夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2016年 2月29日(月)「労働力の再生産費としての賃金と同一労働同一賃金」

2016年02月29日 20時45分27秒 | 「政治・経済」
労働力の再生産とは、労働者が次の日も、次の月も次の年もそして次の世代も労働力を売っていける状態に保つのに必要なことということです。これはある企業が商品を次の日も次の年も生産を継続していくことと同じです。では、次の日も次の月も労働力を売ることができる上らいを作り出すのはどのようなことが必要かといえば、寝たり食ったりという毎日の生活の中で労働力は再生産をされていくということです。ですから労働力の再生産に必要な費用は生活費となります。この生活費を価値どうりに受け取ることは社会を維持していく上でも必要な額となります。その生活費という視点から見た賃金体系は、日本においては年功序列型賃金という形で終身雇用と結びついて行われてきました。これに対してヨーロッパ型といってよいのでしょうか?労働力の価値を等級化してそのある等級である労働力ならばどの企業に就職しても同じ額の賃金といったような同一労働同一賃金制があります。そしてアメリカ型といってよいのか?企業が採用するに当たってその労働力の価値を労使(企業と個人ですが)で決定をしてその能力によって賃金額が決まるという能力給あるいはその能力による年俸制というような賃金体系もあります。実際はそのそれぞれの基となる賃金体系を基礎にしていろいろな賃金体系が取り入れられて実際の賃金は決められています。日本でも年功序列とはいっても出世をしなければ安給料というものが昔からありましたから。
このようにいろいろな賃金体系の中にそれぞれに長所短所はあるのですが、労働者全体の平均的な労働力の価値は決定をされていいます。
そこでいろいろな賃金体系がある中で、より「労働力の再生産費としての賃金額」を反映された賃金体系とはどのようなものでしょうか?
それは日本型の年功序列型賃金体系にあります。
労働者の平均的な生活パターンを考えて見ましょう。学校を出て就職をします。5年ぐらいは一人前になるために企業もその労働力を「育てる」わけですからある程度賃金は安くなります。10年ほどしますと一人前になり同時にその間に結婚をして第一子が生まれる。そうするとその生活に必要な額にも変化が置き労働力の再生産費は高まります。年功序列型賃金はこのカーブ合致したものとなり多少の賃上げがある。そのうちに子供が成長すれば家を持つようになり、その後は家のローンを払いながら子供の教育費も上がってくる。そして両親の老後を支えながら子供が大学という最頂点に生活費は達する。年功序列型賃金はこの年齢に一番高い賃金カーブを描く。そして子供たちが独立をするようになり、自分たちの老後の支えの貯金がはじまりル。祖手はほんの数年の間ですが、定年になり年金が満額出るまでの老後の夫婦二人の生活としての再雇用などの低い賃金となっていく。
もちろん昔から上に書いたように出世をしなければ安給料的な職能給・能力給というものが入っていましたからまったくの年功序列型ではなかったわけですが、平社員あるいは係長どまりであっても年功序列型の賃金カーブの最低ラインが維持をされてきました。その中で平社員は平社員の年功序列の中での同一労働同一賃金が維持されました。係長は係長なりの課長は課長なりの同一労働同一賃金は維持され、若い社員もそれなりに同じような額の賃金が得られました。
このように見ると年功序列型賃金体系は、同一労働同一賃金という賃金体系の変形した形を維持しながらも労働力の再生産費としての賃金を反映してきました。もちろんそこには若い人も年よりも同じ労働をしても賃金額が大きな開きを持つという矛盾としての同一労働同一賃金の崩れがありましたが、社会の消費をを考えた場合でもある年齢層やその年齢層でも違った役職にある労働者は同じ賃金であるという形の同一労働同一賃金は存在をし、この意味での同一労働同一賃金の合理性がありました。また、若くして結婚をして子供ができたといった場合は、賃金内には扶養手当などの手当て制度もあったわけで、税制も含めて生活費としての賃金は微調整をされていました。
また、この年功序列型賃金体系は、長くその同じ企業に勤めなければ維持できない中に終身雇用制と強く結びつくという矛盾が言われる場合がありますが、それは労働力の移動に弊害が出るといったもので、長く同じ企業に勤めること自体には何の弊害もないわけです。実際、日本は終身雇用制の中に産業の再編成も行ってきましたしその中に年功序列型賃金制度は今なお残存するわけです。これは労使ともに年功序列型賃金体系を必要にしているということです。
労働力の再生産費としての賃金あるいは同一労働同一賃金を崩しているのは、雇用体系による差別化にあります。同じような仕事をしても、正社員と覇権賃金格差やパートの時間給では差別をされる中に同一労働同一賃金制度が崩壊をしています。派遣社員が正社員を教育したりするという矛盾までもが出ます。
この労働力の価値ー賃金=労働力の再生産費という構図の中からの同一労働同一賃金がどうしても賃金は決定をされなくてはなりません。このような形で賃金を受け取る労働者を思い描くわけですが、そこに立って「この生産性の向上が労働者にどのような影響を及ぼすでしょうか?」に入っていきましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よくお読みいただいている記事(23)

