夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2017年 2月28日(火)2「夏の花ーー種まき」

2017年02月28日 21時36分50秒 | *  花  *
今日、トリニアと松葉ボタンの種まきをしました。
季節的にはあと1か月ほどが種まきの時期かと思いますが、初夏のころ花屋さんに行くと立派な夏の花を見ることができます。やはり温度管理をして早く咲かせるのかと想像します。
出窓で冬本番のころに松葉ボタンを育てましたが、ちゃんと発芽をして暖かくなったら大きく茎が伸びてきました。やはり温度管理をすれば早咲きの花が楽しめるようです。3月中旬ごろには花が見られるかもしれません。
ということで出窓に種をまいた次第です。
うまく発芽すれば花屋さんと同じころに植え替えができるのではないかと思っています。
先日も書きましたが、ニチニチソウが部屋の中で冬を越しました。
初夏のころ大きな鉢に植え替えようと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月28日(火)「個人消費と社会不安」

2017年02月28日 20時24分57秒 | 「政治・経済」
個人消費が伸びないと経済の好循環は生まれないということはすでにはっきりとしてきている。
政府も管制賃上げを言わざるを得ないほどに個人消費は落ち込んでいる。
この個人消費こそが実体経済を現しているといっても過言ではないでしょう。個人消費が伸びないということは企業の国内設備投資も伸びないということにつながる。
個人消費を上げるには、平均給与が450万円ほどならば、この階層の人々の消費に左右される。例えば冷蔵庫を買うのに他の消費を削ってどのくらい我慢をして購入するか。これでは個人消費全体は伸びない。かといって富裕層がこの庶民的な冷蔵庫を年収が平均の5倍、10倍あったとしても5台10台は買わないでしょう。これが経済の実態です。
このためには個人の年収を上げていかなくてはならない。
しかしこの個人消費は収入だけでは伸びない。
個人に多くの将来不安があれば個人消費は伸びないでしょう。
今の政治は公助から自助社会になっていきます。個人は企業や国のために滅私奉公をするのが常識化してきました。しかしこのように支えた企業や国が個人に対してどのような態度か?それは自助です。自分のことは自分でという自己解決です。
それでも十分な収入があればこの自己解決(自助)も可能ですが、国がこの十分な収入を保証できない状態です。
年金は下げられたり支給年齢をあげる議論が出ている。妻が仕事に出ても保育園に入れられない。。。。などなど家族単位【共助】で見ても将来の不安は広がるでしょう。
政治もテロとの戦いから始まり、敵国をつくっての戦争準備。息苦しい社会になっていきます。個々にも将来不安が広がるでしょう。
経済的政治的将来不安から一方では自民党政権を消去法から選択しますが、一方ではこの自民党政治から将来の不安材料を突き付けられます。政治的には今は自民党が安定しているように見えますが、政治的、経済的には不安定化をしていきます。
これが個人消費を落ち込ませていくでしょう。
国家主義はこの個人消費の落ち込みの中での貧困化を我慢させる作用をするでしょう。
結局経済は落ち込んでいきます。社会不安から。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よくお読みいただいている記事(35)

2017年02月28日 18時07分46秒 | よくお読みいただいている記事
         2017年 2月

   2月 1日     1月31日という日
   2月 2日     2月 1日という日
   2月 4日     日米成長雇用イニシアチブ
   2月 5日     立春大吉
   2月 6日     日米成長雇用イニシアチブ
   2月 8日     2月 6日という日
   2月 9日     開発協力大綱(2)
   2月10日     美しい国
   2月11日     玉虫色
   2月12日     玉虫色(2)
   2月13日     アメリカ第一と日本国民
   2月14日     俳句が世界文化遺産に?
   2月15日     2月14日という日
   2月16日     軍事力優先は国力を弱める
   2月17日     禁煙か分煙か
   2月18日     新たな経済学ー過程抜きの結論
   2月19日     松葉ボタン
   2月20日     2月19日という日
   2月21日     アリッサム
   2月22日     寝台列車に乗ったことある?
   2月23日     弁当
   2月24日     NHK朝の連続ドラマと戦争
   2月25日     プレミアム・フライデー
   2月26日     2月25日という日
   2月27日     『寝言』blogrmから2017年春
   2月28日     2月27日という日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月27日(月)2「絵心」

2017年02月27日 22時33分21秒 | 「思うこと」
子供のころ、絵が苦手で恥ずかしい思いをたくさんしてきた。
成人してから絵がダメなら写真ならどうにかなるかと思ってはじめた。
しかししばらくして悟った。。。。
絵心がないと写真も駄目だと。
構図がどうの、露出がどうのということよりも
物を写して形にするのが苦手のようだった
どうも子供のころの絵と同じく人に見せると恥ずかしい思いをする。
そういえば花を植えてもどう見てもよい出来上がりとは言えない。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月27日(月)「100円コーヒー」

2017年02月27日 21時23分10秒 | 「思うこと」
東京を見ると昔はどこにもたくさんの喫茶店があった。
しかし今はだいぶ少なくなりましたね。
おしゃれな安いコーヒーショップが増えてコーヒーだけではなくてハンバーガーとかサンドイッチも食べられる。こうなると昔ながらの喫茶店は競争に負けます。
しかし最近ではほとんどのコンビニで100円コーヒーが飲めるようになった。そして店内に狭いながらも喫茶室が作られて買ったサンドイッチなどを食べられます。スーパーでも喫茶コーナーがあったりしますね。そして100円コーヒーも置いてあるところも。あまり金を使わないで昼食というならコンビニやスーパーで十分でしょう。
こうなると、弁当屋さんとかにも喫茶コーナーが作られたりするのではないでしょうか?
やはりコーヒーは100円というイメージが強くなり、200円300円となると高く感じるようになるのではないでしょうか。
うまいコーヒーというのは専門店に行かないとのめないものですが、ちょっと飲みたいと思ったときには100円コーヒーで十分なわけです。車ではなおさらドライブスルーだけでコーヒーだけというよりもコンビニのほうが敷居が低いです。
コーヒー1杯でもデフレが激しい中では市場の中を目まぐるしく移動していきますね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月26日(日)「民主主義の形骸化」

2017年02月26日 19時53分59秒 | 「政治・経済」
時間がないのでついったからの短文。

1日中忙しい一日でした。そして今の政治の縮図を見るような一日でした。決められる政治とは何か。。。。。それは討議ではなくて、数の力であったり、わからないようにしての何となく賛成であったり。。。。民主主義の形骸化が進んでいます。

疲れましたので、時間のある時にまとめてみたいと思います。
とりあえず忘備録として。。。。

民主主義の形骸化って、身の回りにありませんか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月25日(土)「牛丼の価値と価格」

2017年02月25日 20時22分08秒 | 「政治・経済」
まずツイッターから

インフレというのは、例えば300円の牛丼が500円になったというだけです。牛丼の価値自体が騰がったのではなくて価格が変化しただけであり、それは貨幣価値の低下を起こしただけです。牛丼界が多くの価値を生産したということではないのです。
500円になった牛丼が300杯売れて15万円稼ぐのか、300円の牛丼500杯売れて15万円稼ぐのか。300円の牛丼が500杯売れたほうが多くの価値を生産したことになります。インフレで500円の牛丼が300杯売れたとしても企業の利潤率は下がるでしょう。
ましてや円安誘導により牛丼が500円になって300杯しか売れないなら、これは単なる悪性の物価高です。インフレではない。利潤率はさらに激しく下がるでしょう。

牛丼の価値とはその牛丼をつくるためにどのくらいの労働力が使われたかにある。
この労働力の支出(基本的には時間)により物と物とは交換されます。
牛丼1杯=靴下2足とか。。。。。
牛丼と靴下はその形や使用価値から比べようがありません。唯一共通するものは労働力がおのくらい支出されたかにあります。
ですから牛丼1杯の価値も靴下2足の価値も労働力の支出が仮に30分とすれば、同じ価値となります。
その価値を貨幣量で表したのが価格で、この場合牛丼1杯と靴下2足が300円となり交換をされます。
牛丼が500円になったら靴下も500円になります。この場合労働の生産性に変化がないことが前提ですが。
貨幣価値の変化で価格が変化しても牛丼の価値と靴下の価値には変化がないのです。
上の例でいえば、牛丼屋さんは同じ15万円を稼ぐにしても300円の牛丼を500杯売るのと、同じ15万円だからインフレで500円の牛丼になったのだから300杯でいいやとはならないのです。牛丼の価値生産が減少をして利益が減ってしまうからです。
案外価値と価格の違いを忘れたインフレによる経済の好循環が流行ってしまいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月24日(金)2「プレミアム・フライデー」

2017年02月24日 19時00分03秒 | 「政治・経済」
プレミアム・フライデーで仕事を早く終わり遊ぶ人が出る。
しかしその遊ぶ人のためには忙しく働く人が出る。
外国人労働者やブルカーラー層が忙しく働くことになる。
プレミアム・フライデーはある意味時短です。
しかしよく働くようになった人の時短は?
時給労働者は時短をすれば言及になる。
経済効果だけを考えるとこんな矛盾が出る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月24日(金)「夏目漱石「こころ」Kはなぜ自殺したか」

2017年02月24日 14時49分07秒 | 「本・文学」
駅で妻と待ち合わせをしていたら、旅行などのポンフレットのケースに「Kはなぜ死んだのか」という文字が書かれたパンフレット(講演会)があった。夏目漱石「こころ」に登場するKである。
ここでは「こころ」のあらすじ棟は書きませんが、kの自殺と先生の自殺という二つの自殺をどのようにとらえるかでこの作品の重さの解釈が違ってくると思います。
三角関係で敗れたkが自殺をし、Kを追い込んで自殺させてしまった先生も自殺をしてしまうという一見単純な小説なのですが、この二つの自殺がなぜ起きてしまったかの解釈は十人十色のようです。
読む者によっていろいろと考えさせられる作品というのはやはり傑作なのでしょう。世代を超えて読んだ者が考えさせられるのですから。
パンフレットの講演会は残念ながらすでに終わっていましたのですが、パンフレットだけはいただいて帰りました。そして考え込みました。
「こころ」との出会いは高校生の国語の時間でした。
「こころ」の授業が終わりになった時、その国語の先生が、「先生がなぜ自殺したと思いますか?これは僕からの皆さんへの宿題です。一生懸命に考えてみてください。」という言葉を残して授業は終わりになりました。
今、思うと大きな宿題を残してくれた素敵な先生だったと思います。
その後文庫で読んだり全集で読んだりして、国語の先生の宿題を思い出しました。
先生の自殺がなぜか、同時にKの自殺はなぜかを考えたとき、先生の自殺がなぜかを理解したときにKの自殺の作品上の位置づけとしてわかるのではないかと思います。そして先生は弟子である「私」にどのような宿題を残したのかも理解できるのではないかと思います。
先生の自殺は、Kを自殺に追い込んだ自分を責めて自殺したのでしょうが、それだけではなくて、先生は遺書に「明治の世に殉死する」と書いています。ただ悔いてつい言自殺するのではないことが分かりますし、「私」にどのような宿題を残したのかがわかります。
漱石の明治批判は文学者として痛烈です。
明治天皇の崩御により明治という時代は終わる。その明治という時代に先生は殉死する。
「私」が父親の死去によって帰郷をして遺産問題について先生の手紙を出す。先生は金というものは人を変えてしまうものだと「私」に忠告する。明治は貨幣経済が急速に発達をした金の社会になっていました。
金と同じく恋は人を変えてしまう。その変わっていく自分を遺書に書きます。
明治は人を大きく変えてしまった社会です。こころが替わってしまった社会です。
その明治が終わるならば、先生は自分という人間も消えなければならないと考えたのでしょう。
これが先生の自殺の真意とすれば、Kの自殺はどうでしょうか?
Kという人間は封建的とは言いませんが古い社会の思考などを残した人間ではないかと思います。古い時代の良い面を残した人間です。
しかし明治はその古い社会を一変させました。
先ほども書いたように金が中心となった社会にもなりましたが、西洋をあらゆる進歩的な思想も入ってきました。その中でKは自身の思考方法の中でこの新しい明治がもたらした思想にも入りきれなくなったのかもしれません。明治の社会に取り残された自分を常に見ていたのかもしれません。そしてこの社会に自分はいらないものと考えていたのかもしれません。その意味で常に自殺を考えていたのでしょう。その自殺のきっかけを作ってくれたのが、「お嬢さん」を好きでいた自分だが、自由恋愛として自分を表現できなかったことで「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と自分を責めての自殺だったのではないでしょうか?
こうしてみると、古い社会である徳川幕府時代が否定をされて、さらに新たな社会である明治も否定をされた。ということになります。
ですから先生は弟子である「私」に明治の後の社会を託すわけです。
漱石の思想にはイギリスで猛勉強する中での西洋思想が強く表れています。
しかしそれはのちに西洋をもう一度否定をして日本人を考えます。しかしその日本人は徳川幕府時代の日本寺院ではない。
ここには否定の否定から更に発展した社会を考えます。
漱石には弁証法が多く垣間見られます。岩波文庫でも小説以外の講演や短文などを集めたものを読むとわかると思います。ちなみに漱石の戦争観も大切です。漱石と子規の違い・・・・・
明治の後に対象が来て発展しあ太社会に日本は向かいました。しかしそれが否定をされて戦時国家に。またこれが否定をされて平和主義の自由と民主主義の社会に。しかしまたこの社会が否定されはじめています。
戦時国家を否定をして平和な民主的国家がまた否定をされる。ここにも否定の否定があるのですが、これがまた戦時国家に戻ることでは日本の発展はありません。戦後国家も否定されなくてはならない時代です。金まみれで力のある者による何でもあり国家そしてそこからの経済矛盾の拡大。ここを否定しなければなりませんが、先にも書いたようにこの否定は戦時国家ではありません。平和と民主主義をさらに生かした経済的平等社会への発展が必要なのです。
この中で人の「こころ」も変わっていくでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月23日(木)「NHK朝の連続ドラマと戦争」

