朝、9:00に母を迎えに行って、9:30にK病院へ。
父を転院させる日です。
「会わせたい人があれば、呼んでください。」と言われて1ヶ月。東京で就職した姪まで呼んでお別れするつもりでした。
脳梗塞で脳の右半分は死んでしまいましたが、熱もなく、血圧も安定。
呼べば、目で追いかけます。
急性機医療病院では置いておけないので、リハビリつきの病院へ転院しました。
着替えさせてもらってストレッチャーに乗せられた父は不思議そうに周りを見ているように見えました。
N病院に移動。
父は部屋へ。
私と母は看護師さんから、入院説明、手続き。
「先生の説明は12:30からなので、それまで待って下さい。」
11:30と言うことで、その間に紙オムツ、パッド、おしり拭きを買いに行くことにしました。
しまった。グループホームに買い貯めていたオムツやパッドを全て寄付してしまいました。
ここは細かく指定があります。京田辺の種類がたくさんある大きめのドラッグストアで買いました。
実家に近いので、一旦帰っておにぎりを食べてまた病院へ。
医師の説明を受けました。
もう元には戻らない。
けれど、栄養補充点滴をすれば、いつまでも生きれます。
胃瘻をすれば、老健でも受け入れてもらえます。
でも、口からものを食べられるようになるかもしれない。
ならないかもしれない。
もうひとつは、水だけの点滴をして、むくみが出たらやめて看取る。
先生は、食べられるようになるかどうか、しばらく検査をして見てみたい。ということでした。
寝たきり、言葉は出ないけれど、今の状態は1ヶ月前よりは改善しています。
苦しんだりしている様子はありません。
つまり、死ぬかと思ったのに、死期を選べると言うことです。
延命処置は必要ないと言っていましたが、この状態で、水点滴だけにしてしまうのは、かわいそうに思います。
「その検査をして様子を見るので今は決めなくていいんですね。」
亡くなる前に一週間でも家に連れて帰って、家で看とりたいということだけは伝えて帰宅。
後郵便局で簡保の書類をもらって、もう一度K病院。
オムツも足りないものがあったので買い直して、もう一度N病院へ。
長い1日でした。