亮と雪は地下鉄に乗り込み、手頃な席に腰を下ろした。
そして座るやいなや雪は鞄を開け、中からノートを取り出す。勉強を始めるのだ。
「いや~ご立派だねぇ。将来何にだってなれるねぇ」
その姿を見て亮は、少し皮肉っぽく感想を述べた。電車の中ですら勉強なんて本当に熱心ですね、と。
しかし雪は当然の如く頷くと、淡々とその理由を述べた。
「今回は奨学金を狙う子も多いし、今学期こそは自分の実力で首席取ってみたいですから」
昼間耳にした同期達の話に気を引き締め、雪は更に勉強に意欲を燃やしていた。
そんな彼女の姿を前にして、お前以上にデキる学生なんているのかと亮は呆れたように言ったが、
ふともう一人の人物を思い出す。
「あぁ‥淳の方がもっとすげぇか?」
亮の言葉に雪はフッと息を吐いて頷くと、至極客観的な意見を述べた。
「努力家ってとこは互いの共通点ですけど、能力は先輩の方が上ですね。
まともに勝てた試しがないです」
そして雪は強い眼差しで正面を見据えると、今度は主観的な意見を述べる。
「だからこそ、勝ってみたいんですよ」
雪がそう口にする理由を亮はどこか解せず、彼女に一つ質問をした。
「何で付き合ってる奴に対して、そんなに闘争心燃やすわけ?」
それに対して雪は、自分の主観を客観的に捉えて亮に説明する。
「それはそれ、これはこれです。まぁ、あちらはどう思ってるか知りませんけど‥」
そう口にする雪の頭の中で、”あちら”と付き合っている部分の自分がふと考え事をする。
朝のメール以降連絡もない‥
それきり黙り込みノートに視線を落とす雪を見て、亮は心がモヤモヤと騒いだ。
今語られた彼女と淳の関係性に、今まで自分が思っていたものよりも強い繋がりを感じたのだ。
勉強する雪の横顔に、亮は一つの質問を投げかけた。
「それじゃあ、オレは?」
はい? と聞き返す雪に向かって、亮は彼女の顔を覗き込むようにして質問を続ける。
「オレに勝ちたいってことはねーの?」
その唐突な亮からの問いに、雪はその意図が掴めず疑問符を浮かべた。
「へっ?何をですか??」
雪にはその意味が全く分からなかった。
そして暫し亮の顔を眺めるが、
彼は依然としてニパッとした笑みを浮かべるだけで、どこかフザけた様子である。
「たまに一発殴ってみたくはなります」
そのイラつく笑顔を見ながら雪は拳を握り、そう冗談を口にした。
その雪の返答に亮は「もういい」と言って呆れ顔を浮かべ、
雪が「何なんですか」と反撃する。互いがイライラを募らせていた。
そして亮は改めて雪の勉強ノートを覗き込むと、呆れたようにこう口にした。
「よくもまぁ毎日勉強勉強‥お前他に取り柄はねーのか?」
変に突っかかってくる亮に雪は顔を顰めたが、冷静にそれに対して言葉を返した。
「河村氏の特技がピアノのように、私が勉強が出来るのは一種の特技なんです。
自慢してるわけじゃなく、これが特技だって人もいるってことです」
だからお互い頑張りましょう、と締め括って雪はノートに視線を落とした。
もう邪魔しないでねと亮に釘を刺しながら。
「‥‥‥‥」
亮は雪が語ったその言葉の意味を、地下鉄に揺られながらじっくりと考えていた。
長さが互い違いになったつり革が揺れに合わせて単調に動くのを、ぼんやりと見つめながら。
亮は空に視線を漂わせながら、彼女の言葉を要約して呟いた。
「得意なことで勝ちたいってわけね‥」
一流大学、経営学科、首席争い、奨学金‥。
数々のキーワードが、勉強に集中する彼女の横顔に見え隠れする。
亮は雪のことをじっと見ていたが、彼女はそれ以降自分の方を見もしなかった。
彼女が身を置いている世界に、まるで自分など存在しないかのように。
なんだか心がくさくさして行く。
亮は彼女から反対方向を向き頬杖をつきながら、ポツリと一人呟いた。
「‥あっそ。興味無いわけね、ピアノには」
「オレには‥」
ガタンゴトンと車内に響く音はうるさく、亮の呟きは雪の耳には届かない。
地下鉄は一方通行に進んで行く。
”オレ”の世界には雪が居るのに、”彼女”の世界に自分は居ない。
その代わりに淳が居る。目障りでいけ好かないあの男が。
雪がアイツに意識を向けている。ピアノでも、”オレ”でもなく。
付き合っている相手だろうと競争相手だろうと、その肩書が何であれそこにアイツが居るのが癪だった。
心の中が、前の見えない靄に飲み込まれていく。
地下鉄はやがて闇から光へ進んでいくが、亮の思考は暗い所へ深く潜って行くばかりだ。
単調な揺れと共に進むそれとは裏腹に、亮の心は置いてけぼりのまま地下鉄は進んで行く。
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<ピアノとオレとアイツとお前>でした。
何か小話のような題名になってしまいました^^;
亮さんの恋心やジェラシーがチラッと垣間見えた回でしたねぇ。雪ちゃん全然気づいてないけど‥。
次回は<偽物への警告>です。
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