折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

戦争の記憶

2017年08月17日 | 果物

焼け跡のイチジク、夏の朝の楽しみでした


終戦の時、私は3歳だったので戦争の記憶はありません。
あるのは戦後の空腹で貧しかったこと、家と疎開先を同時に空襲で焼け出され母が
愚痴ばかりこぼしていたことくらいです。


夫が定年後ボランティアで中国へ日本語教師として大勢の仲間と赴任しました。
南京の南にある学校に赴任した日本人は3名、そのうちの女の方は終戦前は重慶に暮らして
おられたと、もう1人の男性はとても快活な方で会食の時などに満州の暮らしなどを話されました。
しばらくして何かの折にぽつりと「引き上げの時に別れた妹の行方がまだ分からない・・・」と。
それぞれ何処かに戦争の影がありました。

中国で夫の生徒だった何人かが日本に留学して来て、2005年愛知万博の時、我が家に泊まりました。
20歳前後の彼女たちは「奥さんの結婚式の写真見せて」とか「赤ちゃんの時の写真は?」とか
キャァキャァ大騒ぎ。
「赤ちゃんの写真は空襲で焼けてしまって何にもないの」と私。
話しても彼女たちにはよくわからない風でした。
その前に留学中の男子学生を名古屋城に案内した時にも、天守閣が炎上する写真を見て
「戦争ですか・・・」と驚いていました。
広島、長崎は知っていても日本は中国にとって侵略者であって、空襲の被害があったこと等
知らないようでした。
平和な時に普通の人達の交流こそが少しずつでも本当のことを伝えることになるのだと思います

終戦の日が近づくとテレビは沢山の特集を組みます。
日本の若い方達はどう見ているのでしょうか、大河ドラマと同じ単に歴史の一コマと思うのでは・・・
中国の学生たちのように「日本に空襲があったのですか・・・」などという時代になるのでしょうか。
明治生まれの父が良く言っていた「10年ごとに戦争はあるでな・・・」
父の言葉があたらずに戦後半世紀以上続いた平和な時代、でも、このところ世界は不穏な空気が流れて
この先が不安に思われます。なんとしても平和が続くように祈るばかりです。


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