グループZAZA

「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

君が代斉唱時「不起立」ゼロの虚像

2013-05-06 09:49:33 | 学校現場から

大阪市教育委員会にとって、卒業式や入学式は、「君が代」斉唱時教職員全員起立が唯一絶対の至上命題であるかのようです。背景に政治があることは明らかです。

最後の教育活動とも言われる卒業式、そして最初の教育活動である入学式で、「君が代」全員起立の虚像を打ち立てる先にどのような教育があるのでしょうか?どのような社会が立ち現れるのでしょうか?

自民党憲法草案と共に、私たちは考えていかねばならない時を迎えています。

「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪事務局の一員であり、大阪市中学校教員でもある松田さんからのメールを掲載します。

「不起立」だったが…、「不斉唱」はたくさんいたが…、 

 私は、今年の3月の卒業式、4月の入学式に参列し、卒業・入学を祝いましたが、どちらも「君が代」斉唱時不起立でした。式は滞りなく進行し、いい卒業式・入学式ができたと思います。生徒・保護者の中には、私の不起立を目にした人もいたと思いますが、問題にする人もなく、報告もされなかったため、処分はされていません。卒業式でも、入学式でも、それぞれ、他の学校にも不起立だったが報告されていない方がおられることを知っています。教職員で「斉唱」していない人は多数います。

 しかし、大阪市教委は、3月21日、「市立学校460校と幼稚園59園の卒業式・卒園式で、教職員が全員起立して国歌斉唱をした」と発表しました。昨年、橋下市長は、「大人の知恵」ということばを使って、不起立の者がいる状況を隠せと指示しましたが、市教委は、その指示に従って、とにかく不起立ゼロを演出することに躍起となっているように思います。

 昨年の卒業式では、3年生所属でしたが、証書を演壇に運ぶ係で、「君が代」斉唱時は幕の裏の参列者から見えない位置でした。いわゆる「配慮」です。しかし、その後、不起立者の学校名を市教委が公表し、当該の人に対して、保護者や卒業生に「ルール-を守らず、申しわけない」と謝罪することを迫っていることを聞き、許せないと思いました。また、ZAZAの人たちが処分撤回を求めて人事委員会に申し立てを行って闘っているのを見て、また、橋下市長の足元でも、大阪市職員が、「入れ墨調査」を拒否して闘いに立ち上がっているのを見て、式に参列して祝う権利を主張し、処分されれば、起立・斉唱条例と職員基本条例の不当性を訴えようと決めました。

 4月21日には、「君が代」を起立・斉唱できない先生の思いを聞くつどいを開いてもらい、初めて、外に向かって、自分の気持ちを語ることができました。その内容は、「子どもたちと教育を守る大阪市民の会」ホームページにアップしています。

http://edu-miyakojima-asahi.jimdo.com/活動報告/

http://edu-miyakojima-asahi.jimdo.com/私たちの思い/

 親家先生への卒業式排除職務命令の撤回・謝罪を求める「大阪市民の会」の要請に対して、大阪市教委から回答がありました。卒業式から排除する職務命令は、「式の円滑な運営・進行のため」で、問題ないというもので、教員が座っているのを子どもたちが目にすることが国旗・国歌尊重という教育目的を阻害するからという理由だと考えられます。国旗国歌条例と市教委の頭にある「教育」なるものが、「君が代」起立・斉唱しない人がいるという現実を子どもに見せないこと、子どもたちに一切考えさせることなく、「調教」することだということを暴く場(「協議」の場)を設定し、追及しようと話し合っています。注目ください。

http://edu-miyakojima-asahi.jimdo.com/ニュース/

 

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卒業生HさんからU先生への手紙

2013-05-05 20:13:10 | 学校現場から

大阪市だけはなく、大阪府立高校でも「不起立外し」がありました。A高校では、「式場内には入らないこと」という文言の入った職務命令がU先生に発出され、U先生は、卒業式も入学式も参列を阻害されました。

Uさんは、卒業生と保護者、新入生と保護者にそれぞれメッセージを配布されました。そのメッセージを読んだある卒業生からUさんに手紙が届きました。Uさんのメッセージと共に掲載します。

◆卒業生HさんからU先生への手紙◆

 

 こんにちは。先日はお手紙をありがとうございました。A高〇期の〇〇〇〇です。先生からの手紙、記事、そしてネットでの記事を拝見しました。

お返事が遅くなってしまい、すいません。私自身もいろいろと考えてみたので、お返事をさせてもらいました。

 

 私は、この起立条例は、思想の自由に反しているという点で、間違っていると思います。どんな場面でも、考えを強制されるようなことがあってはなりません。君が代を歌う時に起立をするか、しないかという問題よりも、自由な選択肢がないという状況が間違っていると考えます。

 

 私は卒業式の日にU先生とお話をするまで、国歌斉唱の一瞬起立することくらい。と思っていました。むしろ、どちらかと言えば、式中の色々な場面でする、起立、礼と同じで、場の雰囲気を乱さないためにも、起立くらいしておけばよいのではないかとさえ思っていました。しかし今、こうして改めて、起立条例のことを考え直してみると、自分の考えは浅はかだったと思います。U先生がおっしゃった、「本当に起立が出来ない人がいる。」という言葉が強く心に残っています。その言葉のおかげで、他人事だと思っていてはいけない。そんな条例に何も考えずにただ黙って従っていてはいけない。と思うようになりました。君が代起立条例というのは、思想や信条の自由を侵すものであり、まして起立しない人に処分をするなど、違憲です。本当は起立をしたくない人もたくさんおられるはずです。そういった人々の自由を奪うという事は絶対にあってはなりません。

 

 しかし、起立、不起立という問題に関しては、私は、自由な選択肢があったとしても、起立します。なぜなら、私たちは戦争を経験しておらず、君が代に対してそれほどまでの怒りも憎しみもないからです。これから、30年もしたら戦争を経験した人はほとんどいなくなってしまいます。そのときの、君が代に対する日本人の姿勢はどうなっていくのだろう考えると、おそらく、今以上に無関心になってしまっていると思います。でもそれがいけないことなのか、というのは私には、まだ分かりません。君が代や国旗の背景にある、歴史は忘れてはなりません。でも、戦後、日本は国歌も国旗も一度も変えずに今まできました。だから、日本人として、自分達の国歌、国旗を大切にしようとする姿勢も大事だと考えるからです。

 

 私は、起立条例に関しては、人々の思想の自由を奪うので反対です。起立したくない、できないという人がいるだから、その方々の意思を尊重すべきだと考えます。だから私は、君が代が嫌だからという理由ではなくて、起立条例を廃止するために、私は黙って起立したくはないと考えます。でも人間は弱いです。私自身、だからこれからは起立しません。と宣言はできません。やはり、周囲の目を気にしてしまいます。そして、私は「君が代起立」自体には反対ではないので、条例廃止を訴えるために起立をせず、廃止されたら、そのとたん起立をするというのも、どこか変な気がします。

 

 U先生のように、強い意志を持ち、貫ける人を尊敬します。U先生も、戦争を経験していないにも関わらず、本当に起立できない人のために、処分覚悟で闘えるのは本当にかっこいいです。もし先生方が皆、深く考えずに、処分されないためにも起立ぐらいしておこう、というスタンスでいたら、私たちの世代の人々は、国歌や国旗にある背景を忘れてしまいます。戦争という惨事を忘れないためにも、どうしてそこまで反対する人がいるのか、という事を今、日本人全員が考える必要があると思います。「支援する会」というのもあるようで、一人では何もできなくても、U先生が活動をするから、ついて行こうという方もたくさんおられる事と思います。私もその一人です。具体的に何ができるかは分かりませんが、私に出来ることがあれば、連絡していただきたいです。

 

こうして考える機会を与えてくださりありがとうございます。これからも考え続けないといけないことだと思っていますので、もしよろしければ、また記事を送っていただきたいです。ありがとうございます。

 

 

◆卒業を迎えられる生徒の皆さん・保護者の皆さんへ◆  

 

 まもなく卒業式を迎えられる皆さん、保護者の皆さんにお伝えしたいことがあります。

 卒業式では壇上に「日の丸」が掲げられ、国歌斉唱で君が代のテープが流されます。

 「日の丸・君が代」は1999年に国旗国歌法により、国旗・国歌と定められました。しかし、日の丸がアジアの国々を侵略していった戦争の先頭にたっていた旗であり、君が代がその名の下に多くの命を失わせた天皇賛美の歌であったことから、今の日本にはふさわしくない・歌いたくないという人もいます。国旗国歌法の制定のときにも、「義務や強制が生じるものではない」と説明されてきました。最近は、多くの学校で「日の丸・君が代」が見られるようになりましたが、「君が代」に対しては立たない・歌わないという人が少なからずいました。それでも、式は何の問題もなく進行していたのです。    

 ところが、一昨年、大阪では「国歌斉唱時に教職員は起立斉唱するものとする」という条例が成立し、昨春の卒業式では教育長・校長は「起立・斉唱を求める」職務命令を出しました。このような命令は「思想良心の自由」を保障した憲法を侵すものと考え、国旗・国歌を押しつけるべきではないと、多くの教職員が国歌斉唱時に起立せず、戒告などの処分を受けました。私たちはこれを不服として人事委員会に提訴し、現在、条例の是非をも巡って教育委員会と争っています。 

 日の丸や君が代に対しては、人それぞれにいろいろな見方・考え方があり、これが正解という答えは存在しません。もちろん、「日の丸・君が代」を未來に向かう日本の象徴と考えようという人もあろうかと思います。いろいろな考えがあり、ともに相手を認め合って、進む方向を探っていくのが、民主主義というものではないでしょうか。私たち教職員には、今年も起立斉唱の職務命令が出ています。しかし、生徒の皆さんや保護者の皆さんには起立・斉唱の義務はありません。立っても立たなくても、歌っても歌わなくても、それは皆さんは自分で決めることができるのです。 

 最近の国旗や国歌の一方的な押しつけには、ストーカーが「私のことを好きになれ!」というような、背筋の寒くなる怖さを感じています。日本はもっといろいろな考えを認め合うことのできる、自由な国ではなかったか。私の求めるものは、ただ、フツーに自由でフツーに平和な日本。ただ、それだけです。 

 3年生の皆さんはまもなく、A高校を巣立ち、社会に向けて新たな一歩を踏み出されます。「自分で考え、自分で答えをみつける。」そんな力をA高校の3年間で身につけてこられたと思います。どうか、主権者として自信と勇気を持って歩んでいってください。また、機会があれば、皆さんのご意見を聞かせてもらえればありがたいと思います。

 A高校教員 U  

◆A高校卒業生の皆さん、保護者の皆さん

      ご卒業おめでとうございます◆ 

 私は、今日皆さんを卒業式で送ることができなかったので、ここで一言、お祝いを述べさせてもらいます。

 A高校で過ごした3年間に、皆さんは、たくさんの知識と考える力を身につけられたはずです。これから漕ぎ出していく新しい世界には、何が待っているか分かりません。でも、あなたがしっかり自分で考え、行動していくなら、どんなに困難なことにぶつかっても恐れる必要はありません。きっと、道は開けるはずです。勇気を持って進んでください。 

 私が、式に出ることができなかったのは、「君が代」に対して立たないことを理由に、卒業式の式場に立ち入らないように職務命令が出されたからです。国歌斉唱のプログラムが終わってから、入場することさえも拒否されました。今日の卒業式では、たった一人ではありますが、科目履修生の担任として、卒業を確認する呼名をする予定であったにもかかわらずです。○期生の皆さんにも、2年・3年での授業などで一緒に勉強した人も多く、皆さんが卒業証書を受け取る姿や、代表の人が語る3年間の思い出を是非聞きたかった!

