夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

延命治療を断るために宣言すべき3つの項目、初めて高齢者の私は、明確に学び・・。

2016-07-16 10:17:09 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇しないで、まもなく年金生活12年となる。

ここ10年、いつの年か判からないが、
どちらかが亡くなった時、葬儀、残こされた方の『おひとりさま』の生活基盤などを
ときおり話し合ったりしてきた・・。

或いは、どちらかが大病になった時、
私は自身で食事が出来なかった時は死ぬ時だから、まして延命治療まで施(ほどこ)して、生きるのは・・、
と私は家内に言ったりしてきた。

家内も、あたしも延命治療はお断わりょ、と私に言ったりしてきた。

このような心情を漠然としながらも、私たち夫婦は秘めたりしてきた・・。
            

昨夜、ネットでニュースを見ている中。
【 延命治療を断るために宣言すべき3つの項目 】と見出しを見て、
どのようなことなのですか、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年7月22・29日号に掲載された記事のひとつで、
関連の『NEWS ポストセブン 』に於いて、7月14日に配信された記事であり、
無断であるが転載させて頂く。

《・・延命治療を断るために宣言すべきこと

高齢になって点滴やチューブにつながれたような状態で、
長く生き続けたくない、という願いを叶えられる人は、実は少ない。

延命治療は医師にとって、診療点数を稼げるものであると同時に、
医療行為を行なわないことの責任が追及され殺人罪に問われるリスクもあるからだ。
そうしたなかで患者の家族が、延命治療を断わるにはどうすればいいのか。

医療問題に詳しい古賀克重弁護士は、
「自分の意思を明確にできるうちに『延命治療拒否の宣言書』を書くことが有効です」と語る。

意思表示の書面を事前に作成している人は、60歳以上の国民の約6%程度という調査結果もある
(前出の2014年・厚労省意識調査より)。
どのような内容を記せば良いのか。
            

「『この文書は私の精神が健全な状態にある時に書いたものです』と宣言したうえで、
3つの項目をおさえることが重要です。

1つ目は
『ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命治療はお断わりします』
と意思を明示すること。

2つ目は
『ただし私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行なってください』
と、緩和医療と単なる延命措置をきちんと区別しておくこと。

そして3つ目は
『私が回復不能な遷延性意識障害(植物状態)に陥った時は、生命維持措置を取りやめてください』
と、植物状態のまま生かされることを拒否しておくことです。

こうした宣言書は自分で作成することも、公証役場で専門家に作成してもらうこともできます。
ただし、いずれにしても法的な拘束力はなく、その意味では確実に延命治療を断わる方法はありません。
自分の意思を書類にまとめたうえで、家族や医師に考えを伝えていくしかありません」(古賀弁護士)

穏やかに旅立つための準備は簡単ではない。・・》

注)原文にあえて改行を多くした。
            

私は延命治療に関して、少し知ったのは、確か35年前の頃で、
私は民間会社のサラリーマンになって、賞与を頂くたびに、
母に衣服を買う時の足しにして、とある程度の額をお中元、お歳暮の時に手渡していた。

この頃、親戚の裕福のお方が、身体を壊して、長らく入院されていたが、
母が見舞いに行った時は、植物人間のような状態であった、と教えられた。

『あたし・・嫌だわ・・そこまで生きたくないわ』
と母は私に言った。

母は寝たきりになった自身の身を想定し、長兄の宅などで、下半身の世話をなるのは何よりも険悪して、
私が結婚前に同居していた時、何気なしに死生観のことを話し合ったりしていた。

容態が悪化して、病院に入院して、一週間ぐらいで死去できれば、
多くの人に迷惑が少なくて良いし、何よりも自身の心身の負担が少なくて・・
このようなことで母と私は、自分達の死生観は一致していたりした。

こうした母の根底には、敗戦後の前、祖父の弟、父の弟の看病を数年ごとに看護し、
やがて死去された思いがあったと思われる。

そして近日に植物人間のように病院で介護されている遠い親戚の方を見た思いが重なり、
このような考え方をされたのだろう、と私は思ったりしたのであった。
                       

やがて平成5年の頃、母は婦人系のガンが発見され、
それから1年に1ヶ月前後、都心の広尾にある日本赤十字医療センターで、入退院を繰り返していた。

結果的には、母の意志で、苦痛を和らげるために緩和医療を依頼し、5年後に亡くなってしまったが、
この間、母が気に入った個室に、幾たびか私が見舞いに行ったある時、
看護婦さんから、あなたのお母さん、自分でトイレに行っているの、と私は聞き、
お母さんらしいなぁ、と私は思いながら、安堵もしたりした。

ともすれば、回復の見込みがない大病となり、本人が延命治療はしてほしくない、と念願しても、
親族、親戚、知人などは、出来る限る長く生きていて欲しい心情に圧(お)されたりしまい、
結果的には本人の意志に背(そむ)き、酸素を吸入し、鼻から栄養を入れるなど延命治療がされてしまうケースが多い、
と私は聞いたりしてきた。

今回の記事を私は学び、私は延命治療を断るひとりであるので、こうした三カ条を明記しておけば、
自身の終末期の念願が叶えられる、と学び、作成しょうと思い深めたりしている。

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