1966年文化大革命の爆発と共に、彭徳懐は吊るし上げの厳しい糾弾を受けます。5枚目の写真がそうです。これらの写真は今でも中国のインターネットで採取することができます。1974年大腸がんを患い、失意のまま逝去します。彼の遺骨は偽名をつけられ成都に送られることになります。
1978年の中共中央は、名誉回復を行い、追悼大会を開き、トウ小平が演説を行っています。トウ小平の演説も現在のインターネットで見ることができますが、当時の政治情勢を反映して、「華国峰を主とする党中央・・・」とか、「マルクスレーニン主義、毛沢東思想の下で・・・」と毛沢東を是とする表現が残っているのは仕方のないこととは言え、皮肉を感じます。
こうして振り返ると、彼は本当のプロレタリアートというか貧農だったようで、軍閥軍に入る過程で共産主義に入り、共産党軍の幹部になったたたき上げの軍人だったと思います。習得した共産主義はソ連型(所謂スターリン社会主義))だったのだろうと思います。この観点から毛沢東を諌めてしまい、その結果不遇な老後、運命を辿ることになりました。トウ小平のように実質的それを換骨奪胎することまでは考えていなかったと思います。
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こうして振り返ると、彼は本当のプロレタリアートというか貧農だったようで、軍閥軍に入る過程で共産主義に入り、共産党軍の幹部になったたたき上げの軍人だったと思います。習得した共産主義はソ連型(所謂スターリン社会主義))だったのだろうと思います。この観点から毛沢東を諌めてしまい、その結果不遇な老後、運命を辿ることになりました。トウ小平のように実質的それを換骨奪胎することまでは考えていなかったと思います。
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文革を振り返ることは中国でもタブーではありません。しかし、現在でも中国は中国共産党が支配(彼らの言葉では執政)する国であり、建前はマルクスレーニン主義、毛沢東思想(最近ではトウ小平理論も)に基づく国家なので、文革は公式にはさわりたくないテーマではあります。文革で迫害された個人の名誉回復やこのような記念館建設等で間接的に文革を否定しているのだと思います。
個人間では大きな傷跡を残した事件なので、振り返ることは当然あります。私が接触できて、長時間話が出来る中国の大衆とは殆どタクシーの運転手ですが、彼らの多くは、北朝鮮の現状は昔の中国だと喝破します。