以前にも紹介させて頂いたことのある、読売新聞の医療サイトの高野先生の連載。またも考えさせられたので、最新号を転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~わらにすがるのでなく、自分なりに泳ぐ(2012.9.19)
前々回と前回は、進行がんと前向きに向き合う患者さんを紹介しました。でも、患者さんたちがみんな前向きになれるわけではありません。もともと、患者さんたちの病状や考え方はさまざまであって、病気との向き合い方も千差万別です。
人生を大海原に、病気を荒波にたとえるなら、波に立ち向かって力強く泳いだり、波に身を任せて漂ったり、波に翻弄されたり、波を避けて穏やかな海を探したり、いろんな向き合い方があります。
人生という大海原で何を目指すのか、荒波の中でどう泳ぐのか、というのは、一人ひとりの「生きざま」であって、医療が立ち入るべきものではありません。ただ、医療者の一人として、がんを抱える患者さんに、きちんと伝えておきたいメッセージがあります。それは、「あなたはけっしておぼれているわけではない」ということです。
「おぼれる者はわらをもつかむ」ということわざがあり、進行がんの患者さんは、「おぼれる者」にたとえられます。患者さん自身が、「わらにもすがる気持ちで」と、治療を求めてくることもよくあります。でも、「わら」というのは、いくらしがみついても、助けにならないものです。むしろ、それにすがりついて泳ぐのをやめたら、間違いなくおぼれてしまいます。
今の社会や医療は、治らないがんと向き合う患者さんに、おぼれているように思い込ませた上で、「わら」をばらまいているような気がします。「あなたはおぼれています。これにつかまらないと大変なことになります」と言って、「わら」を手渡し、さらにおぼれてしまう患者さんに、次の「わら」を手渡す・・・。世の中には、そんな「わら」を、高いお金で売りつけてお金儲けをしている人たちがいるという悲しい現実もあります。
たしかに、進行がんというのは、激しく荒れた波ですが、どんな荒波の中でも、人は自分の力で泳ぐことができます。おぼれていると思い込ませようとする社会の風潮に惑わされることなく、「わら」という見せかけの希望にすがりつくのでもなく、大海原に広がる「本当の希望」を見渡して、ゆったりと泳げばいいのです。本当の医療は、患者さんが自分のペースで泳ぐのをサポートするためにあります。
荒波に直面しても、(1)荒波の中にあってもおぼれているわけではないこと、(2)荒波は大海原の一部にすぎないこと、そして、(3)目の前の「わら」ではなく大海原にこそ本当の希望があること。この3つを思い出して、自分なりの泳ぎ方で大海原を進んでほしいと思います。
(転載終了)※ ※ ※
そう、どんなにこころの強い人だっていつも前向きになれるわけではない。特に体も心も弱っていればどうしても後ろ向きになってしまう。そんな時に、とんでもない高額なサプリメントやら何やらを売りつける輩がいるのは、本当に許し難いというか、人として哀しいことだと思う。
けれど、私たち進行がんの患者は決して溺れているわけではない。そう言って頂けるのはなんと心強いことか。もちろん長い闘病生活になれば、平坦な道ばかりではない。文字通り山あり谷ありである。波が強い時は、何とか浮かんでじっと耐えつつ、少しでも波が治まるのを待ってやり過ごし(立ち泳ぎ?)、静かな海まで自分なりに泳ぐ・・・イメージとしてはとても判りやすいのではないか。
今朝もまた頭が重い。職場へかつらデビューしたが、さすがに若い女性は目ざとく、1人から「髪形変わりましたね。可愛らしく(!?)なって、色も変わって。」とコメントがあった。それでも久々に1日頭が締め付けられる感じ(もちろんゆるゆるで下を向いたらずれてしまったというのでは頂けないから)で、お昼には頭痛が悪化してまたロキソニンの助けを借りた。
息子は、今日は校内成績判定会議でお休み。明日が前期終業式で、私は午後から成績受領の保護者会に出席しなければならない。その後、日曜日までは秋休み。どこにも連れて行ってやれないので、夫が金曜日に休暇をとって、2泊3日で旅行に行くことになっている。
そういえば、ちょうど去年のこのお休みは、私の勤続25周年の休みにひっかけて、5年ぶりにパスポートを使って台湾に旅行したのだった。
あっという間に来月はピンクリボン月間だ。1年なんて本当になんと早いことか。
※ ※ ※(転載開始)
がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~わらにすがるのでなく、自分なりに泳ぐ(2012.9.19)
前々回と前回は、進行がんと前向きに向き合う患者さんを紹介しました。でも、患者さんたちがみんな前向きになれるわけではありません。もともと、患者さんたちの病状や考え方はさまざまであって、病気との向き合い方も千差万別です。
人生を大海原に、病気を荒波にたとえるなら、波に立ち向かって力強く泳いだり、波に身を任せて漂ったり、波に翻弄されたり、波を避けて穏やかな海を探したり、いろんな向き合い方があります。
人生という大海原で何を目指すのか、荒波の中でどう泳ぐのか、というのは、一人ひとりの「生きざま」であって、医療が立ち入るべきものではありません。ただ、医療者の一人として、がんを抱える患者さんに、きちんと伝えておきたいメッセージがあります。それは、「あなたはけっしておぼれているわけではない」ということです。
「おぼれる者はわらをもつかむ」ということわざがあり、進行がんの患者さんは、「おぼれる者」にたとえられます。患者さん自身が、「わらにもすがる気持ちで」と、治療を求めてくることもよくあります。でも、「わら」というのは、いくらしがみついても、助けにならないものです。むしろ、それにすがりついて泳ぐのをやめたら、間違いなくおぼれてしまいます。
今の社会や医療は、治らないがんと向き合う患者さんに、おぼれているように思い込ませた上で、「わら」をばらまいているような気がします。「あなたはおぼれています。これにつかまらないと大変なことになります」と言って、「わら」を手渡し、さらにおぼれてしまう患者さんに、次の「わら」を手渡す・・・。世の中には、そんな「わら」を、高いお金で売りつけてお金儲けをしている人たちがいるという悲しい現実もあります。
たしかに、進行がんというのは、激しく荒れた波ですが、どんな荒波の中でも、人は自分の力で泳ぐことができます。おぼれていると思い込ませようとする社会の風潮に惑わされることなく、「わら」という見せかけの希望にすがりつくのでもなく、大海原に広がる「本当の希望」を見渡して、ゆったりと泳げばいいのです。本当の医療は、患者さんが自分のペースで泳ぐのをサポートするためにあります。
荒波に直面しても、(1)荒波の中にあってもおぼれているわけではないこと、(2)荒波は大海原の一部にすぎないこと、そして、(3)目の前の「わら」ではなく大海原にこそ本当の希望があること。この3つを思い出して、自分なりの泳ぎ方で大海原を進んでほしいと思います。
(転載終了)※ ※ ※
そう、どんなにこころの強い人だっていつも前向きになれるわけではない。特に体も心も弱っていればどうしても後ろ向きになってしまう。そんな時に、とんでもない高額なサプリメントやら何やらを売りつける輩がいるのは、本当に許し難いというか、人として哀しいことだと思う。
けれど、私たち進行がんの患者は決して溺れているわけではない。そう言って頂けるのはなんと心強いことか。もちろん長い闘病生活になれば、平坦な道ばかりではない。文字通り山あり谷ありである。波が強い時は、何とか浮かんでじっと耐えつつ、少しでも波が治まるのを待ってやり過ごし(立ち泳ぎ?)、静かな海まで自分なりに泳ぐ・・・イメージとしてはとても判りやすいのではないか。
今朝もまた頭が重い。職場へかつらデビューしたが、さすがに若い女性は目ざとく、1人から「髪形変わりましたね。可愛らしく(!?)なって、色も変わって。」とコメントがあった。それでも久々に1日頭が締め付けられる感じ(もちろんゆるゆるで下を向いたらずれてしまったというのでは頂けないから)で、お昼には頭痛が悪化してまたロキソニンの助けを借りた。
息子は、今日は校内成績判定会議でお休み。明日が前期終業式で、私は午後から成績受領の保護者会に出席しなければならない。その後、日曜日までは秋休み。どこにも連れて行ってやれないので、夫が金曜日に休暇をとって、2泊3日で旅行に行くことになっている。
そういえば、ちょうど去年のこのお休みは、私の勤続25周年の休みにひっかけて、5年ぶりにパスポートを使って台湾に旅行したのだった。
あっという間に来月はピンクリボン月間だ。1年なんて本当になんと早いことか。