不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Le croci di FEBO

2011-01-11 18:28:32 | アート・文化

トスカーナの古い幹線道路の片隅に
ひっそりたつというFEBOの十字架。
その十字架は木製であったり、鋳鉄だったり
素材は様々ですが、
どれも高さ約2メートルくらいで
キリスト受難の品々が括り付けられ
土台にLe Croci di FEBOと刻まれている特殊なもの。


この不思議な十字架について興味をもった
アレッツォの歴史愛好者が10年余りをかけて研究を続け
トスカーナを中心に100件ほどの該当十字架をリスト化したそうです。


FEBOは
Fecit Erigere Baldassarre Oudibertの略で、
「Baldassarre Oudibert建」の意。
Baldassarre Audiberti
(バルダッサーレ・アウディベルティ)という
1700年代から1800年代にかけて生き
当時地元の人々に「聖人」と呼ばれた人の手によって
立てられたものだといわれています。


1758年1月6日にロンバルディア州の
Vercelli(ヴェルチェッリ)あたりで生まれ
幼少のころから聡明で平和主義な善人だったそうですが
成人すると間もなく家族と離れて隠遁生活を始め
聖地へ向けての巡礼を始めます。
当初の目的地はおそらくカトリック総本山であるヴァチカンで
ロンバルディアからヴァチカンに向けて歩みを進めてきた途中
トスカーナで病に臥せって暫し逗留することになったようです。
その間Fiesole(フィエゾレ)にも長く滞在していたようです。
病から回復してローマにも赴き、
約60年の隠遁生活のあと再びトスカーナへ戻り
信心から各地に十字架を立てる生活を始めたのです。
十字架は地元の職人に製作を依頼したものがほとんどだそうです。


彼のそうした姿は当時の人々に「聖人」「ありがたい人」と崇められ
その噂を聞きつけたトスカーナ大公レオポルド2世が
病に伏せる自分の妻(Maria Anna Carolina di Sassonia)の
回復祈願のためにバルダッサーレを召還するほどでした。


晩年はアレッツォの郊外にある小さな村落で暮らし、
5年の闘病の末、1852年7月7日に亡くなりました。
さらっと流しそうになりますが、結構長生きですね、94歳。


昨今ではサン・フランチェスコなどとも比較され
アレッツォ司教をはじめ多くの人から
バルダッサーレを聖人として認定しようという動きもでています。


打ち捨てられたような古い幹線道路の
交差点の脇などに多く見られるというFeboの十字架。
Chiusi周辺には特に多く残っているようです。
こうしたArte Poveraを探してトスカーナを旅してみるのも
趣があっていいなと思います。

信心から十字架を立てることに生涯を尽くし
その彼の姿に心打たれた人々が
ほとんど無償で十字架製作に力を貸して
実現したこうした小さな芸術が
200年近く経っても残っていることが
イタリアの奥深さかなと思います。