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戦災殉難者慰霊碑 in 大輪田橋東たもと on 2017-8-8

2017年08月10日 05時40分51秒 | 神戸情報
戦災殉難者慰霊碑 in 大輪田橋東たもと on 2017-8-8


2017年8月8日に標題の戦災殉難者慰霊碑の写真を撮ってきましたので
紹介します。

神戸大空襲は昭和20年(1945)2/4、3/17、5/11,6/5、8/6の規模の大きな
空襲のことを指します。

1945年3月17日の兵庫津周辺の空襲では多数の方が被爆死されました。

大輪田橋東たもとの戦災殉難者慰霊碑基本情報
設置場所:神戸市兵庫区中之島2丁目 大輪田橋東たもと
設置年:昭和22年9月(平成8年10月 再建)
設置者:出在家町協議会


総務省のHP一般戦災ホームページの戦災殉難者慰霊碑でも紹介されています。
アドレスは下記。
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/hyogo_kobe_city006/index.html

総務省のバーチャル情報館




上の2枚の写真は大輪田橋東たもとにある「戦災殉難者慰霊碑」


上の写真の掲示のため近くから写真を撮れませんでした。


上の写真は戦災殉難者慰霊碑の裏面  撮影:2013-4-12
「昭和22年9月建之 出在家町協議会 平成8年10月 再建」


出在家町協議会が上の写真のような説明板を作製されています。
「戦災殉難者慰霊碑来歴
 大東亜戦争末期昭和20年3月17日アメリカ合衆国B29爆撃機の神戸大空襲に遇った
 此の地、大輪田橋下暗渠内で多数の方々が被爆死されました。あの悲惨な状態、猛火
 のもと恐怖と悔しさの地獄図は日本人として未来永劫、忘れる事はないでしょう。
 生き残った町住者が、尊い生命を失われた人々に深く心からご冥福をお祈りすると
 共にこの悲運を永く後世に伝える為、出在家町協議会の手で此の地に慰霊碑を建立
 しました。協議会は恒例行事として、ご命日には町住者による慰霊祭を施行して
 おります。殉難死された方々の安らけき事を只管祈り続けん。
   昭和22年9月 出在家町協議会 敬白」






上の2枚の写真は大輪田橋の親柱です。
大正13年(1924)に竣工の橋で上の写真の親柱のみが現在も健在です。
カタツムリと星座があしらわれたオシャレな親柱です。 




反対側の親柱は阪神淡路大震災で倒れてしまい上のような状態になっています。
その壊れた状態の親柱が横に置かれて写真に写っています。


上の写真は大輪田橋が大正13年(1924)6月に竣工したことを示す銘板


上の写真は現地の説明板

関連ブログ:神戸大空襲
 
コメント
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