山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

骨董市と終戦記念日と

2014-08-15 21:28:04 | 旅行・散策
梅雨がきた夏だった。
 草刈りしないと畑に行きにくいところがいくつかある。
 ほんとうはいますぐにも草刈りをしたいところだが、雨には勝てない。

 そこで、和宮様かねての要望で骨董市にでかける。
目の保養には刺激的だが、年金生活者にとってはなかなか手が出ない。
 むしろ街なかのフリマのほうが親しみがある。
 和宮様は漆塗りのスプーンを買い、オイラは何も買わずに喧騒の会場をあとにした。

          
 そういえばきょうは終戦記念日。
 長い戦争ドラマを見たが、意図はわかるが平和ぼけの視聴者の心を打つまでにはいかなかったのが残念。

 太平洋戦争に至るとは、要するに「想像力」と「責任」の欠如と思えてならない。
 想像力という回路を遮断してしまうと、凝り固まった回路しか作動しない。
 このことは現代の殺伐とした事件や原発や政治にも同じことが言える。

                          
 さらにはこの中山間地に暮らしてみても、ふだんの暮らしのなかにこの因子が根深くはびこっていることを痛感する。
 とくに、相手の立場や苦悩を思う「想像力」だ。

 ジョン・レノンの「イマジン」が訴えている世界でもある。
 忌野清志郎が同じ意図でこの曲を替え歌でカバーしているが、テレビ画面からはなかなか放映してもらえない。

 骨董を見て懐かしいと思い、素晴らしいと思う感性は大切だが、その物がこめられた歴史的な背景やこめられた精神を読み取る「想像力」を鍛えたいところだ。
 また、不戦の気持ちを日常の生活に生かしているだろうか、という問い直しと行動が大切に思う。
 そんなことを思いながら、明日は鍬と鎌を持つのだ。          

                     
コメント
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