「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県浜比嘉島 「 金武中城港浜地区防波堤灯台 」

2013-10-07 00:05:44 | 沖縄の灯台







































浜地区の漁港







灯台下から見える 「 浜比嘉大橋 」





灯台表番号 / 7019.5
ふりがな / きんなかぐすくこうはまちくぼうはていとうだい
標識名称 / 金武中城港浜地区防波堤灯台
所在地 / 沖縄県金武中城港(浜地区防波堤外端)
北緯  / 26-19-45
東経  / 127-57-06 
塗色 / 白色
灯質 / 単閃緑光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度 78カンデラ
光達距離 / 5.0海里
地上~頂部の高さ / 5.6m
平均水面上~灯火の高さ / 7.5m
地上~灯火の高さ / 5.35m
業務開始年月日 / 平成3年1月21日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)



金武中城港浜地区防波堤灯台は、浜比嘉島にある浜港の防波堤に設置された灯台である。
灯台自体は大きくないが与勝半島周辺で漁をする船を安全に導くために設置された灯台であるが、
最近は海中道路や浜比嘉大橋の架橋によって、昔ほど船を利用することも無くなったという。
そんな島民や集落を守り続ける灯台である。

金武中城港浜地区防波堤灯台へのアクセス
金武中城港浜地区防波堤灯台へは、うるま市の与勝半島から海中道路で平安名島に渡り、
そこから浜比嘉大橋で浜比嘉島に渡って、すぐに右に曲がった公園から出た防波堤に灯台がある。
駐車は、公園の無料駐車場が利用できる。



福岡県みやこ町豊津  『 「 竜ヶ鼻 」 と 「 原 」 』 葉山嘉樹文学碑

2013-10-07 00:03:26 | 文学・文化・映画作品




















葉山嘉樹は、明治27(1894)年豊津村(現みやこ町)で生まれる。
大正2(1913)年3月、福岡県立豊津中学校(現育徳館高等学校)を卒業、
早稲田大学高等予科に進学するが、学費未納により除籍。
その後、名古屋に行き新聞記者をしながら、名古屋労働者協会に加入、各種労働争議を指導した。
 大正12(1923)年名古屋共産党事件で検挙、投獄され、
その獄中で自己の労働運動体験を作品化し、「海に生くる人々」などを書き上げた。

 昭和20(1945)年6月、満州開拓団の一員として中国大陸に渡り、
同年10月引き上げ列車の中で病没した。

 葉山嘉樹は、日本の代表的なプロレタリア作家である。
「淫売婦」「セメント樽の中の手紙」で衝撃的な文壇デビューを飾り、
代表作の「海に生くる人々」は、プロレタリア文学に芸術的な完成をもたらしたと
高く評価されている。
しかし、戦時体制の進行とともに、プロレタリア文学の自由な発表が出来なくなり、
生活は困窮していった。
 昭和9(1934)年、ついに東京での作家生活が維持出来ず、
長野県天竜渓谷の鉄道工事現場に赴く。
二度と東京に戻ることなく、信州や木曾の山村で生活苦と戦いながら後期の作品を書き残した。
昭和52(1977)年、八景山自然公園中腹の文学碑公園に文学碑が建立された。


主な著書

『海に生くる人々』  『誰が殺したか』
『屋根のないバラック』  『セメント樽の中の手紙』
『淫売婦』  『死屍を食う男』
『凡父子』  など

★赤色の文字の著書・・・豊津を取材した小説。豊津関連の郷土作品。





「 凱旋門賞 」 日本馬健闘およばず2着と4着に

2013-10-07 00:02:14 | 競馬・ボート



各馬一団で直線を向いてこれから追い比べが始まる







2着をかけて内のアンテロと叩き合うオルフェーヴル







またもや2着に終わったオルフェーヴル







4着だったが一瞬見せ場を作ったキズナ




また2着だったオルフェーヴル。
日本のホースマンの夢であり、念願である優勝を目指した凱旋門賞への挑戦だった。
これまでエルコンドルパサーやディープインパクトなどの日本馬が挑戦して来たが、
勝利へあと一歩およばず苦杯をなめていた。
だが、前哨戦を快勝したオルフェーヴルと辛勝ながら勝利したキズナに対する期待は大きかった。
「 今回は勝てる! 」 と、誰もがそう信じて疑わなかった。
それだけに今回の結果はハッキリ言ってショックだった。
だが確実に世界との差を縮め、日本の馬づくりの技術の高さを証明するものだったと思う。

これから日本馬の海外進出も多くなり、メジャーリーグ同様に活躍してくれるに違いない。
2着になったオルフェーヴルと4着のキズナの健闘に拍手を送りたい。