「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県うるま市 ・ 米軍の基地内にある 「 勝連埼灯台 」

2013-10-02 06:17:42 | 沖縄の灯台












勝連埼灯台の向こうに津堅島を望む








灯台は米軍の 「 キャンプ・ホワイトビーチ 」 内に設置されている








海上より灯台と米軍施設を望む







勝連埼灯台の遠望 ( キャンプ・ホワイトビーチ )







ホワイトビーチに停泊しているアメリカの軍艦





灯台表番号 / 7024
国際番号
ふりがな / かつれんさきとうだい
標識名称 / 勝連埼灯台
所在地 / 沖縄県うるま市(勝連埼)
北緯  / 26-17-49 
東経  / 127-54-55
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎6秒に1閃光
光度 / 実効光度 78カンデラ
光達距離 / 5.0海里
地上~頂部の高さ / 10m
平均水面上~灯火の高さ / 61m 
地上~灯火の高さ / 10.41m
業務開始年月日 / 昭和47年5月15日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)



勝連埼灯台は、与勝半島の先端にある岬に突き出た山の上に立つ灯台である。
この場所は米軍施設のキャンプ・ホワイトビーチとなっており、
灯台のある場所には立ち入ることは出来ないが、
こうして平敷屋の集落から遠望ではあるが、その姿を確認することが出来る。
灯台の初点・設置は昭和47年5月15日で、灯質は単閃白光で毎6秒に1閃光となっている。


勝連埼灯台へのアクセス
勝連埼灯台が見える場所は、基地の西側にある平敷屋集落のタキノーから
海側に入った丘の上からよく見える。
また、津堅島行の連絡船 ( 海上 ) からも観ることが出来る。
駐車は、道が行き止まりなので、その場所に駐車した。


沖縄の文化財 『 勝連城跡 』 

2013-10-02 06:16:09 | 沖縄の文化財







勝連城跡
The Ruins of Katsuren Castle

( 世界遺産 )
World Heritade

琉球王国のグスク及び関連遺産群
The Gusuku Sites and Related Propertis of the Kingdom of Ryukyu



指定年月日 : 平成 12 ( 2000 ) 年12月2日 
Designaed Date : December 2,2000
所在地 : 沖縄県うるま市勝連町字南風原赤吹原、同城之下地
Location : Hebaru,Katsuren-cho,Uruma-shi,Okinawa-ken



 勝連城跡は与勝半島の付け根に位置し、小高い丘 ( 標高97m ) を中心に築かれた城である。
中城湾を隔てて護佐丸の居城であった中城城を望む城は、
5つの郭に分かれ、最高所に一の郭があり、二の郭、三の郭、四の郭と東側へ低くなり、
四の郭東側の一段低くなった所に東の郭がある。
二の郭には殿舎跡が、谷地形をなす四の郭には南側に南風原門、
北側に西原門および5つの井戸がある。
伝承によると、茂知附 ( もちづき ) 按司に代わって10代目の城主になった阿麻和利は、
海外と貿易を盛んに行って勢力を拡大したが、1458年に首里王府によって滅ぼされた。


 Katsuren Castle was built on a smsll hill ( approxmately 97meters above sealevel )
located at the base of the Katsuren Peninsula. Nakagusuku Bay from the Katsuren Castle site.
Katsuren Castle consisted of 5 sections and includwd the Haebarumon Gate to the South,
the Nishibarumon Gate to the North, and 5 independent wells for water.
 According to legend, Amawari, the 10th king of the Katsuren domain, expanded the power
of the realm by engaging in prosperous overseas trading. However, the castle fell under the
control of the royal government of Shuri in 1458.



肝高の阿麻和利 『 肝高の詩 』 

2013-10-02 06:14:29 | 音楽 ・ 映画











左、百十踏揚 ( ももとふみあがり ) と右、阿麻和利 ( あまわり )


















「 肝高の詩 」


作詞・作曲 平田大一


此ぬ波ぬ高さや志のゆえ
荒れる運命 ( さだめ ) なれど こぎだしたサバニ

Dream 光る風から Dream 答えをつかめ
Live 島に生まれた Live 意味を知る

古 ( いにしえ ) の偉人 ( おとこ ) よ教えてはくれまいか
何を求め彼方 海を渡るのか

Catch 光る風から Catch 答えをつかめ
Just 島に生まれた Just 意味を知る

生まれたてのこの夢に 翼をひろげ翔ぶ
肝高 ( きむたか ) の城 ( グシク ) 勝連の エイサー舞うが如く
肝高 ( きむたか ) の城 ( グシク ) 勝連の エイサー舞うが如く

此ぬ波ぬ高さや志のゆえ
荒れる運命 ( さだめ ) なれど こぎだしたサバニ

勝連の按司 ( あじ ) のように 疾れ時代 ( とき ) を超えて
民草の城 ( グシク ) 肝高く 獅子ぬ舞うが如く

生まれたてのこの夢に 翼をひろげ翔ぶ
肝高 ( きむたか ) の城 ( グシク ) 勝連の ニセター舞うが如く



沖縄県うるま市の中高生を中心にした”あまわり浪漫の会”による
現代版組踊 「 肝高の阿麻和利 」。
10万人が感動し、泣いた劇は涙なしでは観れない。
勝連、北谷間切屋良村などの固有名詞に、その情景が目に浮かび魂が震えた。

阿麻和利加那は ” 天降り加那 ” とも呼ばれ、地元勝連の人々は尊敬した。
そんな劇の台詞の一部を書いてみる。


勝連のニセター ( 青年 ) 、戦は終わった。
もはや刀や薙刀を振り回す時代ではないのだ。
ところがこの勝連半島は田畑も狭く作物も少ない。
だが、シンカヌチャー ( 仲間たち ) ものは考えようだ。
島が狭いということは、海が広いということだ。
海の向こうには唐があり、ヤマトがある。
世界中に船を走らせ、異国の宝を持ち帰ろうではないか。

勝連は海を走る。
勝連は海に生きる。
勝連は宝の島になる。
肝高の勝連は生まれ変わるのだ。