電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

詳細な記憶は次第に遠ざかるが

2022年03月11日 06時00分12秒 | Weblog
今日は3月11日。東日本大震災の日です。あの日、私は職場で仕事をしていました。強く長い、尋常でない揺れに驚き、とっさにテレビをつけましたら、震源地は隣県の宮城・福島県沖とニュースが流れ、すぐに停電しました。職員と若干名のお客様の安否確認をし、お客様には「気をつけてお帰りください」とお見送りをして、すぐに被害状況の点検に当たりました。幸いに大きな被害はなく済んだのですが、今後の業務の進め方、とくに不安定な立場にある非正規雇用の人たちの仕事をどうするのか問題になりました。夕方、帰宅して支障がなければ翌日も普段どおりに出勤することと、停電や燃料不足から暖房が止まることが予想されるので、防寒対策をしっかりして来てほしいと話し、最低限の暖房でなんとか本来の業務を継続することができました。私自身は3月末で異動になってしまいましたが、「大変だったけれど仕事を継続できたことがありがたかった」と、ずいぶん感謝されたことを記憶しています。

震災当時の詳細な記憶は、時の経過とともに次第に遠ざかっています。これは年齢的なものと言うよりは、直接的な被災者ではない立場ですから、ある程度やむを得ないことと思います。まして昨今の新型コロナウィルス禍やウクライナ情勢など国際政治の荒波を見ていると、現実への対応に精一杯になってしまいがちです。

でも、例えば我が国のワクチン政策や科学技術政策で、誤った「政治の優位」の意識からなのでしょうか、見当違いの「選択と集中」に走って補助金をカットするなど基礎研究あるいは開発研究を軽視しがち(*1)なように思えてなりませんし、ウクライナで原子力発電所が攻撃の対象となる事態を見ると、地震や津波などの自然災害だけでなく戦争やテロも怖いと感じます。災害に関連した詳細な記憶は次第に遠ざかるものの、本質的に重要な事柄はむしろクリアになってくるような気がします。

(*1): 原子力関係の予算は潤沢に付けてきたのに、国内の某製薬会社のmRNAワクチン開発研究の補助金をカットしたために研究が中止の憂き目に合い、コロナ禍に対抗することができなかった、など。

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