【2024年】ツイッターつぶやき
7,8年前ごろに6本のスピーカーがあるシステムをもらいました。
ゆっくりと音楽を聴く時間や趣味がないのですが、折角もらったものなのでキッチンにおいて時々聴いていました。
チューナがないので安いラジカセを買ってきてイヤホンからつないで使っていました。しかしその安いラジカセも雑音が多くなり、キッチンの油煙でまるでラーメン屋さんのラジオのようになってしまい、今日新しいチューナーを買ってきました。
チューナーだけですと高いですなぁ。
ケンウッドなんか100万です。
FM放送ぐらいしか聞かないので安いものを探しても3万円ほどでした。棚の隅々まで探したら端っこに安いものがありました。7000円(笑)
帰宅後さっそくつなげましたが、7000円のラジオでもスピーカーシステムにつなげるといい音が出ます。
また10年ほど聞けるお思います。
つなぎ方が間違ったのか、左のスピーカーから音が出ない?明日調整してみます。
≪過去の記事≫
【2004年】
五月晴れ。さわやかな空と風。
久しぶりにステーキを焼きました。奮発をして和牛です。やはりこのやわらかさは和牛ですね。。。。ほとんど子供たちの胃袋に入ってしまいました。
柳美里さんの命4部作「魂」を読みはじめました。第一部の「命」もそうですが、この読んだ感じは舞台作家の文章なのかなと思ったりします。なんというのか・・・・やはり一つひとつが演劇のせりふと言うのか。
でも、命という大切な事柄を扱ったものですから、深刻な文章となるのでしょうが。。。それにしても自殺という言葉が軽く出すぎるような。
もう少し考えてから「命」の感想を書きます。
【2005年】
国鉄の民営化ってなんだったのだろ?
郵政民営化って何をしようとしているんだろ?
【2006年】
「蕎麦屋の恋」
角川文庫
姫野 カオルコ 著
表題作の「蕎麦屋の恋」をはじめ、「お午後のお紅茶」「魚のスープ」の3篇の短編が収められています。
姫野さんの作品は初めて読みました。
それぞれの短編の題名を読むだけで、どのような作品かと興味がそそられます。まず題名にひきつけられて読み進むうちになぜその題名が付けられたのかが納得させられます。姫野さん独自の人生観が現れています。
初めて読む作家でしたので、ホームページはないかと探したらありました。
姫野カオルコ公式サイト
まずはドキッとさせられます。
もうすぐ50歳とは思われないようなジムで鍛えた肉体が。。。。ううう
読む前にこの公式サイトを見たために作品は甘く官能的なのか?という先入観を持ってしまったのですが、読み終わると作品に表れる視点もはっきりしているし、作品は(この短編集だけを読んだ限りでは)純文学なのではないかと思いました。
プロフィールによると、右目と左目の視力差が大きい。ガチャ目である。
まぁ、視力はどうでも良いのですが、女性の魅力(ご自分ではブスとは言いますが)的な肉体を作り上げる一方では、キリスト教の影響も受けていらっしゃるようで、外面と内面もまたガチャ目なのではないか?
このガチャ目で見た世界に姫野さん独特の作品を生むのではないかと思う。
「蕎麦屋の恋」は、京浜急行(関東以外にお住まいの方のために補足ーーー港区の品川が始発駅で、または都営地下鉄浅草線から乗り入れてもいて、神奈川県の三浦半島三崎港駅まで走る私鉄です)の特快(特別快速)の中で出会った秋原健一43歳と波多野妙子30歳の不倫的な恋を描く。
健一は美人の妻があり、いろいろと女性にはもてる。妙子は地味に料理人になろうとしていた。そんな2人の恋。。。。
健一は、平凡なサラリーマンであり、若い頃に好きだったミュージシャンになっていたら今はどういう生活なのかと時々思い返して今の平凡を思う。妙子は、子供の頃にバレーをやっていたが、先生から顔が大きいからもう少し華奢ならといわれコンプレックスを持ち続けていた。
二人は、相反するようなものを持つ。健一は異性にモテ今の平凡さを思い煩う。妙子はコンプレックスの中に異性をはね退けて、料理教室の講師という仕事を嫌ってある意味料理人という凡さを求める。そんな二人が出会って初めてのデートをする。
その場所が蕎麦屋(けしてしゃれた店ではない蕎麦屋)だったのである。
二人はザル蕎麦をすする。いつの間にかホテル街を歩いていて二人はホテルに入る。でも二人で一緒に楽しくテレビを見るだけ。そして二人そろって特快に乗って帰っていく。
特別ではないザル蕎麦という食事、一緒に楽しく見るテレビ、そしていつも乗りなれた特快。。。
健一から出た言葉は、「暮らし」である。
お互いに相反するものを持つ二人だが、いつの間にかこの「暮らし」を意識している。
不倫という甘い恋と二人の過ごしたデートでの「暮らし」ここに姫野さんのガチャ目的なものが表現され、読後に暖かいものを残してくれます。
健一のもてる生活は変わらないかもしれないけど、そのたびに健一は家族の「暮らし」に戻るだろう。妙子は平凡な皆がうまいといってくれる食事を作る料理人になることだろう。
特快では、また二人は出会うこともあるかもしれないが、蕎麦をすすりながらまた楽しくお話しをするという関係を超えないのではないか。
こういう恋があってもいいのではないかという姫野さんのガチャ目的な恋愛小説であり、人の生き方を見せてくれる作品でもある。
「お午後のお紅茶」は、美容師の小林くんが偶然昼飯を食べるために入った「ポプリ」という店のママさんの話しである。
ポプリのママさんにはこだわりがある。
しゃれた看板文字、しゃれたジャズのBGM、こだわりの自然素材。。。。
しかしその味付けは、水を何杯も飲まなければならないような塩辛さ。。。
このギャップに今の社会を見る。何にも「お」を付けてお上品さがあるような見た目のよさはこれでもかというほど見せつけようとするが、実際の中身となると首を傾げたくなるような社会。これを皮肉るような作品です。これもガチャ目的です。小林くんは純粋に人を好きになることを喜び本物の美容師を求めていくでしょう。
「魚のスープ」は、主人公の「ぼく(圭一)」は妻の桜子とストックホルムに旅行する。突然に学生時代の恋人カズからチケットが届いたため。
二人に街を案内するカズ。昼食にカズは魚のスープをすすめる。日本では味わえない味のスープを。桜子は三ツ星レストランの食事を希望する。圭一は、こんな二人を見てその生き方の違いを見る。
読みはじめると、たぶん読者はナチュラルなカズに好感をもち、桜子の標準的な女性あるいは妻という「解説」の言葉を借りるなら凡庸さだけの女性で不足を感じるだろう。圭一の心の中も同じだろうと思う。
圭一の心は揺れる。
「お午後のお紅茶」でのポプリのママさんを外見ばかりで中身がないと見るならば、桜子はこのタイプだろう。だから作品の筋としては、圭一はカズにひきつけられていくことを予想する。
しかし結末は。。。。
「お午後のお紅茶」とはある意味逆となる。圭一は桜この純粋さを見る。
「お午後のお紅茶」と「魚のスープ」の作品からも姫野さんのガチャ目的なものの見方を感じます。
悪く言えば天邪鬼的だという人もいるかもしれませんが、姫野さんの他方面から人間を見つめる視点は面白いし共感を持てるものでもあります。
直木賞候補となった「ハルカエイティ」を読んで見たいと思います。
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
[
銀色夏生の視点] 銀色 夏生 著
幻冬舎の雑誌「Papyrus」に1年間にわたり連載された「銀色夏生の視点」も今回で最終回です。
こちらのブログでも発売のたびに感想的なものを書いてきましたが、ブログという性質上カテゴリーを作らないと各記事のまとまりが付かなくなりますので、まずは第1回からの観想的なものをまずこちらに転載をします(各感想は、文字の大きさなどが違うので読みにくいと思いますが。。。)。そして最終回の感想と全体の感想を書きたいと思います。
第1回「銀色夏生 外へでる」
連載にあたっての?それとも8月発売予定の北海道旅行記の本(本文中に書かれています)の?打ち合わせの後に、papyrus編集者の「パピさん」と幻冬舎の編集者「菊池さん」から夏生さんへ質問をしてもらうという形での対談形式となっています。
角川文庫より「おしゃべり本シリーズ」として会話をそのまま本にしたシリーズの本がありますが、この本のような形で「おしゃべり」が載せられています。
「銀色夏生 外へでる」。。。
この「外へでる」というタイトルに思い当たるのが、新潮社文庫から7月1日に発行された文庫版「月夜にひろった氷」の前書きのような詩。
「ポケットの中で 星が揺れたので」という書き出しに続く言葉。こちらでは「表へ でた」という言葉で書かれていますが、また夏生さんのポケットの中で星が揺れはじめたのかもしれません。
夏生さん、テンション高いです。。。
というのか、夏生さんの初期の本は河出書房新社から発行されましたが、去年にこの初期の本のうち「無辺世界」が新潮社文庫から文庫化され、夏生さんの詩人(作家)生活の20年の区切りを感じたのですが、そして今回また「月夜にひろった氷」が文庫化されました。それ以前には「つれづれノート」シリーズが終わりましたし、夏生さんの内面の中に何かの変化を感じていました。この変化が「外へでる」だったりするのかもしれません。
それとも夏生さんの中にあるもうひとつの面外まで始めているのかもしれません。
それがあいつぐ出版と同時に、連載というものをほとんどやってこなかった中でこのような形で連載が始められたり、ファンとのかかわりの積極性として現れているのかもしれません。
ファンから見るとこのように「変化」として見えるのですが、夏生さんの中では、ごく自然な中での興味のあるものを追求するという夏生さんらしさからのものであるようです。時々「おこもり」をしてしまう夏生さんですが、今積極的に人との交わり、その人が持つ心の面白さを見ようとされているのではないかと思います。それはまたご自身の心との会話でしょうね。そしてそれはプロデュース的な夏生さんの側面であるようです。(そういえば、2004年には丘紫真離さんという当時中学生ぐらいの方の「黄色い卵は誰のもの?」という本の推薦をしていますが、これもプロデュース的なもの?)
話は進んでいって、サイン会へと。。。
これもファンという「人」の心と夏生さんの心のふれあいのような「祈りを込めるような」夏生さんらしい形になるのでしょうか?
僕のようなぐうたらのファンは、興味のあることを追求していく、それも「すごい、速さだから」(「月夜にひろった氷」149ページより引用)追いかけていくのにたいへん。。。(笑)
息切れしないように必死についていきます!!(^。。^!)
第二回「野外観察」
連載第二回目「野外観察」は、本格的なエッセイです。
新逗子駅で待ち合わせをしたお友達「ユウコちゃん」と詩集「Go Go Heavnの勇気」に出てくる「カネミツ」に会いに行きます。20年ぶりの再会。。。38歳の「カネミツ」
東京に戻った夏生さんは、おしゃべり本「ものをつくるということ」に出てくる音楽プロデゥーサー「キーちゃん」こと木﨑賢治さんとも会います。
こんな昔からの仲間との再会を通じたエッセイ。
まだゆっくりと読んでいませんが、「個人を超えたものがすき」という章にぐっと来ました。
「一人の人間がいて・・・(中略)・・・・個人情報には、まったく興味がない」
「その人が持っている世界観・・・・」
人と人とがひきつけられる中でのあるひとつの大切な形を語っていらっしゃいます。
9月に出版される辛口エッセイにも触れていらっしゃいます。
8月10日のサイン会に集まったファンからの質問は、次号10月27日発売に掲載されるようです。
じっくり読めるエッセイです。また読み終わりましたら感想を書きます。
(追記)
さっきは時間がなかったので書けなかったのですが、ちょっとPapyrusの中身でも宣伝(笑)
ブログを検索していると、あんがい小林聡美さんのファンにお会いします。
巻頭特集は小林さんと加瀬亮さん(僕は知らない・・・けど)の対談のようです。
僕個人としては、阿佐ヶ谷スパイダース(劇団)の「イヌの日」を観にいったのですが、そんな意味でも長塚圭史さんのインタビューも楽しみです。
このPapyrusとは、どのような位置づけの雑誌なんだろ?
人とは。。。?というような感じなのかな?
第三回「祈りをこめたサイン会」
8月10日、幻冬舎主催の銀色夏生サイン会のレポートです。
整理券の裏に「何か質問がありましたら書いてください」という夏生さんの呼びかけにファンは思いを込めた質問を書きました!その質問に夏生さんが答えています。
やはり日記エッセイ「つれづれノート」に関する質問が多かったのかな?どのような位置づけで夏雄さんが「つれづれノート」を書いてきたかというものがありました。また、今後「つれづれノート15」はあるのかという質問に完全否定はありませんでした!!その前に「ばらとおむつ」のような形の書きたいものというものを大切にしたいという夏生さんです。「ばらとおむつ」にも少し触れていた「珊瑚の島で千鳥足」は、原稿がたまったら出版されそうです。さて夏生さんのお兄さんである「せっせ」は南の島に母「しげちゃん」と移住するのでしょうか?楽しみです。
さて、サイン会に参加した夕螺でありますが。。。。
ううう。。。。
握手はもっと力強く握っておけばよかった。。。ハハハ
「男性の方は一割弱。(中略)握手に力がなかった人や握手を求めなかった男性は、(奥さんのためという)そういう代理だったのかなぁ。」と。(涙)
ハハハ・・・・・僕は僕のために行ったのに!
シャイな夕螺を理解してください。。。。(笑)
僕の質問の答えがなかったと妻と娘に言ったら、
「お父さん、あなたは期待しすぎよ~」と。。。。(涙)と情けない(笑)
ううう。。。。。
まだゆっくり読んでいないのですが、もう一度読み返し、夏生さんの握手の感触を思い出しながらサイン会の夕べを今一度感動したく思います!!
第四回「インタビュー」
8月に行われた幻冬舎の記念行事そして「流氷にのりました へなちょこ探検隊2」の出版記念もかねたサイン会のとき、整理券の裏に夏生さんへの質問を書く欄が有り、インタビューを希望する場合は書き添えてくださいとありました。
第四回「インタビュー」の記事は、そのときに希望を出した方々の中から抽選で選ばれた方8人のうちの4人の方のインタビューが掲載されていました。
(ちなみに僕もサイン会へ行きましたが、口下手の僕としてはインタビューに立候補する勇気がなくて。。。ううう・・・・・・後悔しながら読みました。)
でも、皆さん緊張されていたようです。
前回第三回の予告で次はインタビューの報告とありましたので、てっきり夏生さんと皆さんが車座になってお話をし合うのかなと思っていたのですが、お一人30分という時間に一人一人づつお会いしてインタビューを行うという形でした。今回は女性ファンばかりでした。
ううう。。。。ん、緊張しますよねぇ。
ホテルの1室で小さなテーブルを挟んでのインタビュー・・・・
皆さんと夏生さんとのツーショットのお写真もありますが、皆さんうれしそうなお顔でした。
インタビューの中身は、誌やこぶたシリーズについて、つれづれノートについて、サイン会のときのことなど、皆さんきちんとお話しをしていらっしゃいましたので、ファンに話をするという意味においても夏生さんのお話しはおもしろいと思いました。
次回もまた残りの4人の方のインタビューが掲載されるようです。
また、今回はページ数の関係ですべてのインタビューの中身を掲載できなかったとして、来年夏の初めに出版予定の本に全文掲載されるようです。そういえば、この来年夏に出る本には、整理券での「質問」にもお答えすると以前書いてありました。この点でもこの本が楽しみです。
初夏出版の本といえば、ファンなら「つれづれノート」シリーズですよねぇ。。。。
でも、このような形でも初夏に夏生さんの本が出るという情報はうれしいものです!!
出来れば。。。。「ばらとおむつ」のような形の本もと思うのですが・・・欲張りでしょうか?(笑)
第五回「インタビュー(続き)」
夏生さんの連載「銀色夏生の視点」も第五回目です。前号の予告によりますと、昨年8月に行われたサイン会で募集された夏生さんへのファンによるインタビューの報告第2回目(続き)となっていると思います。
あと、今回のPapyrusの特集記事は、「鬼束ちひろ 私はまだ死んではいない 」ということです。
鬼束さんファンでもあり銀色夏生さんファンでもある方から掲示板でお知らせをいただいたのですが、この特集に鬼束さんと銀色夏生さんの対談も載せられているとのことです。
鬼束さんの公式サイトからのリンクにも、今号のPapyrusが紹介され、「鬼束さんが詩を書くきっかけとなったという憧れの作家銀色夏生さんとの夢の対談も実現しました。」とあります。
こちらの対談も楽しみです!!
これから買いに行きます!!
買って来ました。そして読みました。
4人の女性ファンからのインタビューでした。
最後に、「インタビューを終えて」という夏生さんのあとがきがありましたが、その中で、たくさんの本を出してきて読者がいることは意識していたけど、「ファンとか読者というと、あまり実態が感じられず、まるで暗闇にボールを投げるような気持ちでいました。」とお書きになっていました。作家というのは孤独なのかもしれません。(ブログというのも作家でいえば発行部数のようなアクセス数に実態は感じられないものです・・・ハハハ。。。。だから孤独です)一人一人に時間をかけたサイン会やインタビューという形の中でファンや読者という夏生さんの投げたボールを受け取ってくれる生きた人間としての読者やファンという実態をおつかみになったのかもしれませんね。
「私が本の中に注いできた思いは、ちゃんと通じていた。」「あ、じゃあもう、いいね。そうするね。ここのところはきにしなくていいね、」「私はこれからも書き続けます。」
ボールをたくさん投げてください。。。。。
「銀色夏生×鬼束ちひろ」
2ページと短いものでしたが、中身がぐっと詰まったようなお話。
劣等感を持っていることは、逆に言えば相手のよいところが見えるということ。だから自分の劣等感が見える。その中で対人関係が少なくなる事も。でも、これも「自分にとって必要なモノと不必要なモノがわかってるから」
夏生さんも鬼束さんも自分をしっかり持っているのでしょうねぇ。。。。
鬼束さんも夏生さんの作品を全部読んでいるようです。。。。。
第六回「外にいながらにしてこもる」
最終回は、幻冬舎の菊池さん(「へなちょこ探検隊」に同行して夏生さんとはいいコンビの味を出しています)との対談の形で進みます。同時にそれは、今回の連載1年を振り返ってのお話しから始まります。
はじめは夏生さんと菊池さんのお話からはじまったサイン会でしたが、それは、ファンとしてもかけがえのない一瞬の時間をいただきました。もちろんそれは、幻冬舎の企画という面もありましたし、夏生さんのファンの前に出たいという思いがリンクした事と思いますが、何よりも夏生さんを見つめ続けたファンの思いが通じたのだと思います。もちろんそのファンの一人として僕も居てサイン会は一生の思い出となりました。夏生さんもファンによるインタビューに感謝をされている事と思いますし、ファンを代表して夏生さんにインタビューをしていただいた方にファンも感謝している事と思います。
それは、編集者と長く活躍されていた菊池さんの、他の作家にはない作家とファンの関係が夏生さんには見えたという言葉にあります。僕もそれを強く感じています。
「へなちょこ探検隊」ではなくて「へなちょこ体験隊」というお話しもありましたが、「何を言っても大丈夫」なのは、タレントみたいな人ではないですよ♪それは夏生さんを見つめるファンでしょう。。。。ハハハ
確かに素人はその限界がありますが、夏生さんを一番知っているのはファンです。。。。
これからも常にファンを見つめて欲しいです。。。。
でも、それを一番知っているのは夏生さんであり菊池さんでしょうね♪
プロとして本を作る事とファンとのつながりは違いますが、ファンは見つめていますよぅ。。。。
何かテーマがあったらPapyrusに書くことのこと!!
これからもPapyrusから目が話せませんなぁ。。。。
そして今回の連載は早うちちに本という形になるそう。。。。楽しみにしています!!
「銀色夏生の視点」は、それぞれにテーマが違うように感じましたが、「つれづれノート」に出てくる方とのふれあいやファンとのふれあいと、今の夏生さんの心を感じました。その意味で、僕個人という一ファンとしてはかけがえのない連載でした。そして連載を通じながら夏生さんにお会いして一言お話ができた事も。。。。。
一年間、ありがとうございました
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
よく行くスーパーに僕が好きな野菜たっぷりで大きなガンモドキがあります。久しぶりにそのがんもどきを買ってきてみぞれあんかけにしてみました。
醤油・味醂・砂糖・出汁パックでだし汁を作ります。
そこにガンモドキをいれてあまり火を通し過ぎないように煮付けます。火を止めてだし汁がしみこむように少しおいておきます。我が家は関東ですから醤油は真っ黒(笑)白醤油(薄口醤油)はないので少し彩が悪い。薄口醤油をお勧めします。。。。。また、ガンモドキの油が気になる方は一度熱湯をかけて油抜きをしてもいいとおもいます。
小松菜をさっと塩茹でしておきます。3月ぐらいなら菜の花もいいですなぁ。。。。
器にガンモドキをいれ(少し汁をきったほうがいいです)小松菜を添えます。その上にガンモドキを煮付けた汁に少し砂糖や味醂を入れて甘めに味付けをして片栗粉でとろみをつけたものをかけます。その上に大根おろしを乗せて、おろし生姜も少々乗せブロッコリースプラウトを散らして出来上がり。熱々でなくてもおいしいです。
朝刊に破綻した日本航空の記事があった。
再建のために国内線国外線の路線を縮小するという。
昔国鉄の民営化というものがあったが構図は同じだろう。JR本体は幹線路線に集中をし、地方の路線は廃止されるか第三セクターとなった。日本航空の場合は少しやり方が違うが、結果としては地方路線の廃止に向かっている。今地方空港の運営が問題になったり茨城の空港の状態が問題視されている。相乗効果どころか相乗退化をする航空路線。
民間活力の導入といわれてから30年以上が経過しようとしているが、この民営化がどのような作用をしたかの検証が必要だろう。それは郵政の民営化問題と道路公団の民営化を考える上でも重要である。
そこには地方格差や所得格差のそれぞれの格差を拡大する傾向を見せる。中国においても年と農村の格差拡大が問題となっているが、経済成長率からみれば都市の豊かさを地方の農村にもという発展過程での格差と見ることができる。しかし日本、先進資本主義国といってもよいだろうは、経済成長率が横ばいあるいはマイナスとなり、豊かさは一方における更なる豊かさと一方における貧困の拡大となっている。これは、市場原理の矛盾としてデフレとインフレの同時進行をもたらす。
非合理的な公的企業の民営化での国家予算の削減という民営化だが、結局は格差拡大による福祉や社会保障費の拡大という国家財政の危機が問題視されるようになる。
ここに抜け出せない矛盾に迷い込む。
社会が発展をしていけば、都市に人口が集中をしていくことは避けられない。またそれが合理的でもある。しかしこのようなことが矛盾にさらされる人々の犠牲において進む。放任される市場はあらゆる無駄を作り出していく。国家は退化していく。
国家の仕事は、計画性にある。やはり新聞によると、国民の幸福感の調査では日本はだいぶ低くなっている。物の豊富さはあるが、先が見えない。年金や子育て、就労問題や賃金、環境京問題。。。。などなど。どこにも計画性が見えないのである。
安定成長化の発展、それを一部のものに富を集中させることではないだろう。
【2011年】ツイッターつぶやき
先日こちらに増税や新たな国債による国民負担や借金を増やすより外貨準備高(アメリカ国債)という貯金をまず使うわけだと書きました。でもこれは素人考えかとも地震がなかったのですが、どうも2008年当時は民主党も10年間に段階的に外貨準備高を減らして一般会計にと考えていたようです。
ロイター通信
民主党関係者のブログ?
ですから今の震災復興や原発事故の処理や保障にどうしても国の財源が必要ならば外貨準備高を切り崩すということはやってできないことではないということであり、少なくとも運用益や余剰金?といわれる19兆円は使える金かと思います。
しばらくの間でかけてきます。。。。どもども
【2012年】ツイッターつぶやき
今、政界では原発の安全性よりも電力の確保のためにという理由づけでの再稼働が進められようとしている。安全性と経済性を一緒にした議論でしょう。この議論が原発事故以前からずっと続いていたし経済性が安全性よりも優先していた。
脱原発の難しさです。
国民意識では脱原発に向かっているが、原発を誘致している市町村では選挙ともなれば原発維持派の首長が勝つ。なぜかと言えば原発産業なしにその市町村の財政が成り立たないからと。
脱原発への電力確保やこの原発マネーに依存した財政などこの経済面での脱原発が求められますね。
しかし短期間にはこの原発マネーに依存はできますが、長期的に見れば原発産業(国内向け)は斜陽産業として見た方がよいでしょう。ですから近い将来には原発マネーに依存しない財政が求められることになります。今の政府も原発に依存しない社会をまだ捨ててはいません。また原発のない市町村損はたくさんあるわけで、その市町村は苦しい中でやっている。この意味で経済や財政から見たもう一つの脱原発の必要性が求められています。
このような中、「脱原発を目指す首長会議(連合)」が70人以上を集めて総会が開かれたという。
「地域住民が棄民にされる不安を感じる中、どうして再稼働なのか。福島で起きたことを全く学習していない。原子力政策を大きく転換しなければならない現実を全国に知ってほしい」と。。。
一度事故が起きれば原発マネーなどは何の意味もなくなる。棄民される。この決意と同時に財政面での脱原発を進めねばならないでしょう。
【2013年】ツイッターつぶやき
中国の新しい五か年計画は成長路線は維持しつつも国内の生活格差を是正する方向に向いたと思うが、今朝の朝日新聞5面「限界にっぽん(国内に残すなら賃下げ)」という記事があった。IT産業だがそこでは賃上げが続いてこのままいけば日本を超えるという。賃上げ傾向になっても豊富な人材で日本企業もそこに依拠せざるを得ないようだ。この労働者の賃上げがどこまで全産業に行き渡り農民なのでに行き渡るかが課題なのでしょう。
逆に日本では昨日「日本的デフレ」で書いたように日本だけが何故デフレと騒ぐようになったのかといえば、先進国の中で賃下げで企業利益を確保しようとしているのは日本だけで、賃下げが続いてそのために個人消費は弱まり商品の価格はその競争により値下げされていく。
上にリンクしたネット上の記事では載っていませんが、紙面では「もうけ給与に回らず」と題されて、従業員給与・もうけ(経常利益)・株主への配当のグラフが載せられている。かぶぬしはいとうはおおきくふえ、もうけもそこそこに増えたり維持をしているが、賃金だけが減少するか横ばいである。また、大手企業の男子の正社員平均給与は、2001年と11年を比べると45歳からの高齢者の賃金が大幅に下がっている。記事にはないが、これに加えて正社員数が減り続けて不安定雇用での低賃金層が増えているわけですから、日本の労働者の賃下げは顕著なものと言えるでしょう。
この中で、アベノミクスがはじまったわけですが、日銀資金は株式に回りやはり賃上げはされていない。さらに労働の規制緩和が入るわけですから賃下げは大きくなるでしょう。企業を「国内に残すなら賃下げ」といった論理がこれからも続いて中国の労働者に追いつかれる方向に向かいます。
しかしこれで日本経済が救われるのかといえば、賃下げで企業利益を確保していくという方法は、ある意味安易な方法なのです。上にも書いたように日本企業は中国のIT産業の労働者の賃金が上がり続けても中国に依拠せざるを得ないというのはどこから来るのでしょうか?ここではすでに競争は賃金の低さにあるという時期は過ぎて産業自体の構造に違いが出たという事でしょう。
日本企業はすでに賃下げによる利益確保や株主配当の増加には限界が来ているのではないでしょうか。デフレの脱却は進まずに国内消費は下がり続け、その上消費増税がやってくる。
このような日本と中国との今後の競争はどのようになっていくでしょうか?
日本的デフレは深化していき、政治的には改憲だとか教育問題だとか国民の主体性を大きく失うような方向に向かう。そして外交では日本的な国家観の変化が微妙に周辺国との溝をつくる。
【2014年】ツイッターつぶやき
2014年 春
毎週火曜日の朝のデータを追加していきます
2014年3月25日。。。基礎データー
体重:67.7
BMI:23.4
体脂肪率:19.8
筋肉量:51.5
内臓脂肪率:12.5
基礎代謝:1475
体年齢:-13歳
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4月29日
体重:65.9(-1.8)
BMI:22.8(0.8)
体脂肪率:18.5(-1.3)
筋肉量:50.9(-0.6)
内臓脂肪率:12.0(0.5)
基礎代謝:1455(-20.0)
体年齢:-14歳(-1)
4月22日
体重:65.9(-1.8)
BMI:22.8(0.8)
体脂肪率:19.4(-0.4)
筋肉量:50.4(-0.9)
内臓脂肪率:12.0(0.5)
基礎代謝:1439(-36.0)
体年齢:-13歳(0)
4月15日
体重:66.0(-1.7)
BMI:22.8(0.8)
体脂肪率:19.3(-0.5)
筋肉量:50.5(-1.0)
内臓脂肪率:12.0(0.5)
基礎代謝:1444(-31.0)
体年齢:-13歳(0)
4月 8日
体重:66.5(-1.2)
BMI:23.0(0.4)
体脂肪率:20.0(+0.2)
筋肉量:50.4(-1.1)
内臓脂肪率:12.5(0)
基礎代謝:1443(-32.0)
体年齢:-12歳(+1)
4月 1日
体重:67.3(-0.4)
BMI:23.3(-0.1)
体脂肪率:19.5(-0.3)
筋肉量:51.4(-0.1)
内臓脂肪率:12.5(0)
基礎代謝:1471(-0.4)
体年齢:-13歳(0)
人の社会全体もそうですが経済というものも人の営みから生まれるものです。
この人が作り上げている経済に貧困化というものがありますから貧困化そのものもまた人が作り上げているということになります。
しかし人はこの貧困化を良しとはしないでしょう。ではなぜこの貧困化を悪とするのに人は自らが貧困化を生み出してしまうのでしょうか?
それはそのそれぞれの時代や条件により社会が生産できる富に限界があるということと、その富の配分関係にあります。もちろん財前提としては自然の中に人の社会もあるのですからこの自然の条件で富の量も制限をされます。これはいつの時代においても変わりないでしょう。しかし人はこの自然に自ら働きかけることによってある程度は「自然のままに」という動物とは違った形でこの自然の限界を克服することができます。ですからここではこの自然の条件は考えないこととして、その限界内に営まれる人の生産は社会そのものに内包する生産される富の限界とその富の配分関係を見ることにします。
社会において生産される富の限界は、先ほど書いた自然への働きかけとしての科学の発展に依拠しますしその科学技術が劣る場合は富の生産に大きな制限が出るのですから、今の世界全体を見てもその制限はアンバランスとなります。その制限が強い社会においては貧困化も大きくなります。(もちろん今までも今もグローバル化の中にありますから途上国の貧困は先進国がその富を吸い上げるならばその途上国の貧困は世界規模の富の配分からの貧困化となることはいうまでもありません。先進国が低賃金層を求めて途上国に進出するというのも同じです。)
しかしこれだけを見て貧困化というものは考えられないでしょう。その社会においての富の配分関係によりはじめて貧困化は生じるのです。途上国においてこの富の配分が平等に行われていれば先進国に比べれば貧困はありますが、その途上国内においては貧困化は生まれないでしょう。逆に先進国は途上国に比べて豊かさがありますが、その富の配分が不公平な形で行われるならばそこには貧困化が生まれます。ですから貧困化は貧困率という率で表されます。先進国内で貧困とはいえ途上国の貧困よりは豊かだという見方が一般的ですが、それで自分は貧困ではないとは言えないわけです。自分がいる社会の中での貧困化が問題なわけです。社会の中で生産される物やサービスなどはたくさんあるのに自分がそれを受け取ることができなくなった。それはやはり貧困化なわけです。
社会そのものそして経済も人の営みから生まれる。しかしなぜかその経済の中で貧困化が生まれる。その貧困化は社会関係の中での富の配分の不平等さから生まれる。結局は貧困そのものや貧困化はその配分のやり方を支配する社会の形態による。ですから貧困や貧困化はやはり人の営みの中で作りださえれ散るものだということです。そうならばこの社会の中で貧困や貧困化を個人の責任としては見ることはできないでしょう。貧しくなるのは自分の能力不足だといった考えは捨てるべきです。もちろんこの能力の違いによる多少の格差は否定できませんが、その格差が貧困を生み出すというのもまた否定されるべきなのです。
東京ミッドタウンの芝生広場で銀色夏生さんの詩の朗読がありましたのでいってきました。もちろん銀色さんご本人の朗読です。
今にも雨が降りそうなどんよりとした天気でしたがたくさんの人が芝に座って朗読を聞き入っていました。
朗読された詩集は。。。。 「自選詩集 丘をバラ色に染めながら」(角川書店)でした。
銀色さんの詩は恋の詩として素敵なのですが、ただ単に甘い恋の詩だったならば好きにはならなかったと思います。恋の詩の中に心の普遍的な動きがあります。心の中に沸き起こる矛盾が統合されたり新しい気持ちがそこから沸き起こる。すっと変化する心の動き。。。。
それは詩情として短い詩としても表現されます。哲学的な言葉でもなく論理でもない詩情です。ですから逆に心にしみこんでくるのでしょう。
芝生広場の横に飲み物が売られていました。。。。「森林の香りのハイボール」を飲みながら聞いてました。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
再録(2012年記)
以前にも何度か書きましたが、企業が労働力という商品を買って消費するときにも消費税を導入すべきです。特に今後消費増税が避けられないというならなおさらです。
消費税が8%になった時点で賃金にも5%の消費税を導入して年収300万円程度のサラリーマンの消費税15万円はサラリーマンの益税にする。300万円を超えた部分の消費税は国におさめられる。こうでもしないと景気回復や国の財政難の解消はないでしょう。国におさめられた消費税は苦しい零細企業などの賃金消費税の一定額を還付するとか。
サラリーマンの益税部分は減税という効果のあるものにしてもよい。その時この額を国債でとすればどうなるか?企業が賃金消費税分を日銀も含めて銀行などから買う。それをサラリーマンの所得税として国におさめる。サラリーマンは減税効果と同じように15万円を受け取り、国には国債が帰ってくる。もちろん15万円を超える部分も国債で。国に入る現金としての税収が減りますから国に帰った分の国債を国債費に回して国債費分を現金としての税収にする。このような国債の流通というのはできないものでしょうか?
国債の流通も下手をすればすごいインフレを起こしますから限定的な流通使用として。
このような賃金消費税というものは今の企業の状態からでは無理だと笑われるかもしれませんがそうでしょうか?
消費増税は景気の回復がなければできないと言います。増税されたときには景気回復があるわけですからその恩恵をサラリーマンにも回さなければならない。景気回復時にこそ賃金消費税を導入すべきでしょう。景気回復が企業の内部留保や海外への設備投資(中国がだめだからミャンマーにとか)に回るだけなら国内の消費は伸びずに景気回復は長期には続かないか国民生活には関連しないものになる。先のイザナギ景気を超える長期の景気といわれた時も国民生活には波及しなかったし。結局は景気の後退に入ってデフレは克服されなかった。
【2017年】ツイッターつぶやき
国会の中も討議をすることは形として行うことにより民主主義だとされる。しかし多くの文書「ノリ弁」であったり、討議途中で討議は尽くされたと強行採決される。多くの事柄について多数意見が常に正しいとは限らず少数意見に正しさがある場合がある。
このような決められる政治が数の力によると国民も勘違いをしてしまう。
しかしこの一見民主的であるかのように見える民主主義は暗闇の中に置かれた民主主義である。
国民は情報や知識を遮光された中の暗闇で聞かされる。
このようなものは一つの政治的方法として用いられてしまう。
国民に余計なことを情報と出せば混乱するとか、収拾がつかなくなるとか、あるいは国民は知らない方が安心する、ラックできるとか。。。。。
国民をないがしろにすることからの民主主義は政治の手法としては悔やみに国民を置くことになるでしょう。
国民のため、国民にとって悪いようにはしないとか。こうした口実はなにも政治だけとは限らず、いろいろな形や大きさの違いはあるにしても権力を持った人が持つ危険性なのです。
こういった人々は、意見や疑問が出ると自分の権力の座を否定されると勘違いをしてします。
権力者が暗闇の世界にさまよう。
【2018年】ツイッターつぶやき
先日書いた「南北首脳階段」の続きのようなものです。
なぜ朝鮮半島の非核化が必要なのか?
韓国と北朝鮮にとっては二度と殺し合う戦争を回避することにある。これは体制の違う二国間の問題ですから単純ではないが、同じ民族であり、先の大戦により分断された過程に過ぎないことから互いに戦争というものは回避しなければならないことが最重要でしょう。
この点については首脳会談後に北朝鮮の金委員長が次のように語っている。
「朝鮮戦争のつらい歴史を繰り返さない。韓民族の地で再び血が流れることがあってはならない」とした上で、「決して武力を使用しないことを明言する」 (聯合ニュース)
韓国の文大統領も同じ考えであることから共同声明が出されたと思われる。
南北の戦争は南北間の対立だけではなくて、それ以上にアメリカの国益にかかわっている。アメリカとの同盟関係のある日本も過去において朝鮮戦争特需があり、南北の分断が国益とするようなものがあったが、これをアメリカや日本は繰り返してはならないという事でもある。
今後日米間での首脳会談もあるでしょうが、アメリカも日本も朝鮮半島の平和を第一義に考える必要があり、そこに国益を優先させる言動があるならばそれは犯罪的である。朝鮮半島の平和を疎外するならば世界的にアメリカと日本が悪となるでしょう。韓国を苦しませてはいけないのです。韓国はアメリカと日本の協力を必要とするでしょう。それは軍事的同盟関係ではなくて平和構築への支援です。
日本は南北首脳会談から米朝会談も含めて、非核化問題で蚊帳の外に出てしまうかが決まる。北朝鮮への武力行使を含めた圧力において蚊帳の外にはいないという判断は間違いです。この認識が朝鮮半島の平和を脅かすのですから。朝鮮半島の平和構築のために具体的にどう動くかにより蚊帳の外ではなくなるでしょう。
日本は拉致問題を抱えていますが、これを安倍政権は日米軍事同盟を含めた圧力により解決をするという「積極的平和主義」をとりますが、これも誤りで、非核化への積極的支援により拉致問題の解決の糸口である日朝会談も行われるでしょう。
北朝鮮は信頼できないというものからは何も生まれません。ニヒルに信頼できないから離れるのではなくて(離れられる情勢でもない)信頼関係をどう強め宇の蚊という視点が大切です。そのためには国家主義はいりません。
【2019年】ツイッターつぶやき
これから国民健康保険の納付となりますが気が沈み込んでとても10連休だと浮かれた気分に離れませんね。
企業が加入する健康保険料も国民健康保険料も大幅に値上げがされるようです。
健康保険料の値上げは、すでに平均9000円増えて49万5732円となっていますが、団塊の世代が後期高齢者になる2022年度には52000円増えて54万8620円となる試算だそうです。
国民健康保険料の値上げは、居住している市区町村によって大きく違いがありますが、長い引用をさせていただくと次のような試算になるようです。
「2019年度以降、市区町村が「標準保険料率」通りに国保料(税)を改定した場合、全国の約8割の自治体で平均4万9000円も値上げになることがわかったというのだ。
この試算によると、たとえば東京都新宿区で「給与年収400万円・4人家族(30歳代の夫婦+子2人)」の場合、「2018年度の実際の国保料の額」は42万6200円だが、「2019年度の市町村標準保険料率で計算した国保料の額」(以下、2019年標準料試算)はなんと52万4700円
」(引用)
健康保険料は従業員と企業との折半ですから、個人としては上のような値上げ幅はないようですが、国民健康保険は企業の負担部分がありませんからすべて個人の負担増となります。今後この企業の負担分ぐらいは国からの負担増にすべきだと思います。
一方では後期高齢者の自己負担を1割負担から2割負担へという動きもあります。たしかはじめは自己負担ゼロでしたね。
そして今後消費増税に伴い初診料をはじめ医療費の負担は上がっていきます。
最近はジェネリックというわずかに安い薬が出ていますが、薬漬け検査漬けの医療は続いています。この面でも医療費の負担は軽減されていません。
もちろん1割負担や3割負担で医療を受けられ高額医療費の戻しもありますから、国民健康保険や健康保険の制度は維持されなくてはならないでしょう。しかしそうは言っても保険料が大幅に上がっていくことにより、特に国民健康保険の加入維持が困難になっていくでしょう。無保険者も増えて生きるための医療を受けられないという人も増加をします。保険制度という大きな建物を維持していく必要はあるが、その土台となる部分が崩れていく。
店のクーポン券があったので使ってみた。
10%割引なので嬉しい。。。。。
しかし買った全商品が割引になるのではなくてどれか一つの商品だけだと。
いろいろ買ってレジを済ませようとしてクーポン券を出した。
お店の人がにこっとして、「この商品が一番高いですからこの商品を10%引きにしておきますね🎵」と。
なんか、嬉しくなる。
そういえば宅配のピザというのはクーポン券があるとすごい割引になりますね。
でも、ピザ自体が高いですからなぁ。。。。。
店まで買いに行きもう1枚買うとその1枚が半額というのもあった。
牛丼屋さんのクーポンけっはおなじみですなぁ。。。。。
まぁ、嬉しくなる。
しかし日常行く店というのは限られているし、そうはクーポン券で解くという感覚はありません。でもポイントカードも併用するとポイントもたまりますし少し得した気分。
少し、嬉しくなる。
【2020年】ツイッターつぶやき
連休がはじまりましたなぁ。。。。。
休業しろとか不要不急の外出をしないようにとか、唯物論的に社会が動いていることを忘れた観念論がはやる。
基本となるのは三密を避けるということ。
ならば何も異常ともいえるパチンコ屋攻撃ではなくて、パチンコ屋でどう三密を避ける工夫をすることが大切。
国や自治体の責任であるPCR検査を日曜日には減らして感染者数が減り満足しているが、これをむしろ連休中に集中してできるだけ多く行わなければならないのです。
これを抜きにして社会生活を見ぬふりして国民一人一人の責任ですというのはひどい話です。
小泉政権後の自己責任国家は公助を抜きにして。
もうすでに遅いですが、密を避ける個々人の行動と同時に、公的な又は保健所・病院等でのPCR検査を安倍総理が言う2万件の検査能力を生かして集中的に検査を行うべきだったのです。
現実は検査も連休ですなぁ。
みんなが家に閉じこもれば三密状態は長時間となる。これが連休明けにどうなるか?
以上ツイッターから
この自己責任が強調される中、安倍総理は連休明けに感染が終息傾向を示さねば、
現在の緊急事態宣言でをもう一段強める意思を示しています。
政治がさらに悪い方向に向かうと同時に、国民意識の中には公園で子供が遊んで入れb警察に通報すると言った人も出ています。パチンコ屋が営業を続けていれば張り紙をする。こういった国民同士が監視し合ったり警察に連絡したりする行動がまた政治を悪い方向に向かわせる。
堤防で人がまばらな状態で釣りをしているとマスコミが押しかけて話をしているところを取り上げる。しかし話をしているところなど少し歩けばたくさん見かけるわけです。生活のために動けばたくさんあるわけです。
【2021年】ツイッターつぶやき
今日、東京都の新規感染者数が1000人を超えました。この数日を見ると100人ほどの増加となっています。加速度がついてきたのかもしれません。
陽性率も一時3.1%に下がったのですが現在は6.4%となっています。検査件数は横ばい状態ですが、この検査体制の中で新規感染者数は増加しているのですから陽性率は必然的な大きくなります。
感染経路不明も相変わらず多くなっています。
重症者数も徐々に増加しています。
一方緊急事態宣言が発令されていますが、連休初日は先の緊急事態宣言時よりも人出は多いようです。
連休中にコロナから避難という方もいるかもしれませんね。
大阪も相変わらず1000人を超える日が続いていますし死亡者数が今日は44人と急増しはじめましたが、東京や周辺県はこれからかもしれません。
これから連休ですから検査数が極端に減少するでしょう。すると新規感染者数も極端に減るかもしれません。それにより5月12日には宣言解除でしょうか。その時に陽性率がどれだけ上昇するか?去年と同じように10%程度の上がるかも知れません。そして無症状の市中感染者からクラスターも多くなると思います。そして時間差で重症者や死亡者が増え続けていきます。
【2022年】ツイッターつぶやき
東京は午後から雨風になりました。
北風がだいぶ強いので北側の部屋を見に行ったらサッシのガラスがびちょびちょ。。。。
雨の強いので吹き込んでいるのかと思い触ってみると、なんと結露が。
それも真冬の様にだらだらと流れる結露でした。
夜になり気温が10度まで下がっています。
室内との温度差が大きいのでしょうね。
5月5日がもう立夏ですなぁ。。。。。
この時期になると我が家もやっと炬燵をしまうのですが、今年はどうなんだろ。。。。
昼寝の時は炬燵の布団ぐらいかけたい気分。。。。
【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカの物価上昇率が鈍くなりつつあるようです。
個人所得の伸びよりも物価上昇が高ければ必然的に消費は低くなります。すると物価上昇かを抑えることになります。すでに銀行破綻が出ていますし、景気もリセッション化と言われていますから、消費を少なくして手元にある現金を使わない。たぶんローンなどの利率も高くなっているでしょうからこれも消費を抑えるしヘタをすれば自己破産も。
アメリカの経済の後退がはじまっているのかもしれません。