クーたんとココ君のお家

燕尾服を着た女の子クーたんと神戸から来たやんちゃ坊主ココ君の小さなドラマ。

『パッカーン』と

2009-10-25 07:58:57 | ネコ
はじめに、写真のピントが甘くなり、見苦しい事になったのをおことわりしておく。
“パッカーン”とは、ネコ缶を開けた時の音である。我家のクーとココの食事は、ドライフード、カリカリが中心だ。でも2ニャン共缶詰が大好きである。そんなに美味しいのであろうか。クーは我家で暮らし始めた直後、牛筋のネコ缶を茶碗に入れても「クーちゃん嫌いだよ。あっちへ行け」と蹴飛ばし、魚の缶詰を入れると、それこそ猫なで声の甘ったれた声で、お代わりを要求したものである。
昨日の午後1時過ぎに僕が帰宅すると、2ニャンは足元に擦り寄って来た。本当に可愛いクーとココである。夕方、家内が非常用に保存してあるネコ缶の賞味期限を見ると、全て期限切れであった。缶詰を僕が見ると、蓋も膨らんでおらず、蓋の巻き閉めをしてあるフランジにも異常がなかったので、痛んではいないようだった。その時2ニャンが揃って、夕食のお代わり要求をした。そこで、ネコ缶を開ける事にし、パッカーンと蓋を開ける音がすると、2ニャンが揃って大騒ぎを始めた。「缶詰美味しいのよね。お母さん早く頂戴よ」とクーが大声で言えば、ココも「ぼくのお茶碗にも入れてよ」と負けずに大声でねだった。ココは食べ終えると、クーの茶碗まで綺麗に嘗め回したほどであった。
今朝クーは、夜食の残りのカリカリを出しても見向きもせず、調理台に上がり、ネコ缶を入れたタッパーの前で動こうともしない。ココもクーの横10㎝に座り、缶詰を見詰める。こうして2ニャンは美味しい缶詰をゲットし、茶碗も光る位に綺麗に嘗め回して、ご馳走様であった。


旅徒然 金精峠から日光へ1

2009-10-25 06:27:27 | Weblog
クーとココのブログは後程投稿します。
昨日のブログの最後に記したが、ブログを投稿後一人ドライブに出た。5月に会津のバスちゃんに会いに行って以来、半年振りの長距離・長時間ドライブだ。調布IC手前のスタンドで燃料を満タンにし、中央高速道路に入ったのが、5時10分となった。持ち物はカメラと朝食用のおにぎり2個ペットボトル入りほうじ茶1本だけである。高速道路運転中も迷ったが、八王子分岐でハンドルを左に切った。これで行き先は決まった。沼田経由で日光を目指す事にした。
土曜日の高速道路は、アベックや家族連れの素人運転の車が多く、平日より神経を使う。流れが波型に変化するからである。勾配の変化も分からず、話しに夢中となり、運転が疎かになるからだ。圏央道から関越道に入り、90/Hの速度を保つようにして運転する。マナーの悪いドライバーが何と多い事か。これについては、いろは坂の事もあり後日書く事にする。
約1時間半程走り、上里SAで朝食タイム。15分休憩の後沼田ICで高速を降り、日本ロマンチック街道と言う通称が付いている、国道120号線に。老神温泉・吹き割りの滝あたりは、紅葉が始まったばかりだったが、片品村の尾瀬への分岐を過ぎると、赤や黄色に化粧した木の葉が綺麗になって来た。金精峠に差し掛かる手前の、発電所前バス停の空き地に車を止め、シャッターに景色を収める。時計は8時を回ったところであった。今日の写真は発電所前での1枚である。
金精峠、戦場ヶ原、中禅寺湖付近の紅葉最盛期は、今度の土曜日から3日文化の日の飛び石連休位迄だろうか。コースは沼田から金精峠経由の方が空いているように感じた。それでも、東京からは5時には、練馬から関越道に上がれば、渋滞に巻き込まれる確率は少ないだろう。早起きは三文どころか5文6文の徳になる。
今回の総走行距離は440㎞、所要時間7時間30分であった。起点は甲州街道つつじヶ丘である。
明日に続く。

スマートマイク

2009-10-24 04:20:30 | ネコ
今日は普段より2時間程早いブログの更新。流れ星を観た後、風の向くまま気ままに一人旅に出ようと思っている。勿論こんな時間に電車は無い。久しぶりの長距離ドライブ。決まっているのは、調布IC~八王子分岐迄の区間。その後は右に行こうか、左に舵を切るかは風任せ。紅葉の風景写真を撮りに。
さて、昨日の午前中は、古くなり、調子の悪くなった浴室の換気扇の交換に、電器職が来訪した。クーは自分の寝室で寝ていて大人しい。ココはインターホンが鳴ると廊下に逃げ込んだので、障子を閉めて隔離した。我家の工事の次は、息子宅の浴室の換気扇も超古い物なので、一緒に交換する。息子宅は孫の定期健診故誰も居らず、僕が工事の立会い。玄関を開けると、8歳になるメインクーンの男の子のマイクが出て来て「ジジ何ですか」と言う顔で出迎えてくれた。職人が仕事を始めると、階段を上がり「ぼくには関係ないですね」と言う表情だが、少し気になるようで時々顔を見せる。
長毛種のマイクは毛玉が絡みやすいので、1ヵ月程前にトリミングをし、大分スマートニャンコになった。そこでカメラを向け、何度かシャッターを押す。カメラ目線をし、ココより写真は撮り易い。このマイクであるが、3年半前にそれまでの家族がペット不可の住宅に引っ越す事となり、息子一家の一員になった。今では孫2人の良きお兄ちゃん役をしてくれている。孫が尻尾を引っ張っても、全く怒らない優しいお兄ちゃんである。

甘噛み

2009-10-23 05:54:36 | ネコ
ネコの愛情表現の1つに甘噛みと言う行為がある。我家の2ニャンの場合、甘噛みが出来るのはクーである。クーは撫ぜられたり、一緒に遊んでいる時に、僕の腕や指を口に入れ、力を要れずに軽く噛む真似をする。それは「クーちゃん、お父さん大好きだよ」と言うサインである。クーが本気で怒る時は、ネコパンチが飛んで来る。これはかなり痛いし、爪を立てている時は怪我をする。
甘噛みが出来ぬのがココである。本人は甘噛みのつもりだろうが、手加減が出来ないので、本噛みと同じになる。今朝もココは僕を起す時、まず足首に頬っぺたを摺り寄せて甘え、次に摺り寄せた足首を、ザラザラの舌で舐め回し「ぼくお腹空いたよ。ねえ起きてよ」と。それでも起きずにいると、いきなりガブリが来た。ココの顔を見ると甘え顏である。へそ天になっている時に、腹を撫ぜると嬉しくなり、じゃれて腕に絡め付いて甘噛み様の仕草をするが、これも甘噛みではなく、何故か本噛みになり、腕に噛み傷か付いてしまう。
クーとココのこの違いは何故なのだろうか。母ネコと一緒に暮らした時間の違いによるものだろう。クーの場合は、生後10週位迄母ネコと一緒に暮らし、ネコとして必要な生活習慣を教えられたと思う。排泄時の事も、人との接し方も全て母ネコから受継いだのだ。一方ココは、生後2週間位で母ネコから引き離されて捨てられた。仔猫と言うより赤ん坊の時である。ネコとしての生き方を身に付ける時間等全く無かった。その意味では不憫な仔猫であった。ただ幸いな事に、拾われた先には大勢の大人のネコが居り、ある程度の生活習慣は教えられたが、甘噛み等人にじゃれて遊ぶ方法等は教えてもらえなかったようである。勿論これも、ココの運命の1つであるが。
ジュルのしっぽの山崎夫人が言われているように、仔猫や仔犬は生後8週間位迄は、母親の下で育てられるのが必要であると僕は実感している。

1部屋に

2009-10-22 05:36:14 | ネコ
昼ご飯を食べた後夫婦が居間で寛いで、テレビを観たり、雑誌や本を読んでいる時、昼寝から目覚めたクーが廊下から入って来て、クーの後を「ぼくもー」と言う様にココが追いかけるようにして入って来る事が良くある。クーはテーブルに乗って写真のように寛ぎ、ココは床に転がってへそ天で「撫ぜ撫ぜしてよ」と言う仕草を見せる。静かで平和な一時である。
これから気温が下がり、暖房を入れ始めると、ココはパソコンの椅子で寛ぎ、クーは本箱の上のクーたん基地に上がって「この場所はココに譲れないわ」と言い、気持ち良さそうに目を閉じるのである。
こんな2ニャンの姿を見ていると、一晩中車庫で泣いていたクーを家に入れ、里親募集に手を挙げてココを引取り、一緒に暮らして本当に良かったと思う次第である。クー、ココこれからも仲良く暮らそうね。こんな考えを小市民過ぎると笑わないで戴きたい。

柔和な顔

2009-10-21 06:05:01 | ネコ
今日載せたココの顔、昨日載せたクーの顔を見て頂きたい。実に柔和な表情である。これがネコ本来の顔であろう。ネコは孤独と平和な暮らしを好む生き物といわれている。勿論、色々な邪魔が入ると、怒り威嚇し、我家でもココにチョッカイを出されたクーが仁王様のような顔になって「シッァー」と怒るのは毎日見られる事であるが。
住・食が満足ならば平和に暮らせるのがネコである。そして、人に愛され、家族を愛し共に穏やかに暮らしたい、これがネコの願望だろう。しかし、野良ネコにはそれが出来ぬ。絶えず周囲の敵を警戒して、目配りしていなければならぬ。物を食べている時、子育てで乳を飲ませている時、眠っている時も、耳をレーダーのように絶えず動かして警戒しているのだ。敵は犬やカラスだけではない。最も警戒しなければならないのは、人間である。彼らは人間に大きな不信感を持っている。捕まれば虐待され、命までも奪われる事を良く知っている。野良さんの顔には剣がある。常に警戒しているので、その表情は険しい。ご存知のはっちゃんの写真集を今一度見て頂きたい。野良時代のはっちゃんの表情は鋭く険しい。今と全く違う顔である。また、捨て猫むっちゃんの表情も、ブログを始められた頃と、今とは全く違って人間不信の顔である。玉手箱のチカさん家の一員になった、チョコちゃんも人懐っこい姿だが、険しい表情である。
毎日繰り返すが、ネコにこんな表情をさせるのは、罪である。仔猫の処分に困り、公園や河原に捨てる行為は、れっきとした犯罪である。残念ながら、我が国では動物虐待に対する罰則が軽すぎる。政権が変り、コンクリートから人へ、との政治理念が転換した。命を守る政策の一つとして、動物愛護法の改正、特に虐待への罰則強化を求める声を大きくしようではないか。多くのネコの表情が柔和になるように。

笑いと涙と怒り

2009-10-20 05:06:36 | ネコ
僕は日々みなさんが投稿されるブログを楽しんでいる。そして、笑って拍手したり、嬉しくて自然に涙が出たり、前日迄の心配が良い方向に解決し、投稿された方と同じようにホットしたりしている。時には心底怒りが涌き、目が吊り上って仕舞う事も。
昨日は、たまの玉手箱のチカさんが助けられた、チョコお嬢ちゃんがちかさんご一家の一員となり、養育される記事を読み、心から拍手を送り、いつの間にか涙が出ていた。
怒りは、捨て猫むっちゃんに載った記事である。茨城県阿見町所在の劣悪な環境でスコティッシュ・フォールドの生産をしているブリーダーの記事を読んだ時である。こう言う悪質な生産者は、仔猫の命も家畜の豚や鶏と同じ程度にしか考えていない。有るのは自己の経済的な欲望のみ。このような劣悪な環境の下で生まれた仔猫は病気を持っている事も多いだろう。見付けた動物愛護団体が告発すると言うが、微罪として即決裁判で処理され、この連中は痛くも痒くも無いだろう。お粗末な動物愛護行政に怒り心頭した次第である。
仔猫の本当の価値は何だろうか。愛くるしい仕草だろうか、血統書だろうか。人により価値観は違うだろうが。真の愛猫家なら、血統書はただの紙切れに過ぎない。息子一家と暮らすマイクも、血統書付きのメインクーンであるが、息子も嫁もそんな事は考えずにかわいがっており、人見知りのしないマイクは、僕が呼んでも窓から顔を覗かせるのだ。
仔猫・仔犬と一緒に暮らしたいと思った時、ペットショップに行くより、里親探しのブログ等を見て応募する人がもっと増えて欲しいものだ。得体の知れないブリーダーの所で生まれたチビさんよりも、良いと思うのだが。

家ネコ万歳

2009-10-19 05:48:00 | ネコ
寝るのも、起きるのも僕と一緒のココ。今朝は、パソコンテーブルに登り、マウスをチョチョイして遊び、僕が珈琲を入れに台所に向かえば、脇にピッタリと付いて来て、カリカリの入っている容器に手を出して、朝ご飯の催促。クーの食べ終わるのを待ち、お鼻チューンとしたが、クーに頭を叩かれた。そんな事ではへこたれず、戦闘開始である。クーが本棚の上に逃げ去ると、またパソコンテーブルに戻り、ブログを打ち込んでいる僕の手元を見詰める。昨日の午前中は、クッションが効き、柔らかな、お気に入りの椅子に上がりマッタリとし、お昼寝を楽しんだ。背中と頭は秋のお日様の光が照らし、温かだ。遊びたい時は、床に転がりへそ天になれば優しく撫ぜてもらえ、ネコのおもちゃも沢山ある。
野良ネコから見れば「あいつら贅沢な生活をしているニャー」となるだろう。何時も人やイヌ、カラスを警戒し、硬く冷たい土の上や車庫の車の下で眠る。食事だって何時貰えるか分からぬ暮らし。「こんな暮らしに誰がした」とは文句を言わぬが、目付きは鋭く人を見る。
やっぱりネコは、温かな家で人と一緒に暮らすのが一番幸せだと、僕は思う。これって、人間の勝手な見方なのであろうか。だが僕は「家ネコ万歳」と叫びたい。動物愛護月間もあと10日で終わる。仔猫・仔犬の温もりを肌で感じたら、捨ててしまったり、処分施設に送る事など出来ないだろうに。ジュルのしっぽの山崎ママさんが言われるように、人のモラルは期待しても無理で、法律で縛らなければいけないのか。これも悲しい事である。

ココ開き

2009-10-18 05:56:46 | ネコ
今日も今日とてココ開き。嬉しくなると床にゴロン。目で腹を撫ぜろと催促する。
その姿、明石のフェリー乗り場の近くに乾されている蛸にそっくりだ。あの蛸を炭火で炙り、千切りながら灘の生一本と共に口に含めば、顔がほころび至福の一時となる。
ココはそんな幸せを与えてくれたにゃん子である。へそ天にならなくても、何時も側に居て甘えてくれる。まもなく3歳になると言うのに、甘えん坊に育ってしまった。さっきも、僕の布団の上で、ネコ丸になって寝ていたので、一人台所で煙草に火を点けると、足元にはココの姿が。一人きりになるのが大嫌いなニャンコ。クーが食後の休みを、一人静かに過そうとしても「ぼくモー」と追い掛ける。
時間が経っても益々可愛くなるココ。明石蛸の開きも、噛むほどに旨味が口に広がるのと同じだ。
今日はどんな可愛い姿を見せてくれるのであろうか。

クーたんだって

2009-10-17 05:24:36 | ネコ
大人になり、たまに僕の腕にじゃれ付く程度で遊ばなくなったクーであるが、昨日は一寸違った。西日が温かく降り注ぐ出窓は、温室になっていた。そんなクーの写真を撮ろうと、コンパクトカメラを手にして出窓に。クーに近付くと、カメラのストラップが鼻先で揺れた。クーはそのストラップを取ろうと、盛んに手を出してじゃれ付く。指の間に引っ掛けると、輪になったところをカブリと咥える。そして放しては、揺れているストラップにチョチョイして引っ掛けては咥えるのを繰り返していた。珍しく楽しそうに遊んでいたのだ。屋根のブリキ塗装で職人が歩く足音が大きく響くが、クーはストラップで遊ぶのに夢中になり、全く気にしていなかった。クーの顔を見れば「クーたんだってニャンコですよ。たまにはこうやって遊ぶのよ。お父さん分かった」と言っているようであった。