ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

秋は突然やってきて

2017-10-02 | 国際恋愛・結婚

https://pixabay.com/p-1758194/?no_redirect


今北の島へ飛んできているのは、理由がある。姉の夫が亡くなって一年経ったのだ。早くに秋や冬の来るこの島で、ひとりきりで、一周忌を過ごすのは、寂しかろうと、日本の姉と二人でやってきたのである。子供に恵まれなかった姉夫婦は、この北の島にカリフォルニアから移り住んで40年は経っている。その間日本に少し住んでいたこともある。

主を待つかのような猫と犬

姉と姉の夫は、私がまだ中学生の頃知り合って、結婚した。結婚した当初は、日本に住んでいたが一年ほどで姉を伴ってアメリカに帰国した。なれそめは、姉の働く事務所にある日、彼が訪れ、姉を見初めたのだった。二回、三回と事務所にやってきて、なんだこの人は?やけになれなれしい、と思っていた姉は、とうとう正式にデートの申し出をされた。それが二人の歴史の始まり。

結婚当初母は、それほど諸手を挙げて賛成していた結婚ではなかったので、時折義理の息子のことを「どこの馬の骨だかわからないひと」などとつぶやいていたが、後年私が彼の系図を辿ると、アメリカに独立戦争以前に来ていた家族の出であり、富裕ではなくとも堅実な人たちのようであった。おかあさん、彼はニューハンプシャー州の馬の骨でしたよ。

二人は、お互いにそう健康に恵まれていたのではなく、姉は 若い頃から腰椎椎間板ヘルニアの持病があり、それが悪化して、大きな手術をこれまで三度してきたほど、痛みが人生のコンパニオンである。彼女の夫も、胃潰瘍が持病で、結婚後まもなく大手術をする羽目に陥ったほどであった。つまり夫婦で、体前面(夫)、体裏面(姉)に手術痕が線路になっていたわけだ。

 


姉の夫は、自己の損失を気にかけないほど、他の人々に親切を尽くしてきた人だった。それは私の父親にも似ていて、これを類は類を呼ぶと言うのだろうかと思ったほどである。それでも経理の長けた姉のせいで、ある程度は抑制があったようだ。晩年にいたるまで35年ほどは、メイソン、エルクスロッジの会長などを務め、多くの人に愛されてきた。

国務省の仕事で、ヨーロッパ、南アジア、中東、アフリカへ赴くことが多かったが、テロリストに米大使館が襲われ、人質に取られたことが、南アジアとアフリカで二回あった。そんな冒険の多い人生だったから、リタイアしてから心臓病を患ったのは、信じがたくもあったが、納得もいった。

病を得てからの数年は、誰かを助けに行く以外は、大きなピクチャーウィンドウの傍のお気に入りの椅子に座って、読書三昧、そして森の様子を飽くことなく眺めては、平安な気持ちになっていたようだった。去年短い入院を経て旅立った時は、眠りにはいるかのようだったと聞く。今彼のお気に入りの椅子には、愛犬が毎日座り込み、彼と同じように、外の森を静かに見ている。


 だんだんかつての主に似てきた

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする