※12月9日の集会で発言された、ある府立高校教員からのメッセージです。ぜひ、お読みくください。
戦争にはまだ間に合う
私は大阪府立高校に勤務しており、今年度は3年生担任なので卒業式を前に悩んでいるところですが、君が代斉唱の時には起立することができないと思っています。
私は高校生の頃まではノンポリで、どちらかというと「感情的右翼」でした。実家は広島なのですが、母方の祖父が海軍出身で呉に住んでいて、戦後は「○○の家」という宗教団体の活動をしていたので、小さい頃からよく講演会に連れて行かれていました。また、中学生までボーイスカウトの活動をしていたので、キャンプに行けば日の丸を掲揚していたし、ジャンボリーという大会では皇太子の訪問を出迎えたりしていたので、天皇の存在は絶対的なものだと思い込んでいたからです。
大学に入ってから、父が広島の被爆者だということを意識しはじめ、「大阪被爆二世の会」の活動に参加するようになりました。アメリカの原爆投下の責任や、日本が国家補償に基づく被爆者援護をしないことの問題点とともに、韓国の被爆者や被爆二世とも交流したりすることで戦争の加害性についても考えるようになりました。
また、大学2年生の時(1982年)に、アジア学生会議に参加するため香港を訪れた時、香港大学内で日の丸が焼かれたり、エレベータに”Don't use Jap!”と落書きされているのを見て大きなショックを受けました。歴史教科書から「侵略」ということばを削除するという教科書問題への抗議から行われたものでした。
教師になって1年目(1985年)、同和教育推進係の担当者として、韓国籍の生徒の外国人登録に付き添って市役所に行く機会がありましたが、その生徒は指紋押捺を拒否しました。公務員として「外国人登録法」という法律に背くことを支援できるのかという思いもありましたが、教員としては生徒や保護者の思いに寄り添うことを優先しました。そして、様々な運動の成果で外国人登録の指紋押捺義務は廃止されました。その経験から、「悪法も法である」と考えるのではなく、「自分の良心に従うこと」、「人権を侵害する法や制度があれば変えていかなくてはならないこと」を確信しました。
現在、教師になって28年目ですが、「多民族共生による平和の実現を目指すこと」と「あらゆる差別や偏見・抑圧から解放されて人権を尊重すること」が、自分が迷った時や悩んだ時の判断基準になってきました。だから様々な思いや生き方を踏みにじるやり方で強制される君が代斉唱にはこれまでも反対してきたし、これからもその考え方がぶれることはないと思っています。
昨日、池田市人権映画祭で大林宣彦監督の「この空の花」という映画を観ました。その中で「戦争にはまだ間に合う」ということばが出てきたのですが、そういう気持ちでこれからがんばっていきましょう。
2013.1.4記