夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2024年11月30日(土)「ウクライナ支援」

2024年11月30日 22時20分07秒 | 「思うこと」
ロシアがウクライナに侵攻したとしてウクライナ支援が先進国において行われるようになりその支援というものがエスカレートしている。
ウクライナのロシア系住民の虐殺、そのウクライナのマイダン革命を陰で支援したアメリカ。
クリミアなどで独立運動が起きその独立からロシアに編入された。これを反民主主義だと非難するが、マイダン革命自体が選挙で選ばれた大統領政権を武力で倒すという反民主的なウクライナが生まれる。そのウクライナは極右の力により支配される。
このウクライナを支援するということは、極右的国家を支援するということですから、先進国内でも右翼的な運動が力を持ってくる。この中でウクライナ支援は武器の供与と軍人の支援となり、ロシアの資産凍結だけではなくその資産の利益をウクライナ支援に使いだした。
ロシア制裁とウクライナ支援が先進国とくにヨーロッパや日本の政治経済を狂わせている。
ウクライナの敗北が濃くなる中で、アメリカ、NATOの直接的な介入が露骨になる。
アメリカは同時にイスラエル支援を行い、台湾支援そしてジョージアでも動き出している。
アメリカと戦争。。。。。。
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「11月30日という日」

2024年11月30日 08時53分11秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
ロシアがウクライナに侵攻したとしてウクライナ支援が先進国において行われるようになりその支援というものがエスカレートしている。
ウクライナのロシア系住民の虐殺、そのウクライナのマイダン革命を陰で支援したアメリカ。
クリミアなどで独立運動が起きその独立からロシアに編入された。これを反民主主義だと非難するが、マイダン革命自体が選挙で選ばれた大統領政権を武力で倒すという反民主的なウクライナが生まれる。そのウクライナは極右の力により支配される。
このウクライナを支援するということは、極右的国家を支援するということですから、先進国内でも右翼的な運動が力を持ってくる。この中でウクライナ支援は武器の供与と軍人の支援となり、ロシアの資産凍結だけではなくその資産の利益をウクライナ支援に使いだした。
ロシア制裁とウクライナ支援が先進国とくにヨーロッパや日本の政治経済を狂わせている。
ウクライナの敗北が濃くなる中で、アメリカ、NATOの直接的な介入が露骨になる。
アメリカは同時にイスラエル支援を行い、台湾支援そしてジョージアでも動き出している。
アメリカと戦争。。。。。。

≪過去の記事≫

【2003年】
『神様のボート』
新潮文庫
江國 香織  著

子供から見ると、親というものはその昔にさかのぼるほど霧の中に霞んでいく。親から聞いた昔の話をぼんやりとその景色として描いていく。
親は、自分の子供時代のように自分自身の昔にさかのぼると、やはり霧の中に霞んでいく。
この小説を読み進んでいくと、読んでいる僕自身が葉子という女性を霧の中に発見していくような気分になる。葉子の娘草子は、母とまだ見ぬ父親が愛し合っていたことと父親が必ず迎えに来るという母親の信じる確信はあるものの、どこまでが本当の話なのか、どこかに不安を感じながら霧の中にいる母親と「神様のボート」に乗っている。これと同じように、読む僕も「神さまのボート」に乗せられていくと錯覚をする。
葉子は、過去の思い出は箱の中に入れて今を生きていこうと前向きな女性である。しかし一方では別れた男を「箱」をのぞいていてはそれがすべてと生きている。2,3年に一度は娘草子と引越しをする。前向きに生きているはずだが、引越し先の人間関係が安定をしてしまい、男の存在を自分が忘れてしまうことを恐れているようにして引越しをする。葉子にとっては、男との再会が人生のすべてである。これが神さまに運命付けられたように漂うようこのボートである。
読者もこのボートに乗りながら葉子と男の過去を次第に知っていく。
娘草子は、小学生である。母親と暮らすという面では、まるで霧の中を漂ってばかりいるボーに乗せられているだけである。もちろん、どんなにすばらしい父親であるかを葉子から聞くことが楽しかった。でもやはりそのボートは霧の中である。
草子は中学生高校生へと成長をしていく。成長とともに現実を見る。その現実が草子にとってのボート。霧の中ではなくて未来という明るさがあるボート。
小説は、このような葉子と草子の思いを相互に書き進められている。ここがこの小説の面白さだと思う。葉子から見た草子への目。草子から見た葉子への目。お互いに心配をしながら、思いやりながらも時間の中で違うボートに乗っていく。その表現が面白い。
高校生になった草子は、葉子に現実の中に生きなければいけないというようなことをいい高校の寮に入る。
草子という「神さまのボート」の同乗者がいなくなったよう子は、ただ一人霧の中。現実・・・・・葉子にとっては、元の夫(愛する男は不倫相手)、両親、生まれ育った東京が現実。葉子は東京に帰る。駅に降り立った葉子の体に東京という空気が沁み込む。葉子は現実の中に戻る。でも、その中では生きていけないところまで追い込まれる。生きていても仕方がないというところまで。
最後の結末は・・・・・・・・
内緒にしておきます。

夕方スーパーに買い物に行ったらすごい混雑でした。カートを取ろうとしたらなかったです。
そういえば今日が月末、28日あたりが給料日で、最初の週末ですからね。
食パンが売り切れていて買えませんでした。

【2004年】
ううう。。。。。忘年会

【2005年】
スーパーにアン肝(生)があったのでアン肝味噌汁を作ってみました。
アン肝と味噌をなべ底で炒るように火を通して具は大根にしたのですが、どうも生臭さが出て家族には不評でした。僕はうまいと思ったんだが。。。。
昨夜の「おまけ日記」に書いた「メカジキの柚子風味揚げ」も、揚げすぎたようで柚子の風味がだいぶ抜けてしまった。
なんか。。。スランプかなぁ。。。ハハハ
季節のものを使ったのだけど。。。

【2006年】
デジカメが壊れてから久しい。
時々買いたいなァとは思うものの高いので買いそびれていました。
でも、よくよく思うに、携帯がある。今の携帯は画像もきれいになっているからなァ。。。。と、いうわけで、先日携帯とパソコンをつなぐUSBケーブルを買いに行った。
店の中に入ったら、そうは混雑をしていないよう。。。。
しかし順番を待ってもなかなか呼ばれない。今は携帯も番号そのままで会社を選べる時代ですからいろいろと変更する人が多いのでしょう。一人の持ち時間が長い。「ケーブルだけを買うだけなんですけど!!」と店の人に言ってみたら、「はい、今順番になりまし」と。ほんとかな?文句を言ったから呼んでくれたのか?
携帯の新機種やらがたくさん並んでいる。でも。。。。ケーブルはないという。1週間待ちのよう。携帯は人気機種の在庫切れはあるもののすぐに売るが付属品の在庫はないのかな?ケーブルぐらい場所をとらないのに。
なんだかどんよりして帰ってきました。
旅行のときの写真をアップしようと思っているのですが、携帯画像でもパソコンで見るぐらいなら十分かなと思います。HPにアップすると重くなるので、写真館を探していたらあったのでそちらを検討中です。
今夜は、サバの竜田揚げ。
少し醤油を入れすぎました。。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
資本主義の矛盾を解決するためにはその仕組みを知らなければならない。その仕組みは現実に現れている現象をしっかりと見て分析する中にこそ知ることができる。
さまざまな現象は偶然の中に現れているようだが、その偶然性の度重なる中に普遍性が見えてくるはずである。
普遍性は一つの真実でありその真実を一度抽象化をして法則性を見つけねばならない。その法則性が見えたなら、また現実の偶然性や突発性の中に現れる現象をその法則性から分析をする。するとその偶然性などが法則性から離れるものかそうでないかが見え、法則的な矛盾ならば根本的な解決の道を探らざるを得ない。その解決の道はまた今現在の現象として現れている中からの発展でなければならない。空想的であってはならない。
空想的にならないためには、そして真実を曲げた解釈と解決にならないためには、先入観に陥ったりそして少数意見を排除してはならない。
あとは人の行いとして社会は現れるわけだから、一途に真実を見ようという人々が結集しなければならないだけだ。
一昨日の夜、NHK教育で「一週間de資本論」という番組(シリーズ)をやっていた。去年あたりに「蟹工船」ブームというものがあったり「資本論」もいろいろな形で解説された。その流れとしてのNHKの番組でもあるでしょうが、同時に今の資本主義の中心となる先進国が抱える問題の解決の糸口が見えなくなり、下手をすれば金融恐慌かといわれるような経済情勢になっている。そういう中で恐慌とは?国民生活の犠牲とは?といったものを分析する一つの経済理論としての「資本論」が注目されているのではないか。もちろん注目といっても社会主義を目指すわけではとうぜんない。そうだとすれば、新しい資本主義の模索だろう。その新しい資本主義は、「自由と権利」と「規制と責任」といった矛盾の解決に他ならないだろう。国・財界・労働者(勤労国民)これが三位一体となった民主主義とは?それはそれぞれに自由であり権利を犯されない。しかし同時に規制を受けて責任を負うということである。例えば、現在雇用の流動化を促進しようという中で解雇規制の緩和が言われている。財界が解雇する自由や権利の拡大し、その法的な基礎を国が作る。しかしそれだけでは労働者の自由と権利は侵害をされる。そうすると財界や国は自由と権利を行使したならその労働者を守るための自らの自由と権利を規制する何かしらの方策を立てるのが義務となる。
このようなものを突き詰めていくと、そこには資本主義らしい(財界や国は労働者の首を勝手に切れる)資本主義から脱却をして資本主義らしくない資本主義に移行せざるを得ない。その一つが社会民主主義で、そこには社会主義の理想も排除するようなものではない。しかし同時に市場というものも排除するものではない。
先進国の経済力そして形式化していくような状態だがそこにある民主主義。それを活用できる状態に今ある。

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
これから選挙戦ですが、選挙後はどのような政権になるのでしょうか。
どうも今の様子では民自公の「安定的な」国会運営が続くのでしょうか?自民党は改憲をはっきり言いだし、公明党と民主党は批判気味です。原発についても意見が大きくなってきました。でもこれはあくまでも選挙戦での発言ですからどうなるかはわかりません。
民主党の大幅な議席減があるでしょうが、それがすぐに自民党政権につながるかといえば、維新の会という第三極が大きく報道もされ、維新の会への結束がうまくいかない中にもう一つの第三極である未来の党が結束し始める。どちらの第三極も民主党の票を奪うでしょうから自民党の独り勝ちといったものは減ってきたと思います。
選挙後はまた連立問題が出ると思いますが、その時に選挙での公約や様々な政策への責任が問われるでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
10月の消費者物価が5年ぶりにプラスに転じたという。
「主な上昇品目は電気代(前年比8.2%)、ガソリン(同7.1%)など。生鮮食品を除く食料も肉類や魚貝缶詰、乳製品の上昇で前年比0.2%上昇した。傷害保険料(同10.1%)や外国パック旅行(同3.7%)も上昇し、コアコア指数がプラスに転じた要因となった。エアコンや炊飯器などの値上げや下げ幅縮小も指数を押し上げた。生鮮食品を含む総合指数は前年比1.1%上昇した。 」(上記リンクページより引用)
この物価の上昇は、円安と原材料費の値上げからです。
この物価上昇がプラスに転じたことにより「デフレからの脱却」となるだろうか?
10月の消費動向(消費者態度指数)は逆にマイナスとなっている。
賃金は、基本給でもボーナスを含めた総額でもマイナスとなっている。生鮮食品を含む総合指数の1.1%上昇は、さらに賃下げと同じものを労働者に投げかけているということです。
このような実態でもマスコミや政府はこの消費者物価の値上がりでデフレからの脱却を言い、それを円安効果とも言う。物価上昇2%目標の中身がこのような実態の中で進んでいるのです。
物価が下がり続けるのがデフレという定義から悪性の物価上昇でもデフレからの脱却と見る。これは見せかけのものでしかないでしょう。賃上げもあり消費者の消費動向が活発化して物価が値上がりするという本来の経済の建て直しからの物価上昇ではないのです。マスコミも政府も今後は賃上げが必要だと逆立ちをした論理になっていますが、そうは賃金は上がらないでしょう。多少あがっても悪性の物価上昇に追いつくかどうかといった程度で、それが更なる消費の拡大とはならないでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
ロイターに(共同通信社が実施した:12月1日追加訂正)世論調査が載っていた。
内閣の支持率が逆転をして不支持が支持を上回った。そして望ましい結果としては『「与党と野党の勢力が伯仲する」が53・0%と過半数』そして何よりも今回の選挙は「アベノミクスが争点」といわれる中『「実感していない」が84・2%』とその生活実感としては今の契機に対して懐疑的になっているという事だろう。
この結果は今の安倍政権への三拍子そろった批判の矢となるのではないか。
国民意識に変化が出ているのではないか?
それは期待から現実に目を向けるようになっているという事でしょう。
アベノミクスを問う選挙といわれていますからそのアベノミクスの見方といってもよいでしょう。
また安倍政権は民主党政権時に国民からの国会の「ねじれ」批判あるいは決められない政治批判の中で強い政権ができたのですが、そのねじれや決められない政治を批判した中での反批判とも見える。
そして国民が事故の生活を見た時のアベノミクスの成果についてである。
まだ期待から失望へとはっきりはしていないかもしれないが。やはり期待から現実をという芽が出始めているのでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
いつも行く花屋さんに時々ネメシアの花が置いてある。しかし置いてある蜂が少ない鉢が少ないです。人気があるのですぐに売れてしまうのか、入荷する花の数自体が少ないのか。
ネメシアも花の数が多くて今日見たものは黄色と白のきれいな花でした。名前は・・・・ネメシア 忘れた(笑)たしかレモンがついたと記憶します。もう空いた鉢がないので買うのをやめました。今あるのはメネシア ネシアという種類で、オレンジ色に少し白が混じったやはりきれいな花です。多年草だそうですのでこれからの生長が楽しみです。寒くなり花数が増えてきました。夏の暑さに耐えられれば春から初夏、そして晩秋から冬に楽しめます。
すっかり好きになりいく株かを育てたくなりました。
秋口にはプランタにキンギョソウとビオラを寄せて植えました。
買ってきたときの花は全部終わったのですが、寒くなりたくさんの花芽が出てきてきれいです。花の咲く期間も長く、花の茎からたくさんの花をつけます。咲き方がネメシアに似ているような?同じ種類なのかな?
プリムラはでんでん虫かナメクジに花を食われてしまいました。本格的な冬になればいなくなるでしょう。
多くの花が冬でも咲きましたが、春にぐんっと成長すると思います。楽しみです。
ブルーサルビアは冬眠かな。撫子は冬はどうなんでしょ?

【2018年】ツイッターつぶやき
イートインの風景。。。
これを書こうと思ったらジャンルを何にするか迷った。最近はスーパーでもコンビニでもイートインのスペースができて便利になりました。これだけ増えてくればイートインというものも「暮らし」のジャンルでもいいのかと思い、「暮らし その他」にしました。
家で昼飯を作るのも面倒、しかし外食をすれば高いし時間がかかる。そこで買い物ついでに弁当を買って100円コーヒーでも飲めば安く上がる。安くてうまい牛丼屋さんより手軽かもしれない。
少し贅沢をしたいならスイーツも買ったりしてもそうは高くつかないでしょう。
最近はスーパーの弁当も安くてうまいものが増えています。種類もたくさん。。。。。
イートインでチンすれば暖かいものも食える。
だいぶ前ですが、ドライブに行っておいしいコーヒーを飲みたくなる。そんな時、コンビニでおいしいコーヒーを変えればなとブログに書いた覚えがあるのですが、このコンビニコーヒーはもう当たり前になりました。イートインというものもそのうち当たり前になってくるでしょう。
今日は車で少し遠いスーパーに出かけました。
大きなスーパーで広いイートインコナーがあります。
買い物をしていたら小腹がすいたので菓子パンを一つ買ってイートインへ。100円コーヒーも買ってのんびりとそのパンをかじりました。
年金生活のじいちゃんだと思いますが、100円コーヒーでだいぶ粘っているような。。。。
やはり年金生活のばあちゃんだと思いますが、3人で楽しくしゃべりながら買ったせんべいをみんなで食っていました。ペットボトルを横に。
高校生でしょうか、ペットボトルのジュースを飲みながら楽しく大声で話をしていました。
サラリーマン風の男はノートパソコンを広げていました。
まだ50代ぐらいの男は分厚い本を広げて何かをメモしていました。
お母さんと幼い子供。。。。。。駄菓子コーナーで買ったお菓子でおやつ。
こういった風景は飲食店では見られない風景ですね。自分の好きなものを買って楽しむ風景は。
もっとも庶民的な楽しみかもしれませんが、こういった風景を嫌う人もいるのかなとふと思いました。あまりにも庶民的すぎるから。
でも、デパ地下などには美味しいケーキがある喫茶コーナーもありますね。これと同じようなものでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
キャッシュレスポイントが消費増税10%に合わせて実施されています。
報道によると予想外にポイントを受け取っている方がいるようです。
しかし僕のようなものはその恩恵を感じるのはコンビニで数百円買い物をした時だけです。
スーパーや食事をしてプリペイドカードで支払ってもポイントなどレシートに見つからない。
プリペイドカードはややこしい登録が必要のようですね。
クレジットカードの明細を探してもキャッシュレスポイントらしきものは見つからない。
僕の生活圏には恩恵は回ってきていないのでしょうか?
都内在住の僕でもこの程度ですから地方の方はどうでしょうか?
若い人のように情報に詳しくないのかもしれませんね。
消費税は広く浅くといわれていますが、キャッシュレスポイント自体が、すべての人に恩恵が行き渡る制度ではないのです。
ましてや世代間や地域の格差そして経済格差の中で平等からはかけ離れているのではないでしょうか?
政府は経済の好転を生むことができずに日本経済はデフレ不況のままです。ですからキャッシュレスポイントなどというものを導入したのですが、このキャッシュレスポイント自体が上気したように不平等な制度になっており、恩恵を受けるのは一部の人々となっている。
消費増税自体が暴挙ですが、その手当も経済政策としては効果はなくて結局はキャッシュレス化を進めるためのものでしかありません。
それは突き詰めてみるならば、企業の生産性のためです。
企業は今後省力化を進めて労働力を少なくしていくでしょう。そのためにはキャッシュレスも必要不可分なものです。
消費増税の裏には法人減税があるという見方があります。
安倍内閣の企業利益優先は変化しませんなぁ。。。。。
これでは経済はさらに冷え込んでいきますね。

【2020年】ツイッターつぶやき
5月の連休中までGo Toを延長する案が?
新規感染者数も増加をし、重症者数も増加をしベッド数が足りなくなるという心配も出ている中でGo Toを延長するというのもすごいですね。すでに政府は感染者数が多い処では中止をしはじめていますし今後東京もどうなるかわからない状態です。感染者数の少ない処でも人口10万人当たりの感染者数から見るとけして安心できる状態ではないでしょう。
Go Toを行っていても自殺者数は増えてきている。経済対策にはなっていない面が出ている。

【2021年】ツイッターつぶやき
夜に入り小雨が降ってきました。
風呂上がりにベランダに出たら暖かい。
パジャマのうえにセーターを着ていたのですが、汗が出てきて脱いでしまいました。
冬は雨が降ると暖かくなる日がありますがここまで暖かだと気持ちが悪いぐらいです。
明日は最高気温が20度ぐらいになるそうです。
でも、昨日が寒すぎましたなぁ。。。。。
そういえば、昨日ドライブで起訴の方へ行ったのですが、中央道で諏訪あたりを走っていたら車の温度計がマイナス3度でした。中央道で一番標高の高いところは1000メートルを超えますから気温もだいぶ違うようです。

【2022年】ツイッターつぶやき
11月も終わりですなぁ。苦手な11月から冬至まで。
冬至まで3週間ですね。
冬至を過ぎれば日が伸びる。これだけで沈んだ気持ちが楽になり寒い毎日の気持ちも明るくなります。
年末までバタバタと忙しい日々が続きます。

【2023年】ツイッターつぶやき
スーパーににがりが付いた豆乳がありますが、手軽に熱い豆腐が食べられるので時々買います。先日もあったので買ってきました。
去年のこのブログに柚子豆腐を作った記事がありまた食べたくなったので作ってみました。
柚子を皮だけすりおろして豆乳を入れるだけですが、レンジでチンすると柚子の良い香りが。。。。。
少し醤油をかけて食べました。
残りの実をジュースにしようかと思ったのですが、東京も今夜は寒くなったので、もったいないけど柚子湯にしました。温かい豆腐に温かいお風呂。。。。。
最高ですなぁ~
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2024年11月29日(金)「自動車不振」

2024年11月29日 22時07分02秒 | 「政治・経済」
日産自動車の業績不振が深刻なようです。生産能力と人員削減が行われるかもしれない。同じく自動車の売れ行きが悪いホンダとの連携が模索されはじめている。
この自動車不振はドイツでも同じで、フォルクスワーゲンが酷いようです。
古クスワーゲンも日産も電気自動車に力を入れていましたが、ロシアからのエネルギーを制裁の名で受け入れていませんから電気自動車も諸刃の件だったのかもしれません。
電気自動車では、中国国内の需要もありますが、その国際的な競争力は強いですからね。自動運転も進み、Xで見ていると中国の車は未来の自動車というように見えます。本来は世界に先駆けて日本車が注目されてもおかしくないのですが、日本の企業体質は全産業で委縮しています。
自動運転に向けて様々な安全装置がつけられていますが、この中途半端な技術でも自動車価格を上げています。
今では軽自動車価格が以前の1500㏄クラスのコンパクトカー以上になっている。売れ行きが不振だと製造を抑えて納車までに数カ月かかる。
最後の競争力でもある自動車産業が自滅していく。
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「11月29日という日」

2024年11月29日 07時55分06秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
日産自動車の業績不振が深刻なようです。生産能力と人員削減が行われるかもしれない。同じく自動車の売れ行きが悪いホンダとの連携が模索されはじめている。
この自動車不振はドイツでも同じで、フォルクスワーゲンが酷いようです。
古クスワーゲンも日産も電気自動車に力を入れていましたが、ロシアからのエネルギーを制裁の名で受け入れていませんから電気自動車も諸刃の件だったのかもしれません。
電気自動車では、中国国内の需要もありますが、その国際的な競争力は強いですからね。自動運転も進み、Xで見ていると中国の車は未来の自動車というように見えます。本来は世界に先駆けて日本車が注目されてもおかしくないのですが、日本の企業体質は全産業で委縮しています。
自動運転に向けて様々な安全装置がつけられていますが、この中途半端な技術でも自動車価格を上げています。
今では軽自動車価格が以前の1500㏄クラスのコンパクトカー以上になっている。売れ行きが不振だと製造を抑えて納車までに数カ月かかる。
最後の競争力でもある自動車産業が自滅していく。

≪過去の記事≫

【2003年】
来週水曜日ぐらいまでこんな天だそうです。雨で暖かくなるといっていたのに、寒いです。
息子の友達が急に泊まりに来たのはいいですが、最近布団も干していなかったので昨夜はどの布団を出すか大騒ぎでした。
遅い朝食中。。。。。
昼食は味噌ラーメン

午前零時の玄米パン角川文庫群 ようこ  著群さんの本は読んだことがなかったので読んでみました。
「午前零時の玄米パン」は、群さんがはじめて書いたエッセイ集らしいです。30歳のころか。群さんの年齢が僕と同じですので興味もありました。
エッセイは、小学生の頃から高校、大学そしてアルバイトや雑誌社への就職した頃の思い出のようなものです。そして友達や同僚など友人との付き合いのお話です。
小さい頃からおてんば娘でその豪快な性格がよく出ています。男運のなさ、女性の表と裏、周りの人間のおかしさを軽快に描いています。高校生の頃の思い出や新宿歌舞伎町の様子など性のことや、朝飲んだ牛乳瓶が転がっているという一人暮らしの女性の実態(笑)、見た目とその実生活のギャップなどは笑ってしまいます。ある意味では、女性による女性の暴露という感じも受けます。
このような本ですから笑いながら楽しく読める本でした。
軽快で豪快な文章、ありのままを書いているその面白さ、楽しい文章ですが、その裏側にある現実の厳しさや寂しさなども見られる本です。でも文章の隙間に見えるこのような女性の現実や寂しさも面白おかしくさらっと書いているところが群さんの魅力かもしれません。
読んで面白いのですが、なんとなく読み終わったあとに考えさせられるものがないというのか。。。。。深さがないというのか。
これは始めて出版した本ですし、若いころの本であるからかもしれません。
エッセイという文章であるからかもしれません。
郡さんにはもっと女性のたくましさを丁寧に書いたものがあるのか?こんな思いもありますし、おてんば娘が50歳になりどんなおばさんになったのかという興味もありましたので2000年に出版された「挑む女」という小説を買ってきました。近いうちに読んでみたいと思います。

【2004年】
ある会社の社長は、儲けをたくさん得るためにリストラをして残った社員に目いっぱい働かせた。そしてたくさんの製品を生産した。これで大もうけができるとホクホク顔である。
しかしよく考えたら、リストラをした社員はこの製品を変えない買えない。リストラした分製品は売れないのだ。なぜなら他の製品を作っている会社も同じ事を考えてリストラした。すべての生産会社がひとつの日本株式会社だとすれば、この日本株式会社がリストラしたすべての人が日本株式会社で生産した製品を買えないのだから。
でも、大丈夫さ、アメリカやヨーロッパ、中国に売ればいい!!
そして売って儲ければ事業拡大をしてリストラした社員ももどってこれる。これず景気回復だ!!それまでその人たちには痛みを我慢してもらうほかはない。
この社長の考えは、アメリカやヨーロッパの社長たちも同じ考えであった。激しい潰し合いがはじまった。そのうちに中国も参戦してきた。。。。。
今の世の中こんな感じではないだろうか?

【2005年】
東京も落ち葉の季節になりました。
玄関先で落ち葉を集める近所のおばちゃんがいたので、「焼き芋でも焼きたいですね」と言ったら「そうねぇ。。。」と。でも、東京ではもしかしたら消防車がすっ飛んできますからね。。。という結論。さみしい町ですなぁ。2人で笑ってしまいました。
この前、読書ページの「読書プロフィール」に子供の頃の先生との出会いを
「偶然の中の必然は、自分という人間が成長する過程においてその時々に偶然出合ったものとの波長が合ったものを吸収していく過程である。その年月の中を通してこういう自分が出来上がったという必然性がある。
偶然にある町に生れ落ち、その偶然のままに学区の小学校と中学校を出て、その結果としての脳味噌に合う高校を出た。そんな偶然の中にやはり偶然にも僕の詩をほめてくれた先生の国語の授業があり、頭の悪い僕をニコニコして見ていてくれた担任がやはり国語の先生であり、高校で「宿題ですね」と言った国語の先生がいたわけで、そして町の小さな本屋の親父がこれも偶然にいたわけである。こんな偶然性の中に、今こうしている僕がいるわけで、こうしている僕の必然性があるわけである。」
と書きました。
この偶然と必然ですが、「銀色夏生ページ」で話題になっている内山樹さんの「先生はえらい」を読みはじめたのですが、その中に
「先生というのは、出会う以前であれば偶然と思えた出会いが、出合った後になったら運命的必然としか思えなくなるような人のことです」
とし、
「あなたがえらいと思った人、それがあなたの先生です」
という結論に導いています。
思わず「うん、うん」と読みながらうなずいてしまった。
このような「運命的必然」を先生だけではなくていろいろな人々と重ねながら今ある自分という人間が必然となるのだろう。
なんとなく波長の合う夏生さん、その夏生さんが波長の合った内山さん。もしかしてこれも運命的必然?
http://blog.tatsuru.com/archives/001390.php
駅の階段ですれ違ったじい様。。。
染めなければ真っ白な頭と思うのだが、鮮やかな黄色に染めていた。僕も自然脱色が進んだら金髪に染めようと思った。駅のホームのベンチに座ったら、禿げは禿なのだろうがという親父が隣に座った。つむじから後頭部だけを髪を伸ばしている。こういう禿かと思ってしげしげ見たら、こめかみあたりから横は剃ってある。僕も自然脱毛が進んだら後頭部だけを伸ばしてみようと思った。

【2006年】
ジーパンがよれよれになったのでスーパーで探してみました。
2980円。。。。裾直し不用とあるので試着してみました。ウエストはいいのですが、裾下が短い?足の下がツンツルテンなのです。僕って足の長さが長いのかな(笑)短さにはおやじとして自信があったのだけど。。。ハハハ
もしかしたら、少し太めの人のジーパンコーナーだったのかもしれません。
ジーパンと言えば、以前買いに行ったとき、試着をしたらどうもウエストの周りが股下に比べて浅い。。。「これは女性用ですよぅ。。。。」店のおばちゃんの冷たい目が。。。。今、流行のヘソを出して腰ではく女性用のジーパンだったことがあります。
ジーパンもいろいろな形のものがあり、選ぶのが難しくなってきました。ウエストサイズもインチでなんか覚えていないし。ノーマルなジーパンの形を探すのも下手だし。息子がよく買いに行く店は、なんだか古着のようなものばかりでとても僕にははけないし。ジーパン一つ買うにもおじさんには大変です。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
11月もあと1日。。。。

12月は疾風のごとく過ぎる

うううう。。。。。

しかし12月の中身は濃いですなぁ

いろいろあるから金も出る

疾風のごとく(笑)

金が出るといえば

昨日2日分ぐらいの買出しをしたら

5000円札が疾風のごとく飛んでいった

年末年始の品が並び

買え、買えという。。。。。

12月に入ると日常のものも高くなりますなぁ

しかし今年の平均的ボーナスは

下がると?

財布の紐は硬くなるでしょう

しかし年末年始ぐらいはと

高級御節の予約は多いとか

おせちかぁ。。。。イヤダイヤダ
      (Am9:16)

今朝の朝日新聞7面に「HV車レース燃費を競う」という記事があった。
ECOブームそして財布の中身が薄れる今、車も燃費が注目されますがその中でもハイブリッド(HV)車が増えてきました。
普通の車と比べてどのくらい燃費がよいのかは、ネットでもいろいろ書かれていますが結局は街中や高速で流れに乗って走った燃費が問題ですからね。燃費を気にしてのんびり走るハイブリッド車をよく見かけますが、それでは走るストレスも?安全運転はもちろん一番ですが。。。。
燃費を競うレースは富士スピードウェイのショートサーキットで行われたそうですが、記事を読むと、信号待ちはないまでも登りや下りもあり前の車に追いついたら減速したり追い抜いたりしているようで案外流れのよい国道あるいは高速を走っている状態に近いのかな?平均時速がわからないですが。
ハイブリッドといえばトヨタのプリウスやホンダのインサイトですが、燃費という一つの結果(ある部門?)から見ると、初代のインサイトが一番だったらしい。初代のインサイトというと1980年代に?出た車。空気抵抗を抑えるためにタイヤをボディーで隠すような独特な形をしていました。20年以上昔の車が一番燃費がいいというのが面白いですね。

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
今夜はツイッターで若い人とお話ができました。
もしかして親世代や社会に甘えを持っているのかと思うようなこともありましたが、皆さん悩み考えているのですね。
今の若い人たちが世代間格差や官民格差などというものに惑わされて肝心な社会構造について見えなくさせられている中に悩みがあるのかなと思います。思いをぶつける先が年寄りや公務員だったり。でもそれでは何の解決にならない。そこのジレンマを感じていくでしょう。
選挙もありますが、よく考えないと威勢のいいそしてつくられた敵を攻撃するような政治に流されてしまいます。
国内では年寄りや公務員そして生活保護を受給しているような方々に目を向けさせられ、外交では北朝鮮や中国に向けさせられる。このような敵を攻撃するのが正義と勘違いをしてしまう。
でも、自分の生活を見つめれば何も解決されずにかえってひどくなっていく。
若い人に目を向ける生jを言いますが、その政治がこういう若い人たちを煽っている面がある。政治がしっかりしないとね。。。。。今回の選挙は大切です。

【2013年】ツイッターつぶやき
毎日新聞の記事によると、
『国連人権理事会のフランク・ラ・ルー特別報告者(グアテマラ、表現の自由担当)は22日、日本の特定秘密保護法案について「内部告発者やジャーナリストを脅かすもの」との懸念を表明、日本政府に透明性の確保を要請した。国連人権高等弁務官事務所(本部スイス・ジュネーブ)が報道声明で発表した。』(上記リンク記事より引用)
という。
「内部告発者やジャーナリストを脅かすもの」とは何を懸念するものだろうか?
もちろん他の先進国でも「機密」を政府は持っているだろう。
だいたいから政府などの公的機関は「機密」でしょう。「秘密」とは「隠すこと」と共通している。ですから国などが機密を持つということは、秘密や隠し事をしてはならないということになる。これが国民の知る権利に通じるのである。
機密は一定の期間がたてば国民に知らさねばならない。秘密や隠し事は永久に知らせないことです。
「内部告発者やジャーナリストを脅かすもの」という判断は、今の日本政府が秘密保護法案で本来は機密であるべきものを秘密あるいは隠し事とするという懸念であり、この秘密や隠し事を内部告発や報道をさせない役割を持つ法律としてみているのでしょう。
ですから何が秘密なのかは明確にならないわけです。

【2014年】ツイッターつぶやき
(2013年10月に書いたものの再掲載です)
国債の流通という考え方が経済学にあるのかどうかは知りませんが、日銀の異次元緩和というのも一つの国債の流通でしょう。銀行などが抱える国債を日銀が買い取り現金化する。その現金で経済の再生を行う。ですから国債の流通というのは可能なわけです。ただ今の異次元緩和がおかしな方向に行っているだけです。
今のデフレ不況からの脱却は、先日も書いたような「賃金消費税」の導入と、それとセットされた形での「国債の流通」ではないかと思います。
労働者の賃金部分(労働力を消費した支払い)にも消費税を8%導入する。企業は銀行にある貯金などで銀行から(あるいは今は日銀から)国債を買ってその国債で労働者には賃金消費税を預ける。同時に8%の消費税は労働者の益税とする。この益税分は源泉徴収として収める労働者の所得税に当てる。国はおさめられたこの労働者所得税分の国債は国債費に回して国債費を減らして社会保障(今引き下げられようとしている年金や生活保護そして必要な少子化対策など)に回す。労働者は減税と同じ効果により消費を伸ばすことにつながる。そのことにより内需は拡大をしてGDPも高まりそのことにより国は税収も増えて企業の設備投資の機会となる。
一時的には企業は苦しくなるというでしょうがしかし国内の消費と供給の拡大条件となり一定の物価上昇や利益の増加に結び付くでしょうしそれが経済を活性化させる。
これは素人考えだと言われるかもしれませんがまったくの「国債の流通」として無理な考えではないと思います。今のまま国債の流通として生まれた現金化が株や金融市場に回ったり外国に流れていくより日本自体の利益につながるのではないでしょうか。そして安倍総理の要請だけに終わっている賃上げよりも具体性があると思います。
なによりも賃金消費税を導入すれば、国や企業も安易な消費増税には動かなくなるでしょう。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
お題「いい肉の日にたべたい肉は?」に参加中!
なるほど。。。。いい肉の日でしたかぁ。
我が家は知らずにひき肉を買ってきてこれからコロッケ作りです。最近はうまい肉を食っていないなぁ・・・・
という事で思い出のステーキです。
もう7年ほど行っていないので思い出のステーキです。
日光霧降高原の方にドライブに行ったとき偶然発見したお店です。一度行ってから年に1回ほど家族で出かけていました。お取り寄せもできてローストビーフなども送っていただいた記憶があります。
日光グルマンズ和牛
とても柔らかな肉で値段も東京のチェーン店で食べる値段と変わりない安さ。都心のおしゃれな店で食べたら相当な額になると思います。
コースの料理の味付けは甘めですが美味しかったです。ステーキはたしか塩コショウだけだったと思いますが、肉自体がおいしいので十分味わえました。
食べ終わると、肉汁が残るステーキの鉄板でニンニクの効いた焼き飯をつくってくれます。息子などは大盛にしていただきました。これがまたおいしいのです。。。。。
息子が一緒の時は帰りの運転を任せてワイン。ワインもおいしいです。少し高いのでお代わりをすると妻に叱られますが。。。。
また近いうちに行きたくなりました。
そういえば、我が家は今夜コロッケですが、確かこのステーキ屋さんでは持ち帰り用の冷凍コロッケやメンチカツも売ってありました。これがまたおいしい。。。。。当時は別棟のお土産店がありコロッケやメンチカツだけも買えました。

俳句をやっていると、なんて偉そうなことは言えないのですが、俳句に興味を持つと季節感のずれが気になることがあります。それでも歳時記を見れば夏の季語だ秋の季語だと面倒なことを承認しなければなりません。
冷えたビールを飲みながら枝豆をつまめばそれは夏ですなぁ。。。。しかし枝豆は秋の季語だと。
こういったものがたくさんあるでしょう。
季節の基本となるものは二十四節気で、立春、立花、立秋、立冬で季節が変わります。立秋を過ぎたとはいえまさに暑さからすれば冷たいビールに枝豆という夏の真っ最中ですが、暦の上では秋に。そして俳句も秋の季語に。
しかし立春、立花、立秋、立冬は太陽の位置で決まるもので仕方ない。従うしかないのかもしれません。
そうすると二十四節気は受け入れなければなりませんね。しかし立春、立花、立秋、立冬あるいは春分や秋分などはなじみのある節季ですからまだよいのですが、東京育ちの僕としては農業には無関係に暮らしてきましたからその他の節季には「うん?」となってしまいます。
ましてや七十二候となるとほとんどなじみがありません。半夏生などは時々聞いたりはしますが。
しかし最近七十二候についてネットで調べてみたら、案外僕のようなものでもうなづけるものがありました。今の季節では
山茶始開(つばきはじめてさく)
朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)
東京でもこの季節感じ取れる風景です。朔風払葉・・・東京でも木枯らし一号が吹いてきた風におちばが待っています。すると七十二候もまた案外身近なものとなります。
七十二候も太陽の位置で決まるに授四節季をさらに分けたものですから受け入れざるを得ませんね。
と言っても今は農業も季節がずれていますし、季節の移り変わりに無関係に生きていれば関係のないことですが、やはり日本人は季節の移り変わりがいろいろなところで感じ取るものと思います。
ふと考えたのですが、節季や候も自分の身の回りの自然を見つめて自分だけのものをつくったら面白いのではないか。。。。
でもこれは案外難しいもので、少なくとも東京に住んでいる人々誰もがうなづくものでなければならない。世代差や性別もありますからね。
昔は農業という欠かせないものが共通項としてあったのでその農業から見ることができましたが、今はどうなんでしょうか?その共通項は。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
今年もテーブルヤシの花芽が出てきました。
葉は茎から細い角のように伸びてからヤシの葉っぱのような葉をつけますが、花も葉の終わった茎の下のほうからはと同じような角が伸びて先っぽから花芽が広がります。今年は花芽の茎から10本ほど枝分かれをして小さな花の芽がたくさん出ます。それが大きく広がっていき緑色の花が黄色くなってきます。こちらにきれいな写真がたくさんありました。
わが家のテーブルヤシは雄です。
テーブルヤシはイチョウと同じようにオスとメスがあるそうです。
以前もブログで書いたと記憶しているのですが、買ってきたときは10センチほどの小さな鉢に植えてありました。ほんとにテーブルの上でちんまりとした存在でした。
今は1メートル以上に伸びて大きな葉を茂らせています。もう、何年になるんだろ?大きくなるたびに大きな鉢に植え替えてあげました。
観葉植物ですから部屋の中でも育ちます。自生しているものを見るとジャングルのようなところに大きな木の陰に育っていました。ですから部屋の中でもあまり明るい場所でないところでも育つようです。
花言葉は「あなたを見守る」だそうです。
黄色い花がボロボロと落ちるころに切ってしまいます。

【2019年】ツイッターつぶやき
桜を見る会をめぐってますますその無茶苦茶ぶりが露呈しはじめている。
ついに詐欺のような犯罪にも利用されていたという疑惑が出はじめた。その中で菅官房長官が反社の桜の会の出席に対して「反社の定義はない」と開き直りはじめた。
しかし女性自身の記事によると、2007年当時の第一次安倍政権において
『「犯罪対策閣僚会議」が示した「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針について」で、「反社会的勢力」はこのように定義された。』とし、
その定義をはっきりと規定していたとする。
吉本興業の対反社に対する甘さが報道されていたが、企業をはじめあらゆる組織において反社への対応は厳しくなった。
しかし自民党、安倍総理の私物化といわれるようになっている桜を見る会においての菅長官の開き直りは社会のあらゆる場においてタガが緩くなっていっても仕方がない状態になる。
出席者名簿も急ぐようにシュレッダーの中へ。そして今では調べようがないという開き直り。
しかしこのような自民党政権は去年からも公文書の隠蔽や改ざんが続いていてそのたびに逃げ回って現在がある。ですから桜を見る会に対しても逃げ回ればこれまでと同じとなってしまうのが今の社会です。
これを政治の腐敗といってはいけないでしょうか?そして政治の腐敗が当たり前のことになれば社会の腐敗を生むでしょう。めちゃくちゃな日本になってしまいます。

【2020年】ツイッターつぶやき
新規感染者数   418人
重症者数      67人(ベッド確保数 150床)
入院者数    1580人(ベッド確保数2640床)
入院・療養調整中 951人
自宅療養     834人
陽性率      6.5%
東京都が今夜発表した数字です。
新規感染者数は日曜日の発表数としては過去最高だそうです。
重症者数はずっと30人ほどでしたが倍増しています。150床のベッド数がありますが、50%以上がうまっています。
入院患者の人数もベッド数に余裕が少なくなっています。
コロナ感染者以外の病気や怪我でも入院できる体制が減少していくでしょう。
医療崩壊ともなれば、救える命も救えなくなります。
コロナ感染を防ぐことが医療崩壊の防止になるのですが、同時に現在の日本の医療体制がどうなんでしょう?中国では1000床ほどの病棟を突貫工事で作ったようですが、日本にはこのような動きが見えません。医療従事者も足りないのでしょうが、待遇では今年のボーナスが出ないとか。
政府による感染防止対策もとんでもないことになっていますが、感染拡大に伴う医療体制も大変なことになっています。
この三連休は人の流れが多くなっていましたが、早ければ来週中には感染者数の数字として現れるでしょう。
全国的にも大都市圏を中心に同じ状態にあるのでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき


栗きんとんを買いに長野県の木曽にある妻籠宿まで行ってきました。
栗をつぶして巾着の様に丸めたお菓子です。
上に紹介をさせていただいた澤田屋さんともう一軒は昔からあったと思うのですが、今日行ったら栗きんとんを出すお店が増えたような気がします。
お土産用にも貝原でも売っているものを車の中で食べました。
栗の風味がそのままでほくほくとした食感が。ほんのりとした甘さが良いです。
山は紅葉も終わり・・・山眠る。
いま、干し柿が出回っているようですが、木に残ったか金は柿紅葉。



帰りに寄った道の駅からの御岳山です。

【2022年】ツイッターつぶやき
アメリカは殺人件数が激増しているようです。コロナによる社会不安が原因とも言われています。しかしその中で銃による殺人も増加をして4万人が死亡したそうです。
銃による乱射事件のニュースが時々出ますが、銃ですから一度の殺す人数は多くなりますね。
銃規制が言われていますが、自分を守るのは銃しかないという論理が大きいのでしょうか。しかし自分が犠牲になるのも銃による。アメリカは銃というものが一つの民主主義になっているのでしょうか。国家自体が正義の戦争として武器を持って相手国の国民を殺す。これが正当化されていますから個人でも正義というものを感じ取れれば銃を持つのが自然と正当化される。銃の乱射などもそこにはゆがんだ正義があるのかもしれません。
その正義には白人至上主義のようなものも含まれます。
このアメリカ式中の民主主義が世界中に広がっていくのかもしれません。具体的に殺人に至らなくても差別や小さな暴力そして力の社会として広まっている可能性があります。差別やヘイトも正義とみる人たちが増える。ナショナリズムも増える。
経済的には低所得層の生きることを否定するようになる。
日本の中低所得層を犠牲にした経済政策とそれに早退する軍事力の整備。
銃の力だけに目を奪われるのではなく日々の生活や社会の動きを中止しないとだめですね。

【2023年】ツイッターつぶやき
10月ごろというのは値上げの季節ですね。
去年も食品などの生活必需品が一斉に値上げになりました。今年も食品の値上げがあるようです。
日銀が2%目標は道半ばなんて言っている間に生活に必要な会者が5%から10%値上げをされている。
生活に必要なものですから節約せざるを得ないでしょう。ここから様々な商品やサービスも節約がはじまる。
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2024年11月28日(木)「現在マイナカードを持たない人は、持つ必要がないから持たないのです」

2024年11月28日 21時51分39秒 | 「思うこと」
「現在マイナカードを持たない人は、持つ必要がないから持たないのです」(東京新聞
マイナカードを必要に思ったことがどのくらいありますか?使い道がないカードをリスクを持ちながら保管するバカらしさ。高齢者など自分では管理できない人というのはたくさんいるでしょう。結局家族が管理しなくてはいけない。暗証番号を知らせていなかった家族はどうするんでしょ。
使い道がないところに使わなければならないと健康保険証や車の免許証に紐づけする。
12月からは紙の保険証は使えませんよとマイナカードを強制する。
任意で作ることが大前提のはずですが、保険証を紐づけしなければ神の保険証はなくなると大変だから嫌々カードを作る。これって強制ですよね。姑息な強制。国民を馬鹿にした強制。
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「11月28日という日」

2024年11月28日 07時56分58秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
「現在マイナカードを持たない人は、持つ必要がないから持たないのです」(東京新聞
マイナカードを必要に思ったことがどのくらいありますか?使い道がないカードをリスクを持ちながら保管するバカらしさ。高齢者など自分では管理できない人というのはたくさんいるでしょう。結局家族が管理しなくてはいけない。暗証番号を知らせていなかった家族はどうするんでしょ。
使い道がないところに使わなければならないと健康保険証や車の免許証に紐づけする。
12月からは紙の保険証は使えませんよとマイナカードを強制する。
任意で作ることが大前提のはずですが、保険証を紐づけしなければ神の保険証はなくなると大変だから嫌々カードを作る。これって強制ですよね。姑息な強制。国民を馬鹿にした強制。

≪過去の記事≫

【2003年】
なんだか台風が来ているようですね。この季節に。。。。
真冬のような寒さの中に台風・・・ハハハ
また明日から雨です。
久しぶりに外食をしました。中華のファミレスです。
ご飯を胚芽玄米にできるというのでたのんでみました。硬いのであごが疲れました。今の子供たちはあごが弱いというから玄米はいいかもしれません。
この中華のファミレスは、夕螺家のお気に入りです。たしかに脂っこいのですが、野菜も新鮮そうでいいです。

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
少し飲んできました。
でも、風呂にも入って今は正気です(笑)
もうすぐ12月ですね。飲む機会も多くなるかもしれません。肝臓をいたわりながら楽しく!(笑)
正気とはいえ早く寝ます。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
朝のワイドショウーをみていた。
北朝鮮の大延坪島への砲撃についての与党・野党の討論だが、いつの間にか菅内閣の危機管理能力の議論に集中してしまう。
内閣の危機管理能力は大切なのだが、まさに今、米韓の軍事演習が行われようとしているわけで、大延坪島砲撃のきっかけとなったものがこの演習であり、北朝鮮がどのような態度に出るか、中国やロシアがどのような立場に立つかというきわめて重要な局面になっている。日本は内閣の危機管理能力というある意味倒閣のような議論にすりかわってしまっている。
尖閣諸島沖の中国漁船と海上保安庁の接触事件も映像漏洩問題に集中してしまう。国会はスキャンダルや失言問題で議論されそれが政争となる。
たしかに内閣の危機管理や情報漏えい問題、スキャンダルや失言問題も重要な面はあるが、本質的なものをどう見て対処するかが国民には見えなくなる。
民主党政権はもつのか、また自民党に何を期待するのかといった政権闘争に明け暮れる。話題はそこに集中されて国民は目をそこに向けさせられる。
わかりやすいといえばわかりやすいのであるが、わかりやすい代わりに何も考えなくてもいい議論になっていく。そしてまた選挙では「民主党にする?自民党にする?」とせまられれ、そして政権交代とは何かがわからないままに三面記事的な議論で政治は動いていく。こんなものより面白いものはたくさんあるよとか、アハハハ・・・・と呆れて自分のことは自分でやるしかないと。
国民の意識に残るものは、北朝鮮や中国への反発意識だけであり、生活や先行きの不安ばかりである。

【2011年】ツイッターつぶやき
国分寺に用事があり出かけました。
遅くなって腹も減ったので何を食べようか。。。。と。
思い出したのが一度昼飯を食った沖縄料理のお店。。。。
国分寺駅から5分ほどでしょうか。商店街の通りから少し入ったところにある「首里之家(しゅりんち)」に久しぶりに行ってみました。
娘と車で出かけたもので、ちょうどお酒を始めた時間帯ですから食事だけはどうかなと思ったのですが、快く入れていただけました。でも…・そのかわり「ワン・ドリンクを」と。。。。。ウウウ(笑)
酒は我慢してノンアルコールビルトウーロン茶。
ゴーヤチャンプル・ソーキと言いましたっけ豚スジの煮込み・島豆腐のサラダそして好物の海ブドウ。そう、そう、あとごはん。
ゴーヤチャンプルは何となく卵焼きのよう卵でとじてありましたが味もよくておいしかったです。ソーキはとてもやわらかくて独特な味付けに感動しました。
二人で5000円でおつりが来ました。
今度は電車で言って泡盛でも飲みたいなぁ。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
「平和ボケ」という言葉がある。
この言葉のよく使われる意味合いは、今の情勢から見た場合に北朝鮮や中国の軍事的脅威を言いながら平和主義なんて言っているのは平和ボケだといったものが多いと思います。
しかし、平和ボケにはもう一つの意味合いがありまして、平和を水や空気のごとくずっとこの日本に自然にあったものと思いその大切さを忘れることです。同時に平和も人の手で守り発展させなければいつか失うという事を忘れていることです。
後ろのような意味合いにおいて僕たちは平和ボケになってはならないでしょう。
民主主義ボケや豊かさボケなどなども同じです。民主主義も豊かさも自然にあるものではない。大切に発展させなければならないものであり、そこを忘れてはならないのです。
経済がうまくゆかず、原発事故の後遺症に悩み、生活は低下していく。。。。ここに諦めと同時に開き直った国民の犠牲を言う人々が出てきます。犯罪の増加も無関係ではないでしょう。
社民党元投手の土井さんが生活に憲法をといい、憲法を活かす国民運動を唱えていました。今、この言葉の重要性が新たえて感じます。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
リフレあるいはアベノミクスや日銀緩和を批判すると「デフレ派」というレッテルを張られるのでしょうか?
どうもインフレとデフレ、どちらが良いのかという選択を迫られるような気がします。
しかしインフレとデフレのどちらが良いのかという問題なのでしょうか?
インフレというのは経済が活発に動きそれが過熱する中で起きる現象かと思います。ですからインフレにはどこか好感を持ちます。デフレは物価が下がり続けることでそれは物が売れないといった不況をイメージしますから嫌悪感を持たれます。
しかしインフレは経済成長があったのちの結果です。この経済成長が過熱しない中での物価上昇は悪いに決まっています。物価が騰がるから景気がよくなるのではない。
デフレは物価が下がりますから実質賃金を上昇させます。しかしデフレと言って賃下げをして名目賃金自体を下げてしまうなら実質賃金も低下をします。結局そこ方個人消費は伸びずに不況となります。
どちらもよくないのです。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
男の手料理というほどのものではないのですが、時々豆腐を作っています。
寒くなると暖かい手作り豆腐は最高です。
もちろん大豆を蒸して。。。などからの手作りはできません。
いつもお世話になっているのが「北の大豆豆乳」
豆腐を作れる豆乳です。にがりも付いています。
今夜は冷蔵庫に買っておいて忘れていた柚子がありましたので柚子豆腐を作ってみました。柚子をきれいに洗って皮の黄色いところだけをすりおろして使いました。
電子レンジでチン♪
電子レンジを開けた春化瞬間柚子の香りが。。。。
ゆずの皮の苦みが出ますが美味しかったです。
食べながら思ったのですが、ハチミツを入れて作ったらスイーツのように?
ハチミツを入れたらにがりで固まらない?この辺は全く分かりませんが、今度挑戦してみよう。できれば果汁も使いたいのですが、なおさら固まらない?
化学反応は。。。。?
実のほうはネットに入れて柚子湯です。。。。ヌクヌク♪

【2017年】ツイッターつぶやき
今度は東レでデータ改ざんがあったという。
日本の巨大企業が相次いで不正ともいえるものが噴き出てきている。
何か経済的な歯車が狂ってきているのでしょう。その歯車とは?難しいのですが、日本企業は生産性を上げるために労働者の賃上げを抑えて雇用形態を非正規化してきた。この労働者を犠牲にしたことからの利益の確保は経済ルールのは貝でした。買い物に行って値切ることはあっても値下げには限度があるでしょう。しかし企業は労働者に賃金根値下げをこの限度以上に求めてきたと思います。これは経済の歯車を狂わすルール違反です。これと主な滋養にデータ改ざんも日常化するほどに行うことで生産性を上げようとしたのかもしれません。もちろんこれは経済ルールに反しますね。巨大企業ですから刑事罰の対象にはならないのかもしれませんが、犯罪に近い。
さすがに政府も全産業に対してこのようなルール違反を改善するよう「お願いをした。」
上に書いた二つのルール違反から企業は大きな利益を得てきたのでしょう。
しかしこの巨額の利益は、もちろん経済ルールに沿った利益ではなくなります。どこかで経済の歯車を狂わせるでしょう。
労働者の賃金を限度を超えて値引きさせることから個人消費の限界を速めた。
データ不正のようなものは世界経済の中での信用問題です。
今の政治を見ても数の力による何でも有りのルール無視もあります。経済も何でも有り・・・・
日本社会と経済は衰退してしまいます。
子の衰退の過程に現れるのが、「日本はすごい!」といった内にこもる精神論や自己満足を国民が持つことにつながります。
この日本社会や政治や経済を批判すると「反日」扱いに。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
政府が進める「働き方改革」というのは、実は「働かされ方改革」でしょう。
「働き方改革」という場合は、労働者の要求や要望をもとにして、労働条件や賃金などを変えていくことです。「働かせ方改革は」はもちろん企業利益のために労働者をどう働かせるかということです。政府の「働き方改革」は常に企業の生産性が言われます。この間ずっと企業の生産性は労働者の労働条件や賃金の切り下げで行われてきました。ですから今後も企業利益のために「働かせ方改革」が進んでいくでしょう。
厚労省の労働政策審議会で「同一労働同一賃金」のガイドライン(指針)が出たようです。
労働者を犠牲にした低賃金や不安定雇用を増大させて企業は利益を守ってきましたが、それが派遣労働者やその他の不安定雇用の拡大でした。
朝日新聞朝刊1面から引用すると、
「労使の合意なく、正社員の待遇を引き下げるのは望ましくない。」
という考え方をガイドラインに入れたそうですが、「労使のごぷいなく」といっても労働組合の組織率は下がりその力も小さくなっています。未組織労働者は確か過半数の賛成でしたっけ?これで労使の合意となる。これではガイドラインで「望ましくない」といったところで守られる可能性は少ない。同時に外国人労働者の受け入れに関する「入管法案」が衆議院で強硬可決されました。肝心な疑問点はすべて「検討中」という答弁で終わり、具体的なものは省令でやるそうです。この外国人労働者も低賃金の実態そして劣悪な労働環境の中で働かされるでしょう。ここに日本人労働者は自分より低い階層にあると外国人労働者を差別化するでしょうが、その差別化が自らの労働条件や賃金を切り下げられる条件になることを忘れてはいけないでしょう。単純労働では日本人も同じような条件に置かれていくでしょう。
働かせ方改革は急激に進んでいきます。
この外国人労働者の受け入れ条件次第では日本人の年金や健康封建制度もどう変化していくかわかりませんね。
同じく朝日新聞7面では、働き方改革に関連して小池都知事の言葉が載っています。
「生産性を上げることは、どこに行って何時間働くかではなく、どういう成果を生み出すのかだと思います。」
小池さんは時差通勤や自宅労働について語っているのですが、これは一見労働者にも良いことだとなるかもしれませんが、企業は通勤時間もロスと考えるでしょうし、もちろんノルマを決めるのも企業です。企業の判断による労働内容によっては在宅勤務や時差通勤もできるでしょう。企業の「生産性を上げること」なのです。
労働者にとっては労働条件としての労働時間と賃金高は密接に結びついています。1日に何時間働いても同じ賃金は、高プロの法案時に見えましたね。ノルマを達成できないのは個人の能力だ、能力がなければノルマを達成するまで働けと。。。。。年収1070万どころか、みんなが高プロの労働条件にになっていくでしょう。もちろん1070万円はもらえませんけど。

【2019年】ツイッターつぶやき
      2005年    2015年
GDP比   8.1      7.96
国庫負担  25.0     25.7
地方負担   8.0     13.2
自己負担  15.0     12.3
保険料   30.0     48.8
*以上 単位 %
医療費の負担は国庫ではそうは増えずに、地方自治体の負担と保険料の値上がりによる負担が増えていることがわかる。しかし国の負担が大きすぎるのかといえば、GDP比でみると日本はアメリカの半分でかなり低い状態です。そのうえ2014年には消費増税8%が実施されて、その増税分は社会保障に回されるはずだったのです。
この中で後期高齢者の自己負担が1割から2割にするということが審議ざれているようです。1割から2割というとあまり増えないように感じますが、自己負担が100%増加ということです。そしてその負担感は後期高齢者のほとんどは年金や家族からの支えで生活をしています。100%の負担増は年収から見てかなり厳しい負担となるでしょう。そして消費増税がされています。
後期高齢者が恵まれすぎているという意見もありますが、高齢者の医療費は高いのが当たり前でずっと昔から変わりないでしょう。
医療費の負担という面での社会保障も後退をする。消費増税10%が実施された直後にこのようなものが審議されること自体国民を愚弄している。

【2020年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
子供の頃、秋の夕方になると隣のおやじが路地に七輪を出してサンマを茫茫と煙を出して焼いていました。練炭にサンマの脂が落ちる音と香りを思い出します。時々にんにくを丸ごと焼くのですが、その匂いに辟易していましたが。。。。
青魚の懸案。。。。。。
たしかに最近のサンマは脂がのっていませんね。
我が家も高い新秋刀魚を買ってきて焼きましたが脂が垂れない。ここ数年不漁続きですし美味しいサンマがどこかへ行ってしまったのでしょうか。。。。。
懸案事項・・・・・
喉に刺さった小骨。。。。。
川上さんはイワシも食して小骨がのどに。
電化製製品は10年も使えれば長持ちしたことになります。
我が家の先代電子レンジは20数年活躍していました。ある日バチバチっと火花を散らして大往生しました。たしか20万円前後した電子レンジ。。。。。様々な料理ができる機能たっぷりの。
思い出を探したら、冷凍食品のチンや温めのチンぐらい。数年おきぐらいにいろいろな料理に使いましたが。
先代トースターも、電気釜も、洗濯機も。。。。。。
いろいろな機能の想いではない。
思い出。。。。。
のどに刺さった小骨・・・・・

【2021年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
だいぶ前ですが、職場の友人と煙草を吸いながら話をしていたら、昔は還暦の祝いで赤いちゃんちゃんこを着るようになるとほんとに爺ちゃん、祖母ちゃんだったけど、今は60歳といっても若いよなと。定年も60歳ですからなぁ。。。。
昔の老人に比べれば10歳以上は若いです。
そんな若い老人は70や80過ぎても人生を楽しんでいる。
スマホで絵文字も使えば鬼滅の刃を楽しむ。若い人は年寄りだからとみていますがスマホを使いこなし、鬼滅の刃に詳しいとびっくりする。
自分が50,60になりこんなご老人を見ると自分よりも精神的には若々しい70,80の先輩にびっくりする。
どこかへ出かけても50,60は若造ですからなぁ。。。。
この若造は中途半端で若いころを恥じ、先輩には驚く。。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
中国で1000人ほどの規模でゼロコロナ政策への抗議行動が行われているようです。
自由な行動を求める声が多いようですね。
世界的にはロックダウンでの規制どころか今はノーマスクの状態です。日本においてもノーマスクの声が大きくなっていますね。もちろん行動規制はなくなりました。
中国では全国で3000人から4000人の新規感染者が出ているようです。この人数でも工場棟で感染者が出れば封鎖される。
一方寄生ゼロコロナの国々ではまた大きな波がやっていています。日本でも第八波に向けて感染者数は10万人と増加しています。
経済はどうかといえば、たしかに中国の経済もコロナで落ち込んでいますが、その他の国々においても感染者数の増加は無視ができずに政府の音頭取りにもかかわらず停滞をしています。激しいインフレもその影響とみることができるでしょう。中国の経済の落ち込みは回復も早いようですが、一度ゼロコロナになれば経済活動は回復をし、少数でも感染者が出た企業などが封鎖される程度です。たとえな旅行関連を見た時、感染拡大が爆発的になれば旅行関連産業全てが経済活動が停滞します。しかしゼロコロナの中、一つの旅行会社がコロナ感染で閉鎖されても旅行産業全体は影響を受けないでしょう。
中国のようなゼロコロナ対策はきついですから自由が奪われるという意識も生まれるでしょう。しかし感染拡大が爆発的になれば自由は奪われます。
感染拡大がはっきりしたときに1週間後あるいは10日後にロックダウンをするといった計画性を持ったやり方もあるでしょう。
放置コロナ対策は非合理的敵です。

【2023年】ツイッターつぶやき
「長周新聞はいかなる権威に対しても書けない記事は一行もない人民の言論機関として1955年に創刊されました。」(長周新聞トップページ
終戦間もない時代ですから当時の左翼思想から新たな日本社会を作らねばならないという強い言葉が使われています。保守合同で自民党ができ、左右社会党が合同して社会党ができた。55年体制の中で多くの新聞も先の戦争を反省しマスコミの役割をも反省した時代でしょう。
しかし75年が過ぎて残念ながら社会党は姿を消し、マスコミの変質も大きくなった。安倍総理と一緒に酒を酌み交わすマスコミ。
長周新聞は、すべての記事が読めます。
大きな新聞社は、有料記事ばかりになりました。
主張を国民に読んでもらいたいというマスコミの原点が現れています。もちろんマスコミも企業ですから利益が目的にもなります。有料化は発行部数の減少からが大きいでしょうが、なぜ発行部数が少なくなったかは、ネット社会で新聞離れが大きくなった影響が強いでしょう。しかしなぜ新聞離れが大きくなったかは、ネットだけではないでしょう。新聞が国民の心から離れてしまったのだと思います。
長周新聞は、大手マスコミのように情報量は少ないと思います。しかし少ない情報から何を考えるかがあります。国民もいろいろな考えがありますが、国民の生活からの考え方を示す社会的な主張は新聞の一つの形でもあり、その考えが長周新聞を作っているということでしょう。
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2024年11月27日(水)「能登地震からもうすぐ1年」

2024年11月27日 22時15分47秒 | 「思うこと」
能登半島で震度5弱の地震がありました。
テレビニュースで現在の被災地の様子が映し出されていたが、10カ月以上たっても復旧はできていない。
政府の動きが遅いですね。石破さんがアリバイ作り程度に能登半島を訪れましたが、復旧は遅れている。
復旧はどのように税を使うかにかかっている。
政府はウクライナをはじめ税金を海外にばらまいているが、能登半島の復旧には使わない。
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「11月27日という日」

2024年11月27日 07時51分22秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
能登半島で震度5弱の地震がありました。
テレビニュースで現在の被災地の様子が映し出されていたが、10カ月以上たっても復旧はできていない。
政府の動きが遅いですね。石破さんがアリバイ作り程度に能登半島を訪れましたが、復旧は遅れている。
復旧はどのように税を使うかにかかっている。
政府はウクライナをはじめ税金を海外にばらまいているが、能登半島の復旧には使わない。

≪過去の記事≫

【2003年】
布団を上げて、家中の窓を開けたら、公園の紅葉がしっとりとし、小鳥の声もたくさん聞こえて気持ちがよかったです。今年一番の冷え込みだそうですが、こんな寒さも感じないほどしばらく窓からの風景を眺めてしまいました。
ポイントカード。。。。。
いろいろな店でやっていますが、僕も2枚ほど持っています。
1%還元と、ほとんど役に立たないカードもありますが、そういうカードはもらわないで、10%還元のような有利なものだけはもらうことにしています。もちろん、ポイントをためるためには店を選ばないですが、よく行く店で有利なものはもらいます。
PCを買ったらポイントでプリンターがついてくる。。。。。これは得ですよね?

【2004年】
スーパーでもだいぶ干し柿が多く売られるようになりました。きざんでサラダに入れたものが好きです。ドレッシングのしょっぱさと酸味に甘い干し柿がマッチします。
それよりもすきなのがアンポ柿。
干し柿を作る過程の半生タイプなのでしょうか?鰹節に対するナマリのような。。。。。
やわらかい熟柿が木はあまり好きではないのですが、アンポ柿の柔らかさは好きです。なんでも干すとなんでおいしさが出るのでしょうね。
残念ながら種無し柿だったのですが、あの種の周りのズルッとしたところがすきなのですが。。。。
公園の桜の葉がだいぶ落ちました。明日から寒くなるようですし木枯らしで散っていくのでしょうね。そういえば冬至は12月何日だろ?年末年始はあわただしいですが、早く当時が過ぎないかなと思います。11月は暗い。。。。。。

「保育園に絵をかいた」  銀色 夏生  著
二人目のご主人と離婚された夏生さんはご実家の宮崎に帰ります。
今年(2004年)6月に発売になった日記・エッセイ「つれづれノート13」には、この宮崎県のエビナ高原近くの小さな町の息子さんの通う保育園の園長先生に頼まれて壁画を書いたというところがありましたが、その壁画を多くの写真で紹介した写真集です。
「まえがき」には絵を描いたいきさつが書かれていますが、後はところどころの写真の解説を書き添えたものです。
もう少しエッセイ的なものが欲しかったですが、それは「つれづれノート」役割なのでしょう。
夏生さんは、心無いファンなど人と接することに消極的なものを書いています。またこの消極的なものは夏生さんの性格なのかもしれません。「つれづれノート」のあの明るさの裏に自分の世界に入り込む夏生さんがいます。
しかし、夏生さんの内面にも変化が現れはじめているのではないかと思われます。そのひとつがこの保育園の絵をかくことにもあったのではないかと思います。絵をかく前の下塗りを保育園の保護者の方に手伝ってもらったり、人と人とのふれあいを「つれづれノート」の文章から感じます。喫茶店を開こうとかと、夏生さんの前向きな側面が大きくなってきていると思います。
久しぶりに夏生さんの写真が載せられていますが、日焼けをした笑顔のなかに自然体の夏生さんが見えるような気がします。
絵は子供たちが集まる保育園ということもありかわいらしい絵がたくさんあります。野で遊ぶ動物たち、パレードをしているような食べ物たち、人や動物・小鳥がシャボン玉を飛ばしたり、そのシャボン玉が飛んでいきます。自然の中に囲まれたのんびりとした空間と人の矢指を温かさを感じさせてくれます。
写真集ということでの物足りなさを先に書きましたが、本だから写真集なのであり、その本の中にある世界は多くの絵や保育園を囲む自然なのです。のびのびとした夏生さん自身の気持ちが現れているのでしょう。新築した家もそうですが、保育園の絵もそれを写して本にしたものもやはり夏生さんという人間・内面を現す一つの作品なのだと強く感じます。

【2005年】
今夜は手作り餃子でした。
50個ほど作りましたが、息子は風邪を引いてしまったといって食わない。それでも35個ぐらいはたいらげました。たしかに市販されている餃子のような味は出ませんが、我が家の味ということでは好評です。大判の餃子の皮で作るので、もうご飯などは食えないとご飯があまってしまいました。
夏生さん関連の話題から内田樹さんというフランス哲学?文学?よくわかりませんが多くの著書のある方のブログを読みました。
夏生さんとお会いしたという日記でしたが、その中に「性同一性」や「非人称的」という言葉が出てきます。夏生さんとお会いしたことでなぜこれらの言葉を使われたのか?興味があります。
夏生さんの詩は、私という夏生さん自身が語ると同時にあなたという男が語ったり、時には主語がどちらかわからなくなったり、第三者がいるのかと思われたりと難しいものもあります。
この辺については、難しい言葉はわかりませんが以前から気になっていたところです。内田さんも夏生さんの詩をお読みになっての関連からこれらの言葉をお使いになったのかな?それとも青いしてのことからだけの言葉なのか?
すごく興味が出ました。

【2006年】
昼食はきし麺を茹でて食べました。汁は買ってきた春菊のかき揚げを入れて作りました。きしめんは乾麺ですがおいしかったです。
最近は麺類もいろいろな添加物が入っており、小麦粉と食塩だけというものが少なくなりました。今日食べた「なごやきしめん亭」は、添加物がないようです。
愛知県江南市というのはどのへんかな?と、ネットで調べてみました。愛知県の北側でもう岐阜県?の県境にあり、環境もよくて水もよさそうです。やはりきし麺が産物のようでした。
こうして食べたものなどをすぐに検索して調べられるというのはネットのすごさですね!!そういえば、時々日記の中で食べたものなどを書いていますが、それをネットで調べて一つの頁に残すのも備忘録としていいかなと考え、ページを作ろうと思います。少しづつ書き加えていきます。
今夜は子どもたちと3人で外食。
少し遠くまでいってきました。以前、実家に行くときに偶然見つけた洋食屋さんです。

【2007年】
一昨日紅葉見物に山のほうへ行きましたが、よくよく考えればもう山のほうの紅葉は終わりで、平野のほうが盛りです。
東京もそろそろ落ち葉の季節。。。。
落ち葉で焼き芋をというのも今はみませんなぁ。。。
下手に落ち葉焚きなんかすれば消防車が飛んでくる(笑)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
今の経済学では「労働の生産性」というものをどのようにとらえているのだろうか?
企業活動の基本となるのは、生産設備や原料あるいは電力などのエネルギーなどはその価値どおりの値段で買い生産手段を整える。そこに労働力を改組の生産手段に結び付けて製品をその価値どおりに市場に出して売り、先の生産手段に労働が新たに付け加えた(製造過程で製品にするという)価値を利潤として受け取る。
経済活動としてはこのような互いに商品はその価値どおりに売られ必要に応じて買う。しかし労働力はほとんどの場合は買い叩かれている状態だろう。労働力を価値以下に買うという場合、これは原材料などを価値以下で買い叩くということに等しい。このような本来の価値を度外視して買い叩くというものは本来の意味においての労働の生産性ではない。生産性を上げるとして賃金を低く抑えることは基本的な経済活動に反するものとなるだろう。必ずこのような反経済的行動はどこかにしわ寄せがでて矛盾をきたすだろう。
本来の生産性の向上は、価値どおりに買った生産手段と労働力を結合させ、同じ労働力量でたくさんの製品を作り出すことにある。経済成長が伸びているときはこの本来の生産性の向上が行われた。よりすぐれた機械を入れたり労働工程を効率化させたりと。しかし今は安易な賃下げという形で行うようになっている。労働力はコスト計算として物と一緒に計算される。利潤を維持すること=コストを下げること=手っ取り早い賃下げ。
賃下げには個々人の賃金額そのものを下げるものであると同時に、より長時間働かせることや、風呂敷残業やサービス残業という形でも行われる。そしてこれは一方における失業という形での社会的な総賃金コストの引き下げでもある。
このようなことを生産性の向上あるいは労働の生産性として理解しているならば、社会は停滞をしデフレ構造は深化いていくだろう。企業(資本)は国籍を離れ安い労働力を求めて放浪する。
しかし、本来この姿は資本主義の停滞ではなくて進化なのである。進化を進化として経済活動を自由にそして開放すれば国民生活は豊かになるのである。労働の生産性の向上は国民生活を豊かにする。それはきつい肉体労働や長時間労働そして精神的な圧迫から人を解放していき、余暇を増やしてより人間的な生活を保障するだろう。

【2011年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞朝刊に「政治を鍛える 国民投票―原発の将来みんなで決めよう」と題された社説があった。
今後の原発政策を考えた場合、国民の意思というものが尊重をされなくてはならないが、その意味において国民の直接的意思としての国民投票は一つの民主主義の形だろう。
日本にはこの直接的な国民投票という制度としては改憲の是非を問うことを目的とした特別な法という範囲でのものがあるが、その意味では民主主義としての国民投票は根づいていないと見た方がよいだろう。
改憲にしても憲法9条もあり民主主義の確立もあるが、国会勢力の力関係ばかりが目立つし国民的な議論も不足をしており、何よりもなぜ改憲化もよくわからない状況ではないか?その上で国民投票というのは民主的のように見えるが数の論理による民主主義に陥る危険性もある。
原発にしても国民は判断材料を持っているのか?政府の対応も右往左往をして原発をどうするのかという議論も進まない。また原発をなくすことによるデメリットばかりが目立つ。
国民投票は一つの民主主義の訓練だということもあるだろう。しかし国民の民主主義意識はそこまで高まっているだろうか?というよりも国民は民主主義的にふるまうが、その意思を決定するための材料(情報)を民主的に知らされているかどうかなのである。
国や社会の民主主義が先か、国民意識の民主主義のためのシステムの構築が先かは、堂々巡りをするものだと思います。
社説にある民主主義は作り上げていくものであるというものが大切でしょう。
今、日本の民主主義は発展途上にあるという分析から国民投票も考えないとならないでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
安倍総裁がこの間の政策インフレ目標2%をあらためて発言をした。
「日銀が「中長期的な物価安定の目途」としている消費者物価指数(CPI)の前年比上昇率1%は低いとの認識を示し、「『2%の目標』と書いてもらわなければならない」と明確な目標とすることを求めた。また、「もし日銀法を改正するのであれば」と前置きし、目的として雇用の最大化にも責任を負わせるべきとの考えを示した。」
日銀に対して2%のインフレ目標を要求するためにも日銀法の改正が必要だという事でしょうか。一方では、日銀法改正時にその目標の一つとして「雇用の最大化にも責任を負わせるべき」と。ここには「明確な」雇用目標はない。しかもだれに責任を負わすのだろうか?日銀が雇用を増大させる金融政策をやる?そんなことはないでしょう。雇用拡大の明確な数値による目標と政策は政府の仕事です。安倍総裁が仮に総理となった時には安倍総裁が責任を負うという事です。
しかし経済のインフレ目標と雇用の増大やインフレに伴う労働者の生活保障としての賃金の底上げは自動的には連動しないというのが常識でしょう。そしてインフレと国民生活の関係から見れば、年金額をはじめとした社会保障費全般の底上げ目標が必要です。ここに具体的な数値的な目標設定がない。雇用目標があったとしても、現在女性労働や高齢者の労働を重視する方向になりつつありますが、これは低賃金層の雇用です。自民党の政策からの派遣の拡大による正社員数の減少と低賃金化・雇用の不安定さが拡大している。インフレを起こす公共事業でここが改善する見通しはないわけです。自民党は派遣法の改善をやるのでしょうか?年金や社会保障は減額される方向に今あります。この方向をやめて社会保障の拡大をやるのでしょうか?今の政治には消費増税分を公共事業にといった考え方もあるわけで年金・社会保障の不安は拡大するばかりです。
このように見るとインフレ目標だけが現実味があり、結果としては国民生活の低下傾向に追い打ちをかけるようなインフレがやってくるという事ではないでしょうか。

せっかく書いたものがエラーが出て消えてしまった。。。。。。なぜっ!!?

【2013年】
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
用事があり栃木県真岡市に行ってきました。
せっかく遠出したのでおいしいラーメンはないかネットで探したのですが、1件だけ興味のあるラーメンが。。。。
壱番亭http://www.ichibantei-g.com/lib/pdf/ichibantei_menu.pdf真岡市二宮店。
にんにくが多めのラーメン。
去って、言ったのですがラーメンの名前を忘れてしまった。
そこで店員さんに「ニンニクの効いたラーメン」と聞いたら「これですね♪」と。
メニューには写真がなくもう一枚のメニューを見せられてその名が「豪麺」。。。
そのメニューには復活の文字が?どうも違うようだが食べてみることにしました。せっかくなので「デラックス豪麺」を。
しばらくして出てきました。。。。「デラックス豪麺」
山盛りの野菜にチャー周面並みの数のチャーシュー。半熟に卵がトロリ。
その上の醤油漬けのようなにんにくのみじん切りがたっぷり。
さすがににんにくの存在感があります。
スープは醤油?塩?味噌ではない。豚骨風味でしょうか?独特な味のあるおいしいスープでした。
12時少し前に入ったのですが既にだいぶお客が入ってました。
しかし。。。。量が多かった。。。。餃子もおいしそうだったのですが頼まなくてよかった。

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「来年の手帳はどうする?」
大したスケジュールもないので携帯電話のカレンダー機能で間に合います。ちゃんと時間になると教えてくれるし。
昔はシステム手帳を使っていました。スケジュールだけではなくてちょっとした日記帳代わりにも使っていました。その後は電子手帳時代も。。。。。
今は携帯やらスマホやらタブレットやら・・・・・便利なものがたくさん出ていますから手帳の売り上げはどうなんでしょうか?
来年も今年と同じく携帯でスケジュール管理、パアソコンのブログを日記帳代わりにしていきます。
そういえば、だいぶ前からブログでシステム手帳のようなものができないかなと思っています。
スケジュールやプライベート日記は鍵ができて、公開日記やメモやツイッターのようなものがついていて、カレンダーや地図やいろいろな情報ページをまとめておくことができるようなシステム手帳ブログ♬
いろいろな情報ページはカスタマイズして使う。
流行ると思うのですが(笑)

ツイッター上で初めて「デフレ派」というレッテルを張られた。
そもそもデフレ派という経済学はないでしょう。
もちろん物価が下がることにより勤労国民の生活費は低くなりその分生活は豊かになる。これまでのリフレ経済政策は、結果としては円安による輸入品目の値上がりにより勤労国民は悪性の物価高に苦しんでいる。これに対して反対はしているが。
しかしこれをもってデフレ派というレッテル張りはおかしいでしょう。むしろ物価の上昇=好景気とした逆立ちの経済学であるリフレがおかしいのです。物価を条させれば景気は良くなるのではなく、景気が良くなるからインフレという物価高の副作用が出てくるのです。しかも物価は上がるが賃上げはないというのが日本の政財界の方向性です。
デフレとは、この経済の好循環がない中で副作用としてのインフレがないという事だけなのです。景気が停滞する中で物価も下がり続ける。それはデフレ不況を呼び起こすという事です。デフレとは結局はデフレ不況のことです。
では何で物価は下がり続けるのでしょうか?
もちろん不況で物が売れないから安売りをするという面は確かにあります。しかし企業は大赤字を出しても安く売り続けるでしょうか?大赤字ではなくて利潤が低下しても安く売り続けるのです。
利潤が減り物価が安くなっていくというのはなぜでしょうか?
それは経済法則なのです。
先日電子レンジを買ったという事をこのブログで書きました。30年ほど前買った電子レンジは15万円ほどした高価な電化製品でした。しかし今回買った電子レンジは5万円しませんでした。
なぜ30年前15万円だったものが今は5万円もしないのでしょうか?たしかに30年前はバブルの前後かと思いますから物価も上がっていました。しかしいくら物価が騰がっていたからと言っても今の感覚からすれば高価すぎます。その他の主な要因は何でしょうか。それは生産性の向上です。
生産技術もロボット化のように人の労働力をあまり必要としなくなったためです。人の労働力量が少なくなれば電子レンジも安く生産できます。生産技術という生産性の向上が5万円もしない電子レンジをつくることができるように発展したのです。
電子レンジを生産する企業は、当然1台の電子レンジからの利益は減少します。短絡的に見れば、今では3大占いと同じ利益は出ないという計算も出てくるでしょう。
以上のように生産性の向上そしてその競争が物価を下げて企業の利潤を減らしていくという事です。ここが経済の法則性なのです。ですからデフレ派などというレっている張りはばかげたもので、経済法則をそのままに受け入れな一部のれ振れはの見当違いの造語なのです。
レッテル張りが流行っています。今の政治に反対したり日本を応援しないと「反日国民」というれってる張りをされる場合がありますが、そのレッテル張りと同じようなものがデフレ派というレッテル張りなのでしょう。
物価は下がり続けます。これからも。
もちろんそれはさらに生産性が向上していくからです。
この法則の中で何が必要か?
今のリフレ政策のように株価が上がって企業の内部留保が高まることでしょうか?
物価が下がって必要な労働力の現象から労働時間を短縮させて国民生活を豊かにすることでしょうか?
答えは決まっているのです。
前者は経済法則に反していますから失敗は必然です。すでにアベノミクスと日銀緩和は行き詰っていますし失敗だったともいわれはじめています。後者は政治的社会民主主義として経済法則にのっとったものとなるでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
東京は暖かいです。
先日平年並みの気温に一時なりましたが、今週はまた暖かです。
部屋の中は19.9度。。。。。。
ペンタスがまだ元気で新しい葉を出して花もたくさん咲いています。このまま冬を越してしまいそうです。ほかにも夏の花が元気で、フェアリーリース(極小のニチニチソウ)も花を咲かせています。
このまま暖かさは続かないでしょうが今年は暖冬でしょうか。
昨日実家に行って枯葉の掃除や伸びすぎた木や花を切ったのですが、少し動くと汗ばんできてフリースを脱ぎました。冷たいペットボトルのお茶がうまかった。。。。。
もう週末は12月ですからなぁ。。。。。
山のほうも雪がないようですね。
雪が少ないと夏は水不足でしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき早ければ2021年からの新車には自動ブレーキが義務化(朝日新聞)されるようです。
時速40キロで走行中に前方の停止している車にぶつからないなどの基準を設けてその基準をクリアするような自動ブレーキだそうです。
まだ義務化されなくてもテレビコマーシャルなどで自動ブレーキ搭載が言われていますね。これはオプションでということでしょうか?これを義務化するということでしょう。
しかし、自動ブレーキを搭載させるにはそれなりに価格は上昇するでしょう。
その価格上昇に見合うような自動ブレーキの安全性があるのでしょうか?
もちろんないよりはあるほうが安全だということには間違いないのですが、時速40キロ走行といえば、東京でいえば少し交通量の多い道路の速度だと思うのですが、その道を40キロで走行していて前の車が止まっていてヒヤッとした経験はあまりないです。
速度超過でもしていれば車は自動では止まらない。もしかすると自動ブレーキは役に立たず、結局は運転者の過失で片付けられるでしょう。もちろん速度超過なのですから運転者の過失なのですが、その中で多くの運転者が自動ブレーキを必要とするのでしょうか?
このような自動ブレーキの義務化が言われる中で、テレビ朝日によると、
歩行者の6割、自転車の8割が事故時に法令違反があったといいます。
この歩行者や自転車の法令違反が多発している中で、自動ブレーキがどのくらい役に立つのでしょうか?
事故が起きれば車が悪いと考えている方が多いのかもしれませんが、車は急には止まれない。

【2020年】ツイッターつぶやき
早ければ2021年からの地方自治体に丸投げということです。それはもちろん政府の責任回避です。
安倍政権での経済対策も同じでしたね。
政府に危機管理能力がなくなっているということです。
もちろん何もしていないと言わけではないのですが、これまで決まったことは行うがこの感染拡大の局面で新たに何をするかが出てこないのです。
日本政府は大丈夫でしょうか?
数の力だけは相変わらず持っているのですが、それがまたタチガ悪い。

【2021年】ツイッターつぶやき
オミクロンって、ギリシャ文字のABCのようですね。「O」
この前までデルタ株で騒いでいましたが、、、、、
ツイッターを読んでいるといろいろな情報が出てきます。どのような性格のある株なのかが気になります。
ひとつわかっているのはどうもワクチンの効果が怪しいということです。もちろんワクチン接種から6カ月以上経過した人が感染しやすくなっているという見方も出ていますが、ワクチン接種が進んでいる国において感染の広がりが出ているということはオミクロンはワクチンにある程度耐性があるのかと疑うべきです。
政府は空港での水際対策を強化しているようですが、ある特定の国に対してのものであり、PCR検査ではない抗原検査だという情報もあります。今のうちにしっかりと検査を行っていないとすぐに感染は拡大するでしょう。
少し前まで若年層の感染が多くなっていましたが、子供たちにもワクチン接種が進みそうです。この若年層の感染というのも変異株ではないでしょうか?オミクロンかどうかは別にして。
ウイルスの変異は常に存在しているようですから。。。。。
ウイルスも感染しやすいように自らの遺伝子を変えながら頑張っているのでしょう。。。。。
オミクロンの次はパイ(π)だそうです。

【2022年】ツイッターつぶやき
物価が上がると企業の生産コストが上昇し、労働者国民の消費が減少する。
この物価上昇も経済の過熱からのものからバブルははじける。同じように経済の過熱もない中での物価高でもバブルははじける。
企業の利潤率は、省力化の中で低下をする。
生産が拡大する中では省力化も効果は一定程度あることから利潤率の低下も抑えられるでしょうが、経済が停滞をして消費が減少すれば拡大再生産は行われない。
企業は生産を抑えるようになるでしょう。
生産を抑えることによりさらに利潤率は下がりますから、商品の価格下落競争も同時にはじまる。
企業の力のな所は市場から消えていく。
吸収合併のようなものも増えて独占化がさらに進むでしょう。
企業は経済の発展時にはもちろん競争を強める。しかし経済が縮小する中でも生き残りの競争を強める。
パイが小さくなる中で府のスパイラルに突入する。

【2023年】ツイッターつぶやき
大阪万博開催のための費用が当初見込みより2倍になる。
2350億円。開催までにはさらに膨らむでしょう。
オリンピックも安く抑えるといわれていたが蓋を開ければ費用は増加し続けた。
会場の工事も遅いらしいが、建設は企業の言い値となるでしょう。人手不足を理由として。そして工事を急ぐならと。。。。
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2024年11月26日(火)「めんどくさくて。。。」

2024年11月26日 22時10分05秒 | 「思うこと」
昨夜はハンバーグにしようと思いひき肉を買ってきたのですが、どうもこねて焼くのはめんどくさくなった。
ひき肉の消費期限が25日なのでジレンマ・・・・・
一度面倒になると気持ちを入れ替えて作るというのは強い気持ち場ないとだめですなぁ。かといって消費期限もあるし、冷凍にするのも嫌だ。
仕方ないのでそぼろにしてみました。牛ブタのミックスですからうまいかどうか。。。。。
牛は臭みもあるので味噌を使ったそぼろにしてみました。
案外味つけもうまくいっておいしかったです。
しかし、ハンバーグのために買ってきたひき肉ですら量が多い。
残ったものは今夜キャベツなどを入れて卵をたくさん使いチヂミ風に。
やっと食い終わりました。
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「11月26日という日」

2024年11月26日 08時00分31秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
昨夜はハンバーグにしようと思いひき肉を買ってきたのですが、どうもこねて焼くのはめんどくさくなった。
ひき肉の消費期限が25日なのでジレンマ・・・・・
一度面倒になると気持ちを入れ替えて作るというのは強い気持ち場ないとだめですなぁ。かといって消費期限もあるし、冷凍にするのも嫌だ。
仕方ないのでそぼろにしてみました。牛ブタのミックスですからうまいかどうか。。。。。
牛は臭みもあるので味噌を使ったそぼろにしてみました。
案外味つけもうまくいっておいしかったです。
しかし、ハンバーグのために買ってきたひき肉ですら量が多い。
残ったものは今夜キャベツなどを入れて卵をたくさん使いチヂミ風に。
やっと食い終わりました。

≪過去の記事≫

【2003年】
「よしもとばななドットコム見参!」
新潮文庫
よしもと ばなな  著
よしもとばななさんの公式ホームページにある日記を本としたものです。
僕の日記にも
なんだろう?なんとなく感じる違和感は。。。。。
たとえていうと、僕のようなまったくの一般人(凡人)が作家などの芸術家が集まるパーティーになぜか入れてもらったというのか。行ってみたのはいいけど、名前を聞かされても誰のことやらまったくわからず、親しそうに話している輪に入れずに一人ちんまりと見ているというような違和感かな?
と書いたのですが、ばななさんの才能や友人関係の広さ、その活動力。驚くばかりですが、そんな中にどうも僕は興味をもてなく、そしてなんとなく生活感がない日記ではと思いました。
もちろんばななさんのご家族のことやご主人のことも書かれていますので、まったく生活感がないというわけではありませんが、やはり庶民離れをしているというのか。。。。。
もちろんこの感じ方は、僕個人の生活からくるものだと思います。
やはり「作家よしもとばなな」の日記なのでしょうか?
作家としての日常を描いていると見ればそれはそれで楽しいのかな?
お子さんが生まれたそうですが、その中に「母親よしもとばなな」も現れてくるかな?その中で生活観あふれる日記も読めるのではないかと思いつつ、後に2冊を呼んで見ます。

夏生さんの「家ができました」をじっくり読み(見)ました。
新築の家の細部までたくさんの写真と解説の本です。「つれづれノート⑫」には、新築中のことがたくさん書いてありますが、丸太の年輪を壁に貼り付けるなどと楽しいことが書いてありましたが、そのできた壁の写真もありました。
ぱらぱらと本をめくったときは、写真の本だからすぐ読み終わってしまうと思ったのですが、解説を読みながら写真を見ていると、なるほど。。。と、写真を見入ってしまいます。
感じたのですが、家というのも夏生さんの作品なんだなぁとつくづく思いました。もちろんその写真も。夏生さんの趣味はもちろん、家に対する考え方が出ています。
楽しい本です!!
・・・・年末ジャンボ宝くじに当たったら、こんな素敵な家を海の見える南房総に建てたいです。。。。。ハハハ

これからはあるくのだ文春文庫角田 光代  著「これからはあるくのだ」この表題を本屋で目にして、きっと30歳代の女性が前向きに自分の人生を歩んでいくというエッセイ集かと思い買いました。
そしたら・・・・・
コンビニの前に自転車を止めて友人を待っていたら、急にじい様が転んで、角田さんの自転車が急にすごいスピードで走ってきたので転んだのだとウソをつかれいやな思いをしたので、もう自転車は乗らないで歩くのだというものでした(笑)
こんな面白い日常を描いたエッセイ集です。
しかしただ楽しいエッセイ集ではないと思います。この自転車のこともそうですが、何か「不安」が文章の中に感じます。
「記憶」というものがはじめのほうの何篇かに書かれていますが、自分の記憶にないことを回りの人たちが「あの時は・・・・・」と話す。このようなことが多い中で、自分の記憶というものに何かの不安を感じ、それが読むものにも伝わります。
また、あとがきには幼稚園の頃の思い出が書かれていますが、何もしゃべらず、怪我をしても泣かない子。こんなところに小さな子供の頃の思い出とエッセイに書かれている角田さんがダブり、それがなんとなく僕にとっては「不安」という感情が出てきました。
先に描いたじい様のことでは、いつ自分が傷害罪という犯罪者にされるかどうかわかりませんし、心温かいやさしさで着物業者に同情をして着物を買ったらだまされたなど、社会の中で生きていくうえでの「不安」あるいは圧迫感というものを感じさえしました。
また、この不安と同時に、結婚はしないと、友人たちと飲み歩いたり、こんなところに楽しんでいる女性と同時に、その裏側の寂しさも感じました。これはよけいなお世話な僕の感じたものですが。。。。。
エッセイの中には、「時間の隙間」という言葉が2,3度出てきます。
飲んだ帰りの誰もいない交差点、誰も住んでいない廃屋の中。
昼間なら人がたくさん通ったであろう交差点、誰かが生活していたことがはっきりわかる廃屋。でも、そんな深夜の交差点や廃屋に立つと、そんな現実から切り取られた当時時間の隙間に引きずり込まれるような感覚、なんとなくわかるんですよね。。。。。。
みんなが時間の流れの中に流れているはずなのに、一瞬その時間の流れから自分だけが取り残されているのではないかという錯覚。このようなことは僕も時々あります。
社会の中では所詮一人なんだというこんな角田さんの意識がうかがわれます。このようなことは、角田さん自身が好むと好まざるとにかかわらず、角田さんの生き方に自然にそなわっているのではないかと思います。
「孤独」です。
旅での孤独、その孤独は自分の家に帰り友人たちと飲んでしまえば忘れる。でも、またその中に孤独が違った形で「私と同じ存在感で持ってそこにある」
周りの暖かい友人、その中での孤独、この孤独から逃れるためのたび、そしてそのたびの中での孤独。。。。。。
そして日常の中に孤独が隣り合わせ。。。。。。。
以上のように、このエッセイ集には、不安、孤独、時間の隙間という主題があるように思えました。
また他の作品を読みたくなる作家です。

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
乃南さんの「晩鐘」読み終わりました。
最後のページを通勤電車の中で読み終わったのですが、通勤電車の中というのも忘れ涙が流れそうになりあわてました。
悲しい結末だから涙が出るのではない。もちろんハッピーエンドだからではもちろんない。なんと言い表わしたらよいのか。。。やるせなさというのかな・・・
大きな流れに逆らおうとするが、どうしてもその流れに、気がつくと流されている。最後はその流れにただ呆然と浮かぶしかない。。。そんなやるせなさ。
そう、やるせなさ。。。
事件の被害者は、肉親を殺され悲しみ怒り涙を流すだろう。しかし長い時間がたつとその事件を忘れて悲しさや怒りがおさまるのではなくて、その悲しみや怒りの涙がどうすることもできないやるせなさという重いものに変化するのではないか?
小学生の加害者の大輔の末路も、自分では解決のできない事柄に対して流され流されながら気がつくトラストを迎える。大輔は眠たくて仕方がないという。これもやるせなさではないか?
真裕子や大輔そして建部のやるせない気持ち。
このやるせなさという涙と同じ涙を読者に残した、そんな優れた作品なのかもしれない。
しばらく、読み終わり呆然となってしまった。
乃南さんの作品は心を強くして読まないとずしりと心が重たくなってしまいます。
そんなわけというのではありませんが、川上さんの「東京日記」をさっそく読み始め、ようやく少し心が軽くなってきました。
「東京日記」の中で、川上さんが電車に乗り座っていたら、湯気も見えそうなおしっこが流れてきた。誰が漏らしたのか意図的にしたものか、みんな済まして乗っているというものがありましたが、電車の中というものはおもしろいものです。
この前電車の載ったら、まだまばらに座っているような状態でしたが、そのうちのぽつぽつと乗り込んでくる。そうすると、人間というものは方が触れ合うのを嫌ってはなれて座るものだが、このあとからぽつぽつと乗り込んでくる人が一瞬車内を見回してどの人間と肩を触れ合わせるか躊躇するのである。その一瞬を見ているとおもしろい。そろそろ寒くなり、電車にも暖房が入りはじめた。いつもは座席の端の角地から座席は埋まっていくが、暖房は、座席の真ん中あたりが一番きく。そこでこのごろは座席の真ん中から席が埋まっていくのだが、駅についてその暖かい座席が空いていると、肩が触れ合うことのわずらわしさを忘れて窮屈な真ん中の席に座ってくる。また、一度座ったところは温まっているので動くのが嫌なもので、そうは座席がいっぱいではなくても窮屈に並んでいる。この前も「席が空いてきたので少し端に動けよ」と両端の人に対して思ったのだが両側の人は窮屈に僕の肩に肩が触れさせ動かない。その後も席が空いてきたにもかかわらず僕と両側の人は3人で肩を窮屈に触れながらどんよりと座っていた。

【2006年】
ものすごく寒くなりました。
もう真冬のような寒さです。一気に冬がやってきたようなもので、面食らっています。
コタツをこの前から出しました。うつぶせになりコタツにもぐりこんで夏生さんの詩集を少し読みました。娘がやはりコタツにもぐりこんでテレビを見ていました。でも、詩集を読んでいると、そのテレビの音も遠い世界に響く音のような気がしました。
風邪がはっきりしなくて腰がすごく重いのですが、コタツの中で暖めたら気持ちよかったです。寒さは嫌ですが、こんなコタツに入ってののんびりした時間は好きです。
おっと、ここでうたた寝をすると風邪をぶり返してしまう。。。。
寒い中買い物に行きました。
頭の中は真っ白。。。。メニューが浮かびません。
ぼうっとしながら適当にかごに入れてレジで清算。家に帰ってきてからビニールの袋の中を見ながら、今日は何を作るんだったっけ?
なんだかボケています。
風呂に入ったら寝てしまいそうになった。
今夜は速く寝ます。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
河出書房新社発行 文藝別冊「銀色夏生 その瞳の奥にある自由」が発売になりました。
マルチな作家とも言われていますが、これまでの作詞家・詩人・作家そして写真やイラスト・最近では音楽を配信と、さまざまな角度から夏生さんのこれまでを見ることができる本です。そして「つれづれノート」などに見る生活者である銀色夏生もいらっしゃるわけですが、ご家族の今とその紹介も。
ずっとファンだった方にはこれまで見たことのない写真や文章も。またこれまで夏生さんの作品をお読みでなかった方には、銀色夏追っ手銀色夏生って?という疑問に十分応える本だと思います。
本屋さんで見かけたらぱらぱらとページをめくってみてください。ぐっと引き込まれてつい買ってしまうと(笑)と思います。
銀色夏生のこれまでの軌跡といった内容ですが、その軌跡の編集の仕方を通して現在の銀色夏生が表現されているのではないでしょうか?
書き下ろしの文章やメッセージも含まれています。
この「文藝別冊」というのは、その編集は編集者が行うものと思うのですが、夏生さんの場合は、「責任編集 銀色夏生」となっています。ここにも夏生さんの読者へ何を伝えたいかという気持ちが入っているのではないでしょうか?ですからただの「銀色夏生ワールド」紹介の本ではなくて一つの作品製性がリます。

【2011年】ツイッターつぶやき
朝日新聞3面に「プロメテウスの罠」という原発事故に関する連載がある。
プロメテウスというタイトルがどこから来るのか調べてみたら、もしかしたら宮崎監督のインタビューによる「プロメテウスの火」から来ているのかもしれません。ゼウスに逆らって人類の文明の源である火を与えたプロメテウス。その火は人類の文明が発達する中で原子力という火を持ってしまった。しかしその火は人類自身が制御できないものとなり、もしかしたら神も手の施しようがないものになってしまったのか。
そんな人類が手に入れてしまった原子力(核)という火はその莫大なエネルギーであるがゆえに核爆弾にもつながって人類を何度も死滅させる武器となってしまった。人類の文明というものでの制御不能であると同時に人類の戦争という心も制御不能になるまでのエネルギーを持ってしまった。
プロメテウスは火を与えた罪によりゼウスから不死であるがゆえに永遠にその肝臓を切り取られる苦しみを持ってしまった。人類も同じくその苦しみをプロメテウスとともに味わうことになったのか。
人類に火という文明の源を与えてしまったプロメテウスが原発というを作りださせたというわけではないでしょうからプロメテウスの人類への罠ではないでしょう。人類自身がその文明に安全神話というものを自ら作り出してしまった自らの作りだした罠にはまってしまったのである。
人類はこの罠にはまってしまった誤りを正そうとして核兵器の根絶を叫ぶようになり、また今は原発のない社会を叫び始めた。しかし人類はまだその一部の人間の利益のためにそして核兵器を放棄しないためにまたその罠にはまろうとしている。
今の社会の中でその罠にはまってしまう人々は時に滑稽でさえある論理をふりまき、国家機関がそれを権力として認めるのである。
「プロメテウスの罠」記事に「無主物の責任」というものが3回ほど連載されている。
東電は事故によりばらまかれた放射性物質を無主物として東電の所有物ではないので除染には責任は持てないという。放射性物質はゴルフ場の除染を求めた裁判の原告であるゴルフ場の土地にあるのだからゴルフ場が除染をすべきという論理らしい。そこに国の法などの責任があるのだから国の除染や賠償の行方を待てということらしい。
ゴルフ場は放射性物質の所有権がある?
こんな滑稽な論理がまかり通って原発は維持されていき、また人類は罠にはまっていくのである。
たとえば、今後化化学工場などで火災や爆発などの事故があった場合、その企業はその爆発による直接的な死傷者がない場合、有害なガスや煙の所有権を放棄さえすればそれは無主物となり、そのガスや煙が流れて行った土地を所有する人々の所有物となりその責任において対処せよということが出てくるわけでしょう。いくら土地はその週者の不動産だが、そこに流れてきたものは所有物ではない。ゴルフ場は強制的な放射性物質の所有権を放棄をして東電に戻させなければならないだろう。
逆に考えれば、東電が事故など(油断して紛失するのも事故)重要な書類や金を紛失した場合、その書類や金をネコババしても所有はそれを拾った者のものになるということである。ばらまいた放射性物質には所有権がないが金にはあるというばかげた論理。。。。結局は放射性物質が無主物となるというのは、東電がその所有権を放棄したからということに他ならない。しかし金だって管理する義務があるのと同じく有害なものは管理をする義務がある。水蒸気爆発をしたとしても有害なものはちび散らないように管理する義務がある。この管理する義務があるなら放射性物質は東電の所有物なのである。権利放棄のできない所有物なのである。

【2012年】ツイッターつぶやき
一昨日の「自然水中水準(2)」では賃金高や雇用者数との関係から利潤率への影響が語られているといった中身について書きましたが、利潤率は労働力を買う場合にもその価値によって買うわけですから他の原材料を買うのと同じで利潤を得るには価値通りの値段で買ってそれを消費して商品をつくる中で得られるものです。今は労働力も買いたたかれて安く雇用売ることが企業の利益だといった謝ったものがはびこるようになってしまいました。しかし利潤率の一定化と商品価値(市場での価格)は下がるのが法則だといった視点で考えるべきかと思います。
以下、以前書いたものの再録ですが、長いのであくまでも自分自身のおさらいとしてこちらに乗せます。(まとまらずにわかりにくいです。自分でイライラする(笑))

「労働の生産性の向上は商品の価格を下げる。社会的合理性は賃金を下げる。
これはデフレと勘違いをされますが、社会的な経済政策の変更によっては社会の発展となるわけです。
そこにはもう少しなぜ商品価格は下がる傾向になるのか、賃金はなぜ下がる傾向になるのかを見なくてはならない。 」
と書きました。
ある商品を生産するには生産手段と労働力が結びつかねばなりません。企業は生産手段と労働力を買うわけですが、それは生産手段を買うための不変資本と労働力を買うための可変資本を投資します。ここでは生産手段も労働力もその価値どうりに支払われます。
労働の生産性が高まるというのは、より少ない労働力でより多くの商品を生産することにあります。そのために機械化は進み生産システムは合理化されます。例えば、ある企業が今までは1000人の労働力を使って年間10万個の商品を作っていたとします。この中で生産性が高まり、極端な数字ですが、年間20万個の商品を生産できるようになったとします。すると可変し本領資本量は変化しませんが不変資本は新たな工場や機械を導入したり原材料も2倍になるわけですから可変資本に対して不変資本は大きくなります。または市場を見て20万個の商品は過剰という見通しを立て今までのように10万個の商品を生産するとなると必要な労働力は500人と半減をします。
ここで何がおきるかといえばこのような労働の生産性の向上は不変資本に対する可変資本量の変化として現れます。この変化は生産のための不変資本と可変資本の有機的組成を変化させます。
この企業は市場に倍の20万個の商品を出すか、同じ10万個の商品を出して500人首を切るかを選択するわけです。
このような中で何がおきるかといえば、上の企業と同じ商品を生産する産業があるわけですが、その産業全体で同じことが行われるわけですから、市場にはあふれるような商品が投げ出されるか、その産業内においての労働力の削減が行われるわけです。商品の過剰生産か失業が不可避的になります。そしてこの生産性の向上は、国内、現在では全世界において行われ、資本主義生産は過剰生産と失業という矛盾を引き起こさざるを得ません。
次はこの矛盾を引き起こす原動力となるものが何かをみなければなりません。
労働の生産性は同じ労働力量に対してより多くの商品を生産し時には過剰生産というものも生み出し、もしくは労働の生産性が高まる中でその商品量を同じにしたとするならばそこに必要な労働力量は過剰になり時には失業を生み出すと書きました。
もちろん市場における好景気時はその商品の消費量は個人消費という形でより多く消費をされ同時に設備投資という中での消費も盛んになります。しかしこの好景気にも個人消費には限度があり、設備投資をされた不変資本は最終的には大衆消費財として個人消費のための商品に価値移転されるわけですからこの設備投資という消費も限界になる。やはりこの帰結の中に過剰生産と失業はすでに内包しているわけです。
常に過剰生産傾向と失業傾向は生産性の向上の中において必然性を含んでいます。
このように一つの矛盾を引き起こす生産性の向上がなぜ急速にすすむのでしょうか?
よく言われるのは生産性の向上はあたらいい商品をよりやすく生産をして国民生活を豊かにすることが目的であり、だからこそ人々は生産性の向上に取り組んでいくのだと。しかしこれは動機と結果が逆転した結果論にほかなりません。労働自体は生活を豊かにすることは間違いはないので、人々が労働することからこそ国民は豊かになるわけです。ここでは新しい機能性に優れた商品を生み出すといったようなことは、何も生産性の向上に関係なく生まれていきます。ただ安い商品を作り出すことが動機なわけです。これが動機ですから安い商品を市場に流通させることが生産性向上の原動力なわけです。目的なわけです。この目的と結果は一致するとは限りません。国民生活を豊かにするというものは直接の目的ではないからある場合にはこれが結果として出てくることは限らないのです。ここに過剰生産と失業という結果が同時に出てくるし、労働の生産性の向上が一つの矛盾として現れます。
生産性の向上というその動機と目的は商品価値を下げるということです。そしてそれは競争に支配されいます。この競争はより多くの利潤獲得と生き残りの競争です。これが生産性を急速に推し進める原動力です。
より多くの利潤の獲得といった場合、市場の中で見えやすいという点では、ある商品の中である企業が作る商品の性能や機能性そしてデザインなどといったもので売り上げに変化がおきます。しかしこれらの付加価値はその商品の使用価値の高まりによるもので価値自体が高くなったわけではない。同じ労働力を消費した商品は使用価値を高めることはあっても価値は高めない。今年爆発的な売り上げをした自動車は、他の企業が同じものを売り出すと価格が下がった。価格が下がったというのは、価値が下がったというのではなくて使用価値が特別なものであったがそれが特別なものでなくなったからの価格下落で、その自動車の価格が価値に近づいたということです。自動車産業全体の同じグレードの車はその価値によって価格が決まるというのが基本で、長い市場の流れの中に価値は基本的なものであることは経験としても見ることができるでしょう。
商品はどのぐらいの労働力量を消費したかでその価値は決まる。そして労働力を消費している過程である労働が商品という形を形成したり他にはない上のような付加価値もつける中に使用価値を形付けるという労働価値説から商品をよりやすく生産をし、利潤を高めるという中の競走を見なくてはいけない。

ある商品をつくる産業内にABCという3社があったとする。この3社は生産性の違いがある。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
少し極端な数字ですがその生産性の違いをわかりやすくしておきます。
上の生産性は労働力を「100人あたり」としての比率であり、3社にはとうぜん生産規模は異なります。また、商品のデザインなどという使用価値はここでは考えずにその商品の価値はどのくらいの労働力を必要としたかの労働価値説としてその生産性を考えます。そしてその労働力は価値どおりに買われ賃金として支払われ3社共に同じ額とします。
この3社で生産された商品が市場に出ます。
一つひとつの商品の価値は市場価格として現れます。当然にA社の商品は市場において高くなり、C社の商品は安くなります。B社の商品が平均的な価格となります。各社の生産規模の違いなどもあり市場の中での商品量の中で市場価格がB社が生産した商品の価格に一致したと過程をします。それを仮に10万個の商品の価格を100億円とします。
するとどういうことがおきるかといえば、100人あたりの労働力としては、A社は同じ労働力を使ったにもかかわらず5万個の商品50億円の売り上げしかありません。それに比べてC社は15万個150億円の売り上げが出るわけです。同じ労働力量を使ってもその売り上げに大きな差が出ます。平均的なB社は10万個の商品で100億円の売り上げがありますが、この平均的なB社を基準に見ると、A社は生産性が極端に低く、C社はそうとう高い生産性となります。
各社の商品の価値は市場の中で平均的な価値に落ち着きそのある商品の価値を決定する。するとA社の利潤は低く、C社の利潤は高くなり、B社が平均的となります。しかしここで注意をしなくてはいけないのは、生産性が低いとはいえA社はけっして「赤字」ではない。ただ会社としての利潤が低いだけであり、労働者には何の責任もないし賃下げ理由にはならないことは後の議論には必要となります。
同じ労働力を消費しながらも市場においての利潤が異なる。一つひとつの商品価値は、C社は低いにもかかわらず平均的なB社と市場では同じ価格として売れる。この平均的な価値と本来の価値との差額を特別な剰余価値としてC社は手に入れるわけです。
この中においてA社はもちろんB社もC社と同じ生産性に高めようとします。C社は今以上に生産性を高めようとします。利潤追求のために。。。。
これが資本主義的競争なわけであり、商品をより安く大量に生産していくという原動力なわけです。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
というひとつの産業内のこの3社を別の角度から見ることにする。
A社は、不変資本(設備や原材料など)と可変資本(労働力を買うための賃金)に投資をして生産を行うわけですが、100人あたりという労働力が5万個という商品量に価値移転させる不変資本量は少ない。一方C社は同じ100人あたりの労働力が15万個の商品を生産するために不変資本量は多くなる。すると100人あたりの労働力への賃金である可変資本量は同じでも不変資本量は大きな違いを見せる。同じ可変資本量に対して不変資本量が大きくなる割合として資本の有機的な組成が高くなるわけですが、これは企業活動から見ると一つの生産拡大となります。
また、C社は圧倒的にその商品価値を安く生産できるわけですから(5)で診たように平均的な市場での価値(価格)で商品を売らなくても値下げをして市場での独占化を行うことができます。独占化はより多く生産された商品を売りさばくことにも有効なわけですから、商品を値引きしたとしてもそれは利潤の拡大となります。この独占化傾向は、C社がもう一つ同じような工場をつくる動機ともなります。ここに生産拡大というものが強くなります。
(5)でも書いたようにAB両社もこれに追いつけ追い越せと生産性を上げながら生産拡大を行います。
商品がより多く生産される拡大再生産されるというものは資本主義経済法則の一つの現れです。
ちなみにこの生産拡大によるより多く市場に出された商品価値(価格)はどうなるかというと、100人あたりの生産性の拡大の中では、その生産拡大は不変資本量の増加という形で現れることを上に書きましたし、C社がもう一つ工場を作り新たな100人という労働力を増やしたとしても100人あたりというものには変わりはなく資本の有機的な組成は変化しません。労働の過程の中により多くの不変資本が新たな商品に価値移転(機械の減価償却や原材料の消費など)されるわけですが、この不変資本は価値移転されるだけであり新たな価値を生み出すものではありません。新たな価値を生み出すのは、不変資本を商品という形に価値移転させる過程においての労働力量にほかなりません。ですから商品の価値は、不変資本量がどのくらい価値移転されたかというものにプラスされて労働過程でどのくらいの労働力量が消費されたかにあり、新たな価値創造として残るのは労働力の消費という形での価値の増加という商品価値となります。
C社が以前はB社と同じ生産性にあり、生産性の工場により現在の生産性に高まったと過程をしてみると、以前は100人の労働力量で10万個の商品を生産していたのですが、今は15万個になった。しかし商品に新たな価値としてプラスされたのは同じ100人の労働力なわけですから、以前の10万個の商品価値と現在の15万個の商品価値は同じとなります。これを一つあたりの商品価値としてみると、一つあたりの商品価値は以前より価値を減らしたということになり、市場における商品価値はsがっていく傾向を示します。価値どおりに売られれば商品は相当安くなります。
この商品の価値の低下による低価格化葉もまた資本主義的生産の法則性となります。これで資本主義の市場においての商品の低価格化と商品量の爆発的な生産拡大が資本主義的経済法則の必然であり法則性だということがいえると思います。
ではこの資本主義的生産がどのような帰結をもたらすのかということになります。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
(6)でも触れましたが、この労働の生産性の違いから生じる商品の市場価格がその価値からはなれて平均の価格形成としての特別な剰余価値を与える中での各社の利潤率はC社が一番高くA社が一番低くなる事を見ました。そしてここに資本主義的競争の原動力がある事を見ました。
この中でA社はもちろんB者もその生産性を向上させようとします。そしてC社と並ぶ生産性を得たと仮定します(C社の生産性は現在のある限界内にあり停滞するとします)。するとこのある商品を生産する産業内には平均な利潤が確定します。各社はそれぞれ100人当たり15万個の商品を生産することができるのですから、この産業をX産業とすれば
X産業は100人あたりの生産性は45万個
となります。
仮に10年前のX産業の生産性は低くてA社並みだったとすれば、X産業はこの10年で同じ労働力量(100人あたり)での商品の生産数が15万個から45万個の増加したこととなります。10年前と現在でも不変資本量と可変し本領の投資される資本は同じとすれば、それを分母として商品の総(100人あたりの労働力に対してですが)売上を分子にした場合、ある利潤率が決まります(追記:分子分母反対だったかな?)。しかしこの生産性の違いにより何が異なるかといえば、生産された商品量にあります。ある一定の利潤を得るには、10年前は15万個生産をしていたが今では45万個を生産している。そうすると商品1個あたりを見るとその価格は3分の1になります。X産業では同じ利潤を得るのにより多くの商品を市場に出さねばならなくなったということです。
同時に特別な剰余価値を得られなくなっているわけですから市場価格は価値に一致してきます。
資本主義生産とその資本主義的競争がもたらす一つの帰結は、市場における商品量の増加と一つあたりの商品の価格は価値に一致をして低下するということです。
これは資本主義生産の無政府性として現れざるを得ません。
X産業では、より多くの利潤を求めようとすれば工場の新設や市場の独占化のために各社の潰しあいに頼らざるを得なくなります。これがまた資本主義競争として行われるようになります。そしてまたこの工場の新設の競争がさらに市場に送る商品量の増加とも結びつくことが起こります。しかしここでは先にも書いたように特別な剰余価値を得られなくなっていますから、企業の利潤率は上がりません。生産性の向上のない中に工場の新設だけでは利潤額は上がるが利潤率は高まらない。ここに企業あるいはX産業そのものにまず停滞感が現れます。
一方商品量は市場の中により多く出されるわけですしその商品量は無政府性の中にあり一度過剰感が出てくると各社の中では値下げ競争もはじまります。値下げといっても赤字になるわけではないが、利潤低下であると同時に剰余価値率の低下として現れ始めて企業の停滞感はさらに深まります。
その産業では株価が下落をして資金が他の産業に流れていくでしょう。今資本をより吸収する産業の育成とか言われていますが、それはこのことからはじまる一つの帰結菜わけです。
しかし以上のような現象が他の産業にも波及をしていくならば、一つの社会そのものが不況という形をとり始めます。

【2013年】ツイッターつぶやき
自らの生活の実態をあらゆる角度から見つめ直してこの社会でいいのか、憲法が保証するような生活が営まれているのかを考えてみようとするものでしょう。
もしこの社会が例えば社会保障が後退をして最低限の生活のその最低限がさらに低くなっているならその実態からその社会を見つめ直そうという提起でしょう。それは憲法を活かす積極的護憲となります。改憲反対はもちろん明文改憲の中身の検討からの反対も大切ですが、なぜ反対なのかを上に書いたように自らの生活実体の中から反対をしなければ力とならないでしょう。生活実態と言っても経済問題だけではなくて民主主義や自由がどうなっているのかといった中身からも。
秘密保護法案が衆議院で可決されましたが、たしかに直接国民生活には及ぼすものがないと見えますが、この法案の影響は考え方として社会全般に広がるでしょう。自粛という意識もそうですが委縮した社会が生活にどのような影響を及ぼすかです。それは今の格差社会や社会保障制度の小唄そして低賃金化などにまで及ぶものです。文化芸術もその中にあります。ですからますます自分の回りに起きている様々な現象をもう一度見つめることが求められ、その実態をどうにかしようという積極的護憲が求められるでしょう。
議会制民主主義はそれを選挙という形でも日常の世論としても機能していきます。
一人ひとりが抱える生活の実態は違いが出ます。しかしそれはほかの人とも多くの共通したものが含まれているはずです。それを集約するのが野党の仕事でしょう。あるいはマスコミの社会的責任でもあります。地道にその力で議会を変えていかねばなりませんね。

【2014年】ツイッターつぶやき
昨日も引用したがOECDは「日本は2014年に0.4%程度の非常に弱い成長にとどまるが、15年には賃上げや金融緩和効果を前提に0.8%成長へやや回復する見込み」(ロイター)と発表をした。さらに2016年も「16年は1.0%と緩慢な伸びにとどまるとの見通しを示した。16年の成長率は「先進国クラブ」とされるOECD加盟34カ国の中でイタリアと並び最も低い。」(毎日)
アベノミクスで力強く成長するとした中身がこれである。
もちろんマイナス成長よりはいいが、この数字からして下手をすればマイナス成長ということもあり得るだろう。
「インタビュー:「危ない橋」渡る日銀、円の信認喪失も」(ロイター)
多少の利益を得るために多くの支出をするということは企業としたら大赤字でしょう。これと同じことがアベノミクスにおいて現れているのではないか。多少の(利益を得た人というものも含め)成果のために多くの(損失を受けた人々も含め)損失を出した非効率性が見える。
2014年に0.4%の成長のためにどのくらいの国民の損失や犠牲があったか?
この0.4%の成長がどのくらい国民生活に帰ってきたか?
これは経済だけではなくて政治全般にも言えるのではないか?まずはわけのわからない衆議院の解散。
中国という仮想敵国に勝つための外交犠牲。そしてその中国も含めてだが韓国との外交上の「戦後レジームからの脱却」としての歴史問題での損失。拉致問題は親展ぜず、海外援助の垂れ流し。外交上は数多くの国々の首脳と会ったというがどのくらいの成果があったのか?尊敬されうに本になったのか?美しい国になったのか?
様々なところで非効率性が現れているのではないか?

【2015年】ツイッタつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッタつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
自民党内での改憲への討議が加速していますが、ここにきて改憲四項目の一つ教育の無償化が、無償化の明記ではなくて努力目標(朝日新聞)にする案が出ているようです。
もともと教育の無償化はとってつけたような改憲論であったと思います。現実としては大学などの無償化はすでに出世払いにといったものも出ていますし、幼児教育も一部は無償化とはならずに、待機児童はがさらに増加することが見える中で保育園数湯や保育士の数そして保育士の待遇など問題は山隅です。
この現実の中で改憲四項目の国民のためと言われる改憲案が後退をしてきました。
残るは9条と緊急事態条項そして一票の格差に大きく影響される参院選合区の解消となります。
教育の無償化は政府与党の公明党の声が大きかったように思えますが、与党内から見ても混乱が出ているのではないでしょうか。
結局は国民の利益から離れた国民を統治する視点からの改憲が残るものと思います。憲法は政治を国民のために機能させる役割がありましたが、改憲は政治が国民を統治するものへとなっていきます。

【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「ダイエットも忘れるコンビニスイーツは?」
今日、スーパーに買い物に行ったら、何となく甘いものが食いたくなったのでカップに入った善哉を買ってきました。スイーツは何でも好きですが、何か一つといわれればやはり餡子ですなぁ。。。。。
ですからやはりコンビニでも餡子系に手が伸びます。
コンビニの餡子系もまんじゅうなど多く置いてありますし、冬になればアンマンも🎵
しかしその中でもどら焼きですなぁ。餡子だけではなくて生クリームも入ったものが好きです。
餡子の甘さに生クリームの風味が混じり合わさってうまいです。
コッペパンもあんこだけではなくてマーガリンが入っているとうまいですね。
しかし最近、あんこの量が減ってきたような?
そういえば、パン屋さんに餡ドーナツをあまり見なくなりました。餡子がたくさん入っていてしっとりと揚げた周りに細かいザラメ状の砂糖がたくさんついているあの餡ドーナツ。。。。。
最近は結婚式の引き出物にあんこがたくさん入っていて鯛の形をした粉菓子(何と言いましたっけ?落雁ではないし・・・・)も好きです。

ロイターの記事に日銀黒田さんの言葉が載っていた。
『日銀による大量の国債買い入れについて、黒田総裁は「あくまで2%の物価安定目標を実現するという金融政策上の目的のために行っており、政府による財政資金の調達を助けることを目的とするものではない」と述べた。』(引用)
日銀の国債買い入れによって金融市場の貨幣量は増加をする傾向があるが、この間のアベノミクスと日銀緩和により2%の物価上昇は起きずに、すでに物価目標は放棄されたとみることができる。貨幣量の増加はドルに対して円の価値が下がりますから円安傾向となる。これにより輸出企業の利益を拡大しそこから日本経済の好循環を起こし、その経済の好転が国内の景気を向上(インフレ傾向)させることから物価の上昇が起きるということでしょうが、実際には先にも書いたように2%目標は放棄されている。一方では輸入品(エネルギーや食品(原料)等)は円安のために値上がりをして国民生活や内需関連企業は苦しむ。悪性の物価高が経済に対してデフレ圧力おなる。
一方、金融市場に流れる資金は社会の中で活用されずに塩漬け状態になっている。そして長期国債は人為的な政策によりマイナス金利としたがその塩漬け状態には大きな変化はない。
これは何を意味するか?
貨幣資本が新たな起業も含めた設備投資や賃金という資本に転嫁できない状態になっているということでしょう。
貨幣量は変化しない場合でも貨幣資本が資本に転嫁できない場合は、それは一つの金余り状態にあるということです。デフレ不況というのは貨幣量が足りないからではなくて、貨幣量が余っている状態なのです。それなのに日銀は貨幣量を増加させた。さらにカネ余りは深刻になるでしょう。それが副作用の顕在化に。
アベノミクスは変質をして積極財政になった。
もちろん社会保障ならばその必要性はあるのだが、消費増税も含めて公共事業に金を回し始めている。国家財政の健全化は忘れ去られた。この中で日銀は今後も国債を買い入れるでしょう。政府は消費増税10%に向けて税収増による財政再建は無理になっている。
こう見えれば日銀の国債買い入れは財政ファイナンス以外のものではありえない。

【2019年】ツイッターつぶやき
一昨日すーぱでゆずを見つけたら急にナマスが食いたくなり買ってきました。大根と人参のシンプルなものです。
半分ナマスに使って残りを冷蔵庫に入れておきました。
東京は昨日より一気に12度も気温が下がり寒い一日でした。こう寒くなると風呂が楽しみですなぁ。
今日11月26日は「いい風呂の日」だそうで、冷蔵庫の中の柚子を思い出しました。
柚子の香りに包まれて、柚子の成分がピリピリと体を刺激します。
風呂上りもずっと暖かでこのまま布団へ入れば気持ちいいでしょおうなぁ。
柚子の成分はもちろん食っても様々な効果があるようですが、風呂も温め効果のほか疲労回復などの効果があるようです。でも、一番の効果はあの香りですなぁ。精神的にもいいのかも。。。。。
これから本格的な冬になりますが我が家ではほとんど柚子を切らしません。
時々柚子ジュースが飲みたくなるのですが、やはり体が欲しているのでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
新規感染者数の増加に伴い重症者数が増加している。
東京では少し前に30名程度でしたがそれが60人へとほぼ倍増している。全国的にもベッド数が足りないというニュースが出ていますから東京と同じ状況ではないかと思われる。
第二の波の時には東京知恵場新宿歌舞伎町でのクラスターにはじまり繁華街で感染拡大があり、若い人たちの感染が目立った。しかし今回の波では高齢者の新規感染が増加をしている。第二の波から新規感染者数が大きく減少することもなく若い人たちから職場内や家庭内感染が徐々に広がったのではないか。
高齢者は重症化するケースが多くそれは死にもつながる。
新規感染者数の増加については、政府はGo Toでの影響はないとしますが、現実は専門家のGo To中止の意見によりGO Toを一時的に中止をした。このこと自体が専門家も政府もGo Toの影響を認めたことに等しいでしょう。口が裂けてもGo Toの影響は言えないでしょうから政府は専門家の意見だとして逃げているだけです。
しかしこのGo Toの一時停止にしても国と都では互いに牽制し合い、国は都からの要請がないとし、と白に政策だから国が決めるべきとする。どう見ても都側の主張がもっともなのですが、国はかたくなに都の判断を待つようです。
重症者数の急増は命の問題といえます。
その命の問題を国は自己の責任回避として各自治体に責任を押し付けている現状にあります。国民の命を蔑ろにしています。

【2021年】ツイッターつぶやき
新変異株が南アフリカで発生した。
すでにアフリカ内6か国で感染が広がりつつあり、イスラエルや香港でも確認されたようです。
これまでの新変異株での感染の広がりは早いですから今回もかなりのスピードをもって広がる可能性があります。
すでにイギリスの研究者は「これまでで最も重大」といいワクチンの有効性を確認する必要があるとしています。
日本は水際対策を解除していましたが急遽アフリカ6か国からの帰国者などを10日間隔離をするとしました。しかしこの日本の水際対策は過去いずれも失敗をしており感染の拡大を防げませんでしたから今回も危ないでしょう。すでに入りこんでいる危険性を否定できるでしょうか。
すでに世界中に広がっているのではないかという懸念を感じます。アメリカやヨーロッパそしてアジアでは韓国での新規感染者数が急増侍ています。ブレークスルー感染だとも言われています。しかしこの急激な感染拡大はブレークスルー感染だとするには急激すぎないでしょうか。
寒くなった北海道では二桁の新規感染者が出ています。
12月に入って日本全国の感染者数はどうなるか。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
ネット上で時々見られる言葉に批判に対して「そんなに嫌なら日本から出ていけばいいだろ」とか「会社の方針がいやなら辞めたらどうか」といったものがある。そこから反日だとか不満分子だとかという烙印が押される。
これは力のある者や専門家に対する批判がしにくい雰囲気を作り出さす。
子供のころから学校で批判的な思考が詰められる社会ですとこの社会は無批判的に従う社会が作り上げられる。
この無批判的な言動が美徳にさえなってしまう。
今の日本はこういった社会になっているのではないか。
批判をする者は異端分子になります。
ここに民主主義が失われる。
マスコミや野党に対して「反対ばかり」だとか「批判ばかり」だとかという人々も多い。しかし反対意見や批判がない社会は発展がなく停滞する政治社会になる。
労働者が生活を切り詰めることが国家を支えると我慢をすれば、結局はこの日本の経済を委縮させていく。
政治的多数派選挙によってつくられるが、多数意見が常に正しいかといえばそうではない。その多数意見を批判的に見て間違いならば少数意見に従わなければならないでしょう。選挙結果が民主主義ではなくて少数意見を異端視することがない社会が民主主義なのです。
今の自民党は圧倒的多数を得ている。しかし政治の腐敗は止まらず企業や富裕層(不労所得)に富を集中させるために経済は動かされる。ここを批判してはまずいのだろうか?いつまで消去法で自民党でなければならないと無批判的な国民でいなくてはいけないのか。
気が付けば民主主義の土台が壊される時代です。

【2023年】ツイッターつぶやき
大きい鶏の胸肉を買ってきましたが、大葉を挟んで天婦羅にするか焼くかしようと思ったのですが、いつも作っているので少し飽きたのでどうしようかと。。。。。
そこで佃煮にしたらどうだろうかと作ってみました。
2センチ角ぐらいに切って千切りショウガを入れて時間をかけて煮詰めてみました。
調味料は、砂糖、みりん、醤油だけです。
ほとんど汁けがなくなるまで煮詰めたら出来上がり。
しかしどうもねっとり感が出ない。
水あめでも入れるのでしょうか?
でもおいしかったです。昔たしかクジラだと思うのですがその佃煮やマグロの佃煮にも似た食感です。でも、胸肉ではだいぶあっさり系になりました。
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2024年11月25日(月)「池袋事故」

2024年11月25日 22時05分00秒 | 「思うこと」
平成31年に池袋で起きた事故で母子を死亡させた飯塚さんが受刑中93歳で亡くなったそうです。
この事故はアクセルとブレーキを踏み間違えたか車のブレーキが利かなかったという主張とがぶつかりました。
飯塚さんは最後まで踏み間違いを認めないままに判決となり収監されました。収監される前に踏み間違いを認めたようですが、、、、
時速90キロを超えるまで10秒間も踏み間違えていたというのも考えられません。
踏み間違いが事実としても事故は過失であり、5年も実刑となるのでしょうか。
マスコミが騒ぎ、そして一方的な被害者側の発言の報道。そして最後まで踏み間違いを認めなかったことでの刑だったのでしょう。
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「11月25日という日」

2024年11月25日 07時58分43秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
平成31年に池袋で起きた事故で母子を死亡させた飯塚さんが受刑中93歳で亡くなったそうです。
この事故はアクセルとブレーキを踏み間違えたか車のブレーキが利かなかったという主張とがぶつかりました。
飯塚さんは最後まで踏み間違いを認めないままに判決となり収監されました。収監される前に踏み間違いを認めたようですが、、、、
時速90キロを超えるまで10秒間も踏み間違えていたというのも考えられません。
踏み間違いが事実としても事故は過失であり、5年も実刑となるのでしょうか。
マスコミが騒ぎ、そして一方的な被害者側の発言の報道。そして最後まで踏み間違いを認めなかったことでの刑だったのでしょう。

きらきらひかる新潮文庫江國 香織 著
あとがきに「ごく自然な恋愛小説を書こうと思いました」とあります。
しかし中身は同性愛の夫とアルコール中毒の妻が主人公です。どこが「ごく自然」なのか?「常識的」な目で見るならば異常な世界です。なぜ江國さんがこの中に「ごく自然な恋愛」を描こうとしたのか?
しかし僕が書いた「常識的」という言葉をもう一度見直さなければならないのかとも思います。睦月と笑子の両親は、この常識の中にいる。両親は、孫を産めという。そして睦月の同性愛と笑子の精神異常をお互いに知る中に苦悩する。同時に睦月や笑子もこの「常識」に苦しみ傷つく。もちろん睦月と笑子自身も世間の常識から見た自分たちの「異状」さに苦しむ。睦月は同性愛という恋愛感情からけして子供を授かるものはない。笑子はその精神状態から子供を育てることへの不安がある。
このような中に二人とその家族の中に「常識」との葛藤がある。
では、なぞ二人は見合いをして結婚という形態をとったのか、それは、睦月の恋人(男)紺の言葉「男が好きというのではなくて、睦月が好きだから」という言葉の中に答えがあるのではないかと思う。純粋にその相手が好きだから一緒にいるという気持ち。この純粋さを常識とぶつかりながらも捜し求められていくという作品だと思う。
しかしなぜこの人を純粋に好きになったから一緒にいるというものを同性愛や精神異常の二人から表現をしなければならないのか。
同性愛(世間で言う女装的なオカマといわれるものとは違う)や精神異常というのは、今の社会では世間に隠し通すか内密にするというものがあると思う。ここに極限の状態があり、その極限の状態の中に睦月や笑子の純粋な「基本的な恋愛」を描く。この中に人を好きになったからという純粋という大切さが画より強く強調されるのではないかと思う。
読者はこの純粋さに魅了されて常識として持つ同性愛という嫌悪感やいやらしさを感じないで作品の中に引き込まれるような気がします。性は人それぞれ、性だけではなくさまざまな世間の常識の中にすべての人は生きている。この世間の常識と自分らしさに苦しむことはたくさんあるだろう。純粋さを貫くのは難しい。
笑子は「銀のライオン」の話をする。睦月や紺、その友人たちを「あなたたちは銀のライオン」だという。睦月の父親も「笑子さんも銀のライオン」だという。銀のライオンは、時に発生する白いライオン。そのライオンたちは群れから離れて自分たちだけで草食で生きているという。そして短命だと。
世間の常識から離れて自らの純粋さの中に生きる睦月や笑子たちという銀のライオン。世間の肉食という常識から離れて草食というやさしさの中に生きる睦月や笑子たち銀のライオン。やさしさや純粋は、この社会の中では弱い。弱い中にもその中に身を置く覚悟、あるいはそのようにしか生きていけない人々。
睦月や笑子のような極限的な人間ではなくても、この社会の中でやさしく純粋にひっそりと生きている人々は多いだろう。しかし、このような愛すべき人々は少数である。
小説の最後は、、、、、
書きませんが、睦月や笑子、紺のつかの間かもしれない幸せに応援したくなるような結末です。
江國さんの作品は、「神さまのボート」と2冊目ですが、その作風は、二人の人間がそれぞれに主人公となり、それぞれの主語で語りかけられている。これはどちらがどちらに影響されたのかというものではありませんが、北村薫の作品に共通しますね。面白いと思います。

≪過去の記事≫

【2003年】
さ・む・い・・・・・
コタツを出してしまいました。。。。。
昨夜は鍋でした。
今日のお昼は、これから味噌ラーメンをつくり食べます。
暖かいものがおいしいですね。

【2004年】
夏生さんの「保育園に絵をかいた」を買いました。ついでにといっては失礼なのですが、同じ今日発行された田口ランディさんの本も買いました。
夏生さんの本は、「作品ミニミニ紹介」にちょこっと感想を入れました。もし興味がありましたらお買い求めください。
ほんの少し紅葉見物。
なんか秋の日差しというのはのんびりしますね。空気がやわらかく感じます。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
新聞の投書欄に、日本では2万から3万人が受動喫煙で死んでいるとありびっくりした。ムムム。。。
でも、おやと思ったのは、受動喫煙による死亡とはどういう形での死亡なのかということと、どういう統計に基づいたものかということである。
たしかに受動喫煙の問題では、同じような説を唱える人たちが多くいることは確かである。でももっと冷静な研究もある。「紫煙の小部屋」というページを見つけた。
専門家の中にもいろいろ意見があるようです。
僕が怖いと思うのは、その道の権威の方がこう言っているということから、それを正しいとしてそのうに立った研究が進んでしまうということです。あるいはその説を多くの人が承認しているとか。

【2007年】
家族でドライブに行ってきた
高速道路の脇には
雑木林の紅葉
遠い高い山には
うっすらと白い雪
太陽は車の窓から射し込む
サービスエリアで休憩。。。
トイレを済まし家族は車に乗り込む
息子は運転席へ。。。。
僕は車の外でもう一服しようと
タバコに火をつける
周りの家族連れなどを眺めながら
おいしい空気のもとタバコの煙を吸い込む
ふぅ・・・・・
気づくと我が家の車が走り出している。。。。
ムム。。。。あわてた・・・
追いかけて、かろうじて車の後ろをたたく
父。。。夫。。。。忘れらレる・・・・・・
ううう。。。。
息子・娘「ハハハ・・・」
妻「乗ってなかったの?ぜんぜん気づかなかったわ」
ううう。。。。
のどかに遅すぎた紅葉見物
             (ブログ・・・「東京日記」から)
栃木県塩原から日光方面へ抜ける有料道路のもみじラインを通り龍王峡へドライブでした。
もう塩原のほうは紅葉どころか冬景色でした。もみじラインは、雪景色。
近いうちに「ぶらり旅」のページに書きます。
朝日新聞の「読書ページ」で面白そうな本を2冊見つけました。
内容はそれぞれ違うのですが、書評を読むと、近代文学におけるワープロ化と肉筆の日記の魅力という事です。
ワープロ世代の作家の作品傾向かな?肉筆の日記の魅力は、パソコンの文字を読むことは違うという重松さん。
いまやホームページとかブログとかで日記が書かれていますが、これをどう考えるかにも面白い2冊だと思います。
尾崎真理子「現代日本の小説」(ちくまプリマー新書)
佐野眞一「枢密院議長の日記」(講談社現代新書)
今夜は鍋とドライブの帰りに買ってきた宇都宮餃子。
なぜか宇都宮には餃子店が多い。関東では最近有名になりました。でも、値段が高い。。。うまいにはうまいが。
鍋の残りのスープはもちろんオジヤに!

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
北朝鮮による韓国の大延坪島への砲撃があった。
日本にとっては隣の国同士の軍事的な衝突ですからなおさら戦争というものの脅威を強く感じます。
朝日新聞朝刊にどのあたりでの軍事的衝突なのかが載っており、NLL(北方限界線)という、恥ずかしながらはじめて聞くものがよくわかりました。
地図を見るとNLLは海の軍事境界線ともいえるもので、それは北朝鮮領土のほんの目の先にある。
北方領土問題で言えばロシアが主張する領土のようなもので、例えばロシアが北方領土あたりで軍事演習をしたようなものである。韓国がどのあたりで軍事演習をしたか?それに対する北朝鮮の大延坪島砲撃だったか?もし韓国の演習がNLL付近だった?日本にたとえれば北方領土の近くの演習というようなものでしょう。
NLLは朝鮮戦争という戦争によって国連軍が決めた境界なわけで、戦争による境界というのは火種なわけでありそれぞれに脅威なわけです。そこでの軍事演習は挑発としてみて間違いないでしょう。あるいは領海の保持の強い軍事的主張です。
ロシアのだいつ料大統領が北方四島に来たというだけで日本は敏感になる。それはある意味ロシアの挑発であるわけであり、ロシアの領土である主張の現れです。
尖閣諸島もそうですが、沖縄は戦争というものがあった中でのアメリカによる占領の歴史がありその占領に対する「返還」という形を持った。北方四島も「返還」を求めているわけです。この日本の歴史からそして現在を見ると、今回の砲撃に対して非難すべきはとうぜんですが、あまりにも北朝鮮領土に近いところでの軍事的な衝突を避けるための訓練を含めた武装中立海域化を問うべきではないか?漁民の自由な漁ができるように。
韓国もアメリカも?国連安保理には訴えないらしく、国連も静観している。
どのような事情があるのか。。。。。
いろいろな小さな衝突がきっかけになって、挑発をしあう中でその挑発に乗ってやるよという形で戦争に拡大することがあり、挑発が戦争を正当化させる理由にもなる場合がある。
日本は平和主義を貫くべきです。
すぐに韓国に行ったり中国・ロシアに行ったりアメリカに行ったり。。。。。戦争への拡大阻止を訴えるべきでは?その延長に6カ国協議も見える。

夜の蜘蛛を見ると思い出す。
まだ子供の頃に、お袋は夜の蜘蛛を見つけると財布の中に入れた。「何で?」と訊くと、「夜の蜘蛛は縁起がいいから殺してはだめ」と。「なんで?」と訊くと、「財布のお金が増えるんだって」
朝、そっと僕は財布を開けてみた。
お金は増えていなかった。
後ろからお袋はそれをみていて「蜘蛛は?」と訊いた。僕は「お金増えていないね」と。「蜘蛛は?」とお袋はまた訊いた。「いないよ」と。「アハハハ。。。。。逃げたかぁ」「?」「また金が逃げる・・・・・アハハハ」

【2011年】ツイッターつぶやき
福祉国家というものには二面性が重なり合っている。
今の先進国でも昔は何の保証もなく失業をしたり体を壊せば貧困のどん底に落ち、個人あるいは家族単位で生活を乗り越えるしかなかった。父親が働けなくなれば妻や子(幼児からも)の労働力による収入で生きねばならなかった。この中に福祉国家論というものが生まれたのではないかと思う。
健康保険制度や年金制度、失業保険、生活保護制度などなど国民生活を保障する制度が必要とされて福祉国家というものが発達した。同時に労働者(国民の人口割合の労働者層が拡大する中に)を保護をする法律(労働時間や賃金そして労働条件など)が生まれこれも含めて福祉国家は進んできた。
しかしこの福祉国家も資本主義は自らに不足していた労働者の生活の改善を社会主義の福祉に対抗するためにそして国内の労働者の政治的力の拡大の中での要求として実現された。しかし同時にたとえば失業保険制度を見ると、企業の労働者の首切りを自由にする条件としても利用できる。企業はこの中で企業利益を確保することができる。年金制度にしても企業は衰えた労働力である年配層を定年制度という形で解雇することができる。保守層や企業にとってもその社会を維持するためには最小限の福祉国家を必要とした。他の福祉制度も同じ位置づけができる。
このように福祉国家というのは労働者の保護などを目的とすると同時に、企業の利潤確保のため(企業の自由活動)を目的とするものであるという二面性が同時に存在をしているのである。
この中で現在の社会を見ると、格差が拡大をし中流意識は消えうせて貧困化が問題になってきている。失業者は増え派遣などの非正規労働者が低賃金に抑えられている。この中に生活保護世帯は増加をし、失業保険は増加をする。このように福祉国家は企業利益の確保のために労働者の生活を引き下げる。そこに福祉国家論から国家の支出や労働者相互間の保険という労働者の自助努力の負担が増加する。
今や福祉国家の存続も国家財政や国民負担の増加により危ういと。
このように福祉国家の二面性における企業利益の確保のための福祉国家の側面が大きく表れて国家や国民負担が重しとなって福祉国家は危機を迎えている。もちろん国家の財政は福祉で財政難になったということではないのであるが。
福祉国家の二面性で見た企業利益を確保するための福祉国家論が破たんしたのであり、社会全体の生産力、経済力から見てどのくらいの生活が保障されるかという視点で飲もう一つの側面である福祉国家論は依然その存在価値を残している。結局は企業利益や格差によるぜいたくな生活をする階層などを社会的な平等さにおくことにより福祉国家は存在し続けることができるということである。
私有制度を残しながらも社会の富を社会システムの中に組み入れてそれを再配分する制度が必要になっている。この社会システムによると見の再配分は、もう福祉という概念を必要としないだろう。福祉として受け取るのではなくて失業する自由などを消し去られた中の労働の自由によりその労働による平等な富の配分を受けるのである。高齢者もその能力によって体などに負担の少ない貢献をしていき、そこでは労働に見合った賃金ではなくて年金プラス軽い労働による収入が確保できる。個々での社会は福祉国家ではなくて社会民主主義的な国家となるだろう。福祉国家は止揚される。
このような社会は夢物語としてあるのではなくて北欧やドイツにそれに近いものがあるのではないか?
もちろん消費税などの税の負担は大きいというが、それもまた福祉国家論に依拠したもので、国民が教育や医療などさまざまな社会的サービスや保護を得られるなら、労働者の賃金は相当低くてもある一定の豊かな生活ができるだろう。労働力価格の低下は企業利益を増大させる。しかしその利益はまた社会に還元される。同時に労働の生産性の向上もまた企業利益を保証をしながら低価格の商品を大量生産させる。ここでは商品の下落はデフレという現象を招かないだろう。国民生活を豊かにする条件となるだろう。定年(上にも書いたような年齢に合わせた労働)や失業という労働力の無駄使いをなくせば労働時間の短縮にもなるだろう。このような社会っステムを社会民主主義と呼ぶなら、大きな税の負担というものが伴う今の最高峰の福祉国家よりも効率的な社会になるだろう。
国際的な競争にも有利かもしれない。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
こちらに「金融緩和頼みだから株高は持続しない?」という記事がある。
『実際に何が「過剰マネー」といえるかは微妙である。経済を安定させるため金融緩和政策を強化し、実際に経済が成長してそれが続くという市場の期待が株高を支えているならば、それは「過剰マネー」とは言えないだろう。』
『「金融緩和強化で株高が支えられる」という構図は日本ではまだ続く。仮に株高が持続しないとすれば、脱デフレを後押しする政策が力不足となる時だろう。』
            (上記リンク記事より引用)
株価は経済全般が順調で企業の実体経済での好調さにより高くなっていくはずです。それはこの経済の好調さという実態に投資家が投資を拡大して株高になるはずです。このような経済実態がない中で日銀の金融緩和での資金は、企業の活動(設備投資など)には回らず、当然その根底には国民の消費の拡大(賃上げなどによる)がない中に資金が国民の懐にも回らずに株に投資をされる。それが「金融緩和強化で株高が支えられる」実態でしょう。
そして資金が株価に影響を与えるだけの使われ方をされて企業の活動や国民生活からの消費拡大に向かわない状態にあるとき、その資金は少なくとも「過剰マネーの状態」にあるとみるべきでしょう。この認識から過剰マネーをどう企業活動に向けるか、その根底にある国民の消費に向けるかを考えるべきでしょう。この過程の中にデフレからの脱却を見るべきでしょう。そして景気の過熱の兆しの中に2%の物価高も出てくる。
将来への期待としての金融緩和による株高という政策は、単に「株高のために金融緩和を続ける」という意味にしかすぎないでしょう。「株高のために金融緩和を続ける→期待の拡大→更なる株高」期待とは投資家の期待であり、企業会計の中からの株価維持の問題での期待でしかないでしょう。これが「過剰マネー」の動きでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
OECDは「日本は2014年に0.4%程度の非常に弱い成長にとどまるが、15年には賃上げや金融緩和効果を前提に0.8%成長へやや回復する見込み」(ロイター)と発表をした。
総選挙においてアベノミクスの評価を自民党は党というが、2014年の成長0.4%のためにアベノミクスでどのくらいのマイナス面が出ただろうか?2015年は少し持ち直して0.8%の成長と予測されているが消費増税10%は先送りになったのですからその影響は出ないにしても0.8%の「やや回復」にとどまる。
その「やや回復」のためには、来春闘において大幅な賃上げと国家財政の改善が不可欠だという。この二つの課題がそうやすやすと実現できるものなのだろうか?
もちろん賃上げは名目ではなくて実質でなければならない。しかし日銀は勇ましく2%達成まで緩和を続けるという。ゼロ金利をにおわすような実態でもある。日銀の緩和が続けられる中で1ドル120円がいつかが探られる。当然輸入物価の拡大が懸念され政府自体も急激な円安に戸惑う。実質賃金を連合加盟の組織労働者でさえ大幅な実質賃金の賃上げは怪しくなる。ましてや日組織労働者や不安定雇用労働者はどうだろうか?
10%先送りで早くも社会保障の充実は難しくなったといわれはじめている。高齢化対策は進まないし少子化対策も財源がないとも言われる。このような形で国家財政の健全化は進められるでしょう。一方においては法人減税を行うというのですからなおさらです。
実質賃金の下げ傾向と社会保障の切り捨ては国民生活を今年以上に不安定化するでしょう。それはさらなる個人消費の減退を招くでしょう。
どうも日本経済はやはり蟻地獄にはまってしまったようです。
その中で自民党も日銀も突っ走るほかなくなっている。アベノミクスは継続をされるでしょう。
以上みてきた中からこれからの国民生活豊かになるのか貧困化していくのかの答えが見えるのではないでしょう。
アベノミクスの困難さあるいは失敗とも言われる中にOECDも控えめな予測しか建てられないと見たほうがよいのではないでしょうか?
現実も期待もしぼみ始めている。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
絵心があれば・・・・
好物の『栗きんとん』というお菓子を買いに飯田方面に行ってきました。
時々車で遠出がしたくなります。
栗きんとん・・・・うまいですなぁ。たしか季節ものと聞いたことがあるようなないような?
足を延ばして「名もなき池 モネの池」も見てきました。
小さな池にたくさんの人が集まっていました。たしかにきれいな池で、あの色彩は絵(写真)で見た記憶が。
「絵心があれば・・・」と言ってもきれいな池を絵にしたいというのではなくて、帰り道、諏訪湖サービスエリアで休憩をして走り出してしばらくしたら八ヶ岳が見えました。
山の夕暮れは早いですね。。。。
ちょうど日が隠れて眼科には諏訪野町の灯りが見えました。そしてその向こうには八ヶ岳が。
歩が沈んだ直後で夕日はまだ八ヶ岳を照らしていました。すでに頂にはうっすらと雪をかぶっていました。その輝きに感動。空はまだ青みがかっていました。
その八ヶ岳の下の町の灯。。。。これは一枚の絵画です。
この景色は、初冬の雪、日が暮れてすぐで、まだ八ヶ岳にいただきに日が当たっていて、中央高速で偶然そこを通過したとき。こういう奇跡が起きないとみられない景色かもしれません。上のきれいな池も一つの奇跡でしょう。そして今日の八ヶ岳の景色も奇跡。。。。。
運転中ですからもちろん写メもできません。頭の中にだけ焼き付けておきました。
美しい景色というのは頭の中でさらに美しくなりますね。。。。。これを絵心があれば・・・・

【2018年】ツイッターつぶやき
寒さも本格化してきましたが、毎年のごとく乾燥肌が出てきました。
まだ体中が乾燥肌にはなっていませんが、足の脛と手の甲のあれがひどくなります。
脛はたまらずにかきむしってしまうのですが、ひどいときは血が出てきます。粉が吹いてきます。
先日ついに炬燵を出したのですが、この炬燵がよくないようでしばらくするとムズムズかゆくなってきます。
高齢になると仕方ないとあきらめてはいるのですが、でもあの痒さはどうしようもない。
妻がスクワランオイルというのをくれたので風呂上りに使ってみました。ほんの少しの量で脛に伸びて残りは手の甲に。肌がすべすべしてきてよさそうです。
しばらく使ってみます。
そういえば、スクワランオイルというのは高いのかな?高いとあまりたくさん使うと怒られそう。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
近くの飲食店がだんだんと少なくなっている。
また1軒廃業した。周りの飲食店もかなり高齢化をしているから時間の問題でしょう。
一方では多数の店を構えるチェーン店が増加している。
しかしそのチェーン店は歩くと疲れるような距離にある。ちょっと昼飯をといっても車を使わないとかったるいような距離である。
2018年はこういう飲食店の倒産が減ったといわれていたが、倒産ではない廃業は増えている。夫妻が重なって家や土地を失う前に廃業したほうが良いと高齢の店主は考えるでしょう。もちろん廃業は倒産より無念かもしれませんね。もっと若ければ。。。とか、息子がついでくれてれば。。。。とか。でも大手のチェーン店には価格競争で負けてしまう。
飲食店だけではなくて商店街全体が同じ運命になっている。
現在人手不足が言われているが、やはりバイトでも雇うとなれば売り上げを考えれば経営を圧迫する。最大の人手不足は後継者である。テレビのドキュメントでやっていたが老舗の店でも後継者は作りにくいそうです。店を継いでも嫁さんが来ないとかという問題もあるようです。
しかしこのような実態は個人商店だけではなくて大手のチェーン店も同じでしょう。ラジオを聴いていたらあるスーパーも正月は連休するといっていました。コンビニも24時間営業ができなくなっている。もちろん若い人が集まる都心の繁華街は例外ですが。
今は賃上げもままならず、賃上げがあっても輸入に頼る食品やエネルギーの値上げは円安誘導により深刻な悪性の物価高となって消費は伸びない。その上社会保障費や税金の負担が大きくなって実質賃金としては下がり続ける。
これが飲食店を中心とした店の倒産や廃業の増加に結びつく。
値下げ競争は激化をしています。値下げでなくても食べ放題だとか利益は減っていく。
安倍内閣は経済の好転を言うが生活に密着したところではずっとデフレスパイラルすなわち不況が続いていているのです。
これが経済の土台を腐らせるでしょう。
土台が腐った上の巨大企業という楼閣も倒れていくでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京都の陽性率が6.6まで上昇してきました。一時は3%台まで落ちったのですが、第三波の新規感染者の増加に従い陽性率も増加しています。
政府や東京都は検査数が増加しているから陽性者も増加しているとしていますがそんな単純なものではありません。検査数が増加をして陽性者数が増加をするとき陽性率も下がらないと感染拡大は抑えきれていないことを示します。
検査数を多くすると陽性者数は増加をする。しかしそれ以上により多くの陰性者数も増加をしますから陽性率は下がります。しかし陽性率が現在の様に上昇している場合は検査数が圧倒的に少なすぎることを現します。検査もしていない中での陽性者が市中にたくさんいることを示しています。
ですから感染防止をするには陽性率が下がり続けるまで検査数を増やさなければならいのです。陽性者は急激に増えるでしょうがその陽性者を市中から隔離できますから感染防止となります。
この検査数を増加させると同時にマスクやソーシャルディスタンスなどの感染予防が結び付いた時感染者数は急激に減少するでしょう。でもまだゼロにはならないですが、この時に2,3週間規制を強化して一気にゼロに向かわなければいけません。感染拡大時に規制をすること自体も間違いではありませんが、感染が下火になったら規制解除ではまた次の波が押し寄せてくるでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
原油価格が上昇しそれはガソリン代にも勿論影響しますし重油などにも影響する。そこから生活に必要なものが値上がりしていくでしょう。生活に必要なものを買うに買えなくなることは生活苦につながる。
これから年末にかけて様々なものが値上がりするようです。もちろん毎年年末年始にはモノの値段が高くなるのですが、それ以上の値上げが待っているのでしょうか。
しかし生活に必要なものの値上げは消費を落ち込ませますから、常に価格を抑えざるを得ない力が加わります。
生産者企業も相当苦しくなるでしょう。
そろそろ円安誘導から出口に向かわなければならないのですが、すでに円安が経済の落ち込みによるものとなっているなら、日銀が利上げや引き締めをすればなおさら経済は落ち込む。
経済的先進国の地位が揺らいでいくでしょう。
でもこのようなことは先進国全体の問題で資本主義そのものの矛盾の現れなのかもしれません。

【2022年】ツイッターつぶやき
政府も含めて賃上げの必要性が言われている。
しかし賃上げを行貯めの具体的な材料がない。この材料というのは今の経済政策にある。
岸田総理も賃上げの必要性を言っていたが、同も賃上げの旗を降ろしてニイサを拡大して投資で儲けてくださいとなったようです。

【2023年】ツイッターつぶやき
企業への補助金でどうにかガソリン価格をおさえてきたが、原油価格が安定しはじめている中ガソリン価格は上昇しています。今日、ガソリンスタンドを通り過ぎるとき、ちらっとレギュラー価格を見たら170円でした。
先日たぶん為替介入があったのだと思いますが、円が高騰して170円147円台まで高くなりました。しかし1週間ほどでしょうか、今日は149円台に。原油価格が安定する中でも円安のためにガソリン価格は上昇している。
ガソリン価格が160円以上になり3カ月続けばガソリン税が自動的に下がるトリガー条項があるようですが、政府は渋っている。税収が少なくなるという理由です。しかし企業に補助金を渡し価格をおさえるにも税を使いますね。
ならば税率を下げる方が消費者に直接恩恵がまわるのですからトリガー条項の方がよいに決まっています。
もちろん現在の円安をどうにかしなければ解決しないのですが、経済の好転からの円安は止まらないでしょう。今更日銀が出口に向かってもある期間後は円安傾向に戻るでしょう。さらに長期金利を上げる。。。。。
ひどいインフレがやってくるでしょう。
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2024年11月24日(日)「メジロ?」

2024年11月24日 22時07分47秒 | 「思うこと」
2,3日公園の紅葉した木に小さな10センチほどの小鳥が5羽ほど来ていました。
羽が緑色でしたのでメジロだと思うのですが、目の周りに白い羽のワッカがないような?
チ、チ・・・と小さな声で鳴いていました。
山の方は寒くなったので東京まで出てきたのでしょうか。
そういえば、この小鳥は春にも2,3日来ます。これは山の方へ帰る為かな?
2,3日いて見えなくなりました。オナガが来ています。
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「11月24日という日」

2024年11月24日 10時27分31秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
2,3日公園の紅葉した木に小さな10センチほどの小鳥が5羽ほど来ていました。
羽が緑色でしたのでメジロだと思うのですが、目の周りに白い羽のワッカがないような?
チ、チ・・・と小さな声で鳴いていました。
山の方は寒くなったので東京まで出てきたのでしょうか。
そういえば、この小鳥は春にも2,3日来ます。これは山の方へ帰る為かな?
2,3日いて見えなくなりました。オナガが来ています。

≪過去の記事≫

【2003年】
ううう。。。。ん
僕にはよしもとばななさんの日記は合わないようです。
もちろん、書いている中でおもしろい考え方だと言うのはいくつかありましたが。。。。。

冬というのはいつからを言うのか?
僕のHPの日記は、四季によって区別して書いていますが、いつから冬としたらいいのか?一応秋は秋分からとしました。そうすると冬は冬至からと考えているのですが、このところの寒さを考えればもう冬かなと。。。。。
四季といってもなんかあやふやですよね。。。。でも、このあやふやさがおもしろいのかもしれない。
出窓に結露がたくさん出ていました。今夜は暖かくして寝ます。

【2004年】
発泡酒や第三のビールといわれるわけのわからない酒の酒税が上がる方向です。
ビールの酒税が高いのに発泡酒などは安いから不公平だという理由なようです。ビールが高いので安い発泡酒を飲んでいるというのに。。。まったく貧乏人いじめの税制改悪です。
ガソリンを入れれば税金。タバコを吸っても税金。そのうえタバコのたしか10円は国鉄時代の赤字補填(まだこの制度は残ってるのかな。。。。そして消費税。ちりも積もれば山となる。この山の部分が消費力の低下につながる。

「TUGUMIーつぐみー 」
   中公文庫
   よしもとばなな 著
「その時、つぐみが恭一をまっすぐ見て言った。
 『おまえを好きになった』 」
                (117ページより引用)
鶫、秋に日本に来て冬を越すスズメほどの小さな小鳥だそうです。冬はほとんど鳴かずに口を『つぐむ』。静かに冬を越す鳥だそうです。
(水上温泉組合婦人部さんのHPを参照させていただきました)
小さい頃から病弱で、体も細いつぐみ。でも美しい少女(17才ころか)が「おまえを好きになった」とさえずるところは印象的です。
しかしこのつぐみの恋は、可憐な病弱な少女をイメージするような恋ではない。つぐみは、年中熱を出して死と隣り合わせである。つぐみは死と向き合う中に本音で生きることを身につけたような少女であり、わがままのような行動と口の悪さがあるものの心の中はまっすぐな少女である。
両親はそんなつぐみを甘やかして育てたためにわがままな子になったと見る。また、周りの人々も手を焼く。つぐみの性格を理解をする人は少ない。
語り手のつぐみの従姉妹まりあは、そんなつぐみに手を焼きながらもその性格を理解する。なかなか本音を言わないつぐみが本音を話する中に理解する。つぐみの恋人恭一もそんなつぐみの理解者である。
そしてこの作品を読む読者もつぐみの理解者となっていく。性格の悪いようなところも、その裏側にあるつぐみのかわいらしさが見えてくる。その本音の生き方が見えてくる。
例えは適切かわからないが、江戸の人情噺にでも出てくる、口は悪いが粋な江戸っ子を思い起こしてしまいます。
このようなつぐみの姿がこの作品のよさなのだと思います。
登場人物は、まりあ、つぐみ、つぐみの姉陽子、つぐみの恋人恭一は、大学生や高校生です。若いながらもしっかりと自分を見つめられる人々です。このようなしっかりと自分を見つめられる若者は、先に読んだ「哀しい予感」にも共通をし、ばななさんが何を若者に求めるかが見えるような気がします。
しかし、「TUGUMI」にも「哀しい予感」にも現れる共通したものに「『確信』というものがある。
この確信は、生きていく上での自分を現す言葉でもあるが、同時にばななさんのその後の作品に見られるような霊的な不可思議なものに基づく確信のような物であるのではないかと思う。
なんとなく「TUGUMI」のように初期の作品のほうが僕にとっては受け入れやすい(けして後の作品が嫌いというわけではない)のかと思う。
つぐみなど、登場人物の心のつながりもこの作品の特徴かと思う。暖かさを幹事利つながりであり、ここもばななさんの作品の特徴でもあるのではないかと思う
。しかし、この心のつながりが「yosimotobanana.com」という日記を読むにあたっては、身内主義というのか、心のつながりを大切にするあまり、他に一線を置くようにも受け止められかねないという印象を僕は受けてしまうのである。ばななさんのよさを感じると共に僕にはばななさんの世界には入りきれないのではという心配が浮かぶのである。
これは、あまりにもばななさんが強いということから来ているのではないかと思う。
しかしばななさんの孤独、寂しさも感じる。
あとがきに次のような言葉がある。
「そして、つぐみは私です。この性格の悪さ、そうとしか思えません。」
まぁ、性格の悪さというのは謙遜でしょうが、つぐみの持つどことなく孤独で寂しさのある、そして芯の強さはばななさんでしょう。
つぐみは、死を覚悟することによって生まれ変わったといいます。「人は喜劇を演じる。死だけが悲劇である」(漱石)ばななさんの作品には死がひとつの主題と感じるところがあります。つぐみ(ばななさん)の強さはこの辺にあるのかもしれない。

【2005年】
風もなく暖かい一日でした。
小春日和。。。。ううう(笑)(21日の日記参照)
リンクさせていただいている窓際主婦さんのブログに次のように書き込みをさせていただいたのですが、
「この前から何度か読ませていただきました。でも、正直言ってどういうものかわかりません。
さっきもいろいろなサイトを探して見ました。専門の医師から経験者まで、ほんとたくさんのサイトがありました。あるサイトでは、日本人の70%が何らかの経験や言動があるとも言います。
症状や原因についてもいくつかのサイトで読みましたが、精神的疾患というよりも様々な症状がある中にもその人の個性が強く出てしまうというようなものかもしれませんね。でも、治療は必要とあるので、自覚する症状を軽くしてその人自身の気持ちを楽にしてあげるというものではないかと思いました。
アダルトチャイルドとは、育つ環境により、小さな子供のときから大人のどろどろしたものを知ってしまい、そういう大人とのかかわりの中で子供ではありながらも大人のように行動を無理して行い、内にある子供を押し殺してしまったようなものかな?
その反動としてインナーチルドレンとして大人になっても子供時代に満たされなかった幼児性が出てしまうことかな?
これらの解釈は、大雑把にサイトで読んだ僕の解釈ですから間違っていたらごめんなさい。
このように解釈できるとすれば、大部分の人たちは何らかの形でこれらの症状を持っているのかもしれませんよ。
窓際さんが、少しやばいかなと思ってたことがあるなら、確かにそこは意識していかなくてはと思いますが、いもしない空想的な大人を思い描いてはいけないと思います。
今読んでいる乃南アサさんの「晩鐘」に少し関連があると思いますので、少し考え込んでいます。」(ごめんなさい。自分で書いた物ですから引用させていただきました)
この「今読んでいる乃南アサさんの「晩鐘」に少し関連があると思いますので、少し考え込んでいます。」というのも、「晩鐘」は、「風紋」の続編であり、「風紋」ではある殺人事件を巡って加害者の家族と被害者の家族を描きながら世間という無意識のというのかその冷たさと世間自体のある意味での犯罪を描いており、「晩鐘」は、それぞれの家族の7年後を描き、その主人公である加害者の息子大輔と被害者の娘真裕子を描きます。
この大輔にアダルトチルドレン、真裕子にインナーチャイルドを感じるのです。
加害者の妻というだけで世間に打ちのめされた母親香織に母親らしいことを何もしてもらえない大輔は、まさにアダルトチルドレンである「よい子」を演じ続けます。
真裕子は高校生だったとしても、これから母親にいろいろなことを教えてもらわなければならない思春期でもあり、娘としてもまだ甘えたいときに母親が殺され、それ以後は世間に向かい合って健気にも強く自分を持ち生きてきた。そこにぽっきり折れてしまうような精神的な危うさを持つ。副主人公とも言える真裕子の過去をすべて知る新聞記者建部との恋にその幼児性を出す。
大輔の結末は悲惨のようだ。真裕子は人を守るという大切さを知り、母親に甘えたいというものを持ちつつ自分の母性に気付く。もちろん建部も弱さがあり、真裕子はその愛情として建部を守りたいと思う。この母性と守りたいと思うものを持つこととそしての愛情。。。
ここに真裕子が母親を殺されたという過去を克服する何かがあるのだと思います。
アダルトチルドレンとしての不幸と、インナーチャイルドからの克服。。。。
案外乃南さんの作品はサスペンスという形をとりながらも奥深いものがあるのかもしれない。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
「壇(だん)」。。。。画壇とか文壇とかいう場合の「壇」です。
今朝の朝日新聞3面を読みどんよりとした。
それと関連して学術院の実態と学術院から離れる芸術家が増えている実態があった。
学術院会員は公務員だそうで、年間200万円ほどもらっているらしい。学術院に嫌気をさしたり、会員めざし土下座や土産。。。。。ううう
凡人であるサラリーマンの一部の人間とそうは違いがないですなぁ。ただ優れた芸術性を持っているのでしょうが、偉くはないということでしょうか?
一方文壇といわれる中の賞といったものにも権威が薄れているとも?
直木賞受賞作より、一般の本屋さんの店員が選ぶ「本屋大賞」に選ばれた作品のほうが売れる部数が多いとか。
芸術家というと硬いですが、そのような人の中にもそしてその芸術を受け取る側の一般人にも権威といったものから放れて言っているのではないか。同時に権威による名誉より「売れる本作り」のほうが確かだというイメージが強くなっているということでしょうか。権威が権威だけに終わるようになり、権威無しに売れる本が造れるならそのほうがいいというビジネス。
なんだかどちらにしても寂しいですね。
でも、売れる本というのはビジネスの面がありますが、権威からはなれて読まれるが増えることはよいことだと思います。でもまた「本屋大賞」が権威になったらまた同じですね。
そこで大切になっている、というのか一般の人が忌憚のない意見を書け、それがある程度情報として共有できるネットという役割も無視できなくなっているからこそ一つの権威というものの影が薄くなるのでしょうか。権威が優れているといってもネットでの評価はいまいちというものがあればどうなるのでしょう。
しかしこれも大衆受けする作品という面が出る。
難しいですなぁ。。。。でも、こういう問題は昔からいろいろと議論されてきたものですからね。。。。。
僕としては芥川賞は面白いと思っています。
文藝春秋があるので選考委員の意見が見えますし、選考委員もそれに責任を持つ。もっとこのような意見のぶつけあいが一つの解決かもしれない。芸術院でも「壇」でも、そのメンバー自体が金太郎飴にならないように全体主義的な権威にならないように意見がぶつけ合える場にしていくということが大切ですね。意見それを大衆の目に見えるようにすることですね。

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
池田信夫さんの「自然水準の概念」という文章がある。
昨日の書いた「自然水準」で引用した国のばらまきという経済政策ではデフレは克服できずに、今の需要水準が自然水準と考えるべきという論理と同じく自然水準を
「長期的に維持可能な自然水準を考えないで、がむしゃらに金融緩和すれば無限に景気はよくなると考えるのは、大昔の素朴ケインズ主義である。」
と書いている。
どうもこういった論理が自然水準の概念でしょうか?よくわかりません。
「自然成長率を決める最大のファクターは生産性(TFP)上昇率だから、生産性を上げないかぎり自然利子率がマイナスになる「デフレの罠」は脱却できない。したがってバーナキンも指摘するように、デフレ脱却のためには生産性の向上が必要なのである」
どうもここに結論があるようですが、自然失業率、自然成長率、自然利子率などとやたらに「自然」をつけることにより長期的に見た失業率や成長率がある言っての水準に決まってくるという事でしょうか?
「マイナスの需要ショック(cの減少)が発生したときは雇用が減る。しかし長期では雇用は賃金で調整され、μを利潤率とすると、自然失業率n*は、μを最大化するような水準できまる。」
なにも「自然」という言葉をつけなくても説明ができるのではないかと思うのですが、経済の成長と労働の生産性そして失業率の関係を言い、「雇用は需要と無関係に、利潤率の減少関数」という中に雇用の増大は利潤率を低める関数となり、労働の生産性はこの労働力の節約ですから成長のためには生産性の向上が必要でこれがデフレを克服するという論理なのでしょうか?
なんだか自然水準という概念がわからなくなります。
デフレからの脱却には生産性の向上が必要である。失業率は自然(長期的な結果として)失業率として利潤率が最大となる水準で決まる。そしてこの生産性の上昇が自然成長率を決める。
しかし失業率や低賃金化は「雇用は需要と無関係」な状態をつくりだすが、需要は雇用や賃金水準によって需要とは無関係ではありえないのではないか?すると労働の生産性の上昇を利潤率の表彰のためばかりに作用させるとするならば需要の自然水準を下げ、一方では生産性の向上は商品価値を下げるというところから商品価格が下落して利潤率を下げながら商品はその赤くを下げ続けるというデフレにもつながるとみることができる。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
今朝のツイートのまとめです。
消費増税法が成立 14年4月に8%、15年10月10%  :日本経済新聞 (2012年の野田内閣時の記事)「社会保障と税の一体改革関連法は10日夕の参院本会議で、民主、自民、公明3党などの賛成多数で可決、成立」:三党合意ですね。
たしかに消費増税を決めたのは野田内閣ですが、この記事を見ると三党合意と見れます。この経過の中で安倍総理は最終的には総理が判断するとして増税に踏み切りました。ですから消費増税は民主党だけに責任を負わせるのではなくてやはり実施した安倍政権の責任でもあると思います。
もちろん安倍政権が8%実施を決めるにあたっての判断は景気の判断です。しかし実施後にこの景気判断が間違っていたというのが現状でしょう。それが10%実施に踏み切れなかった理由でもあります。
もちろん安倍内閣が8%実施を決めた根拠はアベノミクスが順調に成果を上げているという分析からです。少なくともアベノミクスの未来に明るい材料があるとの判断からです。それは輸出産業中心の企業収益と株価だったのだと思います。
しかし見通しとしての消費増税後のv字回復は起こらずに消費不況ともいえる事態になったと考えるのが普通でしょう。
安倍内閣は成長戦略あるいはアベノミクスの成功のために公共事業の拡大と法人減税という方針を出しました。税の使い方の方向性がこれにみることができます。消費増税は社会保障の充実のためという国民の信頼が薄らぎました。円安による悪性の物価高と増税は国民生活を打ち砕きました。
円安による悪性の物価高と増税は実質賃金の低下として現れ、安倍政権での官製の名目的な賃上げも国民の期待から外れたものとなりました。名目賃金の上昇でさえ恩恵を受けない労働者が多数でしょう。最賃法も10円玉でした。年金は将来の支給減を言われました。生活保護は受けにくく。
消費増税はアベノミクスの成長戦略に組み込まれていると見たほうがよいでしょう。アベノミクスはよいが消費増税が悪いといったような問題ではないのです。成長戦略に組み込まれた消費増税はアベノミクスそのものと言えるのではないでしょうか。リフレはこれを止められない。
消費増税はすでに三党合意から独り歩きを始めているのです。ですからこれは与党の責任となりますし、その経済の見込み違いはやはり安倍政権の失敗なのです。

安倍総理は解散にあたっての会見で「野党は『アベノミクスは失敗した』と批判ばかり繰り返している。私は今回の選挙戦を通じて、私たちの経済政策が『間違っているのか、正しいのか』、『本当に他に選択肢はあるのか』国民の皆さんに伺いたい」(左記リンクページより引用)と述べた。
アベノミクスが失敗ならば他に経済政策はあるのかと問いかけているが、それはアベノミクスの最大の失敗からおのずと答えは出てくるはずです。
その最大の失敗とは何か?
最近の主要100社のアンケートによると、国内景気への懸念材料として一番多いのが個人消費の停滞と答えている。政府も管制の賃上げに必死となっている。
個人消費の落ち込みは何も消費増税8%だけが問題ではなく、アベノミクスと両輪関係にある日銀の量的緩和による円安での輸入物価の値上がりにある。もちろんこの円安は株価の上昇として政府の容認してきたところである。アベノミクスによる経済成長の指針がまさにこの円安による株高なのである。
一定の名目賃金の上昇が官製の賃上げで実施されたとしても円安による悪性の物価高と消費増税分の価格転嫁の強制(政府の呼びかけ)により実質賃金は下がっている。まだ名目でも賃上げがあったところはよいがそれは大企業や公務員です。多くの労働者は特に不安定労働の労働者はその恩恵にすらあずかっていないところが多い。また最賃法の結果を見ても一定程度上がったのは(それも10円玉単位だが)都市部で、地方に行けば最低賃金はまだ相当低い。年金生活者や生活保護などは言うに及ばない。
この中で個人消費が大きくかかわるGDPもマイナスとなり2014年はマイナスとなるといわれている。
このような実態の中で政府も10%への増税を先延ばしとした。
アベノミクスの経済面での最大の失敗はこのように個人消費の落ち込みだろう。
もちろんこの個人消費の落ち込みは、国民からすればその生活が低下したことを示すのは明らかだろう。それは中間層の現象というものを含めて労働者全体の低賃金化(不安定雇用の増大)と貧困化に現れており、それが格差の拡大としても現れている。
この矛盾を改善する経済政策がアベノミクスに変わる経済政策と言えるだろう。
安倍総理自身が賃上げの必要性を言っていたが逆に実質賃金を下げる作用をしたのがほかでもないアベノミクスだったのである。ここからアベノミクスでは今の経済の最大の懸念材料である個人消費の拡大は行えないことを示している。ここが行えないのだからアベノミクスは失敗であり刑事施策は変更せざるを得ないのである。
このアベノミクスの破たん後は内需型社会が必然である。
内需拡大にはもちろん賃上げや社会保障の充実が必要となる。同時に雇用矛盾の解決も必要となる。
また円安・消費増税による悪性の物価高を改善しなければならない。
しかしここまでアベノミクスが経済を混乱させてしまい円安誘導が進んでしまったのちの経済の安定にはソフトランディングができるかという課題が出る。日銀は意地になって金融政策の変更はしないだろう。企業はだぶついた金(資本)を国民生活への富の再配分は行わないだろう。自然には内需型の経済は進まない。
しかしこの内需型の経済政策を行えないならば日本の経済も破綻するかもしれない。
内需型社会(経済)とは何か?
それは戦後の日本社会に答えがあるのかもしれない。。。。。
続く

【2015年】ツイッターつぶやき
ベランダに寒さに弱い花の苗があるので今日の寒さで大丈夫かと思い煙草を吸いながら見てきました。祖とは3度くらいでしょうか。かなり寒さを感じました。
部屋の中は暖房で18度くらい。
やはり部屋に戻ると暖かさを強く感じました。
しかしこれまで20度ぐらいの暖かさを感じる気候から17度くらいに気温が下がったとき外に出たら相当寒さを感じて、「やっぱり、20度以下になると寒いよね」と近所の方と話しました。
同じ17度18度でも、時には寒く感じ、時には暖かく感じる。
人の暑さ寒さという感覚は案外いい加減というのか錯覚というのか、熱いとか寒いとかの気温による基準はないようです。
例えばマイナス5度となれば東京では酷寒の世界です。冬の北海道にいる方は毎日マイナス20度ぐらいが続いたとき、マイナス5度となれば暖かいと感じるかも?(どうでしょう?)
このような感覚は社会の中で起きる事柄や生活の中の感覚にも表れるのかもしれません。
金持ちと貧乏とは絶対的な基準はないでしょう。
金持ちは金の量を気温に置き換えて18度の気温は寒さを感じ、貧乏ならば暖かく感じる。
金持ちはいくら金があっても寒さを感じる。逆に貧乏はわずかな金でも暖かさを感じる。どちらも悲惨です。
人間は気候を変えることはできませんが、暖かい環境を作ることができる。
暖かさに飢える金持ちには我慢してもらい18度でも暖かいと感じるようになってもらわないと暖を求めるエネルギーはその金持ちに吸い取られるだけです。

【2016年】ツイッターつぶやき
12月の初めごろ、天井に黒いシミのようなものがあったのでよく見ると小さな蜘蛛だった。
殺すのもかわいそうなのでそのままにしておいて。
すると時々糸を垂らしてするすると天井から降りてくるようになった。床までは降りずに1メートルぐらいの高さでぶらぶらしている。丸くなって虫が来るのを待っているのでしょうか。
あれから10日ぐらいたつが相変わらず時々蜘蛛の糸を垂らしてくれる。
今日はパソコン横に降りてきて椅子に座る僕の横でぶらぶらしいる。
蜘蛛の糸。。。。
たしかにすがりたいことはたくさんあるが、どうもあまりにも細すぎて頼りなさそうだ。
気持ちだけ受け取っておくことにする。
そういえば、子供ころ、お袋が夜の蜘蛛はいいと言いながら降りてきた小さな蜘蛛をがま口の中に入れた。不思議に思ってお袋に何でと聞いたら、こうして降りてきた蜘蛛をがま口の中に入れると金がたまるんだよと言っていた。
しかしがま口を開けてはいないのに翌朝には消えているのである。
お袋は今もって金持ちにはなっていない。

【2017年】ツイッターつぶやき
一昨日、冷凍食品を電子レンジで温めようとしたらなんだか焦げるようなイヤナにおいてぱちぱちという音が聞こえ始めました。
何だろと思ったら、電子連の中がぱちぱちとなりながらスパークのような光が出ていて、ふたの隙間から少し煙らしきものが見えました。
慌ててコンセントを抜いて中を見たらやはり煙らしきものが。
我が家に来てから30年。。。。。。
よく働いてくれた電子レンジでした。「昭和の博物館」のようなところに寄付できそうな年代物です。
愛着のあるレンジでしたが、仕方ないので買いに行きました。
重いですなぁ・・・・
家電売り場で古いレンジを引き取ってくれるというので、台所のレンジ置き場から出して駐車場まで抱っこするように持っていきました。
新しいレンジをやはり抱っこするようにキッチンまで持ってきましたが、なんとなく軽い。それでも18㎏。。。。古いレンジは何㎏ぐらいあったのでしょうか。。。。
大きさはほぼ同じなのですが、やはりこの30年でレンジも進化しているようですね。値段も古いもの15,6万円しましたが、今では5万円以下。
やはり労働力を省くことができる生産性の向上と技術の進歩は商品価値を下げていくのです。
そういえば、今回買ってきたレンジはいろいろな機能がついていて水蒸気も出て来るようです。
しかし古いレンジもいろいろな機能がありましたが、そうは使わない機能も・・・・・
また新しいレンジもそうは料理には使わないかも。。。。。でも、酔授記調理にワクワクしています。
そう、そう・・・・一番便利な機能。ボタン一つでコンビニ弁当温め機能・・・・これでコンビニで温めてもらう必要がなくなりそうです。

【2018年】ツイッターつぶやき
政府は来年の消費増税10%に対してキャッシュレス社会を目指すと同時にデフレ対策として中小小売店でキャッシュカードを利用すると消費税を5%とするという方針を出した。
「消費税率引き上げはデフレ脱却への一つの試練であり、思い切った対策を行いたい」 (産経新聞)
とするが、政府はこの間経済の好転が後手後手状態で実施ができなかった。来年の増税ができない場合は政府の信用にかかわるし、それはアベノミクスでは経済の好転はないことを証明することになる。また政府はリーマンショックのような経済の混乱がない限り消費増税10%を実施するとしたが、これはある意味背水の陣である。消費増税対策を実質消費減税のような形で5%とすることはデフレ状態から抜け出せずにいる現在よりさらにデフレが不況となることを懸念せざるを得ない状態といえる。
しかしこの5%の対策にしても実際恩恵を受ける階層はやはりある程度の収入がある層となるでしょう。慌ててキャッシュカードを作ろう押してもはじかれる層が出るでしょう。同時に消費税が逆進性の強いものですから、恩恵の大きさにも開きが出るでしょう。
小さなお店で今更9か月間のためにキャッシュカード利用の設備を新たに設けるでしょうか?
現実は消費税対策にはならない内容であり、同時に国民に思い切った対策を行うという約束をするということは、国民の消費増税に対する抵抗を減らすことだけが目的のような気がする。

【2019年】ツイッターつぶやき
今朝は早く目が覚めてしまいました。
外はまだ暗くて雨がしとしと降っていました。まる2日間冷たい雨でしたが、ベランダに出てみると生ぬるい微風が吹いていました。部屋に入ろうとしたら部屋の中のほうが寒い。
天気予報では東京は最高気温20度でしたが、日中一時晴れ間が出ましたが暖かでした。
11月も終わろうとしているのに気温20度というのはすごいですね。
夜に入ってもやはり外のベランダのほうが温かいです。

【2020年】ツイッターつぶやき
「コロナ専用の病床を増やすと病院は困るらしいですわ。他の入院患者をストップせなあかんでね」(名古屋市 河村たかし市長)【メーテレ「コロナ陽性の父、病院探し難航 保健所の指示は「解熱剤を買ってきてください」より引用」】名古屋のテレビ局でしょうか?
名古屋市は医療崩壊寸前でしょうか?
しかし市長の上記の言葉は市民にとってはつらいですね。名古屋弁独特な言い回しなのかなと思いましたが、東京弁に翻訳するとやはりいい気持がしない言葉です。
医療崩壊の心配はすでに日本医師会からも出ており、その中で政府もGo Toを渋々中止したよう見見えます。
名古屋市だけではなく、感染拡大が大きい都道府県においては同じような医療崩壊の危機があるのかもしれません。
ベッド数だけではなくて薬も市販の解熱薬で。。。。。?
以前、この解熱剤は使ってはいけないというような記事を読んだような?
専門家の方の記事を読むと、なぜ日本は死亡者数が少ないかといえば特効薬はないまでもいろいろな薬により命を守っているとありました。しかしその治療が全国にいきわたっているのでしょうか?
政府はすでに感染拡大予防は地方自治体に丸投げをしており、感染者数の多い東京ですら東京都から要請がないのでGo Toから除外しないという。第三波は高齢者の感染が多くなっています。日本は大丈夫でしょうか?
医療崩壊の前に政治崩壊が起きていたのではないかと感じます。

【2021年】ツイッターつぶやき
「52ー17の法則」。。。
アメリカでの研究らしいですが、52分集中して働き17分休むことが労働の生産性を高めるということらしい。
学校の授業がそうですね。50分前後勉強して10分程度休む。これは集中力を維持するのに合理的だからでしょう。なにも子供の集中力の時間を見ているだけではなく、先生も同じでしょう。ということは後なの労働でも「52ー17の法則」はあるのでしょう。
しかし日本の労働の生産性は疲れ切るほど長時間労働を強いてちょっとした休憩は「さぼり」とみてしまう。
最近は喫煙者が喫煙所に行くことを非喫煙者がサボっていると喫煙タイムを否定する動きが続いていました。しかしこうなると喫煙者批判をした非喫煙者も「さぼる」わけにもいかなくなりますから長時間労働が美徳となります。これは休暇の取得率が悪いという面にも出ていて、休暇を取れば廻りの同僚に迷惑をかけるとなり、迷惑と思えば休暇を取りずらい職場環境になる。
働き方改革がはじまってはいますが、日本企業の意識というのは、「さぼる」ことを認めない形での生産性を取り続けるでしょう。生産性の向上は、長時間労働と低賃金だとする勘違いをずっと続けるでしょう。
気づけば日本経済は劣化していることが見えてくる。
日本は貧困化をする。国はバラマキをして疲弊をしていく。コロナ対策でのバラマキはある程度効果もあるが、経済対策としてはほとんど効果は見えないでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
電力会社がまた値上げ申請をするようです。
ロシアウクライナ戦争の影響といわれていますが、円安の影響が最も大きいでしょう。
東北電力では30%の値上げとなりそうです。その他の電力会社も同程度になるのでしょうか。
値上げは一般家庭用電力になりそうですが、電気料金は企業などの大口契約はだいぶ低い料金に抑えられています。そこに手を付けないのでしょうか。一般家庭用は大口契約に比べて高い料金なのにさらに値上げとなりますからひどいですね。
東北電力のように30%も値上げをされれば、年金生活世帯を含めた低所得層は相当の痛手です。政府は節電を言いはじめていますが、東京都では暖房節電をするため職員は徳利セーターを着ろとパフォーマンスをしはじめました。しかし一般世帯は値上げのために寒さをこらえるような節約を強制させられるでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
岸田さんが所得減税を行うとしましたが支持率が低下しているようです。
ネット上では「増税眼鏡」などと揶揄されていましたが、これまでの政策を見ても賃上げの後には社会保障費が増加をして賃上げ分は国にもっていかれる。またこの間所得減税に対して消費増税が行われてきました。
所得減税の後には増税が待ち受けているのは、防衛費や子育て支援の財源を見ればわかります。
消費税は25%程度までという案も出ていますが、消費増税が社会保障にまわらないことは目に見えています。
所得減税を言っても支持率が下がる状態は岸田内閣への信頼がなくなっているということでしょ。
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2024年11月23日(土)「労働力不足」

2024年11月23日 21時42分55秒 | 「政治・経済」
労働力不足が言われています。企業側からすれば労働力不足は売り手市場になり賃上げにつながりますから企業利益は減少しますね。これが問題化され、女性労働力そして高齢屋の年金受給年齢を伸ばす中で65歳までが労働力人口になっている。これは企業にとってはうまい労働力で低賃金で雇用できる。今103万円の壁が問題化されていますが、一面では女性を中心とした安い労働力を得る方法でもあります。
しかし労働力不足の根本的な問題は、労働力人口が減少するということは搾取する人数が減少するわけで、企業利益は減少します。それでも今の先進国のように商品やサービスの値上げによって利益を維持しようとしますが、インフレも経済矛盾の一つですから社会的に混乱材料となる。
またロボットに加えてAIによる省力化が人手不足の解消となる。しかしこれは労働力不足の解消を超えて余剰寺院を作り出すのが目的で、労働力不足を解消するでしょう。ブルーカラーはロボットに代わり、更にホワイトカラーはAIに代わる。
今の労働力不足は解消していきますから労働力人口は減少する。これがさらに搾取できる労働者を減らすことになりますから企業利益は減少する。より多くの商品を生産できれば良いのですが、ロボットやAIは安くて大量の商品を作り出す。先進国は生産過剰の市場を抱える。
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