 卒業式はそれまで一緒に学んできた生徒の皆さんを送り出し、また、入学式ではこれから仲間としてともに学ぶ生徒達を受け入れる。これは、私たち教員にとって非常に大事な教育活動の一つだと思っています。私は、これまで自分の学年でなくても、ほとんどの卒業式に出てきました。それなのに、「日の丸・君が代」の強制に反対しているこの1点だけで、私は大事な卒業式から排除されてしまうのです。これは教育の根幹に関わる重大な問題です。管理職や教育委員会には強く抗議したいと思います。

 「君が代」に対して起立斉唱することを我々教員は求められています。それに反対して、不起立をした場合に処分を受けることはやむを得ないとも思っていますが、君が代と関係のない部分で、生徒にかかわらせないという命令が、教育の世界にあってもいいのでしょうか。残念で仕方がありません。

A高校 教員  U  

◆新入生の皆さん、保護者の皆さん

          ご入学おめでとうございます◆

 

 A高校は、一人一人を大切にする学校です。これからの3年間で、皆さんは考える力やたくさんの知識を身につけ、それぞれの思いを実現していかれることと思います。今日、人生の新たなステップとしての一歩を踏み出される皆さんを、私は心から応援します。 

 私は一年学年団の一人として皆さんを迎える立場にありますが、式場には入りません。「君が代」を歌う気持ちになれないからです。昨年の卒業式では立って歌えとの命令に従えず、戒告処分を受けました。皆さんの笑顔を式場で見たかったのですが、今年は命令に従うと言わなければ式場内に入ることが許されず、ここで皆さんをお迎えしています。

 皆さんもご存じのように、「日の丸」「君が代」は、天皇のために命を捨てよと教えた戦前の教育で重要な役割をはたし、侵略された国々の方や戦争の犠牲となった大勢の方のことを考えると歌えないという人がいます。逆に、今の日本の象徴として「君が代」を認める立場の人もおられます。そして、日本は、そのようないろいろな考えを認める自由な国だと思っていました。ところが、今や、教員に対して起立斉唱を強制する命令が出され、式場に入る教員には一人一人に対して起立斉唱の命令に従うかどうか確認する思想調査のようなことが行われる異様な状態になっています。

 「日の丸」「君が代」を強制し、それに従えない者は式場から排除するというやり方は、一人一人の思いを大切にする教育とはかけ離れています。学校でこのようなことが行われることが残念で仕方がありません。皆さん、これからいろいろなことを学び、互いの考えや気持ちを尊重し、立場の違いを認め合う社会が実現できるように、どうか力を貸してほしいと思います。

2013年4月8日

高校 教員 U  

 
 
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あたりまえのことをするだけ~「君が代不起立」の田中聡史さん淡々と

2013-03-20 00:29:05 | 学校現場から

本日、「君が代」不起立再任用拒否について、2回目の府教委吉岡参事との面談に多くの支援者に駆けつけていただきどうもありがとうございました。帰宅後、東京都の田中聡史さんから卒業式の報告のメールが届いていました。レイバーネットHPではいち早く、その様子を写真や動画を交えてのルポが佐々木有美さんによって掲載されていました。

しかし、なんですね。私たちは大阪府教育委員会の行政官のありように首をかしげてきましたが、東京都の様子を見ると、まだしも、「大阪は、まだ人間的やん」と思えてきます。それほど東京都の教育行政も管理職も信じれれないほど酷い対応です。

本日の大阪のルポは明日にまわし、東京の様子をレイバーネットより転載します。

 

あたりまえのことをするだけ~「君が代不起立」の田中聡史さん淡々と

 

3月19日(火)、都立板橋特別支援学校の卒業式が行われた。この学校には、昨年の入学式で東京都の公立学校でただ一人「君が代」不起立をした田中聡史さん(44歳・写真)が勤務している。卒業式を前に出勤してきた田中さんは、「今回も不起立をするつもりだ。いつもの通りあたりまえのことをするだけ」と淡々と語った。何のための不起立かと問うと「尊厳、思想や良心のためというと大げさだが、自分らしく生きようと思えばそうせざるをえない」ときっぱり。

田中さんの不起立は今回で4回目。昨年は戒告処分を受けるとともに18回にわたる「再発防止研修」と称する思想転向の強要を受けている。都教委は、研修に屈しない田中さんを、それを理由に分限免職処分(公務員における解雇)にする可能性もある。

当日はそうした状況をふまえ、「学校と地域をむすぶ板橋の会」や「河原井さん根津さんらの『君が代』解雇をさせない会」など約15人が、門前で支援のチラシまきを行った。都教委は、通用門や正門に職員を10人近く配置して支援者を監視。副校長と主管の教員は「生徒にはチラシを渡さないでください」と、体を近づけてチラシまきを妨害した。(写真右=根津公子さん、その隣が副校長と主管の教員)

「受けとる受けとらないは子どもの自由。子どもに知る権利はないのか」と反論されると黙ったままだった。こんな副校長の威圧的な姿勢に、「教育の自由」が奪われてしまった今の学校の実態が透けて見えてくる。田中さんの「君が代」不起立は、こうした中だからこそ、よけいに輝きを放つ。(佐々木有美)

動画(田中さんインタビュー・チラシ配布)

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俺らの人権は保障されてるけど、先生らに人権はないということか?

2013-03-09 00:44:39 | 学校現場から

「君が代」強制の卒業式、井前弘幸さんの取り組みを多くの教員、そして市民のみなさまに伝えたいと思います。

2.11全国集会実行委員会事務局 井前弘幸さんからのメール

明日、卒業式です。

今日、卒業式に参加する3年生と、2年生の全員が参加して、卒業式の予行がありました。

そこで、添付の原稿にそって、人権教育推進委員会を代表して、生徒への話をしました。

この内容は、3年の学年会、職員会議で、このような内容で話をすることを、口頭ででしたが確認をして、

職員会議全体の了解を得て、予行の最後に話したものです。

この話が終わった途端、男子生徒が大きな声で質問しました。

「俺らの人権は保障されてるけど、先生らに人権はないということか?」

事柄の一つの側面について、元を射た質問でした。

明日、卒業式を迎えます。

 

【添付の原稿】

明日の卒業式を前に   

2013年2月28日 3年人権教育推進委員

 私から、明日の卒業式について、少し話したいことがあります。

 今、卒業式の流れに沿って予行を行いましたが、実は明日の本番とは違うところがあります。明日は、校歌斉唱の前に、「国歌斉唱」の号令がかかり、「君が代」のメロディーが流れます。また、壇上には「日の丸」が三脚に立てて置かれます。本校教職員が、職員会議で議決した中には含まれていないものです。

 もし、みなさん一人一人が自分の意志として歌いたくないと思うなら、歌わなければならないという義務はありません。無理矢理立たせたり、歌わせたりすることは誰にもできないのです。あなたの心の中のことは、あなた自身が決めることで、卒業式は、みなさんのためにあります。何をして、何をしないか、最終的には自分自身で決めることができるのです。このような権利を「思想良心の自由」と言い、憲法に明記された重要な人権のひとつです。子どもの権利条約でも強調されています。

 スポーツの国際大会などでは、一生懸命、日本の選手を応援している人も多いと思います。日本選手が優勝して金メダルを取れば、「日の丸」が挙げられ、「君が代」が流されますね。国に「国歌」があり、「国旗」があるのは当たり前のように受けとめられています。

 「君が代」が国歌的扱いをされるようになったのは、明治時代です。天皇中心の国づくりの中に位置づけられ、国定教科書の中では、「君が代」は「君が代は(天皇陛下のお治めになる国は) 千代に八千代に(千年も万年も) 細石の巌となりて(小さな石が集まって大きな巌になって) 苔の生すまで(苔でおおわれるまで永久に)」、すなわち「天皇陛下のお治めになる世の中がずっと続きますように」という意味だとしていました。しかし、戦後は1999年の国旗国歌法制定時に、はじめて、「君が代」の歌詞についての政府見解が明らかにされました。日本国憲法の主権者は、天皇ではなく国民ですから、「天皇を国民統合の象徴とする我が国の繁栄と平和を願う歌」だというものです。

 とくに、何も疑問を感じない人の方が多いと思います。しかし、一方で、「日の丸・君が代は侵略戦争を進めた大日本帝国のシンボルであり、民主国家となった今日では、日本の国歌・国旗としてふさわしくない。」という考え方もあります。ただ、少なくとも、政府は「児童・生徒の内心にまで立ち入って強制するものではない」と国会で言明しています。「君が代」や「日の丸」の問題は、その歴史や現在のあり方から、個々人の思想や良心の問題に深く関わり、単純には「儀礼」や「ルール」の問題として受け入れることが出来ない人もいるからです。

 しかし、大阪府と大阪市では、昨年度、学校施設への「国旗の常時掲揚」と学校行事での「国歌斉唱」を義務づける条例を制定しました。これを根拠に、東京に続き大阪でも、教育委員会は、教職員に「国歌斉唱」時に起立を義務づける「職務命令」を出しました。この「命令」によって、教職員は「起立」することが強制されています。でもこれは、教職員には強制されていますが、生徒や保護者に「起立」を強制するものではありません。

 2006年末に改訂された教育基本法をめぐる国会審議でも、「国を愛する心」を育てるという問題等で激しく意見が対立しました。その審議の中でも、卒業式や入学式への「国旗・国歌」強制にかんする問題が取り上げられています。過去にとらわれず、「未来志向」で肯定的に考えればいいではないかという人もいます。しかし、「日の丸・君が代」のもつ歴史や現在の国家の在り方にかかわって、自らの思想信条にかかわる行為を強制されたくないという人もまたいます。そのどちらの考えも尊重されなければなりません。

 3年生のみなさんは、明日○○高校を巣立ちます。文字通り激動する社会の中に入っていきます。正解が見つからない問題も数多くあります。国旗・国歌の問題もその一つかもしれません。それらを自らの知識と判断力に従って自分なりの答えを見いだしてほしいと思います。一人の主権者として、自らの判断力に自信を持ち、勇気を持って生きていってほしいと思います。

 

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大阪府大東市の小学生の自殺(2013.2.14)

2013-02-15 18:29:06 | 学校現場から

※2013年2月14日、自身が通う大阪府大東市の小学校「閉校式」を3日後に控え、ある小学生が飛び込み自殺をしました。

 

彼はどうして命を絶たなければならなかったのか?

 

昨日、一人の小学生が、「統廃合を中止してください」と遺書を残して自らの命を断ちました。

あまりのことに言葉もありません。そこまで彼を追い詰めてしまったのは、私たち大人の責任です。

毎日新聞(2013.2.15夕刊)によると、

彼は前日の13日、

「閉校式を止めることができないか」

「学校がつぶされるのに僕たちの気持ちを誰も聞いてくれない」と話していたそうです。

私たちは、一昨年9月24日、彼が住む大東市で、「君が代」強制大阪府条例はいらん!「教育基本条例」「職員基本条例」を許すな!

