不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Angelus

2013-07-21 23:16:00 | 日記・エッセイ・コラム
土曜日、プローチダ島からの帰り道にちょっと考え、
日曜日、レイラの散歩の途中で思い立ち
ヴァチカンまで教皇のAngelusを拝聴しに出かけてみました。

前々教皇のGiovanni Paolo IIは
私が美術史の観点からキリスト教に興味をもち始めた頃には
既にパーキンソン病が進行して呂律が回らず、
当時の私のイタリア語力では
テレビでたまに流れてくるAngelusの説法も
すべてを理解することができませんでした。
前教皇のBenedetto XVIは
厳めしい顔つきがどうしても親近感が持てなかったのと
彼のドイツ語訛りのイタリア語が聞き難くて
申し訳ないけど、聞こうという気にもならなかったのです。

現教皇になってから
私の周囲ではとても庶民的な説法をすると
度々話題に上っていました。
だから一度は聞いてみたいなと思っていたのです。

列車はいつものように(?)30分遅れで到着し
サン・ピエトロ寺院にたどり着いたのは12時ちょっと前。
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Angelusは12時からの予定なので、
もう広場はごった返しているんじゃないかと思ったけれど、
一時期(就任直後)ほどの混雑ぶりは見られませんでした。
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難なく、広場の中央に進み、
オベリスクの近く、登場するであろう窓の正面辺りに陣取り。

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この窓が開いて準備が始められただけで、
広場の群衆がどよめき、
どれだけ期待されているのかを垣間みることができました。
教皇が登場するまでも
広場のあちこちで、
呼びかけやかけ声が上がって盛り上がってました。

そして、いよいよFrancesco I 登場。
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いつものように(噂に聞いていたとおり)
Buon giornoから始まり、
わかりやすく聞きやすいイタリア語でお説法が始まります。
たった15分足らずの時間ですが、
広場は言葉にできないような幸せな空気に包まれ
誰もがその言葉に聴き入っている感じが伝わってきました。
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その日のお話は、ベタニアのマリアとマルタの話から
キリスト教徒としての在り方を説くものでした。

キリスト教徒ではない私の心にも
じんと染みるお話で
教皇ご本人の人柄の良さも
そのわかりやすさも
「すべての人に伝えよう」
という想いからくるものなんだと感じました。
伝えようという心の大切さを改めて教えられた気がします。

そしてその日の説法からは
思いと行動は常に共にあるべしという基本に
改めて気づかされました。
肝に銘じて、また日々精進せねばと思ったのです。

広場を見渡して、
垂れ幕にコメントしたり、
そして最後はいつものように
Buona domenica e Buon pranzoで締めくくり。
その言葉に広場が一段と盛り上がり、歓声が沸きました。
この教皇が愛されていることを感じる日曜日でした。

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