音楽の喜び フルートとともに

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宇津木の如く

2008-05-22 01:08:58 | Weblog

庭の宇津木が今年も咲いてくれました。白い花しか残らない我が家の庭は北向き。
友人によると、原種は白が多いので、過酷な状況では原種である白が残る確立が高い
そうな…。そう聞くと、数倍けなげで、いとおしい。「ありがとう、我が家で咲いてくれて。」

私の大学のマンドリンオーケストラは、世界コンクールで一位になった名門。
私はその翌年入部しました。初期の頃、K先生の音楽性にほれ込んだを先輩たちが
指導者に頼んで、優勝もその先生おかげといっても過言ではない。
・・・メッチャクチャ厳しかった。合宿で食べる時間とラジオ体操以外はずっと練習。睡眠時間は
3泊4日で4時間。平均ではない。総睡眠時間です。もちろん、練習。練習。
できないと大声で叱られ、指揮棒が飛び、時には宿舎の重いガラスの灰皿が飛んできた。

幻覚を始めてみました。楽譜がふすまを見ても、コップを見ても見えました。
同級生全員見えるといっていました。
私は正直K先生のやり方がいやでいやで仕方なかったです。
でも、音楽は文句なくよかった。今でも、役に立つ。そして、狭いポイント、美しいものを生み出した
時のよろこびと、誇り、仲間への信頼と誇り。それは妥協と、甘えの中では得られない喜びでした。

でも、私は絶対にこんな方法ではないやり方で、私は学んだり、指導したいと思いました。
もっと、民主的で、自主的なやり方があるはず。それこそが音楽にふさわしい。と


K先生は金賞をとり、イタリアミラノの名誉市民を得た、生徒の中からたくさんのプロ級の
人を輩出した。
私はただの町のフルートの先生。並べて見るのは愚か。
でもだからこそ、実験できるのかも。

自分で自分を律することの厳しさ。音楽に対して誠実にあることと、自由な関係では、場自体が崩壊してしまうという危機との微妙なバランスをとるために多大な知力、精力を投入しつづけるのは音楽には
マイナスでは。という考えもよぎるけれど、すぐに振り払って、知恵を使い続けます。

K先生は、恩師であるS先生のことを、「神様のように思っている。」と幼子のような瞳で言っておられた。それだからこそ、学べたともいえるのかも。先生は音楽性を上げるために私たちと契約されました。そのことに誠実でした。そのことは確かにいえます。

学ぶ=真似ぶ 幼子のように疑わずに言われたものをそのままに、受け取る能力が必要だと思います。
やってみる、そして検討する。…検討してから、受け取るんじゃなくって。

その状況を作る方法が怒鳴り声と、絶対的な権威のようなものだっただけで。私たちを追い込み、受け取るしかない。そういう状況を作り続けられた。

この学ぶことに対して厳しく、効率の良い状況を、民主的に、お互いへの尊敬と信頼を捨てることなく。
自分にどう作るか?メンバーと作れるか?生徒さんたちにどう作ってもらうか?

まだまだ悩みつづけます。いつか宇津木ように、たくましく美しい花を咲あちこちで咲かせることを夢見て。