CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 御番所跡・坂越浦城跡

2018年11月16日 04時42分57秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第19回 御番所跡・坂越浦城跡を紹介します。


シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像




上の2枚の写真は坂越浦城跡・御番所跡で現在は公園となっている平地と現地説明板
説明板には下記のように記載されています。

坂越浦城跡・御番所跡

坂越浦城は、「坂越浦砦」または「坂越城」とも呼ばれ、室町時代に播磨地方を
支配していた山名氏が築いたといわれています。
その後、龍野城主である「赤松下野守村秀」の通城(かよいじろ)となり、坂越を
支配したといわれています。
江戸時代には、この展望台の前の小高い場所に赤穂藩の御番所が置かれ、坂越浦に
出入りする船の監視をしていました。



赤松村秀(1493-は、出自に諸説あるものの、父を赤松政則とすれば、祖父は赤松時勝になります。

Wikipediaより赤松村秀の解説文を引用紹介します。
赤松 村秀(あかまつ むらひで)は、戦国時代の武将。播磨国龍野鶏籠山城主である。
出自に関しては2通りの説がある。まず1つ目は明応2年(1493年)、播磨の守護大名で
ある赤松政則の子として生まれるが、庶子であったために一族の支持を得られず家督相続
することができなかったため、赤松家は娘婿の赤松義村が継ぐこととなり、
塩屋城主・宇野政秀の養子となり、後に政秀が龍野城を築城すると、その城主となった
という物である。尚、義村からは偏諱(「村」の字)を賜っている。
2つ目は政則の子ではなく、龍野赤松氏の赤松則貞の実の孫であるという説で大永5年(1525)
には祖父の則貞を自ら龍野城内で殺害して龍野赤松氏を継承したという。
村秀は、赤松本家の補佐に努め、小寺氏や宇野氏と協力し浦上氏との抗争に貢献し、
天文9年(1540年)に死去。享年48。跡を子の赤松政秀が継いだ。


赤松村秀(1493-1540)が入った赤松家の系譜図を添付しておきます。


現地は完全に公園化されているため、遺構はほとんど確認できない。しかし、この高台から
坂越港・播磨灘を俯瞰すると、中世から多くの船が行きかい、戦略的にも航路の要所で
あったことが想像される。
1564年にルイスフロイスが著した「日本史」に、塩飽港になかった堺行きの大型船が
すでに坂越港にはあったと記述。

坂越浦を見渡せる場所に説明板があったので添付しておきます。(下の3枚の写真)







最後に坂越浦城跡・御番所跡から観た坂越浦の景観写真を添付して筆を置きます。
(下の2枚の写真)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする