「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

7軒の家(14)八ヶ岳西麓

2007-12-22 16:10:14 | 家の遍歴

長野県諏訪郡原村の標高1600mにある土地を、私は新たな山荘を建てる場所として選んだ。以下が私の土地選びのポイントとなったと思う。

①標高が高いこと
その時点ですでに所有していた一軒目の山荘は、長野県東筑摩郡麻績村の標高1000mあたりにあった。東京に比べれば夏などはるかに快適なのだが、慣れてしまうとそれほど涼しいとも思わないのである。「もっと涼しいのが良い」と思い、八ヶ岳山麓では標高1500mあたりにある土地を数多く見て回った。

②土地の形状、地勢
使いやすさを考え、土地の形が正方形に近くて、あまり起伏のないことを条件とした。真っ平らな土地は面白みがないので嫌だが、傾斜地もあまり好まない。その代わり、すばらしい眺望にあこがれる、ということもなかった。というか、あきらめた。眺望の良いところは傾斜地が多かったのである。

③別荘地の地勢
自分の土地は平らでも、別荘地内にはある程度高低差があることを希望した。その方が私の好みである。周囲の景観に変化が出るのだ。

④別荘地の周りの環境
別荘地だけが森ですぐその周囲は開けた畑や集落、というところはあまり好みではなかった。開けた場所を希望するオーナー予備軍も多いらしいが、私は森が浅いのは嫌で、別荘地もそしてその周囲も森であり、別荘地にアプローチする時も森を抜けて行くようなところを希望した。

⑤大手の開発分譲地
これは意見の分かれるところである。出来ることなら、私も開発分譲地でないところに山荘を持ちたいと思う。ところがただの雑木林や元は畑だったようなところに山荘を建てた場合、すぐ隣に何が出来るかわからないのである。日本では残念ながらいきなり隣接地の木々が伐採されたり、そこが廃棄物置場になったり、あまりにも景観を乱すような建物が建ったり、ミニ開発になったりする可能性がある。長野県の大手分譲地の場合、多くは1000~1200平米という1区画あたりの最小面積規制を設け、分筆も法律的に不可能になっている。建物の高さ、色、面積等についてもいろいろと規制がある。悪い変化、つまりでたらめなものが隣に建ったり、ミニ開発状態になることもないと思われた。また標高が高いところでは、積雪もそれなりにある。除雪サービスは必須で、それにはしっかり管理された別荘地が望ましかった。

⑥所有権の土地
またもやお金の悩みである。当時私にキャッシュはない。あるのは自宅のローンだけだ。八ヶ岳西麓にも安くて大きな賃借権の別荘地分譲が結構あったが、その頃、賃借権の土地では銀行ローンを引き出すことは難しかった。銀行が抵当権を設定出来てローンを貸すことの出来る所有権の分譲地をみつけなければ、現金のない私は土地を買えなかった。所有権であることは、私の場合絶対に必要な条件だったのだ。

とまあ、なんだかんだと条件があった。あれこれ探して見つけたのが大手ディベロッパーの開発による分譲地の一区画である。その土地の形はほぼ正方形で、概ねフラットだった。しかし道路から離れ奥に向かって、ほんのわずかに高くなって行くのも理想的だった。正方形の4辺のうち2辺が道路に面していた。道路はしっかりしたアスファルトのつくりで、側溝も大きなものがついていた。その道路は別荘地の幹線で、とても幅が広かった(2車線)。しかしそこは別荘地の端っこに位置し、訪れる人も少なく非常に静かな環境だった。その土地を初めて訪れた時、6月というのに十分寒くて私の希望に合致(?)し、下界からの隔絶感があって初夏らしくカッコーが鳴いていた。周囲に建っている山荘も皆きれいで、ゆったりと建っているし、別荘地の管理状況も良いように思われた。ということで、あっさりそこに決めてしまった。決めただけで、まだ私のモノではなかったが。先立つものがなかったからだ・・・。
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7軒の家(13)八ヶ岳西麓

2007-12-16 19:47:57 | 家の遍歴

逗子市沼間の新居からも、相変わらず長野県東筑摩郡麻績村のログハウスに通うこととなった。新居完成後間もない1998年6月のこと。私は関東平野の梅雨の蒸し暑さを嫌って、休暇を取りログハウスに避難していた。そこで2冊の本を読んだ。たまたま2冊とも八ヶ岳の山麓に暮らす人達のノンフィクションものだった。

普段は麻績村のログハウスに行くと、もっと北に行きたくなり、北信ばかりをドライブしていた。しかしその2冊の本に影響されて、たまには南下して八ヶ岳に寄ってみようと思いたち、しばし八ヶ岳山麓のドライブを楽しんでみた。行ってみて思った。別荘地としては麻績村よりは八ヶ岳山麓の方が圧倒的に優れていた。日本にあるのは木が鬱蒼と茂る山か、家や工場やビルが立ち並ぶ平地ばかりで、「森」というイメージの場所はほとんどない。麻績村の聖高原は「ただの山」だった。一方、八ヶ岳山麓には「森」があった。八ヶ岳山麓では別荘地の分譲も多かった。バブル経済末期に麻績村の土地を買った頃と比べれば、八ヶ岳山麓でも別荘地の価格は大きく下落して買いやすくなっていた。

そんな実情を知るとすぐに別荘の買い替えを実行したくなるのが、私の性格である。別荘も含め4軒目の家、自宅としては3軒目の家を建てたばかりだと言うのに、早くも別荘の買い替えを決断した。主に蓼科から、清里にかけての西麓、南麓を周って、土地探しを試みた。ここから先はそれぞれの人の好みになるが、私は西麓の原村(長野県諏訪郡原村)の雄大な景色(↑の画像)が気に入った。農家が畑のあぜ道にも花を溢れんばかりに植えているのも気に入った。小さいがしゃれたお店が多いのも良かった。田舎でありながら、典型的な日本の田舎らしくない景色。敢えて言えばどこか欧州カントリーサイドの牧歌的田園風景とも言おうか。そんな原村の景色に惹かれたのである。
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7軒の家(12)逗子市沼間

2007-12-08 11:07:18 | 家の遍歴

先日コメントを下さった青葉さん、「念ずれば通ず」でがんばって下さい。コメント有難うざいました。

さて相模湖の家が売れたので、私は逗子市沼間の家の建築に取り掛かった。近くに仮住まいをしたので、新しい家の工事の進行具合を逐一見ることが出来た。近接するところと工事について若干のトラブルがあったが、まあ、よくあること。なんとか片付いた。いわゆる「輸入住宅」がツーバイフォーの構法で立ち上がって行く。ドアの金具も真鍮でピカピカ。オークの床材がキラキラ輝くように見えた。階段の手すりが描く曲線が優美だ。大量の輸入部材がまばゆかった。床面積もグッと広くなった。家は1997年の暮れに完成した。

建物内外のデザインや配色も凝りに凝った(つもりだった)。しかし竣工後すぐにそれを反省することになった。「良い家にしたい」と力が入り過ぎたのである。「これぞ私の理想の住まいだ」と。だから設計段階であれこれやたらといじってしまう。しかしいじればいじる程、その建築が全体的に統一感をとって成功する確率が低くなるのである。いじり過ぎたことによる失敗。建物の美的完成度を高めるには、シンプリシティーを極めるのが一番楽な道だと悟った。

選んだ住宅地についても少し後になって反省した。ひとつひとつの区画が狭いのである。それは開発されたタイミングが生んだ悲劇とも言える。そこは大手商社が中心的ディベロッパーになり開発して、80年代後半のバブル経済が崩壊する前後に分譲開始された住宅地であった。その頃の地価は非常に高く、ひとつひとつの区画にそんなに大きな面積を与えられなかったのである。初期の建売分譲は、50坪強の土地に35坪ほどの家を建てて1億4000~5000万円ほどで売り出された(今ではそれを5000万円を超えて売りに出そうとすると、売却はあまりスムーズに行かないようだ)。私がそこに土地を買ったのは1996年で、すでに地価は暴落していたが・・・。駐車場が2台分なんて家もあり、加えて必要な、敷地入口から玄関ドアまでのアプローチや階段などを除くと、庭などほとんど望めないのである。「湘南」と呼ぶにはあまりに山奥の、逗子市沼間3丁目の山をスパッと切って作った500戸を上回る開発事業である。今ならおそらく許されない開発であろう。

クルマで住宅地に入るには谷(かなり大きな調整池)を越えるので、長い橋を渡らなければならない。橋げたはものすごい長さである。その橋に何かあると、丘の上の住宅地は孤立する。逗子駅からのバスは夜は便数が少ない。しかも住宅地内にはバスは入らない。バス停からせっせと山を登らないと家には帰れない。丘の上からは周囲の横浜横須賀道路(横横)、逗葉新道、横横のインターチェンジ、横須賀から逗子に抜ける幹線道路(県道)、JR横須賀線等が見える。大きな住宅地の中なのに、どこにいても連続的なクルマの走行音が聞こえる。隣接して巨大な空き地があり、すでに巨大病院が建設されることが決まっているらしい。それが出来れば、住宅地内に入って来るクルマと、その路上駐車も現れ、住民にとってかなりのストレスになろう。

山の上の起伏をならした土地である。場所によってはかなりの高低差があった。垂直に近い擁壁が立ち上がり、階段をどんどん上って入る家も多い。川を堰き止めるダムにも見えるコンクリートの巨大な擁壁。工事も大変で、それだけコストもかかることであろう。しかし地価が高いとそれも価格に含んで十分取引が成立するのである。巨大で垂直な擁壁と、その上の小さな土地。そこに目一杯に建つ家。庭らしき庭はない。擁壁は、小さな家の下でそれを支える巨大なコンクリート要塞の様相だ。私の家もそんな家だった。地価が高いといろいろなことが起こる。地価が高いゆえの悲しい風景だと思った。
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7軒の家(11)相模湖から再び逗子へ

2007-12-01 15:44:00 | 家の遍歴
(画像は再び妻のフラワー・アレンジメント)

ある不動産屋さんにお願いし、相模湖の家を1996年の3月から売り出し始めた。ところが半年経っても売れず、同年の秋になってしまったのである。ほとんど家を見に来る人もいなかった。新しい土地を逗子に買ったと言うのに、相模湖の家が売れないということは、私にとってかなりのストレスになった。

ある日自宅に広告チラシが入った。また別の不動産屋さんの広告だった。「家買い取ります」と書いてあった。その会社に電話して「私の家買ってくれますか」と聞いてみた。状況を話すと担当者は「その家を買い取ることは出来ないが、仲介で絶対売る自信がある」と言った。「じゃあ、売ってみて」とお願いすることになった。

その担当者は言った。「あなたの家の適正価格は●●●●万円。それでいいですね?その価格で売り出し、買い手には値引きを要求させません。土日の2日間オープンハウスを実施します。期間中犬を家に入れないで下さい」 その担当者はかなりしっかりした人で、行動も迅速だった。

さてその日が来た。私は終日犬を連れて出て外で遊んでいた。家から半径5km以内、一部は家から10kmくらいのところまでの、あちらこちらの電柱に「売家!格安!・・・」と書いた看板と張り紙が出た。また新聞折込チラシもかなりのところに配布された。私は少し恥ずかしかった。広告には間取りも印刷されていて、それが看板で公開されるのである。でも近所の人が応援してくれた。

土曜日の午後になると何人もの人が見に来た。そしてなんとその日に見に来たご夫婦が買うことを決めたのだった。

無事に私は相模湖の家を売る契約をし、買った土地と同じ地域、逗子市沼間に借家を手配した。仮住まいである。そこに住みながら、すぐ近くの自分の土地に家が建つのを見守るのである。
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