不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Omaggio al Re di Savoia

2011-01-25 20:31:55 | アート・文化

今年はイタリア統一150年で、
トリノを中心にイベントが目白押しのイタリアです。
日本では年明けからNHKでイタリア特集が組まれているので、
ご存知の方も多いかと思います。


日本の世界史で習うイタリア統一は
ほんの少ししか触れないので
1861年、リソルジメントとガリバルディという単語だけを
記憶している方も多いかもしれません。
もともと都市国家の集合体であり、
且つ周辺に強力な世俗支配国家が君臨することを
良しとしなかった教皇庁の意向もあって、
イタリア半島には長い間、周辺国家の支配が混在し
お互い勢力を凌ぎあっていました。
これを民衆と王家の力で
少しづつ外来勢力による支配から解き放ち
イタリア統一を成し遂げたのですが、
立役者はGaribaldi(ガリバルディ)、Cavour(カヴール)と
Vittorio Emanuele II(ヴットリオ・エマヌエレ2世)とされています。


Casa di Savoia(サヴォイア家)は
1720年にハプスブルク家との交渉により
サルデーニア王国の王位を得て、
その後力をつけてイタリア統一の核となり
1861年からはイタリア王国の王位継承。
初代イタリア王国の王がヴィットリオ・エマヌエレ2世で
祖国の父と呼ばれています。
イタリア王家としては4代続きましたが、
1946年5月に3代目のヴィットリオ・エマヌエレ3世が
退位してエジプトに亡命し、
4代目は1946年5月9日に王位継承後わずか1ヶ月で
6月2日の国民投票により
イタリア共和国が成立してポルトガルに逃れています。
1946年の国民投票では
王政支持1000万に対し共和制支持1200万だったそうです。
サヴォイア家の王位継承直系男子の
イタリア入国を禁じる法律により、
一族は長らく海外追放となっていましたが
2002年の憲法改正で
イタリアへの入国が認められるようになりました。


そうした背景から
これまでサヴォイア家の扱いはかなり悪かったのですが、
イタリア統一150年の式典の中で
現大統領Napolitano(ナポリターノ)は
Altare della Patria(アルターレ・デッラ・パトリア)を訪れるだけでなく
Pantheon(パンテオン)にも赴くことが決定しました。
アルターレ・デッラ・パトリアとは
ローマのヴィットリオ・エマヌエレ2世記念堂の中央にある
「祖国の祭壇」ですが
パンテオンにはヴィットリオ・エマヌエレ2世、
息子ウンベルト1世とその妻マルゲリータが永眠しています。
そのヴィットリオ・エマヌエレ2世の墓に
敬意を表して献花を行うということで
実に戦後初めての歴史的な式典となる予定。


これを期に海外に葬られたほかのサヴォイア家の遺骨を
イタリアに戻そうという動きもありますが、
今回の式典は飽くまでもイタリア統一に関するものであり
統一に貢献した初代イタリア王への敬意表明に過ぎません。


ちなみにファシズム政権時の王位にあった
ヴィットリオ・エマヌエレ3世はエジプトのアレッサンドリアに、
最後の王となったウンベルト2世は
フランスのアルタコンバに眠っています。
もちろんパンテオンには
まだこの二人を迎えるスペースはあり
イタリアの法律でも規制はないのですが
果たして今後どういう方向に発展するのか。