「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

その後の荒尾競馬場

2013-10-10 00:06:37 | 競馬・ボート



開催当時のままの姿を残す荒尾競馬場のメインスタンド








バックストレッチの向こうには有明海が広がる 「 海の見える競馬場 」







現在も厩舎団地で当時の競馬関係者が暮らしている











先月、四山公園にある 「 三池港灯台 」 に行ったとき、
その眼下に、かつて駿馬が砂塵を上げて快走した荒尾競馬場が見えた。

熊本時代によく荒尾競馬場に足を運んだものである。
想えばアラシやスカイジャイアントの馬主の東 五郎さんと出会ったのもここだった。
誰もいないスタンドで持ち馬の調教を見ていた東さんを紹介してくれたのは、
荒尾競馬場で予想屋をしていた福島さんだった。
東さんからアラシが中日スポーツ賞4ステークスで勝ったら
一緒に口取りをしようと約束していたが、キョウエイボーガンの3着に敗れてしまった。
交流のあった東さんも福島さんも他界されたが、
いろんな思い出が詰まった荒尾競馬場である。


荒尾競馬場(あらおけいばじょう)は熊本県荒尾市にある地方競馬の競馬場で、
2011年12月23日に本場開催が廃止された。
開催時には熊本県と荒尾市で構成される一部事務組合である荒尾競馬組合によって
競馬が開催されていた。

荒尾競馬場は1928年2月20日に開設され、同年3月2日に第1回競馬が開催された。
全体的な競走馬のレベルの低さやダートグレード競走をこれまで一度も開催していない。
その上3連勝式馬券(2007年度から)やインターネットによるレース実況の配信
(2006年度から)などは全国の地方競馬を見渡しても最後発となるなど
現状の荒尾競馬の施策については他の競馬場と比較してやや見劣りする点があった。
このようなことから全国の地方競馬場の中でもかなり地味な存在であり、
売上規模も小さかった。

スタンドは西向きでコースの向こう側は有明海という、
海の見える風光明媚の競馬場として名高かった。
ただしそれだけに夏場の午後の西日は全国の競馬場の中でも最も強烈で
リニューアル以前の競馬場の公式ホームページでは
女性客に対してUV対策の必要があるという趣旨の文面が掲載されていたほどである。
また業務環境の改善のため西日を和らげるべく、
実況席と裁決委員室の窓の一部には青いフィルムが貼られていた。

パドックはダート路面の小振りなもの。真ん中に大きな木(楠)があるのが特徴。
出走掲示板はチョークに手書きであった。
元々フルゲートが10頭だったため、掲示板は10頭分のスペースしか用意されていない。
11頭以上のレースの場合は2頭分の黒板を下に貼り付けて表示した。
誘導馬がおらず、1枠に入った馬が自動的に誘導馬の役割を果たすという特色もあった。
本馬場入場時のBGMは長らく『五木の子守唄』、
『田原坂行進曲』と当地に縁のある曲が使われていた。

内馬場には、野球場があり無料で利用することができた
(ただし競馬開催日、能力検定実施日などは貸し出しをしなかった)。


現在、スタンド内にはJRA専用発売窓口が設置され
JRAのGI競走開催週は当該競走の他、
前日である土曜日に開催される一部の重賞競走も発売される。
なお全レース発売は行われていない。
JRA向けの施設は荒尾場外の通称で呼ばれていたが、
本場開催が廃止された直後の2012年1月よりウインズ荒尾(荒尾競馬場内)に
正式名称が変更されており、2012年以降もJRAの発売は継続される。

また2012年4月2日より地方競馬の場外発売についてはBAOO荒尾として
日本レーシングサービスにより運営され、
佐賀競馬場を中心に全国で行われる地方競馬の馬券が発売される。



『 花とクリムト 』

2013-10-10 00:06:05 | 花・鳥・虫・魚・猫








自分の部屋にクリムトの絵を飾っている。
その絵の横に花を飾っているが、今回は多肉ではなく
ワインの瓶にひょいと差した 「 シュウメイギク 」 である。

シュウメイギク ( 秋明菊 ) はジャパニーズアネモネとも言われ、
キク科ではなくアネモネと同じキンポウゲ科。
もともとは中国原産のシュウメイギクだが、
古い時代に中国から渡来し日本で野生化した多年草である。
その名の通り、花の少なくなる秋にキクに似た爽やかな紅紫色または白色の花を咲かせる。
花は各地で見られるが、特に京都の貴船山に多く自生するため、キブネギク(貴船菊)の別名がある。
その他に、アキボタン ( 秋牡丹 ) としても知られている。


絵を描くことに熱中していた頃、クリムトに興味を持っていた時期がある。

ゼツェッション(ウィーン分離派)最大の画家グスタフ・クリムトが残した傑作 『 接吻 』 。
おそらく画家の最も著名な作品である本作は、
クリムトと恋人であったエミーリエ・フレーゲと最も良い関係であった頃に自身らをモデルにして、
当時タブーとされていた題材である ≪ 接吻 ≫ を主題とし描いた作品で、
1908年にウィーンで開催された総合芸術展 ≪ クンストシャウ ≫ で、
検閲を逃れ発表された本作は熱狂的なまでに大好評を博し、
クンストシャウ終了直後にオーストリア政府に買い上げるという、
国が認めた名作であることのみならず、ファム・ファタル ( 運命の女 ) 思想とエロス的表現を、
クリムト独自の世界観による金箔を使用した、
いわゆる黄金時代期において頂点を成す、最も優れた作品としても広く知られている。

眩いばかりの黄金の中に溶け合う男と女は、非現実的でありながらも、
極めて深い思想と官能性に満ちている。
それは平面的に描かれる男性の纏う衣の装飾 ≪ 四角 ≫ と、
女性の纏う衣の装飾 ≪ 円形 ≫ が補完を意味しているものであり、
同時に男女の間に潜む敵意をも表しているからに他ならない。
また男女が立っている色彩豊かな花の咲く崖が、
愛の絶頂期においても愛や幸せと疑心や不安が紙一重であることを示し、
否が応にも見る者にその先に待つ悲劇を予感させる。

ちなみに、シュウメイギクの花言葉は 「 耐え忍ぶ恋 」 というが、
恋多きクリムトも ” 耐え忍ぶ恋 ” をしたのだろうか?


沖縄県浜比嘉島 「 浜グスク 」

2013-10-10 00:05:28 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



浜グスクの全景







グスク内の状況






わずかに残る石積み






グスク内部には大きな岩がゴロゴロしている






グスク一帯は浜公園になっている












浜グスクの下にある 「 前ヌカー 」






浜グスクからの眺望 ( 浜中学校が見える )




浜グスクは、浜比嘉島の浜集落の東南方向にある
石灰岩の丘陵台地の先端部に構築されたグスクであり、
別名「イリグスク」とも呼ばれ、グスクは天然の要塞となる崖がめぐり、
北側には野面積みの石垣があり、南東側から中央にかけて自然石がゴロゴロしている。
グスク内は南北とでは、約2mの落差があり、二つの郭からなっている。
また、グスク裏には亀甲墓がある。

浜グスクへのアクセス
浜グスクへは、与勝半島から海中道路を通り、平安座島から浜比嘉大橋を渡って右へ行き、
浜集落の東南方面になる。浜中学校の裏にあたる。
駐車は、公園入り口の道沿いの邪魔にならないところに停めて行ける。
これは余談であるが、浜公園前の 「 むにー亭 」 のランチはお薦めである。
12:00~15:00 、18:00~21:00 (火)・第3日曜定休