夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「2月17日という日」

2025年02月17日 07時07分58秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
今日は買い物に行き米5キロを買ってきました。
ほかにも買いましたからだいぶ重くなりました。車から降ろし荷物をぶら下げて歩いていたら、やはり昔に比べて荷物の重さが体にこたえる。
5キロのコメを買ったら3700円ほどでした。そこに消費税がつきますから4000円ですなぁ。
米不足の原因の一つが買い占めらしいですが、米がどこかで買い占めされれば高くなる。高くなるからとんでもない人たちの買い占めが始まる。
米は食品ですからきちんと管理した場所に保管するのでしょうが、とんでもない人が買い占めすると米はその辺の倉庫に山積みされる。また高くなれば売ろうとしているのでしょう。危ない米が市場に出回る危険性がありますね。もちろん備蓄米が出てもどこの業者に回るか知らないが備蓄米が備蓄されて値上がりを待つようになるでしょう。
スーパーからの帰りにいつものガソリンスタンドに行きました。リッター174円。
30リットルほど入れたのですが、1500円ポイントがたまっていたので助かりましたがやはり高いですなぁ。
コメ5キロとガソリン30リットル入れたら1万円札が消えます。
家に帰ってから食品を冷蔵庫へ。。。。。。
そうは多く買っていないのですが、5000円ほどか?食品もバカ高いです。
帰宅してパソコンで電気ガスの支払額を見たら、去年同月から比べるとだいぶ高くなっている。
GDPがプラスになっているというニュースがありましたが、値上げと社会保障費により生活は苦しくなる一方です。企業は利益が増加をし少しは設備投資に回すようになっているようですが、企業も輸入物価が高くなれば多くの金を必要とする。物価高で消費税収が増えた、企業利益が増えた、GDPも成長した。。。。。
泡粒です。

≪過去の記事≫

【2004年】
歩道も無く、車の案外多い道をとぼとぼ歩いていたら、目の前に駐車禁止の標識のポールが。。。。よけて行こうとしたら、後ろから来た車のドアミラーにぶつかりそうになった。道路標識は安全のためにあるのだろうが、どう見てもこの標識のポールは歩行者にとっては危ない物でしかなく、むしろ歩くには危険なものになっている。
お年寄りや車椅子の方をよく見る。バリアフリーなんてどこの政治かもいうが、こんな標識のポールに目を向ける人はいないようである。

【2005年】
日中は暖かでした。ちょっぴり春が顔を出した感じです。
今夜はすき焼き。。。。一応牛です。
肉といえば、最近羊を食っていない。我が家は僕のほか、羊が嫌いだからなあ。あまり売っていないし。美味いジンギスカンを食いたいです。
風邪薬は今夜飲んで終わりにします。
花粉症はマスクをして我慢あるのみ!!

【2006年】
昨日、熱帯魚の水槽を掃除しましたが、底に徘徊していた魚がもう寿命で死んでいました。底に徘徊している魚は、水槽の底に沈んだ餌などを食べて水槽をきれいにしてくれるのでまた買ってきました。
いつものとは違う魚がいいので、今回は馬面何とかという体が細い魚を買いました。この魚がすごいのです。底に沈んだ餌ばかりではなく、沈殿物をも全て食べてしまいます。沈殿物は時々スポイトで吸い上げて捨てるのですが、この魚がいればだいじょうぶ!心強い魚です。しかし、昨日清掃したときに、この沈殿物をほとんど捨ててしまったので、この魚の餌がなくなったのではと少し心配しています。餌を多めにいれて餌が底まで届くようにしたいと思います。
目がきょろきょろ動き、顔はまさに馬面。。。愛嬌のある魚で楽しいです。
また2人のお子さんが殺されてしまいました。
同じ幼稚園の友だちのお母さん?が犯人らしいですが(よくニュースをよく見ていなかったのであやふやですが)、以前にも同じ事件がありました。こういう事件は複雑ですなぁ。。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】
民主党から16人でしたっけ?議員が会派を離脱したと。
もちろん小沢元幹事長の党活動を禁止した処置からのものでしょうが、しかし今までの政権をとってからの民主党変質とも見える政策の変更に対しての抗議としての離脱というものが表面に出てきたという一面もあり、それを理由として「小沢待望論」が強い中、国民生活重視を高く掲げることは国民に対して大きなインパクトがあるでしょう。統一地方選も考えれば、地方議員の中には民主党では戦えないという空気も強くあると思います。そうすると民主党に会派が二つできたわけですから地方選挙も離脱会派を支持するということでどうにか逆風を和らげることができるでしょう。
このような動きは自民党時代にもあったもので、離脱をして新党を作り自民党批判をしながら保守勢力は温存させる。小泉内閣の頃の改革に対する抵抗勢力でしたっけ?(言葉が出てきません)自民党をぶっ潰すという勢いの中に自民党が伸びるという現象もありました。
政治は駆け引きが多いと思うのですが、駆け引きで終わると国民は不幸です。
なんだか日本の国がぐちゃぐちゃになっていくような気がします。それは自民党政権末期から引きずるもので何も民主党だけが悪いわけではない。アメリカ式のというのでしょうか、国民に自己責任というものをせまる自由主義が社会の隅々にまで浸透してきて、国による福祉や社会保障という議論も結局は一般庶民が一般庶民同士で助け合えという消費税議論で終わっている。これは結局若い人は老人を世話をして、金を持っている老人は金を若い人に使えということを国のシステム化として作る。
国民生活重視もそうは簡単に具体化するわけではないですが、その意義を捨てて引けないわけです。100できなくても10でいいわけです。国民が見えるものが大切なわけです。こういう状況ですから国民生活重視、国民に嘘はいけないというものがやはり大きなインパクトがあります。これを民主党の離脱グループに求めるのではなくて民主党が思い出さないと日本は動きません。

【2012年】ツイッターつぶやき
G20ではアベノミクスへの評価が分かれたのだろう。デフレ脱却による経済の立て直しなのか、単なる円安誘導なのかと。日本側は一定の理解を得られたと評価していますが、名指しこそしないが円安への懸念が表明された。今回のアベノミクスによる円安には一応通貨安競争は避けるべきだというある意味において日本への忠告と世界経済への問いかけたにすぎない。
理解された安心するどころか日本の今後の責任が大きくなったという事だろう。
アベノミクスが単なる円安誘導で日本企業が有利になるだけというものが目立つようになれば日本への批判は高まるでしょう。
G20声明では、
「金融政策は国内での物価の安定や景気回復に向けられるべきだ」と強調し、通貨安を招く政策を戒めた。(朝日新聞1面より)
とされ、こくないの景気回復がどのように進められるかが注目されるでしょう。
このままアベノミクスが進めば政府や財界は、物価の安定とは国民の消費が伸びてインフレ傾向に経済が進むのではなくて、国民生活の不安定性(絶対的にも相対的にも進む貧困化や格差拡大)の中に輸入大国でもある日本で円安による物価の高騰が起きることを物価の安定と評価をし、景気回復は円安による輸出産業中心の株価の騰貴や公共事業にも関連する?投資目的の不動産の騰貴を景気回復ととらえられるだろう。この景気回復の解釈により消費増税が行われる。
これではG20の「金融政策は国内での物価の安定や景気回復に向けられるべきだ」というものから乖離したものとなるでしょう。物価が上昇した中での新たなデフレは必然的ではないでしょうか。国民生活の切り捨てによるそして円安誘導そして消費増税による名目的な経済の回復は物価がこうした中でさらにひどいデフレとなるのではないか。そして「インフレ傾向」が進まずデフレ圧力が高まれば日銀はさらに金融政策を進めるという政府との約束の中にいる。さらなる円安誘導を行い続けるという事である。
これでは日本の今後への責任は世界に対して果たせなくなる。
日本経済は世界経済の中で大きな役割を果たしているわけですからこの影響は大きいでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
国道16号線を柏から八千代方面に走っていた。
腹も減ったのでラーメン屋へ入る。このチェーン店のラーメン屋さんの酢豚が好きなので短だ。。。。
しばらくするとその酢豚が出てきたがなんだか変だ。とんかつ用肉を唐揚にしてその上に黒酢のタレがかかっているだけ。
なんだかいつも行っているそのチェーン店とはだいぶづれている。
その変な酢豚を食い終わり車に乗る前にトイレを済ませておこうと思い、店員さんに「トイレはどちらですか?」と聞いたら、「あちらですよ」と教えてくれた。
行ってみたらトイレらしきものは見つからない。通路にはでかい「バッド・マン」が立っていて壁には本棚があるだけ。「何でバッド・マンなんだよと思いつつ戻ってもう一度「トイレはどちらですか?」訊くとやはり「あちらですよ」と。仕方ないので「バッド・マンが立っているだけだよ」というとてんいんさっが「それではご案内します」と。
二人で行ってみたがやはり仁王立ちのバッド・マンと本棚があるだけ。。。。。
するとその店員さんが本棚の中のある1冊の本を押した。
すると本棚が開いてその奥にトイレが。。。。。隠れ部屋トイレ。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
南側に干してある洗濯物が大きく揺れています。時々突風のような風が。
たぶん東京は春一番でしょう。
気温も高くなって暖かです。
「春一番!!」
ニコニコしながら、心の中でこう叫んでは見たものの昔から春の突風は嫌いでした。本格的な春は待ち遠しいのですが、風には辟易します。
なぜか春の突風が吹くと胃が痛くなります。
洗濯物が飛ばないか、、、、
ヘックシュン!
花粉が飛ばないか。。。。。
また反動で寒い日が来る・・・・・
あまりいいことはない。

ツイッターからの断片

基本的な論理的欠如としてインフレをどう作るかの論理がない。現在のように経済の好転によるインフレと、円安誘導による悪性の物価高が。公共事業はだめ
アメリカ経済学とか、ノーベル賞受賞の経済学とか。。。。わけのわからない状態になっている。日本でそれを真に受けた経済学も流行りだからでは訳が分からなくなる。
インフレと悪性の物価高の区別もしないで、デフレは物価が下がること、インフレは物価が上がることという単純化により、悪性ンの物価高でもいいから物価が騰がることは好景気だなどと逆立ちをする。インフレで国の借金帳消しとか。庶民生活どうなるの?結局経済は収縮していくばかり。
昔からブルジョア経済学というのがあるとされていましたが、このブルジョア経済学が破たんする中で先進国の経済も破たんしていく。
「政府が中央銀行に国債を引き受けさせて、その資金を国民の預金口座に振り込めば」(引用)夢のような仮説です。現実はこの貨幣の回転が鈍い。
2%インフレ目標の持続的な達成が視野に入るまでは、増税は行わず(引用)インフレは貨幣量だけで国民生活を豊かにしない。インフレ後の増税はできない

これまでのアベノミクスにおいても、経済の好循環の過程において賃金は自然に上がっていくという理論があった。しかし自然に賃金が上がるどころか管制賃上げでもままならない状態。同時にまだ賃上げがあった労働者はいいが、その「恩恵」が及ばない国民が多数です。
新たにシムズ理論といったものが出始めていますが、これも同じで、インフレを達成したら増税と、国民に資金を回すといった空論が流行る。
これまでと同じように貨幣量の増加によるインフレを言うだけである。
経済の好転とは、貨幣の回転速度の問題です。
貨幣が経済の過熱により回転を速め、それでも足りないとみて貨幣量を増やしてインフレとなる。
貨幣の回転を上げるには国民生活の隅々にまで貨幣が回転しなくてはならないということです。
金融政策では無理であり、同時に政府のまず企業利益有りでも無理なんです。
貨幣の回転は早まらない。
貨幣の回転には貨幣量も必要ですが、回転速度が鈍い時に貨幣量だけを増やせば、それは格差の拡大にしかならず、貨幣の滞留が発生するでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
寒さ厳しい冬も終わり、春になっても寒さがずっと続きました。
それでも季節が移りゆく中、日も伸びて日中は陽ざしが出ればだいぶ暖かくなりました。
毎日植木の花の生長を楽しみにしてみているのですが、今朝ふとゼラニウムの鉢を見たら、去年植え替えたときに土の中に残っていたフリージアが麦の穂のような花穂を出していました。
たくさんまとめたフリージアの方はまだ出ていませんが近いうちに花穂が出ると思います。
やはり季節は春ですなぁ。。。。
ゼラニウムもたくさん花が付きはじめました。赤、白、ピンク。。。。。3色咲くときれいだと思います。
キンギョソウは大きくなって冬の間たくさんの花を咲かせた花穂は終わりそうです。切り取れば下の花芽が伸びると思います。
ビオラはあの雪が積もってしまい雪帽子の中に埋まってしまいましたが元気にたくさんの花をつけています。
今日は暖かなのでずっと部屋の中で育てていたインパチェンスを外に出してあげました。少し日光浴したらまた部屋に入れます。
もうすぐ夏の花の種まき。。。。楽しみです。

【2019年】ツイッターつぶやき
法人減税は段階的に引き下げられている。
2014年には消費増税があり大幅な消費税収増となりました。一方では法人税は引き下げられています。
アベノミクスの成果が言われていますが企業の利益は上がっているが法人税は横ばいに近い。
日本は法人税率が高いといわれていますが、利益から様々な名目で課税対象額は30%強ともいわれています。また法人減税による賃上げなども言われていますが、管制賃上げでの賃上げは在りましたが今年度の春闘は早くも企業は賃上げに消極的になっています。
昨年から企業の内部留保が問題となっていますが、法人減税をしながら内部留保を高めていく構図が見えます。
一方では名目賃金の上昇といっても消費増税や社会保障負担増などにより実質賃金は下がっています。
今後さらに法人減税と消費増税10%に向けて動いていくでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
内閣府が2019年10月から12月のGDP速報値を出した。
実質で前期比1.6%、年率で6.3%の減となりました。
そして経済成長はマイナス成長になりました。
東京新聞の表を見ますと、個人消費、住宅投資、設備投資も軒並み大きなマイナスとなっています。笑ってしまうのは景気対策としての公共投資だけがプラスです。公共投資や消費増税での消費落ち込みを防ぐポイント制度やきゃっすれすの費用を湯水のごとく支出したのですが、個人消費、住宅投資、設備投資も落ち込んでいる。完全に税制・経済政策の過ちでしょう。というよりも、そもそもアベノミクスが失敗だったのですが。
政府は米中の経済摩擦を理由にしていますが、国外の要因であったことに間違いはないでしょうが、内政面においては消費増税での個人消費の落ち込みがGDPの減そしてマイナス成長の原因でしょう。そして消費増税により個人消費が落ち込めば国内産業の設備投資もままならなくなります。それでも中国人の爆買いに頼ってどうにか国内消費を維持しようとしたのですが、新型肺炎により1-3月期のGDPもさらに落ち込むでしょう。
個人消費が伸びないと設備投資も伸びず、GDPもプラスには向かわないでしょう。
内需型の経済を作り出さねばなりません。それが企業も活性化するでしょう。ですから企業は賃下げを考えるのではなくて個人消費増を見据えた賃上げを行うべきです。

【2021年】ツイッターつぶやき
「20年平均の完全失業者数は191万人と前年に比べて29万人増加。こちらも11年ぶりに増加した。
休業者数は256万人と、比較可能な1968年以降で過去最多。前年に比べて80万人増加し、増加幅は1969年以降で過去最大となった。昨年の緊急事態宣言の影響が表れたという。」
ロイター
失業者はハローワークに求人の要望を伝えている人ですから実態はもっと多数の失業した人たちがいると思います。高校生や大学生は今の格差社会ではバイトをしなければ通学できないでしょう。また就労していた高齢者もお同じで、こうした人々が失業者に含まれるのではないか。すでに経済的理由だけではないでしょうが1367人の大学生が中退しています。
このような中で菅総理は生活できなければ生活保護があると済ました顔で答弁していますが、2年前ほど前から生活保護申請は難しくなっているという報道もありました。地方自治体の厳しすぎる審査の壁ができています。また今の国会でも議論になった親族の収入調査も入りますから(これは緩和しそうですが)かなり難しくなっているでしょう。また社会的な偏見もありますから生活保護を躊躇する方はかなりの人数だと思います。
このような現在の政治の中で国民健康保険を納められない人も増加しているようです。
「政府は「我々(政府)は支払い猶予の特例を使うよう市区町村にお願いする立場。適用するかは市区町村の判断だ」(総務省企画課)としている。
 では、町田市はどうか。取材に「個人情報なので答えられない」とした上で、「市は丁寧に対応しているが、もしかすると、やりとりの中でそう受け止められてしまったことはあるかもしれない」と回答」
毎日新聞
東京町田市で起きた例ですが、コロナによる失業で企業の保険から国民健康保に移り保険料を支払えなくなった方の例です。
国は自治体の仕事、自治体はその対応からここでも大きな壁になっている。
国や自治体などコロナ対策は様々な形でありますが、いざ救済を受けようとしても受けられずに「見放された」状態に。
コロナでの経済対策で飲食店の保証がありましたが、それもいろいろな書類整備やその不備から書き直しとかありましたね。また政府はさらに10万円の生活支援を求める声を無視し続けています。この10万円が出れば国民健康保険も支払えて医療を受けることができるはずです。
政府のコロナ経済対策は企業優先で国民の生活にはなかなか直結しません。

【2022年】ツイッターつぶやき
東京新聞に気になるニュースがありました。
為替ですと対ドルに対する円の二国間の実力ですが、実質実効為替レートは主要国全体に対する円の実力だそうです。
国際社会の中での円の購買力の低下を示します。
基軸通貨の対ドルに対しても円安が進んでいましたから輸入物価は高くなります。しかし貿易で円建てやドル以外の通貨を用いても円の力が弱いのですから輸入品はさらに高くなっていくでしょう。
実質実効為替レートが1970年代(50年前)にまで戻ったようです。
1970年代はまだ経済も成長していた時代ですから経済の力により円の力も大きくなっていったのでしょうが、今は30年間もデフレ不況が続いていますから厳しいですね。
逆に外国から見れば日本の製品は安く感じるでしょう。日本人にとっては国内の物価が高いと感じているが外国からすれば物価が安い国と?
かといって日本製品が国際競争に勝つとは限らない。
これは国家自体の貧困化の表れ現れかもしれません。

【2023年】ツイッターつぶやき
コロナウィルスも5月から5類になるそうですが、その過程の話としてマスクをはずすかどうかの話ばかりですね。なんでマスクの話ばかりなのでしょ?
マスクを着用する義務がなくなるというと、マスクが苦手な人や反マスト言われる人は喜びます。すると、社会的な規制がなくなるということも一緒に認めてしまうことになります。
コロナ感染が収束したから社会的規制をなくすのではないです。今後も大きな波が来て亡くなる方が出るかもしれません。むしろこの波は必ずやってくる。この時に社会的規制がないのですから何の対策もできないでしょう。学校で言えば感染が拡大したからと学級閉鎖ぐらいになるでしょう。
マスクも自由ですから感染力の高いコロナは勢いよく広がるでしょう。
そこでワクチンがまた流行る。
しかし感染力が高い場合、ワクチンで死亡者数を少なくするといっても感染者数自体が多いのですから必ず死亡者数も増える。
コロナによる入院や検査薬も有料となるでしょう。保険的売要はあるかもしれませんが。
今、マスクばかりにこだわって議論を進めていくのは危険ですね。
マスクをつけるつけないの裏には、大きな社会的規制と保証がなくなるということが潜んでいるのです。

【2024年】ツイッターつぶやき
スーパーに買い物に行きチキンラーメンを買ってきました。
時々食べたくなるのですが、最近テレビコマーシャルで出てくるので食べたくなります。
最近のチキンラーメンは卵を落とす穴ができたそうですが、基本は変わらないですなぁ。
なぜか、初めてチキンラーメンを食べた記憶が鮮明に残っています。
子どものころたぶんテレビのコマーシャルもはじまっていた時期かと思いますが、お袋がチキンラーメンを買ってきた。袋の作り方を何度も読みながら、お湯を注いだ時の匂いが記憶にあります。
皿を蓋にして3分待つ間そわそわしていました。
出来上がって一口食べたあのおいしさ。。。。。
お袋が一口食べさせてと、にこにこしながらすすっていました。
そういえば本物のラーメンもそうは食いに行った記憶がないですから、チキンラーメンもおいしく感じたのでしょうね。そういえばカップヌードルを初めて食べた時もおいしく感じました。
だいぶ前に朝ドラでマンペイさんが出ていましたが、マンペイさんすごい!
明日の昼飯はチキンラーメンと焼きおにぎり。。。。
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「2月16日という日」

2025年02月16日 08時23分45秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
日中は陽も出て暖かかった。夜になっても室温が18度9分あります。
春が少し頑張りましたね。
喜んでいたら、ニュースで、また大寒波が来ると。。。。ウウウ
明日の夜あたりからまた冷え込みそうです。
地方のほうではまた大雪らしいですがお気を付けください。

≪過去の記事≫

【2004年】
強い風です。気温も下がってきていますからこの風は春の風ではないかもしれません。洗濯物が大きく揺れています。また飛ばされないように気をつけなくっちゃ。
携帯の電池がすぐになくなってしまうようになりました。もう電池の寿命なのでしょうか?電池パックって高いらしいですね?あまり高いようなら、新しい形態を買ったほうが得だと友人が言っていました。こうして機種変更が強制されるのか?(笑)
そういえばPCもそうですからね。。。。そう、そう。。。。テレビもあと数年で強制的に買わされそうです。デジタル放送。今見ているテレビをぎりぎりまで使うつもりです。

【2005年】
体のだるさは薬を飲んでなくなったのですが、くしゃみと鼻水がすごい。どうも風邪と花粉症が合体してしまったようです。
ぼうっと本を読んだりパソコンに向っていると、鼻水がツーっと流れる。
苦しいです。
マスクをしていると楽なので、家にいるときもずっとしています。
寒い雨です。

【2006年】
予報ではだいぶ寒くなるとの事でしたが、そうは冷え込まずに過ごしやすかったです。それでも朝は寒いので、コタツのスイッチを入れ、電気ポットに水をたし、つけっぱなしになっていたテレビを横目にパソコンのスイッチを入れ、電気ストーブのスイッチを入れた瞬間。。。。居間のブレーカーが飛んでしまいました。もちろんパソコンもプッツン。。。
冬はよくブレーカーを飛ばしてしまいます。我が家のパソコン、だいじょうぶかな。。。。?
この前行った南房総で買ってきた羽衣ジャスミンの花が一輪咲きました。
蕾はピンク色なのですが、咲くと真っ白な花になります。すごく香のよい花ですのでたくさん咲くのが楽しみです。繁殖力がよいようで次から次へと芽が出てきてその先端には幾つもの蕾が出ます。だいぶ楽しめそうです。温室育ちでしょうから気をつけていますが、昨日までのように暖かい日差しが出ているときにベランダに出しています。
羽衣ジャスミンとい名は、妻が駅前の花屋さんで同じものを見たという事から知りました。僕は南房総で450円で買ってきたのですが、東京の花屋さんになると一鉢同じ大きさで1500円から2000円だそうです。
正月用に買った梅の寄せ植えは、花も終わったのでベランダの日当たりの良いところにだしてあります。葉の蕾が出てきてもう時期葉も出ると思います。一応油粕を入れておいたのですがどうなることか。。。。
忘れていたアマリリスの鉢にも油粕を入れて水をたくさんやりました。芽が出るかな?
これから熱帯魚の水槽の掃除です。
生き物は大変ですなぁ。。。。
今夜は女子フィギアー?
オリンピックはそうも興味はないのですが、女子フィギアーは興味があります。昼間のニュースでミキティーの練習風景が映し出されていたけど、女らしくなっちゃったというのか、少し重みを感じる。。。。4回転だいじょうぶかな?
なんとなく、ミキティーだけではなく日本人代表は悲壮感がある。表面上は明るいのだが。。。。

「此処彼処」
       日本経済新聞社
       川上 弘美  著
「場所について」書かれたエッセイ集です。
人それぞれに思い出の地というものがあると思いますが、川上さんが描く「場所」は、ふと思い出したような日常の中にあるようなそんな場所です。
もちろん「場所」というものは、その過ごした時々の思い出につながるものであり、この作品でもお子さんの頃のアメリカの町や若い頃の学生生活やボーイフレンドのこと、ご主人との新婚旅行でのマダガスカルと、その時々の思い出につながる「場所」です。しかしよくある思い出の場所を描き紹介をするというようなエッセイではありません。その意味では川上さんらしいというのか、特別な日を描くのではなく、日常という中の「場所」です。ですから読者が同じ「場所」を思い出の中に川上さんと共有しているからといってその場所を懐かしく読めるような作品ではありません。あくまでも川上さんの日常の中にあった思い出であり「場所」なのです。
川上さんは、「あとがき」に次のように書いています。
「固有名詞を多用すると、そのように現れたいくつもの輪郭のはっきりしたイメージが、自分の書いた文章に、知らないうちにどんどんぶらさがっていって、なにやら、文章自体が重みをもつようになってしまうような気がしてならなかったのだ。」
(中略)
「でも、それは、(たぶん)ちがう。」
(中略)
「はっきりしたイメージの中からも、曖昧な感じはたちのぼってくる。曖昧な未知の中から、いやにくっきりした知り合いの面影が突然あらわれることもある。」
僕の記憶にある長野県「妻籠宿」「馬籠宿」という具体的な固有名詞を書いた思い出でも、「馬籠宿の町並み」という特別なテーマがない限り、僕の中には息子との二人旅で見つけた蛇のこととなる。僕の中では、馬籠宿や妻籠宿という固有名詞の輪郭はぼやけているのです。川上さんの書きたいことはこういうことではないかと思う。
あんがい人の記憶というものはこのようなものではないかと思います。友だちといった旅行でも、「あの時はよく飲んだなぁ。。。お前が説教好きとは知らなかった」とか、ここでは旅行先の固有名詞や風景は曖昧になってきます。
このような旅行先とは限らず、毎日の積み重ねの中での記憶というのは、固有名詞は薄れゆき、曖昧なものだけが強く記憶にとどまるのではないかと思う。「あの店の蕎麦はうまかったなぁ。あの店は何という店だっけ?どこの駅を降りたところだっけ?」とか。。。。
「馬籠宿の町並み」という記憶をたどるときは、脳で論理的に記憶をたどるが、「息子との二人旅・蛇」というのは心の記憶です。まったくといっては語弊もあるかと思いますが、固有名詞からはなれたところの面影に心の記憶が残るというのも心の不思議であり、だからこそ「曖昧な感じがたちのぼってくる」のではないかと思います。
このように僕は、このエッセイ集の中に川上さんの心の不確かさや動きを見るのだと思います。出てくる地名は、僕も知っている場所もあればまったく知らない場所もある。でも、どちらにしても同じような感じ方で読み続けられます。僕という読者も「場所」から離れた川上さんの心を見るわけです。
「具体的な場所の名を示す、ということは、つまり、私個人のことをはっきりと書くことなのだということを、この仕事によって教わった。そしてまた、私個人のことを書いたつもりでも、結局は何も書けていないのだ、ということも。」
            (「あとがき」より引用)
たしかに、このエッセイ集には、ご主人や息子さんも登場し、教師だった頃やご実家の話も出てくるし、「センセイの鞄」の取材についてもの書かれています。その意味では、実際の川上さんの姿を見ることができそうです。でも、これらのこともやはり川上さんの心の記憶なのです。論理的に考えた記憶ではない。。。
ですから川上さんのことを読んでいるようで、じつは川上さんの内面というのか心の中を読んでいるというそういう作品に思えてくるのです。川上さんの実際の私生活がわかるわけではない、でも、川上さんという人を感じ取れるといってよいのかもしれません。そんなエッセイ集です。
エッセイ集「此処彼処」は、「彼処」からはじまり「此処」で終わっている。「彼処」は、「すわりどころ」と川上さんが名づける玉川上水沿いという場所にある朽ちたベンチのある敷地です。
もうここで読者は「はっきりしたイメージの中からも、曖昧な感じはたちのぼってくる。」のです。そして僕は、その敷地にある松の木から飛び降りて「どん、という鈍い音がした。更年期、だの、骨粗鬆症、だのという言葉が頭に浮かぶ。」(11頁)という言葉に川上さんを見ることになります。
終わりの「此処」は、「ごちゃごちゃ散らかった」ご自宅です。
川上さんは「自分の場所」と書いています。この自分の場所は、誰でもが長居はできないでやはり自分だけの場所なのです。
「彼処」の「すわりどころ」といい、「此処」の「自分の場所」といい、それは川上さんご自身が持つ心の居所なのでしょう。
そしてそれは日常の中にあるわけです。
此処彼処。。。特別な場所にあるわけではない。。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
寒くて嫌だけど床屋に行ってきました。
たった1センチ髪を切るか切らないかによって寒さもだいぶ違います。北風があたると寒いというよりも冷たいと感じてマフラーでほっかぶりでもしたくなりました。
その点髪の長い女性はいいですなぁ。。。。
髪が長くて深い帽子をかぶっている女性を見ましたが見るからに暖かそうでした。

【2009年】
家族旅行あっちこっち
                        幻冬舎文庫
                銀色 夏生  著
2005年ケアンズ、2006年宮崎都井岬、韓国、2007年金沢。3年ほどの間のご家族との旅行記です。
2005年6月発行の「つれづれノート14」で「つれづれノート」も終わりにすると書かれてからの3年間のうちに行かれた旅行のお話ですね。「つれづれノート」は終わりましたが、「ばらとおむつ」や「子供との暮らしと会話」が発行されご家族の様子を知ることができました。たしか、その中において旅行にいくと書かれていた部分もあると思うのですが、どのような旅行かはわかりませんでした。今回の作品は1冊の本にはまとめられなかった小旅行の記録といった作品になると思います。
兄弟や親しい友人宅に行き、いろいろと話しをしているうちに
「そういえばこの前、旅行に行ったんだって?」
「ああ。。。写真があるからみるか?」
「うん、見せてよ」
と、アルバムのページを開き旅行の話しを聞く。
「こっちの写真は?」
「ああ、それは去年の夏休みに出かけたんだ」
「よく家族旅行に行くんだなぁ、どこ?」
「韓国!!今は安くいけるからな」
なんていう会話の記憶を皆さんも持っていることと思います。
今回の作品は、このような親しい人のアルバムを見せてもらいいろいろと旅行のエピソードを聞くという感じで読める作品でした。なんとなく銀色夏生家でお茶でも入れてもらってお話しを聞く感じかな。。。。そんなのんびりというのか、ゆっくりとした時間の流れの中での一時。読者はこんな感じで読めると思います。
ですから写真が主でお話しはとりとめもなく出てくる言葉。
普通の人が普通に、誰でもがするような家族旅行です。
舟での釣りを楽しみにしていたら天候が悪くてだめだったとか、もし銀色夏生というプロの詩人が取材で旅行をしたら、天候のよくなったときのものを記事にするでしょうが、普通の人の普通の旅行ですからどんよりとあきらめます。ホテルは工事中だった。雑誌の取材なら前もって調べておくでしょう。でも、銀色夏生家はそんな中に旅行を楽しみます。
こういう意味でも、やはり親しい友人の普通の家族旅行の話しを聞くような本なのです。
ですから、詩人の旅行記!という楽しみ方はできませんね。夏生さんの家族旅行記は皆こういう感じです。(中には心の中が現れるような旅行記もありますが)
でも、どうでしょう?
普通の人が普通の旅行をした思い出とは?
雑誌に出ているような素敵な旅行ではなく、何かしらのアクシデントがあったり、見たい場所が休みだったり、食べたいものが見つからなかったり、子供が病気をしたり怪我をしたり、失敗をしたり。。。。。。。こんなことが「家族旅行」の思い出として残るのではないでしょうか?旅行中の風景などは覚えていないけど失敗はいつまでも残っている。そのときのことを写真を見ながら思い出してみんなで笑うとか。。。。
これが「家族旅行」ですよね♪
こういう視点でこの作品を読むと、写真を見ると楽しいんじゃないかな。
ケアンズに行かれたときは、母「しげちゃん」はお元気だったのですね。今は脳溢血で長い旅はできない。。。。。ひとつの家族の中に流れていく時間。。。。それも皆が持つ時間の流れです。



【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
日本から企業が出て行ってしまうと法人税の減税をやるというが、日本から企業が出て行くというのは、税金が高いというのもあるだろう(もちろんここには諸外国との法人関連の税制全般の比較が必要だが)が、本質的には日本に需要力が少なくなっているということである。それは国民生活が低下をしているということであり、その需要を低下させている要因はもちろんデフレにあり商品価格が低下をしているにもかかわらず国民にそれを消費するだけの生活力がなくなっているということであり、早い話が人口問題ではなくて貧困化しているということである。この中での需要の低下が企業が多くの需要を求めて国外に出て行き投資をすることにつながっているわけである。
金を出して企業に思いとどまってもらうというの勘違いである。逆さまな発想である。
同じようにデフレ対策といわれるが、市場にはこの消費力の低下から設備投資や資本投資のうまみがなくなり金(資金あるいは資本)は過剰なのである。この過剰なものをより多く海外に持っていくことが企業が諸外国に逃げるという現象である。
国内の需要を伸ばすには?答えはわかりきっているが、誰も泥をかぶりたくないという競争原理が働く。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
民主党は原子力安全・保安院が大飯原発3・4号機のストレステストを「妥当」とすることを受けて再稼働を進めることを容認したという。
ストレステストの結果を妥当とすることには一部の委員から再稼働に慎重な意見も出たという。福島原発の事故という重大な事故があったばかりなので再稼働に慎重な意見を少数意見として尊重すべきでしょう。慎重な意見が出たということはストレステストの結果に不安が残るということではないでしょうか?この少数意見を公表すべきでしょう。少数意見を大切にしないということはまた「想定外」を産むことになるのではないか。
昨年11月にストレステストに着手してもう結果を出す。
「班目(まだらめ)春樹委員長は審査書を確認するため、安全委員5人と、原子力工学などが専門の外部の有識者6人で構成する検討会を設けることを明らかにした。安全委は4月発足の原子力規制庁に統合されるため、3月中に結論を出すという。」(上記リンクのページより引用)
民主党は批判が強い原子力安全・保安院に替えて原子力規制庁を作るとしたが、福島原発事故時の当事者からなる結論をなぜ急ぎ採用するのか。これでは原子力規制庁を作る意味が薄れるだろう。ストレステスト自体を含めて新たな原子力規制庁の責任において答えを出すべきで、党としてもそれを尊重すべきでしょう。これは最低限の再稼働への責任でしょう。
原子力規制庁の発足前に結論を出したいという無理な急ぎ方に加えて、なぜ再稼働に民主党が動いたかは財界からの再稼働の要請があったからだともいう(朝日新聞1面)。この民主党が答えを出した経過を見ればストレステストのからの安全性よりも財界に動かされたことが否めないのではないか。今夏は原発再稼働なしには電力の不足が生じるかもしれないという理由はあるが、これを理由に「再稼働を容認せざるを得ない」(同)とも。
原発は定期点検のために泊まっているものもあるが、事故等も多い中再稼働ができない状況です。原発への不安は拭い去れない中でストレステストの妥当性があるのだろうか?ストレステストが妥当とするものが単なる新たな「安全神話」づくりでしかないのではないか。
ストレステストには何を想定外としたのだろうか。
今起きている被害と混乱を見てその解決の糸口さえままならない状況でしょう。
今現在起きていることを解決できないということは、これも原発事故のリスクなわけです。このリスクの回避も原発再稼働の条件ともなるでしょう。
もう一度西日本で事故が起きれば日本は壊滅でしょう。このリスクも考えないで今夏の電力不足という論理はないでしょう。まだどのくらい足りなくなるかという試算も聴いたことがない。
原発に変わる火力発電は燃料代のコストが大きいから値上げをするという。東電のコストが上がっているのは燃料代ではなくて賠償問題でしょう。燃料代が高いから値上げするぞ、それが嫌なら原発再稼働しかない。という論理でしょう。これに財界も呼応する中に再稼働の要請である。
安全問題や国民生活や健康には関係なく再稼働は進められるのか。。。。

【2013年】ツイッターつぶやき
BLOGOSに「何故アベノミクスは成功する可能性が高いのか」という記事がある。
これまでも書いてきたが、政府をはじめ経済学の中でもアベノミクスを成功させるには賃上げが必要だというのは多数意見になっている。
今回の記事でも「円安と資産価格高で企業採算が向上し、正常な賃金上昇が復活すればデフレは終わる。」と賃上げの必要性を書いている。「何故アベノミクスは成功する可能性が高いか」という可能性の実現に賃上げは不可欠であることが語られているのだろう。
しかし賃下げの理由が株・不動産の過剰値下がりの中でのデフレが賃金を下げてきたとする分析が正しいか。またこの論理から賃上げは円高の中で「日本の労働者の賃金はいわばその犠牲となり、長期にわたって低下し日本にデフレをもたらしてきたと言える。」と。
そしてこの円高を抑えて「円安になれば日本の貿易財産業の賃金は国際水準に比して上昇し、その結果国内での賃上げ圧力が生まれる。そうした貿易財産業での賃上げは、非貿易財産業の賃金上昇に波及する、と言う経路でインフレに至る」と結論する。
デフレが賃金を下げ続けてきたというのは一部正しいが、デフレの最初の一撃は勤労者の賃下げによる企業防衛にあるわけです。そしてそのデフレの兆候を無視して消費の低迷とそこからの企業の国内設備投資の意欲減退そして経済のグローバル化においての資本輸出による途上国の低賃金労働力の活用により国内の経済は落ち込みデフレが顕在化し加速をしてきたとみるべきでしょう。同時に円高はなぜ進んだかは、本来ならばバブル崩壊で経済が落ち込めば円安となるはずですが、失われた20年の中でも政府は企業防衛に資金を供給してほとんどつぶれる銀行や大企業はなかった。そしてその中で賃下げを行う政策により企業の賃金コスト論に依拠してコストとされる賃金を下げてきた。政策として。この中で企業は生き延びてさらに競争力をつけたのですから円は高くなるでしょう。失われた20年の労働者の悲惨さは政府も認識しているでしょう。今では生活保護が政府への圧力となっている。
こうしてみると、単純にアベノミクスを前進させる原動力を賃上げという面で見ても「円安になれば日本の貿易財産業の賃金は国際水準に比して上昇し、その結果国内での賃上げ圧力が生まれる。」といった根拠のない賃上げ論そして株価・不動産の値上がり(インフレ)が賃金を上げるという論理は逆立ちをしているわけで、賃金が上がればデフレも脱却をして企業業績も改善されて物価も安定すると見た方がいいでしょう。日銀の一部も2%のインフレ目標のためには2%の賃上げではだめで4%は必要というような発言がありましたが、2%の賃上げではデフレは現状維持という事でしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
朝起きてタバコをすいながら外の風景を見る。排水溝に雪解けの水の流れる音が聞こえる。家々の屋根には雪がまだ残り道路の脇に除かれた雪の塊が黒く穢れていた。
風がだいぶ強くなっていた。
朝食を食いながら連続ドラマを見る。コーヒーのお変わりを飲みながらオリンピックの結果を見る。羽入さんの金メダル。日本が意識される。そして東北の大震災に悩みつつ練習に励んだことが映し出される。チャンネルを変えるとまたやっている。大震災とアスリートについていろいろ考えた。日本の国民は頑張っているんですよね。何も有名な人ばかりではなくて一人ひとりの名もなき人も。
そういえば北関東や甲信地方の雪はどうなったんだろ?とチャンネルを変える。東京の雪のニュースやそのあとのにぎやかなワイドショー。。。。
パソコンのスイッチを入れてツイッターを開く。
ぼうーっと眺めていたら山梨の情報がたくさん目に入った。
なくなった方や雪に閉じ込められている方の状態が写真にもある。鉄道の復旧のために雪かきをするJR職員や度往路の復旧のために働く高速道路の職員。まだまだツイッターでさえ捕らえきれない人々がたくさん働いていたのでしょう。時間がたつにつれてツイッター上でも雪の災害のツイートが増えていく。自治体の動きも見えてくる。
午後からやっと国が動き出す。夕方過ぎにマスコミも動き出す。
「よく考えたらマスコミも現地にはいけないのかな?ツイッターは現地特派員がたくさんいる。」(ツイッターより)
特派員などとは不謹慎かなとも思いましたが、現地で大変な状況の中にいる方がツイートすると言うことは心の中のひとつの灯火だったはずです。その灯火を共有しつつツイッターの原点は「今、世界で何が起こっているか」を思い出しました。僕たちがニューヨークの大寒波の報道で(すみません僕は英語がだめですからニュースなどでですが)見ているように、そしてたぶんツイッターにはニューヨークの市民の方のツイートもたくさんあったはずですから、今のおおy期の状態を世界の方が見ていると思うのです。ですから日本からの発信です。。。。。そこに特派員という言葉もそうは失礼ではないと思っています。
今、世界で何が起きているか。。。。。それは災害や事故や事件だけではありません。人の営みすべてでしょう。そしてそこには政治や経済があり、それぞれの国民が専門家や報道陣のようにはうまくまとめることはできなくて実体や考えていることをツイートしています。この政治経済に対する国民の意識性もまた「世界で何が起きているか」なのです。
ですから日本発のツイートで差別や民主主義に反するようなものもやはり今、日本で何が起きているかなのです。同時に心温まるツイートももちろん今、日本で何が起きているかなのです。もちろんそれらに対する政治の動きも。
確かにガセネタや間違いも多いのかもしれませんが、それ以上に真実を作り上げていることも間違いないでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターから
禁煙薬の副作用を調べたら、やはり薬は薬だから副作用があるし、その副作用も無視できないと感じた。禁煙運動に懐疑的な僕は、こうした薬とかにはなお懐疑的になって調べます。
日本の禁煙運動は先進国内でも最低と言われる報道もありますが、それは、反面分煙先進国でもあるということです。
今政治家の中でも意見が分かれているようですが、オリンピックに向けて懐疑的な禁煙運動を強めるか、分煙文化を広めるか。。。。
禁煙運動も全く否定するわけではないのですが、たばこの税金をあげて低所得層から禁煙に追い込む兵糧攻めは即刻辞めたほうがいいです。所得格差を利用した兵糧攻め禁煙運動が世界標準だなんてばかげています。その他過激な禁煙運動も含めて喫煙者を社会から抹殺する危険な思考です。

大分県のセリがありましたあ。
先日はもう新玉ねぎが。
ということで今夜は新玉ねぎと牡蠣のポン酢和えとセリを入れた豚肉のすき焼き風。
新玉ねぎはスライスして水に漬けておきます。牡蠣は良く塩で洗って片栗粉をまんべんなく薄くまぶして茹でて水に漬けて冷やします。新玉ねぎは良く水分を切って、冷やした牡蠣はペーパータオルで片栗粉がとれるほど水分を取ります。あとは青ねぎを散らして盛り付けて食べる時にポン酢を書けます。かきは片栗粉で茹でても縮みません。小ぶりの牡蠣がうまいと思います。どことなく生ガキ風です。
豚のバラ肉をさっと炒めたら酒、砂糖、みりん、醤油を入れて長めに切った青ネギを入れて豚に火が通ったら出来上がり。盛り付けたら刻んだセリをたくさん乗せます。
セリの風味とすき焼き味の肉が抜群に合います。

【2018年】ツイッターつぶやき
朝起きて一服しようとしたらライターが点かない。ガスがなくなっていました。
仕方ないので依然使っていてガスが少なくなったライターがない者かと探したのですがない。すると引き出しの隅っこにマッチがありました。たしかお袋から仏壇で使うからと買っておくように頼まれて置いたものだと思います。ひと箱だけ残っていました。
久しぶりです。煙草にマッチで火をつけるのも。
昔は喫茶店に行ったりするとマッチをもらったりもしましたが、今はほとんど見当たりませんね。
マッチの燃える匂いを嗅ぎながら昔を思い出しながら煙草に火をつけるのもまた楽しかったです。
マッチなんて今はどこで作っているのかと思いマッチ箱をしげしげと見ました。すると横の方に「うきわかもめ」という文字が。。。。。うきわかもめ、どういう意味だろ?そのうきわかもめの文字の下には湿気を帯びるようなところには置かないことなどと書いた注意書きがありましたから、「注意書き」のようなものかなと思いました。
しかしうきわかもめ・・・・・
意味が分からないとどうも気になって仕方ありません。午前中、ずっと「うきわかもめ」と考え口ずさみながら過ごしました。何かの呪文のように。
スマホがないので調べることもできませんでした。
さっき、昼飯も食い終わりネットで調べてみたら、大和産業というマッチの会社の商品名のようでした。マッチ箱の表面にもローマ字で書かれていました。
一応納得はしたのですが、商品名にしろその意味が分からない。。。。。
もやもやが消えません。
うううう・・・・・と考え続けて出た答えが!!「浮輪カモメ」
マッチ箱の絵は浮輪の中にカモメが飛んでいました。。。。。
答えは正しいかどうかはわかりませんが、一応すっきりしました。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
今回は。。。。「きらめきとときめき。」
うん。。。。きらめきとときめきどう違うんでしょ?
人と人との間ならば、相手にきらめきがあって自分がときめきを感じる。あるいは互いの関係性の進展自体の空気の中にきらめきとときめきが同時に発生する。
あくまでも僕の主観ですが、ということか?
猫が夜中に布団から出ていく感触。
これを猫がテレポーションすると感じ取ったり表現したりすれば心ににきらめきがである。
いや、その感じ取ったものはときめきだろう。。。。。
川上さんもどちらがいいのか言い表せなかったようです。
しかし川上さんはちゃんと答えを持っていますね。
きらめきとかときめきは日常から離れた素敵な政界だけにあるのではない。
川上さんは飲み会で深夜に帰る。駅前のスーパーで買い物。知人となんともない話をして別れる。
でも、ここにきらめきとときめきを感じたのでしょうね。
お母様の天皇と同じ年だがそれを言えるのも今年が最後というのもまた同じようなものでしょう。
長年連れ添った夫婦間にときめきがなくなるのはなぜかというものが言われていますが、若いころは夫(妻)が夜中に水を飲みにいた。夫(妻)が時々寝床からテレポーションする!🎵というきらめきやときめきとなるでしょうが。老夫婦となれば、また今夜もトイレに起きたのかぁ。大丈夫か?が形を変えたきらめきやときめきとなるのでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
マネーストック・マネタリーベース・信用乗数
この関係は、
マネーストック=マネタリーベース×信用乗数
という式で表すことができるそうです。
マネーストックというのは企業や家計が保有する現金や預金ですが、日銀がマネタリーベースを増加させても信用乗数が下がればマネーストックは増えない。結局経済の好転はないということになります。
しかし信用乗数が減少していくというのは
信用乗数=マネーストック÷マネタリーベース
という式になりますから、マネーストックが経済がデフレ不況で増加をしないで一定とすれば、日銀がマネタリーベースをいくら増やしてもそれは信用乗数を低下させることでしかなくなります。そして信用乗数が低下すればマネーストックも低下する。
なんか、デフレ不況の負のスパイラルを感じます。
しかし企業の塩漬けになった内部留保は爆発的に増えているわけですから、マネーストックが一定ならば、金は企業に集まり家計には少ないという状態が現れます。するとここから経済を動かし消費の源になるマネーストックは事実上減少をしている状態になります。するとマネタリーベースは資金の過剰という側面を見せるのではないでしょうか。となればデフレは資金の過剰によりデフレ不況に移行していくでしょう。
しかし過剰資金は株式などのマネーゲームに流れる。
経済実態から離れた株価はバブル化して経済の好転のように見えながらも実態は冷たいバブルとなり、この冷たいバブルも必然的にはじける。

【2021年】ツイッターつぶやき
プラスチックごみの減量のためにレジ袋の有料化がされました。
また、飲食店やテークアウトできるような店あるいはコンビニコーヒーもストローがなくなりました。しかしこのレジ袋やストローの量というのは全プラスチックごみ量全体に占める割合はそうは多くないでしょう。ペットボトルなどの容器などが多いと思います。また農家のビニールハウスのビニールとかも多いようです。しかし、生活の中のあらゆるものはプラスチックが使われていますね。紙おむつだと思っていたら実はプラスチックオムツだったり・・・・・
日本はペットボトル名では資源ごみとして回収されるようになっていますが、海に流れるプラスチックごみもそうとうな量になっているようです。
日本は年間6万トンのプラウチックが陸から海へ流れているそうです。これは世界では30位だそうです。こう見ると日本のゴミの回収や再利用は進んでいるように見ますが、世界1位2位の中国やインドネシアに日本からプラスチックごみが輸出されているのです。日本人のプラスチック廃棄量は世界第2位だそうですから、ほとんどは海外に輸出されそのごみが海洋に流れているということです。(1からわかるプラスチックごみ問題)
東京は以前東京湾の埋め立てにゴミを入れていました。しかし埋め立ても限界にきて海外に輸出するか燃やすしかなくなっています。もちろんリサイクルもありますがどのくらいの割合になるのか?都内の清掃工場では超高温で燃やすことにより廃棄も改善されるとしてほとんどのゴミを燃やしています。ですから以前は分別していたレジ袋などもゴミ袋として再利用されている一面があります。街からはゴミの減量としてゴミ箱がなくなり持ち帰るようになっています。しかし例えばコンビニで飲料などを買いレジ袋を買わないと持ち帰るにしても困ります。案外こういうことからポイ捨ても多くなっているのではないでしょうか。
プラスチックごみを減らすとすることがポイ捨ても多くなり海に流れるプラスチックも減らない。
レジ袋を使わないストローもマイストローにというのもおしゃれ感覚で行われていますが、なかなか根本的な解決には結びつかないですね。

【2022年】ツイッターつぶやき
このブログでも何度か書いていますが、オミクロン株は重症化しないと言われていましたが、コロナ感染者数に比べて重症化する人数の比が小さいだけで、絶対数としては重症化しないとは言い切れないです。これは死亡者数においても現れています。全国的には死亡者数が第四波に匹敵していますし、今後新規感染者数が減少傾向を示した問しても死亡者数が増加していきますから第五波を上回るかもしれません。これは東京や特に大阪のような大都市圏で増加していくでしょう。
オミクロン株は重症化しない死亡者数も少なかったという間違った分析から「風邪のようなもんだ」とか第5類にすべきだという間違った分析がされていましたがとんでもないことでしょう。
政府は早くも規制を緩和する方向に動き始めています。
新規感染者数は減少傾向を示していますが、3連休でしたし東京都も雪のため在宅勤務を呼び掛けたりしていました。また検査数も少なくなっていましたから現在の減少傾向が本物なのかはわかりません。前週比での減少幅は縮小しています。
検査もせず(できず)医療崩壊も起きている。机上のベッド数などあてにならないことが見えています。
2月いっぱいでどうなるか。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
日本では生乳が20万トン廃棄されているそうです。
コロナで学校給食も不安定になっていましたし、生乳を原料とする商品も売り上げが落ちたでしょうからこの影響もあるのかと思いますが、一方では生乳換算で17万トンが輸入されているそうです。
過剰生産でも消費減の影響でもなさそうですね。
輸入品は牛乳を加工した原料なのでしょう。円安が進んだとはいえまだ外国産の乳製品原料の方が安いのでしょうか。しかしそれよりも国家的に輸入品を輸入することを止められないということもあるそうです。
経済的矛盾(競争)よりも政治的矛盾が大きいのかもしれません。
先日スーパーでバターを買おうと思い国産のものを手に取り原材料を見たら、その中に「バター」とありました。バターの原料がバター?と首をかしげてしまいました。乳製品も値上がりしていますが、輸入品のバターを原料に企業は使っているのでしょうか。

【2024年】ツイッターつぶやき
大阪万博も湯水のごとく金を使いオリンピックのようになっています。オリンピックも万博も同金をばらまくかを考えているしかないのかと勘ぐってしまいます。
込んでは、トイレ1カ所に1億円使うそうです。
個室が10コあったとしてもひとつ1000万ですからなぁ。。。。。手を洗う場所に純金でも使うのでしょうか。
ロシアはソビエト時代から地下鉄など大衆が使う施設は豪華な内装にしていましたが、万博はどうなんでしょ。
コメント
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「2月15日という日」

2025年02月15日 07時31分02秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
スーパーに行った。
土曜日の4時ごろだから案外混雑している。
鶏肉を取ろうとしたら、ばあちゃんがずっと売り場の前に立ってあれこれつかんでは置いてを繰り返している。
やっと鶏肉をカートに入れて買い物を済ませレジに向かった。
レジも行列ができているので、どこに並ぼうか迷っていたら、列が短くて男ばかりが並びカートの中身が少ない。
ここが早いだろうと思い並んだが、、、、、、
遅い、、、、、
ふとレジ係を観たらいつものおばちゃんだった。。。。。
隣のレジはどんどん進んでいる。

≪過去の記事≫

【2004年】
暖かい一日でした。部屋の中は20度!!
気のせいか公園の木々のつぼみも大きくなったように感じます。
スーパーに行ったら、ケーキがひつ96円!消費税込みで100円でした。かって帰ったのですが、やはり100円ケーキらしいものでした。クリームが少なくてほとんどスポンジの土台だけ。。。ハハハ
今夜はカレーとポテトサラダです。
トマトピューレを入れた夕螺特性カレーです。

【2005年】
医者に行ってきました。インフルエンザではないようで安心しました。しかしすごい患者数です。熱でぐったりした小さな子供が長い間待たされ、なんか僕もインフルエンザでも移されそうで心配になりました。
これから目医者です。。。。医者のハシゴ・・・・ハハハ

【2006年】
娘が冷シャブを食べたいというので今夜は冷シャブです。
冷シャブにしては早すぎるだろうと思ったのですが、今日は20度近くにも気温が上がり、たしかに冷シャブでもよい気候でした。しかしまた明日は一挙に10度ほど気温が下がるそうです。。。。
スーパーに冷シャブのタレがまだ売ってなかった。。。。あハハハ
胡麻ドレッシングで作ります。
梨木香歩さんのエッセイ「春になったら苺を摘みに」を読んでいます。
その中に、「クウェーカー」という言葉がたくさん出てきます。読むなかで感じるのは、このクウェーカーというのはキリスト教の中の一つの宗派のようなものだというぐらいはわかるのですが、どのようなものかがわからなかったです。
少し調べたら、神の福音は、教会やイエス像を祈ることにあるのではなく、内なる自分に神を感じるといったようなものだそうです。それはまた、実際の暮らしの中に求めるものであるようで、ある意味実践的なものです。その実践は、良心的兵役拒否にもあるそうです。
このように変わった宗派ですから迫害もあったよう。。。。
梨木さんが、キリスト教徒かどうかは、今読んだ中ではわかりませんが、イギリスでの暮らしは、このようなクウェーカー(震える者)の人々の中にあったようです。
梨木さんの「裏庭」は、僕の感想としては心の中の葛藤を描いたのではないかと思ったのですが、キリスト教の表の顔と裏の顔の葛藤というべきものも含めた梨木さんの内面を知ることができるエッセイだと思います。
続きを読むのが楽しみです。引き続きクウェーカーを調べながら読み進めたいと思います。

【2007年】
昼間と夜の気温さ。。。何度ぐらいだろ?
昼間は5月上旬のような日差しと暖かさでしたが、夜になったら北風も強くなり一気に冷え込みました。
風邪が流行っているようで、急な高熱が出るようです。
寒暖の差が大きくなりますから気をつけねば。
そういえば、朝の電車の中で、なんとなくだるいと思ったらくしゃみ一発。。。。
「今、風邪ひいた・・・・」と思った。
困ったなと思ったら、体のだるさは寝不足のためなようで、くしゃみは暖かい風に飛んできた花粉だったようです。
花粉症でよかった。。。。。
夜は遅くなり外食でした。
そういえば、吉○家の牛丼が復活し、時々食べています。久しぶりの牛丼。。。。おいしいです。やはり生卵をかけないと!!

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
昨日、スーパーに行ったら「しもつかれ」がビニールパンクにされ置いてあった。どこかで聞いたような名前ですが食べたことがないので買ってみました。
ネットで調べてみたら、北菅等の方で初牛の頃に食べられる郷土料理だそうです。大根とにんじんそして鮭の頭をぐちゃぐちゃになるほどたぶん酒粕も入っていると思うのですが煮詰めたような料理です。
ビニールパックから搾り出すように器に入れてレンジで暖めてみました。
味は。。。。なんというのか味も薄くて鮭の頭と酒粕の風味が利いていて。。。。食感は柔らかい水分の多すぎるオカラ煮。
食べていて思ったのですが。。。。胃の中に入った食い物はこんな状態で消化されているのかな?でした(笑)
なんか、こんなことを思ったらもう箸が動きませんでした。
食い物の好き嫌いはないのですが、どうも箸が進まない食い物の一つになりました。どもども・・・・すみません。
スーパーで買うときに食品売り場にいたオヤジさんやおばちゃんに食い方を聞いたのですが、そのときにオヤジさんとおばちゃんが顔を見合わせて「人に寄って好き嫌いがあるからな。。。」と話していたことを思い出しました。ネットでも好き嫌いがはっきり出るとも。。。。
機会がありましたら一度お試しを。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
すみません。今夜はツイッターからの転載です。
日銀がデフレ脱却のために1%のインフレ目標を設定したという。インフレ目標といっても今の0金利を続けるということ金融機関から資金を買い入れて日銀が国債を買うということ。0金利で銀行などに資金を流し同時に金融機関からだぶついた資金を買い入れて日銀の国債保有を増加する。国の国債発行増加
結局は国債の発行をやりやすくしてその資金で国が災害復興や公共事業に税金をじゃぶじゃぶ使いそれがインフレにつながるような段階まで行うということでしょうか?もちろんその国債の償還は国民負担の増税で行われるわけです。民間資金も国内の設備投資には回らずに0金利も砂漠に水だった。
今、世界はこの国債の信用不安が高まっているわけですが、だぶついた民間資金を買い入れて日銀が国債購入に回すというのはある意味禁じ手とも言われていたものではないでしょうか?日銀が紙幣をいっぱいするようになればたしかにそれもインフレ目標。インフレ目標は政策的なインフレです。
政策インフレこれは危険ではないでしょうか?自然な経済の発展の過程におこるインフレ傾向とはまるで違うものでしょう。過熱した経済を鎮めるための金融政策でのソフトランディングが難しかったように、デフレ脱却の政策インフレというソフトランディングも難しいでしょう。
0金利といっても国民は貯金の利息が微々たるものになり低金利とはいえ銀行から金を借りれば莫大な差額の金利を支払う。住宅や車などの借金と貯蓄を考えれば企業の経理で言えば赤字続きでしょう。直接には日銀の0金利と国民生活はつながらない。
日銀が銀行を窓口にして0金利で直接住宅や車などのローンを国民に貸し付けるようにならなければ個人消費は伸びずに結局はデフレからの脱却にはつながらないでしょう。同時にだぶついた企業の資産を賃金にも消費税を支払うという形で行い一部を労働者の益税にすることをやらないとだめでは?
デフレとはたしかに市場に出回る資金が少ないという表面上の現象が現れますが、それは国民生活の中に資金が出回らないということでして、どこかに資金がだぶついているということです。国債は日本国内で引き受けられている。日銀が0金利で金を流しても今の矛盾が高まるだけです。
年金積立金を高齢化社会の年金に活用し、国民も老後などの心配がいらない社会保障制度の確立等で金を使い、銀行などの金融機関それは企業の資金ですがそれを賃金や雇用に配分していたなら国債などという資金のだぶつきはなかったはずなのです。結局は今後、今までの逆をやればいいわけです。
(橋本市長からのリツイート)今の複雑怪奇な補助制度、助成制度、社会保障制度は社会の仕組みの成熟に合わせてきた結果。もう限界です。これによって行政組織もどんどん肥大化してくる。それだったら国民に一定程度の現金を先に配布する。それによってバサーッと色んな制度がなくなり、公の組織がなくなるのではないか。
先にリツイートしましたが、これまで書いてきましたことから、どうも橋下市長の政策には疑問が出ます。
繰り返しますが、国債とはだぶついた民間資金(銀行や企業が国民に配分すべき資金)を国が税金で引き受けたものなのです。

【2013年】ツイッターつぶやき
BLOGOSの記事に書評でしょうか?何冊かの本を紹介するような形で書かれています。
どの本も僕はよんでいないので本の内容自体についてはどうのといえませんが商標あるいは本から学んだものとしてのまとめについて書かれた記事への感想という事でお読みください。
その中に「インフレ目標、金融緩和と公共事業は日本の不景気を救うか」と題された部分があります。
「需要(消費)を増加させるために労働者の給与所得をあげることが必要です。」
「左派は、アベノミクスを批判して、「労働者の給与や所得をあげることが必要だ」と非難します。でもどうやってか。その方法論がありません(最低賃金アップくらいか)。」
「計画経済の共産主義国家であれば、政府が賃金あげろと企業に命令できるでしょうが、資本主義国家では、財政政策や経済政策を通じて行うしかないでしょう。」
「その方法論としては、インフレ目標と政府支出(公共事業)を増加させるしかないように思います。」
「労働組合が、ストライキをくんで賃上げを要求しなければなりません。」
「それもしないで、アベノミクスを非難する労働組合って、どうでしょうか?」
ここにはどうも論理のすり替えがあるのではないでしょうか?
賃上げの必要性は確認されています。これについてはもう否定することのできない共通意見として政府から労働者まで一致するものです。
しかしこの賃上げをどのような方法により行うかは、左派にはその方法論がないとする。そして共産主義なら政府が企業に命令をするが日本は財政政策や経済政策を通じて行うと。だからインフレ目標や政府支出(公共事業)を増加するしかないとアベノミクスを前進させろという事でしょう。
日本は共産主義ではないから企業に賃上げを「命令」できないという提起には、だれもが持つ意識として政府が財界や企業トップを呼びつけて10%賃上げしろと命令するといったようなイメージが出来上がります。誰もがこのイメージからそんなことは日本で行ってはならないと思うでしょう。実際行ってはならない。それではこういった「命令」を否定するとき、賃上げを促進するには「財政政策や経済政策を通じて行う」とするがここには労働政策などが吹く慣れていない。この労働政策などを含めない中にアベノミクスの政党制に結び付けるという論理ではないでしょうか?この論理的な飛躍は時にして論理的なすり替えという危険性が出る。
共産主義的というイメージでの「命令」を排除してそれに対置させる「財政政策や経済政策を通じて行うと」という結論。そうではなくて、「命令」ではなくて労働政策という政策によって政府の方針は労働者の賃金を大きく作用してきたことを忘れている。一番わかりやすいのが派遣法でしょう。「小泉改革以後、一貫して、労働者全体の給与取得は減少しています。企業の収益や内部留保、株式配当は急増してきました。」という事でもありますね。そうならば賃上げに対しては「命令」を否定しながら政府の労働政策などの経済政策だけではない広い意味の「政策」を対置する必要があるでしょう。
上に派遣法が一番わかりやすいと書きましたが、賃上げには派遣法を廃止することによってはできないでしょうか?派遣社員の正社員化です。パートやバイトに対しては同一労働同一賃金を徹底させる。賃金の格差は労働時間の身で決まるというように。(ただし若い独身者と高校や大学に通学する子を持つ年配者の賃金額の差を同一労働同一賃金に置き換えてはいけません)男女間格差も。そのほかの格差の是正も労働者の賃上げです。
そして労働時間と賃金額は切っても切れないものですから、法定労働時間の短縮も単位時間当たりの賃上げですし、雇用の増大はもちろん賃上げです。
これらを背景に中間層の組織である連合の春闘も盛り上がるでしょうし、車の両輪として労働者の条件はよくなるでしょう。
こういった政策面はずっと左派でなくてもずっと言ってきたことです。
僕個人としては、消費増税が行われるなら労働者の賃金部分(労働力を買って消費すること)にも消費税を新設(仮に「賃金消費税」とする)すべきだと思います。そして一定割合を労働者への益税にする。あるいは零細企業にはそれを原資に賃金消費税部分の負担を軽減させるために還付してもよい。もちろん消費税部分は国や地方の税収増となる。
こんなことをしたら企業負担が大きいと言われが、そもそも消費増税は景気がよくなり労働者の賃金もその負担増に耐えられるという条件としての景気回復が条件です。そうならこの時点で企業も景気回復で潤っているわけですから賃金消費税を負担する力はあるでしょう。
すぐに企業には命令できないからアベノミクスによる景気回復d賃上げなどという結論は出すべきではなくて、労働政策全般を見る中での賃上げにつながるものを政策として実行すべきなのです。

【2014年】ツイッターつぶやき
ここで言う労働者というのは「賃金労働者」だけではなくて労働する人々すべてです。
誰でもがこの社会は人の労働なしでは維持発展できないことは知っているはずです。ですから労働者が社会の主人公なんです。働く人々のために社会は存在すると言ってもいいでしょう。
ツイッター上でも大雪で普通になった線路の除雪をしている人々が映し出されています。東電も今雪のために停電が出ているようですが、その復旧のために働いている方がいる。先の大地震や原発事故でもその現場で働いている方(ボランティアも含めて)がいた。公務員も自分自身が被災者でありながら職務上とはいえ市民のために働いていた。こうした災害や事故時にも人の労働の重要さがわかると思います。
日常生活においても人の労働の成果(日用品や娯楽そしてサービスや食料品などなど)ぬきには考えられないでしょう。
しかしこのことを忘れてしまうことがある。
今は金が介在して労働を行う人よりも消費をする人々が大切にされる。そして時には主従関係にも似た扱いを働く人々が受ける。もちろんそれを要求するのも働く人々なのですが、意識性において逆立ちをしてしまっているのです。金が介在するから。。。。。
もちろん労働者だけではこの社会は維持できません。その人の労働は組織性を持たねばならないし統一性がなければなりません。労働を指揮する人々が必要なのです。それが政治家であったり企業の役員だったりするわけですが、この人々が時には鬼軍曹や悪徳代官となって労働者を搾り取ることしか考えなくなります。労働者は統治する対象となります。これがひどくなると国民には主権などないとなります。民主主義はいらないとなります。
労働の軽視が始まります。労働の浪費と使い捨てが始まります。労働が社会を維持して発展させるということが忘れ去られます。労働者が社会の主人公であるというのを忘れ去ります。この社会の仕組みから労働者自身が主人公であることを忘れてしまいます。主人公にはなれないとあきらめてしまいます。
これを打破するにはどうしたらよいのでしょうか?
(以下ツイッターから)
原発事故と再稼動の問題。格差と貧困のも大。中間層の低賃金化と没落の問題。商店主や零細企業主の倒産や廃業の問題。そして社会保障の切り下げの問題などなど。。。。これは日本経済の底流に流れる矛盾です。そしてそれは経済システムの中で共通するものです。社会的な民主主義の問題です。
ならば、一つ一つの問題において個々の国民が持つ問題意識の重点とすべきものはあるでしょうが、すべてを民主主義の問題として互いに理解をしあう必要があるでしょう。たとえば脱原発だが生活は豊かだといった方もいらっしゃると思いますが、原発問題も格差や貧困問題につながる。
脱原発は経済問題でもあるということを見つめないと具体化はしない。沖縄の基地問題などもそうでしょう。今の日本の経済政策からの矛盾がさまざまなところに現れていることを幅広くとらえていかないと国民のための政治は作り上げられません。そのような政党も生まれないし強化されない
個々の国民が持つ問題意識の重点とすべきものを統一したとらえ方を作り上げることそれが統一戦線です。統一戦線とは言葉は穏やかではありませんが、早い話が不平不満そして苦しみや憤りなどを国民レベルで統一するということです。そこにはどうしても政治勢力の中心となる政党が必要。
この国民レベルの統一を阻止しようというのが反国民主権といった言動であり、差別や分断です。そして日常の中にある競争や官民格差や世代間格差などという言葉上の表現です。やはり根底にあるのは民主主義の問題でしょう。統一しようとする国民は自らが民主的でなければならない。
個々の国民が持つ問題意識の重点とすべきものを個々が大切にしながら他の問題についても理解しあう意識性から民主主義を作り上げましょう。

労働者は労働者がその労働をして作り出した物やサービスを互いに提供したり受け取ったりしている。
労働者同士は互いに有機的に結びついているのです。
この有機的結びつきを互いに確認することから見直していきましょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
先日妻と買い物に行ったとき、今夜何つくろうか話していたら、
「たしか冷蔵庫にこの前の小松菜があったよね」
「うん、そういえばあったね」
と。
しかし帰ってきて小松菜を探したがないい。
互いに使った覚えがないと。。。。。
それから1日置いて
「たしか冷蔵庫にこの前の小松菜があったよね」
「うん、そういえばあったね」
と。
もちろん小松菜はあろうはずがない。。。。。
そして今日、一人で今夜何つくろうかとぼんやり考えていたら、確か小松菜があったよなぁ。。。。と。
どこに消えたのか、伝説の小松菜。

夜が明けようとする街を歩いていた
商店のシャッターは閉じられ
歩道は夜の世界にけがされたままに
無残に汚れていた
静まりかえった静寂は
空気をも微動だにしない
歩き移動する僕の肉体は
微動だにしない空気の中を
まるで細胞一つひとつがネオンサインのように
空気の一粒の上を移動しているようだった
僕が風なのか。。。。。
信号の赤の光だけが暖かかった
白いワンピース姿のあなたが
横断歩道の向かいにいた
何でこんな季節にワンピース。。。。?
青白い顔のあなたはふんわりと立つ
あなたも風のよう
ふと信号の変化を見上げたら
あなたもうそこにはいなかった
僕はとぼとぼと歩きはじめた
すると、100メートルほど先の電信柱に
あなたは寄りかかるように立ち笑う
声は聞こえないが「あハハハ。。。。」という笑い声は
僕の頭の中にやさしく響いた
「あハハハ。。。。。」「あハハハ。。。。。」
白いワンピースの裾をかすかになびかせながら
ビルの陰や看板の横に
あなたはたたずむ
僕の心を翻弄するのは誰なんだ。。。。
白みはじめた空には白い月が冷たく昇っていた
「あハハハ。。。。」「あハハハ。。。。」
僕は白い月に吸い込まれた
そして夜がすっかり明けたとき
僕は白い月とともに消えた。。。。

ツイッターからの転載です。

安保(軍事同盟色)だけを表面に出した経済政策は限界がある。軍事面での国民の統制は、日本が侵略されたら。。。の論理だが、その安保・軍事力優先により国民が疲弊をしてしまったら国力は落ちる。国力は軍事よりも経済である。経済を無視した軍事力強化は国力を落としていく。すでに少子化と言う矛盾
少子化と言うのは、次世代の労働力が再生産されないという矛盾である。それを補うために移民や外国人労働力を必要とし、労働力を必要としない構造改革(これは一人の労働者の労働強化あるいは賃下げでも行われる)この状態はさらに少子化を拡大していくでしょう。
国家は生産力に支店を向ける。しかしその生産力を担うのは労働者であり、その労働者は生産すると同時に消費をす。労働力の再生産はこの消費自体である。よって労働力の再生産が弱れば、国民は疲弊すると同時に、消費を減らさざるを得ない。これがさらに国民を疲弊させる。
国民の疲弊と消費の縮小は負のスパイラルとなって社会に現れる。アベノミクスが経済の好循環を生み出せないのもこのためでもある。企業はその利益を国内消費から海外の消費に依拠するようになる。最悪の場合は外国に資本を移していく。国内はデフレ。全体的に見ればスタグフレーション
この中での経済的国の衰退により、国は国民からの収奪(税金など)を強める。しかしその金はまた公共事業あるいはひも付きの海外援助などによって、企業に還流する。社会保障や社会資本の保守は国民の自助により国民負担となる。発展した近代都市にペンペン草が生い茂るだろう。
武器購入「米国の雇用にも貢献」 安倍首相が答弁」(朝日新聞)
結局黒いつながりの強化です。「防衛費を今後も増やし、防衛力の強化」(引用)とも。

【2018年】ツイッターつぶやき
今日は外出。
外出先は室内禁煙で喫煙所もない。仕方なく外に出て車の排気ガスを吸い込みながら一服。
一服吸いながら煙草の煙が有害とは言うがこの排気ガスはどうなんだろと。。。。受動喫煙は厳しいが車の排気ガスや車が通るたびに舞い上がる埃などはあまり問題にもならないようです。
こんなことを考えながらぼーっとしながら一服し終わろうとした時、目の前に10円玉が一つ乗った掌が急に現れた。
びっくりしながら掌から上、そして方から顔の目を移した。
そこには頭がぼさぼさで無精ひげの生えた親父の顔があった。すると「タバコ売ってくれよ」と。
さうぐそこすぐそこにはコンビニがあるのになぁ。。。。と思いながらその親父の姿を見ると、ホームレスの方ではなさそうであるがどう見ても裕福そうには見えない。
以前にもなぜか駅のホーム上で同じような親父が僕の目の前に大根を1本出しながら「あんちゃん、これやるんだろ?」と煙草を吸う真似をしてきた。大根がほしいわけではなかったが煙草を1本上げた。それを思い出した。10円でたばこ1本売れという事らしい。
今は1本20円ですからなぁ。。。。。アハハハ
仕方ないので10円は受け取らずに煙草を1本上げて火をつけてやった。その顔の笑顔は幸福そうであった。
禁煙蘊奥も体への害を宣伝するだけならまだ勝手だが、煙草増税をしながらまるで兵糧攻めのように強制禁煙を行うのはひどい話である。禁煙運動家は禁煙を勧められ、増税を決める政治家は税収が減らないなら良しとし、喫煙かの政治家は煙草銭で苦労はしないだろう。
ひどい目に合うのは低所得層や中間層です。こうもたばこ増税が進むとサラリーマンも一日のこずかいから煙草銭を出すことができなくなるでしょう。
コンビニで爺ちゃんが”わかば”【安い煙草】を買いながら大切に吸う。。。。。
こういった社会は禁煙運動の理不尽さが様々なところに現れるようになります。
煙草増税で強制禁煙を進めるというのは暴力です。
政治の国民に対しての権力は国民による国の統治より優先され、何でも有りの社会になります。ヘイトやハラスメントなどの言葉の暴力はもう普通になっています。

【2019年】ツイッターつぶやき
(以下、ツイッターから)
不適切動画、この言葉自体が適切なのか疑問だが、毎日のようにテレビで動画が公開されている。アルバイト定員から「被害」を受けた企業は賠償も含めて徹底的に処罰するようです。たしかにバイト定員のしたことは犯罪に近い。しかし処罰だけで企業責任を免れるか?
今の時代正社員をおかずに派遣やアルバイトそしてパートなどの労働者が増えている。この中で企業利益は上がっていたり少なくとも維持をしているでしょう。企業全体を見れば内部留保はものすごい額です。そして経営者のセレブ生活も報道されている。ここに企業責任の欠如も生まれるのではないか?
時給1000円程度のバイトに責任を持たせてクレーマーのような客や何をするかわからないような人々の接客まで。そして在庫管理なども行うこともあるでしょう。多くのバイトの方はその中でも一生懸命に働いている。ここに企業が胡坐をかいているということではないか?
胡坐をかきつつ不適切動画のようなものが出てくると慌ててバイトの人格を表に出して厳罰を科してそれを企業責任とする。バイトの労務管理は行うのでしょうが、去年あたりはブラック企業という言葉が表に出ていた。
こういう社会ですから不適切な店員も出れば、不適切な客も多くなる。
社会矛盾ですなぁ
低賃金でこき使っておいて自分は億単位の生活をする。こういう企業・起業はすでに成り立たなくなっています。また企業経営にに対して株主優先あるいは企業経営に関係をしない株価の利ザヤで利益を得るというのも成り立たなくなるでしょう。
人の労働に寄生をする形は今の日本の経済をゆがめている。

【2020年】ツイッターつぶやき
2月13日に書いた隔離(3)の続きです。そこでは冒頭
「クルーズ船での隔離の過酷さが見えてきました。船内で健康の方が罹病するのを待っているようにも見えてします。一方では表現は悪いですが穴のあいたはバケツをふさぎきれていない」
と書きましたが、やはり穴の開いたバケツのように水はダダ洩れのような事態になりつつあるのかもしれません。
フェーズが変わった
中国からの感染を阻止しようとする水際作戦は失敗をし、穴の開いたバケツから漏れた水が広がりを見せ始めた。中国からの感染防止だけではなくて日本国内内部の感染が心配される事態ですからフェーズ(段階)が変わり新たな危険な段階に入ったという認識が強まっています。
13日の記事でも書いたように、海外からすでに日本の対応のまずさが指摘され、ついに台湾は日本への渡航に対して注意を促し始めています。そしてアメリカはクルーズ船内のアメリカ人350人ほどをチャーター機でアメリカに返す動きを示しています。この国外の対応を見ると、日本が中国への渡航に注意を促したり、チャーター機で日本人を国内に返したというものと同じ動きが日本に対して行われはじめた。
どのような感染経路で罹病する人の広がりが出てきたかがつかめない状態は、非常に厄介ですね。陽性にならないうちに多くの人に感染していく。1人から2人そして4人、8人、16人。。。。。に感染していく危険性が。
日本社会は体の調子が悪くて休みたくても休めない企業体質と社会の常識が作られています。こうした日本社会がさらに感染者数を増加させる危険性をはらんでいます。すでに医師が感染している。医療体制もどうなんでしょ?厚生省職員は防護服を着ないのが決まりとして当たり前とか。。。。。
相当しっかりとした対策を取らないと。。。。。
あとは自然環境の変化でどうウイルスに影響があり静まるのか。。。。。または加速するのか。

【2021年】ツイッターつぶやき
去年は芸能人などの自殺が報道されていた。また失業の増加などにより若い人の自殺特に女性の自殺者が増加していた。
この自殺の増加は児童や生徒にも及び前年比140人増、率にして41.3%増となったという。(毎日新聞)
原因としてはコロナ禍の影響にもより学業不振や進路の悩みが多かったようです。また家庭内の親子間の不和もあったようです。
文科省は強硬的に入試制度を変更しましたし、特に英語では民間試験の導入で混乱しました。高校生の負担は大きかったでしょう。また入試だけではなく学校の休校がいきなり始まったりもしましたし学校生活の混乱もあったでしょう。またタブレットなどの学習などもはじまったりしました。
子供たちも政治の混乱の中で学校生活や授業環境の変化で家庭環境も含めた自己責任が問われたでしょう。
高校生はバイトをしていましたからそれができなくなり(これも失業問題)、子供の貧困がすでに広がっていましたからバイトができない状態は生徒の生活の中身を変えたでしょう。
政治の不安定性の中で国民生活が大きく変化をし安定が見えなくなりました。ここに子供たちも例外なく巻き込まれます。

【2022年】ツイッターつぶやき
カテゴリーが男の料理となっていますが焼き芋は料理ではないですなぁ。。。。
最近はまっています。
サツマイモをさっと水洗いしてアルミホイルで包みます。このとき少し水分を多くして。
魚焼きグリルで約30分、美味しく焼けます。
サツマイモは茹でたり蒸したりするよりも焼いたほうが甘いような。。。。。
焼くことによりなんか変化が起きるのでしょうか?
サツマイモは安いものを買いますが、ヤニが出て黒くなっている見た目は汚い芋の方が甘いようです。
今日も3時のおやつに食べましたが、まさにスイーツのようなおいしさ。
最近東京では焼き芋がはやっています。
スーパーに行くと必ずと言っていいほど入り口にサツマイモ焼き機があり美味しそうな匂いがします。
我が町にも小さな焼き芋の店ができました。
焼き芋の黄金期は僕が子供の頃の屋台の石焼き芋屋さんでしょうか。
い~し や~きいも~ おいも
お袋が夕螺、買ってきてというので寒い夜空の下石焼き芋屋を探す。
声はすれどどこの道にいるやら。。。。。
探しているうちに薪が燃える匂いが。。。。
ドラム缶の中で薪の炎が暖かそうでした。
昔は案が高くて何本も変えなかったので家族で分け合って食っていました。
しばらく寒い間はわが家でのブームが続きそうです。

【2023年】ツイッターつぶやき
来週はまた暖かくなりそうです。
近いうちに房総半島にドライブに行きたいと思います。
これまでも何回も言った行ったのですが、時々旅番組などで房総半島が紹介されていて案外言って行っていないところが多い。
年々新しい観光スポットができているんですね。
同時に今までの旅番組は観光ガイドに乗っているようなところしかやっていませんでしたが、最近は美味しいものでもB級グルメとかも多くなっていたり、観光スポットも有名な観光地から離れた口コミで広がった場所なども紹介されています。
テレビを見ているときは行ってみよと思うのですが、数日過ぎると忘れてしまう。
スマホなどで調べてお気に入りに入れておかないとだめですなぁ。。。。。

【2024年】ツイッターつぶやき
東京は春一番が吹きました。去年に比べると2週間早いそうです。
季節は加速度的に春に向かっています。
しかし懐のぐあいはというと寒いですなぁ。
10-12月四半期では、GDPはマイナス成長だったようです。2期連続です。
為替の影響もありますが、GDPはドイツに抜かれたそうです。
円安は輸出を助けるとされますが、輸入物価が上がっていますからそうは安く売れない。この輸入物価は内需関連の企業などに影響する。観光では観光客が増えていますから黒字ですが、円安の影響で日本は安いからだとされてあまり喜べない状況です。そのうえ日本人は海外に旅行に行くのもきつくなっています。
日銀が賃上げがある中で2%目標もあるとしていますが、岸田内閣は、この賃上げで増税と社会負担を高めるとします。
日本は政治と金でボロボロになる。
コメント
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「2月14日という日」

2025年02月14日 16時22分46秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
汚い話でごめんなさい。
朝起きてベランダに出たら、鼻水がツーゥっと流れた。
部屋に入ってコーヒーでも入れようと思い支度をしていたら、鼻水がツーゥっと流れた。
こうしてパソコンに座っていると時々鼻水が流れる。
鼻水はぽたぽたと落ちる。鼻血が出た時のような感覚。
くしゃみはそれほどではないのですが、外に出るときはポケットにティッシュを入れて出かけます。
ティッシュの消費量が半端ない。
昨日は強い風が吹きましたので花粉も飛び散っているのでしょうね。
外を歩いていたら、目がごろごろする。まだ痒さは出ていないのですが危ないなぁ。
できるだけ薬は我慢しています。
妻が転機がいいからと毛布を干した。。。。。。
今夜は地獄です。

≪過去の記事≫

【2004年】
春一番。
外に出るにもコートやジャンパーもいらないほど暖かでした。風は強くて洗濯物が飛ばされてしまいました。
少しづつ春が近づいてきます。

【2005年】
ううう。。。。風邪引いた。
妻と娘から手作りチョコをもらいました。大きなハートでしたよ。。。。。
少しかじったのだけど、娘がなぜもっと食べないの?と。そうは食えないよなぁ。。。。ハハハ
朝、風邪を引いてどんよりと公園に差し掛かったら、お年寄りが集まって体操をして利早足の散歩をしたり。お年寄りは元気です。。。。

【2006年】
暖かです。。。
スーパーにちょっとした必要なものと昼飯を買いに行ってきました。
レジに並んだら、ばあ様が支払い中。。。。
まずは財布を出して札を3枚。その後バッグの中を探し回ってビニールの小袋を出す。何だろと思ったら小銭が入っている。この間に隣のレジでは一人終わって次の人が。。。ビニール袋がなかなか解けない。。。。。やっとのこと解いたら1円玉10円玉と探しはじめた。そのばあ様の後ろに並んでいたおばちゃんの眉間がぴくぴくしている。その後ろの僕は眉間に皺がよる。
年をとるというのはこういうものなのか。。。。ううう
僕も若い人に比べるとだいぶ動きがスローモーになってきているというのは自分でも気づくときがあるが、どうもばあ様の場合は年を取ったというだけではないような気がする。この前もスーパーのレジで、レジ係がピッピッをすまし、はいいくらですといってからばあ様が頭陀袋のような中から財布を探しはじめた。なかなか財布が見つからない。。。
周りを気にしないというのか。。。僕の眉間にまた皺がよる。。。
まぁ、じい様はあまりスーパーでは見かけないが、同じに老化をして老いってもこういうばあ様のようなことはしていない。
どうも男と女の同じ老化でも違いが出るのか?もちろん皆がみんなというわけではなくて一つの傾向としてだが。。。。

【2007年】
爆弾低気圧?でしたっけ。。。冬にもかかわらず台風のような低気圧。それに近いものが発生したようですが、東京はそれほど風は強くなりませんでした。
6カ国協議もまずはひと段落という感じですが、これを機会に北朝鮮も平和的な経済発展を目指さないと。。。。経済協力の必要性は当分続くのでしょうが、北朝鮮の国力がどこに依拠するかはわからないが経済的な安定が必要でしょう。中国と韓国は、その北朝鮮への影響力を強めながら進むのではないかと思いますし、ロシアの関係もまた強まるのでは?このような安定の中での日本との協議が必要でしょう。
日本側から見ると、拉致問題がネックとなっていますが、極東の安定の中でしか拉致問題も解決できないのでは?経済はすでにアジアの中心ですが、政治となるとどうも中国のほうが上手という印象が強い。日朝ピョンヤン宣言とアメリカ、米朝2国間協議と日本。。。日本の政治力が試されているような印象を受けます。
国内政治は、相変わらず経済成長優先が続きそうで、その経済成長を本格化させるための個人消費の役割は忘れられている。
そういえばバレンタインデーですなぁ。。。。
妻からひとつもらいましたぁ。。。。

【2008年】
この前テーブルから落としてしまい、珈琲メーカーが壊れてしまいました。
さっそく買ってきました。980円!!
以前使っていたものも980円のでしたが、約3年使いました。落とさなければもっと使えたと思います。機能面は優れているのでしょうが高いものでも同じような気がします。
今回のものは以前のものとメーカーが違い、梱包を解いてさて使おうかと思ったらなんとコンセントが50センチほどしかない。ううう。。。使いづらい。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
(8)では、「企業がその富をどのように作り出すかはこの人と人との生産関係にあり、その富は生産性の向上の中での企業の競争として発展をしその矛盾を作り出してしてきたことは(7)でも書きましたが、この生産性の向上が労働者にどのような影響を及ぼすでしょうか?」と書き、資本主義において労働力を売るしか生存できない労働者とその労働力が結びつく生産手段を所有する資本家層が人と人との関係により社会的な商品生産をするという仕組みの中に労働者はどのような影響を受けるかという問題提起をしました。そしてそれにはまず資本家層に売る労働力という一つの商品の価値はどのように決められ賃金として労働者は受け取るかを書きました。それはあらゆる商品が再生産されながら継続した生産が保たれると同じように社会的な平均としての労働力の再生産費である生活費によって決まると書き、資本家層はその額を賃金としてその価値どおりに支払うことを前提にすると書きました。
そこでもう少し「労働力の再生産費」とは具体的にはどのような形をとって賃金額として決定しているかを見る事にします。
労働力の再生産とは、労働者が次の日も、次の月も次の年もそして次の世代も労働力を売っていける状態に保つのに必要なことということです。これはある企業が商品を次の日も次の年も生産を継続していくことと同じです。では、次の日も次の月も労働力を売ることができる上らいを作り出すのはどのようなことが必要かといえば、寝たり食ったりという毎日の生活の中で労働力は再生産をされていくということです。ですから労働力の再生産に必要な費用は生活費となります。この生活費を価値どうりに受け取ることは社会を維持していく上でも必要な額となります。その生活費という視点から見た賃金体系は、日本においては年功序列型賃金という形で終身雇用と結びついて行われてきました。これに対してヨーロッパ型といってよいのでしょうか?労働力の価値を等級化してそのある等級である労働力ならばどの企業に就職しても同じ額の賃金といったような同一労働同一賃金制があります。そしてアメリカ型といってよいのか?企業が採用するに当たってその労働力の価値を労使(企業と個人ですが)で決定をしてその能力によって賃金額が決まるという能力給あるいはその能力による年俸制というような賃金体系もあります。実際はそのそれぞれの基となる賃金体系を基礎にしていろいろな賃金体系が取り入れられて実際の賃金は決められています。日本でも年功序列とはいっても出世をしなければ安給料というものが昔からありましたから。
このようにいろいろな賃金体系の中にそれぞれに長所短所はあるのですが、労働者全体の平均的な労働力の価値は決定をされていいます。
そこでいろいろな賃金体系がある中で、より「労働力の再生産費としての賃金額」を反映された賃金体系とはどのようなものでしょうか?
それは日本型の年功序列型賃金体系にあります。
労働者の平均的な生活パターンを考えて見ましょう。学校を出て就職をします。5年ぐらいは一人前になるために企業もその労働力を「育てる」わけですからある程度賃金は安くなります。10年ほどしますと一人前になり同時にその間に結婚をして第一子が生まれる。そうするとその生活に必要な額にも変化が置き労働力の再生産費は高まります。年功序列型賃金はこのカーブ合致したものとなり多少の賃上げがある。そのうちに子供が成長すれば家を持つようになり、その後は家のローンを払いながら子供の教育費も上がってくる。そして両親の老後を支えながら子供が大学という最頂点に生活費は達する。年功序列型賃金はこの年齢に一番高い賃金カーブを描く。そして子供たちが独立をするようになり、自分たちの老後の支えの貯金がはじまりル。祖手はほんの数年の間ですが、定年になり年金が満額出るまでの老後の夫婦二人の生活としての再雇用などの低い賃金となっていく。
もちろん昔から上に書いたように出世をしなければ安給料的な職能給・能力給というものが入っていましたからまったくの年功序列型ではなかったわけですが、平社員あるいは係長どまりであっても年功序列型の賃金カーブの最低ラインが維持をされてきました。その中で平社員は平社員の年功序列の中での同一労働同一賃金が維持されました。係長は係長なりの課長は課長なりの同一労働同一賃金は維持され、若い社員もそれなりに同じような額の賃金が得られました。
このように見ると年功序列型賃金体系は、同一労働同一賃金という賃金体系の変形した形を維持しながらも労働力の再生産費としての賃金を反映してきました。もちろんそこには若い人も年よりも同じ労働をしても賃金額が大きな開きを持つという矛盾としての同一労働同一賃金の崩れがありましたが、社会の消費をを考えた場合でもある年齢層やその年齢層でも違った役職にある労働者は同じ賃金であるという形の同一労働同一賃金は存在をし、この意味での同一労働同一賃金の合理性がありました。また、若くして結婚をして子供ができたといった場合は、賃金内には扶養手当などの手当て制度もあったわけで、税制も含めて生活費としての賃金は微調整をされていました。
また、この年功序列型賃金体系は、長くその同じ企業に勤めなければ維持できない中に終身雇用制と強く結びつくという矛盾が言われる場合がありますが、それは労働力の移動に弊害が出るといったもので、長く同じ企業に勤めること自体には何の弊害もないわけです。実際、日本は終身雇用制の中に産業の再編成も行ってきましたしその中に年功序列型賃金制度は今なお残存するわけです。これは労使ともに年功序列型賃金体系を必要にしているということです。
労働力の再生産費としての賃金あるいは同一労働同一賃金を崩しているのは、雇用体系による差別化にあります。同じような仕事をしても、正社員と覇権賃金格差やパートの時間給では差別をされる中に同一労働同一賃金制度が崩壊をしています。派遣社員が正社員を教育したりするという矛盾までもが出ます。
この労働力の価値ー賃金=労働力の再生産費という構図の中からの同一労働同一賃金がどうしても賃金は決定をされなくてはなりません。このような形で賃金を受け取る労働者を思い描くわけですが、そこに立って「この生産性の向上が労働者にどのような影響を及ぼすでしょうか?」に入っていきましょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
     拝啓 川上弘美様
日記を拝読させていただきました。
「母さん、不良になったんだ」。。。クスクス
お子さんの「ドキッ」とした様子またはシュンとした様子が目に浮かびました。お子さんとは男性でしょうか。男の子というのは母親の小さな変化にもドキッとするものです。僕も中学生の頃、お袋が膝小僧を出したミニスカートをはじめてはいた時はドキッとしました。あのドキッはなんなんでしょうねぇ。
「母さん、不良になったんだ」。。。この言葉に対になると言っては変なのですが、なぜか「光って見えるもの、あれは」の中で高校生の江戸翠に対して母愛子さんが「どうして翠はこういう家に育ったのに、そんな普通の子なの」という言葉を思い出してしまいました。
この作品の中に恐れない女、恐れる男を感じたのですが、お子さんも多分恐れる男なのでしょう。お袋のミニスカート姿にドキッとした僕も。
しかしそんな恐れる男の中にも女は何かしらを見つける。お子さんの中に川上さんも「光って見えるもの」を見つめていらっしゃるのでしょうか。その光って見えるものは。。。
          敬具

恐れない女。。。。。ウウウ
「もっと、麻酔なしで何かをしてもらいたい気分」
怖いですよぅ。。。。ハハハ
だんだんと春めいていきますが、この季節の変わり目になると、毎年目が充血をして痛くなります。何とか膜炎とかいう炎症なのですが行くたびに美しい女医さんがやさしく「もう少しひどくなったら目に注射しましょうねぇ♪」と優しくいってくれます。
「目に注射ですかぁ……」
「そう、すぐ終わるわよ♪」
毎回逃げるように話をごまかして診療室を出ます。
すると後ろから「ちゃんと目薬を差しましょうねぇ♪」と。
「はい」と言って逃げます。

【2013年】ツイッターつぶやき
能面の女の面は、若い女性、中年、鬼女、般若となり、最後に竜女になるという。。。。
(梨木果歩さん「からくりからくさ」の感想より)
幹線道路に出るために右折をしようとした。
横断歩道を渡る人や自転車がいたので一時停止。
渡り終えたので走り出したら横断歩道から少し離れたところを女性が歩いていた。
危なくぶつけるところだった。
もう横断歩道の信号も赤なのに。
ムッとしたし危ないからクラクションを鳴らす。
女性はクラクションの音にも無反応にゆっくりと歩き続ける。
。。。。。妊婦じゃないか。
顔は能面のごとく。。。。
なんだか最近能面によく出会う。。。。。
女の面は、若い女性、中年、鬼女、般若となり、最後に竜女になるというが般若を通り越した竜女という面は作られていないそうだ。それは全くの無反応な心を写したまさに能面のごとき面なのかもしれない。

【2014年】ツイッターつぶやき
先日倒産件数が減少していると報道されていたが、これだけを見れば日本の景気も好転したのかと錯覚をしてしまうが、「休廃業・解散企業数」は増加をしているようです。
この休廃業・解散企業数は2012年では倒産件数の2.2倍(2万7132件)でしたが、2013年には2,6倍の2万8943件となっている。倒産件数が減っているのですから休廃業・解散企業数の割合が高くなるという見方もできますが、休廃業・解散企業数の実数自体も増えているわけですから安倍政権に移行してからも倒産件数に対する休廃業・解散企業数の割合は改善していないし、景気の好転ともいえないでしょう。
日刊ゲンダイではこの休廃業・解散企業を「隠れ倒産」と表現していますが、
「“隠れ倒産”とは、休業や廃業、解散による会社清算だ。あくまで“自主倒産”なので、倒産件数にはカウントされないが、会社が消滅したことに変わりはない。」(引用)という分析は当たっているでしょう。
この「隠れ○○」というのは注意が必要ですね。
たとえば失業率でも就職をあきらめて職を求めなければ失業者にはならないわけですから失業率には反映されない。あるいは解雇人数にしても自主退職に追い込まれれば解雇者数には入らない。こういった統計上には現れない数字というものが多いのかもしれません。
駅前の商店街は都市部でも地方でも同じようにシャッター商店街になっています。こういった商店なども含めて廃業に追い込まれる店も増えています。会社組織でなければ倒産とはならないのかも。
消費増税前の駆け込み消費もひと段落して街角景気もまた悪化をしてきました。
労働者の生活の低下も含めて日本経済の底辺では政府が発表する景気の回復とは裏腹に景気は後退を続けているのではないでしょうか。こういった底辺の経済動向がやはり日本全体の景気を左右するわけです。昨夜も書きましたが、日銀の金融政策の限界とアベノミクスのほころびが出ていると思います。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
用事を済ませ車で帰るとき、AMラジオを聞いていたら乃南アサさんが出演されていました。
はじめてお声を聞いたのですが、僕の想像としては太めの声でゆっくりと話をする方と勝手に思い込んでいたのですが、きれいな声ではきはきとお話をしていました。
多くの作品は読んでいないのですが、初期の作品でしょうか?「暗鬼」「団欒」はすごい衝撃を受けた作品でした。その後「風紋」「晩鐘」の続き物のサスペンスの大作を読みましたが、これもまたぐいぐいと引き込まれて一気に読みました。
「風紋」「晩鐘」は教え子の母親との不倫からその母親を殺害したところから始まります。サスペンスという面白さもありますが、犯罪を犯した者、犯罪の犠牲者となった家族、そして犯罪を犯した者の家族がどのような仕打ちをマスコミをはじめ社会から受けるのか、その影響による家族の苦しみ。
これを深い心理描写として描いている作品です。
人の心理を描く点では「暗鬼」や「団欒」も同じだと思います。
「風紋」「晩鐘は」はまだ続きがあるように思います。
ラジオで乃南さんが衝撃を受けた本の紹介がありましたが、ある死刑囚の手記だそうです。そこからの衝撃は、「風紋」「晩鐘」に深い影響を与えたと思われます。
また乃南さんに興味が出てきました。

【2018年】ツイッターつぶやき
先に書いた「俳句の窮屈さ」の続きです。
俳句というのはいろいろと制約(先の「俳句の窮屈さ」では規制と買いましたが制約の方が良いかもしれません)があり特に季語については窮屈さを感じます。この窮屈さから無季俳句も生まれるのかもしれません。
季語に対する窮屈さは、季語を入れることというだけではなくて、歳時記に載っているものが季語だといったものを感じます。また季語については居住している場所などによって二十四節気の受ける感覚も違い、例えば雪国において「吹雪」の句を詠んだら立春過ぎで春なのだと。。。。こういわれるとき後も窮屈です。食べ物にしても「枝豆」の句を夏気分で読んだら秋の季語だと。。。。。窮屈ですね。
また季語には現代ではそうは使わない意味が分からなくなってものがあります。自分で俳句を作る分ではいいのですが、古くからのメイクを鑑賞するとなると難しい。窮屈とは言いませんが一つの制約となってしまう。まぁ、これについてはほかの古典を読むのと同じだといってしまえばそれまでですが。その難しい季語が現代の俳句でも使われることがあります。
窮屈と感じるのは、もちろん初心者だからなのでしょう。俳句を詠むにはそれだけの教養といったものが必要となると言ことですね。しかし一つの窮屈さにもなっています。
だが、窮屈とはいえ季語のない17文字が俳句かどうか。。。。。。
俳句というものは日本が古代から農業の営みを続けてきていてその中で自然とのふれあいやその季節の中で生活の営みもあったことから、この自然や自然の中での生活の営みの中から生まれたものだとなれば、俳句には季語が切り離せないことになります。だからこそ俳句が生まれて引き継がれてきたのだともいえます。
四季の自然の厳しさも快適な生活への規制でもありますし、快適な生活を営むのに必要なものでもあります。
四季の厳しさという規制と俳句の季語の規制というものは根っこがつながっているのかもしれません。ならば季語は俳句の命なのかもしれません。同時に季語があるという事でより豊かな世界を17文字で詩にできるという心地よさかもしれません。
季語が俳句には欠かせないものというのはあるにしても、しかしこれが歳時記という形にまとめられると窮屈になるのかもしれません。季節を感じられるある言葉が歳時記に載せられるかどうかは大変な作業や権威が必要になります。
そうするとある意味、現代人がある言葉で季節を感じられれば歳時記に載っているかどうかは別にして季語として使えるのではないでしょうか。もちろん独りよがりというのか個人的感じ方の言葉は季語の扱いにはならないでしょうが。まぁ、これが歳時記に載せられるかどうかの難しさでもあるのでしょう。
言葉は生きています。
枝豆は秋だといい続けても、言葉は生きていますからいつの間にか夏の季語でもあるという解釈になっていくのかもしれません。
言葉が生きているという事は季語の窮屈さを緩和していることにもなる。

【2019年】ツイッターつぶやき
最近あおり運転が問題になっていますが、これも暴力という力の支配です。
同時にいきなりカメラを向けるというのも一つの暴力です。
アメリカは自己防衛のために銃を持つ。しかし逆に人々を傷つけるのも銃です。カメラを向けるというのも自己防衛的ですが、実は人を傷つけることにも。
(ツイッターより転載)
街を歩いていればあちこちに防犯カメラがあり、最近はスマホや車にもカメラがありプライベートでもカメラを向けることができてしまう。
たしかに防犯面などで役に立つこともあるでしょうが、カメラを向けることやカメラの悪用もまた増えて人を傷つけることにもなっている。
今のようにスマホが普及していないころ、テレビカメラが時としては暴力となっていたことがある。
犯罪を犯したいい年をした犯人の老いた両親にカメラを向けていた。
ルールを守らない車のドライバーにもカメラを向ける。
今までマスコミがやっていたことを今では個人ができるようになってしまいました。
悪ふざけ動画も。。。。。
昨日のテレビでも離島の老人が仙人のように「フォ、フォ、フォ・・・・」と笑うかカメラを向けていた。
たぶん多くの人はカメラを向けられてムッとするでしょうが怒れないでしょう。カメラ、マスコミの力です。
しかしそこからバカにされているとしたら怒るでしょう。
一つの挑発ですなぁ。。。。。(ツイッターより)
コンビニや飲食店でも悪ふざけ動画が問題となっていますが、悪ふざけ動画を撮った若い人を処罰しても解決はしませんね。社会問題です。

【2020年】ツイッターつぶやき
時々行く回転寿司屋さんのメニューに、ブリを炙って柚子の千切りと塩をかけたものがあります。行くと必ず注文します。
先日も「これは家でもできるのではないか・・・・・」と思いつつ返ってきました。
そこで今夜作ってみました。
我が家には料理用のバーナーがないのでブリの切り身を買ってきてフライパンで焼きました。
ほんとはレア状態だからうまいのでしょうが、切り身ですからそうはいきませんなぁ。。。。。
ぶりは脂ののっている腹身の方を使いました。
軽く塩を振ってしばらく置いておき、オリーブオイルで焼き火が通ったら酒を入れてさっと蒸します。
さらに移して柚子の皮の千切りをのせて岩塩をガリガリと振りかければ出来上がり。
家族に好評でした。
でも、酢飯の寿司にはかないませんなぁ。。。。。
薄い刺身だから風味も良いのかもしれません。

【2021年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記「ひ。」が更新されました。
クリスマスイブ。川上さんもクリスマスの飾りつけを。
コロナで人も訪ねてこないので自由な心で飾り付けでしょうか。
だんだんとクリスマスから離れていく・・・・・
川上さん、サイン本を出されたのでしょうか!
以前このブログでも川上さんのサイン本を買い損ねたことを書きましたが、やはりもうないでしょうねぇ。。。。。
今は落款を押されているようです。
「弘美」という初夏がほってくれた落款♩
欲しいですなぁ。。。。。。。
しかし客観的判断の優れたお友達はあまりうまくない字で「ひ」がいいと。。。。。
弘美の「ひ」ですね。。。。。
「弘美」「ひ」。。。。。
川上さんの作品を読むとぐっと心を引き込まれて真剣な顔をしながら読んでしまう作品もありますが、心静かにのんびりとした気持ちで読める作品がる。
一つの作品の中にこの二つの要素があるときも。
そのような作品ごとに「弘美」と「ひ」の落款を押してほしい。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
日銀が長期金利上昇傾向のため10年国債を0.25%で無制限に買い入れるとしたようです。
去年から日銀は国債の買い入れを少なくしていましたから2021年は国債保有が前年より減少したそうです。これは量的緩和からの出口の様に見えますから金利も上昇傾向となり、これ以上金利を上昇させないために無制限の買い入れを行うのでしょう。
世界的に金利上昇が進んでいますが、日本は金利を抑える方向に向かうのでしょうか。
金利上昇とともにインフレが進んでいます。
世界的にインフレによる通貨安になるのかもしれませんが、日本は金利を抑えることでインフレを抑える?しかし日本は労働者の賃金は上がらない状態ですから消費の力から見てそうはインフレ傾向も弱いかもしれません。その中で国債の発行をさらに増加して公共事業や企業へのバラマキに向かうか?
輸入品目の価格はどうなるんでしょ?
世界的なインフレが進めば値上がりがしますが、同時に円高もすすむ?でも国際無制限の買取は円安傾向に?
なんか今年は混沌としていきますね。

【2023年】ツイッターつぶやき
先日暖かい日がありましたが、夕方あたりから鼻水がすっと流れてきた。
このすッと流れる鼻水が花粉症の合図です。
汚い話でごめんなさい。
今朝はクシャミも。少し目がゴロゴロした感じも。
先日眼科に行ったときに花粉症の目薬ももらってきましたが、さっそく役立ちそうです。
納戸か書きましたが、梅にはじまり桜で終わる花粉症。1カ月ほど風邪をひきっぱなし状態のように。

【2024年】ツイッターつぶやき
2月8日に、岸田さんが少子化対策の財源として、国民一人平均500円の負担を言っていました。国民負担については今後の賃上げもあるから負担感はないと。
そして今日、東北地震での復興予備費を一部防衛費予算に回すとした。今後も復興税が続くわけですが、これについても今後の賃上げで負担感はないとして。
今言われている賃上げの必要性は、日銀も2%目標での出口には賃上げが必要としていますが、岸田さんも同じことを言っていた。しかし賃上げは税などの負担増につながる。
何のための賃上げかわからなくなっているのでしょうか。そうではなく、今までも賃上げをしたとしても国が増税や社会保障負担で吸い上げてきた。
コメント
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「2月13日という日」

2025年02月13日 07時01分35秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
日銀が利上げに移っているが、円安は改善されず今の水準の円安が定着している。
円安の中の利上げ、円安で食料品の値上げが著しいが、この状態で利上げをすれば、住宅ローンなどに国民は苦しむ。利上げで円安が円高に移るかといえば映らないならば、輸入品目での悪性の物価高が続く。円高になれば輸出企業が苦しむ。円高が急激になれば株価は暴落する。
これがスタグフレーションという国家の衰退です。

≪過去の記事≫

【2004年】
娘と近くのペットショップに行ってきました。熱帯魚とハムスターの餌などを買ってきました。
店の中を見ていたらセキセイインコの赤ちゃんがいました。盛んに鳴いていたのでオスでしょう。僕が高校生の頃だったか、セキセイインコを飼ったことがありました。「チイちゃん」という黄色いインコでした。言葉をたくさん覚えてかわいいインコでした。13年ほど生きたと思います。お袋が我が子の様にかわいがりよく世話をしていました。
娘にそんな話をしたら欲しくなってしまったようです。
明日は妻とおデートと思っていたのですが、妻が風邪をひいたみたいだといっていました。またの機会かな?
今夜はチャーハン、焼きそばとワンタンスープを作ります。

【2005年】
晴れてはいましたが寒い一日でした。
車で買い物に行ったのですが、どこも駐車場は満杯。いつもの日曜はこうは満車にはならないのですが、やはり3連休というのも関係しているのかな?お父さんも3連休で買い物ぐらいは家族サービスとか。。。。。
インフルエンザがすごくなりました。周りの人もインフルエンザで倒れる人が多いです。そういえばワクチン注射をしていない。。。。怖いです。なんとなく気のせいかのどが風邪の様に少し痛み出したので、ニンニクエキスのたっぷり入った栄養ドリンクを飲み、今夜はニンニクたっぷりの豚肉のソテーです。
においそう。。。。
まぁ、風邪やインフルエンザになるくらいなら人の迷惑もかえりみずニンニクの匂いを漂わせますよ。。。

「ゆっくりとさよならをとなえる」
            新潮文庫
            川上 弘美  著
川上さんの日常のことと本について書かれたエッセイ集です。
川上さんは、「あとがき」の中で、新聞などさまざまなところで書いたエッセイをまとめた本で、そこに通底しているものは、「本のこと」と「まごまごした感じ」と書いています。
「まごまごした感じ」は、エッセイ集の前半です。
川上さんの小説は、日常の生活のなかで起きる出来事を主人公は驚きもなくうろたえることもなく受け入れるようなものがあると思います。作品の性格から、その日常が夢の世界のように不思議な形として現れるのですが、主人公は驚くこともなくうろたえることもなく自然に受け止める。受け止めて淡々と語る。
目の前に現れる人との関係においても恋愛においても、淡々と受け止める。
しかし淡々といっても、心の動きがないのかというとそうではなく、、一般的な小説のように激しい心の動きが表現されないというだけで心の動きはあるのです。
さまざまな事象を淡々と受け止める。しかし心の動きはないわけではない。この一見矛盾したしたようなものを言葉に現すとすると、「まごまごした」という言葉が最も適当なのだろうとあらためてうなったしまいました。淡々と受け止めたのはよいが、それをどのように解釈したり対処したりしたらよいのか、ここに「まごまごした感じ」が見えるのではないかと思います。
このエッセイ集の前半は、川上さん自身が日常の中のさまざまなものを淡々と受け止めながらもまごまごしながら受け止め書いているのだと思います。
川上さんが公園でビールを飲んでいると、ひとりの老人がやってくる。一緒にビールを飲みはじめ、無くなったら老人が「買ってきましょうか」と。そして川上さんの前に手を出す。金を出せということである。タバコもあげる。おもしろい話で、川上さんのまごまごした感じが現れています。
前半は、このような日常に現れたものを書き連ねていますが、もうひとつ特徴的なのが食べ物です。そして飲み屋。。。。
おいしそうな食べ物の話がたくさん出てきます。そして飲み屋で飲む。赤提灯を思わせる飲み屋は、作品の中にもたくさん出てきますが、こんな川上さんの日常に作品の種があるのかもしれません。
一番多く入った店は、一番は本屋で、二番が飲み屋、三番がスパーだと。こんな言葉の中に何気ない川上さんの日常が見え、生き方も見えるような気がします。
飲み屋の風景や先に書いた老人との逸話もそうですが、内田百閒を「先生♪~」と呼びかけるところなどは「センセイの鞄」を連想したりしてしまいます。日常のとらえ方、そのままが川上さんの摩訶不思議な夢のような作品となるのでしょう。
この点でもこのエッセイはおもしろいと思います。
後半は本の話です。
朝日新聞の日曜日には時々川上さんの書評が出ていますが、日経新聞や雑誌などに連載したものがまとめられています。こんな本の感想文が書けたらいいなぁとおもいます。
川上さんとほんとのかかわりは尋常ではない。。。。
表題作は、最後に収められています。
「冬の夜にすること」など、日常が列挙されています。なんの変わり栄えのしない日常。。。。
これを列挙したところになんともいえない心が見えるような気がします。作品中に、戦時中の内田百閒の書いたエッセイが抜書きされていますが、そこには食べたいものが列挙されています。戦時中の食糧難の中で食べたいものを書き連ねる悲しみ。ささやかな夢。楽しみ。この内田百閒のエッセイに表題作は呼応するものかもしれません。日常の中の平凡な行い。夢。楽しみ。。。。。

【2006年】
ほう。。。。サバカレー。。。
夕食を作りながらサバカレーをつまみに焼酎を飲んでいました。
このサバカレーは、ドラマの中での架空の商品だったそうですが、ドラマにあやかってか商品化されたようです。
「ぶらり旅」にも書いたように「サバカレー」をテレビで聞いた覚えがあったので買ってきたのですが、このドラマを僕も見ていたのかもしれません。
カレーはシーフードにもよくあいますからサバにもよいのかもしれません。子供の頃、カレーに肉など入れられないときにシャケの缶詰を入れたカレーをよく食べさせられましたが、魚風味のカレーはこんな意味で慣れています。シャケの缶詰の柔らかいとはいえ背骨の入ったカレーには参ったっけ。。。
サバの風味がよいです。。。。ハハハ
千葉県の銚子市にある会社が作っているようです。千葉県にいらしたときは是非お探しください。
娘と買い物に行ってきました。
スーパーにはバレンタイン用のチョコがたくさん並べられていました。
昨日の日記にも書いたように生チョコが食べたい。。。。
僕が買うのも変ですので、そこで娘に生チョコを買わせました。食後のデザートに食べたいと思います。
それにしても小学生の女の子がたくさんチョコを買っていましたが、クラスにばらまくのでしょうか?

【2007年】
風もそこそこに吹き、よく晴れていたので洗濯物も気持ち乾きました。
夕方この洗濯物をたたもうと思いたたみはじめたら。。。。
へっくしゅんっ!!
くしゃみと鼻水が止まらなくなった。
洗濯物も取り込むときによく花粉を払ってからでないと地獄です。。。
一応バレンタインデーに妻からチョコをもらったので、一応ホワイトデーも明日ということでチョコを買ってきました。。。。ハハハ
一応。。。一応。。。と、儲けたのはチョコを売る会社。
買い物には娘も付いてきたので、そういえば娘からももらっているので一応娘の食べたいチョコを購入。。。。
なんだかなぁ。。。。
今夜は、厚揚げと豚肉の味噌炒めとブリ大根を作りました。
どうも腹が減っているときに買い物をすると食材を多く買ってしまい、お皿にどかっと。。。。厚揚げと豚肉の味噌炒めは明日の分まである。
ブリ大根のブリのアラは、すごく安いなぁ?と思って買ってきたのですが、ほとんど頭と骨ばかり。。。ううう
まぁ、出汁をとる程度には使えたけど、やはりある程度身が付いていないとなぁ。。。。

「ぢぞうはみんな知っている」 群 ようこ  著
何年か前に群さんのエッセイ「午前零時の玄米パン」を読んだ。
その感想の最後に、
「おてんば娘が50歳になりどんなおばさんになったのかという興味もありましたので。。。」
と、書いたのですがまさに今回のエッセイは群さん50歳のエッセイで、「『エロばばあ』狂乱」には度肝を抜かれました(笑)
「『大人』の掟」の書き出しに、「それなりに人というものがわかってきたような気になっていた」が、「人間とはそんなに単純ではないとあらためて感じる」と50歳になろうとしているご自分を見つめています。
「午前零時の。。。」は、4年前に読んだので中身はほとんど忘れているのですが、自分の感想文を読むと、どうも30歳代の群さんのエッセイで、女性から見た女性(時には暴露?)の生き様を描いていますし、その意味では50歳の群さんも同じような生き方をし、その女性から見た女性の表現も変わりありませんね。
人というのは、若い頃にいろいろなものに接しながら自分の生き方を意識的にも無意識にも形づくっていきますが、30歳の半ば頃からは、ある程度の生き方も定まり、人生観を変えるような大きな出来事がない限りそのままに年齢を重ねていくのだと思います。平凡に。。。。
ただ違うのは、40歳も後半にもなれば老化に気づき、50歳にもなればその老化が目に見えて現れてきます。人生のラストスパートというのか、自分を心身ともにどのように維持をしていくかに思いをめぐらしはじめます。その中での人とのかかわりの変化もあるわけで、それはやはり自分自身の老化した自分の中にあるわけです。
このエッセイ集は、この老化あるいは年齢を重ねることがどのようなものかというものを50歳になった群さんが語っているエッセイ集だと思います。
まずはじめのほうに、群さんの金をあてにしてバブリーな生活をする群さんの母親の様子が描かれます。群さんも売れっ子作家としての地位も確立してその母親の要求に応えます。どこか「金持ち群ようこ」が鼻につく点もあるのですが、そこには群さんが子供時代から見てきた母親がいて今の母娘関係もあり、50歳という初老の群さんからみた年老いた母親像が出ています。その母親のためにご自身は所得税すら滞納する状態。。。ここに「午前零時の。。。。」というエッセイの時代とそうは変わりのない群さんの姿があります。母親のいろいろな様子に自分の未来の姿もあるわけです。
また、「オスネコの『老い』」では、人間でいえば80をすぎた隣の家の飼い猫「ビーちゃん」が出てきます。そのビーちゃんのボケの様子にまた老化していくとはどういうものかをみるわけです。最後のエッセイ「まるでホラー」にビーちゃんが再び登場し、いっそう老いとは何かを見ることになります。まるでホラー。。。群さん独特な表現の中にも老いとは?をみますね。猫と一緒にするには失礼ですが、ビーちゃんにしろ母親にしろ年老いてゆく必然的な姿への思いが伝わってきます。
群さんはご結婚もしていないようですし、お子さんもいない。そこに登場するのが飼い猫の「しいちゃん」。人間でいえば青春まっさかりでしょうか?ここにどことなく母親の心情を思い起こすような群れさんがいます。50歳という年齢はこういう年齢です。年老いた母親がいて、今自分も50歳。しいちゃんは青春真っ盛り。その中で群さんは、50歳という年齢を考え実感するのでしょう。「体型崩壊」。。。ううう(笑)虫歯を治して一生自分の歯で物を食いたいと思う群さん。
50歳になって人生を悟ったようでも相変わらず人と人との摩擦やトラブルは続いていく。
老化とは何かと思うと同時に、今の50歳をどのように見つめてどのように生きるか。でも、そうは深刻でもないというのが50歳という初老の群さんの心情でしょう。
周りには相変わらず楽しい人たちがいていろいろな出来事が起きる。
「いくつになっても、人間、いろいろな経験ができるものですなあ」
と。
年齢による変化はあるものの、世の中や世間は動いているのであり、相変わらず平凡に今ある自分も生きている。
結局はこうして一生を終わっていくのでしょう。。。。
「ぢぞうはみんな知っている」という題名は、表題作名かと思ったのですが、エッセイ中には同題の作品はありませんでした。目をつぶってじっと立っているお地蔵さんですが、人の一生を静かに見守っているのでしょうね。少しにこっとしながら。。。。
いろいろと悲しいこともありますし、喜怒哀楽は仕方がないもの。群さんもお地蔵さんと同じように人の人生をにこっと楽しく見つめているのではないでしょうか?

【2008年】
北風ピューピュー
北に向かう自転車のじい様
うつむいて一生懸命にペダルをこぐ
しかし蛇行しはじめた
。。。。
ううう。。。。
ついに息きれて停止
寒い一日でした
今夜は温まる夕食と思い、チゲ風の湯豆腐にしました。具は豆腐と鶏肉のツミレ、鱈、長ネギだけです。スープは市販のもの。

「ぢぞうはみんな知っている」  群 ようこ  著
何年か前に群さんのエッセイ「午前零時の玄米パン」を読んだ。
その感想の最後に、
「おてんば娘が50歳になりどんなおばさんになったのかという興味もありましたので。。。」
と、書いたのですがまさに今回のエッセイは群さん50歳のエッセイで、「『エロばばあ』狂乱」には度肝を抜かれました(笑)
「『大人』の掟」の書き出しに、「それなりに人というものがわかってきたような気になっていた」が、「人間とはそんなに単純ではないとあらためて感じる」と50歳になろうとしているご自分を見つめています。
「午前零時の。。。」は、4年前に読んだので中身はほとんど忘れているのですが、自分の感想文を読むと、どうも30歳代の群さんのエッセイで、女性から見た女性(時には暴露?)の生き様を描いていますし、その意味では50歳の群さんも同じような生き方をし、その女性から見た女性の表現も変わりありませんね。
人というのは、若い頃にいろいろなものに接しながら自分の生き方を意識的にも無意識にも形づくっていきますが、30歳の半ば頃からは、ある程度の生き方も定まり、人生観を変えるような大きな出来事がない限りそのままに年齢を重ねていくのだと思います。平凡に。。。。
ただ違うのは、40歳も後半にもなれば老化に気づき、50歳にもなればその老化が目に見えて現れてきます。人生のラストスパートというのか、自分を心身ともにどのように維持をしていくかに思いをめぐらしはじめます。その中での人とのかかわりの変化もあるわけで、それはやはり自分自身の老化した自分の中にあるわけです。
このエッセイ集は、この老化あるいは年齢を重ねることがどのようなものかというものを50歳になった群さんが語っているエッセイ集だと思います。
まずはじめのほうに、群さんの金をあてにしてバブリーな生活をする群さんの母親の様子が描かれます。群さんも売れっ子作家としての地位も確立してその母親の要求に応えます。どこか「金持ち群ようこ」が鼻につく点もあるのですが、そこには群さんが子供時代から見てきた母親がいて今の母娘関係もあり、50歳という初老の群さんからみた年老いた母親像が出ています。その母親のためにご自身は所得税すら滞納する状態。。。ここに「午前零時の。。。。」というエッセイの時代とそうは変わりのない群さんの姿があります。母親のいろいろな様子に自分の未来の姿もあるわけです。
また、「オスネコの『老い』」では、人間でいえば80をすぎた隣の家の飼い猫「ビーちゃん」が出てきます。そのビーちゃんのボケの様子にまた老化していくとはどういうものかをみるわけです。最後のエッセイ「まるでホラー」にビーちゃんが再び登場し、いっそう老いとは何かを見ることになります。まるでホラー。。。群さん独特な表現の中にも老いとは?をみますね。猫と一緒にするには失礼ですが、ビーちゃんにしろ母親にしろ年老いてゆく必然的な姿への思いが伝わってきます。
群さんはご結婚もしていないようですし、お子さんもいない。そこに登場するのが飼い猫の「しいちゃん」。人間でいえば青春まっさかりでしょうか?ここにどことなく母親の心情を思い起こすような群れさんがいます。50歳という年齢はこういう年齢です。年老いた母親がいて、今自分も50歳。しいちゃんは青春真っ盛り。その中で群さんは、50歳という年齢を考え実感するのでしょう。「体型崩壊」。。。ううう(笑)虫歯を治して一生自分の歯で物を食いたいと思う群さん。
50歳になって人生を悟ったようでも相変わらず人と人との摩擦やトラブルは続いていく。
老化とは何かと思うと同時に、今の50歳をどのように見つめてどのように生きるか。でも、そうは深刻でもないというのが50歳という初老の群さんの心情でしょう。
周りには相変わらず楽しい人たちがいていろいろな出来事が起きる。
「いくつになっても、人間、いろいろな経験ができるものですなあ」
と。
年齢による変化はあるものの、世の中や世間は動いているのであり、相変わらず平凡に今ある自分も生きている。
結局はこうして一生を終わっていくのでしょう。。。。
「ぢぞうはみんな知っている」という題名は、表題作名かと思ったのですが、エッセイ中には同題の作品はありませんでした。目をつぶってじっと立っているお地蔵さんですが、人の一生を静かに見守っているのでしょうね。少しにこっとしながら。。。。
いろいろと悲しいこともありますし、喜怒哀楽は仕方がないもの。群さんもお地蔵さんと同じように人の人生をにこっと楽しく見つめているのではないでしょうか?

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
    拝啓 川上 弘美様
日記を拝読させていただきました。
年末年始は世間が慌しく動き回っていますね。なんだか自分ひとりが閑にしているのは世間の流れに取り残されているような気にさせられます。クリスマスだ忘年会だと。。。。しりをたたかれるような、背中を押されるような忙しなさを感じます。
川上さんの日記を読ませていただきなんだかほっとしました(笑)。。。うん
世間の若い方の中にはオフ恐怖症というようなものがあるらしいです。手帳に「オフ」と書いたオフ日が多くなると落ち着かない。それは友達がいない恐怖にもつながるようです。多数のメールも同じようなものだそうです。
そんな中、どっしりと構えて昼寝をされるなんてさすが・・・・・です。うん(笑)
年々僕も年賀状書きが億劫になり手にする年賀状の数も減りました。正月は昼寝に限ります。。。。

       敬具

12月になると新しい年の手帳が本屋さんなどに並びますね。
新しい年を思うと手帖でも買うか!とも心に沸き起こるのですが、どうせ「オフ」とも書かない真っ白けのままに終わる手帳ですから買うのをやめます。今は携帯のカレンダーで十分です。
「休み」「燃えないゴミの日」とか書くぶんには十分であります。
一日が過ぎるとカレンダーを開きその日を削除する。。。。なんともいえない時間の流れを感じます。

【2012年】ツイッターつぶやき
企業が海外での現地生産を増やし、中国などの低賃金労働者を目指して資本を移していく。この企業間競争の中に巻き込まれている形で日本の労働者も競争に巻き込まれる。
海外の低賃金労働者と競争をさせられるなら今のような日本の若い方の失業や低賃金化は必然的になる。この競争で一番良い思いをするのは企業だけである。際限のない負の競争で国民は疲弊をし、疲弊した国民をどうにか生かしていくために社会保障が必要となり負の競争のつけは国家財政にのしかかるような仕組みを作られる。その社会保障のために負担の重さから見ると逆進性の強い消費増税が言われる。そこでまたさらに国民は疲弊をしていく。
際限のない負の競争は、搾取と収奪の中に国民をおしこめる。
今朝のワイドショウーを見ていたら民主党の長妻さんが年金改革の話をしていた。結局は昨日も書いた橋下知事の「究極の格差是正」と同じことを言っている。中間層の受け取る年金を下げてそれを最低保障年金の財源にして無年金者(今まで本人の意思で年金掛け金を納めなかった人や経済的におさめることができなくなった人たちなども含む)に支給するというやり方でしょう。上にも書いた逆進性の高い消費増税と中間層の犠牲による年金格差の税制です。これはちょうど貧困を中間層の生活低下によって均していくという発想です。国民の貧困化の状態を格差の是正というわけで、貧困化をみんなでというのですからそれも格差の是正だといったわけのわからないものでですう。貧困化(層)に希釈。
このように際限のない競争は負の競争として行われます。本格的なデフレスパイラルに突入するかもしれません。今の瞬間を考えれば企業や富裕層は以上のような政策で一息つくでしょうが、長い目で見れば企業の利潤率はさらに下がり、不労所得者層の不安定さは増すでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
昨日も書いたが、企業(特に輸出産業)には減税や公共事業で税金をばらまく。その企業はゼロ金利で日銀が量的緩和でばらまく資金を使わせる。賃上げは1000億円の企業への減税という資金で行わせる。
日本の貿易相手国はアメリカであるがアメリカにも金をばらまいて日本製品を買わせる。
G7では一定の理解を得られたと言われているが明らかに通貨安競争で輸出産業の利益(本来の事業利益ではない為替上の利益)を確保させる。対外的発言と国内的発言が乖離する。
このばらまきの資金は消費増税を当て込んだものである。
このように見るとアベノミクスといわれるような経済政策ではなくてばらまきと国民生活の低下(国民所得の企業への移転)という自民党的なそれも古い政策でしかないだろう。
円安により輸入品は高くなり物価は上がるでしょう。この物価が上がることをインフレと勘違いをしなければいいが。
朝日新聞朝刊7面に財界への賃上げ養成の記事があったが、その要請を決断させたものが「参院選にらみ決断」という見出しにあるように賃上げを行う中での景気回復も「その中で参院選を迎えられれば理想的だ」(同記事より引用)というのが本音でしょう。
どうもこのばらまき的な政策は政策として進んでいるわけですが、政治的「安倍色を出さない」中で行われ、このまま参議院選に突入するためのものという色合いも強いのではないかと思います。
市場は円安で企業業績が上がった、株価が上がったと盛んに政府の「成果」を強調しますし、支持率も上がっていると。しかし国民生活には展望があるのかといえばそうではない。このような中で一つのバブル的な政治の中で参議院選に突入してしまうことがどうなんでしょうか。

【2014年】ツイッターつぶやき
2%目標達成後の景気や財政に重大な関心=黒田日銀総裁 | Reuters http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1C05020140213 … 金融の日銀の責任は2%あるいは3%の物価上昇。経済の政策はアベノミクス。分けてみるべきでしょう。日銀は政府に提言すべきはすべきです。国民生活への言及は無理か。
「物価上昇率をFRBが目標とする2%まで押し上げたい考えを示したが、金融政策ができることには限界がある」http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPTYEA1C03W20140213?feedType=RSS&feedName=jp_column&virtualBrandChannel=13487&utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter …
(ツイッターより)
デフレというのは物価が下がり続けることだから物価を上げればデフレから脱却できる。物価が上がるためには景気の回復がなければならない。それを刺激するために金融市場や商品市場に金をばら撒けばいい。そのために中央銀行による国債の買取からの貨幣量を増やす。
そもそもこのような論理事態に誤りがあるわけです。
デフレといっても貨幣量が少ないからではなくて、貨幣量は金融市場において過剰であってそのために商品市場においての貨幣量が不足することにある。商品市場での貨幣量の不足は商品の消費を抑えるのですから商品生産を行う企業自体にも生産の縮小が起きてそれは企業の設備投資などそこでの消費の不足が起きる。企業利益は株や国債などの金融市場に流れる。そしてそれはまた金融市場の貨幣のだぶつきを大きくする。
中央銀行の量的緩和に効果を持たせるためには商品市場に貨幣が流れなくてはならない。
その中においてのインフレ傾向により物価が上がらなければならないのである。
しかし中央銀行のこの金融緩和は物価を2%上げるたためだけに責任があり、その2%の物価上昇がどのような中身において達成できるかは責任外の問題である。どのような中身において行われてそれを達成できるかはすべて政府の責任となる。
日本銀行は2%まで物価が上昇するまで緩和を続けるということしかできない。アメリカのFRBは縮小は言うが緩やかな出口戦略を言うしかないのである。その中で政府はどのような経済政策を行っているか?消費の拡大のために必要な庶民生活の圧迫を行う。それは失業問題であり不安定雇用の増大と賃下げとして現れている。緩和マネーのほとんどは金融市場に流れる。結局は金融市場での貨幣量のだぶつきの増大と商品市場における貨幣量の絶対的縮小と相対的縮小(物価が上がれば商品市場内の貨幣量は少なくなるのと同じ)を引き起こす。
ここには常にデフレ圧力が作用をして中央銀行による貨幣量の爆発的な増大に対して物価上昇の割合はそうは大きくならないという現象が起きる。
この現象面からそうは中央銀行も緩和策を行えなくなる。
「大規模な量的緩和を維持することで得られる経済的なプラス効果は疑わしい。イエレン議長は、物価上昇率をFRBが目標とする2%まで押し上げたい考えを示したが、金融政策ができることには限界がある。2008年以降、FRBのバランスシートは4倍に膨らんだのに、現在の物価上昇率は1.5%にとどまっている。」(上記ロイターの記事より引用)
「黒田東彦総裁は13日午後の衆議院予算委員会に出席し、2%の物価目標実現後の景気や財政について「日銀は重大な関心を持っているし、政府も重大な関心を持っている」と述べた。松田学委員(維新)に対する答弁。」(引用)
アベノミクスへの期待が失望に反転することも起こりえるでしょう。

【20015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
政府による報道の在り方について多くの発言が飛び交っている。
最近においても放送法がらみで大臣が電波を止めることもできるとの発言まで出ている。
偏った報道あるいは報道の公平・中立さという言葉が独り歩きをして観念的な解釈がされ始めている。
では偏った報道とか報道の中立とは何かをも一度考えてみなければならない。
以下、ツイッターからの転載です。

偏った報道あるいは報道の中立性を考える場合どこに中心点があるのでしょうか?その中心点は「真実」であり「国民の利益」などにあります。この中心点から政府の行うものがずれていたならそれを批判するだけであっても偏った中立性のない報道をは言えない
この中心点となる真実や国民の利益については様々なとらえ方があります。ここで討議が必要になるのですがどちらの意見が正しいかを出し合うことの内部にどちらの意見を主張するかが現れます。ここに観念的な公平とか中立はあり得ない
観念的な公平や中立が大切ではなくて真実がどこにあり国民の利益がどこにあるのかをどこからも邪魔をされずに主張しあえること自体が真の現実的な公平や中立が生まれるのです。

真実でないもの間違ったものそして国民の利益にならないものなどを報道することが報道機関の使命であり責任だろうか?
報道機関は真実そして国民の利益から報道をすることが使命なのである。
ならば報道機関は真実がどこにあり国民の利益がどこにあるのかを踏まえて報道すべきなのです。ここにうそや国民の利益にならないだ王としたものについてその意見も正しいとはならないでしょう。
正しいと考え国民の利益を中心点として報道すること、他の報道機関と意見の違いが出たなら報道により討議をしていくこと、取材をしていくこと。これが使命でしょう。

【2017年】
ツイッターで「世界文化遺産登録を目指す「俳句」と「荒川区」の実は“深い関係”」という記事を見つけた。
世界文化遺産に登録できる条件を知らないが、日本の一つの文化である俳句が世界遺産となることはうれしい。
しかし、世界遺産登録も観光事業と勘違いされるものを感じます。
俳句の遺産はどこに?
関係した遺跡や自然が多く残っているわけでもないし、その意味では形が見えない。
詩的表現あるいは精神文化がどのような形で残っているのかとなるとやはりどこかぼんやりとしている。
推進協議会の一つの団体「国際俳句交流会」では、「ユネスコ登録に向けて」という考え方を示している。
その中では、俳句が世界一短い詩形というものから世界に広がり、俳句の魅力が認められてきたとし、次のように俳句の魅力をより広げるために、次のように提起をしている。
・俳句の大衆性
・俳句の普遍性
・俳句の平和性
・次世代への教育力
この中での広がりにより世界遺産として承認されるのではないかということでしょうか?
「俳句の大衆性」や「俳句の普遍性」については、正岡子規も俳句の芸術性を比較しながら著書を残していると思います。
詩としてのすぐれた作品そしてその芸術性と、普遍性や大衆性。
俳句にとっては、これは永遠の課題なのかもしれません。
ただ広がりを持つことによる世界遺産なのか、俳句という芸術性を広めることによる政界遺産なのか。
たぶん、これはどちらか一つを選ぶことはできないでしょう。
世界遺産蟹はどちらもが必要になると思います。その意味では俳句の芸術性につおて日本人すら知らないことばかりですから、わかりやすい大衆的な言葉でこれを広めねばならないでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記 恋人は冷蔵庫。」(平凡社ウェブ版)が更新されました。
毎月たのしみに読んでいるサイトです。
去年の夏、寝室で寝ていると台所の方から唸り声が聞こえてきました。また冷蔵庫かなぁ・・・・・とは知りつつ眠りに入ろうかと思う頃にまた唸り声が大きくなる。心配になってしまい台所に行くと冷蔵庫の扉にある冷蔵温度の表示のランプ「強」が怪しく光りドンというような音がして唸り声が消えた。ついでに冷蔵庫から冷たい水を出して飲み終わりドアを閉めて寝室に行こうとしたら、またふるえるような唸り声を出し始めた。恋人とまではいかないが冷蔵庫に愛おしさを覚えた。。。。。。
川上さんちの冷蔵庫も同じような状態らしいですなぁ。。。。。。
恋人は冷蔵庫とはいえ、一生沿い続けるわけにはいかない冷蔵庫・・・・・悲しいですなぁ。
とはいえ、20年も一緒に暮らしていれば内縁の夫ぐらいにはなっているはずですから、なおさら捨てるわけにもいかない。冷蔵庫の方から「もう冷えないよ」と離縁されるしかない。しかしそれまで唸り声を聞くには。。。
さてどうしたものでしょうか。

俳句は17文字という世界で一番短い詩形だと言われています。
詩形だという事は明治の正岡子規などによる俳句の芸術性はやはり詩であるという事につながるでしょう。
俳句は詩であるというだけでは俳句としての芸術ではない。その詩形に欠かせないものとして季語がある。17文字の詩であると同時に季語が入る規制された詩形でなければならない。5・7・5、5・5・7であろうと7・55であっても季語が入れば俳句だとなる。いや、5・7・5でなければ俳句とは言えないというもう一つの規制もあるのかもしれない。もちろん17文字というのが最も著しい規制でしょう。
そのほかにも俳句の決まり事とされる規制がいくつかある。
こう見るとはいくというのは相当窮屈な詩形という事になりますが、しかし俳句は無限に存在する。
これが俳句の面白さかもしれません。
この窮屈さを感じて自由を求める俳句運動が過去にも現在にもあるのでしょうが、どこまで自由さが許されるかでも俳句の難しさでもありますが面白さでもあるのでしょう。
そして様々な規制が相互に作用してさらに窮屈となるのかもしれませんがそれがまた面白さになるのかもしれません。
何だか窮屈さばかりを強調していると俳句というのは窮屈さを楽しむ詩形ではないかと思ったりもします。
また更に俳句というのは結社をつくり、その結社の中であるいは結社間でよいく悪い句も出てしまい、悪ければ手直しをされて、これでこの句は生きるなどとなる。
俳句は17文字ですから、「てにをは」ぐらいの手直しも含めて、単語ひとつ変わるとまるで違う句になってしまいます。まったく違う句になってもうまい句なら良いのか。。。。。詩形としては優れた詩となるが心がどこかに飛んでしまうことが起きます。俳句の写実がなくなって架空の景色となる。俳句を詠んだ人の心を残しながらそれをより優れた詩にすることは難しいでしょう。それができるのは本人だけですね。
今後どの規制を残し度の規制を捨てるか、この中で窮屈さもすっきりするのかもしれません。そして残された窮屈さの中で面白さを味わえる。

【2019年】ツイッターつぶやき
景気循環は10年おきだといわれていますが、アベノミクスは企業利益と株高という仮想の好景気を作り出した。勤労国民には実感のない好景気です。それは最近の不正統計にも現れていますし、何よりも消費増税10%は経済の好循環をアベノミクスで生み出せるという前提に立つものですが、統計不正もそうですが増税時に個人消費が大きく落ち込まないために様々なからくりを行っている。株価は日銀の金融政策というカンフル剤と年金積立金にまで手を伸ばしている。
円安誘導では輸入品の値上げという悪性の物価高を作り出したが、景気の好循環でのインフレ傾向は起きずに2%目標は無理になっている。
以上のような状態は景気循環の中での好景気ではなくて株価においてなどの冷たいバブルでしかない。
リセッション(景気後退)は取り越し苦労だろうか?しかも冷たいバブルという仮想の好景気の中で。
日銀は金融緩和の副作用(銀行の利潤低下など)に注意を向けながらも金融緩和を続けるという。しかし国債の買い入れは減少しているし利下げも限界でしょう。
ブルムバーグの記事にFOMCに待ち構える不都合な現実、対策は次の景気後退に間に合うかという記事がありましたが、アメリカ盛り上げを行ってきたが最近は息切れしています。景気自体は好調のようですが。
しかし日本はどうか?
「欧州中央銀行(ECB)や日本銀行に比べ、利下げの余地があるという点で将来の景気低迷への備えがある方」(引用)と分析をしています。アメリカも危ないのではないかと分析をされる中、日本の実態はどうでしょうか?
仮想の好景気、冷たいバブルもリセッションは起きる。その引き金が悪性の物価高と消費増税10%となるでしょう。
それが株価に連動しないとも限らない。
安倍政権は消費増税10%を行わなければアベノミクスの失敗を認めることになる。そのために様々な手当てをしながら強行をするしかない。すると経済全体を後退することにもなる。
野党は安倍政権を批判して追い込みますが、同時に安倍政権は自壊をしていく。もちろん国民生活を壊しながら。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
2月8日に「隔離(2)」というのを書きましたが、その続きのようなものです。
クルーズ船での隔離の過酷さが見えてきました。船内で健康の方が罹病するのを待っているようにも見えてします。一方では表現は悪いですが穴のあいたはバケツをふさぎきれていない。(ツイッターより)
神奈川県では中国への渡航歴のない80代女性が死亡した。
東京都では70歳代のタクシー運転手が罹病した。
和歌山県では50代男性医師が罹病をし、さらに同僚男性医師3人が疑いがある。
これまで書いてきたようにクルーズ船では、部屋での隔離はあるものの船内自体が一つの密室ですから次々に罹病する人が出ている。
まさに日本の実態は穴の開いたバケツに近づいているのかもしれない。
海外からは日本の対応は場当たり的だという非難も出ているようですが、隔離するにもちぐはぐさが見えるのかもしれない。この点でも国際的に穴の開いたバケツになりつつあるのではないか。
クルーズ船の乗客の内高齢者や持病のある方を下船させる動きが出てきましたが、少し遅すぎたのではないかと思います。
船内での罹病者数の増加は、たとえ院生で今後下船して自宅に帰れるようになってもやはり生活のしにくさが残り所うきゃの方は苦しむのかもしれない。日本社会では政治もマスコミもこれを風評被害だで片付けるでしょう。しかし実態は穴の開いたバケツである心配は常に起きるでしょう。これは仕方ないと思います。乗客の方の人権を守る手厚い診療や社会的な生活の場での保障が必要になるでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
池袋路上で母子二人が亡くなった事故はまだ記憶に新しいが、あれから1年10カ月が過ぎたのですね。
裁判は第5回の法廷が開かれたそうです。
被告は車が原因だったとの主張を崩さず裁判は長引くかもしれません。
この事故が起きるころ、ニュースでは毎日のように高齢者の事故が報道されていました。ですからまた高齢者化と僕も思いましたが、同時に車の車種を見てまたあの車かとも思いました。もちろん原因は裁判の中で今後明らかになされるのですが。
Jcastニュースによりますと、今回の第5回公判後棒ちゅにん傍聴人も退席するときに1人の女性が
「『人殺し』という言葉が、2回出ました」(引用)と過激な言葉を発したそうです。
これは非国民に対する値する過激な言葉でしょう。
この女性は原告とは面識もない人だったようです。
これにより被害者のご家族も衝撃を受けて立てなくなる状態だったそうです。被告人がどのような反応を示したかは記事にはありませんがやはり大きな衝撃を受けたでしょう。
この女性の心無い言葉が被告人だけではなくて原告人のご家族をも傷つけてしまったのだと思います。
この女性がなぜこのような言動を行ったのかはわかりませんが、僕の推測では、裁判を傍聴しているうちに亡くなった母子の事を思い描き感情的になったのかと思うと同時に、ある正義感からの抗議(被告人など)かもしれないと思います。
ある悪を決めつけてしまいこの悪については抗議をする。その抗議は悪に対してのものだとゆがんだ正義感から億位ある過激な言葉も発する。
どちらにしてもお僕の推測ですからわからないのですが、だいぶ前から日本社会はヘイトをはじめゆがんだ抗議が増えてしまいました。国際社会を見てもアメリカのイラク空爆では大量破壊兵器という悪が作り出されてその空爆が正義の戦争とされました。こういった悪に対する正義の行動がまた悪を許すという負の連鎖が続きます。
「人殺し」という言葉もつい口に出てしまう人々が増加しているのではないでしょうか。
僕は喫煙者ですからツイッターでもいろいろな嫌煙家の方とお話をしますがだいぶ過激な言葉を飛ばされます。喫煙は悪であるからどんな言葉を投げかけてもそれは正義だと思ってしまうのでしょう。
こういったものが社会の様々なところで現れ、今朝のニュースでは、母子で外食をして店を出たら見知らぬ男性に公衆の面前で外食をとがめられたそうです。この場合その母子は何も悪いことはしていないのですが、とがめた男は今はやりの〇〇警察のようなものです。
自分の正義感がどのような言動でも許されそれが社会をよくすると勘違いをしてしまいいろいろな人を傷つけていく。
昔から日本人は自己主張が下手だと言われてきましたが、現在は自己主張も考え始めてそれは良いことだと思っています。しかしゆがんだ正義感から人を傷つけることで抗議をするというゆがんだ自己主張も増えてしまったことは怖いと思います。

【2022年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
魔空間。。。。
今日は数日間見て見ぬふりをしていた換気扇の掃除をしました。
ガスレンジを使うたびに見上げてたれる茶色の油を横目に毎日そろそろだなとみるのですがいざとなると手が出ない。換気扇のフィルターをとるとそこはまさに魔空間。
まぁ、換気扇ぐらいなら30分もあれば掃除はできるのですが、納戸や押入れの中を考えると。。。。。
「人ごとのふりをした期間が長すぎたため、はっと気がつくたびに決意が雲散霧消している。」
川上さんも信念を前にしてこの魔空間に手を伸ばしてしまった。。。。
来年は「人ごとのふりをしない」と心に決めて晩酌を楽しむ。
僕の性格は「やらねば・・・・やらねば・・・・」と案外大切なことでも先延ばしにしてしまい、時々思い出しては気が沈む。こう書いているうちにも厄介な魔空間が目に浮かぶ。

【2023年】ツイッターつぶやき
横断法に渡ろうとしている人がいたので車を止めた。
こうしたことはよくありますよね。特に左折時にはよくあることです。
この時、その歩行者がやさしさのために歩くのをやめて車に対していってもいいよというジェスチャーをした。
この時どうしますか?
その時やさしさに甘えて車を走らせた。
そこにたまたま警察官いてその様子を見て歩行者保護義務違反で切符を切られる。
実際こういうことがあったそうです。
僕も歩いているときに横断歩道を渡ろうとしたとき車くるとき立ち止まって車を通すことがあります。これはタイミングの問題です。優しさとかいうことではなく、車を先に行かせた方がスムーズに渡れると思うからです。
歩行者優先も車の走行を邪魔をして急ブレーキを踏ませるようなことが一般化したならこの社会大変なことになりますね。

【2024年】ツイッターつぶやき
真冬の頃、セブンイレブンでフレンチクルーラードーナツを買ったのですが、記事が柔らく、ココアかな?のクリームがたくさん挟んであってうまいので癖になってしまった。しかし春になりクリームがイチゴ味になりがっかり。
そういえば夏にはファミリーマートのアイスキャンデーにはまってしまいずっと食っていた。
テレビ番組でも時々コンビニスーツをやっていますが、クリームなどは本格的だとか。とは言っても値段から知れその値段に沿った原料なのでしょうが。もちろん大量生産をしているので安くはなるかな。
でも、製造元を見ると地方の菓子屋さんだったりもして、そのお菓子屋もコンビニスーツとして売ってもらえば助かるのでしょうね。
イチゴクリームのフレンチクルーラードーナツは夏になると何味になるのか。。。。。
高いケーキなどはめったに食ったことがない。
コメント
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「2月12日という日」

2025年02月12日 07時50分28秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
トランプさんが輸入品に対して関税を高くするという。
アメリカ第1強いアメリカを言いますが、自らがアメリカ経済と政治が弱くなっていることからの自覚があるからこその言葉でしょう。
同時にトランプさんは民主党政治を否定し、政治的誤りを正常化させようとしている。
トランプさん流のアメリカ再建ですが、どうも同盟国をも切り捨てることもいとわない面が出てくるのでしょう。日本は必至にトランプさんにしがみつく。
ウクライナ問題はロシアに譲歩するようになっている。経済は中国の力を抑える中に活路を見出す。
政治も力ですが、経済は経済法則の中にある。この経済法則をぶち壊し、アメリカの経済を立て直すことはできないでしょう。先進国も金融経済の中にどっぷりと浸かって、金融という神殿に国民生活を犠牲にしながら金をつぎ込んでいる。

≪過去の記事≫

【2004年】
駅前の商店街の道を右側通行でものすごい勢いで走ってくる自転車が来た。と思ったら、僕の前に歩いていらおじいさんの腕に何かがぶつかった。おじいさんはだいぶ痛そうである。通り過ぎる自転車を振り向いてみたら、お母さんが子供を後ろに乗せて走っていたらしく、その子は眠って横に頭をはみ出していたらしい。
その子供にとってはぶつかったのがおじいさんでよかった。おじいさんも自転車のハンドルでなくよかった。。。。。ということかぁ・・・・
風邪で1週間以上休んでいる同僚が何人か出ています。
酢水でうがいをしています。。。。。

『こうばしい日々」
新潮文庫
江國 香織  著

この前、江國さんの「スイカの匂い」を読みましたが、この作品で少女たちが描かれていました。ここに描かれている少女たちがどこまで絵國さん自身の経験が入っているのか興味を持ちましたし、江國さん自身の経験ではないとしても江國さんの描く少女に江國さんの内面が入っていると思います。
もう少し江國さんの子供を題材とした作品を読みたくて「こうばしい日々」も買いました。
文庫版の「こうばしい日々」は、「こうばしい日々」「綿菓子」の二つの作品が載せられています。
この二つの作品は、少年と少女が描かれています。どちらも年齢的には12歳前後です。「スイカの匂い」が7歳前後の少女ですから、「スイカの匂い」よりももっと精神面で大人になっていく過程を見ることができます。幼い頃は、家族や友だちその他、外界から受け刺激をただ受け入れたりぶつけられたりしながら、それを受身としてしか対応できない部分があります。それはただ保護された中にしか生きられないというような条件だけではなく、精神面においてもです。しかし12才ころの思春期(反抗期)になると、外界を見る目が育ち、精神面においても自我も発達します。この自我において不合理な外界(大人社会)を批判します。
12才頃の思春期の少年を描いた作品に、湯本香樹実さんの「夏の庭」がありますが、こちらは人の死を見つめることによって幼い子供から大人へ一歩近づくという作品ですが、絵國さんの「こうばしい日々」は、絵國作品らしく恋を通じて大人にどう一歩近づいたかを描いています。ここに作家の視線がどこにあるのかがわかりますが、違いだけではなく、江國さんと湯本さんが描く少年たちは、人の死とか、日米の文化の違いやそれの受け入れ方というような感情の外にあるものに接しながら大人に近づくと描かれている中に同じものを感じます。ここに女性作家から見た少年とその少年が大人になった男への視点(少年らしい男などという言葉をよく聞きます)が現されていておもしろいと思います。「こうばしい日々」の少年は、このような外界に反発をしながら成長しますが、そこには恋もあり、恋自体も「綿菓子」の少女との違いを表しています。
少年も少女も家庭や学校友だちなどの外界に接しながら成長をするのですが、「こうばしい日々」の少年は、家族の中に母親のアメリカかぶれを見たり、姉の友だちの男に日本かぶれを見る。そして姉自体には日本文化の誇張と実際には最もアメリカ人らしいボーイフレンドの中に矛盾を見る。恋という面では、一人寂しく暮らしているおいた女性を心配する。その女性に恋人がいることを知り安心する。この中に男としての思いやりのようなものが見える。クラスメートの少女との恋には、父親の「そういうことは理屈じゃない」と聞かされ、喧嘩をしたガールフレンドに何も言わずにキスをする。
老いた女性への思いやり、ガールフレンドとのかかわり、これを通して一回り大人に近づき、どこと無く自信を持ったように見えてくる。母親や姉への反発は変わらないものの、以前とは違う接し方も出てくる暗示があり作品は終わる。
「綿菓子」の少女は、家庭というものに女を見る。おばあちゃんとその友人の仲、両親の夫婦のあり方。12歳の少女の「結婚はしない。恋に生きる」という言葉に成熟さと驚きを感じる。少年に「恋に生きる」などと語らせる小説は皆無だろう。それだけこの少女の言葉に、思春期を迎えた少女と少年の違いを見せ付けられる。
元恋人の男を振って他の男と結婚をした姉に反発を覚えるが、その中に大人の行動の不可解さを見て反発もするが、姉の元恋人にキスをされ、コーヒーを口移しに飲まされたときに、「たとえおねえちゃんの身代わりでもいい」と女となる。
少女はこれからはちゃんと勉強もしようなどと成長をする。やはり、おばあちゃんや母親の生き方を理解していくと思われる中に作品は終わる。
ここで思春期の男女の違いを強調するつもりは無い。しかし江國さんが描く二つの作品の中にそれを感じ取れるし絵國さんの作品の素晴らしさを知ることができる。
銀色夏生さんの「黄昏国」の中に詩「春の小川で」(17頁)に
「糸をえり分ける作業を終えた私が
 種をちょうどのところへならべる作業のあなたと
 休けい時間
 ・・・・(以下略)」
とありますが、これを恋人どおしの性格の違いぐらいに見ていたのですが、今回江國さんの「こうばしい日々」を読み終わり、男と女の違いと見るべきかと思いました。こう見ると、また、この詩の味わいが違ってきました。
「糸をえり分ける作業」「種をちょうどのところへならべる作業」この言葉のうまさを見ることができました。
いろいろな作家、作品を読むと、いろいろと思いが広がって生きます。楽しいです。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
南房総に行ってきました。
朝起きたら東京はすごい寒さ。。。
一足早い春をと思ったのですが、これでは房総半島も寒いかもしれないと不安の中でかけました。東京は寒くても千倉のほうは暖かでした。やはり黒潮の流れる地方はちがう!
でも、昼少し過ぎに館山のほうへ入ったら、急に寒くなり雪もちらつきました。千倉方面から低い山を越えただけでもこれほどちがうのか?気候というのは面白いものです。
今、ぶじゅさんちにお邪魔したらチョコの話題が。。。
「スイスのへフティのチョコレート」たまにはこういうチョコをもらいたい。。。
チョコレートはカロリーが高く太るとかあまり良いイメージがありませんが、カカオは体に良いと聞いたことがある。ココアもカカオだっけ?ココアも体に良いと妻は特性ジュースに入れている。たまにはチョコも一つぐらいつまむのもいいのかもしれない。
恥ずかしながら生チョコというものを知ったのは最近で、はじめて食ったときは感動をした。甘さが少なめでほろにがい苦さ。ううう。。。高級品を食いたい。

【2007年】
茨城県に家族4人で「どぶ汁」を食べに行ってきました。
去年の暮れに泊りがけでアン肝を食べに行きましたが、予算の関係で(笑)アンコウ鍋のどぶ汁を食べられなかったので今日行って来ました。今日は日帰り。。。。
去年も言った店なのですが、相変わらず込んでました。予約をしない飛込みでは休日は無理でしょう。
東京で鮟鱇鍋というとどういうものかな?そういえば食ったことがない。どぶ汁というのは北茨城独特の味付けで、味噌にアンコウの肝を溶かし込んだ風味豊かなスープです。一度食べたら癖になる味!!
しかし。。。。1人前3000円・・・ううう
アン肝も、どうしても食いたいという娘のために1人前。これも予算の関係で。。。ハハハ
アンコウは高価ですから鍋を食うにはアン肝を我慢し、アン肝を食うには鍋を我慢する。
昼は、贅沢をしたしおなかいっぱいなで、夕食は簡単に味噌ラーメンを作りました。
そういえば、昼も味噌味で夜も味噌味。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
今夜は茹で鶏を作りました。
鶏を少し塩を入れてくず野菜があれば入れて茹でるだけです。
簡単でおいしいです。って・・・・・これでは料理ではないですなぁ(笑)
メインは茹でた鶏にかけるソースです。
粒マスタード・マヨネーズ・すりゴマを混ぜます。粒マスタードとマヨネーズの酸味が強いので好みの量の蜂蜜を入れます。うまいですよ。。。
今日は面倒なので鶏を茹でましたが、鶏の胸肉を蒸して薄切りにすればおいしいと思います。豚のブロック肉をやはり同じように茹でてもおいしいと思います。
また、すりゴマを入れなければロースとビーフもいいかな。
おいしいステーキやさんの前菜に出てくるローストビーフはこのソースに近いです。

【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞11面に橋下大阪市長のインタビューがあった。
「社会保険では『人生一生使い切り型モデル』を考えています。ある程度資産ができた人は、老後の生活はまずそれでやってもらう。資産のある人には掛け捨て型の年金もありかなと。究極の所得再配分です。」
「人生一生使い切り型モデル」とはいってもこの言葉を読んで数千万数億以上の資産がある方はそうはビックリしないでしょう。またこれほどの資産があればもともと年金に頼るような気持ちもないでしょう。「人生一生使い切り型モデル」と言っても社会保障の問題ですから何も資産を残してはいけないということではないわけですから。
「人生一生使い切り型モデル」に該当するのは、中間層の公務員やサラリーマン層の高齢者でしょう。貯金や退職金を例えば年金をもらうまでに使い切ってから申請をしてくださいという事でしょう。その年齢は努力から解放される60歳からということでしょう。今の年金制度にしても段階的に60歳からの雇用が切れれば無年金化していきます。働く「努力」はしなくてもいいから60歳からは今まで溜めた試算で生活しなさいということにつながりかねないでしょう。まだ政府は60歳以後の再雇用制度を企業に義務化させるといっていましたが、橋本案はこれよりもひどいと言わざるを得ないでしょう。
まさに中間層は蓄えた資産を「人生一生使いっきりがた」となるわけです。
富裕層は何も老後は心配する必要もないし役員ともなれば定年などないわけです。何も痛みはない。まぁ、多少は掛け捨て型年金が強制される程度です。一方低所得者層も資産があまりないとなれば他の方法がとられるでしょう。橋本案は、この両方の階層からの支持を得るのではないかと思います。
結局は今行われようとしている中間層への負担増でしょう。
富裕層にはあまり影響も出ない中でのこの中間層への負担増が「究極の所得の再配分」でしょうか?

【2013年】ツイッターつぶやき
安倍総理が賃上げを財界に要請(お願い?)したらしい。これに対して財界は「業績が良ければ一時金や賞与に反映させる」と答えたらしい。
先日も書いたが、デフレからの脱却そして景気回復には企業に資金をばらまくだけではなくてその資金をどう回転させるかにあり、それには賃上げが不可欠なのである。安倍内閣はこの点では消極的だったように思うが、ここにきて賃上げにも言及するようになった。経済学関連の議論にも賃上げに言及したものも多い。今、春闘の時期ですから労働者側からの賃上げ(実際は定昇の実施ぐらいか?)の要求も出ており、何かしらの「結果」を残さざるを得ないようになっている。
アベノミクストいう政策は、ある意味ばらまきなのである。
量的緩和により資金を市場に流す。国家財政では国債の発行により公共事業などの需要をつくる。賃上げには1000億円の企業減税から。その他自動車関連税の減税など基本はばらまきなのである。その意味で賃上げを考えた場合、政府も財界も「業績があれば」という点で一致している。春闘も公務員や大手企業が中心である。公務員については賃下げですから民間中間層へのばらまきといってよいでしょう。政策的にはです。もちろん賃上げや賞与の増加は必要なことであり小手は実現させなければならない。しかし賃金も構造的な欠陥が言われているわけです。昔からの大企業と小零細企業の賃金格差や男女間差別、パート労働差別などあったわけですが、このような構造的な低賃金大家に加えて自民党は減圏法の改悪を行い正社員と派遣や季節労働の格差を広げた。低賃金の構造的な矛盾は広がってきたわけです。
こう見ると、中間層への賃上げも必要ですが、構造的な低賃金の改革に言及しないというのは賃上げのある層へのばらまきであり市場での消費拡大は限られたものとなることを意味しているのではないでしょうか。それは更なる格差の拡大です。
安倍内閣の政策があらゆるものでばらまき的であるという点で考えれば、アベノミクスとは経済政策という政策な対するものなのでしょうか?自民党そしてその後の民主党が行ったばらまきと同じ構図で政策が繰り返され、ばらまきの中では国民生活の向上はできなく逆に財政を圧迫して消費増税でした。構造的なものが欠ける政策では同じことが繰り返される酔うのもいます。構造改革などといえばいいことばかりのようですが、その中にはもちろん労働者に不利になるもの(たとえば解雇規制の緩和とか)がたくさんあると思いますが、労働者の立場に立った構造改革は対案としては持たねばならないでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
朝日新聞の記事に「就学援助の小中学生、過去最高15.64% 文科省調査」という記事があった。
やはり中間層の減少という中での社会矛盾でしょう。
「要保護15万2947人(全体の1・54%)、準要保護139万9076人(同14・10%)。割合はいずれも前年度より0・03ポイント増えていた。」(上記リンクページより引用)
生活保護プラスそれに準じた生活が苦しいとされる準用保護を必要とされる世帯の増加ということはやはり中間層の減少傾向が続いているということでしょう。
この中間層の減少については厚生労働省の「貧困・格差の現状と分厚い中間層の復活に向けた課題」という分析も出ている。
政府やマスコミの中には株価の値上がりや一部輸出産業の好調さそして百貨店などでの高級品の売り上げの伸びを見て景気が回復していると分析をしている。しかし一方では100万円の年収でも仕方ないといった論調も出てアベノミクスは貧困や格差の是正に目を向けた政策を目指しているとは言いがたい。
親の貧困化、中間層からの脱落は子供の貧困となりそれはもちろん少子化を拡大していくでしょう。子供の貧困や少子化は次の世代の労働者を再生産することを困難にする。同時に年収100万円世帯は65歳までの無年金化により年金生活に頼らざるを得ないが頼ることもできない高齢者を生んでいる。その高齢者はもちろん高齢化社会の中で増加をしていく。
若い現役世代も中間層から脱落し、高齢者の無年金化は進む。
11日にアメリカのFRB新議長が下院金融委員会で証言して『イエレン議長は、長期失業が「異例の高水準」となっていることや、パートタイム職にしか就けない労働者の割合が「極めて大きい」状態とし、FRBが注視していく必要があるとの考えを示した。』と述べたという。
この言葉は重要な意味を持つでしょう。労働者の貧困化は失業だけではなくて「パートタイム職にしか就けない労働者の割合が「極めて大きい」状態」に経済の先行きに懸念を示している。やはり先に書いた日本で言えば「準用保護を必要とされる世帯」を問題としており、その貧困と格差を述べているのではないかと思う。そしてその改善がなければ経済の足を引っ張ることにつながるということでしょう。日本の株価の値上がりや一部輸出産業の好調さそして百貨店などでの高級品の売り上げの伸びを見て景気が回復していると分析というのは皮相的な経済の見方でしかないということです。もちろんアメリカの一時的な経済の好転も同じ分析でしかなかったのではないか。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
以下、今日のツイッターからです。

商品価格の下落や原油価格の下落は、生産性が高まる中での法則的なものです。商品はその製造において人間の労働力を少なくすれば価値低下が起きます。エネルギー消費を少なくすれば原油価格が下落します。この中で今、商品や原油の過剰生産という現象が現れている。
しかしこの過剰生産は相対的な過剰生産で絶対的な過剰生産ではない。人々はもっと商品もエネルギーも必要としているのだから絶対的な過剰ではない。人々の懐にあるべき貨幣量が減少している中で商品もエネルギーも消費できなくなっているのである。だから相対的な過剰生産なのである。
商品やエネルギーの価格低下は人々を豊かにする条件です。しかしこの価格低下を良しとしない人々がいる。利潤率の下がる中で企業や株主破損をすると。利潤率の低下を阻止するために日本においては賃下げという誤った生産性向上が行われた。そして低賃金労働力を求めて途上国に資本輸出
この中で国内労働者は疲弊をして結婚もためらい子供を産むのでさえ躊躇し始めて少子化という労働力の再生産の困難さにおかれるようになる。商品価格は下がるのが法則だがこれに反して物価を上げることが重要視される。ここから賃金の相対的な低下が起こり、労働力の再生産を困難にする
ここで奇妙な現象にお気づきになるでしょう。一方においては過剰生産が起こり、一方においてはほしい商品も変えずに労働力の再生産すらできない人々が増加をする。この奇妙な現象が拡大するとデフレマインドは大きくなり、経済はゼロ成長どころかマイナス成長となるのです。
物質的豊かさが多くの人々の貧困を生みだすという現在社会の矛盾が拡大していきます。しかしそれがまた豊かな生活をする人々を怯えさせるでしょう。豊かな人々は生き残りの競争の中でだんだんと淘汰されていきます。巨大企業もより少ない数に淘汰されていくでしょう。それがまた貧困を

【2017年】ツイッターつぶやき
朝日新聞4面に「日米共同声明」(前文)が載せられ、7面には日米共同会見が載せられていた。
日米共同宣言には、安保条約だ5条は尖閣しょとにも及ぶと明記された。しかし共同会見では、トランプ大統領は第5条への言及では尖閣諸島の名は出していない。
一部報道では、トランプ大統領の年内来日で調整するとの報道もあった。
また、共同会見では、産経新聞の質問に答えてトランプ大統領は、
「私は昨日、中国の国家主席と素晴らしい(電話会談での)会話をしました。私たちは仲良くなろうとしているところだと思います。日本にとっても、それはとても利益になるでしょう。私たちは話し合った内容について取り組みを進めます。 (上記7面より引用)
と答えています。
今後アメリカが尖閣諸島について明確にするかは今のところ玉虫色とみたほうが良いでしょう。

以下、ツイッターからの転載です。

うまく商売で儲けようとする方法に、まず高く値札をつけて、これじゃ高くて買えないよというと、さっと値引きをして売りつける。日米同盟での日本の負担もアメリカが大幅な負担増を求めなかったのは成果だと言えるか?地位強敵地位協定も含めて高い用心棒代の現状維持を日本は再確認したようなもの。
そしてトランプさんは日本国民に深く感謝をするというわけです。駐留費負担だけではなく、二国間協定やインフラ整備や日本企業での雇用やら、すべて含めて安倍政権が行うことを支持してくれる日本国民に感謝する。
安倍総理には不自然なおもてなしを行って満面の笑い顔をつくる。しかしその笑いは日本が良い商売相手だからだけではなく、アメリカはこれから日本からの『援助』をうけることとなる。この現状にアメリカは真から誇りは持てない。
商人政治は成功するが、中国とも仲良くしなければならない。商人と経済学は違うものである。中国からも援助は受けるでしょう。そして商売相手として馬が合うと。日本は本気で2位3位の経済大国として商売でない政治的経済的つながりを持たないとだめでしょう。安倍政権では無理ですが
これからアメリカでは日本からの援助で30万人(でしたっけ?)の雇用を生み出すとされています。日本はそのアメリカ第一主義を国の方針ともします。日本は多額の援助の引き換えに日米同盟の再確認を得たと見えます。この中でトランプさんに感謝された日本国民の状態はどうでしょうか
これまでの国政面での不祥事やスキャンダルそして今国会での大臣の資質や国会運営の形骸化の問題が出ています。数の力という決められる政治の歪曲としての民主主義の形骸化です。企業のブラックが噴き出て不安定雇用は増大しています。そのうえ時間外規制が取り除かれ過労死法となるか
女性の活躍はとん挫した状態ですし、子育て支援は金銭面だけの議論で、時間外規制が撤廃されればさらに子育ては難しくなります。年金支給額は減らされる傾向を示します。支給年齢の繰り上げが討議されようとしています。年金積立金は金融商品へ。生活保護はますます厳しくなるでしょう
経済の好転はいつまでたっても「道半ば」であり「好転の兆し」で終わっています。この道半ばの過程で先のツイートに現れている国民生活の困窮は続きます。円安誘導による悪性の物価高が国民を苦しませます。
公助から自助へ。。。。国民は国家のために、しかし生活は自分たちで。
こうしてみると、トランプさんから褒められた日本人は喜んでその言葉を拝聴するでしょうか?もちろん今の与党や一部マスコミや知識人は誇りとするでしょう。ODAとして日本より苦しい国々に対してその国の国民に直結する援助は日本人の誇りでもありますが。今は援助も国益(軍事)へ

【2018年】ツイッターつぶやき
以下、ツイッターから
現在国会で審議されている「働き方改革」や「同一労働同一賃金」は誰のためのものだろうか。もちろん政府は労働者のためにもなるとは言っているが。しかし政府は同時に生産性の向上を言っているわけで、これと働き方改革や同一労働同一賃金は密接に結び付くだろう。
より労働者のためになるのか、より企業利益のための生産性向上のためになるか。ここをしっかり見ないと今後の経済の成長に重大な影響が出る。アベノミクスは企業利益のためだった。その延長線上のための改革であることから労働者の利益は薄くなり失うものが大きいだろうと想像される。
労働者のためか企業のためか。これを見るにはまず現在の労基法をみなければならないでしょう。厚生労働省は「一日の残業時間は労働基準法ではどれぐらいですか。」の問いに労資間での36協定の締結そして「時間外労働の限度に対する基準」を答えとする
時間外労働の上限は月43時間、年360時間となっている。ただし特例のようなものでは確かに青天井となっている面がある。現在政府はこの青天井をなくすために法改正をすると言っており、マスコミでも青天井をなくすことに対して評価をしている部分がある。
しかし労基法ではそもそも時間外に労働をさせてはならないというのが原則で、しかし特例として36協定の締結があれば残業ができることになっている。ですから残業時間は労使でなるべく少なくなるように協議をする必要性があります。この趣旨から見れば青天井が存在すること自体が労基法に沿わない。
労基法の趣旨に添わずに青天井の時間外労働を放置してきたのは政府の責任でしょう。そのためにkarousiが国際用語にもなってしまった。その責任の反省もなく青天井を是正して労働者のためにという時間外労働の数字が、月100h未満、年720hというものです。
この数字については「過労死法案だ」という声も出ています。この数字は「臨時的な特別な事情がある場合」となっていますが、その事情はだれが決めるのでしょうか?労働者から来月出費が多いから今月は100時間やらせてくれは通らないでしょう。企業の事情からです。
企業側の事情とすれば、特に現在労働人口が減少していますし雇用労働者数は最小限にして残業で補うのが普通になっています。この中で常に「臨時的な特別な事情がある場合」が作り出されます。企業はこの上限の数字を当たり前のものとして本来の労基法の趣旨を忘れるでしょうし、何よりも国のお墨付きが
こういう状態では政府がこれまで行ってきた子育て支援や輝く女性とかと言ったものは労働条件からして無理になるでしょう。子育て支援は労働時間の短縮が不可欠です。今月は忙しいから100時間時間外をやれと言われることが当たり前になれば子育ても困難になる。特に女性の場合は。
以上のように働き方改革はけして労働者のためにはならずに、労働力を効率的に扱う企業の生産性のためだという事がわかります。
また近いうちに「同一労働同一賃金」について書きたいと思います。これも労働者のためのものではないです。

【2019年】ツイッターつぶやき
今年秋から幼児教育無償化がはじまるという。
無償化や支援は確かに家庭の負担を軽くしますから支持します。しかし一番費用も手のかかる0歳児から2歳児の状態を見るとそうは子育て支援とはならないのではないか。
保守層は子育ては家庭でというのは基本です。幼稚園は教育の場として無償化に問題とはなりませんし、保育園も差別化できませんから無償化をする。しかし0歳児から2歳児については無償化に冷たいところが出ています。
認可保育園の0歳児から2歳児の無償化は住民税非課税世帯(年収250万円)は無償化され、無認可保育園では4.2万円までの支援しかありません。
もちろん住民税非課税世帯への手厚さは評価できますが、非課税以上の低賃金層はどうなるでしょうか?
以前から生活が苦しいから妻が仕事に出かけたのはいいが、そのパート賃金がすべて保育料金に消えてしまうという実態がありました。
このような今回の幼児教育無償化の恩恵が及ばなせたい、それは子供を保育園に入れて共働きをせざるを得ない世帯に恩恵が薄いということです。
ここにも手厚い無償化や支援を行わなければ少子化社会への対策にはならないでしょう。
0歳児から2歳児までは認可保育園に入れるにも難しく、無認可を探すことになります。保育園の受け入れ態勢が間に合わないでしょう。また無償化になれば保育園不足がさらに加速するかもしれません。待機児童問題が大きくなるでしょう。ここからも少子化対策の効果への危惧が出ます。
そしてこの無償化も今年10月の消費増税で家庭の負担増として幼児教育無償化もチャラになってしまうでしょう。経済面からしても子育て支援とは言えなくなります。

【2020年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記「倒れ伏す。」が更新されました。
諸行無常。。。。。。
形あるものはいつかは無くなる。
たしかにパソコンも5年から10年で壊れてしまいますね。
冷蔵庫もテレビも何もかも。。。。。
まぁ、壊れていくというのは時間の中で変化していくということですから、それが諸行無常なのでしょう。諸行無常がなければ壊れるとかという前に生まれてこない。無よりも諸行無常が楽しい。
しかし、人間というものは生まれてから80年以上も諸行無常を経験できるのですからすごいですなぁ。ずっと無事に心臓は動いて諸行無常の時間の流れに鼓動する。しかもその諸行無常の中に成長して発展していくというのがすごいですなぁ。
壊れてなくなっていくパソコンがそこにあるが、新しいパソコンのセッティングに倒れ伏しても人間は復活をする。
人間社会も同じように。。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
ロイターによると、銀行の預金高が10%程度増加をしているという。
国民一人に10万円を支給したが、これもあるだろうし中間層は娯楽等で金を使えなくなっているためもありそうです。さらに富裕層の金が預金に回る。
一方ではこれまでも貯金ゼロ世帯の増加が言われていましたが、さらにコロナ禍で非正規労働者の解雇が進み、
「総務省の労働力調査によると、非正規雇用者の人数は、2020年3月から直近データの11月まで連続して前年比マイナスを記録。11月の減少幅を見ると、男性の25万人に対し、女性は37万人となり、雇用の現場で女性の解雇が多くなっていることを示している」(上記リンクロイター)
と。
そして女性の自殺が増加しているそうです。
森オリンピック委員会会長の女性蔑視問題が大きく取り上げられていますが、そうした女性蔑視は経済面でも昔から女性の賃金の格差が放置されている中に見えました。さらにコロナ禍で失業というものが放置されている。
GO Toでは企業の救済が行われましたが、その恩恵は労働者特に非正規雇用者そしてさらに女性労働者には何の恩恵もないことが明らかになっています。

【2022年】ツイッターつぶやき
気持ちよく晴れた一日でした。
午後から少し歩こうかと思いふらふらと出かけました。
せっかくですから車の少ない裏道をと思いいつもは通らないような道を歩きました。
久しぶりに歩いてみると普通の民家のようなところが小さなお店になっていました。
40分ほど歩いただけで2軒。
パンとケーキのお店、焼き芋とフルーツサンドのお店。
少し前には我が家の近くに中華屋さんが。
家を改造してお店にしたのでしょうか?
コロナですからお店を出すのも大変だと思うのですが、こじんまりとした店ならば案外人が来るのかもしれませんね。
でも、商売は甘くないでしょうからこれから大変でしょう。
我家の近くの中華屋さんは開店休業状態です

【2023年】ツイッターつぶやき
朝から晴れて風もなく暖かな日でした。
家族で焼肉。。。。。。
安くてボリュームがありしかも和牛です。
いつもなら車で10分ほどなのですが、車は息子が借りていったので歩いていきました。
往復8000歩でした。ダウンのジャンパーを着ていたら暑くて汗が出てきました。
帰り道酒の安売り店があったので買おうかと思いましたが車じゃないと持って帰るのも大変ですの諦めました。
高齢化になり車に乗れなくなったら、焼き肉を食うにも8000歩かなければならない。帰りに安売りの酒も買えない。夏の暑い時期では焼き肉を食いに行くには厳しいですなぁ。
でも、車がなくて毎日歩いて用事を済ませていたらだいぶ歩きますから健康のためにはよいのかな。。。。。
まるで初夏のような陽気の中、帰ってきたらうっすらと汗をかいていました。

【2024年】ツイッターつぶやき
日本は少子化が言われそのために人口減が起きている。
このまま今のペースで人口減が続けば日本人は消滅するという考えが出てもいます。
もちろん少子化が進む中で人口減が起きているのですが、今の時代は、それに加えて団塊の世代が後期高齢者になっているわけですから生まれる子供より死ぬ高齢やが上回るのですから人口減は急激になるでしょう。
この人口の急激な現象は、第二次世界大戦の影響でしょう。
戦争で多くの働き盛りの男が死んでいった。兵隊だけではなく市民の男女も死んでいった。原爆を落とされるまで多くの人たちが死ぬことを覚悟させられた。戦後は産めよ増やせよとなる矛盾を引き起こした。
今の人口問題は戦争による矛盾でしょう。
団塊ジュニアはそうは団塊の世代の様に増加はしなかった。むしろ70年以降は少子化を促す社会になっていたように思う。バブル崩壊やリーマンショックは働く環境を大きく崩した。そして失われた10年、20年、30年ですからね。一方では子育てに金がかかるようにもなった。昔中卒が珍しくなった時代と同じようにこれからは高卒が珍しくなるかもしれない。子育て支援も国民同士の共助では間に合わないでしょう。
コメント
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「2月11日という日」

2025年02月11日 07時48分55秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
日が沈んで月が出ていました。満月かなと思いましたが、満月にしては出方が違う。といっても満月の出方を詳しく知っているわけではないのですが、満月は早い時間から大きなオレンジ色の月が昇るイメージです。明日あたりが満月でしょうか?春一番の満月♪
春一番といえば、明日は東京でも強い南風が吹くようで春一番になるでしょう。
東京の自然は少な二ので、なかなか春の兆しも見えませんが、椿の堅いつぼみが少しおインク色になってきました。
そう、そう、春といえば花粉症ですが、明日春一番が吹けば花粉症もきつくなりそうです。
梅に始まり桜で終わる。。。。。。

≪過去の記事≫

【2004年】
梅咲きて
  桜散るまで
      花粉症
娘を除き、一家そろって花粉症です。ティッシュペーパーの使用量がうなぎのぼりです。
天気予報では、今週中にも春一番が吹きそうですね。

【2005年】
梅干を買いに南房総まで行ってきました。
朝寝坊をしてしまい、出かけるのが遅くなり、君津あたりまで来たらもうお昼でした。そこで思い出したのが、君津から鴨川に抜ける有料道路にある食堂。山の上のダムのそばにある食堂なのですが、なぜか魚が美味いのです。
行ってみました。。。。。刺身定食美味かったです。
季節の房総の地魚を出してくれるので、行くたびに季節によって違う魚が楽しめます。
食堂をあとにして鴨川に抜けました。そして目当ての梅干購入。この味、この味。。。。。さっき少しかじりました。
鴨川の海に天使の梯子。。。。
きれいでした。

【2006年】
スポーツジムの帰り、まん丸な月がきれいでした。凍てつくような冬の月ではなくて気持ちのせいか春の月と優しく感じました。
昼間は暖かでした。
この前、小川よう子さんの「博士の愛した数式」の文庫版を読みましたが、その解説を数学者の藤原正彦さんが書いていました。どこかでお聞きしたお名前だと思っていたら、今売れている「国家の品格」の著者でした。いろいろと本をだしていらっしゃるようです。どのようなことを書いているのかと興味をおぼえ買って来ました。そのうちに読みたいと思います。

【2007年】
気の、昨日、人類も急激に新化進化と書きましたが、100年前に比べれば平均身長も20センチぐらい伸びたのではないかな?食生活の変化からかもしれないが、100年という時間は人類の歴史から見たらほんの一瞬の時間がから急激な新化と言える。この人間の歴史もせいぜい数十万年というから、生命が生まれてからのの歴史から見れば、この数十万年と言う時間も一瞬のように感じる。一瞬に一つの種の変化は起きるんだなぁ。。。。
その意味では生命というのは微妙なバランスの上に立っており、一瞬にして進化もすれば、一瞬のうちにバランスが崩れれば消えてなくなるのだろう。
微妙なバランス。。。。
温暖化の問題も微妙なバランスの崩れだろうが、これもまた一瞬に地球に作用したもの。人間が。。。
よく考えたら太陽と地球の関係もすごく微妙なバランスの力の作用と距離感にあるんだろうなぁ。
この前テレビでやっていたけど、宇宙は泡のように沸き起こるようなものであるそうで、その泡の表面に銀河は乗っかるようにあるという。シャボン玉の表面に映る虹のような模様なのかもしれない。宇宙も微妙ですなぁ。。。。
日中は風もなく穏やかな一日でした。日向に出ると暖かで春を感じました。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
銀色夏生著「しげちゃん田んぼに立つ  (続々ばらとおむつ)」(角川文庫)が2月25日に発売予定です。
続々・・・そうです、「ばらとおむつ」の3巻巻目です。
はじめの「ばらとおむつ」(僕の感想)は、夏生さんの母「しげちゃん」が脳梗塞(脳溢血?)倒れてしまいその病状と入院そしてリハビリの様子を兄「せっせ」が「ばらとおむつ」と題したメール通信をご兄弟に配信したことからはじまります。
「せっせ」の独特なユーモアあふれる通信に笑ってしまうようなものもありますが、母「しげちゃん」とのやり取りやご兄弟の心配、もちろん夏生さんも「せっせ」と話をしながら「しげちゃん」の看病の手伝いを。そんな様子をつづった日記風の作品でした。
「続ばらとおむつ」は、「珊瑚の島で千鳥足」と題され、同題の「せっせ」の通信からはじまります。だいぶ回復をされた「しげちゃん」の様子を書かれ、そして夏生さんと「しげちゃん」、そして「せっせ」との家族関係も描かれていきます。
そして今回が三冊目です。
このシリーズは、「つれづれノート」のシリーズが一度中断された中に発表されますが、その意味では「つれづれノート」を補完している部分があると思います。しかしやはり「つれづれノート」とは違うものを感じるものがあります。
それは「せっせ」の通信から始まるという形にもあると思うのですが、「つれづれノート」が「銀色夏生家」を描いたものとすれば「ばらとおむつ」は「山元家(本名)」を描いているのかな?と。より山本家の家族の雰囲気が生き生きと描かれていると思います。それは「せっせ」のユニークな視点が多く現れているからでしょう。
せっせ丼。。。。。(笑)
残された古い家や農地との格闘(?)そしてしげちゃんの面倒をみながらの毎日。一生懸命だけど夏生さんの逆鱗に触れたり。。。。
しげちゃんとせっせの物語。。。。面白いです!!

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
経常収支、過去最少の黒字に 揺らぐ輸出立国 - 朝日新聞デジタル (http://www.asahi.com ) http://t.asahi.com/dxod アベノミクス・日銀量的緩和による輸出の拡大は為替による水増しの数字でしかない。輸入大国でもある日本ですからね。。。
(ツイッターより)
去年の暮れでしたっけ?経常収支の赤字が瞬間的ありました。今はどうなんでしょう。13年度の経常収支ではどうにか黒字化したようですがその黒字額は減っている。やはり原発事故とアベノミクスでしょうか。。。。原因は。
多国籍企業という言葉が生まれたのは相当前ですが、企業の海外への進出が現地生産という形で行われ、グローバル化の加速は日本企業の環境への規制などがゆるく安い賃金を求めたものとして進んだ。日本企業が海外で生産したものを日本が輸入などというのは普通になってきている。
海外の低賃金に日本の労働者も競争をさせられ低賃金化も進む。
日本企業もその技術面ではまだ競争力は高いのでしょうが、企業が国内での利益をこの技術力よりも低賃金化や雇用の不安定性という面での利益確保を「生産性」としてしまい逆に日本国内の生産性を下げているようなものが目に留まります。
政策面ではアベノミクスと日銀の量的緩和により、輸出産業の伸び以上に円安による輸入品の値上がりで輸入産業にゆがみが出て貿易赤字に。
政府は景気の回復を言いますが実態は回復には程遠い。
国民への増税に対して企業利益の確保に政策は重点を置く。
輸出産業の利益拡大と国内産業への利益確保そして法人税関連の減税で企業利益は確保されていくのですが、国民の生活をはじめとした日本経済全体は落ち込んでいく。企業利益は国民生活に反映されず、その意味において日本経済は企業利益から乖離していく。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
昨日書いた「玉虫色」の続きです。
しかし、不思議に思うことは、なぜ日本政府はここまでして日米安保、同盟関係の再確認を血眼になって行わなければならないのかということです。トランプさんの政策が見えないという点はあるのでしょうが、安倍総理はトランプさんが就任前にも訪米している。そこで何かしらの不安を?
前回訪米後安倍総理は民法にも出演をしてトランプ次期大統領はいい人と訪米の成果を強調していたが、このテレビ出演も異例と言われていた。
これから日本のマスコミは日米同盟の強化が確認されたとか、日本への要求あるいは批判はほとんどなかったといった記事を流すでしょう。
しかしそれが事実なのだろうか?これは玉虫色の表現としての成果を流すことになるのではないか?
首脳会談はほんのわずかな時間であとは二人でゴルフを楽しむらしい。
すでに日本側からは多額の中身の多いお土産を渡していることから、これを見てもゴルフはすべてOKパットなのである。
日米同盟については、アメリカ政府高官は
「米国は、尖閣諸島が日本の施政下にあり、日米安全保障条約第5条が適用されるとしてきた。これはトランプ政権の政策方針でもある。」 (朝日新聞2月11日朝刊2面より引用)
と発言したようだが、実際の首脳会談では、
「トランプ大統領は「われわれは日本の施政権下にあるすべての地域の安全に関与し」「安倍総理大臣は沖縄県の尖閣諸島が、アメリカによる防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用範囲である」 (NHKのサイトより引用)
と、微妙なすれ違いが出ている。
アメリカは大統領の独断で尖閣諸島は日本の施政下にあると断言でき、そのために軍事行動を起こすとはいえないのではないか?当然中国の反発は大きいでしょう。
中国とアメリカの電話会談が行われた。それは
安倍晋三首相が米国に到着したのとほぼ同時刻だった。事前に日本側には知らされておらず、日本政府関係者は「明らかにタイミングをぶつけられた。」 (同朝日新聞3面より引用)
この米中電話会談では、一つの中国が再確認され、互いに訪米・訪中を確認された。
当然直後に行われる日米会談にも言及されたとみるのは自然でしょう。
仮に5条が尖閣諸島にも及ぶという名言報道があるとすれば、それもまた玉虫色としてみたいと思う。
もう一つの安倍政権の心配は、トランプさんがアベノミクス・日銀量的緩和を通貨安競争だとしたことによる反論である。
報道ではアメリカから通貨政策についての言及はなかったとされ日米の摩擦にはならないという印象を受ける。しかし安倍総理から
為替に関して「専門家たる日米財務相間で緊密な議論を継続させていく」 (ロイターより引用)
というように今後安倍政権が今まで通り円安誘導を行えるかは玉虫色でしょう。
ゴルフはどちらが勝ったのでしょうか?
OKパットの接待を安倍総理は行っているのでしょうか?
明らかに日本側からのアメリカに対する『援助』は行われるでしょう。開発協力大綱との関係は?
トランプさんはそのお返しとも思えるおもてなしをするようです。「大統領からの贈り物だ」と、別荘などの滞在費をトランプさんがおごってくれるそうです。(産経ニュースより)
これを見ると安倍総理とトランプさんの蜜月が大きく報じられることでしょう。
しかし日本のメンツとしてはアメリカに対する『援助』で、それにこたえるアメリカのおもてなしが、安倍がゴルフをやりたいというから費用は出してやるよぐらいに。費用と言っても専用機で、別荘で、たぶんトランプさんが経営するゴルフ場で。。。。
蜜月もそうは大きく報道されるようなものではない可能性がある。
副総理と副大統領での話し合いの中身や、安倍総理帰国後のトランプさんの言動がどうなるのか。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
春支度というのか夏の支度。。。。。
夏の花の種まきをするために種まき用の土や肥料を買ってきました。
去年の秋に松葉ボタンとてれニアの種をとることができましたのでその種をまきたいと思います。花屋さんからは背の低い花のミックスの種を少し買ってきましたので一緒に巻きたいまきたいと思います。
松葉ボタンは今年で3年目です。たくさんの種をとることができますので毎年花が増えていきます。ただし花の色が5色あるのですが、強い赤ばかりが多くなってしまいました。
トレニアは去年まきすぎて無駄が多くなってしまいました。今年は5鉢ぐらいにしておこうかなと思います。でも、種が余ってしまう。どこかまきやすいところにバランまいてみようかと思います。
今年は山武差温度差がきつかったですが、今日は最高気温も10度をうわまわまり春らしい気候になっています。3月中旬から4月の頭に気温を見ながら種まきをします。
毎年同じことの繰り返しのようですが、相手は生きている植物。気を付けないとすぐに全滅してしまいます。でも、こうしてその年の気候に合わせて色々と工夫したり考えたりするのがまた楽しいですね。

【2019年】ツイッターつぶやき
ロイターによると、改憲について野党側から自衛隊を明記してもその任務や権限に変更はないという自民党の考えについて、変更がないなら改憲は必要ないという批判があるという。野党の主張は正しいでしょう。
そこで安倍総理は自衛隊の災害派遣の迅速さと「都道府県の6割以上が新規隊員募集への協力を拒否している悲しい実態がある。この状況を変えよう。違憲論争に終止符を打とう」(引用)と改憲は自衛隊募集のためという見解を示したという。
この点については、石破茂元防衛相は「憲法違反なので協力しないと言っている自治体を私は知らない」(引用)と。
国民の自衛隊への期待の一つに災害時の救援活動がある。しかし災害救援に武器はいらない。これまで多くの災害に見舞われた日本であるが国民は整然と復興に努めていて暴動一つなかった。自衛隊の一部を事故・災害復旧帯に改編してその任務に特化した組織にすべきです。世界中で災害が発生している中、この改変された自衛隊の任務は大きな国際貢献にもなるし、軍隊ではないので動きやすくなるでしょう。
自衛隊募集のための改憲と聞くと、改憲も薄っぺらなものだと感じるとともに、安倍政権が詭弁により改憲を行おうとしているのではないかという勘繰りも出てしまう。
保守の幼稚ささえ感じます。
保守は矛盾を抱えて数の力など力と詭弁の統治に向かうのではないか。
北方領土も「固有の領土」という言葉を総理も使えなくなったようですが、全面講和を拒否して2島返還にも反対をしてきたがここにきて2島返還をにおわせて内政では4島返還だと。
韓国に対しては賠償というものは拒否をしてきて賠償金も冬至の韓国の国家予算の2倍といわれる資金提供として行ってきた。そしてこの中で慰安婦や徴用工問題が。
国内では相変わらず搾取と収奪の強化による経済の競争が。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
今日は茨城県の笠間から栃木県益子方面に行ってきました。
どちらの市も関東では有名な焼き物の町です。
笠間焼を見たり益子焼を見たり。
笠間市には北大路魯山人の旧宅があります。残念ながら庭は工事中でした。建物はかやぶきの農家風でした。庭が工事中でなければ部屋からきれいな庭を眺められたと思いますが、北側には枯山水があり茶室がありました。贅沢さは見えない建物ですが、ここに住むこと自体が贅沢なのかもしれません。
笠間稲荷の門前ではアツアツの胡桃饅頭を食ったり、道の駅ではトチオトメ(栃木県のイチゴ)のスムージーを飲んだり、いつもながら立ち寄る場所ごとに何かしら食っていました。
昼飯は笠間で蕎麦と決めていました。
お蕎麦屋さんに行く途中道路わきのお店に「新そば粉入りました」という張り紙が(^^♪
目的の蕎麦屋さんは石臼で挽いたそば粉を使っているのでもしかしたら新そばを食えるかと期待していました。
僕はマイタケ天ぷらのせいろ、家族は湯葉の天ぷらせいろを注文。値段の割には天ぷらも蕎麦もボリュームがありました。マイタケの天ぷらと湯葉の天ぷらをシェアーして食ってみましたが、まるで白子の天ぷらのようでうまかったです。ほんのりと湯葉の香り。。。。。
さて蕎麦ですが、出てきた蕎麦は少し緑色かかった色をしていました。しっかりとしたコシがあり、香りも良かったです。お店の方には聞きませんでしたが、少し緑色がかった蕎麦の色と風味はたぶん新そばだと思います。もちろんいつもはどのような色の蕎麦かはわかりませんが、うん、新そばだったと思う。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
組織委員会の森委員長が女性蔑視発言から辞任することになりそうです。
国民の批判や一部マスコミの批判だけでしたら、謝罪してあとは力や周りの忖度で辞任まではしなかったでしょう。安倍・菅内閣の8年間でどのくらいの不適切は発言があったでしょうか?そのたび批判が出て謝罪をすればそれで終わりでした。政治的不正すら謝罪と説明せ金で逃げてきました。森さんにしてもこれまでと同じように考えていたのかもしれません。
しかしジェンダー問題は諸外国では大きな問題として取り上げられます。批判の波が日本に押し寄せた。これはオリパラ開催が中止にもつながる大きな波になりました。すると国内でもさらに国民の声は大きくなり、マスコミ(コメンテーター)や保守的知識人も批判の候えが大きくなり、ボランティアや聖火リレーの事態も出てきた。
もうこうなると辞任しか道は残されていませんでした。
先にこれまでの自民党政治で謝罪すれば力でどうにかなるという体質が続いてきて、その甘さの体質が一気の森さんの件で火がついてしまったのだと思います。
たとえばの話ですがある政治家が男女平等を政治面や経済面で一生懸命働いていたら、同じような言葉を発してもその信頼から軽口で済むかもしれません。しかし自公政権のこの8年で多くの疑惑や失言を浴びせられてきましたから国民の信頼などない状態でした。やはり同じ軽口でも笑って済ませることはできないでしょう。
コロナで職を失った女性の自殺や一人親(特に女性)世帯の窮状が言われています。これは保守政治の国民軽視を見せつけています。
森さんが辞任しても保守的体質の残る組織委員会自体にも信頼は無くなるでしょう。海外の報道も日本の保守政治の実態を問題視しはじめています。
でも、失言問題があって初めて森さんが辞めるという、スキャンダル国会が続く日本政治は危ういですね。安倍前総理の福島事故原発のアンダーコントロール発言や数千億ぐらいの小規模オリンピックは嘘でした。こうしたところから今の自民党批判でオリンピックを考えることをやり直さないといけません。

【2022年】ツイッターつぶやき
去年あたりから食品やエネルギーの価格上昇が続いている。日本は輸入大国ですから円安が進めばすぐに価格に影響する。生活も大変になっています。しかしこの現象が企業にも現れているようで、企業物価指数が9%から10%上昇しているようです。
アベノミクスそして日銀の量的緩和により円安が進み輸出産業が有利となるとして株価も上昇しましたが、輸出産業も様々な輸入品を原料などとしているわけで、輸出が絶好調でなければ輸入品の値上げが企業利益を圧迫します。国内の産業は大変になる。円安による金融資産太りが企業にはあったのでしょうが、現実の企業活動は火の車となる。
そこで国内で売られるあらゆる商品やエネルギーそしてサービス産業にも値上げの波として現れるでしょう。同時に企業努力は労働者の削減やさらに低賃金化に向かうでしょう。
こういう状態で海外では金利上昇の波が起きていますが日銀は出口という言葉を使えない状態です。
円安が経済の力に反映されさらに円安に向かうという日本の国自体の貧困化が進むかもしれません。

【2023年】ツイッターつぶやき
35ヵ国の会合でロシアとベラルーシのオリンピック出場を禁止するようIOCに要請したそうです。
しかし要請といっても、ロシアとベラルーシが参加した場合35ヵ国は出場をボイコットするとIOCに対する圧力をかけているようです。
今のところIOCは中立の立場を取っておりますが、IOCがロシアとベラルーシの出場を禁止するならば、オリンピックが政治的圧力に屈するものとなるでしょう。
ロシアへの制裁という言葉に乗っかった制裁国自体が政治面では極右の力を増しています。
自らが政治的民主主義を捨て去ることにつながっています。

【2024年】ツイッターつぶやき
関東は一部雪か雨という予報でしたが、奥多摩は大雪だそうです。
東京でも少し山の方では気温もだいぶ違いますね。
平野部でも実家にいたころはだいぶ寒かった記憶があります。都内からそうは離れていないのに違うんですね。
やはり海が近いせいでしょうか。
来週は気温が19度まで上がるそうですが、これで奥多摩は雪。
都内でも気温が少し下がれば雪。太平洋低気圧がやってきます。
これからが都内も雪のシーズン。
コメント
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「2月10日という日」

2025年02月10日 10時03分45秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
米を研ごうと思い計量カップに取ったら、なんか、白い米がたくさん。中には胚芽のところが黒くなっている。
まだ買ってきたばかりの高い米。
政府は備蓄米を出すと言っているが、今年の秋も新米は食えずに備蓄米を食わされそうです。
農家もコメの値段が上がっているとはいえそうは利益は増えていないそうです。
どこで値上がりの元凶があるのでしょうか?
米の値段が上がれば、どこかで買いだめをする。すると米不足が一段と激しくなるのでまた値段は上がる。
貧乏人は麦を食えは昔の話ですが、今年は、貧乏人は新米などと言ってないで備蓄米を食え、でしょうか?
それでも米を食えるうちはまだいいのかも。
こんななk、日本はアメリカに150兆円投資をするという。
景気のいい話の陰に米もままならない社会が。

≪過去の記事≫

【2004年】
変な風邪が流行っています。この前までは腹痛と下痢でしたが、今度は喉と咳らしいです。それに長引くみたいですから怖いです。
気をつけなくては。。。

【2005年】
昨夜は日本対北朝鮮戦のサッカーを見れなかった、、、、、残念
夕方、娘と少し遠くのスーパーに買い物。少しドライブして帰ろうかと遠回りをして帰ったのはよいけれど、渋滞に巻き込まれて大変でした。
今夜は鶏肉のトマトソース煮込みとひじき・切干大根の煮付け。。。。なんか和洋折衷のメニューです。。。。ハハハ
江國さんの「落花する夕方」を読み終わりました。
素晴らしい作品でした。川上さんの「いとしい」を一緒に読むとおもしろいと思います。
もうすぐ夏生さんの詩集が出ますが、今から楽しみです。どんな詩だろ?「片思いのあなたに」という予告はあるけれど。。。。

【2006年】
娘が体調を崩し病院へ行ってきました。
インフルエンザが流行っているので病院に行くのも考えものです。娘はずっとマスクをしていました。
夕飯はどうしようかと思い、疲れたので外食にしようかと。。。。
久しぶりにステーキを食べたいということになったのですが(もちろんチェーン店のファミレス風のすてーき屋さんですが)、娘が僕の特性ニンニクソースがいいというので、では腕を振るうかとスーパーへ。
どんより。。。。
いくらファミレス風のステーキ屋さんといっても、和牛となると3,4千円はする。それを考えたら自分で焼けばだいぶ高い肉を食えると勇んで行ったのですが、なんとスーパーには和牛のステーキ肉がない。。。。
もちろんアメリカの肉は置いてないですがとある外国産の肉ばかりでした。
150グラムぐらいかな?1枚6,7百円。
安いのはうれしいのですが、和牛の肉を楽しみに行ったわけですらね。がっくりです。
娘がそれでもいいじゃんと言うのでその外国の肉を買って帰りました。
昨日の日記で書いた外国製と日本製の話しではありませんが、皆ん肉を残してました。硬い。。。。ソースはうまかったと思うのですが・・・・
少し焼きすぎた面もありますが、やはり和牛とはちがう。
食品は安いもので間にあわそうということにはならないようです。
それにしても、たまたま今日は和牛がそのスーパーにおいてなかったのか、売り切れだったのか?それともアメリカ産牛肉が入らなくなり、絶対数の肉の不足が出ているのか?たしかに庶民は高い和牛のステーキ肉などは年に数回しか口に入らないわけですが、スーパにも置いてないとすると、輪牛肉自体が庶民には遠いものになってしまったのかもしれません。

【2007年】
昨夜は少し雨が降ったのですが、今朝はあがっていました。
だいぶ空気が乾燥していますが、風も少し流行っているようです。そろそろ花粉症も出始める時期。うっとうしくなります。
乾燥しているせいか、足のすねが痒い。乾燥肌?
年をとってくると、同じような空気の乾燥でも若い頃に比べて肌も乾燥しやすい。みずみずしさがなくなってくるというものをまさに肌で感じるようになる。
テレビを見ていると、僕と同じ世代の女優さんの美しさに驚くし、男の俳優さんも若々しい。いろいろとメークをしたり体の美しさを維持するためのがんばっているのでしょうが、それも人に見られる仕事だからというものがあるのかもしれない。芸能人でなくても、美人はやはり人に見られるという意識を持っているのかもしれない。かっこいい男も。。。
まぁ、これはがいけんで、そういう美人やかっこいい男も、夜な夜な乾燥肌で足を掻いていたりして。。。。
また、年をとると内面が外見に出てくるというものが強くなると思う。
この外見は、おしゃれをしているというようなものではなく、顔の表情に出るというのか、ぱっと見た目でわかる何かがある。
40を過ぎたらだったか、男は顔に責任を持たなくてはならないというような言葉が昔あったと思うが、怖いですなぁ。。。。これはいくらおしゃれをしたりエステにいったり、ちょい悪おやじを真似したところで隠しようがない。
また、ブログなどの仕事とは関係のない日常を表したようなあるいは趣味を表したような文章にもそのまま出るのではないかと思う。読んでいるうちに、こういう人かなぁ。。。と想像してしまうような文章。楽しいです。

