Trapped in me.

韓国漫画「Cheese in the trap」の解釈ブログです。
*ネタバレ含みます&二次使用と転載禁止*

これからのこと

2013-12-23 01:00:00 | 雪3年2部(雪淳喧嘩~亮の涙)


亮は彼女の傘の中で、涙を流していた。無情な雨が、心の中に降りしきる。

”こんなはずじゃなかったのに”が、彼の心の大部分を占めるだろうか?

順調にいっていれば、今先生と共にテレビに映っていたのは自分だったかもしれない。

過去の栄光が、脳裏にこびりついて離れない。



身軽なのが一番と、彼は適当な場所で適当な職に就き、適当なタイミングで居場所を変えた。

自由であるということは気楽だが、その代わりとしてその環境は彼をどんどん曖昧にした。

職業は? 家族は? 君の国籍は?


何一つしっかりとしたものが無いという事実。

その事実は亮の未来もまた、曖昧にした。



雨が降る。冷たい雨が。

亮の心から溢れた無常が、空を泣かせて雨が降る‥。









その雫を、彼は手を差し出して触っていた。指を伝い落ちるその雫は、彼の掌を冷たく濡らす。

青田淳は雪の家の軒下で、少し小降りになった雨を眺めていた。



もう随分長い間彼女の帰宅を待っているが、依然として彼女は帰ってこない。

携帯電話も通じず、淳はその場に立ち尽くしていた。



ふと足元を見ると、一匹のかたつむりがノロノロと歩いていた。

淳が足をかたつむりの方へ向けると、かたつむりは気配を察してその歩みを止める。



そして淳は暫しの間、かたつむりの行く先を眺めていた。

少し移動したり、身を屈めて見やったり‥。

  

容姿の際立った若い男性がそのような行動を取っていることは、幾分珍しいので人の目を引く。

淳が顔を上げると、家の前を通りがかった人達が彼の方をジロジロと見ていた。



居心地悪そうに頭を掻く彼。



それから淳は何度も腕時計を見やったり、空模様を眺めたりと漫然とした時間を過ごした。

ようやく雨は止み、厚い雲が風で流れていく‥。










雪と亮は、その後居酒屋へ移動し酒を飲んだ。

亮は何も言わず焼酎を煽り、不機嫌そうに料理をつまんでいる。

「あの‥さっき何で泣い‥」



おずおずと雪が切り出すと、亮は無言の視線を向けた。



凄い形相である。

思わず雪は下を向き、「何でもないです」と質問を取り下げた。

亮は雪の前にグラスを置くと、お前も飲めと酒を注ごうとする。

「弱いからちょっとずつ‥」と雪が口にすると、



「お前って勉強しか能ねぇんだな」と呆れたように亮は言った。雪は思わずムッとする。

亮は自分の言った台詞を少し考えた。”能力”という点だ。



とあることが気になり、雪に向かって質問した。

「もうすぐ終わりだろ?塾」



雪は「はい」と答えた。もう大学が始まるからだった。

「‥オレも辞めよっかな」



亮は、塾の仕事が自分に合わない気がすると言った。

その言葉に雪は、「それじゃあ他にやりたい仕事があるんですか?」と聞いたのだが、

亮は素っ気なく「さあな」と言っただけだった。

「お前はあんの?」



亮から向けられた問いに、雪は暫し天を仰いで考えてみた。

未来はとめどなく続いているが、ただとりとめもなく広かった。

「私は‥」



そう言って暫し考えた後、遠く広がる未来から自分の足元に視線をやる。

「河村氏の言うとおり、私は勉強しか能がないから‥。専攻分野で就職することになるでしょうね」

「経営だったっけ? じゃあどっかの企業とか?」



「はい、多分‥」

「どこ?」

亮からの質問に、雪は特定の企業の名前は出せなかった。

「企業と言っても沢山あるし、どこへ行くかは‥」と言葉を濁す。

「どっかに閉じこもって勉強するって意味じゃ全く同じだな。聞くだけでウンザリだぜ」



雪にしろ下宿で国試の勉強をしている仲間達にしろ、彼らの持つ地道さを前にするとゲンナリする。

安定を望むには不可避なその特性を、自分が持ち得ないその性質を。



それきり黙り込んだ亮を前にして、雪はもう一度彼に質問した。

「それじゃあ河村氏はここを辞めた後、どこへ行くんですか?」









自分が誰で、何を目指し、どこへ行くのか‥。


亮はそのまま黙り込んだ。

心の表面で考えたこれからの算段はあるが、それが本当に正しいのだろうか?


「オレは‥」




自分が誰で、何を目指し、どこへ行くのか。


‥誰と居たいのか。


地方から上京する時、あそこを出る理由となった言葉が脳裏をかすめる。

一人では死にたくない






亮は口を開こうとしたが、その続きを話すことは出来なかった。

目の前に現れた、予想外の人物のせいで。


「二人で何話してるの?」




俺も混ぜてよ、と言って彼は座った。


二人は目を丸くする。




不意に現れた青田淳が不敵に笑みを浮かべたところで、波乱の一夜が幕を開けた。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<これからのこと>でした。

亮の心情の流れがすごく丁寧に描かれていますね。

現在の自分の曖昧さ加減を知り、過去の栄光との差に愕然とする‥。

先輩が現れなかったら二人はどんな会話をしたのかな~ 未だに気になってます。

次回は<三人で円卓を(1)>です。面白回の始まりです(^^)♪


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無情な雨

2013-12-22 01:00:00 | 雪3年2部(雪淳喧嘩~亮の涙)
亮が雪から指定された待ち合わせ場所で彼女を待っていると、不意に携帯電話が鳴った。メールが入っている。

授業が長引いていて10分くらい遅れます。すいません



亮はそのメールを見ながら呟いた。

「やっぱ奢りたくなくなって言ってんじゃねーだろーな?」



暫し訝しげな表情を浮かべていた亮だが、気がつけばポツポツと雨が降ってきている。

傘を持っていないのでアタフタしながら、とりあえず亮はコンビニで雨宿りをすることにした。



軒下に駆け込んだ亮は、建物の中を覗き込んだ。

傘を買うかどうか暫し迷ったが、雪が持ってるかもしれないと考えるとお金が勿体ない気がして止めた。
(しかし結局傘は売り切れだったので、亮の思案もそこまでとなった)



ぼんやりとガラス越しに中を覗いていた亮だったが、不意に聞き覚えのある声がしたような気がして、一、二歩後退した。

壁に掛かったテレビに目をやる。



そこに映っていた人物を見た時、心臓がドクンと跳ねた。

思わず目を見開き、亮は暫し呆然とする。



高校の時の、ピアノの恩師だった。

見覚えのあるその姿は、少し年を取ったが変わっていない。



テレビからは恩師とその弟子が司会者を交えて談笑する会話が聞こえてきた。

今回もC君の演奏に誰もが驚かされましたね。

先生との特別なご縁が、今回こうして世界に通用する人物を生んだのでしょう。


  

司会者はその先生に対して、C君への意見を求めた。

マイクを向けられた先生は笑顔を浮かべながら、誇らしそうに口を開く。

はい、彼こそが私の人生におけるたった一人の弟子ですね



プツッと、それを最後にテレビ画面は切り替わった。

突然の暗転。



それ以降、可愛らしいアイドルの映像が流れ続けたが、亮の耳には、その目には、一切が入って来なかった。

一人テレビを見上げたまま、その場に佇んだ。



頭の中で、様々な記憶が波のように打ち寄せる。

鼓膜の奥で、声が聴こえる。

亮、リハビリするんだろう? 先生は君を信じてるよ‥










雨が降る。無情な雨が。

空から落ちてくる幾筋もの雨。

心に引っかかっていた数々の思いの断片が、その雨のように降り注ぐ。


  河村亮




声が聴こえる。

自分を呼ぶ声が。自分に向けられた様々な人の声が。


お前これから何するの?  河村クンミュージシャンとみたぞん!

自分の体たらくを振り返った方がいいんじゃない?  




お前手イカれちまったんだっけ?    たった一人の弟子です




数々の言葉が、雨のように落ちては心の中に溜まっていく。

亮は激しい降りの中で、一歩も動けず立ち尽くしている‥。







一方雪はというと、ようやく授業が終わり外に出て来たところだった。

約束の時間は、もうとうに過ぎている。



雪は傘を差しながら、待ち合わせ場所の周辺を見回した。亮の姿は無い。

まさか何も言わず帰ったわけじゃあるまいと、キョロキョロと辺りを探した。

すると少し離れた場所に彼の姿を見つけた。ずぶ濡れで、傘も差さずに立ち尽くしている。



雪は声を掛けようと「あの、」と口を開いた。

しかしその時、見てしまった。




彼の頬に伝うものを。





亮はずぶ濡れだったが、その水滴は雨ではなかった。

心の中に溜まった万感の思いが溢れて流れ落ちた、それは涙だった。






ザアザアと、強い雨足が彼を濡らす。

雪はその場から動けぬまま、ただ彼の姿を目にしていた。




俯き、項垂れる彼。




彼の横顔を見ていた雪は、自然と足がそこへと吸い寄せられた。

何も言わずに近づいて、彼に向かって傘を差し掛ける。




亮も、何も言わない。

彼女の傘の中で、涙を拭っただけだった。




ふと空を見上げると、黒い雲は陰り、低い雷鳴が聞こえている。

地面を叩く雨音の中で、その傘の中で、二人は長い間佇んでいた。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<無情な雨>でした。

これは亮‥辛いでしょうね(T T)

そして日本語版で分かった事実、あの先生はおじさんだった‥。

「先生信じてるからな‥」



ピンクのカーディガン着てるからてっきりおばさんだと思っていたのに‥。



ということでおばさん説もいまいち捨てきれず、記事ではどちらかぼかしました(笑)

有名なピアニストだったんですかね~


次回は<これからのこと>です。

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曖昧な関係

2013-12-21 01:00:00 | 雪3年2部(雪淳喧嘩~亮の涙)
「クッソ!あいつぜってーチクると思ったよ!」



亮はSKK学院の非常階段に座りながら、頭を抱えて唸った。

先ほど元同僚が言っていた言葉が、もう一度頭の中で響く。

社長がお前捕まえて殺すって



亮は暫し不穏な胸騒ぎに頭を悩ませていたが、こうして座っているとだんだんと冷静になってきた。

元同僚の緊迫した口調に思わず動揺してしまったが、よくよく考えてみるとそこまで自分に非があるわけでもない‥。

「社長の野郎まともに給料も払わなかったくせに‥オレが自分の金を貰っただけだろーが。

何が殺すだよ、イカサマ言いやがって‥」




しかし幾らかの誤解も混じっているとはいえ、社長が怒り狂って自分を探しているということは事実だ。

今まで後ろ暗いことなど無く生きて来たから、静香に偉そうなことも言えていたが‥。

人に説教する前に、自分の体たらくを振り返った方がいいんじゃない?



畜生、と亮は吐き捨てた。

こうなってしまっては、姉に返す言葉も無い。



亮は膝を抱えながら、一人冷静に考えた。

命の危機とまではいかないだろうが、面倒な問題が起きた。

近々社長は上京し自分を探すだろうが、都内を虱潰しにあたるのだろうか?何を手掛かりに?



考えてみれば、そこまでするほどの大金でもないではないか。

考えれば考える程、そんなに心配することでも無いという気になってきた。

とりあえず他の仕事あたってみて、様子見つつヤバくなったら地方にドロン‥



亮がこれからの算段を考えていると、不意に小太り君や下宿の仲間たちの言葉が蘇ってきた。

河村クンはこれからどうするんだなん?



そして先日、取り調べを受けた刑事の尋問とあの視線が。

職業は? 家族は? 君の国籍は?

  

自分が何者で、何を目指し、どこへ行くのか。

亮は他人からその答えを強要されているようで不愉快になり、思わず声を荒げて吠えた。

「あーもう何なんだよ!どうしろってんだよ?!オレはこうして生きていくっつーの!!」



そんな彼の横を、雪が小走りに通りかかるのを亮は目に留めた。

「おいダメージヘア!」と呼び止める。



珍しく遅刻かと亮が指摘すると、雪は寄り道をしていて遅れたのだと言った。

「河村氏こそ中入らないで何してるんですか?」



雪の質問に、亮は複雑な顔をする。

「‥‥‥‥」



何か言いたいことがありそうなその表情に、雪は「何ですか?」と問いかけてみるが、

亮は大仰な仕草で頭を抱えると「悩みがあるんだ」と俯いた。

「お前が飯おごってくんないから‥オレこのまま餓死するかもって‥。約束したのに‥」



何のことはない、いつもの”メシおごれ”攻撃なのだが、雪は先日亮ときちんと”約束”をしていたことを思い出した。

 