2016年02月29日 17時11分09秒 | よくお読みいただいている記事
            2016年2月

        2月 1日     国家の衰退
        2月 2日     国家の衰退
        2月 3日     国家の衰退
        2月 4日     煮凝り
        2月 5日     立春
        2月 6日     経済政策の無策と改憲
        2月 7日     経済政策の無策と改憲
        2月 8日     経済政策の無策と改憲
        2月 9日     9月 9日という日
        2月10日     現在日本の6つの過ち
        2月11日     現在日本の6つの過ち
        2月12日     現在日本の6つの過ち
        2月13日     豊かさが故の貧困という矛盾
        2月14日     偏った報道あるいは中立性とは何か
        2月15日     偏った報道あるいは中立性とは何か
        2月16日     偏った報道あるいは中立性とは何か
        2月17日     残業代ゼロ中間層以下にも?
        2月18日     残業代ゼロ中間層以下にも?
        2月19日     観念的経済理論
        2月20日     観念的経済理論
        2月21日     観念的経済理論
        2月22日     全体主義と社会民主主義
        2月23日     偏った報道あるいは中立性とは何か
        2月24日     偏った報道あるいは中立性とは何か
        2月25日     政権も末期
        2月26日     政権も末期
        2月27日     現在日本の6つの過ち
        2月28日     現在日本の6つの過ち
        2月29日     しりとり俳句 2014年夏
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年 2月18日(木)「観念的経済理論」

2016年02月18日 22時01分09秒 | 「政治・経済」
これまでアベノミクスを支えてきた「経済理論」の一つに企業利益が拡大をしていけば賃金が増加するというものだった。
しかし安倍内閣が完成賃上げを行わなければ賃上げはなかったろう。ちろん官製賃上げは実質賃金を押し上げることはできなかった。
政府は緩やかの景気は回復しているといっていたが、その証は株価の高騰と企業利益の拡大だった。しかしそこに経済理論からの大幅な賃上げは起こらなかった。結局は企業利益が拡大すれば賃上げが起きるという経済理論は全くの観念的で科学性のないものであったことがわかる。
これで思い出すのが赤字国債を拡大させながら行われた公共事業事業である。
景気が悪い時は政府が赤字国債を出しても企業の活性化をするために公共事業を増やさなければならない。企業が立ち直り好景気になれば企業は利益を拡大して税金となって国の赤字は減らせるといったケインズ的な経済理論である。
しかしこの経済理論も観念的な非科学性の理論であった。今の安倍政権で企業利益を隠し切れないほどになり税金を支払うようになったと持ったら法人減税を行うという。
結局今も昔も自民党の経済理論は空虚な観念的なものでしかなかったということである。
企業利益が拡大すれば労働者の賃金も上がり国も赤字も減るという国民への期待を植え付けるだけのようなものでしかなかったのである。
経済理論は必然性がなければならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年 2月13日(土)「偏った報道あるいは中立性とは何か」

2016年02月13日 14時11分39秒 | 「思うこと」
政府による報道の在り方について多くの発言が飛び交っている。
最近においても放送法がらみで大臣が電波を止めることもできるとの発言まで出ている。
偏った報道あるいは報道の公平・中立さという言葉が独り歩きをして観念的な解釈がされ始めている。
では偏った報道とか報道の中立とは何かをも一度考えてみなければならない。
以下、ツイッターからの転載です。

偏った報道あるいは報道の中立性を考える場合どこに中心点があるのでしょうか?その中心点は「真実」であり「国民の利益」などにあります。この中心点から政府の行うものがずれていたならそれを批判するだけであっても偏った中立性のない報道をは言えない
この中心点となる真実や国民の利益については様々なとらえ方があります。ここで討議が必要になるのですがどちらの意見が正しいかを出し合うことの内部にどちらの意見を主張するかが現れます。ここに観念的な公平とか中立はあり得ない
観念的な公平や中立が大切ではなくて真実がどこにあり国民の利益がどこにあるのかをどこからも邪魔をされずに主張しあえること自体が真の現実的な公平や中立が生まれるのです。

真実でないもの間違ったものそして国民の利益にならないものなどを報道することが報道機関の使命であり責任だろうか?
報道機関は真実そして国民の利益から報道をすることが使命なのである。
ならば報道機関は真実がどこにあり国民の利益がどこにあるのかを踏まえて報道すべきなのです。ここにうそや国民の利益にならないだ王としたものについてその意見も正しいとはならないでしょう。
正しいと考え国民の利益を中心点として報道すること、他の報道機関と意見の違いが出たなら報道により討議をしていくこと、取材をしていくこと。これが使命でしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年 2月12日(金)「豊富さが故の貧困という矛盾」

2016年02月12日 20時36分31秒 | 「政治・経済」
以下、今日のツイッターからです。

商品価格の下落や原油価格の下落は、生産性が高まる中での法則的なものです。商品はその製造において人間の労働力を少なくすれば価値低下が起きます。エネルギー消費を少なくすれば原油価格が下落します。この中で今、商品や原油の過剰生産という現象が現れている。
しかしこの過剰生産は相対的な過剰生産で絶対的な過剰生産ではない。人々はもっと商品もエネルギーも必要としているのだから絶対的な過剰ではない。人々の懐にあるべき貨幣量が減少している中で商品もエネルギーも消費できなくなっているのである。だから相対的な過剰生産なのである。
商品やエネルギーの価格低下は人々を豊かにする条件です。しかしこの価格低下を良しとしない人々がいる。利潤率の下がる中で企業や株主破損をすると。利潤率の低下を阻止するために日本においては賃下げという誤った生産性向上が行われた。そして低賃金労働力を求めて途上国に資本輸出
この中で国内労働者は疲弊をして結婚もためらい子供を産むのでさえ躊躇し始めて少子化という労働力の再生産の困難さにおかれるようになる。商品価格は下がるのが法則だがこれに反して物価を上げることが重要視される。ここから賃金の相対的な低下が起こり、労働力の再生産を困難にする
ここで奇妙な現象にお気づきになるでしょう。一方においては過剰生産が起こり、一方においてはほしい商品も変えずに労働力の再生産すらできない人々が増加をする。この奇妙な現象が拡大するとデフレマインドは大きくなり、経済はゼロ成長どころかマイナス成長となるのです。
物質的豊かさが多くの人々の貧困を生みだすという現在社会の矛盾が拡大していきます。しかしそれがまた豊かな生活をする人々を怯えさせるでしょう。豊かな人々は生き残りの競争の中でだんだんと淘汰されていきます。巨大企業もより少ない数に淘汰されていくでしょう。それがまた貧困を
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年 2月 9日(火)「現在日本の6つの過ち」

2016年02月10日 10時03分49秒 | 「思うこと」
現在の日本において以下の6つの過ちがあるのではないか。

1、アベノミクス
    所得の低いところから高い所へと所得移転をしてしまった。
2、日銀の円安誘導(量的緩和)
    金が余っているデフレ時に量的緩和を行った。
3、リフレ経済学
    インフレと悪性の物価高の区別がつかなかった。
4、国家主義的政策(改憲路線)
    国家のためと国民の声を聴けなくなり政治進路が見えなくなった。
5、知識層(マスコミなども含め)
    国のためには真実を追求することを忘れた。
6、国民
    我慢することではなく自身の生活向上が国を救うことを忘れた。

追記(2月10日)3として
「財界。。。懐疑的だったアベノミクスという毒饅頭を食ってしまった。」
を入れなければなりませんね。ですので「現在日本の7つの過ち」となる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しりとり俳句 2016年 春

2016年02月05日 13時56分26秒 | 「しりとり俳句」
          2016年 春

      それなりに立春大吉陽の遊び 碧
      陽に遊ぶ小鳥の声や爺歩き 夕螺


 投句していただいた句は本文中に掲載させていただきます。一番新しいコメントの句から継いでください。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年 2月 5日(金)「経済政策の無策と改憲」

2016年02月05日 10時32分26秒 | 「政治・経済」
日銀は量的緩和の限界からマイナス金利を導入し円安と株高を作り出そうとしたが減殺の現状を見れば円高はさらに進み株は17000円を割り出した。
政府は個人消費の伸びに対する感性の賃上げを行ったがその恩恵はごく一部の大企業や公務員の賃下げにしかならず一方で雇用増大とは言われるが低賃金の不安定雇用を増加させた。女性の活躍や子育て支援は、企業の女性役員や議員の数を増やすことさえ失敗をして、一般女性は置いてきぼりにされている。将来を見据えた制度の充実は行わずにバラマキでしか行えない。個人消費を伸ばすためにと最近では貯蓄を減らして消費を拡大するために内閣府では「貯蓄税」「脂肪死亡消費税」などというばかげた政策を考えつつあるとのうわさも出ている。
政治政策では柱は憲法改正が言われそのための参議院選挙一色である。
全ても経済政策はこの参議院選に向けられている。自公の与党勝利に向けた政策である。
実は今現在の経済政策の無策は将来の国民生活の在り方を現している。改憲によりすべての法律の解釈は公然と改悪されるでしょう。現在以上の国民生活の低下や不安定性はその法改正に現れるでしょう。もちろん国民生活にとっては経済問題だけではなく、平和や自由・民主主義の解釈にも変化が出てきます。
今現在の自公政権が行っている(今後行おうとしている)政策は経済政策の無策の中で国民生活を犠牲にしながらも国家や大企業利益を優先する国家主義的なものが現れているでしょう。
無策の中に国民を置くことは、自公政権の基本である「公助から自助」につながります。国民はその生活を守るためには自己努力しろ。国民は国家や企業のためには個人を捨てて公に生きる義務があると。。。。
しかしこうした国家観がGDPを押し下げつつ経済の混乱を生みながら国や企業自体を衰退させていっているのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年 2月 4日(木)「立春」

2016年02月04日 09時40分44秒 | ご挨拶

      立春大吉

                      夕螺禅師
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする