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グループZAZA

「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

「大阪の学校どうなってんのん⁈」パネルディスカッションに登壇する小学校の先生の思い

2019-07-08 22:28:42 | 集会案内


パネラーとして、「学校をもっと子どもたちにとって人権的な場所に」、そんな想いで喋ります🎤

そんな想いの中の1つ。通知表について。

ぼくは、通知表はどの子にとっても励みになるものであればと考えてます。
その上で、今の通知表、あゆみの在り方が、嫌いです。。何が嫌いかと言うと、1〜3や1〜5段階の数値で評価をつけること。

数値でつけると、子どもたちの間で競争や序列化が生まれやすい、というか生まれるという負の側面がある上、実のところその数値の中身は見えにくい。

人格は多面的なものですが、通知表が子どもたちに与える影響はとても大きく、競争や序列化が生まれることで、自尊感情が傷つけられる子、傷つけられた子は多数います。

「悔しかったら、3や5を取れるようにがんばれ」なんて言う声も耳にしますが、今の「みんなが同じように同じペースで同じ事を学ぶ」という教育制度上、一度ついていけなくなってしまった子が、学校教育の中だけで追いついて挽回するのは至難の技です。また、その子の特性上それが難しい子もいます。

そんな中で、通知表が誰にとっても励みとなるものにするためには、数値での評価をやめて、簡単な1文で記述するといったものの方が良いのになと考えています。

例えば、各教科の評価を「コンパスを使っての図形の作図が得意でした」とか、「筆者の考えを論点に沿って的確に読み取ることができました」程度の1文にして、総合所見は生活面のみにするなら、それほど負担にならないような気がするのですが、どうでしょう??

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パネラーとして、「学校をもっと子どもたちにとって人権的な場所に」、そんな想いで喋ります🎤
その②

そんな想いの中の1つ。子どもの選択する権利について

今も昔も、子どもたちは学校の中で、どれだけの事を自分で考えて自分で選ぶことができてるでしょうか?

時程、学習内容、持ち物、休み時間の過ごし方、食べる物など、根本的な所から子どもたちが自ら考えて選んでできる事って、ほぼ無いに等しい状態です。
もし、自分が子どもたちと同じ状況に置かれたと思うと、ぞっとします。。

また、文科省も主体性の大切さを唱えています。しかし、このような状態では、子どもたちの主体性も到底育つとは思いません。
むしろ子どもたちの主体性を削いでいるのではないでしょうか。

主体性育むどころか、言われたことを言われたとおりに従う子や、自分で選ぶことをしないから失敗しても人のせいにする子、この不自由さに不満を覚え暴力などに訴える子、そんな子どもたちを生み出してしまっているのではないかと思います。

1人1人が好き勝手わがまま放題にすることを推奨しているわけではありません。
みんなで生活していく中で、ある程度のきまりは必要かと思いますが、今の学校は行き過ぎているように感じます。

あらかじめ決められたルールで子どもたちを管理するだけではなく、もっと子どもを信頼して子どもに任せる部分を増やしたり、高学年にもなったら子どもたちとルールを見直したり考えたりすることもできるのではないでしょうか?

そんな話もするかもしれません。みんなさんからのご意見いただいて、一緒に考えられたらなと思います😊

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パネラーとして、「学校をもっと子どもたちにとって人権的な場所に」、そんな想いで喋ります🎤
その③

僕の言う「人権的な場所」とは。そして、なぜそのような場所になるべきだと考えるか。という話。

まず、僕の言う「人権的な場所」とは、個々のちがい(存在・生き方・想い)を認め合い、子どもたち特にマイノリティの子たちが苦しむことのない場所のことです。

どうして学校がそのような場所であるべきと考えているかというと、もちろん差別や偏見によって誰かが苦しむことは間違っているという思いもあります。
それに加えて、学校が権な場所であると、子どもたちに本当に身につけさせたい力が付くはずもないと思うからです。

ぼくは、本来、学校で子どもたちが身につけるべき力は読み書き計算などの「生きていくうえで最低限必要になる学力」と、自分の生きたいように生きるための「自ら学ぶ力」、それぞれが生きたいように生きれるように「互いの生き方やちがいを認め合える力」のこの3つだと思っています。
この3つの内の最後の「ちがいを認め合える力」、この力を養い育むためには、子どもたちが自分の事、そして自分や友だちとの間にある個々のちがいを認められる場所に見を置く必要があるのではないでしょうか?

そもそもこのように考えてるのはぼく個人の想いで、この考え方が絶対的に正しいと思っているわけではありません。
同じ仕事をしている人の中にも、個性よりも集団でのルールをしっかりと守れる人間にしないといけないと考えてる人もいます。

僕自身の考えをたくさんの人の前でさらけ出し、異論や反論や共感などをいただくことで、より深く見つめ直す事ができると思っています🔎

少しでも興味を持っていただけた方は、ぜひ会場で対談しましょう😊
もちろん、この投稿にコメントしていただいてもかまいません。

宣伝兼ねたぼくの想いを、最後まで読んでいただきまして、ありがとうございましたm(__)m
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「大阪の学校 どうなってんのん⁈」集会のご案内

2019-07-08 22:09:06 | 大阪の教育
「君が代」不起立戒告処分取り消し訴訟において、原告7名全員そろって最高裁に上告します!

私たちは、すべての「君が代」処分は不当だと考えています。そもそも、「君が代」を強制すること自体が問題です。「君が代」条例ならびに、3回歌わなかった(不起立)ならば免職を規定した職員基本条例の違憲性をなんとして最高裁で審議していただきたいと考えています。

明後日、私たちは報告集会を開催します。第1部では、そもそも「君が代」裁判がなぜ起こったのか?、そして、一部勝訴と上告の意義をお話しします。

しかし、今回の集会は「君が代」問題だけにはとどまりません。

2011年「君が代」条例が施行され、いったいその先にどのような「教育」が現れてきたのか⁈

現在の学校を、元生徒の視点から、そして保護者、教員の視点からパネルディスカッションを通して明らかにしたいと思います。

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大阪の学校 どうなってんのん⁈

◇ 7月10日(水)18:30

◇ エルおおさか5階 研修室2

◇参加費 無料

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