「今日塾終わってから時間あればちょっと行きましょうか」と雪が言うと、亮は威勢よく「よしきた!」と声を上げた。

「約束したからな?バックレんなよ?」



畳み掛ける亮に雪は呆れ顔だ。バックレようにも家の場所だって知っているではないか‥。

しかし雪は毎回こうやって亮から絡まれるので、「そろそろ私以外の人とも関わったらどうです?」と彼に提案してみせた。

「他に友達いないんですか?」



友達?と亮が呟くように聞き返す。

彼はフッと笑いながら、その言葉をどこか俯瞰した様子で口を開いた。

「オレは一匹狼だからよ」



大きく手を広げて、亮はどこか自慢気に話を続けた。

「変な話、会う奴会う奴みんなオレのことが大好きなんだよな~。

でもあいにくオレはそういう概念に囚われたくはないわけよ」




雪はハイハイと若干受け流しながら聞いていた。

しかし亮の意見はどこか説得力を持っている。

「人間関係ほど厄介なものはないぜ。身軽なのが一番だ」



亮はヤレヤレといった風情に息を吐きながら、

「最後には裏切られてオシマイってわけ。こんな風にな」と後頭部を叩く仕草をしてみせた。



それは先日助けた遠藤の話でもあるし、過去の自分の話でもあったのだが、

当然雪は何のことか分からず不思議そうな顔をしていた。



それより、と亮は雪に向かって凄みながら続ける。

「オレがいつも一人でいるからって、寂しい子みたいな言い方しやがって‥」



そんな亮に雪は「それでも私はそれなりに友達も居ますからね?」と言い返した。

すると亮はこんなことを言い出した。

「じゃあオレは? お前の友達?」



突然のその問いに、思わず雪は固まった。

「えっ?」



じっと雪の方を見て答えを待っている亮を前に、雪は何と答えていいか分からなかった。

嫌な汗がダラダラと流れる。



目を白黒させながら「その‥顔見知り‥以上?」と雪がようやく口を開くと、

亮はその様子がおかしかったのかククッと笑った。



亮は気安い調子で雪の背中をグイッと押すと、

「分かったよ!早く勉強して来い!遅刻!」と彼女を教室へと促した。



雪は飲食店が立ち並ぶ通りにあるロッテリアを待ち合わせ場所に指定し、彼と別れた。

廊下を小走りしながらも、つい亮が居た方向を窺ってしまう。



友達‥。河村亮と自分は友達なのだろうか‥?

どこか説明のつかないこの関係に思いを馳せつつ、雪は遅刻寸前の教室へと駆け込んで行った。





一方、そんな彼女の彼氏はというと、雪からの待ちに待ったメールを受け取っていた。



うん、大丈夫。明日ねと返信を打ったものの、

彼はどうにも落ち着かない。



暫し腕組みの姿勢のまま思案していたが、居ても立ってもいられなくなり席を立った。

シャツを取り、出掛ける準備を始める。



決められたことを守らずとも、心が行動を選択しても良いということ。

それを教えてくれたのは彼女だった。



淳は突き動かされる衝動のままに、その場を後にした。




雪はというと、先ほど彼から来たメールを確認しているところだった。

うん、大丈夫。明日ね
  

授業中、窓から見上げた空は曇天で、ゴロゴロと低い雷鳴が聞こえていた。

その厚い雲から、かなりの雨が降りそうな予感がした‥。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<曖昧な関係>でした。

雪が先輩にメールを送るカットと、先輩が雪からメールを受け取るカット。

  

同じアングルで描いてあるんですよね~。こういうところも作者さんの意図を感じざるを得ません。

さて亮と雪の関係‥知り合い以上友達未満?

それでも”彼氏”の先輩よりも亮の方が親しげなのが‥(^^;)


次回、<無情な雨>です。

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迫る黒い影

2013-12-20 01:00:00 | 雪3年2部(雪淳喧嘩~亮の涙)
ふむっ!と雪は気合を入れて、メールを作成していた。



送信先は青田先輩。

その文面はこんな感じだ。

先輩 明日時間ありますか?



ようやく心の整理がついてきた雪は、明日先輩に会って話をしようと思っていた。

気合を入れてメールを打ちながらも、どこか少し緊張しているのだった。



ふと隣室を窺うと、そこはしんと静まり返っていた。

今まで秀樹が居た空間にぽっかりと穴が空いて、雪の心にもどこか隙間風が入り込む。

  

雪は幾分寂しさを感じながら、塾へ向かう道すがら聡美と電話をして歩いた。

「もしもし聡美、どうした?今日は塾だけど。うん、うん。あ、後で雨が降るみたいだよ」



雪が通りすぎたアパート‥そこは秀樹の住んでいた部屋の真ん前の部屋なのだが、

そこから女の甲高い笑い声が響いていた。以前秀樹を変態呼ばわりして警察に言いつけた、あの女だった。

「あの変態引っ越したよ。あたしもちょっぴり手を加えたけどね。

クソ暑いのに窓も開けられないこっちの身にもなれっつーの」




女は真ん前に住んでいた変態が居なくなったことに安心し、堂々と下着姿で窓を開けていた。

しかしよく見ると元秀樹の部屋は窓が少し開いていて、そこに一人の男が潜んでいた。



ニヤニヤと笑いながら、女の姿を眺めている。



黒い影が、とある大事件まであと少しと迫っていた。

一見平穏なアパートに、女の笑い声が響き渡る‥。













一方ここは河村亮の住む下宿。

時刻はもう塾の就業時間に迫っていた。

「クッソ、また遅刻だ!ったく何でこんなに散らかってんだよ!」



亮は廊下に置かれた沢山の物に躓きながら玄関へと急いだ。

ふと、傍らに置きっぱなしにしてある荷物が目に入った。



青田淳の父親からの、誕生日プレゼントだった。

亮は舌打ちをして、その箱を足で蹴った。その表情を怒りで歪めながら。

「青田のオッサン、度々こんなもん送りつけやがって‥白々しい‥」




深く暗い記憶が脳裏をかすめる。



亮は自分の左手を見ながら、

その手がギブスと包帯で包まれていた時のことを思い返した。



あの時、青田会長は亮の傍らに座りながら、目をつむっている彼に向かって呟いた。

私は‥君たちなら、淳の友達になれると思っていた‥。‥すまなかった。



ごめんな、と青田会長は消え入りそうな声で呟いた。

亮は目をつむっていたが、その声ははっきりと聞こえていた。



握りしめた右手に、無数の血管が浮かんでいた。

深く暗いところにある記憶が、未だに亮を捕らえては心を揺さぶる‥。







その後亮は、会長から贈られたそれを小太り君にあげた。

彼は頬を上気させながら突然のプレゼントを喜んだ。



未だ亮が何者なのか知らない小太り君は、その細い目をさらに細めて推理する。

「‥河村クン、何者かと思っていたけど、ミュージシャンとみたぞん! 「ちげぇよデブ



小太り君は亮の指を見ながら、長くてピアノに向いているし‥と言うが、亮は取り合わなかった。

プッと吹き出しながら、小太り君は笑う。

「お世辞ですけどーッ!プププ!」     



そのまま背を向けて去って行く亮に、小太り君が「いってらっしゃい」と声を掛ける。

亮は頭をぐしゃぐしゃと掻きながら、イライラを連れて廊下を歩いて行った。



一度思い出した記憶は、なかなか消えてはくれなかった。

亮は力の入りきらない左手で拳を固めながら、ふと高校時代の自分を思い出していた。










腕前はメキメキと上達し、ますますその才能が世間に認められていっていた時期だった。

亮を見てくれていたピアノの先生は、雑誌のインタビューでも亮のことを「ただ一人の特別な弟子」だと豪語した。



眠そうな亮はその態度こそ良くなかったが、実力がある分それさえも容認されていた。

コンクールもきっと良い結果が出る、先生は亮の才能を信じている‥。



笑顔で亮の背中を押す先生に、亮は自信たっぷりに心配しないで下さいと言った。



その指は鍵盤に吸い付くように音楽を奏でる。

亮はピアノを弾くことに困難を覚えたことが、正直一度も無かった。

「チョロいぜ」



得意気にそう言って笑う自分の姿が、脳裏にこびりついている。

過去と呼ぶにはあまりにも生々しいその記憶が、亮を縛り続けている。







「!!」



ビクッと亮は身を揺らした。

記憶の海を揺蕩っていた思考が、急に現実に引き戻されたみたいだった。

携帯電話が大きな音を立てて鳴っている。亮は着信画面を見て、溜息を吐きながら電話を取った。

「亮‥元気?」



懐かしいが疎ましい声が聞こえる。おずおずと話し出した電話先の男は、亮が地方に行っている時の元同僚だった。

亮は既に彼とは縁を切ったと思っていたため、電話を掛けてきたことに対して憤慨していた。

しかし元同僚は亮の言葉など耳に入らないかのように、話を続けようとする。

「そっちでちょっと面倒見てやったからって、オトモダチ面してんじゃねーぞコラ。

ママの元から離れられねーような奴が独り立ちなんて無理だっつーの!人間なぁ、生きてきた地を離れたらオシマイなわけよ!」




亮はくどくどと説教を垂れた。

しかし電話先の彼は「今まだ都内にいるの?」と切迫した様子で続けてくる。

「あのさ‥俺、お前が上京したってことしか‥都内のどこにいるのかは知らないんだ、本当に‥」



亮は彼の話の要点が掴めず疑問符を飛ばしていたが、

続けられた彼の言葉に、思わず息を呑んだ。

「社長がお前捕まえて殺すって」



亮は思わず電話を耳元から離して、目を剥いた。

電話口からは依然として、怯えたような様子で彼が話し続けている。

「で、でもさ!俺は本当に都内に居るってことしか知らないし、大丈夫だよね!

都内っていっても広いんだろう?」




彼は亮が怒っているかどうか、気にしていた。

”河村亮は都内にいる”と、白状してしまったからだった。

「社長完全にキレてて、今すぐ金が要るみたいなんだ。ごめんな、亮」



彼の顔面は、殴られた痕が腫れ上がり傷だらけだった。その傷が、社長の憤慨を物語る。

空を見上げると、暗く厚い雲がだんだんと空を覆っていくのが見て取れた。

その不穏な曇り空に、彼の謝罪が吸い込まれていく‥。

「ごめんな‥」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<迫る黒い影>でした。

何やら不穏な影が近づいてまいりましたね。

この亮の元同僚さんは、日本語版ではカットされていましたが、亮に一度「社長が怒り狂ってる」と電話を掛けてきています。

参考記事→<ファースト・コンタクト>

随分と長い布石でしたね‥。

次回は<曖昧な関係>です。


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内観

2013-12-19 01:00:00 | 雪3年2部(雪淳喧嘩~亮の涙)
都内某所、地価の高いこの土地に、高く聳える高級マンションがあった。



塵一つ落ちていない綺麗な室内、だだっ広い空間。

そこはしんと静まり返っていた。



大きなベッドの上に、一人の男が横たわっていた。

眠っているわけではない。



人は寂しさや孤独を感じた時、自然と胎児の時の姿勢を取ると言う。

彼は無意識ながらその体勢のまま、もう長いことそうしていた。



その表情は気怠げで、何度か夢と現実のはざまを行き来したのかもしれなかった。

視線の先に、自分の姿を映している。



ここに寝転ぶと、自然と壁に掛かった鏡と向き合うことになる。

青田淳は静かな部屋でずっと長い間、自分の姿を眺めていた。


ふと鼓膜の奥で声が響いた。脳裏には彼らの姿も浮かんで来た。

どうして人の気持ちが分からない?!



そう言ったのは、幼い頃から生き方の指標としてきた秀樹兄だった。

その方がおかしいです、よっぽど!



そう言ったのは、自らが同族だと思っている彼女、赤山雪だった。


鏡の中の自分が、彼を見た。

目の前に居る男に、じっと視線を絡ませる。

俺がおかしい?



彼は鏡から目を逸らした。

自らの内面を覗き込むように、その静謐な闇を覗き込むように、淳は内観した。

俺のやり方が? 考え方が?



ピンと張られたような水面に、その内省は一滴の雫を垂らした。

王冠のように飛沫は広がり、水面に波紋を広げていく。

どうして? どこが‥?



視線を上げた彼は、子供のような顔をしていた。

それは小さな子供が親に素直な疑問を投げかける時のような、純粋な表情だった。


そして彼は自らの思考の中に深く潜って行く。

脳裏に浮かぶのは、彼を疲弊させる数多くの人々のことだ。淳は、彼らが理解出来なかった。

本当におかしいのは、自分達の方じゃないのか



そして記憶は、一年前の球技大会に飛んだ。

まず浮かんできたのは、口元を手で押さえた横山翔の姿。彼が自分の悪口を口を滑らせて叫んだ後の記憶。



知ってる。



あの時淳の視線を捕らえたのは、呆れ笑うような彼女の表情だった。

俺が貶された時、喜んでたの知ってる。



知ってる。



あの後横山に声を掛けていたこと。

肩を叩き、口元に浮かべた笑みを。

   


淳は彼女の姿に、無意識な既視感を感じていた。





自分の中にある、黒いその姿。

  


彼女が気に障った。


理由はいくつかあったが、自分の中のもっと根本に響くところが、居心地悪くざわめいていた。

うざ




彼女を前にする度、幼稚な姿が前に出た。


挨拶をしようとした彼女に向けた、あからさまな無視。



グループワークにて、自分よりも優れた彼女に対する嫌がらせ。




とにかく彼女が気に触った。


グループワーク後の打ち上げの席でだって、とかく彼女の振る舞いは不自然に感じた。

  


彼女を前にする度、静謐な泉に石が投じられ、水面は揺らいだ。


そしてやって来た、彼女との全面対決



自分でもコントロールが出来なかった。

積もってきた彼女に対する悪感情が、それまで溜まってきた鬱憤が、他人の前であるに関わらず溢れ出るようだった。




しかし論破された彼女が見せた表情に、その反応に、淳は視線を奪われる。





怒るかと思っていた淳の予想を、彼女は裏切った。

そしてその瞳が沈んだ色を帯びていくのを、まるでスローモーションを見るように眺めていた。










心が震えた。

自身はまだ気がついていなかったが、その震えは、自分と似たものに邂逅した喜びに震えていた。

今まで彼女を目にする度に感じていた不愉快を、その違和感を、思考はなぞった。




無理に笑うのも、観察するようなその視線も、全て見透かしたかのようなその表情も、

気に触っていた全ての要素が、その時の彼女の反応で消し飛んだのだ。











水面の波立ちが、徐々に静謐に戻っていく。

それでも元と同じではない。その泉の底に何か光るものが、ぼんやりと現れていた。









その後、廊下で彼女とすれ違った。

幼稚に無視をしたあの時と、同じシチュエーションだった。



また彼女が荷物を取り落とし、それを拾うのもまた、

去年と同じシチュエーションだった。

  


あの時は書類を蹴った。彼女にとにかく腹が立って。




しかし今回、淳は足元に転がったペンに手を伸ばした。彼女に対する苛立ちは無かった。




目の前の彼女にそれを渡す時、淳の心の中に巣食っていた彼女への敵意が、すっと無くなるのを感じていた。




しかし、この時淳はまだ気がついていない。





彼女を同族だと認識し始めていることに。

自らの孤独の共鳴を彼女に感じるのは、もう少し先の話だ。


淳の思考の中で、彼女が揺れる。


暗く静謐なその空間に灯った、一点の光明が。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<内観>でした。

自己の世界で完結していた彼が、初めて自らに疑問を持つという記念すべき回でした!

結局結論は出ないのですが、ここで雪に対する感情が変化していくのが見て取れますね。

そして3部プロローグに繋がっていくこの流れ!セピアで紡がれる淳視点の物語は、本当に秀逸だなぁと思います。

少しでもその世界観を壊さず表現出来ていたらいいなぁと、当ブログとしては願うばかりであります‥(^^;)


次回は<迫る黒い影>です。


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