ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

読んで気づくこと

2017-10-08 | アメリカ事情


姉の友人のナンシーは、夫がまだ法学生だった時から夫の学業を支えてきた。晴れて弁護士に成ってからは、休暇には世界中を冒険して歩いた。ギザのピラミッドはもちろん、エヴェレストやマチュピチュも夫婦で行った。夫は二人が出会った頃からスクバダイビングが趣味で、ナンシーも様々な湖水や海に潜ってきた。海底から、アンティークな色ガラス瓶や磁器を沈没船から引き上げたりした。海を見下ろす大きな窓のある二人の家にはそうした戦利品が棚に美しく陳列されていたものだ。


子供には恵まれなかったが、二人はいつまでも仲が良く、ナンシーは時折夫の立つ法廷の傍聴人席に座り、非常に誇らしい夫だと思ったものだ、と言う。二人共五十代になり、それまでダイビングには必ず一緒に行ったが、中西部の湖水での沈没船を探検することになった時、ナンシーは、「私はダイビングはもう引退するわ。あなた一人でお友達と行ってらっしゃい。」と笑顔で夫を送り出した。彼は、じゃ来週までね、と旅立ち、それが最後になった。

 

 

ナンシーは、夜鳴り響く電話に不吉を感じて、すぐ答えたが、案の定、電話の彼方から、彼の冒険を共にした友人の重い声がした。ダイビング中、湖底近くに水平に浮かぶ彼に気づき、即時に助けようとしたが、すでに彼はこときれていた。彼女がその地に着いた時には、すでに夫の司法解剖は済まされ、死因は心臓にあった今まで密かに進行していた不具合で、本人も知らなかっただろうと言うことであった。

 

彼の遺体と共にこちらへ戻ってきたナンシーは、葬儀も埋葬も、うわの空でこなした。ついに止みようにない悲しみに襲われたのは、葬儀後彼の墓所を一人で訪ねた時だった。亡き夫の好きなワインボトルとワイングラスを携えて、墓石のそばに座って、グラスにワインを注ぎ、それをそこへ置いた。話しかけているうちに、涙がとめどもなく流れ、堰が切れたように泣き崩れた、とナンシーは語った。

 

 

あれから7年。ナンシーは、やはり海の見える大きな窓のある新しい家に移り住み、90歳を超した母親と一緒にいる。夫を失くして一年は、何も手がつかず、ただ無我夢中でやるべきことを淡々とやっただけ、と微笑み、実際その頃のことははっきり覚えていないと言う。


最愛の夫を不意に失くした彼女は、愛する者を失うと、必ずやってくる後悔の念と葛藤することしきりであった。やがて自分に出来ることは、亡き夫のように生きることだと気がついた。信仰篤かった彼は、 どんな人々にも親切であったから、彼女もそう生きて行こうと、数多のヴォランテイア活動に余念を失くしてきている。 


ナンシーは言った。「そしてね、まだ伴侶が生きているうちに、出来るだけお互いに愛していることを伝えていくことよ。」と。1年前に未亡人となった我姉も二人の妹達に言う。「思ったら、すぐに言葉に出して感謝と愛を告げなさいよ。言い尽くしても言い尽くせないことよ。」 家のあちらこちらに上の写真のような言葉を飾ったら、もしかしたら、忘れないでそれを伴侶に言えるかもしれない。

コメント
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