2017年02月23日 16時52分41秒 | 「思うこと」
毎朝、朝の連続ドラマを観ています。
連続ドラマには必ずと言っていいほど戦争時代が出てきます。戦争の悲惨さや社会の荒廃がある程度表現をされて戦争は嫌だ、悲惨だ、怖い、人を変えてしまう、、、などと考えさせられる面もあると思います。
しかしそのあとに戦後の復興がはじまり「豊かな暮らし」へと進みます。
ここでもまた平和が良いと感じさせられるでしょう。
でも、視聴者はドラマの画面に向かって、戦争はあと1年で終わるよ、頑張ってという気持ちにもなる。戦後日本は平和になるからと。これは歴史を知っているから言えることで、同時にヒロインは死なずに戦後を迎えられると知っています。ここでなぜか戦争の悲惨さも忘れてしまうのではないかと思います。
戦争があっても日には平和な社会になる。。。。。
こういった気持ちが戦争に対する感じ方を変えてしまうのかもしれません。
これからの社会は戦争に向かう危険性が大きいでしょう。
しかし次の戦争が同じように平和で豊かな国を作り上げ保証は何もないわけです。もしかしたら核兵器で国民が多く死に、占領される時代が長く続くこともあり得る。経済は停滞をして豊かさが失われるかもしれない。
そこにいる自分はいつ戦争が終わるかもわからず、戦争が終わるまで生きているかはわからない。
連続ドラマのような感覚ではいられないでしょう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月22日(水)「インフレで経済好循環の矛盾?」

2017年02月22日 21時01分55秒 | 「政治・経済」
アベノミクス・日銀量的緩和によるインフレを起こして経済の好循環をつくるという経済対策は失敗に終わった。経済の好循環を通じてそれが過熱した場合にはインフレが起きるが、量的金融緩和でインフレを起こして経済が好循環となるというのは逆立ちをしているわけですから失敗に終わるのは経済の法則性である。
そこでまたシムズ理論なるものが現れた。
金融緩和だけではインフレは起こせなかったから政府の財政支出(これには経済が好転していない中での像是は無理であり、国債の発行は不可欠)によりインフレを起こして経済の好循環を行う。そして財政支出分(国債の更なる発行分)は増税ではなくてインフレにより国の借金を減らすという。
以前から超インフレになれば国の借金は帳消しといった論理もありましたが。
財政支出と言っても今の政府を見れば公共投資と株価維持のためのものでしょう。
これでは国民に墓へはまわってこないでまた企業の内部留保を増やし株価維持により投資家の利益に消えてしまうでしょう。そこでもバブルに近いインフレ傾向が出るかもしれませんが、それはさらなる格差の拡大にしかなりません。そして今現在のアベノミクスの失敗と同じ失敗を繰り返して貨幣価値の落ちた中でのデフレとなるでしょう。このデフレは矛盾がさらに大きくなったものとしてあらわれます。インフレではない悪性の物価高があらわになり、国民生活は壊滅的な打撃を受ける。
国の借金はインフレで帳消しになっても国民生活は奈落の底に落とされる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月22日(水)「弁当」

2017年02月22日 11時59分08秒 | 「東京日記」
ごはんがたくさん残っているから弁当を作ってもらった。
昨夜の夕食の残りものかな?
でも、残り物はないはず。。。。。
では、何が入っているんだろ?
手作り弁当のミステリー。。。。。
外食はもちろん、弁当屋さんでもコンビニでも、「唐揚げ弁当!!♪」とか自分の意思でメニューを決めて食うのですが、手作り弁当はミステリーです。
開けてみて「うん?これは一昨日のおかず。。。。冷凍にしてあったかな?」などと心配しながらも口に運ぶ。
まぁ、酸っぱくもないし。。。。などと少し気にしながらのサスペンス。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月21日(火)「寝台列車に乗ったことある?」

2017年02月21日 20時52分04秒 | 「思うこと」
gooブログで、お題に参加というものがありましたのでどんなものか参加してみました。
お題は「寝台列車に乗ったことある?」です。

若いころ、毎年京都や奈良に行っていました。
一度寝台列車に乗ったような記憶はあるのですが、どうも判然としない。というのもよく利用したのは新宿から京都までの夜行高速バスで、乗車するときの排気ガスのにおいが強烈に記憶に残り寝台列車の記憶がどこかへ行ってしまったのだと思います。
そういえば、夜行普通列車にも何度か乗り疲れた記憶が印象に残っています。そして向かいに座った女性と話したことなど。。。。東京に通勤する酔っ払いとかも。。。。
というわけで、はっきり残っている昔の記憶では、上野から金沢まで乗車した『出雲』(だったかな?)。
上越線を経由するのですが、水上駅で停車時間がありホームに降りて温泉宿の風呂の灯りなどを眺めた記憶があります。水上を発車するとちょうど眠くなる時間なのですが、B寝台と言いましたっけ?向かい合わせの二段ベッドでした。上段に寝たのですが、どうも寝返りを打つにも下の人に気を使いました。気を使っていると寝れなくなるのですが、そのうちに下の段の方が心地よいいびきを。。。。。いびきを聞いているほうはそうは心地よいものではありませんが、寝たのを確認したら気を遣うこともなくなりすう~っと寝付いていました。
どこかの駅で停車をして記憶では進行方向が変わったような?(よく覚えていません)それで目が覚めてしまいベッドでじっとしていました。外が明るくなってきて、通路に出てぼうっと景色を眺めていたのを記憶しています。
寝台列車というのは横になれるだけ楽ですが、そうは乗りたいと思ったことはその後なかったです。
そうこうしているうちに年月は過ぎて北海道に行ったついでにカシオペアに乗ろうと思いつきやっとの思いで個室をゲット。
若いころに乗った『出雲』とカシオペアの違い。年月が過ぎた分寝台列車の進化に驚きました。そういえば北斗星も乗りましたが、北斗星に比べてもカシオペアは格段の差がありますね。イスとテーブルがあり、夜景を楽しめますし、トイレまで。ベッドも横幅が広くていびきの音もしない。周りに気を遣う必要もない。
朝食もまるでレストランのような食堂車で。。。。
九州のななつ星はもっとすごいのでしょうね。
さて未来の寝台列車は。。。。。?
そうかぁ、もう寝台列車もなくなっていくんですよね。新幹線でびゅ~んと。
旅行も快適になっていくことはうれしいですが、疲れてどんよりして移動するのも旅行の楽しみだったような気がします。
そういえば、寝台新幹線で北海道までというのは無理かな?

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月20日(月)「アリッサム」

2017年02月20日 09時44分25秒 | *  花  *
去年3鉢100円で買ってきたアリッサムがたくさんきれいに咲きはじめました。
3鉢100円ですからもうだめかと思われる状態でしたが、どうにか去年の夏を日陰に避難させ、この冬の寒さは日当たりのよいところに出しておきました。
多年草だそうですが、夏の暑さや冬の冷たい風は苦手なようです。
いまは2株のビオラの間で赤い小さな花を咲かせて地面に広がっています。ビオラだけでは寂しいのですが、アリッサムの赤がアクセントになってきれいです。
今年の夏を大切にして育てたいと思います。
そういえば、ブルーサルビアも無事冬を越して葉の芽がたくさん出てきました。小さな紫色の花をたくさん咲かせますが、ほのかな甘い香りがそよ風に乗って漂います。これもビオラを横に植えておきましたが、花の時期は一緒ではないですね。ビオラが終わったら、ブルーサルビアの横にトリニアを植える予定です。トリニアの種まきはそろそろかな?今度調べてみよう。。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 2月19日(日)「10年日記」

2017年02月19日 21時46分52秒 | 「思うこと」
若いころ10年間書き込める日記帳を見つけて書いていました。
毎日今でいえばツイッターほどの文字数を書き込んで1年過ぎると次の段に進みます。10段書き込めば10年日記の完成でした。
しかし子育てやらで書き続けることができずに3年ほどでやめてしまいました。今思うと楽しい時期の日記が残っていないことを残念に思います。でも、当時はとても日記どころではない状態ですから、この残念も今でこそ思えることなのでしょう。
その10年日記を今ネット社会で実現しています。
このブログのカテゴリーに「何を思ってた?」がありますが、ここに「〇月✖日という日」として同じ日に血の日記をまとめています。丸一年書けない年がありましたが、どうにか10年も過ぎました。
日記は二十歳のころから書いていましたが、結婚後だったか?終わりにしました。
結婚後しばらくしてワープロが手に入る時代となりギザギザ文字で家庭新聞をつくったりリアル社会で必要な文章を書いていました。
そうこうしている間にパソコンが出てきたのですがだいぶ長い間手を出しませんでした。でもパソコン自体は外部記憶装置のない時代(カセットテープに保存)にゲームなどをつくっていました。もちろん遊びでしたが、コンピューター言語の面白さを知りました。
時代はワープロからパソコンに。仕方ないので導入。しかしその発達した姿にまるで浦島太郎でした。ワープロ機能だけではなくてインターネットにも興味を持ち始めたころ、あるサイトのコミュニティーを知り始めました。これがネット上に日記のような文章を書く始まりまでした。
その後はブログができはじめたり、ホームページをつくったりして日記を続けました。
ブログもサービスの収量もあり2回ほど引っ越しながらこのgooブログにたどり着きました。でも、この間消えてしまった日記は多いです。
やっと落ち着き場所ができましたが。。。そこにツイッターなるものが現れて昔書いていた10年日記のように140文字の日記を書いています。
いろいろと漂流しながら毎日自分が書きたいものを書き、何よりもそうは多くの方ではありませんが読んでいただける喜びを感じています。
「何を思ってた?」。。。案外読み返すと書いたころを覚えているもんですね。思い出しているのでしょう。。。。今は、未来日記なるものがあるようですが、もう年齢もも年齢ですからはるかなる未来はない。まぁ、行き着くところまで書いていければ幸せです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする