「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

照度@鎌倉七里ガ浜+八ヶ岳西麓(1) カフェ・アンティーブ

2009-02-28 09:11:37 | 内装・インテリア
「アイルランドから女性ザッチャーがやってきた」(文芸社)という本がある。八ヶ岳南麓の喫茶(コーヒー)店オーナー、守屋良介さんの著書だ。八ヶ岳山麓にちょっと変わった建物を建てるという話で、八ヶ岳好き、建物好きな人には面白い本である。そうした内容の本であるにもかかわらず、著者本人は建築にはまったく詳しくなさそうで、良く言うと相当個性的で凝り性な、悪く言うとビジネス・マナー的には常識を欠いていそうなビルダーに建築のプロセスにおいて振り回されっぱなしで、よく最後までたどり着けたなあという感じである。そこが読み手には非常に面白おかしいのだが。



このストーリーの最大のポイントは、ザッチャー(萱葺き職人。英語でThatcher。一般的にはカタカナ表記をするなら「サッチャー」であろうが、この本ではそれなりに理由があって上記タイトルの如く「ザッチャー」としている)がアイルランドから山梨県までやって来ることである。私もそんなのは初めて聞いた。萱を手に入れるのに苦労したり、工事が遅れに遅れたり、地下室に水がたまったりといろいろ大変なことが起きる。話はそれるが、八ヶ岳山麓に家を建てて地下室を造ったら水が出て大騒ぎ、というのはよくある話だ。冬の地面の凍結に合わせ基礎工事は地下1m以上深く掘って行うことはざらで、「それならいっそのこと」と地下室を造ってしまう人も多いのだが、あとで困る場合もあるので要注意である。とりわけ南麓は「●●沢」「■■泉」なんて名前の集落だらけの地域で、水が出やすい。

紹介しておいて変な言い方になるが、私がこの本に興味を持ったのはそうしたストーリーによるのではない。本やウェブサイトで拝見した限りでは、この建物はかなり採光を絞っているように見受けられたことに、私は関心を抱いたのである。ここまで採光を絞っている建物はこのお店を除けば、遊園地のお化け屋敷か私の七里ガ浜の自宅あるいは八ヶ岳西麓の山荘くらいか、という同輩をみつけた喜びでもあった。



私の場合採光を絞ること自体、つまり部屋の中をやたら明るくしないということが建物に求める条件でもあったし、それ以外の建物に関する条件、つまり通風や雨対策を詰めて行った結果として採光が絞られたということもあった。しかし採光を絞った建物、つまり屋内が暗い家はどうも一般的に受けが良くないらしいということを悟るにつけ、私にとってこの本は「やっと見つけた稀有な同好の士による著書」という気がしたのである。

2枚目の画像は自宅にある壁つけの照明器具である。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徒歩でカニを食べに行く カニ・カニ・カニ!@甲羅鎌倉店

2009-02-22 14:38:43 | 
先週テレビでグルメ番組を見ていたらカニ料理が美味そうに見えた。そこで今日はカニを食べに行くことにした。都内の高級カニ料理店は敬遠し、どこか近場で安くカニを食べられないかと探すと・・・あったあった、カニ料理チェーンの甲羅鎌倉店が市内坂ノ下でオーシャンビューが楽しめる鎌倉パークホテルの中で営業している。

七里ガ浜の自宅から甲羅鎌倉店への行き方は簡単だ。まずはまっすぐ七里ガ浜の海岸まで降りる。そのあとは海岸線を東(由比ヶ浜方面)に向かいどんどん歩くだけだ。下画像の左側は稲村ケ崎。それを過ぎればもう由比ヶ浜の西端である。右の画像はその防潮堤。真向かいに逗子マリーナが見える。手前、防潮堤の上に乗っかっているのはコンブ。昨日、一昨日と波が荒く波の先端はこの防潮堤を上回ることがあったが、そんな状態でこのコンブはここにへばりついたのか。

  

鎌倉パークホテルは地味なホテルである。まず国道134号線に向かって間口の狭い土地に建っている。だから道路から見上げた時にホテルの建物がすごく細く狭く見える。次に建物に派手さがない。だから鎌倉市民でもその存在を知らない人がいるくらいである。前を通っても、記憶に残らないのである。しかし有名な鎌倉プリンスホテルに比較すれば鎌倉中心部寄りであり、少しは周囲に見るところもあるし、極楽寺や長谷寺にも歩いて行ける。一方集客力のある鎌倉プリンスは周囲にほとんど何もない。

鎌倉パークホテル所在地: 鎌倉市坂ノ下33-6

下の画像のうち左と真ん中は鎌倉パークホテル。右が甲羅鎌倉店である。

    

自宅から徒歩で30分歩いたので、ビールがおいしい。ビール飲みながらカニ三昧。カニだけを専門に食べに行ったのは初めてだ。カニ料理をあれやこれや、ムシャムシャと食べ続けた。適度にお腹がいっぱいになり、ランチが終了。

    

帰りもまた徒歩である。ちょうど七里ガ浜のフリマにぶつかった。何も買うものはなかったが、歩いているだけで楽しい。気温は低いが日差しはキラキラと眩しく、春の雰囲気が十分楽しめた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インド的スパイスの饗宴@七里ガ浜

2009-02-22 10:09:16 | 食べ物・飲み物
本を買った。タイトルは「はじめてのインド料理」(文化出版局)である。在日のインド人ミラ・メータさんが、日本人が持つインド料理のイメージを正しく修正しようと思い立ち書いた本である。確かに書店で売られる日本語のインド料理本は、多くの場合著者が日本人であり、かつ内容がカレーに限定されてしまっている。その点この本ではメータさんが野菜料理、ご飯、飲み物、ヨーグルトまで紹介していて、その思いが伝わってくる本だ。



そう言いつつ私は野菜料理などのページを見ない。とにかくキーマ・カレーに関心があるのだ。この本のレシピに従い、キーマ・カレーをつくるのである。我が家のスパイスはビニール袋ZIP LOCKに入れられ、さらに積水化学社製の密閉容器に厳重に保管されている。その容器のふたを開けると・・・おぉ~家の中がインド料理レストランと化す。たまらない香りだ。食欲が刺激され、口や喉や胃の中までを唾液が流れ落ちそうである。



カレーというとものすごい数のスパイスを調合することが多いが、この本のレシピは至ってシンプルである。スパイス類は以下のものだけ:
●シナモンスティック
●ベイリーフ
●ターメリック
●コリアンパウダー
●クミンパウダー
●レッドチリパウダー
全部で6つだけ。素晴らしい!楽だ!



スパイスのパウダーはいつも美しい。どうしてでしょうね?アッと言う間に出来上がり。米はタイ米である。サフランを使ったライスってご飯の甘みを出すために塩を入れて炊くのだ、ということをこの本で私は初めて知った。さっそく試してみたが、とてもおいしく炊きあがった。



本来ならマトンでも使いたいが、入手にやや難があり、これは豚ひき肉のキーマ・カレーである。いつものことだが、ちょっと味に深みが足りない。レシピどおりに作ってもいつも私はこうなるのだ。そこでマギーブイヨン、バター、マーマレードを投入。まあまあの味になったところで試食会開始。妻にも好評であった。



お伴のワインは豪州産ピーター・レーマン社のクランシー2005年。誰もがおいしいと思う味だろう。甘みすら感じる上品な赤ワインだ。シラーズ、カベルネ・ソービニヨン、メルローを主な構成種とするブレンドである。昔はシラーズの配分がすごく多かったが、2005年のクランシーでは34%ほどらしい。オーストラリアのシラーズなど飲み慣れない人にも、とても親しみやすい仕上がりになっている。もちろんキーマ・カレーにも合う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西武七里ガ浜住宅地内にも緩やかに弧を描く道路があるにはあるが

2009-02-21 09:17:14 | 環境・土地
ここ20~30年に開発された大規模分譲地は徐々にその手法に改善がみられ、景観をよく考えてマスタープランが作られるようになって来た。一方我が住宅街のつくりはハッキリ申し上げて悪い。戦後になって土地の買収を進め、昭和30年代に大土木工事を敢行してこの住宅街は造成された。当時「七里ガ浜の高台は跡形もない」との批判があったが、それをものともせず山をズタズタに切り崩して開発したわけだから、それならいっそのこと、もっときれいに道路や並木や歩道を整備し、家の並び方を考えてつくれば良さそうなものだったのに。



住宅街内の道路は直線ばかりだ。七高通り(鎌倉プリンスホテル前の通り)ですら、ご覧のとおり直線である。坂道になっていて、上と下ではものすごい高低差がある場所なのだが、それを単純に直線で結んでしまっている。しかも下は踏切である。踏切の下は国道134号線だ。さらにその向うは海なのだが、それらに向かって住宅街から一気に突き刺さる感じで降りる。エンジンブレーキを効かせてクルマで降りる時など、若干危険を感じる。私が当時の開発担当者なら、もっとこの坂道をグニャグニャと曲げたデザインにして勾配を緩くしたことだろう。

話は変わる。英国ではロンドン市内だって地方都市だって田舎の村だって、緩やかに道が曲がっているところが多い。まれに英国で「やたらまっすぐな道だなぁ」と思って地図を調べると、たいていは昔ローマ人が作った道である。武田信玄の「棒道」と同じで、軍事が優先すると道は直線化するようである。我が住宅街の開発担当者も軍人並みの発想をしていたのであろうか。誠に残念なことである。

英国の開発分譲地のマスタープランが下の画像である。Welwyn Garden Cityと呼ばれる街だ。英国では19世紀の終わりから、こうした新興分譲地が開発されて来た。Welwyn Garden Cityは比較的新しいところで、1920年に完工したらしい。画像が小さいのでわかりにくいかもしれないが、よくウネウネと道を曲げてある。道を曲げることにより緩やかに閉じた空間を演出し、近隣の小さなコミュニティーとしての一体感、安心感、静寂を演出する。またそこを歩く人の視線の先を常に住宅が受けるように出来るし、道路を歩く人の視界に連続的に新しい光景が現れ変化が楽しめる仕組みになっている。



Welwyn Graden Cityに代表される開発地の概念は日本でも昔から知られていたらしく、あの田園調布が開発されるにあたり、いろいろと参考にされたらしい。Garden Cityという言葉は「庭園都市」と訳してはピンと来ないと思われたらしく、「田園都市」という訳語が定着する。田園調布や田園都市線の「田園」がそれである。Welwyn Garden Cityには私も一度行ったことがあるが、とても美しくプランニングされていた。広い車道や歩道が完備され、醜悪な電柱や電線はない。

日本の住宅街では建物のデザインと建物の道路からの距離の取り方を見ると、磁石などなくとも方角がわかってしまう。同じ道路を挟んだ北側と南側で、建物の建て方(建物のデザイン、道路・建物間の距離)が一変するからだ。しかし彼の国ではWelwyn Garden Cityに限らず、方角とは無関係に必ず道路の方向に建物が最も美しく見えるように建てられているし、かつ方角とは無関係に各戸が道路までに一律の距離を設けて綺麗に並ぶ。状況に拘わらず南側は余裕があるが北側は境界線ギリギリに建物が迫りがちで、例え道路に面していても建物の北側のデザインはなおざりにされがち、という日本のような事態は見られないのだ。



話をもとに戻す。我が住宅街にも数は少ないが緩やかなカーブがある。上の画像は七小通りである。道路は2車線で両側に歩道もあり並木まであって穏やかに右に湾曲している。この住宅街の中ではかなり外見の良い通りである。今のところ、この通りに沿って目立った敷地分割等住民協定破りは見られない。昨年度から持ち越された住民協定あるいは地区計画の問題は今年度も大きく進展はしていない。アンケートが実施されたが、その回答率は低く回収が遅れ、自治会からは結果の報告も未だないまま今年度もまた終了しようとしている。この七小通り沿いの区画で敷地分割による売買が行われた場合、その位置によってはクルマ等の出入りのために並木を切るという事態もありうるのだろうか。そうなったら、いよいよ終わりという感じがする。

私は協定を尊重したいと考えているし、地区計画が制定されるとするならそれに賛成する。アンケートにも長々とそうした意見を書いた。私の長文を受け取った自治会理事は困惑されたかもしれない。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七里ガ浜は初夏?

2009-02-15 11:29:31 | 環境・土地
  

昨日は風も強く七里ガ浜は大きな波に洗われた。気温は20度を超え、七里ガ浜の海岸は半袖を着て歩いている人も多かった。静岡など25度を超えたらしい。今日は気温が少し落ち着いたが、海はまだ少々荒れ気味。海岸は朝からサーファーがいっぱだ。

最近海岸整備のための工事車輌が砂浜をウロウロしている。砂浜上で砂を掘り運ぶためのもので、車輌と言ってもキャタピラのついたトラックやショベルカーである。サンダーバードのようだ。全部で4台あるが、「初号機」「零号機」などと名前がついているが、不思議な名前である。初号と零号では、どちらが先なのだろう。「1号機」と呼ぶと次は「2号機」になってしまうが、それでは本当にサンダーバードになってしまうため、それを避けたかったからか??などといろいろ考え込んでしまうネーミングだ。

  

桜はもうスタンバイしている。花のプロムナード途中の西友七里ガ浜店前の桜の芽はまだ固いがかなり大きくなっている(左)。住宅の間を抜ける緑のプロムナードにある桜も、もうぱんぱんに膨らんでいた(右)。あと数週間で「桜はまだかいな」の大合唱になるだろう。



西武園芸七里ガ浜店では、只今土や肥料をセール中だ。「芝生の目土ってそろそろやってもいいの?」と私が聞くと店長が「どんどんやりなはれ」と言うので、目土と肥料を買って来た。さらに店長が「お宅はカタバミがはびこって来ているから、抜いてそのあとこれをやるといいよ」と教えてくれた薬も買った。午前中雑草抜きをやったので、腰がかなり痛い。あぁ~雑草抜きと除草剤撒きと芝刈りに明け暮れる恐ろしい季節が到来することを予感させる今日の日差し。私は憂鬱である。ただでさえ蒸し暑いのは苦手だ。

休憩休憩。お昼は久しぶりにハンバーグである。妻のレパートリーのひとつで、最大のポイントは、焼いたあとで最後にこってりしたソースの中で軽く煮込むように仕上げるところだ。赤ワインの出番である。ソースに入れて自分も飲む。

追記:

これがそのハンバーグと赤ワイン。ワインは豪州産ピーターレーマンのシラーズ2005である。濃い味の食事ならたいてい合う。シチュー、焼き肉、餃子、カレー。なんでも大丈夫だ。料理に負けないだけの強さがあり果実味がムンムンで、コストパフォーマンスが高い。

  
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真冬に八ヶ岳西麓の山荘にこもる(5) 斧論( III ) マジック斧を買うことに決める

2009-02-14 14:15:19 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
いきなり「斧論( III )」って何のこと?、と疑問に思われるかもしれない。私はこのブログで1カ月少し前に斧論( I )と( II )を書いたので、その続きとして( III )を書いているのである。いつものことながら( I )と( II )では大したことを書いたわけではない。要点はこんな感じだ:

●斧を使うからには太い丸太を割るのであろう。細い薪を手斧でさらに細く割るのとはスケールが違う。どんな木でも幹の太い部分になると、直径が30cmを超えるものがザラである。
●斧の破壊力は、価格でもデザインでも刃の鋭さですらなく、刃の
①厚み と ②重さ
でほとんど決まってしまう。
●私の斧は通常の斧の中では刃が相当厚く、相当重い。
●そんな私の斧をもってしても、太く癖のある直径30cmもありそうな丸太は簡単には割れない。
●割れない丸太を普通の斧で無理やり割ろうとすると、斧は丸太に刺さるか、あるいは跳ね返される。丸太に刺さった場合、それをギシギシと無理やり抜き取ることを続けていると、斧の刃の部分と木部の柄の間に徐々にきしみが生じ、やがて分離する。また柄の部分は木製であるがゆえ年月とともに痩せるため、タダでさえきしみが生じやすい。
●したがって世の中のほとんどの斧はその華奢さゆえに、使用途中で早く自壊しているのではないかと推論する。
●それはいきなり刃の部分が柄から抜け出るという、非常に危険な状況につながるのではないかと懸念する。

  

上の画像は私の斧の刃をそのすぐ近くで撮影したものだ。使い古されそれなりに貫禄が出始めている。ヴァーモンター社のスプリッティング・ハンマーと呼ばれる商品で、鋼鉄の刃の部分が3kgの重さがあり、破壊力は抜群である。一方下の画像は柄の部分で、メーカーや商品名、刃の重さが書いてある。立派な斧である。しかしそれでも割れない、あるいは割れるけれどもやたら割るのに時間を要する薪材が時々ある。そしてそのような状況で無理をすれば、斧の寿命は短くなってしまうのである。



斧論( I )( II )ではそうしたことを書き連ね、さらにその解決策として刃が分厚くやたら重く、かつこれが重要なポイントだが、刃と柄が一体となった全体が鉄製のマジック斧の利用(あるいはクサビとハンマーの併用)を考えたいとブログに書いたらtakakeさんという人がこのようなコメントを書いてくださった(以下引用):

 マジッ初めまして、話題のマジックアックスのみを使用して薪割りをしている者です。
 理由は2つあります。

 1.原木をただで頂いてきているため、節だらけの難物が多く、通常の斧だけでは食い込むのみでまず割れない。マジックアックスだと引き裂くように食い込み割れてくれる。
 2.クサビを使うにも通常の斧では、打ち込むだけのスキマができないが、このマジックアックスの刃角は約30°でクサビを打ち込む十分なスキマが確保できる。

 確かに重いですが、最上段に持ち上げれば、力を入れて振り下ろすまでもなく、楢、椚などはその自重でパカッと割れてくれます。(欅などは力を入れて振り下ろさないと割れませんが)
 実用性を重視すれば、こんな重宝な斧はないと思います。(引用終わり)
 


私はクサビについてはまったく知識がなかったので、いろいろと調べてみた。いろいろなクサビがあることを初めて知ったが、分厚い刃を持つ私の斧でさえ割れない薪を割るには、相当なサイズのクサビが必要であると思われる。私の好みとしては巨大なクサビを使うよりも、マジック斧でガンガン割った方が楽しいと考えた。そこで次のシーズンはマジック斧(下の画像)を買おうと考えている。ついに決心した。takakeさん、有難うございます。



薪割り斧について我々薪ストーブ愛好家はあれこれ議論をする。しかしどんな斧も、ここで扱った問題の前には、結局は大同小異であると言える。微妙な作りの違いや芸術性を議論するなら斧は好きなものを選べば良い。しかしその代償としてクサビとハンマーを購入するか、あるいはマジック斧のお世話にならざるを得ないと結論するのがこの斧論( III )である。私の場合、斧がハンマーの代わりも務めてくれるのでクサビを買えば済むのであるが、どうもそれはやっかいなことらしいので、それをしないでマジック斧のお世話になることにしたのだ。来シーズンからは斧の二刀流である。

マジック斧が重いと言うのは本当ではあるが、ゆるゆると持ち上げればあとは落とすだけである。落とすことに力は必要が無い。私はその重さを恐れていたのだが、実はそれほど肉体的負担もないということが、最近わかったのである。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真冬に八ヶ岳西麓の山荘にこもる(4) 薪ストーブの出力と大きさについて考え込む

2009-02-11 09:44:25 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
我が山荘の近隣にある建物の多くは個室もいくつかはありそうで、たいていは1、2階合計面積で30坪くらいはあろうかというモノだ。その点我が山荘は小さい。1階部分は「芯・芯」で東西に8.2メートル、南北に6メートルの長方形をしている。つまり1階の室内面積は50平米(15坪)もないのだ。そこにキッチン、階段、洗面所、トイレ、バスが詰め込まれている。薪ストーブ設置場所もかなりの面積をとる。2階というかロフトは1階面積の半分くらいであり、床を張って手すりをつけてただけで、1階から見上げれば吹き抜け部分も多く、その上の天井は屋根の勾配がそのまま見える仕掛けになっている。小さな山荘によくあるパターンで、実に単純な間取りだ。



上の画像は昨年まで使っていた薪ストーブである。ハノーヴァー(ドイツ)にあるメーカー製で、非常に背の高いストーブだった。いかにも「生活道具」といった風情でデザインがとても気に入っていた。背が高いので長い薪も問題なく入った。火力も十分だった。しかしながら正直申し上げて火の調整があまり巧妙に出来なかった(だからついに買い換えたわけだ)。



次の画像にあるのが、現在の薪ストーブである。ヴァーモント・キャスティングズ社のアンコール・エヴァバーン。最大出力は10,000kcal/hrだ。玉切りされて運び込まれて来る薪材で、よくある長さ40cmのモノが問題なく入る。50cm以上の長い薪だと取り扱いに困るだろうが、そんなモノはほとんど存在しない。以下は事実の整理である:

●我が山荘は小さいとは言え、吹き抜け部分も大きく(天井付近にたまる暖気を下に下げるためのファンはある)寒冷地に建つことから、暖房をひとつの薪ストーブでまかなおうとすると、最大出力が10,000kcalくらいは必要であることは、経験からわかっている。
●薪は40cmくらいの長さで切り出されるものが多い。私が薪を買っている業者さんが運び込んで来る薪材もそうだ。
●出力とサイズの2点から言ってこのアンコール・エヴァバーンは我が山荘に向く。
●別荘地で周囲を見渡すと、我が山荘は相対的にかなり小さい。近隣の別荘はウチよりは大きく、外観からして我が山荘同様、リビング・ルームの上あたりは吹き抜けになっていると想像される。かつ個室やなんやら仕切りも、ウチよりは多いだろう。
●アンコール・エヴァバーンはヴァーモント・キャスティングズ社がつくる数多い薪ストーブの中で、サイズ的には2番目に大きいモデルである。これより外形の大きなモデルはデファイアントだけだが、それを買う人は稀であると聞く。北欧製のストーブになるとかなり小さいモデルが多い。

私の疑問その①:
我が山荘より大きく吹き抜けもありかつ複雑に仕切られた山荘を所有されるオーナーの内、薪ストーブを愛好される方々は、いったいどのような薪ストーブをお選びで、どのような使い方をされているのだろうか。暖房性能的に薪ストーブ1つで事足りているのだろうか。よく「薪ストーブ1つでポッカポカ」と言うが、本当なのだろうか。間伐された丸太をタダで仕入れ、自分でトラックで運んでチェーンソーと斧で薪に仕上げるという強者は除き、普通の別荘オーナーは薪をお金で入手する。そうだとすると燃料コストとしては薪は安くない。薪を燃やし、それで足りないからと灯油のFFヒーターも同時に使うというのは、ケチな私には心休まらない行為である。



私の疑問その②:
多くの薪ストーブが我が山荘のそれよりも小さいとすると、普通サイズの長さ40cmの薪でも、あるいはそれを超えるモノも散見されることから、山荘のオーナーは薪を使うのに苦労されているのではないか。全部チェーンソーで切るのだろうか。しかしチェーンソーを使って薪材を切っている人を、我が別荘地ではあまり見かけない。また最近雑誌で薪ストーブを使った料理が紹介されているのをよく見かけるが、炉内のサイズは十分なのだろうか。ストーブの天板に載せて鍋料理をするなら問題ないだろうが、それならコンロと同じである。薪ストーブ・クッキングと言えば、やはり炉内を使うモノを指すのが一般的だ。一番下の画像のようにピザを焼こうとすると、直径25cmという鋳鉄製スキレットがギリギリ入るというのがアンコール・エヴァバーンのサイズなのである。



山荘オーナーとしては私は近隣に対して極めて付き合いの悪い方で、ほとんど他所のお宅に上がりこんだことがない (いつも山荘での滞在時間が短いため、買い物して生活用品や食べ物を買い揃えるのと1日2回の犬の長い散歩で精一杯であり、その上近所づきあいしていては自分がゆっくりする時間がなくなるのである)。したがって他人の薪ストーブ事情をよく存じ上げていないため、以前からこの疑問①と②を抱えている。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真冬に八ヶ岳西麓の山荘にこもる(3) 薪ストーブ着火作業( II )

2009-02-10 23:10:58 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
前回のお話の続きである。

寒い寒いと言いながら、酒を飲みアンコール・エヴァバーンが温まるのを待つ。やがてストーブの鋳鉄が熱くなって来たことが、周囲にもわかるようになる。



ふと温度計を見ると炉内の温度が約300度である。おっといけない、上げ過ぎだ。取扱説明書には「230度ほどになったらダンパーを閉めろ」とある。いつまでも新鮮な空気をどんどんストーブ内に取り入れ、それを外にどんどん吐き出させていると、火はボーボー燃え温度はデタラメに上がってしまう。



上の画像で、左側がダンパー(ストーブの炉内からの空気の出口)の開閉レバー、右側が空気取入口の調節レバーである。ダンパーを閉め、空気取入口の調節レバーを微調整しながら、ストーブ内の温度を適度な水準に保つよう努力する。

これらレバーも、このストーブについて感心させられることのひとつである。正確で変な遊びがなく、かつとても軽いタッチで動くからだ。今まで私が利用したストーブの中では一番良い。この2つのレバーを使えば、火の調整も思いのままである。



今回は着火から1時間半くらいで、0度以下だった室温が20度を越えた。なかなか上出来である。頼もしいストーブだ。



前回滞在時から利用し始めたものに灰取りバケツがある。なかなか便利だ。今まではストーブから灰が出る都度、よく冷ましてからいちいち敷地内に捨てていた。ブリキの灰取りバケツがあれば、少々熱かろうが少々おき火状態だろうが、そのまま灰取りバケツにポイしてしばらく放置したら灰は冷たくなっている。それをまとめて敷地の隅に捨てれば良いだけだ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真冬に八ヶ岳西麓の山荘にこもる(2) 薪ストーブ着火作業( I )

2009-02-09 08:54:30 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
金曜日の夜、例えば19:30あたりに我々が鎌倉の自宅を出発すると、山荘に到着するのはたいてい23:00頃である。当然ながら冬は相当な寒さである。数週間も利用されていなかった山荘の中の温度は、ほとんど外気温と同じである。まずは補助用の非力な灯油ストーブを点火する。このストーブは、すぐ近くに引き寄せ自分の体を温めるには役立つが、吹き抜けもある山荘でその中の空気全部を暖めるにはまったく役に立たない。



補助ストーブにかろうじて助けられながら、薪ストーブを点火し、それが温まるのを待たねばならない。最初はなかなか火が強くならない。空気を調整したり、着火剤を使ったり、細い焚きつけの木を足したり、なんだかんだと苦労する。時間がかかるので当分寝ることは出来ないのだ。

「そんな面倒で寒いことは止めて、強力な灯油ファン・ヒーターを設置すればよいではないか」と言う人もいるだろうが、薪ストーブ・ユーザーはそれでは面白いくないのである。「寒い、寒い、時間がかかるなぁ・・・」などと言うのも楽しみのうちだ。



ヴァーモント・キャスティングズ社のストーブは良く出来ていると感心する。私の薪ストーブ歴も20年近いものになった。これで3台めのストーブになるのだが、同社の非触媒型ストーブのアンコール・エヴァバーンは非常に賢いと思う。使い勝手が良い。取扱説明書も盛りだくさんの内容で、しつこいくらいにあれこれ書いてある。同社が編集した薪ストーブの分厚い本(翻訳あり)も出版されているが、ほとんど学術書の如くである。

営業方針、経営哲学、カルチャーは会社により異なる。星の数ほどある薪ストーブ・メーカーの中でも、この会社のスタイルは、科学的かつ営業熱心でユーザー・フレンドリーなため日本人好みなのだろう。日本でもよく売れている。



室内がなかなか暖まらないことを理由に酒を飲む。いつもは地元諏訪地方の酒を飲むが、今日は七賢。甲斐駒の麓、白州の酒だ。薪ストーブのそばでそれが温まるのを待ちながら、寒い寒いと言って飲む。だからと言って実は体は温まらない。だからもっと飲む。でも温まらない。一升瓶の中の酒がどんどんなくなる。



ストーブが設置してあるのは山荘東側の壁際である。東側の壁の水平距離はわずか6メートル。この壁を見ながらいつも薪ストーブの火を起こしている。この建物を建ててくれたブレイスの丸山さんは、私の希望が「構造材が組み合わさっているところの面白さを強調したい」ということだったので、この壁面をキレイにデザインしてくれた。わずか6メートルの距離に太い柱を敢えて4本配置し、柱間の距離を2mにしてある。それによりてっぺんの棟木を支える短い柱を2階の上の方で途中から立てるなど、楽しい構造となった。柱と桁あるいは棟木をつなぐブレイスもあちこちにつけてもらった。

構造的にはもっとシンプルなものでも十分はずで、この距離でこの太さの柱なら全部で3本、柱間の距離が3メートルでも大丈夫だったろうが、敢えてデザイン性を狙い、少し複雑に作ってくれたようだ。



そうしたことをいろいろ考えていると、徐々にストーブ内の温度が上昇してくる。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真冬に八ヶ岳西麓の山荘にこもる(1) 気候の変化と別荘オーナーの気持ちの変化

2009-02-08 17:44:45 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
八ヶ岳西麓は原村の山荘に1ヶ月ぶりに行ってみることになった。事前に三井の森の八ヶ岳管理センターに尋ねてみた。「路面の雪の具合はどうですか?」答えは「道路は除雪してあるし、溶けてしまって雪は無し。ところどころ日陰部分に雪が残り、気温上昇時にそれが溶けて流れ、その後気温が低下して固まりツルッとなってるが、たいしたことはない。敷地内もたいして雪はない。でも除雪で雪が道路両端に残って積もっているから、あなたの敷地の駐車場の前は雪の壁が30~40cmほどあるよ」であった。我々は現地に金曜日の23:00あたりに到着する予定だったので、管理事務所に駐車場入口部分の除雪を依頼した。こんな時は「管理センターって便利だなぁ。管理費払っている意味があるなぁ」と実感する。夜中に到着して、寒い暗闇の中で駐車場部分の雪をスコップで掻くなど、誰もやりたいと思わないだろう。



実際到着してみると管理センターの説明のとおりである。上の画像のように、雪は路面にほとんど残っていない。最近は雪が少ないのである。しかしドカ雪が時々あるので、他所から来る我々山荘オーナーにとっては、管理センターは万が一の時の有難い存在だ。

10年前くらいと比較すると確実に気温は上昇している。夏の日の最高気温も若干上がっているが、冬の日の最低気温がデタラメに寒いことが少なくなった。我が山荘の標高は1600mほどだが、10年前はマイナス15度以下の気温もしばしば体験した。今まで私が直接体験した最低気温はマイナス21度(山荘玄関外のL.L.Bean社製外気温測定用温度計による)である。最近はこういう寒さをあまり味わえない。今回も現地の気温はマイナス4~±0度であった。



さらに言えば、積雪も少ない。もともと八ヶ岳西麓は温度が下がっても、雪は少ない所である。しかし10年前にはもっと雪が積もることがあった。別荘地内の道路の左右には除雪され積み上げられた雪の壁が出来たし、その壁が両側から迫り、道路幅が狭くなり、クルマの慎重な運転を迫られたものである。

最近の温暖少雪の状況はなんだかつまらない。また気候の変化を少々気味が悪いと感じてしまう。上の画像は我が山荘の敷地の駐車場部分にクルマを駐車したところだ。管理センターの方が除雪して下さった形跡(キャタピラの跡)が雪に残っている。代々の管理センターのメンバーはとても親切な方ばかりである。



次の画像は敷地内にあるカエデとシラカバだ。かわいそうに、0度以下の気温がほとんどである高地では、木々は冬の間水を吸えない。木の中もカチカチに乾いているはずである。空は濃い青色である。誠に気持ちよい冬の八ヶ岳山麓だ。しかし、それにしても人の気配が感じられない。別荘地に常住している人々を除くと、人の気配があまりなかった。これもまた大きな変化である。10年前なら、多くの別荘オーナーが冬でも家族を連れてやって来たものだ。

以前から人により別荘の使い方が異なり、滞在する頻度も異なったものだ。毎週来る人もいれば、1月に1度の人もいるし、年に2~3度という人もいた。しかし開発から10年ちょっと経ち、皆それぞれに滞在頻度がかなり落ちたり、まったく来なくなったりと変化が見られている。各家庭の事情があるのだろう。小さかった子供が受験シーズンに入ったり、自分自身あるいは家族の関心が変化したりして、別荘に来ようという気になる、あるいは来ることが可能なオーナーが減ったのである。



私もそうだ。別荘はこれで2軒目である。そしてこの別荘にかつては2週間に1度のペースで通っていたが、今はそれがおおよそ1月に1度である。

別荘も建てるまでは誰もがいろいろと考える。中には将来永住しようとして、土地を買うのにあれこれ悩み、様々なプランを立てる人も多い。しかしながら別荘竣工後わずかな年月で、多くの別荘オーナーの気持ちや事情に相当大きな変化が生まれてしまうのである。オーナーが来なくなりやがて売却される別荘は多い。中には静かに朽ち果てる別荘もある。永住どころではない。私も含め、皆自分の人生ですら、わずかな先も読めないものなのだ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする