【2024年】ツイッターつぶやき
風のこないひなたに立っていると暖かいのですが、そこからコンビニまで行く間は北風ピューピュー。。。。
コンビニに入ってすぐのところに入浴剤がありました。柚子の在庫はないし。。。。思わずその入浴剤を買ってしまいました。寒い季節は入浴剤も売れるのでしょうね。
我が家はいつも柚子湯なのでほとんど入浴剤を使ったことがないのですが、風でかじかんだ手で思わず手にしてしまう。
いざ使ってみると、知ってはいたはずのあの蛍光色の色が。
余り気持ちがよいものではないですなぁ。柚子の香りがする柚子湯が一番です。
柚子湯に入ると皮膚がピリピリしたり痒くなることもありますが、湯船につかっている気持ちよさは格別です。
≪過去の記事≫
【2004年】
スーパーに行ってきました。
シーツがみんなぼろぼろになってしまったので家族全員分買って来ました。しかしビニール袋やボール紙やら包装がすごいです。一ゴミ出た感じです。
そういえば、今朝、妻がゴミを出し忘れていった。先週も出し忘れてゴミの山状態なのにどうするの?
布団を干しました。レンジのフィルター交換も。よく働いた・・・・ハハハ
病む月
集英社文庫
唯川 恵 著
10人の女性が登場する短編集です。
昔から幽霊といえば、女性・・・
武者など男の幽霊もありますが、情がらみの幽霊といえば女性です。幽霊がどうのということではありませんが、なぜ昔から幽霊といえば女性なのか、やはり昔から女性の情というものには特別なものがあったのだろうと想像します。
第1篇の「いやな女」からすさまじい女性の胸の内が表現されていきます。10篇すべてが、男女間のドロドロしたものからの女性の激しい胸の内ではなく、友達同士、母娘、嫁姑などの女性同士の激しい情や心の中を表現しています。また、子の病や死を通した母性としての激しい心。
解説にこの短編集は、男の作家が束になっても書けないもだと書いてありましたが、まさにそのとおりだと思います。
世の中に女性は生きている。この作品はどこで間違ってしまったのかけして幸福な女性ではありません。この女性たちに来る結末は悲惨です。悲惨な結末とまでは行かないまでも、100%幸せな女性はいないでしょう。そこそこに幸せに生活している女性でも、どこか心の片隅に持っている情を現しているのではないかと思います。自分では気づかない心の内側にある状が沸き起こり、やはりそれを無意識の中に感じている。そんな心のうちの情を改めて知ることになる作品なのではないかと思います。
もちろんこの作品は、唯川さんらしく男との恋愛もあり、金で女を囲う男や、ヒモのような男も出てきます。そして性も現されています。しかし、この作品では男はどこか通り過ぎていくといったようにしか表現をされていません。主題はやはりこんな通り過ぎて行ったような男を通しての時間の流れの中に起こる女性の内なる心です。
トップページの「ちんまりと」にも書きましたが、この作品に登場する女性たちは、ほとんどが30歳後半から40歳代と思われ、その女性たちが、これまでの時間が過ぎ去り、ふと今の自分を振り返り、この後の人生をどうするのかがわからないままにその情に支配されていく様子が描かれていrます。
唯川さんの「あとがき」には次のように書かれています。
「今年の春、実家の近くに花見に出かけたとき、咲き乱れる 桜を眺めながら、ふと、私はあと何回これを見ることがで きるのだろう、という感覚に見舞われました。」
これまでの人生をふと立ち止まって振り返り、そしてこれからどの道を歩けばいいのか、まるで霧の中にある道の先がどんな結末を迎えるのかが見えない。その中にいる女性たち。これがこの作品の主題だと思います。
この「これから」を見たときに、唯川さんが思うキーワードは「愛おしい」(あとがき)です。
作品は、すさまじい女性の情を描きながらすすみますが、短編の流れはだんだんと落ち着きを持っていきます。最後の「夏の少女」で、唯川さんの「愛おしい」が表現されていると思います。
死にゆく自分。。。。。
これも悲劇です。しかしこの悲劇の中に、もう一度自分の人生を愛おしいく見えてくる。死は必ず来る。これが近づくほどに愛おしさは募るのでしょう。
作品中の女性たちと同じ世代、あるいは今若いさなかに生きる女性、すべての女性に今を考えさせ、「これから」を思い起こさせるでしょう。夫や恋人、子供たち、あるいは人ではなくても、愛おしいという欠片でもいいから持てるなら、自分をも愛おしく「これから」を生きられるのではないでしょうか。
素晴らしい作品でした。
【2005年】
座席はいっぱいで、つり革にもだいぶぶら下がっている状態の電車の中。。。。そんな車内に乗り込んだ。ふと見ると、50代半ばぐらいのおばちゃんが座席に座り横にスーパーのビニール袋を置いていた。ちょうどもう一人座れるスペース。
あまりにも堂々とそのおばちゃんは本を読んでいた。その威風堂々さに誰も荷物をどけさせて座ろうとする乗客はいなかった。次の駅に着いた。するとやはり50歳前後のおばちゃんが乗り込んできて、無言のままにスーパーのビニール袋の上に座ろうとした。さすがに威風堂々のおばちゃんもあわてた。顔をひきつりながら袋をどけ、また読書。新たに座ったおばちゃんも憤慨した様子で横目でにらみやはり本を広げた。互いに本を持つ両者の肘が火花が出るほどにぶつかっている。。。。
すごいものを見た。。。。。
【2006年】
午前中は風が強く寒かったです。
そういえば春一番はまだでしょうか?
春風の悪戯などと言うとほんのり可愛らしく感じますが、これがまた曲者でして洗濯物は吹き飛ばされるし、目にはゴミなども入り眼病のもとですし、何よりもスギ花粉が舞い上がります。
そろそろスギ花粉対策に突入。。。(涙)
春風は小悪魔的な可愛らしさといったところでしょうか。。。ハハハ
寒く感じましたが、その寒さもやはり冬とは違いますね。。。
100円ショップで植木鉢や土、さび付いてしまった植木バサミを新調するために植木バサミも買ってきました。どれもやはり100円でした。消費税込みで840円。
春の花々が咲き終わったら植え替えをしようかと思います。だいぶ植木鉢が狭苦しくなった花がありますので。。。
アマリリスの球根を忘れていたようです。植え替えてみます。
【2007年】
寒さもひと段落かな?
午後からは暖かくなりました。日差しのある車の中はほっかほか。。。。
ベランダのミニバラの枝がだいぶ出てきました。花はいつごろになるんだろ?梅ノ木にも新しい葉が出始めました。毎日水を上げるのが楽しみです。この前、水をあげてぼうっとミニバラや梅、羽衣ジャスミンの新しい芽を見ながら、土の力や植物の不思議を考えていました。このぼうっとした姿を娘が発見をして「お父さん、大丈夫?」と。暖かくなって頭が変になったと心配かな?(笑)
ぼうっとしている用でもお父さんの頭の中は回転をしているのだ!!
ヘックシュン!!
花粉を吸い込みくしゃみと鼻水をたらしながら部屋に入ったときには、われながらあほ面をしていたかな。。。朝のうち鼻水がとまりません。
「ひとり日和」 青山 七恵 著
人は、今を生きる。
もちろんこれまで生きてきた時間の蓄積の中に生きるし、残された未来に思いを馳せながら未来に向かって生きる。
しかし現実は今という時間である。
未来は今という時間に現れ、今という時間は過去となって流れ去る。
まるでネオンサインのように時間の流れの中に今という時間を見る。今という一瞬の時間。。。
吟子は、知寿より50年長く今という時間を通り過ぎて生きてきた。未来に残された時間はそうは長くない。知寿は、まだ20年という時間しか通り過ぎたに過ぎなく、吟子のようにこれから50年という未来の時間を生きる。祖母と孫という年齢の違いの二人の「女」の同居は、のほほんとした時間の流れの今という時間を共有していく。
知寿にとって吟子は遠い親戚にあたるが血のつながりはない。吟子が生きてきた時間の流れにたまたま知寿との縁が生まれる。縁は今という時間を共有させる。
知寿は、母親との二人の生活だったが、母親が仕事で中国に行くというので吟子さんのところに預けられるような形になったが、これもまた母親と吟子との過去の縁からである。この縁につながれて遠い中国で生活するとはいえやはり母親も今という時間を知寿や吟子と共有している。
吟子は、「ほうすけさん」と恋をしている。母は、中国に恋人ができたという。もちろん吟子も藤田君と恋をする。親子三代というわけでもないが、世代それぞれの恋がある。そこに世代それぞれの「女」がいるわけである。
人と人とのそれぞれの縁のつながりはあるが、それぞれは「女」としては一人である。先に読んだ川上弘美さんの「真鶴」では、ちょうど知寿の母親の世代の「女」を描くが、「ひとり日和」は、「真鶴」での「百」の世代から「女」を描く。この視点から読んでも面白いものがある。
知寿は、知寿に隠れて知寿の化粧水を使っている吟子を見る。母親が一時帰国をして知寿と会っているときには剥げかけたマニュキアをそのままにすごすが、恋人のいる中国に帰るときにはそのマニュキあがきれいに塗りなおされていることを見る。そんな吟子や母親を見て、知寿はどんよりと冷めた目で「女」を見る。知寿は、いろいろ縁あってつながってはいるがそんな吟子や母親を一人の女として見たとき、自分は一人で生きていることを思い知らされる。ここに知寿の「ひとり日和」があるのである。
知寿の恋は、どうもうまく行かない。
知寿は吟子や母の恋に嫉妬すらする。
自分は恋をしているがその恋は本当の気持ちだろうか?そもそも恋をしているのだろうかと自問すらする。
どうも成り行きに任せて時の過ぎ去ることを待っているというような日和見のような恋ではないか。。。。
ここに自分の恋の自信が揺らぎ、吟子や母の恋に嫉妬をする。
失恋をした知寿は吟子に訊く。
私は少し変わったかな?と。
吟子は答える。
たった半年だけじゃ変わるものではないよと。。。。
知寿は失恋で女を磨いたように感じたのか?20年でもその時間は知寿を子供から少女へ、少女から大人へと目に見えるように大きく変化させてきたし、その時々の思い出とともに思い出の品を小さな箱に溜め込んでいたが、しかし一旦大人になってしまえば大きな変化は短時間の中にはない。自分が本当の大人の女となるために時間の過ぎ去ることを望む。しかし現実は、成り行きに任せざるを得ないし時間が過ぎ去ることを待っているようなものである。たくさんの時間を未来に持つ知寿だが、その時間をもてあましている。
この作品は、のほほんとした風景とそのゆったりとした時間の流れの中に、その対照的な知寿のあせりのようなものを描くき、それ自体が若い女性の心の中であることを描く。これは恋だけではなく、今という瞬間の時間の中に若い人が誰でも持つアンニュイのような心定まらないものと、気の遠くなるような時間の流れとしての未来に向けての自分が定まらない焦りを良く描いているのではないか。
恋人の藤田君は、吟子の家に来ているうちに「この家にくると老け込んでしまう」というようなことを言うが、知寿は、この家を愛することに気づく。のほほんとした風景とゆったりとした時間の流れを。このとき知寿の心は藤田君という若いだけの男から離れる。このとき初めて知寿はひとつ女を磨いたのである。知寿と言う若い女性が大人として成長するということに気づきそれに向かってゆったりとした時間をすごそうと思ったときの変化が読者を感動させるのでしょう。
この変化は、自分を見つめる知寿の心にあるわけですが、そこには吟子や母親、ほうすけさんという縁があるわけで、吟子の家があるわけです。
知寿は吟子さんに自分の若さを見せ付けたり意地悪をするが、吟子は動じない。
若い頃は、社会に反発をし、それは身近な人としては親や祖父母という世代への反発だが、自分がその中で生きている現実と、いろいろ縁あって人との交わりの中に生きていることに気づいたとき、反発をしていた人々を一人の人間、「女」と見ることができる。
作品の冒頭
「あの人、もうすぐ死にそう。来週にでも。」
というショッキングな言葉が出てくる。
吟子ばあちゃんがいつか遠くない時期に死ぬだろうというのは事実である。
しかしこの知寿の言葉は、知寿が始めて吟子の家に来たときの心の中と、巣立ちをするように吟子の家を出るときの知寿の心の中とでは違うだろう。同じ事実を見つめる心に変化があり、その変化がこの作品の主題ではないだろうか?
<選評を読む>2007年2月28日 記
「ひとり日和」は、「文芸春秋で読んだが、選考委員の選評が載せられている。
この選評を読み感じたこと。。。。
淡々とのほほんと流れていく時間の中に知寿の心の変化を見るという面では、その表現方法に文章として直接的に知寿の心を説明することではなく、行間を読ませるいうのか、文芸作品としてのうまさが評価されている。それは、吟子の家の庭から見える駅の風景にひとつの絵画的なイメージを読者に与え、その風景が知寿をのほほんとした時間の流れの中に置くが、外界との接点を見せている。
もっと退屈をさせない刺激的なものが必要というものもあるかと思いますが、僕としてはこういう表現方法は好きです。
多くの選考委員の意見に共通しているものの中に、20歳の若い知寿の倦怠感というようなものと外界へ巣立つ危うさというようなものを書いていると思うのですが、この倦怠的とも見えるものがどこから来ているのかということを読者は考えるでしょう。
よく、平和ボケだとか、裕福さへの慣れだとかいう言葉を聞きますが、たしかに、今の日本の平和な生活や裕福さを自然にあるものだと思い込むようなボケはあるものの、そうは裕福ではなかった時代から若者特有の倦怠感というものはあり、むしろ自分の心の中と、実際の社会という外界とのギャップの中においての倦怠感があるのかもしれない。こういうものは若者特有のいつの時代にもあるものではないか?
本来、社会が発展していけば平和な生活と豊かさが増していくはずだが、それが平和ボケだとかいう人を倦怠的にしていくというならどこに社会の発展を見るだろう?平和で豊かになっていくなら、それに見合った外界を作らなければならない。平和で豊かといわれても、ふたを開ければ奴隷のように働かなければならない現実と、その一方での失業があるわけで、このようなギャップ自体が人の心を倦怠的にする。
外界に向き合った若い人が自分を生かせるような生活全般を平和で豊かに過ごせる外界の形が必要になってくる。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
(記事なし)
【2011年】ツイッターつぶやき
以下、今日ツイッターに書いたものをまとめました。
どうも消費増税の掛け声は衰えはじめているようです。しかしその腹いせのように毎年1兆円づつ増えると言われる社会保障予算を抑制すると。。。。
日本の民間企業に勤めるサラリーマンの給与総額は、200兆円ほどといわれています(ネット調べ)。この給与とは、労働力商品を買った額ということになりますが、労働力商品を買っても消費税がありません。そこでこの労働力商品にも消費税をかけてみましょう。
総額が200兆円ですから消費税の税収は10兆円伸びます。現在消費税を10%にということが言われていますが、それは5兆円ほどの税収が必要ということだと思いますから、労働力に消費税をかけることで十分補えます。
必要分5兆円を差し引いた残りの5兆円は、サラリーマンへのある程度の益税として認めてたり、零細企業などほんとに苦しい企業の負担する労働力消費の消費税をある程度消費税を還付したりすることができます。国は税収が上がる、サラリーマンへの益税は消費を伸ばす。。。。。
では、企業の負担という面ではどうでしょうか?今春闘が行われていますが、消費税を給与にもということは5%の賃上げと同じなわけです、でもそれはサラリーマンも少しは我慢をして国の増収に協力する。この5%程度の賃上げというのはそうは無理な数字ではないはずです。
賃上げという場合はその中身には企業の業績というものが入り平均化されませんし、雇用形態での差別もある。そこで消費税を導入することで平均化された企業負担となります。資本主義は競争社会で企業間競争原理が働きます。その競争の弊害の部分を補い平等化された負担とできます。
そして労働力消費への消費税導入は、今後の消費税の増税議論を慎重にさせるでしょう。企業の意向が強く働く政治ですから、労働力への消費税導入は、財界も消費増税を簡単に言えなくなるでしょう。税とその支出は所得の再配分とも言われています。その意味でも必要なわけです。
そんなものは空想だという方もいらっしゃるかと思いますが、このぐらいの大胆な政策を行わないでいつまでたっても国民は我慢をしろとか自己責任だとかいう新自由主義煮の呪縛から抜け出せないとそうとうひどい状況に国はなっていきます。国だけではなくて国民生活はなおさらです。
国や国民生活の安定は必ず企業の健全化を生むでしょう。
サラリーマンの平均給与(年)は、450万弱だそうです。そのうち200万円の消費税10万円は一律益税とするとします。そうすると、20歳代の平均賃金が260万円程度だそうですから、20歳代はほとんどが益税という形での増収になります。
一律益税部分300万にしても国は税収増となります。サラリーマンもその収入によって益税の率に変化が出てある程度累進性を設けることもできます。
もちろん、企業は労働力への消費税ができれば賃下げを行うかもしれません。でもこの賃下げはすでに行われているものであり、消費税を理由にした更なる賃下げに対しては、それが全体的なものになり明らかになった場合は罰則的な消費税率像は必要でしょう。
中国をはじめとした急成長をする発展途上国のバブル化が心配されバブルの崩壊もあります。そのときに企業はまた国に救済を求める。しかし今のままでは企業を救済する体力が国や国民にはなくなってきちゃいます。バブル自体が金融や資本輸出にそして輸出依存にその原因があるとすれば、馬鹿げたことです。
国内消費に目を向けながらの国際競争力を全体的に考えなくてはならないでしょう。そのためにも労働力商品を買った場合にも消費税を納める制度は有効なのです。それが国も国民生活も将来的には企業も守ることになります。
社会保障制度や保険制度は社会主義政策だといいった意見もありますが、それならば次のバブル崩壊時の前に株主責任法を強化してその責任を明確にし実施して、破綻企業国営化(今までの一時的な株国有制度ではない)をつくりほんとに社会主義とならねばならないでしょう。
あとは労働時間短縮による(もちろん時間外労働やサービス残業なども含みますが)雇用増が必要です。ドイツにできて日本できないわけがありません。あと、書き忘れましたが、今まで書いた「サラリーマンの労働力を買ったときの消費税」とは、とうぜん派遣やパート・アルバイトの時間給も含みます。
久しぶりにオカラを煮ました。
スーパーで45円。すごくたくさん入ってました。。。
材料は、オカラ・ゴボウ・にんじん・糸こんにゃく・油揚げ・長ネギです。
ゴボウは笹がきにし、にんじんは細く切っておきます。ゴボウと糸こんにゃくは空くアク抜きのために少し茹でておきます。油揚げは味噌汁に入れる程度に切り、長ネギはみじん切りです。
フライパンにごま油をひき、ゴボウ・にんじん・糸こんにゃくを炒めます。少し塩コショウ。少し炒めたらオカラを入れて少し炒めします。
炒めたらそこに出し汁(今夜は鶏がらスープを使ってみました)を少しビチョビチョになる程度入れて砂糖・塩・味醂・醤油で味付けをします。煮詰めていきますので少し薄味。
煮ながら油揚げと長ネギをいれて水分を飛ばしながら炒めるよう煮詰めて出来上がり。
醤油の色が気になりますので醤油を少なめにして塩で味付けました。甘めの味付けです。
おいしいです。
【2012年】ツイッターつぶやき
高度経済成長と福祉国家論は並行して存在をしたと思うのですが、そこには東西の冷戦があり国民生活の向上を目指す社会主義(共産主義)の発展の中にその対抗策としてという意味においても福祉国家論はあったと思います。
福祉国家はもちろん国民の生活の最低限を確保するとともに働けなくなった時や老後の生活の保障に欠かせない国家的な政策です。同時に資本主義における企業としてもその負担はしつつも失業をさせたときや低賃金で雇用を行おうとしたときにその人々の最低限の生活を国家の手で行わせるのですから良い制度だったわけです。ですから福祉国家には良い面はあったものの国民生活が落ちて貧困層が増えれば国家財政に響くなどの矛盾を抱えたままの国家制度だったわけです。
また福祉国家論とともに国民生活の利便さを求めた公共事業というものも同じ根っこを持ったものでありました。むしろ福祉国家よりも公共事業が優先されてもいました。
バブル崩壊後の経済の混乱とデフレ、その中での雇用の不安定性と低賃金化などにより社会保障で国民生活を支える限界も見えてきました。一方では新自由主義は市場に任せるとして経済は無政府性を強め国民には自己責任を言うようになります。金融市場が独り歩きをした中にすべては金融商品化をされその中に国債の役割も大きくなる。金融商品での利益が支配的になってきます。その中での更なるデフレの加速です。
今や社会保障制度が破たんをして公的社会保障が個人責任の保険商品になろうとしている。
このように福祉国家論は破たんをしていきます。
この中に保守としての二大政党制の混乱と破綻が政治面で伴いながら進みます。その中で基本的にはさらなる新自由主義の新たな形として古い資本主義に戻ろうという新保守というのでしょうか、これまでの穏健的(福祉国家論的)保守に替わる勢力が出てきています。次の選挙にはある程度の議席が生まれるでしょう。その新保守主義は、今の国会を「決められない民主主義」としてとらえて決められる民主主義を言います。本来は決められない中に民主主義の形骸化があるわけですが、そうではなくて決められる民主主義として強権的なものを据えていきます。社会保障制度は後退をしていくことでしょう。国民生活の格差はさらに広がり、社会保険は自己責任として進むでしょう。
福祉国家に替わる資本主義のy食えとしてはこのような新保守の動きが明確です。しかしこれは古い形の階級制をあらわにした資本主義の復活でしかなく、発展ではなくて後退でしょう。
福祉国家に替わる更なる資本主義の発展としての社会民主主義がまだ弱い。
【2013年】ツイッターつぶやき
昨夜は生ガキ風の酢味噌和えをつくりました。
牡蛎はスーパーにある生食用の大きな牡蛎を使いました。
牡蛎を潮で洗ってから水でよく洗い、片栗粉をたっぷりまぶして酒を入れた湯で茹でます。それを見ずに入れて冷やしておきます。
きゅうりの塩もみと長葱を焼いたものを添えました。
後は、味噌・酢・砂糖の酢味噌をかけるだけです。
牡蛎は片栗粉をまぶして茹でると小さくならずにジューシーに茹で上がります。生ガキ風です。。。。
朝日新聞19面のインタビュー「経済学は無力化」(斉藤誠さん)は面白かったです。
経済学は物理のような明確な指針は出せるものではない。エリザベス女王が「なぜ危機を予測できなかったのですか」という経済学者への質問に誰も答えられなかったという。
ケインズにしても不況期には政府の財政で公共事業を行うという経済政策を出すが、今のように国家の財政危機を招くことにも通じた。好況期に国家へ金が返ってくる方策はなかったのではないか。結局は経済学も政治とのかかわりの中での限界もあり、その政治は企業などの論理で動くとすれば経済学は企業論理で動くという事である。だから不況時には国家財政を使うが、その金は戻ってこない。国や企業論理の中では理論通りにはいかないのである。
民主党がある程度正しいマニフェストを出したとしても経済が企業論理で動けばその政治は失敗するし、経済学の不在ともなる。
一方では経済学自体がその役割を拒否するような経済学をうちたてて市場に任せればよいといった新自由主義が生まれる。
結果は貧富の差の拡大やギャンブル資本主義に走り市場追随といってもよい混乱が生じる。
経済学は人の欲望とその欲望を実現するために必要とされる論理をつくるものになってしまったのである。ここに経済学は無力となる。
資本主義経済の枠内において利益を得る者が自由に経済学をつくれるといった神話も生まれる。
しかしそういった経済学の変質が経済そのものを混乱させてしまったという事でしょう。この混乱を理論化したのがマルクス経済学だったのでしょう。
経済学の「武器は秩序感覚」だと斉藤さんは語る。
資本主義経済に秩序を持たせるには何が必要かということでは、政治やそれを動かす企業論理から一度はなれる必要があるのではないか。純粋な経済学が必要という事でしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
「消費者物価コア指数のみ参照せず」という日銀の審議委員の方の意見だ出ている。
日銀は生鮮食料品を除く物価のコア指数だけではなくさまざまな指数を見ていると。その中で生鮮食料品を含めた生活実感に近い総合指数ではすでに物価目標の2%に届くほどだと。
コア指数では2%達成は無理ではないかといった考え方もいろいろなところで出ていますから総合指数を持ち出して2%達成という日銀の責任は果たしえるという見方もできるでしょう。しかし消費増税による物価上昇もあるわけですから同時に物価の予想以上の上昇にも目を向けなければならないということも語られています。2%をはさんだ上下の数値が金融政策の視点となる。
しかし問題なのは総合指数で見れば2%達成に近くても景気は株式市場での景気や高級品の売り上げだけにしか見えておらず本格的な景気回復には至っていないという現状です。これは物価上昇2%目標の中で景気は回復するといった神話の崩壊でもあります。安倍総理も「(経済の)好循環」の中の賃上げを言い、日銀も本格的な景気回復には賃上げを言う。同時に日銀は国家財政の健全化も景気の回復の目安と見ているのでしょう。2%の物価上昇のための金融緩和を行い総合指数では達成しつつあるが景気は回復はしていない。2%以上のそれも生活実感に響くような更なる物価高は消費を減少させますから層は追加の緩和はやりにくい。ここに日銀のジレンマが合うのではないでしょうか?
賃上げも一部の企業にとどまりその賃上げの多くの企業への波及はアベノミクスの中では具体的な政策はない。最低賃金の引き上げも安定した雇用の確率もない。逆にさらに不安定雇用は増加をするのではないかと思われる政策が続く。それが第三の成長戦略にも含まれるなら日銀の金融政策も実を結ばないでしょう。消費増税は社会保障と国家財政の健全化には使われずに公共事業などにより消えてしまう。やはりここでも国家財政の健全化は見えないわけですから日銀の金融政策は実を結ばない。更なる金融緩和なのか。。。。しかしすでにアメリカでは出口論が議論されていて今以上の円安誘導にはアメリカも難色を示す。
早い話が日銀の金融政策とアベノミクスの思索政策は乖離していくということではないでしょうか?
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
東京を見ると昔はどこにもたくさんの喫茶店があった。
しかし今はだいぶ少なくなりましたね。
おしゃれな安いコーヒーショップが増えてコーヒーだけではなくてハンバーガーとかサンドイッチも食べられる。こうなると昔ながらの喫茶店は競争に負けます。
しかし最近ではほとんどのコンビニで100円コーヒーが飲めるようになった。そして店内に狭いながらも喫茶室が作られて買ったサンドイッチなどを食べられます。スーパーでも喫茶コーナーがあったりしますね。そして100円コーヒーも置いてあるところも。あまり金を使わないで昼食というならコンビニやスーパーで十分でしょう。
こうなると、弁当屋さんとかにも喫茶コーナーが作られたりするのではないでしょうか?
やはりコーヒーは100円というイメージが強くなり、200円300円となると高く感じるようになるのではないでしょうか。
うまいコーヒーというのは専門店に行かないとのめないものですが、ちょっと飲みたいと思ったときには100円コーヒーで十分なわけです。車ではなおさらドライブスルーだけでコーヒーだけというよりもコンビニのほうが敷居が低いです。
コーヒー1杯でもデフレが激しい中では市場の中を目まぐるしく移動していきますね。
子供のころ、絵が苦手で恥ずかしい思いをたくさんしてきた。
成人してから絵がダメなら写真ならどうにかなるかと思ってはじめた。
しかししばらくして悟った。。。。
絵心がないと写真も駄目だと。
構図がどうの、露出がどうのということよりも
物を写して形にするのが苦手のようだった
どうも子供のころの絵と同じく人に見せると恥ずかしい思いをする。
そういえば花を植えてもどう見てもよい出来上がりとは言えない。。。
【2018年】ツイッターつぶやき
朝から目がかゆいと思っていたら夕方にはクシャミが出始めて鼻水がずるずると。。。。。
いよいよ花粉症の季節です。
以前にも書きましたが、梅が咲くころにはじまり桜が散るころまで。。。。。
風流のようですが俳句にもならない。。。。。
花粉症との付き合いは35年ほどになります。毎年症状の大小はありますが悩まされ続けています。今は良い薬もあるようですがなるべく薬には頼らずに過ごしています。
山の管理で一番楽なのは杉だと聞いたことがありますが、見た目はきれいな山になりますが、どうなんでしょ?大雨での山崩れなどは。
花粉症で不思議なのは、ドライブなどで山に行っても案外大丈夫なんです。花粉症も複合汚染からでしょうか?
今年は寒い日が続いて一気に春めくようなはるかもしれませんね。花粉も一気に舞い散るかも。。。。
【2019年】ツイッターつぶやき
米朝の首脳会談が始まる。
北朝鮮の核問題とそれに伴う経済制裁の解除が柱になる。しかしこの柱に沿った合意には多くの枝葉が存在をする。
核兵器については戦闘状態が続いている中では解決はしないでしょう。最低限終戦宣言が必要である。昨夜のニュースでアメリカは米朝二国間での終戦宣言を考えているようだが、終戦宣言は南北、アメリカ、中国、北朝鮮を交えた終戦宣言としなければならないでしょう。たしかに世界大戦後の国連の状態は戦勝国と引き続く武力による発言力が多いというのは一つの矛盾ですが、この矛盾を解決するためにも中国やロシアを含めた終戦宣言が必要となる。同時にアメリカ、中国、ロシアという核大国の話し合いがなければ北朝鮮の核問題も解決しないでしょう。そこにプラスして韓国や日本の核の傘を含めて極東の非核化(核攻撃の放棄)を進めなければならない。
アメリカの北朝鮮やイランへの核放棄の要求は国連の動きもあるだろうが、経済制裁という圧力で行われるが、アメリカ事態が核軍縮にも向かわずに核の力での外交をしている。ここに大きな矛盾があり北朝鮮やイランの核問題を複雑化をして北朝鮮も含めて核保有国を増やしている。もちろんそこには中国やロシアの核の力も存在をしている。
核兵器開発禁止に原発と核燃料リサイクルの問題もあり、日本はいつでも核兵器を持つことができる。やはり核問題は原発抜きには考えられないでしょう。
日本は拉致問題を抱えているが、政府の姿勢として拉致問題解決が行われなければ経済制裁は続けるという強い姿勢があるのか?それともアメリカに追随していくのか。日本も米朝会談の進展による平和の道を無条件に支持をすべきです。その上に立って日朝会談を進めることが最善の道でしょう。トランプさんに拉致問題の話をしてね。。。。では・・・・・
【2020年】ツイッターつぶやき
具材はエビ、牡蠣、カリフラワー、しめじ、ちくわです。カリフラワーはさっと塩ゆでしておきます。
たっぷりのオリーブオイルの中にニンニクスライス、アンチョビ、鷹の爪、白髪ねぎを入れて、先の具材をすべて入れて煮立てます。
牡蠣など生ものに火が通ったら出来上がり。
ちくわに白髪ねぎ。。。。。
だいぶ「和」が入っていますなぁ。。。。。
ちくわが残っていたので使ったのですが、甘みが出て案外美味でした。白髪ねぎも癖がないので良いアクセントに。
出来上がってさて食べようかとご飯を用意しようとしたら、妻がむっとしながら、なんでご飯なのよと。。。。。
パンを買うのを忘れていました。
妻がむっとしながらパンを買いに行きました。
【2021年】ツイッターつぶやき
東京は急に寒くなりました。
今夜は鶏肉を照り焼き風にしようかと思っていたのですが、寒いので急に鍋が食いたくなりました。
しかし冷蔵庫には鍋をするには材料がない。
冷蔵庫に残り物の柚子が一個。。。。。
もやしが一袋。。。。。
買いだめしたレタスが2個。。。。。
ということで柚子風味の鍋にすることにしました。
土鍋に水を入れて鰹節のだしの素、昆布5センチほど、酒、砂糖、みりん、塩、醤油でスープを作ります。醤油は風味程度で薄味の塩味です。
そこに食べやすく切った鶏肉と柚子を半分に切ったものを入れて煮立てます。
鶏肉に火が通ったら、もやしと大量のちぎったレタスを入れます。
レタスが少ししんなりしたら後は火を止めて余熱で。。。。。
もやしとレタスの水分が出ますので味見をして調整した方がいいです。
柚子は体を温めてくれますし、酸味と香りが出てスープを美味しくしてくれます。薄味のスープですからスープもたくさん味わえます。
今夜はもやしとレタスぐらいしかなかったのですが、いろいろな野菜を入れてもいいかな?
でも、レタスたっぷりが僕の好み。
しゃぶぶしゃぶをやるときもわが家はレタスたっぷりのレタスしゃぶしゃぶです。
【2022年】ツイッターつぶやき
「冷戦はとっくに終わっており、NATOは自分の位置づけと責任を改めて考える必要がある。集団対抗に基づく冷戦思考は徹底的に捨てなければならない」【チャイナ―ネット】
アメリカNATOの冷戦体制はウクライナの国民の命を犠牲にしてでも対ロ軍事対立を有利にしようとしてきた。
これは中東アラブにおいても同じです。北朝鮮問題も同じでしょうが、韓国と同じ民族ですからそうは手を出さないだけでしょうが。
アメリカは中間選挙の年ですがバイデンさんは不利なようですからウクライナ問題を大きくしてアメリカ国民の熱狂をと思っているのかもしれませんがなかなかそうはなっていないようです。共和党からは腰抜け扱いをされてさらに過激な行動をとる危険性がある。
ロシアとウクライナと話し合いの場を持つべきですね。
中国とウクライナの関係はどうなんでしょう。特に経済関係は。
中国の役割も大きいかもしれません。
【2023年】ツイッターつぶやき
明日で2月も終わり。
3月1日は七十二候の「草木萌動(そうもくきざしうごく)」です。
最近プランタに雑草がたくさん芽を出し始めています。
種を蒔いておいたのですが、どれが蒔いた種の芽だかわかりません。咲いてみればわかるだろうと気楽にしていますが、毎日雑草に手をかけているかもしれないのが悔しい。
草木萌えるといえば、杉も。。。。。
だいぶ花粉が多くなってきています。鼻水が止まりません。体の体調は風邪のようで、これがあと1カ月続きます。
木々の目もだいぶ出てきていますからこれ見ながら楽しみたいです。