夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2024年 1月31日(水)「おやじギャグ」

2024年01月31日 22時30分38秒 | 「思うこと」
スーパーで買い物をしていたら、いきなりでかいクシャミがして振り返った。
おやじが立っていてクシャミの後に「大魔王!」と言いながら通り過ぎて行った。
「ハクション大魔王」。。。。ウウウ(笑)
昔のおやじは、でかいクシャミの後に「畜生!」と言いながら鼻水をたらしていた。
これをおやじギャグともいえるし、照れ隠しのようなものとも思える。
大魔王などはギャグですなぁ。
ギャグは大阪人かと思いますが、東京人も大魔王やら畜生を。。。。
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池に浮かぶ月2145【1月31日】

2024年01月31日 22時14分08秒 | 「池に浮かぶ月」
2月ですなぁ。。。。。
「鶏始乳」(鶏始めて乳す)、この時期の卵は栄養価が高いと言っていました。鶏が卵を生み出す時期。
沢の水も凍るような大寒ですが少しづつ春がやってくる。
もうすぐ3日が節分で4日は立春。。。。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 1月31日(火)「2月ですなぁ」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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よくお読みいただいている記事(118)

2024年01月31日 11時29分03秒 | よくお読みいただいている記事
     2024年 1月

 元旦     暗証番号
 1月 2日  カクテルといえば?
 1月 3日  高い・・・・
 1月 4日  能登地震
 1月 5日  暗証番号
 1月 6日  帰宅ラッシュ
 1月 7日  説明責任とか、任命責任とか
 1月 8日  寝言blogramから2017・18年冬
 1月 9日  背が縮んだ
 1月10日  大河ドラマ
 1月11日  労働力不足のはずが?
 1月12日  労働力不足のはずが?
 1月13日  学校が一番安全な場所
 1月14日  20年前
 1月15日  第何波?
 1月16日  川上弘美東京日記 ベニテングタケを干す。
 1月17日  大河ドラマ
 1月18日  風評被害だろうか?
 1月19日  広告費
 1月20日  排外主義
 1月21日  ケット
 1月22日  
 1月23日  効率化
 1月24日  内部不正だけならいいが・・・
 1月25日  内部不正だけならいいが・・・
 1月26日  寒波
 1月27日  暑いですなぁ
 1月28日  スタグフレーション
 1月29日  ロックダウン
 1月30日  トコジラミ
 1月31日  COPDと高齢者
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「1月31日という日」

2024年01月31日 08時07分37秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
スーパーで買い物をしていたら、いきなりでかいクシャミがして振り返った。
おやじが立っていてクシャミの後に「大魔王!」と言いながら通り過ぎて行った。
「ハクション大魔王」。。。。ウウウ(笑)
昔のおやじは、でかいクシャミの後に「畜生!」と言いながら鼻水をたらしていた。
これをおやじギャグともいえるし、照れ隠しのようなものとも思える。
大魔王などはギャグですなぁ。
ギャグは大阪人かと思いますが、東京人も大魔王やら畜生を。。。。

≪過去の記事≫

【2004年】
茨城県御之浦(この字だったか?)にドライブに行ってきました。
もう福島県との県境近くです。明治の頃岡倉天心が晩年を過ごした場所です。六角堂という小さなお堂があるのですが、海の景色が間近に迫り、波音が気持ちよく聞こえる場所です。ここで岡倉天心は思索にふけったそうです。母屋もありましたが、回り廊下のある趣のある家でした。
釣りもしたのですが、風が強くて散々な目にあいました。
今、アンコウが旬です。海産物売り場で買ってきました。今夜はアンコウ鍋です。

【2005年】
川上さんのエッセイを読んでいますが、やたらと腹が減る本です。そしてめっぽう酒が飲みたくなる(笑)
いろいろな食べ物が出てきますし、飲み屋の話も。。。。

【2006年】
風邪もやっと治りかけてきました。
風邪のひき始めに葛根湯とよく聞きますが、ひき始めに飲むと症状が軽く済むということか?熱も出ないし鼻水とだるさだけで済みました。
ここのところ風邪というと葛根湯ですましてます。どうにもならないときは医者の抗生物質ですけどね。。。
朝のワイドショウーで、一連のライブドア関連で一般投資家がだいぶ損をしているというニュースがありました。犯罪がらみの株価はもちろんですが、経済を反映しない株価も、僕はいつも株価や投資は、合法的ねずみ講と思ってます。
また、ギャンブル資本主義とはよく言ったものです。

「超バカの壁」
                       新潮新書
              養老 孟司  著
「バカの壁」の続編である。「バカの壁」と「超バカの壁」の間には「死の壁」があり、三部作を構成しているようだが、「死の壁」は読んでいない。「死の壁」を読まずに本書を読むことがどうなのかと思ったが、本書は、「バカの壁」や「死の壁」を読んだ方が方からの質問に答えるという形で出版されたようなので、この社会の中でいろいろと問題となっていることへの養老さんのお考えを聞かせていただくという意味では、この本だけを読んでみてもおもしろいのかもしれない。
このように、今の社会の中で問題となっていることを一つひとつ養老さんは答えるのだが、一つひとつの問題点が多岐にわたり養老さん自身も
「全体の筋を考えたというより、それぞれの疑問に答えたというものに近い。(中略)つまり各章はそれぞれ読みきりの形になっているのである。」  (「前書き」より)
とお書きになっている。
しかし、社会のいろいろな問題点を読みきりの形で書いたとしても、そこは一人の養老さんという個性が書いたわけなので、「バカの壁」からの三部作としても統一性は出るわけである。それは、養老さんの基本的な考え方が出ているということである。
この基本的な考え方のよい例が、
「こんなふうに仕事というのはちょっとしたきっかけで変わることがあります。だから選ぶ前にあれこれ悩むよりも、目の前の穴を埋めろと書いているのです。」 (179ページ)
この「目の前の穴を埋めろ」という言葉に養老さんの考え方が見えるのではないかと思う。
たしかに人それぞれの能力において社会が必要な仕事があり、その仕事の穴を埋めなければ社会も成り立たないわけで、その意味において正しいし、あれこれ理想を考えたり自分の能力も考えないで理想の仕事を探し悩むのもおろかである。
しかし、この「目の前にある穴を埋めろ」という言葉煮を裏面から見ると、今ある条件の中で働けといっていることでもある。今の社会の中にある仕事という穴は、富士山麓の青木ヶ原にある自然としての溶岩の穴とは違い、人為的な穴なのである。人為的であるからこそ社会問題となっているのである。
一般論的な人生訓的な意味での労働を考えれば、「目の前にある穴を埋めろ」でいいのであるが、社会問題として労働を考えた場合には、「目の前の穴を埋めろ」とは、ただの現実容認でしかなくなる。
ある生産工場では、以前1000人の人が働いていた。ところがロボットを入れたら100人しか必要なくなって900人分の穴がなくなった。バブル期の頃にあった働きすぎの過労死に見られるように一人が2人分や3人分の穴を埋めていることもある。アルバイトやパート・派遣社員のような雇用体系が当たり前になって穴自体が小さくなってしまった。などなど。。。
目の前の穴は社会的な問題であり人為的なものなのである。一般論的、人生訓的な言葉の裏には、深刻な問題が隠されていることが多い。
このような労働というものにある裏側を見ないでいるから、世襲制やら「バカの壁」で言えばカースト制という言葉すら出てくる。職人の技を子に伝える必要性というものを見れば、それは一般論的にも伝統性を考えればよいこととなるだろう。でも、実際の世の中は、養老さんの望むようにはならずに、商店街の店が毎年1軒1軒なくなっていっているのである。一般論として人生訓としてだけ考えていればよいというものではなくて、人的矛盾なのだから人的に直さなくてはいけないものなのであり、それは現実容認では済まされない問題なのである。
世襲制、カースト制の中で、医者の子が、立派な医師であった父に意思を引き継いで立派な医師となるというような美談の裏には、同じ世襲制・カースト制の中で貧乏の世襲もあることを忘れてはならないだろう。中産階級的な穴を埋める者もいれば貧乏の穴を生めることが裏にはあることを忘れてはならないだろう。
このように書くと養老さんは現実容認論者ではないという人がいると思う。たしかに養老さんは、本書においても社会矛盾を批判をしていて、今の世の中を素晴らしいものとして容認しているわけではない。ある意味社会に喧嘩を売っているようなところがある。
今、ニートやフリーターが問題にされているわけだが、養老さんもこの問題を書く。ニートについては、社会の問題あるいは精神医学の問題として取り上げられていることと思うが、養老さんは書く。
「ニートに感謝すればいい。彼らははじめから脱落してくれている。自分の価値をあげてくれているということです。それを働いているほうが怒ってひけない。」
恐れ入った現実容認ではないか?
目の前の穴が少ない中、この穴を求めようとしない人がいるから、働こうとすれば穴を見つけやすくなる?
たしかに本音の議論である。しかし本音であるからこそ競争社会への現実容認にもなる。
本書には、いろいろと社会批判はあるが、なぜか着地点はこれが現実なのだというところに落ち着くような印象を受ける。
この、社会を批判しつつも今ある現実に着地してしまうという独特な養老さんの考え方がどこから来るのだろ?
それは「バカの壁」でもそうだったと思うが、一元論批判とそれに対する不可知論的というのか懐疑論的なものにあるのではないかと思う。今ある社会を批判すべきものとしながらも、一方では絶対的な正しさというものはなく、矛盾は後から後から噴出してくるものであるから絶対的な正義はない。この中に現実を現実として容認して生きるしかないという論法を感じる。積極的な賛美はなく批判しながらも現実対応をしていくしかないという論理は、あんがい普通に行われていることである。
一元論批判は、絶対的理性とする神を頂点とした唯心論や人間機械論や絶対的な社会法則という唯物論批判にあることと思うが、この批判にカオス理論やフラクタル理論というものが登場するのだろう。これらの理論がどのようなものかはよくわからないが、これらの理論が、様々な現象の中のある一分の分野で役立ち、もしかしたら人間社会を扱う社会科学にも応用されている部分があるのかもしれない。しかし、カオス理論だフラクタル理論だと説く人たちも、計算された軌道と力で人工衛星が飛び、計算による理論物理学を追う様にこの理論が観測や実験で確かめられている事実をも否定はしないだろう。人間社会という複雑系においてもある政策が立てられればその政策に沿ってある程度は社会が動くという事実も否定はしないだろう。もちろんノスタルダムスの大予言のように、20++年に人類が滅びるというような一般社会はそんな計算によって動いているのではない。大雑把である。誤差を容認した上での計算である。ファジィ理論というのか、不確定性理論というのかよくはわからないが、大雑把な計算による中にも法則性はあるのである。昔ながらに、統計のグラフ上のまばらな点の集まりに思い切って1本の線を引くようなものだと思う。
カオス理論もフラクタル理論も、もともと不確定性のある中の法則に持ち出すと、不可知論や懐疑論になってしまうような気がする。
何も一元論を批判するのに、絶対的真理を否定するのに、懐疑論や不可知論に陥らなくてはならないものはないのである。
形而上学的なものを排除して相対的に物事を捉えればよいことなのである。
先に、「世襲制、カースト制の中で、医者の子が、立派な医師であった父に意思を引き継いで立派な医師となるというような美談の裏には、同じ世襲制・カースト制の中で貧乏の世襲もあることを忘れてはならないだろう。中産階級的な穴を埋める者もいれば貧乏の穴を生めることが裏にはあることを忘れてはならないだろう。」と書いたが、世襲の一部美談の裏に貧乏の世襲があるというこの相対的な視点がないのではないか?
これは、今問題になっている靖国問題への考え方にも現れている。
「中国、韓国は放っておく」という結論の裏には、相対的に見れば中国や韓国は「日本は放っておく」ということにもなる。今まさに首脳会談さえ開けないのだから。
「東芝は出て行けなどと言って、本当にそうなったら彼らも困るわけです。一番実害がないのがこの問題なのです。」
裏を返せば、中国から東芝は出て行けばいいということになり、本当にそうなったら日本は巨大市場を放棄しなくてはならなくなり「日本も困るわけです。」
このようにいろいろな問題を相対的にみたときに事の本質や対処法が問題となるのでしょう。
このように相対的に見ない中に養老さんは、不可知論的な懐疑論的な現実容認という形而上学に陥り、それはある意味一元論的なものにしてしまうのではないかと思う。
物事を相対的に見ることは、その相対するものの中にある矛盾を引き出すということである。矛盾は必ず存在するものである。この矛盾をそのままにほうっておけばよいとはならない。まずはこの矛盾をそのままにあるがままに受け止めなくてはならない。ここから出発しなくてはならないのだが、次から次へと矛盾は出てくるので解決はできないものと放っておけば、これまでの人の歴史は何だったのだろ?
その歴史上の時間の中に必ず矛盾があり、矛盾があるから解決をしてその積み重ねの中に、人の社会も発展してきたわけで、未来も、今ある矛盾を可決する中に発展した未来が開けるのである。矛盾は絶対的には解決しなく次から次へと出てくるものだが、古の人々はこつこつと解決して来た。
ある意味矛盾があるから発展もあるのである。
物事は相対的なのである。

【2007年】
ドライブに出かけると、きれいな景色を見て「きれいだなぁ。。。」と思う。
自然体で風景と向き合うとき、まずはその景色を「美しく思わなければなぁ。。。」と見る人はいないだろう。僕が、ある人に「これから見る景色をきれいだなと思えよ」といったらその人はどう思うだろ?
ところがこんな変なことが社会の中にはたくさんある。
「美しい国日本」と総理大臣が言ったから、すべての国民は日本を美しい国と思わなければならない。「そんな馬鹿な?!」と思うかもしれないが、しかし時と場合によっては「はい、美しいです」といわざるを得ない場合もある。
社会には問答無用の強制的な考え方はあるのである。
それに従わないと損をするとか。。。。
世渡りがうまいというのは、この強制をすばやく感知して調子よく従うことである。
強制という言葉がきついなら、こういってもいいだろう。会社などある組織のトップがある方針を出したとする。世渡り上手というのは、自分の腹の中に関係なく「ご無理ごもっとも。。。」と、頭が良いのでその方針に沿った言動をする。そうすればお褒めに預かる。。。。。
裏返せば、トップの言うことを批判すれば損をするということで、損をしたくないなら従えというのは強制である。
なんだか今の世の中はこのようにして動いているような気がする。
なんとなく皆が変だよなぁ。。。と思っていることが社会の流れとしては当たり前になっていく。変だよなぁ。。。と、皆が思っていることだからその流れのままに流れていくと変なことが現実の矛盾となる。今の社会の中に現れていることの中の矛盾はこのようにして出来上がってしまったのではないか?
今の社会では、企業論理は絶対である。。。。。

【2008年】
昨日は春のような気候でしたが、今日は少し寒かったです。それでも太陽が出ればぬくぬく。。。。
布団を干しました。今夜はぬくぬく♪
殺虫剤入り餃子。。。。
どこでどのように混在したのか早く究明して欲しいですね。中国で作られた餃子らしいですが、中国の工場で混在したのか、ニラに農薬として使われたのか?袋詰めも中国?いろいろと報道されていますが、こういう事件・事故が発生した場合は冷静にならなければなりません。中国批判ばかりもしていられませんし、それ以上に感情的な中国間はいけません。
日本の商社や食品メーカーと中国との関係がどのようになっているのか?中国の農薬の問題は企業も知っているはずだと思うのです。
コスト削減のための中国産の食料。。。。
食料の自給率の低下。
問題点は奥深いものがあるのかもしれません。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
年末にシステムキッチンを取り替えたのですが蛇口に浄水器がつけられない物でした。
工事の人に訊いたら蛇口自体をまた取り替えて蛇口に中に納まる浄水器を付けないとだめだと。。。。蛇口の先が伸びてシャワーをつかえる便利な蛇口ですが。
ネットで調べたらかなり高いです。せっかくつけた新しい蛇口を取り替えるなんてもったいないですしそんな高い金をまた出すなんてできません。工事をするときに蛇口に浄水気をつけられるようなものを頼むのを忘れた僕が悪いのですが。
しかたないのでホームセンターに行って溜め置き式の浄水器を買いました。
しかし・・・・・・
フィルターを付けたらすぐに使えると思ったら、その浄水フィルターを使うには何度も水を入れ替えてまずはフィルターの水を通す機能環境を作らなくてはいけないそうで、あふれるぐらいの水を入れて20分置いてから水を捨て、その後通常の寮の水をいれてろ過をしてその水を捨てる。これをなんと3回もやらねばならない。。。。うううう
フィルターの取替えは180回浄水したらやるのですが、いまやっています。。。。
そろそろ最初の20分が過ぎます。。。。気長に・・・・(笑)

【2012年】ツイッターつぶやき
今の民主・自民の二大政党制の中で互いの党利党略のためにそしてスキャンダルの議論に明け暮れる中、政策議論ができずに常に解散風が吹き荒れて政策の実現ができないことを指して「決められない民主主義」という批判が出ている。何も政策的な意見が一致しないということではなくて民主・自民も同じような考え方を持っているにもかかわらず決められないわけです。ですから「決められない民主主義」ではなくて国会内では民主主義の欠如であると言わざるを得ないのではないでしょうか?
しかしこの「決められない」という背景には二大政党の党利党略がじゃ山をしているという現象面だけではなくて、決めようとしていることが民意に反しこの民意が反対をしていることが強いから決められないわけです。その意味においては国民レベルからすれば国民の声が「決められない」民主主義を作っているわけですからこれ自体が民主主義が機能しているということです。
この民意によって決められないことを決めようとするのが「決められる民主主義」として登場する。それはある意味民意に反するわけですから強権とならざるを得ないでしょう。もちろん民意も強い指導力を求めているわけですが、その指導力も正しいかはわからないわけです。もし強権によって形式的な民主主義で決めることができてしまえばそれもまた民主主義に反するわけです。

【2013年】ツイッターつぶやき
時間がないのでツイッターから。。。。


現在の円安は行き過ぎである http://t.co/1MrlxiAz「円安・インフレ政策は、仮にそれが上手くいくとすれば、多くの労働者や年金生活者から一部の輸出産業と政府への所得移転に他ならない」円安やインフレ政策がますます格差を広げますね。
経済成長しても実質賃金が下がるのは何故か? http://t.co/DQmBk0f0 「エネルギーとして機械に支払われる賃金(=エネルギーコスト)を考えると 」。。。。正確には可変資本と不変資本かな。。。。
経済成長しても実質賃金が下がるのは何故か? http://t.co/DQmBk0f0 仮に「人と機械の労働コスト ≒ 賃金 + エネルギーコスト」として見ても円安によるエネルギー輸入コストが上がるわけですから企業のコスト計算はさらなる賃下げに向かう。
生産性の向上は、必ず可変資本(賃金)と不変資本(工場設備やエネルギーなど)の組成を高度化させる。この経済的法則と同時に人為的な失業と賃下げが行われる。資本の有機的組成の高度化は格段に高まる。成長路線が成功したとしても雇用や賃上げには結びつかないだろう。成長路線はむしろ組成の高度化
安倍内閣の成長路線(これはずっと行われてきた古くからの自民党的経済政策でもある)は、企業(特に輸出企業)や不労所得に依存する人々の利益からの名目上の景気対策でありそれをデフレからの脱却と勘違いをする。しかし実体としては国民生活の切り下げによる将来的なバブル崩壊と国民負担の増加。
企業や不労所得に依存する人々を支えるために国民生活の低下が成長路線でさらに行われるとすれば、もう国民にはそれらを養う余力はないだろう。相対的な貧困から絶対的貧困化へと結びつくだろう。格差の拡大(中間層の減少)と貧困化の顕著となる世の中。
現在の資本主義も儲かる(設ける儲ける)ときは自由主義で、バブルの崩壊などの経済が混迷して企業や富裕層の利益がなくなれば全体主義をとって国民負担を言う。国家予算は借金を増やしてそれを社会にばらまくがその金は企業や富裕層へ。国民にはその逆進性の強い消費増税。経済的全体主義である。政治も後追
儲かるときは自由主義で、国民生活を無視した結果におこる経済危機は全体主義で。これをいつまでも続けるか、それとも安定した資本主義としての社会民主主義をとるあか。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
政府も日銀も物価上昇に対して敏感になっている。
物価上昇は景気の回復が進んでいるからだと。
しかし、どうでしょうか?何か重大な勘違いが潜んでいるのではないでしょうか?
物価の上昇=景気の回復なのでしょうか?その物価の上昇が何によってもたらされているのかが重要なわけです。物価の上昇は景気の拡大(過熱)によってもたらされるインフレです。ですから景気の回復=物価の上昇=インフレ傾向なはずです。
もちろんアベノミクス・日銀の量的緩和により物価が上昇し始めていることは確かでしょう。
ではこの物価の上昇は何によってもたらされているのか?景気が回復してインフレ傾向になっているからでしょうか?そうではありませんね。政府・日銀は景気回復のために物価を上げる政策を行っているだけなのです。その物価上昇の要因は円安による輸入品の為替上のものです。実体経済から離れた下落した通貨による名目上の物価上昇なだけです。1本100円の大根が110円という価格になっただけでその大根を消費する国民の経済的な購買能力が10円だけ落ちたというだけです。これを悪性の物価上昇と呼べないでしょうか?消費者の懐も豊かになって大根1本を110でも買うよとなって10円物価が上昇したわけではない。ですから常に物価の上昇=景気回復ではないのです。デフレ不況の中に強引にインフレを持ち込んだような経済学です。
そしてさらに4月から消費増税が行われて3%の増税分を価格に転嫁するように政府は強要をしている。そしてこの価格への転嫁が成功すればすぐに予定通りに10%へ移行する。そこでまた価格転嫁を強要する。
上記したようにすでに悪性の物価高は円安によって行われて次に消費増税の価格への転嫁が行われて物価はさらに上昇する。この消費増税分の価格転嫁もまた悪性の物価上昇なわけです。
消費税の価格への転嫁による物価上昇は可能か?悪性の物価上昇ですなぁ。でも、賃金や年金その他の社会保障関連の手当ても3%自動的に上げればインフレにはなるでしょう。
しかし年金は下げ幅が少し小さくなりましたが減少。平均賃金も下がり続けていますから。。。。悪性の物価高という面では強烈な国民泣かせでしょう。でも、それがデフレ圧力を生み、物価上昇と同時のデフレ作用が起こるかもしれませんからすぐに安売り競争は始まる。独占企業だけに恩恵が。
この独占企業にはもちろん電力会社を始め社会の中枢を握る企業が。
そしてこの独占企業には法人減税が。
賃金や年金その他の社会保障関連の手当ても3%自動的に上げればまだよいのですが、このときやはり物価上昇により1本100円の大根を103円で買わされるわけですからなんら実体経済を引き上げることにはつながらないのです。そして103円の大根に8%の消費税がかかるのです。これは激しいデフレ圧力として商品市場に現れるでしょう。
待ち受けるのは景気の停滞あるいは下手をすれば後退なのです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
出生率が下がり子供の数が少なくなっている。
せっかく生まれた子供の中には虐待などで殺されたというニュースが後を絶たない。
学校に行きだせば、貧困やいじめにあって学習できない子や下手をすれば自殺をする。
幼少期の学力で将来が決まり多くの子はバイトや派遣の仕事に就く。

社会は衰退に向かっているのである。
労働力の再生産が困難な社会。。。。

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
先日書いた「資本主義は眠りにつく(4)」の続きです。
ある商品がすべての生産段階においてIT化そしてロボット化をされていくとすればその商品の追加される価値はゼロに近づく。
とはいえ、その商品がさらに発達するためには人の科学手を発達させる労働力が必要でしょうし、多くの消費者が喜ぶ使い勝手やデザインを制作する労働力も必要でしょう。
こう見ると技術者やデザイン家などの人の頭脳能力あるいは手に職を持つという意味における能力が眠りにつく資本主義においても必要です。
こうなると、現在の学歴社会と言われる単なる学歴だけの評価というものがなくなるでしょう。
以下にその人間としての能力が社会に役立つかは、学歴ではなくて実際どのような頭脳の能力あるいはどのような手に職を持っているかで評価がされるでしょう。
今の社会を見ても起業するといったものよりも職人あるいは専門職そして研究など人の労働が重要視される社会です。労働が重要視されるという事は社会は人の労働により成り立つという当たり前のことが目の前に現れているという事です。またなにも優れた専門的な労働力ではなくても、現在の労働力不足が言われている社会において労働力が社会をつくっているという事は自明なわけです。ここから見ればブラック企業や今の政府が行ってきたしこれからも行おうとしている労働力の使い捨てがいかに間違っているかが理解されるでしょう。
日常使うような物はIT化されたロボットが作り出す。その中で人の労働は必要最小限になるでしょう。そしてその商品価値は単に生産設備やエネルギーそして原材料の身からの価値移転分を残すことになるでしょう。こうして日用品は十分生産される。一方労働力は極端に余るでしょう。余ると言っても今の社会のように一方における過度の労働と一方における失業という余るという事ではなくて、一人当たりの必要労働時間の減少としてあらわれるという事です。
社会的な必要労働時間が減少していけば、余暇が増えるという事です。
この余暇が増えるという事は何を意味するか?
必要労働時間の減少に伴い労働力の再生産時間すなわち生活を営む時間が増加をするという事です。
夫婦が自分たちで子育てをしたり、少なくとも保育園であくせくせずに子育てができるという事です。余暇が増えればパチンコや酒におぼれるという人も多くなるでしょうが、より多くの人々は生活を楽しみ精神活動(芸術など)にその時間を使うでしょう。これは何を意味するか?人の人間としての発展です。
すると、商品の価格は下がり続けますがその消費は多くなる。さらに生産性や使い勝手を良くするような要望が出るでしょう。企業はこれに応えていく。
(以下ツイッターからの追記)
眠りについた資本主義は形を変えてその最高段階に達するでしょう。
このように資本主義が眠りにつくと、困るのは結局は企業やそこに寄生する投資家や政治家、官僚となりますが、同時に一般庶民を食い物にする様々な犯罪で食っている人々もまた困る社会になります。資本主義的社会の仕組みが失われるという事です。
とはいっても、このような状態は国家はもちろん眠りにつきます。その国家という仕組みが眠りについてもその中で人は生きなければならないのですから、ゼロに近づく商品価値をうまく利用して労働時間の短縮や一定の生活水準をすべての国民が受け取れる社会をつくるしかなくなります。資本主義は発展する
それが「資本主義は眠りにつく(5)」となると思います。それは、資本主義は眠りにつかないで発展しなければならないという事です。しかしそれは古臭い資本主義ではない。
安倍政権は真逆な政策を数の力で押し切ろうとしています。
新自由主義というのは新しい資本主義ではなくてこれまで経済を成長させてきた発達した資本主義から19世紀のようなカビの生えた資本主義に戻すことだったのではないかと思います。もちろん戦争という手段も含めて。

今夜は皆既月食です。
関東は曇りという予報でしたが、晴れて月はもちろん星も輝いています。
東の空にまだ低い位置にあります。これから登ってきて月食になると思います。
スパー ブルー ブラッド ムーン

皆既月食中。。。。
というわけかどうかわかりませんが、犬が鳴いています。遠吠えではないが・・・・・
我が家の近くの犬はめったに鳴かないのですが。
そういえば数年前の皆既日食の時も同じ犬かと思うのですが鳴いていました。
動物は何かを感じるのでしょうか?
人間も昔から皆既日食や月食は何か縁起の悪い兆候かと思っていたらしいですが、自然の不思議を思っていたのでしょうね。
赤い月を眺めているとなんだか地球以外の違う惑星に来たような不思議な気分になります。
そういえば、皆既日食の時には、ご近所のおばあちゃんが急に暗くなったのでものすごい勢いで布団をたたいて家の中にしまい込んでいました。まぁ、これも動物的本能と言えるのか。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
忖度という言葉
少し古い記事ですが、もう一度「忖度=忖度させる」社会構造を考えてみるべきです。
そういえば、「大人の対応」「もう少し大人になれよ」という言葉もありますね。
上司「いやぁ・・・君はいろいろと勉強しているね」
部下「ありがとうございます」
「しかし私の意見とは違うところがあるようだね」
「はい、しかし、それは・・・・・」
「君が言いたいことはわかってるから言わなくてもいいよ」
「はぁ・・・」
「理想通りにはいかないことがたくさんあるんだよ」
「はい、私はその点も・・・・・・・」
「うん、私もわかっているんだよ。君の性格を知っているから。」
「恐れ入ります・・・」
「会社だけではないが、大人の対応というものがあるんだよ」
「はい、それは十分に・・・・」
「そういえば、君は今度結婚するんだって?」
「はい、9月には式を挙げたいと思います。」
「家庭を持つことは大変なことだ。仕事も頑張らないとな」
「はい」
「俺が言いたいこと、君はわかるよな」
「は?。。。。」
「大人の対応も必要な時もあることはわかるよな」
「はぁ・・・・」
   忖度
完・・・・
何か問題が起きればこの部下の責任
ここまで忖度をさせられる。
忖度をさせる=同調圧力
政治面で内政において同調圧力を常に用いると、その政治(家)は外交などにおいての同調圧力に弱い。忖度をわきまえているから。
その中での矛盾が内政において同調圧力がさらにむき出しになる。

【2020年】ツイッターつぶやき
ツイッターに「飛鳥川の飛び石」というものが載っていました。
明日香村に飛鳥川が流れていますが、その上流に奥飛鳥というところがあるそうです。
若いころは毎年といってもいいぐらいにならに出かけて飛鳥もだいぶ歩きました。
でも奥飛鳥というところに行ったことがなかったです。
地図を見ると石舞台から歩けない距離ではないようです。
地図を眺めているとまた明日化を歩きたくなりました。
若いころ行った明日香は石舞台もただの土の広場のようなところにポツンとありました。入り口には掘っ立て小屋の受付があって50円ぐらいだったか支払って石舞台を見ました。それから10年以上たって結婚をして子供たちも小学生になったころ行ったときは、土の広場が立派な公園になっていて驚きました。高松塚古墳も立派な博物館になりびっくり。
そしてあれから20年以上過ぎました。今、行ったら明日香村もその代わりように驚いてしまうかもしれません。
でも、飛鳥川の飛び石は万葉のころそのままに残っているそうです。
一度見てみたいですなぁ。その周りの風景も。
若いころはユースホステルにとまりながらの一人旅でした。
また一人でブラっと行って歩きたいです。
旅心がわいてきます。
行けるかどうかはわかりませんが、また若いころと同じように明日香野村を歩き回れるようにとりあえず毎日の速足散歩を続けておこうと思います。

【2021年】ツイッターつぶやき
年末年始から1月の終わる今日迄・・・・・
僕はものすごく早く感じました。
でも他の方はすごく長かったと。
同じ時間の流れにいるのに・・・・・
同じ時間の流れにいるわけですから時間の感じ方の違いは心なんでしょうね。
同時に日常の過ごし方からも違うのかもしれない。
すると毎日同じ行動をしている平凡な僕だからその平凡さから時間の流れが速く感じるのか。
でも、平凡とはいえ、退屈をしているわけでもない。
忙しい退屈。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
今日はアイサイの日らしいです。
1月31日の「1」を英語の「I」と読む語呂合わせらしい。
朝テレビを観ていたら「愛菜の日です」と。。。。。
夕方ラジオを聴いていたらなんだか愛妻の日で男が花を妻に送るのはどうも恥ずかしいとか。。。。
「 愛妻・愛菜」の日
どちらが正しいのか調べたらどちらも今日は何の日の協会のようなところがありそこで認定されているようでした。
というわけでどうしようかと思ったのですが「愛妻」は毎日行っているので、うん?(笑)「愛菜の日」ということで・・・・
冬は野菜の数も少ないので野菜を食べましょうという日らしい。まぁ、今はスーパーにはたくさんの野菜が置いてありますから意識して野菜も食わなくてもいいのかなとは思いますが、今でも季節の野菜というのがありますよね。大根が軟らかくておいしい。そういえば春の七草も野菜ですなぁ。4日は立春で春の始まり。寒い季節ですが体は野菜を欲しがる季節なのでしょう。
というわけで今夜は野菜のメニューで。
かぼちゃの煮つけ、マイタケとピーマンの炒め物、胡瓜の辛子味噌あえを作りました。味噌汁だけは浅利。
今10時を過ぎましたがなんだか腹が減る。でもなんとなく胃腸も重さがなく快適です。
たまには菜食主義もいいかもしれません。

【2023年】ツイッターつぶやき
1月も終わり。
昨日は七十二候「鶏始乳」(鶏始めて乳す)だそうですが、テレビでこの時期の卵は栄養価が高いと言っていました。安くて栄養価が高い卵ですが最近は値上げがすごいですね。以前のように安売りスーパー特売1パック10円というのもなくなりました。
2月3日が節分で、4日が立春♪
以前から七十二候の夕螺版というものを作りたいと思っていたのですが、季節を感じるようなものが東京には少ないですからなぁ。。。。
大寒の「水沢腹堅(すいたくふくけん)」沢の水も凍るには、「夕螺炬燵に潜り出てこない」かなぁ。。。。。
最近は俳句も浮かばないし、少しは季節を感じるように夕螺の七十二候でも楽しく探すのもいいかな。
節分には手作りの恵方巻を作る予定です。
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2024年1月30日(火)「円安は続く?」

2024年01月30日 22時31分21秒 | 「政治・経済」
実効為替レートでは、ドルは安くなっている。
円ドルの為替でドル安になっても実効為替レートでは円は安くなる。
下手をすれば、ドル安円安となるかもしれない。
昔からアメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひくといわれていましたが、今も日本経済はアメリカ経済に支配をされているのですから、ドル安が進んだ時円もドルに支配されていれば円安となり、円安の悪影響はアメリカのドル安よりも深刻になることもあり得るでしょう。
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池に浮かぶ月2144【1月30日】

2024年01月30日 22時00分04秒 | 「池に浮かぶ月」
去年、再稼働の運転差し止めがありその後再稼働した高浜4号機で自動停止があった。
大規模地震が多く、断層は網の目のように走る日本で50基以上の原発が残っている。
能登地震もありましたが、原発近くでの大きな地震は今後も起きるでしょう。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 1月30日(月)「高浜原発4号機自動停止」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「1月30日という日」

2024年01月30日 07時56分31秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
実効為替レートでは、ドルは安くなっている。
円ドルの為替でドル安になっても実効為替レートでは円は安くなる。
下手をすれば、ドル安円安となるかもしれない。
昔からアメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひくといわれていましたが、今も日本経済はアメリカ経済に支配をされているのですから、ドル安が進んだ時円もドルに支配されていれば円安となり、円安の悪影響はアメリカのドル安よりも深刻になることもあり得るでしょう。

≪過去の記事≫

【2004年】
久しぶりにスーパーの食堂で昼食を食べました。「カレーセット」。
ミニカレーに味噌ラーメンがセットになっています。
ハハハ・・・うまくなかった。。。。
本売り場をブラブラしていたら、川上さんの「椰子・椰子」が目にとまったのでペラペラとめくりました。「ムム?モグラと記念写真?」・・・・ハハハ
何だろね・・・これは?
無意識のうちにレジに持っていってしまった。。。。不思議な人だぁ。。。。。と、思いながら
唯川さんの「刹那に似てせつなく」を読みはじめています。この前読んだ藤堂さんと比べても文章のうまさに驚きます。初めてのサスペンスだそうで、その前の作品はホラーで。。。。40歳をすぎて転機がきたようです。
そういえば川上さんも今45歳(きれいで若々しく30歳ぐらいに見えますが)。夏生さんも同じ年頃。藤堂さんの「ソング・オブ・サンデー」の主人公が42歳で、なぜか40歳代というものが人生の中でどんな位置にあるのか考えてしまう。そういえば厄年も。。。。なんか肉体的にも精神的にもひとつの区切りの年齢なのかと思う。

【2005年】
茨城の魚市場に行ってきました。
行く前、いつも今度こそは特大エビフライを食うぞと思いながら行くのですが、いざ行ってみると「せっかく魚市場だから、回転寿司か刺身定食にしよう」となり、魚を食ってしまう。そして会計のときに他の客が食うエビフライを恨めしそうにながめる。。。。ハハハ
今度こそ特大エビフライにしよう!!そういえばアン肝もちゃんと置いてありました。
市場でもアン肝探し。リンクさせていただいているタソガレさんに作り方を教えていただいたので、生のアン肝を探しました。ありました、ありました。。。生アン肝。。。。。1キログラム入り、多すぎ(笑)
仕方なく出来上がったアン肝を買いました。なんという料理だったか?アンコウの身と皮をボイルし、特製味噌で食べるというのも買いました。
ということで今夜のツマミはアン肝と何とかいうアンコウ料理でした。
それにしても寒かったです。
明日からはもっと寒くなるらしい。。。イヤになります。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
アマリリスの球根を植え替えました。
古い鉢の土の中には株別れをした小さな球根もあったので、これも植えてみました。もう10年ぐらい前からの球根ですが、2年ほど植え替えなどサボっていてせっかく大きくなった球根もまた小さくなってしまいました。また少しづつ大きくしたいです。
羽衣ジャスミンやミニバラの木にも新しい芽がたくさん出てきました。羽衣ジャスミンは大きくなったのでこれも植え替えました。
本格的な春が楽しみです!!
狭いベランダですが、暖かい日差しの中、土をいじるのは気持ちのよいものです。植物たちは応えてくれますしね♪
昨日書いた柳沢大臣のスキャンダルもそうですが、選挙が近づくとこうしたスキャンダルが出てくる。たしかに大切な問題なので注目しなければならないのですが、こうしたスキャンダルにマスコミをはじめ国民も、三面記事的にそればかりを見ていると大変なことになる。スキャンダルに振り回されている間に国民生活や未来に直結した悪い法案が成立してしまうことになったり、選挙の争点がぼやかされてしまう。
気をつけよう。。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
ハイエク 知識社会の自由主義
                                PHP新書
                 池田 信夫  著

この著書は、20世紀初頭からの経済学をはじめとし政治や哲学、自然科学を含めた歴史の流れにおいての自由と資本主義を振り返り、その中にいたハイエクというひとりの学者の理論を紹介をし、今という混迷した社会においてハイエクの理論がどのように生きており21世紀においてのハイエク理論の必要性を述べたものと思う。
このように約100年間の時代の流れにおいての記述ですから経済学や哲学そして社会科学などの知識がないと読者自身がハイエクを、それ以上に池田さんのこの著書を書評として書くのは難しいです。ですから、この著書を池田さんの問題提起として捉えてその問題提起から何を僕自身が考えたかという形での感想となる。ですから池田さんの著書の引用や考え方の紹介はせずに僕が受けとめて考えたことだけのものとなります。
この著書は、そのタイトルからして自由主義とは?というものが中心になっていると思う。自由主義とはもちろん資本主義であり、今、こうして混迷をしている資本主義を考える上での池田さんの問題提起であります。同時にこの自由は、国家がありその他さまざまな規制の中においての自由であり、この自由と規制といったもろもろの対立するものをどのように捉えるかにおいて今後の自由主義、資本主義の方向性が出るわけである。このように考えると、この著書はハイエク理論を紹介しながらの池田さんによる自由論と受けとめてもよいのではないかというのがまず一つ目の感想です。
まず自由とは何でしょうか?
資本主義という時代だけを切り取って自由を見ると、資本主義が成立をしてから発展していく過程における自由ということになります。そこには自由という概念が生まれどう解釈されてきたかの歴史です。早い話が資本主義的自由論となります。たしかに自由という言葉や概念がはっきりしていなかった中にも人の歴史があるわけです。
まずは国家の成立の歴史があります。これは社会というものが発達した形として出来上がります。なぜこの国家が世界中に出来上がったのでしょうか?もちろん地域性の違いや成立した過程と時間は違いますが。人がなぜどこでも発達していくと国というものを作り出す。これは不思議ですね。もちろんこれは神が人の歴史の中に潜ませた運命でも仕掛けでもありません。人の行動によって作り上げたものです。世界の発達した地域には必ず国家が出来上がる。これは必然性があるからではないでしょうか?たしかに初めはある地域だけに国家らしきものができたのでしょうが、これは農作物を効率的に生産をしたり、小さな部族集団ならば簡単につぶせる軍事力も持つ。こうなれば必然的に国家というものは発達をします。広がります。ここに必然性というものを否定できません。
必然性というのは概念的な自由とは対立します。対立するだけではなくて観念的なものではない、実際の人の行動の自由はこの必然性に規定をされてしまうということです。発達したないなら滅ぼされたくないなら強力な国家を作るという古代の自由な行動です。
もちろんこの国家もはじめはシャーマンや部族を超えた民族的な英雄が出てそこに部族が結集していくとか、共同の農作業とか助け合いもあったかもしれないが、ある意味偶然性の中に誕生したかもしれないが、一度国家らしきものが生まれその役割が認識されるようになれば、その偶然は必然になっていきます。いろいろと人々の集まりが自由に行動をしてそこに偶然性があるわけですが、ある瞬間にこの偶然性が必然性になると自由は必然性の中においての自由となります。
国家が生まれれば生産力は拡大をしていきます。分業も発達していきます。分業が発達すれば物と物との交換が必要になります。生産の余剰を王が支配します。物々交換の非生産性の矛盾から貨幣を生みます。武力も集団的な組織的な強さを持ちます。攻め入って皆殺しをして生産物を奪い土地を得ることからもっと生産性のある奴隷制度も生まれます。農作物のより多くの収穫のための自然科学も芽生えます。その国家の殻に見合う宗教と哲学が生まれます。こういうものがまた国家を発展させる中での自由となります。
このように観念的な自由感は国家が出来上がること生産性を高めることという必然の中においての自由となり、必然性は、その時代の発達した地域はもちろん北の方の小さな島国にも同じことがその地域性の条件や時間の流れに差があるにしても同じ硬いとして現れることから見ても必然性の中の自由ということになります。
それ以後も王に対する地域的な領主の闘争や互いの妥協があり農奴制ともいう封建制度の国家が生まれ、また国家の統一を必要とした絶対王政の中からの商人の台頭が起こり資本主義も生まれます。これらの歴史の流れはやはりその時代の先進国内に共通して起こります。
なぜ人の社会がこのように共通性を持つかといえば、それは必然性とはある法則性があるということです。それは、生産力が高まればそれを一人の王やその部族だけでは支配できなくなり、今で言えば地方分権のような形でその地方の領主に権限をもたせなくてはならなくなります。ただ巨大化する国家の歴史は短い。領主が力を持つには奴隷であった人々の自由を味方にしなくてはいけない。ある意味国家の発達は一般主民の開放の歴史です。それもまた必然であるということです。生産力の発達は国家という殻の形と一般庶民の行動を規定していきます。奴隷として王のために身をもって労働をさせられることの非生産性。昔読んだ本に、防人に取られた家族は農業もできなくなったということもあるそうです。一般庶民を土地に定住をさせて農業の安定化はあるわけです。でもまた統一的な国家は出来上がり絶対王政も生まれる。日本でいえば徳川幕府のような。
農生産物が増え、自然科学も発達をし、統一通貨は流通をして信用制度も生まれる。大工や農機具生産その他もろもろの分業と初期の工業の中の徒弟制度の発達。分業はますます細分化されます。分業はまた商業を発達させます。領主の土地から農民を自由にしなくてはならなくなります。領主は米を金に換えなくてはいかないし両替商は領主に金を貸す。商業は世界を駆け巡る。自然科学の発達は科学全般の発達につながり、産業革命がはじまれば膨大な生産力を使いこなすのは領主ではなくて商人である。また国家の殻はその生産力によって変えられていき資本主義となる。同時に画期的なことは、商人が領主と肩を並べるには農奴制の中にいる一般庶民を味方につけなくてはならないということで、土地に縛られることからの開放を問う。今までも意識されたことだろうが、自由とか民主主義とか平等とか言うものが国家としての理念として生まれたことであり、それが発達してきたということである。だからその中に議会制民主主義がある。古代ローマの議会制度は奴隷を支配するローマ市民のための民主主義だったが、資本主義はすべての人間の民主主義としたところが画期的である。
競争による生産の爆発的な発展とそれに付随する株式制度などの金を集中させること、そして何よりも自由な市場。そこにプラスさせて理念としての自由や民主主義そして議会制民主主義。これが今時点の人類社会の到達点でしょう。
しかし、これもまた理想の社会ではないと社会主義が生まれその失敗があった。失敗はあったが資本主義も永遠の社会制度とはいえなくなってきた。
あまりにも発達した市場は計画経済では管理しきれない。洋服一つとっても昔の中国の人民服に規制をすればある程度は計画的な生産はできるが、今のような複雑な市場に出回る洋服は管理しきれない。ここから市場に規制は必要ないし発展を妨げるという見方も出る。しかし市場が一人歩きをしていく中に景気循環が現れ人が自ら作った市場に翻弄されてくる。生産力が高まる中に今で国家や企業の安定のためには自国民を犠牲にしなければならないという事態も発生してくる。
国家の発展は鈍り有り余る生産物の中に貧困が生まれる。これがまた生産の発展の足を引っ張る。資本主義は老衰化する。
この老衰化した、というよりもその役割を終えそうなまでに発達した資本主義をどのように感じるかはこのブログ内でいくつか書いてきた。
「資本主義」
模索
昔も今も、実りのない競争意識
合理的な終身雇用・年功序列型賃金。退職金制度
雇用者数と労働時間
資本主義的な競争
雇用問題とは?
相対的格差と絶対的格差
雇用は最大の福祉である
何の統一性もなく書いたものですが、今の現状として感じるものです。
もう製品を輸出する段階を飛び越えて資本自体が輸出される。安い労働力を求め、そして市場を求めて中国をはじめとした発展途上国に企業は移っていく。先進国同士にも互いの資本が入り現地生産をされる。国内は産業の空洞かも言われ雇用は狭められるし中国の労働力の値段などと国内の賃金は競争させられる。国内生産は、精密機械とコンピューターが結びついたロボットが製造業に入る。労働時間は長く一方には失業が生じる。低賃金できつい職場には外国人労働者が入ってくる。その外国人労働者とも日本の労働者は競争させられ低賃金化は進む。雇用形態の変化。中流意識の激減と階層化・格差の拡大。
いまや豊富な中の貧困が資本主義の実態である。
豊富な中の貧困は国内消費を低下させる。スタグフレーションとデフレという景気循環。
この中で自由とは何かが問われはじめている。
ある意味自由な市場に任せれば解決されるという新自由主義の崩壊。
もう自由や民主主義は必要ないという落胆。一方には企業生き残りのための更なる自由市場をと。
自由と民主主義の発達の中にいた資本主義が、いまや自由と民主主義をもてあますような実態にあるのかもしれない。そして自由への賛美は資本主義的自由の露骨さとして。
自由が必然性の中においてだけ自由であるということは、資本主義という殻の中においての資本主義的自由という制限された自由として理解をされ進む。ハイエクが唱える自由とは何かはよくわからないし、池田さんがハイエクを評価する中の自由というものもよくわからないが、ハイエクの著書を評価して現実の社会にもし適用したと言うなら、それはサッチャー・レーガンの政策となる。日本でいえば中曽根内閣である。ハイエクがどのように考えたかはわからない(実際本を読んでいないから)までも、その理論が現実な自由な行動となった一つの形が資本主義的自由というから野中にあったということはたしかだろう。それは新自由主義であろう。
行財政改革、民間活力の導入という民営化路線。経済のグローバル化(この時期だったか?)。市場原理の導入。そして社会主義との闘いと国内にあっては強力な労働組合との対峙。新自由主義は勝ち世界はこの論理で進んでいく。しかし経済の発展と共にすぐに日本ではバブルの崩壊となり、今はアメリカにおいて同じバブルの崩壊が起きている。ここに一つの結果が出ているわけで、70年代の頃からの自由な行動、資本主義的自由の野放しの状態の自由。これが結果として出ているのである。
自由といって一つに行動が出れば必ず一つの結果が出る。これは当たり前のことであり、一人の人間が事由にといって行動すればその結果は出るのである。不可知論的自由論はこれを言っているだけではないか?ここには自由の法則性が忘れられる。自由に行動して一つの結果が出るだけでは社会的な発展の中においては無謀なのである。社会的な行動は社会の発展を見つめなければそれは自由とはならない。日本のバブル崩壊や今のアメリカをみれば自由と思っていたものは最悪の自由の規制となっていることに気付くわけである。
この中においてなおも資本主義的自由を拡大しようとするのだろうか?
儲かるときは自由主義で、今のような事態になったら国家の力で、とは。。。。
結局は民営化路線や市場原理の積極的な導入といったものなどは何だったのだろうか?結局は国家の介入をということである。そして国民生活の犠牲である。これが資本主義的自由の法則ともいえる。それは自由ではなかったということである。
今の世界の情勢の中において自由でありたいなら、それは新自由主義の更なる適用ではなく発想の転換が必要となる。
それは社会民主主義というものが一つのヒントになるのではないか?
社会民主主義は資本主義である。同時にマルクス主義から生まれた一つの社会科学である。今のように市場が発展した中に計画経済にはある限界がある。その意味において計画経済は否定をされるが、同時に野放しの市場を認めない。常に需要と供給、市場価格と商品価値の一致を求めていく市場監視と市場管理である。そこには労働価値説と市場経済との共存がある。自由という概念は、市場を野放しにして結局は人間が市場に支配されるというような自由ではなくて市場を監視・管理するという人間が主体となる自由である。計画経済はできないが市場を監視・管理することはできるだろう。
今のように不況ともなると、ケインズの理論=公共事業という発想になり、今またその方向に行くかもしれない。これを批判するのは正しいし、好況のときは企業からの税収を上げて国家財政のバランスを維持するということを忘れたこれまでの政策を批判すべきだろう。ケインズの理論は失敗をしたとして新自由主義という考えもあるが、しかし発想を変えてみればケインズの理論の正しさもある。上に書いたように好況時には企業からもその利益に応じた税金をしっかりと取るという政策と同時に、公共事業の社会資本の整備と共にこの社会資本の整備は国民生活に直結したものとして支出されなくてはならず、完全雇用や高齢化社会という今の情勢から見たときのその関連した事業への社会資本の配分ということになる。公共事業を行えば雇用が増え、雇用も増えて購買力も高まるといったものはもう破綻をしている。そうならば逆を行くしかない。国民生活の安定と雇用が伸びる中に購買力や税負担も増え、国と企業の安定につながるという発想に転換しなくてはいけない。これは福祉ではない。社会のシステムを変えるということである。
ここに、政策を転換するという人間の自由があり、それをシステム化していく中に市場を管理するという自由があることにもなるのではないか。
市場は生き物であり、どう変化するかはわからない。時には資本の移動と労働力の流動性が必要になる場合がある。今はこれを労働者の解雇というものが付き物であり、その悲惨さは社会の損失でもある。この時に、労働力を移動する社会的なシステムができていたらどうだろう。失業ではなくて社会的な責任としての再教育と生活費の補償。このシステム作りが社会資本の整備なのである。また企業にとっても労働力の移動がスムーズに進むだろう。
長時間労働そしてサービス残業や風呂敷残業がいわれる中、このような労働時間をそのままにした産業の生産性の向上は、労働者数を制限していく。需要と供給の関係から完全雇用は賃上げ傾向を示すので必ず失業者を必要とする。そのための長時間労働が必要になる。生産性の向上は競争と利潤に欠かせない資本主義的自由の絶対条件である。それは常に解雇を含む労働者数の削減傾向を示す。一方においては、生産の拡大は絶対的な条件で、この生産性の向上は無政府的な商品の過剰傾向を持つ。これらは資本主義的自由の業病である。
効率性の裏にある労働力の無駄遣いという非効率性。経済的理由での自殺の増加、若い人の精神疾患、金目的のあらゆる犯罪の増加。社会の腐敗が進む。
効率性のための自由が非効率性を深めていくという矛盾は、自由自体の制限として不自由になっていく。この中で将来的にも自由でありたいなら、労働時間の短縮と労働力の流動化を社会の責任として生活の保障と再就職の(もちろんある程度の賃金が保証される)迅速さというシステムを根底に作らねばならないということであり、ここに始めて労働力の流動化というものが矛盾ではない社会的なシステムとなる。これが自由でしょう。好景気に株や土地への投資をしたり、海外の不動産にまで手を広げたり、それでも金が有り余るからと絵画まで買い付ける。そしてバブル。社会的基盤を作るには、好景気には企業もそれなりの責任を果たさなければならないのである。それは税をきっちり負担すると同時に、労働時間の短縮を行わなければならないのである。この企業の責任の中に市場の安定もあるでしょう。儲けをギャンブルのような形で計上する矛盾をなくさなければなりません。企業の自らの責任を果たすことで企業自身も自由となるでしょう。
ある工場に生産設備が整い原料が運び込まれる。そして労働力を買い工場に配置をする。そこから商品が生産されて市場に出て行く。商品はある価値を持って貨幣に交換される。この過程に商品が生産されることは労働によるものだとだれでもが認めるでしょう。これは資本主義だけではなくてこれまで人間が生きてきたのは労働があったからです。ですからあらゆる商品は社会的な平均としてどのくらいの労働力の消費があったかで価値は決まるわけです。しかしその商品が市場に出ると市場価格で売られる。有用価値とでもいうのでしょうか、ここに労働価値説は否定をされるわけです。
でも、不思議ですね。あらゆる商品はどのくらいの労働力を使ったか、それをいくらで売らねばならないかで計算され、これは労働価値説です。しかし市場に出るとこれが忘れ去られる。この本来の商品の価値と市場価格が一致しない中に景気循環が起こるのではないでしょうか?ある前衛芸術家が、重さの違うさまざまな材質を使ってオブジェを作ったとする。その重心を計算で見つけるのは困難だが必ず重心はある。この重心がある意味商品の本来の価値なわけでなかなか認識できない。オブジェの安定に右往左往する。商品の生産量が増えて息社会全体が商品の過剰感を意識すると市場価格は下がって行き重心である本来の価値に向かう。しかしそのときにはすでに時遅しで過剰な商品はその価値以下でもたたき売りをされ、工場は閉鎖をされていく。社会全体が低成長とかマイナス成長という中にこのような現象が出る。恐慌につながっていく。
ある店に行ってある商品をある分量いくらで買いたいといったとする。すると店は冗談じゃないそれでは売れないよという。そのときおれはこれしか金を出せないよという。こういう買い叩きはできません。おれは5万しか出せないがその20万のテレビを売れとはいえません。ところがある商品だけは、この経済法則に外れた商品があります。労働賃金です。いまや買い叩きが目に見えすぎるほどです。その買い叩かれた安い賃金で長時間量動力は消費をされて多くの商品を市場に送り出しますが、その商品を平均的な生活としては消費できるだけの賃金ではない。商品は有用であるから売れるが、いくらほしいといってもその有用は懐の貨幣量によって決まります。もちろん、パソコンがほしいと思えば買うでしょう。しかし食費を削るかもしれない。洋服は買えないとも。ここに経済法則は崩れます。上に書いた景気循環がこの労働力という商品の値段からの経済法則の崩れから加速されます。ある程度の社会的な生活をしていくうえでの賃金額は絶対なのです。それは、年齢と共に必要な生活費は違ってきますから年功序列のようなものが必要になりますし、それが否定をされるとなお経済法則は崩れます。
資本主義的自由は、より安く賃金を買い叩きそれもまた清算の効率化となりますが、今みたように結果としては経済法則を崩して恐慌を早めるという中に企業自らその自由を奪う結果となります。
ここから企業は新たに自由を得なければなりません。
賃下げが競争のためには必要。ならば物価を下げるために経済法則にのっとり独占価格のようなものをなくさなければなりません。社会的なシステムとして賃金からの必要経費を只にしていかねばなりません。たとえば、夫婦子どもがいる平均的な家庭において、今は自分が死んだら妻子が困るからといって多額の生命保険を支払う。しかしどうでしょう、自分が死んでも妻が食っていけるだけの雇用が社会が補償をして子供の教育費は能力があれば大学まで只だとしたら。そうしたら生命保険料というものは賃下げできる要素になります。また一番大きなものは土地です。もし仮に土地が只になったらどうでしょう。上物だけなら何とかなります。30年ものローンの負担は軽くなり賃金を下げる要素ができます。そのた医療や老後の心配のための貯金とかさまざまな社会的システムでどうにかできるものがあるはずです。このようにしか矛盾のない賃金を下げる要素は保障されません。これが社会民主主義でしょう。これこそ効率性がよくなるのです。この社会的基盤をみないで、解雇規制を撤廃しろとか、中高年者の賃金を下げて若い人の雇用をとかいうものは効率性を言う割にはかえって非効率的なのです。
労働者の生活費を切り下げるのではなく、低い賃金でも平均的な生活ができる程度の社会のシステムを構築することがこれからの国際的な競争にも勝てる要素が出てきます。
(続く)
うん。。。。
もう書くのがかったるくなりました。
また池田さんの本やこのような傾向の本を読んだときに、また、池田さんのブログを読ませていただいて考えることがあったときにまた触れていきたいと思います。。。。

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
ピラミッドをテレビで見たとき、人はわけのわからぬ一人の人間の贅沢や精神的自己満足のために気が遠くなるような命と労力を犠牲にさせられたと感じます。それが歴史上においての科学や文化の発達につながるのですが一人の人間の贅沢や自己満足からの命や労力の犠牲が少なくなることが発展なんでしょう。
数パーセントの人間の贅沢のために数パーセントの人の犠牲による困窮はもうやめにしなくてはいけません。中間層をいっぱい作らないと。。。。そろそろセレブを夢見て犠牲者を作ることから脱却する発展段階に来ている。
大きいパイを得るために競争し、パイ自体を大きくしていく中に経済や文化そして科学の発達もありましたが、今やこの競争がパイを小さくしている。それは多くの人の犠牲のほうが大きくなったから。パイがしぼむ中の大きなパイの分捕り競争。そこから離れて人の成長としての新の競争を始める時代です。
現代のピラミッドは株式会社ということです。「会社を守る」会社が大きくなってもそれはアメリカや中国を富ますことにしかならず、国内は会社を守るための法人税減税とその対極として消費税増税。アメリカや中国の富はバブルに結びつき必然的なバブル崩壊による結果は国内での国家による救済。
今年の就職率は過去最低だそうです。卒業してすぐに失業。だからというのか就職活動時期は下がると?一方では仕事がきつくありませんか?長時間働いていませんか?これが現代の「ピラミッドを作る」ということです。
ピラミッドは精神の中にも現れます。心の中です。いろいろと常識に浸かっていると心の自由が奪われます。常識という作られたピラミッドに縛られます。未来を描いたSF映画に皇帝や戦争が遠い未来にも存在します。こういう未来しか見えないのでは寂しい。夢を持って未来を!ピラミッドなどない未来を。
心の自由を求めてピラミッドという常識からはなれると、常識から孤独になることがある。常識の中で一人ぼっちになることがある。でもこの一人ぼっちも一人でいるほうが好きともなります。心の自由があるから。必然性が出てきます。その必然性は心が自由であるという人が増えていくこと。
              (以上ツイッターより転載)
チェニジアに続いてエジプトでも民主化を求めたデモが広がっているようだ。
フィリピンでしたっけ?昔イメルダ婦人の靴が話題になりましたが、チェニジアでも。エジプトではどうなんでしょ?ピラミッド崩れゆく。。。。。
エジプトは親米の国と思うのですが、発展途上にある国々は昔から冷戦の中でアメリカや当時のソビエトの影響下においてその政権が維持され、時には代理戦争というものもあった。冷戦が終わったとはいえその傷はまだ残り民主主義と自由の国と自負するアメリカと近い関係のある国でもカイライ政権のような形でのある意味独裁的な国家が存在をするということです。今はそういう国々も国民の意識が目覚めてきているということでしょう。
アメリカが中国の民主化を求めるということは、同時にアメリカの影響下にある国々も民主化を求める国民が台頭するということでして、アフガニスタンやイラクも同じ状況にあったし、その政権が反米になれば独裁が言われて戦争になる。これが国益なわけです。
でも、だんだんとその国の国民が主権を持っていくことでしょう。
先進国の株式会社や金融というピラミッドも崩れ行く。。。。。
日本の財政赤字はほかの先進国の病魔でもあり、アメリカはその経済力と経済や金融の中心であるということから守られるピラミッドであるだけです。
先進国でも国民が自身を見つめるような、でも、平和的な方法で変わっていくでしょう。。。。。政治というのは、それが変化していくときには、デモやそういった国民運動によるものではなくて、その底辺で流れているその政権の土台がもう今の社会の仕組みを維持できなくなるまでに矛盾が高まるからです。だから変化していくわけです。

【2012年】ツイッターつぶやき
「税と社会保障の一体改革」と主張された消費増税国会が始まっていますが、どうもこの一体改革の中身がますますわけのわからないものになっているようだ。最低保障年金7万円を打ち出しての一体改革でしょうが、どうもこれには将来的にさらに7%ほどの消費増税が隠されているようです?
これまで震災の災害復興は所得税と法人税などの増税で行い、社会保障は消費増税で行うとしてきました。ところがこの消費増税には防衛費や公共事業費などの財源も含まれたものがあったようでこれを岡田副総理が訂正をして消費増税は社会保障財源だけに使うとした。また、社会保障全体の中に年金改革が含まれているが、上にも書いた震災復興の財源確保との絡みもあり、「税と社会保障の一体改革」が「『消費増税』と社会保障の一体改革」あるいは「『消費増税』と年金改革」へとすり替えられたような気がする。
政府や民主党内に混乱が生じているのでしょう。
更なる7%の消費増税が必要というのは、未来にも社会保障は消費増税で行うというものを固定化させる作用があります。震災復興のためにしばらくは社会保障は消費増税でという本来は「税と社会保障の一体改革」の中での特別な理由であるものが社会保障は「税」との一体改革ではなくて消費税と一体な改革であるというものに変質をしてしまったのではないか。復興がある程度なされるであろう10数年後も所得増税(特に高額所得者層への増税)や法人増税などは抜きにして消費税で行うということである。
民主党が隠ぺいしているのは、単に将来的な更なる7%の消費増税だけではなくて社会保障あるいは年金は消費増税で行うということを固定化させることにあると思う。
もちろん今の消費増税にも国の全般的な税収と予算から見ても疑問があるところだが、仮に消費増税が行われたとして社会保障や年金がどう改善されるかの具体的なものが見えず、予算では社会保障費自体が削られていることもあり、どうも「消費増税と社会保障の一体改革」あるいは年金制度の改革も気をつけないとごまかされることになるのではないか。
いろいろと議論しようということには国民も納得をするが、それ以前に国民は騙されるのではないかという危惧から議論をしなくてはならない状況になっている。

【2013年】ツイッターつぶやき
総額92兆6000億円の新年度予算が決まったそうです。
新たな国債発行が42兆円。。。。。
社会保障費が3兆円弱増えていますが、国の基礎年金負担分2兆6100億円は消費増税を前提に消費増税後に返済する「つなぎ国債」で行われます。一方では公共事業費が7200億円のびていますし防衛費も400億円のびています。
野田政権の末期の頃、国の財政健全化には消費税は10%でも足りないといった論理が報道もされていましたが、税と社会保障改革は消費増税はすべて社会保障に回すというものが崩れつつありました。消費増税分は公共事業にもという声も出ていました。今回の新年度予算はこの傾向を強く表したものではないかと思います。「つなぎ国債」を発行すると同時に公共事業費に予算を配分する。
2012年度補正予算では5兆円ほどの建設公債を発行するという。これは公共事業費でしょう。
新年度予算は極力赤字国債の発行を抑えたと言われていますが、「つなぎ国債」や補正予算での建設公債の発行を含めれば国の借金はそうと増えると思われます。10兆円ほどの公共事業費。。。となるという事でしょうか?
建設公債の発行そして消費増税を先取りした借金。
公共事業費を抑えて補正予算での建設公債を抑えれば消費増税をあてにした「つなぎ国債」は必要ないでしょう。
安倍政権の成長路線にはこの公共事業が欠かせないものとなっているのではないでしょうか?三つの矢とか言われる成長路線ですが、どうもこの公共事業の増加というものが隠されている湯な気がします。
公共事業ではある産業の需要が増えるわけですから景気への一時的な刺激になるでしょう。不動産や株の値上がりそして通貨安競争での円安は企業利益にもつながり特定に人々の収入を上げるでしょう。しかしそれが国民生活の恒常へとつながるかといえばそこには具体的な政策はありません。
結局は国民生活の疲弊と同時に更なる国家財政の悪化による借金の増大に消費増税という形で苦しまされ、2%のインフレ目標はさらに生活を苦しくする。
安倍総理の所信表明演説は、国民への問いかけという形が強くあったように感じます。その中で様々な耳触りの良い言葉が出てきますが、「美しい国ニッポン」と同じように現実の政策は国民生活から離れたものといわざるを得ません。原発事故と脱原発への言及もないようでしたし。

【2014年】ツイッターつぶやき
まずは今日のツイッターから。。。。
安倍首相は韓国・中国に対して「対話のドアーを常にオープンにしている」と語っているが、私的心での靖国参拝で日本政府の前に靖国の鳥居を作ってからその鳥居をくぐってくればお会いしますよという中身でしょう。もちろん韓国や中国もある種の鳥居を作ってその鳥居をくぐればいつでもお会いしますと。
その鳥居とは歴史認識とその具体的な言動に現れているわけです。戦後というものは時間の流れの中で過ぎ去っていくが、歴史認識は常に現代において言動の中に現れる。
戦争というのは国益のためである。その国益に国民が動員される。国民は戦争により得るものはない。たとえ勝っても。たとえ勝っても戦争による国益は戦争によって取り返されるのが歴史の事実である。やはり国民の利益ではない。歴史認識はこの戦争を否定するところから戦後が始まった。
この意味での歴史認識からすれば先の戦争を正当化させたり正当化させるようなイメージを含めて戦後の現代国家は否定をしているのである。慰安婦問題も戦争時にはどこの国でもやっていたことだとして現代においてもアメリカ軍に風俗利用を進言することが歴史認識から外れる。
韓国や中国を刺激する靖国参拝を国内憲法においても疑問視されながらも個人の心や心情から参拝をすることもまたある意味では歴史認識からずれるでしょう。

安倍総理の靖国参拝も「なぜこの時期に」という見方が多くあったでしょう。当然韓国や中国の反発は予想されていたし。同時に安倍総理は「対話のドアーを常にオープンにしている」とずっと言い続けている。
韓国や中国にすれば見下げられている戸という感情を「対話のドアーを常にオープンにしている」という言葉に見るのではないか?安倍総理ではないが、風俗をアメリカ軍に進言することはもちろんアメリカにとっては見下げられていると受け取られるかもしれません。
相手国の心に棘を刺してからきれいな言葉を並べてもだんだんと通用しなくなるでしょう。ですからアメリカさえ靖国参拝には失望をするわけです。
では国内政治ではどうでしょうか?
アベノミクスへの期待感は確かに出ていました。そして賃上げを財界に呼びかけることでも勤労国民の期待感を膨らませています。しかし派遣法の改悪など労働規制の緩和自体が低賃金層の拡大につながりそれが労働者全体の賃金の引き下げ傾向を呼ぶ。きれいな期待感をあおる言葉と現実の政策。ここに国民感情として国民は見下げられているのではないかという気持ちが出てこないでしょうか?
今国会は「高循環社会の実現」という経済問題を中心にした国会であるはずですが、政府は教育問題を前面に出す。これは前国会での秘密保護法案と同じですね。経済問題は国民負担を増やし、国政は国民を縛り付ける統制的なもの。これをまた数の力で。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
資本主義は常に経済成長が続かないと維持できないように思われている。現在の先進国をはじめすべての国はこの成長を目指しそのために金融政策を中心に経済の上部構造である政治もこの成長を維持しようとしている。
しかし一方では特に先進国ではこの成長鈍くなりついに慢性的なゼロ成長あるいはマイナス成長に転じている。このために中国をはじめに発展途上国への資本輸出と資金の集中が行われ、その途上国の経済成長に先進国は自国の資本輸出からその利益の拡大を行っている。先進国の多国籍企業はその利益を拡大する一方で国民生活は相対的な貧困の格差に苦しむようになっている。
国内生産は減っていく中で雇用の不安が常に働き、労働の主となるものは性産業からサービス業の労働に転じる。
以上の経済の動きはなぜ生じるのでしょうか?
こう書くと「えっ?」とお思いになるかと思いますが、資本主義の資金は生産性の悪いところに集まるのです。
もちろんこれには条件があり、生産性の悪いところが将来的に生産性の向上が可能となる展望がある場合に資金は集中していきます。
国内を見ても生産性が大きく上がり生産性の向上がが飽和状態になったところか労働の生産性の悪い業種へ資金を集めて生産性を上げていく中での利益を求めるのです。これは起票間の生産性向上の競争が組織され、より生産性を高めた企業が特別剰余価値を得ることができるからです。この競争からその産業がまた生産性の飽和状態に陥ります。また生産性向上はより少ない労働力量でより多くの商品を生産しますからその商品の価値低下を招くとともに企業間競争はより多くの商品を生産できる中でその商品の過剰が起きます。これがその産業での生産性の向上の飽和状態を起こします。
これと同じように先進国は成長可能な発展途上国に資本輸出をし、特別剰余価値の生産を行います。ブラジルやインドが飽和状態になれば中国に資本は移動をして、中国が飽和状態になればミャンマーに資本は移動をする。
資本主義は発展をしながらこの矛盾を繰り返さざるを得ないのです。
人間の生活をより豊かにするはずの生産性の向上が逆に国民生活を貧困化させるまでに矛盾は拡大をしています。
これを資本主義的合理化といいます。
ですから日本の行動成長期にあっても総評は賃上げと同時に合理化反対闘争を組みました。
ではこの反合理化闘争は生産性の向上を否定するのかといえば、確かにそのような宣伝が知識層やマスコミからもありましたが、より少ない労働でより多くの商品を生産すること自体には反対はしませんでした。しかしこの生産性の向上により解雇や賃下げそして労働の強化が起きることに反対をしたのです。
繰り返しますが、本来生産性の向上亜人間の生活を豊かにするのです。
労働者の要求は、生産性の向上による商品価値の低下をそのままに商品の低価格化に反映させ、労働力の養生は労働時間の短縮に向けよという要求なのです。
商品価格の低下は相対的に実質賃金を上げます。労働時間の短縮はより人間らしい労働条件を作ります。
ですから反合理化闘争は生産性の向上を否定するのではなくてその結果を労働者の生活の向上に結び付けよということなのです。
今、またこういう要求が必要ではないでしょうか?
企業花部留保を抱えて苦しんでいる。使い道がないのです。危ない金融商品や利回りの低くなる国債にも限界があります。しかし投資をする場がなくなりつつある。
そのような利益を労働者に還元することにより賃上げも労働時間の短縮も不可能ではないのです。
資本主義の発展のためには労働者の要求を生かした社会民主主義政策の導入しかないのです。

【2017年】ツイッターつぶやき
東京も寒の入りとともに寒い日が続いていましたが、天気は晴れ続きですので寒さに対しては楽な日が続いていました。
そんなある日すごく良く晴れたのでニチニチソウを日向に出してあげました。
このニチニチソウは夏の間に咲いた花の種から芽生えたものです。白と紫野の二色を一緒に鉢に植えて室内で育てています。花は小さいのですがたくさんの花をつけています。
日向に出したのはいいのですが、夜になっても室内に入れ忘れてしまいました。
すると、朝になって気づいて見たら、葉っぱはくるりと丸まって細くなってしまい、花も多くが落ちてしまいました。もうだめかと思ったのですが、すぐに室内に入れて温めてあげました。
すると1日過ぎたら葉っぱも花も立ち直りました。良かったです。
5月ごろになれば室外で楽しめると思います。
出窓の松葉ボタンも大きくなってきました。
やはり5月に入ったら植え替えてあげようと思います。
種から育てたビオラは元気です。
冬もちょっとした工夫で花を楽しめます。

【2018年】ツイッターつぶやき
先日書いた「資本主義は眠りにつく(3)」の続きです。
昔、手塚治虫の漫画にある商品をすべてロボットが作り出すが、多くの市民はそのロボット化により職がなくなり困窮している。すると工場から出荷された商品は売れなくなりすぐにそのままごみ処分場にもっていかれる。皮肉にもそのゴミを運ぶのが人間だった。。。。というものがありました。
現在はそのロボット化と同時に商品管理や生産数などをIT化によりコンピューターが行うようになる寸前です。
コンピューターはその国の人口や人口構成を計算して必要な商品量を決定するでしょう。その商品を生産する産業内の調整も行うかもしれない。この時コンピューターは一般庶民の懐にある通貨量と関係なく一般国民が消費するであろう商品量で生産を始める。すると上の手塚治虫の漫画ではないがその生産された商品は売れずにゴミ処分場に大部分を持ち込むことになる。仮にコンピューターが一般庶民の懐にある貨幣量も加味して生産量を決めたとすると、ゴミ処分場に持ち込まれる商品は少なくなるが、絶対的商品の生産量を減らすでしょう。
一方でその工場の資本の有機的組成は可変資本はゼロに近づき、不変資本がほとんどとなりますから新たな価値生産はゼロに近づく。ロボット自身も含めた工場設備や電機などのエネルギーそして原材料を仕入れてそれをすべてロボットが加工して商品とする。この時出来上がる商品の価値は、ロボットや工場設備の減価償却費、エネルギー、原材料、これらの価値を新たに生産された商品に価値を移転しただけとなり、新たな価値生産はゼロとなります。新たな価値生産がゼロになるという事=搾取率がゼロという事であり、その工場の持ち主には利益が出ないことになります。まぁ。向上工場の持ち主が向上工場を維持しようとする労働がありますから少しは新たな価値を生み出すでしょうが、この工場主の利益は自分自身を搾取して得られたものにすぎないでしょう。
もちろん新たな価値生産がゼロになる政界が国内すべてで行われるなら、株主という不労所得者あるいはセレブ、利権にしがみつく官僚や政治家もその存在価値をなくします。
資本主義が眠りにつくのです。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
食品への増税延期、カード決済などのポイント制な対策は行うとするが、対策の多くは恒常的なものではなくて9か月間。これをもって消費増税を行うとする。
しかし勤労統計不正など様々な統計の問題点が表面化してきた。
日本政府の統計の信頼性が後退して、経済政策の根拠が崩れた。これまでの国会答弁の重さも崩れた。さらに不正がどのように行われたかの調査も鑑定の力が入り身内の聞き取りに終わっている。
このような中でも安倍総理は消費増税を行うことを撤回しない。
消費増税が延期になり再度増税を行う条件は、勤労国民の所得増も含めた経済の好転です。しかし勤労統計などの統計はまさに経済の好転を否定する内容になるかもしれない。すでに労働者の実質賃金は高い伸びどころか2018年の1月から11月はマイナスになるといわれている。
もうめちゃくちゃな政府が消費増税を行えるのか。
もちろん統計不正の表面化ばかりではなくて、高齢化社会での年金生活またはプラスバイト賃金、ワーキングプアーは生活保護以下の生活を強いられる状態。若い人へは搾取強化と国による収奪。格差と絶対的貧困と相対的貧困の増加。
消費増税は無理だ。。。。。。。
しかし自民党はただでは転ばないでしょう。
消費増税を行ってもよいかを問うダブル選挙を選択するかもしれない。そこには改憲も入るでしょう。
野党のひび割れも見えますが、腐敗内閣を正し消費増税を行わせない共闘が必要でしょう。しかし壊し屋自由党の小沢さんも動き始めてしまったし。。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
静岡のラーメン店で「China Out!」と中国人の入店を拒否したという。「China Out!」とという英語力の未熟もあるかと思いますが、「中国人は出ていけ」といったきつい言葉で受け止められるようなものなら感情が出てしまいますね。入店を拒否ということでは、神奈川県箱根の駄菓子屋さんで中国人の観光客の入店を禁止する張り紙をしたという。
このようなものが広がっていけばそれはパニックを引き起こしますね。
もちろん中国国内でも武漢の人を避けるような動きがあるわけですから何も日本だけの問題ではない。韓国においても同じようなことが起きて喧嘩沙汰になったそうです。
これらの出来事についてはネット上でも拡散をされて賛否両論の発言があるそうです。
感情的な差別的な中国人排除はもちろん間違っています。同時に感染に気を付けたいというのは必要なことです。そして中国の観光客の方も隊長体調には気を付けるマナーが必要でしょう。
ネット上の賛否両論を真摯に議論しながらパニックは排除しなければいけませんね。
同時に今のところ感染は濃密な接触からと言われており、中国に投稿渡航歴がないバスの運転手さんとガイドさんを見ても長時間バスの車内で接触していたわけですからこの程度が濃密な接触とみていいのかもしれません。どのようなウイルスなのかがはっきりはしていないのでしょうが、政府が国民に説明すべきでしょう。これがないと国民の中にはパニックが広がります。

【2021年】ツイッターつぶやき
喫煙率の低下と生産性の低下はリンクしていると思う。
とは言ってもタバコを吸えば生産性が上がるというわけではなくて、一服できるようなゆるみが無いと生産性は上がらないということです
喫煙率の低下は企業の労働者支配につながる。
仕事も生活も張り詰めた状態では心身ともに疲れてしまうでしょう
(ツイッターより)
高度経済成長期の喫煙率は確か80%ほど(男性か?)あったと思いますが、これを見ても喫煙をしているから生産性が落ちるというのは間違いですね。
リーマンショック後は企業内で労働者の働き方が大きく変化を紫蘇の変化は企業の労働者支配として現れます。その中に喫煙もありだんだんと禁煙を促す方向へ向かいます。
喫煙率は50%から30%ぐらいに落ちます。同時に生産性は1.6%程度からほぼゼロへ。
企業はリーマンショック後の生産性向上を労働者の賃下げと労働条件の悪化で維持しようとしました。本来の国際的な競争力は生産設備の改善などによりより少ない労働でより多くの商品生産にあるわけですが日本は違いました。その結果賃金は下がり続けそのために個人消費も伸びないで経済は低迷しました。いまだにリーマンショックから抜け出せません。
労働者の大幅賃上げどころか賃金を切り下げるには、企業は労働者の抵抗を抑えなければなりません。そのために企業は労働者の支配を強化します。
労働者はゆとりのない働き方をさせられます。一服もできないような働き方。
このようななk中ではたしかに一時的には生産性は上がる場合がありますが、徐々に慢性的な生産性の低迷となります。

【2022年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
中野さんの空論…
政府が需要を作り出すとは言うが、それは国債を際限なく発行してのこと。そこからの結果が政府に還流しなければならないのですが、企業は税として国に還流させない。一方賃上げもなく不安定雇用の増大は労働者にも還流しない。
こういうのをカンフル剤というのでしょう。
法人減税が進む中で、このカンフル剤としての税金を国に還流させるために賃金も上がらず不安定雇用に置かれ、社会保障の負担増に置かれる勤労国民に対して消費増税が行われる。
カンフル剤の効果すらなくなる。
結果企業も成長せずに国力は下がる一方です。

【2023年】ツイッターつぶやき
関電の高浜原発4号機が原子炉内の中性子が急激に減少したことから自動停止したようです。外部に漏れてはいないとのことですが詳しいことはわからないようです。原子炉内の異常ですし緊急に停止したことから重大なインシデントであることは確かでしょう。もちろん測定装置などの異常かもしれませんがその異常事態も大変危険です。
たしか高浜原発4号機は運転差し止め訴訟1審で停止したはずですがその後再稼働しています。
関電は安全性を確認しての再稼働だったのでしょうが、やはり危惧する事態が起きてしまいました。
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2024年 1月29日(月)「戦艦大和沈没か?」

2024年01月29日 22時22分06秒 | 「政治・経済」
ダイハツ党トヨタの関連企業で不正検査が行われていましたが、今度はトヨタでも不正が発覚した。アベノミクスそして日銀緩和において人為的な円安誘導で輸出産業が守られて勿論その中にトヨダもあった。輸出企業は消費税の還付もあり消費増税のたびにその還付は大きくなっていたはずです。また、輸出企業の中ではトヨタは戦艦大和並みの中心となる企業だったはずです。
この戦艦ヤマトが撃沈した。
電気自動車はエネルギー問題でどうなるかわからない状態の中で、トヨタが開発したハイブリッド車の存在が注目されるでしょう。水素車などもありますが、普及するには時間がかかるでしょう。
テレビコマーシャルを見るとすべての駆動車種に力を入れていたようですが、その中で精算に載せるために下部組織部門は苦労する。そこに不正が起こり、その不正を見て見ぬふりをしていく。
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池に浮かぶ月2143【1月29日】

2024年01月29日 21時33分41秒 | 「池に浮かぶ月」
去年、政府はワクチン接種を呼び掛けるためにテレビコマーシャルを行っていた。
ワクチン効果についていくつかあげていたが、しかしその効果は「期待できる」でした。
通販番組でサプリメントなどでその効果が期待できるとするのと同じレベルです。
しかしこのレベルでワクチンの副反応が起きていました。
きちんとした臨床試験が終わらないうちの接種ですから人体実験ともいえる心配がありました。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 1月29日(日)「ワクチン効果は"期待"できる程度のもの」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「1月29日という日」

2024年01月29日 07時59分31秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
ダイハツ党トヨタの関連企業で不正検査が行われていましたが、今度はトヨタでも不正が発覚した。アベノミクスそして日銀緩和において人為的な円安誘導で輸出産業が守られて勿論その中にトヨダもあった。輸出企業は消費税の還付もあり消費増税のたびにその還付は大きくなっていたはずです。また、輸出企業の中ではトヨタは戦艦大和並みの中心となる企業だったはずです。
この戦艦ヤマトが撃沈した。
電気自動車はエネルギー問題でどうなるかわからない状態の中で、トヨタが開発したハイブリッド車の存在が注目されるでしょう。水素車などもありますが、普及するには時間がかかるでしょう。
テレビコマーシャルを見るとすべての駆動車種に力を入れていたようですが、その中で精算に載せるために下部組織部門は苦労する。そこに不正が起こり、その不正を見て見ぬふりをしていく。

≪過去の記事≫

【2004年】
なんだか毎日いろいろな詐欺や事件のニュースが絶えません。
もう、社会全体が変になっています。精神的におかしいと思うような事件もあり、社会のいろいろな悪い要素が精神面にも現れているのではないかと思います。
刑事罰の強化ででこれを抑えようとしているだけでは根本的なものにはなりません。中国のことわざで、その国が庶民に対して刑事罰を新たに作ったり、強化をしたりしたとき、その国は崩壊に近づいていっているというようなものがあったと思います。まさに日本社会も崩壊に向かいつつあるのではと思ったりしてしまいます。
親父の病院へ行ってきました。
なんだか医者の話もわからない。今すぐにではないですが、覚悟だけはしておいたほうがいいかもしれない。

【2005年】
ビタミンH。。。。
芸能人の奈美悦子さんの何だか難しい名前の病気ではじめて知りました。何だか怖い病気があるものですね。
妻も手の湿疹で悩んでいたのでびっくりして「ビタミンH」を検索していました。今は治ったのですが、確か皮膚科からビタミンHをもらったそうです。
いろいろHPを見ると、健康によいとされる腸内菌を摂取しすぎることもよくないらしいです。と言ってもいろいろな説がありますからね。。。。
テレビ番組でも健康番組が多く、さまざまな食品を紹介していますが、過ぎたるは及ばざるが如しと言うことでしょう。結局はいろいろな食べ物をバランスよく食べることが一番です。

【2006年】
風邪ひき中。。。。ううう
2,3時間ぐらいか、寝てしまいました。
たいした風邪ではないのですが、体のだるさがひどいです。
皆さんもお気をつけください。

【2007年】
寒い一日でした。
小雨が雪になるかな。。。と・・・・
午後からは晴れて少しは暖かくなりました。
柳沢厚生労働大臣の発言が問題になりそうですが、これは女性への問題発言にとどまらないと思います。少子化問題を国民個人の問題とし、年金を若い世代だけに負担させるという国の政策を放棄したものと思います。
たしかに「わかりやすく会場に集まった人々に説明する」という意図はご本人にはあったのでしょうが、基本的な考え方がわかりやすく出てしまったのでしょう。。。。
国家レベルの考え方としては、個人個人の状態を個々に見ることはできませんが、国民全体が、今どうなっているのかは国政レベルで見る必要はあります。
国家主義的視点で見るのか、国民の生活安定の視点で見るのか。。。。
国家主義から見れば、たしかに国民一人ひとりは一つの機械のようなもので、死ねば取り替えればいいし、足りなければ増やせばよいという考え方になる。国のために。。。。あるいは企業のために。。。。
ところが国民一人ひとりは生きた人間なのである。
国家レベルで見れば何も言わぬ機械だが、弱いものには弱い者の人としての生活がある。人としての無意識な行動はあるのである。食って寝てという最低限の状態に置くことは、自由主義の昔帰りだろう。この昔帰りは、今まで作り上げた国民生活の安定に反していく。国民は、国家や企業に必要なときは使われ、必要にならなければ捨てられるという状態に置かれる。
今は、食って寝てというだけに国民をおくことはできない。
生産された物を受け取る中に豊かさはあり、その生産されたものを受け取れない中に貧困は存在する。先進国には先進国の貧困が存在するのである。
今夜は煮込みハンバーグ。。。
あと、手作りのポテトサラダを作りました。
缶詰のデミグラスソースですが、夕螺の手にかかればうまいソースに。。。(笑)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
大寒も過ぎましたが今が一番寒さが厳しいとき。
それでもだんだんと春の気配を感じます。金のなる木は花が咲きはじまり、ミニバラは新しい芽を出しはじめています。デンドロビュームも花芽かな?
節分・立春はもうすぐ!!

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
第三の開国を宣言した。
開国というのは明治の頃の外国からの植民地化や世界大戦後のアメリカの占領と、その危機に対して政治家がその政治力によって死に物狂いになって行うもの。。。。
開国というのはどうも他の国からの圧力という意味にならないか?圧力があるから開国すると。世界の流れに農産物を含めた貿易の自由化があるからと。そういう意味の開国意識ではなくて自らの意思で開国という中身は?
開国という言葉はあまりにも日本的な先日読んだ「日本辺境論」の中身と同じ意味合いを持つ。ほかの国が鎖国から開国するというような国自体が変わるといったものを宣言するだろうか?例えば市場をより開放的にするとか言葉はいろいろとあると思う。
開国というこ言葉を使った時点でなんだか負けたと思う。
開国というのはある意味革命といったような意味合いを持つ。国民を総動員して、総動員とは穏やかではないが、今のような民主主義が発達した国においては、国民をひきつけるだけの政治的な説得力を持たないとだめだと思うが、そのためにはビジョンが国民に見えないと。。。。強引な消費税とか民主党のマニフェストの変更の中で何を持って国民に約束しているのか。悪いものだけを残して今の政権が終わり、あとは雪崩的に流れていく国に。。。。経済も政治も。

【2012年】ツイッターつぶやき
デフレ傾向が止まらないらしい。
デフレとは一時的な物価の下げにとどまらず物価が持続して下落していく経済現象だという。
このデフレによる物価の下落はなぜ起こるのかは需要と供給のバランスが崩れて総需要が総供給よりも下回るためだと言われているがこの需給バランスだけで理解できるものだろうか?需要と供給の関係だけではなぜ商品の値段が下がるのかが説明できないだろう。
商品の値段が下がるというのは商品の価値が低下するからである。
この商品の価値というのは、市場においてある商品が大量に出回り始めて希少価値の低下や供給が多くなったから価値が下がるというものとは違う。商品の価値は原材料などの生産手段は一定としてみるならばその商品1個を生産するためにどのくらいの労働力量が必要とされるかによって決まる。1日に10人の労働力を必要として1つの商品が出来上がる。ある商品はやはり1日に10人の労働力を必要として10個の商品が生産される。こう見たときに先の商品はその価値は高いだろう。価値は市場に出て価格が決まる。
市場ではある商品は複数の企業によって生産されている。たとえば市場にはその商品を生産する産業内に3つの企業があったとする。以下、原材料などの生産手段は同じとし、社員数(生産規模)100人当たりが作り出す商品量に違いを絞ることにする。
A社。。。。。年間5万個
B社。。。。。年間3万個
C社。。。。。年間1万個
少々数字は誇張的ですがわかりやすくするためにこのようにしました。
同じ100人当たりの労働者が作り出す同じ商品ですが、ここには生産性の違いが出ています。本来はどのくらいの労働力量が必要だったかによってその商品の価値が決まるわけで、この3社の中ではC社の商品が一番価値が高いということになります。しかしすべての商品は市場の中に入ります。同じ商品ならば同じ価格として売れるわけです。C社の商品が例え価値が高いとはいえ市場の中の価格はその価値通りには売られません。市場においてはこの産業内で平均価値が決まります。その平均価値がその商品の価値となります。3社の中ではB社の商品が1個当たりの価値を形成するでしょう。するとA社は本来もっと少ない価値しか持たない商品を市場においてはB社と同じ価値として価格として売れることになります。C社は逆に価値以下のB社と同じ価値そして市場で売ることになります。A社は特別な利益(特別剰余価値)を手に入れることができます。
特別剰余価値は同じ商品を生産する産業内においての生産性の違いから生まれます。ですから資本主義内の競争はこの特別剰余価値の生産での競争となります。より生産性をあげて市場での平均価値よりも低く生産価値を下げていきます。上の3社の中ではどのようなことが起きるでしょうか?生産性の低いC社はもちろんB社もその生産性をあげようとしていくでしょう。A社に負けない技術革新の中からの新しい生産設備を導入していきます。そこでたとえばC社もB社も生産性をあげてA社と同じ生産性を得たとしたらどうなるでしょうか?市場におけるこの産業では以前のA社の商品の価値に商品価値は一致をします。すなわちこの商品の価値は市場においての平均価値も下げて価値低下を起こします。商品価格も当然下がります。
以上のことからデフレの定義である「物価が持続して下落していく経済現象」での商品価格の下落は商品の価値の下落であることと資本主義的競争(生産性の向上)という特別剰余価値の生産競争の激化から必然的に表れるものであることがわかります。
上の3社が属する産業は投資先としては停滞を起こすでしょう。特別剰余価値という特別な利益を得られないわけですし、生産性の向上によってその商品は市場にあふれる生産過剰も心配をされます。資金は逃げて生産性の悪い産業に移っていきます。もちろんこれには条件があってその生産性の悪い産業において新たな技術革新が生まれて生産性が高まる条件ができた場合です。この産業の中の1社が技術革新によって生産性を高められる条件が整えば資金はその企業に回るでしょう。そして他の企業も追随する傾向があればその産業全体に資金が集まります。そこでまたこの産業の中で先にあげた3社が属する産業と同じようなことが起こります。そして資金は移動する。
このような繰り返しで新たな労働力を消費する産業が生まれなかったとするならば、社会全体の商品の価値は下落をして社会全体の商品価格は下がるでしょう。社会全体においての特別剰余価値の精算という資本主義的競争は下火になります。これが産業の停滞を引き起こします。設備投資や金融投資の停滞が起こります。
しかし社会全体の生産性は上がっているわけですから商品量は爆発的な生産量となるでしょう。一歩では社会全体の平均利潤が低下する中で企業はそれまでの利潤を確保しようとする。その中で行われるのが労働力の削減(失業)と賃下げ(絶対的剰余価値)と労働力の酷使(相対的剰余価値)である。社会の中でその人口割合が最も多い賃金労働者層の減少と低賃金化は爆発的な資産力で生産された商品の需要を減らしていく。ここで初めて商品の総生産(供給)と商品の消費(需要)のバランスが崩れていきこの現象が継続的になることから「物価が持続して下落していく経済現象」というデフレが起きる。
デフレの長期化自体が産業恐慌の危険性をはらみ進行している状態でしょう。
企業の設備投資先が狭められそれによる銀行の投資先も狭まる。
平均利潤の確定あるいは下落は株への投資も不安定化して常に株価暴落の危険性を伴う。
国による景気禍福への資金供給も投資先がない中で何の役にも立たずに金融商品や株の買い支えとしか機能しなくなる。需要促進のための国による国民へのばらまきや貧困対策等が国の財政を圧迫をする。国債は天井知らずでいつか国債バブルがはじける。大衆課税の強化が商品需要を減らしていく。
金融の自由化は金融バブルを引き起こす。
金融恐慌に向かって突き進む。
企業は子を産まない金は使わない。だから労働者の賃金や労働時間短縮には金を使わない。投資先がなくなっても利潤を生まない「無駄」な金を使わない。無駄と思われる金を使うことは競争原理から許されないだろう。個人消費を増加させるために労働者の賃金を上げることは競争の敗北につながる。泥舟に乗っている。。。。
このような危機を救うのが労働者の賃上げ闘争などであるのだが、労働側もまた企業競争原理に乗っているわけで独自な賃上げなどは控えていく。
本来は労働者層に企業の利潤を配分することが大切なのだが、社会全体は豊富な中の貧困へ突き進む。
今やらなくてはならないものは、労働力を買ったときにも消費税をかけて一部を労働者の益税にして一部を国家の社会保障の財源にすることである。これなら一企業の損得を越えた競争抜きの企業負担となるだろう。零細企業などにはその消費税分の一部を還付すればいい。このような企業間競争という直接的な利害を感じさせない政策的な企業の利潤を社会に再配分することが大切だろう。今までのやり方の逆をやればいいわけです。消費の拡大から景気の拡大と企業の再建をやらねばならないでしょう。労働力を買った場合にも消費税を支払う。。。。これが一番良い投資なわけです。

【2013年】ツイッターつぶやき
タレ。。。醤油・砂糖・みりん・ごま油・ラー油・中華スープの素
上のタレをつくっておきます。水で戻した切り干し大根はさっとゆでておきます。
ピーマンを千切り。アスパラガスをスライスしてさっと塩ゆでします。
キクラゲもさっとゆでて食べやすく切っておきます。
ニラは3センチほどに切っておきます。
フライパンに油をひいてスライスしたニンニクを炒め豚肉を入れ炒めます。酒を入れてアルコール分を飛ばすように炒めます。
そこに切り干し大根を入れて炒め、そのあとピーマン・アスパラガス・きくらげを入れて塩コショウをして炒めます。最後にニラとサクラエビを入れ上のタレを入れてからめるようにして炒めたら出来上がりです。
汁が少し出ますから火を止めた後時々かき混ぜて汁を切り干し大根に吸わせます。

もう何年ぐらい前になるのか。。。。。
若い人を中心に企業に縛られたくない、自由な働き方をしたいといった要求が大きくなりました。それだけ企業への不信が強まった結果だったと思います。
これを政府や財界も受け入れました。
8時間労働制を緩和して労働時間の見直しを行い変形労働時間の導入や多様な働き方(労働と生活というライフパターンの多様化)としてのパートタイム化等。
ある意味労働者側の企業に縛られたくないという要求が逆手に取られて労基法などが改正されたのではないかというのが僕の記憶です。
この流れの中に派遣労働の拡大や本来格差をなくすべきといったものが忘れ去られて雇用形態での格差も生まれたと思います。
しかし労働者の企業に縛られたくないという気持ちは、長時間労働や残業などに縛られたくない、企業の内部への不満からのものだったはずです。もう一度この労働者の気持ちに立ち返り今の派遣労働などの不安定雇用と賃金格差を是正しなければならないでしょう。ここを見ずして自由な働き方は望めません。
アメリカはオバマ大統領令により政府機関の契約職員の最低賃金を大幅に引き上げる動きを示しています。この最低賃金引き上げが民間の中にも広がりを持たねばならないでしょう。「勤労意欲を高め、結果的に生産性を引き上げる効果がある」(上記リンクページより引用)
大幅な最低賃金の引き上げや正社員と不安定雇用者との賃金格差の是正はより自由な働き方の基礎となるでしょう。
同時に、今の政府は労働の規制緩和を進めようとしています。不安定雇用者数の増加はさらに進むでしょう。契約解除は首切りです。ならば不安定雇用者にも首切りの規制を強めなくてはいけないはずなのです。
もちろんパートやバイトにしても最低賃金を上げる必要があり、自由な働き方としての労働する時間によってだけ賃金額が変わるといった時間給の正社員並みが求められます。
このような条件が整備される中でそして本来の労働者の要求としての自由な働き方の基礎の上に厚生年金加入なども進み、正社員並みの福利厚生も要求されていくでしょう。
そうなれば正社員と不安定雇用者の境(壁)がなくなっていきます。この壁を取り払うことにより正社員の増加も行われやすくなります。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
スーパーで夕食の食材をカートに入れてレジに向かった。
今日は安売りだろうか?いつもに増してレジの行列が長い。
このようなときは前に並ぶ人たちのカートの中身を見て少ない人が多い行列に並ぶのが定石である。
ふと見るとレジの上に「研修中です。」という札が見えた。ここに並ぶと時間がかかるなと判断。その横の行列は中身の少ないカートが多いので列に並ぶ。
しばらく並んで列の半分ぐらい終わったところでふとレジの方を見た。
そのレジ担当はあのおばちゃんだったのだ。。。。。
列は進んでいかない。
隣の「研修中です」のレジの列はどんどん進む。
今更並び替えるのも悔しいのでのんびりと順番を待つこととした。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
朝、ゴミを出し終えて花壇の花の様子見ていたら、時々すれ違う茶色に縞模様のある大きな猫がやってきた。この界隈では、この猫と黒猫が縄張りを持っているようで心の中でいつも挨拶をさせていただいている。
やってきた猫は僕から1メートルも離れないところの日差しの中にきれいに前足を曲げて座り込んだ。
横目で見ながら独り言のように「おはよ」と言ってみた。
猫はニャ~ともいわずに薄目になって僕を見ている。
寒いから花も元気がないよ・・・・と、また独り言。
もちろん猫は薄目のままたたずんでいる。
煙草に火をつけて吸いはじめても猫はたたずんでいる。
花殻を摘んでいるとかすかにひげを動かしたがニャ~ともいわない。
名前はないんだろうなぁ・・・・・
一瞬名前を付けてしまおうと思ったが、この1メートルほどの距離間でじっと僕の独り言を聞いていてくれる距離がちょうどよい距離感なんだなと思った。
ちょうどよい距離感。。。。。その点では猫が一番の動物ではないかな。
漱石の「吾輩は猫である」の猫には名前がなかったという。
クシャミ先生もこのちょうどよい距離感が好きだったのかもしれない。
煙草も吸い終わったし帰ろうと思い立ちあがったが、今度は独り言のような挨拶も言わずに帰ってきた。

椅子に座り本を読みながらランチを食べていた
途中でトイレに立った
レストランの通路を進むと
その通路に椅子に座った女がいた
テーブルから1メートル30センチ5ミリ椅子を引いて座っているのである
はて?テーブルにはホットコーヒーが置かれていた
トイレを済ましまたランチと本に集中しようとしたが
あの女が気になって仕方がない
相変わらず背筋を伸ばし、足をきちんとそろえて座っている
はて?あのホットコーヒーと女はどこで接点をもてるのか
食い入るように見てしまった
しかし女は微動だにしない
見るのも飽きて本に目を移そうとしたときである
手がのびた。。。。
手がコーヒーにのびて飲んだと言うことではない
まさに腕が伸びたのである1メートル30センチ5ミリまで
はて?どうして口元まで持ってくることやら
しかし心配は要らなかった
首も1メートル30センチ5ミリ伸びてきちんとテーブルの上で飲んだのである
ふと見るとテーブルの向かいには男がいた
微妙な二人の関係の空気が店内を漂い始めた
【2005年ごろホームページに書いたものですが、ちょっと思い出して・・・・】

【2019年】ツイッターつぶやき
無神論者から言えば、神は人が作り出したもので自ら作り出した神を崇拝してそれは宗教となり莫大な財をその神にささげる。財をささげるということはその財を作り出す労働力をささげるということになる。神のために労働力は奴隷化していく。
同じ様に資本主義は商品や貨幣が神となり、その作り出した商品や貨幣が人を支配していく。商品や貨幣は財そのものであるが、それを生産するのは労働力でありその労働力は奴隷化する。
この状態を物心崇拝という。
日本は古来から自然そのものに神が宿り草一本に神を見る。
宗教としては自然に従いその恩恵に感謝をし同時に自然を畏怖してきた。
このような素朴な宗教は農耕社会においては素朴さのままに置かれていたが、資本主義になっても商品や貨幣を崇拝する。商品を生産して貨幣を得ることができる企業が第一ということが当たり前になるような社会となる。為替や株式はすでに神の存在として人々を支配している。市場の自由赴く処に従え。。。。。。
もちろん宗教が社会の財を吸いつくすと同じように物心崇拝も財を吸いつくしていく。神官はその財を管理する。それが政治です。
でも、商品や貨幣はあらゆる矛盾を生み出しますから自ら神であることを否定し始める。
唯一の神を捨てて八百万の神々に戻ろうとする。また素朴な神々に戻る。
商品や貨幣そして為替や株式に集中された神々は国民すべての財として戻ろうとしている。昔は共産社会であったように。でも昔がえりをすることなく社会民主主義を経るでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
政府や日銀は個人消費はなお堅調だと分析するが、この個人消費には外国人観光客の国内消費も含めれるのかもしれない。
2018年当時の数字ですが、外国人観光客の消費は、
「日本人が150万人増加したに等しい経済効果」となるらしい。
これは日本の人口が減少している中での数字ですからさらに外国人観光客の消費に日本経済は依拠していることになるでしょう。
しかし個人消費の基本は、外国人観光客という水物ではなくて勤労国民の消費でしょう。
日本の個人消費は横ばいだといわれています。横ばいでも個人消費は堅調と言えるのかもしれませんが、その横ばいを維持しているのが外国人観光客の消費だとなります。
日本人の個人消費は外国人観光客の増加(消費増)に反比例して落ち込んでいると見えます。
観光客と日本人の消費の違いは、日本人は毎日の生活を送るということです。スーパーに買い物に行ったり家電を買ったりなど生活必需品を消費していますが、観光客はそういう消費はないでしょう。すると個人消費は生活必需品などの落ち込みにあるとも見えます。
これにより日本経済は成長はしていきません。
観光客の消費が伸びてもそれが賃金増に反映されるかといえば、日本人の個人消費の落ち込みを穴埋めするような観光客の消費ですから、賃上げの起爆剤にはなりません。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京の自宅療養者数は6600人、入院・療養等調整中4810人。
全国的にも自宅療養通の方の病状が急変して亡くなってという報道が毎日のようにあります。
亡くなってはいないまでも自宅療養の過酷さも報道されています。
今後オリンピックの開催がどうなるかわかりませんが、自宅療養者の療養先という点ではオリンピック村が最適ではないかと思います。
オリンピック村は一つの都市のようになっています。
調理室はあるし病院もあるでしょう。そして広い部屋があります。
家族で感染しても家族一緒に療養もできるでしょう。
医療感染者の見回りや様態チェックも効率的に行えます。人工呼吸器などを入れれば救急で医療機関をたらいまわしにされることもないでしょう。
オリンピック村の活用を考える時期に来ていると思います。

【2022年】ツイッターつぶやき
東京の自宅療養者数は6600人、入院・療養等調整中4810人。
全国的にも自宅療養通の方の病状が急変して亡くなってという報道が毎日のようにあります。
亡くなってはいないまでも自宅療養の過酷さも報道されています。
今後オリンピックの開催がどうなるかわかりませんが、自宅療養者の療養先という点ではオリンピック村が最適ではないかと思います。
オリンピック村は一つの都市のようになっています。
調理室はあるし病院もあるでしょう。そして広い部屋があります。
家族で感染しても家族一緒に療養もできるでしょう。
医療感染者の見回りや様態チェックも効率的に行えます。人工呼吸器などを入れれば救急で医療機関をたらいまわしにされることもないでしょう。
オリンピック村の活用を考える時期に来ていると思います。

2014年にツイッターで宇宙エレベーターの事をツイートしていました。
鉄より強度があるが軽いとされるナノセルロースとかという素材の記事を見て宇宙エレベーターも夢ではないと思いました。
最近ではカーボンナノチューブとかという素材も現れてさらに強度が増したようです。
のんびりと空の旅をしながら宇宙へ。。。。
遠い将来はエレベーターで宇宙の駅に向かいそこから宇宙船で火星までとかもあり得ますなぁ。。。。
科学の発達は加速度がさらについてきました。
ほんの少し前にアシモというロボットが階段を登ったというニュースにびっくりしていましたが、今では人工知能で動くロボットが走り回る時代です。宇宙旅行も加速度的に現実化していますね。
あと20年は生きるつもりですからいろいろな科学の発達を見れればと思います。
宇宙エレベーターは間に合わないかな。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
テレビコマーシャルも同じものと思いますが、政府のインターネットテレビにも
「ワクチン接種により重症化予防、感染予防、発症予防が期待できます。」
とあります。
テレビの健康食品のコマーシャルで〇〇という健康食品(あるいはサプリメント)には✖✖という成分により△△の効果が期待できますというものがある。
ワクチンの効果は期待できるという程度の位置づけのようです。
コロナワクチンはきちんとした臨床試験も終わらないうちに緊急性において接種されています。ですから医薬品としての効き目は不確かなのでしょう。ワクチン接種がはじまり2年が過ぎますがワクチン効果についてはずっと期待できると同じことが言われてきました。
重症化予防、感染予防、発症予防が期待できるというが、実際にどうなのかは発表されていませんね。
感染予防については接種しはじめたころには言われていましたが、現在は重症化しない死なないだけです。これも実際はどうなのかというと、高齢者が重症化し死亡しているのですが、高齢者のワクチン接種率はだいぶ高いはずです。
今までインフルエンザワクチンは接種したことがないのですが、接種した人とそうは変わらず生活をしています。
こう書くとコロナは風邪のようなもんだからとなりますが、そうではなくて、感染しないようにいろいろな面で気をつけなければならないということです。マスクや手洗い消毒など。そして食生活など生活面でも免疫力は大切ですね。
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2024年 1月28日(日)「マイナ保険証」

2024年01月28日 22時35分16秒 | 「思うこと」
去年はマイナカードのトラブルのニュースが多くありましたが、現在はニュースにも出ていないので落ち着いたのかと思っていましたが、東京新聞のサイトを見ると、マイナ保険証でのトラブルが案外出ていたのがわかります。
こういう中で紐づけをしていない人が多いそうですが、これを強制的に紐づけする動きがあるようです。
銀行口座の紐づけも知らない間に紐づけされているとか。
便利になるとは言うけど、リスクの方が大きかったり心配することが多いのでは、国民にとってのマイナカードではないというのがわかります。
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池に浮かぶ月2142【1月28日】

2024年01月28日 21時49分25秒 | 「池に浮かぶ月」
春闘の季節ですが、賃上げはどのくらいあるか、それが中傷にどのくらい波及するか。今は労働力不足もあり、正社員よりもバイトやパートの賃上げが大きくなっていますね。時給1200円とか1500円というのを時々見る。
正社員というものはほんの一握りになるかもしれません。
賃上げが少ない中に低賃金がありますが、そこに増税(社会保障費増)そして悪性の物価高ですから労働者の生活も楽にはなりません。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 1月28日(土)「低賃金、増税そして物価高」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「1月28日という日」

2024年01月28日 08時20分07秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
去年はマイナカードのトラブルのニュースが多くありましたが、現在はニュースにも出ていないので落ち着いたのかと思っていましたが、東京新聞のサイトを見ると、マイナ保険証でのトラブルが案外出ていたのがわかります。
こういう中で紐づけをしていない人が多いそうですが、これを強制的に紐づけする動きがあるようです。
銀行口座の紐づけも知らない間に紐づけされているとか。
便利になるとは言うけど、リスクの方が大きかったり心配することが多いのでは、国民にとってのマイナカードではないというのがわかります。

≪過去の記事≫

【2004年】
会社など、周りでだいぶ風邪が流行ってきました。電車の中でも、据わっていた僕の前に立った男が鼻ズルズル状態で、なんだか移らないか心配をしてしまいました。風邪ぐらいで休暇というのは一番もったいないから。。。。
うつされないよう家族一致団結しないと。

【2005年】
村山由佳さんの「天使の梯子」を三分の二ほど読み終えました。
しかし。。。。少年・少女から青年期を迎える若い人を何であんなに生き生きと書けるのだろ?若い人達が読めばぐっとくるんだろうなぁ。。。。とは言え僕のような作品中に描かれている若い人の父親の年齢でもまた違った意味でぐっとくる。
そういえば、夏生さんのつれづれ12だったかな?たしか「翼」を読み終わって「ううん、村山由佳かぁ」と書いていたと思いますが(記憶違いならすみません)、若い人たちの恋やその苦しみ、生き方を描いているという点では共通性があるかもしれない。
「天使の梯子」は、「天子の卵」の続編で、この作品自体だけを読んでも感動すると思うが、「天子の卵」を読んでから読めば、夏姫の慎一に対する心の動きが切ないほど感じられる。両作品はお薦めです。
そういえば、年上の女性と年下の男の恋というものでは、江國さんの「東京タワー」が上映されているけど、続いて読んでみるとまたおもしろいかもしれない。。。。。

【2006年】
「漱石と十弟子」
                           芸艸堂
                津田 青楓  著
初版が昭和49年ですからもう発売はされていないと思いますのでお気をつけください。
津田青楓は、明治13年京都に生まれた日本画家(はじめは西洋画家)で、国費でフランスに留学し、帰国後世帯を持って東京に上京。
32歳のときに小宮豊隆の紹介で漱石山房に出入りするようになった。漱石が「吾輩は猫である」を書き有名になった頃だという。それ以後漱石の門下生(弟子)として漱石山房に出入りをし、漱石をはじめそこに集まる弟子たちとの交流が始まる。
漱石は絵にも興味を持ち、津田青楓は漱石に絵を教え、絵を通した独自な関係にもなる。
漱石の思い出あるいは漱石論は多くあり、弟子たちもその思い出を書いているが、やはり弟子たちの思い出は、漱石を偉大な人として描くものもあり、そこからの漱石論も生まれる。一方では、「漱石の思い出」として鏡子婦人や娘筆子さんの家族としての思いでもあり、そこには家庭の中の漱石が書かれる。この弟子たちと家族という視点の違うところからの漱石のそれぞれの思い出は、作家そして「先生」という漱石と家庭内の漱石という視点の違いから漱石の人物像は大きくちがってきて、やはり偉大な漱石を見るばかりに家庭内の漱石に対する鏡子夫人悪妻論までも出てくる。
このような中にあって本書は、漱石の弟子たちを冷静に見、鏡子婦人の様子も描かれ、作家・学者漱石と家庭人・趣味に生きる人としての漱石を津田青楓の視点でよく描かれているのではないかと思う。
それはまた、津田青楓自身の画家という芸術家としての自分と貧しい家庭を持つという生活人津田青楓自身の描写でもあるのである。
漱石山房には多くの弟子やその弟子の紹介で人々が集まったようである。漱石は後に執筆が忙しくなり、面会日を週に一度木曜日にし、木曜会とも呼ばれたらしい。その中には弟子と自称する常連があり、津田青楓はその弟子たちを芭蕉の十弟子になぞらえて漱石の十弟子とした。
安倍能成、寺田寅彦、小宮豊隆、阿部次郎、森田草平、野上臼川、赤木桁平、岩波茂雄、松根東洋城、鈴木三重吉を十弟子とした。
本の表紙を開くと、「漱石山房図 漱石と十弟子」という絵が出てくる。絵といってもきちんとした絵画や肖像画といったものではなく、俳画といったらよいのかユーモラスに漱石大明神をはじめ弟子たちを描いている。この絵のような雰囲気で木曜会はのんきに時には激論もありでとりとめもなく開かれていたようである。小説家はもちろん、政治家や今で言えば宮内庁官僚もいれば後にちに左翼運動に参加するものもい(津田青楓自身も一時左翼運動に参加したらしい)、、哲学者もいれば物理学者もいる。文芸誌を発行したものもいれば岩波書店を創設したものもいる。弟子といっても後に名を成した人々ばかりであり、そののんきな話もその頃若いとはいえそうとうなハイレベルな話しだったようである。まぁ、野上臼川の奥さんである美人で才女でもある野上彌生子をうらやましがったり、森田草平が駆け落ちした平塚雷鳥などとのんきに女性の話もあったようだけど。「吾輩は猫である」で有名となった名もない猫も同席を許され描かれている。
津田青楓は、これらの弟子たちの風貌や人となりを書いている。
小宮豊隆や森田草平らと飲みに行く話もおもしろい。
このような漱石山房の様子や弟子たちとの交友がこの本のおもしろさの一つだろう。
漱石については、絵の話しを通じて津田青楓は影響を受けたようである。漱石は大衆受けするだけの文学を嫌ったようだが、絵の好みも大衆受けするだけの画家を嫌い、これは津田青楓の考えでもあり、画家を続けるための自信を受けたのではないかと思う。この漱石の奥深さにまったく門外の画家が入っていける「師」としての漱石をうかがい見ることができる。若い津田青楓は、絵ついての考えを漱石にぶつける。漱石も若々しく津田青楓に答える。貧乏を言う津田青楓に、漱石はわざわざ津田青楓の家を訪ねて「こういうところに住んでいたのか」といい、その漱石に津田青楓は感激をする。ここにも師弟関係の暖かさを感じる。貧乏で金稼ぎのための絵を画かざるを得ない津田青楓の励みとなったようである。
時には漱石山房の席に鏡子婦人が顔を出すことがあった。仕出屋のようなところから鶏すき焼きや牛鍋なんかも取り寄せて弟子たちに食わしたようである。鏡子夫人は、太ったおおらかさのあるような女性だったらしい。このおおらかさは、津田青楓の故郷京都で漱石が胃潰瘍で寝込んだので鏡子婦人が迎えに来るが、鏡子夫人は、京都に着くなり津田青楓に京都観光を請う。そんな鏡子婦人と漱石は喧嘩をする。津田青楓はおろおろ。。。
こんなところに夫漱石を垣間見ることができ、夫婦関係を見ることができる。
津田青楓は、金に困ってしかたなく漱石を訪ねるが、ここで木曜会では見ることがなかった漱石を見る。それは作品を書き格闘する漱石だったらしく、その厳しい雰囲気に金の話もできなかったようである。
このような、漱石山房の中の人々との付き合い、師としての漱石と家庭人としての夏目金之助を描写するが、それに対しての自身の生活を描写をし、読み進むと大文豪夏目漱石も家庭に中においては一人の夫であり父であり、その生活を守っているし、それに対しての津田青楓も貧乏の中に生活を守りぬくことに悪戦苦闘をしている。同時に漱石は胃潰瘍になりながらも家庭の中のいろいろなものを背負いながらも小説に立ち向かっていく。津田青楓は悩む。このまま貧乏暮らしで生活のための売れる絵だけを画いていては自分の描きたい絵は一生画けないのではと。それでも自分の絵を完成させようと苦闘する。
この家庭人としての自分と、表現者としての自分の葛藤、この葛藤を描く中に描く中に夏目漱石という人がより正しく描写され、その描写をする津田青楓自身をより生き生きと表現されてくるのだと思う。
たしかに家庭人としての漱石を描く本は多いが、それは、作家生活を妨げた家庭という中から鏡子夫人悪妻論的な視点でしか見ることができないもになり、漱石崇拝に陥りやすくなる。そうではなくて作家漱石も家庭人漱石もおなじ人間なのであり、津田青楓も一人の人間であるという視点から読者は読むことができるのである。等身大の人が見えてくるのだと思います。この意味において本書は僕にとって好きな本であり、思い出深い本でありました。
今のサラリーマン家庭の夫婦と同じことが明治の世にも大正の世にもあり、大文豪を初め名を成した人々にもあったということである。
以上がこの本を再読しての感想だが、この本を再読しようとしたきっかけは、先に読んだ内田百閒の作品からのものである。
内田百閒も漱石の弟子であり、津田青楓と同世代の人である。
津田青楓から見た内田百閒はどんな人物だったのかに興味があった。
百閒については、「百鬼園のビール代」として書かれている。この中身については、先日の「百鬼園日記帖」の感想に書いたのでみていただきたいと思います。
追記  2006年2月2日
上に、「本の表紙を開くと、「漱石山房図 漱石と十弟子」という絵が出てくる。」と書き、その十弟子とは「安倍能成、寺田寅彦、小宮豊隆、阿部次郎、森田草平、野上臼川、赤木桁平、岩波茂雄、松根東洋城、鈴木三重吉」と書きましたが、その絵の中の弟子は何回数えなおしても11人いる。そう、百鬼園(内田百閒)がちんまりと鎮座しているのである。
なぜ内田百閒が描かれて十弟子が一人多いのか?本書にはなぜ内田百閒が描かれているのかはかかれてありませんでした。
僕の記憶では、なぜ内田百閒が描かれているかは、本書にか他の弟子たちの漱石の思い出に書いてあったと記憶しているのですが、本書に書かれていないということは他の弟子の書いたもので読んだのだと思います。どうも津田青楓が書き足したらしいのです。
百鬼園先生がちんまりと端っこに座る様子はおもしろいです。
これは僕のうっすらとした記憶なのであてにしないでください。
でも、本文には「百鬼園のビール代」という章がありますし、どこから内田百閒が加わったのか定かではありません。
「あとがき」(跋文)によれば、この「漱石と十弟子」の第一章は、独自に「漱石と十弟子」として朝日グラフに書いたもので、その後の章は、娘婿さんに頼まれて書き加えたようで、この1章に十弟子は誰かがかかれていいるのですが、どうも1冊の本として出版するときに内田百閒が加わったのかと思ったりもします。それにしても絵に書き加えることができるものかは疑問で、真相ははっきりしません。


【2007年】
(記事なし)

【2008年】
夜は外食でした。
いつもの中華やさんで紹興酒を飲みとぼとぼ歩いていたら霰が降ってきました。はじめは雨かなと思ったのですが、雨にしてはパラパラという音が。頭に手を持っていったら氷のような粒が。。。。
天気予報でも明日は雪といっていましたが、やはり雪だろうか?
昼間、僕も先をとぼとぼと歩く犬がいました。体を左右に揺らしてゆっくりと歩き、どことなくヨタヨタしたようにも見えたので年寄りの犬かなと思いました。時期に追い越して、どんな犬かと思ったらどうも老犬ではないよう?
追い越してから少しして「うん?犬ってあんな歩き方をしたっけ?」と思って振り向いたら、その犬は右前足と後ろ右前足を同時に出している。もちろん次は左前足と左後ろ足を。。。。。????犬ってこういう歩き方でしたっけ?
前足も後ろを足も同時に出すから体が左右にゆれてヨタヨタ歩きになるんだろうなぁ。。。。
たしか。。。。
道産子だったかな?日本の馬にも前足と後ろ足を左右同じようにして動かす馬がいたと思う。
あの犬も日本の純粋な犬だったのかな?
不思議。。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
菅総理が日本の国債の信用ランクが下がったことについて記者から訊かれ「疎いから」と返答に困ったことが国会でも議論になっているようですが、国会もそういうことを議論するほどでもないと思うのですが、菅総理は頭の中が真っ白になっているんじゃないかなと映像を見て思った。総理大臣が辞任する直後は目もうつろ状態というのもあったと思うのですが、菅総理は頭の中が真っ白に?
お笑い芸人の人たちをみていると、生き残って司会をしたり番組をもったり長くレギュラーをしたりしている人たちは、振られたときにすべらないで粋な笑いを取るという頭の回転のよさや集中力があるのかなと思う。台本のほかにアドリブも利かない頭の中が真っ白では生き残れないのかな。菅総理は頭もいいとおもうし回転もいいと思うのですが、このアドリブをかますような意味での頭の回転を持つゆとりがないほどに頭の中が真っ白になっているんじゃないかと。。。。
中国の胡(このに字でしたっけ?)主席とのせっかくの会談に台本丸読みだったと批判されていましたが、すべて台本から離れたものが噴出しているわけですら。
国会はねじれ国会。民主党のマニフェストは頓挫をして国会を正常化するために小沢元幹事長を切るが一緒に「国民生活重視」まで切ってしまい、方向転換の意味もないままに消費税を言い出し、さまざまなこのような矛盾が矛盾を呼んで「疎い」経済は悪化をしていく。。。。
真っ白になるわけです。国民に説得できないまでの矛盾ですからあとは消費税で突っ走るしかない。脱官僚も遠のいていく。。。。
ウルトラCがあるとすれば、消費税は企業が支払う給与にも消費税をかけてある程度のえきぞ益税を認めたり小零細企業にはその一部を還付する。そして年金にも消費税分を上乗せすることしかないのでは?国の税収は上がり国民生活も消費が伸びる。あとは労働時間の短縮(まずは時間外労働でのサービス残業などの廃止からでも)の中からの雇用の増大。
企業にその支払能力や体力がないと言われますが、現在国も企業を守る体力がなくなってきていますし、国民生活も景気回復などほど遠い(雇用改善はなおさら)中に消費増税を認める体力もない。そうならば一番比較的に元気な企業が金を出すしかないです。
この前も書きましたが、国民の貯金を運用という形で国債を買い、その国債は国民の借金となり、借金を返すには国民の増税という笑えぬ悪循環の中で儲けをだしているのがどこかというものを見なくてはいけないわけでして。年金特別会計の積立金を今こそ使う時期になっているのに、それはそのままに残して国債で運用して国の借金となり増税ですから。。。。
こういう中で年金や福祉のためというお題目であろうと消費増税を行えば矛盾は広がる一方なわけですして頭の中はいっそう真っ白になるでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞3面に「たばこで死亡年12万9000人」という見出しの記事があった。
煙草や高血圧や運動不足や。。。。16の危険因子でどれだけ死亡したかを分析した結果らしい。
16の危険因子とされている中で上位の因子を記事では並べているのでしょうか?この危険因子とされるものをよく見ると、高血圧や高血糖、ヒロリ菌感染など体の中にあるはっきりとした危険因子と喫煙や運動不足、飲酒という生活習慣であるものが並べられており、これを味噌もくそも一緒にして「危険因子」としている。肥満や高塩分摂取も微妙な位置となるでしょう。
高血圧や高血糖を因子とした死亡時の病名はある限られた範囲になるでしょう。しかし喫煙や運動不足を因子とした病気の現れは広範囲となるでしょう。特に煙草は様々な病気の原因と「されている」わけですから煙草が原因で死亡という統計は多くなるでしょう。
煙草の例では「肺や食道のがんや心筋梗塞(こうそく)など喫煙と因果関係のあるすべての疾患について、喫煙者と非喫煙者の死亡率を比較。各疾患の年間全死亡者数から、喫煙が原因で死亡したと考えられる人数を計算した。」(上記リンク記事より引用)
「喫煙と因果関係のあるすべての疾患」「喫煙者と非喫煙者の死亡率を比較」これまで煙草の害とされてきた疫学的統計による推計を基にしたものをそのままに使った分析でしょう。喫煙者と非喫煙者との死亡率。。。。喫煙者は肺癌になった時に非喫煙者よりも高い割合で死亡する?
たとえば肺がんを見たときに、喫煙者は10万人当たり300人、非喫煙者は10万人当たり100人とかという数字が出されて喫煙者は3倍肺癌になるといった疫学的統計を出して喫煙の害を言っていたわけですが、非喫煙者も100人が喫煙以外の原因で肺癌になったわけですが、喫煙者の中にも非喫煙者と同じ原因で肺がんになったとみてもよいわけです。そうすると喫煙者300人のうち100人は喫煙以外の原因で肺がんになったと見ることができる。以上のことから少なくとも煙草と煙草以外の原因での肺がん死亡率は同じとなるわけです。このような考え方を先の死亡の危険因子一つひとつに当てはめてみて行かねばならいのではないか。運動不足なんてものは今の日本人はほとんど自覚するものである。このようなものを一つの危険因子として取り上げて運動不足を原因とした死亡時の病気を羅列すれば運動不足も喫煙と同じように高い「危険因子」とされてしまうのである。
今は喫煙も肥満も含めたメタボも病気とされている。
喫煙やメタボばかりに目を向けていれば、肺がんの原因は煙草と言われるが他の原因は不明とされてほったらかしになっている実態のようなことから様々な病気の真の危険因子がぼかされてしまう危険性がある。
今は福島原発事故での放射線の体に及ぼす影響が危惧されており、福島のお子さんの中には甲状腺異常が高い率で発生をしている。肺がんなどもこれから心配をされるわけですが、これを禁煙をすれば減るというだけでは、あるいは喫煙者が増えたから肺がんが増えたなどという論理になったら大変なことです。

【2013年】ツイッターつぶやき
ラーメンの麺を茹でて水で洗い食べやすい大きさに切っておきます。
レタスなどの好みの野菜を1センチほどの千切りにします。きゅうりは入れた方がうまいと思います。彩に細い千切りの人参なども。
この野菜に先ほどの麺をよく混ぜます。
皿に盛り付けたらチャーシューとナルトの千切りをトッピングします。我が家はニンニクをたくさん油でいためて乗せます。
ドレッシングは市販の物なら中華味や和風が合うと思います。
我が家はニンニクを炒めた油に醤油やごま油、砂糖、こしょう、酢そしてラー油をほんの少しを入れたものをかけます。市販の和風ドレッシングの残りなどがあれば少し加えます。

今朝の朝日新聞の連載「限界にっぽん」に「追い出し部屋」の実態が書かれていた。
露骨に退職を強要すれば違法となり、指名解雇は企業の責任が問われ、希望退職は企業のイメージや社会的な信用を無くす。そこで「追い出し部屋」という表面には出ない違法性の高いものが作られる。
化粧品会社の例は露骨です。
高い個人ノルマは代理店一店舗分。マーケット開発担当という名はいいが早い話が会社には出てこなくていいというもの。その中で上司とのやり取りは上のリンク先の記事のように。結局は退社。
他の企業では、やはり「キャリア開拓グループ」という名前はよい部署があり、そこでは転職先を探す日々だと。
追い出し部屋にもいろいろなやり方があるのでしょうが、結局は社内失業者という形をとる。
結果は自己退職となるわけです。しかし本当に自己退職かといえばそうではない。統計上は自己退職でしょう。。。。
公務員も退職金が150万円も減らされるので駆け込み退職が。これも一つの追い出し部屋でしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
(すみません。眠くなったのでツイッターからの転載です)

日本はインフレを起こそうとして量的緩和をする。先進国病でもある。インフレは起きた。。。。それは商品市場の悪性のインフレ傾向と株式や金融市場のバブル的インフレである。「実感のない好景気」は冷たいインフレである。-100度の太陽が輝く。為替は買いに。株はだぶついた中での相対的下げか。
「-100度の太陽」。。。サザンの歌いにありましたね。。。。
-100度の恋もつらいが、生活と心を蝕む-100度の太陽という政治・経済はもっとつらい。
物の値段が下がるという一面的なデフレの定義としてのデフレは経済法則ですから対応次第ではそうは怖くはないずなのです。怖いのは悪性の物価上昇と金融バブル的インフレなのです。それが新たにだぶついた貨幣量においてデフレへと加速することです。本来のデフレ不況です。
人の心も悪性のインフレーションを起こす。-100度の太陽の光が心を蝕むとき、生活苦や社会の対価の中での苦しさを紛らわすには排外主義や期待感が一番楽なのです。心のインフレーションですから心の問題だからよいではすまなくなるでしょう。実体経済・政治に作用する。
期待感と現実の政治・経済との乖離が大きければ大きいほど失望も大きくなる。恋も同じですなぁ。。。。でも恋以上にやはり生活や自由そして民主主義に対して期待感や排外主義での成果が乖離していくことに苦しむ。
-100度の太陽が輝く社会。

【2015年】ツイッターつぶやき
ツイッターからの転載です。

ネットの記事だったか?「戦い」と「闘い」は違うと書いてあった。どう違うのかは忘れましたが、思うに、たとえば「テロとの戦い」という場合は戦争などの力によってテロと戦うこととなる。正義の戦争が注目を浴びる。
しかし「テロとの闘い」という場合は戦争に限定されずに差別や貧困など様々な解決すべきものを通してテロをなくすことも含まれるようになる。ここには日本のこれまでの平和主義も役立つはずです。
犯罪は許されない。そこで刑罰を強くしたり民主主義を狭めたりするのが「犯罪との戦い」です。しかし犯罪をなくすために貧困をなくしたり金中心の社会を変えたり仕事に追い回されて仕事という時間に支配されるものを解決する中で犯罪を減らせるという考えもある。それが「犯罪との闘い」
「戦い」と「闘い」。。。。どちらに社会や人間の進歩につながるだろうか?
人間の歴史は、戦争に明け暮れていた。「戦い」に明け暮れていた。しかしこれにより人間自身や社会が進歩したのだろうか?たしかに戦争も科学を発達させたかもしれない。しかしその化学が人間社会の進歩につながったのは平和的利用だった。その平和に向かうことが「闘い」だった。
テロはもちろん「戦い」ですから否定されねばならない。同時に「テロとの戦い」という戦争ももちろん「戦い」です。どちらの「戦い」も否定されねばならないのです。すべての平和を作り出そうとする「戦い」への「闘い」があらゆる分野で動いてきている。一般市民は願っているのです。
そして少しづつですがこの市民の願いに沿って社会は発展してきました。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
テンプレートを変えてみました。

少し明るくなったでしょ ♪

久しぶりに昼飯はナポリタンをつくりました。
具材は、ウインナー、玉ねぎ、ピーマン、赤のパプリカです。香出しにニンニクのみじん切り。
それぞれ具材は太めの千切りです。
多めのオリーブ油でにんにくのみじん切りの香りを出し、すべての具材をさっと炒めて塩コショウと鶏がらスープの素をいててまたさっと炒めます。まだ具材が半生の状態でケチャップ、砂糖そして隠れ味に醤油をひとたらし。
ケチャップがなじんだら少し焦がすぐらいにまた炒めます。
そこに茹で上がったスパゲティーを入れてソースを絡めたら出来上がり。さらに盛りつけたらオリーブオイルを人たらし。
ナポリタンはスパゲティーを炒めたときに上から入れるのが普通でしょうが、先に香ばしく痛めてソースにしておくのもおいしいです。このときなもさもさの柔らかいスパゲティーではなくて硬めにします。
ソースの出来上がりとパスタのゆであがりのタイミングにご注意。

【2018年】ツイッターつぶやき
東京は寒さが続いています。
今日のように曇り空ですとなおさら寒さがこたえます。
花壇の花も同じで元気がありません。
土に割り箸を指したらすごく硬い。たぶん凍結しているのではないかと思います。花たちは乗り切ることができるのでしょうか?枯れ葉の時期にあまりにも枯れ葉が多いのですべてきれいに撮ってしまったのですが、花の根元ぐらいに枯れ葉があればだいぶ違うのかなと思ったりもします。
腐葉土でもまいてあげようか。。。。。。
今咲いている花は初冬の頃に植えて毎年冬を越して春には大きく生長していました。冬でも楽しめる花ですが、本来は春の花ですからなぁ。。。。。。
冬越しをさせようと思っているインパチェンスを室内で育てているのですが全く花をつけなくなりました。室内と言っても朝方には8度ぐらいまで下がりますから夏の花にとっては厳しいと思います。
今年の寒さは異常です。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
ロイターに円高にブレーキをかける日本経済の構造変化という記事があった。
日本が貿易黒字国であったのは過去の話になりつつある。
「財務省が23日発表した2018年の貿易収支は1兆2033億円の赤字と、再びマイナスに転落した。」(引用)そうです。
簡単にいえば輸入が増加をして輸出が不調だということでしょうが、一気に円安が進んだわけですから円換算すれば高いものを買って、安いものを売るということですから赤字になりますね。これは国民生活に直結しますから個人消費は伸びません。
一方では所得収支は伸びているそうです。たぶん観光の収支も伸びているでしょう。
経済の起訴であるモノ作りからの収支は赤字で、投資などでの収支は黒字。国民は海外旅行をしにくくなりますが、海外からは押し寄せてくる。
貿易黒字はマイナスで所得収支や観光の収支が伸びるという日本経済の構造が変化してしまったということだと思います。
ここから脱却ができない状態で円高にもなりにくいということでしょうか?
しかし世界的な株価も不安定さがありますし、オリンピック後の観光客はどうでしょうか?
このまま円安傾向が進んでいく中で、円安株安は起きないでしょうか?さらなる円安は日銀緩和から離れて独り歩きをしていく。経済の好転どころか後退を引き起こすでしょう。この時に日銀が引き締め?
日本は危ういのかもしれません。

昨日花の鉢に水をあげていたらフリージアに花の房の芽が少し出ていました。
今朝またみてみるとたくさんの芽が出ていました。
こんなに早かったかな?
そういえば寒に入ってからは平年並みの寒さですがそれまでは暖かでしたからね。
やはり今年は暖冬なのかもしれません。
2月いっぱいはさらに寒さも厳しいですから花の芽もゆっくりと大きくなるのかも。
チューリップの原種に近いという球根やいろいろな球根から芽も出てきました。
ビオラは一株ダメになりそうですが他は元気です。
そういえばもうすぐ節分ですなぁ。。。。。。
春が待ち遠しいです。

【2020年】ツイッターつぶやき
時々無性に食いたいものが湧き出ることがある。
とは言っても高級な料理が食いたいとかではなくて、牛丼が食いたいとか、ラーメンが食いたいとか。あるいは野菜を食いたいとか豆が食いたいとかの食材も含めてです。そして味付けでも何味のものが食いたいとか。
虫生無性に食いたいという物はたぶん体が欲しがっているのではないかと思います。
最近よく歩いているのですが、すると今まで食べたいなんてあまりなかったチョコレートが食いたくなります。体を動かせば甘いものが食いたくなるのでしょう。それは体が甘いものを欲しがっているのではないかと思うんです。
ある時は煮豆を食いだしたら箸が止まらなくなる時があります。やはり豆の植物繊維を体が欲しがっているのではないでしょうか。
野菜もそうですね。。。。。。
単純な例としては、寒いときには温かい飲み物が欲しくなりますし、暑いときは冷たいものを。
最近テレビで健康番組が多くなっていますが、体を健康に保つにはあれを食えとかこの食い物がいいとか。。。。。。
でも、その食い物を体が欲しがっていないときは必要ないのではないかと思います。番組を見ていて料理を見た途端食いたいとなれば、その食い物が今自分の体が欲しがっているもので、あとはこの食い物が良いといわれても食いたくなければ食わなくてよいのではないかと思います。食いたいと思ったものが体のどこに効くかというよりも食いたいものを食えばそれが体に良いことになるのではないかと思います。
カレーやラーメンが無性に食いたいときは、カレーやラーメンに含まれる何かしらの食材などを体が欲しがっているんでしょう。
仕事をしていて忙しいとなんでもいいからとりあえず腹の中に入れるということがあるかもしれませんが、昼になって今日はあれが食いたいなぁと思い食えるような条件がなければなりませんね。相違しないとどこか食生活から体の調子もくるってくるでしょう。
今日はあれを食いたい!と思えること自体も健康なのかもしれません。

【2021年】ツイッターつぶやき
「全国で先月1日~今月25日、新型コロナ患者29人が自宅や宿泊療養先で死亡。警察庁によると、今月1~20日、死亡後に感染が判明した人を含めて75人が医療機関以外の場所で亡くなった。」(東京新聞)
この死亡者の数字は1年間ではなくて1カ月ほどの間の数字ですね。
この死亡につながる危険性があるのは「ハッピー・ハイポキシア(幸せな低酸素症)」だそうです。
自宅療養で大した症状もない無症状だ軽症だと思い込んでいるが急激に重篤化することがあるという。
上記引用の自宅療養者の死亡者数はもっと多いのではないか?
現在PCR検査数が多くなっているとはいえその数は欧米に比べてかなり少ない。すると検査もしないままの無症状者はかなり多いでしょう。その人たちの中で「ハッピー・ハイポキシア(幸せな低酸素症)」状態でなくなっている方もいるでしょう。それが警視庁が把握した変死者の中にいたということでしょう。
医療崩壊が言われ無症状や軽症者はなかなか入院できない(政治家の中に入るようですが)状態です。入院できない家庭状況の方もいるでしょうが。
でも医師の診療も受けられず保健所からの安否確認ぐらいでは死亡する方も増加せざるを得ないでしょうね。
民間病院はコロナ感染者を受け入れられないと言われていますが、受け入れができないにしても自宅療養者への見回りやパルスオキシメーターでの血中酸素量測定ぐらいは行えるでしょう。入院でなくても関東ならオリンピック村を活用して医師が見回れる宿泊療養もできるでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
アメリカ大統領とウクライナ大統領が長時間の電話会談を行ったようです。
バイデンさんはロシアがウクライナに進行してくることを強調したが、ゼレンスキーさんはロシアからの攻撃は確実なものではないと強調したようです。
ウクライナがアメリカの主張に対して過度に反応して国境付近のロシア軍を攻撃でもしたら大変なことになりますし、ロシアが反撃したらアメリカが動く。一番得するのは中間選挙で不利が伝えられているバイデンさんです。戦争にしろ経済制裁にしろ「強いアメリカ」を国民に示せばアメリカ国民はすぐに熱狂するでしょう。これまでのアメリカの戦争は国民の支持をどう作り上げるかにあった。イラクの有りもしない大量破壊兵器からの軍事行動でもアメリカ国民は熱狂をした。同じようなやり方で中東はずっと犠牲になってきた。同じことをウクライナでも作り上げようとしているのか。
ウクライナも経済的な支援を受けるためにNATO加盟などをにおわせないほうが良い。

【2023年】ツイッターつぶやき
春闘がはじまっていますがそうは賃上げはなさそうですね。すでに雇用か賃上げ下で労働側は委縮している。
岸田内閣は更に増税を行う。
搾取と収奪とがさらに進む。わずかな賃上げがあったとしても増税で消えていく。
そして日銀総裁の後退で緩和はどうなるか?
アベノミクスと日銀緩和で経済は落ち込みさらに景気の後退となっていくでしょう。
円安は実体経済を示すようになるでしょう。スタグフレーションは、企業収益が減少する中で経済の後退がはじまっている中で値上げを行う。
低賃金、増税、物価高が襲ってくる。
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2024年1月27日(土)「相対的貧困には絶対的貧困が内在する」

2024年01月27日 22時18分05秒 | 「政治・経済」
安倍政権時から日本の中に相対的貧困が増加した。相対的貧困は格差の拡大により超富裕層を作り出すとともに貧困層をも増加させる。
この相対的貧困はどうにか食える生活ですが、最近では東京都庁前での食品配布所の列が長くなっているそうです。日雇いの仕事がなくなれば、体を壊せば、すぐに食う物が途絶える。
預金金額がゼロ円という人が増加していますが、こうした方もちょっとつまずけば絶対的貧困層に。
この中で悪性の物価高が進んでいますから、絶対的貧困はさらに進みます。
年金生活者やシングルマザーなど、。。。。も。
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池に浮かぶ月2141【1月27日】

2024年01月27日 21時40分54秒 | 「池に浮かぶ月」
日銀の2%目標は、安倍政権時からこれまで達成はされず、ずっと道半ばとされた。2%目標は経済の好転がなければ達成はされないインフレです。
しかしこのインフレではなく、アベノミクスにより円安誘導されその中で悪性の物価高が進んだ。これにより国民生活は切り下げられ経済は好転しない。
スタグフレーション。。。。。。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 1月27日(金)「スタグフレーション」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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