ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

潤野

2014-08-04 05:00:00 | 田舎

実は神水瀑を観に行った時から、潜水橋や三山冠、十万岳とかも気になっていました。うまく峯の薬師堂に行けていれば、きっと帰りに潤野の方にも行けていた筈でしたが、あまりにも無駄な歩きをしたので、翌日出直すことにしたのです。前日の帰るころにはデジカメのバッテリーが切れかけており、帰ったら充電しようと思っていたのですが、忘れてしまっていました。

             

翌朝も一瞬デジカメを充電せなアカンと思ったのですが、それも忘れてしまって昼食をとってから車を走らせました。もうデジカメのバッテリーが切れかけていることなど頭の隅にもありません。『みんなの店』に車を停めて潤野橋を渡るときに上流・下流の写真を撮りました。最初の写真が下流側で潜水橋も写っています。上流側にはアユ釣りの人が一人写っていますが、『みんなの店』に車を停めて川へ降りようとするアユ釣りの集団を見かけました。水曜日だったのにアユ釣りの人とかカヌーに乗っている人を多く見かけました。

                       

この潤野の集落の入り口でデジカメのバッテリー切れのサインが出始めてしまい、「しまった」とこんな所で思い出したのでしたが、後の祭りです。もう多くても十数枚しか撮れないでしょう。この写真に写っている山が三山冠です。三山冠を見る眺めは潜水橋からのものが最高だとか、きっとそこまでバッテリーは持たないでしょう。

       

時間的にも家に戻って充電して再来することは出来ないでしょうから、このままバッテリーが切れるまで撮り続けるしかありません。供養塔とか地図には無い神社とか、古座では見かけたことがない竃も有りました。

             

潤野は古座川流域では最も広い平野部で、その名の通り潤った野であり、田んぼや畑が一面に広がっています。

                       

潤野の集落を抜ける道を南へ向かって歩いています。この古座川右岸の道は高瀬に繋がっていて、高瀬からは古座川沿いに道は無く、重畳山方面に道が付いています。この時は思わなかったのですが、この道を走って高瀬へ抜け、重畳山の山頂手前で姫川方面へ走れば、案外早く姫の家に着いたのかも知れません。

       

ここはもう十万岳の麓道、崖に石仏が置かれています。集落の中では神倉神社のゴトビキ岩のような岩がドカッと有って、私は目を奪われました。カエルが座っているように見えますでしょう。

             

向こうに見える橋が明神橋、ここが小川と古座川の合流点です。カヌーは現在ここからしか出発できない筈です。これより上流はこの期間アユ釣り師が多く、カヌー客とのトラブルが多いのが原因でしょう。明神橋のこの出発現場、小川から古座川に合流する地点は以前は大きな樹が出張っていたり、水流が早かったので危なかったのですが、対岸から見る限り改善されたように思えます。

             

明神橋が見える地点からは高瀬へ行っても仕方がないので、引き返しました。探検マップには集落の山側に下地の滝という滝が記されており、その滝も見つけたかったのです。

       

残念ながら古座川風土記には、その下地の滝の記事はありません。どうやらマップで見る限りこの川というか水路を辿ると左岸に滝がある筈ですが、水が流れていません。でも水の音はどこかから聞こえるので、左岸を辿ってみようとしたら、柵が張られていて上へは行けないようになっていました。最後の写真の道を登ると三山冠の上に行けるような気がしますが、低山なのに亜高山植物のシャクナゲが咲くと書かれていた三山冠、今はシャクナゲの季節ではないので、春にチャレンジしようと思い直したのでした。

古座川一枚岩について

2014-08-01 05:00:00 | 田舎

古座川一枚岩(鹿鳴館の箸袋には一枚磐とあった)は、その存在は江戸時代から知られていたものの、今のように対岸に道路が出来たのは昭和10年であり、それまではその雄姿を見るには舟で行くしかありませんでした。南方熊楠も1902年に古座川の木材商『雑長』の用意した舟で見物に訪れています。細菌や粘菌の学者であった熊楠はその時、世界最古、最大と言われるヘリトリゴケを見て、どのように思ったのでしょう。大辺路の避難路であった古座街道は、今でこそ立合トンネル、相瀬トンネル、一枚岩トンネルが出来て、七川までは簡単に往来できますが、それまでは古座川沿いのくねくねした細い道を長い時間かけて走っていたものです。しかし、それ以前昭和の初期まで古座街道は周参見から佐本を通って三尾川へ至り、対岸の田野野というところから山林の中腹を歩き下蔵土へ出、古座川沿いに洞尾まで歩き、どんどろの森方面から相瀬集落、更に山越えで立合へ出て一雨までか、佐田まで来た旅人は山に入って栃又峠を越えて立合へ降りる栃又街道を利用していたのです。どちらにしても一枚岩の裏を通って一雨で古座川に合流することになります。

             

更に三尾川の下地と三尾口の境界辺りから対岸の山を登り詰めて峯へと続く尾根道は長尾街道と呼ばれ、一枚岩側を通るのですが、その間に一枚岩より標高の高い嶽の森山があるので、一枚岩は見えなかったのです。

             

鹿鳴館で昼食を済ませて、とにかく愚車まで歩かねばなりません。来た道を帰るのは勿体ないので、国道を戻り、トンネルを二つ超えたらすぐ右へ降りたらいいだけです。相瀬トンネルを抜けると下道に降りれる階段があり、ここを降りても愚車までは行けるのですが、面白くもない道を戻らなければなりませんし、一旦車で通った道でも、そこを歩けばまた違う景色も見れるだろうと思って、ここでは降りませんでした。

       

一番上の写真は相瀬トンネルと立合トンネルの間の鳴滝橋の上から上流を眺めたもの、この先川は左へ曲がり、暫らく流れてまた左へ曲って、相瀬橋の手前からは右へ曲って一枚岩の前へ出るので、相瀬トンネルを短い一辺とした長方形になっています。トンネルが無ければどれだけ迂回しなければならないかの一例です。立合トンネルは2000年の8月、相瀬トンネルは2002年の3月竣工ですから、立合トンネルが出来ても1年半ほどは通行は出来ませんでした。それでも私がこのブログを始める前にはトンネルは出来ていたのです。

             

トンネルを二つ潜って、立合集落の方へ歩き始めると、車では気付かなかった丸太小屋が有りました。私が近づくと何かゴソゴソ寄ってくるので、よく見ると鶏のヒナが飼われていたのです。おそらく烏骨鶏ではないかと思います。

             

愚車まで到着し、これからどうしようかと考えました。時間が未だ1時過ぎだったので、峯の薬師堂へ行ってみることにしました。最初はきれいな小川が左側を流れています。川の名前は分りませんが、古座川の支流であることに間違いはありません。

       

小川のせせらぎも途中まで、黙々と歩くこと30分、郵便配達のバイクが追い越し、また戻って来たのに出会っただけの道中でしたが、この道は車でも十分通れる幅があります。だんだん歩くのがアホらしくなってきて、服も汗だくになるし、おそらくもう少しだろうと思うのですが、もうしんどくなってしまったので、帰ることにしたのでした。

             

こんな山奥の寒村にも光ファイバーが通ってるのには驚きました。薬師堂が有るだけかと思っていましたが、郵便配達員も通ったことですし、民家が有るんですね。