろう。投票率の悪さ、無党派層(実は政党不信)の増加として現れる。
しかし国民意識を代表する政党がないのかといえばそうではないが、そのような政党は小選挙区制の下で、あるいは社会党のように自らが55年体制を否定してしまったことで、あるいは共産党の「唯一の革新」という中でその勢力は小さくなった。そこにも国民の失望と選択肢を狭くさせる。
国民は自ら今の政治情勢において国民生活と政治のねじれを見つめねばならないだろう。このねじれをどう解消するかの答えは得られていない。誰かが教えてくれもしないだろう。自ら考えなければならない。このねじれ解消を統一戦線的な国民運動としなければならない。そこに政治家も動く

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「2018年のカレンダー何使う?」
カレンダーも買う時代になりましたね。
子供の頃は米屋やプロパンガス屋などなどが集金に来るとカレンダーを置いて行ったものでした。買い物に池が行けばお店ごとにもらえましたし。毎年度のカレンダーがいいか選んで使っていました。
今ではこちらから買いもに出向いてカレンダーない?と聞かないとだめです。
まぁ、それでも2,3個はもらえますのでそれを使っています。
カレンダーと言えば昔懐かしい形の蕎麦屋さんのカレンダーが来なくなりました。。厚紙に蕎麦の写真があって店の名前と電話番号。カレンダーの髪は薄くてペラペラで祝祭日は二本の国旗が交差した絵。日にちの下には旧暦や大安などがかかれている。旧暦を知ることや日を見るというのは日常では少なくなってきましたがないと案が困るものです。
一方では新しい形のカレンダーがきます。
月のカレンダーの下がポケットになっていて集金で支払った領収書などを底に入れておけます。これが案外便利でして、領収書をなくすことが減りました。領収書も何かの機会で必要になるときがあります。一度は新聞代か2回払ってしまい領収書があり助かりました。ガス代払ったっけ?領収書があると便利。
後、カレンダーの日にちのところが広く空いてあるものが助かりますね。まだ我が家は予定を書き込んで使っています。
今年はカレンダー集まるかなぁ。。。。

久しぶりに銀色夏生さんのハローの丘を訪れてみた。
雪景色でした。。。。
ホームページを訪れて断片的に詩を読ませていただいています。
最近はなかなか本も読めなくなっていましたが、またさっと手に触れた詩集でも読んでみようかな。
何か生きるヒントがあるんです。その世界には。

【2018年】ツイッターつぶやき
今年4月から妊婦さんが医療機関を受診すると110円から650円妊婦加算として追加されている。
なぜ加算されるか?
「通常よりも丁寧な診療を評価するため」(上記リンクページより引用)
だそうである。
たしかに妊婦さんの場合、医者も気をつけねばならないものがあるでしょう。しかしだからといって手数料的に診療費を増額させるというのはおかしなものでしょう。お年寄りや幼児も医者は気をつけねばならないものがあるでしょう。
時々バスに乗るが妊婦さんやお年寄り子供などには運転手さんも気を使っている。だからといって例えば50円増額しますとはならないでしょう。
厚労省は妊娠に関係のない診療については妊婦加算は行われないようにするといっているが、
「医師が妊婦だと判断せずに診療した場合」
というちんぷんかんぷんなものが出ている。医師は患者に妊娠しているかどうかを確かめるでしょう。まさか見た目で妊婦かどうかを判断するわけがない。結局妊婦加算により生活にも影響が出る人たちが妊婦ではないというような場合しかないでしょう。
今少子化問題が問題になり子育て支援が言われている。
その中で妊婦加算があること自体が社会の実態からかけ離れている。

【2019年】ツイッターつぶやき
日本は知らぬうちに後退する国家になっているのかもしれません。
世間ではマスコミなどを中心に「日本すごい!!」といった論調や来日外国人の日本をほめる言葉に自己満足をしているのでしょう。
しかし経済も教育も社会保障もあらゆる面で社会は後退をしています。あらゆる面での世界ランキングも落ちていますね。ハード面だけではなくてソフト面でも報道の自由度などは悲惨です。
もちろんまだ日本は過去の遺産で食える先進国なのは間違いないでしょうが、中身は土台が腐りはじめている。
今日の池に浮かぶ月でも書きましたが、政府は女性の活躍とか、輝く女性と、子育て支援とか言葉巧みに国民に政策での幻想を植え付けていましたが、やはりその口がふさがらないうちに妊婦加算という医療費の値上げをする。女性は怒りますね。医療費の自己負担が増えるということだけではなく、何が子育て支援だと言葉だけが巧みな政治に怒る。
社会保障の充実、国家財政の安定という幻想を植え付けて2014年と今年で消費増税が行われてついに10%の税率になってしまいました。しかし10月に増税したばかりなのに景気の落ち込みを支えるため、そして企業救済のため、10兆円規模の財政支出が必要だと。社会保障も年金支給開始年齢を70歳とか75歳からといわれるようになり、社会保障の充実も国家財政の安定も言葉だけの幻想となっています。
去年からの政府統計や公文書や統計の改ざんなどが合い続きましたが、今年になって桜を見る会の名簿を処分してしまったとか。
もうあきれてしまうような政治になっています。
あきれてしまえば政府への期待も薄れますが、そこは強い力を持ってしまった政治を前に「強い者には巻かれろ」とマスコミも知識人もそして政治家自らも大勢によりかかる。長い者に巻かれると自分をごまかして強い力に無条件的に従うよう自分を殺すことでしかあきれてしまうことから解放されない悲劇。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京や大阪だけではなくて全国的に見ても新規感染者数は増加をしていますし感染が高齢者にも増えてきましたから重症や死亡も増えています。この重症が増えれば今後時間差で死亡も増えていくでしょう。
東京では65歳以上の高齢者はGo Toは自粛しろとお達しが出ました。
国や都が高齢者へのやさしさから出かけないほうがいいよと言ってくれているようにも聞こえますが、実は家庭内感染や高齢者施設そして病院でもたまにクラスターが出ています。若い人が自由に出かけていて感染すれば必ず高齢者にも感染します。また、高齢者は都内から出るなというのは感染拡大が広がっている中に閉じ込められることに他なりません。
「Go To避難」というのはどうでしょ?
年金生活者は金がないので、100%Go To補助で高齢者を都内から避難させる。もちろんその時は全員PCR検査後ですが。
まぁ、いろいろと条件があってそうは避難できない人もいると思いますが。。。。
でも考え方として、Go toの経済効果はありますし高齢者の感染予防にもつながる。
しかし若い人からは、じじい、ばばぁへの批判が出るでしょうね。

【2021年】ツイッターつぶやき
IMFが世界経済の見通しを下方修正したらしい。
もちろんコロナ下にありオミクロンという不安材料が出てきたということはもちろんあるでしょうが、下方修正せざるを得ないよう人が危険な格差にあるとした。
世界全体の国家間の格差が広がっているようです。
しかし「インフレ加速、食料と燃料の値上がり」。。。
先進国の緩和マネーが経済の成長につながらず、悪性の物価高として現れているためでしょう。この悪性の物価高はインフレとは違う。消費の過熱もないのですからインフレではない。緩和によるカネ余りからの悪性の物価高である。
これは後進国で現れていることではなくて先進国内において現れていることではないか。
特に日本は賃上げもない中での貧困化が進んでおりより深刻なのかもしれない。

【2022年】ツイッターつぶやき
去年の出生数は81万人ほどでしたが、今年は9月段階で約60万人で80万人を切るのではないかとされています。
政府は毎年のように少子化対策を口にはしますが、行う政策は税をばらまくだけです。もちろん出産子育てに対する経済的な支援は必要なのですが、金をばらまけば少子化をなくせるというのは短絡的でしょう。
現在コロナの影響が大きいのですが、医療崩壊が言われ出産にも不安が出ています。コロナだけではなく今の社会の中で出産子育てには多くの不安を抱えているのではないでしょうか。金銭面での支援があるからといって子供を大学まで出すには相当な金がかかります。保育園などの整備も遅れています。
経済的には現在は夫婦共働きでなければある程度安定した生活ができなくなっています。昔のように年功序列型の賃金雇用がなくなり、将来的に安定性のある働き方も見えません。
そもそも結婚を躊躇する若い人が増えていることもありますがこれも経済問題の面が大きい。
口先だけで税金を倭羽化ながらばらまく程度では少子化は止まりませんね。

【2023年】ツイッターつぶやき
円が146円台まで高くなりました。しかしこれは円の力が強くなったからではなく、ドルの価値が減少したということでしょう。
激しいインフレによりドルは価値低下をしています。
しかしその水膨れのドルであっても基軸通貨として存在をしていますから、名目上はドルの力が大きくなります。
それは同時に基軸通貨ですからドルは買われますから為替によるドル高になる。
これは世界経済の大きな矛盾です。
この矛盾に向かい合ったのが、中国やロシア等の経済協力体ともいえるBRICSが自国通貨取引をはじめドル離れを作り出しました。ここにはサウジアラビアも加盟しましたし、更にアラブ首長国連邦が加盟の動きを示し、石油取引をドル以外の自国通貨などで取引を始めたようです。
アメリカ経済を追い抜くとされる中国の経済力とエネルギーと穀物大国のロシアが世界経済を動かす力になっていますから、そこに産油国が加わることにより対ドル勢力の力がドルに影響を持つ。
今のドル安傾向が以上のことから起きているかははっきりしませんが、ドル離れの風がドル安を招くことになるかもしれません。
インフレで価値低下を起こしているドルがその価値どうりになることが世界経済の矛盾をなくしていくでしょう。
日本も+Kるかもしれません。
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「12月 3日という日」

2024年12月03日 07時57分35秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
「溺レる」
文春文庫
川上 弘美  著

川上さんの作品ははじめて読みました。
ものすごくアクの強い作品です。そのほかの作品も同じなのでしょうか?
「溺レる」他、7つの短編からなっています。
どの短編も、愛欲、飲食、排泄と、人間の欲望がむき出しとなった作品です。もうひとつの主題、「死」もある意味では人間の欲望となりますが、作品中にも死がひとつの欲望として表れているのではないかと思います。
すべての短編に共通するのは、ある過去を背負った男が過去を捨て、捨てるというよりもその現実から逃げています。そしてその男にはっきりとした愛情がないままについてくる女です。二人は現実というものから逃げているわけですから、社会の中で孤立をしている。なんとなく寄り添うものは二人というお互いどうしである。
この狭い中に二人は「生きている」。食べるために働くという最低限の現実とのかかわりのほかには、自分たちが生きている証はその動物的な欲望だけである。短編ごとにいろいろな性が描かれている。よく食べてよく飲む。排泄・嘔吐などという恥ずかしさは、お互いの関係の中で当たり前のようになり、動物的な獰猛さも描かれる。これがまた愛欲に結び付けられる。
このような動物的な「生きている」状態の中に、ただひとつの人間的なものを持つ。それは、自らの命を自ら絶つという人間的なものだけである。
動物のように、本能的な欲望だけに生きている中にそれは人間としての死と同じ状態を見る。生きていても死んでも二人にとっては同じである。読む者も生と死の境界を感じなくなる。
「百年」という短編の書き出しは、「死んでからもうずいぶんになる」と書かれ、「無明」には、「トウタさんと連れ添ってからじき五百年にもなろう」とある。
「百年」は、心中をした女だけが死に、相手の男は生き残って平凡な生活を送り、女は意識だけがこの世に残って男の一生を見送るというものである。その二人の過去は、やはり動物的な本能だけの二人であった。女にとっては生きているのも死んで見届けているのも同じである。「無明」は、情欲の果てに永遠ともいえる命を持つことになった二人である。やはり生きているのか死んでいるのか、「百年」の女のように意識だけがこの世にさまよっているのか、本当に生があるのか判然としない。その意味で生きているのも死んでいるのも同じである。
このような生、動物的な本能は生の根本である。同時に「人間性という皮」をかぶってこそ人間の生である。このへんを強く感じました。
この「人間性の皮」については、トップページの「ちんまりと」に書いておきました。よろしければこちらも読んでみて下さい。

さっき買い物に出たら、半そで一枚でランドセルをしょった子供がいました。
見ている僕が寒くなってしまいました。
11月に入った秋、大人たちもいろいろな格好をしていました。まだ薄着の人や、気が早く本格的な秋の格好をした人。さまざまでした。
暑さ寒さも個人差があります。まあ、女性はファッション性が一番大きいかな。

【2004年】
昨日の日記、キリストの復活は、春分の後の復活祭でしたね。。。
週末は東京も天気が崩れそうです。乾燥状態が続いていますので少しお湿りもいいでしょう。風邪も流行っていますし。
そういえば、東京では過ぎ花粉症が出ているようです。僕も時々くしゃみが出ます。
春先のスギ花粉ですがなぜこんな季節に?と不思議です。植物は自然災害に敏感だといいます。地震の前には竹が花を咲かすとか。。。。スギ花粉も不気味です。単なる異常気象の影響だけならいいのですが。

【2005年】
「晩鐘(上・下)」
                        双葉文庫
               乃南 アサ  著
「風紋」(上・下)の続編である。
「風紋」が発表されたのが1994年。そして「晩鐘」は2003年に発表された。「晩鐘」は、「風紋」の中に登場した人々の7年後を描くが、乃南さんご自身も「風紋」を発表してからちょうど7年を隔ててこの作品を書いたことになる。乃南さん自身の時間の流れと「風紋」に登場した人々とは時間の流れを共有している。ちょしゃである乃南さん自身もこの7年という時間の中で変化したであろうし、その変化の流れの中に「晩鐘」もあるのかもしれない。ある作品に登場する人物と著者とが同じ時間の流れの中に変化して続編を書くといくということに著者の思い入れを感じる。
僕は、約半年という時間をおいてこの両作品を文庫という形で読んだわけだが、乃南さんファンは、発表直後の単行本で「風紋」を読み、そしてやはり7年という時間をおいて単行本で「晩鐘」をお読みになったことと思う。その意味では、読者も自分の7年という時間を「風紋」の登場じんぶつと乃南さんご自身とこの7年という時間を共有したのであり、7年という時間の流れを読者自身の日常の流れに感じ取り、実感を持って時の流れを感じつつお読みになれたのではないかと、少しうらやましい思いが沸き起こりました。
これから「風紋」と「晩鐘」を読んでみようという方がいらしたら、最低でも半年から1年ぐらいの時間をおき、「風紋」の細かなところを忘れかけたときに「晩鐘」をお読みになることをお薦めします。
新聞記者建部は、7年前の事件の被害者の娘である高校生であった真裕子を思い出し、変わってしまった加害者の妻香織の7年前の姿を思い出す。そしてその7年という時間の重みを成長過程の早い子供である加害者の息子大輔に目を見張り感じる。こんな建部の思いを「風紋」を読み終わってからしばらくして「晩鐘」を読んだほうがこの「思い出」あるいは「変化」を感じ取りながら読めるのではないかと思う。
7年という時間は長いのか、短いのか。
真裕子の母親則子が、真裕子の担任でもある教師秀之に不倫の果てに殺されたという衝撃的な事件も世間では「ああ。。。そういう事件もあったなぁ・・・」というぐらいに風化をさせる時間である。その意味では長い時間である。新聞記者建部も深く事件にかかわったとはいえ、7年の間には東京本社から長崎支社に都落ちをし、結婚はするがすぐに離婚と、様々なことがその私生活には起こった。その意味では長い時間だったのかもしれない。しかしそうのような世間の中にあって時間が止まってしまった人々がいる。真裕子は、母親の死をいまだに受け容れられなかった。妻の死を忘れたかのように再婚をした父。そしてあんなにも母親に心配をかけた姉も母を忘れたかのように結婚をして子供もできた。その中にあって真裕子自身だけの時間は止まったままだった。真裕子にとっては、7年という時間が長いのか短いのかという簡単なものではなくて止まった時間の中に生きざるを得なかった。
加害者の妻香織や義弟にとっては、世間という空間の中で必死に生き抜くことしかできなかった時間であり、7年をいう時間はどうだったのだろうか?毎日を必死に生き抜くことしかできなかったならば、やはりあの事件以後の時間は止まったままだったのかもしれない。
そして秀之は。。。。
しかしこれは大人の中に流れる7年という時間の流れである。
加害者の息子大輔、娘絵里という子供達の成長の中においての7年という時間は、まるで霧の中に見る風景のようなほとんど記憶のない世界から今ある自分を見るしかないのである。長崎に住む祖父母に育てられなぜ両親がいないのか、隣の叔父夫婦や従兄妹たちにいじめらられなければならないのか、何一つとわからない今という時間におかれる。
このように「風紋」の登場人物はそれぞれの7年間という時間が通り過ぎた今に生きていた。
そんなある日、大輔の従兄弟歩が殴り殺されるという事件が起きる。
犯人はすぐに捕まりこれという大きな事件としても扱われないほどだったが、長崎支社にいた建部は、取材先の歩の葬儀に来ていた香織と偶然に再会する。建部は7年前という時間に引き戻される。偶然過ぎる偶然。。。そして建部は香織と一緒にいた大輔に事件とのかかわりを直感する。
ここから「晩鐘」は始まる。
主人公は25歳になった真裕子であり、副主人公は10歳になる小学生の大輔。そして2人をつなぐ建部である。この3人が語るように作品は進んでいく。歩が殺され事件を追うが、それはきっかけだけであり、流れはやはり「風紋」が描いたように被害者の家族と加害者の家族の物語であり、それ以上に真裕子と大輔の中に現れる精神面での葛藤を描く。そして建部が追う世間というものが2人に絡み合い、建部と真裕子の愛を描く。
7年前の事件は、まだ高校生であり母親に甘えながら相談もしたい年頃の真裕子にとっては、心に大きな傷を残し、その傷は、周囲の人々との間に摩擦もおき、真裕子自身も嫌な性格と思うほどに心を殻の中に押し込める。大輔にとっては7年前の事件は、そのときの母親香織に苛立ちの様子をおぼろげながら覚えているぐらいで、その母親も今になっては叔母という形で現れるだけである。しかし記憶にないにもかかわらず7年前の事件により大輔を邪魔真にする叔父家族の仕打ちにそして両親が誰かわからない不安の中に心を傷つけられている。体は大人並だが心はまだ幼さを持つ。
アダルトチルドレンとは
インナーチャイルドとは
僕のホームページからリンクさせていただいている「窓際主夫のひとり言」という窓際主婦さんのブログで、このアダルトチルドレン、インナーチャイルドという言葉を知ったが、ネットで調べているうちに、真裕子や大輔の中に7年前の事件という心に大きな傷を残したことによる心の障害が出ているのではないかと思う。
真裕子は、母親が殺害されたことでまだ甘えたい相談したいと思う母親から強制的に突き放される。父親は不倫をし、姉は家庭内暴力で母をないがしろにしているという意識が持っていた。そして母親の死体をはじめに警察で確認したのは真裕子一人であり、父親も姉も帰ってこない夜を過ごす。母親でさえ不倫の中で殺された。母親の死後は、真裕子に家事の重みが襲ってくる。高校生というまだ母親に甘え、父を頼りにしたい年頃の7年前に真裕子の時間は止まってしまい、心も取り残されてしまう。ここにアダルトチルドレン、インナーチャイルドという症状を見ることができるのではないか?たしかに虐待ではないが結果としては心に多くの傷を残したという面では虐待に等しい。
大輔は、よい子を演じる。わけもわからないのに両親がどこの誰だかわからない状態に置かれ、母親の実家に住むが同じ敷地内の叔父家族からはないがしろにされて育った。早く大人になりたい。病気がちの妹を自分が父親となり守ってあげたい。しかしまだ子供であり自分自身をも守り生きることもできず、ましてや妹を守ることもできない。今は良い子を演じるしかないのである。この早熟さは心だけではなく体も大人並になっており、女を知ってしまっている。しかし心の中には幼さが残り、今の自分を否定をし、雨の吹き付ける夜のガラス窓に写る自分の顔を見てその写った自分が別の世界にいて幸せな子どもとして生活していることを想像する。大輔はまだ子供だが、ここにアダルトチルドレンやインナーチャイルドの傾向を見ることができるのではないか?子供のこのような症状にはまた違った臨床名があるかと思うが、僕にはわからない。しかし、真裕子と同じような心の障害を持つことは確かではないか?
「晩鐘」は、この二人の心理と心の葛藤を描き続けたといっても過言ではない。
建部は、香織と再会をし、真裕子とのメール交換を通して、接触しながら加害者家族・被害者家族のその後を追うルポ「連鎖」を連載し始める。これは、僕の「風紋」の感想として異界ために見えぬ「世間というものが犯した犯罪」を世間に問うという正当でもあり正義でもあるルポであっただろう。この意味においても「晩鐘」は「風紋」の続編なのであり、建部という記者の目で見た被害者家族・加害者家族の描写が全体の中に貫かれている。
このように、この作品は真裕子と大輔の心理と心の葛藤を描きながらそこに建部の記者の目が加わり一つの結末を迎えていくのである。
その結末の一つは、真裕子と建部との愛である。それは同時に真裕子の心の開放でもある。
真裕子は、事件のすべてを知り昔の自分を知り理解してくれるたった一人の人間である建部を慕う。しかし建部もそうは強い人間ではない。真裕子が支えなければ崩れてしまうような弱さを持っている。そんな建部を支えなければという意識が出たとき、愛となる。同時に、父親の再婚相手には10歳の連れ子が居り、真裕子にとっては突然の義弟となり現れる。少しづつ打ち解ける中に、その義弟に真裕子は母性で接するようになる。真裕子は、建部を愛し、義弟を愛しむ中にアダルトチルドレンやインナーチャイルドと思われる心の傷を癒していく。この過程に流れる真裕子の変化は温かみのある幸せを感じるものとして描かれ、読者もほんのりしてしまうだろう。
しかし建部は大輔ともかかわるし、大輔を心配する。
しかし。。。。
この結末は書かないほうがよいだろう。
真裕子の幸せに涙が止まらないだろう。同時に大輔の結末にも涙が止まらないだろう。
この大輔の結末に対しての涙は、悲しさでもなく苦しさでもない。やるせない気持ちからの涙だと思う。
7年前という時間は取り返すことができない時間である。その時間の流れの中に常に流れる「連鎖」。この連鎖を断ち切れないやるせなさである。建部にも新たな不安が漂う。真裕子が結婚後に植物を育てる仕事をしたと言い、どこか田舎のほうでできれば幸せだというが、建部は心のかなで「そんな田舎にいくということは、俺にとっては左遷だ」と思う。これが事実となることを暗示をする思わぬルポ「連鎖」の影響を世間がどう見るのかという不安を読者は抱くだろう。出所していた秀之。。。秀之と大輔は接触していた。秀之は大輔の結末に涙する。その涙は憎しみかもしれない。建部と真裕子の幸せは。。。
こんなことを思い描くことができる結末であり、ここにもやるせなさという涙が出てくる。連鎖は続くのである。「風紋」から「晩鐘」へ、「晩鐘から」から。。。「晩鐘」も続かざるを得ないだろう。

【2006年】
昼時、ファーストフード店に行った。
「いらっしゃいませ!!」「ご注文は何にいたしましょうか」
「○○をください」
「はいかしこまりました」
(たのまれたのをそろえながら)
「ご一緒にお飲み物やポテトなどはいかがですか?」
「・・・・・」「じゃァ。ポテトをください」
(ちらっとポテトのほうを見て、明るい声で)
「ポテトはしなぎれです!!」
「・・・・うううう」
接客マニュアルの落とし穴ですなァ。そして在庫管理の強化の落とし穴でもある。
今、この日記を書いていて「マニュアル」という言葉が出てこなくてイライラした。最近こういうことがよくある。。。。単語が出てこないイライラというのはどんよりしますなァ。イライラすると胃がきゅ~っとなる。本と体に悪いです(笑)
そういえば、さっきまで手に持っていたものをどこかに置き、さて使おうかと思ったらどこに置いたのかがわからなくなるイライラも。。。。。「さっきまで持っていたんだようなァ。。。。もうっ!ムカ」これもまた胃がキリキリと痛む(笑)
あと、目の前にあったにもかかわらず、一生懸命に探し、あきらめた頃に目の前のものが見えたとき。。。
なんかこういうのも老化なのかな?それとも考え事をしていて集中が足りないのか?

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
一部高速道路の無料化を「社会実験」という言葉で現していたように思う。
高速道路料金については、土日・祝祭日は1000円というものが来年なくなるようで、その後は検討中らしいが、すべての高速道路無料化というマニフェストはチャラになり、車種による上限が新たに検討されているようです。軽やエコカーは1000円、その他の普通車は2000円が上限に。予備曜日に関係なくということは平日も?
3歳以下の子供に子供手当て。これもマニフェストがチャラになった中の代案ですが。
そのほか政府によるいろいろなバラまきが行われていくわけですが、これが一つの社会実験となることはたしかでしょう。
また、「休暇分散化」というものも検討されていたようですが、休む日を分散化させることによるメリットやデメリットが。これもまた社会実験でしょう。
さらにこの社会実験というものがすすむと、医療費や教育といった国民生活になくてはならないものの無料化にすすまざるを得ません。それが社会民主主義という社会実験にすすむ。
そうなると国の財源が問題になり、消費増税が出てくる。
そこで社会実験ですが、以前にも書いたように労働者の労働力を買ったときにも5%の消費税をかける事が検討されてもいいのではないでしょうか?企業は個別の競争からはんれて平等な支出となり、賃上げを形を変えたやり方でできる。この消費税には益税を設けたり、中小零細企業には還付も必要でしょう。これにより個人消費は増えるわけです。
今アメリカが40兆円・ものバラマキをして個人消費がクリスマス前に伸びたといいますが、これまでの日本の景気対策と同じように早ければクリスマス後には破綻します。そしてまた株価が下がります。こういったものではない経済成長への社会実験。これが必要でしょう。その道筋にあるのが社会実験としての日本型社会民主主義です。

(追記)
休暇分散化ですが、国民すべてを週7日に休みを振り分けて学校やすべての社会帰還や企業を365日営業とする。これは相当メリットのある社会実験です。土日に休みたいというのや知人と過ごす時間がとりにくくなるとかというデメリットは、土日に休んでいる人たちの個人的なもので、考えようによっては役所や銀行に行くとかは便利になるわけです。これもまた社会実験でしょう。

