国や府市の無策(あるいは間違った対策)によりコロナ感染がますます広がりを見せる近々の状況ですが、グループZAZAは、本年も5月8日を皮切りに連続講座を開催します。講師は、昨年4月に、ウェブサイト「B面の岩波新書」に掲載された「パンデミックを生きる指針――歴史研究のアプローチ」で一躍注目を浴びることになった京大准教授・藤原辰史さんです。
※今後、会館等の事情で変更等がある場合は、当ブログでご連絡いたしますので、その旨ご了承をお願いします。
ユーラシア東部諸島中立地帯の構想
全体の趣旨:
米国と中国という新旧覇権国はざまで、軍事的かつ経済的脅威に日々さらされている地域の、そしてその地域だからこそ生成する思考様式について考える。これらの地域の政治家の多くが考える軍事力の増強という解決ではなく、あるいは、米国や中国との同盟の強化でもない。帝国の脅威に晒されてきた境界領域の諸国が、陰惨な歴史と地球の破局に怯える現代世界と向き合ったうえで、脱資本主義的な生態自治を目指す先駆的指針を、歴史研究の立場から探る。
第1回:沖縄・香港・台湾の連帯について――呉叡人から考える
中国は、急速な軍備によって、台湾の軍事的な制圧時に米国との戦争に勝てることを目指している。そんな中、この境地の住人が考えるべきことは、いかに米国を援助して中国を倒すかでも、中国的な監視社会と同一化することでもない。そのはざまにある海洋文化の支配・被支配の歴史を学び直し、小さな地域の小さな文化の縁を結んでいくこと。「黒潮」の流れにアジア独自の思想を見出した呉叡人の『台湾、あるいは孤立無援の島の思想』をテキストに、軍事とは異なる中立の政治の源を探る。
第2回:軽装備の思想――戦争と農業から考える
米国から中国へと覇権が移ったとしても重装備の時代は終わらない。空母や戦闘機やサイバー攻撃ではなく、あるいは、巨大トラクターや広範囲の農薬の散布ではなく、小さな言葉、小さな道具、小さな生きもの、小さな思考を絡まらせ、安全保障と農業を同時に変えていくための歴史と文化が、そのはざまの地域には無数に実践されている。しかし、それらの小さなものたちは、重装備戦争と重装備農業よりもはるかに大きな存在、つまり太陽光と太陽熱と土壌に根源を持つ。このことの意味を考えたい。
第3回:食べるとはどういうことか――太陽と土壌
米国や日本をはじめ先進資本主義国を中心に、地球温暖化問題を解決するものとして培養肉や植物工場や人工食などの開発や商品化が進められている。太陽光や土壌を用いない農業や食は果たして私たちの目指したい未来の食卓なのか。食のテクノロジー化で失われる残余にこそ、文化の根源が眠ってはないか。そして、そこにこそ人と人を結ぶ縁の発生源がないだろうか。拙著『食べるとはどういうことか』や『縁食論』を軸に、食という現象を生態学的かつ人文学的にラディカルに問い直しを試みてみたい。
第4回:自治の思想――ユーラシア東部諸島中立地帯の根源
これまでの三回分の議論を踏まえた上で、巨大で高速な軍事力と巨大で高速な食糧生産力に対抗する「ユーラシア東部諸島中立地帯」に必要なものを考える。それは、第一に中央集権からの脱却、第二に人文学の革新、第三に中立の耐えられる外交力と強靭な思想の形成、第四に太陽と土壌と海洋の力を最大限利用したエネルギーと食の安定的利用とそれに基づく経済様式の変革である。自然界と人間界を同時に考える先達たちの思想や哲学に触れながら、ユーラシア東部諸島中立地帯の思想的根拠について考えたい。
旗(二) 栗原貞子
日の丸の赤は じんみんの血
白地の白は じんみんの骨
いくさのたびに
骨と血の旗を押し立てて
他国のこどもまで
血を流させ 骨にした
いくさが終わると
平和の旗になり
オリンピックにも
アジア大会にも
高く掲げられ
競技に優勝するたびに
君が代が吹奏される
千万の血を吸い
千万の骨をさらした
犯罪の旗が
おくめんもなくひるがえっている
「君が代は千代に八千代に
苔のむすまで」と
そのためにじんみんは血を流し
骨をさらさねばならなかった
今もまだ還って来ない骨たちが
アジアの野や山にさらされている
けれども もうみんな忘れて
しまったのだろうか
中国の万人坑[まんにんこう]の骨たちのことも
南の島にさらされている
骨たちのことも
大豆粕[かす]や 蝗[いなご]をたべ
芋の葉っぱをたべてひもじかったことも
母さん別れて集団疎開で
シラミを涌かしたことも
空襲警報の暗い夜
防空壕で 家族がじっと息を
ひそめていたことも
三十万の人間が
閃光に灼かれて死んだことも
もうみんな忘れてしまったのだろうか
毎晩 テレビ番組が終わったあと
君が代が伴奏され
いつまでも いつまでも
ひるがえる 血と骨の旗
じんみんの一日は
日の丸で括めくくられるのだ
市役所の屋上や
学校の運動場にもひるがえり
平和公園の慰霊碑の空にも
なにごともなかったように
ひるがえっている
日の丸の赤は じんみんの血
白地の白は じんみんの骨
日本人は忘れても
アジアの人々は忘れはしない
日の丸の赤は じんみんの血
白地の白は じんみんの骨