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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

特別講演「『ルポ「日の丸・君が代」強制』の取材を通して感じたこと、学んだこと」

2021-10-03 12:34:35 | 大阪ネット

なぜこれほどまでに「君が代」強制が行われるのか?誰が何のために?その狙いは?ーーとてもよくわかりました。永尾さんの了承を得て、当日配布したレジュメを紹介します。本当は講演を聞いていただくのが一番よいのですが、このレジュメを読まれて、その後、ご著書『ルポ「日の丸・君が代」の強制」をぜひとも、お読みください。なお、頁はすべてご著書の頁数です。

 

10.2大阪ネット総会

特別講演「『ルポ「日の丸・君が代」強制』の取材を通して感じたこと、学んだこと」

2021年10月2日 永尾 俊彦

1.「日の丸・君が代」強制問題をどう捉えたか

(1) 戦後最大の思想弾圧事件

学習指導要領改訂 国旗掲揚、国歌斉唱を「指導するものとする」(1989年度)から2018年度までの30年間に996人が戒告、減給も停職などの懲戒処分。法律上の 処分ではない「訓告」等も含めると2257人。この延長上に日本学術会議問題がある。

(2) なぜ、戦後最大の思想弾圧事件になったのか

① 歴代政権と文科省(文部省)は「日の丸・君が代」をテコに教育支配

前川喜平氏証言「敵は日教組。日教組潰しのために『日の丸・君が代』が使われました」「国家権力をバックに個人を従わせるのは実利もあります。(文部省から広島県教委に出向していた98年に文部省に是正指導を出させた)木曽巧さんは、退官後第二次安倍内閣で内閣官房参与に任命され、その後加計学園理事長に就任、同学園が経営する千葉科学大学の学長になりました」「公立学校には国旗国歌を強制するのに私学にはせず、明らかに二重基準。これは『私学族』という族議員が多数いるからです」(週刊金曜日今年4月23日号で永尾のインタビューに答えて)

② 財界の支持 

 2007年1月1日 御手洗ビジョン。「社会のさまざまな場面で日常的に国旗を掲げ、国歌を斉唱し、これを尊重する心を確立する」→「日の丸・君が代」強制、金もうけ、戦争は三位一体。

 (3) 戦後教育の長く続く根本的対立点 

① 自分の頭で考える人を育てるのか、国家や企業の役に立つ人材をつくるのか

「自分」がある人か否か。「無我の人」(奥野泰孝さん341頁)

後者が強まる→低投票率が象徴。自民党・文科(部)省の教育政策はかなり「成功」。

② 教育政策の矛盾噴出

日本経済の地盤沈下、科学技術の伸び悩みなど(自分の頭で考えない人の増加)

③ その対策が新学習指導要領「主体的、対話的で深い学び」

本当にこれを実行しようと思えば、「日の丸・君が代」の果たしてきた歴史的役割を学び、日本のアジア侵略についての反省が必要。あらゆることを疑い、批判する精神が必要。

 

2.「日の丸・君が代」を強制する側の共通の手口

(1) 東京と大阪の狂妄派 狂妄派の手口=「一点突破全面展開」

山中恒さん(20頁) 蒋介石1939年7月 「日本民衆ニ告グル書」

少数の少壮なる狂妄派=板垣征四郎、石原莞爾、長勇、牟田口廉也、辻正信、東条英機ら。「天皇の龍袍(りゅうほう=着物)の袖に隠れ」やりたい放題。

→石原慎太郎氏、橋下徹氏らも「日の丸・君が代」という「天皇の龍袍」(天皇制)の袖に隠れてやりたい放題。「やりたい放題」の手法に共通点。強制の真の目的は、

① 不服従教員をあぶり出し、上意下達の都・府教委支配を実現。このことによって、

②    生徒に不起立不斉唱が周囲から批判を受けるべき罪悪と思わせ、起立斉唱を強制。「日の丸・君が代」強制をテコに、教職員の評価制度、「不適格」教員の排除システム、鍋蓋型からピラミッド(軍隊)型へなどで統制システムを確立。

(2) 天皇制=儀式=同調圧力の利用

  黒田伊彦さん「儀式の『形』で精神性を作るのが日本の教育の特徴」(25頁)。

→同調圧力はどこから生まれるのか?卒・入学式からとは言えないまでも、増幅拡大させているのは事実。

「物神化」のコッケイ。単なる布である旗にペコペコ頭を下げるのは、醒めた目で見ると滑稽。)。教育勅語誘拐事件。「うんこするのも天皇のため」(18頁)

(3) 法の下剋上

黒田さん「かつての『非国民』が大阪では法的にもすでに復活しているのです」(257頁)。2012年2月 大阪市でも府と同趣旨の国旗国歌条例公布 大阪市教育委員会教育長の市内の各校園長あてに「卒業式及び入学式における国旗掲揚・国歌斉唱について(通知)」「国歌斉唱の際に起立しないことは、市条例に反する行為となる」

 

3.「日の丸・君が代」を強制する側の精神性

(1)  石原慎太郎元都知事、橋下徹元大阪府知事(元大阪市長)、松井一郎大阪市長(前大阪府知事)、小池百合子都知事、安倍晋三元首相らの共通点

「従軍慰安婦」など戦争犯罪の否認。関東大震災朝鮮人虐殺追悼文拒否(小池知事)。被害者の立場に立つことができず、自己を正当化。幼稚。品格なし。小池氏「名誉男性」。

欧米コンプレックスの裏返しとしてのアジア蔑視(黒田さん30頁/冒険ダン吉)。

 ダン吉 「世界中で一番美しく、一番尊い我が日の丸の旗」=唯我独尊→国粋主義

 ←ピーター・フランクルさん「自分のお母さんを愛しているのは自分のお母さんだから。世界で一番料理がうまくて、美しくて、賢いからではない」(14頁)

(2) 権威に弱いから権威(=天皇制)に頼る

天皇制=人間の最も弱い部分、醜い部分に根を張る。叙勲制度=人間を価値づけし、差別を作り出している。「2階があるから1階ができる」(黒田さん37頁)

 奥野泰孝さん「天皇制には麻薬のような危険性があります。人間を殺し、国を死なせる危険性があります」(341頁)

 

4.「日の丸・君が代」強制問題が、なぜ多くの人の関心を引かないのか

(1) マスコミが報道しない。最高裁判決が出ており決着がついたと思っている(?)

(2)  多くの人々は単なる儀礼と思わされている。

志水博子さん 「今まで私が生徒に行ってきたことがうそになる」=「背骨」

世間の多くの人にとっては「歯ブラシ」(南和行弁護士)。

たかが40秒くらいの間のこと。ちょっと我慢すれはいい。もっとひどいことは世の中いっぱいある。嫌な客にも頭を下げる。

(3) 自分の考え(信条)を持つことを大事にしない文化

「ハローウィン」を祝い、神社に初詣。他人の信条も大切にしない。籠池泰典氏「苦しみたくなかったら思想信条をセーブしたらえんですよ」(279頁)

「~我が国と郷土を愛する意識の高揚に資するとともに~」大阪府国旗国歌条例

 梅原聡さん 「愛国心は国歌を強制するようなことでは決して育ちはしません。そのような教育は、戦前の日本のように無批判に国の方針を受け入れ、国を破滅に導くのに手を貸す国民を増やすだけ」(296頁)→「道徳は教えられない」(基督教独立学園元校長・安積力也氏)。愛すればこそ、愛する対象の欠点は批判せざるをえない。

(4) 今も生きる国家神道と天皇制

間接的制約説(2011年最高裁判決)のゴマカシ(遠藤比呂通弁護士341頁)

a国歌の起立斉唱は、一般的、客観的に見て慣例上の儀礼的所作。

bだから、起立斉唱の職務命令は一般的客観的に個人の歴史観、世界観を否定しない。

cただ、起立斉唱は敬意を含むから、敬意のない者の歴史観世界観に反する特定の思想を表明する行為そのものではないが、その個人の思想・良心の自由の間接的制約になる。

dが、起立斉唱の職務命令には制約を許容する必要性が認められ、憲法違反ではない。

←dの「必要性」という目的を達するには、たとえば「蛍の光」でもいいはず。何で「君が代」でなければならないのか。エホバの証人事件=最高裁は神戸高専が代替措置を取ることができたのに取らなかったことを重視。「間接的制約」という怪しげな理屈を立てるのは結論を先取りしているから。裁判官も日本人なら「日の丸・君が代」を尊重するなんて当たり前でしょ、という意識にとらわれている。戦前の国家神道が今も意識の上では根強く残っている。大阪地裁・高裁の上には「日の丸」が翻っている。あるリベラルな憲法学者の知人「天皇っていい男でな…」と天皇とメシを食ったことを自慢。→天皇は、単なる象徴ではなく、現実に機能している。

 

5.どこに希望があるか

(1) 立憲主義 主観的(信条的)アプローチと客観的(制度論的)アプローチ

主権者である国民に国家が敬意の表明を求めることはできない。

(2) 米国連邦最高裁判決 

澤藤統一郎弁護士ブログ「憲法日記」(2018年7月16日)

「政府は、社会が不愉快だとかまたは賛同できないとか思うだけで、ある考えの表現を禁止することはできない」「国旗冒涜を処罰することは、国旗を尊重させている、および尊重に値するようにさせているまさにその自由それ自体を弱めることになる」

「愛する国を成り立たせている根源的価値である自由を尊重せざるを得ず、その結果、不起立不斉唱の態度が不愉快ではあっても、これに寛容でなければならないということになる。都教委や最高裁の態度こそが、国旗・国歌(日の丸・君が代)を尊重するに値するようにさせている、まさにそのわが国の自由を冒涜し、わが国の価値を貶めているのだ」

→理念は、論理的であって倫理的なので、人を引き付ける力を持つ。判例が広まる理由。

黒田さんが1950年、高校2年生、阪急十三駅で朝鮮戦争反対のビラ受け取る。

ルイ・アラゴンの詩「教えるとは 希望を語ること 学ぶとは誠実を胸に刻むこと」←「キラキラ光る何か宝石のようなものがあると感じました」(黒田さん)。

(3) 抵抗する意義

井前弘幸さん 「例えそれがささいな抵抗であったとしても、偏狭な国家主義的教育につながる恐れのある政治による教育への強制をその通りに実践することはできません」(305頁)/松田幹雄さん「『日の丸・君が代』の果たした役割について歴史的事実をきちんと生徒に伝えること、そして卒業式などで『日の丸・君が代』への態度を決めるのはあなたですよと教えることさえできたら、他は全部市教委に譲ってもいい」(315頁)

大阪の教育「改革」の歯止め。ゼロか1かの違いは大きい。

増田俊道さん「不起立が歴史をつくり、歴史に確かめられる時が必ず来る」(291頁)

 

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