※昨日の2.11全国集会の様子を、グループZAZAの一員である山田肇さんのブログ「ブラックボードに義」より転載します。
http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/yamada55132
「絶望するには素敵な人が多すぎる」田中伸尚さん講演・2.11全国集会
昨日、『日の丸・君が代』強制ええんかい! 『競争』『強制』の教育でええんかい!
私たちは黙らない!2・11全国集会が、大阪市天王寺区民センター・ホールで開かれました。
700人もの参加があり、内容的にも、とっても素晴らしい集会になりました。
大阪からも、今まで、同じ場で聞くことができなかった
発言する保護者ネットワークの方や朝鮮学校関係の人達の発言など、
広範囲の人達の発言があって、橋下に抵抗する人達がたくさん集まった集会となりました。
橋下・安倍の教育破壊の数々の攻撃に対して、たくさんの人が手をとりあって反撃していく
全国ネットワークつくりに向けて、大きな出発点になる集会でした。
集会のメインは、「絶望するには素敵な人が多すぎる-戦後史最大の曲がり角に立って-」
とタイトルをつけた、田中伸尚さん(『日の丸・君が代の戦後史』『良心と義務』岩波新書)の講演でした。
田中伸尚さんは、
「井上ひさしは、組曲『虐殺』という劇の中で、
“絶望するには素敵な人が多すぎる。希望を持つには邪悪な奴が多すぎる”と言ったという。
そこから、タイトルを借りた。
絶望と希望のあいだをつなぐ“橋”“太い綱”は、攻撃に抗う人々、抵抗する人達だ。
『君が代』ピアノ伴奏を拒んだり、不起立をした人々だけが『素敵な人』ではない。
それに連なる隣人、同僚、市民も『素敵な人』だ。その人らが、希望につなぐ“橋”となる。
『素敵』は、あくまで、抵抗の中にある。
今、雑誌『世界』で、「1930年代の未完の戦時下抵抗」という連載をしている。
戦時下の抵抗はゼロではない。さまざまな抵抗があった。
その抵抗を、立派だったと言うと、まねできないとなる。
その闘いのバトンを受けとって、自分たちが、どう引き受けるか?
戦時下、治安維持法で4回も引っ張られながら、反戦歌を作曲した、吉田たかこ。
江口喚、たてののぶゆきは、転向したと言われた。でも、二人は一言も弁明しなかったが
小林多喜二の生原稿を金庫に補完し、伏せ字だらけの本が、戦後、ちゃんとしした本になった。
そして、今、橋下・維新の会や安倍の下で、ナショナリズムと排外主義が吹きあれ、
『日の丸』『君が代』の攻撃、戦争ができる国づくりへと動き出している。
でも、「まだ、まにあう」じゃなくて、まだまだ、まだまだ、間に合う。
それは、それに抗う闘いがあり、抵抗する人達がいるからだ。
東京の田中聡史さんは、根津公子さんの闘いを受け継ぎ、
東京で不起立をゼロにしたらダメだと、一人でも、不起立をやった。
根津さんから田中さんへ、抵抗のバトンがしっかり受け継がれた。
終わりなき抵抗には負けはない。希望に続く。
誰かが抵抗を続ければ、必ず次に続く。」
そして、この話の続きに、なんと、なんと、私がでてくるのです。
「『良心と義務』の中に、ギリギリすべり込みで書くことができたが、
高槻市の教員、山田さんは、着席行為を「非行」と言われたのに対し、
「職務命令まで出して強制することこそ非行」と教育委員会を厳しく批判した。
この精神だ、この抵抗だ。これが、絶望から希望へとつなぐ“橋”となる。」と。
橋下に抵抗する大阪の不起立の闘いを、もっと大きく!
希望へとつづく、抵抗の闘いを!みなさん、今から始めよう!
でも、ただひとつ、最大に残念だったことは、集会で根津さんの発言がなかったことです。
停職6ヶ月等の数多の処分にも屈せず、(その過程は本当に心も体も大変だったと推察します)
クビまで覚悟しても、不起立をつづけたという、この根津さんの闘いを
根底に据えないような集会や闘いではだめだと思います。闘いの、その質に関わります。
ただ一つ、救われたのは、名古屋の小野さんが、発言の中で、
根津さんをクローズアップしてくれたことです。
集会に参加している根津さんに起立を促し、「根津さんも参加しているぞ」
とみんなに紹介してくれたことです。これで、少し、救われました。