はな散歩
上野から
御茶ノ水まで歩いてみました。
予想以上の人出。
花見を差し引いて
ふつうの土日くらいの人出でした。
たくさんのひと。
みんな桜が見たいんだね。
最初はパンダ人気かな?
なんて思いましたが、
子ども図書館に行って
帰ってきたら、
パンダの列はすっきすきでした。
狙い目はお昼を2~3時間過ぎた頃でしょうか。
あしたも
散歩ばなしつづきます。
上野から
御茶ノ水まで歩いてみました。
予想以上の人出。
花見を差し引いて
ふつうの土日くらいの人出でした。
たくさんのひと。
みんな桜が見たいんだね。
最初はパンダ人気かな?
なんて思いましたが、
子ども図書館に行って
帰ってきたら、
パンダの列はすっきすきでした。
狙い目はお昼を2~3時間過ぎた頃でしょうか。
あしたも
散歩ばなしつづきます。
こんな私が子宝に恵まれて
ダメ人間から多少脱出したかのように見えていても
やはり根本を覆せるわけでもなく
それでもなんとか私なりに模索しつつ
子どもと対峙しようと毎日格闘しております。
ラプンツェルの
悪い偽母親のことを今でも考えています。
若さと美貌を保つためだけに
危ない橋を渡って子どもを誘拐してきたわけで
その子を手放さないために
あらゆる手段を用いて
なんとか子どもを幽閉して18年。
もともと肝の据わった悪者気質があるとしても
それはそれは気の抜けない毎日です。
一緒に暮らしている唯一の人間(ラプンツェル)には
四六時中嘘をつき続け
さらに追手がいつくるか分からない状況。
体制に歯向かっているわけですから、
見つかったら最後、死の覚悟です。
そこまでして、あの女は若さと美貌を保持したかったのか。
さもありなん。
女なので、まあ気持ちは分かります。若さと美への執着。
でも誘拐してしまった手前、もう引き返せない。
っていう理由と、
もうひとつ
わたしはこの犯罪における利点を発見しました。
悪い女は18年間、孤独ではなかった。
ということです。
あの明るくて、元気で、かわいらしい女の子が
お母様お母様
と慕ってくれる。
悪い母親はラプンツェルに歌を教えました。
掃除も洗濯も、料理も教えて、
部屋はいつも可愛く清潔に保っていた。
ラプンツェルの好物も知っていたし、
得意の画で壁を塗りたくっても
何にも文句を言わなかった。
時には遠い町まで絵具を買いに行ってあげたりした。
なんだか考えれば考えるほど、悪い女には愛情とはいえないまでも
子どもを育てることの義務や意識がしっかりあったように思える。
まあ物語ですしディズニー映画ですから
明るく楽しく、その誘拐部分はふんわり描かれているんだけど。
でもあんなにかわいい女の子がいたら気持ちが救われたりしたんではない?
逆にあの子がいなかったら
暗い薄暗い人生だわよ。
は。
そして私は気がついた。
うちの子が私のもとを旅立ったら…。
子どもがいなくなって
若さがすっかり失われ
孤独な人生を生きるのか。
その日のために
心の準備をしておく。
寝不足につき
動物公園から帰ってきて
ぐうぐう昼寝をしておりました。
眠い。
でもそろそろ起きないと。
夕飯をつくらないと…。
とおもって体を起して
階段を下りて一階へ。
坊主の弟が電気もつけずにテレビゲームをしていて
目ぇ悪くなるよ。
と思いつつ、無視して通り過ぎ
こたつのある居間へ。
母が寝っ転がっていて
どうやら夕食は終わった様子。
わたしの分だけがこたつに置いてあって…
と、ここで気がついた
これ、いまの私じゃない!
それでぱっちり目が覚めました。
わたしは中学生ぐらいの自分の夢を見ていたのです。
あまりにもあの頃の雰囲気が
自然に流れていたので
違和感を感じなかったけど。
隣を見たら、
子どもがぐうぐう寝てました。
ずいぶん時がたっちゃったよ。
芽吹く前の花を見て
おお春が来るな
という
気持ちのよいゾクゾク感が
今年はないまま
もう春です。
花は咲く。
今日は子どもの進級式。
大きな余震のような地震と実家。
というのが今日のスケジュールでした。
春っぽいわ。
そうだ、京都へ行くのをやめよう。
今朝に思ったことです。
京都行きたいけど
お金がないので。
ファーストディに映画を見てきたよ。
海辺だし、
例の炎上した工場の間近の映画館で。
結構混雑していてホッとしました。
映画の感想は、
昨日のわたしの妄想にリンクしまくりで
シンクロシンクロと心の中で歌っていました。
悪い女に18年も塔に閉じ込められていた主人公。
悪い女は主人公のお姫様を誘拐し、自分が母親と信じ込ませ、
さらに悪者が来るから
塔から出てはいけない
と固く固く言い付ける。
お姫様は
そんな底意地の悪い女に育てられたのに、
素直にまっすぐ育つ。
ユーモアを忘れず、
いつも笑顔で、歌と画が好き。
以前のあたしなら
あんな根性悪に育てられて、
性格が曲がらないはずないじゃん。
と思ったと思う。
しかし、今ならけっこう信じることができる自分がいる。
子どもの持って生まれたものは
果てしない小宇宙のようだ。
その力が強固過ぎて
私のような小者がなんとかできる気がしない。
そしてあの女のように
いくら素直でまっすぐとはいえ
子どもをけっして自分の思い通りにしようと思ってはいけない。
そんなことを少しでも考えると
痛い目合うわよ。
それを自分への教訓として心に刻みました。
て、どんだけ悪役に自分を投影するんだか。
「あの意地悪なお母さん役、ママやりたいな」
とつぶやいたら、
「なんでっ!」
と怒ったような悲しげな質問をしてきた娘でした。
映画館では
しくしくずっと泣いてました。
「ママは、本物のお母さんだからね。ちゃんと、ここから生まれたよ」
と、断言しておきました。
そんな理由で泣いてはいないと思いますが、一応。