山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

信仰と歴史の「二俣」光明寺

2016-04-27 22:42:40 | 石仏・石造物
 再び天竜二俣「光明寺」。
 天平9年(737年)、天竜川の2頭の大蛇を退治(つまり天竜川の氾濫をしずめた)してくれたのが、「笠鋒坊(リホウボウ)大権現」だったという。
 その祈願のときに75膳を献供したということで、以来その神事がいまだ10月の最終土曜日に行われている。

 秋葉山の火伏せの神が「三尺坊」に対して、光明山の水防の神が「笠鋒坊」だが、その石仏が光明寺の山道にあった。
 槍を持っているのはわかったが、右手に何を持っているかがわからない。
 ほかでは見たことがない珍しい石仏だった。

                         
 その隣に、摩利支天(マリシテン)の小さい石仏を発見。
 これもなかなか珍しい。
 そのときは気がつかなかったが、よーく見るとイノシシの背中に乗っているのだった。

 火炎が背後にあったので不動明王かと思ったが、戦勝の神「摩利支天」。
 武将はこの御札を鎧に隠して戦に臨んだらしい。
 武士の時代には人気があった摩利支天像の名残だと言える。
 
           
 修験の森らしく急峻な尾根のアップダウンの最後に、立派な石像があった。
 槍を持って鎧をきているようだ。
 守護の神毘沙門天ではないかと思える。
 これらの石仏の存在が攻防の要衝の二俣らしい。

 これ以外に多数の石仏に出会ったが、それほどに光明寺の影響力が大きかったという証左でもある。
 しかしこれらの石仏の紹介資料もなくは地元でもあまり知られていない。
 


                        
コメント
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