【2008年】
娘が買ったジーパンの裾上げが出来ているというので受け取りに行きました。
帰宅して出してみるといつものようにポケットの中に裾上げで余った端切れが入っていた。その端切れの長さが2センチほど。。。。。
僕の場合、端切れの長さは十分に10センチを超える(笑)
今の若い人は足が長くなっているんですねぇ。
それでも若い人の多くは裾上げなどをしなくても済む人もいるようで、裾上げはわずかとはいえ、わが娘の場合はやはり僕の遺伝子が多少残っているようです。
裾上げが必要ないということは、もしかしたら長さが足りないという人も出てくるはず?そうなると継ぎ足しということもできませんからなぁ。。。。。必然的にジーパンなどの股下寸法は長くなる一方でして、それは相対的に僕の裾上げの端切れの長さも伸びるという事です。
以前書いた、袖ばかり長くて丈の短いテナガザルが着るような変てこなシャツも若い人が着ればちょうどよいのかも?
人類も急激な進化?をしているようです。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
朝、目が覚めて寝ぼけ面でコーヒーを飲みながらテレビを見たら、菅総理と谷垣総裁の党首討論が写っていた。
消費増税をめぐっての議論の一部のようでしたが、谷垣総裁が民主党のマニフェストからの変質に対してマニフェスト違反で消費増税を言い出し、マニフェストの変更を認めない議論に乗っかることは八百長相撲に加担するに等しいといった中身だったと思うのですが、寝ぼけ面で「アハハハ・・・・面白いこと言うなぁ」と感心してしまった。
でも、寝ぼけた頭も冷めてきてよくよく考えたらそうは谷垣総裁の言葉もそうは感心して聞いていられないと思いました。
何も自民党は消費増税に反対をしているわけではなくて、自民党で検討されていた消費増税をマニフェスト変更をして民主党が言い出したこのこと自体への批判でありそのための解散総選挙なわけです。
この党首討論も含めて今の国会内の対立は、消費増税というものを中心にしてみると民主党も自民党も増税というものでは一致をしていてどちらの政権でそれを行うかという政治闘争に移ってきている。そこには「小沢切り」と同時に行われた「国民生活重視」の切捨てがあるわけでして、国民視線から見れば消費増税を行うという前提のもとでの国会内の対立ですからそれ自体が保守二大政党制においての解散総選挙を含めた八百長相撲なのであります。
国会内の議論はこのような流れになっていますし、社民党の政権入りを促しているようですが、普天間もその他の政策も重要ですが消費増税国会に与党となる政権党・大臣病の中で迷いもある?テレビも新聞も国会の流れを対立として報道しますが、消費増税はやむなしといった論調に見えます。この中で世論形勢がされるわけですが、その世論も社会保障を守るためには消費増税やむなしに形作られている。
今の社会の流れがこういう形になっているわけですから、保守二大政党制の中では、今がチャンスなわけでして、それならば自党で行い政権を奪取・維持したいとなるでしょう。
社会というのはこのような大きな波として動いているわけですが、その中においての個人という小さな波を考えるとどうなんでしょ?
この小さな波は、自己解決をしていかなくてはならないという方向にある。
今の社会の流れだからその中で自分の努力で何とかしなければならないわけです。就職難なら自己努力で勝ち抜く。正社員に採用される自己努力。さまざまな自己解決を迫られてそれは競争となります。この競争意識が当たり前となると、政治の流れがどうのという事ではなく、むしろ政治の流れの中で形成された社会に対して不平や不満を言うことは甘えであるといったものさえそれが意識となっていきます。
昔から政治がどうのという話しは、社会に対しての甘えだというものはもちろん、「暗い話」「まじめぇ~。。。。。」という茶化しがたくさんあったわけですから今の個人もしかたないと思います。
今の社会で社会保障費はかさむ傾向の中で、個人解決という意識の反作用として何で老人のために俺たちが金を出すんだといったさまざまな社会保障に目が向いてきます。国民健康保険や国民年金の不払いとかにも。もちろんその中で社会保障などに対してのモンスター的言動も出るわけですが。
社会の大きな波の中で個人の小さな波は巻き込まれます。個人的努力ではどうすることもできないものが出てきます。この中で社会に対しての個人を言うことは甘えではありません。むしろこの個人を結集させねばなりません。たくさんの個人の状態がわかってくるならそれは社会に目が向きますし、そして甘えという自己嫌悪的なものもなくなります。
社会の中での個人は、この政治的意識という中に社会が形成されて、それを土台にしてはじめて個人の努力が生かされ、自己啓発もできて、自由を手に入れられます。
個人としてはどうすることもできないというものが政治であり社会ですが、政治や社会矛盾に対して、自分の甘えとか、暗いとか、まじめぇ~などという茶化しはやめて向き合う中に、今の現状の中でも自己責任という呪縛から離れた楽天的に生活を楽しめます。
そうすれば政治も社会も変わるでしょう。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
社会保障費(年金)は減らされる傾向を示し消費増税という増税が行われる。
企業は安い賃金を求めそして今問題になっている為替を理由に海外に生産設備を移転する。
国際競争力ということで労働力は使い捨てで失業と低賃金化が進む。
デフレの中にさらにデフレが加速する政策を行おうとする。
これだけの放射能が政治や経済を混乱に引き落として国民の健康や生活に不安を投げかけているにもかかわらず尚も脱原発の方向が定まらない。
今この社会におこっていることは誰から見てもおかしなことばかりである。それは為政者や企業も気が付いているものだろう。
しかし社会のシステム上この矛盾したものを推し進めなければならない状況にある。
国際的な競争や株価のための利益重視、金持ち都市手にその維持のための生き残り競争等などから矛盾したものでも食らいつくしかないシステム。これは毒饅頭と知っていてもほかのやつらが食っているからと自分も食らいつく事に等しい。
毒饅頭でも空腹を一時的には満たしてくれる。その空腹は庶民の空腹とは違い限りのない贅沢(古代中国においては食っては吐いてまた食ったそうである)からの空腹感でしかないのに。
毒饅頭だからいつしか腹を壊すことは間違いない。いや、もしかしたら死に至るかもしれない。それを知りつつも国民を犠牲にしながら食らい続けることは、個人の問題ではなくてそれを強制する現代資本主義のシステムなのである。
貯金王国日本。この庶民の貯金をひいださせる行政の責任を行おうとしている。わけのわからない政策である。最後の砦である貯金を引き出す。。。。親が子供がせっせとためたお年玉の貯金に手を出すまでに政治家そして企業は至ってしまったのである。最大の毒饅頭を食らおうとしている。

【2013年】ツイッターつぶやき
拝啓 川上弘美様
東京日記を拝読いたしました。
ポストモダン文学というのはよくわかりませんが
これぞ近代文学といった「近代」へのアンチテーゼのようなものだとか。
日本では一般的には高橋源一郎や島田雅彦を代表と置くようですが
ロシアの学生は伊坂幸太郎を置き
主人公がみんな暗くてかわいそうで、一人で悩んでさみしそうと
「ロシアの一番普通な人たちが来るお店」にロシアらしさをお求めのようでしたが
結局そこにあったロシアの郷土料理はペリメニだけ
ここに日本人とロシア人の互いが持つイメージと実際の差異と齟齬が
日本で言えばファミレスに行くようなものでこれが近代ですね
ポストモダンなものを日本人やロシア人は求める
しかし実際の日本やロシアは近代の中にある
そのずれが差異や齟齬なのでしょうね
このような意味でのさいや齟齬は食文化や文学だけではなくなっている

              敬具

そういえば川上さんはポストモダンでよろしいですか。。。。。
主人公がみんな暗くてかわいそうで、一人で悩んでさみしそうと(笑)
違いますね。。。。
近代日本が求める「明るさ」や常に予定表が埋まっていないとさみしくなるというお友達
そこへのアンチではないが普通の日本人が持つ日常という「実際」に生きる人々がいますね。
それはかわいそうでさみしそうではない

【2014年】ツイッターつぶやき
安倍総理が原発の推進を言ったらしい。
この安倍総理の発言が都知事選の結果を受けてのものなら否定すべきでしょう。総理ご自身の考え方はわかりませんが。
都知事選において脱原発はひとつの争点だったのですが、脱原発に絞った選挙という印象では細川さんだけだったと思います。宇都宮さんも脱原発でしたが選挙戦で語ったものはもっと幅の広い中身でした。
しかし原発推進を枡添えさんが語ったかというとそうではないと思います。やはり脱原発の色合いを残した発言だったと思います。自民党も原発問題は争点ではない(争点にすることがおかしい)といったものだったと思います。
こう見ると都知事選の結果で原発推進が都民の意思だとはいえないでしょう。
ある意味原発問題は争点がぼけていたわけです。田母神さんと細川・宇都宮・枡添という意味では脱原発色が多かったということでしょう。

7日に書いた「賃金カーブ」に関連するのですが、一人の労働者が年齢と共に家族構成も変化をして生活に必要な生活費も高くなる。ここに生活に必要な額のカーブがある。年功序列型賃金の賃金カーブもある程度この必要な生活費のカーブと同じカーブを描く。もちろんそのカーブは消費量や額のカーブとも同じカーブを描く。
若い人が低い賃金で年配者が高い賃金を得るということについては、同一労働同一賃金に反していて若い人が不当に低賃金に押さえられているというように見える矛盾があります。確かにこのような若い人の声は昔からありましたからそこに競争主義が入っていきました。しかし今の現状を見れば年功序列型賃金の制度が緩んでも若い人の賃金が上がったかといえばそうではないでしょう。むしろ年配者の賃金も下がる中で同一労働同一賃金が現れる。この同一労働同一賃金は、わけのわからない競争を廃して同じ年齢で同じ仕事なら同一の賃金でなければならないということだったのです。それぞれの世代において同じ仕事ならば同じ賃金という中での年功序列型賃金があり、そこに矛盾はないのです。確かに若い人の賃金が低いといった問題もありましたが、それは日本総体の中で日本の労働者の賃金が他の先進国よりも低かったためなのです。
今の若い方も正社員として働きたいという方が増えてきているようですが、それは一定程度の年功序列型賃金に組み込まれることが前提と考えられるはずです。
生活の安定というのは雇用の安定と共に必要な賃金カーブによる賃金を得られるというところにあります。もう一度これを取り戻さないと安定は得られないのではないでしょうか。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
現在の日本において以下の6つの過ちがあるのではないか。

1、アベノミクス
    所得の低いところから高い所へと所得移転をしてしまった。
2、日銀の円安誘導(量的緩和)
    金が余っているデフレ時に量的緩和を行った。
3、リフレ経済学
    インフレと悪性の物価高の区別がつかなかった。
4、国家主義的政策(改憲路線)
    国家のためと国民の声を聴けなくなり政治進路が見えなくなった。
5、知識層(マスコミなども含め)
    国のためには真実を追求することを忘れた。
6、国民
    我慢することではなく自身の生活向上が国を救うことを忘れた。

*追記(2月10日)3として
「財界。。。懐疑的だったアベノミクスという毒饅頭を食ってしまった。」
を入れなければなりませんね。ですので「現在日本の7つの過ち」となる。

【2017年】ツイッターつぶやき
日米首脳会談がそろそろ始まるようですが、どのような展開になるかはそれぞれ見方の差が大きいと思います。
日本は同盟関係の再確認を国内外に示したいと思っている。アメリカもオバマ政権時の考え方程度は日本側に示すでしょう。
日本はそれを外交の成果として発表する。
しかしその中身となると、国民は中国と日本が戦闘状態になった場合アメリカが参戦するといった勘違いをするでしょう。しかしこのようなことはあり得ないわけで、アメリカの基本は日中での話し合い解決でしょう。
日本政府は玉虫色の中に成果を誇示する。
これまでの外遊でも本当に成果があったのかどうかは正確な分析での報道がない。目に見えるのは多額の援助の金だけ。それでも国内は成果を強調する。今回の訪米も同じものとなるでしょう。
しかし日本の国民生活は政府の眼中にはない。
国民は国家のために。。。。
また失われた20年が30年に向かう。
アメリカの経済の立ち直りがあってもそのおこぼれは企業利益に。

【2018年】ツイッターつぶやき
株式も乱高下ですなぁ。。。。。。結局安定性がないという事なのかマネーゲーム真っ最中という事なのか。なんて人ごとのように書いていますが、大切な年金積立金がどうなるのかの不安はありますね。でも、運用に成功しても年金は減らされるし、失敗をすればさらに減らされる。
年金積立金は今の若い人のためにも残しておかないと。。。。と聞けば人の親である僕も納得してしまうところがありますが、しかし年金積立金が。運用に成功しても年金は減らされるし、失敗をすればさらに減らされるという状態では、ギャンブラーに金を預けるのと変わりがない。
(以上ツイッターから)
年金積立金を子供たちの世代に残す。しかし年金積立金を投資にまわしている限り今の若い世代にもその年金制度積立金は活用されないでしょう。
現在運用益が出ていても、政府は何をしようとしているか?
年金支給年齢の引き上げなども含めて年金の支給を相対的に減らすことになるでしょう。
年金積立金が株式などの運用に回れば、その資金を引き揚げることができない。株価が下がるから。
いつまでたっても株の買い支えとして使われる。
年金支給が高齢化のために増加をする。今後若い世代が年金制度を維持するには高負担となる。
これは一つのジレンマのように感じますが、年金積立金はそもそも団塊の世代を中心に将来の高齢化社会の年金支給を確保するために積み立てられていたはずです。積立方式でした。しかし年金法の改悪で賦課方式になり現役世代が年金支給を支えるような仕組みになりました。そして今まで積み上げられてきた年金積立金は投資へ。。。。。こういう構図ではないでしょうか。
今高齢化社会になってきたのですから本来はこの年金積立金を年金制度維持のため、支給額の維持のため、若い世代の負担軽減に使うべきでしょう。毎年5兆円ほど取り崩すのは害ではないです。ただしその切り崩しのために政府の負担を減らすのは間違いです。
今は積立額が減るならば保険料を上げる(若い人の負担増)といったようになっていて積立金額を維持することだけが目的のようになっている。

【2019年】ツイッターつぶやき
以下、ツイッターからの転載です。
「安倍首相が連発雇用者所得増は国民への”印象操作”」(日刊ゲンダイ)。。。アベノミクスの負の成果でしょう。
総雇用者所得がどのくらい伸びているかわかりませんが、高齢者や女性の雇用の増加ですから一人平均当たりの所得は伸びていないかもしれない。また、高齢者の雇用の増大は年金支給年齢が65歳に伸びたことによるもので、同時に再雇用は低賃金となっている。高齢夫婦で働かざるを得ない実態。
このように高齢者も雇用を低賃金化して妻も働かざるを得ない実態を作り出したのは政府の政策です。もし仮に60歳定年後も同じ賃金で働けるものならば総雇用者所得はもっと増加しているかもしれません。総雇用者所得も低く抑えているのがアベノミクスです。
人口構成上一番多い団塊の世代前後が低賃金で働いているわけですから、これが定年前の賃金を維持していたなら経済の好転もできたでしょう。
政府は高齢者が働く意欲があると分析しますが、実態は老夫婦で「働かざるを得ない」状態を作り出しているのです。
この高齢者の低賃金化と女性の低賃金化による雇用の増大は、逆から見れば低賃金だから企業は雇用するということで、労働人口の減少を低賃金層で埋めているというだけです。アベノミクスで経済の好転があったから雇用が増大したというわけではないでしょう。
アベノミクスの負の成果が明らかに見え始めています。
第二次阿部内閣発足後労働分配率は低下をしている。
政治面での低賃金化による利益は企業や株式に回るが、その企業利益は労働者には還元されない。総勤労所得者所得は大幅に増加していてもおかしくないのです。
下がり続ける労働分配率。。。。
搾取と収奪による経済の好転などあるはずがない。

【2020年】ツイッターつぶやき
中国武漢での新型肺炎の発生により中国に依存する企業の多さから日本のGDPが1%程度下がるのではないかと言われている。(東京新聞
一昔前ならば日本企業が中国に進出する場合中国の安い労働力を求めてより安い商品を製造することが狙いだった。しかし現在は中国経済の発展により、中国の内需による消費をあてにした現地生産となっている。アメリカやヨーロッパでの現地生産と同じである。
このことから日本企業は中国の内需に依存する構造ができてそれを企業利益につなげる。ですから中国の新型肺炎の蔓延により日本経済のGDPに与える影響は大きくならざるを得ない。
同時に中国人観光客が落とす金にも国内消費増として依存をしてきた。それが新型肺炎により訪日する観光客が激減する。これもまた個人消費の落ち込みと同じ影響を日本経済に影響してくる。
日本が内需中心の経済で個人消費を伸ばして仮に3%のGDPがあったなら、今回1%下がっても少なくともマイナス成長(ゼロ成長)にはならずに済んだでしょう。
もちろん現在はグローバル経済が発展していますから海外の経済の影響は大きくなるでしょう。しかし日本はアベノミクスと日銀緩和によりその結果としては内需を増加させるような賃上げも起きずにマイナスにすらなっている。企業利益を国内労働者からの搾取や収奪に依拠した経済になってしまった。こうした内需の弱さは安い労働力として競争力をつけるが、同時に海外依存とならざるを得ない。
世界第3位の経済大国はすでにその地位を落とそうとしている。世界経済を引っ張るような経済ではなくて海外に依存する脆弱な経済の矛盾をはらんでいるのでしょう。もちろんこれは日本だけではなくて先進国全体の問題だと思いますが。

【2021年】ツイッターつぶやき
日経平均は去年中国におけるコロナウイルの感染拡大からはじまり日本をはじめ世界中に感染が広がったことにより株価は急落をしました。アメリカトランプ政権の保護主義と中国との経済戦争がはじまり世界経済の落ち込みからのものと思われます。
3月に株価も底になり徐々に騰がりはじめます。そして11月になり現在までに7千円ほどの急騰となりました。
コロナウイルスの感染拡大の中、企業業績は落ちているのになぜこのような急騰が起きたのでしょうか?
一つはGo Toのような経済政策があり税金により大企業を救済することが起きました。
安倍総理のスキャンダルによる退陣がありましたが安倍路線を引き継ぐ菅内閣の誕生で政府は生き残りました。アメリカの大統領選の結果ももちろんあるでしょう。
中国のコロナ対策の成功による経済の再建もあった。
またコロナウイルスに対するワクチンの影響もあるでしょう。
しかし様々な要因があったにしろ、実体経済のこれほどの株価急騰は異常です。
株価だけではなく、ビットコインという仮想通貨まで急騰をし原油価格も上がっているようです。
まさにバブルに突入したとみてよいでしょう。
実体経済の改善による設備投資などへの投資が難しくなっていますから株などへの投資歯科貨幣資本の逃げ場がなくなっているのでしょう。もちろん最近は水道の民営化という噂も聞くようになりましたが、投資先を探していることに間違いはないのですが、民間の中でのカネの動きというよりも国家財政をあてにした投資ではないかと思います。
一方では中国は経済が回復してきてGDPも戻ってきているようです。そこで中国包囲網(武力でも経済でも)がはじまりました。しかし先進国が自国での個人消費を伸ばす経済政策をとれないことから対中国も軍事的なものになる懸念があります。
日本は国民の貧困化がさらに進んでいます。これがまたスタグフレーションの要因となるかもしれません。株価の高騰という見かけの経済の拡大と実体経済との乖離は大きくなります。それがバブル崩壊を早めるでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
NHKが次のように報道しています。
「新型コロナウイルスに感染し、自宅などで体調が急に悪化して亡くなった人は1月、合わせて151人と、前の月に比べて急増し、1か月の人数としては過去2番目に多くなったことが警察庁のまとめで分かりました。」
そして
「おととし3月から先月までの合計では、全国で少なくとも1107人に上っていて、亡くなってから感染が判明したり、自宅療養中に症状が悪化して治療が間に合わなかったりするケースも相次いでいるということです。」
去年から自宅療養者の死亡については問題化されていましたが今回のオミクロン株でも同じ状態です。何の改善も見られない。
オミクロン株は現在でも重症化率や死亡率がデルタ株などに比べると低いということばかりが強調されていますが、感染者数が爆発的に増加をして若い人や子供から高齢者や基礎疾患を持つ人に広がっているのですから率は低くても重症者数や死亡者数自体は増加をする。
東京を見ると
自宅療養
90,108 人
入院・療養等調整中
80,886 人
となっています。17万人の感染者がこの状態ですから、今後も自宅などで死亡する感染者が増加する危険性があります。
新規感染者数もそろそろピークか、死亡率は少ないという分析から感染防止での規制が緩んだり、もちろん緊急事態宣言は行わずその中で死亡者数が増加をしていきます。ワクチンの効果がどのくらいあるのかは不明ですがそのワクチンに依存して感染防止策や医療体制、検査体制がおろそかになっていくことに不安が残ります。
下げ止まり人数が高い状態になるでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
朝9時ごろから雪が降りはじめました。
天気予報では大雪の予報でしたが、午後からは霙に変わり積雪は車の上にうっすら程度。
また雪かきかぁと思っていましたが雨に変わり良かったです。
それでも大雪と聞いて急いで雪の中を100円ショップやらスーパーに。
皆さん考えていることは同じで、雪が積もらないうちに買い物をと思い来ていますから込み合っていました。

【2024年】ツイッターつぶやき
家族みんな腹が痛い。
何か悪いものでも食ったのか?
風邪の症状はあまりないが。。。。。
春先は風邪もひきやすいので気を付けねば。
来週は、気温が19度まで上がるらしい。
朝晩の気温は下がり気温差が大きいし、また日中の気温も下がるでしょうね。
風邪よりも体調を崩しやすいですなぁ。。。。
まぁ、体調を崩すと風邪もひきやすくなるが。。。。
たくさん食って免疫力を高めましょう。
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「2月 9日という日」

2025年02月09日 06時20分01秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
物価安定目標として消費者物価上昇を2%に目標を置く。
デフレからの脱却が言われインフレに持っていくことが目標になる。物価が上がることはいいことだという論理で、円安誘導による物価高が日銀の2%目標に組み込まれる。
この2%目標はずっと道半ばだとされていたが、円安誘導の中で食品の値上がりが大きく、毎年多いときは年2回の値上げが報道されている。すでに2%目標どころか毎回5%以上の値上げになっている。外食産業も値上げでラーメン1000円が不通になっている。
国民生活の圧迫は消費を減らす。しかし値上げで価格からみれば消費の減少は相殺される。
インフレとは、経済の過熱だが、この過熱が現れているのは企業利益と株価だけである。賃上げもあるが、物価に追い付かずその上税や社会保障費負担で賃上げはないに等しい。

≪過去の記事≫

【2004年】
この前の土曜日に作った石焼ビビンバは好評でした。
3カップ米を炊いて作ったのですが、子供たちがほとんど食べてしまいました。僕は遠慮気味で食べ、帰宅の遅くなった妻の分はほとんどありませんでした。
石鍋の代用品すき焼き鍋は正解でした。よい焦げ目がつきました。
作り方は簡単で、ごま油を多めにひいたすき焼き鍋をよく熱してそこにご飯を入れ、少しご飯に焦げ目がついてきたら火を弱め、その上にスーパーで買ってきたビビンバの具とキムチを乗せ、さらにご飯によい焦げ目がついたら卵の黄身だけを乗せます。火を強めにしてご飯がパチパチとこげる音をしたら鍋を火から下ろします。熱々のうちに豆板醤を乗せて後はおこげを剥ぎながらよくかき回して出来上がり。
プルコギは、キャベツ・たまねぎ・にら・もやし、そして牛肉を塩コショウで軽くいためます。用意しておいたタレ(おろしニンニク・長ネギとキムチのみじん切り・豆板醤・砂糖・しょうゆを合わせたもの)をごま油をひいた別のフライパンに入れて火を通します。そこに先ほど軽く炒めた肉と野菜を入れて少しいためて出来上がり。この味でいいのか?まあ、夕螺家特製プルコギです(笑)
江國香織さんの「こうばしい日々」を一気に読み終わりました。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
来た風北風の強い寒い一日でした。
最近スーパーんー家庭用品売り場に聞いたこともない見たこともないメーカーの電化製品がおいてある。たぶん韓国や中国あたりで生産されているものだろうと思う。韓国や中国の会社が作っているのか、その国で現地生産をして作られて輸入されたのかはわからないが、すごく安い!!
でも安いが買ってみようかという気にはならない。
僕の中に、まだ日本製は安くて品質が良いという神話が残っているのかもしれない。もちろんたんに神話ではなくてその技術力は世界のトップレベルにあるわけだから、その意味での安心感はもちろんある。
しかし。。。
我が家で使っているコーヒーメーカーは、そのスーパーで安く買ってきたどこの国で作られたものかわからない製品である。なんと1000円。たしかにデザイン面では劣るがもう2年も使っているが壊れない。まだまだ2,3年は使えるのではないか?
こう見ると、安い価格をみて、何年ぐらい使えればいいかぁと計算すれば、あんがい無名なメーカーの電化製品でも良いのではないかと思う。
高いトースターを買ってもデザインなんかは我が家のごちゃごちゃしたダイニングにはどうでも良いものであり、トースターとしてパンさえ焼けるなら十分で、いろいろな料理などできなくてもいい。こう見ればやはり安くて2,3年持てばいいと思えてくる。
テレビも同じで、あと何年かすれば地上波デジタルに切り替わるわけで、もしテレビが壊れたらつなぎにすごく安いテレビでいいわけだ。どっちにしろ100万もするようなでかいテレビを置くところもないし、必要もない。地上波デジタルの見れる安いテレビが出てくることを祈る。
国際化国際化といわれているが、我が家の電化製品を見ると生産国はどこだかわからないが、日本の有名メーカーばかりである。やはり僕の中にある神話なのだろうと思う。ある電化製品を買い、たしかに長持ちをするがマイコンのスイッチパネルが壊れれば1万2万の金がかかる。3回ほど交換するならその金で新しいものを買える計算だ。ある程度の機能があれば安物でいいわけである。
スーパーの片隅や安売り量販店のチェックをしてみよう。
たしかに日本の企業に頑張ってもらわなければならないご時世だが、庶民生活に密着したものは、メーカー名は日本でも中国などで現地生産をしたものを輸入している物がいろいろな製品であるわけで、それを頑張って買ったとしても日本国内の雇用にもつながらないわけで、そんな意味で庶民は国際的になってメーカー名のこだわりから離れないと。。。でも、外国の会社のものは日本の流通に入りにくいのかな?

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
昨日書いたゴミの問題で思い出しましたが、イタリアでは処分場が減らされて町にゴミが氾濫しているようですね。東京も人事ではないようです。
いろいろリサイクルが始まっていますが、もう一度考え直さねば。。。。
でも、発泡スチロール製の皿をリサイクルに出すには洗わなければならないが、潜在の消費や水の消費は増えるわけでして。。。。
いらに心配でしょうか?
車で安売り店に行って来ました。
ありとあらゆる種類のものが売られていますが、結局買いたいものがありませんでした。あれだけの品数と種類はあるにもかかわらず、大量に売れないものは?
実はシステム手帳を買いに行ったのですが、システム手帳というのはそうは数が出ないからかも知れない。
帰り道新しく出来た住宅展示場が有ったので暇つぶしによってみました。
いやぁ。。。。新しい家というのはいいもんですなぁ。。。。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
夏生さんの「輝き」というCDを今日手にしました。
1月30日にこのCDを発売するにあたってのみにコンサートとサイン会がありましたので六本木のツタヤに電話予約をしていたのですが、家族がインフルエンザになってしまい行けなくなり今日受け取りに行ってきました。
CDですから記事のジャンルとしては「音楽」の記事となるのですが、僕は音楽というよりもその歌詞(詩)に興味があるので「本・文学」に。
「輝き」「夕空」「アイスコーヒー」の3曲が入っています。
アイスコーヒーの氷がだんだん解けていけば
コップのふちの透明な湖の中に
この店もこの街も
どんどん吸い込まれていく、ほら
      (「アイスコーヒー」より)
たくさん話をした。いつしかアイスコーヒーの氷も溶けて水滴の中にすべてが吸い込まれる。君の言葉も僕の言葉も。。。。別れの歌です。恋や愛は束縛が。自由であることの別れ。
夏生さんらしい歌詞ではないかと思います。
こんな二人の出会いが「輝き」でしょうか。
思い出に今日がならないように
明日からもずっと一緒にいよう
と。
これからカーナビで聞きながら買い物に行ってきます。

【2012年】ツイッターつぶやき
菅前総理がその辞任する前に「脱原発への方向性」を打ち出した。しかし民主党内は菅総理の私的な発言だとか思いつきの発言だとしてこの「脱原発の方向性」は民主党内から消えてしまったように見える。
しかし今の野田政権でも脱原発という言葉は使わないまでも「原発に依存しない社会」という形では残っているだろう。もちろん原発の耐用年数を40年だ60年だとして再稼働に力を入れているが。
たしかに今すぐに原発は停止をして廃炉へ向かうべきなのだが、現在の情勢としてはやはり「脱原発への方向性」にとどまっているというのが現実でしょう。
では、この「脱原発への方向性」がどのように進んでいるかを見ると、上の書いたように政治上でも原発に依存しない社会という形で再稼働を行いながらも積極的な原発推進はすでに亡くなっている。少ない勢力だが国会内には脱原発を叫ぶ政党が存在をする。今まで絶対安全だとされていた安全神話は崩れて地方自治体も原発誘致や存続に疑問を持つようになってきている(原発誘致での金をあてにしながらも)。
一方市民の間には原発事故の放射能の影響の深刻さがだんだんと明らかになり、原発の安全性や事故が発生した場合の取り返しのつかない子孫にも影響を与える放射能の質的に違う事故というものが意識されてきている。事故処理にも政府や東電そして保安院などにもその不信感が高まり抗議行動へと向かっている。文化人の間にも10万人集会などが組織されている。再稼働反対の市民行動が強まり、それが自治体にそうは簡単に再稼働を許さない影響を持ち始めている。食品などの影響では市民は風評被害の加害者とも受け取れるようないやがらせにもかかわらずより安全な食品を選ぶようになっている。脱原発の国民投票というような形での市民の意思が表明されてきている。
政財官による原発維持の政策は続いているが、それは国民と対立せざるを得ないものとなってきているのではないか。
このように見ると「脱原発への方向性」は現実としては進んできているのではないかと思う。
しかしこの「脱原発への方向性」は政府や市民の声というものではない根底を流れる経済がそこに向かわざるを得ないことも見なくてはならないだろう。
原発産業というものが存在をするが、原発での電力は今回のような事故が発生をした場合に賠償などを含めてラバ層は安い発電設備ではないことが明らかになりつつあります。またそこに自然災害への備えを新たに施す試算をすることによりコストは高くなるでしょう。輸出もありますが、原発産業自体が斜陽に向かうしかありません。その反面として太陽光発電などの自然エネルギーの活用が一つの産業を生みつつあるのではないでしょうか。経済活動は、企業の利潤目的に進みますが、自然エネルギーが一つの産業となるにつれてそこに資金が集まります。技術革新による生産性の向上は企業間競争として進みます。より安く効率的な発電がおこなわれていくでしょう。
原発が止まることによる電力不足のキャンペーンが行われていますが、それは原発の再稼働には向かわずに経済は節電・省エネの方向性を一つの利潤目的にします。企業は節電による利潤を得ます。太陽光発電が企業イメージの象徴ともなり自家発電は進むでしょう。市民の中にも節電や省エネが一つのステータスとなり、暑さや寒さへの備えを電力に頼らないものを導入していくでしょう。その中に技術革新でより安く効率的名は自然エネルギーを求めるようになるでしょう。住宅や家電などに始まっている太陽光発電や節電そして節電のための建材などが進むでしょう。このような節電や省エネそして自然エネルギーの活用の普及は経済活動をして行われる中に企業優先の政府はそこにテコ入れをするでしょう。
このような経済活動による「脱原発への方向性」は広く行き渡ってきていることも確かでしょう。
たしかに不十分さは言えばたくさんあると思いますが、この「脱原発への方向性」を常に見て行かねばならないと思います。そうすれば脱原発の実現へ向けてどのような国民運動が必要になるかが市民運動や政策の中身方向性を与えるのではないかと思います。ここの人々がすべてにかかわることはできない。その個々の運動一つひとつが大切なわけです。しかしその個々に人々が自分がやっていることだけが正しいなどと狭い運動に入り込むのは間違いです。社会全体の中の個々の人々が行っていることが相乗的な脱原発への道を広げるでしょう。
しかし脱原発だけを考えたものではありえないわけです。
格差社会や税のもんだそして政治の問題など、そういったものの矛盾の中に原発問題もあることを忘れてはならないでしょう。原発問題が民主的な議論ではなくてやらせ問題に見るようなひどいやり方で行われる。それは今の社会問題すべてみみることができないか、その視点での民主主義の在り方にぶつかるはずです。
さまざまな角度から関連付けて考えて行きましょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
今朝のツイートのまとめです。

除染危険手当の不払い情報放置 環境省、詳しく調べず - 朝日新聞デジタル http://t.co/0RJepotJ 国は業者名を公表しない方針。しかしこれでは正常な競争が否定され今の賃下げ競争の反映に。これから公共事業を増やそうというならしっかりとした対応をしておくことが必要
汚染水、処理後に海へ放出 東電「合意得ながら」 - MSN産経ニュース http://t.co/LaI3gyXa この汚染水の問題もそうですが、いったん事故が起きたとき、たとえば消防車が行って火事を沈下鎮火するといった程度の安全性を確保できないならそれは原発の安全性とは言えない。
ある工場が火事になり消防車が行って鎮火した。工場の火災といったものは少なくはできるが絶対起こらないようにはできない。原発も同じで絶対事故は起こらないという事はできない。工場の火災と原発事故の汚染、このリスクの違い(事故の質が全然違う)から見ても脱原発しかないでしょう。
人類の未来のために核エネルギーを放棄してはならないという意見もある。ならばまずは核兵器を廃絶することという人による社会的な核の管理ができなければならないでしょう。原発という核の使用の技術だけではなくて最悪の事故が起きたときの対処面での安全性が必要でしょう。放棄したくないなら。
「最悪の事故が起きたときの対処面」というのは、今の規制員会が検討しているような避難の仕方、ベントのフィルターなどといったような次元の問題ではないでしょう。
核への技術面ばかりに目が行きますが、人類は核兵器を作り人類の存亡にもかかわることでもそれを根絶できない。原発の存在そのものそして事故時にも私企業の利益が優先するというものを脱却できない。核への対処ができる社会的な発展も遅れているわけです。
こんな状態で『人類の未来のために核エネルギーを放棄してはならない』なんて胸を張って言うべきではない。
福島の原発事故の安全神話とその後の政府の動き、そしてそれを踏まえた総選挙の結果(集団的自衛権や中国との関係悪化など)。。。。これ一つ見ても今の先進国という国がいかに社会システムとして未発達か(過去への回帰)が見えるだろう。

戦前の前史も含めて社会党の役割は現実的政治に対するものとしては社会改良にあったと思います。もちろん社会主義政党でしたから社会主義を目指す運動が基本にありましたが、その運動自体も社会改良を通して国民の支持を得るそして国民の政治意識が高まるというものだったと思います。ですから戦後政治での自民党とのある二大政党の中での社会党の存在価値の基本は社会改良にあったと思います。
戦後の日本の発展は、経済成長という形をとることができましたが、それが自民党と財界の成果としてだけに見てはならず、自民党政治の暴走に歯止めをかけながらそして労働運動と連携しながら労働者の生活の向上を行い、市民運動などとの連携では様々な民主主義を守る運動を展開した。こうした社会党の存在により経済成長の成果を国民生活に反映できたという面も強いと思います。
もちろん社会党はずっと野党ですから自民党の多数の中でその政策をどのくらい実現できたかといえば力足らずのところもありましたし、自民党との相互の妥協の産物という実際の政治には足りないものも多くあったと思います。そしてその妥協にも間違いがなかったかといえばそうではないでしょう。しかし上にも書いたように社会党の存在は国民生活や日本の民主主義に大きな役割を残したと思います。
社会党は解党して民主党へ多く流れて行き、残ったのが社民党でした。議席数は激減しました。
民主党への流れは、万年野党批判や反対ばかりの党で責任を持たないといったような批判そして総評の政策要求には多数派とならねばならいという事からの流れでした。しかし現実としては今回の民主党の失敗を見れば社会党の解党は間違いだったと思います。残った社民党も政権を問った民主党のマニフェストには「国民の生活が第一」という政策がありましたしそこへの連立という形で社民党らしさも出ていたと思います。議席数を減らした社民党の限界もあったわけですが、社民党も社会党の社会改良を社会民主主義という立場から考える政党として残っていると思います。社会党以上に厳しい条件の中での社会改良です。
しかしこの社民党の社会改良の位置づけはまだ正しさを残しています。
社会改良の必要性、自民党や民主党の保守二大政党の中での保守の暴走に対してなおさらその必要性が増していると思います。
今、様々な社会の矛盾が噴出しています。原発事故や経済的格差、平和の問題など多くの人々がその矛盾を感じています。しかし国民の中には原発は許せないが経済的政策は自民党がいいとか様々な意識によってばらばらなとらえ方にあると思います。しかし本来は原発問題も経済問題もその矛盾の根っこは同じなはずです。社会党時代はこのような様々な意識がある中で一つの勢力としての世論作りの核があったと思います。それが二大政党においての社会党でもあったと思います。今は社民党の力も弱まりその核を見つけにくくなっている時代ですが、それを早急に作らないと生活も大変なことになるでしょう。いろいろな意識の違いがありますが、平和や民主主義そしてその基礎となる護憲の中から一つひとつの矛盾を見つめていくという作業が必要でしょう。そうすればある一定の勢力となるでしょう。国民が望めばそのような政党はできてくるという事もあります。
今は自民の圧倒的な力がありますが、やはり国民の声としての賃上げを無視できるかといえば無視はできません。世論としての賃上げの必要性が一定の勢力として存在するわけです。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターからの転載です。
政治家の劣化、大臣の劣化、内閣の劣化。。。。この劣化を劣化ではないとするのが改憲でしょう。国民は我慢するだけの社会。
劣化を劣化としないのが、なんでも有りという社会風潮です。応援するか、絆を結ぶかとか、そういうことではなくて考えることです。
劣化する中で、その劣化に乗っかっていれば心地よいのでしょうが。。。。。
しかしここで心地よいと思った瞬間に自分自身が劣化しているということです。国民一人人はその能力も違うし専門分野も違う。しかし自分の生活を見つめることはすべての人ができる。その中で劣化することをどう見つめるかですね。今の心地よさがどういうものか?考えることですね。
民主党政権時、「決められない政治」がマスコミも含めて問題視された。結局政策の中身がどうのこうのだというよりも民主主義は数の力だということで政党は徒党を組む組織になってしまった。党の決定に従わなければ除名とか。
そして安倍政権となって『決められる政治』が実現した。もちろん政策の中身がどうのこうだというよりも数の力で決められることになる。国会審議は形骸化し、最近は法務大臣が数の力前提で考えるようにもなってしまった。政治と金の問題もスキャンダルも数の力で「身内無罪」に。
結局数の力で決められる政治が、なんでも有りを産み、政治家や政治そして社会全体の劣化が進む。この中で企業も例外ではないでしょう。アベノミクスという毒饅頭で腹を膨らませ、ブラック企業化、派遣労働の拡大。政治の劣化は社会保障の削減。究極的には公助から自助へと国の劣化に
こうして『美しい日本』が出来上がる。

テレビのバラエティー番組を見ていますが、博多のうどん、美味しそうですなぁ。
そのうどんの中に好みでしょうが大量の生姜を入れていました。我が家では豚バラ肉の肉うどんをよく作りますが、今度おろししょうがを添えたいと思います。
というわけで生姜ですが。。。。。
今夜は我が家もたくさんの生姜を使いました。
豚の生姜焼きに生姜風味のワンタンスープ。
ワンタンスープ
水を沸かしてスープの素「味覇」と、かつお出汁の素を入れて長ネギの緑色の部分(関東ねぎです)と生姜のスライスを入れて煮立たせます。あとは砂糖、みりん、しょうゆで味付け。
ワンタンは鶏ひき肉をボールに入れて、多めの玉ねぎのみじん切りを入れます。そこに味覇をお湯で溶いたものを入れ、塩コショウ、酒そしておろし生姜を入れ、つなぎに片栗粉を少し。
あとは市販のワンタンの皮で挟みます。
食べる時にスープを沸騰させて先ほどのワンタンを入れ、浮き上がってきたら出来上がり。
これだけでもうまいのですが、我が家はレタスのしゃぶしゃぶが好きでして、ちぎりレタスをさっとスープに通して入れました。
生姜は体が温まりますね。。。。
先ほどまで東京もみぞれでした。

【2018年】ツイッターつぶやき
プレミアムなお客様のご招待
こんなはがきが来ていた。
何だろと思ったら時々行くスーパーでの特売のお知らせだった。
まぁ、、、、ポイントカードはつくってあるから・・・・・
このプレミアムという言葉を使った様々なお知らせはがきが最近多くなっているのに驚く。なんかプレミアムなお客様と言われれば嫌な気はしないが、仰々しくプレミアムと言われると少々苦笑いがである。靴下に穴が開きそうだから上のスーパーの特売で買おうかなと思うのだがなんかプレミアムという言葉と3足700円ぐらいの靴下が結びつかない。
車やら電化製品など高価な品物でプレミアムの後に〇万円分贈呈なおと書かれていればさすがにプレミアムなのだが、その高価な商品を買わないとぷらミアムプレミアムな恩恵は受けられない。
でも、毎日、毎月の自分の生活水準を考えれば3足700円の靴下が20%引きともなるとたしかに僕にとってはプレミアムなお客様へのお知らせと言える。
スーパーやコンビニでくじをしてペットボトルのお茶が当たったと喜んで帰ってくる妻を見ても我が家のプレミアムはその程度なのである。有名デパートからプレミアムなお客様へとはがきが来て「奥様への記念の指輪はいかがでしょうか」などと書かれていて「うん、買ってやるか」などというプレミアムは経験したことがないので妻も不憫である。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
ロイターによると、ある試算において安倍第二次内閣発足後労働分配率が低下をしているという。
去年は企業の内部留保の増加が報道されていたが、管制官製賃上げが行われたにもかかわらず大幅な賃上げは抑制されて労働分配率下がり続けている。
同時に最近の不正統計において実質賃金がマイナス傾向になっていることを政府も認めた。
企業利益と賃金高の比がが反比例をするということは個人消費を抑えることになる。
一方では日銀が目標とする2%のインフレ目標が達成されないにしろ円安誘導によるエネルギーや食品などの悪性の物価高が続き、税や社会保険の負担増などにより実質賃金までが減少しているとすればさらに個人消費は伸びないでしょう。
搾取と収奪がより進んでいるということです。
ここから企業の設備投資意欲(労働力削減のためのIT化は進みますが)は減退する。
日本経済は負のスパイラルに迷い込んでいるのでしょう。

東京は雪になりました。
大寒波が来ているので春の淡雪というわけにはいかないようです。
今はやんでいますが朝方まで細かい雪が降っていました。
屋根にうっすらと積もっています。東京は数センチ積もれば大雪ということになりますが、今のところ大雪にはならないようです。ということでのんびりと東京の雪景色を眺めています。
雀の群れが電線にたくさんとまってうるさいぐらいに鳴いています。
鳩のツガイがベランダの金のなる木鉢植えの陰に巣作りを始めようとしていました。妻が急いで追い払っていましたが、あとで見に行ったら金のなる木の枝がたくさんおれて落ちていました。妻と鳩との格闘の跡。。。。。アハハハ

【2020年】ツイッターつぶやき
何時ぐらいだったか、出窓をのぞいたら低い位置に大きな満月が昇り始めていました。
写真と写そうと思いつつ見とれていました。
2月の満月を「スノー ムーン」というらしいです。
今日9日が満月でした。
暦の上では春ですが、寒さもきつい季節ですね。
寒い夜空に登る満月はキリっとした姿に見えます。
東京は雪がありませんが、毎年東京の雪のシーズンは今頃から3月初めぐらいです。桜に雪が降ることもまれにあります。

【2021年】ツイッターつぶやき
日本たばこ(JT)が1000人の人員削減を行うという。
喫煙率が下がり続けている中での経営の引き締めでしょう。
しかしこの喫煙率の低下はたばこ増税によるものが大きいと思う。
政府によりたばこ増税がJTに対して行われるわけですが、この増税をJTがかぶるには負担が大きい。どうしてもたばこの値上げを行わざるを得ない。
高齢化により年金生活者が増加をし、日本の賃金は世界では例を見ない賃下げとなっている。この中で格差社会はさらに大きくなる。すでに日本は貯金ゼロ世帯とか貧困あるいはぎりぎりの生活を送るしかない人が増加をしている。その中にはもちろん年金生活者もいる。また、サラリーマンのお「小遣い」も2,3万円となり、昼飯も節約をして職場の飲み会に出るかたばこをとるか・・・・と。
喫煙率の低下は、たばこ増税による強制禁煙です。この強制禁煙から喫煙率も低下をします。
では、このたばこ増税はなぜ行われるか?
その大きな原因が嫌煙運動にあります。すでにWHO(世界禁煙デーなど)では2014年に貧困層や低所得層の禁煙を促すにはたばこ増税が最も効果があると声明していた。もちろん日本でもたばこ増税が国際機関のお墨付きを得たのですから禁煙(嫌煙)運動はたばこ増税に飛びついた。
このように見てくると、今回のJTの人員削減1000人の労働者は禁煙運動による強制禁煙と安易な増税を行う政府による犠牲者と言える。
政府によるたばこ減税でのJT救済と、JTはその恩恵を喫煙者に還元すべきです。この流れが非民主的な強制禁煙を正すことになる。
消費税8%10%でも多くの企業が消費減で苦しんでいる。安易な増税が国民をいかに苦しめるか。強制的な生活の切り詰めとさらなる貧困化です。今後も消費増税は続くでしょう。たばこ増税ならいいが消費増税は困ると言っていられなくなります。

【2022年】ツイッターつぶやき
6日だったか、東京も積雪がありましたが明日から明後日もまた雪のようです。
予報では朝から降り出して日中は霙で夕方からまた雪のようです。
10センチ弱の積雪らしいですが夕方から交通が混乱しそうです。
雪に慣れていない東京ですから10センチも積もれば大雪で混乱します。
子供の頃は雪も多くて毎年20センチ以上積もる雪を記憶しています。雪だるまはもちろん坂道(路地裏)に行って手作りのスキー板やそりを作って滑ってました。今振り返ると怖いのですが、池の氷は子供が乗っても割れない暑さでした。
たしかに温暖化というものはありますね。
新潟の親戚の話を聞いたことがありますが、雪が降れば2階が1階になると言っていましたが最近はそうは積もらないようです。今年はどうなんでしょ。
明日は雪かきです。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
我が家も先日炬燵から焼ける匂いがして壊れてしまいました。そして引き続いてデロンギのストーブのコンセントの線から火花が出て壊れてしまいました。
川上さんも暖房機が故障をして修理は年明けだと(日記は12月のもの)。
仕方なくぬいぐるみをぎっしり配置。
ぬいぐるみは一見暖かそうですが、動物とは違って体温がありませんからなぁ。。。。。
電車の中でサッカーワールドカップを熱く語る男と相槌は打つものの全然興味のない女性のカップル。
川上さんもほかの乗客も男女の会話に心がぎっしりと配置。
やはり暖かく、いや、熱くはならないものです。
川上さんらしい夢のお話。面白い。

【2024年】ツイッターつぶやき
アメリカの利下げがそうは著しくならないそうで、日本は緩和から抜けきれない中で円安が進み149円半ばだそうです。
アメリカもそうは景気がよくない中で財政赤字が膨らみ国債の利払いのGDP比が高くなっているそうです。物価上昇を抑えるための利上げ傾向が続いているのでしょう。
日本は円安の中で悪性の物価高が続いている。日銀は賃上げで出口を求めているようですが、いくらかの賃上げがあっても政府は子育て支援財源の負担感をその賃上げから吸い取る。当然この政府の考え方では日銀の出口は見えてこないでしょう。
さて、アメリカと日本の相反するような側面において経済矛盾はどちらもあるでしょうがどちらが深刻か。
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「2月 8日という日」

2025年02月08日 07時29分00秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
昨日も書きましたが、石破さんが渡米してどのくらいの金を落とすか心配しましたが、やはり1兆ドル(151兆円)をアメリカに投資をすると。
投資といえばばらまくわけではないと思うのですが、年金積立金を投資に回しましたが、一度投資に回すと、例えば年金問題に年金積立金を使うから投資したものを引き上げるというわけにはいかないでしょう。実際引き上げられない金になっている。100兆円、200兆円ともいわれる金を投資から引き揚げたら大変なことになりますからね。アメリカに投資をしていたとすればアメリカは激怒する。ですから投資をするということは、アメリカに金を貸すということは、帰ってこない金と見たほうがいいでしょう。もちろん帳簿上は利益が出ていたとしてもその利益も絵に描いた餅です。
その他10兆ドル武器を買うようになりそうです。すでに月賦で武器を買っていますからさらに武器を買うのか?
ウクライナに在庫整理的に武器を渡していたように、日本にも在庫整理の武器が?
今の日本経済は投資バブルです。
株価が破裂すれば一巻の終わり。アメリカ経済もそうは信用できないでしょうからアメリカに投資をした帳簿上の額面も危ない。
この投資のために国民生活は窮乏しているわけで、佐谷150兆円も国民は毛根を工面しなければならない。素手の石破さんは国民のためには税は使わないと言っていいる。

≪過去の記事≫

【2004年】
そろそろ関東でも梅の開花のニュースが入りそうな季節です。今日は東京も最高気温が10度を超えそうです。風も無く穏やかです。布団を干しています。
今年の冬は寒いですからね。。。。梅も遅いかもしれません。
もう少ししたらアマリリスの球根を植え替えようと思います。去年はサボってしまったら貧弱な花しか咲きませんでした。株別れもしているようですから今年こそ植えかえようと思います。

【2005年】
時々思い出す風景がある。とは言っても実際に見た風景ではない。
蒸気機関車が少年を乗せて走っている。少年は少女と別れて引っ越すのである。その汽車が踏み切りに近づいたとき、ふと少年はその踏み切りに立つ少女を見つける。互いに手を振る。そしてその少女は鮮やかな色のミカンを投げた。
これは、芥川龍之介のたしか「ミカン」という小品のひとコマである。題名も薄ら覚えで、作品の中身はほとんど忘れているが、全体的にモノクロ的な印象のある作品で、そのモノクロの中に先に書いたミカンの色だけが鮮やかなのである。
なぜか時々この小説の自分で作り上げた風景を思い出すのである。
なぜなのだろう。。。。
懐かしいような郷愁がある。
そのほかにも龍之介では「トロッコ」という作品の中の風景とか。。。。
漱石の作品でもいくつかの風景を思い出すことがある。
最近の作家では、写真だが夏生さんの「流星の人」の表紙の風景。これは作品全体の雰囲気をその写真として思い出すのだろう。
あとは、川上さんの「蛇を踏む」のなかでの主人公と母という蛇とが絡み合いながら川のように流れていき、それを店屋の主人だったか、そのおやじがのんきにそれを眺めているという風景。。。。
何年多っても忘れない心の中に描いた風景。優れた作品というのは、脳味噌の奥底に残るのだろう。

【2006年】
北の空は雪雲?
南風が入り暖かくなるという関東地方の予報ははずれたようです。でも、この間の寒さからすれば今日はコート無しでもよいほどに暖かでした。
寒い間は、さすがの子供達も公園で遊ぶ姿がなかったのですが、今日はたくさんの子供達が5時頃まで遊んでいました。男のコたちはボール投げやサッカー、女の子は集まっておしゃべり。。。楽しそうです。
こういう時間が子供達の心に残り楽しい思い出になっていくのだと思います。
僕の子供の頃は、まだ子供の数が多く、ガキ大将が一声かければすぐに三角ベースぐらいの野球の試合ができました。今、こうして高齢になってくるとこの思い出の大切さを強く感じます。
春が少し顔を出した陽、一寸薄着になって夕暮れまで遊んだ今日という日。公園にいた子供達がいつまでも忘れないで欲しいと思います。特別な日でもなんでもない日常。これが心に残るのは心の糧になるでしょう。
子供の頃はまだ難しいでしょうが、だんだんとこの日常の大切さがわかってくることと思います。金を使って旅行の楽しさも大切ですが、日常の楽しさを知ることはもっと楽しいはずです。
川上弘美さんの「東京日記」そんな思いで感想を入れたいと思っています。

【2007年】
厚生労働省って、どういう役所なんだろ?
大臣の少子化問題の発言が再び問題になっている中、今度は、労働政策審議会というよくわからないところでの分科会委員の奥谷さんの発言が。。。。
国家レベルあるいは企業意識だけで物事を見ている方は、庶民を見下すようになるのか?近代国家特に戦後の先進国は、個人は国のために国は個人のためにというのが民主主義と考えられていたのでは?
国のため、企業のための個人としてばかり見ている中に今の少子化問題を生み、個人消費の停滞と景気回復の本格化を阻害している。国のためと思っている論理が結局は国をだめにしてる。
少子化問題は、現役世代がリタイヤ世代をどう年金で支えるかという視点ばかりで問題視されているが、今の日本の発展状況で、今の老人の生活を支えられないのか?少子化が問題なのは、企業論理から問題なのです。労働力も需要と供給の中にある。供給が少なくなれば、給料の値上がり傾向が出てきます。これが怖いのです。今のようにバイトや派遣社員では労働力は集まらなくなり、正社員化をせざるを得なくなる。そろそろ外国人労働者の本格的な受け入れということも聞きますが、どう、労働力供給不足を補うかが切実な問題になりつつあるのか?
過労死までするぐらいに働け。。。。でも失業者問題は解決しない。

【2008年】
明日はまた雪らしいです。
だいぶ冷え込んできました。
この季節に欠かせないのが入浴剤の風呂。毎日入浴剤を使っていますが、この入浴剤が高い!いろいろな薬草が入っているものですごく温まります。少し心配なのが蛍光色が入っていないかどうか?まぁ、着色料は入っているでしょうが。。。。

江國香織とっておき作品集
                        マガジンハウス
          「鳩よ!」特別編集(江國香織)
2001年発行と、少し古い作品集ですが、本の表紙には次のようにあります。
「フェミナ賞を受賞した処女小説「409ラドクリフ」を初収録。
珠玉の中編小説とファンタジー、
そしてビートルズの訳詩集、
さらに、異色絵本『夕闇の川のざくろ』もカラーで完全収録。
父・江國滋の『香織の記録』と妹・晴子の
『夢日記』も初公開。
単行本未集録作品がたっぷり、
欲張りで
ぜいたくな作品集。」
このように江國さんのさまざまな側面を見ることができる作品集だと思います。
(この作品集の中に収められた「ぬるい眠り」などの小説の多くは、今年発売になった新潮文庫「ぬるい眠り」として発売になっています。)
僕も江國さんの作品といえば、男女の恋愛を描きながらそれぞれの心の中を描き、人を愛する事の形というものを連想しますが、それとは違う世界があるのだろうと感じました。というよりも、さまざまな世界が江國さんの中にあることがただの恋愛作家という範疇に置いておかないのであり、恋愛小説の中にも人が生きる事や人を愛する事の普遍性のようなものが現されるのだと思います。
この「作品集」は、2001年発行ですから、7年以上前の作品が集められているわけで、江國さんご自身20代から30代半ばまでの作品が収められています。人は誰でもこの頃というのは若さもありいろいろな事柄に興味を持ち、勉強をし、考えます。同時にそれまでの「若いころ」を30代半ばに思い返す時期でもあると思います。それは、江國さんが作家としてご活躍されるようになった時期でもあり、作家として自分を見つめ返す時期に重なる事だと思います。
1989年発表の「409ラドクリフ」は、学生生活の中での勉強と恋というものやある意味将来を見つけることへの若い女性の姿が出ていますし、1990年発表の「放物線」は、そんな楽しかった学生生活から5年後という形で、自分が生きる方向が定まってくる時期の心の変化が表されていると思います。1989年の「九月の庭」というちょっと不思議な世界と2001年に訳詞したビートルズの「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は、どこか重なる印象を受け、心の開放感があります。同時にその他の作品には、どこか心の寂しさがあったりもします。そしてもちろん江國さんらしい作品恋や結婚生活のことも。
若い頃の作家江國香織の精神。。。
江國さんの作品理解には欠かせない「作品集」ではないかと思います。
さて、このような作品集ですが、97ページにはこの「作品集」のために書き下ろされたプチ文学論的な「物語の復権」が載せられています。これは、30代半ばを過ぎた作家江國さんの作家として今までを振り返る事であると同時に、その後の作家としての考え方が現されているかと思います。「作品集」の最後に「夕闇の川のざくろ」が納められたというのも偶然ではないと思います。
江國さんのエッセイ集に「泣かない子ども」という作品がありますが、その感想に江國さんの書かれたものを引用して次のように書きました。(「 」内が引用文です)
小説のどこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションかという質問に、こんな質問をされるたびに「こいつ、頭悪いな」と思うという箇所がありますが、核心から外れたものにびしっと書いているところなどは手厳しいです。僕がエッセイを読もうと思ったのも、小説の中にどこまで江國さん自身が描かれているのかという疑問もありましたので、ガツンと頭をたたかれたような思いです。
どこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションか。「小説というのはまるごとフィクションである、と私は信じているし、それでいてどんな嘘八百をならべても、書くという行為自体、作家の内部通過の時点で内的ノンフィクションになることはまぬがれない」本を読むというのは、このような作家の内面と読んだものの内面の会話ですね。このエッセイ集には江國さんの書く姿勢や、読書日記からどのような小説を評価するかがちりばめられています。
「夕闇の川のざくろ」は、現実の生活の中に生きているが、心はいつも物語の中というような「しおん」という女の子を描きますが、そのしおんは、「物語の中にしか真実は存在しないのよ」と言い、「人なんてもともとほんとじゃない」とも言います。
人は日常他の人々と接するわけですが、どこまでその相手の人の真実を見ることができるでしょうか。真実というのは内面といってもよいと思いますが、その内面にこそ真実があるといってもよいと思います。江國香織という作家の内面という真実は、その作品に出てくる表面的な事柄にあるわけではない。一つの作品(物語)全体を通してにじみ出てくる空間に江國さんという真実の作家の内面があると言うことです。「しおん」は嘘つきかもしれない。しかしその嘘という物語の中にしおんはほんとの自分を語っているのかもしれない。
書き下ろしの「物語の復権」は、この物語について語られています。
「たとえば私のことを話したとするでしょ。何年にどこで生まれて、こういう両親のもとに育って、(中略)そういうことを私についての情報と呼ぶ人もいるかもしれないし、また物語りだと思う人もいるだろうし、(中略)物語っていうのは、時間がたっても形を変えてもその質は不変。」(98ページ)
江國さんの経歴を情報としてみれば、その量や質が求められるが、作品と結び付けられればそれは普遍的な物語と捉える事が出来る。江國香織という作家の内面としての真実として。これは、人というものを表現しようとする場合、人とは何かを書くことという中に物語性を通した真実を描くなら、リアリティーがどこまで必要か?現実に目に見えたり触ったりできる事が重要ではなく、そのものの目に見えない真実が重要となりその真実を物語としてどのようにリアリティーを持たすかになっていく。ノンフィクションの私小説はリアリティーである。しかしフィクションの中に自分というものが出たときにその物語はリアリティーを持つものであり、それが文学というものだろう。その力量を持ちたいと江國さんは書いていらっしゃるのだろうか。
だからそれは、不思議なお話でもいいのです。
先に読んだ「川上弘美読本」の中での書き下ろし「蹠の小説」とも関連してくるのでおもしろく読みました。
文学性とは。。。。。
30代半ば以降の江國さんの作品がどのように変化したのか、また、「物語の復権」で紹介された「夏のひかり」や「ホテルカクタス」を読んでみたいと思います。
「作品集」には、父江國滋さんの日記「香織の記録」と妹晴子さんの「夢日記」が集録されています。情報として出なく物語として記憶したいと思います。
同時に、この二つの文章は、父や妹さんの書いた江國さんの物語です。特に父滋さんの江國さんへの強い愛情と、対父親像の江國さんの内面とも関連として読みたいと思います。


【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
分断される時間
僕の時間の流れは
分断をされ流れる
パッチワークの風景
時間は僕を幾何学模様に分断する
一つひとつの風景に
僕は身を置く
時間の分断は幾何学模様
僕はその一つに一瞬を過ごす
その風景は好きで
僕は目を開いて見つめる
しかし心は違う風景に流され
僕は分断をされる
そしてまた目を開いて見つめる
また僕は分断をされていく
ここにとどまらなくてはいけない
こことはどこなんだ
それは一つのいつも感じている
基本の風景
斑模様のパッチワークの時間が流れる
心をそこに置こう
パッチワークの統一された世界
僕は日常を過ごす
さまざまな一つひとつの
一コマに身を置く
心はたしかなところに置く

【2012年】ツイッターつぶやき
五木寛之さんの「下山の思想」(幻冬舎新書)がテレビでも紹介されていた。
「どんなに深い絶望からも、人は起ち上がらざるを得ない。だが敗戦から登頂を果たした今こそ、実り多き明日への「下山」を思い描くべきではないか。人間と国の新たな姿を示す画期的思想!! 」(上記ホームページより引用)
昨日も書きましたが、今の資本主義の段階は特に先進資本主義の段階は、中国の高度成長に乗る形での成長ができたがそれは日本自体の経済を高度成長に結び付けるどころか一定の景気回復はすぐにへたってしまう状況だった。アメリカの景気回復に頼るものもすでにアメリカの落日とも言われいる中にもちろん高度成長は望めない。
しかし資本主義は高度成長がなければ存在できないものである。
高度成長を続けていく中で一定の段階に達すればその上に更なる高度成長を行おうとすれば気が遠くなるような生産力が必要で、同時にその商品が売れなければならない。しかし売れるにしても生産性の向上はすでに精密機械とコンピューターが結び付いたロボットの段階に製造業は到達している。労働力を必要としないで大量の商品を生産すれば、その商品の価値低下を導き市場での価格は下がり続ける。一方においては労働力を必要としない中に労働力の相対的な過剰が起きて失業者が増える。この失業者の増加は就業者の賃金を下げる作用をする。国内消費は落ちていく。
大量の商品を生産するがその価値量は減るわけですからおなじ利潤を得るには爆発的な量の消費を売らねばならない。商品は値下がりをするが国内消費を支える労働者層の貧困化がある程度進むとその安くなった商品すら売れなくなる。これが今のデフレとして現れる経済の現状でしょう。
このように見ていくと、「下山の思想」とは人が意識的に経済の高度成長を望まないとかいう人の心の問題としての下山ではないことは明らかだろう。
下山はソフトランディングでなければならないが、現実は下山をせざるを得ない中で今までと同じような格差社会を望み企業中心主義から抜け出せない中の勤労国民への犠牲として行われている。ここでは爆発的な破滅が待っている。
下山の思想は、単なる心の問題としての下山「ばかり」ではなくて、その思想が経済や政治のシステムを動かしてソフトランディングさせるものでなければならないだろう。
原発の問題や格差の問題、増税の問題など課題は山積みである。これは別々なものとしてあるのではなくてソフトらんぃんぐを進めるうえで共通する課題なのである。この解決はこれまでのような高度成長を望むことからは生まれない。やはり下山の思想が必要である。もちろんこれは経済が落ち込んでいくといったマイナス思考の思想であってはならないだろう。これまでの資本主義のシステムではない新たな社会システムが必要とされるということであり、その新たな社会システムの中に形の違う生活の営みがされてそれが人々の幸福につながるという下山から新たな山に登る準備過程でなければならないだろう。
これには政治経済の議論だけにとどまらない様々な思想や芸術などの発展から生まれるだろう。
幅広い思想の広がりが必要である。
この本は読んでみたいです。

【2013年】ツイッターつぶやき
「2%の物価上昇には4%程度の賃金伸び生む経済必要」と日銀審議員の発言があったようですが、インフレ率が2%の場合賃上げも2%ならばそのインフレ下でのデフレ傾向に何ら変わりはないわけで、4%という数字がどうなのかは別にしても2%以上の賃上げは必要でしょう。
テレビの番組でも景気回復には賃上げが欠かせないという視点が多くなってきましたし、ネット上でも同じ議論が出ています。政府は1000億円の企業減税で賃上げを促進しようとしていますが政府も一定の賃上げの視点を持たざるを得ないという事でしょう。もちろん消極的ですし財界の顔色見る形ではないかと思います。もちろん財界は今春闘においても定昇以外の賃上げについては消極的です。減税ならば少し賃上げをといった動きは出てきていますが、やはり1000億円の枠内でしょう。
賃上げが不可欠というものが出ていますが、これ自体はアベノミクスがすすめば賃上げをしなければ労働者の生活が持たなくなるでしょうから賃上げの要求自体は支持すべきだと思います。
しかしこの賃上げは政策的インフレという人為的な経済システムから離れた賃上げですからインフレ目標を達成するためというだけで基本的に労働者の生活改善からの景気回復にはつながらないでしょう。基本的な考え方は、インフレ誘導からの経済の立て直しではなくて、労働者の生活の安定のための政策が基本でなければならないという事です。ですから賃上げだけではなくて雇用問題や派遣法改正からの正社員化、不安定雇用の是正、高齢者や女性労働力を必要とすることになりますがそこでの賃金や雇用条件の平等化も必要です。このようなものが改善されなければ名目的な賃上げだけでは経済の立て直しもできないでしょう。
2%のインフレ目標については、政府は日銀の責任においてといっていますが、日銀は双方の責任でといっているようです。日銀の主張が正しいでしょう。上に書いたような労働者の賃上げだけではない社会のシステムは国にしかできない。国のその責任とハイパーインフレにつながらない金融政策が必要なわけです。
賃上げの議論だけで終わるとその効果は薄れる。賃上げの中身の議論が必要です。
賃上げとは個々人の労働者の賃金を上げることと同時に、雇用や正社員化などなどの改善から生まれる賃上げもあります。この広い意味での賃上げを見ないとだめです。

【2014年】ツイッターつぶやき
こちらの「『非正規雇用は増えたけど、正規雇用は減っていない』という事実」を読ませていただきました。
正規社員の減少の実数と非正規社員の増加の実数もやはり実数の推移を見れば正規雇用は減って非正規雇用が増えているといえると思います。ただし棒グラフに描くと正規雇用の推移は同じように見えますが。
これがやはり非正規率の急激な変化として現れているのだと思います。片方が減り片方が増加すれば率は高くなる。
同時に正規雇用者数がたとえ横ばいのように見えたとしても正規雇用は減っていないとは一概には言えないと思います。本来ならばもっと正規雇用者数が増えてもおかしくないはずなのに非正規化の中でその正規化されるべき人が非正規として雇用されたならそれもまた相対的な意味で正規雇用の減少ととらえるべきなのです。正規雇用者が増えるので非正規化を国が行ったとすればそれは正規雇用の減少です。ですからこれも含めて非正規率は上がるでしょう。
たとえば高齢化社会ですし団塊の世代が定年を迎えてきた。年金制度の改悪の中で支給開始年齢が伸びていますから雇用促進が行われています。しかしそれは定年の延長として引き続き正規雇用とはならない。(ここでは高齢者が定年後も若い人と同じ仕事ができないなかで非正規雇用を選ぶこともありますが)
すると本来ならば正規雇用を行わなければならないにもかかわらず非正規雇用になるのですから、本来は正規雇用が増えるはずのものが非正規となり、それは正規雇用の減少ということになります。
今業種によっては人手不足が出ていますが、これを正規雇用で雇うところを非正規雇用にするという動きがあります。この動き自体が非正規雇用の減少と見ることができます。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
世界的にも禁煙推進の方法として煙草税などをべらぼうな高さにして煙草を買えないようにあるいは買うのが馬鹿らしいという意識にさせる中で喫煙率を下げるという手法が使われてきた。
この方法は非喫煙者の多くの人に歓迎をされ、マスコミでさえ正当化をしてきた。
ところがヨーロッパにおいてメタボ防止(医療費削減)のためにと「ポテチ税」の提案があったら数河反対の声あがって廃案となった。煙草税の増税による禁煙増進は健康のため(ガン防止)と言われているがポテチ税と同じ発想である。しかしたばこ税については多くの人は疑問視はしない。
煙草税やポテチ税はなぜ効果があるのか?
今や世界中で経済格差の弊害が言われている。貧富の格差が大きくなると同時にそれは貧困や低所得層を増やしているということである。日本では20年以上も前から失われた10年とか言われて格差の拡大が続いてきた。この低所得あるいは貧困化と言う中でたばこ税が増税されれば、禁煙というよりも煙草を変えない人々が増えるということだる。買えない人が増えても統計上の数字では禁煙者が増加!などと報道される。
禁煙運動は煙草を変えないようにすることによる強制禁煙となる。その強制は低所得や貧困者に及ぶ。
このような経済格差や貧困問題の弊害を利用した増税による禁煙というのは、社会的な弊害以外の者ではない。
この「買えないなら禁煙しろ」という論理が当たり前になると、先にも書いたようにポテチ税というものも出てくる。
最近では元アナウンサーの方が「人工透析患者は実費負担にさせよ。無理だと泣くなら殺せ」 (リンクページより引用)と述べたそうですが、「買えないなら禁煙しろ」という論理の弊害がこのような形にも出てくくる。お子さんが保育園を落ちてその不満を「日本死ね」と書いただけで問題視されているのですから「無理だと泣くなら殺せ」は相当ひどい言葉であります。最近ヘイト法ができましたが、このヘイト法にも引っかかるのではないかと思うほどに同等にひどい言葉です。では、殺されるのはだれか?実費負担に耐えられない方たちです。貧乏人は死ねというのに等しい。
もっと飛躍して考えるならば、安倍政権は公助から自助社会に向かっています。
「買えないなら禁煙しろ」「人工透析、実費負担できないなら死ね」
これが社会の様々な所に出てくるでしょう。
「生活保護は子供には大学は行かせるな」はやはり同じ論理ですね。

昨日、鶏のウイングスティック肉を使ってカレーにしようと思ったのですが、メニュー変更で使いませんでした。
ということでこの肉をどうした物かと悩みました。唐揚げは月曜日に作ったし。。。。
ということでもやしと炒めることにしました。と言ってもスープが多いものですが。
ウイングスティックを酒を入れた水でよく茹でて、冷めたら骨を取り除きます。
あとはささっと簡単。
フライパンでもやしを炒め塩コショウ。
水を入れてスープの素「味覇」を入れ、香りづけにほんの少し醤油を垂らします。
煮立ったら火を弱めて溶き卵を流し込みます。
それを片栗粉でとろみをつけて肉と分葱のみじん切りを入れて混ぜ、ごま油を垂らせば出来上がりです。
中華風でうまかったです。

【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「間違いやすい日本語といえば?」
僕のブログではたくさんの誤字があります。
タイピングや文章の書き方が下手なのでしょう。でも、変換でとんでもない漢字が出てくることもあり戸惑ってしまいます。読み返しも足りなくてご迷惑をおかけしております。。。。。
AIが言われていますが、変換もより進化するかもしれませんね。
間違いやすい日本語と言えば、テレビだったか・・・・・「全然」の使い方について間違いではないかというものがありました。
僕の世代ですと「全然」は「全然だめだ」と言ったように否定の前に使うものだと思っていました。今は「全然大丈夫」と言ったように肯定の前にも使うようになっています。
それで、僕たちの世代は日本語の使い方として「全然大丈夫」はおかしいだろうという批判も出てくるのですが、しかし元々の「全然」の意味合いは肯定でも良いようでした。すると僕たちの世代が間違った日本語として「全然」を使っていたことになる。
日本語は難しいですなぁ。。。。。。
しかし言葉というのは生きているもので時間の流れや社会の状態の流れにおいて変化するものと割り切れば間違い代や正しいという論争は無意味になるのかと思います。「全然」が否定の前なのか肯定の前なのか、これを言い争っているうちに社会の中での多くの人の使い方がどちらが正しいかを決定してしまうのでは。
江戸時代の言葉が正しいとしても今の時代に江戸時代の言葉をそのままに使っている人は少ないでしょう。
もう一つ、間違いやすい日本語では変な日本語もありますね。
政治家が国会で謝罪するときに「遺憾であります」という事がありますが、これは謝罪の言葉でしょうか?謝罪することになってしまったのを言っているのでしょうか?仕方ないから謝罪しますといった意味合いにもとれる。
「〇〇されたい」というのも変な言葉で、命令をしているのかお願いをされているのかがわからない。大体この言葉を使うときは訓示などで偉い人が使うのでしょうから、命令をソフトにするためのものかなと思ったりもします。
まぁ、こういった言葉も時代と伴になくなっていくのでしょう。。。。。。
そしてまた新たな言葉で同じ意味合いを持つ言葉が生まれるのかも。社会に不平等や権威や差別が残ればそれなりの古い言葉が生き残ったり新しい言葉が生まれてくる。平等な民主的な社会ではそれなりの言葉が生まれて、不平等な社会の言葉はなくなるでしょう。
言葉も発展をしたり退化もする。。。。。
俳句の季語等、文学にも言えることですね。

【2019年】ツイッターつぶやき
株式は400円以上値下がりをした。
日経平均はアメリカに追随する動きを示しているが、今日の株安はアメリカの株価に連動していなかったようです。円安傾向にあるが株価は大幅に下落したとも見える。
この状態をブルームバーグは
「「世界の景況感は米国がダントツでしっかり。日本は米国に比べて景況感がはるかに悪く、欧州よりも劣る」と話す。日本は賃金が上昇しない中で物価が上がり可処分所得は低下し、内需が弱く消費増税を控え不透明感は強いとみていた。」
と分析をしている。
最近の株価の値下がりは米中の貿易戦争の影響とする分析が多かった。たしかにファーウェイショックはスマートフォン部品関連で日本の大きな打撃になるという分析もある。しかしこのような外的な要因だけではなくて、内政としての内需の落ち込みが相当あるのかもしれない。中国の春節での訪日客増を喜んでいるが、これも確かに数字的には内需として現れてくるでしょうが、基本は輸出のようなものです。
基本統計の不正により実質賃金はマイナスともいわれています。ささやかな生活を維持するための年金も健康を維持するための健康保険料も生活をより厳しいものに変えています。
まさに日本経済は「日本は賃金が上昇しない中で物価が上がり可処分所得は低下し、内需が弱く消費増税を控え不透明感は強い」というブルームバーグの分析は当たっているでしょうし、またそれはアベノミクスの経済政策の誤りを言い当てているでしょう。
株価は為替によって動きますから円安ならば株価は上昇する傾向があります。その円安を誘導したのが政府と日銀の二人三脚です。もちろんこれは為替操作の疑いがありますが、為替(金融緩和)だけでは経済の立ち直りは無理であり、いつか株価の下落にもつながります。日銀の金融緩和の限界と出口への不安が広がっています。このまま日銀が株を買い占めて株価を操作し、副作用が言われている緩和を続けるならば矛盾の先送りとなり出口に向かわざるを得なくなった時の傷は深くなるでしょう。これを日銀にやらせているのがアベノミクスでしょう。見え始めた矛盾がアベノミクスの実態でしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
2月2日に隔離という記事を書きましたがその続きのようなものです。
武漢からの帰国者の隔離の実態を先日書きましたが、さらに大きな隔離がクルーズ船内において行われています。
2日には
「ウイルスの広がりを防ぐにはこのようなことも仕方ないでしょうが、ある意味健康な方も隔離されている状態に見えます。」
と書きましたが、現在のクルーズ船内も同じ状況なのでしょう。
1人の罹病者から現在は61人に広がっている。2次感染そして3次感染が船内で広がっている。乗客は各部屋に閉じ込められているとはいえ部屋の中もウイルスに汚染されている可能性は十分ある。すると発症を待つばかりになりかねない。もちろん発症しない人がいるでしょうが。これが時間差をかけて広がっているとすれば、2週間経過した時点で下船できるのでしょうか?下手をすれば多くの人は発症して初めて下船できるようになる?
隔離というのはこういうような過酷なものですね。
薬の不足や食事や動けないことによる体の変調やストレス。
これが免疫力にも悪い影響を持つでしょう。
たしかに3000人以上の方を病院へ移動することは困難なのかもしれませんが、このままだらだらと船内に留め置くことは間違いだと思う。

【2021年】ツイッターつぶやき
厚労省コロナ接触確認アプリ(COCOA)が4カ月にわたって不具合状態だったという。
アプリも機械ものですから不具合もあることもあるでしょう。しかしその不具合を4カ月も確認もせずに放置していたことは考え有られない事態です。
感染したかどうかはCOCOA利用者にとっては命や健康の問題です。接触通知が無ければ安心して街中を歩ける。しかしもし無症状で感染してれば家庭内や職場内で感染が拡大する。
4カ月間放置されていたということは、アプリの動作を確認する専門家がいなかったということです。アプリを金を出して作ってしまえばそれで終わりという行政の姿が見えます。
こうしたアプリについては菅内閣の目玉政策であるデジタル省とかに専門家はいないのでしょうか?厚労省内で専門家は難しかったら他の省との連携が必要でしょう。これも菅内閣の目玉政策である行革大臣河野さんは縦割り行政から横割り行政へ向け国民から意見を求めてそれを終夜すると約束していました。その約束がどうなのかどう政策として役立てたか?みえませんね。接触アプリのような専門知識を持つ官僚が厚労省と横割りで取り組むべきものだったでしょう。
アベノマスクやGO Toなどと同じく中抜きを含めて企業にばらまくことが目的の政策だったのではないでしょうか。これを見てもコロナ対策とは政府は言いますが、実は企業に税金をばらまく企業優先の経済対策であったのでしょう。
これからワクチンの接種がはじまりますがここでも同じことが行われるのでしょうか。

【2022年】ツイッターつぶやき
第五波の時はコロナ以外の病気などでの救急搬送が病院側の医療逼迫で受け入れが困難な状況が出ていました。コロナ感染者が多く入院したからではなくて多くの感染者が自宅療養をして多くの方が自宅でなくなりました。
今回の第六波も救急搬送を受け入れることができない状態が出はじめました。
オミクロン株は重症化しないとされますが、感染者が爆発的に多くなれば重傷者数の人数自体は多くなります。この状態は第五波も第六波も同じでしょう。医療従事者の感染が増加しているから受け入れられないという面も否定はできないでしょうが、オミクロン株を甘く見た結果ではないでしょうか。
医療の逼迫と言ってもベッド数は余裕があり緊急事態宣言が出されないのですが、緊急搬送もできない状態が出ているという面での医療の逼迫が出はじめていることを見ればベッド数がどうのという問題ではないでしょう。ベッド数など机上の計算ですから常に満杯になることはない。満杯になる前に医療崩壊が出てしまうのですから。

【2023年】ツイッターつぶやき
明日は七十二候の「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」
ここ数日東京は暖かい日が続いています。
そろそろ梅も咲くかな。
木蓮のつぼ無つぼみが少し大きくなっています。ツバキも咲きはじめました。
この時期から3月にかけて公園に野鳥が来ます。
チ、チ、チイと鳴くメジロがやってきます。
そして数年前には鶯の鳴き声が。
東京のような都会に鶯はやってくるのでしょうか?
見た目が目白か鶯か区別ができないのですが、、、、、
鶯の鳴き声を真似するモズでしょうか?
今年は鶯の鳴き声を聴けるかなぁ。。。。。
モズの鳴きまねでもいいけど。

【2024年】ツイッターつぶやき
子育て支援の財源として国民一人平均500円の負担を行うという。
低所得者や後期高齢者には負担増とならないとしますが、後期高齢者の一部では健康保険の自己負担がすでに1割から2割と100%増にアップしています。
この500円の負担増は、今春闘で賃上げがるから負担増にはならないとしています。
賃上げがあっても増税や負担増を合わせて行えば、500円とは言え経済の好転のために賃上げをという趣旨から外れます。これと同じことをずっとやっている。これから食品等が10%から15%さらに値上げとなるらしい。10円でも安いものを求めて安売りのチラシを持ちながらスーパーで買い物をしている人が増えた。
この実態を自民党は目に入っていないから気楽なことを言い出す。
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「2月 7日という日」

2025年02月07日 11時41分33秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
石破さんが渡米をしそろそろトランプさんと会談をするようです。
これに先立ち、石破さんは岸田さんと会談したらしい。
岸田さんと会談し有意義だとすれば、トランプさんとどのような約束をしてくるか、税金をばらまくか、日本企業の位置づけ等なんとなくわかるような気がする。
アメリカも売電さんからトランプさんに変わったわけで、トランプさんがどのような違いで石破さんに約束をさせるかは未知なものがある。でも、安倍夫人が先に行ってますからね。
安倍政権で安保は日米同盟になりましたし、経済面では、アメリカのATM。。。。。
アベノミクスで国民生活はガタガタですからなぁ。岸田さんはこの路線を引き継ぎ、石破さんも引き継ぐ。
すでに石破さんは国民切り捨てで税収が過去最高でも減税はやる余裕がないと言っていますから、その税をどのようについ買うか、トランプさんが教えてくれるのでしょう。

≪過去の記事≫

【2004年】
久しぶりにモスバーガーに寄りました。
ここのオニオンリングが好きなんです。娘とアイスコーヒーを飲みながらおデート。
今夜は石焼ビビンバに挑戦です。
石鍋がないので厚手の鉄板でできたすき焼き鍋を代用してみようと思います。プルコギもと思うのですが、さて味付けは?(笑)適当にごま油や豆板醤、にんにくなどを使えばそれなりの味になるのではないかと思います。
午後から曇ってきました。布団を干したのですが、なんだか冷たくなってしまいよせばよかった。。。。

「蛇を踏む」
文春文庫
川上 弘美  著
「蛇を踏む」は、「蛇を踏む」「消える」惜夜記」の3つの短編からなる。
「蛇を踏む」
主人公の女サナダは蛇を踏む。踏まれた蛇は50歳ほどの女となり、サナダの家に住み込む。蛇は「わたしはあなたの母」だという。
ここだけを見ると、一人の女性が母という自分をある意味では束縛をする関係からはなれて精神面で自立する葛藤を描いているように見える。これもこの作品のひとつの主題だろう。
しかし、この作品を読んで受ける印象としては、孤独に座り、あらゆる邪念に耐える釈迦の姿を思い起こしてしまう。サナダが、勤める数珠屋の店主の妻は「蛇の世界は暖かい」「あの時蛇の世界に行けばよかった」とサナダに話しをする。蛇であり母である女も蛇の世界へいらっしゃいと誘う。「蛇の世界」、これがどのようなものかははっきりしない。しかしサナダは蛇の世界を受け入れたなら落ち着くのではないかと思いつつこれを否定をし葛藤する。この葛藤はすさまじく、ラストシーンでは、蛇の姿の母親だという女と絡み合いながら、首を絞めあいながらまるで洪水のような流れに流されていく。
「蛇の世界」がどのようなものであるかは、川上さん自身そして読者一人一人違うだろう。この違いはあるものの時間の流れ(成長)の中で外界からの誘いに対する葛藤、これが主題だろう。
同時に、蛇はサナダ自身だろう。釈迦が邪念という自分自身と戦うものと同じように、サナダは血を引く母を内面に持ち、時間の流れの中にそれを強く感じる。冒頭の言葉「蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた」とあるように、自分自身では意識しない中に、サナダ自身これをどうすることもできない中に、そこに自分自身というものとの葛藤が生まれる。
数珠屋の得意先の寺の住職は言う「蛇はいい。夜のことも」と。数珠屋の主人は蛇の妻を得て影が薄くなるほどのんきである。ここに男は蛇の世界とは離れたところにいる。このことから「蛇の世界」とは、女性にだけ感じられる外界と心という内面の葛藤であることを感じられる。
「消える」
この作品は、家制度の中での女性を暗示する。
次々に家族が消えていく家、次々に家族がしぼんでしまう家。これはある意味では象徴である。
家族は社会制度の中で5人と決められている家族、テンさんという何か力を持つ人によって決められる婚姻関係。祭りという社会からの束縛。それぞれの家庭の中にある先祖というものに束縛された形のない「こういう決まりだから」というただの声のようなもの。
嫁をもらおうとする長男は消える。すぐに長男の存在は忘れられる。嫁は次男がもらう。こうして家族(家)は続く。ここに本来は母系であることの暗示がある。しかし嫁自身は、嫁ぎ先の家の中でしぼんでいく。男は社会(祭り)の中で傷つく。
このようなことが一見幸せそうな雰囲気が保たれながら家は続き、社会も続いている。時間の中では、これらを構成する人々は時間の経過とともに消えていく忘れられていく。
このむなしさを感じます。
「惜夜記」
宇宙は無限に広がる。しかしそれを構成するのは無限に微細な粒子。その中に生命はある。
この作品から受けるものは、この生命力のすさまじさと、生命の必然としての死である。
ひとつの生命は、宇宙の時間からすれば刹那的でほんの微細な時間の流れである。この宇宙の時間から見ればその微細な時間の流れはあったのかなかったのかわからなくなる。しかしその微細な時間の流れに生きる生命自体は、さまざまに生きていたことに変わりはない。
生命は、世代として(種としてではない)は再生される。土に返った肉体は、仮想をされ煙となった肉体は空間に広がり新たな生命に宿る。この意味では永遠かもしれない。この永遠さを見たときに、自身をひとつの過去の生命を受け継いだ生命体と見るなら、生命という胎蔵界曼荼羅の中に平安を覚える。
少女は老化をし眠りにつく、そこに森羅万象の命を宿す。まるで地球のように。小宇宙が外宇宙に比べれば、小さなものかもしれない。その小さな中のもっと小さな地球。地球は、活力ある宇宙のエネルギーをある程度発散をした老化したものかもしれない。その中に生まれる命。ここにも輪廻を感じる。
エネルギー保存の法則。

川上さんの作品は、不思議な世界である。上に書いた僕の感じ方が正しいとは思わない。でも、このような感じ方をさせる作品に普遍性があるのではないか。読むもの一人一人にある感じ方をさせる。
川上さんの作品は、小説と呼ぶにはふさわしくないかもしれない。小説として読もうとすれば違和感が出てしまう。
大人の童話とでも呼べばいいのか。童話には不思議さも不思議さと感じさせないものがあるから。3つの作品の書き出し、「ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった」「このごろずいぶんよく消える」「背中が痒いと思ったら、夜が少しかり食いこんでいるのであった」という言葉は、童話(昔ばなし)の「昔々、動物や草木がまだおしゃべりができたほど遠い昔」というような、摩訶不思議な世界にいざなう言葉と同じ意味があるのではないかと思う。
3つの作品は、平成8年に発表されている。この同じとしに銀色夏生さんのやはり不思議な世界を描いた「夕方らせん」が発表されている。おもしろいと思う。夏生さんは、この作品を小説とは言わずに「物語」といっている。大人の童話ではいかがわしさも連想するので、僕は川上さんの作品を物語と呼びたい。

【2005年】
妻と二人で夕食の準備中です。
焼酎のお湯割を飲みながら支度をしていたら、妻が海苔の上にキムチとマヨネーズを乗せたつまみを作ったので、なおさらお湯割のピッチが上がってしまった。。。。
焼酎は、玉三郎さんのお住みになっている大分の「安心院蔵」です。ボトルは和紙のラベル。キャップにはやはり和紙の封印が。。。。なんとなく高級感がありおいしそうに感じる。
720ミリかな?900円でした。美味いです。

【2006年】
夜中に雪が降ったようです。
昨夜は仕事で遅くなったのですが、そのときはまだ降っていなかったので夜中に降り出したのでしょう。
これから関東には南からの暖かい風が入ってくるそうです。桜のさく頃の陽気だそうでうれしくなります。
寒暖の差が大きくなってくる季節です。また風邪をひかぬよう気をつけたいと思います。
風邪も完治し、昨夜はいつもの中華屋さんで特性人参酒も飲み、ジムも通い始めこれで体も万全です!(のはず。。。)
新聞を読んでいたら、国民生活の格差の拡大が書かれていた。中流意識が少なくなったとも。テレビをつけるとライブドア問題とその株価が流れて来、スポーツ新聞を広げれば電鉄株の関係で阪神タイガースがどうなるんかという。いろいろな矛盾が広がって混沌とした社会になっているのではないか?社会の安定性、これは国民生活の安定性でなければならないが、不安定性が拡大しているのではないか?
改革というのは、悪しきものを壊して新たな秩序を作ることにあると思うが、今やられている改革は、良きも悪しきもただ壊してしまったというだけではないか?その中で一部の人たちだけが安定性を高めて勝ち組になっただけではないか?
小泉内閣後の内閣は、壊しきったものから何を作り出すかが課題になると思う。

【2007年】
薄日ほどの寒さ。。。
月がきれいです。
月の色も暖かい。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
たしか。。。。。
相撲協会が八百長問題に関連して全力士にアンケートをとったがそのアンケートの表題に「無気力相撲」に関連してのアンケートとあったと思う。なぜ八百長があったかと訊かないで無気力相撲という言葉を使ったのでしょ?
昔から八百長はないといいながら無気力相撲はあったということと、今回のアンケートでの無気力相撲に関してという言葉を使ったことである意味「八百長=無気力相撲」というものが浮き彫りになったのではないか?無気力相撲は八百長の隠語(業界擁護用語)のようなもの?
相撲協会もスター力士を必要にしているし、見ているほうもそのスター力士が勝つものをみたいと思う。なんとなく相撲という特殊なスポーツ(同時に国技という伝統)の今までのなぁなぁ性が八百長という言葉が表面化をして騒ぎ出したという感じがする。マスコミなどはどうなんだろ?まったく無気力相撲=八百長とは見ていた人がいないのだろうか?
今回八百長が浮き彫りになったことでは、相撲界の伝統性の中の矛盾が見えたのではないか?上位力士あるいは幕内力士とそれ以下の位置にいる力士の給金あるいは処遇のあまりにもかけ離れた状態。。。。下位力士に下がると生活や待遇もがらっと変わってしまうというのでは無気力相撲の温床では?そうは長く力士をやっているわけにはいかないし、場所数は増えて巡業もある。案外力士もハードな状態に置かれているのでしょう。
無気力相撲の中身ももしかして公然の秘密になっていたとしても不思議でもない。そうならばそれなりに相撲が好きならば見て楽しめばいいだけである。

【2012年】ツイッターつぶやき
先日ブログに「豊富な中の貧困」という文章を書きましたが、社会全体の利潤率が低下をしていく中に今後は高度成長というものは望めないのではないでしょうか。
たしかに中国の高度成長は経済の起爆剤になっていましたが、今はバブルの崩壊が心配されます。中国の市場に乗り込んでいたわけですが企業は中国国内の低賃金を利用して資本や工場などを移転した。その結果国内の経済は疲弊をしていく。
高度成長を政策として作りだすということは、今の国会で議論されているように企業への優遇策が優先をされて企業の成長の中に雇用や賃金が改善されて景気回復に向かうという論理ですが、そのためには国民は生活状態を犠牲にされ、多少の経済の回復があっても国民にはその恩恵がなかったことはこれまでの社会を見ればなかった。
企業と国とがその結びつきの中に国家独占資本主義は貫徹される。
自国の国民生活の低下は、企業による労働者の失業や低賃金と国による増税や社会保障の低下を引き起こして国内需要を減らしていくでしょう。国の予算と税は企業中心(同時に金持中心でもある)政策として行われ、国民の疲弊からの社会保障費が国の財政を圧迫する。もっとも矛盾が深まる社会に突き進みます。
このような社会に高度成長はあり得ないものとなります。
低成長時代の社会ということは以前から言われていましたが、現実は高度成長型の社会を目指す政策となっていました。今、この社会の在り方を考え直す時期に来ているのでしょう。そうしないと国もそしていずれは企業も衰退をしていくことでしょう。
国としてどのくらいの生産力があり、どのくらいの消費(配分)を必要としているか。すなわち今の経済の中で平等な中にどのくらいの国民生活ができるのかをまずは前提として企業の利益を再配分していくものが必要です。たしかに大金持ちは減るでしょう。大金持ちへの夢はなくなるかもしれません。しかし金では買えない自由な時間を使っての個性ある生活を営めるでしょう。サラリーマン層においても金もほしいでしょうが生活を楽しむ時間がほしいのではないでしょうか。
社会全般のシステムを変えていかないとなりません。その一つの方向が社会民主主義でしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
はじめにお断りしておきますが、これから書く中身では夫婦子供二人の標準世帯といったようなものを念頭において書きますが、これはたとえば独身の方やお子さんのいない夫婦の方を「普通ではない」といった意味で書くのではないことをご理解ください。
中学・高校や大学を卒業して就職をします。独身のころは親と同居を続けたり独立した生活をする方もいるでしょう。そして結婚をします。親から独立をしてある程度広い生活空間が必要となります。そのうちにお子さんが二人ほど生まれる。日本の場合は住宅を購入するというのがこの間の日本を見ると多かったと思います。少しづつ子育てでの費用が大きくなっていきます。そしてお子さんたちも成長して高校や大学あるいは専門学校に入学していきます。その後はお子さんたちも就職をして経済的に独立していきます。そしてまた夫婦二人の老後の生活が始まります。そして終活に。。。。。
ここでは簡単に書きましたが個人個人あるいは家庭ごとに細かな内実があり違いはあるかと思いますが、言いたいことは、この流れの中で必要な賃金額は変化をしていくということです。少しづつ生活に必要な賃金額が高くなり老後は少し低くなっていきます。
これを生活に必要な賃金カーブとします。
この賃金カーブは労働者が安定的な生活を送るために必要なものなのです。
労働者は労働力を会社に売って賃金を得ますが、労働者はこの労働力を次の日も来年も10年後もそしてリタイヤするまで再生産をしなければ労働力を売ることができません。今少子化が問題になっていますが、誤解をされては困るのですが、この子育ても労働力の再生産に入ります。次の世代の労働力なのですから。ですから労働者が健康である程度文化的な生活を送ることができて子育てができる賃金額が社会的に見た必要な賃金額である。
ですから「賃金=労働力の再生産費」ということになります。
これは何も労働者が贅沢な生活をするためではなくて必要最低限の賃金額なのです。(ここでは個々人の能力や役職などを語りませんが、労働力の質の違いは個々人に応じて再生産費も高いこともあるありますし、その能力を得るために要した費用も多いかもしれませんから多少の格差は生まれます)そうすると労働力の再生産に必要な賃金額は世代に応じてカーブを描くでしょう。それが必要な社会的に平均的な賃金カーブとなります。
この賃金カーブをもうひとつの視点から見ると、労働者は賃金を得てそれを労働力の再生産としてあらゆる商品やサービスを消費をします。労働力の再生産という中身は社会の富やサービスの消費ということになります。これは社会的な個人消費量として現れますしGDPにもかかわります。そして企業の健全な生産を維持させますし、それがまた労働者の賃金となります。
このように労働力の再生産費としての賃金そしてその賃金カーブは、社会的にもその社会を維持するために必要な者なのです。
日本はこの賃金カーブを年功序列型賃金体系として持っていました。賃金だけではなくて手当て面も含めて。そして社会保障として企業負担を入れた厚生年金や健康保険制度も持っています。
しかしこの年功序列型賃金を維持するにはこれもまた日本独特な終身雇用制度を持っています。
馬内どこの支店今こそこの視点から今の社会矛盾を見直す必要があるでしょう。今の社会に応じた応用を含めて。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
0次元は、無
1次元は 点
2次元は 円
3次元は 球
4次元は 螺旋
朝、目が覚めて、はたと、思った
僕は無から生まれて、螺旋の広がりの中の1つの点
螺旋の広がりの中で円を描き球を描きながら
その円や球の中の一つの点
円や球は僕の1つの点がつくる広がり
その広がりは生きている間は無限に広がる螺旋の中に一つの点
無限に広がる螺旋はいつか無に収縮する
しかし無限の広がりが続く限り
螺旋は発展であり、発展は螺旋を描く

1時間半ほど買い物に出かけて帰ってきて洗濯物を取り入れようとしたら、あんなにきれいに咲いていたジュリアンの花が全部落ちていました。
以前も一夜にして花びらが落ちていて不思議に思ったことがあるのですが、今日は三色すべての花が落ちていました。
風邪はすごく強かったのですが、今までも強い風で落ちたことはなかったのですが。。。。
不思議です。
こういう花びらの落ち方がジュリアンの特徴なのかとも思ったのですが、それならばなお不思議な花だと思います。
近くに鳥のウンチが一つ落ちていたのですが、鳥が食ってしまうのでしょうか?
そういえば、隣に植えてあるビオラの花びらが食われたような跡がありました。
そもそも鳥は花弁を食うのでしょうか?
虫にしては食い方が早すぎる。。。。。。
不思議な花です。。。。プリムラ・ジュリアン。

【2018年】ツイッターつぶやき
「花咲くころ」と言っても花のお話ではなくて映画です。
朝起きたら急に妻から映画見に行くよと言われて寝ぼけた頭で「うん」と言ってしまった。
一度ウンと言ってしまったので苦手ですが映画を見に行きました。行くまではどんな映画かも知らぬままに・・・・・
着いたところは古本屋外で有名な神保町。岩波ホールに入りました。
入ってみると70歳代かと思われる方たちが半分ほど席を埋めていいました。
さて、映画ですが、「花咲くころ」というジョージア(相撲の暴行事件にも出た国)の映画でした。
ソビエトから独立したころ内戦が始まり国内は荒れてしまった旧グルジアだと記憶します。
その内戦が終わったグルジアはパンを買うにも行列ができて争いが起きていた。社会の荒廃は国民の家庭にも及び夫婦げんかも絶えない。少年たちの暴力と少女たちにも非行が。。。。。映画のストーリーには触れませんが、内戦が終わっても荒廃した社会の中の争いや暴力の中の14歳の少女二人の物語です。
戦争や内戦あるいは日常的な暴力の中で、それはさらなる暴力の拡大につながります。アメリカの銃社会の矛盾が言われていますが、自分を守るのには銃を持つこと。平和を守るには戦争をすることという常識が生まれています。この映画では14歳の少女は護身用と渡された銃を持ちました。その銃を与えたのはモスクワに行かざるを得ない恋人。その恋人が暴力で殺される。少女はその銃をどうしたのか。。。。。復讐に使ったのか。
この結末と少女が踊るグルジアの民族ダンス。
印象的なシーンでした。そしてこの少女の行為が内戦も含めた戦争に対する国民の答えを問いかけてくれるはずです。
60歳以上だったか、、、、割引がありました。

【2019年】ツイッターつぶやき
朝起きて窓を開けたら霞が深く漂っていた。
まだ寒い日が続いていますが、一時の春を感じる朝でした。
春の霞といえば、毎年脳みそにも春霞が漂う。
風邪をひいたりしているうちに花粉が飛び始める。
2カ月ほど風邪をひきっぱなしのような状態。
桜の花が終わるまで脳みその春霞は晴れない。
頭もぼうっとしてくるとあまり物事を考えることができないが、ぼうっとしたのんびりした日々が続くのはうれしいです

【2020年】ツイッターつぶやき
「 1日に1体以上、死後1カ月あまりが経過した遺体が見つかる」(朝日新聞
孤独死の実態はまだ全国的には明らかになっていないらしい。上の引用は大阪府警が行った調査の結果です。
死後1か月以上して発見された孤独死は382体だそうです。
家族から離れて一人暮らしをしている高齢者。介護施設にも年金だけでは入れない。そして周囲から日常的に孤立した生活。
そして682体の内321人が男性だそうで、女性の5倍になる。
妻に先立たれたりした男性の高齢者が仕事ができなくなって日常生活を支えてくれる妻に先立たれ。。。。。。
しかし孤独死は70歳以上のような高齢者だけではなくて、40代50代が18%を占めるそうです。孤独死は自殺も含まれますから就職氷河期世代や最近のリストラ対象世代という社会の歪みによる孤独死が。
全国的な調査が必要になっている中、厚労省の担当者は
「『孤独かどうか』は個人の内面の問題を含んでおり、孤独死をどう定義するかが難しい」と(朝日新聞)
孤独死の定義が難しいといっても、大阪府警の調査方法も含めて定義づけなどいくらでもできるでしょう。
これからの高齢化の拡大はさらに孤独死を多くするといわれている。
「『孤独かどうか』は個人の内面の問題」であるというのはたしかでしょう。孤独を孤独と感じない生き方や日常があることはたしかです。しかし言葉は悪いですが「野垂れ死に」だけは社会として避けねばならないことです。道端で死ぬわけではないが部屋で1か月以上も社会が気が付かない死に方はやはり野垂れ死にでしょう。道端のほうが人に見つけてもらえる。。。。。しかし社会は道端で死なれては困るわけで、部屋でひっそりと死なれたほうが。。。。。言い過ぎかもしれませんが、これも社会の実態の一面です。

【2021年】ツイッターつぶやき
朝4時半悪夢で目が覚めた
悪夢がどんなものかは覚えていないが
苦しかったことは覚えている
苦しくて起きたら枕の端のひもが
手に絡まって変な格好で寝ていた
その前の夜も悪夢で目が覚めた
悪夢がどんなものかは覚えていないが
苦しかったことは覚えている
苦しくて目が起きたら敷布のゴムひもが
足に絡まって布団から抜け出して寝ていた
枕の紐はきつく縛るとそば殻枕の高さが高くなる。ゆるく締めると低くなる。
どうも緩く縛っていたのが悪かったらしく紐のわっかに手が入ってもがいている間にきつく締めつけられたらしい。
敷布は四隅にゴムひもが付いていてそこに布団の世済むを入れるだけのワンタッチ式。
これが敷布団から外れてそこに足を突っ込んでしまいもがいているうちの〆つけられたようです。
寝ている周りの紐は恐ろしい。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
毎日のように芸能人の感染や濃厚接触が報道されています。
まぁ、報道するのがどうのという考え方もあると思いますが、コロナの感染が身近なものとして可視化されるように思います。
報道されるようなテレビなどで活躍している(活躍していた)芸能人人口がどのくらいかわかりませんが、かなりの確率で感染が広がっているのがわかります。
都内の我が町でも感染者や濃厚接触者が公表されたらかなりコロナの感染実態が見えるのではないかな。
コロナの包囲網がだんだんと狭まってきているのでしょう。
テレビを見ていると感染防止が大丈夫なのかなと思うときがあります。芸人さんが叫びまくってギャグを連発したり。。。。バラエティーだけではありませんが、案外長時間の接触があるのではないでしょうか。1時間番組でも収録は数倍の時間とか?
でも、人と人との接触は芸能人ですとテレビで見えるのですが、一般人でも日常の労働や生活の中で接触は多いのかもしれません。
感染防止はしていますと言われますが、国や自治体の感染防止策は市中感染者をそのままにしてそれが家庭内感染や老人施設そして学校などにクラスターを発生させています。個人の責任には限界が出ていますね。

【2023年】ツイッターつぶやき
あのドイツが原発を稼働させるようです。
ロシア制裁による矛盾が出ているようです。
しかしドイツは昨年末で停止する原発を4月まで暫定的に稼働させるというものです。厳しい冬を乗り越えて春になれば停止をさせ、その他の発電に切り替える。
しかし同じように電力の不安定さがある中で日本は40年過ぎた原発もさらに20年ほど再稼働をさせる。
先日も浜岡原発の異常停止がありましたが、政府は再稼働ありきですね。
福島原発事故後すべての原発が停止をしても大規模停電のようなものはなかった。民主党政権は脱原発でしたが、自民党は再稼働を進めてきた。12年間で脱原発をすすめられる機会があったはずですが、再稼働を目指せば原発以外の発電に力を入れない。
今後老朽化した原発が多く再稼働されていくでしょう。
そして20年か30年後には廃炉で国民は四苦八苦をする。

【2024年】ツイッターつぶやき
福島原発の汚染水を処理する装置から汚染水そのものが漏れ出していたことが発覚した。
5.5トン220億ベクレルの汚染だったようですが、原発敷地内とはいえあってはならないことです。
原発再稼働も40年を過ぎた老朽化している中での再稼働ですし、大きな地震が多発している中でその安全性が問われますし、あってはならない事故が起きる可能性もあります。そのうえ事故時の住民の避難については取ってつけたような対策で終わっています。
コメント
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「2月 6日という日」

2025年02月06日 08時00分49秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
アベノミクスが始まり外国人労働者数が現在3倍ほどに増えている。
専門的技術を持つ労働者も増えているが、単純労働などの低賃金の労働者も増えている。
日本にやってきて企業から逃げる労働者がいるとニュースにもなりましたが、技能実習生とは程遠いものがあるのでしょう。
こうした安い労働力なしに日本経済は成り立たなくなる日が近いともいわれています。日本は移民の受け入れが少ないと批判されていますが、日本に在留する外国人も増え、生活の中に溶け込んでいます。
まぁ、アメリカの不法入国者は別にしても、ヨーロッパでは移民排除の動きが出ている。安い労働力を利用する目的だったのでしょうが、経済が落ち込むと邪魔になる。
日本では、昔から産業予備軍という言葉があった。よい例が女性労働力です。経済が過熱すれば働く女性が求められ、景気が落ち込めば女は家庭に帰れと言われてきた。そして男との差別で家庭と仕事そして介護に悩み低賃金とされていた。外国人労働力も移民も同じですね。
受け入れる日本人は、日本の文化に従わないという理由でその外国人労働者の国の文化を学ばない。この文化の違いが対立を生む。もちろん労働環境の差によるのだが。
ローマの経済的衰退に奴隷制度があったようで、奴隷にやらせる中に市民の労働生産性が落ちていく。外国人労働力を奴隷労働力と同じとは言わないが、外国人労働力がなければ経済もままならなくなるという面ではローマの衰退と同じでしょう。

≪過去の記事≫

【2004年】
駅前のコーヒーショップでコーヒーを飲みながら少し読書。
その後スーパーで買い物をしてきました。
あっという間に5000円札がなくなってしまいました。豚肉もサバ(今夜はサバの味噌にと豚の塩焼き、サラダです)も高くてびっくりしました。なんとなくそのほかの食材も高くなっているのか?年末年始のバカ高い値段がそのまま元に戻らないという感じです。
じんわりとこのままインフレ政策に入っていくような?ハイパーインフレにでもなったら大変です。

【2005年】
新聞を読んでいたら二つの記事が気になった。
ひとつは日本が環境後進国になるのではないかというもので、いろいろな製品を輸出するにしてもヨーロッパではねじひとつにも有害物質が使われていないかのチェックが入るらしい。ソニーは独自の基準を作って有害物質の少ない製品をしているようだが、これを国は基準化しないようである。
もうひとつは、スイスで行われた「ダボス会議」には、世界から主だった政治家が集まり話し合いがおこなわれるらしい。しかしこの会議には日本からは主だった政治家が派遣されなかったようである。もっとも日本は通常国会中だという理由もあるらしいが。新聞では「内向きのひ弱さが際立つ」と憂いていた。
日本は経済的な先進国だから孤立化はしないだろう。でもいつ金の切れ目が縁の切れ目ともならないとも限らないし、この経済的先進性も危うい。もちろんアメリカとの関係は強固だこら大丈夫とはいるかもしれないが、経済競争は冷酷である。これからは環境問題なども含めたアジアの中心になれるような政治的な理念を持たないと孤立化もただの空想だとは思えない。
国内政治も内向きであり、景気回復には傷みが伴うとして、勤労国民の犠牲だけが目立ち、この先の雇用確保や福祉・社会保障の発展は筋道が見えない。それどころか肝心な景気回復が国民の生活にはまったく見えない。
いろいろな犯罪が多くなっている。。。。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
暖かな一日でした。
コートを脱いで歩いている人が多くいました。
外食でした。駅に着いたらバイト帰りの息子とばったり。
飯でも食うか?と聞いたら食うというのでいつもの中華屋さんへ。でも今日は休み。近くには寿司屋しかない。。。。ううう
すしのほかに季節のタラの白子などを食ったら高くついてしまった。寿司自体は安かったので油断をして頼みすぎた。。。。

【2008年】
天気予報はまたはずれて午前中から雨混じりの雪が降りました。
夕方から雨か雪かといわれていたのに。。。。。
寒い一日でした。
だいぶ頭がぼさぼさになってきたので床屋に行きたいのですが、こうも寒いと頭を刈ったら風邪をひきそうです。かと言ってこのまま3月まで待てるわけもないので晴れた日に行きたいと思います。
そういえば、時々髪の毛ってふしきだよなぁ。。。と考えるときがあります。
人の髪の毛って伸びるのが早くて、これは細胞の分裂?が早い事かなと。他の動物で床屋に行くというのは聞いた事がない(笑)(犬の美容院は伸びたから行くのではない)時々不思議で気持ち悪くなります。。。。それに禿げたりもしますからなぁ。。。。
高度に発達した頭脳と関係があるのだろうか?

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
夢を描く。。。。。
すてきなことです。
消費増税という増税ありきから話を始めればどんな夢でも描き空想に耽ることができる。民主党は今、夢の中で幸せにさまざまなことを描いている。すてきなことです。政治家としては。
今までのマニフェストでは、どう財政の無駄をなくして社会保障や年金問題を解決するかにありましたが、それが挫折をして民主党は夢を描くことにした。自分の世界に空想を膨らませて消費増税があるじゃないか!と。財政の無駄をなくして支出を抑えて社会保障に、消費増税をして社会保障日に。ここには雲泥の差が生じます。
民主党は消費増税と夢を見てぼうっと空想に耽る。もう真っ白な頭の中には「国民生活重視」は消えている。国民生活を豊かにするには消費増税をすればいいではないかという「豊かさ=貧困」が進む。夢を描くのだからその夢は膨らみ、消費増税は年金の問題にだけではなくて子供手当ての財源にも。それが消費増税と年金問題と言わずに、消費増税と社会保障の一体化した議論という中身でしょう。社会保障一般が増税対象になるというすばらしく政治家にとっては夢のような議論の仕方です。
消費増税は税の負担率としては年収の高さによって決まりますが、これはある意味日常の生活必需品としてみれば逆累進性の税制度です。そして消費税が企業にとっては労働力の消費(賃金)にはかからないといううまさもある。民主党は夢見るすばらしい夢を。しかし一般国民にとってはそれは悪夢である。

【2012年】ツイッターつぶやき
今、日本の危機が叫ばれている。政治的にもそしてその根底にある経済でも。
この危機の根底にあるものはなんだろうか。
日本のバブル崩壊より、いや、バブル経済自体の中に政治や経済の安定を国民生活の犠牲において乗り切ろうとした安易な方法にあったのであり、この安易な方法によれば一時的には政治や経済が安定したように見えることでの幻覚があったのである。
バブル期から労働者の賃上げはせいぜい5%ほどで、財界は今は賃上げではなくて海外とのグローバル化での競争に勝つために資本輸出をしなければならないとした。もちろん時間外労働の恒常化などの過労死が世界共通語になったような無理な働かされ方による時間外手当部分での労働者の収入は増えたが。奥さん方も「亭主は元気に外がいい」といった流行語が蔓延する(笑)
有り余る企業の資金は投機的な株や住宅などのバブルをお越し、アメリカ買いをお越しインフレの懸念を起こす。バブルは崩壊をする。国家財政の深刻さが始まる。そして労働者は「窓際族」と呼ばれる高齢者を作りだして賃下げや解雇に向かう。賃金制度は成果主義になり若い人が得をする社会にと言われたが結局は若い人の失業は高まりその後は派遣法の改悪や賃下げに向かう。
常に労働者を犠牲にする中で労働者の取り分を減らして企業の利益を生み出すことが行われる。そしてここでも企業は有り余る資金を株や国債(アメリカも含む)金融商品での利益に走る。実体経済は0成長ながらも企業の本来の活動からの利益よりも金融商品や株価による見かけ上の利益を利潤と勘違いをしていく。
このような安易な企業利益の確保のために犠牲となる国民の疲弊。
これがエスカレートをしていけば今のような日本が出来上がることは明白なわけです。

【2013年】ツイッターつぶやき
国会の代表質問で安倍総理はハイパーインフレは起こらないと答弁していた。
その点では最近の安倍総理の言葉を見ると「2%のインフレターゲット」という言葉に替えて「2%の物価安定目標」という言葉を使うようになったようだ。先日も書いたが安倍政権になり日銀との2%のインフレになるまで量的緩和を行うとして以来円安が進み株価が過熱気味になっている。安倍政権の経済政策を支持している方も円安も安くなればいいなどと考えているわけではなくて100円とか120円ぐらいまでが適正といわれ、円安が急激にさらに進んだり株や不動産の過熱が軽視できなくなった場合は2%のインフレターゲットにはこだわらなくていいのではないかといった意見がありそうだ。
このような意味ではハイパーインフレにはならないという考え方も成り立つかもしれない。
しかしデフレからの脱却はインフレによって、このインフレ政策は日銀の量的緩和で行う。日銀は2%のインフレが達成されるまでは切れ目なく量的緩和を続けるというものが出来上がってしまったわけですから円安に歯止めがかからなくなったり株価の過熱も放置されれば、それが反作用としてインフレに歯止めがかからなくなるという事もあり得るのではないか。そこには円安によりエネルギーや食料品などの輸入に依拠する日本ですから物価の上昇という面が出る。そこに公共事業というものが入るわけですから物価は上がり続ける懸念がる。しかしこれがデフレからの脱却となるかといえば名目上のインフレにはなるが国民の消費は逆に減退をしデフレ傾向が出る。名目上の商品価格の値上げでの価格はあるもののその価格の上昇に見合ったデフレが再現する。ここでさらにこの新たなデフレからの脱却をインフレ目標という形で行ったら。。。。。
この繰り返しを避けるために安倍内閣も最近では賃金上げを言うようになった。しかしここでも賃上げは名目上の賃上げであり、物価上昇に見合わないものであればデフレからは脱却できず、大幅な賃上げをしたとしてもそれはあぶく銭ですかし、企業は商品の値上げをさらにやる。これがはじまるとインフレは加速していくでしょう。
結局はハイパーインフレにもいろいろな定義がありますが政策という人為的なインフレですし、そのようなインフレは底が見えないものです。一方においては常にデフレ傾向になるというある意味のスタグフレーションの経済となるのか。それは企業に利益が集中をして国民生活には及ばない今現在の経済の繰り返しですし、現在よりもさらに矛盾を拡大した規模での矛盾が経済を破壊するかもしれない。バブル崩壊かもしれない。国家財政の危機は今でもくすぶり続ける借金にはインフレがいいという論理が台頭するかもしれない。
ハイパーインフレにしてもソビエトが崩壊した後のロシアのインフレのようなものもありましたが、デフレ克服を市場にある貨幣量では足りないからといった、そしてそのためには日銀の量的緩和といった考え方から国民生活からの内需型(といっても国によるばらまきでの内需拡大ではない)社会を企業の社会的役割の考え方を改めることから作っていかないと経済はどちらにしても破壊されていきます。その破壊された中に初めてハイパーインフレも現れるでしょう。

【2014年】
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
安倍政権は良く「道半ば」という言葉を使う。
アベノミクスは失敗ではないかといった批判に対してこの「道半ば」を使う。
アベノミクスも5年目に入っている。同時に日銀の量的緩和も並行しながら行われてきた。
それらしく成果もないままに「道半ば」は続く。
しかしなぜいつまでも成果らしい成果も見えずに「道半ば」が続くのだろう?
政府も日銀も当初は「インフレ」として2%のインフレを目標とした。しかし途中からトーンダウンをしてインフレではなくて「2%の物価安定目標」に。
なぜいつまでたっても「道半ば」なのか答えは、政府や日銀の経済政策を支える経済学にごまかしがあったということである。
デフレ矛盾に陥っている日本ですからここから脱却をしなければならない。デフレとは物価が下がり続ける現象だ。デフレの中で経済の好循環は生まれない。経済の好循環はインフレとなる。物価が上がっていく現象である。よって、物価が上がれば経済の好循環も生まれる。ここではインフレもデフレも単に物価が騰がることか下がることかでしか見ていない。
そこで政府と日銀は2%のインフレターゲットを掲げて日銀は量的緩和を行い、政府はこの量的緩和のもう一つの作用である円安を利用して輸出関連企業の株価が騰がることにその成果を見始める。
これが4年も続けば政府日銀の政策は円安誘導でしかないことがはっきりしてくる。
この円安誘導により輸入原材料やエネルギー価格が上昇をして物価が上がっていく。
この物価が上がっていく中で一定の日銀金融緩和や政府の政策は成功しているという判断が出る。
しかしここで先にも触れたように、インフレやデフレを物価だけで考えることにより、円安誘導による物価上昇をインフレと勘違いをしていく。円安誘導による物価の値上がりは本来の景気の好循環による経済法則としてのインフレではなく、ただの悪性の物価高であることに気が付かない。インフレと悪性の物価高という味噌も糞も一緒にした経済判断が出てきてしまう。
世界的な原油安は本来この悪性の物価高を緩和する役割を果たすのだが、この悪性の物価高をインフレとすり替えてしまう中に、またさらなる緩和となっていく。
円安誘導による株価だけのバブル傾向に対して、悪性の物価高は個人消費を減少させていく。
個人消費の減少は経済の好循環どころか経済を後退させていく。経済の後退は好循環によるインフレを起こすはずもない。さすがの政府も管制賃上げをせざるを得ない。もちろんインフレは起きないのですから企業活動の結果としての物価は上がらない。企業の業績は上がらない。
こうなると政府や日銀はその経済政策からの2%物価目標を「道半ば」としてごまかすことしかできなくなるのである。
しかし、政府・日銀政策の真の狙いは、所得(富)の再分配にある。と言っても低いところから高いところへの再配分です。
株価や内部留保の拡大という企業利益の増大や株価バブルによる投資家(ここでも企業が含まれる)そして銀行への緩和マネーが流れる。一方国民は悪性の物価高により実質賃金は下がり、ましてや年金生活者や生活保護者などの給付水準が下がっていく。
この低いところから高いところへの所得移転が「道半ば」としていく中で政府はさらに進めることができるのである。
どこまで行ったらゴールなのか?
「新たな」経済政策は、社会保障の切り捨てへ向かい、税は公共事業に向かい、そして資金はアメリカにわたっていく。公助社会から自助社会に向かっていることが明らかになりつつある。
さらに進めて公助をなくしすべてを自助にしていくこと、その経済政策の背景にあるあるのは政治政策であり、自助は国への忠誠としてあらわれる。
改憲がゴールでしょう。
しかしこのゴールはさらに経済矛盾を広げるでしょう。
インフレもデフレもどちらもが経済矛盾なのですが、共通するのは貨幣の回転が鈍くなるということです。ゴールはスタグフレーションを起こす。しかしのちに停滞を起こすでしょう。もちろん貨幣の回転は鈍くなる。貨幣の回転の鈍さは金融の危機です。恐慌が始まる。

【2018年】ツイッターつぶやき
昔から労働者は生かさず殺さず搾り取れが企業や株主の鉄則でした。
今では労働者だけではなくて個人投資家についても生かさず殺さず搾り取る時代になりました。
昔は株式投資などというと一般国民は投資などというと山師的みていて銀行に貯金をして誠実に生きていました。株を買うというのは配当金が目的でそのためにその企業の安定性や発展性を求めていました。しかし安倍内閣になり顕著になりましたが、株式は売り買いあるいは為替での差益目的になり、日銀量的緩和とマイナス金利で貯蓄では利益が出ませんから投資を行わざるを得なくなりました。なけなしの退職金も投資に回さざるを得ない。その域では労働者の金が投資に回る仕組みです。
投資というのは、投資家や金持ちだけが行っていてもそれは金持ち間の金のやり取りでした。今のように売買利益だけを目的とした株式では、金持ちだけの資金量では足りなくなります。そこでど素人の金を投資に回す必要がある。そうすると株式は必然的に値上がりをする。
これはねずみ講の一種で資金力のある所に金は集まり、下に行けば行くほど利益は薄く下手をすればなけなしの金を失う。
このようなど素人個人投資家を大量に作り出して生かさず殺さず投資を維持することになります。
でも、そうはいかないことが起きます。株式にもバブルが発生するでしょう。
昔の悪はある意味恥や手加減を知っていた。しかし今はすぐに殺してしまうように手加減をしなくなった。
政治も含めて社会は何でも有りが普通になっていますから。。。。。
だから本音の議論だとヘイトも言論の自由となる。このようなものが社会の隅々に。
ですから今の経済矛盾や投資市場において生かさず殺さずといったようなものではすまないことを力のある方々は起こしかねない。先日の沖縄でのヘリコプター墜落で議員が「何人死んだ」とヤジを飛ばして問題となりましたが、今の政治はこのような意識です。

いつものスーパーに行ってきました。
すると時々レジをしてくれるあのおばちゃんが立っていました。
僕は買い物をしならカートのカゴには醤油や牛乳パックなど重いものは下にしながら入れていきます。もちろんパンや卵は一番上に。
いよいよ僕の番になってレジのおばちゃんがものすごい勢いでバーコードを読むレジの機械に買ったものを通過させていきます。それを見ていると気持ちよく感じるのですが、卵やパンなどは買後カゴの横に置きながら肉や魚をレジ済みのかごに入れていきますが、後から重いものが出てくるとその肉や魚をレジ済みのかごから出して横に置いていき重いものを入れたらまた戻します。ですから一度バーコードで読み取った商品がカゴから出たり入ったりします。ずっと見つめていたのですが、夕飯の煮つけて酒のつまみにしようと思った鳥モツが何度もかごから出たり入ったりしてついにどこに行ったのか見失ってしまいました。
手品でコップのようなものを逆さまにして一つのコップのようなものにビールを一つだけ入れてサササッと動かしてボールはどのコップの中でしょうという手品がありますが、それと同じように作業を高速で行いますから僕の酒のつまみの鳥モツがどこに行ったか分からなくなる。
たぶん2,3品を2回カウントされても僕のようにぼうっとした男はわからないかもしれない。。。。。。でもレシートを見ればいつも完璧ですが。
もう一人のレジのおばちゃんの時はゆっくりと作業を進めるのですが、それでもうまくバーコードを通すことができなくて2,3回やり直します。これが何回も続きますから2回ほどカウントされてもわからないんじゃないかと思ったりもします。これはお笑いを含んだマギー史郎風手品でしょうか。もちろんレシートを見れば完璧ですが。

【2019年】ツイッターつぶやき
朝日新聞5面に「消防署員に団結権を」という記事がありました。
先進国でも商簿署員に団結権がないのは日本ぐらいだといいます。この点で国際労働機関(ILO)は日本に対して改善を求めているそうです。日本は拒否をしています。
ヨーロッパでは警察官や軍隊にも団結権を認めている国があるそうです。
日本は労働者の権利をないがしろにする面が強いですね。
1960年半ば頃から春闘は発展をしていき大幅賃上げを求めたストライキが行われていました。このストライキを背景とした賃上げ率が賃上げ相場を決めてストライキをしない労働組合が属する企業(ストライキを背景とした賃上げにプラスして)や公務員(民間準拠)の賃上げもありました。
しかしそのうちにストライキ迷惑論としてマスコミも含めて世論づくりがされました。ストライキ権のない三公社五現業特に国労がストライキ権ストを行った頃は、親方日の丸攻撃がされてストライキに抵抗する国民が多くなりました。
たしかにストライキとなれば社会生活が阻害される面がありますが、労働者の権利としてのストライキを迷惑だからやめろというのは日本人ぐらいではないでしょうか。
春闘もまだ続いてはいますが、連合も完成賃上げに依拠せざるを得ない状態です。
労働運動の形骸化が言われてから相当経ちますが、賃上げも労働条件も労働者の権利もすべて奪われかねない状態です。
これが消防署員がいまだに団結権を持てない状態を作っている日本の現状でもあります。火事になってもストライキするのか!などという偏見も出てきたりするでしょう。消防隊員も福島原発事故時に防護服も機内で水を撒いていました。先日の火事では消火に当たってたしか2名の隊員の方がなくなったようです。多くの犠牲者も出ているでしょう。労働条件は過酷です。そしてパワハラやセクハラも増えているそうです。労働組合を持てないとどこにその解決を自ら見つめることができるか・・・・・・
もちろん今の労働者は皆同じ状態なのかもしれませんが、労働組合の役割をもう一度見直して強化をしなくてはいけませんね。これがないと最終的に賃上げは無理となってしまいます。

【2020年】ツイッターつぶやき
新型肺炎のニュースが毎日報道されていますが、アメリカではインフルエンザで1万人が死亡しているそうです。
インフルエンザはワクチンがあるはずですが、なかなかワクチンでは防げないのでしょうか。
東京は寒い1日になりました。
そして空気が乾燥しています。
新潟方面など日本海側で大雪ですが、雪を降らせた後の乾燥した空気が谷川岳あたりを超えて関東に。冷たい空っ風です。
寒ぶっ・・・・・・
日本ではあまりインフルエンザのニュースが出ていませんが、気を付けたいですね。
そういえば、早くも花粉情報が出ています。
風邪なのか、インフルエンザなのかそして花粉症なのか、新型肺炎かとパニくったり。
花粉症にはマスクですが、そのマスクが買えない。品薄だし、ネットでバカ高い値段に。
マスクが鳴けれなインフルエンザだって新型肺炎だって人に移りやすくなる。
パニックが起きると社会も経済も歯車が狂ってきますね。
ヘックシュン。。。寒ぶっ・・・・

【2021年】ツイッターつぶやき
以前にも同じことを書きましたが、また分散について。
ワクチン接種もはじまりますが、摂取したからと言ってコロナ以前の生活ができるかと言えばそうでもなさそうです。やはり感染予防は必要になるでしょう。
その中で社会全体の人の移動や労働を分散させなくてはならないと思います。
以下ツイッターからです。
連休で一斉に休む必要もなくなっています。
休暇10日ないし20日とは別に、現在の年間休日15日を自由に取得できることが必要でしょう。
これにより繁華街や観光地そして宿泊施設の密も分散できるでしょう。
もう日本もツアーなど団体旅行で宴会という旅行から離れて家族単位や小グループそして個人旅行を楽しむ社会に来ているのではないでしょうか。
コロナを通して今までの常識も変えざるを得ないし変えていく意識もできてきているのではないでしょうか。
日常の会社などの飲み会も。。。。
役所も銀行などもシフト制で年中無休なら助かる人が多いでしょう。役所や銀行に行くにも休暇を取らなくてはいけないなんて時代遅れです
企業や役所の負担がということもあるかと思いますが、サービス業や商店もある規模のところではみなやっていることです。病院も鉄道も運送などもみなやっていること

【2022年】ツイッターつぶやき
NHKサイトのコロナによる死亡者数を見ると、昨日2月5日の1日の死亡者数は117人でした。
オミクロン株は重症化しにくいという常識がありますが、この117人という数字を見ると去年9月やその前の5月ごろの死亡者数のピークと変わりない状態になっています。
ではなぜオミクロン株は重症化しにくい死亡者数も少ないという見方が出てしまったのか。オミクロン株は確かに感染者数に比べて重症化する人数の割合が小さいですから重症化しにくいと見えてしまいます。去年の9月ごろの第五波に比べて新規感染者数の伸びが今のところ3倍近くあります。すると重症化しないと言われても感染者数が多いのですから重症者の数も多くなります。オミクロンは重症化死亡しにくいのですから重症化率や死亡率は小さいのですが、重症者数や死亡者数自体は高くなっているのです。
重症化や死亡は新規感染者数の増加のタイミングよりも遅れてやってきます。これはこれまでの大きな波と同じで、はじめは若い人の感染からはじまり徐々に高齢者に広がります。高齢者や持病のある方に広がれば重症化したり死亡したりします。ですから、5日の重症者数が117人とはいえこれがピークではなく今後増加傾向を示すでしょう。高齢施設や学校そして家庭内感染が増加そしてクラスターにつながりはじめました。もちろん市中感染も広がっています。ですから重症者や死亡はこれからがピークになると見たほうが自然でしょう。
すでに医療の逼迫が言われていますが今後は医療の崩壊につながりかねません。
政府や自治体の対応が遅いですね。

【2023年】ツイッターつぶやき
毎週NHKの大河ドラマを観ています。
前回は「鎌倉殿と13人」でしたが、頼朝と北条がどのように武家社会の礎を作ったか。そして今回は「どうする家康」で室町幕府と戦国時代を経て安定した武家社会を作り上げるまでが描かれるでしょう。この二作が偶然に続けて制作されたということがあるかはわかりませんが、案外二作は意識的に作られたのかもしれません。
武家社会は社会を発展させるための封建社会ですから今の社会から見れば民主主義もないように見えます。しかし現代の民主主義とはかけ離れたものかもしれませんがその時代にもその時代の民主主義があったのかもしれません。もちろんその時代の民主主義を今の時代にあてはめようとするのは危険ですが。
武家社会も社会の発展の一つの過程として必要だったのでしょう。そして江戸時代という社会の民主主義が発展する。その中で経済をはじめ文化や人々の生活も発展していく。発展した社会が家康によってその一歩がつくられる。
しかし封建制社会は矛盾を産んでいきます。その矛盾を解決したのが2年前の大河ドラマの渋沢の物語ですね。天皇制という古いものを残しながら資本主義の社会となっていく。封建制社会とは違う民主主義が発展し経済も文化も発展していく。
大河ドラマも本当の歴史を映しているのかとなればどうなのかはわかりませんが、そもそも戦国武将などの歴史は作家が作り上げた世界を僕たちは見ているわけですから。。。。。
資本主義社会も発展し、特に戦後は新しい民主主義が生まれやはり経済も発展した。それが今矛盾を噴き出している。何十年後の大河ドラマになるかわかりませんが、資本主義を無くした人物が主人公となる日がきっと来るでしょう。

【2024年】ツイッターつぶやき
能登地震では、志賀原発で冷却水の警報がありましたが、東京新聞によると、今、石川県の原発で大きな事故が起きた場合、県民は陸でも空でもそして海でも避難をする経路がないそうです。愛媛県の原発でも避難経路が問題にされましたが、どこの原発でも住民の避難が曖昧なうちに再稼働が進みます。
地震と原発事故は、福島原発事故で明らかになりました。大きな地震が起きると津波もありますし、原発事故は起きる可能性が大きいというのは確かでしょう。
コメント
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「2月 5日という日」

2025年02月05日 05時39分31秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
関西万博も巨額な箱物を作ることになりそうですね。建設費等でも予算の約2倍かかるようですが、全体でどのくらいの税金が使われるのか?2兆8千億ともいわれていますが、9兆円を超えるとも。
これを経済効果で取り戻すとはいえ、入場券の予定販売枚数が1400万枚だが、現在売れているのは半分の760万枚だそうです。それもほとんどが企業割り当てでの販売で一般購入数は130万枚だそうです。予定の一割し一般購入はない。
入場者数が少なければ経済効果も少なくなるでしょう。
そこで大阪府と国は、当日券に回すそうです。
これは売れないからということもありますが、前もって予約購入するには、指紋なども含めて多くの個人情報が必要になる。これが一般購入者を減らすことにもつながっているでしょうし、売れないから当日券という考えも出てくるのかもしれません。
海外からどのくらい人がやってくるか?オーバーツーリズムもさらにひどくなる。といっても万博に海外から押し寄せるというのが前提ですが。

≪過去の記事≫

【2004年】
会社の若いやつがマスクをして出勤。
「風邪かい?」と聞いたら、「はい」と言いながらマスクを取った。なんと赤鼻のトナカイ状態。。。。思わず笑ってしまった。
でも笑い事ではないですね。。。。風邪ぐらいで休暇は一番もったいないですから。
インフルエンザも怖いです。特に鳥インフルエンザ。。。。
鶏肉はよく火を通せば大丈夫らしいですが、一杯飲み屋の焼き鳥、少し赤いときがあるからなぁ。。。。
牛丼もダメ、焼き鳥もダメ、オヤジとしてはすごく寂しいです。
夕刊紙によると、女子高生の女の子が1800人ほどの署名を集めて、イラクへの派兵反対の意思を小泉さんに届けたそうですが、小泉さんは読みもしなかったと。。。
いよいよ余裕がなくなったのか?読むぐらい読んで政治に関心を持つ少女をほめるぐらいの余裕も。得意のパフォーマンスも出なくなったかな?
10代の若い人たち、見直しました!!

【2005年】
寒波も通り過ぎて昨日今日と昼間は暖かいです。
節分も過ぎて、ほんの少しづつ春が顔をのぞかせます。
この前、コーヒーショップに行き本を読んでいたら、格好は若いが60代後半ぐらいのじい様が携帯でメールを打ち込んでいた。ううう。。。。脳溢血の後遺症か?両手がぶるぶる震えて打ち込めない。。。
何だかそれを見ていたら気になって本が読めなくなった。じい様がやっとのことでメールを送信して僕も落ち着きました。
なんかつまらないことで気がそちらに向いてしまう。
しかしそのじい様には申し訳ないが、そんな風景に滑稽を見てしまいます。
川上さんのエッセイを読むと、ところどころに小説のネタになったのかと思われる箇所がある。なんてことのない風景にインスピレーションがはたらくのでしょうね。
日常の中には面白いことがたくさんある。僕も僕なりにそんな日常を見つめたい。
なんとなく忙しい。。。。。
こんなときこそのんびりしないとね。

南房総に行ってきました。
目的は梅干を買いに行くことです。たかが梅干、されど梅干。東京からは交通事情によっては3時間ほどかかりますが、美味いものを買うためにはついでかけてしまいます。
君津から房総スカイラインを通り、鴨川に抜けました。
晴れ間は出ているのですが、空は厚い雲が所々を覆っていました。太陽がその厚い雲に隠れたときです。黒い雲の隙間から太陽の光がスポットライトのようにこぼれて鴨川の海を照らしていました。
先日村山由佳さんの小説「天使の梯子」を読み終わったばかりなのですが、その小説で「天子の梯子」という言葉を知りましたが、偶然にも今日見ることになり驚きました。とは言っても、「天使の梯子」では、月の光でもっとロマンチックなのですが。。。。
きれいでした。。。。
だいぶ昔、奈良の山之辺の道を一人で歩いたことがあります。冬でした。
朝からの雪はやんだのですが、空には厚い雲がかぶさっていました。山之辺の道が山の裾野の小高いところに差し掛かったとき、下にはたしか箸墓だったか?大きな前方後円墳が見え、そこにまさしく天使の梯子が古墳を照らしていたのです。。。。。
もちろんその頃は天子の梯子という言葉は知らなかったので、その光の帯を見て、まさに天孫降臨神話はこんな光景から産まれたのだろうなと、神々しい光に見とれました。
鴨川の海には若いサーファーがたくさん波に乗っていました。波は白かったです。海にまで食い込むような山は少しかすんで見えました。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
春の暖かさ。。。。
掃除をするときに窓を全部開けたのですが、今日は南側の窓から風が入りました。もう春の風です。車に乗っていても晴れた今日のような日は暖房もいりません。
この前「ウェッブ進化論」という本を買ってきました。
ブログが流行り、NSNでしたっけ、いろいろなサービスが流行っています。もう個人のホームページは古いのかもしれません。検索サイトをみてもブログばかりが出てきます。進化はいいのですが、その時々の流行では。。。。
こんな僕の愚痴は案外あるようで、優れたサイトを探すような検索サイトの進化もあるようです。まぁ、僕のサイトが優れているとはいいませんが、さっと検索したときにすぐに優れたサイトが探せればいいですね。
しかし、ウェッブ進化という意味では、安全性も問われるのでは?
安全性は個人の責任なのでしょうが。。。。。これもまた個人の責任として終わらせれば本来の意味において進化はないのでは?
近いうちに読みたいと思います。

やがて今も忘れ去られる
                               角川文庫
               銀色 夏生  著
2001年発行の「バイバイまたね」以来、5年ぶりの写真詩集です。この作品は、中学生ぐらいの少女をモデルとした写真詩集で、風景や花や木の写真を使った夏生さんらしい写真詩集としては、2000年の「そしてまた波音」以来6年ぶりとなります。
夏生さんの詩集は、大きく分けると写真詩集、イラスト詩集、そして題名の初めに「詩集」という題をつけられた文字だけの詩集があります。
初期の河出書房新社の「黄昏国」や「無辺世界」は、イラストが挿入されていますが、その後の角川文庫では「これもすべて同じ一日」で写真が挿入され始めます。最近出版された「うらない」(だと記憶しているのですが)の中で、写真家になろうかと思った時期があったようです。この夏生さんの写真も魅力的ですし、この写真とはっとするような言葉や心にしみこむような言葉の組み合わせは、独特な銀色夏生の世界を作り出しています。
たぶん1時間もあればさらっと読めてしまう本ですが、読み終わると心のどこかに何かが残る。この「何か」がなんだろ?と思ううちにまたページを初めからめくっていってしまいます。
写真もそのへんの身の回りにあるような風景ですし、詩も恋の詩ではあるけど歯の浮くようなきれい過ぎる気どりのある言葉は無くて、日常にふと思い浮かべるような心の動きです。激しい心の動きを見るのではなくてふとした心の動きを見るわけですが、このふとした心の動きに静かな決意や決心を見ます。人は生きている中でいろいろ思いふけることがあり、何かしらの決意をしながら生きているわけですが、その時の心の中は、美しい言葉に飾られているわけではないし、芝居じみた台詞のような言葉を思うわけでもない。やはりふとした心の動きだったり、仕事や家事をやりながら思いをめぐらすような静かな心の動きだと思います。もちろんその心には熱いものがあるわけですが、その熱い心をきれいな言葉や激しい言葉で飾るのは、のちになってからでしょう。夏生さんの詩の魅力は、この後になってきれいなことばや激しい言葉で飾る詩ではなくて、仕事をしながら、家事をしながら、子供と接しながらというその瞬間に動いた心の動きを切り取った静かなものだと思います。ここに日常風景の写真との接点もあるわけです。
この独特な世界に読者はひきつけられて何度も読んでしまうのだと思います。また、きれいな言葉や激しい言葉に飾られた瞬間、そのひとつの詩は整理され完結したものとして現れますが、そのとき心に浮かんだ一瞬の心の動きを表した詩は、まとまりもなく進みます。いつもの心の動きはそのようなものでしょう。とりとめもなく。。。。
ですから夏生さんの詩集は、わかりづらい部分が多いし、よく現れる矛盾した言葉もそのままに出てきます。しかしこのとりとめのない流れの中に一筋の道が見えるような気持ちになる。この道があるからそれが上にも書いたような「読み終わると心のどこかに何かが残る」という気持ちに読者はなるのです。それは、夏生さんの心の中にあるものと読者の心の中にあるものは具体性の中においては違いがあるわけですが、「何かが残る」中に読者の心はかえって引き込まれていき、自身の具体性とダブらせることができるのだと思います。
恋の詩ですが、恋の心に終わらず生きているということへの普遍性を感じ取れるのです。「何か」は、読者の身の回りにあるものから捜し求められるのでしょう。
もちろん詩集として1冊の本として出版されるわけですから、そこには夏生さんの「いいたいこと」はあるわけです。それが本の最後のほうに高まっていきます。読者は心を強く出来るでしょう。。。。
ここにも夏生さんの生き方が現れます。
前書きが長くなりすぎました。
でも、ここで書いた夏生さんの詩集の魅力は、今回の「やがて今は忘れ去られる」の中に十分に現れています。
2005年に発行になった「すみわたる夜空のような」を読んで、銀色夏生という詩人を好きになったのは間違いなかったと、感想を掲示板で書いた記憶があるのですが、今回の写真詩集を読み終わった感想も同じです。
夏生さんの詩を読むと、よく感じることがある。
1ページごとにちりばめられた詩や言葉にドキッとするのですが、その詩や言葉たちが数ページに渡ってのひとつの詩になっているということです。そしてそれが詩集全体の雰囲気を形作っていく。
今回の詩集は特にそういうことを感じながら読みました。
写真も常夏の海を見たかと思うと次のページには雪の風景。無造作にばらばらに入れられているような写真は、この数ページに渡ってのひとつの詩としてみると無造作ではないと感じられます。
今回の詩集は、秀作といえるのではないか?
52ページから61までをひとつの詩として読むとぞくっと来ました。
52ページの「進む部屋」は、少し抽象性のある心の動きを表し、次のページからは思う人が現れてその人は遠くにいる。いつも会って話しをするというような恋ではない。思いは強い。この強い思いはどこでつながっているのだろう?「暮らしているよね  君は今」(59頁)同じ今という瞬間に思う人はどこかで暮らしているんだ。。。「床に落ちた紙くずや折れた鉛筆の芯」(61頁)を見つめると、今という現実の中にも私は暮らしているんだ。この暮らしを愛すること、この愛する心こそが思う人の心とつながっている。
この一連の心の動きに感動します。
しかし、この今という暮らしている時間は流れていく。この時間の流れを見つめたときに、64頁の「やがて今も忘れ去られる」という表題作の言葉が出てくる詩につながっていきます。
でも、これは時間の流れの中で今が忘れ去られていくという悲しく淋しい言葉ではなく、今が過去になって未来が今になるそんな変化を見るわけです。孤独感や淋しさを残しながらも、詩集は118頁の「森からの道」にはじまる最後のページに渡って未来を見つめる今を力強く描かれます。ここにまた読者は感動するでしょう。。。強い問いかけを感じます。
読み終わったときに、次のような詩情が心に沸き起こりました。
『過去は現実としてあったもの
その現実は、今というところから見ると
ゆらゆらと夢のよう
未来にも現実はあるはず
その現実は今というところから見ようとしても
ゆらゆらと夢のよう
ゆらゆらとした夢のような
過去と未来の狭間に今という現実がある
それも一瞬にして揺らぐ
飲み残しのコーヒーがテーブルの上に
僕はそのコーヒーを飲み干すだろう
テーブルの上にはカップだけが
僕は未来へと時間に流される
今という現実は過去となり
揺らぎはじめる
やがて今も忘れ去られる
しかし僕は未来の今に生きるだろう
霧の中の森の道に
振り返っても今来た道は霧の中かもしれない
また前を向いてとぼとぼと歩くだろう
未来という中の今という現実へ』
夏生さんの詩は恋の詩ですが、人が生きているというのはどのようなことなのかとふと思うときにもその読者自身の心に様々な思いを沸き起こしてくれる詩ではないかと思います。ここが単なる甘い言葉に飾られたような詩ではないという夏生さんの詩の魅力だと思います。
もちろん恋の詩としての魅力が一義的ですから、若い方々にも是非読んでいただきたい作品です。そして一人の男として読んだときの心の熱さもあります。ですから女性だけに夏生さんの詩を独占させるにはもったいないです。。。男性も是非!

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
千葉県九十九里に鰯を食べに行ってきました。
先日スーパーで鰯を見かけたのでそろそろ出ているのかと思い出かけました。小さな漁港に3軒ほどの鰯料理店があるらしいと風の噂に(笑)聞いたので行ってみたのですが、目指すお店は土曜だというのに鍵がかけられて開いていませんでした。その鍵もチェーンを巻いた鍵で店の中もがらんとしたよう?店を閉じてしまったのかな?
そこでもう1軒のお店に行きました。
鰯がありました!
つみれ汁が食べた買ったのですが今日は終わったとか。。。。
鰯の刺身と天麩羅がセットになった定食を頼んだのですが。。。。。
たぶん(たぶんですよ・・・・)真鰯ではない。僕が昔堤防で釣ったことのある小さな鰯かな?
今はまだ真鰯は出ていないのかも。。。。。。。
少しがっかりでした。
この小さな港がある九十九里浜を北上すると銚子漁港があります。そこは鰯がやはり有名なのですが、入梅イワシといって梅雨時にあがる真イワシが脂がのっておいしいといわれ一度食べに行きました。今日行った漁港も銚子から近いからやはり真鰯は6月頃なのでしょうか?
今日はがっかりしましたが、またその地方の鰯のシーズンを調べていってみたいと思います。
車でほぼ房総半島を1週して九十九里に抜けたのですが、南房総は暖かでした。気温を見るとそうは高くないのですが、なんだろ?日差しが違うのです。菜の花がたくさん咲いていました。
高い金を出せば都内でも鰯でも何でもおいしいものはたくさん食べられますが、格安でおいしいものをその土地に行って食べるというのが楽しいです。もちろんがっかりすることもありますし、店が休みとか。。。。。。そこはまたそれで思い出です。
そういえば、オーシャンパークという道の駅があるのですが、トイレ休憩で寄ったら「アジのつみれ汁150円」という看板が!食べてみました。津見れは普通のつみれですがアジというのが珍しいのでは?おいしいだし汁でつみれもまずまずでした。お土産にホタルイカの塩辛!好物です。でも、ホタルイカは富山のほうですよね?千葉でも?まぁ、いいやおいしかったから。。。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
先日の朝日新聞のインタビュー記事の乾燥にも書きましたが、学者の中にも国債が急落したような事態に対しての「最悪のシナリオ」を持つべきと言われ、銀行も国債を売る(長期国債から短期国債へというものも含むようですが)ことも考えているらしいです。
僕がたとえば100万円を銀行に貯金をしたとする。銀行は仮にその100万円で国債に投資をする。今の0金利ですから僕が受け取る利息は0.02%200円ぐらいでしょうか?銀行は国債の利回り1%ぐらいでしょうか?1万円を得る。1万円と200円の差額が銀行の儲けとなるのではないでしょうか?
「最悪のシナリオ」として銀行などが国債を売るということは銀行破たんを避けて一面預金者を保護することになりますが、考え方によってはこれは銀行の国に対する「取り付け騒ぎ」のようなものです。銀行が危ないと感じて国債を売るということは、預金者にとっては国債依存の高い銀行を危ないとみるわけですから預金者の立場としてみれば「最悪のシナリオ」では預金を引き揚げるという銀行に対しての「取り付け騒ぎ」も考慮する必要があるということにならないでしょうか?どうせ銀行に預けておいても利息などないわけですから金を買ったり外貨に替えたり頭の良い人は考えるでしょう。
「最悪のシナリオ」を立てた時点で半分日本経済や国は棺桶に片足を突っ込んだようなものです。
日本国民の一般庶民階層は切り捨てられますなぁ。。。でもそれが切り捨てようとしている人々にも及ぼす影響は高いわけです。

【2013年】
男の料理ですからルーは市販のもの。。。って、しっかりした料理を作る男性には失礼ですね。
まぁ、市販のルーでもおいしいという事で。。。。
白菜から出る水分を考慮して少なめの水で作ります。
水にベーコン・ホタテガイの貝柱・牡蛎を入れて煮立てます。旨みが出るようにするためにしっかりと煮てみました。
そこに大量の白菜を入れます。今夜は今はやりの小さな白菜を使いましたので1個入れました。
白菜はしんなりするぐらいで火を止めてルーとスライスチーズ(少し癖のあるチェダーチーズ)を入れて溶かして出来上がり。

まず、今日のツイートから
今朝の朝日新聞朝刊1面で全柔連関連の記事があり、「俺が厳しく指導したから勝てた」という言葉での見出しがあった。この言葉が選手たちにどのように受け止められたか。。。監督と選手たちの気持ちが分離していたわけです。結果が出ても分離をする。今の国家の在り方なども同じく政治と国民が分離。
先にツイートした中身で、「俺が強く指導したから勝てた」という言葉と選手の気持ちとを考えると、それが今の社会のすべての矛盾の共通した根底にあるものだと感じた。。。。
安倍内閣になり企業の業績が上がったとか株価が上がったとか言われるが、それは国民生活から乖離したもの。昨日の橋本市長の文楽に関するツイートもどうも「俺が強く指導したから。。。。」というものを感じた。何かが違うわけです。それを考えるヒントが朝日新聞の全柔連記事にあるのかと今感じている
日本人も戦後政治の中で民主主義の発展とそれを守ることによって民主主義がある程度身に染み込んでいる。勝つことなどもうれしいがその勝った中身や過程に体罰的なものがあり民主主義の欠如を感じるとその勝ったというもの自体に疑問が生じるのである。ましてや買った勝った利益が一部の人たちのものになれば

中学校での体罰の問題が起き、全柔連の問題も出て全国で体罰の実態が出てきそうです。
この体罰の問題も政府が日銀法改正を匂わせたり、橋下市長の卒業式で国家を歌わない教員への処罰や文楽の問題そして中学校の入試中止の問題を予算の執行を匂わせたり。共通項が多いと思います。
この共通項とはなんでしょうか?
それは統治の問題です。統治の仕方としての体罰や政治的権力のフル活用。
例え良い結果が出ると思っての行動も体罰的なものとしての統治能力が正当化されてはいけないという事です。
今後も体罰ありの4年(次のオリンピック)におそれ、「俺が厳しく指導したから勝てた」という言葉に選手たちは何も体質に変わりがないと憤る。このような形の勝つためとはいえ統治が社会のいたるところに蔓延したらどうでしょうか?勝つためには仕方ないでは済まされないものです。
すでに「追い出し部屋」というものが大企業の中に平然と存在し、セクハラやパワハラが社会問題にさえなっている。ここにも企業が勝つためという論理で行われるならいじめや体罰と同じでしょう。
ここでも「俺が厳しく指導したから勝てた」という事から会社は生き延びた(発展した)といった論理が出る可能性があります。時々労基法違反さえ報道される。
この現実が日本としての統治のやり方なのでしょうか?
統治は政治や大きな権力を持つ人々にしかできない。その統治が体罰的なものすべてを容認したものならばそれは国民を縛る中に成果を上げようとするものでしかない。
このような統治が長続きするでしょうか?
例え成果が上がる統治としても国民が嫌気を感じ憤り打ちひしがれるようなものは本来の統治ではない。経済が国民生活抜きには成立しないように政治は国民の支持がなければいつかは成立しなくなる。

【2014年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞一面の見出しは「同時株安 日本突出」で、副題というのでしょうかそれは「アベノミクス期待 反転」とありました。
株価は年明けから下がり続けていますがまだ高い水準にありますからアベノミクスの成果は続いているといった判断をする方もいらっしゃるとは思いますが、昔からアメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひくといわれていました。アメリカが量的緩和の蛇口を少し閉めただけで日本の株価はアメリカ以上に下落をする。
途上国の通貨の下落が問題だとされますが、日本はむしろ円高になっているわけですから途上国の株安とは性質が違うのでしょう。しかし株価の下落は日本が突出していると。こうなりますと、そもそもアベノミクスが始まる前は円高株安といわれていましたが、それを日銀の量的緩和により強引に円安からの株高に持っていこうとしたのですから今のようにまた円高株安傾向が強まればさらなる量的緩和を行わざるを得ないということになります。
このままじわじわと円高株安が続けばそれはアベノミクスの失敗ですし、かといってさらなる円安による悪性の物価高は経済を萎縮するばかりですし、輸出入の矛盾から貿易赤字は膨らむ。これもまたアベノミクスの失敗ということになる。ですから「アベノミクス期待 反転」の方向に向かっているのではないでしょうか?
安倍総理は今国会を「(経済の)好循環国会」と位置づけました。しかし前国会でも経済問題よりも秘密保護法の成立への議論ばかりでしたし、今国会でも経済の好循環の議論どころか集団的自衛権の解釈改憲が持ち上がり、靖国参拝では中国や韓国との対話の糸口を狭めてそれがたい国際社会へも波及して外交が問われ始めています。NHKの経営委員の安倍カラーは多くの委員の発言が取り上げられてそれもまた安倍政権の性格を現していると国際社会は受け止め始めている。安倍総理は外遊が多く国際世論にも立ち向かっているような印象はありますが、現実は逆の効果をも作っている。
経済だけではなくて政治全般に「アベノミクス期待 反転」の方向が現れているのではないでしょうか?実は内向的な精神面優先の政治が見えてきているということではないでしょうか?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
日銀は量的緩和の限界からマイナス金利を導入し円安と株高を作り出そうとしたが減殺の現状を見れば円高はさらに進み株は17000円を割り出した。
政府は個人消費の伸びに対する感性の賃上げを行ったがその恩恵はごく一部の大企業や公務員の賃下げにしかならず一方で雇用増大とは言われるが低賃金の不安定雇用を増加させた。女性の活躍や子育て支援は、企業の女性役員や議員の数を増やすことさえ失敗をして、一般女性は置いてきぼりにされている。将来を見据えた制度の充実は行わずにバラマキでしか行えない。個人消費を伸ばすためにと最近では貯蓄を減らして消費を拡大するために内閣府では「貯蓄税」「脂肪死亡消費税」などというばかげた政策を考えつつあるとのうわさも出ている。
政治政策では柱は憲法改正が言われそのための参議院選挙一色である。
全ても経済政策はこの参議院選に向けられている。自公の与党勝利に向けた政策である。
実は今現在の経済政策の無策は将来の国民生活の在り方を現している。改憲によりすべての法律の解釈は公然と改悪されるでしょう。現在以上の国民生活の低下や不安定性はその法改正に現れるでしょう。もちろん国民生活にとっては経済問題だけではなく、平和や自由・民主主義の解釈にも変化が出てきます。
今現在の自公政権が行っている(今後行おうとしている)政策は経済政策の無策の中で国民生活を犠牲にしながらも国家や大企業利益を優先する国家主義的なものが現れているでしょう。
無策の中に国民を置くことは、自公政権の基本である「公助から自助」につながります。国民はその生活を守るためには自己努力しろ。国民は国家や企業のためには個人を捨てて公に生きる義務があると。。。。
しかしこうした国家観がGDPを押し下げつつ経済の混乱を生みながら国や企業自体を衰退させていっているのです。

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
選挙の時などは着実にアベノミクスの成果が出ている、その成果を国民に。とか言っていたが、結局は勤労国民名から税金や社会保険料で吸い上げて、起業企業には金融緩和で株価を支えたり内部留保を増やしたり。
年金積立金は投資にまわされて株価の安定のために。運用が失敗すれば年金額にも響いてくるし運用益が出ても年金額のアン手安定化に使えば株価が下落するのでできないと。
アベノミクスの成果を言いながらも株価が下落傾向になれば日銀の更なる緩和と。
このように安倍政権の財布を膨らませる。
その膨らんだ中から外国には援助だとか債務の帳消しだとか。アメリカへの投資だとか。「安倍とも」とも国民に揶揄される税の使い方。積極財政を言いはじめたと思ったら社会保障ではなくてオリンピックやリニアなどへの公共事業に。
これではいくら国民が頑張っても日本は浮き上がれない。
バラマキの恩恵を受ける人々による安倍政権の強さでは。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
毎日生活をしている中で暗証番号というものをいくつか持っています。
平均どのくらいの数を持っているのでしょうか?暗証番号に限らないとものすごい数の番号を持っていますね。
人はどのくらいの暗証番号を記憶することができるのでしょうか?
たぶん病気などでその暗証番号を日常的に使わないと多くを忘れてしまうのではないでしょうか?
うん。。。。。
書くこともない日も一応はブログにログインしておく方がいいのかな。
暗証番号で財産の管理もしているわけですから怖いものがありますね。個人としても怖いし忘れてしまったら大変なことになります。
しかし個人的な問題でかたずけられるものはまだよいようです。
NHKニュースによると、カナダの仮想通貨取引をしている会社で創業者が急死してしまったそうです。仮想通貨の取引をする基本的な暗号をあの世まで持っていってしまったそうです。
このため11万人の顧客の資産200億円が宙に浮いてしまったようです。
遠い国カナダのお話で仮想通貨などというわけもわからない僕としては何となくくすくす笑ってしまいましたが、こういったことは日本社会でも形は違うかもしれませんが怒っているわけです。
以前の消えた年金もそうですし、今現在起きている統計不正による失業給付金も宙に浮かんでしまうこともあり得ます。去年から公文書も捨てられたり隠されたり。。。。。
損をしていても肝心の国が暗号をなくしたり訳が分からなくなったりしているようなものです。
また個人情報に個々人が敏感になって気を付けていても行政や企業がばらしてしまうことや売ってしまうことも出ています。
暗証番号(暗号)社会は怖いですなぁ。。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
新型肺炎の流行でマスクが品切れになっているようですね。
中国人の方が来日して爆買いしているようですし、日本人でも需要は高まっているでしょうが、マスクの効果というのはどうなんでしょ?
もちろんしないよりしたほうが良いというのは間違いないのですが。
以前マスクというのは、例えばインフルエンザならばインフルエンザを防ぐためというよりも、インフルエンザをほかの人にうつさないための効果だと聞いたことがあります。
中国人の爆買いも、日本に来て万が一新型インフルエンザに罹病していたら大変ですから、マナーという面でもマスクは必要でしょう。
それにしてもマスク不足はパニック状態ですね。
ネット上でバカ高いマスクが売られている。品不足からの需要と供給もある程度あるでしょうが、かけ離れたバカ高い値段で売るというのはある意味火事場泥棒のようなもんです。なおさら必要とする人が買えなくなります。
パニックをさらに大きくするでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
厚労相厚労省は埼玉県で新たに確認された変異株の感染者11人についてクラスターであるとした。
去年、東京での感染者が徐々に増加をしてあっという間に感染拡大に入りました。海外からの感染を抑えられずに感染が国内に。今回の変異株のコロナ感染も同じような経緯を示しているような気がします。
現在感染者数が減少傾向を示していますが、東京でも700人前後で推移しています。首都圏も同じ傾向にあります。減少傾向がさらに減少につながるのかは実効再生産数の変化を見ると1を切っていますが高止まりをしており。埼玉県では上昇しています。こう見ると新規感染者数はかなり高い水準で高止まりすることがあり得るかもしれません。そこに変異株ウイルスが広がれば大変なことになるでしょう。
政府は東京でいえば新規感染者数でみると500人程度を想定して緊急事態宣言解除を考えているという。
これまで政府は経済対策と感染拡大防止を同時に進めてきましたが、現在は経済政策も新規感染拡大を抑えることも両方が失敗になっています。
検査数も減少していますし、今後さらに悲惨なことになるかもしれません。

【2022年】ツイッターつぶやき
立春が過ぎたとはいえ2月が一番寒いですね。
日本海側は大雪のようですが、関東も雪こそありませんが冷気が覆っています。
明日の最低気温はマイナス1度だそうですがしばらくはこの寒さが続きそうです。
11日ごろには少し暖かくなるようです。
毎日公園の木々の様子を見ながら春の準備の様子を見ています。
桜や木蓮の小さな花芽のふくらみを楽しみにしています。
春を探そう。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
子育て支援が取り上げられています。
少子化対策として子育てに対して支援をすること自体は間違いないのですが、子供の教育関連の予算や子育て世代の給与改善などが行われない中での子育て支援です。
子育て支援のために高齢者の医療自己負担が2割になったり、税全般を見ても防衛費増による増税が行われます。これにより子育て支援も消えてしまうでしょう。そのうえ今後消費増税も出てきそうです。このように家計面は苦しくなる中で子育て支援をしますでは焼け石に水です。プラスマイナスゼロになるでしょう。
一つの家族を見ても、子育て支援を受けるが、爺ちゃんはたばこ増税で爺ちゃん祖母ちゃんの医療自己負担は上がる。オヤジは酒税増税。お母ちゃんが頑張って働くぞと働き過ぎたら103万の壁などで逆に手取り額は減らされる。子供手当の裏で爺ちゃんは好きなタバコをやめ、親父は晩酌をやめる。爺ちゃん祖母ちゃんは医者に行くのをひかえる。もちろん物価は政府の無策により上がる一方。こういった中で子育て支援をぶら下げられて日々の生活は節約させられる。

【2024年】ツイッターつぶやき
東京は午後になり雪が降りはじめました。大粒の雪が落ちては消えしていましたが、夕方から積もりはじめました。
一時小やみになったのでこれ以上降らないかなと思ったのですが、また強く降りだしました。
23区内でも8センチから10センチ積もるという予報ですが、東京にしては大雪です。
明日は鉄道も乱れるかな。
若いカップルが雪だるまを作っていました。
楽しそうです。
うん。。。。
こういう元気がなつかしい。
コメント
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「2月 4日という日」

2025年02月04日 07時56分09秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
ロイターによると、日銀総裁が予算委員会で今はデフレではなくインフレだという判断をした。石破さんは、デフレではないが、デフレに戻らないというはっきりしたものがないとした。
ここ数年の物価高を観れば継続して物価は上がっているからデフレではないという判断が出てしまう。しかしこの物価上昇が経済の過熱によるものかを観れば、どこにも経済の過熱はない。円安による物価上昇が続いており、それは国民生活からみれば悪性のもの以外のものではない。こういった悪性の物価高と経済の過熱からのインフレを味噌も糞も一緒にした判断は間違いでしょう。一方石破さんはデフレに戻る懸念を持っているようだが、政府の経済政策は税収が過去最高になっているにもかかわらず国民生活を切り捨てする。これではいつ悪性の物価高からデフレに戻るかもしれないでしょう。そもそもデフレではないというが常に今の国民生活からデフレ圧力は増加しているはずです。個人消費はマイナスか横ばい。。。。。

≪過去の記事≫

【2004年】
トップページに乗せた六角堂の写真をこちらに移しました。
岡倉天心が晩年をすごし、芸術活動の拠点とした場所だそうです。岡倉天心といえば、20歳代に1冊だけ本を読んだことがあります。もう内容は覚えていないのですが、生け花についてのことがかかれており、僕としては生け花という芸術としての死んだ花よりも、野に咲く生きた花のほうが美しいのではないかと反発をしたことだけを覚えています。
雨も上がり穏やかな朝でした。
洗濯物を干したところです。

刹那に似てせつなく光文社文庫唯川 恵  著
42に際になる主人公響子が、ある大手の建築会社の御曹司を殺害する場面からこの作品は始まります。
殺害現場には、19歳の少女ユミが現れなぜか響子を助ける。ユミもこの御曹司を殺す目的で来ていた。
作品は、この二人の女性の過去を語らせながらすすむサスペンス小説である。
サスペンス小説ですから、ここでは作品の中身に流れは書きませんが、建築会社の御曹司をはじめ、この社会にある暗部を描きながら響子とユミの受けた仕打ちからなぜ殺害にいたったかをきれいな文章で書かれています。
この社会の暗部は、性的犯罪、暴力、外国人労働者、金と会社組織など、週刊誌、テレビのニュースやワイドショーなどで取り上げられているさまざまな事柄が取り入れられていますし、それを取り上げているマスコミの暗部までをも含む中身となっています。
この社会に対して、ユミは「こんな汚れきった日本を捨てる」と吐き捨てる。
テレビ報道では、毎日いろいろな犯罪や事故の犠牲となる人たちがいる。被害者葉の無念さはもちろん、残された家族もいつの間にか社会の暗部に押しつぶされていく。このやるせなさ、社会の暗部に個人ではどうにも太刀打ちできない無念さ、復讐の空虚さ。作品は、サスペンスという形をとりますが、このようなやるせない気持ちが伝わる作品です。
個人としてはどうすることもできない人間や社会から受ける暴力という中でのやるせなさという面では、北村薫さんの「盤上の敵」を思い出すような作品でした。
「盤上の敵」もそうでしたが、この作品でも、被害者でありながら加害者となった人々同士の人間的なつながり、この美しさ、破壊されていく中でも持ち続けられている人間性、これを強く感じさせてくれます。読者は、やるせない気持ちの中に、この人間性に救われます。
もちろん、復讐やある意味では正当防衛をも美化はしてはならない。
少なくとも金が絡むような犯罪はなくさなければならない。金といっても金銭トラブルや保険金殺害などというものばかりではなく、金があるかないかによる社会的な差別はなくさなければならない。この中で先に書いたいろいろな被害を受けている人たちも平等に救われるでしょう。
この本の「解説」を読むと、この作品は唯川さんにとって大きく変わっていく中での作品だと書かれている。
少女小説から大人の恋、そしてこの作品によってサスペンスへと。
この作品がサスペンスとして成功なのかはわからない。でもサスペンスという形の中にも、唯川さんらしい恋も含めた人間どおしの心の温かみが現れていると思う。その反面としての人間の弱さなども。
唯川さんが42歳にこの作品を書き、大きく変わったというのは、サスペンスをかいたからというだけではなくて、唯川さんらしさを残しながらもただの恋の甘さを描くだけではなく、そこに重さを加えたことではないかと思う。もちろんこれは僕の受け止め方ですので、今まで1冊しか読んでいない僕としては、唯川さんがまったくの読み物としてのサスペンスやホラーに変更したのかはわかりません。
「病む月」とエッセイ「5年後、幸せになる」は機会があったらぜひ読みたいと思う。
唯川さんが、40歳代にひとつの転換期を迎えたという中に興味があります。「40才頃

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
立春
しかし朝目が覚めると風の音がビュービューと。すごい北風でした。東北新幹線も止まったようですね。午後からは風も弱まったのですが寒かったです。
久しぶりに10時半まで寝てしまいました。5時頃一度トイレに起きたのですが、その後気持ちよく寝てしまいました。こんなに遅くまで寝たのは近い記憶にはない。若い頃はいつも寝るときは10時間ほど寝ていましたが、年をとってくるとだめですね。
もう少し寝たいと思っても目が覚めてしまって寝れないし、なんだか一日がもったいなくなるので起きてしまいます。その代わり朝の目覚めが悪いということはなくなりました。すっきりとはいかない日もありますが、コーヒーでもすすっているうちに気分はすぐによくなります。
どう考えても寝不足のはずですが、どこで補っているのかといえば、夕飯の後に1時間ほど寝てしまったり、寝つきはよく熟睡できるのだと思います。
そのうちは子供たちに「朝起きは三文の得だぞ!!」などと4時ごろ起きて威張っているようなじい様になるのでしょうかぁ。。。。ハハハ

【2008年】
立春
昨日は東京でも積雪がありました。積雪3センチでも東京としては大雪です。たしかにこの雪はたいしたことはないものですが、交通や人口が過密都市は麻痺をしてしまうのかもしれません。
車に積もった雪を下ろしました。
車の上は、積雪4,5センチはありました。車の屋根は雪も解けませんし、駐車場という広いところですので吹き溜まりもないことから、この数字が本来の積雪かもしれません。
車の上の雪は日に光きらきらしていました。手で少し剥がすと大きな塊となって落ちました。やわらかい雪です。凍りもせずに。。。立春ですなぁ。。。。。
春がだんだんと顔を出してきます。日もだいぶ長くなったし、冬の嫌いな僕も春めく日々にわくわくします。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
        
        
    夕  
    螺  
    禅
    師

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
昨夜のしゃぶしゃぶの時に使ったしゃぶしゃぶ用の餅が残っていたのでチキン南蛮の餅チーズ蒸にしました。
おろしショウガ・醤油・砂糖・酒・みりんに長葱のみじん切りでたれをつくっておきます。
鶏肉は大きな胸肉なら4等分したぐらいにして酒と塩コショウそして片栗粉を入れて揉み込んで置きます。
これを唐揚げにします。
フライパンにたれを入れて一煮立ちさせたら唐揚げにした鶏肉を入れます。
タレをまぶすようにしたら鶏肉の上にしゃぶしゃぶ用の餅とその上にスライスチーズを乗せて火を止めふたをしてしばらく蒸します。
餅とチーズがとろっとしたら出来上がり。
餅は薄くスライスしたものでスーパーにも置いてあると思います。
餅とチーズの風味そして餅の粘りがいいですよ。
もしかしたらハンバーグにもいいかもしれません。

「アゴラ」に「定年延長をどう運用するか?」という記事があった。
「何が「高齢化社会」の問題化か言えば、要するに「働いていない(つまり生産性ゼロの)膨大な数の人達が年金の原資を食いつぶす」からだ。それならば、少なくとも一つの単純明快な解決方法がある。それは、この人達に働いてもらう事だ。」
今、定年延長という話が出ているのもこの論理からでしょう。
しかし「膨大な数の人達が年金の原資を食いつぶす」というが、この膨大な数人たちは年金制度が積立方式で行われていた世代で、掛け金が企業との折半とはいえ一時は200兆円もの積み立てをした。それは政府による将来の超高齢化社会での年金制度の維持でもあった。今はこの積立金もどう無くなったかわからないが100兆円とも。そして年金制度改悪で賦課方式になり、積み立てた金は活用されずに「膨大な数の人達が年金の原資を食いつぶす」と批判されるのである。
こう見ると団塊の世代をはじめとしたこれからも年金生活に入る高齢者だけを責めて「働け」などといわれる責任はないのである。
そこで、まぁ、「働け」といわれて定年延長をさせられるわけですが、その定年延長がどのように行われるべきかがこの記事の主題であるわけです。この背景にはもちろん年金制度の改悪のもう一つの側面である支給年齢の下げがあるわけです。ですから「働け」といわれると同時に「働かなければ無年金でどうする」という恫喝設けているわけです。労働者も自ら定年延長を必要とするような仕組みが出来上がっている。
働かせてもらわないと食ってはいけないとなれば悪い条件でも働く。
ここを見透かして「「定年の延長」が当然の事」と諭される。
そこでこの定年延長はどうあるべきかと続く。
「今の労働慣行をそのままにして単純に定年を延長したら、大変な事になる。職場に高齢者がはびこり、自分達が慣れ親しんだやり方に固執して、一人当たりの生産性を低め、職場の活性化を妨げる恐れがあるからだ。」
と定年後の条件を押し付けられる。
この慣行で攻撃されるのが年功序列である。
「意味不明な「年功序列という人事慣行」は直ちにやめるべきだ。」
として
「「定年制の延長」は「第一次定年」或いは「役職定年」といったものと車の両輪として実行されるべきだ。「第一次定年」や「役職定年」については、人によって色々な考えがあろうが、私は45歳から50歳前後が適齢だと思っている。」
と提案される。
年功序列自体についてはここでは触れないが、その年功序列の弊害をなくすために「「第一次定年」や「役職定年」については、人によって色々な考えがあろうが、私は45歳から50歳前後が適齢だと思っている。」と中高年層の実質的な賃下げともいえる制度を言う。40歳から50歳ごろに一度定年をさせて再雇用なども含めた定年延長を行うという事でしょう。そうすると当然年功序列が否定されるわけだから賃金は下がるでしょう。役職手当分も減る。
これまでに45歳なり50歳以降60歳まで働いた賃金総額と仮に延長が65歳ならその65歳まで働いた賃金総額を同じあるいはそれに近い額に持って行こうとする危険性があります。仮に極端にこの総額が同じならば労働者にしてみれば5年間はタダ働きと同じわけです。ただ雇用をしてもらえるというものでしかなくなる。
そこで結論が出る。
「「地位を追われ、給料も減り、昔の部下に使われる。それでもあなたはまだ働きますか?」と書かれていたので、私は少し怒りを感じた。私の答えは簡単で、「もしこんな事が気になるのなら、その人は働く必要はない。しかし、年金は払えませんから、生活が大変になるのは覚悟してくださいね」という事だけだ。」
と。
定年延長も先に書いたように年金制度と大きく関連するものです。定年延長といってもホワイトカラーとブルカラーとでは条件が違う。60も過ぎればいろいろな病気なども出る。結局働けなければ失業保険での生活や生活保護も考えざるを得ないでしょう。もしかしたら自助・共助の時代ですから子(若い世代)の負担増加になるかもしれない。
労働者側からの年金制度と定年延長の条件づくり整備を急がないとこのような記事の論理にこの社会がなってしまう。

【2014年】ツイッターつぶやき
輸出量が一定で円安により輸出額が多くなった場合、輸出額だけを見れば日本経済は好転していると見えるでしょう。しかし輸出量が一定なのですから実体経済からすれば経済は好転していないことになる。
場合によっては輸出量が減って急激な円安が生じた場合輸出額だけは増えるということもある。これも輸出額だけを見れば経済の好転と見えるだろう。しかし実体経済からすれば景気は後退をしていることとなる。
「円安なのに輸出量が激減する日本経済」という記事がある。これは昨年4月に書かれた記事ですが、アベノミクスが高評価を受けて株価も急激に上がっている時期である。円安による輸出関連株を中心に値上がりしているという時期です。しかし実体経済は上記リンクページにあるような輸出量は減っているという分析もあった。
今はどうかといえば、「アベノミクスに懐疑的な見方が広がる株式市場」という記事に「企業利益が拡大したのは、アベノミクスで円が下落したため海外での売上高が円建てで膨らんだためにすぎず、輸出数量は減少している。」(左記引用リンクページより引用)と分析されている。
安倍総理の賃上げ要請にもかかわらずベースアップには慎重になる財界も結局は水ぶくれ的な利益に自身を持てずに、内部留保も水ぶくれした割合において増加をせざるを得ないのでしょう。もちろんこれは財界の強欲が基本にあることは間違いないのですが。
大根1本が100円から110円に価格が変わっただけで、経済に何の好景気の材料はなくて実体経済はよくて横ばいで下手をすれば後退しているとも考えられる。
1日に需給ギャップに触れて「消費量は減っても物価高で名目上は消費は伸びるということもあります」と書きましたが、これも円安により輸入品の価格が上がったのですから消費量が一定でも消費額は増えて消費の拡大と写る。しかしこれも大根1本が100円から110円に価格が変わっただけで、経済に何の好景気の材料はなくて実体経済はよくて横ばいで下手をすれば後退しているとも考えられる。
こう見てくると今の経済の現状は好景気の伴わぬバブル化といえる。
経済の過熱からのバブルは一定程度労働者にも恩恵はある(もちろんバブルでも物価上昇に賃金が追いつかず、残業の増加による過労死も増えたわけですし、住宅購入もままならない状態でした)が、景気の拡大が伴わないバブルは労働者(国民全体としても)にとってまさに悪性以外の物価高でしかないわけです。
企業にとっても結局は貿易赤字の拡大とその中に内包する経常赤字の顕在化となり、内需関連企業や海外生産を行えないような小零細企業にとっては苦しさが増すもの意外ではないでしょう。
アベノミクスの行き着くところが見え始めたということでしょうか?
「投資家は安倍首相の政策を批判的にとらえ始めている。数週間後には今回の調整局面が昨年5月と同じ程度で終わるのか、あるいは永遠に風船がしぼんでしまうのかがはっきりするが、後者に備えるべきだとと考える理由は十分にある。」(上記リンクページより引用)
消費増税も一時は投資家により歓迎されることもあったと思うのですが、今の状況ではそうも歓迎されなくなっているのではないか。

【2015年】ツイッターつぶやき
        
        
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【2016年】ツイッターつぶやき
        
        
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    師

【2017年】ツイッターつぶやき
     立 春 大 吉

                      天然山 ぼけ寺
                                夕螺 禅師

2015年にODAの大綱が改訂されて「開発協力対抗」が作成された。(日本経済新聞)
「民間投資との連携などODAの枠に入らない取り組みも明記。新たに「国益の確保に貢献する」との表現も加えて、日本にとっての戦略的重要性を踏まえて対外援助を行う方針を鮮明に示した。」(引用)
今、アメリカに足して10日の訪米でインフラ整備も含めたアメリカへの投資を行い70万人の雇用と51兆円の市場をつくる約束をするようだが、これは来日していたマティス国防長官との安保と集団的自衛権の再確認という日本側の要求があり、今の安倍政権が最重要と考える「国益の確保」のための資金投資と考えられる。
これを見るとアメリカへの投資とはいえ、中身としてはODAを含む「日本にとっての戦略的重要性を踏まえて対外援助」ということになるでしょう。マティスさんも当面米軍費用の増額は求めないとした。
日本がアメリカに援助する。
同時に日本は軍事戦略という国益を確保する。
ODAも積極的平和主義に溶け込まれていく。
しかし、アメリカも日本から援助されるということには複雑な思いがあるのではないか?もちろんとらえようだが。。。。トランプさんはニコニコ受け入れる?怒り出す?
マティスさんは「日本は他国のモデルだ!」とその軍事負担について語る。しかしこの言葉は日本人として褒められたと解釈できるのでしょうか?
日米関係の良好さの中に互いにすれ違うものがあり、それが広がるのではないでしょうか

【2018年】ツイッターつぶやき
2日にも書いたように2016年から急速にエンゲル係数が伸びているようです。これは生活が豊かになってより豊かな食事をするようになったのではなくて、全収入に占める食費の割合ですから、より食って寝て・・・・という生活の余裕がなくなっていることを示します。
アベノミクスがはじまり2016年までに多数の企業において正社員数が減少しました。税金や社会保障費により手取り収入は減っています。ここから見てもエンゲル係数が高くなることはうなずけます。
企業を見ると東証一部上場企業でも東芝だけではなくて多くの企業の間違いも含めてですが不適切経理が出ているようです。
企業業績が高まっているとは言われますが、株価維持のためにも不適切経理が横行し、社会意社会性を切り捨てる中での標石維持業績維持でしょう。
株価が上がっても国民生活の豊かさにはつながらないことは素手のすでに現実となっています。
社会保障も最近では株高により年金積立金運用での利益が出ているようですが、年金改悪はこれからっ支給年齢も含めて行われ運用益は利用できません。運用益を国民のために使用すれば株価を下げる要因になるから。もちろん損失が出れば年金額の引き下げにもつながります。
経済の好転とはいえどことなく大本営発表を思い起こすようになっているのではないかと心配になります。この大本営発表をもとにデフレからの脱却が言われて10%への消費増税が行われるのでしょう。「働き方」改革はさらに労働条件の切り下げになるでしょう。企業の利益のための「働かせ方」改革になるでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
窮乏化というと貧困化だけとみてしまうが、資本主義においては労働苦、奴隷状態そして社会生活上の堕落なども含む。
貧困化は、絶対的貧困化に向かいながらも相対的貧困(格差の拡大)の拡大深化です。
労働苦は低賃金と長時間労働化と労働密度の強化によるものです。
奴隷状態は勤労者のほとんどは賃金労働者ですから企業に縛られます。先の労働苦に加えて法的に自由な休暇も取得できないなど労働者の権利が保障されない状態そしてブラックな起業による人間性の否定にもつながる扱いです。
以上の中で打ちのめされる中での人の弱さとしての堕落。
だれでもよかったという理由での通り魔も結局は女性など弱い人を犠牲にする。振り込め詐欺は弱い高齢者を犠牲にする。このような犯罪だけではなくて、社会全体が力による何でもありがすべてとなり、政治すらこの力の政治に堕落する。
日本をはじめ先進国窮乏化に向かって進んでいる。富裕層は勤労国民に寄生するという意味において最も窮乏化しているといえる。
一部学者もマスコミも窮乏化してしまったら大変です。

        
        
    夕  
    螺  
    禅
    師

【2020年】ツイッターつぶやき
さっき、風呂に入るので1枚1枚脱いでいった。
なんと、5枚も着込んでいた。
外に出るときも4枚は着込んでいる。
寒がりです。。。。。
我が家は暖房という物が嫌いで家族が狭い炬燵に群がっている。
その上僕は乾燥肌で、炬燵に入ると脛がかゆくなる。
パソコンの机には暖房はない。
すると、やはり、5枚ぐらいは着込んで厚い靴下をはくのも仕方ないのかも。
でも風呂上りはいいですなぁ。
寝るまでは体がポカポカです。
しかし、立春とはいえ、東京も木曜日ごろから最低気温が0度ぐらいになるという。
たぶん十二単になると思う。。。。。。
春を見つけながらじっと寒さに耐える二月。。。。。。

    立春大吉

             適当宗
              天然山 保気寺

                 夕螺禅師

【2021年】ツイッターつぶやき
2月中旬ごろから医療従事者へのコロナワクチン接種がはじまり、その後高齢者への接種となるようです。
しかしこのワクチンについてどれだけ情報が国民に就いたわって伝わっているでしょうか?
副作用(副反応)についても副作用と副反応の違いも判らない。
今回のワクチンは遺伝子ワクチンとよバラる初めてのワクチンだそうですが、遺伝子ワクチンとはなんぞや?
これまでのワクチンは、毒性を弱めたものを体内に入れて抗体をつくるそうです。遺伝子ワクチンは、コロナの突起物を遺伝子操作により作り出しこれを体内に入れて抗体を作り出すそうです。
何しろ初めての形のワクチンですから副反応がどう出るかわからないそうです。そして効き目の持続期間もわからないようです。
そのほか現在無症状でコロナ陽性の人あるいはコロナの抗体ができている人に摂取した場合はどうなのか?
人種の問題もあるかもしれません。
高齢者の接種後の死亡もノルウェーなどで出ているようですし、ドイツではアストロゼネカのワクチンは高齢者には摂取を推奨しないとも。
こういった情報は朝のワイドショー程度ですからね。

【2022年】ツイッターつぶやき
東京の陽性率が38%を超えました。
検査数に対して陽性者が多いということでしょうが、これは検査数が少ないということでしょう。もちろん新規感染者数が多くなっていることでもあるのですが、検査数が多ければ陰性者も多くなりますから陽性率は下がるでしょう。
検査数も検査キットば足りないとか言われています。検査数も飽和状態かもしれません。

【2023年】ツイッターつぶやき
岸田さんが毎年2000億円の支援をフィリピンで行うらしい。それは5年間で1兆円になるそうです。
日本の総理大臣は外遊のたびに金をばらまいてきていますが、今後岸田内閣としても18兆円ばらまくそうです。
防衛費増での増税や子供支援でも今後増税が考えられます。
日本は絶対的貧困層を作り出していますし、全体的な所得の減と中間層も中流から脱落していくでしょう。
海外へのバラマキはアジアやアフリカへの支援を強めている中国に対抗するものでしょうが、日本の支援は昔から紐付きといわれています。紐の先には日本企業の利益があります。
国が金を使って企業利益を維持する。一方では国民生活が困窮していく。
これが資本主義の矛盾です。

【2024年】ツイッターつぶやき
      立春大吉

             適当宗
              天然山 保気寺
                 夕螺禅師
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「2月 3日という日」

2025年02月03日 08時05分13秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
明日は立春ですなぁ。。。やっと。
毎年恵方巻は手作りでしたが、今年は寿司屋さんから買ってきました。
しかし、高いですなぁ。
イクラや海鮮を使った者は1600円です。
我が家はケチって普通の卵や干ぴょうの太巻きでした。
でかいものを買ってきましたので黙って食いきることは困難。

【2025年】ツイッターつぶやき
      立春大吉

             適当宗
              天然山 保気寺
                 夕螺禅師

株価が1100円以上下落したようです。
急激な円高かと思ったら円安傾向に変わりがない。
どうもトランプさんの保護主義からの関税が問題だったようです。
中国やカナダ、メキシコなどに高い関税をかける。日本へも同じ高関税です。
自動車などの輸出が不利になりますから株価は下がる。
アメリカは、国内産業の保護とアメリカでの現地生産など投資を行わせる。
日本は石破さんが渡米するようですから、どんな投資条件を突きつけられるか?
国民生活には税を回さずに、それどころか増税と社会保障費の負担増を行い、税収が上がっても国民生活を犠牲にする。
これまでもウクライナをはじめ多くの国々に税金をばらまいていたが、今度はアメリカにさらにばらまくのでしょうか?
アメリカにとってはこれが強いアメリカなのでしょうが、経済を混乱させながらアメリカの利益を維持しようとする。
先進国、いや、資本主義経済が破綻に近づいていく。

≪過去の記≫

【2004年】
やっぱりなかった。
今夜は生野菜を食べたいと思っていました。いつも紫蘇の葉の千切りを入れるのですが、よく考えたら、今日のお昼のみのもんたの番組で紫蘇の葉を取り上げていたっけ・・・・もしかしたら売り切れ?
そう思いつつスーパーの野菜売り場に行ったらやはりありませんでした。
ハハハ・・・・
唯川恵さんの「刹那に似てせつなく」を読み終わりました。
唯川さんのイメージがよいほうに変わりました。サスペンスになったからというのではなくて、中身に重さを感じるようになりました。後で読書ページに感想を入れます。

【2005年】
川上さんのエッセイの後半を読んでいます。
後半は書評が載せられています。リンクさせていただいている川上さんのファンサイトで、時々新聞での川上さんの書評を教えていただいてもいるのですが、それも含めて川上さんの書評はおもしろい。
読書感想を書いているけど、あのようなものが書けたらいいなぁとおもう。
今日は節分?
そういえば持ち帰りの寿司店でも太巻きがたくさんあったなぁ。忘れていて何も用意してない。。。。
西を向いて立ち、何もしゃべらないで家族全員黙々と太巻き寿司を食う。なんか不気味な風習だ。。。。

【2006年】
節分
明日は立春。今日は春を感じさせてくれる暖かな一日でした。
また地震がありました。
この前の夜の地震のときは、風邪ひきのうえ焼酎を飲んでしまったせいか、夕食後寝てしまい気付きませんでしたが、震度3程度の地震が続いています。めまいかとと思い一瞬驚きました。
息子の部屋が騒がしいのでのぞきに行ったら、友達を一人呼んできて部屋の模様替えをしていました。僕が譲った本箱を捨てるんだと。。。。
まったく本を読んで入れようなんて気持ちがない!(ムカッ!)ハハハ・・・
もうだいぶ壊れてきた本箱なので捨てるのも仕方ないかなぁ。
終わったらしくゴミ袋3つにもう着なくなったTシャツやら冬服が入ってました。そこで僕はゴミあさり(笑)
息子と僕は背がほとんど変わらないので、僕が着れそうなものを拾い出しました。家の中でゴミ漁りをするとは思わなかった。。。

【2007年】
節分
もうすぐ春ですなぁ。。。。
明日は立春です。
でもこちらの日記は春分まで冬(笑)
2月は一番寒いです。。。。だから冬・・・・
7月だったかな?参議院選があると思います。
僕の思うひとつのシナリオ。。。
安陪内閣は、もういつつぶれても仕方のない状況で、自民党のウルトラCは、参議院選直前の小泉内閣の復活あるいはそれに代わる方の内閣。衆議院解散。衆参同日選挙。ここに若い人が結集して勝利。敗れた民主党は、小沢代表による党の解散。民主党内の自民党寄りの議員は小泉内閣やそれに代わる方の内閣に賛同。
さまざまな法案が成立。
。。。ありえない話ではないですよねぇ。。。。
その中でのキーワードは「欧米か」または「欧米化」(笑)
いろいろな矛盾を抱えながらも民主主義を模索する欧米。今の国内の民主主義に対する武士道の必要性をを説く「国家の品格」(藤原さん)に見るような競争原理からのありえないものとしての欧米民主主義批判。アジア内の中国・ロシアの接近と中国のさらなる台頭。アメリカ・中国の接近?六カ国協議のアメリカ、中国、北朝鮮、韓国の役割拡大。。。
もちろん僕の考ええるものですが。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
個人資産の総額が1400兆円あるという。一人あたりにすると1100万円とか。
これの1100万円はあくまでも平均ですし、1400兆円の中の多くは例えば一般的な4人家族のサラリーマンが持つ資産というわけではなくて、こちらのサイトを参照させていただきましたが、個人資産には自営業者の事業資金や企業の企業年金なども含まれ、一部の人の巨額資金が大きいといいます。実際の個人資産は、一世帯あたり500万円で一人あたりにすると150万円ほどとか。実感からするとこの額となると思います。
特徴としては高齢者の個人資産が大きいともいわれていますが、退職金や子供が独立した後の数年の家計にゆとりの中から自分の老後を考えて尾の貯金といったものでしょう。そしてそれは子供の結婚資金や住宅所有のサイの援助とか、今では失業時代ですから子に金を残すという意味合いもある金です。ほんとに豊かな一部年配者はその資産も多いでしょうが。
しかしこのような個人資産の反面負債もあるわけですから本来の個人資産は、住宅ローンや車のローンなどを考えると負債額のほうが大きいわけです。税制度はこの負債を考えずに所得として税金がかかるわけですから個人はこの税制からしても負債は隠されるわけです。
日本国民は資産があることはたしかなのですが、この個人資産にも格差が出ているということでしょう。
わずかな個人試算があっても今は貯金をしていてもゼロ金利ですからね。100万円貯金していても利息でもらえる金は数百円です。わずかな資産を貯金していても個人には利得がない。利得はその貯金を運用している金融機関などが運用して国債も含めた株式や金融に投資をして受け取っている。もちろん貸し出しの金利は大きいのですからその収益は相当大きいでしょう。その大きな収益の中には個人の住宅ローンという高率の金利としても。個人資産として貯金をしてもローンとしての債務としのお金利が。こういう意味では多くの国民はそうは金持ちではないということです。そうした中にも大衆課税である消費増税が出てきている。

【2012年】ツイッターつぶやき
昨日書いた記事にもあるが、国債の暴落を予期して今のうちに社会保障費を削り消費税は25%にそして資金は外貨資産の蓄えにという論理が出ている。銀行も国際暴落前に国債を売ろうとする。今の社会保障費のための消費税率10%へという国会の議論ですら今の経済状況の中で個人消費を落とし込むものではないかという懸念が大きいというのに。
これまで企業の国際競争の中で企業が生き残ることにより雇用問題や景気回復への改善もあるとしてこの企業を守るために国民は犠牲となっていた。そのために個人消費はマイナスとなり、巨大企業も赤字を言うようになり結局はGDPはマイナス傾向を定着し始めている。
国や自治体の財政のために(実は消費増税のアリバイ作りのために)公務員の数を減らせとか賃下げしろとかという動きも出ている。公務員の給与水準はなにも公務員給与が大幅に上がったわけではなくて民間企業の低賃金化の中で相対的に高くなってしまったというだけなのに。
このような今の社会で起きていることは、これまで以上に勤労国民の犠牲を強いる者であり、それは個人消費を減らして更なるデフレを加速させようとするもの以外ではないだろう。
上のような政策はその論理面で精神的デフレスパイラルに突入しているということである。
まだ精神的なものだけなら良いが、そこからの政策は社会の中に矛盾を広げて実際的なデフレスパイラルを引き起こすのではないか。デフレは加速をしてデフレスパイラルに。日銀がお札を刷って政策インフレ。ハイパーインフレに。そして金融恐慌に?

【2013年】ツイッターつぶやき
BLOGOSの記事「安倍総理のある種の癖について 」で書かれている
「『建設国債の日銀の買い切りオペによる日銀の買い取りを行うことも検討』と述べている。国債は赤字国債であろうが建設国債であろうが同じ公債であるが、建設国債の範囲内で、基本的には買いオペで(今も市場から日銀の買いオペは行っているが)と述べている。直接買い取りとは言っていない。言っていない事を言っているとした議論は、本来論評に値しない」
「日銀が独立して日銀の判断で行っていくわけだから」
という論理と、今日の橋本市長のツイッターの論理
「毎日新聞のコラムで鳥越俊太郎氏が「橋下の入試中止の権限行使は裸の王様だ」と。鳥越氏、基本的な知識もないようだ。入試中止の決定をやったのは教育委員会。まず教育委員会制度の基本を勉強しなさい。そしてこの鳥越氏のような似非人権派は一部メディアで重用される。」
は、すごく似た論法に感じる。
    国債を買い取ったのは日銀である。
    入試中止の決定をやったのは教育委員会だ。
しかし安倍総理は日銀法の改定を匂わし、橋下市長は予算執行の中止を匂わせた。
一定の政治的な圧力の中で「決めさせる」。そして決めたことは日銀であり教育委員会だというのは、国が日銀に介入していないこと、市長が教育委員会に介入していないことへの政党かにある。
しかし実際は権力の力を日銀も教育委員会も感じての決定。
こういうものはあってはならないものでしょう。
問題が出たら日銀が決めたことだから、教育委員会が決めたことだからという論理が出るでしょう。
日銀は2%目標に責任を持たされハイパーインフレにでもなれば責任を取らされる。教育委員会は入試中止後の体罰問題に責任を持たされ同じ問題がまた起きれば責任を取らされる。
こういったものが政治でしょうか?
すみません。引用部分を文字の大きさで区別してわかりやすくしようとしたのですが、かえって読みにくくなってしまいました。。。。。。?

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
2月10日に安倍総理他閣僚が渡米をして首脳会談を行う。
そのための経済協力原案日米成長雇用イニシアチブ」(朝日新聞)を作成した。
アメリカに51兆円の市場を作り出し、70万人の雇用を創出するという。
これまでも外遊では多額のバラマキをしてきたが、対アメリカには桁の違うバラマキを行う。
その投資にはGPIF(年金積立金)を運用するのではないかという疑念もある。
日銀の国債買い取りによりだぶついた金が国内投資あるいは国民生活に直結しない金として存在する。年金積立金は危険性のある投資にまで使われ始めているが、さらにアメリカへの投資に使われる。
一方国内を見れば、年金積立金は高齢化社会に対処するために積み立てられた金であるにもかかわらず、年金支給は0.1%削減されたり、若い人の年金積立金の軽減にもならない。
社会保障は政府による公助から自助へという流れの中で削減されていく。
国内の老朽化したインフラの補修は緊急性を帯びている。特に水道管の破裂名は毎年報道されており、問題化されているが、このインフラ整備を水道の民営化により行うという方向性もささやかれている。公的資金ではなくて水道料金の値上げによるという、ここでも公助ではなくて自助で行う危険性がある。
今回の「日米成長雇用イニシアチブ」とは、国民生活を犠牲にしたアメリカへの投資と言わざるを得ない。
この投資は他の国への投資あるいは援助と同じくひも付きとするならば、国外の投資は日本企業の利益拡大に使われることとなる。企業救済のための金。。。。
しかし救済された企業は国内への還元は行わないと見たほうが良いでしょう。
これが日本側からの提案です。
しかしアメリカ側からの提案もある。最近では日本の金融政策を円安誘導だとして(これは的外れではない)是正を求めるとしている。またアメリカ国内での自動車生産を強要している。
このアメリカからの日本への恫喝をどうかわすかそして、今検討を急いでいる改憲をどうアメリカに認めさせるか、その上に立った日米安保(集団的自衛権)の再確認(当面する問題として政府は急ぐが、尖閣諸島有事)を得ることに日本側は国民生活を犠牲にしながらアメリカに貢ぐことになる。
日米安保は日本を守るための用心棒代だといったごまかしの論調が昔からあるが、この用心棒代を支払うために国民はやせ細っていく。国民生活が内部から崩壊してくことは国の衰退につながる。結果的には日米安保が日本を守るどころか衰退させるではシャレにならない。
軍事行動の範囲は広くなっていくでしょう。ツイッターでは、南スーダン派遣の自衛隊ンが死亡する事態が出たら首相は辞任するというものがあった。しかし首相が辞任しても死亡した自衛隊ンは帰ってこない。同じように衰弱する国民生活はいったん破滅されれば元に戻すには相当の力を必要とする。
今の日本は、これまで蓄えてきたすべてのものを浪費し、国民生活までも、平和までも犠牲にして成り立っている。

2015年に政府はODAの大綱を改定して「開発協力大綱」とした。(日経)
「国際的にODAは途上国援助のみを指し、力点は貧困削減などにある。新大綱は従来のODAに加え、日本の安全保障や経済成長に役立つ対外協力に積極的に取り組む姿勢を打ち出した。」(上記リンクサイトより引用)
日本のODAは昔から貧困解決のためというよりもインフラ事業への協力に力点があり、そのためにひも付き援助とも批判され、より日本の国益(間接的には企業利益)を重視した物でした。
2015年の改定ではさらにこの国益が重要視されたものと思います。
経済的先進国の日本ですから貧しい途上国の貧困解決や医療への援助等へのODAは必要なことですし、日本はこの分野における援助を強めるべきかと思います。しかし国益重視とセットとなったODAには慎重でなければなりません。また昔から貧困の多いアフリカ諸国よりアジアへの援助が大きいといわれていましたが、これもまた国益に沿ったものであり、最近では対中国を意識した援助に見えます。
それでも日本のODAの対GDP比は少ないといわれていますが、この「開発協力大綱」後の安倍総理の外遊時の援助の約束が大きくなっています。
ODAの額それ自体も考えるべきものですが、中身が貧困解決や平和目的であるかなどを見なければならないでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
「律儀に。。。。」の続編。
今日は早くも節分。
恵方巻を食わねばならぬ。
昨日、ぼうっとラジオを聴いていたら和牛を使った1本5000円の恵方巻の話があった。そんなセレブな恵方巻などは食えないので手作りでやってみようかと思う。
恵方巻を食わなければならいというのはここ10年程前からでしょうか?
東京に子供の頃から住んでいると恵方巻というのはなじみがない。関西の方の風習らしいですがいつのまにか関東にも進出してきましたね。
去年だったかおととしだったか。。。。。ご飯を入れすぎてぶっとい海苔巻きになってしまいました。1本食い終わるまではしゃべってはいけないという事ですが、ぶっとい海苔巻きは汁物がなければ食いきれずにさら皿に置くと家族みな同じで笑ってしまいました。1本食い終わるまではしゃべってはならぬは無視をしてテレビ見ながらしゃべりながら食いました。まぁ、笑いが出たという事で良しとしたいと思いました。
今年はご飯を少なくして具をたくさん入れようかと思います。
昼めし食ったら買い物に行こう……今日は良い天気。
恵方巻の次はチョコレートを食わねばならぬ。。。。。。アハハハ・・・・

【2019年】ツイッターつぶやき
節分。。。
今年も手作りでと思いましたが、去年の失敗から今年は買ってきました。
明日は立春ですなぁ。。。。。
東京は最高気温が19度になるそうです。一気に桜の花が咲く気温だそうです。もちろんこのまま暖かになるわけではありませんが、1日だけでも暖かさを味わえるのは気分が楽になります。
立春に19度に気温が上がるというのは記録的だそうです。
これも異常気象でしょうか。。。。。
日が暮れるのが遅くなってきましたし、日の出も早くなりました。

【2020年】ツイッターつぶやき
なんだかあわただしい日々が続いています。
そんな日々の一息は、
花がだいぶ大きくなり、つかの間のやわらかくてあたたかい日差し。
散歩道で、最近難に中の顔見知りができてごあいさつ。
今日は何を食うかと考えながら作った夕飯の味。
そして明日は立春ですなぁ。。。。。。
さむさは今週末はまた最低気温も0度になるそうですが、日差しはだんだんと春の日差し。
ほっとしますなぁ。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
    立春大吉

             適当宗
              天然山 保気寺

                 夕螺禅師

コロナ関連特措法の改正(改悪)が可決され13日から施行されるようです。
禁固刑案は自民党や公明党の議員による8時以降の会食が多く出たことからの自爆で盛り込まれませんでした。しかし営業時間や入院拒否には過料を科せられるようになります。
1回目の緊急事態宣言時には休業補償のわずらわしさや遅れで救済がないがしろになりました。また国民一人当たり10面縁も諸外国に比べるとわずかでしたし、この1年間でコロナ関連の失業が増加をして生活できない人たちのうったえが増加しています。この中で過料となれば飲食店の負担ばかり(精神的なものが大きい)が増えてしまいます。
入院拒否者に対する過料も、たしかに入院を拒否する人が悪いと思われがちですが、生活や経済環境から入院できない人も出てくるでしょう。奥さんが入院を言われた。しかし小さなお子さんがいるしご主人は会社を休めないということも想定し得るでしょう。現在入院拒否どころか入院もできない自宅療養者が急増しています。政府のやることはちぐはぐですね。
過料でも刑罰ができることにより、国民を統制するものでしかないことがはっきりしています。

【2022年】ツイッターつぶやき
節分



恵方巻を作りました。
端っこのほうを切ってみました。
キュウリ、エビ、玉子、かんぴょう、ネギトロ用のトロ、でんぶ

【2023年】ツイッターつぶやき
節分も終わり明日は立春ですなぁ。
スーパーや持ち帰り寿司店にたくさんの恵方巻がありましたが、横眼で眺めながら恵方巻の具材を買って手作りにしました。去年はご飯が柔らかすぎたのですが今年はよい塩梅でした。
トン汁を作りました。
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