【2011年】ツイッターつぶやき
磯田道史著「武士の家計簿 加賀藩御算用者の幕末維新」(新潮新書)
加賀藩の藩士御算用者猪山家の30年にも及ぶ家計簿と暮らしをつづった貴重な資料の発見からそこに書かれた武士としての一家族の生活と武士というその当時の支配層の暮らしぶりをまとめた本です。
同時にまだ徳川幕府時代であった幕末と維新そして明治の代に武士がどのように生きたかの記録でもあります。一つの大きな歴史の転換点で武士そのものがいなくなる中で旧武士はどのように生き残りをかけたか。
これを詳しい家計簿の分析から「生きた武士」を描いたすぐれた本ではないかと思います。
武士は反より『給料』として米と銀(石高による)を受け取る。米は売って「現金化」する。藩の経理などを行う猪山家は今の金に換算をすると父直之が700万円、息子信之が530万円で合計1230万円の年収となっていたようです。家計を一つにした二世帯住宅に住む大企業のサラリーマン家庭といったところでしょうか。このあと猪山家は出世をしていきますから年収は増えていきます。
武士も大名や上級武士になれば世襲制ですが御算用者というのは息子だからと世襲するわけでもなく幼い頃より算盤や数学を勉強して藩に召し抱えられなければならない。その意味では勉学は相当厳しいものがあったようです。
猪山家は藩の官僚ともいえるような重要な位置におかれれて幕末の藩を支えていました。
加賀百万石の大大名家の官僚として相当の年収もあるわけですが、家計簿を見ると赤字だらけで借金地獄に落ちた時代もあったというその当時の武士の支出も詳しく書かれています。
藩主に見込まれて出世をしたのはいいが江戸づめを命じられて家計門住生活という出費も出て江戸のいけばそれなりの付き合いなどもあって家計は苦しくなる。同時にその当時の支配層の武士ですから家柄や石高によるそれに見合った支出もしなければならず、形骸化していたとはいえ家来や下女を置かねばならない。先祖の残してくれた「家」ですから先祖を敬うための寺や周忌などの支出もそれなりに行う。この本ではこのような支出を「身分費用」という言葉で表していますが、年収1230万の家柄の武士はそれなりの「身分費用」という支出を行わなければ格に傷がつく。
一時は2000万円(だったかな?)以上の借金をしてにっちもさっちもいかずに先の「家」の継続を考えれば借金整理をしなければならないくなる。着物や刀まで売って借金を整理する。
親戚同士での借金は日常茶飯事でその意味でも親戚通しの付き合いは大切にしなければならない。しかしこの親戚づきあいがまた出費を増やす。ご主人様といっても小遣いは6000円に満たずもしかしたら一緒に出掛ける家来の懐の方が暖かだったのか。
このように大きな藩の官僚でも武士というのは幕末には相当厳しい生活をしていたようです。
猪山家のようなまずまずな年収のある武士ですらこのような生活ですからそれ以下の武士の生活は推測できると思います。時代劇で長屋に住んで傘張りの内職をするという武士もまんざら物語ではないのではないでしょうか。
異常なような武士の姿をこの本ではいろいろな角度から明らかにしていきます。この中に武士の「生きた姿」が見えるように思いました。
大名も藩のやりくりが大変でご応召から借金をするといったものがあったように何かで読みましたが、幕末ともなれば貨幣経済が発達をしますから給料の米や銀は両替をして細かい貨幣の銭にしなければならない。億特両替商というのも時代劇に出てきますが、金融も発達していたのでしょう。時代は商人の時代になっていた。武士の権威も金には勝てなくなっていたということでしょう。時代は資本主義を求め始め、その流れを西洋に学んだすぐれた下級武士と商人が結び付いて明治維新を迎えて行ったということだと思います。その中で猪山家は算盤や数学にたけた家柄ですから、明治維新を切り抜けていきます。加賀の数学は日本でも有名でその中でも出世をするほどの猪山家ですから算盤によって生き残っていきます。もちろん明治維新後といっても武士は武士の誇りがあるわけで承認になったわけではなくて算盤と数学を生かした海軍という国の官僚となっていきます。直之の孫の成之は海軍の官僚として今の金にして3000万円ほどの年収を得る。親類の武士たちは多くは没落をしていく。しかし成功をした猪山家も資本主義の中の日清日露戦争に翻弄される。
だいぶ前に古代の荘園制の崩壊と武士の台頭がどのように行われて日本がどのように武士の世としての中世が生まれたかという本を読んだことがありますが、今回読んだ本は、その武士たちの封建制の時代がどのように資本主義としての明治の代になっていくかを一人の武士の生活からの一面として描かれているのではないでしょうか?
武士はもう必要ではなくなった。刀では西洋の大砲や軍艦には勝てない。貿易が国を発展をさせる。そのためには日本も向上や銀行鉄道などが必要になりその担い手は商人だったということでしょう。明治の代が猪山家に求めたのはやはり算盤と数学だった。武士の猪山家ではなかった。武士の「身分費用」というものは商業を発達させるある役割はあったろうが、新しい時代にはただの無駄でしかなくなったのである。

【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞の記事に「それでも、政策で決める選挙だ」という記事があった。
リンク先は記事の中身をすべて読めませんが、マトリックスという図だけを見ても興味あるものだと思います。
民主党が適したマニフェスト政治はある程度の政策を決めましたが、肝心要の国民生活に関係する消費増税を菅政権がいきなり打ち出して野田内閣で成立をさせ、また原発事故というものに対する対処やその後の大飯原発の再稼働も行い、国民意識からかい離したものが目立つ中にマニフェストというもの自体への不信感が生まれてしまいました。
しかしいくら政策を立てても実現しないなら。。。。。といった意識になったならそれもまた国民の悲劇ではないでしょうか。
同時にこのマニフェスト政治の失敗から政治の民主主義も問われるようになり、「決められない民主主義」といった意見も出るようになってしまいました。決められないのは民主主義が邪魔だからではなくて、常に二大政党での政局政治の結果としてのねじれにあったわけです。
この民主主義が邪魔といったものに自民党や維新の会の改憲路線も無関係ではないのではないかと思います。これも国民の悲劇です。
こういった視点で見ればやはり「政策で決める選挙だ」。
マトリックスの図を見ると、自民党・維新の会・みんなの党が改憲をはっきりといい政策的には新自由主義といってもよい「小さな政府(個人で自立することを重視)」政策を持ちます。一方では、社民党・共産党・民主党(これは党内の一部とみた方がいいのかもしれませんが)・未来の党・公明党(これは自公路線がありますから今後どのような立場に立つかにありますが)福祉国家あるいは社会民主種や共産主義そして一方的な新自由主義ではないという意味の出の中間派がいる。これは改憲に対しても同じ構図を示して護憲と中間派といったものになります。
この構図はしっかりと見なければいけないと思います。自民党や維新の会が改憲をそして自民党が国防軍構想を出していること自体選挙の争点をつくりだしています。維新の会は最低賃金法の廃止などとも言っていますし、自民党は建設国債という国民の借金を増やして(10年で200兆円)公共事業をといっています。どちらもが企業の利益が上がれば国民生活も向上するといったこれまで失敗した政策の繰り返しでしょう。脱原発も消極的で、この先どうなるかを見て決めるといったような原発の継続を言っています。
民主党やその他の小さな党も意識するしないにかかわらずこの自民党の争点づくりに対する政策を言いはじめています。それがある意味反自民党的な結集する条件を産む可能性があります。生活党が未来の党に合流をして社民党との選挙協力や政策協議にも進みそうです。
それぞれの党がそれぞれに選挙目的であってもその考え方と政策を出しているわけですが、それがだんだんと一つの争点となって見えてきているのではないでしょうか。それが憲法と暮らしという国民生活に多大な影響を及ぼす大きな争点であることが見えてきます。

【2013年】ツイッターつぶやき
日本政府はずっと安保の中に時刻自国を置いていた。軍事面はもちろんそれは経済にも波及していた。同時に日本の政権内には改憲理由を含めてアメリカの傘から抜ける動きも示してきた。もちろんアメリカも日本の基地の重要性と経済を重視してきた一方ではロシアの立ち直りや中国の発展そしてロシア・中国の柔軟さの中に日本一辺倒で入られなくなってきた。
軍事面の安保の重要さと世界1位と3位の経済を握る経済的なつながりも切り離せないが互いに安保関係は利用するものという位置づけが強くなっているのかもしれない。あるいは今のアジアでは安保関係は古い体質となってきているのかもしれない。
日本は安保を利用しながら中国をけん制しようとするが、アメリカは軍事面の安保に抵触しない事柄なら中国ともロシアとも連携を強める。日本は独自の道を歩く方向を示して改憲を中心に今秘密保護法を対米関係から離れた統治の中に組み込もうとしそれをばねに力による中国への圧力にしようとする。
中国の今回の領空識別権問題でも朝日新聞の記事を読めば、日本がアメリカに要求する対中国への強硬姿勢とアメリカのアジアの安定とに違いが出ている。民間機の飛行計画の中国への提出での違いが出る。その中にアメリカが望んでいるものが見えるだろう。この中に安保自体がどのような役割を持つのか?もちろん中国が軍事康応に出ればアメリカは動くでしょうが、中国はしたたかで強硬さと安定化を見せる。強硬さが行過ぎれば危機になるが安定化でそれを緩和している。アメリカはその中国のアジアの安定化という面に乗らざるを得ないでしょう。安定化には両国は一致をする。その中で日本の強硬路線がさらにアメリカを困惑させるでしょう。改憲や秘密保護法の中身においてはアメリカさえ警戒感を持つ。それは終戦という歴史問題でもある。
韓国も強硬さと安定の両面を持つ。
このまま行けばアメリカが日本をもてあます時期がくるのではないか。
アメリカと中国・ロシアはいざとなれば腹を割った話ができるという互いに敵ながら天晴れという認め合うものがある。それが悪いか良いかは別としても。その中で日本が安保を利用する面が強くなった場合どのような国際関係の中におかれるか。。。。
外交は孤立したほうが負けです。自分を捨てて孤立しないではなくて世界がどのような方向に動いているかの判断の中での「孤立をしない」です。そこに古い日本を見せてはならないということです。

【2014年】ツイッターつぶやき
労働力の移動が必要となる場合とはどのようなときか?
経済が発展しはじめた時に新たな成長産業が生まれてそれがまた産業構造まで変えていくような場合にその成長産業に労働力が足りなくなる場合である。もちろん成長産業が生まれるときにスクラップ産業も生まれるかの世は高い。そのスクラップ産業から労働力を成長産業に移動をさせなければならない。
この労働力の移動は、スクラップ産業での首切りによる失業した労働力の吸収という事になる。労働力の移動はこのように暴力的であり労働者に多くの犠牲と負担をかける。
しかしこのような労働力の移動はまだましな方なのである。
労働力を吸収する産業があり、そこでの賃金が保障されるなら多くの労働者は救われる可能性が残るのだから。
しかし今言われている「雇用の流動化」とはどのようなものか?
失われた20年の中で経済は低迷をして成長産業が見えない時代になっている。デフレ不況は深刻となっている。このような中では上記したような「労働力の移動」は起きない。
そこで起きているのは雇用の流動化といわれるものであり、アベノミクスにおいて失業率が下がり雇用が拡大しているといわれるが、中身は正社員の割合の現象であり、不安定雇用の増加という形をとっている。このような正社員から不安て雇用に労働力を移動させるものが雇用の流動化なのです。安定した中間層としての雇用と賃金を低賃金へと労働者を移動をし、解雇の自由論が高まる中での不安定な雇用の増加なのである。
ここで見る雇用の流動化は明らかに労働力の移動とは違う。不況の中での企業の生き残り策としての雇用の流動化であり、経済発展の過程においてのスクラップ&ビルドでの労働力の移動ではない。
雇用の流動化は許してはならない。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
newsweekに二つの記事があった。
長時間労働で減退する、日本の働き盛りの知的好奇心
働き盛りが読書しない日本、やがて訪れる思考停止社会
ツイッターで時々目にするツイートで日本人は今の政治や社会を考えない思考停止になっているといったものがある。すでに思考停止は始まっているのでしょうか?
知的好奇心と読書とは切っても切れない関係にあります。
ですから、知的好奇心が減退し、読書しない人々が増えていけば確かに思考停止社会を加速するでしょう。今は読書をしなくても様々な知識や情報を手に入れられます。しかしこの知識や情報は思考ではない。膨大な知識や情報量があるがそれを処理するには思考が必要です。知識と思考は別物です。最近考える力の教育が言われていますが、まさに思考は考える力です。
読書はもちろん知識や情報を得るものです。しかし1冊の本を読む行為と時間は数日という長く続くものです。この中で考えることが必然となります。時には前のページまで読み返したりしながら理解しようとします。また以前読んだ関連する本を開くこともあるでしょう。又は小説や詩の本を思い出すことがある。今読んでいるほんとはまったく関連性のない本を思い出しハッとすることもある。そして批判的に読み進める中でまた考える。
本を読んでもほとんど中身は忘れ去られることが多いのですが、すべてを忘れるのではなくて思考の血肉として残っているものです。
このように読書によって得た思考力(考える力)が今の膨大な知識や情報を処理する基礎となります。
知的好奇心は知識や情報をたくさん得たいというものではないと思います。
思考する中で、これはどうなんだろ?あれはどうなんだろ?と考える中で知りたいという気持ちが高まる状態でなければ知的好奇心は膨らみません。詰め込みは苦痛となりますが、考えることは楽しみとなっていきます。ですから知的な人ほど専門の知識から離れた様々な知識を追い求められます。
では日本社会が思考停止になっていく理由は何でしょうか?
読書量と言いますが読書は有り余る時間があるからできるというものではありません。先ほど書いた知的好奇心がなければ本は読めません。長時間労働だから読書もできずに知的好奇心が薄れるとだけでは説明できないでしょう。
社会のシステムが知的好奇心や考える力を必要としないようになっており、それを政治や企業が生み出しているという事です。
1960年代から70年代の安保闘争時代は労働者や学生は自ら考えることを行っていました。しかし政治や企業はそれを必要とせず逆に邪魔になった。知的レベルが高く国や企業に何も考えずにあるいは忖度して従う人間作りが求められた。今後憲法改悪がありそうですがこれが考えない日本人をさらに増やして考える日本人を押さえつけるでしょう。
こういった社会が日本の社会システムとすれば考えることひどい場合は読書することが異端視扱いされる。
「趣味は?」
「読書かな・・・・」
「まじめぇ~・・・あははは」
こういう日常が生まれます。
同時に議論を深めること自体も蔑ろにされます。
議論よりも力ですよね、今の時代は。
古代弁証法すら忘れ去られている。
この状態がまた政治にも働き方にも悪影響を及ぼして負の連鎖は底なしとなる。
何も日本人の知的レベルが下がっているわけでもないのに今後はノーベル賞が無理ではと言われている。知的好奇心を活かせない社会システムならこれは当たっているでしょう。そしてアメリカなどの大学で働く研究者がノーベル賞でも取ると、「日本人、すごい!!」と見当はずれの愛国心が生まれる。
(追記)ツイッターから
知識や情報という面では、スマホ1台持っていれば深い専門性を求めなければ図書館を持ち歩いているようなもんですね。しかし思考・考える力はスマホにはない。思考・考える力も知識や情報としてでしか知りえない。
こういう考え方をしなさいとスマホが教えてくれてその通りに動くようになった時、人間は人間でなくなる。こういう考え方をしなさいというものはすでに誰かがインプットしてしている社会かも。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
朝日新聞12月2日朝刊1面に「中絶か帰国か 迫られた実習生」という記事があった。
ベトナム人女性【22歳】の外国人実習生は妊娠をした。すると企業の担当者から「中絶するか、ベトナムに強制帰国かのどちらかを選べ」(引用)といわれた。しかも中絶をするなら「中絶の薬を与えるともいわれた」(引用)
渡航費の100万円は親類などからの借金。日本で働かねば返せるとは思えない。
そして女性は逃げた。。。。。
またある研修施設では「恋愛禁止」に署名させられる実習生も出ている。日本で働くための「意識改革」。。。。
政府は2016年の答弁で妊娠、出産、結婚を理由とした強制帰国を違法ととしたようである。しかし現実はこの「違法」が正々堂々と行われている。
現在国会でも新たな外国人労働者の受け入れについての法案が討議され散るが、衆議院ではやはり数の力で討議時間も少ない中で可決され参議院でも野党は政府の矛盾を突く発言が出ている。このままではやはりかうのちからにより可決されるでしょう。
法で縛りをかけたとしても細かな点になれば省令で決められる。症例は法より縛りが緩くなるでしょうし、しかも企業内となれば無法的な取り扱いがされる可能性を朝日新聞の記事は表している。
外国人労働者は休暇制度があると聞けば、先進国である日本だから真に受けて休暇を取るでしょう。しかし現実は日本の労働者も休暇を捨てている実態が。その中で休暇も取れないという真実を目にすることになるでしょう。日本で働くための「意識改革」は休暇を取ることは迷惑をかけることになる。結婚すれば寿退職。さらに妊娠すれば生産性が落ちるという論理外資の入学試験にも出ているような実態。子供を産めば保育園もない。この真実を知らしめるのが意識改革という名の研修なのでしょう。
たぶんこのベトナムの女性の現実を見て、日本の労働者はそうは感じるところが少ないのではないかと思う。日本人ならば法で認められる労働条件などは現実には存在しない部分があることを日常みているのだから。
もうこのような社会は発展性がないですね。

