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グループZAZA

「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

お待たせしました!2019年グループZAZA連続講座のご案内

2019-04-20 18:45:26 | 当該から
お待たせしました!

毎年恒例のグループZAZA連続講座

2019年のご案内です!

本年は異色の弁護士遠藤比呂通さんにお願いしました。ぜひ、おいでください。そして、「国家」とは何か?ともに考えようではありませんか。


【第1回】 
★6月16日(日)2時~
★エル大阪・6階大会議室
★「今、国家とは何かを問う―沖縄、そして釜ヶ崎」


【グループZAZA・連続講座】において考えたいこと・・・
(遠藤比呂通弁護士から頂いたメッセージです)

連続講座においてグループZAZAの先生方とともに考えたいのは、「国家とは何か」という問い掛けについてです。辺野古において国は沖縄県民の存在を無視し、沖縄を「ただの領土としか考えていない」のではないかというのが、2018年8月に逝去した翁長知事の怒りでした。

一人翁長知事だけでなく、国歌と国旗に対峙せざるをえなかったグループZAZAの先生方もまた、入学式・卒業式の場で、日の丸・君が代を押しつけられる生徒の存在が全く無視されているのではないかと問わざるを得なかった教師であったはずです。

第1講では、国家とは、政治部門や裁判所などの国家機関、教育委員会、学校管理職などの権力のことだけをいうのではなく、法秩序の正当性を支える個々人の良心、特に時の権力に反対する市民の抵抗もまた、不可欠の重要部分であることを確認します。

                      
☆遠藤比呂通弁護士の紹介・・・遠藤比呂通(ひろみち)弁護士は1960年生まれ。東京大学法学部助手、東北大学法学部助教授を経て、1998年から西成で法律事務所を開設されています。『希望への権利―釜が崎で憲法を生きる』(岩波書店、2013年)、『人権という幻―対話と尊厳の憲法学』(勁草書房、2011年)、『市民と憲法訴訟』(信山社、2007年)、『自由とは何か』(日本評論社、1993年)等の著書があります。


第2回~第4回の遠藤弁護士の講演


第2回 7月27日(土)エル大阪・大会議室
★「今、平和とは何かを問うーダグ・ハマーショルドの祈り」
 第2講では、憲法解釈の指針を示し、法秩序を正当化する倫理的法原則である基本的人権(人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの、97条)、なかんずく、平和的生存権について考えます。戦力不保持、交戦権を否認した日本国憲法の土台に平和的生存権があればこそ、「政府の行為によって再び戦争の惨禍」(前文)が起きないことが保障されるという意味で、平和的生存権は、日本という国家を定義する倫理的法原則であるからです。


第3回 9月14日(土)エル大阪・大会議室
★「今、国民とは何かを問うー柳の枝に琴を掛ける」 
 第3講では、軍人、軍属、徴用工、挺身隊として「大東亜共栄圏」のために動員された「植民地出身」が辿(たど)らざるをえなかった姿を浮き彫りにすることで、「国民」という側面から「国家とは何か」を解明します。


第4回 11月2日(土)エル大阪・708号室
★「今、国歌とは何かを問うーはてしない波を渡りつくして」
 第4講では、日本国及び日本国民の統合の象徴が天皇である(1条)ということの意味を、日の丸・君が代という天皇象徴の不可欠の一部となっている装置を見すえることで、考察します。ここ象徴とは、究極的存在を指し示す唯一の言語であって、象徴はそれ自身究極的存在に参与するため、変更不可能であることを確認します。民族が究極的存在になれば、必ずそれが魔神化せざるをえないという政治神学の知見に拠りつつ、魔神化に対抗する「歌の力」について考えてみたいと思います。



さらに、遠藤比呂通弁護士の紹介 (中村一成さんは『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件-〈ヘイトクライム〉に抗して』[岩波書店(P82~)]の中で、遠藤弁護士のことを次のように書かれています)
「遠藤(比呂通弁護士)の経歴は異色そのものだ。憲法学の大御所、芦部信喜の愛弟子として将来を嘱望され、27歳で東北大学助教授に就任した。憲法の実践として人権問題にも積極的に取り組んできた彼だが、1995年の夏、大阪での人権集会の後、解放運動の大御所らに案内された『釜ヶ崎』で、人が構造的に使い捨てにされている現実に衝撃を受けた。・・・案内してくださった人から『ところで何してるんや?』って聞かれたんで、『私、大学で憲法教えてます!』って自己紹介したらね、まじまじと顔見て、『ここに憲法あるんか?』って。・・・

その後も学生を連れて釜ヶ崎を訪れた。洗礼を受け、牧師を目指して英国に留学した後、ついに退職し、釜ヶ崎に移り住んだ。日雇い労働者となって鉄筋を担ぎ、炊き出しの手伝いをする日々のなかで、弁護士になった。・・・以来15年、釜ヶ崎を拠点に活動を続けてきた。大阪弁護士会に登録する4000人以上の弁護士の中で、この地で事務所を開くのは今も遠藤だけだ」。


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