全国集会を開催しました。

私たちは、橋下維新体制のもと行われる一方的な教育改革に一貫して反対して来ました。

いかなる理由があげられようと、教育行政による学校潰しは子どもにとって耐えがたいことであるとの認識も持っていたつもりです。

微力ながらも、子どもの教育への権利の実現を目指してきました。

しかし、このような事件が起こって、

私は、子どもにとってどれほど学校が大切なのか、本当にわかっていたのだろうかと自問せざるを得ません。

新聞で紹介されているリュックのそばに置かれていた、彼の「遺書らしきメモ」を掲載します。

自分をぬいて25人全員が「とうはいごうがなくなってほしい」に賛成しました。

また、一人たりとも「なにもしない」人がいませんでした。

これは勇気がいることとさっします。

ちなみにぼくはとうはいごうが「なくなってほしい」

「なんでもする」に賛成です。

どうか一つのちいさな命とひきかえにとうはいごうを中止してください。

学校とは誰のためのものなのでしょうか?学校とはいったいどういう場であるのでしょうか?

それは、まず第一にそこに通う子どもたちのものであるはずです。

自分の通う学校が、この小学生にとってどれほど大事なものであったか、胸に迫ってきます。

そして、それはこの小学生ばかりでなく、多くの子どもたちにとって言えることなのでしょう。

「子どものために」などと、大人は、簡単には言ってはいけないのです。子どもの声を聴かずに。

私たち大人は、もっともっともっと子どもの声にこそ耳を傾けなければならかったのだと思います。

いま、正直なところを言えば、私に何ができるのかわかりません。

しかし、考え続けていこうと思います。

彼は、どうして死ななければならなかったのか?

そして、あなたの心に気づいてあげることができずにごめんなさい。

そのことだけは忘れずにいたいと思います。

 

以下は朝日新聞記事です。

http://www.asahi.com/national/update/0215/OSK201302150030.html

学校再編に反発、小5飛び込みか 電車にはねられ死亡

 14日午後4時25分ごろ、大阪府大東市野崎1丁目のJR学研都市線野崎駅で、市内に住む市立小学校5年の男子児童(11)が、ホームを通過中の同志社前発宝塚行き下り快速電車(7両編成)に飛び込み、死亡した。遺書のようなメモが残されていたことから、府警は自殺とみている。メモでは、男児の通う小学校の統廃合の撤回を求めていた。

 四條畷署などによると、電車の運転士は、ホームの約100メートル手前で、男児が飛び込むのに気づき、非常ブレーキをかけたが間に合わなかったという。ホームには男児のリュックサックがあり、遺書らしき紙1枚のメモは、リュックの近くに置かれていた。メモの末尾に「どうか一つのちいさな命とひきかえに、とうはいごうを中止してください」と記されていた。男児は小学校を終え、学習塾に向かう途中だったとみられる。

 大東市教委によると、市内の小学校3校が新年度から二つの小学校に再編され、男児の通う小学校は閉校になることが決まっていた。少子化にともなう児童の減少に対応するため。17日が閉校式の予定だったが、今回の事態を受けて延期するという。

 親族によると、男児は1年ほど前から、学校をつぶさないで、などと訴える作文を書いたりしていた。12日に閉校式の予行演習があり、「とてもつらかったようだ」と話す。男児は14日には、統廃合について賛否を尋ねる聞き取り調査を、クラス内で自ら実施したという。

 自殺直前の午後4時23分、男児は「今まで、ありがとう」というタイトルで、家族の携帯電話にメールを送っていた。「みーんな大・大・だあい好き」と記されていたという。

 男児の父親(49)は朝日新聞の取材に、「突然のことで、僕らが受け止められなかったことに悔いている。もっと子どもの意見を聞いて(統廃合の議論を)進めてほしかった。親も含めて、もっともっと話を聞いてあげないといけなかった。世の中を変えるには、死ねばいいと子どもたちに思って欲しくない。生きて世の中を変えると強く思って欲しい」と話した。

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