gooのお題に「コスパの良い神コスメを教えて!」というのがあったので参加しようかと思ったが、お題の意味が全然理解できない。
コスパ?コスメ?神?(これは神対応の神のようなものか)
お題のページを覗いてみたらどうも冬の乾燥肌対策のことらしい。
おやじの僕にはわからないはずですなぁ。。。。。
「コスパとは?」「コスメとは?」。。。。
検索をして調べてみましたが、略語のようですね。
なるほど。。。。と、理解できたので、確かに僕も乾燥肌で脛に粉が吹くほど痒さに苦しんでいることがあるので書こうとしたが、女性たちがもちもち肌対策を語り合う中におやじの脛に粉が吹いているなどという話を入れると、女性たちが眉間にしわを寄せられるかと思いよしました。
コスメもコスパも略語ですしわからないですが、最近テレビを観ていても何のコマーシャルなのかがわからないときが度々あります。妻に「今のコマーシャル、何のコマーシャルなの」と聞いてなるほどと思います。それでも妻もわからないものがたくさんある。
こうして老人は置いてけ堀になっていくのでしょうか?
ウウウ・・・・・
イカン、イカン!!
「コスパの良い神コスメを教えて!」のようなものも興味を持って調べてみることが大切なのか。。。。。?

【2019年】ツイッターつぶやき
嫌いな言葉に「長いものには巻かれろ」がある。
長いもの=力のある者
たしかに力のある人にくっついていれば得なことが多い。
しかしこれには自分を殺さねばならない場合が多い。
今の日本の政治や社会に対して不平不満はたくさんあるでしょう。
しかし不平不満ばかり言っていてもらちが明かないから
長いものには巻かれて生きていれば得だし楽であると
しかし長いものに巻かれていると自分を否定せざるを得ないのが苦しいから
長いものに巻かれながらそれを肯定して長いものに巻かれない人を攻撃すれば自己満足は得られる。暴力でもいじめでも何でもありとなる。
今の国民の多くがこんな状態ではないかな。
この長いものには巻かれるの対義語を調べていたら、
蟷螂の斧という言葉があった。
対義語としては弱い者でも強い者に立ち向かうということになるらしいが、
同時に蟷螂の斧は力の弱い者が強い相手に立ち向かっても負ける。そんなむなしさを言い表しているともいう。
まぁ、こうなると長いものには巻かれろの対義語とは言えないくなる。
しかしこのむなしさが諦めにつながり結局は「長いものには巻かれる」となってしまう。
たしかに弱い者は負けるのですが、かといって蟷螂の斧でも持たないと強い者はのさばり続ける。歴史を長いスタンスで見れば、強い者でも必ず敗れてきた。なぜかといえば、強い・弱いは相対的であり強い者に弱さが出れば弱い者は強くなる。強い者にも弱さがあるということを忘れてはいけない。そう思うならば蟷螂の斧もまんざらむなしいものではなくなる。
人の歴史はこんな蟷螂の斧のようなものが無数に繰り広げる舞台ったのです。

【2020年】ツイッターつぶやき
昨日書いた抗体・免疫・抵抗力そして分散の続きです。
そもそも役所や銀行などが土日や休日が休みになるというのが変なものです。わざわざ仕事を休んでいかなければならないんですからね。まだ専業主婦の奥さんでもいる夫婦ならどうにかできますが、今は共働きが当たり前になっています。もちろん独身者は困りますね。
土日休むということから平時にに人が集中して密ができます。もちろん通勤電車も込み合います。シフトを組んで土日や休日も営業すれば密も解消されるでしょうし、平日の出面が減れば働く人の密も避けられます。
社会全体がこのようなシフトを組むようになれば密を避けられますし経済効果もあるでしょう。
また出勤時間をずらしたり時短も有効でしょう。そして何よりも休暇を完全に消化することも必要です。
連休を分散できますし、すると旅行先でも観光地や歓楽街でも人の密が分散されるでしょう。
家族単位でこの家族は月曜日と火曜日が休みとか分散すればいいのです。すると学校なども土日に休む必要がなくなる。
こう書くと非現実的だという方もいるでしょうが、現実は上記したような分散が行われている仕事が多いのです。それによって社会は維持されています。

【2021年】ツイッターつぶやき
これまでもワクチン接種による副反応として心筋炎が言われていましたが、厚労相はやっと心筋炎を「重大な副反応」と認めたようです。
ただしコロナ感染での後遺症としても心筋炎があるため判断は難しくなるのかもしれません。
コロナで心筋炎の後遺症になるのもワクチンで心筋症になるのも悲劇ですが、「その頻度はワクチン接種後よりも高いことが分かっている。」とはいえ、コロナは自然の災いとしてのものですが、ワクチンは人工的な厄ですからね。
今後オミクロンが広がるかもしれませんが、ワクチンの効き目がどうなのかもはっきりしない中で3回目の接種がはじまりました。ワクチンの効き目が弱いならば、あるいは重症化しない新型のウイルスならば、無理な接種の方が危険性は大きいと言えるでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
マイナンバー顔度を普及させようと政府はポイントをばらまいたり、健康法検証や車の免許証をマイナンバーにすると言いだして半強制的なやり方をしている。
一方ある程度普及する中、企業や行政で紛失や漏洩が起きている。
5年間で3万5千人分が報告をされているそうです。でも、これは明らかになった人数ですから実態はもっとたくさんあるのではないかと思います。
現在6割程度にマイナンバーも広がっているようですが、さらにさまざまなところでマイナンバーと暗証番号を使うようになればさらに多くの紛失や漏洩が発生するでしょう。紛失や漏洩というだけならまだよいですが、そこから犯罪に結びつくと被害は大きくなるでしょう。
最近ではコンビニで酒やたばこを買うための身分証明にも利用するという話も出ていますからマイナンバーは日常の生活の中に入りこんでいきます。
日本は高齢化していますから。今でも高齢者狙いの詐欺が後を絶たない状態ですから、すぐにマイナンバー詐欺も出てくるでしょう。
マイナンバーが生活上において必要だというものはほとんどありません。政府が紐付けするために必要になってしまうというだけですね。

【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカでは、返品送料は企業が負担するのでしょうか?
この返品送料と変わらない値段の商品は返品なしで返金をするそうです。(ロイター
たしかに送料まで支払って、返品された商品は売ることはできないのですから、返金だけをする方が企業にとってはよいのかもしれませんね。
そういえば、ツイッターにフロリダの方だったか?一定の額以下の商品を万引きしても警察は捕まえないそうで、下手に捕まえれば逆に訴えられるとか。堂々と盗んで出ていく。
経済的損得で人の善悪に影響するような社会はよくありませんね。
返品なし返金も悪用を心配されているようですが、ブランクマンデーのセールで大量販売をしても返品が50%を超える社会というのも怖いですなぁ。
そういえば、日本でもフォーマルの洋服を買って、1度着ればいらなくなるので7日以内に返品というようなことがあるそうです。
資本主義的共産主義がくすぶっている。
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「12月 2日という日」

2024年12月02日 07時54分37秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
今年の冬、初めての鍋でした。
暖かい日がずっと続いていましたので鍋を食いたいという気も起きませんでしたが、少しは寒さを感じ始めたのでスーパーをぶらぶらしていたらキムチ鍋のスープを手に取ってしまった。
このスープはわが家の定番。。。。。。。
鍋も完食。〆のリゾットも完食。。。。。
リゾットは、残ったスープにご飯を入れ、その上のしゃぶしゃぶ用の薄い餅、スライストマト、とろけるチーズをのせてひと煮たち。

≪過去の記事≫

【2003年】
晴れ。うれしいです。
洗濯物も日差しの中に揺れてうれしそう。。。。
昨夜はすごい風でした。やはり台風の影響でしょうか?娘が怖かったのかなかなか寝付けなかったようです。
僕は大きないびき・・・・(笑)
まだ海は荒れているようですね。
紅葉狩りと思っていましたが、つい時期を失ってしまったようです。
そういえば、都心に四谷というところがあるのですが、その駅前に教会があり、クリスマスイブに行くと暖かい光に包まれています。通りには銀杏並木があり、落ち葉を踏んでぶらぶらするとロマンチックです。
晩秋。。。。楽しまないとね。
そして冬は・・・・じっと我慢です(笑)

【2004年】
車で買い物に行きました。帰り道、4時少し前になったばかりだというのに西日がまぶしかったです。5時というともう真っ暗です。ほんと今の季節はいやだ。。。。
12月というとクリスマスが楽しみですが、25日といえば冬至が過ぎたあと。一番くらい季節が終わり少しづつ日が伸びてくる楽しみも出てきます。キリストの復活というのもあるそうですが、やはりこの冬至を過ぎて太陽が復活していくというものとの関連もあるのかもしれません。
一番暗いこの季節、街を色とりどりに飾るのもこの冬至が過ぎ去るまでを幾分かでも楽しもうという意味もあるのかもしれません。
キリスト教には関係のない僕でも、上のような意味ではクリスマスを迎える楽しさが増します。
正月は、本来旧暦で、春の気配を感じながら新たな命のめぐみを期待するものでしょう。しかし今は、やはり冬至が過ぎて太陽の復活という陽暦にちなんだものになりつつあるのかもしれません。
こんなことを考えながら早く冬至が過ぎないかなぁとお持っています。
あわただしいし金もかかるけどね。。。。(笑)

「肩ごしの恋人」  唯川 恵  著
るり子は思う。
六本木や西麻布には足が向くが、新宿は苦手だと。なぜなら新宿は本音の街だから。自分というものをさらけ出さないとだめな街だから。
六本木などでは、女がちやほやされる。男に自分の魅力を見せ付ければ楽しい街である。しかし新宿は違う。新宿2丁目では男は振り向きもしない。ここでは男同士のゲイの街であり、女はただのひとりの人間としか見てもらえない。
るり子は、恋に結婚に生き、男は自分を幸せにすべき存在。それだけの美貌を持つ。萌は、素敵な女性ではあるが男に対して信用をもてない。結婚をはじめから望まないわけではないが、男との仲が結婚にまで進みそうになると引いてしまう。このようにお互いに性格のまったく違う二人の女だが、どこかお互いに寄り添うように生きてきた。
萌は、妻子ある男との微妙な関係の中にいる。るり子は、2度の離婚で慰謝料をふんだくりながらもまた3度目の離婚の危機にある。危なっかしい二人である。
そんな二人の中にかわいい男の子とも言うべき家出をした15歳の男が来る。別居を始めたるり子とこの高校生崇は萌の住まいに転がり込んだ。「修学旅行のように楽しい」生活がはじまり、この3人が新宿2丁目の世界に入っていき、本音の人間、女はただの一人の人間でしかないという世界に触れる。文ちゃんとリョウという二人のゲイと知り合う。
萌は、退職をして職を探す。離婚を決意したるり子も職を探すしかなくなる。同じ部屋に住む二人の女はお互いと支えながらその女の友情深めていく。
また大人の二人の女が少年を世話していると思い込んでいたが、崇はその純粋さを二人の女に見せつける。そこに少年から大人の男に変化する崇を見る。
るり子はゲイのリョウに好きだと告白をする。女を愛せないリョウという男に。。。。そしてつぶやく「好きだからそれでいい」
燃えとるり子と崇の「修学旅行のように楽しい」生活。ここに「好きだから一緒に生活をしているというものがある。萌とるり子の生活も女の友情という反感を持ちながらも好きだという自覚にある。もちろんるり子のリョウへの思いも。
人は家族関係の中に生活しているが、「好きだから」という基本を常に確認せねばならないのではないかと思う。基本は家族関係である。しかしこの作品は、この家族関係から離れた人同士の「好きだから」を純粋に表現しているのかもしれない。
燃えとるり子の新たな生活がはじまろうとしている。その生活がどのようなものかは読んでいただきたい。しかしこの二人が幸せになれるかは未知数である。
唯川さんは「あとがき」に「あっけらかんとしたもの」を書きたかったと書いているが、まさに読み終わったあとはなんともいえぬあっけらかんとした明るさのある作品である。
この文庫版での解説を江國香織さんが書いている。解説を書くにはある意味では最もふさわしいのではないか。
この「肩ごしの恋人」は、江國さんの「ホリーガーデン」でかかれた二人の女性の友人関係と、「きらきらひかる」で見せた青年の純粋さとゲイの男との関係の中から「好きだから一緒にいたい」という暖かさをひとつの作品にまとめたような気がするからである。
唯川さん、江國さんという二人の直木賞作家による表現の違いもおもしろいかもしれない。

【2005年】
朝のうち日が出ていたので布団を干したのですが、すぐに薄日となってしまい布団は退場。。。
今日からスポーツジムに行きはじめました。
まずは初日ですから面接があり、これからのメニューが決められました。
「こちらいらした目的は?」
「中性脂肪を減らしたくて。。。。」
「そうですかぁ。。。。」
「はい」
「あとは?」
「ぎっくり腰の予防です」
「そうですかぁ。。。」
「はい」
メモをのぞいたら「体力アップ」
「・・・・?」
「とりあえずは有酸素運動を中心にやって行きましょう」
「はい」
てなぐあいで初日が始まりました。
面接では体脂肪率や筋肉量、水分量などが測定できる機械もやり、こちらは理想的なものでした。えっへん!体脂肪率17%
はじめはウォーキングマシーンをやり、こちらは気持ちよく汗を流せました。次は腰痛関係で専門のトレーナーに診てもらいました。
「体がゆがんでますねぇ。。。」「足の長さが左右でちがってしまっている」
「はぁ。。。。」
ストレッチでめでたく左右の足の長さが同じになりました。
「それでは次に様々なマシーンの使い方をご説明します」
「はい」
「それでは一つひとつのマシーンを10回づつやってみましょう」
「はい。。。」
すべて重さ設定は30キログラム。
(箸より重いものは持ったことがないのに。。。(笑))
一通りやったらぐったりしてしまった。さすがに重量挙げはやらされなかったけど。。。
「それでは最後に自転車漕ぎを。。。。」
「はい。。。」
みっちり2時間コースでしたぁ。。。。
色男金と力はなかりけり。。。足腰が立たんっ!。。。ううう・・・・

【2006年】
12月ですなァ。。。。。
年の暮れと言えば、この時期に庶民の意識が経済に反映します。企業はボーナスを当てにしたクリスマス商戦を繰り広げます。この意味において12月という年の暮れは、日本の経済状況を反映します。
イザナギ景気を超えた景気。。。しかし企業は自信をもてないでしょう。国も自信をもてないでしょう。個人消費という幽霊に悩まされるでしょう。長期的な景気の上昇に期待をもてない。。。ここで、個人消費の伸び悩みを問題とする。しかし庶民は無い袖は振れない。
12月2日の朝日新聞朝刊1面を見て今後の経済状況が分かる。
「5000億円規模の企業減税が想定されている。その財源は、07年からの所得税の定率減税の全廃(約1.2兆円の増税)で賄われることになる。」
「『法人実効税率の10%程度の引き下げ』をすれば、4兆円規模の減税になる。その財源を他の税源で賄うとすると、消費税(現行5%)なら2%幅の引き上げが必要になる。」
「リストラ景気回復」が継続するのである。すなわち庶民生活を犠牲にした大企業優先の景気状況の継続である。
これは、国や大企業があえて毒饅頭を食うに等しい。
個人消費の伸び悩みを問題にしながら、景気の継続にはこの個人消費を抑えることしか出来ないのだから。競争はこの毒饅頭を企業が食わざるを得ない状況を作り出す。毒饅頭だから、一時は腹は膨れるが後に矛盾は噴出すだろう。更なる個人消費の落ち込みであり、好景気とされる中でのデフレ脱却は遠のく。
仮に大企業を優遇するにしても、その大企業が何をしてくれるのか?
派遣社員やバイト・パートの正社員化は進まないようである。。。
こう見ると、名目上の景気回復では国民生活の向上は当分の間望めない。

【2007年】
日記を少しサボっている間に12月に入ってしまいました。サボっていたというより、少し忙しくて夕食後は眠くて動けませんでした。
東京は、今が一番紅葉がきれいかな。。。。
公園は鮮やかな秋の色!
ぼうっと立ち止まって眺めてしまいました。夜の公園。。。街灯にライトアップされた紅葉。。。。きれいです。
イチョウの葉もだいぶ黄葉してきました。
イチョウが散りはじめて僕の日記も冬です。クリスマス・冬至の頃。
冬至を過ぎて寒さは厳しいけど、これから日が延びるといううれしさ。冬の嫌いな僕としてはこのうれしさが支えです(笑)
今夜は豚肉と厚揚げの味噌炒めと刺身。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
12月に入りました

毎年この時期になると

アマリリスの葉などが枯れるのですが

今年はまだ青々しています

東京の気温は20度とか。。。。

温かい日差しが気持ちがいいです

予報は午後から夕方に雨?

胡蝶蘭の花の茎がだいぶ伸びました

デンドロビュームも分厚い葉っぱの花の茎も

シクラメンはまだ芽がでません

部屋に入れたほうがよいのか。。。。。。

春一番に咲く花々。。。。

楽しみです

【2011年】ツイッターつぶやき
11月29日に『《第95回紀伊國屋サザンセミナー》 文芸誌「モンキービジネス」最終号刊行イベント 「猿の一休み」』というイベントに行ってきました。
「モンキービジネス」という季刊誌は読んだことがなかったのですが、この季刊誌が15号をもって休刊するということでのイベントでした。川上さんは創刊からずっと短編を連載されておりこのイベントにも参加をするというので喜び勇んで新宿まで行ってきました。
新宿の紀伊国屋と言えば「あの」通いなれた紀伊国屋と思い出かけたのですが、7階にそのような会場がない。。。。店員の方に訊いたら代々木駅近くの紀伊国屋だと。新しくできたのですね。。。。急いで約一駅歩いていきました。どうにか間に合ったので入口で一服して当日券で入りました。入ってみると本が並んでおり川上さんの「神様」のサイン入りの本が!最後の1冊。手に取ろうとしたら若い男がさっととってしまった。入り口でのんびりと煙草など吸わなければよかった。
当日券でしたが端っこの方の前の席が空いていてラッキーでした。川上さんのお顔をよく見ることができました。
お話の中に川上さんが「空気を読まない」で書くようにしているというようなお話がありました。作家の作品というものを通して作家と読者が理解しあえるという事はない。15人ほどの人しか理解できなくてもいいのではないかと。
これは作家が読者を引き離すような言葉ではなくて、書いた人間と読んだ人間との距離は埋めることができないということでしょう。これは作家と読者とはその生活の場やこれまでの人生が違うわけでして書いた方の思いを作品という形にするのですが、その作品は本になってしまえば読者のもので読者の人生観などで読むわけです。ですから作者の思いがそのままに伝わるということはないのです。しかしこの伝わらない中に作者と読者が切り離されるかと言えばそうではなくて、やはり作品というものを通じてのつながりはあるわけです。その中に読者は間違った読み方をしてしまうというものはほとんどなくなります。「感想」なのです。そのつながりは。感想の中に間違いというものはありません。作品の中に見つけたものがそれぞれの読者が違うだけなのです。この意味において一つの作品は作者がこう読めということではなくて、読者それぞれの感想の中に生きているわけです。ですから作者と読者が一致しないというのはその作品に普遍性が出てくるのです。この普遍性が広ければ広いほどすぐれた作品になるわけです。
15人ほどというのは、川上弘美という人間との付き合いがあるかたがより川上弘美的に作品を理解できるということではないでしょうか?または生き方や人生が似ているとかもあるかもしれません。
こうしてみると、「空気を読まない」というのはすごく大切なことになります。
読者を感動させるには今はこういう作品をとか、ましてや売れる作品をとかを考えないで心のままに描いた作品をより普遍性のあるものに描くことが大切なだけです。
川上さんの作品がじんわりと心の中にしみのように広がっていく感覚はここから来ているのではないでしょうか?読者はどんな偉ぶった教訓も受けずに自分を見ながら読み進められる。そしてそこに自分だけの感想を持つことができる。これもまた文学の一つの形でしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
まずはツイッターから。。。。
「先進国が自国の通貨安競争に走るって異常なことでしょう。。。。。競争ですからそれは人的な政策です。為替や株などなど、経済実態に添わないで経済は人の手でどうにでもなるというある意味新自由主義の自由とは何かが現れているのでしょうか。一方では国民生活はそのつくられた市場に任せると。」
自然水準というのは結局は「そのつくられた市場に任せると」ということによる長期的な目で見た結果でしょう。失業率を自然失業率として決定するのは何も自然なことではなくて人的な経済を動かそうとする政策が失業率を高めたり低めたりするわけですからその結果が自然と名付けられて自然失業率と呼ばれるだけなわけです。
ですから自然水準からの国民生活は人的な上部構造である政策などから規定をされてその中から格差社会などが生まれる。そしてこれが下部構造の経済自体の矛盾を深める。結果として自由でない自由主義が現れる。
下部構造の経済からその矛盾を解決する上部構造である政策を決定しなければならないのだが、企業や富裕層がその利益目的に政策を決めればそれは逆さまな論理となる。

【2013年】ツイッターつぶやき
先進国はひとつのピークを終えて瓦解し始めていると思いませんか?瓦解というのははじめから一挙に崩れ始めるのではなくて少しづつ割れ目や裂け目が広がっていき気づいたときは一挙に崩れてしまうこと。
もちろんその瓦解するものの土台は経済です。
その経済は、人の生活が発展するのに必要な生産性の向上が逆に経済に日々や割れ目を作っていく。今や物づくりもロボットのようにコンピューターと精密機械が結びついた中にあります。人の労働力をそれほど必要としない中に大量の商品が生産されます。それはその商品の価値を低下させて市場においては価格低下として現れます。以前労働力をより多く必要とした商品がロボットによって生産される。「同じ商品なのになぜ価格が下がるのだ!」とパニックになる。こてはその商品の使用価値からしか価値というものを見ないことからのパニックです。より少ない労働力しか必要としなくなったその同じ商品は使用価値は同じでも価値が低下しているんです。その商品の品質や使い勝手など使用価値を高めても価値自体は定価をしているんです。
その商品を生産する産業内の企業はより多くの商品量を市場で売り切ってしまわなければ依然と同じ利潤を維持できないわけです。もちろん生産性の向上はこの商品量をより多くする働きがありますから産業内では過剰生産となります。一方のその商品の諸費は限界がありますし、その限界は労働者の懐にある貨幣量によって決まります。潜在的な消費力はもちろんあり、労働者はその商品をほしいと思っている。しかし買えなければ消費はできない。また、グローバル化が進んで海外の市場と低賃金労働を求めていきますが、これも生産性の向上の一部であり商品価値を下げていきますしその相手国の消費はより低賃金の状態ですから消費の限界を大きくします。
ここに企業にとっては過剰生産、消費者にとって果てに入れられない状態が形作られます。
ここから瓦解が始まっている。企業は利潤を維持するために労働力をもコストとして取り扱い低賃金化をし始める。それもまたその企業にとっては生産性の向上とみなすようになる。当然消費の限界を高めます。
瓦解は今問題となっている商品の食材偽装にも見られるような品質の低下としても現れ始め、そのことによる利潤確保が始まる。原発もそうでしょう。今は原発を必要としない程度に電力漁は存在をしてそれを原発なしでもより安定的に供給できる道があるにもかかわらず原発の再稼動が言われる。この矛盾もやはり企業利益確保のための危険性の高い人類の存亡にかかわるものでも企業の利潤確保のために行われる。あるいは商品自体の質の低下はないものの自動車のようによりやすい軽自動車に需要が出てくる。
これも瓦解の始まりでしょう。
国家は前面に出てきてこの瓦解の中に企業を守るためにすべての力と金を注ぐ。
これもまた瓦解の始まりです。
相撲協会や柔道連盟そして最近では日展画問題となりましたが、こういった組織事態も瓦解を始める。
マスコミなどはどうでしょうか。。。。
国家組織をはじめとした企業や多くの組織全体がおかしくなってくる。今の自民党に見る保守層もおかしくなってくる。
瓦解が目に見えてくる。。。。。そしてあらゆる分野でこの瓦解に気づき始めた国民が増えてきているのではないでしょうか?
生産性の向上は、より安くより大量の商品を社会に浸透させます。
これは人の歴史においては画期的な発展の条件なのです。今のような社会での生産性の向上は社会を瓦解させる条件であるのですが、本来は社会をより発展させるための条件なのです。この条件を生かすような社会を作ることが発展といえます。
その発展のために何が必要なのか。。。。
上にも書いたようなあらゆる分野で今の社会の瓦解に気づき始めた人々が広く結集をして考えていく必要が出てきたということです。それはやがて国民運動となっていくでしょう。そしてその中に民主主義や平等そして自由の問題などの基本的な哲学も発展させ変えていくでしょう。瓦解に振り回されない進歩的な人々。。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
以下、2013年12月に書いたものの再掲載です。

先進国はひとつのピークを終えて瓦解し始めていると思いませんか?瓦解というのははじめから一挙に崩れ始めるのではなくて少しづつ割れ目や裂け目が広がっていき気づいたときは一挙に崩れてしまうこと。
もちろんその瓦解するものの土台は経済です。
その経済は、人の生活が発展するのに必要な生産性の向上が逆に経済に日々や割れ目を作っていく。今や物づくりもロボットのようにコンピューターと精密機械が結びついた中にあります。人の労働力をそれほど必要としない中に大量の商品が生産されます。それはその商品の価値を低下させて市場においては価格低下として現れます。以前労働力をより多く必要とした商品がロボットによって生産される。「同じ商品なのになぜ価格が下がるのだ!」とパニックになる。こてはその商品の使用価値からしか価値というものを見ないことからのパニックです。より少ない労働力しか必要としなくなったその同じ商品は使用価値は同じでも価値が低下しているんです。その商品の品質や使い勝手など使用価値を高めても価値自体は定価低下をしているんです。
その商品を生産する産業内の企業はより多くの商品量を市場で売り切ってしまわなければ依然と同じ利潤を維持できないわけです。もちろん生産性の向上はこの商品量をより多くする働きがありますから産業内では過剰生産となります。一方のその商品の諸費は限界がありますし、その限界は労働者の懐にある貨幣量によって決まります。潜在的な消費力はもちろんあり、労働者はその商品をほしいと思っている。しかし買えなければ消費はできない。また、グローバル化が進んで海外の市場と低賃金労働を求めていきますが、これも生産性の向上の一部であり商品価値を下げていきますしその相手国の消費はより低賃金の状態ですから消費の限界を大きくします。
ここに企業にとっては過剰生産、消費者にとって果てに入れられない状態が形作られます。
ここから瓦解が始まっている。企業は利潤を維持するために労働力をもコストとして取り扱い低賃金化をし始める。それもまたその企業にとっては生産性の向上とみなすようになる。当然消費の限界を高めます。
瓦解は今問題となっている商品の食材偽装にも見られるような品質の低下としても現れ始め、そのことによる利潤確保が始まる。原発もそうでしょう。今は原発を必要としない程度に電力漁は存在をしてそれを原発なしでもより安定的に供給できる道があるにもかかわらず原発の再稼動が言われる。この矛盾もやはり企業利益確保のための危険性の高い人類の存亡にかかわるものでも企業の利潤確保のために行われる。あるいは商品自体の質の低下はないものの自動車のようによりやすい軽自動車に需要が出てくる。
これも瓦解の始まりでしょう。
国家は前面に出てきてこの瓦解の中に企業を守るためにすべての力と金を注ぐ。
これもまた瓦解の始まりです。
相撲協会や柔道連盟そして最近では日展が問題となりましたが、こういった組織事態も瓦解を始める。
マスコミなどはどうでしょうか。。。。
国家組織をはじめとした企業や多くの組織全体がおかしくなってくる。今の自民党に見る保守層もおかしくなってくる。
瓦解が目に見えてくる。。。。。そしてあらゆる分野でこの瓦解に気づき始めた国民が増えてきているのではないでしょうか?
生産性の向上は、より安くより大量の商品を社会に浸透させます。
これは人の歴史においては画期的な発展の条件なのです。今のような社会での生産性の向上は社会を瓦解させる条件であるのですが、本来は社会をより発展させるための条件なのです。この条件を生かすような社会を作ることが発展といえます。
その発展のために何が必要なのか。。。。
上にも書いたようなあらゆる分野で今の社会の瓦解に気づき始めた人々が広く結集をして考えていく必要が出てきたということです。それはやがて国民運動となっていくでしょう。そしてその中に民主主義や平等そして自由の問題などの基本的な哲学も発展させ変えていくでしょう。瓦解に振り回されない進歩的な人々。。。。。

(つづきです)ツイッターから
生産性の向上(賃下げというものではない)は、少ない労働力でより多くの商品を生産するからその1つあたりの商品は価値低下を起こす。しかし生産性の向上からの派生として、もう一つの面として優れた商品は使用価値を高める。商品の価値は下がるが一時的には使用価値からの価格は上昇
パソコンや電化製品など性能がアップしたり付加価値をつけて価格の維持をするといったものがある。これが使用価値からの価格の維持であり、時には価格は上昇する。
しかしその使用価値からの価格の維持や上昇はその商品を生産する産業全体で平均化されればその新たな使用価値は当たり前となりすぐにその商品の価値に価格は引き下げられる傾向を示す。商品の使用価値からの価格はその商品の価値が基本となる。
資本主義は競争としてこの生産性の向上により安くて大量の商品を生産して1つあたりの価値を下げていき、より良い商品という使用価値を高度にする。これが資本主義の優れたところであるはずです。この中で消費者物価は下がり続ける傾向を示す。これが資本主義経済の発展でしょう。
商品の価値を低下させてよりすぐれた使用価値を持つ商品は、国民生活を豊かにするでしょう。また生産に必要なより少ない労働力量は国民の労働時間を削減してこれもまた国民を豊かにするでしょう。資本主義経済はこれを目指して発展をしていくのです。経済はこういう社会にしろという。
国民はこういった社会を望んでいますから素直に従えます。しかし同時に資本主義経済はこれでは困るという自己矛盾を抱えています。これでは困るという人がいるという事です。
商品の価値低下により物価が下がることをデフレと呼び、利益が少なくなることからその利益を維持するために賃下げや失業を作り出します。そのために経済システムは破壊されてデフレは単なる物価の下落ではなくてデフレ不況となります。
ここで利益を得た人々はその金を生活のための消費ではそうは使いません。その金は子を産むものでなければなりません。ここに貨幣という富の集中(資本の集中化)とだぶつきが起きます。だぶつきは不況ですから当然です。たとえば新たな設備投資などはできませんから。
不況は子を産まない金の集積です。だぶつきです。この集積やだぶつきが起こらないようにするのが国民生活の豊かさのために流れなければならないという事を示しているのです。
株や土地といった価値のない(土地は人の労働でつくられたものではないから)ところでの売買益に頼る。絵画の値段を引き上げての売買益。すべて人の労働からつくられる富とかけ離れた架空の富を生産する。銀行もそのためにろくな担保もないところに金を貸し出す。
いわば人の労働というものから生まれる価値から切り離された子を産むというだけの使用価値だらけのものに集積しただぶついた金は流れていく。バブルです。。。。。当然はじけるでしょう。そこに待ち受けるのは恐慌の危険性です。
こういったバカげたものはもうなくして富裕層の皆さんも我慢しなくてはならない。結局国家が全体的に縮小していけば富裕層の中での没落がはじまる。低賃金でこき使ってセレブな生活を得ることは我慢しましょう。我慢してもらえるようなシステムを作り上げるのが社会民主主義経済です

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
小池都知事が電柱をなくして地中に電線を埋めることに力を注ぐようですね。
小池都知事がどのような考え方でこれを行おうとしているのかはわかりませんが、いろいろな意味でこの政策は必要だと思います。
都心に行くと電線がありませんね。
しかし東京でもほとんどのところに電柱や高圧線鉄塔が立っています。
オリンピックに向けて景観からも電柱をなくそうとすることもよいのですが、電柱の問題はただ景観だけの問題ではありません。
歩道もない車の交通量が多い道路に電柱が立っていますが、細い道に歩行者や自転車車いすの方が通っています。車で底を通るたびに電信バイらがあるために歩行者や自転車が道路の真ん中に飛び出てきます。危ないと思います。逆にそこを歩いていると車が邪魔で一方通行にすればいいなどとも逆の立場で思ったりもします。危ないので行政は歩道にするためにオレンジと黒にペイントした鉄の柵を立てます。しかしその策で区切られたエセ歩道の真ん中に電信柱があるときがあります。車いすは通れませんし、人や自転車が飛び出てくるのも変わりありません。
無電柱化は都民の安全にもかかわる重要な政策です。
しかしこの無電柱化と言う政策はもっと政治全般の哲学とならなければなりません。
電柱には電気や電話の回線がついています。無電柱化というのはこの電線が邪魔だから電気も電話もなくせという政策ではない。こんなわかりきったことを本気で批判材料として言う人もいますが。
電線は地下に埋めれば電気も電話を使えるのです。
こういった論理が政治全般に必要だと思うのです。
オリンピックも僕が子供のころに東京で開催されました。また2度目のオリンピックを見ることができること自体に反対はしません。しかし現在の開催方法を見れば当初の予算よりもバカ高い金を使おうとしています。一方で国民生活は公助を捨てて自助共助でとなっています。社会保障が削られていく中の一方でとてつもない金を使うことに矛盾があると思うのです。ならば反対なのです。オリンピックという電線は良いが、国民生活を犠牲にしている電信柱は必要ないし邪魔なのです。
築地市場移転問題も同じでしょう。
築地市場という老朽化したものを改善しなければいけないことに反対はない。しかし安全面でも設備的欠陥でも行政のいい加減さにおいて反対なのです。市場の改善という電線は必要なのですが、先に書いた豊洲市場の矛盾という電信柱は邪魔なのです。
このような都政だけではない。
国政においてもたくさんの必要とする電線は必あるのですが、あらゆるところで国民の安心・安全そして安定した生活を邪魔する施策という電信柱が乱立しているのです。
この電線と電信柱の関係の思考からすると、どうも自民党という政党がこの電信柱になりつつあると言ことが見えてきました。
経済も政治も外交もその限界が見えてきていると思います。
どうも国民の犠牲において経済も政治も変な方向に向かっています。
野党4党の共闘は、この自民党とその政策という電信柱をなくそうとすることでしょう。
小池都知事もこの電信柱とぶつかりそうです。
カジノ法案の強行採決では公明党も自主判断を行いこの電信柱と小さなぶつかりがありました。自民党はもう公明党なしでも維新との共闘で強行採決できるというおごりを示しました。
改憲はこの路線で進むかもしれません。
小池都知事の思想信条はいろいろと報道されていますが、もし小池新党ができて電信柱をなくそうとするならば野党4党と共闘できますし、公明党もこのまま与党で電信柱に埋没するよりも野党4党と共闘すべきでしょう。
ここを国民はしっかりとみていかなければならない。
電信柱をなくした後電線をどのように国民の安全安心そして生活の安定に役立つように処理をするかを野党共闘は真摯に話し合うべきでしょう。

【2017年】ツイッターつぶやき
違法性が疑われる補助金を受けた企業からの献金。(朝日)
企業献金は昔からその矛盾が言われてきて問題が起きたときに法改正もされてきたはずですが、今でも法の抜け穴というのか例外が認められている。
企業献金を廃止しろというと、昔はよくならば労働組合からの献金も禁止しなければと言われていた。しかし、企業は営利目的の団体でその利益からの献金。労働組合はエリ目的での金でではない。
企業の活動には政治の影響力が強いわけですが、この関係において献金をするという事自体がおかしなわけです。ましてや補助金を受けた企業が政治献金をと言えばなおさら政治との癒着があるわけですし、補助金は国民の税でしょう。
企業献金は廃止しなければいけませんね。
そうしないと抜け穴があり続けて違法性は必ず出てくるでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
先日書いた「値上げすれば解決するという発想」の関連です。
フランスで燃料税増税に対するデモが拡大化し、一部が暴徒化している。
燃料税をなぜ増税げするか、CO2削減という環境政策による。
地球環境については国際的な取り組みとして広がっている。各国はCO2削減にも積極的になっている。ここからフランスが削減の取り組みを行うことは評価できるでしょう。しかしヨーロッパにおける電気自動車への取り組みとリンクするならばだれの利益となるか?が問われるでしょう。
CO2削減のために燃料税増税を行うというのは、先の「値上げすれば解決できるという発想」でも触れたが矛盾が発生する。燃料税を上げれば確かに消費は減ってCO2削減にもつながるでしょう。しかしどの国民の階層がこの削減で我慢をさせられるか?ここが大切です。もちろん低所得層が苦しみ、その苦しみの中からCO2は削減される。これは大きな矛盾です。
燃料税の増税がされれば、ガソリンや灯油が値上げされてそれは様々な物品の値上げに波及するでしょう。するとこの部分でも一番困るのは低所得層です。。
混雑するレストランの混雑緩和を値上げすれば解消されるという発想(上記リンクページ参照)と同じですね。低所得者が来なくなればレストランはすいて高所得者が利用しやすくなる。。。。
燃料税が増税されても富裕層の消費(CO2発生量)は変わらないでしょう。
禁煙を促すにはたばこ増税を(低所得者は禁煙せざるを得ない)!といったものがずっと受け入れられてきましたが、この方法があらゆる面で社会に表れているのではないでしょうか?

【2019年】ツイッターつぶやき
ノースポールの花が1輪咲きました。
プランタに9月ごろ蒔いた花の種が発芽をしてやっと花屋さんで売っているぐらいの苗の大きさになってきました。
プランタに5種類の花の種をまいてうまく育てばミニお花畑になります。
あるいはプランタに寄せ植えをしたような感じになるかもしれません。
ノースポールはだいぶ大きくなるので他の花を押しつぶしてしまわないか心配ですが、どうにか平和的に育ってほしいです。
サルビア、キンセンカ、アリッサム、サクラソウ。。。。。
多分こんな花が咲くだろうと予想しているのですが、まだわかりません。
そういえば寒咲きの菜の花の芽が大きくなってきました。
こちらも楽しみです。
3月ぐらいになるとにぎやかになると思います。

【2020年】ツイッターつぶやき
風邪でもインフルエンザでも、同じ生活をしていても感染する人もいれば感染しない人もいる。コロナで意識的に感染防止をしている中でインフルエンザの感染者が少ないとも言われている。
結局感染する条件があってもウィルスに強い免疫を持つことと感染防止がセットにならなければならないということで、これはコロナにも言えることなんでしょうね。
コロナに感染した人は抗体というのができるそうで、それを外部から作り出すのがワクチンかもしれませんが、しかし感染防止を行うことを並行して行わなければコロナもおさまらないでしょう。
抗体と免疫とはどう違うんでしょ。免疫というのは体の抵抗力でしょうか?だからコロナにしても持病を持つ方が抵抗力がなくなり感染しやすくなる。
一時集団免疫というのをよく耳にしました。感染防止も何もしないでいてもコロナに感染すれば抗体ができて感染は収まるというものだったと思います。これは死ぬ人が死ねばコロナは収まるという論理でしょうから破綻をします。そこでワクチンが出てくるのですが、これもインフルエンザのワクチンを見ればそうは期待できないでしょう。
コロナもインフルエンザの様に繰り返し繰り返し発生するのでしょうか。でも季節性のないコロナはずっと感染が続きます。ワクチンも有効期限があるわけで年に2,3回接種でしょうか?
厄介ですね。
結局は感染防止をしながら免疫を高めて抵抗力を作るしかないのかも入れません。
免疫力とか抵抗力というのは何となく非科学的な面があるのかもしれませんから何をしたら良いのかはわかりません。結局日常生活の質なんでしょう。
煙草が悪いとか酒が悪いとかというものではなくて普通の衣食住の安定。

【2021年】ツイッターつぶやき
新型ウイルスオミクロンが世界的にも感染を広げているようです。
日本でも2名ですかぁ?感染者が見つかっています。
水際対策も入国できないようにしましたが帰国する日本人や日本で生活している外国人の入国をどうにかしなくてはいけないので政府も方針を変えたようです。
しかし入国者が出るわけですから検疫体制を十分行わないとだめですね。
しかし水際対策はこれまでほとんど失敗をしてきましたので、やはりある程度の国内感染は避けられないかもしれません。もちろん水際対策が無駄だということではなくより感染者の入国を避けること自体は大切です。
国内の感染者をより少なくしながら感染拡大をどう防ぐか。
今までと同じように検査も少なく隔離(入院)もままならないならば第六波は確実ですね。

【2022年】ツイッターつぶやき
去年と今年は2年続けて木枯らし1号が吹かなかったとテレビだったかラジオの声から聞こえてきた。
木枯らし1号というもの自体これといった決まった定義がないようで、晩秋から初冬に吹く秒速8メートルの北風といった定義らしい。ですから木枯らし1号がなかったというのは初冬になかったということなんでしょう。
木枯らしというぐらいだから、たしかに木々の葉が落ちるまでに強い北風はなかった。
でも、だいぶ東京も寒くなりましたからそのうち強い北風は吹くでしょうから、これが木枯らし1号といってもいいのかな?関東の空っ風。。。。。嫌ですなぁ。
温暖化で気温が高くなっていますから季節も少しずれてきていますね。
そういえば、春一番という風もありますね。
この春一番という風も苦手で強い風に胃が痛くなります。
木枯らし1号も眉をひそめてしまう。

【2023年】ツイッターつぶやき
終末週末円高になりました。
どうもアメリカの金利下げがあるということからの円高だったのか?
しかし147円前半から、また148円前半に円安となりました。
アメリカの株価は上昇。日本の株価は上昇していましたが今は横ばい。
アメリカの金利下げが本格的になればある程度円高は進むでしょうか、以前のように80円台に戻ることはあるのでしょうか。アメリカの金利と同時に日本経済が立ち直らなければ円買いも進まないでしょう。
金融資本主義ですが、基本は物やサービスを作り出す経済ですからなぁ。。。。
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「12月 1日という日」

2024年12月01日 08時08分48秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
「ハードボイルド」「ハードラック」
幻冬舎文庫
吉本 ばなな 著

どちらの作品も死んだ人を通してそこに残された人たちの経験が著されています。
「ハードボイルド」は、ある女性が不思議なまるで深い夜のような深い霧の中に住むようなそんな女性千鶴と一緒に生活をし、肉体関係を持つまでにいたっていました。その不思議な女性と別れしばらくすると火事で死んでしまう。
ある日主人公の女性はハイキングに行き、石ころが積まれた何か不思議な力を感じる祠を見る。夜になってやっと安宿にたどり着くが、そこで不思議な夜の体験をする。
夜明けを待ち遠しくなるようなそんな夜。
宿に着く前に寄ったまずいうどん屋の中では、バッグから知らない石ころが転がり、その後にそのうどん屋はボヤを出す。あの祠の石か?火事・・・・・死んでしまった千鶴との関係?
主人公の女性は、何回も千鶴の夢を見る。知っている千鶴とはなんとなく違う。そのうえ怪しい女性の訪問を受ける。宿屋で自殺した女性の幽霊。
主人公も千鶴も幽霊も不幸を背負った女性ばかり。でも千鶴は生活音の中に人間の暖かさを感じて生きていた。別れを持ち出した主人公は、千鶴がどう思っていたか心配だった。このいやな夜も千鶴の不思議な力か?しかし人の暖かさを知る千鶴は、最後の夢に出てきて、はじめに見た夢のいやな千鶴は私ではなく、今見ている夢がほんとの私という。千鶴は主人公が邪悪な祠を見たので心配になってついてきた。
うどん屋がボヤで終わったのも千鶴が助けてくれたのか?
千鶴は邪悪なものから主人公を守ったようである。
主人公は、千鶴が自分を恨んでいたのではないかと心配であったが、この夢から、千鶴が心配をしていてくれたことがわかり、二人の生活を良い思いでとしていけるような終わり方である。
「ハードラック」は、脳死をした姉を通じて、姉の婚約者の兄と主人公とのふれあいである。婚約者を残し脳死状態の姉。それもその婚約者は弱気ですぐに婚約を解消するような人間。そんな姉が横たわるベットの前で知り合う。
お互いに生命維持装置をはずす直前の姉を前にして素直にはお互いの感情を出せずにいる。
維持装置がはずされた夜、人は死ぬ前に頭の中に響くような音楽響き渡るという話から、姉の好きなユーミンの歌を二人で歌う。このとき二人の姉へのこだわりが消えていく。二人はそれぞれの道へと進むが再開を約束する。
人の死は悲しみであるが、その死んだ人が愛してくれることによって自分は守られているというようなそんな不思議な気持ちを抱く二つの作品でした。
このように霊的なあるいは不思議な力のお話としてだけではなく、死んでいくときに自分が残す人々に何を残せるか、それが邪悪(というよりも悪い心か)なものか、幸せか。それは残された人々の心へしか残せないものである。
僕は不思議なお話という面ではなく、この心のこととして何か温かいものが読後に残りました。

【2004年】
唯川さんの「肩越しの恋人」を読み終わりました。
近いうちに感想を入れます。
このところ女性作家ばかりを読んでいたので、脳みそがとろけそう。。。(笑)
何も甘くて飽きたというわけではないですよ。少しづつ女性作家の世界がわかってくると、ますます深みにはまっていくほど好きです。奥が深いです。
しかし、好きな善哉だけど、ちょっと柴漬けを合間に食べたいということもありますからね。。。
そんなわけで漱石のお弟子さん内田百閒の「私の漱石と龍之介」を読むことにしました。たしか内田百閒は、川上さんの作品に影響がったというようなことを読んだ覚えがあります(記憶違いだったらゴメンナサイ)。川上さんは、漱石の「夢十夜」や初期のロマンティリズムの孫弟子と言うことか?
内田百閒にも興味があります。
昨夜の忘年会が始まる前に大きな本屋さんで見つけました。
そういえばノーベル賞作家大江健三郎も読んでいなかったので(昔からあまり言い印象がなかったので)買ってみました。こちらはまた時間を置いてから読みたいです。
相変わらず空気が乾燥しています。唇ががさがさ。。。。

【2005年】
師走になったせいということではないと思いますが、いつもは渋滞などはない路地が渋滞してました。どうも事故らしかったです。なんとなく気があせるような雰囲気が町に漂っています。
12月ですなぁ。。。
桜の木など、紅葉していた葉もほとんど散ってしまいました。まさに秋が冬にバトンを渡そうと併走しているような季節です。
水道の浄水器のフィルターがそろそろ替えどきになってきたので早めに刈っておこうとスーパーに行きました。浄水器本体をこのスーパーで買ったので交換フィルターもあるはずと思ったのが間違いです。売るだけ売って交換フィルターなどは置いてない。我が家の使っている機種だけではなくて、他のメーカーや同じメーカーのものでもフィルターがほとんど並んでいない。
同じメーカーの浄水器も様々な型のものがあり、同じ機種にもいろいろなタイプのフィルターがある。そしてメーカーも数社あるわけで、すべてのメーカー・機種・フィルターの種類とある中でスーパーでもすべてのフィルターの種類を在庫するというのは難しいのかな?それにしても使っているフィルターの機種番号のようなものをしっかりとメモして買いにいかないとえらいことになってしまう。数千円もするものだから。。。
こんなわけで浄水器のフィルター一つ買うにもイライラするなんて、世の中が便利になったようだが多様化しすぎてシステムを維持するのにぎくしゃくさが出ているのではないか。浄水器のフィルターが売られていないということぐらいならまだいいが、今問題になっている欠陥マンションの問題は、衣食住の一つである国民生活に最も重要な住居の問題であり、それは命の問題であり、この安全上の社会的システムが狂ってきていることである。豊かさが表面的にはあるようだが、目に見えないところでは貧困さが存在し、その社会的貧困さが目に見えるようになってきたということである。ネットでの株売買が進み株価も上昇している中で、デフレからの脱却が言われ始めているが、経費削減のためには詐欺まがいの欠陥マンションが平気に売られること自体デフレなど脱却はしていないのである。表面上の反映と影の貧困が同居をしている。
競争社会というシステムの中で、弱者が犠牲になうような事件なども増加をして人の心もすさんできている。心も貧困化をしている。
窮乏化作用というカビの生えた古臭い言葉が庶民生活の中にしみこみ現れ始めているのではないか。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
寝ぼけ眼でコーヒーを淹れ新聞を広げる。まだ掃除もしていないリビングに数日間の新聞が積まれている。一面の記事が目に飛び込んでくる。まだ目覚めぬ脳みそに刺激が入ってくる。コーヒーは苦い。。。。。
脳みそに入ってくる刺激は混乱を引き起こすほどに盛りだくさんである。よいことならいいがそうではないさまざまな刺激のある棘のある文字。それは混乱の中に曖昧な一つの言葉になって。
ソビエト崩壊に似ている。。。一つの政治的システムの崩壊。
ソビエトや東欧諸国の崩壊の根っこは経済的なシステムの崩壊があったのだろうが、一つの社会システムが崩壊するにはその経済的基盤の脆弱性を基本としながら上部構造の崩壊がはじまる。それは民主主であったり事由というある意味抽象的な言葉が具現化する瞬間にある。「自由と民主主義の勝利」この言葉は中国に対する圧力の言葉であり、極東で言えば北朝鮮に向けられている。
しかし、この「自由と民主主義の勝利」は、ソビエト東欧諸国崩壊に対する先進資本主義国の宣言であったが、この言葉自体が今や先進資本主義国に投げかけられるように何かがうごめきはじめているのではないか。
それは、その崩壊の兆しは、やはり根幹は経済的矛盾の深まりであり、その矛盾を現在のシステムでは解決できない状態に深めてきてしまったことにあるが、その矛盾の具現化は、社会システムのちぐはぐさとして現れ自由や民主主義とは何かを問い直そうとせざるを得ない状態になったことである。
先に書いたようにさまざまな新聞の記事は脳みそを混乱させるように乱雑に情報として現れるが、その一つひとつが社会の崩壊に小さな表れとなっているのではないか。
今の社会はネット社会である。リアル社会はその中に貧富の差を拡大させるが、ネットはこの貧富の差を緩和するように無料となってその情報をやはり乱雑だがあるときは集約をする。ソビエトの崩壊時はどうだったか、今の中国への民主化を要求する手段としてのネットはどうなっているのか、同時にそれは先進資本主義国の自由や民主化をも経済的批判として何かがうごめき始めているのではないか。それは情報発信の特権がマスコミや知識人などの独占から離れて一般国民の手に入ったという自由と民主主義の発展である。
しかし同時に日本でも尖閣諸島ビデオを発信した動きもあったし、アメリカにおいて「外交の9・11だ」と言わしめるほどの外交文書の暴露があった。これは報道の自由と国民の知る権利という自由と民主主義の問題を投げかけるだろうが、反面その情報を公開するやり方への自由と民主主義の問題もあわせて投げかけるものである。
リアル社会においての混迷とそれが具現化し波及するにつれてのネット社会のうごめき。ここからもう一度徐々にではあるが自由と民主主義とは何かを見つめる動きが出るのは必然だろう。ここに到達してこそ自由と民主主義は目に見えた穏健的だが力のある国民運動として現れるだろう。
中国のネットに対する規制が言われる。一方ネットが無料(低額)であることに対する規制も現れるかもしれない。ネットも一つのマスコミのようなもので広告費からなる。経済情勢が新聞やテレビのあり方を見直すようなところにもきているが、ネットも同じ経済的基盤の中にある。寄付によって維持するといった動きも。しかし企業の売り上げは巨額な広告料を支払ってもその広告の魅力は捨てるわけにはいかない。リアル社会はそんなさまざまな一つの矛盾の中に、その矛盾解決の中に自由と民主主義を発展させる動力を持つ。
必然性はどこに?目を見開いて見つめたいです。

ううう。。。。雨
家の中の洗濯物がいつまでもじっとり。
仕事が遅くなったので外食。
ラーメン屋さんに入ったのですが、このラーメン屋さんがすごい!中華のメニューのほかに、飲み屋さんで出すようなつまみがいっぱい。
思わずつまみとビールを頼んでしまった・・・・ハハハ
おいしかったです。
川上弘美さんの「溺レる」を読んでいます。
なんだかなぁ・・・・・
絶望感というのか、動物的本能だけというのか・・・・・
かといって人間的なものもある。けど、その人間的なものをまた否定するようなものがある。独特な世界があり、なぜか樋口一葉の作品を思い出してしまった。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
「仕事ではなく身分が欲しい日本人」という文章が出ていた。
「日本人の多くが仕事ではなく身分を欲しているからだと思う。つまり、現在の正社員のように身分として雇用と収入が安定していることが重要なのであって、それ以下の収入や不安定な雇用については、「何の足しにもならない」と考えられている」
なんだか、発想がさかさまになっているんじゃないかと思います。
日本は格差が拡大して労働者の中にもその格差が拡大した。昔から男女格差や企業規模での賃金格差そしてもちろん正社員とパートなどの格差などもあったが、この間派遣法の改悪などから格差は拡大していると思う。これらの格差の拡大は自然水準ではない。企業論理とそこにくみする政治的な人的な格差拡大である。この格差の拡大からの格差が目にはっきりと見えるようになり、社会問題化する中に階層という意識も生まれ、雇用身分もそこに位置する。このような流れが自然なものとみると、「日本人の多くが仕事ではなく身分を欲している」というさかさまな発想が出てくるのだろう。
なぜ派遣やアルバイトパートなどの非正規労働から正社員を望むか、それは身分ほしさではなくて少しでも高い賃金や条件を得たいと思っているからである。
この身分から見た正社員と非正規社員との格差をなくすことを正社員の身分剥奪から進めようというのはたしかに格差の縮小でしょうがこういったマイナス思考の考え方は案外多くあり、公務員の懐古規定やら賃下げ人減らし攻撃にも表れていたし、それがついに正社員攻撃に向けられることになってきているという事でしょう。
「労働市場制度改革を実行すれば、正社員の立場は不安定になるだろう。一方で、最低賃金廃止と解雇規制緩和により雇用は増える。」
「労働市場制度改革で自然失業率を下げ、その他の規制緩和と合わせて潜在成長率を上げていくことが、雇用創出と日本経済の再生には欠かせない条件である。」
ここで言う自然失業率は長期的な結果としての失業率といったようなものでしょう。なぜ「最低賃金廃止と解雇規制緩和により雇用は増える」といえるのでしょうか?賃金が安くなれば雇用は増える?低賃金化の中で自然失業率は下がる?
例えば日本の企業が中国に安い賃金労働を求めて行ったとき、仮に中国の賃金が日本の半分だとしても中国工場で日本工場の倍の労働者を雇うなどという事はありえないでしょう。ましてやデフレ下の国内で賃金が半分になったからといって倍の人数などを雇用はしないでしょう。やはり中国と同じように限られた人数しか雇用はしない。雇用の拡大のためには企業の設備投資が必要で、倍の人数を雇うには倍の設備が求められる。中国のような成長過程の国ならあり得ますが。自然失業率が下がらないでしょう。
結局は正社員層という中間層を破壊して低賃金化にしていくことでしかない提起なのです。
民間中間層そして公務員という中間層を破壊して、同時に低賃金層はそのままにあるいはさらに低賃金化に持って行くことは、その国内消費を下げてデフレはさらに進むでしょう。

【2013年】
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
ブログでは「悪性の物価高」という言葉を使っていたが、最近は急激な円安に対して「悪い円安」という言葉観る。政府もこの急激な円安に警戒感和示す。
円安は株価も上げて物価も上げてきた。しかしこの円安によって労働者の実質賃金は下がり、国内(内需)産業はやはり輸入物価に苦しむ。円安の効果が見えていたと仮定してもその円安が逆に足かせとなるという分岐点にきているのではないか?
原油の値下がりが続いている。これは輸入物価を下げて国内産業のエネルギー使用の負担を下げるでしょう。すると値下げを許す環境が出てくる。物価を下げる圧力となる。物価が下がってもすでに労働者の雇用環境を見ても個人消費は急激には増えないでしょう。すると値下げ傾向は下手をすれば値下げ競争ともなる。それはデフレ圧力でしょう。
一方では消費増税の延期で国債の信用が落ちてきている。それが円安要因になるかもしれない。もちろん日銀は追加緩和をしているわけですから円安は進む。
デフレ圧力が強くなる一方での円安。
これはやはり悪い円安でしょう。同時に悪性の物価だからこそデフレ圧力は常に働いていたのです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
今年はフリージアの他にブローディアや球根ツリガネソウあと名前を忘れましたが2種類植えてみました。
フリージアはすでに芽が出て大きくなってきましたが、その他の球根は芽が出るのが遅くてやっといくつか芽を出しました。
フリージアが主体なのですがその他の花がうまくフリージアの開化に合えばきれいだと思います。紫や黄色、ピンク。。。。
春が楽しみです。
昨日書いた多年草のプランタそして今回の球根のプランタ。。。。植え替えの楽しみは減りますが大きくそして球根が増えてどのように成長してくれるかが楽しみです。

スーパーに行ったらエゴマがあったので買ってきました。
このエゴマで何をつくろうか?
タコの刺身を買って和えることにしました。
エゴマは千切りにします。そこに醤油、味噌少し、砂糖、ごま油、白ごま、七味唐辛子、おろしニンニクのたれを入れて混ぜておきます。
ここにタコの刺身を一口大に切って入れてさっと和えました。
試食をしたら案外うまいです。
エゴマは好き嫌いがありますからね・・・・・・でも日本酒があいそうです。

【2018年】ツイッターつぶやき
アゴラに「ランチを値下げではなくて値上げしてほしいという理由」という記事があった。
超人気店のランチ時間が混雑をしてヘビーユーザーである著者が困っているようである。そこでこの著者は
「ランチの価格を値上げして需要のコントロールをして欲しいと思っています。現状はフリードリンク付きで1200円程度ですが、これを1400円くらいに値上げする。そうすれば、ランチタイムの殺人的な混雑は緩和でき、従業員の待遇も良くなるはずです。」(引用)
結局1400円という値段に躊躇する客が出るために「殺人的な」混雑が避けられるのではないかという発想でしょう。
この著者はもちろん1400円でも食いたいという気持ちがあり、財布の中身を考えても躊躇はしないということでしょう。今の時代こういった発想をするカネ中心の考え方は多いのでしょうね。躊躇して行けなくなった人たちもランチを食いたいわけで、その人たちとは財力での差だから仕方ないと。。。。。。
ひどい発想ですなぁ。。。。。
昔聞いた話だったか、駅前の駐輪場が満杯で増やしてほしいという要望が出たが、そこで何をしたかというと駐輪場料金を値上げしたそうです。すると要望を出す人も減ったといいます。
後期高齢者の医療費負担も昔は無料だったと記憶していますが、病院の待合室もお年寄りでごった返した、そこで1割負担をというものが出たような?(記憶違いならごめんなさい)
タバコも同じ発想があって、値上げすれば禁煙する人が多くなるだろうと毎年のようにたばこ増税が行われる。禁煙運動にはこの発想がある。
このアゴラの記事のような発想をする人々が社会の隅々にまで広がっていくでしょう。
発想の中身は少し違いますが、政府や日銀は物価上昇を良しとします。これにはマスコミもたくさんの経済評論家も否定をしません。その政策にあるアベノミクスと日銀緩和は経済の好転からの物価上昇ではなく、結果として輸入品の物価上昇を起こしてしまった。物価を上げる(値上げをする)という発想には必ず矛盾を大きくする危険性が隠れている。

ちょっと落ち着いたテンプレートにしようと思いました。でも少し明るめのベージュ系に。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
「国会審議中にマイボトルでコーヒーを飲んではいけないのか-。小泉進次郎環境相が、慣例に縛られた国会のルールに一石を投じている」(産経新聞
僕も国会銀も審議中に缶コーヒーぐらいは飲んでもいいと思う。我慢して居眠りをされるよりずっといいでしょう。
しかし役所や企業の窓口に行っても昔のように湯飲み茶碗を机の上に置いている風景はもう皆無になっている。お客様(市民の皆さん)にだらしないものは見せられないという理由もあるでしょうし、苦情魔の餌食にもなる。そして理由の一つに仕事の生産性が落ちるという企業論理も存在する。
以前ちびだら飲みと喫煙という記事を書いたが、喫煙は喫煙所に言ったりして生産性が落ちる。労働者間でも喫煙者ばかり求刑しているという不公平感が言われた。しかし喫煙がだめで缶コーヒーならいいという論理は成り立たない。禁煙の次はちびだら飲み禁止でしょう。もちろん自由な働き方を進めている企業は違いますが。
小泉さんも、自分たち議員ばかりに目を向けずに労働者全体を見まわして「働き方改革」の一環としてみるべきでしょう。
国会議員は国家国民のために働いているんだからいいだろう!ではだめです。国民も国家国民自身のために働いているのですから。

【2020年】ツイッターつぶやき
自民党内ではGO Toを来年5月の大型連休まで延長する要望が出ている一方で、東京での感染拡大の中Go Toから高齢者の排除が決まりそうです。高齢者はGo Toで東京にはこれないし東京からも出かけられない。
感染したら高齢者は重症化や死亡しやすいから高齢者を守るやさしさの様に勘違いしてしまいますが、これ以上重症者や死亡者が増えたら医療崩壊してしまうから高齢者を隔離するというものでしょう。
しかし現在の感染拡大の特徴は家庭内や老人施設や病院でのクラスターが多いわけで、Go Toで若い人の感染拡大があれば、すぐに高齢者の感染拡大が進みます。実際、若い人の感染増からだんだんと高齢者の感染者数が増えていったというのが今回の第三の波の特徴でもあります。
Go Toは税金を使った経済対策ですから、平等性が必要です。高齢者除外というのは平等ではありません。コロナ感染拡大を防いで収束してからGo Toを行うべきです。

【2021年】ツイッターつぶやき
             



「東京・天王洲で開催中の「バンクシーって誰?展」。会場内は全て撮影可能で、SNSで連日多くの写真が投稿されています。」(日テレNEWS24
絵画展としては異例の写真撮影OKでした(一部撮影禁止はありましたが)。



今回の展示の特徴はバンクシーがどのようなところに絵を描いたかというものが再現されていることでした。

      

そして社会の怖さとそれへの皮肉。。。。。



そして平和。。。。。



       

【2022年】ツイッターつぶやき
ツイッターより
国は無理のない程度に節電をお願いするとソフトな言葉で国民にお願いしている。
しかし。。。。
電力料金を30%以上値上げを許しているのだから 低所得層に対しては節電を強制しているに等しい。
マイナンバーカードにしても同じで、カードを作るのは任意であり協力をお願いしたいとする。
しかしマイナンバーカードに健康保険証を入れてこれまでの保険証を無くすと。車の免許証やらコンビニで酒やたばこを買うための証明書を入れるとか。
もう、ここまでくると任意ではなくて強制です。
節電は無理はする必要はない。マイナンバーは任意ですと。しかし先にツイートしたように現実は強制となりつつある。
こういった卑劣なことを国が行っているのである。
これまでも喫煙は自由だとして、たばこ増税で低所得層に強制禁煙を進めてきた。格差社会を放置し、その格差を利用した強制禁煙。
金でも、地位でも、腕力でも、それを利用して俺はお前に強制をしているわけではないが、俺の言うことはわかっているよなと恫喝する人間がいたが、国がこれと同じことを行ったら世も末である。
国家権力がこのように動く危険性。。。。。
自由と民主主義という言葉が消えて久しい。
国民のための政治と国家が消えて久しい。
今や恫喝国家となった。

【2023年】ツイッターつぶやき
昼飯は外食でした。
街の定食屋さんのようなところで、夜は酒を出すようでつまみメニューがたくさんありました。
カツとじ定食にしましたがカツが小さくなりました。
時々行く店ですが、そうは値上げをしていないようでしたがカツが小さくなっているような。
値上げをした高いものを食うか、値上げはされないがしょぼくなったものを食うか。
貧乏人は究極の選択をせざるを得ない世の中ですなぁ。
これが日本社会自体の貧困化です。
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