ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

今わからなくとも 

2017-10-03 | アメリカ事情

 

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 今年に入って、息子達の友人の青年Iが、ステージ3の悪性リンパ腫の診断を受けた。次男の大学での親友だが息子三人の親友でもある。カリフォルニアやスゥエーデンの結婚式にさえ出席してくれたほど気のいい若い男性で、世界中を歩き、サーフィンし、スケートをしてきた、健康そのものだったのに。

久しぶりにハワイの次男を訪ねた春先、息子に最近熱っぽくて、だるいし、なんだか二の腕に筋肉が付いてきたみたいなんだ、と彼は言った。息子は、その”筋肉”とやらが通常と異なっているように見え、微熱が続くというのも気になり、帰宅したら、必ず医師を訪ねるように説得した。そして診断されたのが上記の病名だった。

Iの父親は、彼が小学生高学年頃に、やはり癌と診断されていた。まだ元気なうちに、と彼の父親は、二人の息子達に知りうる限りの家事の仕方を教えたそうだ。やがて母親が子供達を一人で育てなければならない日がやってきたら、「君たちが、お母さんを助けるんだ」、と。若い父親が逝ってから、よい子供達を母親は一人で育てた。

Iが、この病を得たことを母親が知った時の絶望感は想像するに余りある。しかし、信仰を持ち、希望を持ってこの息子を助けている。

三月の声を聞いた頃、今度は友人夫妻が、慌しく南カリフォルニアへと車を駆った。南加で専門職をしている娘が、かなり進行していた癌に罹患したのだ。ただちに手術、化学療法、照射療法とあいなった。五ヶ月の集中治療の甲斐があって、小康を得て、先月末にやっと夫妻は帰宅できた。

娘は仕事に徹し、独身であるから、こうした場合は、やはり年老いていても、両親が、心の支えであったし、特に看護士長を長く務めた母親は、頼るべきひとだったのだ。彼女は罹患するまで、トライアスロンや何とかマラソンを毎年数回欠かさず参加して、無駄な脂肪のひとつもない健康そのものだった。

そして夏の初め、次男の妻の従姉が、同じく癌で倒れた。彼女も独身でニューヨークで世界的に有名なコンピューター関係の会社で活躍していたプロフェッショナルだった。彼女も非常にスポーツに熱心で、トライアスロンや各種マラソン大会には必ず参加していた。ストックホルムマラソンに二年出場して、良い成績を修めた次男に、いつかニューヨークマラソンを一緒に走ろうと誘っていたのだった。

彼女も全身無駄のない引き締まった体格で、美しい人である。彼女の癌は、ステージ4で、診断が付いた途端に余命宣告も受けた。健康を害することは、何一つしていなかったのに、そして仕事にもっとも脂の乗った時期、突然そんな宣告を受けてしまった。彼女もまた独身である。

発病は彼女の母親を精神的にうちのめしたが、とうに離婚していたが、良い友人関係でいたフィンランドに住む元夫と二人で協力して、ニューヨークで一人娘の看護をしている。

同じ頃やはり独身で有能な気性もなにもかも素晴らしい若い女友達が、乳癌の手術を受け、化学治療を始めた。彼女の母親は最近中枢性脱髄疾患のひとつ、多発性硬化症(MS)と診断されたばかりであったが、病床にある娘の支えとなっている。もちろん多くの人々が彼女の看護の手伝いに勤しんでいる。

殆ど息つく閑がないほど、立て続けに知人、友人が発病し、見出したくもない共通点に気がついた。この一人の男性、三人の女性は、みな独身で、非常にアクティブな健康な生活をしてきていることである。タバコもアルコールも、もちろん薬剤中毒でも大麻使用もない。健康には人一倍気を配り、それに沿った生活をしてきたのだ。

わからない。何故なのか、全くわからない。ここで書いたように、この世はなんと試される世なのだろう。悶々と何故を繰り返しているうちに、気づいたのは、果たして今わかる必要が本当にあるのだろうか? である。You never understand now what I am doing, but later you will understand (わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう。)という聖句*が思い出される。新約聖書・マタイ伝13章7節

その”あとで”がいつなのか。今ではないのは明らかだが、果たして、今、本当に知る必要があるのだろうか。私たちがこの世を去る時、その瞬間に理解するのだ、と何人かの臨死体験者は、口をそろえて言う。

医師で心理学者のレイモンド・ムーディ博士は、臨死体験について数々の著書を出版している。1975年の”Life After Life" 邦題:かいまみた死後の世界、はベストセラーが長く続いた。その頃私の勉強していた大学でも大評判になり、TVでも特集が組まれたり、あの頃よく話題になった。大学のブックストアで私もペイパーバックを求めて読んだ。


もちろん世の中、Aと言えば、Bという人もいるし、いや、あれはCだと別の人が言えば、他の人はDだと言うのが常だが、この本を読み、それに関した番組を見て、そして信仰を持つ身として、ないことはない、ある、が私の結論だった。そして、臨死体験者の殆どが、この世を離脱する寸前に、いままで分からなかったことが、一瞬で分かった、と言う。

続きは明日。

 

 

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