チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

かわいそうなABC交響楽団と「新世界」事件(1960年)

2015-01-04 22:55:40 | 日本の音楽家

『音楽之友』1956年2月号より、近衛秀麿率いる近衛管弦楽団の新春コンサートに向けた練習風景です。


↑ 「カルメン」の練習に藤原義江、川崎静子両氏が参加。東京・芝、愛宕山練習場にて



この近衛管弦楽団は財政的に苦しくなり、つぶれかかっていたところ、朝日放送(ABC)の専属になり一旦息を吹き返しました。1956年のことです。


↑ 近衛秀麿指揮によるABC交響楽団改名披露演奏会。1956年6月21日、日比谷公会堂。ショパンの協奏曲第2番(園田高弘)、ベートーヴェン交響曲7番ほか。同誌1956年9月号より。



しかし、このABC交響楽団もあまり振るわず、再び財政危機に陥ってしまったそうです。

そこで、起死回生とばかりに打って出た勝負が、なんと、1960年秋のヨーロッパへの演奏旅行でした(遠征計画発表後の『音楽藝術』1959年11月号によると、この決断は楽員たちの意志とは無関係で、経済的不安解消と楽員の引止めだけが目的ではないかと)。

この、近衛さんも同行したというヨーロッパ演奏旅行での、チェコのプラハにおける演奏会の様子が玉木宏樹著『贋作・盗作音楽夜話』(北辰堂出版)の198ページに書かれています。

「曲目はドヴォルザークの『新世界』。第二楽章でコールアングレ(イングリッシュ・ホルン)の吹くメロディは『家路』として誰もが知っています。(中略)ドヴォルザークの故国の地で、コールアングレ奏者は緊張でアガってしまったのかメロディを吹けなくなってしまいました。バックの弦だけが和音を続けています。すると会場のどこからかお客さんがメロディを歌い出しました。それにつられ会場は段々と大合唱になり、別の意味ですごい盛り上がりになったそうです。」



まさにカラオケ。。信じられない! お客さんに悪気はなかったんでしょうけどね。

この後間もなく、かわいそうなABC交響楽団は解体してしまったようです。

 

(追記)『音楽の友』1968年1月号が発行された頃はまだABC交響楽団は活動していました!

「朝日放送の専属として多くの仕事をしてきたが、現在は独立し、山田和男の指揮で名曲コンサートをおこなっている。」とあります。なんか、よかった。


オーケストラ・プレイヤーの直感的な判断(元N響・平井光氏)

2015-01-04 00:00:31 | 日本の音楽家

また昭和50年前後に発売された「不滅の交響曲大全集」の解説書からですが、今度はNHK交響楽団の元ヴィオラ奏者・平井光(ひらい こう)さんの「臨機応変、マメで器用な仲間たち」からです。
オーケストラのメンバーがいかに直感的な判断力を持ち合わせているかを例を挙げて語られています(固有名詞は書かれていませんけど)。

【その1】
あるオーケストラで、本番に遅刻したヴァイオリニストがいた。舞台では、指揮者がすでに棒を振り下ろそうとしている。遅れた彼は、まだ間に合うとばかり急いで最後列にすべり込んだ。ところが、誰かが気を利かして片付けてしまったためか椅子が無い。坐ることも引き返すこともできない彼は、そのまま中腰で演奏したという。果たしてどんな音を出したかは推測できるが、短い序曲であったために、ギックリ腰にも、脱肛にもならずに済んだらしい。

【その2】
やはり本番であるが、直前になって赤い靴を履いてきてしまったことに気が付いたプレイヤーがいた。普通、会場までは自由な服装できて、本番前に燕尾服に着替えるのである。そのためにワイシャツを忘れることはたまにはあるが、赤い靴を履いて来たという例はまずない。靴を買いに行く時間などはもうない。墨を塗ることも頭に浮んだが、それも用意できない。進退窮まった頭に浮んだ名案は、靴と靴下を脱ぎ、素足に赤靴を履き、その靴の上から靴下を被せたのである。靴下だけは黒であったのが幸いした。


。。。現場の話は面白いですね。こういう逸話をまとめた本があったら読みたいです。
(その2はもしかして平井さんご本人の体験談??)

↑ 平井光氏