超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">最近の音響体験</span>

2011-08-08 16:59:08 | 無題

書を閉じて、DENONのギュンター・ヴァントと北ドイツ放送響のブルックナー四番ロマンティックのDVDを大音量で鑑賞する。人恋しい時はこれが一番。美しいメロディを大音量で聞くと寂しさを一瞬忘れることができる。
私が持っているクラシックのDVDはヴァントのブルックナー4,5、7、8、9番、ヴァントのシューベルト未完成&グレイト、ミヒャエル・ギーレンのベートーヴェン交響曲全集、クルト・マズアのブラームス交響曲全集、バーンスタインのマーラー全集と、同じくバーンスタインとウィーンフィルのベートーヴェン交響曲全集である。
中古CD店で買ったケロロ軍曹サウンドケロック3は昔の鈴木さえ子の面影があるどころではなく、鈴木さえ子そのもので、健在ぶりを示している。ユーチューブでkeroro ost 01からkeroro ost 17を見て行くとこのサウンドケロック3全部が試聴できる。
鈴木さえ子氏はXTCのメンバーに加入しないかと誘われたこともあるというが、アンディ・パートリッジがアップル・ヴィーナスの発売記念でヴァージン・メガ・ストアでトークショウをしたときに、鈴木さえ子に会いたい、誰か連絡先を知らないかと真面目に言っていた。
アンディ・パートリッジは日本のアニメの大ファンという話だから、もう当然ケロロ軍曹のサウンドケロックは所有していて、鈴木さえ子さんの健在ぶりを温かく見守っていることだろう。
ギュンター・ヴァントのブルックナーの四番も佳境に入った。
私はヴァントのケルン放送響とのブルックナー全集を愛聴しているが、不思議と手離せないで繰り返し聞いているのがフォルクマール・アンドレーエのウィーン交響楽団とのブルックナー全集である。
アンドレーエのモノラルながら厳格で引き締まった雑音のない放送録音の響きは私を引きつけて止まない。ヴァントの先駆的存在としてアンドレーエは見逃せない。
ヴァントの四番の雄大な音響に身を任せ、しばし巷の喧騒を忘れるいい音響体験をしている。ギュンター・ヴァントの来日公演には行けなかったが、来日CDも愛聴している。ギュンター・ヴァントの老賢者の風貌も好きな私である。

喧騒も忘れる音響体験で憂鬱な夏も越えて行きたい



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<span itemprop="headline">サントラと曇天の夏</span>

2011-08-04 00:57:22 | 無題

鈴木さえ子さんのケロロ軍曹のサントラをユーチューブで見ていたら欲しくなってしまい、ケロロ軍曹サウンドケロック3を中古で買う。フォーゲット・ミー・ノットがヴァージニア・アストレイに似ていて良い。
200円均一セールで買ったオルフェオドールのフルトヴェングラーのもう一つのバイロイトの第九は、既出のバイロイトの第九より随分音が鮮やか。
新聞広告で見た慈学社の「神話と宗教」ハンス・ケルゼン著が気になっている。図書館で借りてみようか。ハンス・ケルゼンは法学者の様子。慈学社自体が法学系の出版社。法学者は時々越境する。いい事だ。最近は洋書を訳し、音楽を聞く。昨日はザ・ベリー・ベスト・オブ鈴木さえ子と、坂本龍一のベスト・オブ・サウンドトラック、小澤征爾のドイツ盤マーラーを聞く。
先日は友人と新宿三丁目のピットインの二階のタイ料理店クルンテープに行き、春雨のサラダ、レッドカレー、ライス、パッタイ麺、シンハービールを頼む。階下では梅津和時氏がライヴしていた。
友人と向田邦子のドラマ胡桃の部屋について話す。
胡桃の部屋では際どい場面になるとガムランが大音量で鳴る、かつての阿修羅のごとくのトルコの軍楽隊の行進曲の使い方と同じだ、思い出トランプの連続ドラマは良かった、あうんをもう一度見てみたい、ドラマちりとてちんをDVDで借りて見たい、ジョン川平の独白を見逃したのでちゃんと見たい、ちりとてちんで出てくる立ち消え線香は奇妙な後味の不思議な落語だ、と喋り合う。
坂本龍一のベスト・オブ・サウンドトラックは知識人の憂鬱が漂っている。向田邦子ドラマの際どいシーンにガムランが流れるのは妙に似合っているが、インドネシアの人には申し訳ないとしか言いようがない。
映画「ヒトラー最後の12日間」でブルックナーがBGMとして使われていたが、ヒトラーは実際ブルックナー・ファンだった。余り嬉しい話ではないが。私の毎日を描写したサウンドトラックは何だろう。
多分マーラーとブルックナーとメタモルフォーゼンとトゥモロウ・ネヴァー・ノウズの交錯した、奇妙なサントラに違いない。民族音楽も織り交ぜると尚面白い。私の気分の高低を音で表現すると何か。
サウンドトラックも考えてみれば奥の深い世界である。胡桃の部屋のガムランの使い方も面白い。フォーゲット・ミー・ノットと言えば現代の日本画家ミヤケマイの画集の題でもある。憂鬱な課題も山積しているが、自分の中の美の種が疼く。
憂鬱を食い止めようとガムランが高々と鳴る曇天の夏



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