『音楽之友』1956年2月号より、近衛秀麿率いる近衛管弦楽団の新春コンサートに向けた練習風景です。
↑ 「カルメン」の練習に藤原義江、川崎静子両氏が参加。東京・芝、愛宕山練習場にて
この近衛管弦楽団は財政的に苦しくなり、つぶれかかっていたところ、朝日放送(ABC)の専属になり一旦息を吹き返しました。1956年のことです。
↑ 近衛秀麿指揮によるABC交響楽団改名披露演奏会。1956年6月21日、日比谷公会堂。ショパンの協奏曲第2番(園田高弘)、ベートーヴェン交響曲7番ほか。同誌1956年9月号より。
しかし、このABC交響楽団もあまり振るわず、再び財政危機に陥ってしまったそうです。
そこで、起死回生とばかりに打って出た勝負が、なんと、1960年秋のヨーロッパへの演奏旅行でした(遠征計画発表後の『音楽藝術』1959年11月号によると、この決断は楽員たちの意志とは無関係で、経済的不安解消と楽員の引止めだけが目的ではないかと)。
この、近衛さんも同行したというヨーロッパ演奏旅行での、チェコのプラハにおける演奏会の様子が玉木宏樹著『贋作・盗作音楽夜話』(北辰堂出版)の198ページに書かれています。
「曲目はドヴォルザークの『新世界』。第二楽章でコールアングレ(イングリッシュ・ホルン)の吹くメロディは『家路』として誰もが知っています。(中略)ドヴォルザークの故国の地で、コールアングレ奏者は緊張でアガってしまったのかメロディを吹けなくなってしまいました。バックの弦だけが和音を続けています。すると会場のどこからかお客さんがメロディを歌い出しました。それにつられ会場は段々と大合唱になり、別の意味ですごい盛り上がりになったそうです。」
まさにカラオケ。。信じられない! お客さんに悪気はなかったんでしょうけどね。
この後間もなく、かわいそうなABC交響楽団は解体してしまったようです。
(追記)『音楽の友』1968年1月号が発行された頃はまだABC交響楽団は活動していました!
「朝日放送の専属として多くの仕事をしてきたが、現在は独立し、山田和男の指揮で名曲コンサートをおこなっている。」とあります。なんか、よかった。