夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

池に浮かぶ月59【2月28日】

2018年02月28日 19時39分04秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は個人消費が伸びないと本格的な景気回復はないとして、政府すら管制賃上げを行わざるを得ない状態を書きました。管制賃上げも連合系の大企業や公務員職場でしかなかったでしょう。
商品市場においては高級品が得れれば景気が良くなるというわけではなくて、大衆消費材がどのくらい売れるかが問題です。平均的なサラリーマンの10倍の所得のある人は、テレビを買うときには5万円程度のものを10台買わないと消費は伸びない。一人で10台ものテレビはいらないでしょうから寄付でもしなければならない。現在も格差の拡大がありますが、所得の再配分を政府が行わなければなりません。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「2月28日という日」
【2017年】ツイッターつぶやき個人消費が伸びないと経済の好循環は生まれないということはすでにはっきりとしてきている。 政府も管制賃上げを言わざるを得ないほどに個人消費は落ち込......
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よくお読みいただいている記事(47)

2018年02月28日 16時57分12秒 | よくお読みいただいている記事
            2018年 2月

      2月 1日     8月25日という日
      2月 2日     犬が鳴いている
      2月 3日     ポイントカード
      2月 4日     しりとり俳句2017年冬
      2月 5日     1月 3日という日
      2月 6日     疲弊
      2月 7日     四十九日過ぎまで
      2月 8日     まるで手品のように
      2月 9日     花咲くころ
      2月10日     gooお題 間違いやすい日本語とは? 」
      2月11日     じゆうななもじ君句集2018年春
      2月12日     gooお題 間違いやすい日本語とは?
      2月13日     年金積立金
      2月14日     ホワイトデーには何贈る?
      2月15日     働き方改革は誰のため?
      2月16日     しりとり俳句2018年春
      2月17日     gooお題 間違いやすい日本語とは?
      2月18日     花咲くころ
      2月19日     国債の流通
      2月20日     136円
      2月21日     gooお題 服はリサイクルしていますか?
      2月22日     俳句のユネスコ無形文化財登録
      2月23日     俳句を世界遺産に?
      2月24日     花咲くころ
      2月25日     季語の窮屈さ
      2月26日     俳句はその遺産から何を引き継ぐのか。伝統とは何か。
      2月27日     霧雨
      2月28日     危機は内包する
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2018年 2月28日(水)「ナメクジ」

2018年02月28日 11時24分03秒 | *  花  *
去年の初冬からプリムラやビオラの花弁が何者かによって食われていました。
葉っぱや花に粘液の筋が残っていたので蝸牛かなと思っていました。真冬の寒さ厳しい時期はさすがに食われていなかったのですが今朝見たらまたたくさんの花弁が食われていました。もちろん粘液性の筋を残しながら。。。。。
がっかりしながら食われた花を摘んでいたら葉っぱの奥に茶色の怪しい物体が。
それは肥え太った大きなナメクジでした。
その大きさからしてたくさんの花びらをむしゃむしゃと食いつくすに足る大きさでした。
ナメクジ退治は塩と決まっていますが、さすがに花びらに塩をかけるわけにはいきませんから小枝を拾ってつまみ上げて草むらに引っ越してもらいました。
ナメクジというのは巣をつくって一か所に住み着くのでしょうか?だとすればほかのナメクジが侵入しなければ大丈夫そうですが。
でも、犯人が見つかってほっと一息・・・・
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2018年 2月27日(火)「ついに・・・・」

2018年02月27日 22時28分02秒 | 「思うこと」
朝から目がかゆいと思っていたら夕方にはクシャミが出始めて鼻水がずるずると。。。。。
いよいよ花粉症の季節です。
以前にも書きましたが、梅が咲くころにはじまり桜が散るころまで。。。。。
風流のようですが俳句にもならない。。。。。
花粉症との付き合いは35年ほどになります。毎年症状の大小はありますが悩まされ続けています。今は良い薬もあるようですがなるべく薬には頼らずに過ごしています。
山の管理で一番楽なのは杉だと聞いたことがありますが、見た目はきれいな山になりますが、どうなんでしょ?大雨での山崩れなどは。
花粉症で不思議なのは、ドライブなどで山に行っても案外大丈夫なんです。花粉症も複合汚染からでしょうか?
今年は寒い日が続いて一気に春めくようなはるかもしれませんね。花粉も一気に舞い散るかも。。。。
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池に浮かぶ月58【2月27日】

2018年02月27日 20時54分48秒 | 「池に浮かぶ月」
昔はコーヒーと言えば喫茶店。しかしおしゃれなコーヒーショップができて、コンビニでもコーヒーを座って飲めるようになり、今ではスーパーの片隅でもコーヒーが飲めるようになりました。しかも100円。コーヒー好きな僕にとっては助かります。
いろいろなところで100円のコーヒーが出てから缶コーヒーは飲まなくなりましたねぇ。。。。。
コーヒーの需要が高まったのか、競争に負けるところが出たのか。喫茶店も一時急激になくなりました。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「2月27日という日」

【2017年】ツイッターつぶやき東京を見ると昔はどこにもたくさんの喫茶店があった。しかし今はだいぶ少なくなりましたね。おしゃれな安いコーヒーショップが増えてコーヒーだけではな......

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池に浮かぶ月57【2月26日】

2018年02月26日 19時03分11秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は時間がなくて
「民主主義の形骸化って、身の回りにありませんか?」と
問いかけだけをしていました。
身の回りをもう一度眺めてみましょう。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「2月26日という日」

【2017年】ツイッターつぶやき時間がないのでついったからの短文。 1日中忙しい一日でした。そして今の政治の縮図を見るような一日でした。決められる政治とは何か。。。。。それは討......

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2018年 2月26日(月)「俳句はその遺産から何を引き継ぐか。伝統とは何か。(2)」

2018年02月26日 10時06分57秒 | * 俳句 *
俳句はその遺産から何を引き継ぐか。俳句の伝統とは。の続きです。
「俳句はその遺産から何を引き継ぐか。俳句の伝統とは何か。」では、俳句による自然の保護や平和性については俳句の普遍的な遺産ではないと書いた。人は自然に働きかけながらその恵みを得ていた。そしてその自然の厳しさや恵みと人の生活の営みとの関係をうたったものが俳句の一つの遺産でしょう。未来に向かっても同じであります。自然保護のために俳句は作られてきたのではないという事です。自然を破壊していけば自然からの驚異は増大をしてめぐみは少なくなります。その過程から俳句はまた生まれるでしょう。平和についても現在「積極的平和主義」が言われ、アメリカの軍事政策も世界平和が言われています。この中におて積極的平和主義自体が戦争による平和の維持という面を色濃くしてきました。俳句もこの積極的平和主義の平和感から詠まれるようになるでしょう。一方で戦後の平和主義からの俳句も詠まれるでしょう。ここでは俳句の平和性は抽象的であり俳句の遺産としては普遍性を持たなくなります。平和のための戦争を煽る俳句も、平和主義を直接問う俳句も交通安全運動や防火運動の標語的5・7・5のような月並み俳句以上の物ではなくて俳句の遺産という発展の中では「下手な俳句」等の位置づけになるでしょう。一方ではその中での自然とともにある生活の営みの本来の俳句から自然を愛することや平和を愛することの心が現れてくるでしょう。これが未来に向かっての俳句の発展性であり、未来への遺産となるでしょう。
さて、それでは過去の俳句の歴史からの遺産とは何か、伝統とは何かが問題となります。
まず、「5・7・5定型有季」と「大衆性」「娯楽性」を見てみましょう。
交通安全運動の標語に見る17文字のリズムは日本人の表現方法として血肉のようになっています。もちろんこの17文字のリズムは俳句からきており俳句が無意識的にも遺産として残されているという事です。しかし交通安全運動の標語と俳句とは違います。正岡子規によって俳句の詩的な重要性が遺産として残されました。ですから俳句は詩でなければなりません。
日本人の血肉ともなっている5・7・5のリズムと17文字内に詩的な気持ちを込めるという定型こそが俳句と言えるでしょう。ですから俳句の歴史における遺産の一つは定型という事になります。そこには変調やどうしても必要な字余りは許容範囲内となるでしょう。もちろん5・7・5が基本形とはなるでしょう。表現の強さや心の現れの表現として必要な場合に変調は許されるでしょう。
俳句の定型としての詩形は、自然と向き合う生活の営みにあります。
自然と向き合う事では日本では四季があり、その四季に人は向き合い生きていくために不可欠な農業などと結びついてそれが生活の営みとなります。現代は農業から離れた自然との向き合いが多くなりましたが、ファッションなどの文化を通じても自然に向き合い心は変わりないでしょう。ですから有季は俳句には切り離せないものですからそれは俳句の歴史における遺産です。
以上に「定型」と「有季」については俳句の窮屈さ季語の窮屈さで思うところを書いていますが、この二つの窮屈さこそが俳句の死としての特徴でもあるのでしょう。窮屈さから解放されたいという中に定型破りや無季も生まれますが、川柳を見てみれば、無季であり俳句の持つ滑稽さや自虐性等に特化していけば俳句とは違う世界観の一つの文学となります。俳句の窮屈さから離れた川柳のような文学を作り上げることも俳句の発展であり、同時に俳句からの飛躍となるでしょう。しかしそれを俳句だと言い張るのは無理があります。
俳句が持つ「大衆性」ですが、これをどのようにとらえるべきか。

俳句はその遺産から何を引き継ぐか。伝統とは何か。(3) 」につづく
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池に浮かぶ月56【2月25日】

2018年02月25日 18時11分39秒 | 「池に浮かぶ月」
去年はインフレになって牛丼が300円から500円になったら。。。と考えていました。
この時牛丼の価値はその牛丼をつくる労働力量に変化がなければ300円から500円になっても変わりない。価格が変化したという事であり、見る角度を変えれば貨幣価値に変化が出て貨幣価値の低下が起きているという事にも。
牛丼屋さんは同じ15万円を稼ぐにしても300円の牛丼を500杯売るのと、同じ15万円だからインフレで500円の牛丼になったのだから300杯でいいやとはならないのです。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「2月25日という日」
【2017年】まずツイッターから インフレというのは、例えば300円の牛丼が500円になったというだけです。牛丼の価値自体が騰がったのではなくて価格が変化しただけであり、それは......
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2018年 2月25日(日)「危機は内包する」

2018年02月25日 10時34分17秒 | 「政治・経済」
北朝鮮のミサイルによる危機だと騒いでいますが、現実の危機は日本の政治や経済の中に内包されているのです。軍事的危機も、国民にはミサイルが飛んで来たら頭を抱えてしゃがめです。昔のバケツリレーの消火や竹槍訓練のようなものです。経済面では軍事国債のように際限なく増えていく。
アメリカが「アメリカ第一」とっているが、日本もそのアメリカの尻馬に乗って経済と軍事での同盟を気付こうとしている。
しかしアメリカの「アメリカ第一」はたしかにまだ経済力は圧倒的に強いのでが国家はずっと昔から3つの赤字を抱え込んで戦争を絶え間なく行ってきた中で経済も軍事的覇権も限界が見えるようになっている。世界から見れば駄々っ子のようなトランプ大統領の豹変する発言に戸惑うばかりである。まぁ、日本だけは戸惑う余裕もないので追随するだけだが。
このアメリカ第一といった政策は、国際政治や経済に混乱を与えるのだが、同時に国内の国民に負担を大きくする。実はこれこそがアメリカや日本が内包する危機なのです。
政府は雇用の増大をアベノミクスの成果だといいますが、実態はこういうものでしょう。実際は労働力人口の減少による失業率の低下。
失業率の低下は労働賃金引き上げにつながりますが、ここを企業利益の拡大(生産性向上)のためにどう抑えるかが今の政府が行おうとしている労働の規制緩和としての働き方革命です。雇止めは法改正で拡大するでしょう。
正社員の中の中所得層はこれからもさらに切り崩されるでしょう。不安定雇用者は長時間労働と低賃金にあえぐようになるでしょうあし、短い期間雇用に追い込まれる。これを生産性の向上とする日本の政治や経済は委縮をするばかりです。委縮している中で力によるパイの分け前の大きさの維持に走る。
以上ツイッター一部から転載
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2018年 2月24日(土)「俳句はその遺産から何を引き継ぐか。伝統とは何か。」

2018年02月24日 21時36分54秒 | * 俳句 *
昨日書いた遺産としての俳句の続きです。
上野「遺産としての俳句」に次のように書きました。
「この過去の時間の流れは俳句界にとってはもちろん日本文化にとっても「遺産」です。
しかし俳句の歴史において発展をした過程が遺産だからと言ってそれが「俳句は遺産だ」とはならにでしょう。
俳句自体は遺産ではなくて生きていて未来に向かって発展をするものですから。
俳句自体を遺産としてしまうと伝統的な過去の俳句の歴史がそして過去の俳句自体が俳句であると定義をされてしまう危険性があります。それは俳句を壊してしまう結果となります。」

俳句自体が遺産ではなく、俳句が進化しながら今に至った歴史自体が遺産であるという事です。ですから俳句の歴史自体の遺産をどう引き継ぎ発展させるかが伝統を引き継ぐという事になります。俳句をユネスコ無形文化遺産に残すならば、俳句自体を遺産とすることなく俳句の発展自体そして何を作り上げたかを遺産とすべきなんです。
では、この意味でこの遺産から現代の俳句界は何を伝統として学び、どう発展させるかがその責任となります。
これについて考える一つのための論文があります。先の「遺産としての俳句」でも紹介させていただいた福田若之さんが有馬朗人氏に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐってを書いています。この論文は、有馬朗人さんのインタビュー記事そこが聞きたい:世界のHIKUへの批判です。
有馬さんはインタビューにおいて
「豊かな自然あってこその俳句です。学校で子供たちが俳句を学ぶ目的の一つが自然の大切さを知ること。さらには自然を保護する心を養うこと」(引用)
と語り、また俳句のユネスコ無形文化遺産登録に向けてで俳句で世界平和をとか俳句の平和性を書いていますが、これは俳句の歴史からの普遍的な遺産でも伝統でもないでしょう。
自然破壊からの季語の乱れはあるでしょうが、季語の問題からすれば居住する地域の差などからその差をどうするのかを考えてきた過去概算が遺産なわけで、自然の脅威を詠むのもまた俳句でしょう。平和をつくるというよりも戦争時にも俳句が読まれ、時には戦争養護のような句もあったかもしれませんし、戦時中にも日常と自然を詠んだものもあったはずです。

 「俳句はその遺産から何を引き継ぐか。伝統とは。につづく
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池に浮かぶ月55【2月24日】

2018年02月24日 18時39分20秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は夏目漱石の小説『こころ』の中で、なぜKや「先生」が自殺したのかについて書いていたようです。
特に『先生』の自殺がなぜかという問いは、高校時代の国語の先生からの宿題でした。
教科書だけでは物足りなくて後に『こころ』の文庫本を買って読み始めてぐっと引き込まれたことを思い出します。それまでは「坊っちゃん」ぐらいは読んでいたのですが、『こころ』はまったく違う世界でしたのでびっくりもしました。後に「坊っちゃん」も『こころ』も漱石にとっては同じ命題だったのだろうと思いましたが。
よく死ぬ前に何を食べたいかというものを聞きますが、死ぬ前に何を読みたいか。。。。。漱石全集ですなぁ。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「2月24日という日」

【2017年】ツイッターつぶやき駅で妻と待ち合わせをしていたら、旅行などのパンフレットのケースに「Kはなぜ死んだのか」という文字が書かれたパンフレット(講演会)があった。夏目漱石......

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2018年 2月23日(金)2「遺産としての俳句」

2018年02月23日 20時16分18秒 | * 俳句 *
2017年2月に俳句を世界文化遺産に?を書き、今年2月には俳句のユネスコ無形文化遺産登録を書きました。
そして「俳句のユネスコ無形文化遺産登録」の最後に
「それでは俳句文学を作り上げている方がどう思っているのか?ここも大切で、一部の俳人が世界文化遺産に動くことは片手落ちです。時間があればこの点も。。。。。」
と書きました。
ユネスコの世界遺産自体についても様々な意見があるでしょう。そうならば俳句の世界遺産化についてはさらに多くの視点からの意見が出て当たり前です。世界遺産化に向けては俳句4団体そして議員や自治体も動き出しています。これらの集まりであるユネスコ無形文化遺産登録推進協議会は俳句文化の中では多数派となり一定の力もあるでしょう。これに対して疑問や反対意見は少数派となります。政治の世界をはじめ社会の隅々において多数派の力が圧倒的な力を持ちますから世界遺産への動きも多数派の中で進められるでしょう。しかし俳句というものは文学なのですから一つの形にはめてはいけないことです。少数派の意見も十分考慮しなければなりません。
とはいっても俳句というものは文学ですからユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の動きに関係なく発展はしていくでしょう。同時に、俳句がユネスコ無形文化遺産になれば俳句が一つの定義の中に抑え込まれる危険性があり、上記した「俳句のユネスコ無形文化遺産登録」に引用もしたようなうわべだけの俳句論が広まってしまう危険性もあります。そして政治的な利用としては、今「日本はすごい」といった宣伝がたくさんなされている中で俳句が世界に認められているといった過剰な宣伝にも使われること危険性も。
一つ言えるのは、外国人が日本文化全体あるいは俳句に理解を示していることは外国人が日本文化をよく見ているという事です。そうならば日本人は排外主義を克服して外国文化の理解に努める重要性を子供たちにも伝えるべきでしょう。そうすることにより俳句を通して「日本はすごい」だけではなくて世界の文学にはすごいものがたくさんあることを理解させることができるでしょう。
さて、それでは「俳句のユネスコ無形文化遺産登録推進協議会」に対して疑問がどのように少数派から出ているかをみましょう。
まず俳句は遺産かという疑問があります。
これについては「週刊俳句」のサイトに
俳句を「遺産」として扱うことについて
ベンヤミンのテクストとその翻訳を手掛かりに
福田若之

というものがあります。
ここではこの論文の中身について検討するというよりも感想を含めて自分の考え方を書きたいと思います。もちろん感想ですからこの論文の中身に沿いますが、解釈は僕の独断ですのでこの論文には責任はありません。
俳句は文化遺産か?
「遺産」というと過去のものというイメージが強くなります。
遺産を受け継ぐ。。。現代の人々が過去のものを受け継ぐこと。
たしかに俳句には古くからの歴史もありますからその過去のものを受け継ぐという意味では俳句も遺産という事になります。発句は31文字から17文字が独立されたはずですからそこには飛躍があった。松尾芭蕉が元禄俳句を広めて庶民化させたことは飛躍があった。明治になり正岡子規が月並み俳句を排して詩の世界としての俳句を広めたことは飛躍があった。飛躍とは進歩という事で、俳句は進歩そして発展をしながら現代にいたっているわけです。この過去の時間の流れは俳句界にとってはもちろん日本文化にとっても「遺産」です。
しかし俳句の歴史において発展をした過程が遺産だからと言ってそれが「俳句は遺産だ」とはならにでしょう。
俳句自体は遺産ではなくて生きていて未来に向かって発展をするものですから。
俳句自体を遺産としてしまうと伝統的な過去の俳句の歴史がそして過去の俳句自体が俳句であると定義をされてしまう危険性があります。それは俳句を壊してしまう結果となります。
過去の伝統だけに縛らた俳句の定義は死んだ俳句も同然です。ここに俳人の少数派としての批判や疑問が出るのも当然でしょう。
しかし俳句の発展とは何かが問題になります。
過去の伝統をまるで無視をした俳句は発展とよべるのか。。。。。
発展とは過去からの発展ですから、過去の俳句嫌俳句の考え方そして伝統を残しながらでなければ発展はありません。過去の俳句に発展性が見えないという矛盾を解決するという事は、その過去の俳句からどう発展させるかです。月並み俳句という矛盾をどう発展させるかはその俳句すべてを否定することではなくて月並み俳句もそれ以前の俳句からの発展にあるわけですから、月並み俳句からの発展は、否定の否定です。一度否定をされて新たな俳句が生まれたがそこに矛盾が出たらさらに否定をされなければならない。しかしその否定はそれ以前の俳句に戻ることではない。新たな俳句が生まれるのです。
これが発展です。
次は俳句の伝統とは何かという事になりますが、これは次回とします。
最後に福田若之さんの「俳句を「遺産」として扱うことについて」の最後の言葉を引用しておきます。
「まずは現在に対する感覚を研ぎ澄ませることだ。そして、その現在に対する研ぎ澄まされた感覚によって、過去の出来事の名残りが今日的なものにまで響きわたろうとするその機会を捉えることだ。ほかならぬ過去こそが、そのつどいまここにおいて、そうした聞き分けを要求しているのである。」

俳句はその遺産から何を引き継ぐか。伝統とは。につづく
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池に浮かぶ月54【2月23日】

2018年02月23日 18時05分29秒 | 「池に浮かぶ月」
去年はNHK朝の連続ドラマを観ていると多くの作品に戦時中のシーンが出て来るなぁ。。。。。と、思っていたようです。
やはり戦争は嫌だという思いも出ますが、多くの人が生き残って戦後の復興期を生き抜きます。
なんとなく戦争があって悲しみがたくさんある中でもどうにかなる、復興もあるという考え方も出てきてしまいますね。次の戦争でどうなるかはわからないのです。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「2月23日という日」

【2017年】ツイッターつぶやき毎朝、朝の連続ドラマを観ています。 連続ドラマには必ずと言っていいほど戦争時代が出てきます。戦争の悲惨さや社会の荒廃がある程度表現をされて戦争は......

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2018年 2月23日(金)「霧雨」

2018年02月23日 09時53分43秒 | 「東京日記」
霧雨の中を歩いた
そしたら、霧雨ほどの雨粒が
どんどん傘に積もってしまった
重い。。。。
   (旧ブログから)

寒が戻り寒い日が続いています
昨日はちらちらと淡雪が。。。。
今日は朝から霧雨です
足取りも重くビニール傘をさして歩きました

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池に浮かぶ月53【2月22日】

2018年02月22日 19時59分48秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は手作り弁当について。毎日だと飽きてしまいますが手作り弁当には独特なうまさがありますね。
手作り弁当で思い出すのはやはりお袋の弁当。。。。
おかずがたくさん入っているわけではなかったですが美味しかった・・・・
お袋の作る卵焼きは黒い卵焼き。醤油をたっぷり入れて砂糖で甘くしたものでした。子供の頃、友達の弁当の卵焼きはkでしたが、僕だけ黒い。でも、これがおかずにもなるしうまかったです。t

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

2月22日という日」

【2017年】ツイッターつぶやきごはんがたくさん残っているから弁当を作ってもらった。 昨夜の夕食の残りものかな?でも、残り物はないはず。。。。。では、何が入っているんだろ?......

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