夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2014年 5月31日(土)「悪い賃上げとは、良い賃上げとは」

2014年05月31日 22時55分21秒 | 「政治・経済」
ロイターのコラムに「悪い賃上げ」が招く株価と景気の失速リスクという記事がある。
その中に現在現れている賃上げ傾向(実際に実質賃金の上昇かどうかは別として)を復興や公共事業からの一時的な労働力の需要とこれ以下社会での労働力の不足からとしてその中での賃上げを「悪い賃上げ」としているように思われる。この悪い賃上げが株価や景気の失速に結びつくことからも悪い賃上げとされる。
しかしその前に「悪い賃上げが株価や景気の失速に結びつくこと」という「株価や景気」の現状が良い景気回復なのかが問題でしょう。
悪性の物価上昇やそれと関連する人為的な株価や景気(人為的な円安)だからこそ悪い賃上げは付随するということでしょう。
悪性の物価高や株価の値上がりによる金融バブル的な景気とそれに付随する高級品などが中心の景気。このような景気を支える個人消費の維持には機械的な賃上げ(名目賃金)が必要ということです。日銀が民間や国に対してそれを求めることは自然でしょう。何よりも金融緩和(量的緩和)だけでは景気は回復しないのですから。悪性の物価高を作れな悪性の賃上げも含めた悪税の税制や悪性の減税など様々な政策が必要となりそれの集約されたものが成長戦略でしょう。
たしかにこのような視点からだけに賃上げを見れば悪い賃上げとも見えなくもないのですが、賃上げの必要性はこれまでバブル崩壊後の企業利益を支えるために低賃金化が進められてきたわけですが、その低賃金化がデフレの継続にも結び付いて経済を冷え込ませた側面があるわけですから、その矛盾を解決するための賃上げは「良い賃上げ」となるでしょう。
労働力不足は労働人口の減少だけに問題があるわけではなくて、ブラック企業という言葉が一般化するほど労働力の浪費をしてきたツケにあります。バブルをソフトランディングさせるには労働時間の短縮と雇用・賃金の維持が必要にもかかわらず高齢者を窓際族扱いをし若い人も含めた低賃金化を生産性の向上と勘違いした経済学や経営哲学に走り、ついには労働意欲を若い人から奪ったり自由な働き方を不安定雇用という形でごまかしたりしてきたツケとしての労働力の浪費があったわけです。これを反省点とした賃上げが必要という意味においてそれは「良い賃上げ」なのです。賃金だけではなくて労働時間や労働日数そして労働条件全般に改善が必要なのです。労働条件の劣悪さや社会保障の充実なしに高齢者や女性労働力の活用も進まないでさらに労働力の浪費に向かわせる。特に女性労働力の活用は間違えれば更なる少子化を招くでしょう。
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2014年 5月30日(金)「原発事故のコストとは誰のコストか」

2014年05月30日 22時02分15秒 | 「政治・経済」
ある方への「返信」から。。。。


福島原発のような過酷事故は様々な事故処理が20年で済んで金はかからなくなるのでしょうか?10兆円を20年で割る?10兆円は10兆円で電力会社が短期に必要とするコストでは?このコストに電力会社は国や料金値上げに頼らずに耐えられるのか?
10兆円を20年で割ってそれをまた国民一人あたりで割って。。。など、国民(消費者)に負担をかけることを前提としたコスト計算はもう許されないのでは?
本来東電は破たんしていたのでは?

今回の原発の過酷事故でのコストは、民間企業である東電自体のコストで国民のコストではない。
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2014年 5月30日(金)「見た目は”せっせ丼”」

2014年05月30日 18時50分22秒 | 「男の料理」
今夜は蒸し暑くて冷たいそうめんにしました。
ぶっかけそうめんです。。。。
トッピングは。。。。。
レタスの千切り・きゅうりの千切り・塩ゆでオクラ・トマトのスライス・春菊のかき揚げ・鶏肉の甘辛煮・長葱のみじん切り・おろし生姜。。。そして焼いた餅です(笑)
家族にトッピングは何がいいか訊いたらさまざま。そこで、僕の要望である春菊のかき揚げ、妻の要望のたくさんの野菜と焼き餅、娘の要望の肉が全部乗せとなりました。
ということで出来上がったのは、ラーメンどんぶりにそうめんやこれらのトッピングがたくさん乗ったものとなりました。
見た目は知る人ぞ知る”せっせ丼”です。。。。クスクス
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2014年 5月29日(木)「リスク」

2014年05月29日 22時20分22秒 | 「思うこと」
大飯原発稼働差し止め判決に対する「ゼロリスクを求める考え方は科学技術の考え方に対する裁判所の判断として不適切」「工学的な安全対策を否定する考え方は不適切」(日本原子力学会)という言葉は、科学技術の発展の中で安全性をより高め発達をしていくという一般的な論理として正しいのですから「ゼロリスク」求めるならばこのような科学技術の発展と利用はないでしょう。
しかし「ゼロリスク」を求めることが間違いだという論理の裏側には「完璧な安全」という論理も間違いであるということです。ですから「原発の安全性は保障されている」から稼働・再稼働をという論理はやはり安全神話なのです。ですから飛行機事故などがあれば「より安全性を高める」ということしか言えないわけです。原発の過酷事故が現実に起きたわけですから「ゼロリスクを求める考え方は科学技術の考え方に対する裁判所の判断として不適切」「工学的な安全対策を否定する考え方は不適切」という言葉も「より安全性を高める」という意味以外ではないのです。「ゼロリスクを求める考えは不適切」という論理のすり替えで安全性を語る。これもまた安全神話の語り方の一つなのです。
リスクというのは事故が起きる確立を下げることだけではなくて事故は起きるものだという認識にも立ってその事故が起きた場合にどれだけのリスクが生じるかを見なければならないでしょう。この事故が起きた時のリスクの大きさを含めたリスクなんです。
車の交通事故の起きるリスクの大きさと原発の重大事故が起きるリスクの大きさを比べれば、交通事故は毎日起きているわけですから原発の重大事故のリスクは相当低いことになる。リスクの高い車に毎日乗っているのに原発事故の相当低いリスクを言うのは間違いなどといった論理が生まれる。しかし車の事故と原発の事故といういったん事故が起きた時のリスクはどちらが大きいかといえば原発事故のリスクのほうが相当大きいでしょう。その中で原発の稼働リスクは高いということになります。
経済的コストも発電コストで原発は安いといわれますが事故時のコストを考えればそのコストは相当高い。

このような論理から安全神話と平和ボケという言葉を混同してはいけない。
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2014年 5月28日(水)「質的な違いのある原発事故」

2014年05月28日 22時49分40秒 | 「思うこと」
今日のツイッターから

福島の事故原発でそれまで言われていた安全性とはなんだったのでしょうか。。。 関西電力大飯原発3,4号機運転差し止め裁判の判決に関する見解 (日本原子力委学会)
「ゼロリスクを求める考え方は科学技術の考え方に対する裁判所の判断として不適切」「工学的な安全対策を否定する考え方は不適切」この論理が安全神話を作り上げてその論理が神話だったことを証明してしまった。原発事故はほかの事故とは質の違う事故です。
一度過酷事故が起きればどうにも対処できないこと、あるいは対処には経済的に国民負担を莫大なものとして相当の年月がかかること、事故はそれまで継続をしていること。。。このリスクをどう考えるのか。こう見るとこのリスクに対するものはゼロリスクどころか99%リスクです。
この事故が起きてしまった時のリスクを見ないリスク計算自体が安全神話なのです。飛行記事も大勢の犠牲者を生むがそれは事故自体はすぐに収束する市対処も早い。この飛行機事故と原発事故を同列にしてリスクを見てはならない。質が違うリスクなんです。

「ゼロリスクを求める考え方は科学技術の考え方に対する裁判所の判断として不適切」「工学的な安全対策を否定する考え方は不適切」。。。これは反面から見れば100%リスクを解決できないのが科学技術であり、100%たしかな工学的な安全技術はないということです。その中ではいったん事故が起きた場合にどうのようなその事故によるリスクがあるか重要です。飛行機事故ならば捜索して救助隊が行って対処するというリスクですが、原発事故はそうは簡単な事故処理はできないのです。数十年あるいはっ数百年に及ぶ事故処理が必要になります。ここには事故という物自体のリスクの違いが大きく表れるでしょう。そのリスクの違いには経済的損失ももちろん含まれます。
質の違う事故なんです。原発事故は。。。。
そして何より人の組織の考え方や政治的立場・経済的理由が100%安全を目指さなくする。
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2014年 5月27日(火)「残業代ゼロ 中間層以下にも?」

2014年05月27日 22時32分57秒 | 「政治・経済」
解釈改憲の次は労働の規制緩和での解釈労働法改変的なものか。。。。
朝日新聞のサイトに「残業代ゼロ」案修正へ 幹部候補に限定、年収は問わずという記事がある。
以前の案では一般社員であっても年収1000万程度の中間層までを想定した案であったと思うが、それが修正されて
「当初案は対象に一般社員も加えていたが、「幹部候補」などに限定し、年収の条件を外す。法律で決めた時間より長く働いても「残業代ゼロ」になるとの批判をかわすため対象を狭めるねらいだが、企業の運用次第で幅広い働き手が対象になるおそれがある。」 (上記リンクページより引用)
これは「残業代ゼロ」を企業の解釈としていくらでも広げることを可能にするかもしれない。
幹部ではない幹部候補はいくらでも解釈で可能でしょう。当初は高収入職種「残業代ゼロ」」としてその職種もある程度制限される方向でしたが、それが年収1000万円程度の「高収入」とされて今度は年収の条件を外したものとなった。職種という限定も広がりを持つようになるということでしょう。
ホワイトカラー・エグゼンプションの考え方の歴史があるようですが、「幹部候補・収入条件なし」という抽象的な規定は、適用職種がホワイトカラー層の仕事と限定されるでしょうか?様々な職種において解釈次第では適用される危険性が出てくるのではないでしょうか。
考えすぎかもしれませんが、チェーン店の店舗などで店長でもやれば幹部候補となり残業代ゼロにという危険性はないのでしょうか?
このような広がりが出きやすい解釈でしょう。そして残業代未払の合法化ともいえる。今のような働き方が続く中で。。。自由な働き方などというものがあり得るでしょうか?
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2014年 5月26日(月)「好循環なのか?」

2014年05月26日 22時42分34秒 | 「政治・経済」
日銀副総裁が講演の中で、円安「効果」による物価上昇が弱まっているなかで2%目標は難しいのではないかという指摘に対して
企業の生産拡大が従業員の賃上げにつながり、消費も堅調に推移していると指摘した。「好循環のインフレになっている」と述べ、物価上昇は今後も持続する」 (上記リンクページより引用)
という認識を示したという。
円安によるエネルギー価格の上昇名の物価上昇はこれまでもブログに書いてきたように「悪性の物価上昇」ですからこの悪性の物価上昇に対して「好循環のインフレ」傾向を示すならたしかに良い方向でしょう。
しかしソニーは 『黒字化に自信「構造改革やりきる」』と言っている。この構造改革は成長戦略といってもよいと思うのですが「良い商品を出し続けたが、それをサポートする事業部、本社、海外販社のコスト構造がビジネスの規模にあっていなかった」(上記リンクページより引用)「コスト構造」の中にはやはり労働力の構造的なものも含まれるのではないか?
構造改革=成長戦略が先の日銀総裁の「降順化」を裏付けるだろうか。。。。
ロイターには「需給ギャップ解消「思いのほか速い」=日銀議事要旨」という記事がある。この需給ギャップがゼロになるという改善がどこから来るかといえば
「少子高齢化やリーマン・ショック後の設備投資の先送りなどで「やや長い目でみて、日本経済の供給の天井が低くなっていることを示すもの」との見解を示した。」(上記リンクページより引用)
というように「供給の天井が低くなっている」ならば需要が伸びなくても需給ギャップは改善したと見えるでしょう。ですから日銀内においても今後の物価動向にはいろいろな意見が出ます。このことからも日銀副総裁の「好循環のインフレ」の信頼性をどこまで認められるかでしょう。
やはりここにおいても構造改革あるいは成長戦略を求めることとなりその影響が労働者の中にどのように表れるかです。残業代ゼロもそうですが労働者には良い方向にはないでしょう。そうすると「好循環のインフレ」は怪しくなります。
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2014年 5月25日(日)2「ネットもリアル社会なんです」

2014年05月25日 11時33分31秒 | 「思うこと」
今朝の連続ツイートのまとめです。

「ネットの匿名性を否定しているわけではない」 ソニーOB辻野氏がツイッターで弁明 http://careerconnection.jp/biz/studycom/cntent_1227.html… #キャリコネ 不特定多数の人に発信して不特定多数の人から「返信」を受ける機能を容認する。実名にしろHNにしろ僕は知らない人が多いわけです。。。
街中などを歩いているようなもんです。誰も名札をつけて歩いているわけではないですね。その中で肩がぶつかっただけで暴言を吐く人もいればやさしい人もいる。でも大体において暴言を吐く人は特殊な人です。ある一定のルールや心のふれあいで不特定多数の街中という空間は維持されてる
不特定多数の中にいるとその人の本章本性が出るわけでして、たとえば会社では絶対見せない顔を不特定多数の中では出したりする。それは良いも悪いも個性で何もそのときに名札をつけろ、会社名を書けといった野暮な威圧的な人はいないでしょう。まぁ、街中では顔ぐらいはさらしますが。
街中ではつぶやきながら歩いている人はいないわけですから、ネットというのは顔の代わりに心をさらして歩いているわけです。街中では身体的危険もありますから変な人がいても口出しできないのが一般です。ネットでは心の危険性にさらされますがつぶやくことぐらいはできる。
こう見るとネット上はある意味リアル世界なんです。みんなが心をさらして歩き回っているんですから。。。。街中よりもリアルなんです。
逆に街中ではバーチャルな世界が展開されて言いたいこともいえずにストレスをためてしまうこともあります。特に会社とか。もちろんそれが社会実体のリアルさです。ネットと世界と街中の世界そして会社などといった公的世界が一致しなければならないわけでして何もネットだけが悪でない
特殊な人が多くなればその世界は特殊となる。でも大体においてその特殊社会は自己崩壊をする。。。。その意味においてネット、街中、公的世界は一致をしていく。
知識・情報の氾濫は考えることで克服していかねばなりませんね。それはネット社会、街中、公的社会でも共通した課題です。
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2014年 5月25日(日)「梅シソラーメン」

2014年05月25日 11時23分47秒 | 「男の料理」
ラーメンは市販の塩ラーメンです。
トッピングはモヤシのミックス野菜を炒めたものとチャーシュー・ワカメ・しその葉の千切り・たたいた梅干・ゴマそして長ネギのみじん切りです。
夏の熱いラーメンもあっさりとしたおいしさになります。

これはよく行くラーメン屋さんのメニューのパクリ。。。。
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2014年 4月24日(土)2「金余り」

2014年05月24日 23時04分52秒 | 「政治・経済」
日銀が金融(量的)緩和を行う理由はデフレ不況は貨幣量が少ないからという判断でしょう。
しかし誰が考えても貨幣量が不足するときは景気が過熱した好景気のときでしょう。そのときに貨幣量を増加させたらインフレになる。不況の場合は貨幣量があまるのが普通です。
これまでずっと金融市場には金が余っているといわれていましたが、国民生活に回る貨幣量が減少して金融市場や企業富裕層に金が吹き溜まる。この吹き溜まりにこそ金余り現象が出る。貨幣量が足り何は国民生活においてです。今回の金融緩和でこの一方における金余りと一方における金の不足が解消されたかといえばそうではなくてやはり吹き溜まるべきところに吹き溜まったわけです。
貯金というものが日本では大きな吹きたまりといわれていますが、一般国民の一人当たりの著金額は少なくてその貯金は老後や子供の教育という形でいつか使う金でしょう。ですから小額の一般国民の貯金は吹き溜まりとはいえないのかもしれません。
やはり不況時には貨幣量の増加は逆効果で貨幣の回転を上げることではないでしょうか。
一般国民の生活に廻る金と社会保障や国民生活に密接に結びついた財政の活用による貯金しなくてもよいような国への信頼を作らねばならない。
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2014年 5月24日(土)「労働力の使い捨てが何をもたらすか?」

2014年05月24日 09時38分27秒 | 「政治・経済」
労働者の過労死防止がやっと国レベルで動き出したようです。
失業やニート問題そしてブラック企業や低賃金化と不安定雇用の増大などなどそして今回成立するという過労死防止法という最も事件件にかかわるKAROUSI(国際語)。。。。。
こういったこれまでの労働力の使い捨ての矛盾が噴出しつつあります。
労働力の使い捨ては労働者の貧困化を生み出します。それは労働力の再生産を困難にしていきます。過労で死んでしまうというのはその典型ですし、出産や子育てが困難になるような働かされ方や経済状況は必然的に少子化のひとつの要因となります。
19世紀のヨーロッパでコレラの大流行があり、これらですから貧乏人も金持ちも平等に死んでいく。金持ちだといっても安心できない状況がコレラというものを通して社会に吹き出たのです。コレラは貧困層の劣悪な非衛生的な環境から広まったとしてイギリスでは労働者保護法の動きとなります。今の時代の資本主義もこの19世紀のイギリスと同じ状態なのでしょう。一定の労働者保護法という考え方をもたなければ社会が混乱をして金持ちといえども経済的な危機を持つようになってしまう。
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2014年 5月23日(金)2「働く意欲と自己責任」

2014年05月23日 14時12分18秒 | 「政治・経済」
高齢者や女性の雇用が言われ「働く意欲のある人」のある人にはそれに応えるといった言葉が多くなっている。「働く意欲のある人」とは言葉の違いはあるにしても昔から言われているもので、意欲のある人には高い賃金などといった格差賃金もこれに類するものでしょう。小泉内閣当時も「一生懸命に働く者が報われる社会」とも言われていた。
しかしこの「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」とはどのような人でしょうか?もちろん一般的な意味で社会の中で役に立ちたいとかといった「気持ち」はありますからその一般的な意味での意欲や頑張りという意味合いもあるでしょう。しかしこれまでの社会で使われている「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」というのはある意味作られた人です。生活をしているわけですからやはり働くのも一般的な意味での役に立ちたいといったものだけではなくてやはり金銭面です。極端な言い方をすれば、国民を貧困にしておけば「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」が生まれてきます。就職難や正社員につきにくいとか、そういった労働環境によっても「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」は作り出されます。高齢者にしても年金制度の改悪の中で無年金年数が伸びていくわけですから「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」は作られる。女性も男より一人で生きていくには厳しさを増していますし結婚しても共働きでなければ一定の生活ができにくくなっています。その中でやはり「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」という女性が作られる。
こう見ると「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」という一般的には誰もが否定しない言葉なのですが、裏に隠れた国民生活の実態から見れば相当ひどい意味合いを持つ馬鹿にした言葉ではないでしょうか。
同時に今女性が働き続けられる条件整備が言われていますが、その条件整備も不足する中で女性労働の活用が言われています。高齢者にしても定年などでその後の低賃金化や高齢者が働き続けられる労働条件の整備や定年延長という条件整備は進みません。若い方も雇用制度の矛盾の中で「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」であっても報われない社会ですし、下手をすればブラック化の中で働き続けられない受験も出ています。その中で「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」という自分は自己責任でこの社会の中で頑張るしかない。もちろん競争の中で一部の人は勝ち組にもなれるのですが、格差は広がるでしょう。
一般的な社会に役立ちたいとかといった意味合いで今使われている「働く意欲のある人」とか「一生懸命働く人」という言葉を理解してはならないということですね。
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2014年 5月23日(金)「スポーツジム通い帳(15)」

2014年05月23日 12時29分43秒 | スポーツジム通い帳(更新なし)
連休もありいろいろと野暮用が重なってスポーツジムも約2週間ぶりとなってしまいました。
自然が少ない東京ですが2週間という時間の流れの中で風景も変わりますね。この前までよい香りを漂わせていた羽衣ジャスミンも盛りを過ぎて昼顔やどくだみが咲きはじめていました。
久しぶりに体を動かしたら体が軽くなりました。汗をかく心地よさ。。。
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2014年 5月22日(木)2「アベノミクスの行方」

2014年05月22日 23時02分46秒 | 「政治・経済」
ロイターサミット「アベノミクス下での投資戦略を探る」という特集が続いていますが、今日は3本の記事が目に留まった。
需要刺激する局面ではない、日銀は政策の軌道修正を=早川元日銀理事
2年目のアベノミクス、円安追求ではなく成長戦略を=パネル討論
日銀、市場に緩和縮小への準備させるべき=ジョルゲンソン教授
いずれも日本は2%の物価上昇の目標を達成しつつありデフレからの脱却がなされたという分析。しかしアベノミクスと日銀の今後については懸念も出されている。また、デフレからの脱却がなぜ経済成長や輸出の伸びにつながらないかといった本格的な経済の建て直しがされていないというのも共通しているでしょう。
このデフレからの脱却がされたという分析と介在の建て直しがなされていないという不可思議な分析自体がやはりアベノミクスの矛盾の現れであり逆立ちの論理から来る分析だからでしょう。
経済の建て直しが進む中でデフレから物価の上げという結果が出てくるというのが普通な経済法則です。デフレからの脱却と不況からの脱却が切り離されているのではないでしょうか?これは切り離すことができない問題で同時に進むはずでしょう。
この逆立ちの論理からアベノミクスに期待されるのが第三の矢・成長戦略です。
これは昨日も書きました、物価上昇というものを行った時点で日銀の責任は終わってその後は政府の責任でしか経済の建て直しはできないことを示しています。しかしこの成長戦略が国民生活にどのような矛盾を引き起こすかによってやはり失敗をするでしょう。すぐにデフレ圧力というものが市場に蔓延しはじめるでしょう。それは消費増税の影響も大きく出てくる。
物価上昇の後は更に国民生活を悪化させる成長戦略では。。。。
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2014年 5月22日(木)「10年日記」

2014年05月22日 22時05分27秒 | 「思うこと」
旧ブログが閉鎖されることによりこちらに引っ越してきて2ヶ月が過ぎました。
旧ブログからの引越しはインポートという便利な機能があるようですが、パソコン音痴の僕にはどうもわからないことばかりでしてせっせと手作業で引越しを終えました。しかしこれが幸いしてか、「何を思っていた?(旧ブログのまとめ)としてたとえば5月20日ならその日書いたものを2010年から13年までをまとめるという形で記事にできました。案外これが面白いんです。自分で書いたものとはいえ忘れているものが多く、このような形でまとめると思い出したりします。
ブログ機能として「10年日記」のような機能を持たせられないでしょうか。。。。?
ブログのカレンダー機能のある日をクリックするとその日に書いたものが数年分読めるなんて素敵だと思います。
昔「10年日記帳」というのをつけていました。
10年用ですから書ける行数が5行ほどでしたが毎日めくりながら書き続けて元旦にはまたはじめのページに戻り去年の下の段に書き加えていく。この達成感といっては言い過ぎかもしれませんが楽しく張り合いを持って書けたのかなと思います。
ブログですから5行ぐらいの表示でも「続きを読む」という形で長い記事も残せると思います。日記サイトというのはいろいろありそうですからこのような機能があるのかもしれませんがそれをブログでやってみたいです。
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