夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2014年 6月30日(月)「国民は節約を行わざるを得ない」

2014年06月30日 22時49分55秒 | 「政治・経済」
政府や日銀は物価上昇に経済の好転を見て強気ですが、その物価高傾向をデフレからの脱却とみるのですから当然でしょう。しかしデフレはデフレ不況なので、物価だけを見たデフレからの脱却の後には不況が残る。
反発力弱い日本株、消費増税後の経済観定まらずという記事があるが、投資家も日本のデフレからの脱却には疑心暗鬼のようである。結局デフレ不況の不況だけが残されている結果ではないか?企業は増収だと言われていますが、その裏には輸出不振もありそれは同時に円安の結果としての輸入拡大が出て貿易収支は赤字が続いている。景気というのは輸出もあるし輸入もある。その総体が景気を左右するわけです。不況からの脱却はできているのか?
消費状況も同じくその判断は疑心暗鬼です。消費増税後の消費は毎日生活していくうえでの必需品はそうは制約をできないしむしろ物価高ですから売り上げ「額」は伸びる傾向を示すでしょう。しかし耐久消費財の消費は落ち込む。「生産を減らしている業種でもそれ以上に出荷が落ちて、在庫が積みあがっている状況(経産省)
この状況下においてはそれは不況を示すといってもよいでしょう。その不況がいつ物価の下落圧力に転嫁してもおかしくない。
国民は節約をせざるを得ないのですが、その節約がどこに現れるかを見ないとデフレ不況からの脱却もないわけで、そもそもなぜ節約が大きくなるのかの分析が必要でしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年 6月29日(日)「批判精神が機能しない日本」

2014年06月29日 22時00分09秒 | 「政治・経済」
ツイッターから
昔読んだ田中光彦著原発はなぜ危険かーー元設計者の証言ーー(岩波新書1990年発行)を朝からぺらぺらと読んでました。原発の危険性は装置そのものと同時に「安全だ」という神話の中身の危険性でもある。再稼働もこういった安全神話の中で行われる
「批判精神が機能しない日本の専門家集団」という言葉(117頁)に日本の安全神話の危険性が象徴されているのではないでしょうか。特に今の時代はこの「批判精神」が抑圧され自粛されている。原発の再稼働問題だけではない基本的な日本の欠陥でしょう。
国民自身が「安全だ」という強い言葉に安心をし、強いリーダーシップ(政権)にゆだねて安心する。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!と、国民の批判精神も希薄になる。そこにマスコミの批判精神も低下する。
批判精神は国を愛さないことではない。
批判精神は、時には国を愛するが故に強くなるのである。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!という批判精神を抑えるような言動こそに実は国を愛することから離れた国家主義が生まれる。
「批判精神が機能しない日本」。。。

宣戦布告をしない戦争が今の時代です。それは「正義の戦争」「テロとの戦い」という言葉で言い表さられ、宣戦布告をしていない中でアメリカの論理や安倍政権の「積極的平和主義」という言葉に表現されます。
ですから国民も戦争をしているという意識が薄れて正義という言葉だけに酔いしれる。。。。怖いですね。

禁煙の勧めとはいえ、タバコは一つの嗜好品としての文化の歴史があります。その歴史文化の表現を辞めさせるというのはダメです。

以上三つの事柄についてのツイートですが、「批判精神が機能しない日本」という面で共通性があると思うのです。
「国民自身が「安全だ」という強い言葉に安心をし、強いリーダーシップ(政権)にゆだねて安心する。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!と、国民の批判精神も希薄になる。そこにマスコミの批判精神も低下する。」「国民も戦争をしているという意識が薄れて正義という言葉だけに酔いしれる」そしてタバコの害を言うのはいいですが、日本の嗜好品である煙草の文化そのもの博物館を閉鎖せよという主張が堂々と言われる社会。タバコについてはテレビや映画を中心に喫煙シーンがあるかないが問題視されますが、一つの人間の営みとして存在してきた文化を消し去るということの論理面での怖さを感じます。もちろんこの、「批判精神が機能しない日本」は、「批判精神が機能しない日本の専門家集団」の専門家集団の劣化に国民意識も変化させられることでもあります。
その専門家集団は、原発で言えば制作企業や電力会社ということにもなりますし、政治はもちろん政治家や官僚でしょう。禁煙で言えば医者や研究者で、経済学で言えばエコノミスト。。。そしてマスコミ。この専門家集団が批判精神をなくして国民の生活や意識から乖離していくだけではなくてごまかしや抑圧的になっていくことに劣化を生じます。そしてさまざまな面でそれは社会に反映するわけですから社会全体が矛盾が矛盾を作りその矛盾は拡大していき原発事故の安全・安心神話が崩れるように社会が崩れていく。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年 6月28日(土)「量的緩和からの出口と金融引き締め」

2014年06月28日 22時39分53秒 | 「政治・経済」
ツイッターから
物価上昇を素直に喜べない市場、日銀追加緩和期待がさらに後退 | 国内 | 特集 アベノミクスの波紋 | Reuters。。。出口論=金融引き締め。。。。
かといって今のアベノミクスでの量的緩和の追加や量的緩和をいつまでもだらだらと続けられる条件もない。
物価上昇自体が景気の過熱によるものではない官製経済の結果ですからその物価上昇は似非インフレ(バブル)という悪性の物価上昇。その上に立った出口論は悲惨があるのではないか?(誤字は訂正)

昨夜も書きましたが、今の経済の状態は一つのバブルではないか?
悪性のものでも物価が上がり続けている中で日銀はこれ以上量的緩和を続けることができなくなる状態が出散るならば当然出口論が出てきます。しかしその出口論が今の経済での金融引き締めとなってしまう。80年代のバブル崩壊や小泉政権時の「実感なき景気」の金融引き締め(といわれている)と同じことを日銀はせざるを得なくなってくること自体がある意味現在がバブル状態となっているということではないか?
もちろん80年代バブルは国民生活の上でもある程度の好景気を感じさせるものでしたが、今はその国民にとってはやはり実感のないあるいは逆に生活レベルの後退の中に起きているバブルである。
消費増税では消費の減退から物価を下げる働きが伴うのですが、官製経済においては人為的な政策によって物価は維持され上昇する。この意味において悪性の物価高だが政府も日銀もこの物価高をデフレからの脱却として位置付けるわけでそして景気の好転としても見るわけですから国民生活の疲弊を無視した中でも物価高は続ける。そしてその中で日銀は出口論へ。政府は量的緩和に頼っていたわけですからある意味簡単にその出口論の影響を受ける。ゆがんだバブルはゆがんだ形ではじける。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「同じ一日」2014年 夏 

2014年06月28日 19時24分30秒 | 「同じ一日」
同じ一日「梅雨らしい静かな雨が降った後、草の繁みからドクダミのにおいがしてきて僕は草の上の雨粒を見つめた。」(6月28日)同
じ一日「ムフフフ・・・・父の日におつまみの器と晩酌グラスセット。。。。プラスチックのような”うすはりタンブラー”」(6月15日)
同じ一日「中野ブロードウェイを抜けたら雷雨だった。。。。史実は作り上げるものではない。」(6月13日)
同じ一日「金のなる木の下からシダのようなものが生えてきた。もちろん名前はわからない。どんな草か楽しみだから抜かないでそのままにしておくことにした。。。。風の贈り物」(6月7日)
同じ一日「乳酸菌と卵の殻。。。糠床ではどのような化学反応や菌の働きや抑制が行われているんだろ。。。。」(6月2日)
同じ一日「強い風。。。。洗濯物がぶつかってアマリリスが2本折れてしまった。花瓶に入れました。。。ううう」(5月26日)
同じ一日「出先でトイレに入った。お尻を洗ってくれるトイレです。なんだか肌寒くていやだなぁと思いつつ尻を洗う。しかし飛び上がってしまった。出てきたのは水。。。。」(5月22日)
同じ一日「実家に行く途中に景色のよい川がある。田植えの時期ですから水が満々と流れる。雑草などが生えた土の低い土手。細い散歩道が見えた」(5月 7日)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年 6月27日(金)「バブル」

2014年06月27日 22時57分13秒 | 「政治・経済」
ツイートから
コラム:日本株、「80年代バブル」の二の舞あるか=丸山俊氏 | Reuters
子供のころ、シャボン玉で遊んでいると大きく膨らんで風に乗って飛んでいった。でも、時には膨らんだかなと思うとストローの先でぱちんとはじけてしまうこともあった。これからバブルがはじまるのではなくて今がバブルだとすれば、そのパチンとストローの先ではじけるバブルかな。。。
これからバブルがはじまる(景気回復という言葉ですが)というものも「期待感」の域を出ていないわけです。。。。

80年代バブルも賃上げはせいぜい5%程度でサラリーマンの所得が伸びたとはいえそれは基本的な賃金の上昇ではなかった。国家財政も改善されずに金は海外へ移転していったし、国内は土地などの本来価値のないものへの投資となっていた。結局バブルというのは企業の余剰資金が投機的なところに流れて行ったりその値上がりに経済が翻弄されてしまうことだったのではないか?社会の富がたくさん生産されるがそれが相対的には国民生活の基本となる賃金や社会保障などにはまわらっずにそして国や地府の財政赤字も減らすことなく社会の発展自体には寄与しない経済でしかなかった。
その意味では今のアベノミクスも同じでしょう。量的緩和の資金は国民生活に回らずに帰って増税が待ち受け、その増税も国家財政の赤字を埋めるものではない。社会保障は低下する一方である。しかし企業には莫大な内部留保とさらに法人減税が加わる。この構図はすでにバブルではないか?もちろん規模では極小のバブル。それでもそのバブルを引き起こすために80年代バブル以上の国民生活の低下を必要としている。
より大きなバブルにしようというのが成長戦略ですが、それはまた国民生活を低下し不安定にしていく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年 6月26日(木)「もっぱら。。。<ロイター>(笑)」

2014年06月26日 23時17分46秒 | 「思うこと」
国内新聞ネット上のサイト。。。「経済」ページ

朝日新聞
毎日新聞
読売新聞
本経済新聞
東京新聞
新聞ではありませんがNHK。。。たしか以前は「政治・経済」のページですが、今は「政治」(記憶違いなら消去します)

ロイター

ロイター以外でも経済以外でも外国のサイトのほうが読みでがありますね。東京新聞は頑張っていますが。。。。

もちろん新聞紙面はまた違います。

以上あくまで私見です。。。。
新聞とネット。。。。この組み合わせは難しいのでしょうか?ネットでは登録しないと全文は読めないとか。。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年 6月25日(水)「新成長戦略」

2014年06月26日 22時24分11秒 | 「政治・経済」
新成長戦略が発表された翌日の株価は反落した。反落したにもかかわらず一定の評価は下されたという見方もあるが、新成長戦略は企業や投資家にアピールするものでもありますからその企業投資家の動きが鈍いということでは大きなインパクトはなかったとも見える。そのうちの一つの大きな見方がてんこ盛りの構想は出すがその実行は難しいという見方であり、また法人減税にしてもどのくらいの効果があるかといえば法人減税は逆効果ともいわれる意見も出ている。また法人減税は大企業向けであり中小企業には軽減税率の見直し(課税強化)も言われているように新成長戦略には同じ企業への対応としてもやはり大企業優先であるというものが見える。
新成長戦略の欠陥ははその目玉である法人減税の矛盾とともに国民生活の視点から見るとその欠陥はさらに明らかになるのではないか。
東京新聞の記事新経済戦略 禁じ手や奇策ばかりだに書かれているように成長戦略は国民生活の犠牲においてしか成り立たないものも多く含まれており、新成長戦略が実行に移されれば国民の生活の視点から見るとさらに経済の矛盾が噴き出ることとなる。
外国人労働力の活用や移民は、たとえば移民自体には消極的だが経済上必要といった域を出ないのが自民党でしょう。その程度の意識では移民はもちろん外国人労働者の活用の中身が目に見える。作業の実習という労働の利用で終わる。高齢者の労働力活用も働く意思のある人たちとはいえその意識とは基礎年人の支給年齢の65歳とすでに始まっている厚生年金部分の段階的引き上げの中で言われているわけで、無年金なら労働せざるを得ないという中身である。女性労働力の活用も扶養控除の枠かくだいではなくて廃止や年金3号(主婦年金)も廃止という心配もあり(経済財政運営と改革の基本方針2014年について7ページ「税制・社会保障などについて、女性の働き方に中立的なものにしていく」)、逆に女性の負担が増えることにもなりかねない。
このように新たな労働力の確保も働くことを強要することに改革を置く。
労働者全体にはもちろん限定正社員や残業代ゼロが待ち受ける。
今日(6月26日)、麻生財務相は恒久減税には恒久財源の確保が大切と発言しているが、もちろんこれは恒久減税である法人減税のためには恒久財源が必要であると読めるでしょう。もちろん今の財政に5兆円とも言われる恒久財源はないわけですからその恒久財源が消費増税10%の利用になりかねない。
企業は今でも数百億(300億から500億?)の内部留保を抱えているといいます。その中でその資金が賃金に回されたり国内の積極的な設備投資に使われているかといえばそうではないでしょう。これ以上の企業利益の増大があっても今の状態が改善される保証は何もない。設備投資は金があるから行うというものではなくて経済運動の中にあるのですから。

やはり新成長戦略は多くの欠陥や矛盾が含まれるものといえます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年 6月24日(火)「命のない人造人間としての管制経済」

2014年06月24日 11時20分45秒 | 「政治・経済」
死体の一部を集めて人造人間を作ってもその人造人間はただのグロテスクな死体であり生命を持たない。管制経済というのはこのような人造人間ではないか。
政府は企業の国内設備投資を求めている。日銀も消費増税後も個人消費はある程度維持しているが供給の問題を提起して民間の活力を求める。それは積極的な設備投資でもあるでしょう。財界も法人減税で20%なら国内の設備投資をするという。政府はこのために財源すらはっきりしない法人税を成長戦略の柱の一つとする。
官製の賃上げも含めて個人消費の生きている部分と企業の溜め込んでいる資金にさらに法人減税で資金を集めてそれで立派な経済という人間を作り出そうとしているわけである。まさにこの官製の経済は人造人間でしかないでしょう。人造人間にも生血が必要なわけですからそれは量的緩和の資金と国民が持つかねです。この生血を注ぎ込むがやはり人造人間には命はないのである。生血を循環させようとするが脳死状態である。
賃上げも一部の大企業での賃上げでその賃上げも政府・日銀の物価高政策により物価に追い付かずに実質賃金は下がり続ける。一部の労働力不足の産業でのバイトなどの不安定雇用の時給は上がっているにしてもこの官製の賃上げの恩恵を受けていない労働者は多いだろう。
個人消費は生活にどうしても必要なものは消費をするが耐久消費財などの消費は落ち込む。贅沢意識(これは国民の生活向上の実感と意識)もプチ贅沢の範囲を出ない。正社員の夏のボーナスや不安定雇用に対しての何かしらの特別手当がなければ個人消費は節約意識の中におかれるだろう。もちろん高齢者(特に年金生活者)などの非労働人口は蚊帳の外におかれるだろう。あるいは政府の高齢者の活用(年金支給年齢の引き上げが実施されている中で)相当ひどい低賃金におかれる。
企業の国内設備投資は、今でさえ内部留保が増えているにもかかわらずその資金が設備投資には回らない。個人消費の不安定性の中で内部留保を吐き出してまでも国内での設備投資には消極的にならざるを得ない。
日銀は物価上昇だけを自らの責任とするわけで成長は国と民間の仕事だとして更なる量的緩和は行わない状態です。
こう見ると管制経済という人造人間には命は生まれていないということです。
さらに国民の生血を人造人間に注入をするのが成長戦略ですから人造人間のグロテスクさは増していくでしょう。もちろんこの下部構造でのグロテスクさは上部構造に作用をして政治をはじめとした社会システム自体がグロテスクなものになる。やはりとんでもない仮定を出しての集団的自衛権という人造人間を生み出そうとしている。ここでも心配されるのが国民の生血が流されかねないということである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年 6月22日(日)「労働力の移動」

2014年06月22日 22時09分14秒 | 「政治・経済」
労働力の流動化が必要とか、雇用の流動化が必要とか安倍政権での雇用の在り方が成長戦略に盛り込まれることにより企業論理として進められようとしている。もちろん労働者も若い人はすぐに辞めるとか言われていますから労働の移動については要求を持つでしょう。しかしこの要求はブラック企業という言葉が一般化している中で賃金や労働条件から来るものがあります。また企業に縛られたくないという意識もありますが、この縛られるという中身には労働時間や公私混同をさせられるとか日本は休暇を捨てるのが一般化されているといわれている中で自分の生活の自由が保障されていないとかさまざまな問題があるでしょう。
こう見ると労働力の流動化や雇用の流動化そして労働の流動化というものも含めて企業の労働環境の現状や企業利益の論理から議論されているだけではないでしょうか。
この論理は企業利益をどう伸ばすかに労働力をどのように使えばよいかを言っているだけで、企業利益のためにはどう低賃金化を進めるかというこの間の企業が行っていたことの延長線上にあります。ですから残業代ゼロや限定正社員が成長戦略となる。労働者にとっては同じ賃金で次の仕事を見つけられる保証は何もない。
労働力の流動化や雇用の流動化そして労働の流動化というものが必要な状態というのは、産業構造の転換とか経済が順調に動いているときにこの労働力はこの産業に必要だとか、企業内ならばこの部署に必要だとかというときにおこるべきものです。それは労働力の移動です。もちろんこの労働力の移動も昔から解雇を含むものでしたが、しかしある程度は次の仕事のあっせんなどが国鉄の民営化時にはありましたし、そうは簡単に解雇はできない状態でした。今行おうとして検討をされているのは解雇自体の自由化です。
労働力の移動には企業責任と社会保障が先に検討されるべきです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年 6月21日(土)「景気と国民生活は比例をするか?」

2014年06月21日 21時58分18秒 | 「政治・経済」
景況感もいろいろな統計や意見集約で行われていますが、実際どのくらい経済は回復したと判断できるのでしょ?
景気自体がどうなっているのかは大切ですが、同時に今の景気の状態を作るのに物価も含めてた民生活や社会保障などがどうなってしまったのか、国家財政はどこに使われるようになったのか。またこの景気を支えるとしてさらに国民生活はどうなるのか。。。。
政府も日銀もデフレからの脱却として物価が上がることが経済の好転と考えているわけですから、円安での輸入品の値上がりと消費増税分の価格転嫁からの値上がり政策的に促進させあるいはこのような悪性の物価高を黙認する。政府も日銀も物価上昇はよいことだとすれば企業も遠慮をしないで価格上昇を行おうとする。国民に降りかかる物価高は円安・消費増税による悪性のインフレに加えて企業の値上げ競争にさらされる。企業利益は上昇をしているとされ、一部には企業は溜め込まないで株主配当に回せとも言われている。そして法人減税である。すべてが経済活動からの自然な形でのデフレからの脱却(不況からの脱却)ではなくて政策的な誘導によって行われる。
この状態が景気の回復とされるのですから景気と国民生活が比例をするかといえばそうではないでしょう。「実感なき景気回復」がまた行われようとしているわけです。
民主党政権の消費増税分は社会保障に回すということをはじめは自民党(安倍政権)も言っていたはずですが、民主党も野田政権時にはすでに消費増税分は公共投資にもと言い出し、安倍政権では死語となっている。負担増と支給の削減が行われる。ここでも国民生活の低下傾向が現れます。
この中で個人消費については「持ち直している」いや「駆け込み需要の反動はみられる」とその判断は右往左往する。企業収益もいまだに法人減税で20%なら国内の設備投資をするといった具合で、今の利益から設備投資の積極性はない。これだけ国民生活を低下させてのこれまでのアベノミクスだがはっきりとした経済の好転は語られない。むしろアベノミクスは道半ばだと残業代ゼロや限定正社員の導入という規制緩和に向かう。株価の支えとして年金積立金を使う。ここには高齢化社会への取り組みの政策はなくて70歳まで働けと語るだけである。もし仮にアベノミクスで経済の好転がありそれが企業や投資家が十分納得するような好景気が生まれると仮定してもその道筋にどれだけの国民生活の低下が行われざるを得ないのか。それは経済問題からの貧困化だけではなくて政治的自由や平等・平和の低下を伴いながら進行をする。
国民総動員体制の生き残り策でしょう。もちろん誰が生き残るためなのかは明らかでしょう。。。。
しかしこの総動員はますます経済や内政の矛盾を広げるだけでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年 6月18日(水)「アベノミクスの通信簿」

2014年06月18日 21時31分18秒 | 「政治・経済」
安倍首相の第三の矢の第二ラウンドーーまだ不十分というロイターの記事がある。
アベノミクスは日銀の量的緩和と二人三脚で進められた。デフレからの脱却として経済の安定という期待を持って進められたが、結果は国民生活にとっては悪性の物価高と増税であり、投資家や企業にとっては株高と収益の増大をもたらしたがそれは経済全体の好転には結びつかなかった。そこで第三の矢である構造改革が進まなければこれまでのアベノミクスは前進しないとまた期待を込められて成長戦略が提起をされた。この提起を第二ラウンドとするならばそれもまた不十分な成果しかもたらしていないということでしょう。投資家も国民もあまり期待しない成長戦略か?アベノミクスの成功と言われていた部分は期待で支えられていたわけですが、その期待にほころびが出ているということかもしれない。
日本の企業の多くは法人税を支払っていなかった。そこに法人減税を行っても効果はなく、財源も決まらずに税収を減らしての減税となる。または年末にはこの減税と消費税10%の議論が並行して行われるかもしれませんから消費増税が財源となる可能性もある。それでも企業の利益が賃金や事業投資に回ればよいが今の現状からすれば国内の事業投資は公共事業に頼っている。純粋な経済の発展からの国内投資が期待できるだろうか?貿易収支の赤字は続いている。
年金積立金がリスクの高い投資に回される。運用益を目的とするといいますが、実態は株価を支えるための資金となりかねない。資金がどのくらい国内の事業投資などに回るかは疑問でしょう。海外に資金が逃げていくこともあり得る。子供の貯金にまで手を出すギャンブルおやじと同じことでしょう。
労働の規制緩和は残業代ゼロと限定正社員の導入で、すでに将来的には残業代ゼロと雇用不安が一般社員に影響するという不安の増大につながる議論も出ている。
農業の自立と減反や農業助成金問題はTPPに絡んでいる。
国民の期待は薄れるでしょう企業の収益の拡大と株価維持が国民生活の犠牲においてでしか行われないならそれは経済の安定とはかけ離れたものであり。そのような経済は企業にとっても投資家にとってもその期待は長く続かないでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年 6月17日(火)「法人減税が国民生活の向上へ?」

2014年06月17日 22時54分31秒 | 「政治・経済」
法人減税6%を決めるという。
財源は年末まで持ち越して。。。。「法人減税6%下げ表明、財源は年末まで持ち越し (ロイター)
また、安倍総理は法人減税により「雇用確保と国民生活の向上につなげたいと述べ、企業に偏った先行減税に理解を求めた。」(引用)
法人減税は成長戦略の柱である。しかしその柱である法人減税の財源も決まらずに「雇用確保と国民生活の向上につなげたい」とこれまた抽象的な言葉でお茶を濁す。財源を年末まで持ち越すときには さらなる消費増税(10%へ)も出てくるでしょう。下手をすれば法人減税の財源は消費税となり、ますます消費増税分は社会保障に使うという言葉が形骸化する。
「雇用確保と国民生活の向上につなげたい」と言っても現在の企業利益の増大が国民生活に反映されているかと言えばそうではなくて賃上げも実質賃金ではマイナス状態。法人減税が国民生活を向上させるという根拠は何もないままのリップサービス。
成長戦略の柱がこのような状態で、さらに雇用の不安定化や残業代ゼロという労働の規制緩和が待ち構える。成長戦略自体に国民生活の悪化がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年 6月16日(月)「年金制度の改編と最近の積立金運用見直し」

2014年06月17日 16時18分43秒 | 「思うこと」
厚生労働省のホームページに年金積立金 年金積立金の運用はなぜ必要かというQ&Aがある。その中で年金積立金について「年金積立金は、過去の保険料収入のうち、年金給付に使われなかった分を積み立てたものであり、年金給付に必要な収入の大部分は、保険料収入や税金によりまかなわれていますが、この年金積立金を運用して得られた収入も活用しつつ、安定した年金給付を行っています。」とある。
しかし年金制度の改編である積立方式から賦課方式へ仕組みが変わったことには触れていない。。。。

つづく

(以下、17日記)
「年金積立金は、過去の保険料収入のうち、年金給付に使われなかった分を積み立てたものであり」というこの言葉は積立方式から賦課方式に制度が変更になった経緯を説明しなければ誤解を生む表現ではないか。積立方式はある意味高齢化を予測してその備えとして積み立てた金ではないか?ですからその当時賦課方式よりも多くの年金料を支払っていたのである。当時の年金受給者の年金を支えながらそのうえ自分たちの老後の年金を支えるための積立と。当時も賦課方式ならば何も苦しい思いをして積み立てなどはしなかったはずです。「過去の保険料収入のうち、年金給付に使われなかった分」の多くはこのことを言うわけです。
以前年金積立金は200兆円(2007年の記事)といわれていました。また2004年にも年金積立金管理運用独立行政法人の不思議(保坂展人)でも「年金積立金(平成14年度末で147兆6132億円・平成15年版厚生労働白書)の行方が危うい」と書かれていますが今では年金積立金は100兆円前後とも。
年金積立金の金の流れや損失などの不透明性があり、国民が納得するような資料が見つかりません。
高齢化社会に突入したわけですし、若い人をはじめとした年金負担が大きくなるといわれている時代ですから、この金の流れを明確にして積立方式の時代の積立金をリスクの高い株式に運用などということではなくてもう一度年金制度を再構築する必要があります。
「消えた年金」という問題がありましたが、個々人のその消えた年金もうやむやになりそうですし、年金積立金というものにも消えた年金がありそうです。それで若い人を中心とした現役世代の負担増や年金支給額の縮小(年金支給年齢の延長も)が言われる今の自民党政権が国民に何を押し付けようとしているかを見なければならないでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スポーツジム通い帳。。。。データ(2)」

2014年06月17日 08時05分05秒 | スポーツジム通い帳(更新なし)
2014年 
毎週火曜日の朝のデータを追加していきます
2014年3月25日。。。基礎データー
体重:67.7 
BMI:23.4 
体脂肪率:19.8 
筋肉量:51.5
内臓脂肪率:12.5 
基礎代謝:1475 
体年齢:-13歳
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

          <春のデータはこちら
(6月17日)
体重:63.3(-4.4) 
BMI:21.9(-1.5) 
体脂肪率:17.4(ー2.5) 
筋肉量:49.6(-0.9)
内臓脂肪率:11.6(-0.9) 
基礎代謝:1411(-64) 
体年齢:-15歳(-2)

(6月3日)
体重:64.7(-3.0)
BMI:22.4(-1.0)
体脂肪:17.4(-2.4)
筋肉量:50.7(-0.8)
内臓脂肪率:11.5(-1.0)
基礎代謝:1445(-30)
体年齢:-15(-2)

(5月27日)
体重:64.7(-3.0)
BMI:22.4(-1.0)
体脂肪:18.1(-1.7)
筋肉量:50.2(-1.2)
内臓脂肪率:11.5(-1.0)
基礎代謝:1433(-42)
体年齢:-15(-2)


(5月20日)
体重:65.5(-2.2)
BMI:22.7(-0.7)
体脂肪:18.5(-0.9)
筋肉量:50.6(-1.3)
内臓脂肪率:12.0(-0.5)
基礎代謝:1434(-41)
体年齢:-14(-1)

(5月 6日)
体重:65.4(-2.3) 
BMI:22.6(-0.8) 
体脂肪率:18.7(-1.1) 
筋肉量:50.4(-1.1)
内臓脂肪率:12.0(-0.5) 
基礎代謝:1440(-35) 
体年齢:-14歳(-1)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年 6月15日(日)「解釈改憲とは」

2014年06月15日 22時37分37秒 | 「政治・経済」
これまでずっと自民党は解釈改憲で自衛隊を作り増強してきた。この解釈改憲という言葉は野党側からの自民党批判としてあったのではないか?しかし今の安倍政権は自ら解釈改憲で集団的自衛権を容認するとした。ここが安倍政権の危険性なのでしょう。それが立憲主義の否定につながる道を示したのですから
たとえば自衛隊の装備や役割について変更しようとした時、自民党は法改正において国会に示した。これに対して野党からは「違憲だ」として法的には成立すれば合法で憲法では違憲ということから解釈改憲という批判となる。
しかし今の安倍政権は自衛隊法など関連法案を国会内に提出して国会の議論の中に集団的自衛権は憲法に反しないというものを示さない。さらに自ら解釈改憲だとする。ですから相当乱暴な立憲主義の軽視なのです。
       (ツイッターから)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする