食堂の中が、しんと静まり返った。
彼らの視線は、電話越しに大きな罵声を口にしていた河村静香へと注がれている。
「あ~スッキリした!」
静香は先ほど横山から掛かって来た電話を、元カレからだと思い好き放題言ってのけたところだった。
ったく最近ただでさえムカつくことばっかだってのに‥このク◯野郎のせいで更に滅入るっつーの!
ちょっとアンタ誰なのよ?ケイスケ?ヒロアキ?ノリタカ?おい、誰なんだってば?!また掛けてきたら承知しないから!
通話先の横山がその後どうなったかなどつゆ知らず、静香は満足気に携帯を眺める。
亮はそんな静香を前にして、開いた口が塞がらずそこから水を垂れ流した。
得意気な顔をして鼻歌を口ずさむ静香に向かって、亮は声を荒げながらそこにあった布巾を持ってテーブルに投げつける。
「おいっ!この腐れ女!口に雑巾かけたろか?!ここにある布巾の方がテメーの口より
キレイだっつの!誰だか分かっててそんな汚ねぇ口叩いてんだろーな?!」
亮は周りの視線を気にしつつ静香を叱ったが、彼女はまるで気にしていない。
過去の男は無条件に消していく、と言って自分は自由な女なんだと豪語する。
「お前携帯全部整理したんじゃなかったのかよ?」
亮は静香が手に持ったスマホに視線を落として言った。
ついこの間まで静香は携帯を複数台持ち、その利用料金は全て亮に回されていたのだ。
それが原因で姉弟が言い争ったのも、記憶に新しい。
亮の言葉に静香はビクリと身を強張らせ、
「し、したわよ!」と声を荒げた。
しかし彼女は唇を小さく突き出すと、ブツブツ呟くようにこう言った。
「あんた名義の携帯だけはね‥」
はぁ?!と声を上げて亮が顔を顰める。唖然とする彼を前に、静香は取り繕うように弁解した。
「ほら、マジでもうあんた名義のは触らないし!代わりにまだ貢いでくる男共がいて、
そいつらに貰ったのがまだあるのよ!それなら別にいいでしょ?」
未だ貢ぐ貢がれないとやっている姉を前に、亮は開いた口が塞がらない。しかし静香はフッと息を吐くと言った。
「河村静香は死せず‥ってね」
「おい頼むから真面目に生きやがれ!」
その生き方を叱る亮に、静香は悪びれずに言葉を返した。
「何で?あたしだって真面目に生きろと言われれば出来るけど、つまらないからそうしないだけ」
そう言ってニヒルな笑みを浮かべる静香に、亮は呆れるばかりだ。
そして静香は何かと上手くいかない自分の人生を嘆き、息を吐いた。
亮は呆れながら「自業自得だろ」とツッコみ、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
静香はそれでもまだ青田会長を説得出来れば何とかなるかも、と言って天を仰いだ。
亮は食事を口に運びながら、溜息を吐く。
「あの人がオレらのことをマジで心配してると思ってんのか?」
家や専門分野を莫大な金を掛けて支援してもらった挙句、逃げ出したり自堕落な生活を送る自分達姉弟。
そんな二人を青田会長が未だに気にかけているわけがない、亮はそう思ってその言葉を口にした。
しかし静香はキョトンとした表情を浮かべると、
「今更何言ってんだか。んなこととっくに知ってるっつーの」と言って肩をすくめた。
自分達を気にかけてくれる可能性、自分達を哀れむ気持ちが一%でもあれば、スッポンのように食らいついてやると言って静香は意気込んだ。
亮は溜息を吐きながら、正しい方向へと彼女を導く。
「とにかくまずはしっかり就活な!」
「余計なお世話!あんたこそ頑張んなさいよ!」
亮の小言にイラついた静香は、彼の高い鼻をグーでパンチした。
ジンジンと痛むそこを押さえながら、亮は涙目で姉を睨みつける。
亮は鼻を押さえていた手を除けると、自身の長い指に目を留めた。
この指が今後またあの馴染みある楽器を奏でることを、姉に言わなければならない‥。
亮は両手を膝の上に置くと、かしこまった態度でこう言った。
「あの‥姉ちゃん」「姉ちゃん~??」
静香は突然の亮の態度を笑ったが、亮は至極真面目な表情のまま、その話を切り出した。
「オレ‥もう一度ピアノ弾いてみようと思うんだけど、どうかな?」
静香はスプーンを咥えたまま、突然の弟の告白に疑問の声を出した。
「は?」
ニヤッと、亮は引き攣った笑みを浮かべた。
姉はどう出てくるだろうか。否定するだろうか、肯定するだろうか‥。
静香は暫し固まっていたが、彼女もまたニヤリと口元を歪めると、首を傾げた。
「ピアノォ~?」
一体どういう風の吹き回しだと静香は言って笑った後、冷静になって自分の意見を述べた。
「金になる見込みもないのに?
やったところでコンクールに出れるレベルになれるわけでもないじゃんよ。意味な~い」
はっ、と静香は息を吐き捨てるようにつき、亮に残酷な現実を突きつけた。
亮は頷きながら言葉を続ける。
「‥それはオレも分かってる。ただ‥どうかなって‥」
そう言って暫し亮は俯き、沈黙した。静香はそのまま黙って弟を見つめている。
普段は傍若無人な彼が持つ、子供のような一面。昔から不意に見せる、弱気な顔‥。
静香は止まっていた手を動かして、スプーンでご飯を混ぜ始めた。
そして軽い調子で言葉を掛ける。
「あっそ。ま、せっかく指もついてることだしね」
弾けないわけじゃないんだし、と言って静香は他人事のように言い捨てた。
「好きにしてくださ~い」
そのいい加減な態度を見て、亮はその長い指を振りながら顔を背けた。
「わーったわーった。話したっていつもこうだ‥」
亮としては真剣な話であったのだが、すぐさま茶化した姉を前にして、亮は決まりの悪い気分になった。
その後、亮は静香に「もう結婚でもしたらどうだ」と切り出してもみたが、
「人の勝手でしょ」と言って静香は取り合わなかった。
二人はそれきり言葉を交わすこと無く、テーブルの上の料理を黙々と食し続けた。
とっくに冷めてしまったそれを、何も語ること無く口に運ぶ。
食堂は昼過ぎの時刻だが繁盛していた。
人々の会話やスプーンや箸が食器に当たるカチャカチャとした音が、ぼんやりとした喧騒になってこの場に溢れていた。
そのざわめきに交るように、亮と静香は食事を続けている。
普段着の素のままの二人が、平凡な時を過ごしている。
静香は咀嚼を繰り返しながら、黒い靄が胸の中に立ち込めて行くのを感じていた。
幼い頃から天才ともてはやされ、静香に劣等感や屈辱感を与え続けた弟が、ピアノを再開する‥。
静香は黙々と食し続けた。クチャクチャという咀嚼の音だけが、彼女の耳に響いて消える。
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<河村姉弟の会話>でした。
なんだか今回漠然としたタイトルになってしまいましたね‥^^;
しかし最後の静香のカット、なんだか怖い‥。
今まではお金があったから空虚な心の隙間を埋めることが出来ていたものの、もう会長からの支援も切れ、
これから静香はどうなっていくのか‥。
ラストは静香にも救いのあるものであってほしいですね‥。
次回は<疲弊の中で>です。
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