ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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長崎原爆の日

2005-08-09 18:35:08 | つれづれ日記

今日は長崎の原爆の日です

今日も朝から暑くて大変な時間を皆様、祈りを捧げておられたでしょう。

私が長崎に行ったのはもう30年も前のことです。

母の女学校の同窓会が長崎であったので私と父も便乗して参加。

ついでに九州の親戚の家も訪ねたのでした。

あれは夏でした。

同窓会に母が出席している間、私は父とホテルのレストランにいました。

誰もいないレストランで海を見ながらハンバーグステーキを食べたんです。

夜には「100万ドルの夜景」と言われた海でした。

それから長崎の観光に移り、私はそこで初めて原爆の惨状を目にしたのです。

(東北人には原爆って本当に遠い世界だったりします)

今、原爆記念館になっているところは、昔は「永井博士の研究所」

紹介されていました。

今みたいに立派な建物じゃなくて、ただだだっぴろくて、展示物がずらっと

横並びしているだけ・・・という記憶があります。

それまで「原爆」の「げ」の字も知らなかった私には、あまり関心のない

問題で被爆者達の写真や遺物もぼーーっと見ていた気がします。

ただ・・母が写真を見ているうちに気分が悪くなってしまって外に出たのは

覚えていますが

今思えば、もうちょっと熱心にみておくべきだった・・・と思います

それからずっとあとになって、状況後、近くのお弁当やさんの奥さんと

知り合いになりました。

子供の年齢が一緒だったので、よくおしゃべりしたものです。

でも、彼女いわく

「夫の父が長崎の被爆者なので、色々心配なの」って言ってました。

私はその時初めて「被爆者の子孫」に思いを馳せたのですが・・・

それからさらに10年くらいたって保険の外交員をしている時

やったらプラス志向で元気なおばあちゃん外交員がいまして・・

「何でそんなに明るいんですか」って言ったら

「私は一度死んでるしねーーだから、今は何をしても悩まないことにしたの」

とお答えに。

何でもこの方は当時女子挺身隊に所属していて、爆心地近くで被爆。

でも奇跡的に助かって、しかも後遺症もなく今までやっているんだそうです。

こんな風にわりと節目節目で長崎との関わりが出来ている私なんですが。

学生の頃に「この子を残して」という映画を見てあらためて長崎の原爆の

悲惨さを知りましたし、母が好きだった藤山一郎さんの「長崎の鐘」

聞いた記憶があります。

山があって爆風を防いでくれたのはいいけど、よけいに後遺症に苦しむ

人が多い事、偏見にさらされて被爆者手帳を受け取らない人などなど

長崎の悲劇は広島以上のものがあります。

私達は広島以上に長崎を忘れてはいけないと思います。

そして、あのひどい原爆が二度も日本に落とされた事実を重く見るべきです。

決して「必要悪」ではなかった

・・・とアグニュー博士には言いたいです

(ほんとに・・・何がリメンバーパールハーバーだよっ!あれだってアメリカが

わざと真珠湾を攻撃させてハワイを見捨てただけじゃないかっ!アグニュー博士のお友達が何人死んだかしらないけど、だからって原爆を落としていい道理があるかって。それじゃ個人的恨みをぶつけたのと同じじゃないのっ!)

 

 

 

コメント
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これでいいのかなあ・・一抹の不安

2005-08-09 09:21:20 | つれづれ日記

とうとう・・・郵政民営化法案が否決されてしまった

本当にこれでよかったのかな・・・

小泉さん・・私はあまり好きになれないけど、久しぶりに怒りまくってる顔を

みていたら、何だかとっても不安になってしまったのよねーー

今まで・・日本でここまで頑固に自分の意志を曲げなかった人っていないし

やっぱりそれなりの信念があるんだろうし

それに比べて反対派の人たちって・・選挙の事だけ考えて反対しているような

気がするわけよ。

さしたる信念もなく、ただ「反対」って言われてもね・・・

 

本当に国民のことを考えての結果なのか・・それともやっぱり小泉さんが

正しいのか・・何だかわけわかんなんくなってきました

コメント (4)
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